「かぼす」と「栗」

2018-09-24 22:23:24 | 思い出

 三連休も終わった 昨日は息子夫婦が彼岸の墓参りに行って
 来ましたと寄ってくれた

 東名高速に入る手前の山北で  大きな「栗」と「かぼす」を
 求めて来てくれた
 そ
れには「道の駅の山北」と生産者・ 品名・産地 山北産 と
 印刷された小さな紙が貼られていた
 
 私の義母は 山北町と隣接の 内山村 (現在は南足柄市 内山)
 で 山北駅からバスの通わぬ 内山までは徒歩の手段しかなか
 った (昭和9年から17年小卒の子供時代)
 
 義母の実家は 左右に長~い母屋 二階は養蚕専用の板の間
 だった
 養蚕用の長い板の間に沿って 一段高い2間幅の長~い
 畳敷きのスペースが仕切られていた 
 細長~い畳廊下にも見えたが子供たちの寝室だった 

 Tちゃん Rちゃんはお姉さん Ⅿちゃんは私と同い年
 Kちゃんは年下の女の子5人の子供部屋とも言えた 
 
 内山村の小学校の片側の小山は 母の実家が所有の山で
 あり 蜜柑山でもあった
 
 お婆ちゃんが お姉ちゃんたちが布団を敷き終わった頃に
 毎晩6つの小さな笊に 山盛りの蜜柑をそれぞれの枕元に
 並べてくれた  
 
 それが問題で蜜柑を5~6個食べると夜中にトイレとなる
 ”便所” は外の別棟 暗いし離れているし 5~6歳の私は
 夜中は お化けを気にする臆病者だった
 
 倉や 農具の物置 馬小屋 風呂場 トイレの別棟だった
 今はウマはいないし 大きな母屋は現代風に改築され
 広く美しい庭園のお屋敷に代わっている
 
小さなころを思い出す貴重な「山北のお土産」だった
 [かぼす」についての当時はどうだったのだろうか 記憶
 が蘇らない 気がつかずの子供だったのかな❔

コメント
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