継続は力なり。

2009-07-23 22:31:48 | スポーツジム

「こつこつと続けることの大切さ」 何かにつけ継続することの意義を感ずる今日、
この頃である。

65歳でリタイア、非常勤の立場になってからは会社へは殆ど行かなくなった。
退屈なのでスポーツジムへ行き始めた。トレーニングを終え、サウナで汗をしぼり、帰宅して遅い昼食。それから14時頃会社へふらりと顔を出す。
それも金曜が多かった。お茶を飲みながら雑談。終業すると4~5人を誘いスナック、そしてカラオケだった。

ジムにはトレーニングルームを囲んで、80㍍のジョギング用トラックがあった。
女房殿はジムの先輩である。マシンで筋トレ60分。ジョギングを10kmか、泳ぎを
2000㍍、そのどちらかをこなすのが彼女の日課だった。

当時の私はカナヅチで、海水浴に行くと女房殿にソット迫られ、足っ払いをされて
ブクされそうになる苛めに、戦々恐々の憐れな存在であった。

私は先ずジョギングから入った。カウンターを握り80㍍トラックを125周、月間の
走行距離 220㎞(22日で)、10ヶ月で2200㎞走った。

走り始めた頃は、最初はまずまずだが10分経過ごろから15分間ぐらいが辛いと
いうか、止めたいなと思う時間帯であった。何度歩行に切り替えようと思ったことか
しかし「ここで逃げたらおしまいよ」と我慢に我慢を重ね耐え抜いた。

フルマラの女性の後ろにピタリとつき、蹴り上げるシューズの裏をただ見つめなが
ら黙々と走った。時には並んで走り会話を交わしながら走った。

「退屈で、飽きてしまうんだが、貴女はどうですか?」と質問した事がある。
「外を走る時は景色を楽しめるけれど、室内トラックは単調で困ります。私は一週
間21食分のメニューやレシピを考えながら走ったりしています」とヒントをくれた。

神武天皇から、綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化・崇神~昭和に至る125代の天皇の名を唱えながら走ったり、北海道から南へ順に政令指定都市・中核市・特例市名を言いながら走ったり・・と私なりに工夫を凝らして走った。

30分走り続けると調子が出てきて、楽に走ることができる。苦痛は無い。
次に来るのは身体的疲労による辛さである。自分なりに10㌔走が無難と判断し、それを1日のノルマにしたわけである。故障が一番怖いのだ。

平塚では、家から約3㌔の湘南平までのジョギングを実行した。
タイムは30分を目標にした。あの一直線のきつい勾配は今見るとゾッとする。今思うと、よく走れたなあと感心してしまう。

それは一年継続のお陰だと思う。ただ、何故継続しなかったのか?は・・・
それは、ベンチプレスに転向した所為である。・・・と言いたいが!
実は、脊柱管狭窄症により脚部に痛みが走るようになったのが大きな障害になってしまった。
一時は50㍍も歩けぬ状態。ジムでは大腿筋等の筋トレを禁止された。

しかし、騙し騙しゆっくり歩行や、週3回のマッサージ院での治療を半年続け、今では80%ぐらいの線まで好転してきた。

ベンチプレスの目的は勿論筋トレだが、胸囲100㌢、ウエスト70㌢達成の副目的もあったあった。
自己体重の 1.6倍を挙げるようになった時ほぼそれに成功した。

ところが、加齢と共に過激な事はできなくなった。
案の定胸囲は現在96㌢に落ちた。体は正直である。努力すれば応えてくれる。おざなりにすると・・・。
「継続は力だ」と痛感している。




 

コメント (2)
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