二銭銅貨

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テンペスト

2011-07-24 | 洋画
テンペスト ☆☆
The Tempest
2010 アメリカ、カラー、横長サイズ
監督・脚本:ジュリー・テイモア
原作:シェークスピア
出演:ヘレン・ミレン、フェリシティ・ジョーンズ
   ベン・ウィショー

絶海の孤島の空気、波、風は
現代の潮風を感じさせ、
ぎらぎらする光線は強くまぶしく、
厳しさ、現代の苛烈さを感じさせる。
ゆるやかなシェークスピアの時代ではなく、
忙しくて、ただただあわただしい現代の時刻。

ヘレン・ミレンのプロスペラは無表情。
遠くを見つめて無感情。
何を感じているのだろう。
昔のゆるやかな時代のプロスペロの芝居のことか。
あるいは今の時代の賑やかなまぶしさか。
いつの時代にも変わらぬ人間達の愚劣、
定見のない右往左往、
哀れな生涯、
いとおしく可哀相な人々の罪と罰。
孤島の岩肌は厳しく尖っていて残酷だ。

ヘレン・ミレンのプロスペラ、フェリシティ・ジョーンズの娘ミランダ、ベン・ウィショーのエアリアル、王子ファーディナンドの芝居が比較的抑えた地味なものであったのに対して、その他の登場人物がかなり派手な芝居をする対照的な演出になっていた。

ヘレン・ミレンの抑えた芝居、哀しそうな、優しそうな芝居が不思議で興味深かった。最後の最後、本が沈んで行くシーンも印象的だった。音楽は多彩で、良く映像にアンサンブルしていた。

11.07.17 TOHOシネマズ・シャンテ

マノン・レスコー/アベ・プレヴォー(青柳瑞穂訳)

2011-07-23 | 読書ノート
マノン・レスコー/アベ・プレヴォー(青柳瑞穂訳)

新潮文庫

主人公たちは純真で情熱的だけれども、現代の倫理観からすれば相当程度に不道徳。と言うより当時でもそうだったかも知れない。恋愛至上主義と言うか美人至上主義と言うか。

この物語の主人公のような美男美女には毒がある。その毒がしびれ薬、甘い蜜。この甘い蜜には悪党どもがすぐに群がり、悪徳がこそこそ忍び寄る。

とか理屈では分かってはいたとしても、やはり実際にマノンのようなのと化学反応を起こしたらグリュウみたいに簡単に崩壊してしまうのかも知れない。用心用心。

11.07.16

ファウスト/ゲーテ(相良守峯訳)

2011-07-18 | 読書ノート
ファウスト/ゲーテ(相良守峯訳)

岩波文庫

当時有名だったファウスト伝説を詩による戯曲形式で書いた詩篇。壮大なファンファジーを語る中に、社会批評や倫理的な理屈などの様々な事柄が記述されている。悪魔に魂を売ることによって普通じゃ出来ない色々な事にチャレンジできるようになって、様々なファンタジックな経験をする話。

11936行目、天使たちの言葉、「絶えず努め励むものを我らは救うことができる。」の部分は、訳者の注によると「ファウスト全曲のモットーともいうべき重要な文句」とある。

ファウストは魂を悪魔に売ることによって世の真理を窮めようとし、様々なチャレンジを絶えず励む中で、グレートヘンとの恋に落ち、その恋から彼女をして殺人を犯さしめ、地獄に堕とさせてしまうという罪を犯してしまう。このことが彼を苦しめるけれども、その贖罪を求めて第2部のファウストはずっと放浪を続けているようにも思える。

魂を悪魔に売るという事を倫理的に許されない事をすると言う意味に取れば、仮にそのようなことになったとしても、他人や社会のために、あるいは真理の追究のために、チャレンジし続けている経過の中でそれが起こったのであれば、最終的にはその罪は贖罪されるということなのだろうか。

チャレンジすると言うことは人間社会の進歩にとって必要不可欠な重要な要素である。しばしば無謀で無思慮なチャレンジが災厄をもたらすことがあるけれども、それは人類進歩にとって避けることのできない副作用なのだと思う。そのリスクを取ってチャレンジするということなしに進歩するということは、ありえないので、進歩するためにはチャレンジを絶えず努め励み続けなければならない。

進歩の副作用を恐れてチャレンジぜすに尻込みしていてはいけない。例え、それが魂を悪魔に売る行為だと人に言われようとも、それにチャレンジするような人が世の中にあっても良く、仮にそのような人でも最終的には贖罪される。極論すればそういうことなのだろう。

ちなみに、進歩とは言いかれれば環境に適応して生存し続けることを意味し、これは生物の生物たる由縁を表すものである。リスクを取ってチャレンジし続けるという事は生物の自然な性質でもある。

なお、本の中では地獄に堕ちたグレートヘンも許されて天国にいてファウストのために歌っている。

11.07.07

ランメルモールのルチア/MET10-11舞台撮影

2011-07-16 | オペラ
ランメルモールのルチア/MET10-11舞台撮影

作曲:ドニゼッティ
演出:メアリー・ジマーマン
指揮:パトリック・サマーズ
出演:ルチア:ナタリー・デセイ
   エドガルド:ジョセフ・カレーヤ
   エンリーコ:ルードヴィック・テジエ

狂乱の場のルチアとフルートとの2重奏はデッセイの声がフルートのようにも思えて、ここはフルートによる2重奏という趣き。そもそもこのアリアではフルートがだいぶ活躍しているようだ。引き続くカデンツァではデッセイの思うがままのコロラトゥーラが舞台を自由自在に駆け巡り、ルチアの狂気を陽気に快活に表現する。アルトゥーロの真っ赤な血の付いた白のウェディングドレスが似合う。

最後に幽霊になって出て来るデッセイは、まるで毒を含んで鈍く白く輝く宝石のように美しい。ゆっくりとした所作がルチアの強烈な執念と怨念を表す。幕切れのこの場面と、ルチアが1人幕の外にとり残される2幕目幕切れの演出は特別に良い。

エドガルドのカレーヤは良い声で素直な感じだった。エンリーコのテジエは迫力のある声量で、陰湿な感じの芝居、デッセイの拒否的な芝居と良く合っていた。ライモンド役のクワンチュル・ユンの声も良く通るバスで印象に残った。

11.07.03 109シネマズ川崎

ロメオとジュリエット/新国立劇場バレエ10-11

2011-07-09 | バレエ
ロメオとジュリエット/新国立劇場バレエ10-11

振付:マクミラン、指揮:大井剛史
曲:プロコフィエフ、演奏:東京フィル
出演:
ジュリエット:リアン・ベンジャミン
ロメオ:セザール・モラレス
マキューシオ:福田圭吾、ティボルト:輪島拓也
ベンヴォーリオ:菅野英男

ロイヤルバレエのリアン・ベンジャミンは安定した高速パドブレで快活なジュリエットを表現していた。パリスの求婚に答える、長いバックのパドブレは彼女のためらいを表しているようだった。足の踊りで主人公の気持ちが表現されている。リアンのトウは先の細い尖った印象で舞台の上を強く細かく動く。見たことは無いけれども、それはあたかも半導体ウエハー上の2本のプローブのようで、機械仕掛けのよう。活力にあふれキレが良く、てきぱきとしていて、そして踊るのが楽しそう。元気が良い。

モラレスはとても正直そうでまじめな感じ。チリ出身だそうだけれども東洋系にも見える。バーミンガムロイヤルバレエ所属。福田はまじめで快活なマキューシオだった。始終笑顔で印象の良いマキューシオ。踊りは軽快で爽快。輪島は重厚なティボルトだった。キャピュレット夫人のティボルトの死に対する嘆きの表現は、音楽の重厚さとあいまって迫力があった。キャピュレット夫人は湯川麻美子。

11.06.26 新国立劇場