仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

能狂言 / 三遊亭圓生(六代目)

2018年12月16日 | エンタメ
落語『能狂言三遊亭圓生(六代目)。
噺は、「江戸時代。大名は、十万石にもなると大大名、五万石以下は小大名と呼ばれた。江戸で初めて能狂言を楽しんだ小大名が参勤交代でお国入りした際、家来に端午の節句に能狂言を演じて見せよと命じた。能狂言を知らない家臣たちは困り果て、高札で城下に訪ねたのだが、そこへ運よく江戸から二人の咄家がやって来て・・・」という内容。
近年、この噺を取り上げたのは六代目圓生師匠だけのようで、今ではすっかり埋もれてしまっている演目のようだ。
劇作家の榎本滋民(1930年~2003年)氏は、「古くは "お能狂言"という題で演じられていた上方落語ですが、それを江戸落語・上方落語両方に精通していた大正から昭和にかけての名人・三代目三遊亭圓馬(1882年~1945年)師匠が話していたのを、若き日の六代目圓生師匠が聞き覚えで復活上演させ、継承させた噺で、他の人が手掛けられるはずがない」と、評価している。
村の居酒屋で酒を飲んで能狂言を知っていると話した二人の咄家は、何かと勘違いした店の婆さんが役所の下役人に通報し、捕らえられてしまった。
教えを乞うために探し出していた救世主がようやく見つかったのに、彼らを捕まえてしまっては駄目だろう。
いつの時代も、正確な情報が下っ端まできちんと行き渡るのは難しいようだ。
(^_^;)
さて、演者の六代目圓生師匠は、この収録が行われた昭和54(1979)年(9月3日)に逝去されているが、この収録はどうやらその年らしい。
心筋梗塞を発症し、急逝したが、上野動物園のジャイアントパンダ・ランランが死んだため、翌日の大手新聞朝刊のトップ記事は、圓生師匠逝去ではなくパンダの死亡が大きく取り上げられたとのこと。
何とも残念なエピソードだ。
( ´△`)

長屋の花見 / 三遊亭圓輔(三代目)

2018年06月06日 | エンタメ
落語『長屋の花見三遊亭圓輔(三代目)。
噺は、「大家から、"みんな揃ってちょいと来い"との使いがきた。長屋の連中が集まって、一体何事だろうかと話になるのだが、"大家が可愛がってる猫のタマを食っちまったからか "、"家賃の催促じゃないか "等と思い当たることが出てくる。顔を出さない訳にいかないので観念して大家の所へ行ってみると、"みんな揃って花見に行こう"と言うのだった。割り枚はいらないが、酒の代わりに水で薄めた番茶、かまぼこの代わりに大根のこうこう、たまご焼きの代わりに沢庵だという。沢庵で茶を飲むなら、わざわざ山へ行かなくてもいいじゃねぇかと言うと、行かないなら今日限り店(たな)を空けろと返す大家。仕方なく出かけることにした長屋の連中だったが・・・」という内容。
前は"貧乏長屋"だったが、今は世間から"戸無し長屋"と呼ばれているのだという。
焚き付けが無くなった時に、入口に戸と障子があるのは無駄だから、まず戸から燃やして、今は天井裏に取りかかっているらしい。
とんでもない連中だ。
長屋が崩壊に向かっている。
(^。^)
さぁ行きますかという時には、まるで弔いを出すようなことを言うし、途中でも海苔屋の婆さんの葬式の話や骨あげの話をしながら歩く。
長屋の連中がぞろぞろ歩くだなんて、葬式行列くらいしかないのだろう。
(^_^;)
さて、演者の三遊亭圓輔師匠は、昭和33(1958)年に三代目桂三木助(1902年~1961年)師匠に師事したが、翌、昭和34(1959)年には四代目三遊亭圓馬(1899年~1984年)師匠門下に移籍したとのこと。
落語芸術協会のウェブページによると、昭和57(1982)年から、「笑いと健康」、「日本人の笑いと落語の起源」等という演題で、川口市高齢者教室講師として講演も行っているそうだ。
圓輔師匠は昭和7(1932)年生まれで現在86歳とのことだが、滑舌がよいのでとても聞きやすい語り口だ。
(^_^)