「魂の会」については、リピーターの方が31人と新しい方が21人となり、私を加えると53人の参加ということになりそうです。






また、4月に入りましたら、集合場所などをご連絡します。
今は、丁度3月の年度末で仕事も忙しいこともあり、皆様にはなかなか返信が出来ずにいました。
やっと、昨日初めての方々にはご連絡致しました。
と、いう訳でブログの下書きも全然出来ませんでした。
前々回の記事で、カラツの神に言われて2月9日に行った根津美術館の「酒呑童子絵巻」の話の続きになります。
酒呑童子を成敗したのは、源頼光(みなもとのらいこう)と四天王という討伐チームになっています。
リーダーに源頼光、さらに四天王と呼ばれる渡辺綱(わたなべつな)、坂田金時(さかたきんとき=金太郎のモデル)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべすえたけ)の豪華メンバー。
成敗に旅立った一行は道中、三人の老翁に出会います。
なんと実はその三人、石清水八幡、住吉明神、熊野権現の化身だったのです。
成敗に旅立った一行は道中、三人の老翁に出会います。
なんと実はその三人、石清水八幡、住吉明神、熊野権現の化身だったのです。
その神の化身から、毒酒と兜を授けられ、さらに山伏の恰好に変装していくと良いとアドバイスを受けます。
ようやく酒呑童子の住処にたどり着いた一行、山で道に迷った山伏を装い、
酒呑童子の屋敷に潜入。
ようやく酒呑童子の住処にたどり着いた一行、山で道に迷った山伏を装い、
酒呑童子の屋敷に潜入。

住吉、熊野、八幡の三神から授かった「神変奇特酒」(鬼には毒となる酒)を振る舞い、配下の鬼たちも悪酔いさせ、眠る酒呑童子の首を撥ねると、生首は空を飛んで頼光に噛みつこうとしますが、やはり授かっていた兜で難を逃れます。

というあらすじなのです。
そのことをカラツの神は話したかったようですよ。
次の日に、いきなり話してきました。
ランドマークになりましたよ。
どなたですか?
カラツの神です。
昨日は、「酒呑童子絵巻」を一緒に観ていましたか?
観ていました。
引導を渡したのは私でした。
(源)らいこう様は、私達のことがわかってくれました。
あの時代は、生きていくのが大変でしたからね。
知りたいのは、魅惑の酒のことでした。
住吉と八幡と熊野の神と言っていましたね。
恐いことですね。
今は、私は住吉三神になっているからですね。
(八幡も熊野も)みんな友達ですからね。
たーーーーすーーーーといいですよ。
茶碗です。
豊臣秀吉が好きだからです。
織部がいいですよ。
扇子は見透かす時に使ったらいいですよ。
カラツの神が言っていたのは、住吉、熊野、八幡の三神から授かった「神変奇特酒」(しんぺんきどくしゅ)のことですね。
調べるとこの名前の日本酒があるみたいです。

私は、この記事を作るに当たって、三つの神様がカラツの神が言っていた神様と同じだったので、やっぱり驚いています。
そして、根津美術館で、Iさんと話していたのは、織部の沓形(くつがた)の茶碗のことでした。
そのことも言っていたのですが、Iさんは既に注文していました。

扇子は、椿大神社(つばきおおかみやしろ)に行く前に言われていた伊勢型紙の扇子のことですね。
椿大神社に行った時に、Iさんが写真を撮っていたのは記事にして、三才児のようにと、私が表現したことを彼が後で言っていたのは、
あの時はさ、K(会長)さんが、紫の扇が見えるって言ったからなんだぜ。
俺がバッグから出したら、あ、これ、これ!とか言って。。。
ねーさんは、子供みたいにとか言ってたけどさ。
とのことで、やっぱりK会長もポンチキですね。
次の日の伊勢神宮でも、扇子と一緒に写真を撮っていました。

カラツの神の過去記事は、沢山ありますが、2014,7,17からの記事を少し抜粋します。
🐶カラツの神の昔語り その2
私は生まれた時は悪い子供でした。
白毫寺(びゃくごうじ)の住職の子供だったのです。
白毫寺は山の上でしたね。閻魔大王は、私が悪い子だったので、変わってほしいと住職が奉ったのです。
変わらなかったのは、庶民の生活です。
子供は生まれると捨てられていました。
私は、ついに我慢が出来なくて、子供達だけの集団を作ったのです。
子供と言っても死なない程度にしていたので、いつも飢えていました。
貴族は優雅に暮らしていたので、盗めるものは盗んで生活していました。
貴族の子供は拐ったわけではないですよ。
楽しそうだから、パワーがもらえるからと集まって来たのです。
中には援助してくれる貴族もいました。
それがだんだん大きくなって、大人達は困ってしまったのです。
それで、大江山には鬼がいるとか、子供が拐われたと言うようになりました。
私は集団の頭だったので、一番の悪者と言われていましたが、やっと生きていたのです。
らいこう(頼光)様は、私達の成敗に来ましたが、私達の話を聞きに来てくれたのです。
らいこう様に言われて私は集団を無くすことにしましたが、私の首がないと帝(みかど)も納得しないので、犬の首を持って行きました。
犬の首は都の近くで動かなくなったといって首塚も作っていました。
私は、らいこう様が好きになり、仏門に入って修行をしました。
らいこう様はいい人でした。私達を守ってくれたので、私はらいこう様のような大人になりたいと思いました。
「つな」も好きですよ。
渡辺綱ですか?
「きんとき」も、みんないい人でした。
白毫寺(びゃくごうじ)の住職の子供だったのです。
白毫寺は山の上でしたね。閻魔大王は、私が悪い子だったので、変わってほしいと住職が奉ったのです。
変わらなかったのは、庶民の生活です。
子供は生まれると捨てられていました。
私は、ついに我慢が出来なくて、子供達だけの集団を作ったのです。
子供と言っても死なない程度にしていたので、いつも飢えていました。
貴族は優雅に暮らしていたので、盗めるものは盗んで生活していました。
貴族の子供は拐ったわけではないですよ。
楽しそうだから、パワーがもらえるからと集まって来たのです。
中には援助してくれる貴族もいました。
それがだんだん大きくなって、大人達は困ってしまったのです。
それで、大江山には鬼がいるとか、子供が拐われたと言うようになりました。
私は集団の頭だったので、一番の悪者と言われていましたが、やっと生きていたのです。
らいこう(頼光)様は、私達の成敗に来ましたが、私達の話を聞きに来てくれたのです。
らいこう様に言われて私は集団を無くすことにしましたが、私の首がないと帝(みかど)も納得しないので、犬の首を持って行きました。
犬の首は都の近くで動かなくなったといって首塚も作っていました。
私は、らいこう様が好きになり、仏門に入って修行をしました。
らいこう様はいい人でした。私達を守ってくれたので、私はらいこう様のような大人になりたいと思いました。
「つな」も好きですよ。
渡辺綱ですか?
「きんとき」も、みんないい人でした。
M子さんに積もる話が出来て、少し軽くなりました。
よかったです。住吉三神の仕事、がんばってくださいね。
今日もがんばります。
Iさんは、唐津神社に行って源頼光の兜の写真も送ってくれました。
ハワイ島の時もそうでしたが、私は家で号泣していました。
自分では行けない場所に私の話を信じて行ってくれるIさんに本当に感謝しています。
