さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

狩野画塾跡

2010年01月31日 | 今様江戸名所図会
銀座五丁目交差点のところにある狩野画塾跡

オーダーしていた娘のケーキを頂きに行ったついでによってみた。
いつも歌舞伎座や演舞場の帰りに通り過ぎていたのに
今まで全然気がつかないでいた(笑)

狩野派四家のうちの木挽町狩野家の塾跡だそうだ。

木挽町狩野の祖は狩野尚信

お兄さんの探幽も凄いが、尚信だって素晴らしい絵師♪
あの近衛家熙も絶賛している!
知恩院の障壁画が名高いが私は板橋区立美術館蔵の「大原御幸・富士見西行図屏風」
に魅せられた♪♪♪
余白の使い方と構図がなんともいえなく素晴らしい。

四家の中では一番栄えた家のようで
狩野芳崖や橋本雅邦もこの木挽町狩野の流れの画家である。

アラサー(笑)

2010年01月30日 | 日記
その幼かった娘も今ではアラサー(笑)

昨日は娘の誕生日だった。
まさに「光陰矢のごとし」である。

運動神経が皆無なのに、最近乗馬を始めた娘、落馬とか怪我がとても心配なのだが、
どうか今年1年も健やかで充実した年であってほしいと願う♪

万世橋

2010年01月30日 | 今様江戸名所図会
この日の食後の江戸探訪は和泉橋から万世橋で終了(笑)

万世橋は、江戸寛永年間の「筋違見附」の「筋違橋」が原点とか。
その見附の門の石垣を利用してアーチ橋が架けられたそうだ。
はじめは「よろずばし」と命名されたものがのちに
「まんせいばし」になったみたい。

この万世橋まで来たのは、何十年ぶり!
小さい娘を連れて鉄道博物館へ来た時以来だ。
その頃の娘はあまり鉄道に興味を持たず、
親の私の方が興奮して帰りたくなかった(笑)
今はその鉄道博物館もなくなってしまい懐かしさと一緒に
ちょっと寂しい気持ちになった。


於玉ヶ池の古事

2010年01月29日 | 今様江戸名所図会
友人も千葉道場跡に行ってみたいというので、食事が済んでから、
また江戸探訪(笑)になった。

『江戸名所図会』に「於玉ヶ池の古事」というのがあって

美しい娘が満開の桜の木の下でお茶をたてていて、
その姿に二人の男が見とれているような図がある。

昔、この娘お玉が二人の男性から求婚されて、
どちらにも決め難くそのころは上野の不忍池より大きかったというこの地の池に
身をなげてしまったそうで、私は「源氏物語」の浮舟を想ってしまった池の跡。

そのお玉の伝説からその名がつく「繁栄お玉稲荷大明神」
写真は真っ暗でこれではよくわかりませんね(笑)

御祭神は倉稲魂命

柳森神社

2010年01月28日 | 今様江戸名所図会
御祭神は倉稲魂大神


太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして沢山の柳を植え、
京都の伏見稲荷を勧請したことに由来するとか。

狛犬ならぬ面白いおたぬきさまが迎えてくれる♪

小じんまりした境内には「幸神社」「福寿狸姫社」「金刀比羅神社」「秋葉大神 」…
など沢山の神さまが所狭しとあり、江戸時代の富士講を記念した富士塚や力石もある。

その一つ福寿社が「おたぬきさん」と呼ばれ、
将軍綱吉の生母桂昌院が信仰していたものとされる像が祀られて、
江戸時代には「玉の輿」にあやかりたい多くの女性の参拝があったとか。
「たぬき」は「他をぬく」ということで立身出世の御利益があるらしい。
向柳原にあった旗本の邸内にあった祠を明治期にこちらに合祀したそうだ。

通りから階段を下がった境内には、鳥居の前に喫煙スペースがあるようで
こちらでたばこをふかしながら緩々するサラリーマン風の人たちが
参拝者より多そうである(笑)




あんこう

2010年01月28日 | 日記
鮟鱇の口ばかりなり流しもと(虚子)

お店の前に鎮座されておられるあんこう君は北海道からいらしたとか。

ホームページを拝見すると

「暗愚魚」(あんぐうお)と呼ばれていたことが、あんこうの語源とされているらしい。
海底深くに生息し、ほとんど動かずあんこうの提灯につられてきた魚を丸飲み!
食っちゃ寝の生態を上手く表現してますね(笑)

「鮟鱇武士」 口では強いことを言うが、内心は卑怯な武士を罵るたとえ
「あんこうの餌待ち」ぼんやりと口を開いている様。愚純な人のたとえ
「あんこうの待ち食い」何も貢献せずにご馳走だけありつく、怠け者のたとえ

という諺もあるらしく、わが身は怠け者・愚鈍と聞くと耳が傷む(笑)

柳肉(大身)・皮・肝・あご肉(ブリブリ)・ひれ(トモ)・卵巣(ぬの)・胃
これらを総称して「鮟鱇の7つ道具」と呼び、
お野菜と一緒に醤油ベースで煮込まれたお鍋はさっぱりとしていてとても美味しい♪

もみじおろしで頂く「きもさし」や「ともあえ」「煮こごり」などもまた格別♪♪♪

高蛋白低脂肪で皮の部分ゼラチン質に含まれるコラーゲンなど美容効果も絶大♪

江戸時代の『本朝食鑑』にもあんこうの吊るし切りが紹介されているみたい。

まな板の上では割けないし、こんなに見てくれが奇妙な魚を
体全部食べてみちゃおうと一番最初に思いついた人はいったい誰なのか?

その方の直感に感謝♪感激♪