ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

江川紹子さんの「オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚上、下」(新風舎文庫)を読む(1)

2008-01-13 16:53:26 | 






最近、江川さんのオウム裁判傍聴記を文庫版で読んだので、この本に触発されて、オウムなどいろいろ読みながら感じたことなど、気楽に書いてみたいと思います。
江川さんは、オウムウォッチャーとして有名である。タイム誌の1997年5月の日本特集号においても、「日本の未来の顔」の一人として選ばれている。
わたしが江川さんの本で最初に読んだのが、「救世主の野望」(教育資料出版会)であった。
そのころ、1992年ごろ、ある大学の学園祭でオウムの講演会が開催されることを知った。
その当時、その大学の近くに住んでおり、大学祭を見物にいったというわけである。
オウムはそのときまで、テレビの報道だけでしか知らず、あまりいい印象はなかった。
特に、坂本弁護士一家失踪事件が解決されておらず、オウムが犯人ではないのか、という思いを多くの人が持っていたのではないかと思う。
わたしも、オウムが犯人だとしたら、恐いな、という思いを持っていた。
しかし、1991年の朝ナマで幸福の科学と宗教討論会をやり、案外まともなことを語っていたので、関心はあった。
特に、上祐氏の語り口には、何か、日本人離れした論理性を感じた。
あとで分かったことだが、上祐氏は大学時代、今脳機能学者として有名になっている苫米地氏からディベートの指導を受けていたということだ。

そのとき、はじめてオウム教祖を間近で見たのであるが、第一印象はかなり太っているなあ、という感じだった。
宗教家という感じはしなかった。
その講演会で、教祖は1997年ハルマゲドン説をぶち上げた。
宗教家生命をかけるとも言っていた。
そのころは、まだまだ、ノストラダムスの大予言が影響力を持っており、ノストラダムスは1999年に大いなる艱難が人類に降りかかると予言していると五島勉氏らが、盛んに恐怖心を振りまいていた。
わたしも、五島氏の予言の本は出版されるたびに買い求め、ノストラダムスの予言は、ひょっとしたら当たるのではないか、という気持ちもないではなかった。しかし、それも、確固とした確信ではなく、心の奥深くにかすかにくすぶっていたという程度ではあるが・・・・。

それで、大学の講演会で教祖のハッキリとハルマゲドンの時期を確定した講演を聞いたとき、うーーん、教祖はまた思い切ったことを言うもんだなあ。
ほんまに、そんなヴィジョンを見たのかいな、それが当たるとしたら凄いし、恐いな、という思いも湧いてきた。
が、やっぱり、まあ、何というのか、宗教家特有の教祖のハッタリだろうな、と思い直すのであった(笑)。
その講演会で直接オウム信者と接したのであるが、案外、外部の人間とも冷静に論理的に会話ができるな、という感じを持った。
そんなに悪い印象ではなかった。
第一印象は良かったのである。
それで、オウムに興味関心が湧いてきて、その会場でもらった本、機関誌などを読み始めたのであった。
この教団の特徴は瞑想などの修行を全面的に打ち出していることだった。
結果の出ない宗教などやってもしかたがないではないかというのだ。
これは確かに訴えかけるものを持っている。
そして、人生の目標として、ハッキリと解脱悟りを置いていた。
こういう教団は初めて見た。
ハッと目が覚める思いがした。
現代日本人の平均的な考え方とはかなり異なる。
人間はいつかは必ず死ぬのであるから、死後も持っていくことができるものを身につけるほうが、価値があるのだ、というスタンスなのである。
たしかに、この姿勢は輪廻転生を前提とした場合、論理的だし正しいと思う。
随分、マスコミの報道とは違うなと思った。
そして、もう一つのこの教団の売りとして、自分たちは仏教の本当の教えを現代に甦らせているのだ、という主張であった。
わたしには、こちらのほうに魅力を感じたものだ。
それ以前に、阿含宗の桐山靖雄氏の本で日本仏教の堕落した姿に絶望的な感じを抱くようになっていたので、このオウムの正統的な仏教開祖ブッダの教えを求めていくのだという姿勢に大いなる共感を抱いた。

オウムは、また、布教活動の一環として、ロシアから日本向けのために日本語放送を、世界に向けて英語放送を行っていた。
わたしは、このオウムのラジオの宗教放送が面白くてたまらなかった。
教祖の説法も面白かったし、カンカーレーヴァタ師(杉浦実氏)のステップアップ真理というコーナーは、仏教の基本的な教義を実に分かりやすく説いていると思ったし、信者の体験談やオウムの音楽などもあり、いろいろバラエティーに富んでいて、三時間はそんなに長くは感じなかった。このときに録音しているテープはいまも持っている。

その講演会のときに、こちらの住所を教えていたので、道場から、近くで行われる説法会の案内が来たとき、好奇心から説法会にも行った。当然、入信を勧められたが、丁重にお断りした。その理由の一つとして、教団の本と同時に、江川紹子さんの「救世主の野望」という本も読み始めており、この本により、こちらが信者に接して受けた印象とはかなり違うので、おやおや、教団の実態とは、そんなにキレイナものではないな、と思い始めていたからである。やはり、外部の人間には、教団の内部の実態は、元信者などに取材しているジャーナリストなどの本も読まなければ分からないな、と思った。入信はしなかったが、ラジオ放送を聞いたり、オウムの本を読むことは続けていた。大体1993年はそんな感じだったが、1994年になると、ラジオは聞かなくなったが、オウムの本では、教団が出していたヴァジラヤーナサッチャという一般向けの雑誌を読んでいた。それは、宗教書というよりかなり時事的な、政治的な問題が語られていた。そんな時に起こったのが地下鉄サリン事件だった。1995年3月22日の強制捜査の模様がテレビ中継されていたとき、ヘリコプターから、教団の第七サティアンが映されたとき、ああ、そうだったのか、教団が警告を発していたハルマゲドンとは、自分たちでサリンを作って、それで自分たちが発火点となって、引き起こそうとしていたものだったのか、と、直観的に思った。この直観は事件の本質をかなり深く衝いているのではないかと今でも思っている。
(続きます)


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4 コメント

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ヴァジラヤーナサッチャ (yasu)
2008-01-15 01:15:03
ヴァジラヤーナサッチャには、江川さんも登場します。「瀬川瑛子」?だったかな。
悪徳ジャーナリストとして。(藁)

長野県筑摩市という架空の都市にサリンが撒かれるという内容でした。
たぶん、筑摩市=松本市だと思います。

それにしても、サリンを撒いた都市の名が、自分の本名と同じだなんて。
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ヴァジラヤーナサッチャ (ニルヴァーナ)
2008-01-16 08:31:20
毎回の特集はなかなか読ませましたね。
宗教にだまされるな、とか、
マインドコントロールについてとか。
日本はアメリカの属国であるとか。
なかなか面白かった。
やっぱり、河上イチローさんがメインライターだったからでしょうか(笑)。

特にわたしが愛読していたのが、巻頭言である、天野恵さんの「ヴァジラの言葉」。あれは、なかなか迫力があった。

しかし、本物の江川さんを実際に襲うというのは、オウムの本質を如実に示していたですね。ああいうことさえなければよかったのですが・・・・。言論に対しては言論で対抗すること、これが宗教団体の本来あるべき姿だと思います。
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亀ですみません (さくら)
2008-01-31 00:45:39
言論には言論を当然ですね。
そして密教ならば大まけにまけて呪殺でしょう。

ま、そんな活動する団体で真の幸福が得られるとも思いませんが。

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亀レス、大歓迎 (ニルヴァーナ)
2008-02-02 18:14:47
さくらさん、コメントありがとうございます。

やっぱり、煩悩にまみれた、自己の怒りを制御できない人間だったんでしょうね。

それにしても裁判でのあの醜態は、いかんなく本性を発揮したということでしょうか。

まだ信じているる人は、あれはグルのマハームドラーだと考えているのでしょうか。

あのような醜態を演じているのはグルはわれわれ弟子たちの帰依心を試しているのであり、最後まで信じきることが出来る人間こそが、解脱へと到達できるのだ、と考えているのかもしれません。

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