今日は桃の節句・雛まつりである。近隣の市町村では地区をあげての雛まつりが盛大に催されており、毎年恒例の一大イベントとなっているところもたくさんある。どんなばあさまになろうとも、「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花……」の歌にはやはり郷愁を誘われる。
わが岡山県で有名なのは「勝山のお雛まつり」、期間中はJR臨時列車が運行され、遠来の観光客で賑わうという。キャッチコピーに「町並み保存地区の、160軒を越す民家・商家の軒先に、それぞれの趣向を凝らしたお雛様が飾られる。白壁や連子格子の家並みにお雛様が並ぶ様子は、忘れかけていた思い出の風景を色彩豊かに蘇らせ、ノスタルジックな世界へ誘う。」とある。
この勝山町は畿内と出雲を結んだ、出雲街道の宿場町として栄えたところで、草木染めの「のれん」が軒先を彩る「のれんの町」としても有名である。あいにくお雛めぐりの機会は失したが、さくらの一番美しい時期に一度だけこの町を訪れたことがあるが、しっとりとした和の情緒溢れる町である。
県北にいた頃は「津山城下町雛めぐり」に何度か足を運んだものだが、最近ではお雛にはとんと縁がなくなった。2年ほど前、「日本のエーゲ海」と言われる瀬戸内市牛窓へ1泊旅行に行った際、毎年、古くから八朔(はっさく、旧暦8月1日)に行われる雛まつりに遭遇、マップ片手に汗をかきかきめぐり歩いたのが最後である。
地元にいる者ほど地元のことに疎いといわれるが、ほんにそうである。先日、市の広報の「備前市・片上商店街のお雛まつり」の開催予告が目に付いた。商店街の店舗ではそれぞれ趣向を凝らしたお雛様を飾る。圧巻は宇佐八幡宮の石段62段にずらっと並んだお雛様で、緋毛氈を石段に敷き詰め、その上にお内裏様・三人官女・五人囃子がびっしり並べられているとか。1人では何だけど、友人を誘ってゆけばよかったと後悔しても遅い。鬼が笑うだろうけど、来年は行ってみようかな。
日本の古い風習といえば、先日、わが購読紙のコラム『ふる里の風景』にあった「たき火」、まったく見られなくなって久しいが、懐かしい思いで読んだ。(原文どおり)
【かつて、たき火の煙とその独特の匂いは、冬の朝夕の日常風景だった。僕らが子どものころ、建築番場の大工さんたちは、工事で出た木っ端や廃材でよくたき火をしていた。火に背を向け、お尻の位置で手のひらを火にかざした姿を今も覚えている。霜の降りた寒い朝は、登校途中、僕らも大工さんに交じり、同じ格好で温まってから小学校に行ったものだ。
また、友達と遊んだ夕暮れの家路からは、あちこちに落ち葉たきの煙が見えた。しかし今は自治体の禁止条例になっていたり、そうでなくても、近隣の苦情などに配慮してか、たき火を見かけることはほとんどなくなった。
♪かきねの かきねの まがりかど… (童謡「たきび」)のような風景も、遠い向かいのことになってしまったようだ。】
私も小学校への行きかえりに大人と大人の間に入り込み、火に背を向けてお尻や手を温めて暖をとったものである。遅刻しそうになったことも何度かあったが、寒い朝のたき火は時間を忘れるほど心地よかった。
今のように防寒用の服や靴などなく、素足の下駄か草履、いつも手や足にしもやけをこしらえていたっけ…。寒い北風にふるえながら学校へゆくと、教室はすきま風がスースー。唯一、暖が取れるのは日が当たる窓際だけ、1週間交代で席を代わるので窓際の席になるのが待ち遠しかった。そういうつらい時代の中にあって、「たき火」の暖かさに、ホッと人心地ついた思い出は今でも忘れられない。
何時の時代でも決して失いたくない節句の一つ。備前美作吉備と古代から栄えた御地、素晴らしい宇佐八幡様の階段雛!見事ですね。
美しい日本の慣習、冬の焚き火もひっそり何処かで子供たちの歓声に包まれて残っているかもしれません。年寄りの儚い夢かな
失われつつある日本古来の伝統や風習、その中で今も変わらずみんなに愛されているお雛さま。家の構造が変わり、大きな段飾りは敬遠されますが、女の子の誕生を祝うにはなくてはならないお雛さま。優しい子どもになりますようにとの願いを込めて…。
戦争で母の雛飾りを焼失してからわが家にお雛の姿をみることはありませんでした。女性らしさがないのはそのせいでしょうか。
顧みられない小さな出来ごとにも、優しく心沿わせてコメント続けるオールドレディさまこそ、真の女性です。
他人に諂うことなく我が道をどうどうと進む品格を失わず。
ぼつぼつ見習いながらsirousagiも老いてゆきたいと思っています。
70は多きを知る」と中国の詩人の言葉
残された時間有意義に過ごしましょうね。
過分なお褒めをいただき、穴を掘ってでも入りたい気分です。
どうも最近は妙な正義感が過ぎて、道理の通らぬことには無性に腹が立ってきます。
また、年のせいか涙もろくなって、新聞記事や本を読んでも、ドラマを見ても自分の意志に反して涙が出てきます。どうも感情が制御不能になっているようです。
認知症になると喜怒哀楽の感情がなくなるそうで、その点まだ大丈夫かなと…。わが道を行くというのはカッコいいけど、私の場合ただ頑固なだけかもしれません。(笑)