ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

外交評論家加瀬英明氏がニューズウィーク誌英語版で反論

2007-03-30 23:18:48 | 歴史
国際社会では、謂れ無き非難に対しては、沈黙は許されない。沈黙はその非難を認めたことになるのだ。今まで、日本人は、あまりにも反論しないできた。そのツケが、今、回ってきているともいえるだろう。ホロコーストであるアメリカの原爆投下に対する非難をかわす目的でデッチあげられた「南京大虐殺」という壮大なデマを、今まで、日本人はあまりにも素直に信じすぎてきた、あまりにも、「おめでたい」国民であったと私は思うが、今、ネットの普及により、ようやくマインドコントロール状態が解け出し、急速に変わりつつある感じがする。腹が立つのは、何故、外務省は、今まで、反論しなかったのだろうか、ということだ。本当にそんなことを信じているのだろうか。勉強不足もはなはだしい。ハッキリ言って税金泥棒だ。外交の最前線で、日本の国益と名誉と存亡をかけて、命がけで闘う組織であらねばならない。いままでのようなぬるま湯的体質では、とても、現代の熾烈な国際政治の場で、外交を託すことはできない。日本を精神的根無し草の国に導くだけである。

今度、あまりにもだらしない、事なかれ主義の外交当局に代わって、民間の外交評論家の加瀬英明氏が、ニューズウィークの英語版で、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」の嘘に対して、反論文を書かれた。英語版だから、かなりの反響を呼んでいるようです。そのことを、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 で、宮崎正弘氏が、読者の声に対するコメントで、書かれています。読者の声と共に、宮崎氏のコメントも転載させてもらいます。

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(読者の声1)在米読者ですが、この地におけるの学者達や民主党員、カリフォルニア州出身の友人の話を総合しますと、マイク・ホンダ議員は、どうも一般のアメリカ人にとっては、全く無名の存在であり、彼の非難決議も一般のアメリカ人の民意からは相当かけ離れているようです。
 リヴェラル系のマスコミが、反日プロパガンダをかなり流しているにもかかわらず、一般のアメリカ人の好奇心や、反日感情の醸成は本国の方々が考えておられるよリ、はるかに低いと思います。
 むしろなぜ日本人はそんな事に関心をむけるのか? というのが、だいたいのアメリカ人の反応になるかもしれません。(反日中国人や反日韓国人、リヴェラルが多い地域は、また、違う光景が見られると思いますが。)
 小生が感じますに、現在、だいたいのアメリカ人の関心は自身の日常生活を除けば、中東問題と来年の大統領選挙にあり、マイク・ホンダの決議内容自体、一般のアメリカ人の民意から程遠く、興味関心をもたれることは一部の連中を除いてほとんど無い様に思います。
 素人の愚考ですが、ホンダ議員とその一味は、自身の決議に関して一般のアメリカ人の関心がほとんど無いであろう事は、知っているだろうと思います。
それでもあえて行なおうとする目的は、おそらく既成事実を造り上げて段階的にアメリカ国内における反日機運と法的な反日の機構を作り上げていくこと以外に、アメリカ内における世論誘導の実験データの収集と日本の反応を知ることに在るのではないかとさえ疑いたくなります。
 そう考えた場合、ホンダ本人がどう考えているかは分かりませんが、今回の反日決議提出もアメリカ国内での反日プロパガンダ浸透によるアメリカ世論誘導の過程、データ収集とそれに対する日本の反応を調べる為の一種の段階的な実験という側面も出てくると思います。(そう考えれば、ホンダ自身も実験に使われている哀れな被検体であると言えるかも知れません。)
     (TS生、在米)


(宮崎正弘のコメント) 関連して特報があります。
 外交評論家の加瀬英明氏が『NEWSWEEK』(世界共通版)に英語で反論を書かれました。いま、世界中で大きな反響がおきております。なにしろ、この週刊誌は
『TIME』につぐ世界的影響力がありますからね。
「目から鱗」という反応が米国で相当ある由。また韓国では目をつり上げての大騒ぎに発展している由です。
 同誌は世界中に翻訳版がでています。ハングル語、中国語、スペイン語など。
 日本語版『ニューズウィーク』は来週号に、この翻訳全文が掲載されます(来週水曜日に発売予定)。
 中国語版にも、この加瀬さんの反論が果たして中国語にも翻訳されて掲載されるか、どうか、見物です。
 以上、速報です。

■「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成19年(2007年) 3月30日(金曜日)  貳 より
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このニューズウィークの加瀬さんの反論文を、今日の覚え書き集めてみましたさんのブログで翻訳してくれています。
http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/5b392ea093103f5c060776dd3cd277e9

従軍慰安婦問題での情報戦に勝つために

2007-03-30 06:51:30 | 歴史
従軍慰安婦問題がアメリカの下院の公聴会で取り上げれれて、問題になっていますが、この従軍慰安婦問題の「火付け役」朝日が、反省することなく、またぞろ、妄言を垂れ流し始めていますが、この問題に対しては、きっちりと日本は国家としての姿勢を表明しておかなければならないと思います。
曖昧な態度は避けるべきです。外務省のホームページの内容も大幅に変えるべきだ。間違っても、「害務省」にはならないように、見張る必要がありますなあ。
私は、この問題の癌細胞である河野談話を即刻破棄すべきだと思っていますが・・・・。
まずは、反日外国からの攻撃に対する防御のための理論武装のために、次の専門家の意見や政治家の考え方が参考になります。

「河野談話と慰安婦の証言」現代史家 秦郁彦氏に聞く①

「慰安婦募集広告と強制連行命令書の有無」現代史家 秦郁彦氏に聞く②

「ベトナムのアメリカ軍慰安所の実態」現代史家 秦郁彦氏に聞く③


又、衆議院インターネット審議中継ビデオライブラリーで
2月21日の内閣委員会での

戸井田とおる(自由民主党)議員の質疑

松原仁(民主党・無所属クラブ)議員の質疑

も非常に参考になります。


そして、安倍首相の国会での答弁
http://www.youtube.com/watch?v=OxHUrryxNyE

なかなか巧いですね、安倍首相。このユーチューブの映像には、英訳も付けられているので、外国の人にも分かるし、英語で外国に発信するときに参考になります。

ブログでは、東アジア黙示録さんの次のエントリ
「いわゆる従軍慰安婦の衝撃…ハシゴを外した朝日新聞 」

慰安婦策動と反日ファシズム…獅子身中の侮日構造

アジアの真実さんの

・基礎からわかる「慰安婦問題」  ~読売新聞紙面より~


島田裕巳氏のプレイボーイインタビュー

2007-03-27 17:03:15 | カルト

http://m-playboy.shueisha.co.jp/playboy_interview/index.html
月刊プレイボーイ最新号のプレイボーイインタビューに島田裕巳氏が登場していた。
立ち読みさせてもらったが、なかなか興味深かった。
ちょっと、ショックだったのが、島田氏の年月の経過を感じさせる風貌であった。あの若々しかった朝まで生テレビでの姿はどこにいってしまったのか。時よ止まれ!!と言いたくなるが、この世界は無常なんですね。人は必ず死ぬ、絶対死ぬ、これは永遠に変わらない真理ですねえ(苦笑)。島田氏の姿を拝見して、猛烈に無常を感じた私でした・・・・。

島田氏をはじめて知ったのが、あの有名な朝まで生テレビでの、オウム真理教と幸福の科学との討論会で、新進気鋭の宗教学者として出演された時で、非常に的確な、バランス感覚のあるコメントをされていて、大変印象に残った。
それからも、オウムに関しては、『いま宗教に何が起こっているのか』(講談社)、『仏教は何をしてくれるのか』(講談社)などの著書で、主に、宗教社会学的な視点から、日本仏教の抱える問題点、なぜ、オウムや幸福の科学が注目を集めるのか、などを論じておられた。

私が、島田氏の本を本格的に読み始めたのは、地下鉄サリン事件以降です。
特に、島田氏の『オウム~なぜ宗教はテロリズムを生んだのか~』(トランスビュー)は宗教学者として底力を感じさせられました。
オウム事件以後、それ以前に、オウムに関して、比較的好意的に論じておられたことや、メディアでの誤報が元となったバッシングなどが原因となって、大学教授の地位を降りざるを得なかったご自身の宗教学者生命を賭けられて、渾身の力を振り絞って書かれてのがあの『オウム』でした。
この本では、以前の宗教社会学的な視点から、さらに、より深くオウムの教義の中にも踏み込んで、なぜ、オウムは地下鉄にサリンを撒かざるを得なかったの、その根源にあるのが、オウムの独特の教義であるマハームドラーである、という仮説を立てられた。

さらに、近著の『オウムと9.11』(メディア・ポート)では、何故、殺人肯定のヴァジラヤーナが説かれだしたのか、その背景にメスを入れている。
島田氏によると、殺人肯定のヴァジラヤーナの教えで、殺人が行われたのではなく、田口事件や坂本一家殺害を正当化するために、ヴァジラヤーナの教えが説かれだしたのだ、というのだ。なるほど、この説は、かなり説得力がある。そして、凶悪な事件の実行犯となった信者たちの中の少なからずの人たちは、そのような教団の「内部事情」(密教)を知らないままに、自分たちは、崇高な宗教行為を実践しているのだという「錯覚」のもとで、重大な犯罪行為に及んだことになる。そういう意味では、実行犯たちも、教団の犠牲者だとういうことになる。

さて、プレイボーイインタビューで、紹介されている、島田氏の新著『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房)である。あの地下鉄サリン事件に関して、中沢氏は元サマナ高橋英利氏との対話の中で、「ね、高橋君。オウムのサリンはどうして十人、二十人のレベルだったのかな。一万人とか、二万人の規模だったら別の意味合いがあったのにね・・・・・」と語っている。これには、さすがの高橋氏も違和感を感じて、手記を「宝島30」に発表された。それで、この中沢氏の発言をご存知の方も多いだろう。「宝島30」最終号の、岩上安身氏と宮崎哲弥氏との対談では、中沢氏が中沢氏と親しかった元オウム信者に語ったといわれている、「一万人、二万人規模の人間が死ねば、東京の霊的磁場が劇的に変化する。」という中沢氏の言葉も紹介されている。

島田氏の今度の本で、この中沢氏の発言の真意を探るべく、中沢氏の著書や入手できた過去の発言を辿りながら、中沢氏がいまだに心の奥深く密かに抱いているかも知れない、地下鉄サリン事件の「本当の意味」を考察をされているそうです。非常に楽しみにしています。
あの地下鉄サリン事件は、別の意味合いになるような要素があったのか、そのような宗教的意味合いがあるようなものであったのか、そこを、中沢氏は、ハッキリさせるべきではないのか、曖昧にしておくべき事件ではないのではないか、ああいう無差別殺人事件は、完全に否定しておかなければならないのではないか、そこを中沢氏に突きつけている、と島田氏はインタビューで述べています。かなりシビアな表現で中沢氏を批判しているらしく、中沢氏からの「法的措置」にも堂々と受けて立つと、語っておられる。

この本の原稿を有田芳生氏が読まれたそうで、有田氏の『酔醒漫録』というブログでその感想を書いておられる。まだ、出版されていないので、詳しい紹介はされていないが、この有田さんの感想を読んでも、かなり論争を呼びそうな内容のようです。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の「読者の声」より

2007-03-25 14:45:42 | 歴史
最近の「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の「読者の声」が非常に参考になりますので、転載させてもらいます。
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(読者の声1) マイク・ホンダ議員が提出した米下院慰安婦決議案の全文を和訳してみました。昨年廃案となった下院決議759号と混同している論説もありますので、批判の際に正確を期す必要があります。念のため英語原文も添付しました。よくよく、そのひどさがわかります。ご参考まで。

●米国下院に提出された慰安婦決議案(和訳と原文)

第110米国議会(2007-2008) 下院決議案第121号
 2007年1月31日
 ホンダ議員(本人、スミス議員<ニユージャージー州選出>、ロイス議員、ワトソン議員、ヘア議員、ボルドカーロ議員、ウー議員)は以下の決議案を提出、外交委員会へ付託された。

 <決議>
 下院は以下の意見を表明する。日本政府は、日本帝国軍隊が1930年代から第二次世界大戦中まで、アジアと太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間に、「慰安婦」として世界に知られているところの性奴隷制を若い女性に強制したことについて、明瞭かつ曖昧さのない仕方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。以下の事実による。
日本政府は、1930年代から第二次世界大戦中まで、アジアと太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間に、日本帝国軍隊への性的労役に供することを唯一の目的として若い女性を獲得することを委任した。この女性たちはイアンフ(「慰安婦」)として世界に知られるようになった。
日本政府により強制された軍事売春である「慰安婦」制度は、その残酷さと規模の大きさにおいて前例のないものとみられるが、それは集団レイプ、強制堕胎、恥辱、性暴力を含み、結果として身体障害、死亡、最終的な自殺にまで追い込んだ、20世紀最大の人身売買事件の一つであった。
 日本の学校で使用されている新しい教科書の中には、「慰安婦」の悲劇や第二次世界大戦における日本の戦争犯罪を軽視しているものがある。
 日本の官民の当局者たちは最近、彼女たちの苦しい体験に対し政府の真摯な謝罪と反省を表明した1993年の河野洋平官房長官の「慰安婦」に関する談話を薄め、もしくは撤回したいという願望を表明した。
 日本政府は、女性と子どもの人身売買を禁止する1921年の国際条約に現に署名し、武力紛争が女性に及ぼす特別の影響を認めた2000年の女性・平和・安全保障に関する国連安全保障理事会決議1325号を支持している。
 下院は、日本政府が、国連安全保障理事会決議1325号の支持者になるばかりでなく、日本が人間の安全保障、人権、民主主義的価値、法の支配の推進に努め・u桙トいることを認める。
 下院は、日本の政府当局者と市民による献身と思いやりが1995年に日本の民間組織アジア女性基金の設立に至ったことを認める。
 アジア女性基金は、慰安婦に対する日本の人々からの「償い」の表明として570万ドルを集めた。そして
 アジア女性基金は、「慰安婦」の受けた虐待や苦難を償うためのプログラムやプロジェクトを実施することを目的にして、政府が主導し資金の多くを政府が出資してつくった民間基金であるが、2007年3月31日でその任期を終了し、同日付けで基金は解散される。義務を終了する。だからして、今こそ以下の決議がなされるべきである。
 日本政府に次の措置を求めることが下院の意見であることを決議する。
(1)日本政府は、日本帝国軍隊が1930年代から第二次世界大戦中まで、アジアと太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間に、「慰安婦」として世界に知られているところの性奴隷制を若い女性に強制したことについて、明瞭かつ曖昧さのない仕方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである。
(2)日本政府は、日本国首相の公的な資格でなされる声明として公式の謝罪を行うべきである。
 (3)日本政府は、日本帝国軍隊のための性的奴隷状態と「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張に対しても、明瞭かつ公然と反論すべきである。
 (4)日本政府は、「慰安婦」に関わる国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代にこの恐るべき犯罪について教育すべきである。

110th U.S. Congress: 2007-2008
H. RES. 121

IN THE HOUSE OF REPRESENTATIVES
January 31, 2007

Mr. HONDA (for himself, Mr. SMITH of New Jersey, Mr. ROYCE, Ms. WATSON, Mr.
HARE, Ms. BORDALLO, and Mr. WU) submitted the following resolution; which was referred to the Committee on Foreign Affairs
---------------------------------------


(NF生、文京区ほか)


(宮崎正弘のコメント) 発売中の『週刊新潮』(3月29日号)、どのページも有益ですが、とくに有益なニュースがでています。
NYタイムズとワシントンポストに「南京大虐殺はなかった」という意見広告をだそうとして断られた作曲家すぎやまこういち氏の談話特集ですが、これがヒントです。
片っ端からNYタイムズに意見広告をだして断られましょう。
それを逐一、断られて理由を含めて、大きな社会問題にするのです。要するにNYタイムズは反日プロパガンダの機関誌という逆証明にもなります。
断られた広告文面を貯めておいて冊子にするとか、いろいろとやり方が思い浮かびますね。

(読者の声1) 貴誌1743号「読者の声」の「STさんのご意見について一言。ご趣旨がいまいち、明確に理解できません」とありますので、簡潔に1740号と1741号に載せていただいた私の議論を以下にまとめさせていただきます。

「韓国、米国等の国民は自国の歴史の中にある醜い部分があまりのも多くそれらを含めて直視することを避けることが国柄あるいは国体となっている。
したがってかれらの歴史らあるいはかれら以外の国の歴史を直視できるように話し合っても無駄である。したがって、個々の事象ごとに反証するしかない。」
1740号に載せていただいた私の議論の関連部分は、以下のとおりです。
「過去の奴隷制や宮崎氏の言及された『原住民インディアンの虐殺』から目をそむけることを正当化するものを求める性向は、音楽で言えば通奏低音、宇宙で言えば黒体輻射であり、国で言えばまさに米国の国体である。したがって大東亜戦争末期において国体護持が日本にとって重要であったように、この米国の国体も米国にとって重要である。つまり、これを変えさせようとしても、直視させようとしても無駄である。唯一可能なのは、この国体に触れるような事象がおきるたびに、毎回事象ごとに厳格に反証することである。要するに対米交渉は自動車でのドライブではなく、サイクリングのようなもので努力を怠ればこけてしまう。韓国との対応も同様でこちらは一輪車乗りのような芸当が必要になる。
一度は腹を割って根本的に理解し合えれば理解しあえるというようなことはない。ここのところを理解することが肝要である。」

ところで、最近トルコ系の民族に関する話題がマスコミをにぎわしていますが、東北アジアおよび日本との関連で注記したいことが、2点あります。
1.大元蒙古帝国がユーラシア大陸に覇を唱えるまで、トルコ系民族はトルコからシナ地域名称としての「シナ」を程度の差はあれ軍事的に支配していた。
「シナ」諸王朝は、かれらの東北アジアでの代官とでも言うべきものであったとまで言うと、言い過ぎかもしれませんが、前漢の前半ではまさに漢の皇帝はトルキスタンに臣従した代官でした。
しかもこのころに「シナ」の人口は五千万人を越え、以降この水準を突破したのは17世紀末、清朝の時代です。まさに「シナ」は外部の民族に支配されると一般庶民は繁栄するのが定則です。

2.第二次世界大戦末期、枢軸国で戦っているのは日本だけになったとき、中立国は連合国から対日宣戦を強要された。
多くの国が対日宣戦した中でトルコは終戦まで中立を守った。そのため国際連合=連合国の原加盟国になれなかった。
日本の総理大臣がトルコを訪れたとき、トルコ国会で、
「あくまで中立を守ったトルコ国民の勇気と良識に尊敬を表します。世界平和を希求する日本国民はこのトルコ国民の偉業に感謝するとともに、世界にこのような民族のあることを誇りに思います」
と演説すると、世界人類の正確な歴史認識に大きく寄与すると思います。
  (ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント) トルコに行くと、いまも「日露戦争の勝利」をわがことのように喜んでくれます。日本の若者が知らない東郷平八郎の名前さえトルコの若者の間では、きわめてポピュラーです。Z旗の意味も由来も知っているトルコ人が多い。


  
  ♪
(読者の声2)貴誌1746号「読者の声(1)」非常に参考になりました。
米下院に提出された(慰安婦)決議案ですが、日本のマスコミで焦点となっている
「(軍、官憲が)強制連行した」ことは、決議案では直接には糾弾していない、という小生の印象ですが、いかがでしょうか?
文中の「its Imperial Armed Force's coercion of young women into sexual slavery」は、素直に読めば、
「若い女性たちを、性奉仕奴隷として、(働くことを)日本軍が強制した」
ということであり、「性奴隷として、強制連行した」とは読めません。
(まして、commissioned the aquisition of young women という表現もしています)

つまり日本側が「強制連行はなかった」ことを争点として反論することは、相手に対して誤った対応になっているのではないか、という指摘を私はしたいわけです。
また、Trafficking of the comfort women for the Japanese Imperial Armed  forces never occured などとは、日本の誰も言っていないわけで、むしろ 「あれは、Trafficking comfort women に過ぎない(のでは)」と云っているわけで、Traffickingという言葉を用いたのは提案米議員連の大チョンボではないか? と思いました。
  (KI生、尼崎)


(宮崎正弘のコメント) ご指摘有り難うございます。関係者に回覧します。
   <>
(編集部より) 早速、NF生に回覧したところ下記の返答がありました。

「(1)米下院慰安婦決議案の仮訳は少し不正確なところがあったので、私の方で全文を訳し直したものです。かなり慎重に日本語の訳語を選んだので、間違いはないはずです。文書の形式が日本語と英語でことなるので、大胆に組み替えた部分がありますが、内容がずれているわけではありません。
ついでに、昨年廃案となった下院決議759との異同も調べて報告します。こちらのほうはもっとすさまじく、ホンダの決議案はいくらか微修正してあります。なお、櫻井よしこさんが「週刊新潮」3月15日発売号に引用されているのは、この廃案になったほうの決議案であると思われます。秘書の方かご本人が錯覚されたのではないでしょうか。

 (2)ニューヨーク・タイムズに意見広告掲載を拒否された事例は、過去に遡ればもっとあるはずです。ご存知の方、情報をお知らせ下さい。すぎやまこういちさんは立派です。もし宮崎案を実行するとすれば、1千万円程度の基金を用意し、10位の関連団体・グループに声をかけて広告掲載を申し込んでもらい、もし万が一掲載されたらその基金から支出する。ただし、広告の作成費だけは各団体もちとする、といったことになるでしょうか。
それにしても、3月6日付けのニューヨーク・タイムズの社説はひどい!
 「慰安所は商業的売春施設ではなかった。女性の調達には、明示的・暗示的に暴力が行使された。そこで進行していたのは絶え間ない強姦であって、売春ではなかった」
などと書いている。

ニューヨーク・タイムズはアメリカの朝日新聞である。ちなみに東京支局は朝日の社内にあり、記者は日本の左翼から情報をもらって書いている。
しかも、日本では正体がばれた慰安婦を使った工作が、15年おくれでアメリカ議会でまんまと成功している。アメリカのメディアも識者もだまされるか、信じているふりをしている。
戦争をめぐる歴史認識問題で日本に対する道徳的な優位性を絶対に手放さないという彼らの決意の表れである。こうなったら、逆襲を本気で考えなければならないと思いだしている。
    (NF生、文京区)

(読者の声1) 「核兵器外交に敗れている哀れな日本の姿」
 かつて、サッチャー女史は「現在の国際社会は核を持つ国が支配している。そのことが良いか悪いか別にして、それが国際社会の現実である」と述べている。
 現在の日本は、国際社会から孤立を深めつつあり、その背景が「核兵器の存在」であることに日本国民全員が認識し、「普通の国・日本」の再構築にむけてスタートを切るべきだと考える。
そこで米・中・朝・露・韓の対日外交と工作について、眺めてみる。
1.米国:日本の国産旅客機・戦闘機の国産化阻止。パソコンのOSの国産(トロン)の使用阻止。プラザ合意による円高誘導によるバブル崩壊と資産の目減り。ゼロ金利政策による国民の預貯金の目減りと米国債を買わされる「金融循環収奪システム」。迎撃力の成功率が低いとされるミサイル防衛(MD)システムの導入要求。金融自由化圧力による郵政民営化。外資による株式市場の支配の浸透・・・。
自由と民主主義の建前と国益・私益の本音を優先するダブルスタンダードの国・アメリカ。

2.中国:日本のODAは3兆円と巨額。軍拡、北京空港、高速道路などに貢がされても中国国民には知らせず、感謝されずに中国共産党の国内宣伝に利用される。
アジア開発銀行(大口出資者は日本、国民の税金)は中国のアジア覇権拡大のためのメコン流域開発プロジェクトなどに融資。
一昨年は日本の国連安保理常任理事国入り阻止の反日デモと日本政府関係建物の破壊。中国国内の反日施設(南京大虐殺記念館など)の整備拡張。政府関係者の日本に対する内政干渉と威圧的な言明。最近では米国議会での従軍慰安婦問題の黒幕として扇動。南京大虐殺の捏造映画を制作(米中合作)。国際道徳の欠如の甚だしいのには驚嘆するばかりだ。

3.北朝鮮:1998年テポドン1号が日本上空を通過して太平洋に着弾。クリントン政権時代、「軽水炉原発への援助を受け、代わりに核関連施設への査察を受け入れる」という合意を反古にする。
隠れて核開発を進めた結果、昨年のミサイル連射、核実験に繋がる。
6カ国協議で「日本は米国の保護領にすぎないので。日本はしょせん米国の言いなりになるだけの国だから、我々はまともに相手にする国ではない」、「拉致問題は解決済みだ」。
公開の特定失踪者は約250名。将軍様の私益だけを優先し、国民は世界最貧の生活を強いられる国。

4.ロシア:日本の北方領土内で漁船員が警告も受けずに銃殺されたうえに漁船を没収され、さらに罰金まで払わせられた。終戦直後、旧ソ連軍が不法に占拠した北方領土4島は返還されるべきもの。ロシアの特徴を書くことは遠慮します。

5.韓国:竹島は橋本首相持代に強奪され、今では軍隊が常駐。米国議会では捏造の従軍慰安婦問題を中国にバックアックしてもらい日本を国際社会から孤立させる活動。対馬では、その島は俺のものとの国内でデモをやり、島内では韓国人が別荘地を取得し、観光客は大手を振って盗賊行為に走る。
「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には、「七恩」と言うべきなのに、今も自国史について「正しい歴史認識」をもてない国(韓国)は将軍様に併合される。
  これらの動きをよく観察していると、「日米」「日韓」「米韓」の離反を図り、中国が東アジアでの覇権を獲得するための工作であることが読み取れる。
   (TK生)

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シヴァの踊りー2

2007-03-24 16:55:13 | インド哲学
シヴァ・ナタラージャの、あの独特の姿は、一体何を表しているのだろうか、という疑問に、ツィンマーは明快に答えてくれています。この解説には、むずかしいところもありますが、なるほど、そういうことだったのか、とかなり理解が深まるのではないかと思っています。
↓のページでナタラージャの姿を一つ一つ確認しながら、読んでいくと、より理解がしやすくなると思います。
http://www.lotussculpture.com/nataraja1.htm

Shiva-Nataraja is represented in a beautiful series
of South Indian bronzes dating from the tenth and
twelfth centuries A.D.(Figure 38.) The details of
these figures are to be read, according to the Hindu
tradition, in terms of a complex pictorial allegory.
The upper right hand, it will be observed, carries
a little drum, shaped like an hour-glass, for the
beating of the rhythm. This connotes Sound, the vehicle
of speech, the conveyer of revelation, tradition,
incantation, magic, and divine truth. Furthermore,
Sound is associated in India with Ether, the first of
the five elements. Ether is the primary and most subtly
pervasive manifestation of the divine Substance.
Out of it unfold, in the evolution of the universe,
all the other elements, Air, Fire, Water, and Earth.
Together, therefore, Sound and Ether signify the first,
truth-pregnant moment of creation, the productive energy
of the Absolute, in its pristine, cosmogenetic strength.

シヴァ・ナタラージャは、紀元後十世紀、十二世紀の南インドの一連の美しい青銅において表出されている(図38)。これらの図像の細部は、ヒソドゥーの伝統にしたがって、複合的で絵画的な教訓との関連で読み取られなけれぽならない。上の右手は、リズムを刻むための、砂時計のような形をした太鼓を持っていると観察されるであろう。これは、音と、言語の乗物と、発露、伝承、呪文、魔術、神的な真実の運び手を内包する。さらに、音は、インドでは、五元素の最初のものである虚空と結びついている。虚空は、神的な実体の、原初の、そして最も微妙に遍満している顕現である。
宇宙の開展において、虚空から、風、火、水、地という、すべての他の元素が開展する。したがって、音と虚空とは相伴って、原初の宇宙生成の力にある、絶対者の創造エネルギー、創造の最初の真実をはらんだ瞬問を意味している。

The opposite hand, the upper left, with a half-moon
posture of the fingers (ardhacandra-mudrd), bears on
its palm a tongue of flame. Fire is the element of
the destruction of the world. At the close of the Kali
Yuga, Fire will annihilate the body of creation, to
be itself then quenched by the ocean of the void.
Here, then, in the balance of the hands, is illustrated
a counterpoise of creation and destruction in the play
of the cosmic dance. As a ruthlessness of opposites,
the Transcendental shows through the mask of the enigmatic
Master: ceaselessness of production against an insatiate
appetite of extermination, Sound against Flame. And
the field of the terrible interplay is the Dancing
Ground of the Universe, brilliant and horrific with
the dance of the god.

指で半月の形を作った(ardhacandra-mudra)反対の上の左手は、掌に炎の舌を担っている。火は世界の破壊の元素である。カリ・ユガ期の終わりには、火は創造の身体を破滅させ、それから自らは、空なるものの海によって消し去られるであろう。それから、ここでは、手のバランスにおいて、宇宙の踊りの演技における創造と破壊との均衡が例証されている。反対物の相い容れなさとして、超越的なものは、不可解な主の仮面を通して、終末の飽くことのない食欲に対する創造の、また炎に対する音の絶え間なさを示している。また、恐ろしい相互作用の領野は、神の踊りで光輝いている恐ろしい宇宙の踊り場である。


The "fear not" gesture (abhaya-mudrd), bestowing
protection and peace, is displayed by the second
right hand, while the remaining left lifted across
the chest, points downward to the uplifted left foot.
This foot signifies Release and is the refuge and
salvation of the devotee. It is to be worshiped for
the attainment of union with the Absolute. The hand
pointing to it is held in a pose imitative of the
outstretched trunk or "hand" of the elephant (gaja-hasta-mudra),
reminding us of Ganesha, Shiva's son, the Remover of
Obstacles.

守護と平安を授げる「施無畏」印(abhaya-mudra)が第二の右手によって示されているのに対して、残りの左手は、胸を横切って上に上げられ、下向きに、上げられた左足を指している。この足は解脱を意味し、帰依者の避難所と救済になっている。それは、絶対者との合一の達成のために崇拝されなげれぼならない。その足を指している手は、象の伸ばした鼻、ないし「手」に似た怜好(gaja-hasta-mudra)をLており、シヴアの息子であり、障害物の除去者であるガネーシャを思い起こさせる。

The divinity is represented as dancing on the prostrate
body of a dwarfish demon. This is Apasmara Purusha,
"The Man or Demon (purusa) called Forgetfulness, or
Heedlessness (apas-mdra)." It is symbolical of life's
blindness, man's ignorance. Conquest of this demon lies
in the attainment of true wisdom. Therein is release
from the bondages of the world.

この神は、小さな悪魔の平伏した体の上で踊っているものとして表出されている。この悪魔は、アパスマーラ・プルシャ、「忘却、ないし不注意(apasmara)と呼ぱれる人、ないし悪魔(purusa)」である。それは、生の盲目性、人問の無明を象徴している。この悪魔に対する征服は、真実の智慧の達成にある。そこには、世界の束縛からの解脱がある。


シヴァの踊り

2007-03-23 22:17:41 | インド哲学
「シヴァの踊り」が出てきましたので、参考のため、有名なインド学者ハインリッヒ・ツィンマーの名著「Myths and Symbols in Indian Art and Civilization 」の中で展開されている「シヴァの踊り」に関する記述の中の、最初の箇所を引用紹介させてもらいます。原文とこの本を翻訳された宮元啓一先生の翻訳文の両方です。なかなか力強い文章です。
訳者あとがきで宮元啓一氏曰く、

「えてして、インド研究者は、文献に強い人は図像学に弱く、図像学に強い人は文献に弱いという傾向にある。そうした中で、ツィンマーは、文献にも図像学にも強いという、まことに稀有の学者であったということができる。神話と図像を通して、キリスト教的伝統に染まった西洋人に対して、それとはまったくといってよいほど発想の異なるインド思想の原点を熱烈に説いている本書は、まさに名著中の名著であるといって過言ではない。
・・・・原文は、論旨は明快そのものなのであるが、恐るべき美文調で書かれており、読める日本語に移し換えるのにかなり苦労させられ・・・・
 なお、本文は、美文調ということを除けば極めて分かりやすく書かれており、例えばテクニカルタームの類が出てきても、必ずその直後に、適切な定義、ないし敷衍的な説明が付けられている。であるから、本書は、基本的には、注釈なしでも十分理解が可能である。」

なお、三島由紀夫も、「豊饒の海」を執筆するとき、インド哲学やヒンドゥー教関連のことを調べる際、このツィンマーの本を参考にしたと語っていました。さすがです。

ーーーーーーーーーーーーーー

編集部 たまたま三島さんの近著『暁の寺』が出たばかりですので、それについて武田さんから口火を切っていただけますか。

武田 『暁の寺』は、仏教理論、ことにヒンズー教を詳しく書いていますね。

三島 あれは外人の本で読んだんです。ヒンズーイズムのは、日本ではあまりいいのはないんじゃないでしょうか。P.トーマスという人の『ヒンズー・レリジオンーーカスタム・アンド・マナーズ』という本や、ハインリッヒ・ツィンマーの『ミスズ・アンド・シンボルズ・イン・インディアン・アート・アンド・シヴィライゼーション』という本や、そういうのを、三、四冊読みました。

武田 あれはしかし、よっぽど勉強家でなくちゃ、あそこまで徹底的にやれないわね。

三島 僕はしかし、ベナレスのシーンは、『豊饒の海』四巻のうちの、一番クライマックスのつもりで書いたんですけれどもね。ベナレスほど恐ろしいものを僕はちょっと見たことがないような感じがしましたね。あそこに行って、すべての文化があそこから、あのドロドロした、あれをリファインすると文化になってくるというその大元を見ちゃったような気がして、こんな、素(もと)を見たらたいへんだという感じがしましたね。

■三島由紀夫対談集『源泉の感情』(河出文庫)より

<参考資料>
三島の自決事件にせまるー1
三島の自決事件にせまるー2
三島の自決事件にせまるー3
三島の自決事件にせまるー4
三島の自決事件にせまるー5
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The Dance of Shiva

シヴァの踊り

SHIA, the lord of the lingam, the consort of
Shakti-Devi, also is Nataraja, "King of Dancers."

リソガムの主、シャクティ・デーヴィーの配偶神であるシヴァは、またナタラジャ、「踊り手の王」でもある。

Dancing is an ancient form of magic. The dancer
becomes amplified into a being endowed with
supra-normal powers. His personality is transformed.
Like yoga, the dance induces trance, ecstasy,
the experience of the divine, the realization of
one's own secret nature, and, finally, mergence
into the divine essence. In India consequently
the dance has flourished side by side with the
terrific austerities of the meditation grove-fasting,
breathing exercises, absolute introversion. To work
magic, to put enchantments upon others, one has first
to put enchantments on oneself. And this is effected
as well by the dance as by prayer, fasting and meditation.
Shiva, therefore, the arch-yogl of the gods, is
necessarily also the master of the dance.

踊りは、魔術の古代の彩態である。踊り手は、超常的な力を傭えた存在へと拡大されたものになる。踊り手の人格は変形される。ヨーガのように、踊りは、忘我、エクスタシー、神的なものの体験、自らの秘密の本性の認識、そして最終的には、神的な本質への没入をもたらす。インドでは、結果的に、踊りは、瞑想の森の恐ろしい苦行ーー断食、呼吸法、絶対的な内向ーーと相並んで栄えてきた。魔術を行ない、他人を魅了するためには、まず自らを魅了しなげればならない。そして、この効果は、踊りばかりではなく、祈祷、断食、瞑想によっても計られる。したがって、神々の原
ヨーギーであるシヴァは、必然的にまた、踊りの主でもある。

Pantomimic dance is intended to transmute the dancer
into whatever demon, god, or earthly existence he
impersonates. The war dance, for example, converts
the men who execute it into warriors; it arouses
their warlike virtues and turns them into fearless
heroes. And the hunting-party dance-pantomime,
which magically anticipates and assures the successes
of the hunting party, makes of the participants
unerring huntsmen. To summon from dormancy the
nature-powers attendant upon fruitfulness, dancers
mimic the gods of vegetation, sexuality, and rain.

無言の踊りは、踊り手をして、何ものであれ、自らが扮する悪魔、神、地上の存在へと変貌せしめることを意図している。例えぼ、戦の踊りは、それを演ずる人びとを戦土へと転換する。それは人びとの好戦的な性格を喚起し、人びとを恐れを持たない英雄へと変える。また、狩猟の成功を魔術的に期待し、確実なものとする狩猟の踊りの黙劇は、この踊りへの関与者を、過たない狩人にする。実りの豊かさに付随している自然の力を眠りから喚起するために、踊り手は、生長と性欲性と雨の神々を模倣する。

The dance is an act of creation. It brings about
a new situation and summons into the dancer a new
and higher personality. It has a cosmogonic function,
in that it arouses dormant energies which then may
shape the world. On a universal scale, Shiva is
the Cosmic Dancer; in his "Dancing Manifestation"
(nrityamurti) he embodies in himself and
simultaneously gives manifestation to Eternal Energy.
The forces gathered and projected in his frantic,
ever-enduring gyration, are the powers of the
evolution, maintenance, and dissolution of the world.
Nature and all its creatures are the effects of his
eternal dance.

踊りは創造の行為である。それは新しい状況をもたらし、踊り手に、新Lくてより高度な人格性を喚起する。それは宇宙生成の機能を有する。すなわち、それは、世界を形成しうる眠っているエネルギーを喚起する。宇宙的な規模で、シヴァは宇宙の踊り手である。その「踊りの顕現」(nrtyamurti)において、シヴァは自らの内に顕現を具現化し、同時に、永遠のエネルギーに顕現を与えている。シヴァの狂おしく永続する旋回において集積され投影された力は、世界の開展、維持、融解の力である。自然とその一切の生類は、シヴァの永遠の踊りの結果である。

オウム真理教第二の特徴

2007-03-21 21:52:41 | カルト
This desymbolization became bound up with a second Aum
characteristic: a vision of an apocalyptic event or series
of events that would destroy the world in the service of
renewal.


この非象徴化は、再生のために世界を破壊しようとする終末論的な一つの企て、あるいは、一連の企てというヴィジョンである第二の特徴と結びつくようになった。

All great religions contain variations of that vision,
ordinarily causing followers to struggle largely with
symbolic meanings. Asahara did not engage in this struggle
about such matters as Shiva's dancing the world out of
existence so that it might be renewed.

すべての偉大な宗教は、このヴィジョンの変形物を含んでおり、これは、通常、信者たちを、主として象徴的な意味と格闘させる役割を持っている。麻原は、シヴァ神が世界が再生されるために世界を消滅させる踊りを踊るというような問題にはかかわらなかった。

That "dance," as one commentator puts it, ~is only an
allusion," a way to represent powerful human forces,
in this case a grandiose version of the great universal
myth of death and rebirth, of world destruction and
re-creation.

この「踊り」は、ある注釈者が述べているように、力強い人間の力を表す一つの方法である「単なるほのめかしにすぎない」のである。この場合、それは偉大な普遍的な神話が持つ、死と再生、破壊と再創造という物語の壮大な脚色である。

Even the early Hindu storytellers, in shaping the myth,
warned that much of the detail was meant to be suggestive
and timeless rather than literal and prescriptive. But
the megalomanic guru absorbed the myth totally into his
world-encompassing self so that he could claim to act for
and as Shiva in embarking on a concrete contemporary
project of world destruction and renewal.

初期のヒンドゥー教の語り部でさえ、神話を語る際、その神話の細部の多くは、文字通りの、硬直したものであるよりも、むしろ、示唆的で時間を超えた概念を伝えようとしているのであると警告していた。しかし誇大妄想的なグルは、世界の破壊と再生という具体的な、当時の計画に着手するに際し、シヴァのため、そして、シヴァとして行動するのだと主張するために、神話をすべて、世界を包み込んでしまう自己の中に取り込んでしまった。

オウム真理教 第一の特徴

2007-03-21 05:17:44 | カルト
ロバート・リフトンの「終末と救済の幻想」というオウムを分析した本の中に、オウムの特徴として七つ挙げています。なかなかよくオウムの特徴を捉えていると思います。地下鉄サリン事件から12年目ということでもあり、この際、その七つをここに英文と日本語訳とを掲載していきます。英語の勉強にもなるでしょう。リフトンのこの箇所の英文は内容も構文もなかなかややこしいですね。難解で有名な京大の入試の英語みたいです(苦笑)。今回はまず、第一の特徴です。


The first characteristic of Aum was totalized guruism,
which became paranoid guruism and megalomanic guruism.
Instead of awakening the potential of his disciples,
Shoko Asahara himself became his cult's only source of
"energy" or infinite life-power and its only source of
the new self that each Aum disciple was expected to
acquire ( as epitomized by the religious name every
disciple took as a renunciant ).

オウム真理教の特徴の第一番目に挙げられるのは、絶対的なグルイズムである。 それは妄想型グルイズムに、そして誇大妄想狂グルイズムへと変質していった。 麻原は弟子の潜在能力を覚醒させる変わりに、自分自身がカルトの唯一のエネルギー源、 もしくは無限の生命力になり、弟子たちが獲得できるであろうと望んでいた新しい自我の 唯一の源泉となった。

For disciples there was no deity beyond the guru, no
ethicalcode beyond his demands and imposed ordeals, or
mahamudras. When the guru invoked a higher deity it was
only in order to incorporate the god's omnipotence into
his own. Guru and disciples were both energized and
entrapped by their claim to ultimate existential truth
and virtue.

弟子たちには、グルを超える神は存在しないし、マハームドラーと呼ばれた、グルの要求 や、弟子に課せられたきびしい試練を超えた倫理基準は存在しなかった。
グルが神(シヴァ大神)に祈るときは、シヴァ大神の全能の力を自分自身に取り入れようとするとき だけであった。グルと弟子たちは共に、自分たちは究極の実在的な真理と徳を手に収めて いるのだという思いにかられ、そして、落とし穴にはまってしまった。

This megalomanic guruism, the claim to possess and control
immediate and distant reality, was not only wild fantasy
but a form of desymbolization--a loss, that is, of the
symbolizing function that characterizes the healthy human
mind.

この誇大妄想狂のグルイズム--直接の、そして彼方のリアリティーを所有したり、コントロール できると主張するグルイズム--は、健全な人間の精神の特徴の一つである象徴化機能の喪失、 言い換えれば、非象徴化(desymbolization)の形式でもあった。

The guru took on a stance beyond metaphor. He could no
longer, in the words of Martin Buber,"imagine the real."
The Hindu scholar Wendy Doniger points out that most
mythology consists of concrete narration in the service
of metaphor, of descriptions of behavior meant to suggest,
rather than express, primal human emotions and dilemmas.

グルはメタファー(隠喩)を超えるスタンスをとった。グルはもはや、マルチン・ブーバーの 言葉を借りれば、「リアル(現実)を想像すること」が出来なかった。ヒンドゥー教の学者であ るウェンディー・ドニンガーは次のように指摘している。「ほとんどの神話は、メタファー としての機能を果たすために、根源的な人間の感情やディレンマをはっきりと表すというより、むしろ示唆するような行動の記述という具体的な物語から成り立っている。」

In reading mytholgical stories, we seek to reconnect
their concrete details to the symbolized, metaphorical
world in which we exist psychologically. A megalomanic
guru like Asahara does the reverse: he embraces the very
concreteness of mythic narratrves so as to circumvent
the metaphor and symbolization so crucial to the functioning
human imagination.

神話の物語を読むことにより、われわれは物語の具体的な詳細を、われわれが心理学的 に存在している、象徴化されたメタフォリカルな世界に再び結び付けたいと欲している。 しかし、麻原のような誇大妄想狂のグルはこれとは逆の立場をとった。彼は、人間の 想像力が機能するためにきわめて重要なメタファーや象徴化を回避するために、神話の 物語の具体性に固執した。

従軍慰安婦問題で参考になるブログ

2007-03-18 00:12:29 | 歴史
従軍慰安婦問題では、下記のブログが充実しています。

■東アジア黙示録
産経の古森記者のマイク・ホンダ議員に関するスクープ記事の解説
やっぱりな、という感じです。
この問題の裏で暗躍する正体が見えてきましたなあ。(笑)

http://dogma.at.webry.info/200703/article_15.html

■アジアの真実
http://ameblo.jp/lancer1/theme-10001536328.html

ここは凄いですねえ。
コメントも非常に勉強になります。

従軍慰安婦問題についてのアメリカの事情

2007-03-16 03:03:42 | 歴史
従軍慰安婦問題について「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の「読者の声」が非常に参考になりますので、転載させてもらいます。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 3月11日(日曜日) 
通巻第1732号 
(読者の声2)先日よりこちら南ユタ大学において、従軍慰安婦決議への反論として、
 1:読売英字版三月七日の社説(Don't misinterpret comfort women issue
 http://www.yomiuri.co.jp/dy/editorial/20070307TDY04005.htm
 2:自由主義史観の藤岡先生の、以前行なわれた、この件に関する記者会見の記事
(Foreign Correspondents Ask about "Comfort Women"answered by Fujioka Nobukatsu
 http://www.jiyuu-shikan.org/e/comfort.html)
 3:ある方の英文ブログの韓国人従軍慰安婦の実態記事(Comfort women? No, they
are prostitutes
 http://yellowpeep.blogspot.com/ )
 4;そのページにリンクされていた米軍の第二次大戦期の従軍慰安婦関連の報告書
(Report No. 49: Japanese POW Interrogation on Prostitution.
 http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html

 以上4つを持って行き、知り合いの学者連中に読ませましたが、反応は芳しくありませんでした。
 酷い人(アメリカ史専門)になると、「これは、政治的問題になる」などと良いながら、「しかし、おれは忙しいから読めない」などと言う人物もいました。(実際、忙しい事を理由に、「厄介ごとを、自分の所に持ち込むのは止めろ!!」という不快感と困惑ぶりを感じました。)
 上記の人物以外にも政治学(アメリカ政治専門)の学者や親日派のドイツ史専門の学者
などにも持っていって、「これはアメリカ側が対応を間違えれば、日米関係は確実に悪化しますよ」と必死で説明しましたが、全体的に反応は冷ややかでした。
 全体的な印象として、
 1:興味関心があまり無い。(これが日米関係の悪化につながるという考えが稀有。)
 2:日本軍の過去の否定が、なんとなく自身(つまり、戦勝国アメリカ人として)の誇
りのようになっており、自ら進んで日本軍の過去の冤罪?を知ろうという行為に一種の自己否定のようなものを感じる(つまり、学術、知的好奇心よりも、自己のアメリカ人としての感情を優先して、否定的、消極的になる。)
 ということを感じました。
 今回の問題は、根っこに「アメリカ人の戦勝国の誇り」に関する問題でがあるだけに、日本側からの説得工作などは、相当、困難が予想されると思います。
小生の通う南ユタ大学は片田舎ですので、中韓の留学生、教授などは全体として非政治的であると思います。(ほとんどが、政治、歴史と関係の無い分野専門)
 しかし以前小生が居た、カンザス州のフォートヘイズ州立大学などは、伝統的に親中派の学者が多く学生への講義やアメリカ人教授との個人的友誼などを通じて、反日プロパガンダを撒き散らしている可能性は濃厚です。(実際、恐ろしいのは、中国や韓国の大学と学術提携を結んでいる大学です。 
これらの大学は先に挙げたフォートヘイズ州立大学が典型例ですが、中韓から派遣された学生、教授などが学術講演、講義や個人的友誼などを通じて「反日プロパガンダ」を流すことが有るのです。
アメリカ人学生、教授の大部分はろくに知識が無い為に、知らず知らずのうちに洗脳されてしまいます。
また肝心の日本人留学生の多くは政治、歴史とは関係が無い科目を選択している学生が多い為、このような動きを知らない。
いくらこのような反日プロパガンダを流されようとも、一切の関心を示さないか、更には摩擦や非難を恐れて口をつぐんでいるのが実情です。)

 現在、南ユタ大学は中・韓の大学との学術提携や交流も無く、ここの大体のアメリカ人は、本に対し、ほとんど興味関心が無く、そのために助かっている面も有りますが、同時に中・韓出身の学生、教授などが、自身の政治意識に目覚めた場合に、彼らが本格的な工作を行なうとあっさりと陥落してしまう可能性も有ります。(現時点での可能性は、相当低いですが)。
 アメリカに居てこのような動きを感じるたびに日本国内における同胞の意識改革から、始めなければならないと痛感いたします。
 どうか、事態打開のために、本国の方も、がんばってください。 
    (TS生、在米ユタ州)


(宮崎正弘のコメント)米国内の動きが手に取るようにわかりました。孤軍奮闘ぶりのご報告有り難う御座いました。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 3月14日(水曜日)  
通巻第1736号

(読者の声1) 貴誌1732号(3月11日)、在米ユタ州TSさんの報告があり、慰安婦問題に対して米国人は資料にも議論にも冷淡で、反発すら示す傾向がある旨のレポートをたいへん変興味深く拝読しました。
 おそらくこの争点は紋切り型「日本軍国主義」像の修正・否認につながることからTSさん御指摘のように、根っこで彼らの「戦勝国の誇り」に触れていることに大きな問題があるのでしょう。
しかもその戦争は、彼らからすれば善意の民主主義国が、強いられた正義の戦いに勝利した物語です。
それは建国に遡って彼らが理想とする精神、感情あるいは神話の基盤に、輝かしいプレートとして埋め込まれました。
敗戦国の異邦人が神聖なその場所(の周辺)に冷静な論理や分析を加えることは、まさにその肯綮を逆撫でするタブーの侵犯とされかねない、危険がありうるのでしょう。米国がいまだに打ち続く戦争と流血の中にあることも、同情的に見れば冷静で客観的な見方を妨げうる要因かもしれません。

さらに、「アメリカ合衆国は、18世紀の当初から、歴史を切り捨てて、民主主義のイデオロギーに基づいて建国した国家である」(岡田英弘『世界史の誕生』)という特殊な事情と、これも根にある彼らの親中国感情(たとえば、1939年に米国で絶賛を博した、林語堂『北京好日』(邦訳で1200ページの大冊)は、美女とオリエンタリズムの撒き餌で強烈に新大陸の読者を魅惑しつつ、そのまま反日宣伝の大網に米国人を浚い取りました)からすれば、おそるべき反日鉱脈がemotional matrixのように今なおあの大陸にはうずくまっているのではありますまいか。
 シーファー大使の警告も、そのあたりの消息を伝えるように思われます。
 上記の東洋史家、岡田英弘さんは同じ著書で、
「現代の世界での本当の対立は、歴史のある文明と、歴史のない文明の対立である」。
「現代の世界の対立の構図は、歴史で武装した日本と西ヨーロッパに対して、歴史のないアメリカ合衆国が、強大な軍事力で対抗しているというのが、本当のところである」と断案しています。(中国は歴史のある文明ですが、中共はこれを捏造し、韓国はこれを妄想して歴史の無い米国に媚びる構図)。
歴史のある文明として、日本は二重底、三重底の老獪な対応が必要かもと昨今は、愚考しております。
(石川県、3cats)


(宮崎正弘のコメント)貴重なご意見有り難う御座います。
ところで、文中にある林語堂氏のことですが、日本から晩年は台北へ移住し、風光明媚な陽明山でくらしました。近くには蒋介石の別荘もあります。
 学生時代に林先生の講演を東京で聞いた記憶があります。往時、「国民新聞」にも盛んに寄稿されていました。
 陽明山の旧居、いまも山の中腹に残り、「林語堂記念館」となっていて、小生、過去三年ほどのあいだにも、二回ほど、そこへ行ったのですが、あいにく二回とも休館日でした。残念!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 3月15日(木曜日)  
通巻第1737号 
(読者の声1) 一部米国人の慰安婦問題への異常な執着について。
1.過去
米国が人権問題に過敏なのは奴隷制度を長く維持してきた弱みからかもしれません。
戦前の米国の日本への敵愾心の一つとして、日本の人種平等主義が無権利状態で抑圧していた千三百万黒人の反乱を刺激する恐れがあったからという見方があります。奴隷制下では美人の黒人女奴隷は当然白人農園主の性奴隷でした。米国に到底他国を非難する資格はありません。
 2.現在
この宣伝は北朝鮮の日本人拉致犯罪の隠蔽に使われているようです。
タイム誌は過去と現在の抑留問題をチャラにして、北朝鮮に資金援助せよ、と主張しているようです。根拠のない宣伝と現実の悲劇を混同しており錯乱状態です。
 3.思想的な理解
大東亜戦争はアジアを支配する白人植民地主義に対するアジアの民族主義の抵抗でした。

日本は有色人種最後の独立国家でした。
米国は抵抗した日本の民族主義を公然と非難できないので、軍国主義、国家主義、ファシズムなどとレッテルを貼り中傷してきたと思います。
日本人は非難のレッテルを「民族主義」と言い換えてその不当性を理解すべきでしょう。

4.対応
洗脳されている人には反論は逆効果ですから日本は海外のまだ洗脳されていない人に対してインターネットで史実と謀略を発信してゆくべきです。何もしないとさらに日本の子供への迫害が始まります。泣き寝入りはできないのです。
   (MC生)


(宮崎正弘のコメント)黒人奴隷のまえに原住民インディアンの虐殺があります。アメリカの歴史教科書は、これを数行で片付けています。



   ♪
(読者の声2) 従軍慰安婦問題非難決議に見られるアメリカや「国際」のいやらしさ や 腹黒さに、今度ばかりは日本国民は少しはこたえたでしょう。
アメリカは腹黒いというより、小生の実感では、むしろ極端な無知と視野狭窄で、人間への洞察を欠いた単細胞人間の集団です。在米ユタ州TSさんの報告はアメリカ人の得意気な姿を彷彿とさせます。
こういう時代に、いちばん必要な論客は高山正之さんでしょうね。あの人の仕事がもっともっと増えることが必要です。
彼の著作を英訳して、アメリカで出せば結構売れるのではないか・・・・そして日本の国益にも資すると思いますがいかが?
イギリスでは(アメリカと異なり)反発を買うのみでしょうが、単純なアメリカ人には結構受けるのではないかと思います。
日本人は日本人論や比較文化論が大好きですが、アメリカ人はまったくその素養がない。
 今回の慰安婦決議もそのことと間違いなく関係しています。在米ユタ州TSさんの報告にもそのニュアンスは嗅ぎ取れます。
アメリカにも「菊と刀」のような研究もありますが、あくまで戦争の合理的な遂行という見地からの研究であって、机上の空論的な要をも少なくなく、もうひとつです。
人文研究は本来 実利的目的を持たない、血肉の体温を持った研究でないといけない。
最近 奇妙に思うことの一つは、「親米」を「ポチ」といって揶揄した人たちが、拉致問題や慰安婦問題程度で多少毅然とすると、今度は、「国際的に孤立する」「同盟国・アメリカを怒らせていいのか?!」となる。
一体、何が言いたいのか? 
どうすればいいのか?     
日本人は本当にケッタイな人たちです。おなじ人格の中でよくこうも簡単に回路の切り替えが出来るものかと不思議に思います。
そうであれば怨嗟の声がぶつけられている江(or 紅)之傭兵も・・・・。案外、彼こそが「もっとも日本人的な日本人」と言えるのではないかという感じすらしてきました。
 へたな柔軟は「腹黒い国際」の渦中ではケツの毛まで抜かれてしまう。
       (TK生、世田谷)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 3月16日(金曜日)  
通巻第1738号  (3月15日発行)
(読者の声1) 第1736号へのコメントを二つ。
まず(読者の声1)について。アメリカの親中反日国民感情の源流の有力なものとして、
19世紀後半から20世紀前半に中国へ布教に行った新教牧師の報告があります。例えば、パール・バックの『大地』です。
これら新教牧師の報告はアメリカの大衆紙を通じて普通の国民に親中反日感情を埋め込みました。
 つぎに(読者の声2)への宮崎さんのコメントについて。「これで『文藝春秋』四月号は買わなくて済みます」と仰言っていますが、「昭和天皇戦時下の肉声」を読むため、やはり買わねばなりませんよ。
     (KI生、生駒)


(宮崎正弘のコメント) パール・バックの『大地』が、最近日本でなかなか手に入らなくなって、ひそかに良いことだと思っておりました(苦笑)。
 ご指摘の米国におけるロビィですが、宋美齢が、その典型であったように、中国人のほうが、じつに巧妙ですよね。
「従軍慰安婦」をまたぞろけしかけたホンダ議員のもとに中国から十一万ドルもの献金があった(産経、15日付け一面トップ)。
 ホンダ議員の選挙基盤は中国人と韓国人がワンサカとすむ「反日ムード」一杯の選挙区ですから、反日を叫んでいれば当選できる仕組みです。

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宮崎正弘のホームページ http://www.nippon-nn.net/miyazaki/
◎小誌の購読は下記サイトから。(過去4年分のバックナンバー閲覧も可能)。
http://www.melma.com/backnumber_45206/