ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

終末思想の語源的考察

2007-04-30 16:00:02 | カルト


越智道雄著『<終末思想>はなぜ生まれてくるのか』(大和書房)第一章終末思想の誘惑
より

終末思想とは何か

  エスカトロジーという言葉を分解するとエスカトス(終末)十ロジーで、「終末論」になる。もともとユダヤ教とキリスト教の用語だが、十九世紀末の欧米では「世紀末」と併用されだし、宗教の域をはみだして文学や芸術、社会文化思潮全般について使われだした。

 非ユダヤ=キリスト教圏の日本へは後者の意味だけが輸入され、もっぱらその意味で使われた。第二次大戦後、私が文学青年だったころは、核兵器の脅威が加わって「文化的終末思想」は一層凄味を増したが、欧米のように、核兵器の脅威が宗教的終末思想を流行らせることはなかった。

 玉川大学講師のユダヤ系アメリカ人、シドニー・シュウォーツとはここ数年一緒に高校生用英語教科書の編纂をしてきた仲だが、その彼に聞いてみると、「エスカトロジーという言葉に接したのは大学生のときが初めてで、教師は真面目な顔で、当然のことのようにこの言葉を使った」と答えた。むろん文化的意昧合いではなく、宗教的意味合いで使ったのである。彼によれぱ、「欧米では圧倒的に宗教的意味合いで使うね」ということだった。ちなみに彼はユダヤ教徒ではなく、むしろ禅に凝って日本にきて、日木女性と結婚、定住した。シュウォーツの言葉を裏付ける意見を一つだけあげておく。「終末論はキリスト教の中核をなすので、これは当然西欧文明の中核的要素となる。西欧文化に触れる場合、この終末論に則った歴史観に触れずにすますわけにはいかない。単純な終末論を基礎にしたテレビ映画『スター・ウォーズ』が、今日最も有名な作品となったのは偶然ではない」(アイラ・チャーナス『ドクター・ストレンジゴッドーー核兵器の象徴的意味』一九八六年)。

 オウム真理教団が流行らせた「ハルマゲドン」という言葉は、このエスカトロジーのクライマックスを指すので、おそらく日本では終末思想という言葉が、仏教の「末法思想」などを除けば、初めて宗教的文脈で一般に使われることになった。だから非ユダヤ=キリスト教圏の日本では、エスカトロジーという言葉が欧米とは逆の経路を経て一般化したわけである。この経路が逆ということ自体が、「世紀末的」な余韻を持っていないだろうか?

一八四〇年代に使われ始めた「エスカトロジー」という言葉

 さて、エスカトロジーという言葉は聖書には出てこない。『オックスフォード英語辞典』の初例では、一八四四年と非常に新しい。前記のシュウォーツは相当な物知りなのだが、「え?そんなに新しい言葉なのか?」と聞き返した。ハルマゲドンという言葉もヨハネの黙示録(16-16)に一度、それも「世界最終戦争」という後世よく使われる意味ではなく、その戦争が戦われる戦場名として出てくるきりである(「汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ぱれる所に王たちを集めた」。以後引用は全て新共同訳『聖書」による)。この事実は何を意味しているか?それは、旧約・新約の両聖書を書いた当の預言者たちより、両聖書を繰り返し巻き返し読んで倦むことを知らない後世のユダヤ=キリスト教徒らのほうが、いかにエスカトロジー的要素やハルマゲドン的要素に魅力を感じてきたか、ということを意昧しているのだ。単なるエスカトス(終末)ではすまさず、エスカトロジー(終末論)という理論まで抽出するほど、後世の信徒らは「終末」に入れあげてきたわけである。

 エスカトロジーという言葉が使われだした一八四〇年代は、例えば四章で触れるように、アメリカでは「再臨派(アドヴェンティスト)」を興したウィリアム・ミラーが、「世界が一八四一二年に終わる」と予言、それが外れると「一八四四年に終わる」と修正、それも外れて、結局ミラーの信者らは翌四五年に、「われわれは千年王国の到来を信じるが、いつくるとはいえない」と、予言を先送りした。一九九三年、テキサスのウェーコ郊外で「集団自爆」したブランチ・デヴィディアンは、この再臨派の「分枝(ブランチ)の分枝」である。

神の歴史こそが現実を透明にする

 しかし聖書にも、エスカトス(終末)に相当する語旬はある。「アハリト・ハ=ヤミム」(「日々の終わり」または「時の終わり」)がそれだが、「べ・アハリト・ハ=ヤミム」と副詞句になると、「未来に」とか「釆たるべき時に」という意昧に変わる。名詞句と副詞句では意味が異なるのは当然だが、このギャップは意味深長ではある。なぜならば、エスカトロジーがかくも人々を魅きつけて離さない秘密が、「終末がいつ来るかは、誰も、メシアやイエスすら知らない。それを知っているのは父なる神だけである」という一点にかかっているからだ。つまり「未来に」とは、エスカトロジーでは、「その先がない未来に」、つまり「時の終わりに」という戦傑的な意味を持っているからである。



世界の終末を信じる人たちの心理(2)

2007-04-29 20:51:43 | カルト


「金輪王で世を治めるぞよ。」

「地の先祖がこの世を受け取りて治めるようにならねぱ、今のやり方では世は治まらんぞよ。」

「綾部みやこと致すぞよ。」

「松の大本で世を治めるぞよ。」

 こういう筆先の一節が根拠となって.いろいろのデマが乱れ飛んで、大本教では竹槍数万本、日本刀数干本を用意し、また万一の時のために金貨を地下に埋めて置いて、暴力革命を起こす準備をしているなどと言い触らす者も出て来た。それについて当局は厳重に大本教の出版物を監視し始めた。すると一年も以前に発行した『神霊界』のなかに発表された筆先に不敬罪に触れる内容があるということが発表され、その筆先を漢字混りに書き直した執筆者として教主出口王仁三郎氏と、時の総務浅野和三郎氏と、署名人の吉田某とが起訴された。京都府警察部長藤沼庄平氏が京都府管下の数百名の決死警官隊をして綾部を包囲してその本部の家宅捜索を行なわしめたのは大正十年二月五日であった。当時のわたしは亀岡矢田町に住んでいたが、十数名の警官を引率した検事が家宅捜索に来て不穏文書でもないかと原稿や書翰を取り調べて行ったが、むろんそんなものはあるはずがなかった。

 出口王仁三郎氏と浅野和三郎氏とはしぱらくの間未決監に収容されていたが保証金を積んで保釈されて出て来た。

 人々が大正十一年三月三日、五月五日の世界建て替え完了の日のみ待って、この際大本教を伝えて功労を建てておいたら、世界建て替え成就の日にかしこの大名、ここの太守になれるなどと、浮かれているうちに、わたしはそんな日が来ても決して大名にも太守にもなれないと思っていた。そんな馬鹿らしいことは考えられなかったし、たといそんな馬鹿らしいことを想像しても、わたしにはそんな資格があるとは思えなかった。もし最後の審判がありとするならぱその時綾部に集まっているすべての人が、わたしにはとうていその審判を通過する資格があるとは思えなかった。筆先の解釈の問題でさえも内部の人たちおのおのがその見解を異にして相争っていたし、信者たちおのおのは「信者の癖にこんなことをした、あんなことをした」と言っては互いに悪口を言い、陰口をきいて相争っているのであった。

 さすがに御筆先には巧みなことが書いてあった。.

「この大本の中には世界の鏡が出してあるのであるから、大本の中が善くなったら世界が善くなり、世界がよくなったら大本の中が善くなるのであるぞよ。早うこの大本の中から善の鏡を出すようにせんと世界の建て替えが延びるぱかりであるぞよ。」
「いろいろ慢心をしてこれでわかったと思っているものがあるなれど、みんな取り違いを致しておるぞよ。アフンと致すことができるぞよ。この大本はひっかけ戻しの仕組みであるから、わかったと思ったらわからぬであるぞよ。」

 いろいろ筆先に対して自分勝手な解釈をして、これはこうだと独断しているけれども、みんなそんな解釈はまちがいであると、艮之金神(うしとらのこんじん)さんはここに揶揄一番宣言していらるのであった。

 解ったと思ったら解らないのだ。悟った思ったら悟らないのだーーそれは実に禅家の公案と同一の、いっさいの握りを放下せしむべき一喝であって、よほど道の達人でないとかくのごとき摑むところのない空々無げの言葉を発することはできないであろうから、この艮之金神ーー後に国常立尊と称した神が並ひととおりでない把住放行自在の神であることにわたしは今かえって感心するのであるが、知ろう、解ろう、握ろう、掴もうと思って筆先を読んでいた多くの信者にとっては、この一語に会うと、茫漠として掴みどころがなく、どうしたらいったいいいのかわからなくなるのであった。

 大本教祖の筆先と、『仏説弥勒下生経』と、キリスト教の聖書とを相列べて最後の審判の日を研究していたわたしは、周囲の神懸りたちの興奮した雰囲気と、自分自身のその研究とに捲き込まれて、やっぱり最後の審判の正念場は大正十一年三月三日、五月五日と思えるのであった。そのころ、大本教の亀岡道場で、毎日わたしがやっていたキリスト再臨論は信者間に有名なものになってきた。わたしのキリスト再臨諭だけをわざわざきくために綾部へやって来る信者も多かった。

  しかし当のわたし自身はその最後の審判をパスできるほどに浄まるのはいつのことだか見当がとれなかった。それでもわたしはキリスト再臨論を講義していて信者聴講者たちから喝采を博していた。

■谷口雅春著『生命の実相』第19巻(日本教文社)より




世界の終末を信じる人たちの心理(1)

2007-04-29 17:08:40 | カルト


オウム事件の原因の一つとして、終末論があったように思います。
オウムの予言の本やヴァジラヤーナサッチャの中には、大本の予言を紹介しているものがあったことは、ご存知の方も多いと思います。
 かつて、大本教の幹部として、教主出口師の霊界物語の口述筆記もされたことがある生長の家創始者谷口雅春師が、自伝の中で、大本の予言が発表された頃の、綾部の大本信者の様子を書かれています。これを読むと、こういう終末予言を信じる人たちの心理というのは、今も、昔も変わらないものだなあ、と思います。オウムの人たちの心理ともよく似ていると思います。非常に興味深いので紹介させてもらいます。

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 大本教祖の筆先として発表されたところによると、今まで鬼門の金神(こんじん)、崇り神として、世界の東北、艮(うしとら)の方角に押し込められていた神が、いよいよ時節到来明治二十五年より天の御三体の大神の御命令によって綾部に出現してここを中心として最後の大審判を行なうというのであった。大本教がそのころ人の心を惹き付けたのは、最後の審判の時期を明瞭に指示したことであった。お筆先は仮名書きであって意味がどうにでもとれるのであったが、それに漢字を当てはめて意味を敷衍して発表するのは教主出口王仁三郎氏の役目であった。その役目は教祖の御筆先それみずからの中に指名してあるのであった。

 さてその最後の審判の時期というのはいつであるかというと、

「明治二十五年から三十年に建て替えがあると申してある」

という御筆先が発表せられていた。そして一方には、「明治五十五年三月三日、五月五日は結構な日であるぞよ」と書いた筆先もあった。それで、大本教全体は、最後の審判の期間をぱ、明治二十五年プラス三十年間合計明治五十五年には最後の審判すなわち「建て替え」が完了するのだと信じられていた。そして金竜殿で浅野和三郎氏などは信者たちにそれを堂々と発表し講演しているのであった。ことに浅野和三郎氏などはいよいよその時が来るならぱ出口家は代々祭祀長となり、浅野家は代々政務長となり、いわぱ封建時代の征夷大将軍のようにそれが世襲的になるのだと言って、黒板に「出口」と書いてその下にカッコをして (祭)と書き、浅野と書いてその下にカッコをして(政)と書いて修行者に見せたりした。信者たちのうちの神憑状態になる者も、低い守護霊とか憑霊とかいうものは神通力も大してなく、全体の雰囲気を察していい加減な付和雷同的な予言をしがちの者であるから、信者自身のうちに、あちらにも、こちらにも、神憑状態で最後の審判ぎりぎり結着の日を明治五十五年すなわち大正十一年五月五日だなどと予言するものが頻発してきたので、あの人の守護霊も、この人の守護霊も最後の審判の日を大正十一年であると予言している。かく予言が一致する限り、これはまちがいのない事実であるとの念が大本教信者全体にゆきわたって、ほとんど誰も彼もがそれを信じ、ここ数年の間に迫る最後の審判の日に焼ぎ減ぼされないために、神様の御用をしたいという人々が続々綾部に移住して来るので、そのごろの綾部の町は常にお祭りのような狂奔状態であった。

 そこに漂う空気には純粋な宗教的信仰と言うよりも一種の自分の助かりたい打算があった。その最後の審判というものは、日本対全世界の一大世界戦争を発端として、日本全国が敵軍に空襲せられ、その時に世界全地に大地震があり、大落雷があり、飛行機より爆弾は火の雨と落下して日本全国がほとんど灰燼になるが、この綾部十里四方の、上空だけは、神が守護していて飛行機を入れないから、この綾部の地だけは安全であり、その時の大地震にも綾部の十里四方は下津磐根(したついわね)と称して一枚岩であるから絶対安全地帯である。大祓祝詞(おおはらいのりと)に「下津磐根(したついわね)に宮柱太しき建て、高天原千木高聳(たかあまはらちぎたかし)りて」とあるのは、その時の予言であって綾部に一大神殿が建設せられ、日本国中どこもかしこも一時住むところがなくなるから綾部がいっさいの中心地となる。この下津磐根の安全地帯へ逃げて来ている者は救かるが、その他の者はほとんど全滅する。こういう功利的な意味で丹波綾部へ移住して来る者も多かった。

 大本教の筆先の一部を引用して種々臆測を加えていろいろデマを飛ばすものが、あちらにもこちらにも出て来た。根も葉もない事が現実味をもって伝えられ、大本教が世界を統一した後に現在大本教の功労者たる人たちは、イギリスの太守になるとか、アフリカの太守になるとか妙な功利的な利益を言いふらす者もあった。

谷口雅春著『生命の実相』第19巻(日本教文社)より


エベレストで米国人ら拘束、チベット独立など要求

2007-04-27 13:00:05 | ダライラマ
エベレストで米国人ら拘束、チベット独立など要求
2007.04.25
Web posted at: 21:45 JST
- CNN/AP

北京――中国西部、チベット自治区の分離独立を求める組織は25日、世界最高峰のエベレスト(中国名・チョモランマ、同国発表で標高8850メートル)で米国人3人、チベット系米国人1人が自治区独立を要求、来年の北京夏季五輪に反対する垂れ幕を掲げたため拘束されたと発表した。AP通信が報じた。


自治区内の登山拠点での事件で、チベット独立を求める学生団体が行った。ネパール・カトマンズを拠点にする同団体代表は「中国は五輪をチベット占領の過酷な現実から目をそむけさせる材料にするつもりだ」などと語っている。

北京の米大使館は事件について、個人情報の問題が絡み論評出来ないと述べたが、事件を認める発言ともなっている。AP通信は、拘束された女性の1人と電話連絡し、中国当局に旅券をはく奪されたが、処遇に問題はないと語ったと伝えた。抗議行動は約30分間だったという。

しかし、拘束期間についての情報はないと述べた。

反中の学生団体よると、4人が拘束された基地には聖火リレーの目玉行事として中国当局が検討するエベレスト経由の可能性を探るための同国の登山家、関係者70人以上が滞在していたという。今回の抗議行動はこれを逆手に取った対抗措置としている。
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チベットの独立は絶対に許さないという中国の固い決意がうかがえ、チベット問題に対する中国当局の懸念がよく現れている対応です。チベットの中でも、若い、祖国愛に燃える人たちや、その支援者の中には、ダライラマの非暴力に徹した、中道路線に反発する人たちが存在することは、最近のローリングストーンの記事の中でも知ることができます。

この中国側の対応に対する感想は、軍事評論家=佐藤守のブログ日記にも、書かれています。

この中国のチベットへの今現在も続いている侵略行為は、なぜか、アメリカのメディアや日本のメディアで、ほとんど黙認という形で、声高に非難されない。もちろん、アメリカのメディアでは、時々取り上げられるが、なぜか、長続きしない。それに対して、日本の過去の慰安婦問題はネチネチと責め続けられる。これは、勿論、日本側の日本の過去の戦争中の悪と考える行為は徹底的に糾弾しなければ自分の心が休まらないという人たちの病理の存在もその理由のひとつだが、この日本の自虐的病理は、中国には徹底的に利用されている。この中国の外交のしたたかさは恐るべきである。よく考えると慰安婦問題よりも、もっともっと何億倍もの重大な人権侵害であるチベット問題は、徹底的に糾弾されなければならないのだが、中国は偉そうな顔をして、日本に道徳的お説教を垂れるという構図になってしまうのだ。おかしいではないか。このおかしさに気が付かない人は、まったく、おめでたい人たちという他はないです。

ダライラマ法王タイム誌インタビュー

2007-04-21 22:41:17 | ダライラマ

ASIA
JANUARY 18, 1999 VOL. 153 NO. 2

The Dalai Lama on his frustrations with Beijing:
"I'm Ready to Talk Any Time"

(ダライラマが北京の態度に苛立ちを示す:
「私はいつでも話し合う用意は出来ています。」)

The Dalai Lama's brief chat with U.S. President Bill Clinton at the White House in November raised hopes that Beijing's leaders might at last agree to meet with the exiled Tibetan spiritual leader. But expectations that Washington could broker a dialogue between the 63-year-old Nobel Peace Prize winner and the Chinese swiftly foundered. In an uncharacteristically somber mood, the Dalai Lama met recently with TIME's New Delhi Bureau Chief Tim McGirk in Bodh Gaya, northern India, and explained his frustrations in trying to discuss with Beijing the issue of Tibetan autonomy. Asked how the relationship was progressing, he glumly replied: "There's no news. Nothing's working."

TIME: During President Clinton's trip to China, a glimmer of hope emerged that Beijing might start talking to you. What's happened? Has the door shut?

タイム:クリントン大統領が中国を訪問した時に、中国政府はあなたと話し合いを始めるのではないかという微かな希望の光が見えたようなのですが・・・・・。一体何が起こったのでしょうか。ドアは閉じられたのですか?

Dalai Lama: I cannot say it's shut. "Shut" is maybe the wrong word. But there are some confusing signals coming from Beijing. One of the informal channels which we used to make contact with them is now more or less closed. It's not working.

ダライ・ラマ:ドアは閉じられたとは言えません。「閉じられた」という言葉はたぶん不適切な言葉だと思います。そうは言うものの、北京から来るサインの中には混乱を来すものがあります。われわれが中国側といつも接触している非公式のルートの一つは、今現在、事実上、閉ざされています。それは活動していません。

TIME: Why did the Chinese leaders change their minds about speaking to you?

タイム:何故中国側の政府要人は、あなたと話し合うという気持ちを変えたのでしょう?

Dalai Lama: It seems that lately, the overall government policy regarding dissidents--and the democracy movement--has hardened. Their attitude toward me and Tibetans has gone the same way. It seems that the influence of the hard-liners is increasing.

ダライ:ラマ:最近、全面的に政府の反体制活動家に対する姿勢は、勿論民主化運動についてもですが、きびしくなってきています。私やチベットに対する姿勢も同様にきびしいものになっています。これは中国政府内部の強硬派の力が台頭してきていることの表れのように思います。

TIME: Is President Jiang Zemin himself responsible for this?

タイム:江沢民国家主席は、このことについて責任があるのでしょうか?

Dalai Lama: We know there are two groups [in the Politburo], one moderate and one more hard-line, on Tibet.

ダライ・ラマ:われわれは政治局の内部に二つの勢力があることをつかんでいます。チベットに対して、穏健派と強硬姿勢を主張するグループが存在しています。

TIME: What's next? How can you convince the Chinese leaders that there's no harm in talking with you?

タイム:将来の展望はありますか? あなたは中国政府のリーダー達を説得して、あなたと話し合うことは何ら彼らのマイナスにはならないのだと確信させることができますか?

Dalai Lama: My position hasn't changed in spite of the tougher Chinese attitude. I'm fully committed to the middle-way approach [of seeking autonomy for Tibet], one which can actually help to achieve genuine stability and unity for China. It's actually an antidote to separation. The Chinese government should appreciate this, but unfortunately there's too much suspicion. As soon as some positive indication comes from the Chinese government, I'm ready to talk anywhere, any time, without preconditions.

ダライ・ラマ:私の立場は中国側の強硬な姿勢にもかかわらず、変わっていません。私はまったくの中道路線の立場、つまりチベットの自治を求めるというものですが、この立場を貫いています。そして、中道路線こそ、事実上、真の中国の安定と統一に貢献することができます。これは事実上、分離要求に対する防御になります。中国政府はこの私の案を考慮しなければなりません。しかし残念ながら、彼らの間には、あまりにもわれわれに対する疑惑が渦巻いています。がもし、中国政府から肯定的な徴候が来れば、私は直ちに前提条件なしで、いつでもどこででも話し合う用意があります。

TIME: Are you optimistic?

タイム:あなたは将来について楽観的ですか?

Dalai Lama: One encouraging thing is that some Chinese writers and intellectuals are now becoming more aware about Tibet. Certainly America and Western Europe are also increasing their support for us. I'm very pessimistic for the immediate future. In the long run, though, I'm always optimistic.

ダライ・ラマ:最近の勇気づけられることの一つに、幾人かの中国人の作家や知識人がチベットについて次第に関心をよせてきてくれているということがあります。たしかに、アメリカや西ヨーロッパの国々もまた、われわれに対する援助を増やしてきてくれています。私は、ごく近い将来については悲観的ですが、遠い将来については、いつも楽観視しています。

TIME: At times, it seems as though the Chinese strategy is simply to ignore you and hope that they will outlast you.

タイム:時々、中国側の戦略は、単純にあなたを無視して、あなたより長く生存する、つまりあなたがこの地上から姿を消すのを期待しているようにも見えます。

Dalai Lama: Yes. One opinion [among the Chinese leadership] is that if the Dalai Lama dies things will become easier. There will no longer be any resistance in Tibet. But there's another opinion: that as long as the Dalai Lama is there, only then can a real solution be found through the middle way. Without the Dalai Lama, things could become difficult and more dangerous.

ダライ・ラマ:たしかにそうですね。中国政府内部の意見の一つに、ダライ・ラマが死ねば、物事はうまくいくのだが、というのがあります。つまり、チベットでは、私がいなくなれば、いかなる抵抗運動もなくだろうというのです。しかし、異なった意見もあります。ダライ・ラマがチベットにいる限り、その時にこそ中道路線に立脚した真の解決が見出せるというものです。ダライ・ラマがいなくなれば、解決はむずかしくなり、より危険になるという考えている幹部もいます。

TIME: But in the meantime, it seems that Beijing is trying to destroy Tibet's separate identity.

タイム:ところで中国政府は、チベットの独自の文化を破壊しようとしているように見えます。

Dalai Lama: That's my concern. Tibet's living Buddhist culture and tradition are not only of benefit to 6 million Tibetans but also to the Chinese. In the past, Tibetan Buddhist traditions have helped the Chinese a lot. In the future, these traditions can also help to give the Chinese deeper values.

ダライ・ラマ:そのことは私が心配していることです。チベットの生きた仏教文化や伝統は単に600万人のチベット人の利益になるばかりでなく、中国人の利益にもなるのです。過去において、チベットの仏教の伝統は中国人をたくさん救いました。さらに将来、これらの伝統はまた、中国人により深い価値を提供することができます。

TIME: In what way? Do you believe the Chinese people have lost their values?

タイム:どういう方法によってでしょうか? あなたは中国人は彼らの価値観を喪失したと思っていますか?

Dalai Lama: Today, there's nothing--only money. Marxism doesn't have any effect. There's corruption and scandals everywhere. Nowadays, the Chinese are saying that if corruption is eliminated then the Communist Party will die, and if corruption is not eliminated then the country will die. Self-discipline based on spiritual values--that's the real answer to corruption.

ダライ・ラマ:今日、彼ら中国人にはなにもありません---ただお金があるのみです。マルクス主義は何の影響力も持つことができません。中国ではいたるところで汚職やスキャンダルが満ちあふれています。いま中国人は次のようにささやきあっています。もし汚職が根絶されたら中国共産党は崩壊するであろう。あるいは、汚職が根絶されないならば、国家は崩壊するだろう、と。精神的価値に基づいた自己を律する精神は、汚職に対する真の解決策なのです。

TIME: There are reports that a new crackdown is under way in Tibet. What advice would you give to those Tibetans--in particular the Buddhist monks and nuns--who are being forced to denounce you as their spiritual leader?

タイム:今チベットでは新たな弾圧が行われているという報告があります。あなたは、あなたを自分たちの精神的指導者として批判させられているチベット人たち、特に仏教僧侶に対してどのようなアドバイスをされるでしょう?

Dalai Lama: I'd say O.K., denounce me. Especially if they're being subjected to physical torture. I don't want them to undergo that pain.

ダライ・ラマ:私はOKを言うでしょう、どうぞ私を非難して下さいと。特に物理的な拷問を受けているならば。私はそのような苦痛を経験してもらいたくないのです。

TIME: Why are the leaders in Beijing so afraid of you?

タイム:何故北京のリーダー達はあなたをそんなにも恐れているのでしょう?

Dalai Lama: [He laughs and shakes his head.] I don't know. I don't know. They have big military power but no truth.

ダライ・ラマ:[笑いながら頭を横に振る]分かりませんし、知りません。ただ彼らは巨大な軍事力は持っているのですが、真理は持っていないのです。


ダライラマ法王、シャンバラサンインタビュー (2)

2007-04-21 19:38:51 | ダライラマ

Professor Robert A. F. Thurman:I see what you mean, Your Holiness. Those who harp on political independence as the only goal never think about this dimension.

ロバート・サーマン教授:猊下のおっしゃられることは分かります。チベットの政治的独立 を唯一の目的だと主張 している人たちは、この文化の保護、維持という次元を考えてい ません。

His Holiness the Dalai Lama:
Since my main aim, my main concern, is spirituality, the special Tibetan cultural heritage, I have to speak out on behalf of these people of Kham and Amdo. And since I accept staying within the People's Republic of China, there is no implication of expansionism. Clear?

ダライ・ラマ法王:私の根本の目的、そして最も懸念していることは、霊性であり、特別なチベット文化遺産ですので、私はカムやアムド地方の人たちの代弁者の役割を果たさな ければなりません。そして私はチベットが中国国内に留まることを受け入れていますので、 私の主張には拡大主義の要素は何もないのです。私の主張は納得していただけたでしょうか?

Professor Robert A. F. Thurman:
Very clear. So what does Your Holiness ask us to do, in the West, to effectively support the Tibetan cause?

ロバート・サーマン教授:非常に明快ですね。それでは猊下はわれわれ西欧の人間に対 して、チベットの大義を効果的に支援するために、どのような行動を望まれますか?

His Holiness the Dalai Lama:
According to our past experience, I consider public opinion the ultimate source of our hope. If public opinion increases in a favorable way, then it is automatically reflected in the media. And that gives inspiration for more support, more concern, in Parliament or Congress. It certainly gives the government a new enthusiasm.

ダライ・ラマ法王:わたしたちの過去の経験によりますと、世論というものが、わたしたちの 希望の究極の源泉だと考えています。公の意見、世論ですね、がわれわれに有利な方向 に展開していけば、自動的に、その意見はメディアに反映されます。そしてこれは議会や 国会の中に、もっと支援が与えられたり、関心が払われなければならないという刺激を与え ます。これは確実に政府に新たな情熱を呼び起こします。

I have found this in many countries, very much in Europe. Because public opinion is so favorable, so strong, the media is very favorable, very supportive. So ultimately, it gives the government enthusiasm to want to help in a practical way. At this moment we are appealing to various governments to pursue the Chinese government to start meaningful
negotiations without preconditions. That's my main thrust at this point.

私はこのことを多くの国々で--特にヨーロッパで最も多くですが--発見しています。ヨーロ ッパの世論がチベットに大変好意的であり、強力ですので、メディアも大変好意的であり、 支援の姿勢を示してくれています。ですから究極的には、世論が政府にたいして、実現可能 な方法で支援を行いたいという情熱を与えることになるのです。この瞬間にも、わたしたち は、中国政府が前提条件なしで、実りのある交渉をわれわれと開始するようにと、様々な 政府に働きかけています。これが現時点における、私の中心の目標です。

After 1959, the early sixties, the U.S. government supported the Tibetan cause. But without public grassroots support, governments can easily change their policies. Now the public support we are receiving is very considerable. And it actually comes from the public. This cannot change overnight. Government policy always has the possibility of change, but public sympathy remains there.

1959年の後の、1960年代の初期には、アメリカ政府はチベットの大義(解放)を支援して くれていました。しかし、一般の人々の草の根の支援がなければ、政府は簡単に政策を 変えてしまいます。現在わたしたちが得ている大衆の支援はかなりなものがあります。そして この支援は実際に一般の人々から来ています。これは一夜で変わることは出来ません。 政府の政策はいつも変化の可能性があるのですが、大衆の支援はそこに残ります。

So in the long run, I feel public opinion is very important. People can help if they increase the activities of Tibetan support groups in various parts of the world and in the United States. Just now, there is a very important movement beginning among the university students.

ですから長い目で見るならば、私は世論というものが非常に重要だと感じています。
世界の様々な地域やアメリカのチベット支援グループの活動が活発になるならば、その 行動はひいてはチベットを救うことにつながります。ただいま現在、大学生の間で非常に 重要な運動が始まっていますね。

Professor Robert A. F. Thurman: Yes, Students for a Free Tibet.

ロバート・サーマン教授:自由チベットのための学生ですね。

His Holiness the Dalai Lama: This, I think, is very important, very good.

ダライ・ラマ法王:これは非常に重要で、大変喜ばしいことだと私は思います。

Professor Robert A. F. Thurman:
Yes, we were working with Adam Yauch at his concert for Tibetan freedom. Adam asked me to speak to that huge crowd of young people-and all they wanted was more singing! So I had to talk quickly. I asked the kids if they wanted peace in the next century. They made a huge shout, "Yes!" Then I told them that they should speak out right now against policies of our government or the Chinese government or anyone that they can see will bring violence and war in the future. Because their next century could be ruined by war.
Words now could stop war then!

ロバート・サーマン教授:そうですね。わたしたちはアダム・ヤウク主催のチベタン・フリーダム・ コンサートでアダム・ヤウクと一緒に活動していました。アダムは私に、その会場に集まって いる大勢の若い聴衆に何か話してほしいと頼んできました。彼らはみんな、もっと歌いたが っていましたので、私は素早く何かを話し終えなければなりませんでした。私は彼らに次の 世紀に平和を望むのかとたずねました。それに対して、彼らは大声で、「イエス!」と叫びま した。それに続いて、私は彼らに、将来、暴力や戦争をもたらしそうだと自分たちが予見で きる、われわれの政府や中国の政府や人物の政策に対して、ただいま現在反対の声を上 げるべきだと語りました。次の世紀が戦争により荒廃させられる可能性があるからです。
しかし言葉は戦争を抑止することができるのです!

His Holiness the Dalai Lama: Okay! (laughter)

ダライ・ラマ法王:オーケイ!(笑)

Professor Robert A. F. Thurman:
So popular support is the key, and the education about Tibet of the young people all over the country is very crucial for long term support.

ロバート・サーマン教授:ですから、一般の人々の広範な支援が鍵となります。
そして国じゅうの若い人たちへのチベットについての教育が、長期に渡る支援のためには きわめて重要になります。

シャンバラサン誌1996年11月号:An interview with His Holiness theFourteenth Dalai Lama, by Robert Thurman より)

ロバート・サーマン教授のダライラマ法王論(タイム誌)

ダライラマ法王、シャンバラサンインタビュー 

2007-04-21 19:15:47 | ダライラマ

チベット問題に関する最新の記事を紹介させてもらったので、参考資料として、十年程前に、シャンバラサン誌で、ダライラマ法王がチベット問題についての取り組み方を語っていますので、そのインタビューの一部(前半部分)を紹介させてもらいます。

~~ ダライラマ法王、シャンバラサンインタビュー ~~

◆チベット問題解決に向けて、ロバートサーマン教授と話る

<チベットの独立や、チベット文化の将来について>


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The Realpolitik of Spirituality:

An interview with His Holiness the Fourteenth Dalai Lama, by Robert Thurman

Professor Robert A. F. Thurman: Your Holiness, this is a two-part question. Is independence a realistic goal for Tibet? And if so, could the leaders of the other world religions do more than they already have to help Tibet realize that goal?

ロバート・サーマン教授:猊下に二つの質問をさせていただきます。 まず第一に、チベットの独立は、チベット及びチベット人にとって実現可能な目標で すか? 第二の質問は、独立ということが実現可能な目標ならば、世界の宗教指導者 は、チベット独立という目標実現のために、今までチベット及びチベット人を支援して きた以上に、もっと何かできることがあるのでしょうか?

His Holiness the Dalai Lama: Today Tibet, with its unique cultural heritage which incorporates Buddhist spirituality, is truly facing the threat of extinction. Whether intentionally or unintentionally, some kind of cultural genocide is taking place. Time is running out.

ダライ・ラマ法王:今日のチベットは、仏教の霊性をその中に取り入れた、ユニーク な文化的遺産が本当に消滅の危機に直面しています。意図的か意図的でないか 分かりませんが、ある種の文化的ジェノサイドが行われています。もうあまり時間が ないのです。

I believe my responsibility is to save Tibet's unique cultural heritage. The best way to save this nation with its heritage is through dialogue, dialogue with the Chinese government. That's the only way. We need some kind of political solution, which can only come through dialogue in the spirit of compromise, in the spirit of reconciliation.

私はチベットのユニークな文化的遺産を保存することが私の責任であると信じてい ます。この文化的遺産を消滅の危機から救う最善の方法は、中国政府との対話です。 それが唯一の方法です。わたしたちはある種の政治的解決をはからなければなり ません。それは、歩み寄りの精神、和解の精神に基づく対話によってのみ実現でき るのです。

Therefore, I'm speaking for genuine self-rule, not for independence. It is certain that historically Tibet was an independent nation. However, the world is always changing. Politically speaking, Tibet is a landlocked country, materially backward. So in order to develop Tibet materially, it is possible that if we join with another big nation we may get greater benefit.

ですから、私は常に、純粋な自治について語っています。決して独立を主張している わけではありません。確かに歴史的にはチベットは独立国家でした。しかしながら、 世界は常に変化しています。政治的に言えば、チベットは岩だらけの国ですし、物質 的には遅れています。それで、チベットを物質的に発展させるために、われわれが 他の巨大な国と一緒になるならば大きな利益を得ることも可能でしょう。

Concerning the second part of the question, the various religious leaders have privately expressed a feeling of concern. That's quite clear. Recently the Jewish and Christian brothers and sisters made a resolution, which I think was very encouraging. One of the problems in Tibet now is that there is too much repression of religious life, so naturally, these religious leaders have serious concerns. I think it is very useful for them to expressthese concerns and we feel very grateful.

第二のご質問に関しては、様々な宗教の指導者が個人的に懸念を表明して下さって います。それは非常に明白です。最近、ユダヤ教やキリスト教の兄弟姉妹たちが断固 たる決意を表明してくれました。これは非常に勇気づけられることです。現在のチベット における問題の一つは、宗教に対する大変な弾圧が行われていることです。ですから、 当然、ユダヤ教やキリスト教の指導者は心配してくれているわけです。彼らが懸念を 表明することは非常に有益なことですし、わたしたちは大変感謝しています。

Professor Robert A. F. Thurman:
If independence is not practical, what is the best the Tibetan people can hope for? What is the best arrangement for the Tibetan people?

ロバート・サーマン教授:独立が現実的でないとすれば、チベットの人たちにとって、 最も望むものは何ですか? チベットの人たちにとって最善の解決法とは何でしょうか?

His Holiness the Dalai Lama:
I believe it is genuine self-rule. In the education field, we must be able to work for the preservation of Tibetan culture. In the economic field we must develop industry, using the vast Tibetan mineral wealth. It is essential for the Tibetans to have the full responsibility, taking care of the environment, conserving the resources, and looking out for the interests of Tibetan workers, nomads and farmers.

ダライ・ラマ法王:私は最善の解決法とは、純粋な、真の自治だと考えています。 教育の分野においては、わたしたちはチベットの文化の維持のために尽力しなければ なりません。経済の分野では、チベットの豊富な鉱物資源を利用しながら、産業を発展 させなければなりません。チベット人にとっては、環境の保護に気をつけ、資源を保護し、 チベットの労働者、遊牧民、農民の利益にために、すべての責任を負うことは、最も重要 な、不可欠のことです。

The Chinese have shown a consistent concern to get profits as quickly as possible, regardless of the effect on the environment. Unfortunately, they simply have the intention to make money quickly, with no consideration of whether that industry benefits the local Tibetans or not.

中国人はチベットの環境への影響を考えずに、できるだけ早く利益を得ようとします。 そして不幸なことに、彼らは単に、その産業がその土地のチベット人に利益をもたらす かどうかを考えずに、できるだけ早く利益を得ようとします。

Therefore it is important that responsibility for the development of Tibet must be carried by Tibetans themselves. There must be genuine self-rule, for the protection of Tibetan culture, economy and environment.

そういう状況ですから、チベットの開発は、チベット人自身によって行われなければ なりません。チベットの文化や経済活動や環境の保護のためには、チベット人自身に よる、真の自治が絶対に必要だと思います。

In other fields, such as foreign affairs and defense, perhaps we cannot carry all the responsibility. Buddhism became so central for Tibetans that, for the last two centuries, we have had some kind of general demilitarization. We have paid no attention to war and have kept no effective defenses on our borders. So practically, it is easier for us to let the Chinese government assume these responsibilities.

外交や防衛に関しては、たぶん私たちは、すべての責任を果たすことはできないで しょう。仏教がチベット国民のために中心的な役割を果たしてきたので、過去2世紀の 間、チベットはある種の非武装の状態で国家を運営してきました。私たちは、戦争に は、何の注意も払いませんでした。ですから現実的な見地から言えば、私たちにとっ て、中国政府に、これらの責任を果たしてもらうことは、助かることになります。

So that's my main proposal. I think it's very practical and realistic and achieves the basic things that we consider important.

以上が私の主な提案です。私の提案は非常に現実的であり、実現の可能性があり、 わたしたちが重要だと考えている基本的なことを実現できると思います。

Professor Robert A. F. Thurman:
If Tibet remains part of China can the Tibetan religion and culture survive into the foreseeable future?

ロバート・サーマン教授:もしチベットが中国の一部のままであるならば、チベットの 宗教や文化は予見しうる将来に生き残ることができるのですか?

His Holiness the Dalai Lama:
The Indian government has always expressed the idea that Tibet is an autonomous region of the People's Republic of China, not a part of China itself. That, I think, has some historical basis. On that basis, China must respect our genuine autonomy.

ダライ・ラマ法王:インド政府は常にチベットは中国の一部ではなく、中国の自治区だ という考えを表明しています。その考えには、歴史的な裏付けがあると私は考えてい ます。その裏付けに従って、中国は私たちの真の自治を尊重しなければなりません。

Professor Robert A. F. Thurman:
And that includes a complete Tibet, so that the eastern parts of Tibet, Amdo and Kham, which have been incorporated into China proper, are once again recognized as Tibet, the truly autonomous region?

ロバート・サーマン教授:猊下のご提案は、すべてのチベットの地域に適用されなけれ ばならないということですか? つまり、チベットの東方の地域であるアムドやカムは、 それぞれ中国の省に組み入れられていますが、再びそれらの地域もチベットとして、 真の自治区として認められなければならないということですか?

His Holiness the Dalai Lama:
In my Strasbourg proposal, I made it clear that the entirety of Tibet should be considered as one entity. That is because my main concern, my main interest, is the Tibetan Buddhist culture, not just political independence.

ダライ・ラマ法王:私がストラスブールの欧州議会で提案したことは、チベット全体が 一個の独立の存在として認められなければならないと明確に主張したことです。なぜ このような主張をしたかと申しますと、私の中心となる懸念、主な関心は、チベットの 仏教の文化であり、政治的独立ではないからです。

If my main concern were the political independence of Tibet, then it would be enough for just the present Tibet Autonomous Region to be independent, leaving out Amdo and most of Kham. But my main concern is the protection of Tibetan culture, and I cannot exclude the four million Tibetans in these areas. Historically and even today, most of the top scholars are from Kham and Amdo. Lama Tsong Khapa came from Amdo.

もし私の主な関心がチベットの政治的独立であるならば、現在のチベット自治区の 独立だけで充分であり、アムドやカムを外してしまうでしょう。しかし、私が最も心配してい ることは、チベット文化の保護、維持であり、アムドやカム地方に住む400万人のチベット 人を除外することはできません。歴史的に言っても、そして今日でも、ほとんどの一流 の学者はカムやアムドの出身です。ゲルク派の開祖ツォンカパ大師もアムドの出身です。

Professor Robert A. F. Thurman:Your Holiness comes from Amdo!

ロバート・サーマン教授:猊下もアムド出身ですね!

His Holiness the Dalai Lama:
Yes...(laughter). So, my main aim being the preservation of Tibetan culture, if Tibet is divided into separate parts and the other regions of Tibet have their cultural heritage assimilated with Chinese culture, then there is no hope.

ダライ・ラマ法王:そうですね(笑)。それでですね、私の主要な目的はチベットの文化 の保護、維持ですから、もしチベットが分割されてしまって、分割された 地方の文化 遺産が中国文化に同化吸収されてしまったら、それはもう絶望的です。

So my proposal treats Tibet as something like one human body. The whole Tibet is one body. If it were just a question of political independence, then even one part could be a separate nation. Furthermore, if my main goal were independence, then talking about other parts of Tibet could be considered as a kind of expansionism.

ですから私の提案はチベットを一個の人間の身体のように取り扱うというものです。 チベット全体は人体のようなものです。もし私の提案がチベットの政治的独立ならば、 一つの地域だけでも中国とは別の国家になり得ます。さらに、私の本当の目的が独立 ならば、 チベットの他の地域について語ることは、拡大主義の一種とみなされてしまい ます。

But my position is that we are willing to remain within the People's Republic of China. Concerning the danger of the extinction of Buddhist culture, I think the situation is even more delicate in these areas that have been absorbed into Chinese provinces -Amdo into Qinghai province, and Kham into Yunnan, Gansu and Sichuan provinces. There it is very difficult for Tibetans to maintain their cultural heritage.

しかし私の立場は、わたしたちチベット人は中国の国内に留まることは受け入れま しょうというものです。仏教文化の消滅に関しては、中国の省に組み入れられてしま った地域--アムドが青海省に、カムがYunnan, Gansu and Sichuanなどの省に-- の状況が非常に危ういのです。これらの地域では、チベット人にとって、自分たちの文化 遺産を維持していくことがとてもむずかしいのです。


ローリングストーン誌特集『失われた国・チベットの悲劇』

2007-04-21 14:30:38 | ダライラマ

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所メディア掲載情報という新しいページが出来ています。
新しい情報として、「ローリングストーン日本版第二号に、特集『失われた国・チベットの悲劇』チベットとダライ・ラマ法王に関する記事が掲載されました。」、というお知らせがあります。

このローリングストーン誌の記事は、現在のチベットの危機的な状況がよく描かれていますので、チベット問題に興味のある方は、是非、読んでみてください。

この記事を書いている人は、カーネギー中国プログラム基金の客員研究者である、
Josh Kurlantzick さんです。英文の記事は↓で読めます。
The End of Tibet by Josh Kurlantzick


"Tibetans are unique on the planet in that their national life is wholly dedicated to Buddhism," says Robert Thurman, the most famous Tibet scholar in America. By developing a worship of living things, he says, Tibetans also preserved the Earth's highest ecosystem, one that comprises biodiversity on the scale of the Amazon and serves as the source of rivers that sustain nearly half the world's population. "This is some of the most important environment in the world," Thurman says, "so fragile that, once it's gone, it can never come back."

「チベットは、国民の生活がすべて仏教に捧げられている地球上でユニークな国である」と、アメリカにおける最も有名なチベットの学者であるロバート・サーマンは言う。チベットはまた、生きている事物の崇拝を発達させることによって、地球上で最も高い生態系を保存している。それは、アマゾンの広さに及ぶ生物の多様性を形成しており、地球の半分近い人間を支える水の供給源の役割を果たしている、とサーマンは言う。「これは、世界で最も重要な環境であり、非常にこわれやすいので、いったん失われたら、もう元にもどすことはできない。」

というような、チベットが果たす、地球の環境面での重要さを指摘している、サーマンの言葉も紹介されています。

この記事の中で、興味深かったのは、ダラムサラに住むチベット人の若い人の間に広がる、ダライラマ法王の非暴力主義に対する批判です。非暴力で、果たして、チベット人の言い分が実現できるのか、このままでは、いずれ、チベットの中のチベット文化は滅びてしまうのではないか、という焦燥感が、よく伝わってきます。そこには、中国の巧妙な、戦略もある、と記者は書いています。

武器所有ディベート(1)

2007-04-19 05:42:52 | 英語

バージニア工科大学での虐殺事件、全米に大きな衝撃を与えているようですね。日本でも大きく報道されていますが、こんな事件が起こっても、銃を持つことを禁止してしまおうという議論には向かいませんね。銃は野放し状態であるというのが、アメリカの実態でしょう。その根底には、自分の身は自分で守るというアメリカ建国以来の伝統が存在するからでしょう。ある意味、これが、アメリカの国体と言えるのかも知れません。有名なアメリカ合衆国憲法修正第二条。
「A well-regulated militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear arms shall not be infringed.
規律ある民兵は、自由な国の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。)」
それに対して、日本の国体ともいえるべき、憲法第九条は?(笑)。

大分前に、NHKの英会話の番組で、コロンビア大学のディベートチームが、アメリカの武器所有をめぐってのディベートをやっていたのを、放送してくれたときがありました。今回、アメリカ人の考え方を知るという意味で、参考になると思いましたので、それを紹介させてもらいます。長いので、三回ぐらいに分けて紹介させてもらいます。Parliamentary Debateというのは、イギリスの国会機能を真似ています。政府チームと野党チームに分かれて議論をするというものです。
第一回賛成論、第一回反対論、第二回賛成論、第二回反対論、最後の野党側反論、政府側反論の順です。

Columbia University Parliamentary Debate Team

The Soeaker: Sacha Zimmerman
Debaters: Niraj Warikoo, Athanasios Basdekis, Kenneth Ehrenberg, Morton Dubin

RESOLVED: PRIVATE CITIZENS SHOULD NOT HAVE THE RIGHT TO BEAR ARMS
(論題:一般市民は武器所持の権利を持つべきではない)


The Speaker: Hello. My name is Sacha Zimmerman, and I'm a member of the Columbia University Parliamentary Debate Team.
Today we've gathered to discuss an issue of great controversy both in America and all over the world. This would be the issue of gun control.
You know, in New York City last year, over 2,000 people were killed as a result of private citizens owning handguns, and what we would ask you is how does this *clash with the right to bear arms. So today we have before us the resolution, do private citizens or, should I say, should private citizens have the right to bear arms.
Speaking first on this will be Niraj Warikoo.

Niraj Warikoo --First Supporting Argument--

Thank you, Madarn Speaker. Members of this House, why do we on the government team believe that citizens, private citizens, that is, should not have the right to bear arms? Because it clashes with the fundamental goal of government. And what is that fundamental goal? Government has to provide for the welfare of its citizens. It must protect the lives of the people it has represented. If it cannot do that then government is useless. If it cannot provide for people to be able to walk down the street peacefully without harm from getting killed, then there is no need to have any government whatsoever. So that is our first point that we believe that citizens should not have the right to bear arms because, frankly, it leads to murder.
And what we are going to do is we are going to apply it in the context of the United States of America because America is the only modern industrialized country that has such liberal and loose gun control laws, and it also happens to have the highest incidence of murder in any modern industrialized country. Is it just coincidence? I think not. There is a correlation between the high rates of murder and the nature of American society.
Now, the second reason. The opposition team is going to come up here and say: Well, people need guns. It's somehow an 'inherent right. But why do people need guns? Originally, in America the reason why we have the Second Amendment which says that people have the right to bear arms, it was developed because people wanted to protect themselves from a foreign army, namely the British army, because the United States did not have an army,but today in modern society we have a United States army which can protect us from foreign powers. Therefore, there is no need here in America for us to have the right to bear arms just as there is no right in other countries.
Now, they are also probably going to mention instances of hunting. Now, Iook, a few people may get some perverse pleasure out of hunting but,
basically, it does not override the right to live in a peaceful society. Which would you rather have-- a few people living in Western Montana getting some pleasure out of shooting a few deer, or the right of a human being to walk down the streets of a city to live in peace? I think most of you would choose the latter.
Now, third, Iet's look at the notion of rights. The reason why the notions of rights were developed was because they lead to tangible benefits for society. The right to bear arms does not do that.
Now, the right to free speech does this because it leads to a marketplace of ideas in which people can see which ideas are best and it leads to tangible benefits for society, but the right to bear arms does none of this.
It is for these reasons that we urge you to side with the government team.
(賛成側の理由は、第一に、政府の役割は市民の安全を守ることであり、それが出来ないのなら、政府の意味はない。市民が武器を持つと殺人事件へと発展してしまう。アメリカのゆるい銃規制と非常に発生率の高い殺人事件との間には相関関係がある。
第二の理由として、武器所有が合法化された背景ーー独立戦争当時、イギリス軍の侵攻を受けていたーーが変化した。現代のアメリカは自国の軍隊を持っているので、他国と同じように、自分の国を守るために、国民自身が武器を持つ必要はない。第三に、権利というものは、公共の利益にかなうものでなければならないが、武器所有はこれに反する。)

Athanasios Basdekis-- First Opposite Argument --

Good day to everybody. My name is Athanasios Basdekis and I've come here to discuss this issue and to take opposition to what the honorable member of the government has given you here today because basically it is my contention, and my partner's contention on this side of the House, that there is a fundamental right for private citizens to bear arms in a "civilized" society, the society that we're talking about here in the 20th Century, because when we look at a civilized society, one that's ostensibly civilized, we find that within it there is always an element of conflict, there is always an element that's irrational because civilized society isn't perfectly rational, and what we are going to choose to define is that a rational component is the criminal, and when we look at the criminal in societies across the world we find that he procures weapons, that he procures guns, and when he does that, in our evidence, is that in countries that allow people to have guns the criminals have guns, and in countries that don't we see that the criminal nature forces him and causes him to go out there and obtain these weapons. So we have that as a fundamental presupposition.
What we have to do is balance the scales, and that's what we would like, private citizens to have the right, should they so choose, to have arms, because it equalizes the scales and you are allowed to defend yourself because when you look at the police in society--and this is a very important point of analysis--what you find is that the police are basically reactionary. In other words, they are rarely preventive. What usually happens is that the police apprehend the person who commits the murder. They put them in jail afterward. That's all fine. That's all well and good. But it doesn't change the fact that someone is dead, and it doesn't change the fact that a person should have had the right to defend themselves, and we allow for that right if we allow people to have guns.
One of the things that will be an essential criterion in this round, something that you should consider, is the idea of accidents because it is an issue that the government team will address and has addressed, and when you consider that, at the very most what an accident does with an accidental discharge or anything of that nature, when you have accidental death because people have these in the house, is that can only be an argument perhaps for mandatory safety courses when you are allowing people to purchase guns,> but it doesn't mean that people should be deprived of their fundamental right to own a gun, and so for all of these reasons, these three areas of analysis, that the criminals have it, and if you 'outlaw it then the private citizens won't, they ought to have the right to defend themselves, Madam Speaker and members of this House, we beg humbly to oppose.
(反対論の第一の理由として、文明社会には犯罪は付き物である。完全に理性のある人たちだけで構成されているわけではない。非理性的な人間(他人の権利を侵害する人間)は必ず存在するから、自衛としての武器所有は必要である。
第二の理由として、民間人は、警察を全面的に信頼することはできない。何故なら、警察は事前の抑止力は持っていない、事後に犯人を追うのみである。だから抑止力としての武器所有は認められるべきである。第三に、武器保有に伴う事故に対しては、強制的な安全教育を課して防げばいいのである。)

予備校の講師がオウムを斬る

2007-04-15 16:36:13 | カルト
アーレフの中間派といわれているVT正悟師こと、野田成人さんのブログにいわゆるA派といわれている人のものだと思われるコメントが公開されています。非常に興味深いですね。次のようなものです。

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本文
件名 : ほらね♪

凡夫に騙されて良い修行になったね♪
野球見たり顔文字使うなら現世に帰りなさい。
下向者と同窓会やって遊ぶなら現世に帰りなさい。
アーレフは一本の木である。
尊師は役目どうり日本国で創造・維持・破壊をした。
残された種子である上祐は、形はどうであれ尊師のDNAを隠し持ち発芽した訳だ。
↓この元サマナも発芽して個人でヨーガ教室を開いている。
http://members.goo.ne.jp/home/bodhicarya
だが君はどうだ?
A派がどうのこうのと言ったりA派は尊師尊師ばっかりとか
ここで文句たれたり。
正悟師という種子を持っておきながら。
三宝帰依出来ないのなら現世へ帰りなさい。
尊師と教団に帰依出来ないのなら現世へ帰りなさい。
中間派とか言ってどっち付かずでぬるま湯に浸かるなら現世へ帰りなさい。

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まあ、これが、本来の「正しいオウム信者」のあり方なのでしょう。
このような人たちが存在している限り、まだまだ、オウムは健在だというわけですねえ。公安調査庁は、何の後ろめたさもなく、自分たちの存在意義を高らかに主張できるわけです(笑)。

ちょっと、ここで、このような過激な書き込みを紹介させてもらったので、この内容と関連した、最近、私が読んだ刺激的な、感銘を受けた文章を紹介させてもらいます。書店で英語の参考書をいろいろパラパラとめくっていたところ、オウムのタントラヴァジラヤーナについて論じている文章に出会いました。東進ハイスクール講師の横山雅彦さんの「大学入試横山ロジカル・リーディング講義の実況中継実践演習②」(語学春秋社)という英語の参考書の中に、本来宗教とはどうあるべきなのかを説かれている箇所があります。思想問題を論じているハイレベルな内容で、受験参考書の中だけに埋もらせておくのは、もったいないと思いましたので、ここに、紹介させてもらいます。

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宗教法人と化した現代日本の宗教

  ご存じのように,オウム真理教は“タントラヴァジラヤーナ"という他人の人権を踏みにじる「仏法」を掲げたわけです。ところが、彼らは何度、「名誉段損だ」とか「信教の自由の侵害だ」といって訴訟を起こしたでしょうか。地下鉄サリン事件当時の広報部長であった上祐が刑期を終えて出所したときには、「私たちにも居住権はあるんです」と訴えていましたね。

 信教の自由とか居住権とか、こうした基本的人権というのは、彼らがタントラヴァジラヤーナで真っ向から否定した現代日本の「王法」、すなわち民主主義が保障するものです。彼らはそのことすらわかってないようです。彼らは一体何を信じているんでしょうか。

 「ミイラは生きている」と言ったライフスペースしかりです。「王法」、つまり人権思想に基づく民法や刑法から見れば、ミイラは死んでいるんです。民法刑法が「死」と認定するものを、認定しないと言ったわけでしょう。“定説"なる「仏法」を掲げたわけです。ところが、警察がミイラを移動させたとたん、「ミイラを殺した。殺人罪だ」と言って、刑法に訴えた(笑)。

 何のことはない、オウムの信者もライフスペースの会員も、本当はタントラヴァジラヤーナなんて信じていない。定説なんて信じていない.。信じているのは人権思想であり民主主義なんです。

  麻原は、1980年代に「血のイニシエーション」といって、自分の生き血をグラス1杯100万円で売って信者に飲ませました。『サンデー毎日』は、毎週キャンペーンを張って、厳しくこれを糾弾しました。そのとき、麻原は「釈尊しかり、鎌倉期の祖師たちしかり、宗教とは反社会的である」と開き直りました。確かにそうです。反社会的です。でもね、お釈迦さまも鎌倉仏教の祖師たちも、オウムとは違って、「仏法」を貫いています。

 そもそもオウムは宗教法人だったんです。宗教法人ということは、「王法」、具体的には文部科学省の管轄下に入って合法的、社会的に宗教活動をしていくことを宜言した団体なんですよ。社会的なんです。だから、その見返りとして、いくらお札を売ってもお守りを売っても、祈祷をしても無課税なんでしょ。税制上の優遇措置を受けているわけで、その宗教法人が「宗教は反社会的だ」なんて、これほどバカげた矛盾はありません。

仏教の「三世の思想」

  麻原に言われるまでもなく、いまの人権思想から見て、お釈迦さまは非常に反社会的なことを言っています。仏教はね、「三世の思想」なんです。ものごとを過去世、現世、未来世からとらえる。

  例えばちょっと趣端な話ですが,ぼくがいま,あなたを急に空手で殴ったとしようか。血が出て、大ケガをしてしまった。理不尽です。人権侵害です。でも、三世の思想から見れば、これは有り難いことなんだよ。過去世において、あなたがぼくのことを激しく殴ったから、いまこうしてその酬いを受けた。もうこの業を未来世に持ち越さなくてすむ。こんな有り難いことはない。そう言って感謝しないといけない。

  比叡山を開いた最澄がそうです。お坊さんになるためには受戒といって、守るべき戒律を受けなければなりません。かつて戒律は、「小乗戒」といって、お釈迦さま以来の二百何十もある非常に厳しいものでした。最澄はそれを捨て、「菩薩戒」という50いくつの新しい軽い戒を唱えるんですね。そして独自に比叡山でお坊さんを作ろうとする。当然,奈良の伝統仏教は激怒して、最澄を非難します。

  そのとき最澄は『顕戒論』という論文を書いて、「有り難い」と書くんですよ。「私が過去世において彼らを口汚くののしった、その酬いがきてこのようにののしられているのであるから、この業がいま消えると思うと有り難い。末来世に持ち越さずにすむ。こんな有り難いことはない」。そう記しています。
名誉毀損だ、人権侵害だといって訴えてはいない(笑)。仏法を貫いているんです。

「布施」も三世の思想」から

  もうちょっと例を挙げてみようか。『阿含経』という古いお経に、こんなエピソードが出てきます。お釈迦さまが弟子たちと一緒に托鉢に出かけるんです。托鉢ってわかりますか?

  お坊さんというのは、生産活動は営んではならないんですね。お金を儲けてはならない。ですから在家の人から「財施」をしてもらう。お金や食べ物を施してもらう。でも、それでは単なる物乞いですね。お坊さんは在家の人にはできない修行をしていますから、代わりにその修行を通して得た法を説いてあげる。「法施」といいます。

  「貧者の一灯」といって、たとえ菜っ葉1枚であっても、米粒ひと粒であっても、それが真心からの財施であるなら、お返しに何時問でも自分が悟った法を説く。財施と法施のギブ・アンド・テイクが托鉢です。ですから,オウムみたいに「お布施」に値段をつけてしまったら、それはもう財施ではない。もちろんこれは、オウムに限らず他の宗教団体でも同じですけど。

  さあ、この托鉢に出かけようというときに、Aという村に行くか、それともBという村に行くか、どっちにしようかということになった。お釈迦さまはBという村に行くと言います。弟子たちは,あわててAにしましょうと言いました。Aは裕福な村ですが、Bは非常に貧しく、とても托鉢に応じることができるような状況ではないんです。

  ところが,お釈迦さまはこう言うんですね。「いや、Bに行こう。なぜならB村に住む人々は業が深い。過去世に積んだ悪業の酬いで、彼らはあの村に生まれているのであるから、たとえ米粒ひと粒といえども財施をさせてあげて、末来世で救われるよう、徳を積ませてあげなければならない」。こう言って、B村に行くんです。

  わかりますか?基本的には、オウムのポアの思想と同じなんです。お釈迦さまは決して人殺しなんかしませんが、「業の深い魂が罪を犯す前にポアしてあげる、悪いことをしないように殺してあげるんだ」というオウムのタントラヴァジラヤーナの教義と発想は同じ、三世の思想です。

「仏法」を説かない現代の仏教

  これを突き詰めてごらん、差別肯定思想.です。不当に思える差別も、みんな過去世の業ということになる。週去世をもち出すなら、この世に不条理はなくなります。すべて過去世に原因があるのですから。

  本来、仏教はこの世の不条理を説明できるはずなんです。しかし、仏教のどこかの教団が、例えば阪神淡路大震災について声明を出しましたか。あるいは脳死判定や臓器移植について、立場を明らかにしているでしょうか。

  発言できるはずなんです。現世だけではない、本当に未来世があると信じているのなら。なぜ、仏教の教団はすべて固く口を閉ざしているんでしょうか。それどころか、多くの仏教教団が錦の御旗のように「人権」をスローガンに掲げていますよね。

  麻原が本当にタントラヴヤジラヤーナを信じているのなら、彼は法廷で、「自分がしたことは殺人なんかじゃない。救済なんだ」と言うべきです。「人権思想などという愚かな王法から見れば殺人かもしれない。しかし、聖なるタントラヴァジラヤーナから見れば救済なんだ。ポアなんだ。王法で俺を裁けるものなら裁いてみろ。タントラヴァジラヤーナ以外、自分を裁くことなどできない」と、そう言うべきです。

  上祐も他の信者たちも、貸してくれるマンションがないなら、自分たちが信じるタントラヴァジラヤーナにしたがって、有り難く野宿したらどうなんですか。それも過去世の業なんですから。他人の人権は踏みにじるだけ踏みにじっておいて、殺人というのは最大の人権侵害ですよ、それにもかかわらず自分たちの基本的人権だけは守れなんて、あまりにも虫がよすぎます。

 「人権思想」による思想的画一化の危機

  つまり、こういうことなんです。どんなイデオロギーよりも、どんな思想よりも、またどんな宗教的な信条よりも高いところに、普遍的な原理として人権思想がある。そして、世界中のありとあらゆる思想、イデオロギーが、その人権思想に自らを適応させようとしている。人権思想に合わない部分、仏教なら三世の思想ですね、そういうものを全部そぎ落としながら、人権思想に合わせようとしている、それがいまの世界の思想状況なのではないか。

  ぼくたちは、民主主義社会において,いろんな自由を享受していると、当たり前のように信じています。自由ということは権利、人権です。言論の自由ということは、言論の権利でしょ。しかし、それは本当に自由なのか。私たちに許された自由というのは、人権思想に反しない限りにおける自由ではないのか。タング文化やネパールのクマリの文化の存続を許さないような思想は本当は不自由なんじゃないのか。

  呉智英という評論家は、こうした状況を「人権真理教」と呼んでいます。タントラヴァジラヤーナを信じている、定説を信じている、と言いながら、彼らが信じているのは民主主義なんです。宗教法人でありながら、「宗教とは反杜会的なものだ」と言ってのける。その矛盾にすら気がつかない。これは人権真理教によるマインド・コントロールじゃないのか。

  これこそが、トクヴィルのいうthe Gleichschaltung of the mind「思想的画一化」です。トクヴィルは、こうした思想的画一化の萌芽を、すでに200年前のアメリカに見ていたということです。

横山雅彦著『大学入試横山ロジカル・リーディング講義の実況中継実践演習②』(語学春秋社)より
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この本は英語の参考書ですが、英語の参考書とは思えないくらいに、思想的にかなり深いところまで解説している刺激的な参考書です。受験生でない一般の人にとっても勉強になりますし、英語と共に宗教や思想についても学べます。大学入試の参考書の中で、このようなオウムの思想を取り上げているのを読んだのは初めてです。やはり横山先生の問題意識がラディカル(根源的)だから、どうしてもオウム問題に行き着かざるを得ない。それで、このような内容の参考書になるんでしょう。ちなみに、横山先生は、大学院で、将来、宗教学の研究者になるべく、世界の様々な宗教を研究されていたそうです。

この講義で述べられているような、麻原教祖が自分の宗教思想を語る、ということは、無理なような気がします。何を考えているのか、本心が分からない、といったところでしょうか。というか、私がなるほどと思ったのは、やはり、ここで鋭く指摘されているように、戦後生まれの麻原教祖以下、オウム信者も、みんな、人権真理教の信者であったのではないか、ということです。必ずしも他人の生命は尊重しないが、自分の生命だけは絶対に死守するという生命尊重主義が身に染み渡っているということではないのでしょうか。かつて、三島由紀夫が、東大全共闘から一人の自決者も出なかったことについて、結局、彼らも戦後民主主義思想の申し子だったんだなあ、というようなことを語っていたことを思い出します。

とはいうものの、この講義の中で横山先生が、「ぼくは人権思想の信奉者です」と述べられているように、私も人権思想の信奉者です。そして、オウムも人権思想の信奉者ならば、他人の人権も、自分たちの人権と同じように尊重せよ、ということを私は言いたいのです。自分たちの都合に合わせて、あるときは他人の人権を無視し、都合が悪くなったときは、自分たちの人権を主張する、その身勝手さに、怒りを感じるのです。