村八分

2014-06-19 19:19:19 | ゴルフ

江戸時代 村人に規約違反などの行為があったとき 全村が申し合せによってその家との交際などを断つと
いう私的制裁 一般にいう 「仲間外れ」にすると云う慣わしと云うか 掟と云うのがあったようです

十分の内の二分 葬式と 火災のときは致し方ないがが 冠婚とか出産とか病気見舞いその他八分の
つき合いについては仲間外れ 除け者(のけもの」)扱いにする・・・という事を「村八分」と言ったらしい

私がゴルフを始めた昭和31年でした 故郷 小山町の富士小山ゴルフクラブの開場は昭和37年だったと思います 
自分のクラブではを中心に月間10日ぐらいはプレーしていました
当時の富士小山 平日の来場者は20人内外ぐらいでガラガラの貸切状態 一人静かにプレーさせて貰いました
ある日1番ティーに向かっていたら練習グリーンでパッティング中の専属 鎌田プロに 「一緒に如何ですか」
と声を掛けられ 以後は必ず2人でプレーをさせて頂くようになった 

プロと一緒なので当然バックティーでしたが 42~44 ぐらいで回っていました 運が良い日は38 悪い日は
45もあり 足手まといで迷惑をお掛けしました

当時のプロは昼食に誘っても絶対に食堂に入って来ません 偶々でしょうが調理場の隅で食事中を見た事が
あります 食堂はメンバーが食事をする所だったのです
ゴルフ発祥の英国では ”スポーツで飯を食う” というプロの派生を蔑んでいた上から目線であったのでしょうか
聞いた話なので自信はありません

ゴルフが盛んになり オープンゲームでプロも参加するようになったが 先ずベストアマが最初に読み上げられ表彰される
と云うのもアマチュア重視の視点による理由からなのでしょうか

横浜新道にあった程ヶ谷CCや相模CC等の名門コースは 厳格なコースでした
程ヶ谷の昼食時はジャケット着用でした 箱根宮ノ下 富士屋ホテルに泊まり 仙石ゴルフ場へ行った時も
昼食にはジャケット着用したことを覚えている

その様な時代背景時に入門したので ゴルフについては先輩達の仕草や会話を通してマナー・エチケットの多くを
学んだ心算です

子供のころから三角ベースボールを楽しんできましたが 野球には審判員がいて進行されます
ゴルフや撞球は自分がルールを遵守し ゲームを管理する責任を負わされたスポーツです
撞球は3クッションをやっていましたが 周囲に気づかれぬ微妙な ”球触り” があっ時は躊躇なく 宣言し
順を譲るなど 厳正なジヤッジを自らに下します ルールを無視してはそのゲームは成立しません

アゲンストルールは勿論 マナーやエチケットに不正や不快感を与えるようなことがあっては弾かれます
誤りが常習的であったりすると評判はメンバー間に浸透し 徐々に敬遠される惧れもあるかも
所謂 「村八分」 にされてしまう訳です 惨めです

今日のネットで又々某プロの記事がありました 数項目に触れ苦言を呈されていました
テレビで前々から目にしていましたが 如何に素晴らしい数字を出し 高額な賞金を獲得しようが私は
憂いの眼でずーっと彼のプレーを見続けてきました

監督は技術の事のみ重要視し ルールやマナーの育成については手抜きがあったのでしょうか
勿論 彼一人ではありません 一番感じるケースはグリーンでのボールマークの雑な所作です
誤解を与えるマークとボールの位置関係を 外国選手は私と同じ目で日本選手を観ていると思います


  

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雨上がりの公園 | トップ | イングリッシュガーデン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゴルフ」カテゴリの最新記事