さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

かつら鮎

2009年05月31日 | 今日のおやつ♪

この時期、関西系の和菓子屋さんにはいろいろな鮎が並んでいるが、
私は、こちらの「かつら鮎」の形が好き♪

シンプルだが、とてもかわいい顔をしているから♪♪♪

虫こぶ

2009年05月31日 | 日記
ヒョンノキまたはイスノキとも呼ばれる。

日本の中部地方以西と台湾と朝鮮半島にかけての山地に自生する
常緑の高木。

木材は机や柱などに使われるみたい。

葉っぱの上のあまり気持ちのよいものではない
ぶつぶつとしたものが「虫こぶ」だ。

葉や芽にアブラムシなどが卵を産みつけると
その刺激で植物細胞が異常に腫れてこぶになるそうだ。
虫こぶの中にはタンニンが含まれていて、
昔から染料や薬にも用いられたとか。

このこぶは大きなものでは8センチ大にもなるものもあって
アブラムシが成長して出ていくと穴ができ、
そのこぶが枯れて硬くなったものを笛のように吹くと
ヒューとなるので「ヒョンノキ」ともいうらしい。


板橋区立赤塚植物園で頂いた
「みずみどり第72号」(発行いたばし水と緑の会事務局)を
参考にさせていただきました。

自然というのは本当に面白い。
こういうのは共生というよりは寄生なのだろうか?
じつに奇妙なこぶができるので
「ひょんなことで…」の語源でもあるらしい。

25日目

2009年05月31日 | ダイエット

ホウチャクソウ

ユリ科の多年草である春の下草。
一般には雑草のくくり?のようだが、森の妖精や小人さんが
かくれているようなメルヘンチックな形が好き♪♪♪

体重 61.5キロ
体脂肪 36.5

星のフラメンコ

2009年05月30日 | 日記
60年代に流行った歌ではありません(笑)

クレマチスの名前

農水省種苗登録10300号とあったが、フラメンコダンサーの
ひらひらのスカートから連想した名前かな?

日本のカザグルマや中国のテッセンなどの改良した種類を呼ぶみたい。
花弁にみえるのは実はがくだとか。

つる性とかつるじゃないものとか種類もすご~くあるようだ。


2017回達成! 放浪記千穐楽

2009年05月29日 | 劇♪場♪
5月9日に2000回を迎えた森光子さんの放浪記が
本日めでたく千穐楽をむかえた。

2000回の偉業とか、88歳にしてとか
という話題がマスコミを騒がしたが、
そんな数字などいかばかりか?

舞台には、名女優森光子というより、人生を懸命に生きた林芙美子がいた。

2017回達成の千穐楽、特別カーテンコールがあった♪

共演者の方々からのお祝いの言葉、客席には歴代の共演者の方々も。
その中で、国民栄誉賞を受賞されることになったニュースも
ご披露されて、観客共々にお祝いをした。

くす玉が割れると、劇場内には、七色の紙吹雪が舞った。
最後に森光子さんがみなさまに感謝の言葉をのべられたが、

「選挙に出ようとはおもっていませんが、
どうかこれからも日本をいい国にしてください」と

客席にいらした元総理や元閣僚にはっぱをかけたわけではないと思うが、
なかなか素晴らしい衰えをしらない感覚のスピーチであった♪♪♪

森光子さん 千穐楽・国民栄誉賞
かさねがさねおめでとうございます。




腹が減ってもひもじゅうない!

2009年05月28日 | 日記
シャンデリアのようにかわいい花、
エゴノキを見にいったが、ちょっと遅かったようだ。

もう実がなっているのもあったが、
かろうじて花をみつけた♪

「こちの裏のちさの木に~
雀が三びきとっまって~とまって~
一羽の雀のいうことにゃ~いうことにゃ~」

伽羅先代萩の御殿の場

鶴千代と千松はお腹がすいているのを我慢して健気にうたう。

四月の歌舞伎座での通し狂言は、限りなく豪華なキャストだったな♪

このちさの木がエゴノキのことだそうだ。

古くからある種のようで、万葉集にも詠われている。


「山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず」




ネクタイが…

2009年05月27日 | 日記

党首討論がありましたね。

鳩山代表のネクタイがいつもと違っていた。

いつも薔薇のようにとまではいかなくても、
かなりお派手でした(笑)

今日のネクタイは上品でなかなか良かったです♪

政権を目指すためには、ネクタイも重要かも(笑)

日本の難点

2009年05月27日 | 本♪

宮台真司著「日本の難点」

私のような凡人には難解だった(笑)

著者は子ども時代に京都で育ったらしいですね?

「スゴイ人」からの感染というのは頷ける気がした。

ご自身も「スゴイ人」なのでしょうが、
でもちょっと「上から目線」的という感あり(笑)

定家葛

2009年05月27日 | 日記
テイカカズラが満開だった。

後白河法皇の第三皇女である式子内親王は、賀茂の斎院となり、
その後病で斎院を退いてからも独身で五十歳前後で病死したとか。
式子内親王を慕っていた藤原定家は、葛となって内親王の墓にまつわりついた。
そして内親王の霊は、旅の僧に邪淫の妄執で成仏できないその苦しみを訴える…

そんな「定家」という謡曲があり、名前はこれに由来すると言われる。

このテイカカズラもガンガンにからみついていた(笑)

式子内親王は後白河天皇の第三皇女で、幼年から十九歳頃まで、
賀茂の神に仕える斎王に坐り、嘉応元年(1169)病によって退いた。
その後、兄の高倉宮以仁王が平家討伐の先鞭をつけて敗死し、
つづいて源平争乱の世となった。
内親王はひっそりと歌作に心をやって暮らしたが、建久9年(1198)に
橘兼仲・僧観心などの陰謀に加わった疑を受け、京外追放の代りに出家させられ、
建仁元年(1201)五十一歳頃に薨じた。
正確な墓所は知られず、この塚を古くからそれと伝えてきた。
(川勝政太郎著 京都古寺巡礼より)

今出川通の千本東入、般舟院陵
バス通りに面しているのに、陵内は静寂そのもの、
古くから「式子内親王塚」と伝わる小さな五輪石塔が
石仏に隠れるようにひっそりとあったなぁ…