令和3年2月1日に、父が亡くなりました。


クリスマスとお正月の飾り付けは、全部手作りとのことでした。
占いのM先生が、ずいぶん前におっしゃっていたことで、人が亡くなるのは節分を越すか越さないかがあるということでしたが、今年は124年振りの珍しい2月2日の節分だったので、本当に最後の日に旅立ったのだと思います。
父は昨年の11月くらいから、少しずつ弱っていて、97才の誕生日だった11月30日を越えるかどうか、年末を越えるかどうか、施設の看護師さんからは、まめにご連絡はいただいていて、妹夫婦と三人で、週一度は見舞いに行っていました。
明らかに、弱っていく姿を見ているのは辛かったですが、このコロナ禍の時期に施設も特別に面会を許してくれたのはありがたかったです。
2月1日も見舞いに行こうとしていた日だったのですが、朝の5時前に施設からの電話で起きました。
前日の夜に、看護師さんから電話があり、食事をすると、誤嚥(ごえん)しそうなので、止めていると言われていましたが、夜はテレビを見ていたらしく、最後までしっかりしていたので、苦しまないで息が止まった感じだったようです。
お昼くらいに、施設に往診にいつもいらしている、医師の到着に間に合うように、三人で行くと、静かに眠っているような死に顔で、私はやっと苦しみから解放されて、安堵したというのが正直な感想です。
弱ってきてから、左足の床擦れからどんどん壊死が始まっていて、足が取れてしまうかもしれないと言われていたので、普通だったら激痛になる状態だったのです。
父は足の感覚が以前から無くなっていたので、まだそこまでではなかったようですが、見舞いに行く度に、背中が寒くて寝られないと訴えていたので、血流のせいだろうと思っていました。
母が亡くなったのは、四年前の2017,3,28でした。
🐶 母のこと
母は、88才で亡くなり、父は97才までがんばりました。
父は8人兄弟でしたが、最後のひとりになっていました。
最後の日まで、新聞を読んでいたので、遺体の上に2月1日の新聞を乗せて、葬祭場まで運んで貰いました。
施設の方々が、涙を流して見送ってくれたのは、父がよくカラオケで歌っていたらしい「妻と呼ばれたい」という歌を流してくれていたからだと思います。
施設には、3月で丸11年になるところだったので、本当にお世話になりました。
私が、地下鉄の駅の広告で見つけた施設でしたが、なんだか神様に教えて貰えたように感じるのは、施設の人達の対応でしたからね。


クリスマスとお正月の飾り付けは、全部手作りとのことでした。
2月2日は、私は夫の通院だったので、湯灌は妹夫婦に頼むしかありませんでした。
4日は、施設の部屋の片付けに行き、5日の朝からの葬儀となりました。
ずっと三人で、いろいろ動いていましたが、妹の旦那さんがいてくれて、本当に助かりました。
私は父と、直後から振り子で話していました。
2月3日
私)お父さん!
M子か。
今はまだ、いろいろ挨拶に行っているよ。
兄弟は、みんないなくなっていたな。
そうだね。
ダンスの人達に挨拶に行ったけど、みんな元気ではなかったよ。
長く生き過ぎたと思うよ。
好きなことが出来たのは、アキコ(母)と一緒だったからだと思うよ。
「妻と呼ばれたい」を歌っていたから施設でかけてくれていたな。
世話になったよ。
10年もいたのだからな。
N村さんとM川さん(看護師さん)には、世話になったよ。
(振り子は、ぐるぐる回りました)
リストに載っていたらしいよ。
最後の日だったからな。
背中が寒かったのは、もう終わりだということみたいだな。
「お疲れ様でした」と連れて来てくれた如来様に言われたよ。
今はまだ待合所にいるので、変わらなく話せると思うよ。
兄弟だと父は下から3番目で下に二人の妹がいましたが、少し前に亡くなっていたことは、伝えていませんでした。
父は、仕事を辞めてから、ほとんど毎日囲碁をやっているか、社交ダンスをやっているかで、出掛けていました。
ダンスの人達と、旅行にもよく行っていて、だから、本当に足が動かなくなったのは、ショックだったのですね。
リハビリ病院の看護師さんが、感動するくらい頑張って歩こうとしていましたが、神経が分断されてしまったので、結局車椅子の生活になってしまいました。
私は、2月2日の湯灌には行けなかったのですが、父が大事にしていた大島紬の着物を着せてもらい、ダンスの時に着ていた真紅のシャツも一緒に入れて貰いました。
母が喜んでいた、カラオケセットと新聞も棺に入れました。
2月4日に、施設の部屋を片付けに行くと、施設の方達が口々に、
お父さんは、職員のみんなの名前を覚えていて、名前で呼んでくれたから、嬉しかったですよ。
と、おっしゃっていて、父が拘っていたことはよくわかりました。
2月5日(葬儀の日)
私)お父さん!
M子か。
今日だね。
とっても、カッコ良くしてくれたよ。
大島は、やっぱりいいな。
赤いシャツもありがとう。
昨日、施設で片付けしたよ。
大変、世話になったからスーさんにお礼言ってくれた?
昨日は、お休みだったけど、電話でしばらく話したよ。
みんな、名前で呼んでくれて、嬉しかったと言っていたよ。
そうか。若い時はすぐに覚えられたのだけどな。
スーさんというのは、事務所の方で11年前からずっとお勤めされている女性です。
いつも、明るくて父の冗談に付き合ってくれていたので、とても淋しがってくれました。
父の話は、また出てくるかもしれませんね。
そして、亡くなってすぐお話できるのは色々と助かりますね、2月1日は私の母の誕生日なので忘れられない日になるでしょう。
悲しみの中でもブログを更新して下さりありがとうございます。
でも、ご無理をなさいませんように
ご冥福をお祈りいたします。
「お疲れ様でした」
M子さんも、よく頑張りましたね。
たくさん泣いたら、また元気な姿を見せて下さい。
如来さまが案内してくれる待合室があるのですね!
続きが楽しみです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
M子さんのお父様の赤いシャツを着てダンスされているお姿、想像しながら読ませていただきました。
お父様のご冥福、心よりお祈りいたします。
ご冥福をお祈りいたします。
お寂しい事と思います。
ただ苦しまずに大往生されたとの事なのでその面では一安心されたのではないでしょうか。
お父様はこれから菩薩界へ旅立たれるのでしょうか。
おそらく久しぶりに思い切り足を動かしてダンスをされるのでしょうね(^^)
お言葉、ありがとうございます。
2月1日は、このブログを始めた日でもあり、また記念日になりました。
きょんぴいさんのお母様と、青梅のきょう子さんの誕生日が同じで、名前の漢字が同じというのが、わかりましたよ。
なんだか、スゴいご縁ですね。
お言葉ありがとうございます。
お言葉ありがとうございます。
人間世界は修行と思えば、お疲れ様ですね。