真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

第五章 白陽の世界

2024-01-16 20:05:27 | 天道の淵源

第五章 白陽の世界

白陽の世とは如何なる世であるか述べてみたいと思います。

未来一万八百年の事であるので一言にして述べつくせませんが、種々の御聖訓・御神示によって判明した分を組み立てて論点を絞ってゆきたいと思います。

白陽とはすなわち大同世界であります。

大同とは争いのない美しき道徳世界のことです。

末劫を終えた後にそれが実現されます。

その時の人々はみな人間として生まれ合わせたことを歓喜するでしょう。

生まれ出でた源を知り、帰るべき宿を知った人々は始めて己の実相を知り、真善美の姿に接して限りなく鼓舞するでしょう。

今の我々の頭脳と考えでは、とても想像できないほどの素晴らしい世界です。

人生最高の幸福をしみじみと味わう楽しい日々を迎えて悩みや煩いはなく、ただ希望と光明だけに満ち溢れた生活です。

人々はひたすらに修練に励み、ひとり一人が天職を尽くし、神から喜ばれる資格者になれるでしょう。

周囲に気兼ねなく、全身全霊を傾けて自己を磨き、より一層向上してゆけます。

我々の知識・才能は存分に活用され、人々から認められ、善徳者は尊ばれます。

貧富・貴賤の差別なく平等に扱われます。

天地はあらゆる人類の所有となり、好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由に交易ができます。

民族愛・国家愛は変じて人類愛・世界愛・生命愛となり、悪い方面に財力を消費せず、良い方面の施設が発達します。

天下は公のものですから、総て大事にしなければならない義務があります。

有能賢徳の人は、真っ先に選ばれて審議の道を推行し、曲がった道徳観念は一掃され、正しい情操感が体得されて、侵略・征服の野望心は芽生えなくなります。

表面だけではなく、真の心の和睦が得られ、人々はみな心と心が通じ合います。

老人・年配者はすべて自分の親と見なされて、孝養を尽くされ、子供・幼児はみな自分の息子・娘ともなされて愛着を受けられます。

みな妙智慧の開悟を得ているから正しい判断力を持ち、善意は認められ、悪意の人も浄化されてしまいます。

間違った考えを抱く人がいない為に行動についても誤解されることはありません。

智慧が増すから正確な聴力や思考を得られ、聞き違いやいい違いが生じませんから極解されることもありません。

人々は礼儀を重んじますが、決して虚礼ではなく、媚び諂いは通用せず、追従的八方美人型は醜く見られます。

妄想邪念が生じませんから心気の平和が得られ、真の安心立命が得られます。

天然採食が励行され、自然に順応した睡眠が摂られ、寝食ともに十分体のためになります。

恐怖不安がないから陰険冷酷な人にならず、罪と罰の連環作用がなくなります。

施しをした人は数倍の報酬を受けられるから良い行為は自然に盛んになり、軍隊はなくなり、刀槍干戈(とうそうかんか:武器)は庫に納まります。

暴力は許されず、暴力者もなくなるから武力での解決を必要としません。

お互いの気持ちが理解されるために、言葉の弁解を必要としません。

我欲・貪欲・利己的な考えは恥となり、だんだんと消え、悪徳者によって巨富を握る
者もなく、財力・勢力を誇る人は全く見られない存在となります。

彼我の区別をする必要もなくなります。

年功者は優先的に労りを受け、働ける人はそれぞれの適役に任用され、失業者・無職者もなくなります。

皆こころから奉職しますから喜々として不平不満を起こすことはありません。

少年や幼児は温かい養育を受けられるので、素直・純心のままで成長します。

悪の元となる環境・文化・施設がないので不良にならず、暗い家庭がないから憂欝や陰気の性格が生まれず、明朗天真な生活が営なまれますから、狡猾や悪賢い子供はいません。

鰥(やもお)・寡(やもめ)や孤児には、それぞれ完全な扶助が施されます。

廃残者・疾病者には十分の治療と慰安が受けられ、男子にはおのおの適性の士農工商の職務があると同時に、女子にも尽く(ことご)く衣食住の帰宿があります。

老〇様(ラウム)は男女を同じく数に造られていますから、おのおの縁に合った配偶者が得られます。

心から和合しますから離縁をする人がなくなります。

物品は人類生活の要素ですから、不要の物は徒(いたずら)に捨てられず適当に処理され、有用な物は活用され、貴重なものは大事に保管され、世宝として取り扱い収蔵されます。

自己の利益や貪欲のためばかりを追求するような加害行為は許されません。

事業に対する熱意と労力は当然尽くすべきですが、決して個人的・家族的のためではなく、天下共有のため、大衆享受のため心からなされるでありましょう。

皆、兄弟同胞としてお互いに敬愛し、長幼に序あり、夫婦敬うこと賓客のごとく、皆一致協力して人類福利のために至誠忠勤に励むことになります。

風俗は違っても美しさに変わりはなく、おのおの異なった文化の形態が尊重されて栄え、奸邪の策謀をする人がいなくなるから、詐欺横行の悪事は絶滅されます。

増悪・怨恨がないから殺害や放火その他、罪を犯す者もありません。

遺失物は拾われる心配はなく遺失者に帰ってきます。

不足・不満・不平の人がいないから、盗賊・痴漢の跋扈する理由がなくなり、上下和気靄々として諸事を運営して、独裁者・権力者のために苦しむことはありません。

暴虐者がいないから、暗黒に処刑される政事は行われなくなります。

夜間の外出にも恐怖がなく、門戸に鍵をかける必要もなく、就寝中も門を閉める必要もありません。

人類愛だけではなく動物愛にまで及んで生物を食する者もなく、動物はそれぞれ共に群れをなして栄えてゆけます。

偸み殺しのない世、貪りや争いのない世となります。

以上が白陽の大同世界であります。

「五風十雨」と言って五日に一回のすがすがしい風が吹き、十日に一回の適量な雨が降り、昼間は晴天で夜間は潤いを満たすに必要な雨が降り、天災は全く起こって来ません。

それは、人禍による原因がないからです。

白陽一万八百年の間は、このような時代が続くと御聖訓に示されています。

我々は御聖訓を帯して、この最高理想に向かって努力せねばなりません。

目的に達するまで貢献を惜しまず、礎(いしずえ)となり、白陽の青史に掲(かか)げましょう。

最後に、「道脈図解(どうみゃくずかい)」に記された白陽八卦図の詳細を訳して添付します。

「白陽八卦は天地の正気であります。開闢混沌(かいびゃくこんとん)を呂祖(りょそ)は、

『天地開闢は地支(十二支)の名を以て系(みち)とする』と言われました。原(もと)は四古に分けられ、

『亥・子・丑』を太古となします。

 すなわちこれが混沌の分(世界が未だ成り立たずして天地の別がないこと)です。

『寅・卯・辰』を上古とします。

 すなわちこれが混沌の化(天地成立し事物の分化発展すること)です。

『巳・午・未』を中古となします。

 すなわちこれが混沌の関(天地万物が発育し純熟し事物が締め括(くく)られること)です。

『申・酉・戌』を下古となします。

 すなわちこれが混合の合(天地万物が究極に至り一に合すること)です。

分・化・関・合の四古の数が尽きると未(ひつじ)の会の初めであり、否極泰来(ひごくたいらい)の時です。

一元の内に大なる三陽の運があります。

青陽・紅陽・白陽です。三会(白陽)に至って収円普度されます。

先天・後天とも末期の一着の果を証せられるのです。

気運がここに至って卦位(けい)が復(また)移りました。

故に東は坤(こん)、西は乾(けん)、南は離(り)、北は坎(かん)と変わりました。

時が至れば自然に娑婆の世界が改められ、蓮華の国となり、花々しい世が改められ清静の世となります。

人は仏面仏心になり、家々は夜も戸を閉ざさず、天下は一家となり、万国は一理をもって通じます。

賢と能は選ばれ、信を講じ、睦を修め、老には終わる所があり、壮年などは用いられるところがあり、幼い子は培われて長ずる所があり、鰥(やもお:妻のない男)・寡(やもめ:夫のない女)・孤・独廃疾者(はいしつしゃ:障害者)は皆養われる所があります。

これを大同世界といい、そのような大順(だいじゅん:大いなる正当)の景象は漸次至ってきます。

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