日本オープンと相山 武夫氏

2018-10-13 20:00:00 | ゴルフ

予ねてからゴルフを勧めていた悪友に騙され 六郷ゴルフ倶楽部
へ見学目的で出かけた 一緒に歩いて見学する約束だった
無鉄砲な友人は ハーフセットのクラブや自分のシューズだかを
押し付け一緒に歩けと勝手にフロントでサインを済ましていた
他人の目が無くなった3番ホールのティーグランドになると
グリップの指南そして ティーアップしてくれたボールを打て
と言うんだから無茶苦茶な話 それが私のゴルフ始めだった
午後のインはカウントしてみたが 80は叩いていた
時は 昭和31年5月 27歳の時だった  

血がのぼり猛練習 コースでのラウンドも重ね3か月後には格好も
ついてきたと 10月に六郷ゴルフ倶楽部の正会員になった 
3か月間 月2回 会員同伴のスコアカードにサインしてもらい
ハンディキャップ委員会に提出し オフィシャル18を頂戴した
同時に「月例競技参加資格」を得たので早速「新年杯」の月例
に参加した
同じ 18 でも発展途上の若手の18は何をしでかすか分か
らないようだ
新年早々の「新年杯」にグロス86 ネット68-4で優勝した

新ハンデは14となった その4か月後「皐月杯」で又優勝した

ハンデは11となった
更にその6か月後の11月月例「菊花杯」で年間3回の月例優勝

の記録を成し遂げた 
六郷ゴルフ倶楽部の社長はゴルフ界では有名な「相山 武夫氏」
私は優勝カップを1年間に3度 相山社長から授与された
相山氏は1915年にご誕生 私より14年の年長であられた

現在「日本オープンゴルフ」が横浜カントリークラブで熱戦中だ
大田区議会で共産党が 六郷ゴルフクラブの存在に反対し廃絶
六郷の多くのメンバーは 相山氏が1960年に開場の 横浜CCに
移転した
当時 中区に住人の私は 横浜CCグリーンの芝目は知り尽くして
いると自負している

六郷時代は会員の経営する料亭で クラチャンのお祝い酒宴など
六朋会や六友会の仲間が 相山氏を中心に宴会を催したりした
音大出身の 相山氏美声の歌曲を懐かしく思い出し感無量である
今日も 横浜のグリーンに悩まされるプロの戦いに目を光らせて
観戦させてもらった


  


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