先日のブログで触れた、東京スカイツリー天望回廊の入場券についてです。
天望回廊の入場券は大人、中人、小人、幼児用の4種類があります。
また、天望回廊入場券のデザインには3種類のデザインがあります。仮に名付けるなら、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンの3種類です。ですから、天望回廊の入場券は、全部で12種類に分かれると考えています。



これは、オークションで入手した入場券で、小人、幼児、大人券の3種類です。
デザインは、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンにきれいに分かれていますね。
私がこれまで天望回廊に登ったときの入場券です。










天望回廊に登ったのは10回です。このうち今年(2017年)の1月14日は『りぼん』とコラボした「特別企画入場券」を購入しました。
日時指定券の場合、4階のチケットカウンターで発券されるためでしょうか、天望デッキ入場券と同じ図柄になります。
残りの9回が、天望デッキで購入した天望回廊入場券です。全部同じ種類ですね。
天望デッキの入場券は6種類ほどありますが、毎回同じ入場券にはなりません。
天望回廊もランダムに入場券を配布しているとすると、9回同じ入場券ということは確率的にどうなんでしょうか。2万分の1くらいの確率になりますから、まずあり得ないですね。ランダムに配布するのではなく、何らかの「規則」を作っているのではないかと考えられます。
どのように入場券を配布しているのでしょうか。入場券には大人券、中人券、小人券、幼児券の4種類があります。デザインが1種なら問題ないのですが、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンの3種類がありますから、配布はかなり面倒になります。
チケットカウンターは複数箇所があります。並んでいるときに人数を聞かれるのは、案内するカウンターを変えるためでしょうか。空いたカウンターに案内されるので、そうとも思えないのですが・・・。
大人券だけに絞って考えてみると、1人の時は富士山バージョン、2人になると富士山バージョンと電車バージョン、3人の時はこれに隅田川バージョンを加える、といった「配布方法」が定められているのではないでしょうか。
これは複数人で購入したときに、同じデザインにしないための配慮でしょうね。それはそれで素晴らしいのですが・・・。
私は各種の天望回廊入場券を入手するために、当日券を求めて並んでいるわけですが、これはまったく意味のない行為なのかも知れません。
天望回廊の入場券は大人、中人、小人、幼児用の4種類があります。
また、天望回廊入場券のデザインには3種類のデザインがあります。仮に名付けるなら、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンの3種類です。ですから、天望回廊の入場券は、全部で12種類に分かれると考えています。



これは、オークションで入手した入場券で、小人、幼児、大人券の3種類です。
デザインは、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンにきれいに分かれていますね。
私がこれまで天望回廊に登ったときの入場券です。










天望回廊に登ったのは10回です。このうち今年(2017年)の1月14日は『りぼん』とコラボした「特別企画入場券」を購入しました。
日時指定券の場合、4階のチケットカウンターで発券されるためでしょうか、天望デッキ入場券と同じ図柄になります。
残りの9回が、天望デッキで購入した天望回廊入場券です。全部同じ種類ですね。
天望デッキの入場券は6種類ほどありますが、毎回同じ入場券にはなりません。
天望回廊もランダムに入場券を配布しているとすると、9回同じ入場券ということは確率的にどうなんでしょうか。2万分の1くらいの確率になりますから、まずあり得ないですね。ランダムに配布するのではなく、何らかの「規則」を作っているのではないかと考えられます。
どのように入場券を配布しているのでしょうか。入場券には大人券、中人券、小人券、幼児券の4種類があります。デザインが1種なら問題ないのですが、富士山バージョン、電車バージョン、隅田川バージョンの3種類がありますから、配布はかなり面倒になります。
チケットカウンターは複数箇所があります。並んでいるときに人数を聞かれるのは、案内するカウンターを変えるためでしょうか。空いたカウンターに案内されるので、そうとも思えないのですが・・・。
大人券だけに絞って考えてみると、1人の時は富士山バージョン、2人になると富士山バージョンと電車バージョン、3人の時はこれに隅田川バージョンを加える、といった「配布方法」が定められているのではないでしょうか。
これは複数人で購入したときに、同じデザインにしないための配慮でしょうね。それはそれで素晴らしいのですが・・・。
私は各種の天望回廊入場券を入手するために、当日券を求めて並んでいるわけですが、これはまったく意味のない行為なのかも知れません。