平成19年5月30日午前6時13分、義弟が逝った。
元気に旅立ちました。
本年1月、本人にがん告知、家族には余命3ヶ月が宣告されました。しかし故人は回復を信じ前向きに治療に専念したのです。
亡くなる2日前、長いお付き合いの先輩と幼馴染の同業者が見舞いに来てくれました。およそ2時間くらい談笑していました。故人は終始ニコニコしており、見舞いのお二人も故人の元気そうな様子とあまりに嬉しそうだったので帰るに帰れなかったようでした。
亡くなる1日前も元気でした。看護士さんに下着を替えてもらい、ベットに起き上がり足を洗ってもらいながら冗談を言っていたほどです。
その翌朝、奥さんと息子達に看取られて苦しむことなく旅立ちました。
まさに、元気いっぱいの旅立ちでした。
故人は工場を始めてからは、言葉どおり仕事一筋でした。少しでも良い仕事をしたい、少しでも立派な工場を息子達に残したいという気持ちだったのです。
職人気質の故人が工場を経営するのは大変なご苦労もあったことと思います。
故人の長年のご労苦に感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り致します。
元気に旅立ちました。
本年1月、本人にがん告知、家族には余命3ヶ月が宣告されました。しかし故人は回復を信じ前向きに治療に専念したのです。
亡くなる2日前、長いお付き合いの先輩と幼馴染の同業者が見舞いに来てくれました。およそ2時間くらい談笑していました。故人は終始ニコニコしており、見舞いのお二人も故人の元気そうな様子とあまりに嬉しそうだったので帰るに帰れなかったようでした。
亡くなる1日前も元気でした。看護士さんに下着を替えてもらい、ベットに起き上がり足を洗ってもらいながら冗談を言っていたほどです。
その翌朝、奥さんと息子達に看取られて苦しむことなく旅立ちました。
まさに、元気いっぱいの旅立ちでした。
故人は工場を始めてからは、言葉どおり仕事一筋でした。少しでも良い仕事をしたい、少しでも立派な工場を息子達に残したいという気持ちだったのです。
職人気質の故人が工場を経営するのは大変なご苦労もあったことと思います。
故人の長年のご労苦に感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り致します。