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「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

蔵王権現と西行の話 その2

2025-03-30 07:30:00 | 日記
私は、蔵王権現について疑問に思ったことを聞いてみました。
 
1つ目は、蔵王権現が三位一体なら蔵王権現と話すのは、それぞれの神様と話した方がいいのかということ。

2つ目は、以前にキッチンカーのタニファーの話に出てきた「出羽桜」についてでした。




前回の記事を作った後に聞いた話です。


蔵王権現だ。

蔵王権現様は三つに分かれていても、蔵王権現様と呼んでいいのですか?

蔵王権現は、蔵王権現だからな。
違うと思えば違うけど、あまり考えなくていいと思うよ。

タニファーのTさんに「出羽桜」と言ったのは、スサノオノミコトですか?

「出羽桜」は、スサノオノミコトが言ったと思うよ。

やっぱり過去を司っているのはミクネの神(天之常立之神)で現在がスサノオノミコトということになりますか?

そうなるな。
未来がミナカヌシだ。
もうすぐ、吉野に桜が咲くな。

そうですね。

「奥千本」の西行が話したいと言っているよ。


以前に空海が、真っ暗な海で揺るがない北極星は希望だったと言っていましたが、未来は揺るがない希望ということでしょうか。


☆宇宙の神様と空海の話



そして、西行が話してきました。


西行だ。
蔵王権現と話せるのは大したものだよ。
背中に沢山の神達がいるからだろうな。
私もいろいろな場所に行かせてもらったが、いつもひとりではないと感じていた。
だから、寂しくはなかったよ。
沢山の人に囲まれていても、孤独を感じる時はある。
いつも、誰かがいてくれると思えばありがたさに自然に涙がこぼれるものだ。
伊勢に行った時に、強烈に思ったものだよ。
近くにあっても気付かなければ、探そうとするが、いつも周りにあると思えば、探す必要はないということだな。
終わりにしたくないからな。
美しい日本は。。。


西行が伊勢神宮に行った時に詠んだ歌は有名ですね。

「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」

どういう方がいらっしゃるかは知らないけれども、恐れ多く、そしてありがたい気持ちで一杯になり涙がこぼれてくるよ


Iさんも、よくこの歌のように感じて、涙を流す場面を何度か見ていますが、感受性の強い方はやっぱり同じように感じるのではないかと思いますね。


私は、「出羽桜」についてスサノオノミコト(サン)にも聞いてみました。


スサノオノミコトだ。サンともいう。

「出羽桜」と言ったのは、サン様ですか?

「出羽桜」と言ったのは、蔵王権現の私だよ。
蔵王は、山形だからな。
やっぱりいい酒だと思う。
蔵王山にいる時もあるよ。
吉野から行った場所だからな。


私は調べてみて、やっぱり驚いています。

「出羽桜」は、山形県天童市にある出羽桜酒造のお酒でした。

そして、山形県の蔵王山に吉野の蔵王権現を勧請したこともわかりました。

🌟蔵王山は、古くは刈田嶺(かったみね、かったね、かりだのみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰および歌枕の山であったが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったとされる。


ということで、Iさんは蔵王に行ってスキーを満喫していました。


★Snow Monster



今年のような樹氷は、10年ぶりとのことですが、日輪も感動的だったとのことでした。









吉野から繋げたようですね。


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蔵王権現と西行の話

2025-03-27 07:30:00 | 日記
蔵王権現について、調べてみると、

🌟役行者(えんのぎょうじゃ)は吉野山や大峯山で修行し、蔵王権現の姿を感得したとされています。
蔵王権現は、「釈迦如来」、「千手観音」、「弥勒菩薩」の三尊が合体した姿とされています。
役行者は、蔵王権現の姿を桜の木に彫り、金峯山寺の本尊として祀りました。

とのことでしたが、金峯山寺に着いた時に、Iさんから質問がありました。


ねーさん。
俺さ、今回ねーさんに聞いてみたかったことがあるんだよ。
ここの蔵王権現さんて不動明王さんに似ているところがあるじゃん。
形相もそうだし、体も青いし。
でね、違うということもわかる。
大きさもチカラも不動さんをさらに強力にしたような感じもあるし。
異質なところは確かにある。
でさ、となると、だよ。
真ん中の権現さんは不動さんの本体であるミナカヌシさんじゃね?
両脇はスサノオさんとアメノトコタチさん。
以前、出雲大社の遷宮の時に出た日輪を見た時に
閃いていたことなんだけどさ。



あの日輪の三箇所の虹部分と同じ並びで
作られているんじゃないかと思うんだ。
役行者さんは実はその三神を感得したんだけど、
時代との合わせもあるから、
皆に受け入れられやすいように少し変えたんじゃないかと。
きっと。
どう?実際。
それ、神様に聞いてもらえたら嬉しいんだけど。


私が振り子で聞いてみると、ミクネの神(天之常立之神)が教えてくれました。


そーだって。
よくわかったな、だって。
Iの言うとおり、真ん中がイラタの神(天之御中主之神)で、左がスサノオで右が自分だって。



と、伝えるとIさんはかなり喜んでいました。


私は、へぇーそうなのか、、、と思いましたが、旅から帰って来た時に蔵王権現がいきなり話してきました。


話したい。

どなたですか?

蔵王権現だ。
吉野に来てくれてありがとう。

素晴らしかったです。
こちらこそ、ありがとうございました。

真ん中がミナカヌシだとわかって良かったよ。
いわゆる北極星でもあるからな。
右がミクネの神だし、左がスサノオノミコトだよ。
三位一体(さんみいったい)だからな。
西行が話したいそうだよ。


そして、西行が話してきました。


西行だ。
私の「庵」に来てくれてありがとう。

スゴク遠かったです。

私は、世の中がイヤになって、あんな奥に住んでいたのだよ。
憧れの場所でもあったよ。
繋がりがわかる人が感じてくれればいいと思っている。
手ーーーー探りで行った場所だが、桜の美しさに涙がこぼれたよ。
「奥千本」と言われているらしいな。
寺からも遠い場所だが、元はあの場所だからな。

西行様は、神様ですか?

私はまだ神ではないよ。
ならないと決めたからな。

なぜですか?

まだまだだと思うからだ。

伊勢には一緒に来てくれましたか?

伊勢には一緒に行かせてもらった。
他にも沢山いたよ。
M子は、大した人だな。
見えなくて良かったよ。
見えたら大変だからな。


今回、みゆきちゃんが一緒に伊勢に行ったのですが、彼女はすぐいろいろ見えてしまうので、


なんだか、車の中がいっぱいです。
西行さんも、ここにいます。


と言って、丁度車の真ん中を手でなぞっていたのですね。
だから、私は聞いてみたのです。


そして、12月6日にまた蔵王権現が話してきました。


蔵王権現だ。
利他の心でいてくれて、ありがとう。
「三位一体」について話をしよう。
「三位一体」になるということは、視界が増えるということだ。
視界は、大体120度だと思ったらいい。
120度が三体いれば、全方位見えるな。
だから、蔵王権現は三体で見ているのだ。
人の苦しみは、果てしなく続くからな。
生きていることの証(あかし)でもあるよ。
時を一緒にいられる幸せを感じて欲しい。
それが、究極の幸せだからだ。
縁を繋いでいくことが大事だよ。


本当に生きていることは、苦しいことが多いのだろうと、私はセッションを始めてから余計に思いました。
ひとりでは生きていけませんが、周りの人達に苦しめられることも沢山ありますね。

でも、同じ時代に巡り会うというのも、大きな奇跡なのだと思います。
であるならば、出会えた方々を大事にしていこうと、私は改めて思いました。


この記事を作るために、また蔵王権現と西行が話してくれたので、もう一回続きます。


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吉野から伊勢へ

2025-03-23 07:30:00 | 日記
私達は「西行庵」に行くことになりました。


地図で見ると、徒歩20分と書いてありますが、金峯(きんぷ)神社の近くからどんどん階段を降りて行くのですね。







この日は、吉野に着いた時に雨が降っていたので、階段も滑りやすくなっていて、私は慎重に降りていたので、写真はあまり撮ることは出来ませんでした。

一番下にある広場の一角に「西行庵」はありました。







Iさんは、持って来たお酒を供えてご挨拶していました。
とても、尊敬しているそうですよ。



西行を調べてみました。

🌟西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉- 建久元年2月16日〈1190年3月30日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。
西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。

読んだ和歌は、2300首に及ぶそうで、「西行庵」は、京都にもあることがわかりました。
武士だったのに、若い時に出家して、沢山の歌を詠んだのですね。

「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの もち月のころ」は、西行の辞世の句とも言える名歌です。
現代語に訳すと、「できることなら、満開の桜のもとで、春に死にたいものだ。 2月の満月のころに」という意味になります。

亡くなったのは、73才でこの歌の通り2月(新暦で3月)だったそうです。

それにしても、こんな山奥に3年くらいはいたようで、どうやって生活していたのだろうと思いました。

源義経が隠れていた場所に驚きましたが、それよりもっと深い森の奥ですからね。

私達は、来た道を戻ったのですが、階段をかなり降りて来たので、その分昇らないといけなくて、なかなか必死な帰り道でした。
Iさんは、私が死にそうな感じと言っていましたが、本当に苦しかったですよ。


私達は、車で吉野から伊勢に向かって行きました。



以前に記事で使った、国土交通省の紀州地域の地図をみると、境目の真ん中辺りにある吉野からまっすぐ右手に伊勢市があることがわかり、Iさんはそのまっすぐな道を走っていました。

道を走りながら、IさんとYUさんは、パワーを感じて頭が痛いと言っていて、私は特に感じなかったので、やっぱり私は鈍感なのだなと思っていましたが、どうも走っていた道は中央構造線の上だったようですね。



吉野から左手には高野山もあるし、やっぱり昔から重要な場所に神社仏閣はあるのだろうと思いました。

私達は、夕方に伊勢のIさんが予約してくれたホテルに着いて、近くで食事をして、みゆきちゃんが到着するのを待っていました。

みゆきちゃんから、伊勢の駅に着いたと連絡があったのは、21時過ぎでしたが、何だか迷っているようでした。
みゆきちゃんが予約していたホテルとは逆側に行ってしまったみたいです。



線路の真ん中にいると連絡があったので、IさんとYUさんが迎えに行ってくれました。

私は、さすがに疲れてしまったので、部屋で待っていました。

みゆきちゃんは、夕ご飯も食べてなかったので、一緒に食事もして、次の日の待ち合わせ時間も決めてくれました。

最初の予定は、8時出発で外宮に行こうとしていましたが、7時出発で二見浦から行くことになりました。


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吉野へ その2

2025-03-20 07:30:00 | 日記
金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王権現像のお参りには、三体の仏像前に障子で仕切られた小さな部屋があり、ひとりひとり向き合いながらお祈りが出来るようになっていました。

とても丁寧に守られている印象で、その後、護摩焚きも1時間に渡ってあり、柔和なご住職様の説教も、心に染み入る感じでした。

ちょっと驚いたのは、お寺の方達も、御開帳の時にしか蔵王権現像を見ることは出来ないそうですよ。

Iさんは、鏡の御守りを新しく求めて、とても喜んでいました。



五嶽神鏡(ごこくしんきょう)という物ですね。


五嶽とは五岳のことだそうです。

🌟中国の道教の聖地である5つの山の総称。
五名山とも呼ばれる。
陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。

東岳泰山(山東省泰安市泰山区)(世界遺産)
南岳衡山(湖南省衡陽市南嶽区)
中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)(世界遺産)
西岳華山(陝西省渭南市華陰市)
北岳恒山(山西省大同市渾源県)


五嶽神鏡



そして、この後にIさんは、西行さんのところに行きたいと言って、私達は向かうことになりました。

西行さんと言われても、私はどこに行くのか知らなかったのですが、その前に腹ごしらえということで、鰻の「太鼓判」さんに行きました。





すっかり満腹になり、Iさんがお店の人と西行さんのところの話をしていて、山道なので閉鎖される時もあるらしいのが、今日は大丈夫とのことでした。

吉野は、桜が有名ですが、大きく四つ(下千本、中千本、上千本、奥千本)に分かれているみたいです。

🌟吉野山は千本と呼ばれる4つのエリアに分かれます。
近鉄吉野駅周辺から金峯山寺周辺までのエリアが「下千本」、金峯山寺から竹林院群芳園までが「中千本」、竹林院群芳園から金峯神社までが「上千本」、金峯神社から更に奥の西行庵があるエリアが「奥千本」エリアです。



Iさんが西行さんのところと言っていたのは、奥千本の一番奥にある「西行庵」という場所でした。

鰻屋さんの近くの道から「奥千本」に向いましたが、ここで車を降りて山道を少し行ったところに源義経が隠れていたという「隠れ塔」がありました。





車で走ってもかなりあった道を昔は歩いていた訳ですし、静御前も一緒にいたのかもしれないと思うと感慨深いですね。
 
その奥に金峯(きんぷ)神社がありました。





Iさんが行きたいと言っていた「西行庵」は、ここからまだ奥にある場所でした。



熊も出るような山道を行くことになりました。
地図で見ると、20分くらいと書いてありますね。



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吉野へ

2025-03-16 07:30:00 | 日記


11月のある日にIさんが家で祝詞を挙げていると、神棚が光ったそうですよ。
それはどうしてか?とラインがきていました。

🪷私のライン

神棚が光ったのは、ナシタの神(天照大御神)が行ったからだとミクネの神(天之常立之神)が教えてくれた。

ナシタの神だ。

お久しぶりです。

久しぶりだな。
うわついていないので、本当にがんばったと思うよ。
IもM子も。
利他の心でいてくれるからな。
伊勢に来るなら来たらいい。
待っているからな。


ということで、Iさんも私も伊勢神宮に行こうということになり、みゆきちゃんも今回は絶対行きたいということでした。
 
みゆきちゃんは、伊勢神宮に行くのが初めてで、以前から行きたい話はしていたのですが、お子さんが2人いる中で、なかなか日程が難しく、Iさんも仕事の都合もあるので、かなり忙しく行けないのではないか?と思っていたところに、みゆきちゃんからホテルを予約したという連絡があり、Iさんも私もそれに合わせて日程を決めることになりました。

みゆきちゃんが決めたのは、金曜日の夜遅くに伊勢に着く感じだったので、Iさんが考えたのは、金曜日の朝から吉野に行くという計画でした。
飛騨高山に行った時と同じ感じで、YUさんも一緒に行くことになり、朝に名古屋駅前集合になりました。

なぜ、吉野に行くことになったのかというと、金峯山寺(きんぷせんじ)の秋の御開帳の期間だったからですね。


【秋の御開帳】
期間:令和6年10月12日(土)~12月1日(日)
内容:世界遺産・国宝の「金峯山寺本堂・蔵王堂」の秘仏「金剛蔵王大権現」がご開帳されました


私は、以前に金峯山寺の青い仏像について、記事にしていたので、見たかったのもありました。


✩ キッチンカー「タニファー」と龍神の話


私は前日の木曜日は、上大岡のアパートに泊まりました。
上大岡から新横浜まで市営地下鉄で行くことが出来るので、名古屋待ち合わせには、丁度いいのです。

Iさんは、名古屋でレンタカーを用意して待っていてくれました。

奈良県の吉野に行くのに、なぜ名古屋がいいのかは、Iさんが緻密に計算した結果らしいです。
一番近い新幹線の駅は京都ですが、混雑が計り知れないし、帰りを考えて、名古屋にしたとのことでした。
 
Iさんは、ずいぶん前に求めた鏡の御守りを新しくするためで、YUさんは、以前に一度来たことがあり、感動したとのことで、楽しみにしていました。

とはいえ、吉野は奈良県にある訳で、Iさんのお陰様で、私はいつも旅することが出来ています。

吉野に着いた時は、雨が降っていました。




ケーブル乗り場の前にある案内所では、傘を貸してくれて、雨が止んだら金峯山寺で返してくれればいいと言われました。

そんなに激しい雨ではなかったので良かったです。







坂道を登って、金峯山寺に着きました。





平日だったので、それほどではなかったですが、やはり沢山の方がいらしていました。







私達は、本堂に入りました。
撮影は出来ませんが、蔵王権現像はやっぱり迫力があって、圧倒されました。

調べてみると、

金峯山寺蔵王堂の本尊の「蔵王権現立像」は、中尊が7.28m、向かって右側が6.15m、左側が5.92mです。

とのことで、大きさもさることながら、青い色が余計に迫力を感じさせますね。


続きます。


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