商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
死後の世界(他界、冥界)はあるのだろうか。もしあったとしたら、それはどのようなものなのだろうか。人類は、気の遠くなるほど長いあいだ、この問題を考えつづけてきた。そして、世界のあらゆる民族が、さまざまな他界観を育んできた。本書はインド人の死後観をひととおり垣間見ようとするもの。インド人の死後観は、ただインドの地だけに行われたのではない。それは、仏教を通して、アジアの広大な地域に伝えられ、大きな影響を与えた。日本もその例外ではない。もちろん、日本人の死後観は、インド人の死後観をストレートに受け継いだものではなく、日本の土着の死後観と複雑に混じりあって形成されたものである。しかし、日本人の死後観を語るとき、仏教を介してのインド人の死後観を無視するわけにはいかない。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4790290387/sr=8-1/qid=1241785407/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1241785407&sr=8-1&seller=
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インド哲学者宮元啓一氏先生のインド人の死後観についての本です。
この本で、オウム問題について考えさせられるのは、最後の、「自己責任思想と救済思想をめぐって」という付章ですね。
ここで宮元先生は様々なインドの宗教の救済思想を取り上げながら、救済思想の危険性について警鐘を鳴らしています。
この救済思想は、個人の動機さえ純粋であれば、どんな結果をもたらそうと、容認されてしまうから、結果的に、テロリズムの危険思想の温床となってしまうということなんですね。
個人の行為の最終的な責任を取るのが、その個人が信じる万能の絶対神であるからです。
オウムのポアの思想もこの救済思想の延長線上にあるといえるでしょう。
ポアされた人が、本当に、救済されたのか否かは、それは地上の人間には誰も分からない。
ただ、ポアされたのだ、と信じるだけである。
最終解脱者である麻原尊師の絶対の神通力によって、その個人の救済行為としてのテロによって亡くなった人たちはポアされたのだと信じているのであるから、恐いのである。自ら良き事、救済だと信じているのであるから、余計に始末が悪いのですね。
宮元先生は次のように警鐘を鳴らされている。
「宗教的救済思想は、人びと(学者も含む)によってしばしば積極的に評価される傾向にあるが、問題が多すぎる。自業自得の自己責任思想という、あまり人気はないが、きわめて優れた倫理思想を、救済思想は破壊し、かならずどこかで人びとに無責任思想を植えつける役割をはたすことに注意すべきである。」
この本が出版されたのは、まだオウム事件の影響が生なましく残っていた時期でしたので、宮元先生も、オウム事件の思想的背景にも、言及されたのだと思います。
この付章の締めくくりに、「ノーモア・オウムーー自己責任思想へ」と題して、次のように書かれている。
「社会的弱者の救済は必要であろうが、救済思想に凝り固まると、とんでもないことになりかねない。自己責任思想を中核にすえ、救済という課題を付帯的なものとして扱う智慧が、われわれには要求されているのではなかろうか。これは、オウム真理教のような救済思想の鬼子(鬼子であってもれっきとした子供)をけっしてださないようにするためにも必要なことである。」
George Harrison My Sweet Lord
内容(「BOOK」データベースより)
死後の世界(他界、冥界)はあるのだろうか。もしあったとしたら、それはどのようなものなのだろうか。人類は、気の遠くなるほど長いあいだ、この問題を考えつづけてきた。そして、世界のあらゆる民族が、さまざまな他界観を育んできた。本書はインド人の死後観をひととおり垣間見ようとするもの。インド人の死後観は、ただインドの地だけに行われたのではない。それは、仏教を通して、アジアの広大な地域に伝えられ、大きな影響を与えた。日本もその例外ではない。もちろん、日本人の死後観は、インド人の死後観をストレートに受け継いだものではなく、日本の土着の死後観と複雑に混じりあって形成されたものである。しかし、日本人の死後観を語るとき、仏教を介してのインド人の死後観を無視するわけにはいかない。
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インド哲学者宮元啓一氏先生のインド人の死後観についての本です。
この本で、オウム問題について考えさせられるのは、最後の、「自己責任思想と救済思想をめぐって」という付章ですね。
ここで宮元先生は様々なインドの宗教の救済思想を取り上げながら、救済思想の危険性について警鐘を鳴らしています。
この救済思想は、個人の動機さえ純粋であれば、どんな結果をもたらそうと、容認されてしまうから、結果的に、テロリズムの危険思想の温床となってしまうということなんですね。
個人の行為の最終的な責任を取るのが、その個人が信じる万能の絶対神であるからです。
オウムのポアの思想もこの救済思想の延長線上にあるといえるでしょう。
ポアされた人が、本当に、救済されたのか否かは、それは地上の人間には誰も分からない。
ただ、ポアされたのだ、と信じるだけである。
最終解脱者である麻原尊師の絶対の神通力によって、その個人の救済行為としてのテロによって亡くなった人たちはポアされたのだと信じているのであるから、恐いのである。自ら良き事、救済だと信じているのであるから、余計に始末が悪いのですね。
宮元先生は次のように警鐘を鳴らされている。
「宗教的救済思想は、人びと(学者も含む)によってしばしば積極的に評価される傾向にあるが、問題が多すぎる。自業自得の自己責任思想という、あまり人気はないが、きわめて優れた倫理思想を、救済思想は破壊し、かならずどこかで人びとに無責任思想を植えつける役割をはたすことに注意すべきである。」
この本が出版されたのは、まだオウム事件の影響が生なましく残っていた時期でしたので、宮元先生も、オウム事件の思想的背景にも、言及されたのだと思います。
この付章の締めくくりに、「ノーモア・オウムーー自己責任思想へ」と題して、次のように書かれている。
「社会的弱者の救済は必要であろうが、救済思想に凝り固まると、とんでもないことになりかねない。自己責任思想を中核にすえ、救済という課題を付帯的なものとして扱う智慧が、われわれには要求されているのではなかろうか。これは、オウム真理教のような救済思想の鬼子(鬼子であってもれっきとした子供)をけっしてださないようにするためにも必要なことである。」
George Harrison My Sweet Lord