さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

歌舞伎座閉場式

2010年04月30日 | さよなら歌舞伎座
一生分の運をすべて使い果たしたかのような幸運で
「歌舞伎座閉場式」夜の部を拝見した。

「御挨拶」 松竹株式会社 大谷会長

「都風流」

菊五郎丈
吉右衛門丈
仁左衛門丈
勘三郎丈
三津五郎丈
梅玉丈
團十郎丈
幸四郎丈

「京鹿子娘道成寺」

玉三郎丈
時蔵丈
福助丈
芝雀丈
魁春丈

「口上」

芝翫丈
富十郎丈
藤十郎丈

「歌舞伎座手締式」幹部俳優総出演

迫本社長の御礼


「都風流」は、みなさんそれぞれが「これぞ日本の伝統色!」といえる
実にいい色合いの紋つきに袴姿で素踊り。

厳粛な感じの中にもそれぞれの俳優さんの色が出ていて素敵だった。
あらためて仁左衛門丈はお背が高い!
江戸情緒をおりこんだ曲で、この曲が生まれた時代に
現歌舞伎座が開場したゆかりがあるとか。

「道成寺」を女方5人でどう踊るのか?と興味があったが、
道行から鐘入りまで一人で踊られるところと数人で踊られるところとの兼ね合いが
じつにいい演出であった。

クライマックスの鐘入り、5人の白拍子花子が
とぐろを巻いて鐘に絡みつく大蛇に観え圧巻だった!

芝翫丈をはじめとした口上で
不覚にも涙が出てきてしまった。

隣のお席の女性が御家族でみえられていた外国の方、流暢な日本語で、
「さみしいですね!でも新しい歌舞伎座を楽しみに待ちましょう」と
慰めてくださったのも心に残る思い出となった。

幕間が45分あって、往年の歌舞伎俳優の映像も拝見できた。

一番嬉しかったのは、13世仁左衛門と14世の「廓文章」、
13世仁左衛門と二世鴈治郎の「沼津」だった。

手締式には舞台に黒紋付姿の歌舞伎俳優が居並び壮観であった!
大看板から花形そして可愛らしいお孫さま・お子さま方…

夜の部が終わっても
みな歌舞伎座の正面玄関の扉が閉まるまでは帰ろうとしなかった。






名残の歌舞伎座 -50-

2010年04月30日 | 名残の歌舞伎座

思いがけなく手にした百両!

亡き母の着物を着て歌舞伎座へ。
幼い私を歌舞伎の世界に誘ってくれた母と一緒に
歌舞伎座にお別れをしたかったのだ。

前売券をゲットできなかったので、最後の望みをたくして
今朝当日券の列に並んだ。

列の最後尾で係の方に、このあたりではおそらくチケットは買えないかもしれないと
伺ったが、私を含めてそこであきらめる人はほとんどいなくて、
歌舞伎座を一周するように列はどんどん長くなっていった。

係の方のお話によると、4・5日前から並んでいる方も沢山おられ、
また妊婦さんでも数日前から並んでおられたそうだ。

始発の電車に乗って歌舞伎座へ来たという方、
皆さまの並々ならぬ歌舞伎座への想いがそうさせるのか?
並んだ列の前後の方々と何時とはなしに自然な感じで歌舞伎談義に花が咲く。

御年輩の方、若い方、男性、女性にかかわらず、
それぞれが自身の人生で接した歌舞伎を語り、なんとも楽しい待ち時間が過ぎてゆく。

私にとって歌舞伎座は特別愛着のあるもので、
私が生きている間は健在と勝手に思っていたこともあり、
チケットがとれようがとれまいが、今この列に並んでいることが
私の歌舞伎座への想いのケジメだった。

並んでいる列のすぐそばにある大道具さんの通用口から
5月の演舞場用の「助六」や「熊谷陣屋」と書かれた舞台設備が運び出されて
歌舞伎座が閉場しても歌舞伎は毎月どこかの劇場で観ることができる!と
すこしだけさみしい気持ちが和んだ。

そうこうしているうちに昼の部開場時刻も近くなったころに
「昼夜完売!」のお知らせがあった。

「やっぱり駄目か…」

でももう心残りはなかった。
もう一度歌舞伎座を眺めてから帰ろうと正面にまわりかけた時!
大どんでん返しが起こった!

千穐楽に頂いた開運小槌のおかげ様か?
母の霊か?私の執念か(笑)

歌舞伎座にいるという神さまのご加護かもしれない♪

思いがけなく手にいる百両!

ではなくて、

思いがけなく手にいるチケット!

なんと幕見席ではない夜の部のチケットを入手できたのであった♪





東をどり

2010年04月29日 | 劇♪場♪
御名残の涙も乾かぬうちに早速、歌舞伎座から新橋演舞場へってか(笑)

新橋演舞場の落成式とともに、大正14年に始まった第85回「東をどり」を拝見した。

この春は花街の「をどり」づいてしまっているが(笑)
同じ京都でもそれぞれの花街ごとに踊りの流派が違うように雰囲気も違い
また、京都と東京では「艶やかさ」の佇まいも違う。

「新橋宵の賑わい」の「勝ち名のり」を踊られたおねえさんが本当に素敵だった!

また、私の好きな鏑木清方の作品に「築地明石町」という明治の頃の羽織姿の美人画があるが
それを舞踊にした「築地明石町」もとても風情があった!



名残の歌舞伎座 -49-

2010年04月29日 | 名残の歌舞伎座

柱時計

昨日は、幕間の度に歌舞伎座の中をウロウロ(笑)

売店はどこも大繁盛だったが、ここだけ少し空間が!
存在は知っていても今まであまり気にしていなかった最中アイスの隣にある
レトロな感じがただよう柱時計。

「わが刻はすべて演劇」と

故大谷竹次郎会長の言葉が刻まれていて、思わずウルッときてしまった(笑)

勘三郎さん!またやってくれましたね♪

2010年04月29日 | さよなら歌舞伎座
御名残四月大歌舞伎 第一部

「御名残木挽闇爭」

古風な味わいがある大好きな時蔵丈舞鶴、実力派の三津五郎丈景清らとともに
若手花形揃い踏みの舞台。

新しく生まれ変わる歌舞伎座を待つ想いがこめられた一幕である。

五郎の海老蔵丈と十郎の菊之助丈がとにかく美しかった!

「熊谷陣屋」

初代吉右衛門の最後の舞台もこの「熊谷」だったか?
直実の様々に揺れる心の内を肚でみせなければならない大曲で
さすがすでに名優の誉れ高い当代がじっくりとみせたくれた。

妻の相模の藤十郎丈、
子を想うあまり陣中に来てしまう母の姿と直実に愛されている妻、
そういう女としての可愛らしさが自然ににじみ出てくるのがやはり凄い!

弥陀六の富十郎丈・義経の梅玉丈・藤の方の魁春と
最高の「熊谷陣屋」であった。

「連獅子」

勘三郎丈・勘太郎丈・七之助丈親子三人の連獅子は、すでに何度か拝見しているが、
昨日は特別思い出に残るものがあった。

前ジテの我が子を千尋の谷に突き落とすシーンが実に素晴らしい!
子獅子の無事を祈りながら子獅子を探す親獅子の勘三郎丈のたたずまいが
実際のご本人の親子の情愛ともだぶってみえて感動してしまう。

後ジテの毛ぶりの「巴」は、圧巻だった。
親子三人の息がぴったりとあって、
囃子方の演奏が終わってもその勢いが止まらない!
再び囃子がその後を追い、どんどん加速し、一体何回まわしたのだろう?

幕が下りても拍手が鳴りやまず、一部の公演終了なのに観客が席を立たない!
「中村座」やコクーンではないのでカーテンコールはないとわかっていても
あまりの感動に皆席を立てなかったのだと思う。

「勘三郎さん!またやってくれましたね♪」

この千穐樂の「連獅子」を拝見させて頂けたら、
たとえ二部・三部を観られなくても観客は充分満足出来たはず!

本当に有難う!
いつもながらの御客様サービス精神にあらためて敬意を表します♪



御名残四月大歌舞伎 千穐樂

2010年04月28日 | さよなら歌舞伎座
千穐樂 一部・二部を拝見した。

朝からの大雨。
歌舞伎座との別れを惜しむ人たちの想いが雨を降らせてしまったのかもしれない。

観客たちも思い入れがあるが、演ずる俳優や囃子方からも
現歌舞伎座最後の興行の千穐樂へかける想いが立ち上っているような舞台。

「襲名」や「追善」など数々拝見してきたが、
今日のような舞台からの全員のオーラを感じたのは初めて!

大向こうも今日は本当に凄かった!

幕間の雰囲気も今日はいつもと少し違っていて
観客・劇場関係者の方々・お店の方々… みんながちょっぴりソワソワしながら、
それぞれの想いで歌舞伎座に別れを告げているのが感じられた。





名残の歌舞伎座 -48-

2010年04月28日 | 名残の歌舞伎座
当日券

無理だろうなと思いながらも、今朝9時前に第三部の当日券をもとめて
歌舞伎座のチケット売場前の行列に並んでみた。
でもやはり時すでに遅し!
一部・二部はありそうであったがお客様の希望をカウントしている係の方が、
三部はすでに完売と教えてくださった。

行列に並んでいる方は皆お互いが見ず知らずなのに、
いつのまにか連帯感が生まれちゃって、互いに情報交換したり、
「~の襲名の時は当日券とれたのにねぇ~」なんて昔を懐かしんだり
「もしとれなくてもこういうのは並んでいてもなんか楽しいね」とか、
みんな歌舞伎座が大好きな人たちばかり!

完売と知りながらもしばらくはこの空気感に浸って並んでいた私だった。






2010年04月27日 | 今日のおやつ♪
娘が、先代二世観世喜之三十三回忌追善の
観世九皐会百周年記念特別記念公演を拝見した時のお土産。

あの彦九郎さんのお店の粽だ♪
小さい可愛い鯉のぼりがついている。

そういえばあの元祖彦九郎さんにお目にかかってから1年経つんだなぁ…