goo blog サービス終了のお知らせ 

二銭銅貨

星の数: ☆良い ☆☆すごく良い ☆☆☆激しく良い ☆☆☆☆超激しく良い ☆☆☆☆☆ありえない

細雪(島耕二)

2009-10-31 | 邦画
細雪(島耕二) ☆☆
1959.01.14 大映、カラー、横長サイズ
監督:島耕二、脚本:八住利雄、原作:谷崎潤一郎
出演:轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子、川崎敬三、根上淳

ゆったりとして、いつもヒマワリのように明るい長女が轟夕起子。
ちょっと、俗世間的で打算的な次女が京マチ子。
すらっとしていて、超人的な清潔感の三女が山本富士子。
愛の煩悩に迷わず飛び込む、キリッとした四女が叶順子。

いくらか長回し目のカメラで動きが少なく、また音楽も少なめ。セリフの多いセリフ劇。役者の芝居を中心にした演出だった。

叶順子のぐらぐらした感じが、他の3人のしっかり者の娘と対照的。四者四様の性格の描写が楽しい。全体に生真面目な感じのトーンの中に、川崎敬三のユラユラした感じが良く映える。

真面目でしっかりとした構成だった。

09.10.11 新文芸座

人情紙風船

2009-10-28 | 邦画
人情紙風船 ☆☆
1937.08.25 PCL、白黒、普通サイズ
監督:山中貞雄、脚本:三村伸太郎、原作:河竹黙阿弥
出演:中村翫右衛門、河原崎長十郎

ドーッと降る雨。

闇に沈む寺の門らしき所。
佇む娘。
急な雨に慌てて傘を捜しに行く忠七。
ひょっこり現れる、
番傘を差した新三。

ドーッと雨に打たれる海野又十郎。
家老に相手にされず、
悔しい思い。
海野又十郎は浪人だ。

暗い重い印象と、
軽い明るい印象と、
それから、はかない紙風船。

戦後の様々な監督を思わせる印象を感じた。戦後の様々な監督に影響を与えたということなのだろうか。テンポが良くてリズムがいい。戦前のまったりした映画の中では先進的な演出だったのだろうと思う。

歌舞伎、落語の演目、「髪結い新三」をもとにしたもの。前進座のメンバーが数多く出ていて、加東大介も当時の前進座での市川莚司(えんじ)の名で出ている。若い時も歳とっても変わらない人だ。まるまるしていて気風がいい。

髪結いと言えば理髪師。新三にフィガロ。ちょっと似た所がある。両方とも調子がいいのが特徴。当時の床屋には洋の東西を問わず、そうした所があったのかも知れない。様々な人と話をする機会が多い職業だから、人の間に入って色々なことをするという事なのだろう。

09.09.27 NFC

荷車の歌

2009-10-27 | 邦画
荷車の歌  ☆☆
1959.02.11 新東宝、白黒、横長サイズ
監督:山本薩夫、脚本:依田義賢、原作:山代巴
出演:望月優子、三国連太郎、左幸子、左民子、水戸光子

長女役の左民子は左幸子の妹で、後の左時枝。
この長女は、元気良くて活発な小学生。強い。強い。
悪態をついている男の子と喧嘩しても、
押し倒しての圧勝で、男の子を泣かしている。

怖いお婆さんもなんのその。
悪態ついて逃げ回る。
お婆さんには捕まらない。
そのうち、お婆さんはつまずいてこけてしまう。
それでも、父さんには歯が立たないらしく、
後で木に縛りつけらっれてしまう。
平気。平気。
「一番ボーシみーつけた」とか言ったりして、
歌を歌ったりしていて、
全然こたえていない。

長じては左幸子が演じる。
娘時代から結婚後の時代まで。
勝気でしっかりした女性だ。
頼もしい。

望月優子が演じる農家の女性の半生もの。
様々なエピソードがそれぞれ良く描かれていて印象的。
苦しい事の連続だけれども歯を喰いしばって頑張るんだ。
旦那役の三国連太郎の爺さんが強烈。

09.09.20 川崎市民ミュージアム

清教徒/MET06-07舞台撮影

2009-10-26 | オペラ
清教徒/MET06-07舞台撮影

作曲:ベッリーニ、演出:サンドロ・セキ
指揮:パトリック・サマーズ
出演:アンナ・ネトレプコ、エリック・カトラー
   ジョン・レイリー、フランコ・バッサルロ、マリア・ジフチャック

クラッシクな演出で豪華なオペラだった。美術監督のインタビューでは30年前のプロダクションのものが使われているとの説明だった。

アンナ・ネトレプコがエルヴィラ、エリック・カトラーがアルトゥーロ、ジョン・レイリーが堂々たる体格の頼りになりそうな伯父さんのジョルジオ、フランコ・バッサルロが実直な感じの敵役のリッカルド、マリア・ジフチャックが囚われのお姫様。

このオペラのように歌うのをベルカントと言うらしい。それぞれの出演者がそれぞれしっかりと歌っていた。

ラジオ放送を同時にやっていて、そちらのゲストがベヴァリー・シルズだった。幕間にコメントするのだが、言いたいこと言っていて面白い。「どう芝居していいかわからない時は、ただ立ってアリアを一所懸命歌えばいいのよ」とか言っていた。この2007年1月6日の上演のあと、肺がんで7月2日に亡くなったようです。

09.10.09 東劇

マクベス/MET07-08舞台撮影

2009-10-24 | オペラ
マクベス/MET07-08舞台撮影

作曲:ヴェルディ、演出:エイドリアン・ノーブル
指揮:ジェームズ・レヴァイン
出演:マリア・グレギーナ、ジェリコ・ルチッチ
   ジョン・レイリー、ディミトリー・ピタス

白と黒を基調とした美術にちょっと赤、血の色、欲情の色。演出は時代を現代に移しているけれども、王冠だけを主役の2人がかぶる小道具として残していた。これが奇妙にミスマッチして何か意味ありげである。おそらく、絶対権力というものを象徴するものとして意図的に残したものではないかと思う。

ヴェルディはシェークスピアの物語に祖国解放のメッセージを込めているようだ。ヴェルディはイタリアが他国に支配されていた時期の人だそうなので、そのような開放運動的な側面を持っていたのだろう。演出家のインタビューの中で、最後の方の難民の場面は原作には無いものだと言っていたが、この場面や最後のフィナーレには祖国解放の熱い気持ちが表れている。演出家はさらにその場面を現代に置き換えて、幾分、現代の内乱やテロの時代の殺伐な気分も加えていたように感じる。シェークスピア、ヴェルディ、エイドリアン・ノーブルと3層に渡って別々の気持ちが塗り込められて作られた舞台だった。

ジョン・レイリーはバンクォー。堂々たる押し出しだ。マクベスに対する不審の眼がぎらぎらしている。マリア・グレギーナはマクベス夫人。インタビューでマクベス夫人を「とても純粋な人だ、本当は悪い人ではない。だって、最後は狂うでしょ。」という趣旨の発言をしていた。興味深い。マリア・グレギーナはパワー。マクベスが尻に敷かれれることに無理が無い。オペラの主役がソプラノということもあってなのか、原作よりもマクベス夫人に対するフォーカスがより強い。

3人の魔女が3人とたくさんのおばさんに変じていた。中に3人の少女。魔法の薬を混ぜ合わせるのに、何かを3人の少女が口の中に入れて、もぐもぐさせ、音楽にのってそれらを壺の中に吐き出していた。この悪趣味な演出は、いかにいも英国風ブラックな表現でおもしろい。しかし、なぜおばさん達なのだろう。「おばさん達とは、すなわち陰で指導者を操る魔法使いだ」と言いたいのか?

配役変更:マクベスがラード・アタネッリからジェリコ・ルチッチ、マクダフがロベルト・アロニカからディミトリー・ピタスに変更だった。

09.10.04 東劇