5月17日、入退院を繰り返していた婆~婆が、遂に帰らぬ人となってしまいました
奇しくも17日は爺~爺の月命日(正月命日は1月17日)。
若い時は、かなりの亭主関白だったらしいが(私は知りません)
晩年は、婆~婆がいないと何も出来なく頼りっきりの爺~爺が
「もういい加減に此方に来い」と迎えに来たのでしょうか
14日の時点ではご飯も食べれるようになり、近々退院の予定だったのに、
15日の朝看護師さんが見に行ったら意識が無く、呼吸も浅くなっていたそう
危篤状態と連絡が入り、一両日が山と宣告される
「24時間体制で、誰かが付いていてください。」と言われ
交替で看ることに・・・・
(状態は悪いことには変わりが無いが、生命力の強い婆~婆のこと
今までのように気力で乗り切る・・・・皆そんな気がしていた)
17日の午前中は義姉が付き添い、お昼に義兄と交替することに
そうしたら、今まで乳児 がいるので病院は行かないと言っていた娘が
「今日は私も行こうかな・・・」と
後で考えると、お婆ちゃん子だった娘の、虫の知らせ だったのか
私たちが病室に行くのを待っていたかのように、40分後静かに息を引き取りました。
眠るように・・・・全く苦しまなかったのが、せめてもの救いでした
娘曰く「子どもと孫、そして曾孫に見守られて亡くなった婆~婆は幸せだよ」
お寺さんの都合で葬儀は3日後(20日)になり、2晩自宅で過ごし仮通夜
19日は斎場で通夜・・・・
(3晩寝たか寝ないか分からない状態は、さすがに疲れた)
葬儀が終ってからも、何かと忙しく
この1週間、長いような短いような・・・・ハァ~~疲れた
奇しくも17日は爺~爺の月命日(正月命日は1月17日)。
若い時は、かなりの亭主関白だったらしいが(私は知りません)
晩年は、婆~婆がいないと何も出来なく頼りっきりの爺~爺が
「もういい加減に此方に来い」と迎えに来たのでしょうか
14日の時点ではご飯も食べれるようになり、近々退院の予定だったのに、
15日の朝看護師さんが見に行ったら意識が無く、呼吸も浅くなっていたそう
危篤状態と連絡が入り、一両日が山と宣告される
「24時間体制で、誰かが付いていてください。」と言われ
交替で看ることに・・・・
(状態は悪いことには変わりが無いが、生命力の強い婆~婆のこと
今までのように気力で乗り切る・・・・皆そんな気がしていた)
17日の午前中は義姉が付き添い、お昼に義兄と交替することに
そうしたら、今まで乳児 がいるので病院は行かないと言っていた娘が
「今日は私も行こうかな・・・」と
後で考えると、お婆ちゃん子だった娘の、虫の知らせ だったのか
私たちが病室に行くのを待っていたかのように、40分後静かに息を引き取りました。
眠るように・・・・全く苦しまなかったのが、せめてもの救いでした
娘曰く「子どもと孫、そして曾孫に見守られて亡くなった婆~婆は幸せだよ」
お寺さんの都合で葬儀は3日後(20日)になり、2晩自宅で過ごし仮通夜
19日は斎場で通夜・・・・
(3晩寝たか寝ないか分からない状態は、さすがに疲れた)
葬儀が終ってからも、何かと忙しく
この1週間、長いような短いような・・・・ハァ~~疲れた
婆~婆は皆に看取られ、静かに眠るように
本当に眠るように、爺~爺のもとに旅立ちました。
苦しまなかったのが、せめてもの救いでした。