昨日でしたかNHK(BS)、更にその数日前にもYCVで幼児向けの
番組だったか、私の故郷・静岡県小山町の「金時神社」の放送が
続いてあった。
金時神社は坂田 金時の生家、坂田屋敷の敷地に建立された。
境内には ”大きな鉞” ”立派な土俵“ が並び、産湯を浸かったと
言う ”ちょろり七滝” などを見ることが出来る。
5月3日は「金時春祭り」で賑やかである。
子供の奉納相撲大会があったり、 相撲がお開きになると子供や
大人は土俵を二重三重にとりまいて、金時音頭の太鼓にのって
「金時踊り」も始まったのでした。
露店も沢山並んで賑やかでしたですよ。
テレビで子供時代を偲んでいたが、金時娘「小宮山妙子」さん
を思い出し、お元気かなぁととても気になった。
小山町足柄桑木の「金時娘」の小宮山さんは、昭和7年生まれだ。
私より3つ若いから86歳になられたか。あの金時山の小屋へ
13歳から毎日 日が昇ると頂上へ荷物を背負い登った。
海抜1212㍍の山小屋を一人で守った女の子だった。
現 天皇は、昭和25年、常陸宮(義宮時代)昭和34年に、
現 皇太子は数回 金時娘にお言葉をお掛けになっておられている。
巨人の長島さんは仙石原自主トレーニングの時は毎年会われて
いたようだ。
立派なお婆さんがいらっしゃるものだと尊敬してしまう。
昭和20年 小学校卒業から、70数年1212㍍の金時山々頂へ
重い荷物を背負ってあの急勾配の山道を登る。
私の小学校海抜は310㍍、桑木も殆ど同じとすると900㍍の
高低差の急坂を26645回、重荷を背負って・・・。
盆も、正月もなく愛好家は登ってくる。
金時山の看板娘さんに休日などは無かったのでしょうね。
益々頭が下がり、立派なお方であると最敬礼あるのみです。
そればかりを考え通しの一日でありました。
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