「nonahouse」の1周年記念は、7月29日(火曜日)でした。


画像は、お借りしました。
私は、毎週水曜日には横浜の自宅に帰っています。
大体午前中は、洗濯したりお店の片付けをしたりしていて、10時過ぎくらいの電車に乗っています。
今回、次の日の7月30日は洗濯してから、お店に行って郵送の手続きをして帰るつもりでした。
ところが、8時過ぎのテレビを観ていると、ニュースが流れてきて、熱海市役所のサイレンも鳴り出しました。
🌟2025年カムチャツカ半島地震(2025ねんカムチャツカはんとうじしん、露: Землетрясение на Камчатке в 2025 году)は、2025年7月30日11時24分(カムチャツカ時間。
日本時間7月30日8時24分、UTC7月29日23時24分)にロシア・カムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーの東南東126 kmで発生したMw8.8の巨大地震である。
アメリカ合衆国地質調査所(USGS)によると、2011年の東北地方太平洋沖地震以降世界で最も規模が大きい地震で、20世紀以降では1906年のエクアドル・コロンビア地震と2010年のチリ地震に並ぶ、史上6番目に大きな地震である。
テレビでは、津浪注意報から津浪警報に変わっていて、広い範囲で避難をしていることを放送していましたが、私のマンションは海からかなり高い位置にあるし、特に問題は無さそうなので、お店の片付けと郵送準備をしている時に、前日にいらした方から、ラインが入り、東海道線やJR各線が運転見合わせになっていることがわかりました。
私は、いつものように帰っていたら途中で足止めになるところだったと思いましたが、郵便だけは出そうと熱海の駅前郵便局に行くと、張り紙があって「津浪警報が出ているために閉業します」と、手書きで書いてあったので、また部屋に戻り、もう一泊することにしました。
もし、1日ズレていたらいらした方々も影響を受けていたと思うと、本当に良かったです。
7月には、大きなことが起こると神様達に何度も言われていたので、今は8月になって少しホッとしています。
ただ、遠くカムチャツカ半島で起きた地震が、かなりな影響があったと考えると、国内でもし何かあると、やっぱり大変なことになると、私は思いました。
カラツの神が、「いつまでもあると思うな鹿せんべい」と、言っていましたが、物流が止まってしまうと、あっという間に品物は無くなってしまうのでしょうね。
東日本大震災の時のスーパーマーケットの棚の状態を思い出しました。
カムチャツカ半島では、死者はいなかったようですが、日本では避難中に亡くなった方がいて、ご冥福をお祈りします。
さて、また5月に遡ります。
セッションでの話です。
私が生まれたのは、何度か過去記事に記した通り東京都文京区小石川でした。
多分1歳半くらいまでしかいなかったので記憶はありません。
大人になってから行った時に、傳通院の近くにあったのは、浪越徳治郎さんの家でした。
今は大きなビルになっていて、様変わりしていますが、当時は木造の小さな家だったと思います。
現在は、「日本指圧専門学校」になっているのですね。


画像は、お借りしました。
浪越徳治郎さんは、私は子供の時からテレビで観ていたので、記憶はありますが、インパクトの強い方でしたね。
🌟香川県仲多度郡多度津町に生まれる。7才の時に北海道虻田郡留寿都村に移住。
1955年、東京都文京区小石川に日本指圧専門学校を設立した。
マリリン・モンローが新婚旅行で来日した際に、胃痙攣で体調を崩したモンローに素手で触って指圧した唯一の日本人である。
このことについて浪越は「そりゃあもう、とにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍くらい時間をかけてしまいました」と後にテレビ番組の中で述懐している。
他にも、モハメド・アリや吉田茂をはじめとした歴代の内閣総理大臣、A級戦犯を裁いた東京裁判の首席検事ジョセフ・キーナンなど、国内外の著名人を治療したことにより、日本はもとより全世界に指圧(SHIATSU)を普及させた。
テレビドラマやバラエティ番組にも出演。
特に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)では、当初、「アーッハッハ」という豪快な笑い声から「アッハー浪越」の名前で登場。
後に、ジェットコースターに乗った際に普段の笑い声が消え、あまりにも怖がっていたためそのリアクションから「ジェット浪越」と命名され、一般人から発掘された福島出身の吉田十三(通称「エンペラー吉田」)とコンビを組んだ。
2000年9月25日午前3時7分に、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。94歳。
墓所は東京都文京区小石川三丁目の伝通院。
寺の境内には生前浪越が寄贈した指塚がある。
日本指圧専門学校は同寺の傍に所在し、現在、息子・和民が理事長を務めている。
5月にセッションした方は、この学校を出て現在はとても活躍している方(Uさん)でした。
内容は記事に出来ませんが、まさかの浪越徳治郎さんが話してきたので、それだけを記しておきます。
5月16日
浪越徳治郎だ。
指圧の心、母心、押せば命の泉湧く。
Uは、私が体得したことがわかったようだな。
そうみたいです。
水の流れを整えることが大事だよ。
人間は、大体が水で出来ているからな。
マリリンモンローは、リンパが詰まっていたのだよ。
それを流しただけで、すっかり元気になった。
だから、そんなに大変なことではなかったよ。
Uは、また来るのだろう。
はい。
飽くなき道を頼んだよと、言っておいてくれ。
わかりました。
妖怪は、沢山いるから気を付けろとね。
浪越さんは、幸せでしたか?
本当に幸せな人生だったよ。
傳通院の近くだったから、良かったと思う。
まさかの浪越徳治郎さんでした。
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