【緊急対談】赤尾由美さんに“絶対”聞きたいことがあります・・・・・ 【2024年新年スペシャル Lizzyチャンネル】
(三)天道の聖訓
天道では直接、神様から御啓示を頂く特典が許されています。
御神事の様式は一部宗教で催(もよう)している「霊媒(れいばい)」とか、或いは「巫女(みこ)」「扶機(フーチィ)」「イチコ」「ヨリキ」「御台(ごだい)さん」亦は心霊学研究のグループで行っている「霊言現象(トランス・スピーチ)」「守護霊(しゅごれい)」や催眠術(ヒプノコジ―)等による心霊界との暗示や連絡とは全然異なっています。
斯様な連絡法によって着いてくる霊は狐精(きつねのせい)とか狸精(たぬきのせい)、蛇精(へびのせい)の妖精類(アリーるい)か亡者、死霊等、低級な遊魂(ゆうこん)が憑(かか)るだけであります。
釈迦、弥勒、観音、達摩、キリスト、マホメッド、孔子、孟子、老子などのような過去に天命を受けた仏、仙、神、聖や菩薩の御霊はとても降臨できません。
天道ではこれらの神格のある仙仏は勿論、より以上の親神様である
老〇(ラウム)の親しい御降壇(ごこうだん)を年に五回も許されています。
普通、開壇の時が特別事情による請訓(せいくん)の時には天命を奉(う)けた神格のある神仏が啓示訓諭(けいじくんゆ)にあたられます。
御臨壇の時は天壇の前で天才と称する少年少女(完全菜食無我無念)の身体を使い、静かに砂盤(すなばん)の前に直立し両手で木筆(もくひつ)を軽く持って黙祷しますと、瞬間的に神様の御霊(みたま)が入れ替わり、左横書きに何人にも鮮やかに見て分かる文字で画き現わされます。
非常に速度は早く滾々(こんこん)と湧き出る泉の様に後から後から現われて参ります。
左横に立っている人才が早速声高に読み上げ、そのまた左横にいる地才が即座に書き留めます。
三才の合霊は丁度水の流れるように続けられます。
昼夜を問わず何時いかなる天壇でも御臨壇を仰がれます。
御神事の時間は仙仏によって一時間か二時間、或いは五時間、六時間も書かれます。
亦は一昼夜連続される場合もあります。
この様な有難い特典は古今東西を通じて天道にしか許されていないことを明言いたします。
この厳粛な飛鸞宣化(ひらんせんか:砂文字)に参列できる方は余程、御縁の深い人でないと許されませんが、貴方も是非一度このような感激の式典に参加したいとは思いませんか。
さぞ貴方の生涯にとって意義深いことと信じます。
もし生涯の記憶と神の真実を知りたいと望まれましたらお申し込みになれば開催時に招待して頂けます。
それは素晴らしい、有難い一言に尽きます。若し貴方に御縁が深く神様が必要を感じられた場合には個人的に指名されて、特に将来の進行方針を明示や暗示で導いて下さいます。
神様は私達の前途を見透され正しい方向へご指示を垂れ賜うのです。天道の伝道者は総て御神事による御聖訓に基づいて講和し且つ行動します。
御聖訓こそは現代に即応した生きた経書聖典であります。
人間の言葉ではなく直接、神様から賜った貴い訓諭の集録であります。
御聖訓を読んでいる間に言い知れない喜悦と希望が湧いてまいります。
人生の不可解なことも解明されます。
人間のことは言うに及ばず、大霊界(理天)の内情か事細かく窺(うかが)われます。
それに地獄界、幽冥界(ゆうめいかい)の凄惨(せいさん)や処刑、罰罪も明瞭詳細に記され、読む人をして目の辺りにその状況が手に取る様に分かります。
御聖訓を読むことによって各宗教の真髄も分かり、亦総ての宗教を超越した崇高な心持にもなれます。
雑念や煩悩に苦しめられている場合、静かに一章だけでもお読みなれば忽(たちま)ち消散(しょうさん)して清らな智慧の泉が湧いてまいります。
不正邪悪な心が起こった時、一節や一頁だけでも読まれますと、直ちに軽率な行為は矯正され未然に犯罪を防げます。
憤怒(ふんぬ)疑惑がある場合、十分間黙然するとすぐ氷解して感謝と信頼に変わってしまいます。
能力が集中して物事に正しい判断が得られます。
高尚な真理を読まれますから広い智力と偉大な才能が発達してまいります。
何時も絶えず読んでいると知らず知らずに私達の血となり肉となって、人格教養が段々高くなって行き、謙遜な心寛大な心を持つことができます。
自然に太古の聖人、尊者の様な気魄(きはく)と威厳(いげん)も具わって参ります。
迷っている時はこれによって光明の彼方に導かれます。
妙智慧が開かれますから記憶力が増進してきます。
斯様に御聖訓の力は真に絶大且つ尊厳なものであります。
絶えず人生の辛酸を受けている私達にとっては、どうしても即刻に確実な安心立命のご指示が必要です。
どうぞ常に天道の御聖訓を肌身離さず携帯して寸暇を割いてお読みなるよう勧めいたします。
必ずや肉体的の救いと永久に霊的な救いが得られることを固くお約束申し上げます。
続く
第五章 白陽の世界
白陽の世とは如何なる世であるか述べてみたいと思います。
未来一万八百年の事であるので一言にして述べつくせませんが、種々の御聖訓・御神示によって判明した分を組み立てて論点を絞ってゆきたいと思います。
白陽とはすなわち大同世界であります。
大同とは争いのない美しき道徳世界のことです。
末劫を終えた後にそれが実現されます。
その時の人々はみな人間として生まれ合わせたことを歓喜するでしょう。
生まれ出でた源を知り、帰るべき宿を知った人々は始めて己の実相を知り、真善美の姿に接して限りなく鼓舞するでしょう。
今の我々の頭脳と考えでは、とても想像できないほどの素晴らしい世界です。
人生最高の幸福をしみじみと味わう楽しい日々を迎えて悩みや煩いはなく、ただ希望と光明だけに満ち溢れた生活です。
人々はひたすらに修練に励み、ひとり一人が天職を尽くし、神から喜ばれる資格者になれるでしょう。
周囲に気兼ねなく、全身全霊を傾けて自己を磨き、より一層向上してゆけます。
我々の知識・才能は存分に活用され、人々から認められ、善徳者は尊ばれます。
貧富・貴賤の差別なく平等に扱われます。
天地はあらゆる人類の所有となり、好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由に交易ができます。
民族愛・国家愛は変じて人類愛・世界愛・生命愛となり、悪い方面に財力を消費せず、良い方面の施設が発達します。
天下は公のものですから、総て大事にしなければならない義務があります。
有能賢徳の人は、真っ先に選ばれて審議の道を推行し、曲がった道徳観念は一掃され、正しい情操感が体得されて、侵略・征服の野望心は芽生えなくなります。
表面だけではなく、真の心の和睦が得られ、人々はみな心と心が通じ合います。
老人・年配者はすべて自分の親と見なされて、孝養を尽くされ、子供・幼児はみな自分の息子・娘ともなされて愛着を受けられます。
みな妙智慧の開悟を得ているから正しい判断力を持ち、善意は認められ、悪意の人も浄化されてしまいます。
間違った考えを抱く人がいない為に行動についても誤解されることはありません。
智慧が増すから正確な聴力や思考を得られ、聞き違いやいい違いが生じませんから極解されることもありません。
人々は礼儀を重んじますが、決して虚礼ではなく、媚び諂いは通用せず、追従的八方美人型は醜く見られます。
妄想邪念が生じませんから心気の平和が得られ、真の安心立命が得られます。
天然採食が励行され、自然に順応した睡眠が摂られ、寝食ともに十分体のためになります。
恐怖不安がないから陰険冷酷な人にならず、罪と罰の連環作用がなくなります。
施しをした人は数倍の報酬を受けられるから良い行為は自然に盛んになり、軍隊はなくなり、刀槍干戈(とうそうかんか:武器)は庫に納まります。
暴力は許されず、暴力者もなくなるから武力での解決を必要としません。
お互いの気持ちが理解されるために、言葉の弁解を必要としません。
我欲・貪欲・利己的な考えは恥となり、だんだんと消え、悪徳者によって巨富を握る
者もなく、財力・勢力を誇る人は全く見られない存在となります。
彼我の区別をする必要もなくなります。
年功者は優先的に労りを受け、働ける人はそれぞれの適役に任用され、失業者・無職者もなくなります。
皆こころから奉職しますから喜々として不平不満を起こすことはありません。
少年や幼児は温かい養育を受けられるので、素直・純心のままで成長します。
悪の元となる環境・文化・施設がないので不良にならず、暗い家庭がないから憂欝や陰気の性格が生まれず、明朗天真な生活が営なまれますから、狡猾や悪賢い子供はいません。
鰥(やもお)・寡(やもめ)や孤児には、それぞれ完全な扶助が施されます。
廃残者・疾病者には十分の治療と慰安が受けられ、男子にはおのおの適性の士農工商の職務があると同時に、女子にも尽く(ことご)く衣食住の帰宿があります。
老〇様(ラウム)は男女を同じく数に造られていますから、おのおの縁に合った配偶者が得られます。
心から和合しますから離縁をする人がなくなります。
物品は人類生活の要素ですから、不要の物は徒(いたずら)に捨てられず適当に処理され、有用な物は活用され、貴重なものは大事に保管され、世宝として取り扱い収蔵されます。
自己の利益や貪欲のためばかりを追求するような加害行為は許されません。
事業に対する熱意と労力は当然尽くすべきですが、決して個人的・家族的のためではなく、天下共有のため、大衆享受のため心からなされるでありましょう。
皆、兄弟同胞としてお互いに敬愛し、長幼に序あり、夫婦敬うこと賓客のごとく、皆一致協力して人類福利のために至誠忠勤に励むことになります。
風俗は違っても美しさに変わりはなく、おのおの異なった文化の形態が尊重されて栄え、奸邪の策謀をする人がいなくなるから、詐欺横行の悪事は絶滅されます。
増悪・怨恨がないから殺害や放火その他、罪を犯す者もありません。
遺失物は拾われる心配はなく遺失者に帰ってきます。
不足・不満・不平の人がいないから、盗賊・痴漢の跋扈する理由がなくなり、上下和気靄々として諸事を運営して、独裁者・権力者のために苦しむことはありません。
暴虐者がいないから、暗黒に処刑される政事は行われなくなります。
夜間の外出にも恐怖がなく、門戸に鍵をかける必要もなく、就寝中も門を閉める必要もありません。
人類愛だけではなく動物愛にまで及んで生物を食する者もなく、動物はそれぞれ共に群れをなして栄えてゆけます。
偸み殺しのない世、貪りや争いのない世となります。
以上が白陽の大同世界であります。
「五風十雨」と言って五日に一回のすがすがしい風が吹き、十日に一回の適量な雨が降り、昼間は晴天で夜間は潤いを満たすに必要な雨が降り、天災は全く起こって来ません。
それは、人禍による原因がないからです。
白陽一万八百年の間は、このような時代が続くと御聖訓に示されています。
我々は御聖訓を帯して、この最高理想に向かって努力せねばなりません。
目的に達するまで貢献を惜しまず、礎(いしずえ)となり、白陽の青史に掲(かか)げましょう。
最後に、「道脈図解(どうみゃくずかい)」に記された白陽八卦図の詳細を訳して添付します。
「白陽八卦は天地の正気であります。開闢混沌(かいびゃくこんとん)を呂祖(りょそ)は、
『天地開闢は地支(十二支)の名を以て系(みち)とする』と言われました。原(もと)は四古に分けられ、
『亥・子・丑』を太古となします。
すなわちこれが混沌の分(世界が未だ成り立たずして天地の別がないこと)です。
『寅・卯・辰』を上古とします。
すなわちこれが混沌の化(天地成立し事物の分化発展すること)です。
『巳・午・未』を中古となします。
すなわちこれが混沌の関(天地万物が発育し純熟し事物が締め括(くく)られること)です。
『申・酉・戌』を下古となします。
すなわちこれが混合の合(天地万物が究極に至り一に合すること)です。
分・化・関・合の四古の数が尽きると未(ひつじ)の会の初めであり、否極泰来(ひごくたいらい)の時です。
一元の内に大なる三陽の運があります。
青陽・紅陽・白陽です。三会(白陽)に至って収円普度されます。
先天・後天とも末期の一着の果を証せられるのです。
気運がここに至って卦位(けい)が復(また)移りました。
故に東は坤(こん)、西は乾(けん)、南は離(り)、北は坎(かん)と変わりました。
時が至れば自然に娑婆の世界が改められ、蓮華の国となり、花々しい世が改められ清静の世となります。
人は仏面仏心になり、家々は夜も戸を閉ざさず、天下は一家となり、万国は一理をもって通じます。
賢と能は選ばれ、信を講じ、睦を修め、老には終わる所があり、壮年などは用いられるところがあり、幼い子は培われて長ずる所があり、鰥(やもお:妻のない男)・寡(やもめ:夫のない女)・孤・独廃疾者(はいしつしゃ:障害者)は皆養われる所があります。
これを大同世界といい、そのような大順(だいじゅん:大いなる正当)の景象は漸次至ってきます。
続き
六十三、人の三魂七魄(さんこんしちはく)と性
地点が同じくないばかりでなく、来処も又一様でない訳であります。
魂(こん)は肝に藏(おさ)まり、魄(はく)は、肺に藏まっていて、乃(すなわ)ち人のこの二気の霊は、気があれば則ち存在し、気が敗すれば則ち亡ぶものであります。
所謂(いわゆる)、不増不減(ふぞうふげん)・不垢不浄(ふこふじょう)にして、水に入りても溺れず、火に入りても焚(や)けないもので、房(へや)を換(か)えて主を換えぬものは真性であります。
故に魂魄の二字は、半分が鬼(き)の字になっており、性の字は向かって右から見れは生ずる心とあり、左から見れば直心(ちょくしん)を生ずるとあって、これが性の本来の姿であります。
本性(ほんせい)は玄関(げんかん)内に宿り、そして出づる事なく入る事なく、理により一身の務(つと)めをなしますが、世間では俗に心と言って、象(かたち)を指してこれを申すのであります。
故に道の字は、先に首の字を書くのであるが、首(はじめ)の一件(ひとつ)は大事な問題であるので、首(かしら)の上において功徳を行わなければなりません。(首はすなわち玄関の意味です)
続く
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