goo blog サービス終了のお知らせ 

さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

2005-1

2009年11月30日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~



「あの男性にまためぐり逢うことができるような♪」
これが私の「京都検定を受験する」きっかけであった。

しかし、その日蘇った甘く懐かしい記憶と決意のほどには、
いざ「勉強を始める!」
という行動になかなか、エンジンが、かからないまま
春がきて、夏が来て、やがてあの祇園祭の季節が巡ってきた。

2005年は、主人と結婚して30周年。
節目の旅行として、私たちは祇園祭に行くことになった。
もちろん私のリクエストであったが、これには、少々曰く因縁がある。

私が初めて祇園祭の山鉾巡行をみたのは、1975年。
主人と結婚した年で、
「京都に全然興味がない」 
「暑いのも大嫌い」な主人をむりやりに連れていったので、
「蒸し暑くて、宵山なんか行きたくない!」
と言って、主人が宿から出ようとしないため、
大げんかになった誠に記念すべき思い出がある。

夕食が済んでも、険悪なムードを漂わせ
部屋でナイター中継を見ている私たちを察して、
宿の方がそれとなく、主人をうながしてくれたので
主人もお勧めいただいた手前、近くの屏風祭と
わずかな会所をしぶしぶまわってくれた。

そして、巡行当日も晴天でとても暑かった。
まだ、山鉾から粽が投げられていた時分で、
主人の興味は、絢爛豪華な山鉾そのものより、
投げられる粽をいかに上手くキャッチするか!
ということにのみ注がれ、
見事に、御池通の観覧席で2つの粽をキャッチ!
嬉しそうに、となりの外国人観光客に1つをプレゼントして
「暑いから、先に帰っているね」と早々に宿に引き揚げてしまった。

今なら、主人を宿において、一人気ままに楽しめるところだが…
若かった私は、そんな主人がとっても不満だった。


そんなこともあったが、さすがに30年の歳月は主人に「忍耐力」培わせ、
「そう云えば、大げんかしたね。」なんて笑いながら、
昔に比べれば、かなり付き合ってはくれたが
やはり暑そうで、つまらなそうで、
混雑も大嫌いな主人が気の毒になって、
宵々山の四条通を歩いただけで、結局ホテルに戻ることとなった。

ただ、主人も浴衣姿でお相伴させていただいた
高台寺の夕涼みのお茶会はとてもお気に召したようで、
「たまには、こういうのもいいね。」
なんて耳を疑うセリフをのたまうようになった主人に
「やっぱり、年食ったんだなぁ~!」と可笑しかった。

そして、あの男性とも再びめぐり逢うこともなく、
祇園祭が終わり、あっという間に秋が来て、
第二回京都検定の申込受付が開始された。

92歳

2009年11月29日 | ボケ爺さんとのゆかいな暮らし♪
「坂の上の雲」を観終わってから、父の誕生会をした。

大正6年生まれ。
関東大震災も第二次世界大戦も体験している年代だ。

信州飯田の農家の4人兄弟の三男。
まるで「坂の上の雲」の真之の少年時代のような
きたない風体の子どもの頃の写真もある(笑)

「ところで何歳になったんだっけ?」と最近は自身の年も
あやふやになるので、しっかりケーキに92歳と入れてもらった(笑)

さすがに、オーダーした甲斐のある美味なケーキだった♪♪♪

ボケ爺さん、もうひとふんばり頑張って100歳目指そうね!

京都検定ノススメ♪ 序4

2009年11月29日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~



二人で最後の山を見送ると、
「じゃあ、これで失礼します。」と、男性はそのまま帰ろうとした。

私は慌てて、「本当にうっかりもので、大変ご迷惑をおかけしました。
せめて、お名前とご連絡先だけでもお教えいただけないでしょうか?」
と、再び尋ねると、

「来年も祇園祭にいらっしゃいますか?」

「え…?えぇ。」 きょとんとしている私にむかって

「その時は、またお財布忘れてください。
次回も必ず、お届けしますから!」

男性は、微笑みながらそう言い残し、
軽く手を振って四条通に向かって足早に去っていった。

頭の中には、まだ祇園囃子が流れていた。
そして、すぐに人混みに消えてしまったその男性を、
私はいつまでもいつまでも見送っていた。

母の死もあって、次の年もその次の年も祇園祭に行くことはできなかった。
そして、その男性の面影もすっかり薄れてはいたが、
毎年「祇園祭」の夏がくる度になんとなく心が騒ぎ、
それ以来、「京都」は私にとって、
今まで以上に「特別なところ♪」となった。


それから数年が経ち、平成16年12月12日、
第一回の京都・観光文化検定試験が実施され、
約1万人近い受験者が難問にチャレンジしたことを夜のニュースで知った。

そして、試験会場の映像を見ていたら、
何故か急に頭の中にあの巡行の日が蘇り、
あの男性にまためぐり逢うことができるような…
そんな全く根拠もない不思議な予感が私の胸の中に生まれた。

(来年は私も絶対に受験しよう!)

銀杏

2009年11月29日 | 日記

一般にはコンクリートの街のように思われている東京は、
想像以上に緑豊かで今銀杏が大変見ごろである。

オーダーしていた父のケーキを取りに銀座まで主人とドライブした。

広い道路には必ずと言っていいほど街路樹があり、
ケヤキやプラタナス・すずかけ・銀杏とオレンジや黄金色を競っていて、
とくに日比谷通りの銀杏が美しく重厚なビルに映えていた。

都内のいたるところで見かける銀杏は東京都の木
緑の葉がシンボルマークにもなっている。
生物学的には古代からの生き残りらしい。

そして、片岡仁左衛門家の替え紋も5枚の銀杏がデザインされたものがある♪

ユリカモメ

2009年11月28日 | 今様江戸名所図会
「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」

写真は不忍池のユリカモメ♪

鴨もいたが、ユリカモメが低空飛行をしていた。

都鳥はユリカモメということになっているらしいが、
恥ずかしながら、在原業平が桓武天皇のお孫さんとは
今日の名宝展を拝見するまで知らなかった(汗)

業平のお母さまは桓武天皇の第八皇女である伊都内親王とか。

皇室の名宝展 2期

2009年11月28日 | アート♪
正倉院宝物と書・絵巻の名品

1期とちがって公開期間が少ないのと明日で終わりなので
お昼頃つくと20分待ちの行列ができていた。

お天気もいいのと、庭園のイチョウや桜の紅葉も美しく
列で待つのも苦にならない。

やはり正倉院の宝物が素晴らしかった♪♪♪
とくに聖武天皇遺愛の「螺鈿紫檀阮咸」が美しかった。
聖徳太子をはじめとして、書も凄すぎるラインナップ♪
~筆とあると行列に並んでも拝見したくなる(笑)

絵画で面白かったのは、「御即位行幸図屏風」
明正天皇の即位式とその御両親後水尾院と東福門院の
仙洞御所への行列を描いたもの。

8歳の女帝は、この時どんなことを考えていたんだろうか…

京都検定ノススメ♪ 序3

2009年11月28日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~


いきなりのこの申し出には、正直ちょっとたじろいだが、
もとよりこの状況では断れるはずもなく、
物腰もやわらかく誠実そうな方だったので、
私は新町通へその方をご案内することにした。

「何にもわからない素人の案内ですが…
本当によろしいのでしょうか…」

「えぇ、是非!」

その男性と新町通へ向かいながら、私の心拍数は上がるばかり!
案内といっても、勿論この頃は、京都検定の知識も全然ないわけで、
山鉾の由緒すらわからず、何を説明したのか?
もう全然覚えていない…

男性は、「東京から仕事で京都に滞在していた。」と言った。
東京に帰るために京都駅に行く途中、切符を買うために私の後ろに並んでいたそうだ。
そうしたら、私が券売機の前にお財布を置き忘れ、
駅に預ければよかったのに、すぐ追いつけると思って追いかけたら、
途中人混みで見失いそうになり、「これでは自分が財布泥棒になってしまう!」と
焦って必死に追いかけてきたと話してくれた。

「おかげで、予定していた新幹線には乗れませんでしたが、
運動不足の身にとっては、久しぶりにいい汗をかかせてもらいましたぁ。」
と笑いながら話す男性に、本当に申し訳なくて、私は身の縮む思いがした。
男性とは視線を合わせることもできないまま
恐縮しきっている私を気遣って、男性は話題を替えた。

「昨日は、白地の浴衣でしたね。ロビーでおみかけしましたよ。」
「えっ…」

なんと偶然、男性とは宿泊先が同じホテルだったので思いがけなく会話が弾み、
私はいつのまにかすっかり緊張がとけ、少し楽しい気分になっていた。

新町通は、道幅がとても狭いので、
山鉾は建物の屋根スレスレに、私たちのすぐ目の前を通り過ぎて行く。
車輪の軋む音と、ぐらぐらと揺れながら進む山鉾の迫力は圧巻で、
見事な懸装品に目も眩みそうになった。

「とんだハプニングが功を奏したというか?
おかげさまで今まで知らなかった祇園祭の醍醐味が味わえました。
ありがとう!」

と、その男性はまっすぐに私の目を見つめて言ったので、
私は、恥ずかしくてまた、胸がドキドキとしてしまった。

コダチダリア

2009年11月28日 | 日記
バスの車窓から見える花がいつも気になっていた。

すごく大きな木にピンク色の花が沢山さいているのだが
名前がわからないままだった。

先日、京都府立植物園のコダチダリアが見ごろというニュースをみて
懸案の名前がわかった♪

園芸種のダリアの原種とか。
日が短くなると咲く短日植物の仲間だそうだ。

京都検定ノススメ♪ 序2

2009年11月27日 | 京都検定ノススメ -1-
~このお話は、ばあさんの夢と妄想によるフィクションです。~



その男性は、怪訝そうに見上げる私に見覚えのあるものを差し出した。
それは私のお財布だった!

(えぇ~!?)

と思った瞬間、そういえば切符売場に置き忘れてきたかも…
あの時は、おばあさんの小銭を拾うのに頭がいっぱいで、
日傘も持っていたし…
お財布は券売機の前に置いてきてしまったのかもしれない…
幼い時から、物を失くすことにかけては天賦の才がある私。
未だにこの才は衰えるどころか年々冴えわたっている。

「すぐにお声をかけたんですが、全然聞こえていなかったようで
慌てて後を追っかけ、同じ電車に飛び乗るはめになりました。
それにしても、そのお姿でよく走れますねぇ~!
どうぞ、お財布の中を検めてください。」

男性から差し出された財布を受け取りながら
私は、もう恥ずかしいやら、申し訳ないやら、頭の中は真っ白!

「ご親切に有難うございました。
この暑い中、こんなところまでお手間をかけさせるような
ご心配をおかけしてしまい、本当になんとお詫びしたらよいのやら…
ごめんなさい!本当に申し訳ありませんでした。」
と平謝りするばかり。
「お声をかけて頂くまで、お財布がないこと、全然気がつきませんでした。
おかげさまで本当に助かりました。後日あらためましてお礼状を…
あの…御迷惑でなければ、お名刺とか頂戴できませんでしょうか?」

「いえいえ、お気遣いは御無用に!お渡しできてほっとしました。
でも、どうしてこんなに急いでいらしたんですか?」
ハンカチで汗をぬぐいながら、質問してきたその男性はメガネをかけ
年のころは50代前半、身長は174~5センチくらい。
ダーク系のスーツに、ぬめ革のブリーフケースを肩からかけた、
出張途中のビジネスマンらしい?

頭の中で「恥」という文字がどんどん大きくなってぐるぐる回っていた私は、
しどろもどろになりながらも、
新町通の帰り山を見るために急いでいたことを男性に話した。

「そうでしたか。それでは、お礼の代わりと言っては、図々しいかもしれませんが、
その新町通に私を案内していただけませんか?」

クローン椿

2009年11月27日 | 日記
霊鑑寺さんが後水尾天皇ご寵愛の樹齢300年以上の「日光椿」など、
3品種のツバキのクローン苗木を育てることに成功したそうだ。

来年の冬にはもう花をつけるとか?
凄い技術だな!
霊鑑寺さんのお庭でクローン君にお目にかかれる日が楽しみだ。

写真は原木の「日光椿」♪