ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

10.16 中国大使館包囲!尖閣侵略糾弾!国民大行動

2010-10-17 02:18:43 | 憲法
10.16 中国大使館包囲!尖閣侵略糾弾!国民大行動


このデモにはネット上で参加しまた。
それにしても、このような大規模な、日本にとっても重要なデモを報じないマスメディア、特にNHKは、日本のナショナリズムがよほど嫌いらしいですな。

中国で起こった反日デモは詳細に報道するのに、このような日本の愛国的な、ナショナリスティックなデモは報道しないマスメディアは反日メディアといわれても仕方ないでしょう。

日本の反日メディアの今日のデモに対する姿勢には腹が立つが仕方ない。
まだまだ一大国民行動には至っていないということでしょうか。
まあ、10万人規模のデモになれば、マスメディアも報道せざるを得なくなるでしょう。
それも、この勢いだともうすぐだという気がします。
私のような団体行動が嫌いな人間でも、このようなデモには参加したいと考えているのですから、一度火がつけば、猛烈に盛り上がっていくことでしょう。

すぎやまこういちさんが作られた「頑張れ日本」という歌は元気が出てきます。
日本の準国歌にしてもいい。

【すぎやまこういち】「頑張れ日本」の歌[桜H22/6/10]

現内閣は新左翼政権か?

2010-09-05 14:13:14 | 憲法

チャンネル桜は今、ネット上で、静かに注目されており、かなり影響力を持つと言われています。その秘密は、タブーを廃し、真実を追究していくという、本来のジャーナリズム、メディアが持つべき使命を果たしていこうとしている姿勢にあるのではないか。このような貴重なメディアを先日の民主党の代表選のための共同記者会見の会場から排除してしまったようですね。
自分が気に入らないメディアは排除してしまえという民主党の本性が現れてきたということか?新左翼内閣なら、こんなことはさもありなんと思えるのであるが・・・・・・。まあ、こんなことも、小沢総理が誕生すれば、あっさり解決される問題だとは思うのですが・・・・。少なくとも、上杉隆氏の記事を読んでいる限りでは・・・・。小沢氏の目指すものは、官報複合体の解体にあるということで、従来の閉鎖的な記者クラブ制度などは真っ先に斬られる運命にある。だから、今、マスメディアは自己の既得権益死守のために必死で小沢批判をくりひろげているということなのでしょう。

■小沢一郎ネット会見

http://www.ustream.tv/recorded/9343315


さて、今回の桜の討論会は、民主党の内幕を暴露していて、なかなか参考になりますね。政治主導といっても、中身が新左翼的な、国家解体的なものであるなら大いに問題ありだなあ。まあ、
桜には、こんな「遊び心」があるのも楽しいところです。

1/4【討論!】こんなに楽しい!?共産主義[桜H22/9/4]

2/4【討論!】こんなに楽しい!?共産主義[桜H22/9/4]

3/4【討論!】こんなに楽しい!?共産主義[桜H22/9/4]

4/4【討論!】こんなに楽しい!?共産主義[桜H22/9/4]


昨日は憲法記念日でした

2010-05-04 17:05:41 | 憲法

新緑がまぶしい、爽やかな季節になりました。自然のたくましい生命力を感じます。憲法記念日にもかかわらず、なんだか憲法論議は盛り上がりませんね。
まあ、日本の経済が現在のような状態だと、憲法どころではない、ということでしょうか。
いや、こういう時代だからこそ、国家の基本の法である憲法を論じるべきではないか、という意見もありますが・・・・。読売新聞はこんな社説を掲げています。 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100503-OYT1T00009.htm

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八方ふさがりの日本。いま、憲法改正論議の暇(いとま)はない、と言う人は少なくないかもしれない。

Many people might say that with Japan in the economic and political doldrums, the nation cannot afford to spare any time or effort to discuss revision of the Constitution.

だが、こうした時だからこそ、国の統治の基本を定めた憲法の問題に立ち返ってみることが必要ではないか。

 But just because Japan is in such a feeble state, we wonder if perhaps it is all the more necessary to get back to the issue of the Constitution since it provides the fundamentals for governing the state.

政治や経済の危機的な状況を打開する一助になるはずだ。

Giving constitutional debate a push could help overcome the political and economic crises confronting the country today.

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やはり憲法九条でしょうか。
こんな憲法では、「国際社会」では、闘えないのではないか、というのが私の率直な意見です。
この屈辱的な憲法九条に対して、明確に「No!」と、反対表明しているのが、大川隆法氏が率いる幸福実現党ですね。 私は、幸福実現党の憲法改正案には賛成するところが多いですが、特に、この部分は、大いに賛同するところです。ここは、本当に明快ですね。さすが、大川氏は、オウムなどと違って「大人」ですな。

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原始仏教では、「人を殺してはいけない」、「戦ってはいけない」と説かれていますが、この両方の教えを守ると国が滅びるのです。そのために、釈迦族も滅びました。仏教のこの思想をそのまま実践すると、国家としては滅びる可能性が極めて高いので、これは中道に戻す必要があると私は見ています。
 少なくとも、「主権国家として自国を守る」という一線は、きちんと引くべきです。「日本の国民をさらうようなことは絶対に許さない」「日本の領土を勝手に占有することは許さない」という専守防衛的なところについては、国家として毅然とした対応をすべきです。

「国家の気概」127p~128p

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非常に明快ですね。
政治家もこうでなくてはなりません。
ちっとは大川氏を見習いなさい、と声を大にして言いたい(笑い)。
憲法九条の思想の根幹に流れているのは、大川氏も指摘しているように、原始仏教的な非暴力主義ですね。確かに、これは宗教思想としては妥当なのだが、この非暴力の思想がこの現実の世界に持ち込まれてしまうと、大いなる災厄をもたらすことになるのである。これが、普通の人間としての感覚なのですね。この現実の、現象世界には、警察は必要なのです。この当たり前の感覚を取り戻せていない人たちが日本に多いのも又現前たる事実なのですね。

何故なのか?

このあたりの原因を大川氏は次のように分析している。

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憲法九条の思想は、条文を読むかぎりでは、基本的に植民地思想です。それは、「軍事的侵略をして相手の国を占領したとき、その国の軍隊を完全になくしてしまえば占領統治には非常に有利なので、一切、軍隊を認めない」という思想に見えます。
 それを、憲法の前文では、哲学的、思想的に、いろいろ美化して説明しているわけですが、それも一種の占領思想、植民地思想であり、憲法九条そのものも、やはり植民地思想だと私は思います。

「国家の気概」(129p)

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憲法九条を「押し頂いている」人たちは、要は、占領軍のマインドコントロールにいまだにかかっているということなんですね。早く現実に目覚めなさいということなんです。でも、幻想の状態が気持ちいいんでしょうな。現実に目覚めたくない日本人はやはり多い。まあ、これもいたし方のないことではあるんですが・・・・・。

映画「マトリックス」の中に、次のような場面がある。

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モーフィアス なぜ君がここにいるのか教えよう。君はあることを知っている、だからここにいる。
 何を知っているのか説明できないが、感じはあるだろう。世の中の何かが間違っていると生まれてこのかたずっと感じてきた。それが何だかわからないが目の前に存在する。心の中のとげのように君を狂わせる。この気持ちが君を私のもとへと運んだのだ。私の言っていることがわかるかね?

ネオ マトリックスか?

モーフィアス それが何だか知りたいかね?
 マトリックスはあらゆるところにある。われわれを取り囲んでいる。今この部屋にもある。窓から外を見てもテレビをつけても見ることができる。仕事に行くとき、教会に行くとき、税金を払うとき、感じることができる。真実を隠すため目の前を覆っている世界だ。

ネオ 何の真実?

モーフィアス 君が奴隷だっていうことさ、ネオ。ほかのみんなと同じように君は生まれながらとらわれの身だ。匂うことも味わうことむ触れることもできない牢獄に生まれついた。精神の牢獄だ。

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奴隷にとっては、精神の牢獄のほうが気持ちがいいのである。
現実に目覚めるとは、「精神の牢獄」から脱却するということである。
だが、これは「精神の牢獄」の快適さに慣れ親しんできた奴隷にとっては、ここから脱却することは至難の業であると思いますね。
特に、ナイーブな日本人には難しいのではいかなあ。

ロバート・サーマン教授は「Infinite Life」の中で、このマトリックスについて次のように書いておられる。

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In inviting you to shift your perspective, I am similar to the rebel leader Morpheus in the popular movie The Matrix , when he offers Neo, his latest recruit in the battle to free humanity, a new perspective on life. Neo must choose between a red
pill, which will allow him to discover the truth, or a blue pill, which will return him to his ignorant, imprisoning, yet familiar reality. Like Morpheus, I am offering you a new way of looking at the world. Will you take the red pill or the blue pill? Will you choose to expand your concept of reality? Or will you choose to be "safe", to continue to live with your preconceived notions despite the fact that they may be false and thus will radically constrict your ability to impruve your situation and that of those around you?

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自民党など、綱領に自主憲法制定を掲げているにもかかわらず、どうも、改憲論議が湧いてこないようです。こんなていたらくでは、自民党に期待していた保守的な人たちが自民党を見限るのも仕方がない気がします。どこに遠慮、気兼ねしているのだろうか。

ところで、ビージーズのマサチューセッツはいいですね。ゴールデンウィークを利用して、帰省されている方も多いのではないかと思います。この故郷に思いをはせる歌でも聞きながら、この貴重なゴールデンウィークをゆったりと過ごしたいものです。

 Bee Gees - Massachusetts

 Massachusetts / The Bee Gees

Feel I'm goin' back to Massachusetts,
Something's telling me I must go home.
And the lights all went down in Massachusetts
The day I left her standing on her own.

 マサチューセッツに帰りたい気分だ
家に帰るべきだと何かが語りかけてくる
マサチューセッツのすべての明かりが消えてしまった
彼女を一人っきりにしたまま僕が旅立った日に

Tried to hitch a ride to San Francisco,
Gotta do the things I wanna do.
And the lights all went down in Massachusetts
They brought me back to see my way with you.

ヒッチハイクを重ねてサンフランシスコへ
自分のやりたいことを何でもやるために
マサチューセッツのすべての明かりが消えてしまった
明かりは君と歩んだ日々を思い出させた

Talk about the life in Massachusetts,
Speak about the people I have seen,
And the lights all went down in Massachusetts
And Massachusetts is one place I have seen.
I will remember Massachusetts...

マサチューセッツでの生活を語ろう
僕が会った人たちのことを話そう
マサチューセッツのすべての明かりが消えてしまった
そしてマサチューセッツは僕が訪れた場所のひとつになってしまった*
僕はいつまでもマサチューセッツを忘れないだろう


日本共産党の考え方

2009-05-05 21:08:55 | 憲法
日本共産党の志井さんも、オバマ核廃絶演説にはかなり刺激を受けていることが分かるスピーチです。
憲法九条の考え方はいかにも日本共産党らしい、「理想主義」が表れているという気がします。
この理想主義には私も共感を覚えるものですが、日本共産党には、日本の国体への感性が絶対的に欠けているということが、私の日本共産党に対する決定的な違和感です。

とはいうものの、日本共産党には、経済的弱者へのケアーという、日本共産党本来の使命を果たしてもらいたいものです。それで、十分存在意義はあるのではないか。

さらに、日本共産党が、核廃絶などや憲法九条死守などのような夢想的なことを言わずに、もっと現実感にたった、核武装や憲法九条改正など、日本人のナショナリズムに訴える政策を打ち出せば、この経済不況の時において、もっともっと広範な支持を得ると思うのだが・・・・・。蟹工船ブームなどにみられるように、共産党に期待が集まっているこの時期、もったいないなあ、と思うのは私だけだろうか(笑)。まあ、そこが、共産党の限界といえるのだが・・・・。

憲法集会での志位委員長のスピーチ(09.5.3)


核兵器廃絶問題でのオバマ米大統領への書簡 志位委員長の会見(09.4.30)




朝まで生テレビで日本の安全保障を討論

2009-04-25 05:17:00 | 憲法
今回の朝生は防衛問題を論じていたので最後まで見ました。
今回はなかなか面白かったです。
特に田母神俊雄(前航空幕僚長)さんと村田晃嗣(同志社大学教授)さんのやりとりは興味深かった。

田母神さんはまず核武装の意思をもたなければダメだ、すべてはそこから始まるというのに対して、村田教授は、どのようにして核武装をやっていくのかというハウトゥもなしに、意思だけもっても絵に描いた餅ではないか、と、田母神さんの説を批判していた。村田教授はもう初めからあきらめているのだ。この村田教授の考え方は日本の知識人によくある考え方の典型で、なにか、核というものを、非常に汚らわしいものとして忌み嫌っているのだ。だから、もう最初から結論ありきで、田母神さんのような考え方を持つ人に対して、高見からせせらわらっているような感じなのだ。これでは、もう最初から勝負はあったである。こんな軟弱な意思しか持たない国民や政治家の国家は強い国から搾取されるだけである。それでもいいというのなら仕方がないが・・・・・。が、最後のアンケートをみると、軍備増強や核武装論が上位をしめているのだ。国民もだんだんと、現憲法の矛盾に気が付いてきているということだろう。

そして、こんな村田教授のような頭だけの議論をしていても、日本の防衛問題は解決できないと思う。やはり、田母神さんが言うように、まずは日本は核武装するぞ、という意思を持つことなのである。防衛問題解決の前進のためには、まず、意思が大事なのである。これがないことには何事も始まらない。世界情勢は流動的なのだから、今現在の世界情況を固定的なものとして防衛計画を立てても、将来、どのように変わるか分からないのだ。だから、肝心なことは、日本は核武装するぞ、という覚悟を決めることである。

これは何も、好戦的になれといっているのではない。
村田教授が感銘していたオバマ大統領の核廃絶演説ともなんら矛盾することではない。世界の核廃絶といってみたところで、これは先の長い話なのだ。日本だって、無論、核廃絶の理想を持つべきだ。だからといって、日本が率先して今現在核廃絶の先頭に立つことはない。日本は落とされた国なのだから、日本は最後まで核を保持する権利を有する。日本の周辺国が皆核を持っているというのに、日本だけが核を持たないということは、核バランスの上からいっても、日本だけ不利益を被るのだ。核バランスを回復させるために日本が核を持つ。これは誰が考えても当たり前の考え方なのに、現憲法や東京裁判史観に洗脳されているためか、多くの人はこのからくりが見えなくなっている。そこはさすが、真っ当な歴史を勉強されて占領憲法や東京裁判史観の洗脳を解かれた田母神さんだからこそ、日本核武装論を決意すべしと述べられているのだ。

オバマが核廃絶をいうのなら、では、まずあなたの国からやってくださいな、お手並み拝見しましょう、というスタンスを日本を持つべきだ。それぐらいの思考の柔軟性を持たなければ。

日本 核武装のすゝめ ※1:38「ル」が脱字 3:35「核兵器は」→「核攻撃は」


日本はすでに「いつから核武装するか?」の議論をしている


日本に求められる核武装と覚悟 1/3




2006 東アジア安定のために日本の核武装を 『北朝鮮の核』 伊藤貫1/7





南出喜久治弁護士の日本国憲法無効論

2008-05-04 19:41:06 | 憲法


現行憲法は、憲法としては無効である、これは現憲法に対する私の基本的スタンスです。
では今の憲法は何なのか。
小山常実さんは、国家運営臨時措置法と考えておられる。
南出喜久治弁護士は、降伏条約群の中の、中間条約と主張されています。
降伏条約群の入り口条約はポツダム宣言受諾降伏文書調印であり、中間条約は占領基本法としての現行憲法であり、出口条約としてサンフランシスコ講和条約がある。
それで、これらの条約群において内容的に矛盾抵触する場合には、後法優先の原則によって後に締結された条約のほうに優先的効力がある。だから、
当然現行憲法の自衛権否定条項はサンフランシスコ講和条約第5条によって改正変更され否定された、と考える。

現在、この南出弁護士の憲法論は、最もラディカルで、最も正統的で、最も合理的だと思っています。
南出弁護士の無効論を知ったのは、一水会の現代講座に参加したとき、その時の参加者全員に、南出弁護士の本を贈呈されたときです。その当時は、なかなかこの本の中で展開されている無効論を理解するのはむずかしかったのですが、最近、ユーチューブなどで、南出弁護士の講演を聞くことができ、なんとか分かるようになりました。そして、この無効論こそ、現在行われている憲法改正論争に終止符を打つ、決定打だと思っています。

日本人はマインドコントロールにかかっている。
まずこのことを自覚してほしい。
オウム真理教の信者を笑えないですよ。
まだ日本国憲法は正統的な憲法だと思っている人は、自分たちは洗脳されているのだということをこの南出弁護士の講演を聞いて目覚めてほしいものです。
副島隆彦氏のいう「大きな真実」に目覚めてほしい。
もっとも、副島さんは、憲法九条擁護しておられますが。
だいたいおかしいではないですか。
憲法の原文が英文などとは、ふざけるのもほどがあると思いませんか(笑い)。

新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-1



新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-2


新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-3


新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-4


新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-5


新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-6


新無効論講義 日本国憲法とは何か!南出喜久治7-7






朝生感想

2007-05-27 14:13:49 | 憲法
もう「朝生」の役割は終ったのではないかと、この前の憲法討論会を聞いていて思った。
タブーに挑戦が、この番組の売りだったが、何の知的刺激、興奮も起きない。
そもそも、憲法無効論者を登場させないなんて、この番組の意味がないではないか。
これでは、わざわざ深夜、眠い目をこすりながら、見る価値はない、と思った。
優等生の議論など、聞いていても仕方がないでないか。
アホらし、というのが率直な感想ですね。
まあ、それでも見てしまうのは(途中で寝てしまって、録画したのを見直しているのですが)、ひょっとしたら面白い議論が展開されるのではないかという期待と、以前からの惰性です。

まあ、それでも、九条真理教徒の方々の信仰告白を拝聴できたことは参考になったということが今回の収穫でしょうか。

東京大学在学中に司法試験に合格された「カリスマ法律講師」伊藤真先生の九条擁護の議論は、現在の日本人の九条擁護をする人たちの根本の考え方でしょうね。

国家権力が、自分たちを戦争の巻き込もうとするのを防ぐ最も強力な防御線、楯、が九条だという考え方ですね。
自分たちは絶対に戦争などというアホなものに巻き込まれてたまるか、という願いがこの九条によって実現されているのだから、これは絶対に手放さない、ということでしょう。

たしかに、憲法には国家権力の不当な圧力から国民の権利を擁護するという機能を持っていることは事実でしょう。

では、国家の防衛はどのようにすればいいのか。
九条の発想からは国家の防衛、ひいては国民の生命の外国の侵略者からの擁護という行為はどうしても否定的なイメージでしか捉えられなくなってくるのは確かでしう。
これでは駄目だというのが、九条改正論者の意見なのですが、
いや、それでもいいのだ、というのが九条擁護者の考えですね。

国家の防衛などというものは、将来の理想世界の到来の暁には、不要になるべきものなのだから、国民の権利の擁護よりも、一段低いところに置いておくべきなのだ、ということでしょう。

まあ、これが、九条真理教の教義の核心だと思うのですが、

しかし、果たして、これでいいのだろうか。
私はそうは思わない。

窮状を救助し世界を宮城にする九条

2007-05-17 20:35:19 | 憲法
最近、いろいろなブログやサイトで憲法九条改正論議が盛んですね。

副島隆彦氏の「学問道場」の「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」に、副島氏の憲法九条に対する考えが書かれていました。

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副島隆彦です。 国民投票法が、国会で可決しました。
これは「法のケン欠」と言って、日本国憲法が、改正されることを予定していなかったものだから、法制度自体が不足したままになっていたのです。

国民投票法(ナショナル・レファレンダム、住民投票の国家版)が出来て、これでいよいよ憲法改正論議、すなわち、憲法9条の、とりわけ「第2項」の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。交戦権はこれを認めない」の箇所を、改正して、自衛隊の存在の現状、現実に合うように、改正すべきだ、いや、すべきでない、現行のままでいい、という激しい、国民的な議論です。

私、副島隆彦は、憲法9条改正反対 (改正阻止)の立場です。その方が、長い目で見て、騙されないで済むし、日本の若者たちを戦場で死なせなくて済む、という立場です。 「騙(だま)されてたまるか。民衆は、いつの時代も権力者たちや、外国の大きな力に騙されて、そして、ひどい目に遭ってきたから」という思想に立つからです。

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副島氏の立場は、鈴木邦男氏のような民族派左派のように思えます。私の考えは、現行憲法無効論で、憲法九条だけを変えるのは反対です。この考えは、副島氏の立場に一部似通っている部分があると思いますが・・・・・・。

鈴木邦男さんは、最近、ニューヨークへ赴かれて「憲法シンポジウム」に参加されて、アメリカの学者や映画監督、日本国憲法の起草メンバーの一人であるベアテ・シロタ・ゴードンさんなどと憲法論議をされたそうです。そのときの模様が、鈴木さんの「今週の主張」に書かれています。アメリカの人たちは憲法九条を評価する人たちですから、日本でいえば左派のような考え方の立場でしょう。
鈴木さんは次のようなことを語っておられます。

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では、ニューヨークの話だ。初めの「7分間スピーチ」の時に、「この憲法は一度、見直すべきだ」と私は言った。他のパネラーや司会者は全員、護憲派だ。1対4だ。でも、自民党のような、ただ「現実に引き戻す」ためだけの改憲には反対だ。そうも言った。
 60年前、この憲法を作った時は、それなりに理想や夢を持って作った。アメリカの押しつけだし、アメリカは日本で〈実験〉をしようとした。軍備のない〈平和国家〉を作ろうとした。「二度とアメリカに牙をむかないように」という意図はあっただろう。それと共に、もしかしたら、世界から軍備、戦争をなくせるかもしれない。そう思ったのではないか。ドイツ、イタリア、日本という「悪の枢軸国」が滅んだんだ。「戦争愛好国」がなくなったのだ。「平和勢力」が勝った。だからもう二度と戦争は起こらないし、軍備を捨ててもいい。もし紛争があっても国連が治めてくれる。
 …そう思ったのだろう。そういう夢や理想を持てた時代だった。だから、まず日本に「平和憲法」を与えた。この「偉大な実験」にならって、世界も見習うだろう。そう思ったのだろう。
 その現実や夢は分かる。だったら、アメリカ国民にもよく知らせ、納得させるべきだった。そして、「こんな素晴らしい実験をやった。よし、我が国も続こう!」と言えばよかった。少なくとも、核は廃棄しよう!そう言えばよかった。そうしたら、日本はこの「平和憲法」を素晴らしいものとして、永久に大事にしただろう。改憲運動なんか起きやしない。ところが、アメリカは強大な軍備を持ち、さらに拡張し、国連を無視して自国の利益を無理押ししている。これではいかんだろう。

 それに、こんなに素晴らしい「平和憲法」だというが、じゃ、アメリカで知られているのか。世界中で知られているのか。シンポジウムの時に聞いてみたが、ほとんど知られてないという。
 「いや、9条があるから、日本は軍隊を外国に出せない。立派なことだ、と支援している外国の人々が多い」と日本の左翼は言う。しかし、嘘だ。現実にはそんな声は、ほとんど聞かない。
 もし、そんな声があるなら、「私たちが出来ない理想を日本は実現した。どんなことがあっても軍隊を持つな。改憲するな!」という声が全世界で起こるはずだ。「アメリカの最大のプレゼント=憲法を改正するなら、もう日本とは国交断絶だ!」とアメリカ中の人民が言ってもいい。「せっかく持っている平和主義の理想を捨てるなんて許せない。戦前の軍国主義に戻るのなら阻止する!経済封鎖だ!」
 …という声が、アメリカだけでなく、世界に満ち満ちるはずだ。ところが、そんなことはない。当のアメリカでも、9条や日本国憲法は知られてない。これではいかんだろう。もしかしたら、日本に憲法があることもロクに知らんのじゃないだろうか。世界は日本の「夢」を知らない。「理想」を理解していない。 だからといって、日本が理想や夢を全て捨てていいとはならない。60年前は、理想や夢をもって憲法を作った。今、改憲するというのなら、それ以上の理想や夢があってやるべきだ。ないのならば、やっても仕方はない。又、自民党のような、理想や夢を忘れ、「現実」を追認するだけの改憲では意味がない。そう思う。

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鈴木さんのこの理想主義的な考え方は好きです。やはり、鈴木さんも生長の家の出身だけあって、どこかに、政治的な考え方を超えた、宗教的な理想が現れてきますね。まあ、そこに、理論的な荒さが出てきて、民族派陣営から批判されるのでしょうが、左の人たちとの論争を通じて、ご自分と相手の人たちとの違い、同じところもわかってきて、共闘できるところは共闘出来るし、共有できない考え方もある、という是々非々的なスタンスという柔軟な考えになってこられているようです。思想的にちょっとでも異なると、もうその人たちとは、絶縁してしまうというような硬直した姿勢はとらないということですね。学ぶべきところは学ぼうではないか、ということですね。私たちも、こういう寛容な心の養成は必要だと思います。このような相手の立場も認めていこうという寛容な柔軟な心、考え方こそが、この世界をより住みやすい世界にしていくことができるのではないかと思うのですけれども、なかなか人間は煩悩的な存在なだけに、どうしても暴力主義的になりやすい、ということでしょう。ブッダやキリストが現れて、三千年近く経とうとしているけれども、いまだに、世界から戦争が止む気配がない。いったい、これはどうしたことだろうか。生長の家創始者谷口雅春先生は、よく、こう言っておられたように思います。この地球上に生まれてくる魂というのは、ほとんどが、まだまだ霊的に幼い存在だから、この地球上で魂を磨く必要があるのだ。そのような霊的に幼い存在だから、そのような存在同士は、どうしても、ブッダのような非暴力的な高い境地に至ることはできない。だから、どうしても摩擦が起きるのだ。そのような経験を通して、霊的な学びが出来るのだ、そして、高い境地に達した魂は、もうこの地上には生まれてこない、特別な使命がある魂を除いては。・・・・・というようなことを語っておられたようです。なるほど、そういうことだろうな、と今現在も思っています。

鈴木さんは、「当のアメリカでも、9条や日本国憲法は知られてない。」と語っておられますが、アメリカでもこの九条の考え方に共鳴する人はいるんですね。大分前に、チャールズ M.オーバビー著『対訳地球憲法第九条』(たちばな出版)というアメリカ人で九条に心酔している人の本を購入したことがあります。翻訳者は同時通訳でも有名な人である国弘正雄氏です。この人は憲法九条をアメリカの憲法にも採用すべきだと、アメリカ憲法修正案を提示しています。たしかに、アメリカがこの九条を採用すれば画期的なことでしょう。が、それは、まだまだ先のことでしょう。アメリカはいまだに銃規制もできない国であり、建国の精神は自分の身は自分の身で守るという考えであるので、憲法九条の思想はとてもではないが、想像もできない、というのがアメリカの現状ではないかなと思います。憲法九条の考え方にたどり着くには、幾多の修羅場を体験していかなければならないということでしょうか。

たしかに、この憲法九条の思想は革命的なものであり、理想主義的な人ほど、この思想に感銘を受けるのでしょう。
鈴木邦男さんは『天皇制の論じ方』(IPC)の中で、「・・・・しかし、一般の国民にしてみたらそんな国際政治の現実を憲法に書いてもらってもしかたがない。そう思うのではないだろうか。もっと夢や希望や、世界に対して指標になる理想を高らかにうたいあげるべきだ・・・・・・そういう思いがあるのではないだろうか。それがあるから、「押し付け論」や「現実論」でもってしても「平和憲法論」に勝てないのだろう。最近ではどうもそんな気がする。」と述べられているのを読んで、長年、民族派として憲法改正論を訴えてこられた人の諦念といったものを感じました。普通の国民にすれば、戦争など無いにこしたことはないし、もし起こったとしてもそれには巻き込まれたくない、というのが本音でしょう。こういう率直な本音に憲法九条は合致しているから、これは手放したくない、ということでしょうか。つまり、こういうことではないでしょうか。憲法九条は戦争廃絶という理想主義にも合致しているし、戦争は嫌いだという普通の人たちの気持ちにも答えてくれていると。だから、なかなか憲法九条改正は出来ないのでしょう。

この憲法九条の非暴力主義は確かに、仏教の非暴力を彷彿とさせる宗教的文書という感じですね。
この非暴力主義を盛り込んだ憲法で最も格調高い憲法は、やはり「TIBET: A FUTURE VISION (チベット:未来へのヴィジョン) 」というチベット亡命政府のサンドン・リンポチェが書いた小冊子の中で政治理念が描かれている箇所ではないかと思っています。

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<政治について>
政治はいかなるものであるべきか。
まず、大事なのは、政治とは慈悲に導かれるものでなくてはならないということである。
仏陀の縁起の思想(一切のものは相互に深く関わり依存しあっているという哲学;相依生ともいう)から、一切の人は互いに無関心であってはならない、宇宙に生起するすべてのことに責任感をもたなくてはならないという理念が生まれる。
この理念を Universal Responsibility 宇宙的責任(人類各自が全世界に起こることに対して責任感をもつこと)という。
例えば地球の裏側で或る人々が苦しんでいるのは自分に全く関係のないことではない。因果の連鎖を見てゆくと、自分がその責任の一部を負っていることがわかる。
この宇宙的責任感から人は行動を起こさなくてはならない。人の不幸に無関心でありつづけることは許されない。
宇宙的責任感と慈悲の心とは表裏一体である。
慈悲とは「仲間の不幸を黙って見過ごせない気持ち」である。すべての人間が苦しむ生き物すべてに対して慈悲のこころを持たなくてはならない。
政治とは人々の慈悲の心によって、宇宙的責任感によって、指導され動かされるものでなくてはならない。

未来の政治は三つの主要な原則に支えられる:
1)真実
2)非暴力
3)真の民主主義
真実を歪めたり隠したりするような国家であってはならない。暴力を肯定するような国家であってはならない。真の民主主義が実現するような国家でなくてはならない。

政治の目的は、永遠の宇宙の法(ダルマ)に導かれて、公正で・人間的な暖かみのある・繁栄する社会を建設することにある。
理想の国チベットは、戦争に対して、平和のサンクチュアリー(保護区)でなくてはならない。
理想の国チベットは(唯物論的刹那的享楽主義つまり卑俗な物質主義に対して)精神主義 spirituality のサンクチュアリー(保護区)でなくてはならない。
理想の国チベットは、環境の清らかさのサンクチュアリー(保護区)でなくてはならない。
政治の目的は、そのような三重のサンクチュアリー(保護区)たる理想国家を作り、守ることにある。
政治の目的は、また、人間の永遠の理想である自由・平等・愛・美・慈悲・正義・非暴力・真実を体現する法律と体制を作り、守ることにある。

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やはり、憲法を創るなら、このような格調高い、読むだけで気持ちが引き締まってしまう(笑)理想主義的な文章でなければならないですね。

日本国憲法無効宣言

2007-05-04 16:47:24 | 憲法
ユーチューブに、憲法無効関連の映像が新しくアップされています。
渡部昇一先生の、「憲法改正という行為は、占領憲法に正統性(レジティマシー)を与えるから、駄目である」、というアピールは、日本国憲法の成立の秘密を知った、自主憲法制定の立場の日本人には、共通の考えになりつつあるのではないかと思います。この立場が、本来のあるべきスタンスだと思います。最も、「正統的」でしょう。まあ、クール(カッコイイ)なスタンスということです(笑い)。やはり、何をやるにしても、物事は、ラディカル(根源的)に、ということです。

そもそも、憲法原文が英文なんてものは、日本国憲法として「ニセモノ」である、と考えるのは、普通の日本人の感覚として当たり前だと思うのですが、そういう「当たり前」の感覚さえ、反動だ、右翼だ、などとと排斥されてきた戦後日本の言語空間は、まさに、洗脳された「閉ざされた思考空間」であったというべきでしょう。

昨日五月三日は憲法記念日であったので、憲法関連のニュースが報道されていたが、筑紫哲也のニュース23では、憲法特集として、憲法改正の問題点を、名古屋大学の憲法学者などが論じていた。この名古屋大学の研究者は、憲法成立過程に問題があったとしても、憲法の内容さえよければそれでいいではないか、と語っていたが、このような考え方の人は、改正派の立場の人たちの中にもいます。例えば、慶応大学の小林節教授。以前、小林先生の『憲法守って国滅ぶ』(KKベストセラーズ)という改憲の本がベストセラーになったことがあったが、この人の基本的な姿勢は、たとえ憲法制定過程に問題があったとしても、現憲法のほうが内容的に旧憲法よりも優れているから、手続的正当性よりも価値的正当性を強調する、というものだ。確かに、この考え方は、かなりの説得力を持っており、私も一時期、この考え方に影響を受けていた。

が、現行憲法には、やはり、占領軍が作ったものだけに、日本の国体が語られていない、という致命的欠陥がある。日本のあるべき国家像が明確に語られていない。この憲法の根幹部分を語るには、部分的修正では、どうにもならないのだ。第一、外国人の書いた憲法など気持ちが悪いではないか。私はこの当たり前の感覚を大切にしたい。日本の憲法は、日本の歴史、伝統を踏まえた日本人自身によって、占領憲法を一度ゼロにして、最初から、格調高い日本語で書かれるべきなのである。それが、真の保守の立場だろうと思います。

憲法無効論 渡部昇一・稲田朋美

改正反対・憲法廃棄論・藤原正彦

憲法「改正」とは言わないほうがいい