ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

中国人留学生はオウム真理教信者

2008-04-29 22:57:23 | カルト


宮崎正弘さんは「中国瓦解」(阪急コミュニケーションズ)で、
「都合の悪いことは報道しないという手段も情報戦争の奥義のひとつだ。」
と書いておられますが、今起こっている中国のチベット虐殺に対して、抗議の声を挙げない、左翼メディアは、まさに、この宮崎さんが指摘されている情報戦争の奥義を実践していることになります。

それにしても、4月26日「長野戦争」は、北京五輪を象徴する事件だったと思いますし、これから来る、中華侵略民族主義との熾烈な対決を予想させるに十分な前哨戦だったと思います。あの吐き気を催すシナの赤い旗の乱立を見て、いまだに、日中友好などという暢気なマントラを唱えている人たちは救われないですね。特に、政治家やマスコミの人たちのそのおめでたさ加減をまず直すことが日本のためになります。

中国のチベット虐殺に対して頑なに沈黙を守っている左翼メディアに反して、民族主義的なメディアはさすがに、他の民族の虐殺に沈黙を守ることなどはとても自己の倫理感、正義感に照らしてできないという、真のメディアとしての責任を果たしていると思います。このときに、中華侵略主義、チベット虐殺に対して、ノーを言わずして、何時、言うのか。沈黙しているということは、チベット虐殺OKというサインを出していることと同じことになるのです。ですから、反対なら、大きな声を出して、目立つ形で反対を叫ばなければいけないのですよ。当たり前のことですが。

Willという雑誌は「オトナの常識」というキャッチフレーズを掲げていますが、「日本人の常識」という感じがします(笑)。
6月号も、非常にタイムリーな記事に満ちており、総力特集として、「チベットを見殺しにするな!」という危機感に満ちた記事を掲載しています。ペマ・ギャルポさんと中国生まれで最近日本に帰化された石平さんとの対談は非常に興味深かったです。
石平さんは、ペマさんが、チベット侵略を正しいとする中共の愛国教育に洗脳された中国人も、これだけインターネットで海外のニュースを見ることができる時代になったのだから、何が真実か、どちらの言い分が正しいか分かってくるのではないかという楽観論を述べたのに対して、

「アメリカ在住の中国系住民は、情報コントロールされているわけではありません。にもかかわらず、中国政府は正しいと本心から信じて言い張る。これは情報の質や量の問題ではなく、根本から中華思想を植えつけられていることによると言えます。ですから、彼ら中国人はアメリカでどんなに民主主義を学ぼうとも、情報を”浴びるように”得ようとも、チベット問題を「漢民族に逆らったチベット人に対する制裁だから何もおかしなことではない。」という中華思想の構図でしか考えられないのです。私が、中華思想は「オウム真理教」であると言うゆえんです。」

と反論しています。
なるほど。あの不気味な中国留学生はオウム真理教の中国版だったのか。これで納得がいきましたわ(笑)。
中華思想の元信者が言うのだから説得力があります。しかし、あんなに大量の人たちが、オウムの奥義ともいうべきヴァジラヤーナを実践しだしたらどうなるのか。恐いですねえ(苦笑)。自分たちは絶対的な正義なのだから、それに反対する人たちを「ポア」しても、許されるのだ、救済されるのだという思想で、暴れだしたりしたら要注意ですな。

孫子の言葉に、「敵を知り、おのれを知れば、百戦危うからず」とあるそうですが、中国版オウム信者のヴァジラヤーナの思想に対決するには、まずは、敵の考え方を勉強しておかなければならない、ということで、ちょうど、タイムリーな企画撃論ムック「チベット大虐殺の真実」が4月30日に発売されるそうです。
責任編集者である西村幸祐さんのブログに紹介されていますので、このブログにも、その内容を宣伝させてもらいます。チベット問題の理解のための必読の本ということができるでしょう。私も書店に並べば、買って、勉強したいと思っています。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/95094815.html

「チベット大虐殺の真実」目次

◎巻頭カラー特集 PICTORIAL チベット蜂起、60日を追う

◎はじめに「世界を巡った、恥辱のリレー」 西村幸祐

◎総特集1 今、チベットで何が起きているか?
緊急座談会 チベット蜂起と日本の未来
ペマ・ギャルポ×青山繁晴×大高未貴×大樹玄承×西村幸祐
緊急記者会見全文掲載 ダライラマ法皇、語る。
チベットを通じて見えてきた 白日の下に晒された中華帝国主義の野望 石平
公然と進む共産党のダライ・ラマ直接支配・・・・・・・・・・・宮崎正弘
大国の狭間で翻弄されたチベットの抵抗運動・・・・・・・・・三浦小太郎
ペマ・ギャルポ氏講演録・チベットは決して屈しない・・・ペマ・ギャルポ
チベット問題で恥を晒した福田政権・・・・・・・・・・・・・・青木直人
想いよ届け、チベットへ TSNJ代表 久保隆氏インタビュー・・・・・
〈チベット探訪記〉私が見た真実のチベットの姿・・・・・・・・大高未貴
ブログで繋ぐフリーチベット フリーチベットブロガーズ管理人・容子マグレガー
国境なき記者団の真実・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三浦小太郎
北京五輪のNOを突きつける民主化グループの声・・・・・・・・・張本真
〈緊急討論会〉チベット問題と北京オリンピック・・・・・取材 若杉大
ドキュメント「中国」の実態を告発する国民集会・・・・・・・取材 江藤剛
チベット侵略を擁護する反日マスコミ「悪の枢軸」・・・・・・・・中宮祟

◎漫画 目覚めよ日本!我々こそが救うのだ!瀕死のチベットを 畠奈津子

◎総特集2 チベットが、日本の未来を透視する
チベットの悲劇と日本人・・・・・・・・・・・・・・・西村幸祐
チベット問題FAQ・・・・・・・・・・・・・・・・・
チベット人権弾圧クロニクル・・・・・・・・・・・・・岩田温
日本=チベット化の跫音が聞こえる・・・・・・・・・・水間政憲
チベット侵略に加担する日本のODA・・・・・・・・・青木直人
チベットの戦いは共産主義に対する戦いだ・・・・・・・安東幹
シナチズムという民族浄化・・・・・・・・・・・・・・若杉大
日本の人権団体は黙ったままか・・・・・・・・・・・・野村旗守

◎column
テレ朝の法王記者会見報道からマスコミの病理が見えてきた・・・・中宮祟
「どうにも邪魔な生き仏」朝日歌壇のトンデモ川柳・・・・・・・・江藤剛
世界を駆けめぐる人権聖火・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安東幹
慧海の見た在りし日のチベット・・・・・・・・・・・・・・・但馬オサム
チベット問題参考ブログ&書籍





三島由紀夫が語る言論の自由

2008-04-24 23:29:20 | 三島由紀夫


サピオ最新号の、「サピオズアイ」というコラムで、井沢元彦さんが、最近の映画「YASUKUNI」騒動で、この映画がいかに問題作品であろうと、反日の映画であろうと、日本は言論の自由な社会であるのだから、公開されるべきである、李監督の「表現の自由」は奪ってはならない、と述べて、この騒動のなかで、この映画の公開の場を確保することを訴える緊急声明を出した、映画労連の高橋邦夫中央執行委員長の、

「これは、日本映画史上かつてなかったことで、日本映画界にとって恥ずべき事態である。映画の表現の自由は踏みにじられ、日本映画界の信用は失墜した。また、公開が決まっていた映画が、政治圧力や上映妨害によって圧殺されるという事態は、日本映画に、将来にわたって深刻なダメージを与えるものである。
 日本の映画界、映画人は、いまこそ勇気をもって立ち上がり、踏みにじられた映画の表現の自由と、失墜した信用を取り戻さなければならない。私たち映画労連も、微力ながらともに闘う決意である。」

という声明を紹介ながら、井沢さんは、この声明に対して、「よく言うよ。恥知らずにも程がある!」とお怒りになっておられます。
何故か?
それは、この人たちの過去の言動にあるのです。
10年前映画「プライド 運命の時」が公開される前に、この人を中心とする「映画プライドを批判する会」は、東映に対して、公開中止を申し入れたことがあるからです。
この井沢さんの指摘を呼んで、そういえば、そんなこともあったかな、という記憶がありますが、たしかに、こんなことを言っていたのでれば、今起こっている公開中止騒動にかんして、緊急声明のようなえらそうな内容は言えないはずです。ほんとうに、よく言うよ、ですなあ。ほんまに、恥知らずだ!!
しかし、まあ、考えてみれば、人間というのは、こんなものかも知れないという思いもあります。

三島由紀夫は学生との討論会で言論の自由について、本質的なことを述べております。
少し長いですが、なかなか重要なところだと思いますので、その箇所を引用させてもらいます。

----------------------
■場所 早稲田大学大隈講堂
■日時 昭和43年10月3日
■主催 早稲田大学尚史会

三島
(中略)
国家革新の場合、どんな国家を求めるのか、革新の方法論はどうするのか、そこから考えていかなけれぱ何も出発しないと私は思うわけであります。
それで、最初の言論の自由の問題に戻りますが、言論の自由というものを政治と完全に抵触する概念と考えるか、あるいはそれが政治と調和する概念と考えるか、これが私は問題の分れ目じゃないかと考えます。と申しますのは言論の自由を政治と抵触するとはっきり考えれば、ソヴィエトのやっていることは正しいのであって、チェコを現在圧迫するのは正しい。また言論の自由と調和する政治形態というものを求めた点ではチェコの自由化の方向は正しい、しかし、そんなものははたしてあるだろうか、これが問題であります。そうすれぱ第三の道というのは何であろか。第三の道というのは実に低級なことですが、我々が今、現に言論の自由を享楽している。しかし、考えようによっては完企なアメリカの経済力と軍事力に支えられた形といえるかもしれません。がともかく言論の自由は完全に享楽している。この我我の住んでいるこの国は一体何だろうか。そうすると、言論の自由というのは何によって守られているのか、また言論の自由と我々の国における政治との関係は何なのか。こういう考えが出てきます。
間題提起がちょっと長くなりましたが、この問題をちょっと突っ込んでみますと、いわゆる議会制の、普通選挙制の政治形態というのは、政治というものが必要悪、妥協の産物であって、相対的な技術であって、政治に何ら理想はないのだというところから出発しているのだと私は解釈しております。つまり民主主義に理想を求める、民主主義の行く手に、人民民主主義の理想を追究して現在の民主主義を改良できるという革新の方法は、私には論理的でないと思われる。なぜなら、我々の普通選挙制の議会制民主主義というのは、理想主義とは何ら縁のない政治形態だからであります。この政治形態の中では言論の自由というものは政治と根本的に関係のないものだというふうに考えられる。言論の自由の延長下では政治は必要悪にすぎない。政治の延長下では言論の自由というものは邪魔ものにすぎない。我々はそういうところに生きている。これは我我の住んでいる政治の特徴だと思う。ですから、そろいう政治形態がいいか悪いかについては議論がありましょうが、ファクトとしては我々がここで言論の自由を味わっていることは確かなんです。私がこの壇上で何を言いましても別に手が後ろへまわるわけでもない。諾君が何を言われても、その言論によって諸君の手が後ろへまわるわけでもない。こういう享楽している言論の自由というものは何を意味するのか、それと政治との関係は何なのだろうか、こういうことから私はさらに戦争の問題、平和の問題、その他さまざまの問題に触れていきたいと思います。大体こんなところで-…。

学生A
私は表現の自由の最終的な目標は、簡単なことですけれども、人間の幸福あるいは政治といったようなものを追究するものである。そして、表現の自由の中核は政治に対する批判であると思っております。先ほど三島先生の言われました表現の自由の理想とするものは政治とはかけ離れたものであるというような言い方に対して、表現の自由の最終的な目標が人間の幸福、あるいは政治の追究にあるとするならば、それによって現実に生みだされるものは私たちが営む政治といったものであると思います。そこで表現の自由の追究は政治に対する自分自身の意見を発表するというような問題であるとするならば、政治の実現と表現の自由の終極的な意見は一致するのである。とすれば政治が現実に表現の自由を圧迫するというような事態が
現実に行われているところには、まさに現代のヒズミがあると私は思います。ところが、先ほど言われましたように社会主義におけるチエコ等々の問題があると思いますけれど、それはまさに、直接的な表現の自由圧迫の問題であり、それから現代のよう資本主義下における表現の自由の圧迫といいますのは、ただ単に私たちが自分が思ったことを自由に発表できるじゃないかというのではなくて、私たちが政治に対する自分たちの積極的目標に対する実現をいかに 自分自身の表現をもって行うか、それが現実にはただ単に形式的な、観念的な表現に終っているということなのです。そこにこの現代の体制というものの矛盾がある。とするならば先生は自由の追究と国家とは背反するものであるとおっしゃったけれども、私は一つの理想形態とする国家体制というものは表現の自由と、政治がまさに一体化したものであると思います。
非常に結論的になりましたけれども、先生がどのような観点で問題提起をされたのか、その点にについてお聞きしたいと思います。

三島
いま、パリの学生と同じ、非常に熱烈なお言葉を聞きました。私はそのお言葉自体には心を打たれました。そして、私はその気持自体が嫌いではありません。しかし、私はあなた方の倍くらい年取っていいます。そして人間に対して疑い深くなっている。
ですから人間というものに対して、必ず目的追究の果てに一致があるということは、一切信じないことにしている。
いま質問された方の頭の中にあるように言論の自由を目的論的に使うか、あるいは私の言ったように、人間の本性ないし本能のためのやむを得ざるものとして認めるか、この二つの問題があると思いますね。
つまり、チェコの求める言論の自由というものは、いままであまりにも不当な圧迫をこうむって、言論統制をされてきた。お互い、こそこそ、友達の間でも人の少ないことろで政治論をやらなければたちまち引っくくられてしまう。これじゃ、かなわない、何とか人間の最小限の自由な意見が言えるような、最小限の自由が欲しいじゃないか、まあ、隣のおじさんの悪口も言いたい。総理大臣の悪口も言いたい。総理大臣の悪口も隣のおじさんの悪口も同じ次元で言いたい、それは私、ある程度人間の本能だと思います。その本能あるがゆえに言論の自由というものを考える考え方が一つ。
もう一つは、いま質間者が言われたように言論の自由をもっと理想主義的に、目的論的に追究し、言論の自由はそもそも何のためにあるか、それはどういう目的の達成のためにこれがあるのかという考え方。両者は全然違う考え方の筋道だと思うわけです。
さっき申しました民主主義下の言論自由というものは政治と直接、フィットしないように、つまり相互矛盾的関係につくられていると言いましたのは、そういう観点において、民主主義というものは矛盾した形態でノロノロ、グズグズ、ガタガタしながら、何とかコンプロマイズに達するという技術的な発明だと私は申し上げたように記憶します。と申しますのは、もし言論の自由が政治的達成に一直線に開かれている道は、たとえばバリの学生が主張したような直接選挙の形があるでしょ
う。直接選挙が政治形態として果していいのか悪いのか、直接選挙の上に一党独裁というものがもし成立しますと、一党独裁というものがいいのかどうか、これが非常に問題になるわけです。たとえぱいま人間の正義と幸福のためにと、あなたはこう考える。別の人間は正義と幸福というものをまた別なように考える。人間個々人の考えは別々であります。あなた方と、別の人の正義と、そういう声をどうやって完全に等分に実現することができるか。政治が一つの正義を実現すれば、それ
は必ず言論自由の弾圧へ来るんだ、なぜなら一つの正義の実現を一党独裁の形でやろうとすれば、必ずその先には秘密讐察・強制収容所がついてくる、これは人間性としての当然のことと思います。もし強制収容所もない、政治讐察もない、そして正義と幸福が実現される、しかもそれが言論自由の筋道を通って実現される、私はそのようなことを一切信じません。というのは正義というのは一つの妥協の上でしか成立しないようにできているので、もしそれが妥協でない、それだけの形
で実現すれば、必ずそれは言論の自由と衝突する結果になる、つまりあなたの言われたことは、言論の自由による正義の追究は必ず言論の自由の弾圧に終るということを私は言いたいのであります。ですから、言論の自由をそれほど窮屈に考えないである考えが実現するかしないかわからんが、とにかく言いたいだけ言ってやろう、言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はな
いというのが言論自由というもののどうしようもない性質だと考えます。

三島由紀夫「文化防衛論」(新潮社)より
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1968年という年の世界の状況が伝わってくる討論だと思います。
1988年1月11日号のタイム誌のカバーストーリーは20周年ということもあり、ズバリ「1968年」ですが、この記事を執筆した、その当時のシニア・ライターであるランス・モローは、1968年という年を、「It was a tragedy of change, a struggle between generations, to some extent a war between the past and the future, and even, for a entire society, a violent struggle to grow up.(1968年は、変化という悲劇であり、世代間の闘争であり、いくらかは、過去と未来の間の戦争であり、そして、社会全体にとって、成長のための暴力的な闘争でさえあったのだ。」と形容していますが、何か、世界全体が見えない何物かに衝き動かされていたのではないかという感じがします。
それにしても、三島の質問者の質問の真意を的確に捉えて、自分の考えを分かりやすく伝える言葉を駆使する能力の高さには、ただただ凄いの一言です。
さて、映画労連の高橋委員長らの考え方は、三島のいう、言論の自由を「目的論的」に使おうということ、つまり、自分たちの理想とする社会実現のためには、映画プライドのような思想はけしからんから、こんなものは、公開すらままならぬ、それが、結局は社会のためになるのだ、というものでしょう。
三島は、
「言論の自由による正義の追究は必ず言論の自由の弾圧に終るということ」
と指摘していますが、非常に鋭いところを衝いていると思います。東京裁判を否定するような思想は自分たちの考える正義ではない、これは間違っている、と考えて、相手の言論の発表の機会すらをつぶそうとしたのでしょう。三島が述べているような事態が起こっている。東京裁判を肯定する人たちもこの箇所はしっかりと読んでもらいたいものです。勿論、東京裁判を否定する私も反対の言論の自由は守らなければとは思いますが、そこは、完全な聖人ではない人間には、どうしても、反対側の言論を何の偏見もなしに歓迎しよというようにはならない。場合によっては弾圧しようという行動に出る可能性もある。これは、人間が言論の自由を求めると同時に反対側の言論に対しては自分たちと同じ思想、言論と同じように接することができないエゴを持った動物である以上、仕方がない面もある。そうはいうものの、自分たちの偏見、エゴを自覚しながら、いかにして、自由な言論の社会を作っていくのか、この三島の言葉を読みながら、考えていきたい。
「私はあなたの考えには反対だが、あなたがその考えを発表する自由は、自分の命に代えても守っていきたい。」ということは、理想だが、なかなかできるものではない。しかし、この理想を追求しようとする人が多いほど、言論の自由度の高い社会といえるでしょう。
井沢さんは、この記事の最後に、
「本当にこの人たちは「表現の自由」ということを理解しているのだろうか」と
書いておられますが、頭ではわかっていても、実際の行動には反映されない、つまり、分かっちゃいるけど、止められない、ということでしょうな(苦笑)。
それにしても、井沢氏も指摘しているが、この当時、朝日新聞をはじめ多くのメディアは、この映画プライド公開中止申し入れに対して、言論の自由に対する弾圧だと問題にしなかったことが、不思議でならない。やはり、言論の自由にもダブルスタンダードは過去も、現在も存在するのだ。
人間とは理想を追求する動物でもある。
だから、どうしても、自分の理想に反する思想には警戒し、できれば葬り去りたい気持ちも湧いてくる。これは仕方のないものだと思う。理想を求める熱意が強い人ほど、この傾向は強くなる。共産主義の理想を求める運動が、過去、大量虐殺を生んだのは、人間の理想主義が持つ負の側面だろう。この人間の負の側面を自覚しながら、そして、言論の自由を守りながら、理想社会を追求していくこと、これがいまわれわれに求められていることだろう。



大川隆法さんのテレビ出演がユーチューブで見ることができます

2008-04-22 22:48:19 | カルト
 

大川隆法 vs 田原総一郎 ~なぜ幸福の科学なのか?



いい時代になったものです。
なかなか大川さんの過去のテレビに出たビデオを見ることができなかたのですが、ようやくその願いが叶いました(笑い)。
この対談は見たことがあります。
たしか、オウムと幸福の科学が朝ナマで討論会をやった年の年末ごろではなかったかと思います。
この頃は、大川さんもなかなか語り口に迫力がありますね。
この対談では、幸福の科学出現の使命を熱く語っております。
しかし、今現在、出現当時の勢いはないのではないか。
それでも、しぶとくがんばっているような印象はあります。
よく書店で、リバティーという雑誌を見かけますし、内容もタイムリーでなかなか面白いです。
この教団には、そんなに悪い印象もないですね。
興味もあるので、大川さんの本もかなり持っています。
よく思うのですが、たしかにこの教団に対する批判も多い。
この教団の日の出の勢いに嫉妬して、大川主宰を「ポア」しようと試みた人もおりました。その人はいまどうなっているのか・・・・・。嗚呼!!
まあ、しかし、純粋にビジネスとして考えた場合、大川さんは自身は、大いなる「勝ち組」といえるのではないか(笑い)。
たいしたものだと思います。
ビジネスだと割り切れば、あのような大量の本を出すことができるのかも知れない。

ところで、教団として、現在のチベット問題にどのような考え、提言を持っているのか、大いに興味があるところではあります。

今月の注目論文

2008-04-20 22:43:42 | 歴史
 


論座5月号フォーリンアフェアーズの記事の翻訳で、アメリカカトリック大学歴史学教授ジェリー・Z・ミューラーの
「なぜ民族は国家を欲しがるか」という論文は、チベット問題が世界の関心を呼んでいる現在、なかなか興味深いです。


「国と民族を同一視する民族主義運動」をエスノナショナリズムと呼んでいますが、
このエスノナショナリズムは、今後の世界において、衰える気配はない、とミューラー教授は述べています。

リベラルで教養あるアメリカ人やヨーロッパ人は、過去の世界大戦が起きた大きな原因に偏狭なエスノナショナリズムがあったのだから、平和的でリベラルな民主的な世界を築いていくためには、エスノナショナリズムという考え方を弱めていく方向でいくべきだ、と考える傾向があるが、現実の世界を眺めてみると、この考え方はいかに表層的であるということが分かる。エスノナショナリズムは、近代史において奥深くて永続的な役割を果たしており、民族的に均質でない国では、同一の民族集団による分離主義運動は今後も続と考えられる。

現代は、都市化が進み、識字率が高まり、政治的に民族集団を動員することが容易な環境下にある。こうした環境下で、新たな移民の流れが加わり、民族集団間に出生率や経済格差が生じれば、その地域の構造は、エスノナショナリズムによって揺るがされことになり、このエスノナショナリズムは、21世紀の世界秩序を規定し続けることになるだろう。

何故、エスノナショナリズムは衰えていかないのだろうか。
共通の言語、信条、先祖などを共有するという意識、この同属意識、家族意識こそ、エスノナショナリズムの内的訴求力の源であり、これが、「われわれ」という概念を規定する主観的な信条だからだ。

西欧においては、近代において、家族、一族、ギルド、教会などの、個人を社会集団として結束させてきた古くからの絆が緩み、自助、自立意識を育んだ。だが、心理、感情面において人びとの心の中に空白が生じ、それを埋めたのが、新たなアイデンティティー意識、それも民族を基盤とするアイデンティティーだった。

そして、国家と民族意識の調和を求めるエスノナショナリズムは、20世紀において、自発的な移民、強制的な国外追放、そして大量虐殺にいたるまでの、様々な悲劇を伴った。

1944年12月、チャーチルは英議会で次のように述べている。
「ドイツ民族の(非ドイツ系諸国からの)追放という手段こそ、現在考え得る手段のなかで、もっとも満足でき、永続的な効果を期待できる方策だ。民族を混在して生活させるのは、終りなき問題をつくりだすだけだ。・・・・明確な住み分けが必要だ。民族引き離し策、民族移動が大きな問題をつくりだすとは思っていない。」

世界史の流れにおいて、民族の混在をなくそうとする大規模な再編プロセスの結果、民族ナショナリストたちが掲げた理想はおおむね実現された。実際、多くの地域において、各民族は自分たちの国を持ち、それぞれの国は単一の民族を主体に構成されるようになった。

ユーゴスラビアの解体は、第二次世界大戦以降の流れの最後の動きだった。だが、この動きが、民族の分離運動であり、近代ヨーロッパにおけるエスノナショナリズムの勝利であるとはほとんど認識されていない。

エスノナショナリズムが持つ力が表面化したのは何もヨーロッパだけではない。
インド亜大陸のインドとパキスタン、そしてバングラデシュ、中東のアラブ諸国とイスラエルしかり。

エスノナショナリズムは、民族の内的な凝集力と安定を高める。
フランスの教科書が「われわれの先祖、ガリア人・・・・・」というフレーズで始まり、チャーチルが戦時下の市民に「この島の人種よ」と呼びかけたときに、そこで意図されていたのは、相互の信頼と献身を求めて、エスノナショナリズムに訴えることだった。リベラルな民主主義と民族的均質性は両立できるだけでなく、相互補完的な関係にある。

第二次世界大戦後のヨーロッパが調和を保てたのも、エスノナショナリズムが失敗したからではなく、成功したからだ。これによって、国内、国家間紛争の最大の火種が取り除かれた。民族や国の境界線はいまやおおむね重なり合っており、必然的に、国境線やマイノリティー集団に派生する対立が少なくなり、歴史的にみても、ヨーロッパの国境区分はいまやもっとも安定した状態にある。

現在、ヨーロッパの民族バランスにもっとも大きな影響を与えている要因は、アジア、アフリカ、中東からの移民の増大であり、これによって、民族の多様化が進んでいる。ベルギー、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、イギリスその他の国では、概して、イスラム系移民の経済、教育面での同化は進んでおらず、彼らは文化的に孤立している。

エスノナショナリズムは今後も長期的な問題をつくりだすことになるだろう。
経済のグローバル化の波に巻き込まれていく国が増えていくにつれて、こうした変化から最大の恩恵を手に出来るのは、新たな機会を、うまく利用できる多数派の民族集団であることが多い。これによって、民族間の亀裂はますます大きくなる。

チェイム・カーフマンなどの研究者が指摘するように、民族間の対立が臨界点を超えてしまえば、同じ政体内で民族的なライバル集団が共存していくのは基本的に難しくなる。

こうした不幸な現実が、民族紛争への人道的介入を支持する人人にジレンマをつくりだすことになる。互いに相手を憎み、恐れるようになった集団を和解させ、平和を維持するには、コストのかさむ長期的軍事介入が必要になるからだ。また、集団間の対立が民族浄化作戦へとエスカレートした場合のような深刻な紛争の場合、もっとも人間的で永続的な解決策は国を分割することだ。

ナショナリズムを研究している現在の多くの社会科学者は、民族意識が人為的に政治指導者やイデオローグに煽られ、利用されていると考えているが、エスノナショナリズムは、近代国家の形成プロセスが表へと引きずり出す人間の感情と精神にかかわる本質であり、連帯と敵意の源である。形は変わるとしても、今後長い世代にわたってエスノナショナリズムがなくなることはあり得ないし、これに直接向き合わない限り、秩序の安定を導きだすことはできない。

以上、私がなるほどと思ったところを、直接引用させてもらったり、要約させてもらったりしました。これだけ読むと、論文全体の要旨もつかめることができると思います。
チベット問題を考える上でも、大いに参考になると思います。
現在のチベットにおける民族間の紛争は、この論文にも述べられているように、臨界点を超えてしまっているのではないかと思います。
漢民族とチベット民族の共存は難しいのではないか。
そもそもの間違いは、漢民族がチベットに入ってきたからであり、ここは絶対に忘れてはならない事実です。
それではチベット問題の真の解決とは何だろうか。
この論文に書かれているように、チベット人が自分たちの国を持つこと、これですね。たしかに、究極の目標にいたるまでには、ダライラマのいう「真の自治」が保障される状況も必要だろう。
では、これは、ダライラマが提唱している対話によって達成できるのだろうか。
酒井信彦先生の予測ではなかなかむずかしいのではないかということです。
最近の、酒井先生がダライラマの中道路線を批判している講演を聞いてください。

12/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


酒井先生は、ダライラマの独立放棄路線は間違っていると批判しています。
これは最後に切るカードであり、これでは有利な交渉など出来ない。
チベット問題を解決したがっている欧米にダライラマは取り込まれたのではないか。
ノーベル平和賞などもらってうれしがっている場合などではないのだ。
現在の状況においてチベット問題の解決とはチベット問題の消滅にほかならない。
チベット問題の消滅とは、チベットが中華民族主義のイデオロギーによって、民族同化、つまり、民族浄化されること。
アメリカが中国と軍事対決も辞さないという姿勢がない限り、対話したからといって、チベット亡命政府は中国に屈服せざるを得ない。
チベットはあくまでも、独立を主張すべきである。
独立放棄というスタンスは、チベット人のエスノナショナリズムを無視した考え方であり、世界の歴史の流れに反する考え方だ。

13/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


非暴力主義とチベットの独立を求めることは矛盾しない。
ここが、ダライラマを聖人に祭り上げることによって、意図的に隠されている。
何故、ガンジーの非暴力主義が成果を上げたのか。
ガンジーがインドの独立を求めたからである。
インドのエスノナショナリズムをガンジーは無視しなかった。
だから、独立できたのだ。
ダライラマも、ここをじっくりと見直すべきではないのか。
そうしないと、この先、チベット問題の先行きははなはだ暗い。
チベット問題の解決、つまり、チベット問題の消滅が実現されれば、世界は暗黒な世界になる。
強大な不正義が認められたことになるからだ。
そして、中国に侵略されている他の民族にも甚大な影響を与えることになる。
さらに、日本も中国の侵略のターゲットにされていく。
平和ボケした日本人が気付かないだけの話だ。

14/14酒井信彦連続講演・第一回【世界から見た中華人民共和国の民族問題】


平和ボケした日本人の立ち振る舞いは、ますます、シナ侵略主義の意欲を掻き立てる。
アメリカは日本を守るか?
そんなことはないだろう。
憲法九条の改正もできない、時分の身を守ろうともしない民族を他の民族が守ってくれるはずがないではないか。

この酒井先生の講演は非常に刺激的で、非常に勉強になりました。
ダライラマ法王の中道路線の批判、なかなか鋭いと思います。
チベット青年会議のラディカルな主張もあながち間違っているとはいえないのではないか。
しかし、チベットの先行きはななはだ暗い、ということだけは確かだと思います。
この先、どうやってチベット問題を解決していくのか、なかなか難問です。
中国共産党の中華民族主義を止めさせなければならないのですから。
話し合いで解決できない場合は、実力行使しかないが、現在の国連ではそもそも無理だし(ここらへんに小沢の国連至上主義がいかに間違っているか示されているのだが)、アメリカも軍事力を使って中国と対立する気はないだろうし、現在、そんな軍事力もないだろう。

シャンバラサン誌で、ダライラマへロバートサーマン教授がインタビューしているが、このインタビューで、世界全体の言論の力が重要な鍵だと語っている。

ロバート・サーマン教授:非常に明快ですね。それでは猊下はわれわれ西欧の人間に対 して、チベットの大義を効果的に支援するために、どのような行動を望まれますか?

ダライ・ラマ法王:わたしたちの過去の経験によりますと、世論というものが、わたしたちの 希望の究極の源泉だと考えています。公の意見、世論ですね、がわれわれに有利な方向 に展開していけば、自動的に、その意見はメディアに反映されます。そしてこれは議会や 国会の中に、もっと支援が与えられたり、関心が払われなければならないという刺激を与え ます。これは確実に政府に新たな情熱を呼び起こします。

私はこのことを多くの国々で--特にヨーロッパで最も多くですが--発見しています。ヨーロ ッパの世論がチベットに大変好意的であり、強力ですので、メディアも大変好意的であり、 支援の姿勢を示してくれています。ですから究極的には、世論が政府にたいして、実現可能 な方法で支援を行いたいという情熱を与えることになるのです。この瞬間にも、わたしたち は、中国政府が前提条件なしで、実りのある交渉をわれわれと開始するようにと、様々な 政府に働きかけています。これが現時点における、私の中心の目標です。

1959年の後の、1960年代の初期には、アメリカ政府はチベットの大義(解放)を支援して くれていました。しかし、一般の人々の草の根の支援がなければ、政府は簡単に政策を 変えてしまいます。現在わたしたちが得ている大衆の支援はかなりなものがあります。そして この支援は実際に一般の人々から来ています。これは一夜で変わることは出来ません。 政府の政策はいつも変化の可能性があるのですが、大衆の支援はそこに残ります。

ですから長い目で見るならば、私は世論というものが非常に重要だと感じています。 世界の様々な地域やアメリカのチベット支援グループの活動が活発になるならば、その 行動はひいてはチベットを救うことにつながります。







チベットの歴史を学ぼう

2008-04-18 08:09:41 | 歴史
 


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成20年(2008年)4月18日(金曜日)        通巻第2162号 


 北京に突貫工事で「チベット博物館」を準備していたが。。
   かような事情でオープンを北京五輪以後の秋口に延期へ

 中国はチベットの歴史を骨の髄まで改竄して、こともあろうに北京に「チベット博物館」を建てている。
ここに嘘の展示物を並べることは火を見るよりも明らか。
展示の中味は「古代より、チベットは中国の一部」という、誰が発明したのか、世界の歴史家も呆然とするほどのフィクションの押しつけ、つまり中国共産党のチベット侵略の正当化である。「抗日人民戦争記念館」(いわゆる廬講橋の反日記念館)と中味はどっこい・どっこいの漢族中心史観、中華思想による歴史の改竄だ。
 
 チベットの虐殺に対しての世界中からの批判を「西側の情報謀略」と、ひっくり返るような論理を振りかざし、自らのチベット「侵略」を「解放」とすり替え、夥しい「僧侶虐殺」を「封建の悪弊を排除」と言いかえ、さらに「ダライラマ」を分離主義者、独立分子、悪人として攻撃している。
 こんな嘘放送を並べた「チベット博物館」を五輪前開館と宣伝して棟上げを急いでいたが、突如、開館延期の模様となった(ヘラルドトリビューン、4月17日付け)。

 最大の理由は嘘がまとめてバレるからだ。
 五輪前に世界から押し寄せるテレビ、新聞、ラジオ、雑誌関係のジャーナリストは四万人とも言う。
多くはスポーツジャーナリストだからチベットの歴史に無知、したがってチベット博物館の展示を、専門家を連れて見に行くだろう。
 「あれも嘘、これも嘘、みんな嘘」が一気に暴露される懼れが強い。

 九世紀、中原を支配した王朝は唐、長安を吐蕃(チベット)に軍事的に陥落され、ついにはラサに唐が屈服、姫君を嫁がせた(人質に差し出した)。
 この姫君をむかえるために建立されたのがポタラ宮殿で、嫁入りした文成公主は、漢族の歴史のヒロインとなって、美談が仕立てられ各地に巨大なモニュメント、銅像がある。


▲吐番に嫁いだ漢族の花嫁

 吐蕃は、現在のチベット自治区だけではなく青海省、甘粛省、寧夏回族自治区、四川省から貴洲省の一部を従えた広大な領土を誇り、当時の地政学でいえば、唐なんぞ問題ではなかった。
 覇権を握っていたのは吐蕃だった。

 こういう歴史はみごとに書き換えられた。
 元と清がチベットを征服した。それは事実だが、いまの中国の歴史では元(1270-1368)も清(1644-1912)も漢族の王朝ではなかったということを書いていない。
異民族支配の奴隷だったのが漢族だが、最近はみんな「中華民族」という架空の概念で統括し、あたかも民族対立がないような法螺吹きを続けている。

 つまり中国がチベットを支配し領有した事実ではなく、帝国の版図であり、ましてや元と清のあいだの「明王朝」はチベットとの関係が希薄で、その時代のチベットは、事実上独立していたとも言える。
 中国がチベットを侵略したのは1951年、そして59年ダライ・ラマのインド亡命により、爾後のチベットを支配するために完全なる洗脳教育とダライラマへの憎しみを仏教僧侶に教え込み、チベット族には母国語であるチベット語を禁じ、パンチェンラマの偽物をしつらえて、ついにはチベット文化の虐殺を開始したというわけだ。

 いまチベットに残る仏教寺院の多くは観光用であり、僧侶の多くは共産党員を兼ねるか、或いはスパイが混入している。本物の僧侶は処刑拷問獄中死あるいはインドへヒマラヤを越えて逃げた。か、逃げられずヒマラヤの山々に消えた。

 チベットの歴史はかき消され、中華思想が入ってきた。
 その政治宣伝の道具の一つを北京におったてていた。
そうした改竄歴史観を北京でも「チベット博物館」なるものを通じて、中国共産党支配を正当化するプロパガンダ戦略の一環として、北京を訪問する学童、公務員ばかりか、外国人観光客にも、インチキな歴史をすり込もうとしていた。

 チベット虐殺事件以後、世界のマスコミが北京を批判し、聖火リレーが各地で妨害されたとなると、五輪前に強硬にチベット博物館を開館してしまったら、嘘の歴史改竄に非難が集中することになる。
それで北京五輪後のオープンとするらしいのだ。

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 脳機能学者苫米地英人さんは、「洗脳支配」(ビジネス社)のプロローグで、
「世の中は、さまざまな嘘で塗り固められています。小さな嘘ばかりでなく、大きな嘘が堂々とまかり通ります。ほとんどの人は、飼いならされ、判断能力を奪われていますから、自分たちが手ひどく騙されていることに気付きません。騙している張本人は、真の意味での「勝ち組」であり、営々と続いてきた「権力」です。」
と書いています。

チベットの歴史に関しても、チベットは歴史的に中国の一部であった、という大きな嘘を信じている人もいます。この嘘をまかり通さなくするためには、チベット人ではない日本人も、ほんとうのチベットの歴史を知り、中国のプロパガンダを打ち破っていかなければなりません。中国をチベットの「勝ち組」には絶対してはなりません。こんな嘘がまかり通るようになったら本当の暗黒の世界になります。現在も世界中で南京大虐殺という大嘘がまかり通っているため、日本人にとっては暗黒の世界ではあるのですが。

チベット問題が大きくクローズアップされている今現在、この機会を利用して、チベットについていろいろ学んでいくのもいいかなと思っています。手ごろに入手できるチベットの歴史についての本として、チベット学者石浜裕美子先生の「図説チベット歴史紀行」(河出書房新社)があります。豊富な、美しい写真と共に、チベットを観光している気持ちになりながら、チベットの歴史を学ぶことができます。終わりのほうで、中国支配下のチベットについて書かれており、現在のチベット問題についても歴史の専門家の立場から教授してくれます。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309726182

マスコミによく出ておられるペマ・ギャルポさんの「改訂新版チベット入門」(日中出版)は、チベット問題を考えるための必読の書だと思います。私もこの本を読んでから、はじめて、チベット問題に関心を持ちはじめました。最後の「中国のチベット120万人大虐殺」は、中国側から、南京大虐殺というプロパガンダを仕掛けられている現在、日本人が絶対に知っておかなければならない中国の現在進行中の犯罪です。
http://www.nicchu-shuppan.jp/catalog04.html

中国の行動様式を知るためには、岡田英弘先生の「この厄介な国、中国」(ワック)などは、非常に勉強になります。



   

映画「ヤスクニ」問題は嘘つき李監督問題

2008-04-15 05:56:12 | 歴史


今回の映画「ヤスクニ」騒動。
どうやら、中共工作員とその代理人たる左翼メディア共謀の有村議員、稲田議員つぶしは失敗しそうである。
この問題の核心は、表現の自由問題なんかでは決してない。
まずは有村議員の言い分を聞いてもらいたい。

映画「靖国」 有村治子議員本人が報道の嘘を証明する 1/2


映画「靖国」 有村治子議員本人が報道の嘘を証明する 2/2



これを見れば、いかに李監督が嘘つきかということが分かるというものです。
これで、この騒動の勝負はあったということですな。
そもそもこんな嘘つき監督の言い分を信じてしまうジャーナリストが問題である。
こんな有村議員の言い分も理解できない人は真実を追究するジャーナリストとしては失格である。

いやそうではないのだ。李監督の嘘などどうでもいいのである。われわれは中共の手先なので、真っ当な、日本の国民のために働く議員をつぶしたいので、このようなキャンペーンを張っているのである、という反日ジャーナリストの本音も見えてくる。

今、われわれは、熾烈な情報戦、思想戦のさなかにいるのだということを自覚しなければならない。藤井厳喜さんは、現代は加害者が被害者面をする異常な時代だ、表現言論の自由という大義名分を利用して、本当の言論の自由を圧殺しようとしていると、この問題の核心を喝破しておられるが、さすが、藤井さんだ。情報戦、思想戦において、ナイーブだということは、許されないことなのである。それは、即、自分に跳ね返ってくるのである。精神的奴隷に陥ることなのである。
今回のような反日の策謀、謀略が起こったら、ただちに、われわれ日本人は反撃し、叩きつぶさなければならない。今回のチャンネル桜の迅速な行動は、本当に素晴らしい。われわれは日本国民のために貴重な仕事をされている稲田議員、有村議員を応援、支援していかなければならないし、チャンネル桜も支援、応援していく必要があると思う。
そして、もう一つ、重要なことは、嘘つき国家、捏造国家、中共の本質が、今度の李監督の行動を通して、非常に分かりやすく露呈されているということなのである。どのようにして、真実が捻じ曲げられていくのかかが、よく分かる。まだ、このようなことを起こされても、中共の「南京大虐殺」という嘘八百の宣伝を信じるとしたら、そんなおめでたい人は、もはや、救われまい。

ところで、尊敬するジャーナリスト江川紹子さんは、ご自身のページで、映画館経営者の映画を上映するという職業倫理をないがしろにした軽率な決断、勇気なき行動を非難しておられる。まったく、私も同感であるが、次の部分は、いかがなものかなと思う。

「今回の映画に関しては、公開前に国会議員向けの試写会を行うという異常な状況を作った稲田朋美衆院議員らの言動の是非も議論されるべきだろう。稲田議員は、問題にしているのは、助成金の支払いが妥当であったか否かであるとし、試写は事前検閲でないと主張している。たとえそうだとしても、今回のような異常な状況が、民間企業である映画館に対してどれほどの圧力になっているかを認識し、自分たちの権力の大きさを自覚してもらいたい。」

稲田議員や有村議員の、国会議員としての国民のための当然の行動を、事前検閲、表現の自由への圧殺行為なだと、曲解して報道するジャーナリス、メディアが「異常な状況」を作りだしているのである。この問題の最も核心部分を間違わないでほしい。タイム誌から、「a fearless truth-seeker」と評された江川さんらしくない。




日本ナショナリズム研究所所長酒井信彦氏講演(2)

2008-04-11 18:06:01 | 歴史



http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/shuchou/18_12_16.htm
【シナ侵略主義の真髄は民族絶滅】

 三番目の現代世界の腐敗の根源、黙認されるシナ人の侵略のところです。シナ人は何故精神侵略を行うのか。それは日本人を精神的に抑圧すると、経済的にも外交交渉でも優位な立場に立てるのは勿論なのですが、最終的な目的は何なのかということです。それは日本を軍事侵略することです。その準備段階として精神的な地ならしをしておく、そのことが精神侵略の真の目的です。

私は以前からシナ人による対日侵略の三段階論ということを言ってきました。第一段階は精神的な侵略であり、第二段階は人口的侵略、つまりシナ人を大量に日本に送り込んでくる。それから第三段階の最終的な仕上げとして、軍事的侵略があるということです。

人口侵略というのは人口的に日本を制圧していくということです。これは国際化の問題と絡んでいますが、日本は外国人を多く受け入れて国際化すべきだと、以前から朝日新聞が盛んに言っています。また外国人の参政権問題があり、小渕首相の時の懇談会で外国人留学生には自動的に永住権を与えるという答申をしたことがある。これは小渕首相が急死して実現しておりません。ただし国際化の中でシナ人の人口がどんどん増えている。現在一番多いのは朝鮮・韓国系ですが、急速に伸びてきているのはシナ人です。間もなく日本における最大の外国人はシナ人になるのは間違いありません。人口侵略というのは日米安保条約があっても防げない。あからさまな軍事侵略だったら安保条約で防げるかもしれませんが、人口侵略は合法的に行われているわけです。日米安保条約があっても防げないから、どんどん進行して行きます。

一方で軍事面では、アメリカは基本的に衰弱し、そして撤退していくと思います。その時に日本が現在のままの白痴状態であるならば、必ず軍事的空白を埋めるためにシナ人の軍隊がやって来るでしょう。その時にまず在日シナ人が暴動みたいなものを起す。それを日本が鎮圧しようとすると、居留民保護という名目でシナ人の軍隊がやってくる可能性が極めて高い。それが軍事侵略の突破口になる。

 そもそも中共は現実の侵略国家であり、シナ人は侵略現行犯民族です。これは歴史的に見てまぎれもない真実です。現在の中華人民共和国というのは、日本の江戸時代から明治時代にかけて存在した、巨大な清帝国を再建したものです。二十世紀までは世界には数々の帝国がありました。清帝国はもちろん、オスマントルコ帝国、ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア帝国、植民地帝国の大英国帝国、小規模ながら大日本帝国もありました。そういう帝国は、民族自決・民族独立の歴史の潮流の中で、解体され消滅していったのですが、現在唯一残っている帝国が中共です。この中共帝国は今も不当にも生き延びてしまっている。

清の前、明の時代の領土は中華人民共和国の三分の一から四分の一位でずっと小さかった。清は満州人がつくった王朝であり、満州人の軍事力によって清と言う大帝国をつくったのです。それが、一九一一年の辛亥革命で清帝国が滅亡した時点で一旦分解した。それでチベット、モンゴル、東トルキスタンが、基本的に独立したのですが、中華人民共和国が出来た段階で強大な軍事力を持つことにより、南モンゴル、チベット、東トルキスタンを再侵略し、今の中華人民共和国ができました。但しその時に併合されなかったのが現在のモンゴル(北モンゴル)です。北モンゴルが何故併合されなかったかというと、ソ連の衛星国になっていたからです。毛沢東もソ連の軍隊がいたので軍事併合出来ずモンゴルが残っているのです。シナ人が将来的には併合しようと考えているのは、当然予想されることです。

その中華人民共和国の侵略を正当化するイデオロギーが中華民族主義です。簡単に言えば、中華人民共和国は多民族国家だが、中華民族としては単一民族国家だという論法です。つまり民族概念が、二重構造に成っているのです。素晴らしい論法ですね。孫文の民族主義の中にも書いてあるのですが、一応多民族国家であるけれども、中華民族としては単一民族国家であるから、シナ人以外の民族は独立する必要はない、してはいけないという論法です。歴史的に見ると無茶苦茶な論理なのですが、それを現在も主張しております。またそれを世界中が黙認しているわけです。

民族独立・民族自決というのは世界の近代史における基本的な流れであって歴史の必然なのです。歴史には進歩する方向というのがある。日本は免れていたけれども、昔はヨーロッパ人によって世界中が植民地化され侵略されていた。しかし、第一次大戦の後でヨーロッパに民族自決・民族独立という原則が適用されて、東ヨーロッパにロシア帝国・オーストリア帝国・ドイツ帝国から、色々な民族の八つの国が一挙に、第一次世界大戦の後ベルサイユ講和会議で独立したわけです。すなわち北から、フィンランド、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、セルブクロアートスロベーヌ(ユーゴスラビア)です。ところが第一次大戦の後ではアジアに対しては民族自決、民族独立は適用されませんでした。イギリスやフランス、これらの国は植民地大国ですから、植民地民族を独立させるようなことはしなかった。それは歴史から見て極めて不自然なことでした。しかし大東亜戦争でアジアが戦場になることによって、その過程のなかで日本が植民地に対して独立を与え、フィリッピン・ビルマの独立を戦争中に承認しました。戦後民族独立の気運が高まり、東南アジアの国々やインドが、四〇年代から五〇年代にかけて独立するわけです。その影響を受けてアフリカが一九六〇年代にかけて続々と独立していった。

このように民族自決・民族独立が世界的な潮流なのですが、ただし第二次大戦後も二つの帝国、多くの民族を支配下におくソ連と中共が残った。ソ連はロシア帝国が共産化したもので多民族国家でした。ところがソ連が一九九〇年代の初め九一年に解体しまして、ソ連の中にあった十五の構成共和国がそれぞれ独立しました。それはエストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国、東欧のベラルーシ・ウクライナ・モルドヴァ、コーカサス地方のグルジア・アルメニア・アゼルバイジャンの三カ国、中央アジアではカザフスタン・ウズベキスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンの五つのトルコ系のイスラム国家が独立しました。ただしロシア帝国は大規模なものでしたから、まだ民族問題がチェチェンなどで残っております。

ソ連が解体しただけでなくユーゴスラビアも、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・セルビアモンテネグロ・マケドニアの五つに分かれて解体しました。セルビアとモンテネグロも、最近更に分離しました。そうするとユーゴスラビアはこの十数年の間に六つの国に分かれたわけです。チェコとスロバキアも民族分離した。

ヨーロッパでは民族自決、民族独立が貫徹しているにも拘らず、東アジアではその動きが全く抑えられています。問題は欧米白人がシナ人の侵略支配、中共帝国を認めてしまっていることです。私はこれが根本的問題だと思います。ソ連が解体したらその次は中共帝国をアメリカは解体しなければならないのです。世界の警察を自称するアメリカの責務なのです。その責務を放棄している。現在世界が抱えている最大の不正義は、テロよりも中共帝国の存在だと思います。テロと言うなら、シナ人が行っている侵略こそ、最高・最大のテロです。アメリカは北朝鮮などを悪の枢軸と言って、小物ばかりを批難するのですが、中共は完全な悪の帝国に関らずやりたい放題にさせている。警察官が暴力団と癒着しているようなものです。かつてレーガン大統領がソ連のことを「悪の帝国」だと言っていました。ソ連は解体されて民主化されました。にもかかわらず中共帝国は厳然と存続している。これが、現在世界が抱えている最大の解決すべき課題です。

シナ人の侵略主義は単にその国を征服するだけではなくて、更に徹底してそこに住んでいる民族を消滅させるというが最大の特徴です。かつてポーランドは十八世紀の後半にドイツ人とロシア人によって分割、征服され消滅したのです。それが第一次大戦後に復活した。但しヒットラーとスターリンによって第二次大戦中に更に征服され分割されたのですが、第二次大戦後に又ポーランドとして生き返るというように、侵略されても甦る民族も存在します。しかしシナ人の場合は単に征服するだけでなくその中の民族をシナ化させる、同化させるのです。これは孫文の「三民主義」の民族主義の中にはっきり書いてあります。ナチスドイツの民族絶滅とやっていることは同じです。ただしガス室を使用せず、シナ人の大量移民という形で、少数民族を消化吸収して消滅させる方式をとっているわけです。これは現在の中華人民共和国の国内で現実に進行している事実です。

つまり中共という現実の侵略国家により、日本人が歴史問題で恐喝されて反省を繰り返しているわけですから、客観的に見れば滑稽極まりない漫画みたいなものです。現実の強盗に「お前は昔強盗をしたじゃないか」と脅されているという図式でありまして、今の日本が如何に異常であるかの何よりの証拠です。日本民族は世界中に、不様極まりない醜態をさらけ出しているのです。

今やシナ人は、日本に侵略の標的を完全に定めた、と私は判断します。中華人民共和国と日本が国交を成立してから、来年で三十五年になります。この間日本の対中共外交は、完全なる失敗に終始しました。日本人がシナ人に対して情報戦・思想戦で全く反撃しないから、日本は完全に腑抜けな民族だと認識され、その日本の腑抜け振りが、シナ人の日本侵略意欲を、いやが上にもそそるのです。日本人がこれだけ精神的にだらしなくなっていれば、精神侵略のみならず、人口侵略も最終的には軍事的侵略も可能だという確信を、シナ人に植え付けてしまった。中華人民共和国のトップの人達はそのように判断していると思いますし、そうした国家戦略を明確にたてているのは間違いありません。十年程以前、当時の李鵬首相がオーストラリアの首相に会った時に「日本は二十年か、三十年位したら無くなる」と言いました。その意味は我々シナ人が日本を併合して消滅させるということです。日本人はその発言がなされた段階で、正面から反発する発想、憤る気概がないのです。

【史上最大の国難ゆえに国士の生き甲斐あり】

 第四番目は、ではどうしたらよいのか、何をなすべきかということです。それは、あらゆる意味で日本は自存・自立を目指さなければいけない。もちろん軍事的な自立もそうです。アメリカに頼っているだけでは駄目なことは明らかです。シナ人による侵略の順序としては、チベット、台湾、日本だと考えます。チベットはもう侵略されている。台湾はこれからまさにシナ人が侵略しようとしています。軍事的に侵略すると明言しています。それに対してアメリカは台湾を見捨てるような態度です。ゆくゆくは、アメリカは台湾と同じように日本を見捨ててもおかしくないと思います。日本はアメリカが見捨てることはあり得ないと考える人がいるかもしれませんが、私はそうではないと思う。それほど日本は特別な存在なのでしょうか。

先ほど述べたように、シナ人が日本を軍事侵略するということは、絶対に起こると思います。シナ人は世界覇権を目指しています。少なくともアジア・太平洋に覇を唱えるということは考えています。明らかに色々な兆候からしてそうです。太平洋を制圧する為には台湾は勿論必要だが、最終的には不沈空母の日本が必要です。そういう意味で日本を軍事侵略するということは全く当然の発想ではないか。何度でも言いますが、中共は現実の侵略国家であり、シナ人は侵略現行犯民族です。侵略国家・侵略民族が更なる侵略に乗り出すのは当たり前のことで、それを警戒しないのは底なしの馬鹿なのです。そもそも、日本は過去を反省していないから、今後同じ過ちを犯すに違いないと言われているくらいですから。

シナ人の侵略を防ぐためには日本人を精神奴隷の状態から解放し、大和魂を復活し、民族意識を再生しなければならない。それがナショナリズムになるのです。日本にこそナショナリズムが必要なのです。ナショナリズムはどういう時に自覚されるかというと、民族・国家規模の危機においてである。危機をもたらしている敵を明確に認識して、真っ向から対決して闘う、相手と闘う姿勢を固持する。攻撃が最大の防御です。防御ばかりやっていても駄目なのです。私が右の業界の人達に対して一番疑問に思うのは、さまざまな歴史関係の問題、例えば南京問題・慰安婦問題などで、そういうことは無かったと一生懸命説明していることです。説明・説得すること自体は、ある程度必要かもしれなせんが、それだけでは駄目です。特に日本を真っ向から責め立てている敵に対していくら説明・説得しても、相手は聞く耳を全然持っていません。そもそも、シナ人の支配者達は靖国問題などどうでもいいことだと思っている。日本を攻撃する材料として使えるとなれば、ありとあらゆることを捏造して攻撃してくるのです。暴力団の因縁と同じです。したがって相手に対して直接的な反撃、攻撃を行わなければなりません。

日本の敵の中で、主敵は明らかにシナ人です。主敵に従っている従敵は虐日日本人です。反日日本人という表現がありますが、弱すぎるので私は虐日日本人といいます。右の業界の人々から、シナ人より虐日日本人が一番悪いと言う主張を、しばしば聞きますが、そうではありません。虐日日本人は、シナ人の手先です。

何故虐日日本人が出てくるかというと、ドメスティックバイオレンスの考え方が非常に役に立つと考えます。今は親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、乱暴したりしている。これをドメスティックバイオレンスと言いますが、家族意識が崩壊しているから家庭内で暴力を振るう。それと同じで民族意識、国家意識が消滅しているから、日本人が日本人を迫害することが平気で出来るのです。それを外から見ると、一見迫害している側が反省しているように見えるのです。大江健三郎さん、加藤周一さん、朝日新聞にしても、日本人を一生懸命貶め攻撃しますね。私は以前、松井やよりさんを、「精神のテロリスト」だと表現したことがありますが、これは精神的なテロ、暴力です。そういう人間が日本に大量に出現している。民族意識が崩壊しているのです。

教科書事件以来、朝鮮人もシナ人の手先になって日本を攻撃してきました。さらにロシア人がそうなって来たように、世界中で日本を操作する時に、歴史問題を使うのが有効だと考えれば、アメリカもヨーロッパも、ドイツ人も明らかにそうします。ドイツ人が何故日本を攻撃するか。そうすれば自分達の罪が、相対的に非常に軽くなるからです。我々が反省しているのに日本人は全然反省していない。同じ戦争の過ちを犯した者であってもドイツ人は立派だが日本人は駄目だという言い方が出来るわけです。このような流れ傾向は、今後世界でもっと顕著に出てくる可能性が大いにあり得ます。それは日本が余りにもシナ人・朝鮮人の攻撃に、唯々諾々と屈従しているからです。

まずしなければならないのは、敵を敵として正確に認識することです。つまり敵視することです。日本の真の敵はシナ人なのですから、シナ人を徹底的に心の底から敵視しなければなりません。こういうと殆どの日本人は腰が引けてしまうかもしれませんが、全く遠慮する必要はありません。それでも遠慮する人には、いい事を教えてあげましょう。在日シナ人作家モー・バンフ(莫邦富)は、一九九七年二月九日の朝日新聞で、日本人に対して「相手を敵と見ることはイコール相手に敵と見なされることだ」とぬけぬけと明言しています。つまり昨年の官製虐日暴動などで、散々日本を敵視しまくったシナ人を敵視することに、全く問題はないのです。

では具体的にはどうするか、何を為すべきか。シナ人の最大の弱点を衝けばいいのです。シナ人の最大の弱点とは、シナ人は侵略の現行犯だということです。かつて侵略した前科がある、侵略の前科者だという話ではありません。現役ばりばりの現行犯なのです。しかも単に侵略しているだけでなく、中共国内の色々な「少数民族」を絶滅させるという、ナチスドイツにも匹敵するような犯罪を仕出かしている。その侵略の現行犯であるシナ人を告発して糾弾する。それが一番効果的なのです。シナ侵略主義の打倒撲滅です。シナ人に向かって、「シナ人よ、お前こそ侵略現行犯だ」「シナ人は侵略を止めよ、厳命する」と、機会あるごとに言ってあげるのです。とくにシナ人の侵略イデオロギーがあって、それによって中華人民共和国の存在が正当化されている。したがって今現在行われている侵略を止めさせて、中華人民共和国と言う名前の中共帝国を解体・民主化し、さらにシナ人の侵略イデオロギーを撲滅し、その犯罪の歴史を反省し謝罪させる。それを日本人が率先してやるべきで、やらなければならないのです。我々日本人はシナ人から、言われ無き偏見・差別・迫害を散々受けているわけですから、それに対して闘う権利を持っているのです。しかもシナ人の侵略を糾弾することは、世界の歴史の流れから見て、紛れもない絶対的な正義です。

先ほど述べたように、シナ・中共の巨悪をアメリカが黙認している。アメリカの言っていること、やっていることは常に正しいのか。そういうことはありません。世界の歴史の正しい流れ、発展の方向、進歩の方向があるのです。これを日本人が勇気を持って言えばいいのです。ほんらいならば、政治家・学者・報道人・財界人など、社会のリーダーが言わなければならないのですが、現状では全く期待できません。民族意識を強固に持った人間が、先頭に立って言っていかなければいけないということです。シナ人が侵略の現行犯だという告発は、虐日日本人や朝鮮人、そういう人達に対する痛烈な批判にもなるのです。さらに欧米白人への批判としても極めて有効です。「日本が過去の歴史を反省していないのはけしからん」という人達に対して、「シナ人は現実に侵略をしているじゃないか。それをあなた達は黙認するのか。目を瞑るのか」ということをはっきり突きつけるのです。そうすればこういう人達も考え方が変わるかもしれない。少なくとも変わるきっかけになるに違いない。そうしなければ、「日本人だけが過去を反省しない民族だ」という、シナ人・朝鮮人・虐日日本人が捏造したとんでもないデマが、世界中に普及してしまうでしょう。

そういう運動・取り組みを、我々はまだまだ殆どやっていない。戦後の日本は、シナ人の対日工作にやられ続けています。国交正常化と言う名前の国交異常化が一九七二年、第一次教科書事件が八二年、丁度十年後です。それから二十四年も経っている。もう四半世紀です。その間ずっとやられっぱなしで、安倍さんが本当にたて直してくれるのかと思っていたら、物の見事に屈服してしまった。今のままでは、日本人に対する精神侵略は、完全に定着してしまいます。繰り返しますが、馬鹿正直に弁解ばかりしていては駄目なのです。日本の真の敵であるシナ人の脳天に強烈な一撃を与えるような活動が、絶対に必要なのです。そしてそれには、彼らの侵略現行犯を告発・糾弾するという、極めて簡明な戦法があるのです。

 以上申し上げたように、少しも大げさではなく現在は歴史上最大の国難に直面している。日本の歴史は長いが、基本的に島国という地形で守られてきて、深刻な民族的な葛藤・相克を経験しないできました。つまり温室育ちで、ひ弱なのです。ただし明治維新が非常にうまく成功し、欧米以外では唯一の世界の強国になり、戦前の国際連盟の常任理事国になった。大東亜戦争で失敗したのは、明治維新後の歴史がうまくいきすぎた裏返しだと思います。世界のグローバ化は今まではほんの序章に過ぎず、これからもっともっと本格的に進展していきます。その時に日本人は民族として生き残れるのか。今のままでは全くおぼつかない。日本を併合し、日本民族を消滅させようと考えている人間が、我々の目の前に存在している。まぎれもなく歴史上始まって以来最大の国難です。

こう言うと、それでは余りにも救いようがない、自虐的だと言う方が、右派の人々の中にも結構いるのですが、現実がそうなのだから仕方がありません。恐れずに現実を直視すべきです。私はこの講演の中で、右派の論壇では殆ど触れられない、かなり重要なことを幾つも言っているつもりです。これから皆さん一人一人で、私が申し上げたことを、自分の考えとして練り直して、自分のものにして頂きたいと思います。自分の考えとしてしっかり身に付けてて、どんな形でもいいですから、世の中に発信して頂きたいのです。結局私が言いたいのは、「敵と戦わなければ滅びる」という、極めて単純な話です。皆さん一人一人が言論の戦士です。言論戦士として、日本の敵と徹底的に闘って頂きたい。戦国時代や明治維新、すなわち動乱の時代・国難の時代こそ、本当は生きがいのある時代なのです。歴史上最大の国難ということは、逆に言えばこれだけ生きがいのある時代はないということです。皆さんのこれからの御活躍をお祈りします。

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いかがでしたでしょうか。
酒井先生の烈々たる憂国の思いが伝わってくる講演です。
そして、正義が踏みにじられていることへの阿修羅のごとき怒り、まさに、凄まじきものがあります。そして、この不正義を正そうとする意思こそ、本来、ジャーナリストが備えていなければならない資質なのに、日本を代表する新聞である朝日には、それがまったく感じられない。何故、日本の過去の歴史を糾弾する熱意で、この中国の現在進行中の巨大な悪を報道しないのか。中国の仕返しが恐いから、黙っているのか。それとも、チベットをはじめとする中国の内の他の民族に対する文化的ジェノサイドを認めるのか。チベットはハッキリと文化的虐殺だと告発しているぞ。侵略されている側の言い分を報道しないのか。果たして、こんな新聞はジャーナリズムの資格があるのか。こんな新聞が「ジャーナリスト宣言」するなどとは、まさに笑止千万
かつて、林房雄は「大東亜戦争肯定論」において、
「自ら掘った大敗戦の壕を一挙に飛び越えることはできぬ。私は日本に休養をすすめる。東亜百年戦争の戦士が休養して傷をいやすことは当然のことであり、歴史に対する義務でもある。世界情勢の推移を静観することは卑怯でも恥辱でもない。
 いつの日か、歴史は「東亜百年戦争」の戦士の息子たちを再び歴史の舞台の正面に呼び出すことであろう。」
と述べている。
日本及び日本人が、林房雄の言う「再び歴史の舞台の正面」に出てくるときとは、まさに、チベットが民族の存亡をかけて立ち上がった、今このときではないだろうか。大東亜解放戦争を闘った日本民族がこのまま黙っていていいわけがない。
それでは、チベットの解放と中国共産党の完全解体をめざす戦いに勝利するために、まずは、加藤隼戦闘隊を聞いて、そして大きな声で歌いながら、モチベーションを高めていきましょう。

加藤隼戦闘隊 -Kato Hayabusa Fighter Wing-




日本ナショナリズム研究所所長酒井信彦氏講演(1)

2008-04-11 17:55:58 | 皇室





今、私が最も注目している思想家は、日本ナショナリズム研究所所長の酒井信彦氏です。酒井先生の名前を初めて知ったのは、レコンキスタ紙上で、一水会の現代講座でチベット問題を講演された要旨を報告されているのを読んだときです。その内容は、以前、掲示板にも書き込んだことがあります。
今現在、チベット問題の本質を理解するためには、どうしても、侵略側の中国共産党の考え方を理解しなければなりません。戦争に勝つためには、敵を知らなければならないということですね。
ユーチューブでもチベット問題についての酒井先生の講演がアップされていますが、非常に感銘を受けたので、ここに紹介しようと思っていたところ、その前に、まず、それ以前に行われた酒井先生の講演をここに紹介、転載させてもらいます。この講演を読むことによって、いかに、われわれ日本人は精神的、思想的にマインドコントロールされて、精神的奴隷の地位に貶められているかがよく分かります。チベット問題の本質もこれを読めば、ほんとうに深いところから理解できると思います。非常に刺激的な内容です。

http://homepage2.nifty.com/shukenkaifuku/shuchou/18_12_16.htm
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■民族意識の喪失が日本没落の根本原因だ

―日本の敵と徹底して戦うナショナリズムの必要性―


平成18年12月16日(靖国会館)

酒井信彦(日本名ショナリズム研究所所長、主権回復を目指す会顧問)

司会・西村修平 (主権回復を目指す会代表)

酒井信彦先生が東京大学を今年の三月に退官されました。私達のお願いとして先生にはこれから日本の民族運動の理論的なリーダーとして活躍して頂きたいということで、「主権回復を目指す会」の事務所を立ちあげました。事務所に先生をお招きして色々な民族運動の研究、併せて先生の専門であります室町時代における宮中儀式の研究をも進めて頂きたく考えております。そういう経緯で「日本ナショナリズム研究所」を同事務所に併設し、この度の開設記念講演となりました。

 今日は酒井先生に「民族意識の喪失が日本没落の根本原因」というテーマでお話して頂きますが、ご存知のように酒井先生は日本の右の運動における言論界からは実質的に“追放”されています。(笑い)何故追放されているかというと理由があります。我々が何故に研究、言論をおこなうのかというと、社会を改革するために、今現実に目の前における問題を解決するために、現状を改革するためであって、議論の為の議論ではありません。一方において、言論のための言論は問題が解決したらお終いなります。ある意味で言論が終結することを最も恐れる方達が右の陣営とか、保守の陣営にいるということです。酒井先生は常に結論・目的を述べます。後はやるかやらないかによって言論が終止するわけです。ここに、右とか保守から排斥される根拠があると私は考えています。今日は安倍政権が誕生した局面における日本の現状において、我々は何を為すべきかという問題について酒井先生がお話しして下さると思いますので、皆さん、ご清聴をお願いします。では先生お願いします。


【シナ・中共による精神侵略の完成とは】

「日本ナショナリズム研究所」発足記念ということで、私が現在考えていることを、現状認識とこれからどうしたらよいかということを含めて、総括的に話したいと思います。かなり大雑把になると思いますが、その点は御了解頂きたいと思います。細かい論点については、今後折りに触れて説明してゆくつもりです。

 お話するのは、以下のような四つの項目です。一番目に、安倍政権の成立でシナ人による対日精神侵略は完成したこと。何故私がそう考えるのかを説明します。二番目に日本の悲惨な現状を齎した根本的原因は、民族意識の喪失にあること。三番目に、現在の世界は正義が踏みにじられた腐敗した世界であること。その理由は中華人民共和国という現実の侵略国家が野放しにされ、侵略行為が黙認されているということです。四番目に、それでは我々はどうしたら良いのか。具体的に何を為すべきかを話したいと思います。

まず一番初めの精神侵略の完成ということですが、我国に降りかかっている歴史問題の本質を、日本人は殆ど正確に理解していません。その本質は今問題になっている苛め問題と、根本では全く変わりません。個人の問題であれ、国家の問題であれ、そこで働いている原理は同じなのです。苛めることによって精神的に優越感を得る。それで相手を屈伏させる。また名古屋の中学生が苛められて五千何百万円も恐喝されたことがありましたが、それと同じことが国家間で行われていて、汚名を着せられているだけでなく、日本は色々な形で経済的にも搾取されている。つまり歴史問題は、意図的な偏見であり差別・迫害です。そのことを、日本人はまことに愚かなことに、正確に理解していない。さらに言えば、それは精神に対するテロ行為、精神に対する侵略なのです。

歴史問題というのは、シナ人がずっと以前から準備、用意してきた、日本に対する思想戦・宣伝戦・情報戦・心理戦、すなわち意識の戦いです。それは日中戦争当時にはあったとしても、日本の敗戦によって終結したと考えられています。しかしそれは戦後も一貫して続いているのです。他人を陥れることにかけては、世界広しといえども、シナ人の右に出るものはいません。彼らの得意中の得意です。シナの歴史は幾ら長いといっても、それは騙しあい殺し合いの歴史です。

現在の歴史問題にも、それなりの歴史があります。基本的には一九七二年の田中拙速外交によって、「日中共同声明」の中に歴史問題が盛り込まれ、一九七八年に福田内閣の時に「日中平和友好条約」が結ばれ、その中にも入れられました。そのようにしっかりと準備しておいて歴史問題を爆発させたのが、「侵略」を「進出」に書き換えさせたとのデマに基く、一九八二年の「第一次教科書事件」です。この真相は未だに解明されていませんが、明らかに意図的な謀略でしょう。さらに一九八六年の第二次教科書事件、中曾根首相の靖国参拝問題、慰安婦問題、化学兵器の処理問題、七三一部隊の問題等々と次々と出してきて、ずっと日本を脅迫し続けてきたわけです。

その過程で河野談話、村山談話があり、一九九八年の小渕首相と江沢民との「日中共同宣言」があります。「日中共同声明」と「日中平和友好条約」と、「日中共同宣言」、これは全て外交の公式文書であって、その中に歴史問題が日中お互いに確認した形で盛り込まれているわけです。河野談話、村山談話は日本人が一方的に出したものですが、これらがずっと効力を発揮してきた。そのなかで小泉首相が唯一靖国問題で抵抗したわけです。ただし小泉さんも村山談話は継承するようなことを言ったわけですが、とにかく靖国神社参拝で最後まで頑張った。

ところで今度は安倍首相ですが、就任以前は立派なことを次々と言っていたのですが、たちまち変節してしまいました。ただしすでに官房長官の時に村山談話を継承すると九月の上旬に言っているし、靖国問題を曖昧化するという点では、四月十五日に表立たない形で靖国参拝したということですから、この変節ドラマはかなり前から計画されていたものでしょう。

就任以後は、国会の所信表明演説、中共・韓国への訪問によって、その変節振りが極めて明らかになった。私は以前から精神侵略というのはほぼ完成したと考えていましたが、小泉さんの靖国参拝で首の皮一枚で繋がっていた。しかし安倍外交によってシナ人の対日精神侵略は、百パーセント完成したと判断せざるを得ません。問題は一番最初が肝心なので、これだけだらしなく屈服してしまったら、もう取り返しのつけようが無いと思います。ずっと続いてきたシナ人の精神的侵略を断ち切る絶好のチャンスだったのに、ものの見事に失敗した。中共・韓国への訪問は外交的成功だと、保守派の言論人もそういうこと言っていますけれども、そんなことはある筈がないと思います。

日本の過去を追求するのは特定アジア、中共・韓国・北朝鮮の限られた国々だと言われていましたが、これからはますますそうではなくなるでしょう。既にロシアが彼らの側に立っている。アメリカも歴史問題をちらつかせている。最近朝日新聞(平成十八年十二月五日)にドイツのシュミット前首相のインタビューが載っておりました。ドイツは同じ敗戦国であるにも拘らず、日本に対して歴史問題について、シュミットは実に悪辣・卑劣なことを言っています。歴史問題はこれで片付くような問題ではなくて、これからも繰り返し繰り返し、日本を押さえつけるために使われることは間違いない。こういうことをやられ、放置していたら、何時までたっても日本の精神力は回復しないでしょう。

日本に対する歴史問題を利用した精神的な圧迫というのは、主としてシナ人が演じているのですが、シナ人は歴史問題だけでなくて、あらゆる面において凶悪な精神的圧迫を日本に加えている。シナ人が何をやってもそれに対して強く出られないという関係が既に出来上がっております。これは領土領海への侵犯問題はもちろん、経済問題、例えば日本の特許権の侵害、偽物を作られるとか、ヤオハンが出かけて行って丸裸にされて追い返されるとか、重大な問題が多くあるにも拘らず、それが伏せられたままです。

日本人は環境問題に敏感な筈なのですが、現在は中華人民共和国が環境破壊の超大国です。中共国内だけであればまだよいのですが、そこで起こった公害は偏西風によって日本にやってくるのです。日本の天気は西から東に向かって変わります。現在も既に酸性雨など中共の公害が日本に来ているのですが、民間でも政府でも知っている筈なのに、公にされていません。また食品の安全問題があります。アメリカに対しては狂牛病で牛肉は危険だとマスコミが騒ぎます。中共から輸入している食品は数限りなくありますが、どれだけ安全なのか報道されません。それをだまって食べさせられている。農薬に関する基準を引き上げたら、急に輸入量が大幅に減ってしまったそうですが、その後どうなっているのか不明です。中共の痩せ薬で何人か日本人が死んでいます。殺されたのです。しかしその被害者の実名が明らかにされません。被害者があったら実名が出てきてもおかしくないでしょう。もし狂牛病でそういうことが起こったら、大騒ぎになるに違いない。これは、シナ人がやることに対しては、文句が言えないでいるわけです。そういう状況が更に歴史問題を中心とした精神的侵略で、完全に完成したのではないか。日本人はシナ人にどんな悪いことをされても、それを見ざる、言わざる、聞かざる状態ですから、私はそれを「対シナ三猿主義」と表現することにしています。孫文は「三民主義」ですが。(笑い)

【日本の惨状は左翼史観ではなくナショナリズムの欠如】

 二番目は民族意識の喪失です。現在の日本人は自己主張が出来ない。そもそも自分がないのですから、自己主張が出来るわけがありません。日本人は民族としては、完全に自己喪失状態です。自己主張が出来ないのですから、国家戦略など立てようがありません。そうなってしまうのは、現実の日本の悲惨な状況を、全く理解出来ていないからです。マインドコントロールされている状況は、ずっと続いていると思います。というよりも更に深まっているのではないか。

シナ人による歴史問題を遡れば、結局は東京裁判史観です。勿論アメリカが作ったものですが、しかし現在のところこれを最も有効に利用しているのは、シナ人であり中華人民共和国だということになります。日本がマインドコントロールされているのは、東京裁判に基く歴史問題だけではありません。国際化の脅迫観念と言うのもあります。「日本は国際化しなければならない、そういう面では非常に遅れている」と口やかましく言われました。これを朝日新聞が最も強く言っていたと思います。文部省もそれをまともに受け入れ、大学に国際学部などをたくさん増設させた。外国人の留学生とともに、外国人の教員も国立大学でどんどん受け入れるようになっている。それが国際化ですけれども、国際化の美名も日本人をマインドコントロールして自分を失わせるには、極めて有効に作用したと思います。日本がマインドコントロールされているのは、実に多岐にわたっており、東京裁判史観、歴史問題ばかりではないのです。

現在日本が精神的にやられている相手は、主としてシナ人ですが、アメリカ人にも同時に相当深刻にやられているのです。日本の経済がこれだけおかしくなって、自殺者が二万人単位から三万人単位に急増したのは、平成十年(一九九八)からです。バブルの発生と崩壊はそれ以前のことですが、日本の一人当たりの国民総生産が減少するようになるのは、ちょうどその頃からです。自殺者が急増した原因は明らかに経済問題であり、それはアメリカにしてやられたのだと思います。私は二年半ほど前(平成十六年七月に「神社新報」という神社界の業界紙で「自殺者は日米経済戦争の犠牲者だ」と書いたのですが、例によって殆ど反響がありませんでした。(笑い)私は日本の自殺者というのはアメリカの経済テロで殺されているようなものだと思います。九・一一テロの犠牲者は三千人に達しませんが、日本はアメリカが仕掛けた経済テロで、平成十年以後毎年一万人も殺されていると、客観的に考えるとそういうことになります。

 つまり現在の日本は、間抜け(知力がない)、腑抜け(精神力がない)、腰抜け(行動力がない)の三抜け状態、そういう状態に陥っています。自覚のない精神奴隷の状態だと思います。精神奴隷というのは普通の奴隷と比べてどこが違うのか。精神奴隷の方が恐ろしいのです。それは自分が奴隷であるという自覚がないからです。それに対して労働奴隷というのは自分が奴隷である、こき使われているということを分かっている。例えば古代ローマ帝国の時代、スパルタカスの反乱(紀元前七三~七一)という有名な奴隷の大反乱がありました。労働奴隷は何故反乱を起こせるかといえば、自分が奴隷だということを自覚しているから反乱を起こせるのです。精神奴隷の恐ろしいところは自覚がないから、反乱を起こす発想すら出てこないのです。

今の日本はこうした精神的奴隷状態だと思います。では何故このような、悲惨極まる状況になってしまったのか。保守・民族派の人達は、左翼共産主義が問題だという見方をしばしばします。私は昔からそれは違うのではないかと考えてきました。すぐに左翼、共産主義が原因にされますが、こうなってしまった根本的原因は、日本人に民族意識が無くなってきたから、ナショナリズムの欠如こそ問題ではないかと考えています。

例えば日本のカトリック教会は、ここ二、三十年、非常に反日的・虐日的になってきました。靖国神社の参拝は勿論反対し、カトリックの学校に日の丸を使わないように指令を出しますし、新しい歴史教科書を採用してはいけないと、実に反日的になってきています。プロテスタントの方はもっと早く、戦後そうした反日傾向を見せていたのですが、カトリックは比較的近年そういうふうになってきました。それはカトリックに共産思想が忍び込んできたのだと説明されるのですが、私はそうではないと思います。日本のカトリックが、歴史問題に虐日的な傾向を示すのは下端の神父とかそういう人達ではありません。トップの最高幹部である司教、枢機卿、そういう人達が歴史問題に関して、虐日的・反日的態度を示しているわけです。これは日本人としての自覚、民族意識がそういう人達から消えているからです。

戦後であっても世の中の潮流は、社会全体としてはまだまだ戦前の精神的遺産を残していた。それが戦前の遺産が途切れて戦後教育が浸透し、国際化ということも影響してきて、日本人の民族意識が雲散霧消するように消えて無くなった。そのために日本のカトリックの最高幹部の人達が、平気で日本の悪口を言えるようになったのです。戦前はキリスト教徒といえども、こんな反日的なことはなかった。内村鑑三・新渡戸稲造といった戦前の日本人キリスト教徒は、民族意識をしっかり持っていたので、そういうことはありえなかった。また中曾根元首相の言動をみると、中曾根さんが共産主義思想に染まってきたわけではないでしょう。彼は自分がナショナリストということを売り物にしていましたが、ナショナリストとして本物ではなかっただけです。偽物のナショナリストだったのです。

つまり基本的に日本人自身の民族的自覚に問題があるのです。世界を見てみると民族主義と共産主義は、それほど矛盾したものではありません。むしろ両者は強固に結びついているものです。特に東アジアの場合に顕著であり、毛沢東、ホーチミン、それに北朝鮮にしても、明らかに強烈な民族主義です。韓国が北朝鮮に靡いていくのは何故かというと、韓国が共産主義思想に染まってきたのではなくて、北朝鮮の強烈な民族主義に引き寄せられたと考えた方が自然だと思います。

そもそも「日本人」という言葉には大きく分けて二つの意味があります。一つは「日本国民」、もう一つは「日本民族」という二つの意味です。日本国民とは、日本と言う国家の国籍を有する人々です。現在は国際化した時代ですから、日本に来て日本国籍を持った外国人も増えていますが、それは「~系日本人」と言います。

それとは違って日本民族というのは昔から日本にいた人間の子孫であって、民族というのは文化的な集団、風俗とか習慣を共有している集団です。文化の中心は言語です。普通民族という場合には、例えば日本だったら日本語を母国語として育った人間、それが日本民族です。民族を研究する学問を民族学と昔は言っていました。戦後になると文化人類学という言い方になりました。これはアメリカ流の言い方です。戦前の民族学と戦後の文化人類学は基本的に同じですから、民族というのは文化的な集団、特に言語に基いた集団だと考えていいと思います。

そうは言っても徹底的に民族というものを考えた場合、最終的には意識に依存するしかありません。「自分が何民族として生きて行きたいのか」というアイデンティティです。民族というのは最終的には意識の問題となります。血筋が日本でなくても、肌の色が白くても黒くても、母国語が日本語でなくとも、「自分は日本人として生きていく」という決意、覚悟がある人間が日本民族だと言うことになります。最終的にはそういうふうに言わざるを得ません。これを逆から考えると、どうゆうことになるでしょうか。血統的に純粋の日本人であり、日本語を母国語とする日本人であっても、「日本民族として生きていこう」というアイデンティティ、日本人としての自覚がなければ、その人間は本物の日本民族とは言えないということになるのです。

現在の日本には所謂日本人は沢山おります。日本はまだまだ人口大国です。しかし日本民族でない日本人がどんどん増殖している。それが私の言う民族意識の喪失です。一応日本民族ということになっているけれども、実は中身が日本民族でなくなっている人間が世の中にはびこってしまった。普通の庶民として存在するだけではなく、国家の中枢に入りこんでいる。政治家・官僚・財界人・学者・報道人・宗教家、そういう社会のリーダーの中にすら、民族意識なき日本人が大量に増えている。

例えば河野洋平さんは典型的な例であります。日本民族としての意識があれば、河野談話などは出てくる筈が無い。最近、右の人々の間でよく言われるのは池田大作さんや土井たか子さんについて、「あれは本来日本人じゃない。だから排日的・虐日的な言動をするのだ」と説明されています。もし池田さん、土井さん、その他諸々の虐日的な人達が外国起源だとしても、そういう人達は日本の国籍をもって日本国民になっているわけです。日本国民になりながら、しかも本来のルーツによる民族意識を捨てていないということになります。これは客観的に見れば、極めて立派なことだと言わざるを得ません。生粋の日本人でありながら日本民族たる意識を喪失した人間が、わが国では続々と誕生しているのに、まことに見上げたものです。

民族意識の強固さと言うことでは、アメリカの日系人とシナ系・朝鮮系の人間を比較して見てればよく分かります。アイリス・チャンはシナ系の人間です。何故あれだけ反日、虐日に熱心なのか。彼女はアメリカ在住の共産主義者だからではなく、根本的にシナ人だからです。シナ人の民族意識を持ち続けている。それに対して日系のアメリカ人の中には、反日・虐日の動きに賛同して、一緒になって活動している議員もいるようです。アメリカに行って日系人となった日本人は、民族意識を無くしているのですが、シナ人・朝鮮人は外国へ行って外国籍になりながら、まだ民族意識を保持しているのです。



映画「ヤスクニ」は悪質な反日プロパガンダ映画

2008-04-11 12:44:45 | 歴史




重大なチベット問題が論じてられているさなかに、朝日をはじめ、左翼メディアはこの問題について本質的な議論をせず、対岸の火事として取り扱っていて、改めて、彼らの拠って立つ基盤は、普遍的な人権などではなく、彼らの考える人権に過ぎないことが、露呈されている。
その間隙を縫って、映画「ヤスクニ」の上映に関して、論点をすり替えたキャンペーンが張られている。このキャンペーンの本質を見抜くためには、正確な情報が大切なのだ。稲田朋美さんは、チャンネル桜にも登場されて、朝日の悪質な論点すり替え批判を糾弾しておられた。これを見て、問題の本質が理解できた。
まあ、そもそも、こんな映画をありがたがる「おめでたい」日本人が問題ではあるのですが。
以下、宮崎正弘さんのメルマガから転載させてもらいます。

http://www.melma.com/backnumber_45206_4059960/
(読者の声3)いま、勇敢なひとりの女性代議士をわたしたちは目撃しています。下記のブログを転送します。

◎ 稲田朋美から皆様へ!
~~~~~~~~
 
映画「靖国」の助成金問題について産経新聞正論に書きました。
新聞では字数に限りがありましたので割愛していないものをこちらに掲載させていただきます。
 表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。
私と若手自民党議員の「伝統と創造の会」(「伝創会」)は、映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)自体ではなく、そこに文化庁所管の日本芸術文化振興会が750万円の公的助成金を出していること、その一点を問題にした。
発端は「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」という平成昨年12月20日号の週刊新潮の記事だった。この映画を試写会で観た複数の人が映画のなかに弁護士時代の私が映っていると教えてくれた。
もちろん私はこの映画で観客の眼にさらされることを同意したことはない。
今年の2月に伝創会で助成金支出の妥当性を検討することになり、文化庁に上映をお願いした。当初文化庁からは映画フィルムを借りて上映するという話があり、日時場所も設定したが、直前に制作会社が一部の政治家だけにみせることはできないというので、すべての国会議員向けの試写会になった。一部のマスコミに歪曲されて報道されたような私が「事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。公開前かどうかは私にとって何の意味もなく、映画の「公開」について問題にする意図は全くなかったし、今もない。  
 結論からいって同振興会が助成金を出したのは妥当ではない。日本映画である、政治的、宗教的宣伝意図がない、という助成の要件を満たしていないからだ。まずこの映画は日本映画とはいえない。同振興会の平成20年度芸術文化振興基金助成金募集案内によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の制作者との共同制作の映画については振興会が著作権の帰属等について
総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。
映画「靖国」の制作会社は日本法により設立されてはいるが、取締役はすべて(名前からして)中国人である。
この会社は、平成5年に中国中央テレビの日本での総代理として設立されたという。
映画の共同制作者は北京映画学院青年電影製作所と北京中坤影視制作有限公司である。製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。このような映画が日本映画といえるだろうか。ちなみに政治資金規正法では、日本法人であっても外国人が出資の過半を有する会社からは寄付を受けてはいけない扱いが原則である。
 さらに映画「靖国」は、政治的存在である靖国神社をテーマとして扱っておりそもそもが政治的宣伝である。
小泉総理の靖国神社参拝をめぐっては、国内外で議論があった。特に日中関係は小泉総理の参拝をめぐって首脳会談ができなくなるほど政治問題化した。
映画「靖国」のメインキャストは小泉総理と靖国神社を訴えていた裁判の原告らである。
私も弁護士として、靖国神社の応援団としてその裁判にかかわった。その裁判で、原告らは一貫して「靖国神社は国民を死ねば神になるとだまして、侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。
映画「靖国」からは同様のメッセージが強く感じられる。映画の最後でいわゆる「南京大虐殺」にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
いわゆる「南京大虐殺」の象徴とされる百人斬り競争―私は、戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬り競争は創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。結論は遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの内容を信用することが出来ず甚だ疑わしい」とされた。
ところが映画「靖国」では、この百人斬り競争の新聞記事を紹介し、「靖国刀匠」をクローズアップすることにより、日本軍人が日本刀で残虐行為を行ったというメッセージを伝えている。
 これらを総合的に判断すると、映画「靖国」が、「日本映画」であり「政治的宣伝意図がない」とし、助成金を支出したことに妥当性はない。なお、この映画には肖像権侵害や靖国刀が靖国神社のご神体だという虚偽の事実の流布など法的にも問題があることが有村治子参議院議員の国会質疑で明らかになった。 
 私たちが文化庁に上映を依頼したとき、映画は既に完成し国内外で試写会が行われていた。配給会社によれば、釜山映画祭(韓国)、サンダンス映画祭(米国)、ベルリン映画祭(ドイツ)等の国際映画祭で高い評価を得たという。
私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っているのだ。今回の上映の要請が「事前検閲であり表現の自由に対する制約」という捉え方をされ、そのような誤った報道をされたことは、私の意図をまったく歪曲したものであり、許し難い。
民主政の根幹である表現の自由によって私の政治家としての発言の自由を規制しようという言論があることにも憤りを感じる。外国による政治的宣伝の要素のある映画への助成は極力慎重に行われる必要があるだろう。表現や言論は自由であり、最大限尊重されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。(引用止め)
   (X生)


(宮崎正弘のコメント)稲田代議士とは政治家になられる以前、弁護士時代からの知り合いでその活躍ぶりを目撃してきました。こういう勇敢な女性代議士がもっと増えることを祈っております。ちなみに台湾は34人が女性代議士です(定員123名ですから、実に参割です)。
 大和撫子よ、政治を改革するために立ち上がろう!

文化庁による助成の是非を問う!稲田朋美氏に聞く1/3


文化庁による助成の是非を問う!稲田朋美氏に聞く2/3


文化庁による助成の是非を問う!稲田朋美氏に聞く3/3





        

Dalai Lama talks in Japanダライラマ法王記者会見@成田

2008-04-11 05:12:45 | ダライラマ
Dalai Lama talks in Japanダライラマ法王記者会見@成田 Part.1of5


ダライラマ法王は、チベットにおける抗議行動の根源には、チベットには言論の自由がないからだと訴える。そして、世界各地のチベット人に非暴力に徹するようにというメッセージを送ったと述べる。

Dalai Lama talks in Japanダライラマ法王記者会見@成田 Part.3of5


Dalai Lama talks in Japanダライラマ法王記者会見@成田 Part.4of5


江川紹子さんが、質問者として発言する。さすがに、オウムから「暗殺」されかかった江川さんだけあって、法王の身の安全を気遣われる質問をまず最初にされている。

Dalai Lama talks in Japanダライラマ法王記者会見@成田 Part.5of5