私は正月が好きである。子どもの頃はいつも冬休みになると姉・弟と私の子ども3人だけで母の実家へ帰省して、正月を過ごすのが恒例であった。年末の餅つきの手伝い、紅白歌合戦をみんなで見て年を越す。元旦のお雑煮は大人数で賑やかに頂き、その後は父方の親戚へお年玉の集金に行く。そして、従兄弟たちと双六、かるた取り、羽根つき、たこ揚げなど、今ではほとんどやらない遊びをして過ごす。叔父夫婦のおかげで幼年期の正月の思い出は懐かしいことばかりである。
そして現在、ひとりで迎える正月は横着を決め込んで、普段はとてもスッピンではいられない顔に、3が日ばかりは壁土も塗らず、さすがに服は着替えるが最低限の身だしなみをするだけ。年神さまには誠に失礼なことであるが、もうダラダラっと崩れっぱなしの正月はいたって気楽で有難い。だから、毎年正月が来るのが楽しみである。
さて、「1年の計は元旦にあり」。古から言われていることだが、いつも思うことはあるが実行にいたるものは1つもない。
だが、毎年3が日のうちにやることが1つだけある。正月早々あまり縁起のよくない話で申し訳ないが、もう10年以上も前から、「遺言書」などという大げさなものではないが、「書置き」程度の物を書き記しており、それを3が日のうちに書き直すのである。
アパート暮らしのひとり者に、書き残すほどの財産などあるはずはないが、それでも自分の死後のことは生前に整理しておくべきだと思っている。私の亡母はきちんとした性格の人で、自分で献体登録をし、死後のことも、生前からこまごまと書き残していた。自分の死後のことまで知ったことではないわと笑っていた私だが、いかに死ぬべきかを考えるのも、死に逝くもののつとめではないかと今は思っている。
年末の28日だったか、チャンネルを変えた画面が「昭和を駆けた豪傑」という番組で、吉田茂元総理にかかわりのある白洲次郎なる人物を取り上げているところだった。私も全然知らない人物だが、マッカーサー元帥を怒鳴りつけ、田中角栄元総理に噛みついたという逸話もあり、インターネットサイトを読む限り、この人物なかなかの豪傑だったらしい。
この人には色々なエピソードがあり、性格的にもユーモアに富んだ愉快な人であったらしいが、彼の遺言書がまた、この人物の豪傑ぶりを表したともいえる。遺言書の内容はたった2行、「葬式無用、戒名不用」と書かれてあったそうである。大賛成といいたいところだが、そうはいかない事情もある。私は死後の献体登録をしているので、書置きにも「葬式無用」は書いてある。だが、「戒名不用」は檀那寺内に墓地を借り受けている手前、僧侶の収入の減ることは言えないところが辛い。
このようにたった2行の遺言書ですませることができれば楽であるが、とかく世の中のしがらみはややこしいものである。
そして現在、ひとりで迎える正月は横着を決め込んで、普段はとてもスッピンではいられない顔に、3が日ばかりは壁土も塗らず、さすがに服は着替えるが最低限の身だしなみをするだけ。年神さまには誠に失礼なことであるが、もうダラダラっと崩れっぱなしの正月はいたって気楽で有難い。だから、毎年正月が来るのが楽しみである。
さて、「1年の計は元旦にあり」。古から言われていることだが、いつも思うことはあるが実行にいたるものは1つもない。
だが、毎年3が日のうちにやることが1つだけある。正月早々あまり縁起のよくない話で申し訳ないが、もう10年以上も前から、「遺言書」などという大げさなものではないが、「書置き」程度の物を書き記しており、それを3が日のうちに書き直すのである。
アパート暮らしのひとり者に、書き残すほどの財産などあるはずはないが、それでも自分の死後のことは生前に整理しておくべきだと思っている。私の亡母はきちんとした性格の人で、自分で献体登録をし、死後のことも、生前からこまごまと書き残していた。自分の死後のことまで知ったことではないわと笑っていた私だが、いかに死ぬべきかを考えるのも、死に逝くもののつとめではないかと今は思っている。
年末の28日だったか、チャンネルを変えた画面が「昭和を駆けた豪傑」という番組で、吉田茂元総理にかかわりのある白洲次郎なる人物を取り上げているところだった。私も全然知らない人物だが、マッカーサー元帥を怒鳴りつけ、田中角栄元総理に噛みついたという逸話もあり、インターネットサイトを読む限り、この人物なかなかの豪傑だったらしい。
この人には色々なエピソードがあり、性格的にもユーモアに富んだ愉快な人であったらしいが、彼の遺言書がまた、この人物の豪傑ぶりを表したともいえる。遺言書の内容はたった2行、「葬式無用、戒名不用」と書かれてあったそうである。大賛成といいたいところだが、そうはいかない事情もある。私は死後の献体登録をしているので、書置きにも「葬式無用」は書いてある。だが、「戒名不用」は檀那寺内に墓地を借り受けている手前、僧侶の収入の減ることは言えないところが辛い。
このようにたった2行の遺言書ですませることができれば楽であるが、とかく世の中のしがらみはややこしいものである。
そんなこといいつつカキコしている私も何なんですが。
喪主を縁あって?2回勤め、もう葬儀屋のご支援は必要ないくらいの私としましては、経験上、遺言はしっかり残していただきたいです。
なんと言っても、死人に口なし。どうしてほしいの?と聞きたくても聞けへん。でもわけのわからん遺言ですと八ツ墓村になる。確かにしがらみが多いのです。
だから普通に具体的に書いていただくと助かります。お墓も「山に、海に撒いてくれ!」ではお役所さんと余計もめます。
と、義父母に元旦早々酔っ払って言ってる人からです。
でも、私のような年齢になると、如何に死ぬかを考えておくべきかと思います。
明日がある明日があるって、歌のようにのんきにはなれません(^_-)。
以前のお正月は、儀式の様で、こうあらねばならない、ああ有らねばならない、
例えば新しい履物を座敷で履いてそのまま地に下りる、女は火炊きはせずお風呂は男が炊き上げる
それから…門松は29日、31日はイケナイ、忘れましたが色んなしきたりがありました
忠実に行っていた事を覚えています、
今は、イベントで参加するのも、しないのも自由です(笑)
そういえば、今でも履物を新しくする人がいますね。
今はスーパーも元日から開いているので、買いだめをしなくなって、年末ごった返すこともなくなりました。
いろいろな風習が消えつつあり、正月の形も変わっています。初詣も若者の遊びの一つみたいになっている。
年神様も世の移り変わりに右往左往しているかも…。
今年もよろしくお願いいたします。