従兄弟会

2008-05-10 15:07:11 | 思い出

6月16日に従兄弟会開催が本決まりとの通知があった
会場は
伊豆長岡温泉 さかや である 

従兄弟会の一泊懇親はもう20年以上続いている 大阪に単身赴任中もなるべく欠かすことなく出席してきた
当初は男12名 女2名であった 配偶者も同伴だったので毎回20名を超える賑やかさであった

その後男3名が亡くなり 配偶者も長い患いの方がいて 今回は17名とかが参加の模様である

最初に従兄弟が亡くなったときは 10数年前で皆若かった
ショックも大きく温泉での宴会など不謹慎と一同喪に服し温和しかった  富 * 通の役員だった彼は 定年間もなく病で没した これからゆっくりと余生を楽しめた筈なのに早い死であった

昨年末 
ごてんば線がSLであった頃その機関手であった従兄弟も亡くなった 鉄道一家で今はその息子は川崎駅長を勤めている
一周忌も来ないのに「どうしようか」と皆で迷ったが若い頃との発言内容の違いが出てきた

「彼は酒好きだった 皆が呑んで騒ぐのを見たがっている 却って喜ぶんじゃないの」とか「残された奥さんを慰めるのが従兄弟達の務めだ」
とか「いつ誰がどうなるかも分からないんだから 毎年やるべきだ」 と最後は何やら寂しい意見まで飛び出して「決行」と結構な結論だった

私は長岡には言い尽くせぬ思い出が一杯ある 旧制中学生の元気な頃は2学期が終わると<二休荘>へ行くのが常であった
母屋も離れも藁葺き屋根 別棟の湯殿には温かい自家温泉というのに別荘番の さんの息子さんが1才年上で一緒に冒険ばかりして遊んだ

駿豆電車(当時)を降りて狩野川の橋を渡ると 温泉場までの道は水田を貫く砂利道であった 
堤防脇には板一枚の掘っ立て小屋が幾つも点在していた
狩野川から水田に灌漑用水を汲み上げるポンプ小屋である
伊豆は暖かいといっても師走の候である ポンプ小屋は寒いのである
蜜柑をポケットに入れて泊まりに行くのだから物好きだ
むしろを被って寝るんだから今考えるとバッカじゃなかろうかと思う

峠を越え駿河湾三津浜の方へ蜜柑を買いに行ったりもした 元気だった 道の整備も良くない時代でした
散々遊んで大晦日には東京へ帰った 勿論蜜柑を沢山持ってである

ところで従兄弟会 昔はカラオケではマイクの奪い合いで歌いまくった
私の持ち歌は「細雪」情感がこもって中々よろしいと好評を得てきた
リタイア後はスナックとも縁がなくなり 歌を忘れたカナリアです  



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