椿姫/MET18-19舞台撮影
作曲:ヴェルディ、指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マイケル・メイヤー
美術:C・ジョーンズ、衣裳 S・ヒルファーティ
出演:ヴィオレッタ:ディアナ・ダムラウ
アルフレード:フアン・ディエゴ・フローレス
ジェルモン:クイン・ケルシー
悲しげなメロディーを奏で、ゆっくりと始まる序曲は、やがて少し軽やかな美しくゆったりとしたメロディーに変わる。静かにこの序曲が終わると、さあ幕開けだ。
アルフレードがヴィオレッタに紹介され、しばらくパーティー参加者の会話が続き、そして乾杯の歌。アルフレードが詩を披露するという趣向なので、男声先、女声後。その後、合唱。その合唱団が退いて、アルフレードとヴィオレッタは二人きりになる。少し会話した後、アルフレードが口説きのフレーズを歌う。
Di quell amore che palpito.
引き続きヴィオレッタとの重唱。ヴィオレッタは最初は冷たくあしらうが、最後に花を渡す。アルフレードはルンルンになって帰る。ヴィオレッタは何故かうずく心に動揺して歌いだす。
E strano, e strano.
でも、そんなわけない、と、緩から急へテンポが変わる。
follie, follie.
そこからさらに明るい気分になって、
Sempre libera deggio, Follegiar di gioia in gioia.
と歌いだすが、途中、アルフレードの口説きのフレーズが舞台裏から聞こえてきて、ah とか amore とか声が出てしまう。でも、最後は不安と期待が一緒になって激しく燃え上がり、そして幕。
郊外のヴィオレッタの家で、アルフレードの短いアリアの後、二人のやり取りがあって、アルフレードが退場したあとにジェルモンが訪ねてくる。かなり激しいやり取りのあと、ほぼ重唱と言えるやり取りが続く。まず最初はゆっくりと
non sapete quale affetto
から始まる激しい葛藤。それが、
cosi alla misera
へつながり、さらに抜き差しならない感じになるけれど、その後半に一転、覚悟を決める。
Ah! dite alla giovine, Si bella e pura から始まる美しくゆったりとした歌が哀しく歌われる。ジェルモンに迫られて、覚悟を決める、ここが、このドラマの芯。
ヴィオレッタが可哀想。
この後、Siate felice addioまで劇的なテンポの早い重唱が続く。全体としてかなり長大な緩急の二重唱とも言える。
二人が退場した後、アルフレードに続いてジェルモンが登場し、若干の口論の後、プロヴァンスの海と陸が歌われ、再び口論となって二人退場となり、次のパーティー会場の場面に移る。
パーティー会場では、ジプシー風に続き闘牛士風の舞曲が演奏される。バレエを想定したもののようだ。続いて、不気味にリズミカルな合唱があり、全員退場の後、ヴィオレッタとアルフレードの口論があって、その最後にアルフレードがヴィオレッタに札束を叩きつける。ジェルモンが激怒した後に、
Alfredo, Alfredo.
と、ヴィオレッタがゆったりと美しく歌い始める。ここは合唱付の多重唱なのだが、あまりに美しく、それはあたかもヴィオレッタのアリアのような印象だ。でも最後は合唱が盛り上がって、幕。
病気の部屋でヴィオレッタとアンニーナのやり取りの後、手紙の朗読がある。演奏はアルフレードのDi quell amore che palpito。朗読の後、E tardi と激怒して、Attendo. Attendo と続く。最初は激して歌い始め、一呼吸後に、ゆっくりと
Addio del passato (過ぎし日よ、さようなら)
が美しく始まる。うっとりとする歌。この後パリの祭りの音がバンダで入って、さらに、アルフレードが飛び込んできて、美しく強力な二重唱が始まる。最期は、ジェルモン、アンニーナ、医者もそろってその場に立ち会う。
突然、ヴィオレッタが朗読調となり、痛みが消えた旨を叫ぶ。
聖母被昇天(Assunzione di Maria)
ダムラウは声が美しく強く、なおかつ芝居も良い。どちらかと言えば芝居を激しく集中してやっているのに声がまったく乱れない。演出もディテールにこだわった細かい演出だった。フアン・ディエゴ・フローレスも良い芝居だった。声は問題なし。クイン・ケルシーはやさしい感じのお父さん。やはり声に安定感がある。演奏は強力。
セットは背の高い壁があ使われ、その全面にツタのようなデコレーションが施されている。全幕、この壁が使われるが照明でまったく違う雰囲気を出していた。衣裳も豪華で、全体に豪華絢爛なオーソドックスな美術だった。
ヤニック・ネゼ=セガンがMET音楽監督就任後、最初に指揮した公演
19.08.16 東劇
作曲:ヴェルディ、指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マイケル・メイヤー
美術:C・ジョーンズ、衣裳 S・ヒルファーティ
出演:ヴィオレッタ:ディアナ・ダムラウ
アルフレード:フアン・ディエゴ・フローレス
ジェルモン:クイン・ケルシー
悲しげなメロディーを奏で、ゆっくりと始まる序曲は、やがて少し軽やかな美しくゆったりとしたメロディーに変わる。静かにこの序曲が終わると、さあ幕開けだ。
アルフレードがヴィオレッタに紹介され、しばらくパーティー参加者の会話が続き、そして乾杯の歌。アルフレードが詩を披露するという趣向なので、男声先、女声後。その後、合唱。その合唱団が退いて、アルフレードとヴィオレッタは二人きりになる。少し会話した後、アルフレードが口説きのフレーズを歌う。
Di quell amore che palpito.
引き続きヴィオレッタとの重唱。ヴィオレッタは最初は冷たくあしらうが、最後に花を渡す。アルフレードはルンルンになって帰る。ヴィオレッタは何故かうずく心に動揺して歌いだす。
E strano, e strano.
でも、そんなわけない、と、緩から急へテンポが変わる。
follie, follie.
そこからさらに明るい気分になって、
Sempre libera deggio, Follegiar di gioia in gioia.
と歌いだすが、途中、アルフレードの口説きのフレーズが舞台裏から聞こえてきて、ah とか amore とか声が出てしまう。でも、最後は不安と期待が一緒になって激しく燃え上がり、そして幕。
郊外のヴィオレッタの家で、アルフレードの短いアリアの後、二人のやり取りがあって、アルフレードが退場したあとにジェルモンが訪ねてくる。かなり激しいやり取りのあと、ほぼ重唱と言えるやり取りが続く。まず最初はゆっくりと
non sapete quale affetto
から始まる激しい葛藤。それが、
cosi alla misera
へつながり、さらに抜き差しならない感じになるけれど、その後半に一転、覚悟を決める。
Ah! dite alla giovine, Si bella e pura から始まる美しくゆったりとした歌が哀しく歌われる。ジェルモンに迫られて、覚悟を決める、ここが、このドラマの芯。
ヴィオレッタが可哀想。
この後、Siate felice addioまで劇的なテンポの早い重唱が続く。全体としてかなり長大な緩急の二重唱とも言える。
二人が退場した後、アルフレードに続いてジェルモンが登場し、若干の口論の後、プロヴァンスの海と陸が歌われ、再び口論となって二人退場となり、次のパーティー会場の場面に移る。
パーティー会場では、ジプシー風に続き闘牛士風の舞曲が演奏される。バレエを想定したもののようだ。続いて、不気味にリズミカルな合唱があり、全員退場の後、ヴィオレッタとアルフレードの口論があって、その最後にアルフレードがヴィオレッタに札束を叩きつける。ジェルモンが激怒した後に、
Alfredo, Alfredo.
と、ヴィオレッタがゆったりと美しく歌い始める。ここは合唱付の多重唱なのだが、あまりに美しく、それはあたかもヴィオレッタのアリアのような印象だ。でも最後は合唱が盛り上がって、幕。
病気の部屋でヴィオレッタとアンニーナのやり取りの後、手紙の朗読がある。演奏はアルフレードのDi quell amore che palpito。朗読の後、E tardi と激怒して、Attendo. Attendo と続く。最初は激して歌い始め、一呼吸後に、ゆっくりと
Addio del passato (過ぎし日よ、さようなら)
が美しく始まる。うっとりとする歌。この後パリの祭りの音がバンダで入って、さらに、アルフレードが飛び込んできて、美しく強力な二重唱が始まる。最期は、ジェルモン、アンニーナ、医者もそろってその場に立ち会う。
突然、ヴィオレッタが朗読調となり、痛みが消えた旨を叫ぶ。
聖母被昇天(Assunzione di Maria)
ダムラウは声が美しく強く、なおかつ芝居も良い。どちらかと言えば芝居を激しく集中してやっているのに声がまったく乱れない。演出もディテールにこだわった細かい演出だった。フアン・ディエゴ・フローレスも良い芝居だった。声は問題なし。クイン・ケルシーはやさしい感じのお父さん。やはり声に安定感がある。演奏は強力。
セットは背の高い壁があ使われ、その全面にツタのようなデコレーションが施されている。全幕、この壁が使われるが照明でまったく違う雰囲気を出していた。衣裳も豪華で、全体に豪華絢爛なオーソドックスな美術だった。
ヤニック・ネゼ=セガンがMET音楽監督就任後、最初に指揮した公演
19.08.16 東劇
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