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「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

2月1日に

2022-03-17 07:30:00 | 日記
2月1日は、熱海に行っていました。
なぜなら、熱海桜の「糸川さくら祭り」をやっていたからです。

熱海桜の見頃は1月中頃から2月の中頃のことだと、やっとわかってきたので、葉桜にならない前に見たいと思ったのですね。

Sさんが、小田原で用事があると言っていたので、小田原駅で待ち合わせ、ミナカ小田原の「相模屋」さんでいなり寿司を買って車で熱海に向かいました。





2月1日なので、「相模屋」さんは節分のディスプレイですね。

インスタを見て来たと伝えると、甘く煮たお揚げをオマケでくださいましたよ。

今年発見したのは、熱海桜の基準木でした。



ソメイヨシノは、靖国神社に基準木があると、ニュースで聞いたことがありますけど、熱海桜にもあったのだと思いました。





糸川沿いには、不思議なオブジェがあります。

平日だったので、それほどの人出ではありませんでしたが、やっと空いていたベンチを見つけて「いなり寿司」を食べました。







日向は暖かくて、日陰は寒いので日向のベンチは、人がいる感じです。
去年も思いましたが、桜の木にはたくさんのメジロが来ていて、蜜を吸っているのか、飛び交っていました。

すると、コーヒーのいい香りがしてきて、食後のコーヒーを飲もうと香りの出所を探すと、テークアウトが出来る珈琲豆屋さんがあることがわかりました。



糸川沿いに「カモメ珈琲豆店」さんがあり、中に入ると丁度機械がぐるぐる回っていて、コーヒー豆の焙煎をしていたところで、香りが流れてきていたのだとわかりました。





入口のガラス越しに熱海桜も見えていい感じです。
テークアウトのコーヒーは、300円で淹れていただきました。

「カモメ珈琲豆店」を調べてみると、府中に住んでいらしたご夫婦が3年前に始められた焙煎店だとわかりました。
桜の季節に熱海に来て移住を決めたようで、とても良い立地ですね。

私達は、コーヒーを持ってすぐ近くの角にある「村越魚店」さんの前のベンチで飲んでいました。




このお店は、その日に捕れた魚らしいのが、お店の前に置かれていますが、新鮮なお刺身を注文で作ってくれたりします。

私は、以前にサザエのお刺身(2個で500円)をお願いしたこともあり、そういう常連さん達は沢山いるようですよ。

これはまた別の日ですが、写真の真ん中にある「ネギぬた300円」も、丁度いらしていた年配の奥さんが、

美味しいよー!

とおっしゃって、沢山買っていらしたので私も買いましたけど、本当に美味しかったし、見た目より量も沢山ありました。

その日私達は、マンションの温泉に入りに部屋に行きましたが、裏山にも熱海桜が咲いていて、メジロが飛び交っていました。



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殺生石 その2

2022-03-14 07:30:00 | 日記
3月2日のNHKの歴史探偵「天下統一 秀吉の一夜城」では、小田原城がなぜ難攻不落と言われていたかの検証をしていて、小田原城は城下町をかなり広く堀で取り囲んでいたので、食糧が自給自足出来ていたそうです。

そして、その堀がかなり深く切り立って作られていたので、城内に侵入することは至難の技で実際ミニチュアの堀を作って検証していました。
関東ローム層で出来た堀は、ツルツルと滑って登れなかったようですよ。

当時、ほぼ天下統一をしていた豊臣秀吉にとって、北条氏を倒せば全国統一になるということで、一夜城を建てたのですね。

一夜城は、1日で作った訳ではなく、約3ヶ月の間に建てられた城ですが、出来上がった時に一斉に回りにあった木を切り倒したので、小田原城から見たら、いつの間にあのような立派な城が建てられたのかということで、北条氏は戦意喪失したそうです。

私は、記事にした通り、1月に小田原城の天守閣から一夜城のあったであろう山を見ていました。
天守閣の西側の箱根方面の手前に見える山が、石垣山一夜城です。



今は、石垣の一部しか残っていない城跡ですが、作られた時はかなり広い城で天守閣もあり、当時の人達は本当にスゴい技術を持っていたのでしょうね。

一夜城のお陰で天下統一をした豊臣秀吉は、ここで止めておけば良かったのだと思いますが、この後に朝鮮出兵をしてしまいます。

やっぱり、過去記事の通り、魂を乗っ取られてしまったのでしょうか。

九州から朝鮮半島に出兵する兵士に対して威信を示すために建てられたのが、唐津の肥前名護屋城(ひぜんなごやじょう)だったそうで、小田原の一夜城は予行練習になっていた話もありました。

肥前名護屋城も、たった8ヶ月で建てられた城だったそうです。
それを見ながら船で沢山の兵士が朝鮮半島に向かって行きましたが、豊臣秀吉が途中病気で死んでしまったので、戦意は無くなり戦いは終わりとなりました。
とは言え、7年も続いていたそうで、武将達も九州の肥前名護屋城に集められていたので、国内も混乱していたようです。


さて、私達5人(みこちゃん、いくちゃん、Sさん、Iさん、私)が、一夜城のあった石垣山に行ったのは、2016年4月16日のことだったので、もう6年前の話です。

大島に行こうとして暴風雨のために船が欠航してしまったので、急遽行った場所でした。

その時に、本丸跡のところにあった祠に挨拶したら話してきた神様がいました。

ツルガの神という、福井県の敦賀にある気比神宮に普段はいるという神様でした。
その時に話したことを抜粋します。


ツルガの神です。
敦賀にいるのに、なぜ木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に就いていたかですよね。
木下藤吉郎は、ニギハヤヒの分け御霊でした。
Iは、豊臣秀吉だった時があると言われていましたね。
カラミのない木下藤吉郎は、素晴らしい働きをしていました。
だから、天下統一が出来たのです。
敦賀にもいた時はあるのです。
だから、私は憑いていました。
(小田原の)一夜城を建てた時も素晴らしかったですよ。
誰にも知られずに、沢山の人を集めたというのは、それまでの人間関係ですからね。
だから、Iも同じように動いているのです。
時代は違えども、人を動かすのは、選ばれし人だから出来るのですよ。
(木下藤吉郎は)豊臣秀吉になって、回りの人のお陰を忘れてしまいました。
変わってしまうのです。
欲にかられるとね。
だから、IにはM子さんの存在は大きいのですよ。
魂が繋がれているので、このまま一緒に私達の言葉を伝えていってくださいね。


神様達がよく言うことで、守っている神様も離れてしまうことはよくあるとのことです。

なぜ、離れてしまうのかは感謝の気持ちが無くなるというのが、一番だと思います。
生きていることは、自分の力だけではなく、回りのお陰様だという気持ちを忘れてしまうと、もういいやと、いなくなってしまう感じですね。

一夜城に行った時に話してきたツルガの神も、木下藤吉郎の時には、気に入って守ってきたけれど、九尾の狐に操られてしまった晩年の豊臣秀吉からは離れてしまったようです。

豊臣秀吉の年表を見ると、織田信長が死んでしまった「本能寺の変」は、46才の時です。

鶴松(淀殿との子)が生まれ後継にしたのは、53才。結局、鶴松は2才で死んでしまいます。

北条氏を倒したのは、54才。

千利休に切腹を命じたのは、55才。

そして、伏見で亡くなったのは、62才とのことです。

どうも、神様達が言っていたことを考えると、淀殿(茶々)との出会いが狂わせてしまったような気がしますね。
淀殿は、鶴松を生んだ時はまだ20才くらいなので、おじいさんにしか見えない秀吉のことは嫌だっただろうと思いました。

それほど、豊臣秀吉には織田信長に対する執着があったのかですけど。。。
守っていた神様が離れてしまったので、九尾の狐に取り憑かれてしまったのかもしれませんね。


下の記事は、私達が小田原の一夜城に行った時の話です。
懐かしいことですね。
この日は、大島行きの船が欠航していまう、暴風が吹いていました。
雨はそれほどではなかったですが、私の傘が壊れてしまったくらいだったのだと、改めて思いました。


🐶 小田原へ その2



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殺生石

2022-03-12 07:30:00 | 日記
先日、お昼にテレビを観ていたら、栃木県那須町湯本にある「殺生石(せっしょうせき)」が、真っ二つに割れてしまいました。

という、ニュースを女性アナウンサーが読み上げていて、私はビックリしてしまいました。

「殺生石」を知らなければ、何も感じなかったのでしょうけどね。



以前に記事にしていたこともあり、すぐにグループラインで、仲間のみんなに知らせると、やっぱりすぐにIさんは反応していました。

「白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐」の話を記事にしていた時に、Iさんは「殺生石」のところに行った方がいいか聞いていたのです。

ミクネの神(天之常立之神)は、「行かなくていいよ」と言っていたので、結局行かなかったのですが、、、


「白面金毛九尾の狐」の記事では豊臣秀吉と織田信長が話してきました。
豊臣秀吉の話は、やっぱりそうだったのかという話でした。

2020,2,16と2,17の記事を少し抜粋します。


豊臣秀吉だ。
忘れているかもしれないが、頼りにしているからな。

誰をですか?

Iのことだよ。
熱海にいただろう。
短刀が刺さっていた話をしていただろう。
中指が痛いと言っていただろう。
レストランで、九尾の狐の話をしていただろう。

はい、話していました。

「白面金毛九尾の狐」は、ヤハウェだと言っていただろう。

はい。言っていました。

カラクリがわかったと思うよ。
カラクリは、悪い訳ではないが、私にも九尾の狐が、憑いていたからな。
いい時は、いいのだよ。
スゴい力だからな。
弱った時に、どんどん悪くなるよ。
死んでやっと抜けるということだな。
変わらない話だよ。
天下を取るということの、代償だな。
ミラクルは、友達の力が一体となることだよ。


そして、それに対して話してきたのは、ミクネの神でした。


ヤハウェは、今はいないよ。

どなたですか?

ミクネだ。
ヤハウェは、星に送ったからな。
「白面金毛九尾の狐」は、ヤハウェの眷属(けんぞく)だが、ヤハウェが作ったので、そのままだということだ。
豊臣秀吉にも、憑いていたと言っていただろう。
秀吉は、魂を売ったからだよ。
だから、子供は出来なかったのだよ。
茶々(淀殿)の子供は、忘れているかもしれないが、違う男の子供だったよ。
側女(そばめ)を全部殺してまでもしていたのは、信長の血が欲しかったからだ。
惨憺たることが、平気で出来るということは、白面九尾がやっていたからだよ。
白面九尾の狐は、秀吉が死んでから行くところがなくて、おとなしくしていたが、、、、
白面九尾の子分は沢山いるよ。


🐶 白面金毛九尾の狐の話



🐶 白面金毛九尾の狐の話 その2



そして、また豊臣秀吉の話をしてきたのは、ナセの神(国之常立之神)でした。
上の記事から2ヶ月経っている2021,4,18の記事を抜粋します。


ナセの神だ。

昨日、麒麟が来たのは、ナセの神が言ったからですか?

私が言ったから行ったのだよ。
ライオンと龍神が就いているのに、九尾の狐には、勝てないからな。
麒麟は、「時の扉」が開いたから行けたのだよ。
Iが、開けてくれただろう。
せーーーーかーーーーいーーーー(世界)が、変わる時だということだな。
ライオンのパワーが、全て入ったタイミングでもあるのだ。
豊臣秀吉は、凄まじい戦いの中で、九尾の狐を得たのだよ。
だが、魂も売ってしまった。
誰も信じられなくなってしまったのだな。
織田信長に仕えているうちは良かったが、亡き後は酷い状態だったよ。
せーーーーーん(千)利休も殺してしまったからな。
茶々の子供は、自分の子供だと思ってなかったが、回りの者を皆殺しにした。
憑いていたのが、九尾の狐だったからだよ。
麒麟しか戦えないだろう。
麒麟は、天敵だからな。
ヤハウェのパワーは、それほど強いものなのだよ。
封印しても、出てしまうほどのパワーだからな。
Iに、言っておいてくれ。
聖獣使いになるには、まだ1年は掛かるだろうと。。。
待っているよ。


🐶 麒麟が来た



今回、「殺生石」が割れたことについてはミクネの神に聞いてみると、


雪が入り込んで割れただけだ。


と言っていました。

割れたことで、何かが起こることは、なさそうですね。
良かったです。


私は、最近小田原城に行っていたので、3月2日にNHKの「歴史探偵」で放送していた「天下統一 秀吉の一夜城」を観ていて、豊臣秀吉が神様達が言っていたようだったのではないかと納得してしまいました。


続きます。
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ベガ星のサクラ

2022-03-09 07:30:00 | 日記
1月23日に、いきなり話してきたのは、宇宙の神様?でした。


スカイウェイで来ました。

どなたですか?

アストロンの友達です。

宇宙の神様ですか?

そうです。
リラ星の近くのベガ(星)から来ました。
北斗七星の人は、辣腕(らつわん)ですね。

何かありましたか?

友達になりたいと伝えてください。

何という名前ですか?

私はサクラと言います。

サクラ?

サクラです。
覚えてくださいね。

はい。


アストロンは、普段は奈良のキトラ古墳にいて、たまに神奈川の一の宮の寒川神社に来ているタセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)の別名です。
私の筆頭の神様のミクネの神(天之常立之神)のお兄さんでもありますね。


🐶 タセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)の話 その2


北斗七星の人とは、Iさんのことです。
なぜなら1月25日に、またサクラが話してきました。


北斗七星の人に伝えましたか?
サクラですよ。

まだです。すみません。
今日、伝えますね。

私は友達になりたいのです。

今は、どこにいますか?

北斗七星の人の家の、ガラスの靴の上にいます。

何か欲しい物はありますか?

レターが欲しいです。

レター?ですか?

ガラスの靴の前に、手紙を置いてください。

何を書けばいいですか?

名前と願いを書いたらいいですよ。
願いは、5つまで大丈夫です。
出来るか出来ないかは、「神のみぞ知る」ですけどね。
まずは、書くことが大事だと伝えてください。
北斗七星の人は、繋がっていますからね。

私とですか?

そうですよ。
一生の宝だということです。

ありがとうございます。


その後にミクネの神も話してきました。


ミクネだ。
サクラも友達だよ。
レターを書いて置くといいと、Iに伝えたらいいよ。

例えば、どんな願いがいいのですか?

例えば、今欲しい物でも大丈夫だよ。

お金は?

お金は無理だろうな。


私は、Iさんに早く伝えないとと、思いました。


私の朝の📩

日曜日に、ベガからサクラという神様が、あなたの家に来ているみたいで、さっきちゃんと伝えたか、また言われました。
ガラスの靴のところにいるみたいよ。


しばらくしてのIさんの📩


今朝は、お水をガラスの靴のところにおいて手を合わせたよ。
帰りにサクラさん用の新しい猪口を買って帰ろうと思う。


なんかね。
願いを書いた手紙を置いてと言ってたよ。
5つまでいいみたい。
多分、お金のことははダメだと思うけど。(笑)




Iさんの夜の📩

さくらさんということで。
綺麗な桜富士猪口と、
桜餅を買って、
朝の水に変えてお茶を差し上げました。
お願い事はまだしてないけどねー。
綺麗だわー


1月27日に、またサクラが話してきました。


サクラです。
桜餅、ありがとうございます。
食べ方を(座敷わらしの)ツカヘイさんに教えて貰いました。

美味しかったですか?

美味しかったです。
お猪口という、入れ物もありがとうございます。
緑でキレイでした。
精霊達がいっぱいいて、楽しいです。
ミラクルな家ですね。
リラ星の王子だったミナカヌシと、兄のエニセコが合体してミナカヌシの最終形になりましたよ。
私はベガから来ましたが、四苦八苦の霊界が無くなって良かったと思います。
四苦八苦で苦しんでも、いいことはありませんからね。
願い事は5つまで書いてくださいね。

例えば、どんなことですか?

ミクネの神が言っていたように、お金のことは無理です。
軽い物から、叶えていきますよ。
名前も書いてくださいね。


Iさんは、素直に手紙を書いて置いたようですよ。
何を書いたのかは知りませんが、叶うといいですね。


私は、サクラが言っていた「エニセコ」に驚いていました。
キリマンジャロにいると言っていたルーツの神のリラ星にいた時の名前のようです。
ずいぶん昔に記事にした話に出てきたからですね。
「エニセコ」を普通に検索すると、私の記事に繋がることもわかりました。
2014,4,23の記事なので、8年前の話です。


🐶天之御中主之神 (あめのみなかぬし)の話


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私の超現実の話 その後

2022-03-06 07:30:00 | 日記
1月は12日から25日まで、夫が入院していたので、熱海のマンションにしばらく泊まっていました。
エアコンを買い換えようとしていたのもあり、電気屋さんが来ていたりしましたが、近くにいるSさんが泊まりに来てくれて、記事にしたように小田原や山梨に車で行ってくれたりして、なかなか充実していました。

マンションの8階に、温泉の展望風呂があるので、朝に、夜に何度も入ってまさに湯治(とうじ)だねと二人で笑っていました。

コロナ禍で、以前は特になかった人数制限はありますが、いつでも入ることが出来るのはありがたいことですね。

今回は、「君の名は。」と「千と千尋の神隠し」のDVDを観ていたりしていて、やっぱり何度観ても面白かったです。

前回、山梨に行っていた話を記事にしましたが、その週末に夫から電話があり25日に退院するとのことだったので、介護タクシーの予約を取りました。

25日の1時くらいに病院に行くとタクシーは、2時に予約してあったのに、なかなか退院手続きが出来ないでいました。

夫は、そもそも右腕の負傷もあり入院していたのですが、最後に形成外科の医師に診てもらってからということになり、ギリギリになって、急遽診察室に向かうことになったのです。

タクシーは2時前に来てもらうことになっていたので、時間が迫る中に少し遅れる電話をしましたが、次の予約も入っているので、2時10分よりは遅れられないと、配車の方に言われて、夫は機嫌悪くなるし、私は車椅子を押しながら過呼吸になりそうな感じでした。

何とか、玄関に車椅子で着いた時に、夫が

あ、杖を忘れた!

と、言ったので、また8階の病棟まで走らないといけないかと思っていた時に、看護士さんが杖を持って来てくれて、本当に助かりました。
ということで、何とか2時10分に出発することが出来ました。

夫は、時間に厳しいので、いつも早目に行くようにする性格なのですが、病院の時間の観念はいつも裏切られる感じですね。



そして、2月15日は元々予約のあった夫の通院日でした。
まずは、血液検査があるので、採血室の前で並んで採血をした後に診察になるので、1時間前には行かないといけないのです。診察になってから看護士さんから採血をし直して欲しいと言われて、どうもオーダーが入ってなかったとの話になりました。

なぜ、そうなったかというと、主治医の医師がお休み(コロナに罹患したらしい)だからとのことで、代わりの女医さんに直接お電話で話したのですが、その日に聞いたことだったのですみません、とのことでした。

やっぱり、総合病院で、コロナ病棟もあり、かなり混乱しているようですね。

診察をしてもらわないと、薬の処方箋が出して貰えないし、薬はギリギリしかなくて、本当に困ってしまいます。

結局、その日は別の医師に処方箋を出してもらい、次の日にまた無理やり診察を入れてもらうことになり、診察をした女医さんに、足の浮腫みが取れないので、透析液の調整のためにまた入院しましょうと言われました。

その日はPCR検査をして、2月22日からの入院となり、3月4日に今度は問題なく退院しました。

3月1日は、医師から話があると連絡があり、私は病院に行っていました。

入院中に体重が4キロ減ったので、それは足に貯まった水分が抜けたからだろうという話で、食事の塩分に気を付けて欲しいということを改めて言われました。

今の腹膜透析で出来なくなると、血液透析に変えないといけなくなるのですが、血液透析は、心臓に負担が掛かるので、心不全を起こしやすくなるとのことで、あまり勧められないと言われました。
夫は、過去に何度も心不全を起こしているので、心臓の機能も20%くらいしかないとのことでした。

私は、振り子で生命力も見ることが出来るので、一番危なくなった時は生命力が10%くらいになっていたのも見ています。
今は30%くらいになっているので、現状維持をしていくしかないのだと思いますね。

3月4日の午前中に退院と言われ、介護タクシーを予約しましたが、12時しか取れなくて、夫を家に置いてから午後に買い物に行きました。

入院中は、冷蔵庫の中にある物で生活をしていたので、すっからかんになっていたからですね。

塩分を控え目にしながらがんばっていこうと思います。





画像は、介護タクシーの窓から撮った雲と、ご近所のお庭の満開の白梅。

梅の横はキンカンが実っています。
大王松も立派ですね。


🐶 私の超現実の話


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