三連休も終わった 昨日は息子夫婦が彼岸の墓参りに行って
来ましたと寄ってくれた
東名高速に入る手前の山北で 大きな「栗」と「かぼす」を
求めて来てくれた
それには「道の駅の山北」と生産者・ 品名・産地 山北産 と
印刷された小さな紙が貼られていた
私の義母は 山北町と隣接の 内山村 (現在は南足柄市 内山)
で 山北駅からバスの通わぬ 内山までは徒歩の手段しかなか
った (昭和9年から17年小卒の子供時代)
義母の実家は 左右に長~い母屋 二階は養蚕専用の板の間
だった
養蚕用の長い板の間に沿って 一段高い2間幅の長~い
畳敷きのスペースが仕切られていた
細長~い畳廊下にも見えたが子供たちの寝室だった
Tちゃん Rちゃんはお姉さん Ⅿちゃんは私と同い年
Kちゃんは年下の女の子5人の子供部屋とも言えた
内山村の小学校の片側の小山は 母の実家が所有の山で
あり 蜜柑山でもあった
お婆ちゃんが お姉ちゃんたちが布団を敷き終わった頃に
毎晩6つの小さな笊に 山盛りの蜜柑をそれぞれの枕元に
並べてくれた
それが問題で蜜柑を5~6個食べると夜中にトイレとなる
”便所” は外の別棟 暗いし離れているし 5~6歳の私は
夜中は お化けを気にする臆病者だった
倉や 農具の物置 馬小屋 風呂場 トイレの別棟だった
今はウマはいないし 大きな母屋は現代風に改築され
広く美しい庭園のお屋敷に代わっている
小さなころを思い出す貴重な「山北のお土産」だった
[かぼす」についての当時はどうだったのだろうか 記憶
が蘇らない 気がつかずの子供だったのかな❔