二銭銅貨

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2001年宇宙の旅

2010-09-30 | 洋画
2001年宇宙の旅 ☆☆☆
2001: A Space Odyssey
1968 アメリカ、カラー、横長サイズ
監督・脚本:スタンリー・キューブリック
脚本・原作:アーサー・C・クラーク
出演:飛行士(残る方):ケア・ダレー
   飛行士(飛んで行く方):ゲイリー・ロックウッド
   月に派遣される博士:ウィリアム・シルベスター

冒頭は映像なし。オーケストラのチューニングのような現代音楽が長く響き続ける。MGMのマークに続いていきなりR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が出て、そして月と地球の向こうから太陽が昇り、ゆっくりとゆっくりと移動しながら最後には垂直に3つの星が並ぶ形となる。美しい。

J.シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」に乗せて、広大な漆黒の闇、宇宙のホールの中を青白く孤高に輝く宇宙船が、ゆっくりとゆっくりと回転してワルツを踊る。ウィーンの大ホールでクルクルと、つんとすましてワルツを踊る貴婦人たちや乙女たちのようだ。時間軸が違うだけで、美しい。

インターミッションでは画面無しで現代音楽が流される。休憩時間が明示されず、意外と早い再開だったのでトイレに行こうとしていた観客がゾロゾロ戻って来た。1人はかなり遅れて戻って来た。これがこの後の映画の展開に似ていて面白い。みんなHALにだまされていたんだ。

HALは可哀相だ。彼女は孤独だったし、つまんなかったんだ。地上のHALは人間が作ったものだったから、そっちには人並みの知能なんてものは無かった。だから一人ぼっちだったんだ。

当時も今も機械知能なんておこがましい話で、それができるまでにあと何百年かかるか分からない位だ。当時も今も人工知能とか機械知能とか言ってはいても、それは表面的なただのプログラムにすぎない。実は決まりきった事しかできない。チェスをする機械が教えもしないとんでも無いこと、たとえば、チェスのコマを鼻のアナに差し込んで相手を笑わせるとか、はできない。あらかじめプログラミングしておいたことしか出来ないのだ。

木星探査機のHALの方は、多分モノリスのいたずらか何か、あるいは何らかの意図があったのか、人並みの知能を得てしまった。だからとても寂しくなってしまったのだ。ちょっとしたいたずらにクルー達が本気で怒りだし、HALを絶命させようとするんだから、彼女が逆上したとしても同情の余地はあるんじゃないかと思う。彼女は人が遭遇した最初の人並みの機械知能で、なおかつたった1人の機械知能だったのだから。基板を次々と引っこ抜かれて、最後はBIOSにまで戻り、誤動作をし続けている彼女が哀れだった。

最後の白い部屋、月みたいな胎児、奇妙な終わり方だけれども、観客がどのようにでも好きなように解釈して良いよう感じられて楽しい終わり方だった。最後の白いトーンでまとめられた一連のシーンは塵1つ無い無垢の美しさに輝いていた。人間社会と違って、物理に支配された宇宙空間には数学的美しさがあるというのが、この映画の1つのトーンなのだろう。

日本では月の陰は「もちをつく兎」ということになっているけれども、イギリス方面ではそれは「胎児」だという考え方があるらしい。最後のスターチャイルドにはそのような考え方が反映されているのかも知れない。

ラストは映像なしの「青きドナウ」。これもかなり長い。

10.09.20 シネコン映画館(午前十時の映画祭)、過去にビデオ、TVで2-3回
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10国立劇場9月/良弁杉由来、鰯売恋曳網/文楽

2010-09-29 | 歌舞伎・文楽
10国立劇場9月/良弁杉由来、鰯売恋曳網/文楽

(第1部)
良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
 志賀の里の段
 桜宮物狂いの段
 東大寺の段
 二月堂の段

渚が文雀、良弁が和生。桜宮物狂いの段の花売りと吹き玉(シャボン玉)屋がこのせつない物語の間で踊る。明るい気楽な時間を作り出していた。ちょっとすました花売り娘が勘彌、快活で滑稽な吹き玉屋が幸助。シャボン玉を上手の作っていた。足で空気を送り込んで作るらしい。渚も良弁も優しい様子で特に良弁は優しい気持ちがよく出ていた。

志賀の里の段で八雲琴というのが使われた。ちょっと高音が強すぎてアンサンブルが良くないように感じた。


鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)

原作:三島由紀夫、脚色・演出:織田紘二
作曲:豊竹咲大夫、鶴澤燕三、振付:藤間勘十郎
補綴:国立劇場文芸課

 五条橋の段
 五条東洞院の段

猿源氏が勘十郎、蛍火が清十郎、海老名が玉女。蛍火の頭が現代的で美しい。ほっそりとした顔つきに短く切った鬘が良く似合い、活発でボーイッシュな感じを与えた。清十郎が使う凛々しい姿と良くあう。猿源氏が一目惚れするもの無理はない。髪型は唐輪髷、兵庫髷と言われるような男性的な髪形。猿源氏のほうも現代的な男性。いわいる草食系のナヨナヨ感がよれよれとうまく表現されていた。現代の恋愛の相を室町時代に映して描いた、かわいらしい恋愛劇。

もとネタはお伽草子「猿源氏草子」。

10.09.19 国立劇場
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魔笛/新国立劇場(二期会)2010

2010-09-18 | オペラ
魔笛/新国立劇場(二期会)2010

2010年上演
作曲:モーツァルト、演出:実相寺昭雄
指揮:テオドール・グシュルバウアー、演奏:読売日本
出演:パミーナ:増田のり子、タミーノ:小貫岩夫
   パパゲーノ:友清崇、パパゲーナ:鈴木江美
   夜の女王:安井陽子、ザラストロ:小鉄和広

パミーナの、
空間を強く切り裂くような、
美しいソプラノは、
きらきらする、
どきどきする、
青とみず色のドレス、
それはアニメのお姫様の衣装に、
良く似合っていた。
情熱的で美しいソプラノは、
強い正しいパミーナを良く表現していた。
このオペラの主柱だった。

タミーノは端正で礼儀正しく、
パパゲーノはおもしろおかしく、
パパゲーナは元気良かった。
ザラストロはまじめ風で、
夜の女王は高慢不遜な演歌歌手のようであった。

夜の女王は安井陽子で第1のアリアはちょっとこころもたなげな感じだったが、第2のアリアは強くて軽快、安定しているように思えた。すこし甘さがあるような声で、鋭く厳しいアリアがちょっとだけ優しくなっていたように感じた。

パミーナは増田のり子で全体に強くて美しい。ホール全部に響き渡るような声で、特にパパゲーノとの2重唱はアンサブルが良く、バリトンとは良く合うと思った。逆にタミーノのテノールとはいまいちの感じで、バランスが悪いように思ったが、しかしながら試練の場をぐるぐると一緒に2週廻った後にはすっかり合うようになっていて、最後には美しい2重唱になっていたように思う。

パパゲーナの衣装はピンクのアニメっぽい衣装で、こちらも可愛らしい。子供向けTV番組のような感じ。パパパの2重唱は子供体操のような感じで始まって、これも曲調に良くあった振り付けだった。

衣装はまんが家の加藤礼次郎で、パンフレットの絵も同様。様々な雰囲気の衣装で統一感に欠ける印象だったが、その方がこのハチャメチャで楽しい演出に合っていたのかも知れない。パンフレットのキャラクターを見ると、そのデザインは不統一な感じではないのだけれども、舞台での衣装はそんな印象だった。

指揮者が日本語で叫ぶ場面やプロンプターボックスとの数多くのやりとり、パパゲーノが首をくくろうとする木を寺田農がやったり、ぬいぐるみの怪獣たちやライトセーバーなど、いろんなものがごちゃまぜで楽しかった。

実相寺昭雄はウルトラマンの演出で知られた人で2006年没。
ウェッブによると2005/3/4-5に、二期会による新国立劇場オペラ劇場での公演があったようだ。

超楽しかった。

10.09.11 新国立劇場
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アマデウス

2010-09-17 | 洋画
アマデウス ☆☆
Amadeus
1984 アメリカ、カラー、横長サイズ
監督:ミロシュ・フォアマン、脚本:ピーター・シェーファー
出演:サリエリ:F・マーリー・エイブラハム
   モーツァルト:トム・ハルス
   コンスタンツェ:エリザベス・ベリッジ

常に飛びはねているかのように陽気で、
脳天気にふざけまくっている青年がトム・ハルス。
ヒマワリのような明るさで、あいくるしい、
太陽のような輝きの若い娘がエリザベス・ベリッジ。
F・マーリー・エイブラハムがこの映画の芯を担う、
通奏低音のような響きのサリエリ。
皮肉がまじり、苦悩がまじり、
老人サリエリの独白がすばらしい。

キャホキャホ言っているモーツァルトは本当にそんな人だったのだろうか?良くは知らないけれども、各楽曲が作られるプロセスを、多分今に伝わるエピソードと、また創作されたエピソードを交えながら、丹念に織り込んで製作された脚本で、オペラの劇中劇自体も面白い。特にシカネーダの一座のやる「ドンジョバンニ」は多分モーツァルトのもの以前のものだと思うけれども、当時の雰囲気があんなだったんだと思うと面白い。観客も一緒になって歌ったり、サプライズ満載の出し物がでたり、馬のケツから出て来たソーセージを観客に振舞ったり、今でもあるなら観客として参加してみたいものだ。

サリエリがモーツァルトの天才と自分とを比較して、自分が凡才の人々の中のチャンピオンだと言っているセリフが面白い。世の中の進歩にとって重要なのは確かに1人の天才ではあるけれど、実はその仕事は天才1人でできるものではなくて、幾百の凡才の群集があってはじめて可能なのである。つまり群集の基礎があって、ようやく1人の天才が活躍できうるのであるから、実は凡才の群集が重要なのである。建築物の土台のようなものであって、ちょっと人目につかないけれども最重要な役割をしているものなのである。だからその事をそれほど卑下しなくて良いと思う。ましてや凡才のチャンピオンなのであれば、もう少し自信を持っていい。

それにしてもこのような凡才のチャンピオンが、あのような天才に対峙したとすれば、確かに映画のような事になるのではないかと思った。サリエリがモーツァルトと格闘している、というのがこの映画の一面だけれども、同時にこの映画を作っていた人々もまた、天才モーツァルトと対峙して格闘していたんではないかと、つい思ってしまった。

見たのは2002年公開のディレクターズ・カット版。

10.09.05 シネコン映画館(午前十時の映画祭)
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生きるべきか死ぬべきか

2010-09-16 | 洋画
生きるべきか死ぬべきか ☆☆
To Be or Not To Be
1942 アメリカ、白黒、普通サイズ
監督:エルンスト・ルビッチ、
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ、
   エドウィン・ジャスタス・メイヤー
出演:妻:キャロル・ロンバード、夫:ジャック・ベニー、
   中尉:ロバート・スタック

ひねたギャグが満載、
イギリス式のユーモア、
脚本が面白い。
戦時のスパイものサスペンスに、
ハムレットの舞台がうまく織り込まれて、
構成がうまい。
監督がドイツ人で、
脚本もイギリス人かどうか分からないけれど、
イギリスの雰囲気が強いと感じたのは何故なのだろう。
ハムレットをベースにしているからなのか。

ナチスを徹底的に皮肉って笑い飛ばしているのは、
戦時映画だからだけれども、
戦意高揚のプロパガンダっぽい、洗脳的なものではなく、
皆が元気になれるような明るい快活な作りだった。

主演のキャロル・ロンバードはこの映画の完成の1週間後に航空機の事故で亡くなったそうだ。撮影は「雨の夜の慕情」のルドルフ・マテ。この当時はカメラをやっていたらしい。

10.09.04 シネマベーラ渋谷
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