真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【第576回字幕あり】内戦が始まった?

2024-01-30 22:20:28 | ONEメッセージ

【第576回字幕あり】内戦が始まった?


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【Ray:米国の聖なる戦いが始まった!】The Green Leaves Of Summer

2024-01-30 21:26:12 | ONEメッセージ

The Green Leaves Of Summer


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2024年1月シフトチェンジ開始。創造的破壊を受け入れ高次元エネルギーを受け取って下さい。光のメッセージ

2024-01-30 18:30:37 | スピリチャルメッセージ

2024年1月シフトチェンジ開始。創造的破壊を受け入れ高次元エネルギーを受け取って下さい。光のメッセージ


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天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

2024-01-30 18:17:56 | 天道推奨

(四)各神仏の天道証明

天道はあらゆる人の所有であり、各階層の人の心とすべき存在であります。

殊(こと)に聖者、神仏にとりましては重要欠くべからず生命の糧であります。

茲(ここ)に四大聖人の天道証明を列挙(れっきょ)して御紹介いたしたいと存じます。

天道を得た各聖者もともに斯の時運に応えて道の闡揚(せんよう)に腐心(ふしん)なされておられます。

本訓は砂文字の様式に従って各地の仏堂に於いての御神示であります。

数多い御聖訓の中から特に含みの深い所を抜粋して意訳致しました。

不十分の処は訳者の不勉強に依る所でありますが、只、天界に於いての各聖者の主旨本願を現代の人々にも分かって頂きたいとの一念からであります。

どうぞ心して読まれ、人人にもお知らせ下さいましたら幸甚の至りに存じます。

尚、「釈迦古仏の御聖訓」はその全文を掲載いたしました。

(1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

仏眼を啓(ひら)いて衆々(もろもろ)の修行者を看(み)るに、多くは未だに仏道の根源をしらないようである。

暁(し)らないようである。

諸因縁を遠離(おんり)し、正覚に帰依し、波羅密多(パラミダ)、即ち彼岸へ至る道は今、眼前の間直に在る。

一人一人に皆、如来の菩提性(ぼだいしょう)が隠されて、一旦、妙智慧を得れば圓覚(えんかく)に照(かがや)いて罣礙(かかわり)や纏(まとい)が無くなるであろう。

十方界の中(内)は真理によって貫かれ、偉大なる老〇(ラウム)が統宰(とうさい)なさっておられる。

四大は皆(すべて)、空と化しても真如(しんにょ)だけは綿々として光輝くであろう。

仏と衆生は元来、異なる所はないが迷いと悟りが大きな分岐点になる。

身相(真相)や諸行は無常である理を知って意を和に帰し、心を発(おこ)して道を修め、玄を悟られたい。

徒(いたず)らに虚幻(まぼろし)や翳(かげ)や生滅(しょうめつ)に執着すると寂静(じゃく場)や阿羅漢果(あらかんか)を得られないだろう。

涅槃(ねはん)に入る門戸には明師の指点が必要で、無字真経(むじしんきょう)を授記(じゅき)されてこそ、始めて参ずることができるであろう。

この陀羅尼心法(だらにしんぽう)の無量無辺の義趣(ぎしゅ)を含み、諸々の悪法を捨離(しゃり)して無量の善法を保持する威神力(いしんりょく)を有している。

今までは独授(どくじゅ)の伝統を守って庶民化されなかったが、末法の世となり、天命降(くだ)って一般に其義(そのぎ)を了悟するのを許された。(中略)

私の天盤統掌(てんばんとうしょう)の時期は既に尽きて、弥勒仏の正法が新しく明らかに復された。

これは大慈大悲の天命に基づくもので群倫(ひとびと)は平等に智慧三昧(ちえざんまい)の妙証(みょうしょう)に潤うことができた。

法は法でも比類なき法でこの密語(みつご)を授かり、一念すれば大霊験が顕れよう。

如何なる禅機(ぜんき)よりも奥蘊(おくふか)く更にまた玄妙(げんみょう)である。

これを得れば極楽浄土を完璧にし、業縁を絶やし、四生と六道を離れ、非憂(ひゆう)と苦悩は滅されることであろう。

諸賢には果たして正しい四諦(したい)、五蘊(ごうん)の縁起がわっているだろうか。

天道は三世の因果を解き、妙智が現れて一切の邪見を失くし、六塵六慾を清浄にする。どうか外門を遠ざけて正道に帰せられたい。(後略)

続く


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第九章 道親諸賢への信書  前半

2024-01-30 18:16:27 | 天道の淵源

第九章 道親諸賢への信書

各地の伝道・修行に精勤なされている道親各位に信書を呈し、心から御苦労をねぎらいます。

縁あって天道の門に入り、師授の至宝をいただいたお互いの幸運を喜び、共に歩調をあわせて師命を遂行し、三曹済度・万国普伝の栄えある聖業に共に尽瘁(じんすい)できる我が身の光栄を感謝せずにはおられません。

過去前賢の払われた犠牲と心血の数々が現在の実績を築き、今の諸賢の労苦と努力がさらに大きな功徳となって、未来白陽の世に称賛され、満八百年間敬仰を受け続けることでありましょう。

三天の大事を果たすことは誰にでも出来ることではなく、その人を得て始めて完うできるのであります。

諸賢も選ばれて道を行ぜられる感激を深く抱き、比類なき任務を痛感し、誇り高い得道者に恥じないよう那挙止行動をなされることを望みます。

承け継いだ大任はさらに飛躍と拡張を計ると共に道務の充実に尽くして前進して頂きたいと存じます。

我々一人一人に十箇条の洪願があって始めて得道できたことを忘れてはなりません。

その願を深く自覚し、さらに人々に天人の理(ことわり)を明らかに説き、人々を地獄から理天へ、暗黒から希望へ向かわしめるよう、説論・勧化に精出すべき必要があります。

同じ時に得道をしても道義を悟って精進する者に加霊と進歩があり、迷執し怠惰する者は遅れて退嬰(たいえい:尻込み、引っ込みじあん)せざるを得ません。

天道には強制すべき戒律や掟(おきて)がなく、全く自由で無名・無位を誇りにしています。

形式に固執せず、ただ天性の発露に従って甘んじて法施に献身するだけです。

神様が全てを主宰し支配なさっておられますから、正しい行為ならば、人が知らず見えずとも周囲を意識すべきではありません。

人間は人間の善行・徳行に階級を定めて論功行賞を加えることはできません。

罪罰も然りであります。

被支配者が支配者的態度や立場になれないし、またなってはなりません。

すべてこの普度収円が終わり、三会竜華会(さんえりゅうげえ:三期収円の時老〇様の御前に於いて功徳に応じて、弥勒古仏によって論功行賞が行われ、封神せられる場所のこと)の時に至って過去二会(青陽・紅陽)の分も含めて、老〇様が弥勒祖師に命じて始めて総決算が致され、功罪の断定がなされるので弥勒祖師の出を待たなければ誰一人として口を開けて論ずる資格はありません。

人の至誠は必ず天に通じます。

むしろ功徳は形の上に顕れた面に少なく、深い信仰を持った人には意識感が全くないものであります。

ただ、得道者は伝道せねばなならないという使命感を強くすればよいと存じます。

人間本来の智能・実力に大差があるとは思えません。

自覚するや否や、やる気があるや否やにかかって物事が運ばれ、成就の遅速に繋がって来ます。

自分の心念がやらねばならないと自覚した時、またはそのような使命を感得した時は、実力の五倍も十倍も本願を発揮でき、逆にそれを忘却した時に半減し、成就できることすら失敗してしまいます。

どうか純粋な初志を貫いて天命に遵い、恩師が与えてくれた了願の機会に信頼を無にしないよう、強い自信を抱いて衆生の頑迷を打破し呼び起こしていただきたいのであります。

一人の人材として立派にその役割を果たすのに、自信と他信の二面性を心に刻む必要があります。

他信とは、自分の外の者が信じてくれることであります。

老〇様から信任され、恩師から信用され、人々から信頼される人であることです。

自信とは、自らが信じ、自らを信じることであります。

真理を探究し、妙玄を参悟して正しい信仰を確立することが肝腎です。

天命を信じ、天盤道盤の応運を疑わずに心深くに受け入れることが修行の基礎になります。

ただ、過信と不信、過大評価と過小評価の弊を避けるため、中を失わずに努力を続けるべきであると存じます。

己が道を深く悟れば別に道義を学ぶ必要はありませんが、人に説くのに他が知っている以上に知らなければ人を化せない不都合があります。

万人を感化するために万人の智慧を越す必要があり学ぶのであって、目的を忘れてはなりません。

なかんずく首要なのは至誠と熱心であります。

真心の伴なわない論理・論義は空虚の響きしかなく、天にも人にも通じません。

従って高邁(こうまい)な論理と説法のできる人であると共に、敬虔な信仰者・礼拝者であることが必要です。

老〇様を敬い尊び、師命を畏(おそ)れ従うと共に自らの脚下を固く踏まえて進むべきです。

自分に信ずる心が不足して一体誰が信じてくれましょう。

諸賢は今まで道務の宏展に少なからず奔走した以上に、今後も諸賢の立たれた足場を拠点として、それぞれの任務を展開し遂行されるでしょうが、特に同じ船に乗り同じ目的に向かっている道親間の団結を強く計ることに尽力して欲しいと思います。

共同運命帯を締めている我々に一人は東に漕ぎ、一人は西に漕ぐようではいたずらに船を遅らせるだけであって、他を置き去りにして自分だけでは進められません。

むしろ大目標に皆の視線を集中させ、向きを同じくし、心を協(あわ)せて全力投球されることが必要で、そのために常に近く親しく、相互に誤解を生じないように認識を深め、交誼(こうぎ)を厚くすることを望みます。

人の差し延べる手を待たず、自ら接近して融和を求め、溝が生じないよう務めるべきであります。

個々の能力と智慧に限度・限界があっても多数の結集した働きは無限です。

一握りの砂を投げても痛くないが、半握りの砂を固く石にして投げれば人の肉を破り血を流します。

善悪に依らず団結は恐いものであります。

群集心理は、善い方にも悪い方にも、向け方によって働きも変わって来ます。

悪い要素が主導権を握れば強い破壊力となりますが、至善の道への牽引力が強ければ輝かしい霊光が宇宙・人界に充満しましょう。

同じ一つの心で働きを分散すれば成就も大きく、一人では支え切れないような重圧・障害であっても皆が手を借して力となれば、軽減し消滅しましょう。

何種類かの生野菜を盛り合わせにして食べれば個々の毒素が相克して消えるのと同じく偏執な習癖も埋め合っていければ自然に浄化されます。

お互いに霊気の交流を近く繁くすることを提唱します。交わり合って磨くうちに新しい智慧、強力な霊能が急増して未知の経験を体得することができます。

続く


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