ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

オウム、アーレフ問題理解のために(2)

2006-11-19 02:47:41 | 仏教
ちょっと、ここで、私が今まで読んで、参考になった本を挙げておきます。

江川 紹子 「救世主の野望」(教育史料出版会)
オウム事件発覚前から、オウムのいかがわしさを直感的にかぎつけて、オウムの未来は明るくないよ、と「予言」して、オウムに対する警戒心を決して怠ってはならないと警鐘を鳴らした先駆的な本。さすがタイム誌にもオウム問題の専門家として取り上げられただけのことはありますね。事件発覚前だけに、非常に価値のある本。この本によって、オウムに深入りせずにすんだ人も多かったのではないだろうか?(笑)

舛添要一「戦後日本の幻影<オウム真理教>」(現代書林)1995年8月19日
舛添氏は現在は国会議員だが、1995年当時は、国際政治学者の肩書きを持ち、メディアにも頻繁に登場していた。かつて東大教養学部助教授時代の教え子の中に、オウムに出家して事件にかかわった人間も出てきたことから衝撃を受け、なぜ、「ペテン師」「詐欺師」麻原に騙されたのか、その解明に乗り出す。
国際政治学者からの、戦後日本政治の問題点を指摘しながらの、オウム事件の分析、そして教育者としての視点からの、オウムを生み出した戦後教育の分析は、なかなか面白かった。やはりオウムは日本社会が生み出したのだ、というスタンスでオウムを考えていく著者の姿勢に共感を覚えるが、ただ、その分析はちょっと表面的ではないかという感じもする。

高橋英利「オウムからの帰還」(草思社)1996年3月22日
地下鉄サリン事件後、オウムのやり方に疑問を感じ、教団を飛び出して、その後テレビにも出演した元サマナの、オウムに入信する経緯や、在家信徒時代、サマナ時代、そして教団を飛び出す決意をした心境のことなどを書いた本。
オウムになぜひきつけられたのか、信者それぞれによって異なるのだろうが、理科系の頭の持ち主が、オウムの教義になぜ共鳴していくのか、そのあたりの様子がうかがえる本で、非常に興味深かった。高橋さんは、非常に真面目な人で、物事を根源から考えていこうとする人だ。だから、オウムにも惹かれたのだろうが、その当時の教団内の問題点も指摘されていて参考になった。

岩井軽「私が愛した「走る爆弾娘」菊地直子へのラブレター」(コアマガジン)1996年12月25日

岩井さんは、大学で特に仏教やインド哲学を専攻したわけではないが、ヨーガやインド思想に興味を持ち、大学時代ヨーガ道場に通ったり、佐保田鶴治氏の本などを読んでいた。であるから、知人から紹介されたオウムの教義にもなんの違和感もなく、すんなりと入っていけたという。
出家直前、あの地下鉄サリン事件に関与したとして指名手配されている菊地直子さんとマンションの一室で「共同生活」もしていた。そのあたりの様子も興味深いが、特に面白かったのは、オウムに出家して、サマナとして教団のワークをやっていくうちに、経験したオウムの、一般的な常識からはずれたトンデモ世界が描かれていることだ。岩井さんの言葉によれば、「麻原教祖のセオリー無視を決め込む非常識な態度が反映されたいる」結果ということになる。このセオリー無視のために、地域住民とのトラブル起こるのだが、なんせ、オウムでは、修行第一であるから、外部の世界に対する思いやりが徹底的に欠けていたことがこのトラブルの原因なのだということが、この本によっても分かってくる。

オウム、アーレフ問題理解のために

2006-11-19 00:23:51 | カルト
最近、藤原新也さんの「黄泉の犬」を読んだ。
なぜ、オウムがあのような事件を起こしたのか、興味深い視点が提示されたように思います。
この本については、後で、また、じっくりと感想を書きたいと思います。

もう一冊、これは、最近の朝日新聞の本の広告欄で知ったのですが、第四回開高健ノンフィクション賞受賞作品、地下鉄サリン事件実行犯豊田亨被告の東大大学院時代の友人である伊東乾氏著「さよなら、サイレント・ネイビー」(集英社)が面白そうですね。まだ読んでいませんが、読んでみたい本の一冊です。
この朝日の広告欄には、選考会委員の感想が載っているのですが、
佐野眞一氏「これほど知的興奮を覚えた作品は近頃珍しい」
筑紫哲也氏「この国に通低する病理を描いて行く。その謎解きが見事。」
というような、絶賛ですね。これだけの評価があれば、オウム問題に関心を持っている人間としてはやはり無視するわけにはいきません(笑)。
まあ、筑紫さんが評価しているということ、そして、この作品はかつて戦争に突入した時代の国民の間の空気をマインドコントロールととらえ、それについても論じているということなので、この部分は、私にとっては、かなり反発を感じるのではないかという予感がするのですが、かつて同じ教室で学んだ伊東さんの親友がなぜ地下鉄サリン事件の実行犯になってしまったのか、渾身の力を振り絞って書いた本だそうですので、オウム事件解明のために非常に有益な視点が学べるのではないかと思っています。


ロバート・サーマン教授のダライラマ法王論

2006-11-09 19:58:55 | ダライラマ
前回に引き続いて、ダライラマ法王来日中ということもあり、チベット仏教研究者ロバート・サーマン教授が、タイムアジア版に寄稿した記事を、以前、訳したことがありましたので、それをここに載せます。 原文は↓のURLにあります。

 http://www.time.com/time/asia/asia/magazine/1999/990823/lama1.html

 ◆ダライ・ラマ法王略年譜
 1935年7月6日、アムド地方で生まれる。
 2歳の時、ダライ・ラマ14世と認定される。
 1950年、宗教上政治上の全権を賦与され、中国とチベットの主権をめぐり、交渉開始する。
 1959年、8万人のチベット人と共に、インドへ亡命し、ダラムサーラにチベット亡命政権を樹立する。
 1987年、「五項目チベット和平案」を提案。
 1989年、ノーベル平和賞を受賞する。

中国共産党の軍隊による侵略により、祖国チベットから余儀なく脱出せざるを得なかったが、微笑を絶やさないチベット仏教の僧侶は、平和の主唱者として、何百万人もの人々の魂を鼓舞し、全世界にチベットの窮状を訴えている。

 最近、CNNを見ていたら、突然、現地時間早朝4時のダラムサーラにあるダライラマの書斎や瞑想ルームに連れていかれた。私はダライラマを30年以上にわたって知っているが、そのような早朝に、そういうプライベートな場所で、彼と一緒になったことはない。

 だから、ダライラマが瞑想をしたり、朝の祈りの言葉を唱えたり、時折あくびをしたりして、カメラから何も隠さずに行動している場面を見て興味 をそそられた。ある場面では、撮影の合間に、撮影者に何をしているのですかと尋ねられたとき、ダライラマは、「モチベーション(動機)を作っています。」 と答えた。何ですって?、と質問者。ダライラマ答えて曰わく、「一日の活動のための、私自身のモチベーションを形作っているのです。」

ダライラマは現在64歳(1999年当時)であるが、60年に及ぶ研究、修行、そして知的、霊的達成の後、自己の日々の考えや言葉や行動が、自分のまわりのすべての生き物の利益になるように、利他的なモチベーションを高めている。

 一体何がダライラマをこんなに興味深い人間にしているのだろうか? 何故世界中の人々が、いまだに国際社会から認められていない亡命政府と600万人のチベット人の頂点に立つ、一介の仏教僧侶のことを心配するのだろうか? たぶん、ダライラマが外交官であり、ノーベル平和賞受賞者であり、非暴力の主導者であり、地球的な責任感という考えの唱道者であり、彼が、「われわれの共通の思いやリのある、人間の宗教」と呼んでいるものの偶像であるからであろう。

 わたしたちは現在、極端なパラドックスの時代に住んでいると言える。技術は大衆によりたくさんの情報を与えるが、彼らが目にする事態のまえ で、自分たちの弱さを痛感する。病人や傷ついた人々への介護はより洗練されてきているが、狂信者の残虐な行為はより暴力的に荒れ狂っている。われわれの環 境を改善させるための知識や機械装置のパワーは限界を知らないにもかかわらず、わたしたちの地球の破壊は容赦なく続いている。このような種々の絶望的な状 況の中で、ダライラマは、異次元の文明から、はるかな高地から、そして、非常時における静寂の、苦悩時における辛抱強い忍耐の、混乱時におけるユーモアの ある知性の、切迫した破滅に直面した状況のなかでの不屈の楽観主義の、生ける手本として、わたしたちの前に現れた。

ダライラマは1935年7月6日、チベット東北部にあるアムド地方(現在中国の領土の一部)の農家に9番目の子供として生まれた。2歳の時、偉大なる精神 的指導者、ボーディサットヴァの14番目の生まれ変わりとして認定された。16世紀に、この偉大な精神的指導者の三回目の転生のとき、モンゴル王によって ダライラマという称号を与えられ、1642年には、ダライラマ五世は、チベットの政治と宗教の統合者の座に就いた。

 生まれ変わりの思想はチベットの社会では、非常に重要な役割を果たしている。仏教の僧侶が統治するチベットでは、正統的な支配者の地位は、特 定の氏族による世襲制度ではなく、輪廻転生思想による活仏制度によって決定されるからである。歴代のダライ・ラマは、チベットを、賢明に平和に300年以 上の間統治してきて、チベット人から深く敬われている。ダライラマは西洋のジャーナリストからgod-kingと呼ばれるときがあるが、これは間違ってい る。チベット人は、ダライラマの人間性、僧院における戒律の厳守、知的、霊的達成に絶対の信頼を寄せており、ダライ・ラマを僧侶の王と考えている。ダライ ラマの制度の誇るべき点の一つは、ダライ・ラマに選ばれた人間は、みんな貧しい家柄からの出身であり、あたかもプラトンが理想と考えた哲人王を養成するた めに考案されたかのような、厳格な規律の下で教育されたことである。チベット人は、悟りを開いて統治するために、その統治者に対して、高い基準を設定し た。

 私が、1960年代の初めのころ、ダライラマと初めて接触し出した時、 彼はインドの北西部のダラムサーラで5年目の亡命生活を送っており、 ちょうど29歳だった。ダライラマは現代世界の中へと歩み出し始めて いたが、その間も出家修行者として、仏教哲学や霊的修行の研鑽に いそしんでいた。彼は勇敢に亡命チベット人社会のための責任を引き 受けていた。そしてチベットを追い出された人たちが再び自分たちの 国へ戻ることができるよう世界中に働きかけていた。チベットは中国の 軍事占領下にあり抑圧されており、毛沢東の暴力的な政治的、文化的 革命によってもたらされた混乱の中で苦しんでおり、その間に、100万 人以上のチベット人が生命を失ったにもかかわらず、世界から無視さ れていた。

その当時、私はこのような出来事に全く注意を払っていなかった。 というのも、私は若すぎたし、僧侶になろうと一生懸命だったからで ある。私はその当時、毎週法王のもとへと訪れて仏教について質問 した。そのとき、法王は私に西欧に関する事柄についてたずねてきた。 私は、カント、フロイド、ユング、ライヒ、アインシュタイン、ジェファソン、 トックビル、ウェーバーなどの西欧の思想家の思想を伝えるために、 新しいチベット語を作らなければならなかった。ダライラマは何事に関 しても、好奇心旺盛で、思慮深く、理解が早く、創造的であった。 私はかつて法王に、ダライラマとしての政治的役割についてたずねた。 法王は同胞の緊急の要望がなかったならば、自分は喜んでダライラマ としての政治的地位を降りて、研究と瞑想の生活を送るだろう、と語っ た。

 正式に僧侶として認められた後、私はアメリカの僧院に戻らなければ ならなかった。後に私が僧侶を辞めて在家の身分へともどるとき、法王 は残念がった。しかし、私が博士号の研究のためにダラムサーラに一 年間滞在するためにもどってきたとき、わたしたちは再び対話を開始し、 法王は私の博士論文のために協力してくれた。私は法王の哲学的思索 力が非常に鋭くなっていることを発見した。私がアメリカに帰っていた間、 猛烈に勉強したのだ。

 70年代は、わたしたちは8年間会うことはなかった。政治的理由に より、法王はアメリカを訪問できなかったからである。法王は4,5年 の間、断続的に隠遁生活に入り、タントラの瞑想の技法をマスターし、 定期的に政治の任務をこなしていた。法王は、中国がソ連に対抗す るためにニクソン・毛同盟を結び国際社会で台頭してきたことにも めげず、機会あるごとに、チベットの窮状について訴えた。が、一般的 に言えば、世界の人たちにとって、チベット人の自由を求める闘いは、 挫折した運動の範疇に入るものであった。

1979年、法王に対するアメリカ訪問禁止措置はついに解除された。 私がその年、法王に会ったとき、法王の霊的オーラの新たな強烈さ、 仏教修行によりもたらされた瞑想技術の進歩に驚かされた。私は法王 のチベットの自由を求める闘いにかける情熱に力強く反応している自分 自身を発見した。法王の楽観主義は、私に、不正義を正したり、無慈悲 極まりない心を和らげたり、絶望のどん底の状況を変えたりすることに は、遅すぎるということはないのだ、ということを教えてくれた。私はこの 状況に対して、どのような支援の方法があるのかをたずねた時、法王は、 私に、チベット仏教の文化の知識を広めたり、その保存のためのエネル ギーを喚起するために、アメリカにチベットハウスを設立するように熱心 に勧めてくれた。私はその年の秋、法王と一緒にインドへ戻り、一年間 のサバティカルを過ごし始め、その間、法王と三回目の対話を行った。 この対話において、私は法王の仏教やチベットの将来のみならず、地球 の将来の行方に対しての、新しい、深い洞察力と献身に感銘を受けた。 法王は地に足のついたユーモアや謙遜、好奇心や友情を保ち続けた。

80年代の初め、中国の胡耀邦首相はチベットを訪れ、毛沢東の破壊的政策 の影響を見て、明らかに動揺していることがうかがえた。胡は、抑圧的な政策 の一部をゆるめ、部分的に宗教や文化、そして外部の世界との交流を復活 させた。そしてチベット亡命政府と交渉を始めた。 このような中国側の政策の変化によて、チベットの地位やチベット人の生活の 本当に改善がなされるのではないかという希望が芽生えてきた。しかし、 これらの希望は、Deng Xiaoping が胡耀邦首相を解任し、ダライラマとの交渉 を打ち切り、過去の破壊的政策を再び始めたとき、潰えてしまった。

 ダライラマはこのような中国側の変化にもめげず、世界中の大陸の国々を 訪れ続けた。80年代の中ごろ、わたしたちは、ダライラマの周囲に広がって いた影響力のある友人たちの援助により、ニューヨークにチベットハウスを 設立することができた。1990-91年には、A Year of Tibetが宣言され、35ヶ国 でイベントが開催された。ニューヨークの続いて、チベットハウスは、メキシコ シティー、ロンドン、パリ、ミラノ、東京、その他の都市にも設立された。 ノルウェーのノーベル委員会は、1989年の平和賞をダライラマに決定した。 ベルリンの壁は崩れ、多くのソビエト陣営の衛星国は自主決定権を獲得した。 チベット問題解決のための希望は再び芽生えはじめた。

 しかし、それ以後の年は、チベット人にとって、失望の連続であった。 90年代の初め、チベットの新しい夜明けが、喪失と恐怖の長い夜に代わって、 始まるのではないかと思われた。賢明な、少なくとも、プラグマティックな政策が、 共産主義帝国の廃墟から、実施されるのではないかという期待を抱かせた。 しかし、Dengは頑固に、ダライラマへの攻撃や、チベット文化の弾圧を再開し、 チベット高原の集中的な植民地化や工業化を押し進めた。Dengの後継者も 同じように、チベット特有のアイデンティティーを圧迫し続けた。そして、再び、 共産主義者による思想改造を、僧院や尼僧院に対して実施し、抵抗する僧院 や尼僧院は閉鎖した。中国の権力者たちは、自分たちが勝手にパンチェンラマ の転生者を選定したが、ダライラマの同意がなければ、チベット人はそんなものは 認めることはあり得ないということを知らなかった。また、中国政府は、ダライラマ の写真を押収したり、あらゆる機会に法王を非難し、すべての対話を断ちきった。

 ダライラマはいつも明るく振る舞い、希望を絶やさず、以前と同様に、いつでも 対話を行う用意が出来ていた。重要な進展は、法王が初めて台湾を訪問し、世界 中の人々がダライラマは中国人の間で、いかに人気があるかを知ったとき、やって きた。

ダライラマ法王は世界で最も偉大な、非暴力と思いやりの生きた手本であり、 どんな信仰をもっている人間でも、法王から学ぶことが出来る。法王は誰であれ 強制的に仏教へ改宗させようとはされないし、異宗教間の寛容を説いている。 法王はガンディーやキング牧師の系譜に連なる霊的な活動家である。 法王の第一の責任はチベット人を守ることであるが、中国人(その指導者も含む) の霊的向上のために貢献する用意もできている。 法王は、説法や著書を通して、世界中の仏教徒や他の宗教を信じる人々の精神的 向上のために貢献し、魂を鼓舞している。

 ダライラマ法王は、来るべき世紀を、次の現在予想通りに起こっている四つの 変化のために、希望に満ち溢れた世紀になるだろうと予想している。 まず第一に、全世界的な戦争に対する嫌悪と、平和の力に対する確信へと人類 の意識が変わっていること。第二に、巨大なシステムに対する信仰の消滅と、自由 な創造的な個人を尊重する考えの復活。第三に、物質的科学に対する盲目的な 信仰から精神科学も認めていこうという意識の変化。そして、第四番目として、 技術にたいする絶対の信頼の崩壊と、地球上のすべての生き物が健康で幸せな 生活を送ることができ、環境のバランスを維持するために、自然の力を見直そう という人類の意識の変化。 20世紀の最も偉大な人間の一人として、ダライラマ法王は、人類は21世紀に、その 最も高い可能性に気付くだろうという力強いヴィジョンを発信している。 この意味において、ダライラマ法王の役割は、チベット人やモンゴル人のための Dalai Lama から、Dalai Lama の本来の意味である、全世界のための、大海の 師へと、拡大しているのだ。

 ◆Robert A.F. Thurman heads the Center for Buddhist Studies at Columbia University

ダライラマ法王ニューミレニアムインタビュー

2006-11-07 20:05:26 | ダライラマ
ダライラマ法王が来日中ですので、以前、CNNインタビューに応じたときの模様の一部を掲載します。

------------------

CNNラリーキングライブインタビュー(Aired December 31, 1999 - 9:00 p.m. ET) より主要部分掲載

KING: We are going to go out to Sarnath, India to talk with His Holiness, The Dalai Lama. There he is at the Central Institute for Higher Tibetan Studies. At the bottom of the hour, we will be joined by Reverend Billy Graham.

キング:それではこれからインドのサールナートに待機していらっしゃいますダライ・ラマ 法王にお話を伺いたいと思います。法王はサールナートの高等チベット研究中央研究所 にいらっしゃいます。この番組の後半には、ビリー・グラハム師にも参加していただき ます。

Your Holiness, is this a new millennium for you? In the Muslim year, do you celebrate this as a year for your holy day?

法王、2000年という年はあなたにとって、ニューミレニアムにあたるのですか。 イスラム歴(仏教暦の間違い)においては、新年の始まりは、神聖な日としてお祝い するのでしょうか?

THE DALAI LAMA: Just, sort of, normal days, holiday, happen. We enjoy one new day. So, actually, the -- I'm just wondering, what kind of feeling at your place just waiting, new day, new millennium.

ダライ・ラマ:そうですね、何というか、通常の祝日という感じです。私たち仏教徒も 新年の最初の日をお祝いします。それで、本当のところ、私は世界中の皆さんが、ど のような感情で新しい日、ニューミレニアムを迎えるのだろうかとあれこれ想像してい ます。

KING: By the way, the delay is caused by the fact that we are on a satellite, and, His Holiness in a really remote area of India. So that is the reason for the long delay.

キング:ところで、この対話のやりとりのタイミングのズレは、衛星を介してのインタビュー であり、また法王はインドの奥地にいらっしゃるからでもあります。これが長い遅延の 理由です。

By the way, where are you? Where is Sarnath, India? And what is the Central Institute for Tibetan Studies?

ところで、インドのサールナートと呼ばれる場所はどういう場所なんですか。チベット研究 中央研究所とはどういうものなんですか。

THE DALAI LAMA: I'm here in a place called Sarnath, where you see historically Buddha taught the first his teaching about 2500 years ago. So we consider this place is something very sacred. So I'm very happy. It is from this, holy place, to talk with my old friend, Larry King, you, there, hello.

ダライ・ラマ:私は今現在、サールナートと呼ばれる場所にいますが、ここにおいてブッダ が2500年前に、ブッダの悟りの最初の説法を行いました。ですから、私たち仏教徒 は、この地を非常に神聖な場所として考えています。そういう神聖な場所にいますから、 私は大変幸せに感じております。この聖なる場所から、私の古い友人であるラリー・キング とお話しているわけですね。よろしくお願いします。

KING: It is an honor to have you. Do you believe -- in your faith, what does Christ represent?

キング:法王とお話できることは光栄に思います。あなたにとっては、キリストとは、 何を象徴しているのでしょうか。

THE DALAI LAMA: Please, repeat, not very clear, repeat your question?

ダライ・ラマ:すみません、もう一度お願いします。よく聞こえなかったものですから。

KING: Do you believe that -- What do you believe Jesus Christ was? Was he a prophet? Was he a messiah? In your faith, who is Jesus Christ?

キング:あなたは、イエス・キリストとは何者であると信じていらっしゃるのでしょうか。 彼は預言者であったのでしょうか。あなたの信じるところでは、イエス・キリストは何者 でしょうか。

THE DALAI LAMA: Oh, from the Buddhist viewpoint, of course, such as Jesus Christ should not be ordinary person. These, you see, the great masters who really make sort of I think immense impact in human begin, in human mind, in order to improve, in order to be a sincere person, a good person. So, therefore, such masters we consider either, as a Buddhist manifestation -- so that is our, sort of, belief.

ダライ・ラマ:そうですね、仏教徒の観点から言えば、イエス・キリストのような人は、 普通の人ではないということです。彼のような偉大な導師は人類や人類の精神に 巨大な影響を及ぼし、誠実な、良き人間へと進化させるために偉大な貢献をして きました。ですから、このような偉大な導師は、私たちは、やはり、仏の顕現と考えて います。このように私たち仏教徒は信じています。

KING:Let's go back to India and His Holiness The Dalai Lama. And still to come, Reverend Billy Graham.

キング:それでは再びインドのダライ・ラマ法王へと戻ります。後に、ビリー・ グラハム師が登場されます。

Your Holiness, do you expect to return to Tibet?

法王、あなたはチベットを帰還できると思っておられますか?

THE DALAI LAMA: Judging from the changing global level, and also the judging the transformation within the People's Republic of China, and also, the Tibetan spirit very high, and also worldwide sort of support and sympathy, therefore, the long run I'm optimistic.

ダライ・ラマ:地球レヴェルでの変化や中国内部での意識の変化、そしてチベット人 の精神の高揚、全世界的な支援や共感などから判断するならば、長期的には、私は 楽観的です。

But for the temporary, yes, inside Tibet the situation is very serious and very grave, such as human right violations, and then also the damage of environment, and essentially, usually I describe the whether, intentionally or unintentionally, some kind of culture genocide is taking place. So things are very serious.

しかし、短期的には危機感を持っています。現在のチベット内の状況は非常に深刻 ですし、心配です。人権侵害や環境破壊が行われていますし、よく私が語っていること ですが、ある種の文化的ジェノサイドが、意識的か無意識的か分かりませんが、行わ れています。これは非常に憂慮すべき事態ではあります。

But, long run, certainly, things will improve, things will change -- My, sort of, the basic aim regarding Tibetan issue, is something mutual benefit to the People's Republic of China as a whole, and Tibetan as well.

しかし、長期的には、事態は改善されると思いますし、変化してゆくことでしょう。 私のチベット問題についての基本的な姿勢は、中国とチベットの相互の利益という ことです。

KING: As a great Buddhist leader yourself, have you talked to other leaders around the world, President Clinton, Tony Blair, and have they supported you?

キング:法王は偉大なる仏教徒の指導者として、世界の指導者たち、クリントン 大統領やブレア英国首相などと語りあっていますが、彼らはあたなを支持してい ますか?

THE DALAI LAMA: Yes, most of the -- the leaders of the world, and especially like the leader of United States and, also, leaders in many European countries, really showing not only just a genuine sympathy, but also they are very much willing to active, sort of, support in order to materialize meaningful dialogue with the Chinese government. So I'm very grateful.

ダライ・ラマ:勿論です。世界の指導者たち、特にアメリカやヨーロッパの多くの指 導者は、精神的な支援のみならず、中国政府と実りある対話が実現するように、 積極的に働きかけて下さっています。ですから大変うれしく心強く思っています。

THE DALAI LAMA: I just wanted to say you say, yes, I just was want to say, the one very important thing is very encouraging is, among the Chinese, now, especially among intellectuals and the writers, and also students, you see more and more number now sharing their genuine concern and support. As it sort of better -- two situation, so this is a very encouraging sign.

ダライ・ラマ:私は、ある一つの重要な勇気づけられる最近の出来事を語りたいと 思います。それは、中国人の間で、特に知識人や作家や学生の間で、チベット問題 に対する真剣な関心と支援の輪が広がっているということです。これは大いに勇気 づけられる徴候ということが出来ます。

KING:Are you -- Your Holiness, are you optimistic about religious tolerance? Do you think we are going to be a better world in the years ahead?

キング:法王、あなたは宗教的寛容ということについて楽観的ですか?私たち人類 は、将来、より良き世界を創ってゆけると思っていらっしゃいますか?

THE DALAI LAMA: I'm quite sure the -- in the future, into 21st century, I think could be more happier, more peaceful, because I feel the 20th century, where humanity learned many new experiences, some are very painful experiences, such as violence on the basis of religious faith, or too much narrow-minded nationalism, things like that.

ダライ・ラマ:私は、21世紀は、より幸福な、より平和な世界になることを確信して います。何故なら、20世紀は、人類は非常に多くの新しい経験をし、たくさんの貴重 な教訓を学んだと思うからです。その中には、宗教的な信仰に基づいた暴力や、狭量 な精神のナショナリズムによる暴力による痛ましい経験もあります。

So, therefore, the -- because of these experiences, we humanity, I believe, are becoming more mature. So, therefore, the 21st century, it is this I think real sort of potential to be, more harmonious, more closer understanding, especially among the religious community. I think also with our the sort of greater opportunity, interact each other, learning from each other. So, therefore, I think there are real, sort of, I think, good possibility, to have, understanding, actually, closer relation. Through that way, we can make greater contribution for benefit of the humanity and also environment.

ですから、このような貴重な経験により、私たち人類はより成熟してゆくだろうと信じて います。そして、21世紀は、より調和した、より親密な理解のある、特に異なる宗教間 においてですが、世界になる可能性を秘めていると思っています。また、お互いが影響 しあい、お互いが学び合うという偉大な機会がもたらされると思います。そして、お互い の理解の促進、そして緊密な関係がもたらされる可能性も感じられます。そのようにして 私たちは、人類や環境の利益のために大いなる貢献が出来るのです。

ダライラマ法王来日にあたり、憲法九条と核武装について考える

2006-11-05 20:55:53 | ダライラマ
ダライラマ法王が来日した。
ノーベル平和賞受賞者で、今、世界で最も注目を集める精神的指導者が来日したというのに、マスコミの無視は、異常である。
やはり、中国からの抗議が恐いのであろうか。
情けない。まあ、しかし、日本のマスコミ人の問題意識とはこんなもんだろう。

ダライラマ法王といえば、「非暴力の実践者、提唱者」として有名である。
この非暴力の思想は、憲法九条にも受け継がれている。
であるならば、憲法九条を擁護する朝日新聞などは、ダライラマ法王の来日に因んで、率先して、ダライラマ法王の非暴力思想と憲法九条の同質性を高らかに謳いあげるべきではないのか。ダライラマ法王の非暴力思想こそが、21世紀の地球憲法の核となる考え方であるべきであり、日本国憲法第九条の思想も同じ非暴力の考え方によって作られているのであり、そして、この非暴力の思想こそが、様々な民族が地球上で共存共栄していくための、基本の考え方、生き方でなければならない、というようなことを、朝日の社説にでも書けば、かなりのインパクトがあり、改憲派への牽制ともなるのではないか(笑)。それができない、ということは、やはり、中国に対する顧慮があるのだろう。朝日の憲法意九条擁護がなんとなくうさんくさく感じられる所以である。まあ、ダライラマ法王だけは、勘弁してくれ、ということなのだろう。ダライラマ法王の非暴力の主張には共鳴しますけれども、何といっても、中国の目が気になりますから、ダライラマ法王の思想を取り上げることには、どうしても、二の足を踏んでしまうのです、ということだろうか。

私は改憲派である。ダライラマ法王の非暴力の思想は、宗教思想としては、ほんらいのあるべき思想であるとは思うが、それが直ちに、現実の政治政策として取り入れることにはつながらないと思っている。現実的な対処が必要なのだ。暴力団国家、犯罪国家を隣国に抱える日本としては、理想主義に傾きすぎてもダメなのである。ダライラマ法王は、今年の夏、サピオインタビューで、こんなことを語っている。

「たとえ長期的なビジョン(世界的な核兵器全面禁止)があったとしても、目の前にある危険を看過して国家として非現実的だ。」

これが、中国の侵略を受け、亡国の憂き目にあい、辛酸をなめた指導者のバランス感覚、平衡感覚というものだろう。ダライラマ法王は、去年、チベット人に対して、次のように語っている。

「国と社会を守るため、同時に現代教育も学ぶように。なぜならば亡命している私たちの生きている環境は日々変化しており、柔軟な考えをもって進んでいかねばならない。わが国は鎖国をしていたために、このような状況になってしまった。 」
http://www.tibet.to/2005brutus/text07.htm


勿論、私は、日本は、抑止力としての核武装は絶対に必要だと考える。
中川昭一氏がサンデープロジェクトで核武装についての論議はしなければならないと語ったところ、喧々諤々たる非難が起こったが、私はこれが不思議でならない。なぜ、議論してはいけないのか。敬愛するチベット学者の石浜裕美子さんまでも、ブログで
批判しているが、
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-115.html#comment
ちょっと、失望しました。
議論するな、というこは、考えるな、ということと同じではないか。
やはり、日本は、壮大なマインドコントロールにかかっているとしかいいようがない。オウムのマインドコントロールを心配するまえに、まず、日本国民自身がマインドコントロールにかかっていないか、点検したほうがいい。これは勿論自分自身に対する訓戒もこめての発言だが。頭の点検のためには、脳機能学者苫米地英人氏の「洗脳護身術」などは、非常に参考になりますねえ。(笑)

この前の朝まで生テレビでは日本の核武装について議論していたが、聞くに耐えたのは、最初に登場した伊藤貫氏だけであったなあ。(笑)

伊藤氏の考え方は、実に、理に適っている。

アメリカの核の傘は当てにならない。中国や北朝鮮が日本に対して核の恫喝を仕掛けたとき、果たして、アメリカは自国民の犠牲を覚悟してまでも、日本を守ろうとするであろうか?それはない、そして、日本は中国や北朝鮮に屈せざるを得ない、というのが伊藤氏の推理だ。そして、又、アメリカが日本に購入させようとしているミサイル防衛システムも実際の核攻撃に対して無力だ、というのだ。

それならば、日本はどうすればいいのか。
ここで、伊藤氏は、アメリカで学んだ「サフィシェンシー(十分性)理論」という核兵器理論を紹介する。この理論によれば、たとえ、日本の仮想敵国、中国、ロシア、北朝鮮が、数万発の核弾頭を持っていても、日本が数百発の核弾頭を持っているだけで、これらの仮想的国は日本を攻撃できない。なぜなら、日本を攻撃しても、すべての各施設を破壊することができず、日本からの報復攻撃によって甚大なる被害をこうむることが予想されるため、日本に対する核攻撃はワリニあわない、ということになるからだ。

それと、伊藤氏の理論で面白いのは、厳格に核兵器を管理できる能力を持った国が核兵器を持ったほうが、世界はより安定するというものだ。なるほどと、私も納得する。そのなかでも、日本は、最も核を持つ必要性が高い国だ、というのだ。確かに、中国、北朝鮮、ロシア、の仮想敵国が核を持っている現在、極東アジアの安定のためには、絶対に、日本の核兵器は求められているのだ。当たり前の話である。