さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

美と味を楽しむ丸の内♪

2010年04月16日 | アート♪
ジョサイア・コンドルの原設計に則って40年あまりの時を経てよみがえった
三菱一号館美術館で開催中の「マネとモダン・パリ」を拝見した。

開館7日間で2万人もの来館を記録したそうであるが、
昨日18時前の館内は比較的空いており、ゆっくりと鑑賞することが出来た。

展示室は3フロアに分かれており、解体時に保存されていて再利用された部材や
階段の意匠なども楽しみながら鑑賞できるのも嬉しいことのひとつ。

洋画がよくわからない私の中で、ピカソと並んでマネは数少ない好きな画家のひとり。
子どもの頃、何かで観た「笛を吹く少年」の絵が私を捕えた。

マネの絵には人物そのものの存在感はもちろんであるが、
それぞれになにか「ストーリー」のようなものを私は感じる。

今回の展示作品では「フォリー=ベルジェールのバーの習作」にとても魅せられた!

そしてポスターにもなっている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」が実に美しい!

これは是非多くの方に本物の迫力に触れて、その素晴らしさを感じて欲しいと思った。

とてもめずらしい凝った額縁の「浜辺にて」も好き!

マネは日本美術からも大きな影響を受けているそうで、
私がマネを身近にかんじることができる要因なのかもしれない。

マネを観終わってから、緑や草花で溢れる中庭を通って
美術館に隣接する和食のお店で晩ごはんを頂いた。

きびなごやあおりいかの水揚げ
帆立この子和え
ホタルイカの沖漬
白魚昆布〆
桜海老のかき揚げ…

久しぶりにお酒がすすみました(笑)

美味堪能@丸の内の夜でした。


花にさすらふ -4-

2010年04月16日 | 都へ上る
戒光寺

創建1228年、後堀河天皇の勅願所として猪熊八条のあった戒光律寺が前身。
応仁の乱で伽藍を焼失、一条戻り橋付近~三条河東と移ったが、
1645年後水尾天皇の発願によって泉涌寺の塔頭とされた。
地図を見ると、今でも猪熊八条などに戒光寺町と名を残している。
後水尾院のことを調べていて、こちらのお寺に縁の丈六釈迦如来があると知り
お参りさせていただいた。
泉涌寺の総門を入るとすぐにあるお寺で、
墓地には御陵衛士伊東甲子太郎らのお墓もある。

本堂に上がらせていただいて、運慶・湛慶親子の合作の丈六釈迦如来を拝ませて頂く。
寄木造りで、後背部を入れると約10メートルにもなる立派な仏さまであるが、
首の辺りからなにやら流れているように見える。
東宮時代に後水尾天皇が即位争いに巻きこまれ暗殺されそうになった時、
この釈迦如来が身代わりとなられ、その時ついたの血の跡と伝わっているらしい。
その後も事あるごとにお身代わりにたたれたので、なるほど、
後水尾天皇は歴代の天皇の中でも長寿と全うされましたね。

以後、「身代わりのお釈迦さま」と呼ばれ崇められてきたそうだ。
とくに、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」ご利益がある。
仏前には参拝者が頂けるお茶が用意されていて、
釈迦如来さまのご縁をいただけたらと私も頂戴した。
東福寺駅からだいぶ歩いたので、乾いたのどにはとても優しく甘い味がした。

境内には泉山随一という桜もあって、
泉山七福神の第二番、泉山融通弁財天も祀られている。
その弁天さまのそばに、素晴らしく大きな白い八重椿が沢山咲いていた。

名残の歌舞伎座 -36-

2010年04月16日 | 名残の歌舞伎座
一幕見自由席切符売場

今日あたり最後の幕見に行ってみようかとも思っていたが、
この天候不順のせいで、少し風邪をひいたみたいで断念…
おそらくもう行くことが出来ないかもと思うと急にさびしくなる。

若い頃はよく通わせて頂いたし、娘も学生時代歌舞研に所属していたので
ひと月のうち何度もお世話になった。

昔から行列に並ぶのはあまり好きではないが、
なぜかこの幕見席の切符を購入するために並ぶのは苦にならなかった。