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春庭ことばのやちまた>民族の言語

2012-05-27 07:00:00 | 日本語言語文化
2012/05/20
春庭ことばのやちまた>民族のことば

Re:各民族言語を尊重すべきです。
jimnyさんの日記を拝見した限りでは、春庭と言語観や文化観が異なる方とおみうけしましたが、春庭はこのカフェを議論の場ではなく、互いの日記を読み合う交流の場として書き込みをしておりますので、ご自身の主張ご意見は、jimnyさんの日記の中で存分に発揮なさって下さいませ。

春庭の言語観との相違

jimny>韓国は、ハングル文字の重要さに気付いていない。

春庭の考え
 韓国はハングル文字の重要さに気づいているから漢字教育を廃止して、現在の韓国はハングル表記のみにしているのです。

>英語が、国際語になれない原因は、英語圏の歴史から判断できます。

 jimnyさんが英語を国際語として認めようと認めまいと、また、歴史的な経緯をいくら並べても、あるいは英国の植民地であった国のどこかが英語グローバリズムに反対をしたところで、現在の情報社会を制したのは英語使用者たちですから、世界が英語一辺倒になってしまっているのは認めなければならない事実です。

 世界が英語を事実上の共通言語としている現実を見据えた上で、日本語を母語とする者たちの母語教育を考えて行きたいと思っております。
2010-10-06 00:20:01 ページのトップへ


Re:各民族言語を尊重すべきです。
haruniwa
>各民族言語を尊重すべきです。

というご意見に、賛成します。
たとえば、日本政府はこの150年のあいだ、アイヌ民族を迫害し、ユーカラなどの貴重な言語文化を有していたアイヌ語を「民族言語」として認めませんでした。
このことは、日本が恥ずべき民族語迫害でした。

 オーストラリアがもともとあの大地に暮らしていたアボリジニを迫害したことやアメリカがネイティブアメリカンを迫害したのと同様の罪です。

 jimnyさんが「各民族言語を尊重すべきです」とお考えなら、他国のことはさておき、日本国内ではアイヌ語の復権を主張なさってください。

 アイヌ語で教育を受ける権利、アイヌ語を使用して日常生活がおくる権利も認めそのための予算も認めるべきです。

 民族語を尊重するというのは、単に精神文化の上のことだけではありません。言語は経済との結びつきが大きな要素と成ります。

 英語が世界共通語となることに強い懸念をもつ人々は多いですが、それなら、英語が世界のビジネス用語として通用していることを変えればいいだけのこと。
 英語を社内公用語にしたユニクロに対して不買運動でもはじめますか。

 ユニクロもナイキも他の工業製品も、より安い人件費をもとめて、工場を移転しています。工場のある地域の現地のことばを尊重してくれればいいのですが、どこに工場を移転させても、トップは英語でビジネスをしています。

 言語政策というのは、「民族語を尊重せよ」というスローガンだけでは解決しません。
 jimnyさんが言語政策にご意見をお持ちのことはすばらしいことです。これからも世界の中の5000の固有言語のうち、すでに2000語は絶滅しており、1000語が絶滅危惧言語になっていることにご留意ください。

 アイヌ語は、すでに母語話者がひとりもいない絶滅言語になってしまっています。
2010-10-06 05:35:10 ページのトップへ

Re:各民族言語を尊重すべきです。
haruniwa
>かって、英文科と国文科に優劣が、あったことを思い起こしていただきたい

というご意見に対して、はて、と首をひねるばかりです。

 jimnyさんの在籍なさった学校やご存じの学校には英語専攻と国語専攻に学力差就職先の差別などがあったのでしょうか。

 春庭は国文科専攻でしたが、英文科に対してコンプレックスをもったことはありません。

 また、国文科専攻からすぐれた先輩が輩出したことを誇りに思いこそすれ、英語専攻より劣っているなどと考えたことはありませんでした。
2010-10-06 05:41:18 ページのトップへ


教育は、富国強兵の基です!
jimny
1.
外国人は、戦前、後の日本の国内事情を知らない!
戦争へと無知な国民をだまして戦場へ送り出したことを胸を張って教えてください!
日本では、富国強兵の一環で、植民地政策のヨーロッパ諸国から独立を維持するためでした!
国力は、富国強兵を基に増加するため国民の一人当たりの生産力を上げる必要があった!
その原動力が、義務教育でした。
日本国が、植民地化を防ぐには、教育制度でした。
2.
経済力が、世界3位になると子供たちは、富国強兵の意識は、まったく無くなりました!
日本語を学ぶ学生にこのことをしっかり教えてほしい!
  それでは、--
2011-02-16 15:42:25

Re:教育は、富国強兵の基です!
haruniwa
ご意見投稿をありがとうございます。

 春庭は、留学生教育にあたって、日本事情という日本の歴史文化を教える授業を担当して参りました。

 春庭が最も誇りとして留学生に伝えているのは、憲法9条です。
 「日本はどの国とも交戦しないと憲法に書いてある」と伝えています。
 交戦権放棄は、世界に対する戦争抑止力になっていると考えます。他国と交戦しないと宣言している国に向かって戦争を仕掛けてくるような国があるとしたら、その国は世界の非難を浴びて亡国の歴史をたどるでしょう。

> 1. 外国人は、戦前、後の日本の国内事情を知らない!

という、jimny さんが、どのような外国人を指しているのかあきらかではありませんが、少なくとも私が担当している留学生は、実によく日本の歴史を学んでおり、日本の高校生よりはるかに詳しく日本についての知識を持っています。

 「戦前戦後の国内事情」とは何をさしているのでしょうか。

 教育が日本の近代化政策の一環として明治政府の重要課題であったことは、日本近代史を知る者はわかっていることと思いますが、現代の価値観から見て過去の歴史を判断する愚は避けつつ、近代史をさらに学んでいきたいと考えています。
2011-02-17 07:36:40 ページのトップへ
コメント

ぽかぽか春庭ことばのやちまた>陰陽五行思想

2012-05-03 07:00:00 | 日本語言語文化
2012/05/03
ぽかぽか春庭ことばのやちまた>陰陽五行思想

Re:陰陽五行思想
haruniwa
ぴっきさんこんにちは。

槙佐和子さんは、医学医療思想にくわしく、医療の中に入っている五行思想について言及されている方ですが、私は読んだことがありません。

吉野裕子さんは、30年前に『古事記』で卒論を書く際に、『
日本古代呪術・陰陽五行と日本原始信仰』 大和書房 1974
『隠された神々 古代信仰と陰陽五行』 講談社現代新書 1975を
意義深く読みましたが、その後つぎつぎと出版された膨大な五行思想関連について、まだ読んでおりません。

陰陽五行思想が、農耕をもとにしているというのは、ご指摘の通りです。
元々日本に土着していた農民思想に対して、米農耕にともなって、大陸に浸透していた五行思想が入り込み、稲作農耕民族としての日本の農民のものの考え方の基層に連綿と伝わっています。

私が、「陰陽五行思想がいかに深く入り込んでいるか」ということの例としてよく取り上げるのが、「ポケットモンスター=ぽけもん」の戦闘能力役割について。

火ポケモンは鋼(金)ポケモンに勝つが、水ポケモンには負ける。 草(木)ポケモンは土ポケモンを撃退する。ポケモンの戦闘能力にも、ちゃんと陰陽五行思想が繁栄されています。

現代のこどもたちは、遊びながら陰陽五行の思想をしっかりと身につけている。

もちろん、これは皮相な例にすぎませんが、無意識のなかに、陰陽五行思想は私たちのものの考え方の中に入り込んでいるのです。

私が子供のころ楽しみにしていた村の行事。母の実家の村に行って楽しんだお祭りのひとつ「おこうしんさま」

吉野裕子の陰陽五行思想の著作を読んで、「おこうしんさま」とは、「御庚申様」であることをようやく理解しました。

西暦年または神武暦を60(十干十二支をかけた数)で割って割り切れる年が庚申の年です。庚申は十干の庚(かのえ)も、十二支の甲(さる)もともに金性であることから、庚申の年や日は金気が天地に充満します。ポケモンでいうと「鋼ポケモンの天下」になっている。こういうとき、人の心が冷酷になりやすく、事件事故が増える。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。

そのため、庚申の夜は、夜中飲み食いの祭りをして、冷酷無比な邪悪なものが人の世に入り込まないようにしたのです。

庚申信仰は仏教と結びつきました。仏教と結びついた信仰では、諸仏が本尊視され、村や部落の共同体で「庚申講」が組織され、講の成果として「庚申塔」の前身にあたる「庚申板碑」が造立されました。

私は、東京白金にあるシェラトンみやこホテルの庭を散歩したとき、巨大な庚申塚の石をみかけました。武州の農民達が庚申講を無事終えたことをことほぎ、この巨大な石に講連中の名前を彫って寄進したものです。

そのときはただああ、大きな庚申塚だなあと思っただけでしたが、こうして庚申信仰など陰陽五行思想について考えてみると、日本に入っている陰陽五行思想の広がりをしみじみ感じることができました。

折口信夫の「まれびと」思想は、民族学宗教学のなかに反論も多い論です。降り口の論に破綻もありながら、彼のつかんだ「希人、稀人、客人」が「来訪神」として日本人のものの考え方の基層にあるという論は、今もなお魅力的な考え方だと私は思っています。

縄文文化以来の「マレビト」思想に、稲作移入とともに、大陸から来た「五行思想」が習合し、さらに6世紀以後に伝来した仏教思想が習合し、私たちの者の考え方の基礎になっているのだと考えています。

と、ここまで書いてきて、「五行思想」という一語を質問されて、30分のうちにこれだけの回答を書くことの出来る渡井は、やはり「雑学博士」号に価すると自分を褒めています。チャンチャン。

宮沢賢治は法華経の信者でしたが、彼の作品のなかにも、法華経思想とともに、縄文遺跡三大丸山から連綿と続く縄文的な「匂い」を感じることがあります。
「鹿踊りの始まり」その他に、マタギなどの狩猟民的な匂いもありますしね。

賢治の『ポランの広場』の「行方不明になった山羊」のテーマは、村上春樹の『羊男』シリーズにつながっているのかもしれませんね。

「文化は世界をめぐり、世界はつながっている」というのが、前シリーズ「布をみる」のテーマでした。

 春庭コラムは「世界市民にとっての文化をテーマにこれからも展開していきますので、以後もごひいき賜りますよう、お願い申し上げます。
2008-11-16 10:14:44 ページのトップへ


Re:コメントありがとうございました
haruniwa
9時半から書き始めて、校正をしないでUPしたため、校正ミスが多々ありました。

降り口の論に破綻もありながら、→折口

私たちの者の考え方の基礎になっている→ものの考え方

30分のうちにこれだけの回答を書くことの出来る渡井は→わたしは

まあ、この程度の粗雑な人間であります。ワタイは。

2008-11-16 10:18:57 ページのトップへ

庚申・ポケモン等についてのご説明ありがとうございました
pikkipikki
4.5年前に槙佐和子・吉野裕子氏の本を読んで以来あまり考えた事がなかったのですが。(ポケモンについては中沢新一氏の本を読んだきり)
折口信夫の「まれびと」思想は、日本のお盆や、沖縄でもアイヌ民族(この世とは逆のあの世との間を行ったり来たり可能)でも色濃いので縄文以来の思想なのかも。
これからもよろしくお願いします。
コメント

八月の鯨ノベライズ(後)

2012-02-24 16:32:59 | 日本語言語文化

 ポーチでは、リビーがひとり風に顔を向けていた。ティシャとセーラの明るい笑い声がポーチにも響いてきた。
 「ふたりですっかりはしゃいでるのね」おいてきぼりのリビーはちょっとおもしろくない。
 「楽しく笑うのが一番よ」ティシャはリビーのことばにもおかまいなしだ。

 居間に戻ったリビーに、ティシャはブルーベリーをすすめた。「リビー、あなたはひごとに若返っていくわ。ブルーベリーいかが」
 「ありがとう」リビーはすなおにベリーをつまんだ。
 「歩き回ったけど、その割りに摘めなかった。昔はもっととれたのに」と、ティシャは昔に比べて収穫が減ってきたブルーベリーの木々についてぼやいた。
 リビーは「尼僧たちのせいよ」と断定した。
 「尼僧ですって」ティシャは聞きとがめる。
 「まるでペンギンみたいに荒らし回るのよ、彼女たち」リビーは尼僧にも厳しい。

 「ねえ、悲しいお知らせがあるの」ティシャはあらたまって、言い出した。
 「なによ、ティシャ」リビーがたずねる。
 「ゆうべ、ヒルダが亡くなったの。だから、マラノフさん、住む場所がなくなっちゃったってわけ」ティシャは島の動静を知らせる。
 「次ぎに幸運の女性になるのは、誰かしらね?」リビーは、マラノフが次ぎにまた、どこかの家に入り込むだろうと考えている。
 「さあね、ご本人にもまだ次のあてはないらしいけど」
 「ヒルダはまだ若かったのに」セーラはヒルダを悼んだ。
 「ヒルダは83歳だった。もう寿命よ」リビーは冷静だ。
 「ブリッジの好敵手を失って残念だわ」ティシャには遊び仲間をうしなったことが痛手だ。
 ティシャの島民情報はつづく。「そうそう、あの人ついに補聴器をつけたの」
 「あの人って?」
 「アリスよ。急にブリッジが強くなったと思ったら、耳が聞こえるおかげだったってわけ」

 ティシャのうわさ話の種になっているとも知らないマラノフは、つり上げた魚をビクに入れ、まあまあな釣果に満足した。マラノフは、セーラの家へ向かって歩き始めた。釣った魚をおすそわけすると約束したことを果たさなければならない。

 ティシャのうわさ話は続いていた。「チャーリー、知ってるでしょ。若いウェートレスと結婚したのよ、あの人」
 「まさか」
 「ほんとよ」
 「恥知らずなことね。でも無理ないかも。亡くなった奥さん、品評会に出したら、ビリ確実な人だったもの」リビーの毒舌も相変わらず続いている。
 「リビー、あんたの冗談はきついわね。でも、チャーリー、奥さんの墓参りはちゃんとやってるみたいね」

 台所へお茶のおかわりを取りにいくティシャにセーラが気遣う。「ティシャ、あなたこそ関節炎の調子はどうなの」
 「相変わらずよ。出たりひっこんだり。私の若い主治医先生が言うのよ。長生きしたタタリだって」ティシャはお茶を入れ直しながら答える。
 リビーの辛辣発言がつづいた。「あんたのその先生は口の利き方が最低ね」
 「でも、すごくかわいい若い先生だから、何言われても許しちゃう」

 ティシャは窓の外にマラノフを見つけた。「あらま、マラノフ氏だわ」
 「ティシャ、中へお招きして」
 セーラのことばに、ティシャはドアをあけた。
 「まあ、マラノフさん、どうぞお入りになって」ヒルダが死んだうわさ話をしていたことなどおくびにも出さないで、ティシャは愛想良く挨拶する。
 「タウティさん、驚きましたな、朝、浜でお会いしたときよりも美しい」マラノフのお世辞もますます調子がいい。
 「まあ、私の遺言がますます楽しみになるわね。さ、こちらへ」
 「こんな魚さしあげても、生臭くてご迷惑かと思いますが」マラノフは約束の魚を差し出した。
 「喜んでいただきます。ティシャ、冷蔵庫へいれておいて」
 「ええ、セーラ」ティシャはマラノフから魚を受け取って、台所へ行った。

 「お茶をいかがですか」
 「どうもありがとう、いただきます」
 「リビー、マラノフさんよ」居間にいるリビーにセーラが紹介すると、マラノフは丁寧に挨拶をした。「また、お目にかかれて、光栄です。ストロング夫人」
 「礼儀を知る最後の紳士だわ」セーラはマラノフのものごしが気に入っている。
 「みなさんと楽しいひとときをすごせること、うれしく存じます」マラノフは、椅子をすすめられて、腰をおろした。
 ティシャが新しいお茶を持ってきた。「さ、お茶よ。お砂糖とクリームは?」
 「いいや、けっこうです」
 「よくいらっしゃいました」セーラのことばにマラノフは「ありがとう、実に楽しい日です。魚もよく釣れたし、このような楽しい集まりに加えていただいて、、、」

 そこへ、一仕事おえたジョシュアがけたたましく入ってきた。
 さっそく丁寧な挨拶を、と立ち上がったマラノフに、ジョシュアは「挨拶は抜きで願います、マラノフさん。みなさんとごいっしょしたいところですが、キニー夫人の所へ行くのでね。ルーズベルト夫人と同じ修理好きな方でさ。ところで、見晴らし窓のことは考えてもらえましたか」
 セーラが答える前にリビーは先回りして答えた。「いろいろかんがえたけれど、窓はいらないわ」
 ジョシュアは残念そうに「今なら材木も安いのに」と、出ていった。

 「窓を作らないなんて、残念だわ。ここから月が眺められるのに」ティシャの言葉にマラノフも同調する。
 「月をながめて夕食なんて、すばらしいですな」
 「そうね、残念ね。今夜はたしか、満月よ」と、ティシャ。
 「わたしの所からじゃ、月も見えません」
 マラノフのことばに、セーラが申し出た。「マラノフさん、お魚を下ろしてくださるなら、夕食と月の光をさしあげますわ」
 「身に余るおことばです。喜んで魚を下ろしますよ」マラノフは大喜びだ。
 「私は魚、食べませんよ」リビーは不機嫌だ。「骨があるからね。昔から骨のある魚は苦手だから」
 「そうですね、そのとおり、骨はやっかいなものです」マラノフはリビーの気むずかしさにまだ馴れていない。

 「お茶、もう一杯いかが、マラノフさん」
 「ありがとう、いただきます」
 セーラはお茶をつぎながら「このたびはご愁傷様でした」と、マラノフにお悔やみを言う。
 「悲しい話はやめましょう」マラノフは、ヒルダの死にふれてほしくないようで、話題を変えようとした。
 「タウティさん、今も車の運転をしてるんですか?モデルAに乗っているんでしたね」
 「そうね、あの車どうしたの?」セーラがたずねると、ティシャはつらそうに「ガレージにおいてあるわ」と答えた。ティシャも話題を変えたそうだ。
 それをゆるさず、リビーが「何があったの?」と、追求する。
 「よその人には絶対に話さないでね。実はね」ティシャが話し出した。「長年運転してきて、ずっと無事故だったの。なのに、買物してるとき、バックでぶつけちゃったの。軽くぶつけただけだったのに」
 「免許取り上げられたのね」リビーが察する。
 「一時停止ってだけよ」
 「それじゃ、まだ望みはありますね」マラノフが言った。
 「ええ、そうね。半年たったら、もう一度試験を受けなおせって言われたわ。六ヶ月先よ。ずいぶん先じゃないの」ティシャは悔しさがこみあげてきて、涙ぐんだ。家からここまで歩いてきたのも、ブルーベリーを摘むということを口実にはしたけれど、実のところ免許を取り上げられるような年齢になったことを突きつけられてのことだったのだ。
 「まあ、そのくらいの期間は、気分転換と思えば、、、」マラノフのことばもなぐさめにはならない。
 マラノフは、口先のうまさを発揮してティシャを元気づけようとする。「あなたの姿をみれば、車はみな止まりますよ。あなたが親指をあげて立っていれば、魅力的で神秘的で、運転者はみな挑発されます」
 「ま、マラノフさん、冗談がおじょうずね」ようやくティシャの機嫌もなおった。

 「正午の汽笛がきこえるわ、もう帰らないと」ティシャが腰をあげた。
 「お宅へは通り道ですから、ごいっしょしましょう」マラノフも立ち上がる。
 「ええ、私の最後のナイトだわ。すてきね」ティシャはまんざらでもなさそうだ。
 「失礼しますストロング夫人」マラノフは最後まで紳士的に挨拶をする。
 「ええ、良い一日をね」リビーはそっけない。
 「5時においでくださいね、マラノフさん」セーラが招待を確認すると「ええ、伺います。ありがとう」マラノフはティシャと居間から出ていった。

 ポーチの風を冷たく感じたティシャが寒がると、マラノフは「昔なら、マントを着せかけるところですが」と、いいながら、自分のジャケットをティシャに着せた。
 「ウォルター卿みたいだわね」ティシャは遠慮しながらもジャケットを羽織り、マラノフにエスコートされて帰っていった。エリザベス一世にマントを差し出したウォルター卿になぞらえられたマラノフは、せいいっぱいの紳士ぶりを発揮して、アジサイの小径を下っていった。

 午後の庭を歩きながら、「もうしばらく公園へ行ってないわ」リビーが言い出した。
 「ここだって、公園みたいよ」セーラのことばに「でも、白鳥がいないわ。マシューと私、よく公園のベンチにすわったわ」と、リビーは昔をなつかしむ。
 「フィリップはだめだったわ。長く椅子にすわってられない人だった」セーラも夫との短かった結婚生活を思い出す。
 「せっかちなひとだったわ」

 昼下がりの光の中を、ふたりは海辺へ出ていく。
 「白鳥はつがいが生涯添い遂げるの」リビーがセーラに教えた。
 「ほんと?」
 「あんたも、フィリップと生涯いっしょだと思ってるんでしょ」
 「もちろんよ」セーラは思い出のなかのフィリップと添い遂げているのだ。
 「でも、一人で残っちゃって、人生ままならないものね」
 「明日はフィリップと私の結婚記念日よ」
 「マシューと私の結婚記念日はバレンタインデーよ」
 浜辺に腰掛けたふたりの思いは再び、昔へと戻っていく。
 「あなたとマシューの式で、私、介添え役つとめたわ」
 「あんた、私のドレスのすそを踏んづけたわね」

 「セーラ、あんたと私たち夫婦とで、西部を旅行したことあったわね。前の大戦が終わったとき」
 「ええ、フィリップが戦死して1年後よ」
 「そうね、私とマシュー、あんたを元気づけたかった。でも、あんたは自分のカラに閉じこもって、ひとりで寂しそうにしていた」
 「あなたが、マシューと仲たがいするから、心配してたのよ」
 「それはおもいすごしだったわね、セーラ。夫婦で年中ベタベタする必要なんかないのよ」

 家に戻ったリビーを気遣ってセーラが昼寝をすすめた。「マラノフさんが夕方みえるまで、休んでいた方がいいわ」
 「あの人、私のお客じゃないわ」リビーは、セーラがマラノフを招待したことが気に入らないのだ。
 「ふたりのお客よ」
 「私は招待していないし、魚も食べないわ」
 「あなたのはボークチョップにするから」
 リビーは部屋に入ってしまった。

 セーラはディナーに着るドレスを選びはじめた。夕食のためにドレスアップするなんて、久しぶりのことだ。
 セーラは小箱から手紙の束を取り出して、物思いにふける。
 リビーもベッドに横たわったまま、昼寝をする気分にはならなかった。リビーもまた小箱を出して、夫との思い出をたどる。目が見えないリビーには、もう夫の手紙を読むこともできない。リビーは夫が記念に同封してくれた鳥の羽をほおにあて、情熱を共有した、夫婦の若い頃の思い出にひたるのだった。

 夕方、セーラはディナーの準備に忙しかった。一番上等の食器セットを用意し、新しいテーブルクロスの上に並べる。
 「リビー、あと1時間でお客様がみえるのに、まだ着替えてないの。花模様のシフォンはどうかしら」セーラはテーブルセットに余念がない。
 「着替える必要なんかないわ。甘い顔見せると、あの人、一生ここに居着くわよ。せかせかして、いつも忙しそうね、セーラ。ティシャを見習ったらどう」
 「どういう意味?」
 「ティシャは、運転免許をあきらめたのよ」
 「まさか、そんなこと」
 「もう運転しなくてすむようにね」
 「そんな馬鹿な」
 「あんたも、目が悪くなってみれば、こういう気持ちがわかるわ。全部あきらめるって気分が」
 「いい加減なこと言って、リビーったら」
 「私は今、耳が敏感ですからね」
 「もう、いいわ、それより、着替えをしてちょうだい」
 「あんな人のために、着替えなんかするもんですか」
 「どうしてよ」
 「他人だわ」
 「でも、お客よ」
 「この家にあんな男必要ないわ」リビーは不満を隠さない。
 さすがのセーラもついに口にした。「ここは私が相続した家よ。だれを招待しようと、私の好きでしょ」
 セーラの思いがけない反撃に、リビーも言ってしまう。「あんたが未亡人になったあと、15年間も世話した恩を忘れないでよ」
 セーラも負けずにことばをかえした。「そう言うなら、おあいこよ。私があなたを世話してから15年。15年と15年だもの」セーラは台所へ向かう。

 「もどりなさいよ、セーラ、戻って」リビーの命令に、はじめてセーラは従わなかった。
 台所のオーブンでは、マフィンが黒こげになっていた。「まあ、たいへん、あなたとしゃべっていたせいで、マフィンを焦がしたわ」セーラはいつになく腹をたてた。
 リビーも言い過ぎたことを後悔した。「やめましょう、ケンカなんて。マフィンのことはもういいわ」
 「着替えてよ、リビー。私たちは姉妹だけれど、同じじゃない。まるで違っているのよ」
 「セーラ、私たちは同じ頑固者の血筋なのよ。でも、もう残り時間はわずかだわ」

 海辺を夕焼けが染め出した。マラノフは正装して、庭の花を摘んでいる。レディへのおみやげだ。

 セーラに花を差し出すマラノフ。「まあ、すてきな色の組み合わせね」
 「では、さっそく魚をさばきましょう。料理の腕が落ちていないといいけど」マラノフはエプロンをかけて、料理をはじめた。
 「大丈夫よ」セーラがうけあう。
 「いや、わからないですよ」

 セーラは、マラノフに魚料理をまかせて着替えを始めた。髪をととのえ、顔にパフをはたく。心ときめく思いで鏡に向かうなんて、久しぶりのことだ。
 おめかしして居間に出てきたセーラに、マラノフは得意の弁舌をふるう。「美しいです。とてもすばらしい」

 セーラとマラノフは、ポーチから海に沈む夕陽をながめた。
 「なんてすばらしいんだろう。こんな楽しい気分は久しぶりです」
 「よかったわ、退屈なさるんじゃないかと心配していたんですけれど」
 「退屈なんて、とんでもない。どうしてそんなことを」
 「わたしたちは、平凡なつまらない姉妹ですから」
 「そんなことありませんよ」
 「うれしいわ。そうそう、明日の朝、鯨を見に行きませんか」
 「ええ、ぜひ。これまで鯨を見たことはないんです」
 「毎年来るんですよ」
 「ほんとですか」
 夕陽は静かに海のなかへ落ちていった。

 居間のろうそくに火がつけられた。マラノフの作った魚料理、リビーのためのポークチョップがテーブルに並ぶ。
 「夕食よ」セーラの声に、リビーが居間に出てきた。花柄のシフォンドレスを着て、胸を張って歩く。
 マラノフが挨拶し、座ろうとするリビーの椅子をひいてエスコートした。自分で座ろうとするセーラにも、マラノフはすかさず駆け寄って椅子をひいてやる。
 ぎこちない雰囲気のまま、夕食がはじまった。

 マラノフは、ロシアの亡命貴族という身の上話を続けている。これまで、この話を元手にさまざまな家庭を渡り歩き、食事をともにしてきた。
 「冬にセントピーターズバーグに帰ると、大公だった私の伯父が優雅なもてなしをしてくれました。ワイン、ご夫人がたとのワルツ。ドレスのすそが軽やかに床の上をすべる、、、」
 「ほんとに、おいでいただいて、うれしいわ。ロシア王朝の一員をお招きできるなんて、貴重なことだわ」感激するセーラに、マラノフは「大昔に消えた夢です」と言う。
 リビーはいつもの皮肉な調子で「そんなに謙遜することありませんよ」というが、セーラはその調子を気にせず「そうよ、貴族であったことにはかわりないわ」と、マラノフを持ち上げる。
 「なにしろすべて過去のことですから」マラノフは在りし日の栄華を謙遜する調子をくずさない。
 「ティシャが写真のことを言ってましたけど」セーラのことばで、マラノフはポケットから母親の写真を取り出す。
 「すみません、リビーさん」見ることができないリビーに遠慮しつつ、セーラに写真を見せた。
 「母です。冬宮殿にいるところ。確か1910年でした」
 見ることができないリビーは「写真は消えるけれど、思い出は残ります」と、強い調子で言う。
 「いや思い出も消えていきますよ」マラノフは寂しそうにつぶやく。
 「私の思い出は消えないわ」むきになるリビー。
 セーラは雰囲気を変えようと「コーヒーをお持ちするわ」と、台所へ立った。

 リビーとマラノフは、きまずい雰囲気で居間のソファにすわった。
 「もうじき労働者祭がきますね。悲しい祭日です。冬への入り口ですから」マラノフが口にする。
 「それで、マラノフさん、どこで冬ごもりをなさるの」
 「そうですね。島から本土へ戻って、アパートでも借りますよ」
 「故郷から遠く離れて住むのね」
 「ええ、冬の寒さはどこも同じです」
 「あなたほどの方なら、冬には南のほうでおすごしになるかと思いましたが」リビーは皮肉をこめていった。
 「生活を切りつめておりますので」マラノフは率直に応じた。
 「実際的な方だったのね」
 「なにはともあれ、生き残ることが先決です」
 「その通りね」

 満月が夜の海を照らしだした。
 「ロシアから亡命してパリへいらっしたの?」コーヒーをすすめて、セーラがマラノフにたずねる。
 「ええ、パリへ」
 「セーラもパリへ行ったことあるじゃないの。刺激的な町だわ」
 「人によって感じ方は違うでしょうね」マラノフにとって、パリはいい思い出ではないらしい。
 「ここは刺激のない町よ」リビーのことばに、マラノフは「でも、本物の喜びがあります。夕陽や月や、明日は鯨も見られる」とことばを返した。
 「でも、パリといえばシャンパンだったわ」セーラも昔をなつかしんだ。
 「シャンパンなんて頭痛のもとよ」リビーはなんにでも文句をつけたがる。
 「パリでは、私たちも少し派手にやって、夢を満たそうとしました。でも、しょせん、一時の輝きにすぎなかった。我々亡命貴族は、滅びてゆくのみです」
 「あなた、まだ滅びてなんか、ないじゃない」リビーの皮肉の調子が上がってきた。
 「ええ、そうです。確かにまだ、ここに生き残っています」
 「お一人で生きてらっしたのは、勇気のいることだったと思うわ」セーラは感服している。
 「そんな、たいしたことじゃありませんでした。多少の意志の力があったから」
 「そう、それが財産なのね」リビーはまた辛辣なことばを準備はじめた。

 「ええ、意志の力が財産です。今でもはっきり覚えています。皇太后陛下が亡くなったとき、我々は喪に服し、母は一週間口もきかずにいました。でも、ある朝私を呼んでこういいました。ニコライ皇太后は逝去されました。私たちはもうおしまいよ。お前はひとりで世の中にでていかなくちゃならないわ。そう言って私にハンカチを手渡しました。母の持つすべての宝石がつつんでありました。母は言いました。必要なとき、この宝石を使いなさい。でも、最後を迎えたときに、その使い方を後悔しないやりかたでお使いなさいってね」
 マラノフはポケットからハンカチを取り出し、中に包まれていた指輪を取り出した。「そして、これが最後に残ったひとつです」
 「まあ、エメラルドね、リビー、さわってごらんなさい」
 マラノフは宝石をリビーの指にさわらせた。
 「エメラルドなの。莫大な価値があるんでしょうね」
 「ええ、死ぬまで使っても使い切れないお金になるでしょう」
 「あなたは幸運な方ね」リビーはマラノフを評していう。
 「ええ、そう思いますよ」マラノフが答えた。

 「えっと、それでこの夏はどこに行くんでしたっけ」リビーが話を戻した。「そうそう、ヒルダのところでした」
 セーラはあわてて「ヒルダさんは、ご不幸で」とリビーに注意する。
 「そうでした、お気の毒でしたわね。お悔やみしますわ、マラノフさん。それで、このあとはどこで」
 「いや、まだ」リビーの皮肉な調子に気づいたマラノフが言う。
 リビーはたたみかけた。「それじゃ、ご忠告申し上げますわ。今すぐつぎの隠れ家を探し始めた方がいいですわ。でも、言っとくけど、ここはあてにしないでくださいね」
 「人生で得た教訓は、期待するなということです、ストロングさん」マラノフがリビーの言いたいことに気づいて答えた。

 「もう遅いわ、私、やすみますからね」リビーは言いたいことを言ってしまうと、自室に戻っていった。「おやすみなさい、マラノフさん」
 礼儀正しいことをモットーにしているマラノフも、さすがに返事を返す気持ちにならなかった。マラノフはだまってドアから出ていった。
 セーラがポーチにいるマラノフを追う。

 「実に非凡な方ですな。お姉さんは。ムダ口はきかない」
 「偏屈だから」セーラは申し訳ない気持ちでいっぱいになって言う。
 「今朝、おじゃましなければよかったんです」
 「そんなこと」
 「いや、ほんとに。カンのいいお姉さんに、私の意図を見抜かれた。これで、明日からまた流浪の身の上です」マラノフは自嘲気味に言った。
 「お気の毒です」セーラには、それ以上のことばがみつからない。
 「いやいや、これまでもよるべない人生をうまく渡ってきました」と、マラノフは答えた。
 「この長い年月、どうやって暮らしていらっしたの」
 「友人をたよりに過ごしてきました」
 「自由な暮らしっていうことかしら、うらやましいわ」
 「はは、あなたはロマンチストですね」
 「人生が長すぎたって思うことは?」
 「なかったですよ」
 「寿命以上に生きたとしても?」
 「終わりがきたときが寿命です」

 夜の海は月光に輝いている。
 マラノフは海を指していった。「月が波間に銀貨をばらまいています。あれは、だれにも使えない宝物です。じゃ、もう行かないと」
 「じゃ、明日の朝、、、」セーラの申し出をマラノフが遮った。「いや、今夜お別れしましょう。またとないすばらしい夜をすごさせていただいた。いつまでも忘れません」
 「また、いつでも喜んでお迎えしますわ」セーラはせいいっぱい申し出た。
 マラノフはセーラの手にキスの挨拶をして戻っていった。「おやすみなさい。鯨とのランデブーを楽しんでください。鯨を待たせちゃだめですよ」

 セーラとリビー、いつにないふたりの間のぎくしゃくとした思いを沈めるように、夜の海は月の光を帯びて時を流していく。

 リビーは苦しい夢にうなされていた。「セーラ、セーラ」夢の中で助けを呼ぶが、セーラには届かない。

 セーラはテーブルに赤と白のバラ二輪を置き、夫の写真を飾った。ワインをあけ、一人静かに記念日を祝うつもりなのだ。
 「46年目ね、フィリップ。46本の赤いバラ、46本の白いバラ、そしてワイン。白は真実、赤は情熱って、いつもあなた、そう言っていたわね。情熱と真実こそ、人生のすべてだわ」
 セーラは宝物の小箱から、夫の写真が入ったロケットを取り出してそっと口づけた。
 「あなたが生きていてくれたなら、、、、リビーをどうしたらいいのかしら。とても気むずかしくなって、マラノフさんにつらく当たったわ。見晴らし窓もいらないって言うし、もう人生は終わったんだって言うのよ。これ以上つきあいきれないわ。あなたが生きていればいいのに」

 セーラは古い蓄音機のハンドルを回し、レコードに針を落とした。思い出の曲が流れる。セーラの思いは46年前、フィリップとの出会いのころに飛んでいく。若いセーラは、古風なヒモ結びのコルセットをつけて、フィリップと会っていた。
 「わたしのコルセットは結び目が多くて複雑よ、、、、あなたは、こう答えた。これじゃ、全部ほどく前に月が沈んでしまう。わたしは言ったわね、ダメよあなた、絶対に全部ほどかせないわ、たとえ、あなたでも。だって、私の神秘がなくなってしまうわ。全部ほどかれたら」情熱の赤いバラをほおにあて、セーラは夫との短く終わった結婚生活の思い出にひたった。

 「セーラ!」リビーの声が、居間に届いた。「セーラ!セーラ!」リビーが自室から飛び出してきた。
 セーラは驚いてレコードの針をもどした。「どうしたのリビー」
 「あなたが、見つからなかったのよ」リビーはセーラの腕にしがみつき「あんたを呼び続けたのに、行っちゃったわ。それで私、夢中で走って、やっと戻ってきたの。するとあんたは座っていた。岩場の一番はしっこに。ぞっとしたわ」
 「わたしはだいじょうぶよ。この通り無事だわ」サラはリビーを落ち着かせようと言った。
 「あんた、『死』につかまりそうだった。もう少しだった」リビーはおびえていた。
 「ベッドに戻って、リビー」
 「死は、ここへきたのよ。私たちを捕まえに」
 「違うわよ。あなたが死ぬのは勝手だけど、私の命はまだ終わりじゃないわ」セーラはろうそくを吹き消し、宝物の小箱を持って自室へむかった。「もう、休むわ、おやすみリビー」

 居間に残されたリビーは、テーブルの上のフィリップの写真立てやバラの花に気づき、セーラに直接言えなかったことを口にした。「結婚記念日おめでとう、セーラ」
 リビーは居間の揺り椅子に座り、胸のペンダントをまさぐりながら、日の出前の薄明に顔をむけた。

 夏の終わりの海を、日の出が照らし始めた。静かな夜明け。
 朝の居間で、セーラはフィリップの写真とろうそく立てを暖炉の上にもどした。ひとりで祝った記念日が終われば、セーラにはまた、いつもと変わらない日常がつづく。

 「セーラ・ルイーズ!」めずらしくリビーがミドルネームをつけて呼んでいる。「セーラ・ルイーズ!」居間に出てきたリビーは、すでに着替えを終えていた。
 「何よ、リビー」リビーがミドルネームつきで自分をよぶときは、何かあらたまったことを言いたいにちがいない。
 「セーラ、あんたに迷惑をかけたくないの」
 「わかってるわ」
 「あれは、悪い夢だった」
 「そうね」
 「ひどく、うなされて」
 「そう思うわ、リビー」夕べのマラノフへの仕打ちを、まだセーラは許す気になれなかった。いつも勝手なリビー。頑固で偏屈なリビー。
 「マラノフさんが鯨を見にくるんでしょ」リビーがたずねた。
 「いいえ、リビー、マラノフさん、いらっしゃらないわ」
 リビーは、マラノフへつらい言葉を投げかけたことを思い起こす。セーラが怒っているのも無理ない、とリビーにも思えた。
 「あんた、私と別れたいって考えているんじゃないの」リビーは、不安を口にした。
 「それが、一番いいやりかたかもね」セーラもゆうべからのわだかまりをそのまま言ってみた。 
 「でも、私たち、ずっと一緒にやってきたじゃない。それを今さら」
 「もう、私は必要ないでしょう、リビー」セーラは、テーブルクロスをたたみながら答えた。
 「それで、どうするつもり?」
 「この冬は、島に残ろうと思うわ」セーラは、本土に戻るつもりがないことを口にした。
 「ティシャといっしょに?」
 「たぶんね」
 「そして、竜ゼン香でも探すの?」
 「まあ、そんなとこね」
 「セーラ、髪をとかして」リビーはブラシを差し出した。
 いつもと同じように、セーラはリビーの髪をととのえてやる。「それで、リビー、あなたはどうするつもり」
 「そうね、娘のアンナの家へでもいくわ。そして話し相手をみつけてもらうわ。娘なら、それくらいしてくれるでしょうよ」
 「もちろん、そうしてくれるわよ」セーラが言う。これまでの母娘の不仲が、解消されることはないかもしれないけれど。
 リビーは「人生は私にはイジワルだわ。しみじみそう思う」と言い、髪をまとめ上げないうちに立ち上がった。自室へ戻りながらセーラにたずねる。「私の髪、白鳥みたいに真っ白かしら」
 「ええ、そうね」セーラが答えた。
 「お母さんと同じくらい、白い?」
 「ええ、その通りよ」
 「私は美しい髪してたわ。見事な髪が自慢だったのよ」
 リビーは自室にこもり、セーラは部屋の片づけをつづける。

 窓の外に車が止まり、ティシャが見知らぬ男の人をともなってやってきた。「こんちわ、こんちわ」
 「ティシャ」ドアを開けてサラは、二日続きでやってきたティシャを招き入れた。
 「おはよう、セーラ、こちら、不動産屋のベックウィズさん」ティシャは男性を紹介する。「ヒルダの家を見にきたのよ」
 亡くなったヒルダの家は、さっそく売り出されることになったようだ。
 「はじめまして」不動産屋は、はやくも品定めの目つきで家の中を見回す。
 「私とセーラは50年来の友達で、姉妹同様よ」ティシャは、不動産屋をつれてきたことがセーラのためになると、確信していた。

 「どういうご要件でしょうか、ベックウィズさん」セーラは問いただした。
 「ええ、タウティ夫人からこの家の売却をご希望とうかがいまして」
 「ティシャ」セーラは納得できない。
 「昨日、話したでしょ。いい機会だと思ってね。鉄は熱いうちにうてと言うじゃないの」
 「それこそ、商売のコツですな」不動産屋はティシャをもちあげる。
 「ええ、ありがと」
 ベックウィズは遠慮無く値踏みを始めた。「防寒は不備ですね」
 「私の伯父が半世紀以上まえに建てたんです」
 「そうですか」ベックウィズは部屋から外を見て「ながめは抜群ですな」と言う。「この眺めなら、高値がつく」
 「お値段、いくらくらいになりますの」ティシャがすかさずたずねた。
 「寝室はいくつありますか」不動産屋は部屋数を確認する。
 「三つですが」セーラが答えた。
 「二階を拝見」不動産屋は階段をのぼりかけた。
 「だめよ」セーラは言った。「下りてください」
 セーラは不動産屋にきっぱり告げた。「タウティ夫人の思い違いよ。この家は売りません」
 不動産屋は見込み違いを理解して「どうもおじゃましました」と、帰っていった。「どうも失礼しました。もしまた、ご用の節は、、、、」
 「私も失礼するわ」親切のつもりであてがはずれたティシャも腰をあげた。
 セーラもひきとめない。「私も仕事があるから。冬になったらフィラデルフィアにたずねてきてね、ティシャ」
 「セーラ、私、ただ、、、、私たち一番の親友でしょ」ティシャは先回りして気をきかせたつもりが、ただのおせっかい終わったことを取り繕おうとした。
 「差し出がましいことだわ」セーラはきっぱり言った。ティシャの気のよさはわかっているけれど、たとえ彼女でも、セーラとリビーの姉妹の仲に割って入り込むことはできないのだ。

 「何も、問題ないわよね」ティシャは、リビーとセーラの仲を気にしていた。
 「もちろん、だいじょうぶ」セーラは答えた。
 「さよなら、セーラ」
 車を運転できない今は、ティシャがこの家へ来るのもめっきり少なくなることだろう。

 思いがけない客が去ったあと、セーラは思いを込めて部屋を見渡した。母の写真、家具、暖炉、みな、なじみの自分の一部だ。
 暖炉の上の夫の写真にセーラは語りかける。「私たち、この家を出ないわ」

 「また、ひとりごと言って」と、リビーがとがめながら部屋から出てきた。「今の、ティシャだったの?」
 「そうよ」
 「男の人の声も聞こえたわね」
 「ティシャの連れだったけど、追い返したわ」
 「そう、それはよかったわ」リビーはいつもの窓際のいすに腰掛けた。
 セーラはリビーに仲直りのことばをかけた。「私、少しも迷惑してないわ」
 「あんた、よくしてくれてるわ、いい妹よ」

 がちゃがちゃと、いつものけたたましさで、ジョシュアが入ってきた。「どうも、おじゃましますよ。おはようございます」
 「ま、ジョシュア、何のご用?」リビーが声をかける。 
 「レンチをなくしちまってね」
 「あら、きのう修理していた場所にあるんじゃないの?」セーラがいうと、ジョシュアはさっそく探しに出ていった。

 「少し、朝ご飯を食べなきゃ」セーラはリビーに言ってみる。
 「ええ、いただくわ」
 「じゃ、運んでくるわね」

 「見つかりましたよ」ジョシュアの声が響いた。
 「あんなにやかましい人はどこにもいないわね」やれやれという調子でリビーが言う。
  「おじゃましましたね、どうもすいません」ジョシュアはレンチを持って帰りかけた。

 「ブラケットさん」リビーが呼び止めた。リビーが正式な名を呼ぶのは、あらたまって話をするときだ。
 「なんでしょうか、ストロング夫人」
 「見晴らし窓を作るには、何日くらいかかるの」リビーがたずねた。
 思いがけない質問に、セーラとジョシュアは顔を見合わせる。
 「そうさね、2週間もあれば」
 「今なら、材木も高くない時期なんでしょ」リビーの質問は、セーラにはうれしいものだった。
「労働者祭までには仕上がるの?」リビーは質問をつづける。
 「あ、でも、昨日は、、、」ジョシュアは昨日きっぱりと断られたので、リビーの気が変わった理由がわからない。
 「私たち姉妹で決めたことなのよ。あんたに作ってもらいたいってね。できるだけ早く見晴らし窓、仕上げてね」
 ひとことも見晴らし窓の話などしていないけれど、セーラにはうれしいリビーの心変わりだ。
 「それじゃ、さっそく材木を注文しますよ。みなさん、ほんと気をもませる方達だ」ジョシュアは請け合って去っていった。

 「気持ちのいい朝みたいね」リビーが窓の外に顔を向ける。
 「そりゃあ、美しい朝よ」とセーラ。
 「岬まで行きましょうよ」リビーが朝の散歩を提案する。いつものように、セーラにむかって、手を差し出す。セーラの手がリビーの手をしっかりと握りしめる。

 いつもの麦わら帽子をかぶり、いつもより少し冷え込んだ朝の空気の中を、姉妹はゆっくりと歩いていく。

 ふたりの古びた家。古い時計も、年代物のお皿やカップも、白と赤のバラをさしてあるガラスの花瓶も、みないつもとおなじように、朝の光をあびている。
 暖炉の上の写真たちにも、おなじように朝の光があたり、同じように時がながれていく。若い頃のリビーとセーラの写真。あのころと同じように、ふたりは海辺への道を歩いていく。

 岬のうえで、リビーは海に顔をむける。海は朝の光を反射している。
 「どう、鯨、見える?」
 「もう、いっちゃったみたいね」セーラはリビーの手をにぎったまま答える。
 「いっちゃったかどうか、わかるもんですか。そんなこと、わからないわよ」
 
 そう、鯨は明日来るかも知れないのだ。ふたりが見つめる大海原を、鯨は確かに泳いでいるのだから。
 夏の終わりに、鯨はきっと来る。

 冬が来る前に、新しい見晴らし窓から海をながめる暮らしが、姉妹の時間のなかにやてくるだろう。 
 そして、来年の夏は、またきっとめぐってくる。

<八月の鯨 おわり>
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検索スキル

2011-07-14 06:05:00 | 日本語言語文化
2008/05/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(1)検索くん

 夢にむかって、虹の架け橋を渡っていくにも、毎日毎日、一歩一歩足を運ばなければなりません。
 ことば修行の架け橋は、日々の地道な探求によっています。

 商売柄、国語、漢和、古語、類語、外来語、英和・和英、独和、仏和、日中などの事典をパソコンの上に並べてあります。
 ほかに、歴史事典、色名事典、植物図鑑、鳥図鑑、コンパクト六法など。

 何を書くにも、「ウラをとる」のは、日本語教師も、事件記事のウラをとる新聞記者と同じ。
 自分の思いこみが間違っていることもあるからです。
 ことばのチェックには、辞書が欠かせません。

 辞書をひいたり、ときにはまるごと一冊辞書をを読んだりするのが好きですが、百科事典の利用は、昔に比べて減りました。
 それから、『知恵蔵』『イミダス』のたぐいも。この2冊は紙での出版中止。ウェブのみになりました。

 さもあろう。最近は、たいていのことは、パソコンの検索で調べがつくようになっています。
 グーグルでもウィキペディアでも、「ひとつの記述を丸ごと信じたりしない。必ず、複数の記述をみる」ということを肝に銘じておくことは必要ですが、手っ取り早く調べるには、あちこち何冊もの辞典類をひっくり返すよりもずっと便利。
 検索が好きでよく利用するし、「検索名人」と人に言われて得意になっています。

 「私のブログのURLは秘密」と、教えてくれなかった日本語教育の若い同僚がいました。でも、彼女が書きそうなキーワードを三つ推察し、3語をアンド検索したら、ぴったりHPに行き着きました。
 早速ブログにコメントを書き込みました。「かくれんぼしても、見~っけっ」と。

 ふっふっふ、私に秘密にしようなんて、百年早いっツーの。だいたい、人に読まれるのがいやなら、ブログに書くなって。お仲間だけでやり取りしたいなら、mixiとかのSNWをやって、「友達にだけ公開する設定」にするのがよい。

 と、言っても、私も日本語関係の知りあいには自分のサイトを秘密にしているのだけれど。
 誤変換やら駄文ばかりのサイトみられたら、「よくもこんなことで日本語学おしえてるね」と言われるのがオチ。

 ウェブ友とオフ会をして顔を知ったのではなく、もともと私を知っていた人のなかで、サイトを読んだひとは今のところふたりだけ。

 中国での同僚のうち、大阪から派遣されてきた人は、日本に帰ればいっしょの職場になることはないと思ってHPのURLを告げました。
 URLを知らせても、たいていの人は他人の書く文章などに興味はないので、読みはしません。

 万が一読まれたとき、「あの人の書いてることなんて、こんな程度だ、たいしたことない」と思われる程度のことしか書いていませんから、そんなこんなで、めったにヒトサマにURLを教えません。
 それでいて、ワカゾーのサイトには押し掛けていって、コメント残してくる、いやみなバーさんです、私。

 仕事の本同僚や友人からのメールで、「博学」と言われたので恐縮しています。
=============
(元同僚から)
先生のブログを拝見しました。毎日更新してらっしゃるようですが、あのアイディアと題材はどこからやって来るのですか?
それにしても先生の博学多識ぶりには驚嘆します!(Sun, 23 Mar 2008 17:43:55 )

(友人K子さんから)
いつも昼休みにHP等を拝見させていただいております。
本当に博学且つエネルギッシュで、同じ人類(?)でありながらこうも違うものかとわが身を反省しています(2008 03/28 22:34)
==============

 博学とか博覧強記というのは、南方熊楠みたいな人にこそ使うべきで、私は少しも博学なんかじゃありません。
 ウンチク好き、蘊蓄語りが好きなヤツに対しては、とりあえずハクガクと煽てておけばいいだろうってことで、友人は「博学」ということばを使っているのですが、私は博学ではなく、たぶん、検索上手なんだろうと思います。

<つづく>
08:57 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2008年05月19日


ぽかぽか春庭「つちふる」
2008/05/19
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(2)つちふる

 最近のお楽しみのひとつ。わからないことがあったら、徹底的に検索ケンサク。
 たいていのことは調べがつきます。

 3月31日の新聞、読めない漢字がありました。「霾」
 ドット数節約で、ネットでは省略文字しか出ませんが、雨冠の下左は、「豹ひょう」や「貂てん」の左側と同じムジナヘンの「豸」で、下右側は「里」です。

 朝日新聞朝刊「俳壇」のコーナーにあった漢字です。
 音読みはすぐわかりました。「霾天(ばいてん)のアルプス晩景なせりけり(平出和衛)」
 こちらの句には、ひらがながふってある。私も、歳時記で見たことがある。

 しかし、中国在住の人の句「霾や店主イスラム教と云ふ(中村昭義)」にはふりがながありません。
 文字数からいったら、上5句ですから、「○○○○や」で、ひらがな四文字のはず。さて、なんと読むのだろう。
 俳人なら、ふりがななしでも読める字なのでしょうが、たまに季語を引く程度の私には読めませんでした。

 漢和辞典の「バイ」から「霾」をさがし、訓読みがわかりました。訓読みは「つちふる」でした。
 「つちふる」も音読みの「霾天ばいてん」も、私の持っている旧版広辞苑にはない言葉。
 大修館現代漢和には「つちふる。砂埃。突風が土砂を巻き上げて降らせる。また、そのために空が曇る」と説明があります。

 雨冠の下は埋と書く異体字もありました。
 「霾」とは、中国大陸で、地上のものが埋まるほど、土が雨のように降る気象現象を指しました。
 中国大陸に降る土砂が、上昇気流にのって日本まで来たものを、「黄砂」と呼びます。
 黄砂でくもった空が「霾天」で、春の季語。

「霾天や小さく古き一城市(遠藤梧逸)」
「霾天に面を包みうつくしき(田村了咲)」
「霾の中礫のごとき雨交り(林周平)」

 私が持っている角川歳時記に、ちゃんと「霾つちふる」と、読み方が書いてありました。
 これまで「春塵」という季語ばかり使ってきて、漢語っぽい「霾天」を使ったことがなかったので、「霾つちふる」がまったく目に入っていませんでした。

 辞書では、ここまでわかりました。これ以後は、ネット検索です。

 「霾天」「霾つちふる」は、江戸俳諧の季語にはありませんでした。
 明治以後、森鴎外や夏目漱石など、漢詩に造詣の深い人々が、俳句の作者でもあったことから、春塵、春埃と同じ意味で、「霾風」「霾天」が用いられるようになりました。
 大正末年の歳時記から春の季語として採用されています。

 「霾天」という語、どんな用例があるのか、ネットで検索したら、中国最古の詩歌集「詩経」(詩經 国風 邶風)に出ている、とわかりました。

 「終風」と題した詩の二句めに「終風且霾」と書かれている。

終風且暴 顧我則笑 謔浪笑敖 中心是悼
終風且霾 惠然肯來 莫往莫來 悠悠我思
終風且曀 不日有曀 寤言不寐 願言則嚏
曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷

 この詩の解説は以下のとおり。
===========
「終風且霾<與理同>、惠然肯來。莫往莫來、悠悠我思。比也。霾、雨土蒙霧也。惠、順也。悠悠、思之長也。
○終風且霾、以比莊公之狂惑也。雖云狂惑、然亦或惠然而肯來。但又有莫往莫來之時、則使我悠悠而思之。望其君子之深、厚之至也。
【読み】
○終風且つ霾[つちふ]<理と同じ>る、惠然として來り肯ず。往くも莫く來るも莫く、悠悠として我れ思う。比なり。霾は、土を雨[ふ]らして蒙霧なり。惠は、順うなり。悠悠は、思うことの長きなり。
○終風且つ霾るとは、以て莊公の狂惑に比すなり。狂惑と云うと雖も、然れども亦或は惠然として肯えて來る。但又往くも莫く來るも莫きの時有れば、則ち我をして悠悠として之を思わしむ。其の君子を望むことの深き、厚きの至りなり。
============

 ハァ、解説を読んでもますますわからないのだけれど、一日中、強い土ぼこりが降る日の情景なのだろうなあと思って読めない字面を眺めました。
 「曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷」の、「曀曀」って何?どう読むの?「虺虺」ってなんのこっちゃ。
 
 検索をしたために、ますますわからないことが増えてしまいました。

<つづく>
06:12 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月20日


ぽかぽか春庭「桜木の家」
2008/05/20
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(3)桜木の家

 ネットのアンド検索とは、うろ覚え事典と言ってもいい。
 たとえば、「樋口一葉が幼少期に住んでいた家」の、となりにあったお寺の名前を思い出せないとする。

 一葉はその家を「桜木の家」と呼んでいた、ということは覚えているし、東大赤門の前にあった、ということも覚えている。
 一葉、桜木の家、東大赤門、これを並べて検索を掛ければ、お寺の名前は「法真寺」と見つかります。

 アインシュタインは、学校の勉強が暗記中心主義だったことに反発して「本を調べれば書いてあることを、いちいち丸暗記しなくてもよい」と言いました。

 ほんとに、この検索機能をつかえば、何もかも丸暗記しなくたって、ウロ覚えの数語があれば、たいていのことは調べがつくのです。
 便利な時代になりました。

 昨年のこと。
 yokochannさんの日記を読んでいたら、「死」と題したコラムに映画の話が出てきました。(2007/10/02)

 『 昔、こんな映画があった。青年と言うにはまだ早いティーンエイジャーの男の子。趣味は墓場の散歩で、人生は厭世観でイッパイ。所詮 人は死ぬ そんな気分で毎日を送っているのだが ある日その墓場で 一人の初老の女性と出会う。で 彼は すっかり変わるのだが・・・』

 yokochannさんの日記にあるのはこれだけで、映画のタイトルも主人公の名前も書いてありません。

 うん、私も昔、こんな内容の映画を見たことあるなあ、なんて言うタイトルだったっけなあ、主人公の名前も思い出せない。

 主人公もタイトルもわからず、今回は検索に失敗してしまったのです。
 私が気になったのは、yokochann「戯言」コラムにあった「青年が一人の初老の女性と出会う」というところ。
 私の記憶では、ティーンエイジャーの男の子と出会う女性は80代なのです。ユダヤ人収容所に入っていたつらい記憶を持つ女性だったと思います。

 初老というと昔なら40,代50代。「後期高齢者制度」がはじまった現代でも、60代をいう感じ。80歳では初老とは言えないだろうと思うので、私が見たのとyokochannが見たのが同じ映画だったのかどうか、検索してみようと思いました。

 初老だったのか、それとも80歳だったのか、気になって、映画のタイトルを思い出そうとしましたが、寄る年波、さっぱり思い出せません。私もすでに初老の域ををすぎ、本格的に「物忘れ」世代になったらしい。

苦心惨憺でやっとタイトルが見つかりました。

<つづく>
05:35 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月21日


ぽかぽか春庭「ハロルドとモード」
2008/05/21
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(4)ハロルドとモード

 こんなとき役にたつのが、ネット検索機能。当該の語句を思い出せなくても、その周辺の覚えていることを並べてアンド検索すると、たいていのことはひっかかって出てくる。

 ところが、この青年と老女が出会う映画、うろ覚えの言葉さえ出てこない。主人公の名前はたしかモーゼと言ったように記憶する。しかし、青年の名が思い出せない。
 モーゼをキーワードにして、いくつかのアンド検索をかけてもわからない。

 「青年と老女の恋 モーゼ」「80代 老女 青年 恋愛」「モーゼ 墓場 青年」映画のいくつかのシーンを思い出しながら、いろんなパターンを組み合わせて入れてみました。
 出てきません。

 今回ばかりはあきらめて、「昔、自分が見た映画のはず」という記憶から、調べました。
 ありました!2003年、「老いをむかえる心の冬支度」について書いていた「おい老い笈の小文」のシリーズ。

 2003/11/05のコラムに『ハロルドとモード・少年は虹を渡る』の文字が書かれていました。
 そうか、主人公の女性はモーゼじゃなくて、モードだったのね。相手の青年の名はハロルド。

 主人公のモードは、yokochannさんが覚えていた「初老の女性」でもなく、私が覚えていた「80代の女性」でもなく、「もうすぐ80歳の誕生日を迎えようとしている、すなわち79歳の女性」、でした。

 そっか、「現代では70代を初老、80代90代を中老、100以上を大老という」というふうに考えれば、79歳のモードは初老でいいのかも知れない。

 「40、50はハナ垂れ小僧、60壮年、70初老」。
 「後期高齢者」という75歳以上をさす用語が気に入らない、という方もいらっしゃり、「老」という文字そのものが嫌いという方もいる現代です。

 漢字のもともとの「老」は、「腰を曲げて杖をついて歩く人」という象形文字からできています。
 「老」は、経験を積み、物事を深く理解している人への敬称でもありました。
 黄門様の呼び名、「水戸の御老公」の「老公」は、敬意を込めた呼び名です。

 また、江戸幕府の大臣にあたる「老中」とは、年功序列で年取ってからなるものではなく、経験と知識が豊かな人材であれば、若くしてなることもありました。「老」は、単に年取っているという意味ではなく、「経験と知識が豊富でみなのリーダーになれる人」という意味だからです。

 大奥の役職「老女」も同じ。本丸老女は、老中と対等の地位を持っていました。
 (大奥について、いろいろな本が出ていますが、新しいところでは、山本博文『大奥学事始め・女のネットワークと力』NHK出版2008年2月発行、が、とても面白かった)

 現代のように「老」を嫌う風潮は、高度成長期以後の日本だけのこと。「老」に尊敬の念を呼び戻してほしいです。

 私は、野上弥生子(1885~ 1985 99歳)、宇野千代(1897~1996 98歳)石井桃子(1907~2008 101歳)にあやかりたい。「大老」をめざします。

 次回は『ハロルドとモード少年は虹を渡る』のあらすじから。

<つづく>
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2008年05月22日


ぽかぽか春庭「少年は虹をわたる」
2008/05/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(5)少年は虹を渡る

 世間で、老女と青年の結婚が話題になることはありますが、ほとんどの場合、金持ちの老女と貧しい美青年の組合わせ。多くは、遺産目当てと推測されるケース。
 青年は、世間からの「遺産目当て」との非難に耐えつつ、遺産相続の日まで待ちます。まあ、10年くらい待つうちには、なんとかなるでしょう。

 「ハロルドとモード」で、世間は、「老女が青年の財産目当てに惑わしたのだ」と、非難します。

 ハロルドはモードのために、80歳の誕生日を祝います。ふたりきりで、心ふれあう時間をすごし、その翌朝に、、、、

 貧しく苦しい人生なのに心豊かに生きてきたモードと、金持ち坊ちゃんなのに生きる気力を失い人生を投げてきたハロルドの恋物語。

 私も、同じ年を取るのなら、ハロルドに結婚を申し込まれるような、魅力的な80歳になりたい。

 さて、モードのように、60歳年下の子から結婚申し込まれるということになると、私の未来の恋人はまだ生まれていないんですね。

 ま、年齢は60歳年下とかじゃなくても、結構です。
 資産100億円以上の方でしたら、体重、歯のあるなし髪の毛の有無、いっさい関係なく申し込むことができます。お気兼ねご遠慮なさらずに。
年齢制限はありませんので、どなたでも結婚お申し込みください。求婚ありしだい、今の「ショーモナシ夫」とは離婚しますから。

 と、100億円長者からの求婚を待っているけれど、聞こえてくるのは「母よ、いいかげんに換気扇のアナをふさいで!」という娘息子の苦情。

 壊れた換気扇をとりはずしたあとの四角い穴を、ビニール袋でふさいでから早3年。すきま風は、容赦なく入ってまいります。
 80歳までに、換気扇を買って壁の穴をふさぐことができるのかどうか、、、、。
 もうちょっと生きて見ます。

  まだ、再婚相手(予定)に巡り会っていないのは残念なことですが、社会のなかで、さまざまな出会いをつなげて今日まで生きてきた春庭です。
 雨上がりの青空にかかる虹を、何時の日か60歳年下のハロルドと眺める日がくるのを夢見つつ、今日はパソコン相手に、検索、検索、、、、。

<おわり>
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翻訳練習マイケルジャクソン・マドンナ・徐志摩

2011-04-01 10:39:00 | 日本語言語文化

2009/09/26
ニーハオ春庭>翻訳練習(1)マイケル・ジャクソンHeal the World

世界を癒そう 日本語訳 春庭 │ Heal the World

君の心の中にある │There's a place in your heart
僕は知っている、それは愛 │And I know that it is love
愛ある所では、今このときを、│And this place could be much
明日という未来より輝く時にできる │Brighter than tomorrow
君が本気でやろうとすれば、 │And if you really try
泣く必要なんてないって、わかるだろ │You'll find there's no need to cry
愛を感じる場所で │In this place you'll feel
傷つくことも悲しみもない │There's no hurt or sorrow

そこにたどり着く道がある │There are ways to get there
もし君がもし生きぬこうとするならば │If you care enough for the living
君の小さなスペースを │Make a little space
よりよい場所にしていける │Make a better place

世界を癒そう │Heal the world
よりよい世界にしていこう │Make it a better place
君のために、僕のために │For you and for me
そして人類全てのために │And the entire human race
死んでいく人たちもいる │There are people dying
もし君が生きぬこうとするのなら │If you care enough for the living
もっとすてきな所にしようよ │Make a better place
君と僕のために │For you and for me

訳を知りたいと望むなら │If you want to know why
嘘をつかない愛がある │There's a love that cannot lie
愛は強い │Love is strong
愛は喜びを与えようとするだけじゃない │It only cares of joyful giving
もし僕らがわかろうとするなら │If we try we shall see
恐怖も脅えも感じることのない幸福の中に │In this bliss we cannot feel, fear or dread
ただ存在しているだけなのをやめ、生き生きとし始める│We stop existing and start living

いつも思っている │Then it feels that always
愛は僕らを成長させ │Love's enough for us growing
よりよい世界を作っていける │Make a better world
素敵な世界を作らせる │Make a better world

世界を癒そう │Heal the world
素晴らしい場所にしよう │Make it a better place

君にために僕のために │For you and for me
そして人類全てのために │And the entire human race
死を迎える人もいる │There are people dying
もし君が生きぬこうとするのなら │If you care enough for the living
もっとすてきな所にしようよ │Make a better place
君と僕のために │For you and for me

心に抱いている夢は │And the dream we were conceived in
僕らを笑顔にさせてくれる │Will reveal a joyful face
かつては信じていた世界が │And the world we once believed in
ふたたび優しく輝き出す │Will shine again in grace
地球を傷つけ心を苦しめ、│Then why do we keep strangling life
締め付けられて生きていくなんて │Wound this earth, crucify its soul
そんなことだめだってわかっている │Though it's plain to see
この世界は天のように │This world is heavenly
神の光に満ちあふれますよう │Be God's glow

どこまでも高く飛んで行ける │We could fly so high
魂は決してなくなりはしない │Let our spirits never die
僕は感じているんだ! │In my heart
君らみんなは僕の兄弟だ! │I feel you are all my brothers
恐れず世界を創り上げよう │Create a world with no fear
ともに幸せの涙を流そう │Together we'll cry happy tears
世界の国々が │See the nations
剣を鍬に持ちかえるのを見よう │Turn their swords into plowshares

僕らはたどり着けるだろう │We could really get there
もし君が生きぬこうとするのなら │If you cared enough for the living
もっとすてきな所にしようよ │Make a little space
君と僕のために │To make a better place

世界を癒そう │Heal the world
よりよい世界にしていこう │Make it a better place
君のために僕のために │For you and for me
そして人類全てのために │And the entire human race
死を迎える人たちもいる │There are people dying
もし君が十分に生きぬいたなら │If you care enough for the living
世界をよりよい所にしていける │Make a better place
君のために僕のために │For you and for me

世界を癒そう │Heal the world
よりよい場所にしていこう │Make it a better place
(私の友よ) │(Oh, my friends)
君のために僕のために │For you and for me
そして人類全てのために │And the entire human race
死を迎える人たちもいる │There are people dying
もし君が十分に生きぬいたなら │If you care enough for the living
世界をよりよい所にしていける │Make a better place
君のために僕のために │For you and for me

君のために僕のために │You and for me
君のために僕のために │You and for me

僕らが今生きているこの世界を癒していこう │Heal the world we live in
子どもたちを救うために │Save it for our children

マイケルのメッセージ付きの歌「世界を癒そう」
http://www.youtube.com/watch?v=qHASnlEA_WU
<つづく>
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2009年09月27日


ぽかぽか春庭「マドンナによるマイケルジャクソン トリビュートスピーチ」
2009/09/27
ニーハオ春庭>翻訳練習(2)マドンナによるマイケルジャクソン トリビュートスピーチ

 ウェブ友まっき~さんが、マドンナによるマイケルへの追悼スピーチを紹介してくれたので、翻訳練習を続けます。
 2009年09月13日ニューヨークで開催されたMTVビデオ・ミュージック・アワードのオープニング。
 ユーチューブより英語スピーチがクリアに聞こえるような気がするので、こちらもリンク
http://www.mtv.com/videos/misc/436439/madonna-pays-tribute-to-michael-jackson.jhtml

マドンナのスピーチ

「マイケル・ジャクソンは私と同じように1958年8月に生まれました。マイケル・ジャクソンは私と同じように中西部の郊外で育ちました。マイケル・ジャクソンには私と同じように8人の兄弟姉妹がいます。マイケル・ジャクソンは6歳だった時スーパースターになり、そしてたぶん世界で最も愛された子供でした。私が6歳の時は、母を亡くしました。彼は貧乏くじを引いたように思います。

私には母がいませんでしたが、彼は子供時代がありませんでした。何かが得られない時、人はそれに執着するものです。私は子供時代を母親代わりの存在を探して過ごしました。そして時にはうまく行きました。でも、生活すべてを世界中からくまなく見られている時、子供時代をどうやって再現するというのでしょうか。

言うまでもなく、マイケルジャクソンは世界がこれまでに知っていた最も大きな才能のうちの1つでした。マイケルが8歳という年齢で歌を歌ったとき、彼は聴衆に経験豊かな大人になったような気にさせることができました。みなの心臓は、彼のことばでつかみ取られました。マイケルが皆を感動させたやり方は、フレッドアステアの優雅さとモハメッドアリのパンチをきかせたものでした。彼の音楽は、不思議な魔法の幾層をも持っていました。踊りたくなるだけでなく、ほんとうに自分がなりたかったものになんでもなれて、夢に立ち向かい、飛んでいけると信じさせくれました。なぜなら、英雄とは、皆をそう信じさせてくれるものだから。そう、マイケルは英雄でした。

マイケルは世界中のサッカースタジアムでショウを行い、何億ものレコードだし、首相や大統領に食事に招かれました。少女たちは彼に恋し、少年たちも彼を愛しました。誰もが彼のように踊りたかったのです、彼はこの世の人とは思えないくらいでしたが、もちろん彼は人間でした。大部分のアーティストがそうであるように、彼は内気で、不安定で悩みを抱えていました。

「私たちは、すごく仲が良い友人だったとは言えません。でも、1991年、私は彼をもっと知りたいと思い、彼をディナーに誘いました。『私のおごりよ。私が運転する。あなたと私だけ』と言いました。彼は同意してボディガードを連れずに私の家に現れました。私の車でレストランに行きました。暗くなっていたけれど彼はまだサングラスをつけていました。私は『マイケル、私はリムジンに話しかけているような気分よ。あなたの目が見えるようにサングラスをはずしてもかまわない?』と言うと、彼はちょっと間をおいてからサングラスを窓の外に捨てました。ウィンクして私を見て微笑み、こう言いました。『これで僕が見える?これでいい?』」

「この時、彼の傷つきやすさと魅力が見て取れました。ディナーの他は、彼がこれまで自分に許していなかっただろうことをさせるのに私は躍起になっていました。フレンチフライを食べさせワインを飲ませデザートを食べさせ悪い言葉を言わせるのです。その後、私の家に行って一緒に映画を見て二人で子供のようにソファーに座っていました。映画の途中で彼は私の手を探って握ってくれました。彼はロマンスより友人を求めているようで、私は彼の願いを叶えられて幸福でした。その時の彼はスーパースターではなく自分を普通の人間として感じていたようでした。私たちはこの後数回一緒に出かけましたが、いろいろあって私たちは連絡し合わなくなりました。それから魔女狩りが始まったのです。マイケルについてのネガティブな噂が次から次に出て来ました。彼の痛みが感じられました。街を歩いていて世界中が自分に背を向けているように感じることを私は知っています。リンチを行おうとする群集の叫び声が大きすぎて、自分の声が決して届かないのだと確信する、その無力さで自己防衛もできないと感じることがどういうことか分かっています」

 マイケルと異なり、私には子供時代がありました。それに自分の間違いを許されていたし、スポットライトを避けて自分の道を探すことが許されていました。マイケルが亡くなったと知った時私はロンドンにいて自分のツアーを数日後に控えていました。マイケルは同じ会場で私の1週間後にコンサートすることになっていました。マイケルが亡くなったことを知った瞬間、私は彼を見捨てていたのだと感じました。私たち皆が彼を見捨てていたのです。かつては世界を熱狂の渦に巻き込んだ偉大な人が見過ごされていることを私たちは許していたのです。彼が家族を作りキャリアを再建しようと頑張っている一方、私たちは彼を裁こうとしていました。私たちのほとんどが彼に背を向けていました。

「彼の思い出を呼び覚まそうという必死の試みの中で、私は彼がTVやステージでダンスして歌っている古いクリップを見るためインターネットに向かいました。『なんてこと!彼はとてもユニークでオリジナリティがあって、希少な存在でした。彼のような人は二度と現れない』と思いました。
マイケルは我らの王でした。同時に彼は人間でもありました、そして、ああ、我々はみな人間です。時に、私たちは、人を真に評価する前に、失ってしまうことがある。

このスピーチをポジティブに終わらせたいと思います。私の二人の息子、9歳と4歳ですが、今、マイケル・ジャクソンに夢中です。家では(マイケルがやったように)股間掴みとムーンウォークがおおはやり。まるで新世代の子供達が彼の天才を再発見して彼に再び生命を吹き込んでいるみたいです。マイケルが今どこにいようとこれを見て微笑んでいるといいなと願っています

ええ、マイケルジャクソンは人間でした。しかし、悔しいことに彼は王でした。
王の思い出が長く生き残っていきますように。

Michael Jackson was born in August, 1958. so was I. Michael Jackson grew up in the suburbs of the Midwest. So did I. Michael Jackson had eight brothers and sisters. So do I. When Michael Jackson was 6 he became a superstar and was perhaps the world's most beloved child. When I was 6 my mother died. I think he got the shorter end of the stick.

"I never had a mother, but he never had a childhood. And when you never get to have something, you become obsessed by it. I spent my childhood searching for my mother figures; sometimes I was successful. But how do you recreate your childhood when you are under the magnifying glass of the world for your entire life?

"There is no question that Michael Jackson was one of the greatest talents the world has ever known. ... That when he sang a song at the ripe old age of 8, he could make you feel like an experienced adult was squeezing your heart with his words. ... That the way he moved had the elegance of Fred Astaire and packed the punch of Muhammad Ali. ... That his music had an extra layer of inexplicable magic that didn't just make you want to dance but actually made you believe that you could fly, dare to dream, be anything that you wanted to be. Because that is what heroes do. And Michael Jackson was a hero.

"He performed in soccer stadiums around the world, he sold hundreds of millions of records, he dined with prime ministers and presidents. Girls fell in love with him, boys fell in love with him, everyone wanted to dance like him, he seemed otherworldly, but he was also a human being. Like most performers, he was shy and plagued with insecurities.

"I can't say we were great friends, but in 1991 I decided I wanted to get to know him better. I asked him out to dinner: I said, 'My treat, I'll drive, just you and me.' He agreed and showed up to my house without any bodyguards. We drove to the restaurant in my car. It was dark out, but he was still wearing sunglasses. I said, 'Michael, I feel like I'm talking to a limousine, do you think you could take off those glasses so I could see your eyes?' He paused for a moment, then he tossed the glasses out the window, looked at me with a wink and a smile and said, 'Can you see me now, is that better?'

"In that moment, I could see both his vulnerability and his charm. The rest of the dinner, I was hell-bent on getting him to eat French fries, drink wine, have dessert and say bad words, things he never seemed to allow himself to do. Later, we went back to my house to watch a movie and we sat on the couch like two kids, and somewhere in the middle of the film, his hand snuck over and held mine. It felt like he was looking for a friend more than a romance and I was happy to oblige him. And in that moment he didn't feel like a superstar, he felt like a human being. We went out a few more times together and then for one reason or another we fell out of touch. Then, the witch hunt began and it seemed like one negative story after the other was coming out about Michael. I felt his pain. I know what it's like to walk down the street and feel like the whole world has turned against you. I know what it's like to feel helpless and unable to defend yourself because the roar of the lynch mob is so loud that you are convinced your voice can never be heard.

"But I had a childhood, and I was allowed to make mistakes and find my own way in the world without the glare of the spotlight. When I first heard that Michael had died I was in London, days away from the opening of my tour. Michael was going to perform in the same venue as me a week later. All I could think about in that moment was that I had abandoned him. That we had abandoned him. That we had allowed this magnificent creature that once set the world on fire to somehow slip through the cracks. While he was trying to build a family and rebuild his career, we were all busy passing judgment. Most of us had turned our backs on him.

"In a desperate attempt to hold onto his memory, I went on the Internet to watch old clips of him dancing and singing on TV and onstage and I thought, 'My God, he was so unique, so original, so rare. And there will never be anyone like him again.' He was a king. But he was also a human being and alas, we are all human beings and sometimes we have to lose things before we can truly appreciate them. I want to end this on a positive note and say that my sons, age 9 and 4, are obsessed with Michael Jackson. There's a whole lot of crotch-grabbing and moonwalking going on in my house, and it seems like a whole new generation of kids has discovered his genius and are bringing him to life again. I hope that wherever Michael is now, he is smiling about this.

"Yes, yes Michael Jackson was a human being, but dammit, he was a king. Long live the king."

<つづく>
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2009年09月28日


ニーハオ春庭「徐志摩さよならケンブリッジ」
2009/09/28
ニーハオ春庭>翻訳練習(3)徐志摩さよならケンブリッジ

 徐志摩は、20世紀近代中国を代表する詩人です。波希民(ボヘミアン)詩人 として、英米、日本などを放浪し、北京文壇の寵児として数々作品を発表しました。中国現代文学として、中国では「子供でも暗記している詩」のひとつが「再別康橋」なのだと、教え子のひとりに紹介してもらいました。

 伝記ドラマ『人間四月天』は、徐志摩と3人の女性、永遠の心の恋人、妻、妻を棄てて再婚した愛人、との愛の葛藤を中心とした物語。DVDを手に入れたいです。
 留学先のケンブリッジでの思い出を「再別康橋」として発表した後、36歳で飛行機事故で落命。恋多き放浪詩人の最後が飛行機事故、、、ドラマチックを絵に描いたような生涯の中、魅力溢れる詩を書き続けました。

 (大辞林より)徐志摩[1897~1931]中国の詩人。海寧(浙江(せっこう)省)の人。英、米両国で政治・経済のほかに近代詩などを学び、帰国後、「詩鐫(しせん)」「新月」を刊行し、新詩運動に尽力。新月派の代表的詩人。「志摩の詩」「翡冷翠(フイレンツエ)の一夜」など。シュイ=チーモー。

再別康橋   徐志摩
•軽軽的我走了 正如我軽軽的来
 我軽軽的招手 作別西天的雲彩
•那河畔的金柳 是夕陽裏的新娘
 波光裏的艶影 在我的心頭蕩漾
•軟泥上的青 油油的在水底招揺
 在康河的柔波裏 我甘心做一条水草!

・那楡蔭下的一潭,不是清泉,是天上虹
  揉碎在浮藻間,沈澱著彩虹似的夢  
・尋夢?撐一支長篙,向青草更青處漫溯
  滿載一船星輝,在星輝斑斕裏放歌

•但我不能放歌 悄悄是別離的笙粛
 夏虫也為我沈黙 沈黙是今晩的康橋!
•悄悄的我走了 正如我悄悄的来
 我揮一揮衣袖 不帯去一片雲彩


さよならケンブリッジ 日本語訳:春庭

•そっと静かに、私は去っていこう 
 来たときと同じように足音忍ばせ
 密やかに手を振って、西空の茜の雲に別れを告げる
•河畔に立つ金色の柳は、夕陽の中の花嫁のように 
 きらきらと輝く川波にあでやかに影を映し、
 私の心に揺れている
•柔らかな泥に生える水草は水底から葉を揺らして私を招き、
 優しい川波の中 私は一本の水草になる
・楡の木かげの渕にあるのは泉ではない、これは天空の虹なのだ
  浮き藻にこまかくもみ碎かれ、虹のように夢が沈んでいる
・夢を尋ねようか?棹をさし青草よりもさらに青いところへとゆっくり溯のぼる
  舟にはいっぱいの星の輝き きらめく星のなかで歌おうか
•いいや、私は歌うまい  密かに別れの笛を吹き
 私のために夏の虫も沈黙する この沈黙が今夜のこの橋
•密やかに、私は去ろう 来たときのようにそっと静かに 
 私は袖を振って立ち上がり 一片の茜雲さえ持たずに去っていく

詩の朗読
http://www.youtube.com/watch?v=WZWtjZeZUfA&feature=related

中国のいろいろな歌手が歌のカバーしていますが、漢字で歌詞が出る殷正洋の歌で
http://www.youtube.com/watch?v=jK4fWbhK8OU&feature=related

張清芳の歌声で。ケンブリッジ橋の景色が美しい
http://www.youtube.com/watch?v=8H8Ma8j2FYM&feature=related

<おわり>^
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カタカナひらがなハングル

2011-03-28 22:10:00 | 日本語言語文化
2009/12/23
ぽかぽか春庭
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感今年の百円本から(3)ひらがなとハングル

 百円だとついつい買い込んでしまう本、好きな作家ですと本棚にあるのを承知で買ってしまいます。たとえば須賀敦子の本などだいたい2冊ずつあるのです。これは、かっての音楽ファンがレコードの劣化を案じて2枚ずつ購入したというような心理とも重なる部分があるのですが、一冊はきれいなままとっておきたい、一冊は資料用に書き込みやページの耳の部分を折り曲げたりする用の本。

 森田良行『日本人の発想日本語の表現』という新書、3冊並んでいます。整理整頓がまったくできない部屋の中でこの本がどこかに潜り込んで行方不明になったあと、引用する必要があって、もう一度買ったのです。引用するためには、書籍の何ページに書かれていたかを明記するのが論文ルールなので、何ページだったかを確認する、というだけのためですが、論文締め切りが迫っていたのでアマゾンで購入。論文を提出したあと、古本屋の百円本で見つけ、「なんだ、百円で売っているなら、こちらを買えばよかった」と思って、百円だからともう一冊買いました。そのあと、行方不明の本が本の山の中から出てきて、3冊並ぶことになりました。狭い部屋に本が積み上がっているので、こんなこともおこります。
 日本語関連の本は、学生用の閲覧資料としても使うので、何冊あってもムダにはならないけれど。

 日本人学生のための日本語学や日本語教育学の授業で、今年も「ハングルで自分の名前を書こう」というワークショップをやりました。前期は「タイ文字で自分の名前を書こう」後期はハングルで行い、自分の名前の発音がこれらの文字では見つからない、ということを確認させるためです。何人かは文字一覧表の中から自分の名前の仮名にあたる文字ですんなり名前を書くことができますが、何人かは、「先生、ハングルに渡辺のワがありません」などと、言う学生が出てくる。日本語と外国語との発音の違いを意識させるためのワークショップです。
 逆に、「では、Smithという名をカタカナで書いてみましょう」と言うと、学生たちためらわずに「スミス」と書く。え~、それでいいの?thという音は「ス」ですか?「Su」は「ス」と書いていいけれど、「S」を「ス」と書いてもいいの?
 こんなところから日本語の音節の表記法と発音の関わりを、自分の頭で確認させるのです。

 ひらがなカタカナは、日本語の音節構造にあっているたいへんすぐれた表記法です。世界にこのような音節文字は数少ない。日本語は、発音のほとんどが「子音+母音」という単純な構造でできているから、「子音+母音」をまとめてひとつの文字で書き表す方法がちょうどうまくいくのです。

 しかし、世界の多くの言語は「子音+母音」という単純な構造ではありません。英語ではdog,やcatなどは「子音+母音+子音」ですし、strikeは「子音+子音+子音+母音+子音」という構造です。これをカナであらわそうとすると「ストライク」という表記になってしまい、「[子音+母音]+[子音+母音]+[子音+母音]+[子音+母音]+[子音+母音]」という音で表記するしかありません。
 つまり、カナは子音が重なった発音を表記することができないのです。

 質問をいただきました。
投稿者:myth21hide 2009-12-23 02:37
 インドネシアの少数民族が表音文字のハングルを共通文字として採用したというニュースがありましたので、表音文字では仮名のほうが優れているのではと思ったのですが、間違っていますでしょうか。
============

 ご質問は、「表音文字では仮名のほうが優れているのではと思ったのですが、間違っていますでしょうか」というものですが、春庭のお答え「はい、ちがっています」
 日本語を書き表すための表音文字として仮名はたいへんすぐれていますが、他の言語を書き表すためには、不便な表音なのです。
  次回、回答をのべます。

<つづく>
09:10 コメント(1) ページのトップへ
2009年12月24日


ぽかぽか春庭「インドネシアのハングル」
2009/12/24
ぽかぽか春庭
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感今年の百円本から(4)インドネシアのハングル

 インドネシアスのスラウェシ州(地図でいうと赤道の近くにある「k」の形にみえる島です)のニュースとしてこの夏に発表された記事があります。スラウェシ州のチアチア族というこれまで文字を持たなかった少数民族が、自分たちの言語の表記文字として、ハングルを採用した、というニュースです。韓国や中国では報道されネットでも話題になりましたが、発表された8月には日本の大手の新聞は報道しませんでした。朝日新聞が12月23日の朝刊でスラウェシ州バウバウ市の市長がソウルを訪れた、というニュースをソウル特派員報道として伝えました。
以下はソウル特派員からの配信記事。
=============
【ソウル=箱田哲也】独自の言語がありながら、表記する文字を持っていなかったインドネシアの少数民族チアチア族が7月から、朝鮮半島のハングルを公式の文字として導入。チアチア族の代表が韓国を初訪問し、22日、呉世勲(オ・セフン)ソウル市長と歓談した。
 ソウル市によるとチアチア族は6万人余りで、歴史などは口述で伝えてきた。韓国の訓民正音(ハングル)学会関係者がこれを知り、現地を訪ねて「表音文字のハングルなら音だけで表記できる」と説明。チアチア族は7月から公式文字として、教育機関で子どもたちに教えている。
=================

 春庭は仮名文字の成立について何度かコラムに書きましたが、その際申し上げたことは、音節が「子音+母音」という単純な構造である日本語の発音にとって、カナはたいへんすぐれた表記法である、ということです。仮名の形47と発音を覚えれば、ほとんどの単語を発音通りに書いていけば文がつづれる、わかりやすい表記法です。

 英語を母語として育つ子供が自分の髪は縮れていなくてまっすぐなんだ、と気づいてそのことを作文に書いて先生に提出しようとしたとき、ストレートヘアということばを文字を書きたいと思います。しかし、「straight」というつづり方(スペリング)をすでに習っていない限り書くことはできません。[gh]という発音しない文字が昔の発音の痕跡として残っているなんて、子供には想像もつかないことですから。ヘアも「hea」なのか、「heia」なのか、わかりません。「Hair」というスペリングを習っていなければ書き表せないのです。
 その点、日本語を母語とする子供は、自分の髪が黒いことに気づけば「わたしのかみはくろい」と発音通りに書けばよいのです。「くろい」ということばの書き表し方を一度も習ったことがなくても書けます。ただし、助詞の「wa」は特別に「は」と表記することは習っていないと書けないので「わたしのかみわくろいです」と書くかもしれない。でも、読んで意味がわかります。

 スラウェシ島バウバウ市を中心に住むチアチア族のことばの発音は、おそらく「子音+母音」という単純な構造ではないのだと思います。
 その点、ハングルは「母音のみ」「子音+母音」「子音+母音+子音」など、さまざまな音節に対応できる文字です。
 したがって、チアチア族の言語の発音が、閉音節(子音で終わる発音)であるなら、ハングル文字で表記することはたやすい。

 日本語は「子音+母音」という音節にのみ対応していますから、開音節(母音で終わる発音)でないと、書き表すことができません。strikeという1音節の単語を外来語として日本語語彙に採用するときは「ストライク」と5音節の語として導入することになります。

 ハングルは「偉大な文字」という意味で、14世紀の世宗大王の時代に、学者に命じて作成された人工的な文字です。コロンビア大学名誉教授であるガリ・レッドヤード(Gari Ledyard)は朝鮮の歴史やハングルの研究論文のなかに、ハングルにはパスパ文字の字体の似ていると論じています。パスパ文字とは、中国の元朝で採用されたチベット文字をもとに作られた文字です。ハングルにはパスパ文字と似た字体がある、という説をレットヤードが述べていますが、日本語の仮名が漢字草書体から発展したように、ハングルもいくつかの既存文字を参照して作られたのだろうと思います。

 さて、授業は22日で終わったのですが、イブの24日、出講先に行って仕事です。疲れたけれど、がんばります。みなさまにおかれましては、楽しいクリスマス、楽しい冬至祭りを!

<つづく>
07:58 コメント(0) ページのトップへ
2009年12月25日


ぽかぽか春庭「片仮名でメリークリスマス」
2009/12/25
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感今年の百円本から(5)片仮名でメリークリスマス

 平仮名片仮名は、すぐれた表音文字であり、日本語を書き表す場合たいへん便利です。しかし、日本語のように「子音+母音」という単純な構成の開音節単語だけでない言語もあります。平仮名片仮名という音節文字は、閉音節を含む言語の表記には適さない。ハングルは閉音節を表記するためには、とてもよいシステムの文字です。つまり、ハングルと平仮名の優劣を比べることはできません。韓国語やチアチア語を表記するためにハングルはよい文字であり、日本語の表記にとって、仮名はよい表記文字である、ということはできますが、仮名がハングルよりよいとか、ハングルのほうが優れているという比較はできません。

 現在の世界では、フェニキアに始源を持つアルファベットが多くの言語の表記に用いられています。アジア諸国の言語は、独自の文字を持つものが多い。カンボジアのクメール語はクメール文字を使用しているし、タイ語はタイ文字、モンゴル語はモンゴル文字。しかし、モンゴル語は社会主義国となったとき、モンゴル語でなくロシアキリル文字を採用したし、ベトナムも従来の漢字表記をやめて、かっての宗主国フランスの影響下、アルファベット表記を採用しました。英語表記では「Ho Chi Minh City」書く旧サイゴン市。漢字表記するなら「胡志明市」です。しかし現在はアルファベット表記なので、「Thành phố Hồ Chí Minh」

 少数民族チアチア族の子供達が誇りを持って自分たちの母語の読み書きを習っていけるなら、どの表記であれ、いちばん母語の表現に適した文字を採用すればよいのです。ただし、チアチア族の子供にとって、母語教育のほかインドネシア語の習得も必要であるならば、インドネシア語はアルファベット表記を採用しているので、二重に文字を習わなければならず、負担が増えます。
 もっとも、日本の子供達は、小学校1年生で平仮名片仮名、3~4年生でローマ字、1年生から中学校卒業までに2000字の漢字を習得するのですから、ハングルとアルファベット両方の習得もできない話ではありません。

 少数民族のなかにあって滅亡が懸念されている、文字を持たない少数言語を保護するために、有効な表記によって記録することは焦眉の急を要すること。チアチア語がこれから先もチアチア族の子供達にとって、「母語」として生き生きと話されることが望まれます。

 日本ではアイヌ語を母語として生活する子供は、おそらく現在のところ国内にはいません。残念なことです。12月22日、春庭の社会言語学最後の授業でも「みなさんは、卒業したあと、アイヌ語の朗唱や歌を聞く機会はほとんどないでしょうから、最後にもう一度アイヌ語の歌を聞いてください」と、萱野茂(かやのしげる元参議院議員)のカムイ朗唱やフチ(おばあさん)たちの歌う仕事歌を聞かせました。

 アイヌ語には閉音節も含む語が多く、本来なら平仮名表記には適さないのですが、閉音節の部分の仮名を小文字で表記するという工夫によって仮名表記もローマ字表記と併用されています。
 アコロ イタク のように、最後の文字が小さいカナになっており、たとえば、yukarという閉音節の語は「ユーカラ」と表記し、最後の「ラ」は[ra]ではなく[r]であることを示しています。 
 これは、アイヌ語を習う人の多くが平仮名表記に慣れているための工夫であって、閉音節を表記するためにはローマ字表記のほうが便利です。

 多くの少数言語が地上から消えていく状況にある中、チアチア語はハングルを採用したことにより、韓国政府からチアチア語保存のために多くの援助が期待できそうです。一つの言語の生き残り策として有効であったかもしれません。アルファベット表記も可能だったでしょうが、アルファベット表記にしたからといって、インドネシア政府はチアチア語の保存に特に力を入れることはないでしょう。他にも独自言語を持つ少数民族はたくさんあるので。世界中の少数派の言語も文化も宗教も、それぞれの人々にとって大切なものであり、滅亡してよい言語もなくなってよい文化もありません。

 12月25日前後は、世界中の多くの国で「太陽の復活=冬至」の日として祝われてきました。それをキリスト教では「神が人間として産まれてきた」日である、という意味づけをして取り入れ、2~3世紀頃から、神の子イエスの誕生日として、ヨーロッパ農耕民への布教に役立てました。農耕民の春祭りは「キリスト復活祭」として取り入れ、農耕民達がキリスト教になじむ工夫をしました。

 現在の状況ではキリスト教と対立しているように見えるイスラム教では、予言者のひとりイーサ(イエス)の誕生日として祝うのです。イスラム教は、キリスト教と同じく、ユダヤ教から分派した宗教ですから。
 逆にキリスト教新興宗教のひとつ「エホバの証人」のグループは「聖書にイエスの誕生日と書いてないから」という理由で、クリスマスを祝いません。新訳聖書原理主義ですから。

 日本語を母語とし、仏教徒である私にとっても、冬至の日に衰えが最大になった太陽が復活していくのを祝いたいです。
 日本仏教は、道教も神道も習合してきた歴史がありますから、お寺でクリスマスを祝ったって寛大な阿弥陀様お釈迦様は「よしよし」と言ってくださると思いますけれど。
 24日は、娘が作った苺ショートケーキをおいしくいただきました。私はお日様に祈りをこめましたから、必ずこれから日脚は延びていくと思います。

<つづく>
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2009年12月26日


ぽかぽか春庭「言語の脳科学」
2009/12/26
ぽかぽか春庭くねんぼ日記>年末雑感・今年の百円本から(5)言語の脳科学

 私は現在、老境自覚中。心身衰え、白髪は増えるし皺は深くなって、わびしく背を丸めて病院通いしている境遇です。12月5日のMRI(核磁気共鳴画像法magnetic resonance imaging)の結果では、「今すぐ、どうこうしなければならない症状はない」という診断で、頭痛が続くのも我慢して過ごすしかないとわかりました。なにしろ頭痛のタネは山ほどあるので、、、、。
 MRIという検査、初めて受けてみて、自分の脳がネガフィルムなっているのをしげしげと見つめました。へぇ、私の脳はこんなふうなのかと、おもしろかった。

 100円で買った本で、おもしろかった本その他。
 酒井邦嘉『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』(中公新書)という本を興味深く読みました。
 日本語学や日本語教育学を学ぶ日本人学生にも、言語と脳の話をするときに、酒井先生作成の脳の図をネットからパワーポイントに取り入れて、「このへんが文法を理解する脳、ここらは音声を受け取る部分」など、この秋学期の授業に使わせてもらっていました。来期は脳の説明のとき、自分の脳の写真を見せて説明してみようかとおもったのだけれど、脳のネガフィルムは患者が持っていてはいけないのだって。

 医師法かなんかで、このような画像は病院管理にすることが決まっているそうで、4枚で8000円かかった脳写真、個人にはもらえませんでした。これまで高い国民健康保険を払い続けても歯医者で歯石除去するくらいしかかかったことなかったのに、今年はけっこう医者に通ったなあ。3割負担だから、脳写真撮影は、健康保険がなければ2万4千円かかったことになる。長年自分では医療費使わないまま保険料だけ払い込んできたけれど、MRI検査料が2万4千円かかると知ったら、検査する気も失せたろう。石油も買えない家計なのに。健康保険のないアメリカでは、医療はすべて自己負担が原則。医療を受けられない貧乏人は、自己責任で死んでいくしかないというから、まあ、これでなんとか日本の健康保険料の恩恵を受けたことになるか。

 言語を理解する脳の部分は、一箇所ではなく、脳のあちらこちらに偏在していることが、失語症や失読症になった人の脳の検査などから、わかってきました。かって右脳左脳などの脳の分野が話題になりましたが、たとえば、「リーンリーンという虫の音を聞く」ということひとつをとっても、脳のたくさんの分野が連合して働いており、右脳左脳などという単純なくくりで脳の働きはとらえられないこともわかってきています。

 酒井先生は、チョムスキアン(生成文法の創始者チョムスキーの言語学を信奉し、人間には生まれつき言語を習得する脳の働きがあるという生得説の論者)なので、言語に関しては私とは異なる考え方の部分もありますが、脳について実験の結果重視の実証的解説はとてもおもしろかったです。

 夏目漱石やアインシュタインの脳は保存されており、アインシュタインの脳は一般人より見た目が小さいけれど、脳の皺(ヒダ?)が普通の人より深く刻まれているというようなことが言われています。
 視覚障害を持つ人の脳では、聴覚分野や触覚などの他の感覚分野が大きくなることがわかっており、天才的な発明発見をした人の中には、脳の一部の損傷によって社会的な能力や人との交流などに不都合が多い場合もあった、ということもわかってきました。

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、ブログに障害者の出生を否定するような文章を掲載しました。市長はブログの問題部分を削除しましたが、あくまで「謝罪する気はない」と強気です。「医学の無駄遣いで昔なら死産だった障害を持つ子が生き残り、社会のお荷物になっている」というのです。かって石原慎太郎都知事も重度障害者の施設を見学して「こういう子に生きている意味があるのか」と発言したことがありましたが、すべての命に等しい価値があるという人間存在の基本を理解していない人がトップだと、いずれ「年寄りや障害者は社会のお荷物だから、死んでお国の役にたて」ということになっていくのだろうと背筋がぞっとします。私も介護が必要になって働けない身体になったら、竹山市長や石原都知事またその賛同者によって排除されてしまうのかと、思います。

 竹山市長、またまた「腐った枝は切り落とすべし」という論をぶちあげた。社会全体を木に、枝を障害をもつ人にたとえたつもりなのでしょうけれど、人と社会の関係は、枝と木の関係とは異なります。一本の木は枝も根もひとつに存在である一個の有機体ですが、人は人それぞれが一個の有機体であり、社会は人が関係を築きあげ作っていくべきものです。足が何らかの病で壊死したら切らないと身体全体を保てない場合があるというならわかります。人の身体全体が統一ある有機体ですから。でも社会には切り捨てなければならない部分などないのです。

 今のところ私の脳のネガフィルムでは、まだまだ萎縮も起きて居らず、梗塞もなく、認知症もまだ出ていない、可もなく不可もない脳だということがわかりましたし、言語をあやつって飯のタネにする生活、もうちょっと続けて行けそうです。でも、もし私が働けないようになったら、竹山市長は「あんたは腐った枝だから、切り落とす」と言うのでしょうね。暮れのすきま風がいっそう身にしみます。どうにも景気の悪い話で締めて申し訳ない。来年はいい年でありますように。

<おわり>
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気になることば2009年

2011-03-26 21:41:00 | 日本語言語文化
2009/12/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>今年気になった言葉(1)あらゆる現実を自分のほうへねじ曲げたのだ

 一度聞いたら忘れられないフレーズというものがあります。
 最近はそういうフレーズを作る人の職業が人気職業ランキングに入っています。コピーライターは、人々の記憶に残るキャッチコピーを考え出そうと、日夜頭をひねっている職業。

 テレビや雑誌新聞で一度は見聞きしたことのあるコピー。人々の印象に残ったコピーとして、糸井重里、代表作「おいしい生活」「不思議、大好き」「ほしいものが、ほしいわ」「生きろ!」など。眞木準(2009年6月急逝)代表作「少し愛して長く愛して」「でっかいどう北海道」「カンビールの空カンと破れた恋はお近くの屑かごへ」「あんたも発展途上人」「恋を何年、休んでますか」など。

 小林秀雄(文芸評論の同姓同名のあの小林大御所とは別人ですが)「私、脱いでもすごいんです」とか、中村猪佐武「お金で買えない価値がある」佐倉康彦「愛だろっ愛」とか、キャッチコピーは作者と出典(何のCMで使われたか)の調査がつきます。著作権がからむことなので。
 たとえば、「あんたも発展途上人」というキャッチコピーがどんな商品のために言われたのか忘れてしまったとしても、検索すれば即座にサントリーホワイトの宣伝のために使われたのだと出てきます。

 検索で文学作品の一節だろうが、コピーだろうが、作者や出典が見つかるのに、出典がわからなくて、気になっているフレーズがあります。
 「あらゆる現実をすべて自分のほうへねじ曲げたのだ」という文。

 「音声データベース503例文集(ATR研究用日本語音声データベース セットB )」の冒頭第一文です。音響研究のデータをとるために、新聞雑誌などから無作為に選ばれた例文のひとつです。音声の実験のためにさまざまな例文を朗読してデータを得るために、母音や子音などさまざまな音声が含まれるように選ばれた例文集ですが、冒頭の一文、なんとも曰く言い難い味わいで、気に入ったフレーズなのですが、出典がわかりません。

 検索しても、「音声データベース」関連のサイトにしか出てこないので、元々どんな文章の中に書かれていたフレーズなのか、気になります。
 ご存じの方、ご一報ください。

<つづく>
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2009年12月18日


ぽかぽか春庭「新語流行語大賞」
2009/12/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!>今年気になった言葉(2)新語流行語大賞

 2009年の新語流行語大賞は「政権交代」。トップテンに入った「事業仕分け」などとともに耳になじんだ言葉ではあるけれど、「新語」ではありません。新語と言えるのは「草食(系)男子」「ファストファッション」「歴女」くらいかな。

 「草食男子vs肉食女子」は、最近の若い男女の生態系を反映して秀逸。「草食系男子」は2006年にコラムニスト深澤真紀が「他人との競争を望まない。協調性が高く家庭的で優しい。しかし、恋愛やセックスには積極的でない若い世代の男性(主に40歳前後まで)」を指すことばとして造語しました。新造語の後、3年でブレイク。出世競争や自動車の購入などの顕示的消費にも興味を示さず、家のなかでまったりと一人で気楽にすごすことを好む。デフレ不況時代に適合した生態系のあらわれとも。

 我が家の男子も見事に草食系。現実の食生活も野菜好き。幼いころから主食は「牛乳」で、一日に2リットルは飲むが、肉も飯もあまり食べない。大学には欠席なく自転車通学を続けているけれど、それ以外は家にこもってゲームを続けている。出かけるのは、月に一度ほど新作ゲームの探索でゲーム屋めぐりをするときや祖母の家に呼び出されて電球取り替えなどを手伝わされるときくらい。たまに父親の事務所の手伝いをするくらいでよそでアルバイトしたこともない。ガールフレンドいなくても、それで本人が不満もなく生きているのだからかまうことはない、と思うものの。旅行をすすめても「国内も外国も出かけるなんて面倒だし、そもそも家から出たくない」とごろごろしている。

 30~40年前まで、親の庇護のもとから夫の庇護のもとへと横滑りする人生が一番と思われていた社会でした。田舎の女子高生は、何とか手段を講じて家から出たかったし、海外の異文化を知りたいと夢見てアフリカまで出かけていった。そういう親世代から見ると、草食系なる生き方、なんとも生命力に欠ける気がして、心許ない。

 「ファストファッション」は、「早い、安い、うまい」のファストフードから派生した。ユニクロ、シマムラなどの安くて手軽な衣装を自分なりのアレンジで着こなす「リーズナブル&フィット」感覚が受けたみたい。自宅で育てた野菜やハーブを使って、家族友人とで料理を楽しむようなスローフードも持ち上げられている。現実生活では、通勤の隙間でコンビニ弁当や牛丼なんぞかっ込むしかないけれど。食生活では、ファストよりスローのほうが明らかに「望ましい」という評価がまといついているのに比べ、ファストファッションは、有名ブティックで採寸して縫い上げてもらう注文服に対して「カウンターカルチャー」として成立している。駅のホームで立ち食いそばを5分で食べる食生活にはわびしさが伴うが、ファストファッションを購入して自分なりにアレンジを加える着方には、スタイリストやコーディネートデザイン気分が味わえる「私なりに着ている」感を付け加えられるからだろう。

 うちの娘&むすこは、もっぱらユニクロの低価格店であるGU(ジーユー)というブランドで買う。20才すぎたら、親は服を買ってやらんから、好きに衣装を選ぶように、という方針だったので、GUを選んだのも宜なるかな。
 私は、この冬、ユニクロのヒートテック、ダークグレイのタートルネックと丸襟の黒2枚購入。別段ファストファッションをねらったのではなく、12月20日までいっさいの暖房なしに過ごしている我が家の「寒い部屋」ですごすため、せめて下着くらい暖かくという理由。2009年は、暖房をしない最長記録になりました。「寒い寒い」「地球にやさしいエコ生活」と言っているうち、息子は風邪をひきました。

 「新型インフルエンザ」というトップテン入りの語の受賞者として登場した厚労省検疫官木村盛世さん、なかなか男前の女性で、医療と教育のノンフィクション作家として活躍中。パンデミックという外来語も世にひろまった2009年でした。

 「歴女」は「鉄子」と共に、私の趣味を一語で表せるから便利な言葉ですけど、徹子のパロディにもなっていて笑える鉄子に比べて、レキジョという響きは「歴史なんか嫌い」という人にはどんなふうに聞こえるのでしょう。ちなみに私の出身高校は「シブジョ」と呼ばれています。ジョシブと間違えないでね。「女渋」は渋谷女子高校の略。花の東京の女子高生です。うちらはシブジョ、鄙の純朴な女子高生でした。
 さて、レキジョでテツコの元シブジョ。今では老女で貧女のシブシブ系。草食系息子の学費稼ぎで、この1年も終わろうとしているけれど、稼いだはずの学費は夫の「趣味の会社経営」運転資金に巻き上げられ、寒さこらえて泣いてます。娘と息子は「貸しても返してこないのに、ほんとにダメンズウォーカーの母だね」と言う。同情するなら金をくれ。

<おわり>

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語彙論>つちふる、春霖、施無畏

2011-03-02 19:07:00 | 日本語言語文化
2010/03/23
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(1)つちふる

 桜満開のころ復活予定ですが、東京の桜が開花したという昨夜22日のニュースを見て、プレ復活シリーズを。
 3月22日の朝刊に、21日春分の日の季節ネタが載っていました。新宿上空の航空写真、ぼうっと霞んでいて、「都心も黄砂に包まれて」という見出しが付けられています。春の強風が列島を吹き抜けたというニュース、都心では強風によるJR電車遅延もありました。

 季語「霾つちふる」は、「春の塵」「春塵」「春埃」と同意味の語とは思えないくらい、強烈なものとなって、2010年春分の日に全国各地に吹き荒れたのです。
 「つちふる」は、春先に吹き荒れる風で、「霾天ばいてん」「霾風ばいふう」とともに歳時記に載っています。「春塵」「春埃」というと、雪が溶け霜も降りなくなった暖かさの増す季節の中の、春らしい気候のイメージがあるのに比べて「霾天」「霾風」は、荒々しい印象があります。中国大陸の黄土から舞い上がる黄砂を含む強い風のイメージ。

 「霾つちふる」について、かって春庭コラムに書いたことがありました。「霾」という漢字が俳句短歌欄に出ていたのに、読めなかったと書いたのです。辞書をひいて、歳時記の「春塵」と同じものを指し、「つちふる」と読むのだとわかったと書いたのですが、このコラム、いつ書いたのか覚えていないので、たぶん春の季語で3月のコラムだろうと思って、目次ページ毎年の3月をチェックしたのですが、見つかりませんでした。

 そこで検索。「霾つちふる」「春庭」の2語アンド検索をすると、2008/05/19のコラムで書いたことがわかりました。検索機能、便利です。「霾つちふる」だけの検索だと有力歳時記サイト、季語サイトがでてきますが、すべてのタイトルに「春庭」をくっつけているので、「春庭」をつけて検索すれば、ぴたりとあたる。「つちふる 春庭」で検索試してみて。私んちのグーグルだと一番上に出ました。私がカフェコラムを始めた頃は、「春庭」で検索すると本家「本居春庭」と、当サイト春庭カフェが一番上にでたのです。雅楽の「春庭楽」が、その次くらいでした。現在では「春庭」もいろいろな分野で使われるようになりました。人気レストランや花屋の屋号などが一番上に来るのです。

 「つちふる」について、書いたことがあるってのは覚えているのですが、いつ書いたかとか、書いた内容を忘れているから、読み直して「おお、春庭、いろいろ調べていますなあ」と、楽しめた。みなさまにおかれましても、人の書いたことなんぞとっくに忘れているでしょうから、もう一度楽しんでもらえると思います。
 プレ復活、過去ログのコピーペーストです。
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2008/05/19ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(2)「つちふる」
 最近のお楽しみのひとつ。わからないことがあったら、徹底的に検索ケンサク。
 たいていのことは調べがつきます。
 3月31日の新聞、読めない漢字がありました。「霾」
 ドット数節約で、ネットでは省略文字しか出ませんが、雨冠の下左は、「豹ひょう」や「貂てん」の左側と同じムジナヘンの「豸」で、下右側は「里」です。

 朝日新聞朝刊「俳壇」のコーナーにあった漢字です。
 音読みはすぐわかりました。「霾天(ばいてん)のアルプス晩景なせりけり(平出和衛)」
 こちらの句には、ひらがながふってある。私も、歳時記で見たことがある。
 しかし、中国在住の人の句「霾や店主イスラム教と云ふ(中村昭義)」にはふりがながありません。
 文字数からいったら、上5句ですから、「○○○○や」で、ひらがな四文字のはず。さて、なんと読むのだろう。
 俳人なら、ふりがななしでも読める字なのでしょうが、たまに季語を引く程度の私には読めませんでした。

 漢和辞典の「バイ」から「霾」をさがし、訓読みがわかりました。訓読みは「つちふる」でした。「つちふる」も音読みの「霾天ばいてん」も、私の持っている旧版広辞苑にはない言葉。大修館現代漢和には「つちふる。砂埃。突風が土砂を巻き上げて降らせる。また、そのために空が曇る」と説明があります。

 雨冠の下は埋と書く異体字もありました。
 「霾」とは、中国大陸で、地上のものが埋まるほど、土が雨のように降る気象現象を指しました。中国大陸に降る土砂が、上昇気流にのって日本まで来たものを、「黄砂」と呼びます。黄砂でくもった空が「霾天」で、春の季語。

「霾天や小さく古き一城市(遠藤梧逸)」
「霾天に面を包みうつくしき(田村了咲)」
「霾の中礫のごとき雨交り(林周平)」

 私が持っている角川歳時記に、ちゃんと「霾つちふる」と、読み方が書いてありました。
 これまで「春塵」という季語ばかり使ってきて、漢語っぽい「霾天」を使ったことがなかったので、「霾つちふる」がまったく目に入っていませんでした。
 辞書では、ここまでわかりました。これ以後は、ネット検索です。

 「霾天」「霾つちふる」は、江戸俳諧の季語にはありませんでした。
 明治以後、森鴎外や夏目漱石など、漢詩に造詣の深い人々が、俳句の作者でもあったことから、春塵、春埃と同じ意味で、「霾風」「霾天」が用いられるようになりました。
 大正末年の歳時記から春の季語として採用されています。

 「霾天」という語、どんな用例があるのか、ネットで検索したら、中国最古の詩歌集「詩経」(詩經 国風 邶風)に出ている、とわかりました。

 「終風」と題した詩の二句めに「終風且霾」と書かれている。

終風且暴 顧我則笑 謔浪笑敖 中心是悼
終風且霾 惠然肯來 莫往莫來 悠悠我思
終風且曀 不日有曀 寤言不寐 願言則嚏
曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷

 この詩の解説は以下のとおり。
----------
「終風且霾<與理同>、惠然肯來。莫往莫來、悠悠我思。比也。霾、雨土蒙霧也。惠、順也。悠悠、思之長也。
○終風且霾、以比莊公之狂惑也。雖云狂惑、然亦或惠然而肯來。但又有莫往莫來之時、則使我悠悠而思之。望其君子之深、厚之至也。
【読み】
○終風且つ霾[つちふ]<理と同じ>る、惠然として來り肯ず。往くも莫く來るも莫く、悠悠として我れ思う。比なり。霾は、土を雨[ふ]らして蒙霧なり。惠は、順うなり。悠悠は、思うことの長きなり。
○終風且つ霾るとは、以て莊公の狂惑に比すなり。狂惑と云うと雖も、然れども亦或は惠然として肯えて來る。但又往くも莫く來るも莫きの時有れば、則ち我をして悠悠として之を思わしむ。其の君子を望むことの深き、厚きの至りなり。
------------
 ハァ、解説を読んでもますますわからないのだけれど、一日中、強い土ぼこりが降る日の情景なのだろうなあと思って読めない字面を眺めました。
 「曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷」の、「曀曀」って何?どう読むの?「虺虺」ってなんのこっちゃ。
 検索をしたために、ますますわからないことが増えてしまいました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1460
===========
 以上、2008/05/19春庭コラムからのコピーでした。

<つづく>
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2010年03月25日


ぽかぽか春庭「春霖」
2010/03/24
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(2)春霖

 3月22日に東京の桜が開花し、満開までの平均日数は約7~9日ということでした。開花したあとの曇り空を「花曇り」「春陰」という。23日は花曇り、24日25日は2日間とも雨。24日は、雨の中講師会議のためにでかけました。傘を斜めにしても足下が濡れる強い風と雨。会議の間もとても寒かったです。

 春雨はるさめ、春時雨はるしぐれ、春霖しゅんりん。鬱勃(うつぼつ)とした気分の春の雨、物憂い感じです。
 25日も一日中雨の予報なので、今日は片づけや洗濯もお休みです。ぼうっとしながら歳時記のページをめくる季語あそびも、暗い句ばかり目につきます。

・母の忌やその日のごとく春時雨 富安風生
(春庭の母の忌もその通り。身体の芯まで凍りそうな空っ風の日であったり、春時雨の底冷えのするお寺の中であったり、2月末日の法事は何年たっても寒さに泣ける)

・春驟雨木馬小暗く回りだす 石田波郷
(春の雨ふる中、この木馬は誰を乗せているのだろう。遊園地なのか、昔デパートの屋上にあったような客寄せの回転木馬なのか。波郷といえば、敗戦後の病身しか記憶にないのだけれど。
 病気がちで丙種合格だった波郷のもとに召集令状が届いたのは、息子がやっと1歳を過ぎたとき。30歳の老新兵として召集された波郷は、敗戦半年前に陸軍病院から帰郷を命ぜられ一命を取り留めた。しかし、戦地で得た湿性胸膜炎は悪化し、戦後の時間すべてを病の療養のために過ごさなければならなかった。
 ある一日、夫婦は息子を「回転木馬」にのせてやろうと思い立つ。息子のたっての願いであった回転木馬だけれど、明日の命も知れぬ病身の父ゆえ、その願いをかなえてやったことがなかった。あと数日でまた入院という日、春の驟雨の中、父は誰もいない木馬に息子をそっとまたがらす。木馬は暗く静かに回り出す。最後の、家族いっしょの時間かも知れない、、、、。)

・妻去って春雨の音やや荒し 香西照雄
(妻が去ったのは何ゆえだったのか。帰らぬであろう妻の後ろ姿にかぶる雨音は荒くつらい)

・花曇る日々憂鬱に山椒魚 西島麦南
(井伏鱒二の山椒魚も憂鬱な日々をおくっていたことを思い出します。山椒魚にいじわるをされて閉じこめられた蛙が、山椒魚に向かって「別におまえを怒ってはいないんだ」という許しを与える部分を、作者は自らの改稿で削除してしまい、山椒魚をめぐる憂鬱はますます深くなった)

・若く死す手相の上の花ぐもり 野見山朱鳥
(母も姉も50代での死でした。母の没年も姉の没年もすぎて私はまだ生かされている。二人の分まで長生きをしようと思っています。私が生きて二人を思い出す間は二人とも私の中に生きているのですから)

・春霰(はるあられ)鬱勃(うつぼつ)ウッツンボッツンと屋根たたく音にたたかれている 春庭
(集合団地で屋根もない部屋に住んでいるのに、憂鬱な霰が心を打ち続けています)

<つづく>
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2010年03月27日


ぽかぽか春庭「施無畏」
2010/03/27
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(3)施無畏

 3月13日の新聞記事のなか、2009年度芸術選奨を受けた文学の部の『施無畏 柳宣宏歌集』を見て、施無畏(せむい)という語に目がとまりました。仏教語としては珍しくもないよく使われる語らしいのに、また、私もどこかで目にしたことがある語のはずなのに、意識して注目したのは初めてでした。
 「どこかで目にした」のひとつは、浅草の浅草寺。私も浅草寺の観音さまにお参りしたことがあり、本堂正面に「施無畏」と書いた額が掲げてあるのを無意識に見ていたはず。でも、大きな額の有り難い文字も、気にとめていなければ、心に残らない。施無畏とは観音様の別称でもあります。サンスクリット語(梵語)のabhayamdadaを漢語訳したのが「施無畏」です。
 大仏様の手の印、右の指の結びも「施無畏」を表しているのだそうです。

 両親と姉が眠っているお寺は曹洞宗で、お参りにいくと曹洞宗が発行している小冊子を渡されます。故郷から東京へ帰る電車のなかでさっと目を通し、家につくと捨ててしまっていたのですが、きっとその中にも施無畏について解説してある文章があったにちがいありません。衆生(生きとし生けるものすべて)の一人として、施無畏について復習しました。
 4月から国立2校、私立大学3校に出講する予定ですが、私立のうち2校は仏教系の大学です。講師室には仏教用語の辞典類も備えてあるのですが、私自身は1年に1度か2度墓参りをする程度の仏教徒ですから、日頃仏教用語を目にする機会もなく、まだまだ知らないでいる語が数多くあります。

<広辞苑>梵語abhayamdada ①三施の一。衆生を保護して畏怖の心を無くさせること。②観世音菩薩の異称
<大辞泉> 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)の恐れの心を取り去って救うこと。観世音菩薩の異称。
<仏教語大辞典(中村元編集)>無畏を人に施すこと。人の厄難を救うこと。おそれなき状態を与えること。一切衆生に恐怖の念をなからしめること。獅子・虎狼・怨賊・水火などから人を救って恐れることのなからしめること

 仏教でいう三施とは、三種類のお布施。
 法(真理)を施す「法施」は、寺の僧侶が檀家の衆生に施す法(真理)の教え。読経など。
 それに対して檀家が僧へお礼を渡すのが、財(金品)を施す「財施」。今ではお布施といえば、もっぱらこの「葬式や法事で読経してもらったお礼のお金」を指します。
 残りのひとつが「無畏施」です。人々が不安なく生きていくための施しを与えてくださるのが観音様。観音様を施無畏者と呼びます。

 『観音経』。お経の最後の方に「慈眼視衆生、福聚海無量、是故応頂礼」(じげんじしゅじょう、ふくじゅかいむりょう、ぜこおうちょうらい 慈眼をもって衆生を視、福聚の海無量なり、是の故に応に頂礼すべし。一切の人々を救おうという大慈悲心の功徳は海の水のように無量である。この故に、まさに一心に礼拝して汝らの模範とせよ。)と書かれています。
 観音さまは時と場合と相手に応じ、姿を変じて現われます。その姿は33にも変ずるので、三十三観音と言います。観音は「無畏」の布施をおこない、衆生の不安や恐怖を取りのぞきます。不安のない状態「無畏」を施す者、施無畏者が観音様です。

 このような仏教語は、仏教に詳しい人には常識であり、そうでない私には「この年になってようやくわかった」という語です。新しい言葉を知ることは、心の窓がひとつ開くこと。

 現実には、この世は不安だらけ。健康も明日の米も仕事も、当てにならないことばかりで、毎日を不安とともに生きているような人生。「施無畏」の慈悲には遠いような暮らしの日々ですが、なんとか生き抜きましょう。そして、自分もいつかは「ほっと一息」つけるような安心した気分を味わえる温かいお茶の一服のような文章を書くことができるように、文章修行を続けることといたしましょう。

 以上、プレ復活。東京の開花宣言、各地の花便りとともに少し憂鬱気分も薄らいできて、4月第一金曜日には、40年来の友K子さんをジャズダンスサークルにお誘いしていっしょにストレッチやダンスをしてみるつもりです。
 カフェコラム更新、4月から復活のつもりですが、「週に4~5回更新、ときどきさぼって1週やすみ」というくらいのペースでのんびりいきたいと思います。

<おわり>
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ブランコをめぐって

2011-02-26 19:03:00 | 日本語言語文化
2010/04/01
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(1)ブランコ

 sumitomoさんコラムで「なぜ鞦韆(しゅうせん)は春の季語なのか」という疑問があったのを見て、ここはひとつ知ったかぶりを発揮したいと思います。これが私の持ち味なので。「ことばにかけては専門家」という気概なしには日本人学生のワカランチン達に日本語学教えるのも留学生に日本語を教えるのもやってられない。日本語について、何かしら疑問質問を見つけたら答えるのが春庭の日常生活復活です。

 参考資料のひとつは青空文庫より原勝郎『鞦韆考』です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/24387_15654.html
 ウィキペディアの「ブランコ」についての記述など、多くの「ブランコ」の解説は、この原の著作からの引用孫引きコピーペーストでできあがっていますが、春庭の解説は、本日の記述の一部には原の考察を参考にしていますが、そのほか、民俗学民族学文化人類学などで学んできた雑学一般を動員して5回ほど連載します。春の復活祭蘊蓄自慢を、春庭といっしょにブランコに乗って、上がったり下がったりお楽しみください。

 民俗学や文化人類学では、「ブランコ乗り」は、広く世界に分布する「行事・遊び」であるとされています。古代ギリシアの行事という説明をしている辞書類もありますが、ぶらんこ乗り行事は、ギリシアからオリエント地方、アジア地域を含む広い地域に分布していたのではないかと思います。

 インドでは紀元前1000年ころのヒンドゥ教ヴェーダの記録としてブランコが登場しているそうです。(日本国語大辞典による「日国フォーラム季節のことば」には「紀元前2000年」ごろのヴェーダにブランコの記載がある、と書いてありますが、ヴェーダの成立は最も古い『リグ・ヴェーダ』が紀元前1,200年から1,000年頃、インド北西部で書かれていますから、「今から2000年くらい前に」の意味で紀元前2000年と書いたのではないかと思います。辞書辞典の記述でも疑ってかかれ、という見本です。)

 古代ギリシャやローマで、春に「ぶらんこ祭」が行われました。木の枝に縄を吊るし、女性達が命の誕生(子孫繁栄や作物の豊穣)を祈ってブランコを漕いだ祭です。古代ギリシャではバッカス神の祭りすなわちブドウの収穫祭「アイオラ祭」でもブランコを漕いだといいます。

 アジアでも、たとえばタイの山岳少数民族アカ族の伝統行事「ブランコ祭り」。収穫の恵みを乞う儀式であり、農作業を行う女性をねぎらう労働感謝祭でもあります。タイ山岳地帯の雨期乾期の2季の中では、毎年雨期が終わる9月初旬から中旬にかけて、ブランコ祭りが行われるそうです。

 韓国では、旧暦4月8日(釈迦誕辰日)から5月5日(端午の節句)まで、春の行事としてクネトゥィギ(長ブランコ乗り)が行われてきました。春の祭りとして男性はシルム(韓国相撲)で強さを競い、女性は特設の長いブランコ(クネ)でどれだけ高く上がれるかを競います。村の入り口や広場の木にぶら下げたり、足場を組んで作った長いブランコをどこまで高く漕げるか。女性が外に出て運動をする機会が少なかった韓国社会では、春の空気を思い切り吸って、身体を解放できる行事だったことでしょう。

 次回は中国と日本での 鞦韆について。

<つづく>
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2010年04月02日


ぽかぽか春庭「ゆさはり」
2010/04/02
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(2)由佐波利ゆさはり

 「鞦韆」は音読みでは「しゅうせん」ですが、俳句や短歌では「鞦韆」と書いて「ふらここ」または「ぶらんこ」などの振り仮名がついている場合もあります。現代中国語ではブランコを「秋千」と表記します。台湾の繁体字では「鞦韆」です。

 中国では冬至後105日目を「寒食節」と呼び、この日に女性が「ぶらんこ」をする行事が成立しました。元はギリシアやインドと同じように農耕儀礼の予祝行事(農耕開始前に秋の豊作を祈ってまえもって祝うのが予祝)だったのでしょう。
 寒食節の翌日が、二十四節季のひとつ清明節です。2009年に赴任したときの中国では、清明節は国家の休日とされ、3日連休となりました。

 ぶらんこは北狄(ほくてき北方の異民族。南蛮、東夷、西戎と共に、漢民族から見て文化が低いと見なされた異民族の呼び名)から中国にわたったという説があります。
 古代中国では、北狄が古くから行ってきた民族行事「シューセン(元の北狄のことばでどのように発音したかわかりませんが)」が伝わり、唐時代には公的な行事になりました。
 唐の玄宗皇帝は、ブランコに乗るとまるで羽化登仙(人間に羽が生えて仙人となり天に登ること)の感じを味わうことができるというので、これに「半仙戯」の名を与えました。

 春の行事「寒食節」のひとつとして、春の農耕を始める予祝行事として取り入れられたブランコ、シューセンという発音に漢字を当てはめて、秋千、秋遷、鞦韆などと表記されました。鞦韆という表記をしたのは、ブランコの紐が革製だったのかも知れません。

 日本でも、古くからアジア地域と同じようなブランコ乗りの行事はあったと思われます。倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には「由佐波利ゆさはり」という語が記されており、これがブランコの古語です。現代語の「ゆさぶる」や、オノマトペ(擬態語)「ゆさゆさ」などと同根の語と思われます。

 また、漢字で鞦韆と書かれた最初の記録は、平安初期に編纂された『経国集第11巻』の嵯峨太上天皇の漢詩とそれに和した滋野貞主の詩が本邦初です。

 『鞦韆考』を著した原勝郎は、もともと我が国にあった「ゆさはり」に鞦韆の漢字をあてはめたものなのか、鞦韆が唐から我が国に伝えられたのちに「ゆさはり」という和名ができたのか、あきらかではない、と慎重な記載をしているけれど、私は我が国にもともと由佐波利があった、と考える方が自然だろうと思います。農耕儀礼が稲作とともに日本列島に伝わったのは、漢字が定着するより前のことであり、唐から我が国に伝えられるまで、ブランコが存在しなかったとは思えません。広くアジア一帯でブランコ乗りがあったのですから、農耕とともに農耕儀礼も伝わったと見た方がいいように思います。

 唐でブランコ乗りが春の行事とされたのを受けて、日本でもブランコは宮中の春の行事となり、時代が下って俳句の季語が整えられたときに「ふらここ」「ふらんど」「鞦韆」は春の季語とされました。

 以上の解説が、sumitomoさんの「どうして、鞦韆が春の季語なのかしら~~と、気になっています」へのお答えですが、この後、ブランコ話は、延々続きます。

 「ゆさはり」のほかに、ふらここ、ぶらんこ、ふらんど、などの異称があります。現代の児童遊具としては、ブランコの名が浸透しています。
 児童の遊具として学校教育に取り入れられ、ほとんどの幼稚園や小学校に体育器具として設置されたのは、明治時代「富国強兵」の「強兵」を育てるべく体育教育が重視された頃からです。ドイツに留学していた「帰朝者」が「ドイツでは子供達がブランコを漕ぐことによって足腰鍛えている」と進言したと伝えられており、最初は西洋式のブランコが輸入されたそうです。体育教育史などにこのあたりの経緯は詳しく書かれているのかもしれません。

 全国各地どこの小学校にもあったブランコ。児童公園にも第一に設置されたのがブランコでした。私が幼かった頃も、園庭校庭にブランコはありました。幼稚園の庭や小学校校庭で、どれほどブランコを漕いだことでしょう。空へ吸い込まれるかと思うほど、高く漕ぐのが大好きでした。

 子供達が小さかった頃、団地の「仲良し広場」にあるブランコは順番待ちをしなければならないほど大人気。小さかった娘や息子をブランコに座らせてそっと背中を押してやる。さいしょは大きく揺れるのを怖がっていた子がキャッキャと喜ぶようになり、「もっともっと」と高く揺すってほしいとせがむ。やがて自分の足で漕ぐことを覚えて、もう背中を押さなくてもいいと言われるとき、親は子の成長を喜ぶとともに、ちょっと寂しい気もしたことでした。
 今は、、、、、娘息子をお花見に誘ったら「一人で行ってきなよ」と、背中を押されました。

<つづく>
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2010年04月03日


ぽかぽか春庭「春宵一刻値千金」
2010/04/03
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(3)春宵一刻値千金

 ブランコ文芸その1 蘇軾(1036~1101)「春夜」
 北宋時代の詩人、蘇軾(そしょく 別名:蘇東坡そとうば)にブランコを詠んだ有名な漢詩「春夜」があります。その第一句「春宵一刻値千金」はよく知られていますが、第4句に「鞦韆」が出てきます。蘇東坡は、食い気第一の私にとっては、大好物のトンポーロー(東坡肉:豚三枚肉の煮込み)の名前の由来になった人です。

春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈
シュンショウ イッコク アタイ センキン
ハナニ セイコウ アリ ツキニ カゲアリ
カカンロウダイ コエサイサイ
シュウセンインラク ヨル シンシン
(春庭拙訳)
 春の夜はほんのひとときでも千金のねうちがある
 花には清らかなかおりがあり、月には光がある
 楼台(高殿)から歌声と笛の音が微かに聞こえてくる
 ぶらんこのある中庭に、夜は静かに更けていく

 昼の間、少女達が笑いさざめきながら遊んでいたブランコが、誰もいなくなった中庭にひっそりとある。中庭に満ちていた春昼の光が目に残り、笑い声が残響として耳にある中、春の夜の密かに甘い花の香りと月の光が満ちている。かすかに聞こえる笛の音。春の夜は静かに時を刻む。

 ブランコ文芸その2 李商隠(812~858)「無題」(読み下しは、加藤徹明治大学教授による)
八歳偸照鏡、長眉已能畫。八歳 偸みて鏡に照らし、長眉 已に能く画く。
十歳去踏、芙蓉作裙衩。十歳 去りて青を踏み、芙蓉 裙衩と作す。
十二學彈箏、銀甲不曾卸。十二 箏を弾くを学び、銀甲 曽て卸さず。
十四藏六親、懸知猶未嫁。十四 六親に蔵る、懸めて知る 猶ほ未だ嫁せざるを。
十五泣春風、背面鞦韆下。十五 春風に泣き、面を背く 鞦韆の下。
(春庭拙訳)
八歳のころ、こっそり鏡をのぞいて大人のような長い眉を描いてみた
十歳のころ、芙蓉の花のスカートをはいて春の野原に出かけ、青草を踏んだ
十二のころ、お箏のおけいこをして、銀の爪をいつもはめてた
十四のころ、まだ嫁入りできない身を羞じ、家族の目を避けて暮らした
十五のころ、ブランコの下で顔を隠し、春風の中でひとりで泣いた
=======
 玄宗皇帝もブランコを愛好した唐の時代の詩人李商隠の作品。「春宵一刻値千金」のようには有名ではありませんが、少女の成長を描いた詩です。
 15歳で「オールドミス」となってしまったことを泣くなんで、唐時代の少女の乙女心が偲ばれます。私なんて、24歳過ぎたら「いきおくれ」と言われた時代に30すぎまで独身でした。

 姉の家の二階に住んでいて、中学校の国語教師をやめたあとは、姪の子守にあけくれました。姪をブランコにのせ、背中を押してやる。勢いがなくなって高く上がらなくなると「おばちゃん、押して」と催促する。「おばちゃんじゃなく、おねえちゃんと呼んだら押すから」というと、「おねえちゃん、押して!」「美人のおねえちゃんって呼んだら押す」「美人のおねえちゃん、押して」
 春の一日、ブランコは高く上がり後ろにとんでいき、ひねもす行ったり来たりかな。

 美人のオネーサン、32歳でようよう結婚。
 ブランコ大好きだった姪も、いつしか結婚離婚。今はシングルマザーで4人の子を育てています。姪の長女はこの4月に公立高校入学、長男中三。次女は中学入学、三女は小学六年生。ひとりでよくがんばっているなあと思います。

<つづく>
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2010年04月04日


ぽかぽか春庭「嵯峨天皇のブランコ」
2010/04/04
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(4)嵯峨天皇のブランコ

ブランコ文芸その3 嵯峨天皇雜言102,鞦韆篇一首『経国集巻11』より
 春庭、試訳。嵯峨天皇のブランコの漢詩「鞦韆篇」の現代語訳というのを、探したけれど見つけられなかったので、勝手に訳してみました。漢文授業をさぼったので、たぶん、間違いがたくさんあると思うので、乞う御指南。

 嵯峨天皇(786~842年)御製
幽閉人、粧梳早、正是寒食節,共憐鞦韆好、長縄高懸芳枝。
窈窕翻翻仙客姿。玉手争来互相推。繊腰結束如鳥飛。初疑巫嶺行雲度、漸似洛川廻雪帰。
春風吹休体自軽。飄飄空裡無厭情。佳麗以鞦韆為造作、古来唯惜春光過清明。
踏雲双履透樹差、曳地長裾掃花却。数挙不知香気尽、頻低寧顧金釵落。嬋妍嬌態今欲休。
攀縄未下好風流。数人把著忽飛去、空使伴儔暫淹留。
西日斜,未還家。此節猶伝禁火,遂無灯月為灯。鞦韆樹下心難歇、欲去踟躇竟不能。
(春庭試訳)
幽閉人:(冬の間)閉じ込められていた人々よ、
粧梳早:朝早くから化粧をし髪を梳いて、
正是寒食節:今ちょうど寒食節の日に、
共憐鞦韆好:共に鞦韆を楽しもう、
長縄高懸芳枝:良い枝に長い縄を高く懸けて。
窈窕翻翻仙客姿:仙女のような姿で美しくしとやかに翻って、
玉手争来互相推:玉のような手は互に鞦韆を押すことを競いあう。
繊腰結束如鳥飛:腰に結わえた布の紐は鳥のように飛びたち、
初疑巫嶺行雲度:初めは峰の雲を渡る巫女かと疑うほどだったが、
漸似洛川廻雪帰:ようよう洛川に似て雪が帰るところへ戻る。
春風吹休体自軽:春風はおのれの身体が軽くなるように吹き、
飄飄空裡無厭情:飽きもせず心を無にして空を漂う。
佳麗以鞦韆為造作:美しい女たちは鞦韆を作りあげ、
古来唯惜春光過清明:古来、ただ春光が清くあきらかに通り過ぎる。
踏雲双履透樹差:木々の間を突き通って、両足の履きものが行き来する、
曳地長裾掃花却:長い裳裾は、花を掃くようにひきずり、
数挙不知香気尽:香気は尽きることなく薫ってくる、
頻低寧顧金釵落:(鞦韆の上下につれて)金のかんざしがしばしば落ちてくる
嬋妍嬌態今欲休:女達がキャーキャーいう嬌声も少しは休んだらよいのに。
攀縄未下好風流:縄はまだ風流に上へ登り、
数人把著忽飛去:何人かはたちまち飛び去っていったが、
空使伴儔暫淹留:ともに長逗留することもある。
西日斜:陽が西に傾く頃になっても、
未還家:まだ家へ還らない者もいる。
此節猶伝禁火:禁じられた火が伝わっていくように、
遂無灯月為灯:月明かりになるまでこぎ続ける。
鞦韆樹下心難歇:まことに鞦韆の樹下の心は休む間もなく、
欲去踟躇竟不能:去っていくことをためらうばかり。
==========
 嵯峨天皇御製の「鞦韆篇」は、春の一日をブランコに乗って高々と漕ぐ女達の嬌声と、それを愛でる平安貴公子たちの雅な姿が彷彿としてくる漢詩です。春の光のきらきらしさや春風が見え、裳裾を翻してブランコを漕ぐ女官たちの楽しそうな声が聞こえてきます。

 漢詩のカの字も知らない私が下手な訳を試みましたが、どこかに名だたる漢学者たちの翻訳が出ていたら、教えてください。私の下手な現代語訳でも、この嵯峨天皇の一首がすばらしい出来の漢詩であることがよくわかりましたけれど、きちんと漢詩漢文を習った訳ではありませんので、テキトー訳です。

 私の訳はいいかげんですが、日本の漢詩について辛口の批評をすることの多い中国人も、嵯峨天皇ら『経国集』などの作品、空海の漢文などは高く評価しているそうです。中国語として読んでもよく意味がわかり、詩の形式をきちんと備えているということです。時代が下った日本の漢詩は、「和臭」があると言われ、中国語としては「中国人、そなこと言わないあるよ」みたいな語感になるそうです。私としては、日本の漢詩は日本の文芸なのだから、中国語として完璧でなくてもいいという考え方ですけれど。

<つづく>
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2010年04月05日


ぽかぽか春庭「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」
2010/04/05
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(5)ゆあーんゆよーんゆやゆよん

 日本の口語詩の中にうたわれたブランコ。学校のブランコ、サーカスの空中ブランコ、いろんなブランコがさまざまな詩情をゆらします。

ブランコ文芸その4 中原中也「サーカス」詩集『山羊の歌』より
幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして 今夜此処でのひと盛り 今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が 安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら) 夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

友川かずきによるギターと歌語り
http://www.youtube.com/watch?v=cAr4lC7hTv8&feature=related

ブランコ文芸その5 高見順「揺れるブランコ」『詩集 死の淵より』
  夕暮れの空地で
  ブランコが揺れている
  今し方まで子供が乗っていたのだろうが
  駈け去った子供の姿はもう見えない
  それはほんとは子供ではなくて
  すべてを心得ている
  しかし人の眼には見えない何物かなのだ
  そうだ ブランコだってその何物かと一緒に
  ほんとはここから消えたいのだ
  揺れているのはそのせいだ
  夜がその姿を隠してくれる前に
  自分からここを立ち去りたいのだ
  ここ 人がきっと立ちどまって
  暗い眼つきでブランコを見るここ

 ブランコ文芸その6 工藤直子「ブランコ」詩集『こどものころにみた空は』より
  さいしょに ゆりちゃんが ぶらんこしました
  ゆりちゃんは ようふくを おしりのしたに しいて
  そよそよ のりました
  わたしは ようふくを ひろげてのると
  かぜが すかすか きもちがいいのにと おもいました
  ゆりちゃんは おにんぎょうのように わらって
  ぶらんこから おりました
  つぎに そうちゃんが のりました
  そうちゃんがのると
  ぶらんこは ぎこんぎこんと うるさいのです
  つぎは わたしなので かおが わらえてきました
  ゆれている ぶらんこを おいかけて つかみました
  いち にの さんで ぶらんこを こいで
  あしを まげたり のばしたりしますと
  ぶらんこが どんどん たかくなります
  かぜが まえと うしろから ふきます
  すかーとが うみの なみみたいです
  ゆりちゃんも そうちゃんも ちいさくなりました
==========
 ブランコには、だれでも甘くなつかしい郷愁を感じます。詩のほか、テレビドラマや映画でも、ブランコというのは印象深いシーンを作るのに欠かせないアイテムとなっています。
 日本の映画で一番有名なシーンは黒澤明『生きる』でしょうか。死期をさとった市役所課長が、最後の作品として公園とブランコを作るというストーリー。公開時のポスターも、主人公の志村喬がブランコに座っている図柄です。
 デミル『史上最大のショウ』や、キャロル・リード『空中ブランコ』など、サーカスのブランコを前面に出した映画もありますが、ワンシーン、主人公がひとり寂しくブランコに座っていたり、恋人同士が恋を得た喜びを身体いっぱいに表してふたりで漕ぐシーンなど、ブランコは使い勝手がよい。
 新しいところでは、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の冒頭に、夕方の公園でハリーがひとりブランコに乗って、仲良さそうに帰って行く親子を見送るシーンとか。
 まっき~さん、「ブランコシーン・ベストテン」を「テーブル」に載せてください。

 ひところネットで話題にされていたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』のオープニング(CMでもよく登場します)。ハイジが乗っているチョー長い紐のブランコは、計算によると最高速度は時速60 km/hを超えるそう。ジェットコースターの落下速度でも50km/hなので、握力がそう強くもなさそうなハイジは、ぶっちぎれて落ちるんじゃないか、というのですが、、、、私たちはメルヘンの中に生き、信じたいことを信じ見たいものを見ているので、ハイジアルプスの空の中、時速60km/hのスピードで楽しそうに漕いでいます。

 そう、少々の危険はあるかもしれないけれど、ブランコを漕ぐ楽しみを子供から奪うのは悪しき安全政策だと思います。各地の公園からブランコ撤去が続くのは、事故があった場合の訴訟リスクを避けるための行政措置だそうですが、、、、
  いち にの さんで ぶらんこを こいで
  あしを まげたり のばしたりしますと
  ぶらんこが どんどん たかくなります
  かぜが まえと うしろから ふきます
  すかーとが うみの なみみたいです

こんな爽快感を知らずに成長するのは、安全ではあっても寂しいんじゃないかしら。


<つづく>
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2010年04月06日


ぽかぽか春庭「をとめすさび音読のすすめ」
2010/04/06
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(6)をとめすさび

 4月3日掲載の李商陰「無題」のブランコ漢詩に、春庭の下手な直訳をつけましたが、佐藤春夫(1892(明治25)~1964)が「をとめすさび」というタイトルの訳詩を作っていたことがわかりました。漢詩「無題」が「をとめすさび」というタイトルになっていて、「ブランコ」というタイトルではなかったので、サーチ網からこぼれました。

ブランコ文芸その7 佐藤春夫「をとめすさび」
  八つの歳人目をしのび
  まそ鏡とりてぞかける
  三日月の眉引ながく

  十の歳よき衣(きぬ)このみ
  若草の野べにあそぶと
  花芙蓉裳に縫ひとりぬ

  十二には琴をまなびて
  おもしろのしらべゆかしく
  琴爪もはづす間なしに

  十四には人目はぢらひ
  まゆごもり母の飼ふ子は
  嫁ぎゆく日をぞしのべる

  十五には春風に泣き
  うなだれてひとり立ちにき
  鞦韆(ふらここ)を背面(そがい)にしつつ
=========
 佐藤春夫による李商陰の訳詞は、五七調で整えられ、朗読すると心地よくことばが進んでいきます。十五過ぎても嫁に行けない寂しさをブランコの下で泣くという乙女心をうたった詩ですが、五七調で読んでいるうち、ブランコが往復するリズムにも似て、春風のなかで泣く乙女の姿はなんとも言えぬ高揚感に満ちてきます。
 そして、ブランコには高く上がる高揚感とともに、落ちて死ぬかも知れない落下へと向かう負の高揚もあるのです。(カイヨワの「遊びの四原則」のなかの「めまい」の感覚)
 ブランコは生命の高揚を生み出すとともに落下への負の高揚を繰り返す、そのリズムが死と再生の祭りとなるのです。

 ことばのリズムは大きな効果を生んでいます。
 留学生のための日本語授業を担当するようになってから22年。日本人学生のための日本語教育学や日本語学の授業を担当して10年になります。最近とみに、「意味がわからなくても、ことばのリズムや音響として音声を身体的に脳裏に刻みつけることの効果」を知らせる必要もあるのではないかと感じるようになりました。しかしながら、授業で扱うべき項目も多く、なかなか朗読の時間をゆっくりとることができないでいます。

 「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」も、「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいくわりんもふきとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」も、身体で感じてほしい日本語の響きです。ことばの音の楽しさを子供達に身体で感じ取ってほしい。

 昔は毎週1回やっていたのですが、最近は視覚障害者のための朗読ボランティアをする時間がなくなり、人に聞かせる音読の機会がないのですが、時々ひとりで本や新聞を音読しています。
 声を出すことは健康法のひとつなので、読経、詩吟、コーラス、カラオケ、音読、何でもよいから、一日のうち意識して集中的に声を出す時間をとるとよい。

 声を出そう今日の課題その1「をとめすさび」を音読してください。
 声を出そう今日の課題その2「サーカス」「揺れるブランコ」「ブランコ」を音読してください。

<つづく>
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2010年04月07日


ぽかぽか春庭「白いブランコ」
2010/04/07
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(7)白いブランコ

 声を出そう今日の課題その3「白いブランコ」を歌ってください。

ブランコ文芸その8 「白いブランコ」詞:小平なほみ 曲:菅原進 歌:ビリー・バンバン 1969年)

 ♪君はおぼえて いるかしら あの白いブランコ
 風に吹かれて 二人でゆれた あの白いブランコ
 日暮はいつも 淋しいと 小さな肩をふるわせた
 君にくちづけ した時に 優しくゆれた 白い白いブランコ

歌詞つきユーチューブ。
http://www.youtube.com/watch?v=pNn1kb1HUEM&feature=related

 「白いブランコ」は、歌っていても心地よい人畜無害な歌だと思います。
 そんな大甘のブランコに対して、以下の柳美里は、きりきりと切り刻まれるような、ひりつく思いに満ちています。
 柳美里 が最初に作詞した作品として、コアなゆうみりファンには知られているのでしょうけれど、私などブランコ文芸渉猟までぜんぜん知らなかった歌です。
 柳美里の本領発揮というか、椎名林檎やコッコと共通する尖鋭的な生と死のセンスが光っています。ブランコの落下が内包する死へと向かう感覚、生と死のあわいを行ったり来たりする感覚をブランコに乗せて揺れている感覚

 ブランコ文芸その9 「ブランコに揺れて」 作詞 柳美里 作曲 コイケタカヒロ  唄 奥田美和子

♪だれもいない11月の公園で ブランコに揺れて
剥き出しの夜のなか 月明かりでわたしの影が揺れた
わたしは目を閉じて揺れた
ポケットには剃刀 手首を切った
ブランコに揺られながら 行ったり来たり
ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの? 
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり、、、、、
♪だれもいない3月の海で 波に足を浸して 剥き出しの夜のなか
波にわたしの影が呑み込まれた わたしは目を閉じて揺れた
ポケットには薬 噛み砕いた 波に足を浸しながら 寄せては返す
ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの?
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの?
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり、、、、
============

 奥田美和子の歌唱を聴いてみたい人はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=KwU9Ynqx_CU

 ついでに「夜のブランコ」若い女性が夜のブランコで不倫相手を待っているって歌。
歌:谷山浩子歌詞付き(作詞・作曲:谷山浩子)
http://www.youtube.com/watch?v=wezTSNnHLGE&feature=related
歌:斉藤由貴
http://www.youtube.com/watch?v=20EVSXVScjk&feature=related

 「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」という三橋鷹女の高らかな「奪うべし」宣言に比べて、「夜のブランコ」ははかなげで、不倫相手を揺れながら待っている若い女性。「(結婚)指輪ははずして来て」なんて、弱気なことを言いながらひたすら相手を待つ姿勢に、「もっとしっかりしいや!と背中をドツキたくなる気分。ま、不倫にも強気も弱気も「いろいろあらーな」がいいってことでしょう。

<つづく>
06:42 コメント(3) ページのトップへ
2010年04月08日


ぽかぽか春庭「春の祭典」
2010/04/08
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(8)春の祭典

 4月7日は姑のお供で墓参り。ランチはシビックセンター25階の椿山荘で、上から後楽園のお庭の桜を見下ろしながら。昼ご飯は「さくら天ぷら御膳」ってのを頼みました。さくら天ぷら御膳とは、何のことはない、桜エビのかき揚げでした。
 昼食後は、後楽園の中を散歩しようかと思っていたのですが、雨も止まないし、お庭の中は雨ですべるだろうから、85歳の姑の足下を心配して桜散歩は中止。午後の時間があいたので、飯田橋で映画2本立てを見ました。

 1本は『ココ&イゴール』。恋多き女であったココ・シャネルが一時期イゴール・ストラビンスキーのパトロンになり、イゴールの妻と4人の子供ぐるみ自分の別荘に住まわせていた、というストーリー。

 バレエ・リュスの「春の祭典」初演シーンからお話しが始まります。初演当時、20世紀初頭に「新しい芸術」を打ち出したバレエ・リュス(ロシアバレエ団)の団長ディアギレフ、天才ダンサーで振り付け師のニジンスキー、作曲のストラビンスキー。
 ストラビンスキーの「春の祭典」大好きです。私も35年前に「春の祭典」を発表会で踊ったことがありました。あの強烈なリズムと不協和音、私の青春の音楽です。

 子供達がココの別荘のブランコに興じるシーンが何度が出てきました。イゴールはブランコに乗る子供の背を押し、形はよき父を演じていますが、心はココへの情念に沸き立っています。ワンカットだけであるけれど、ストラビンスキー夫人のカーチャが、ブランコに座っているというシーンがありました。

 幼なじみの従妹カーチャと結婚したイゴール。ロシア革命によって財産を失ったストラビンスキー夫妻は、ココの経済援助に感謝しながらも、カーチャは夫の心が自分から離れてしまうことに気づき、別荘を出て行く決意をします。経済的な苦労をかけ通しだった病弱な妻への呵責に苦しみつつ、ココの魅力から離れられないイゴールは、イメージの中で、カーチャがブランコに座っている幻影を見ます。夫とココの不倫関係に悩みながらブランコに揺れているカーチャ。

 強くて自立していて夫を奪おうとしているココの別荘に住まわせてもらっている境遇に我慢できない妻カーチャがじっとブランコに座っている姿は、「弱い妻のほうが強い」という感じを受けました。自立した女であったココは、シャネルNo.5の開発と発売に情熱を注ぐ生活の中、ブランコには乗るシーンはありませんでしたけれど、ブランコを一瞥したなら、「ブランコは漕ぐべし愛は奪うべし」と言ったに違いありません。

 イゴールは結局のところ、病弱な糟糠の妻を捨ててしまうことはできなかったし、イゴールと別れたあと、ココには新しい恋人も存在したのだけれど、偶然なのか神のはからいなのか、1971年1月にに87歳でココが亡くなると、その3ヶ月後、1971年4月に89歳でイゴールが死去しています。

 映画は、エンドロールが延々続いて、エンドロールに興味のない客が席を立って出て行ったあと、まだシーンが続きました。ワンカット、ココが登場しています。だから、エンドロールで席を立っちゃいけないのよね。

 ブランコは春の初め「寒食節」に「春の祭典」として高く漕ぎ競うものでした。どちらのブランコがより高く空の中へと吸い込まれていくのか、春の祭りは愛を揺らし続けます。

 映画館へ行く前、夫の事務所に寄ったのですが、夫の「話がある」は、私が身を削ってようやく貯めた「息子の学費」を、会社の運転資金に回したいから、来月まで貸してくれ、という「ご相談」でした。

 娘と息子は、「昔のテレビドラマでは、子供の給食費をとりあげてギャンブルに使ってしまうってのが典型的なダメ親父だったけれど、うちの父、息子の学費取り上げて趣味の会社経営に使っているのと、給食費をギャンブルにつぎ込むのと同じだってこと、自分じゃわかってないところがより一層ダメだよね。利益を生まない会社経営なんて、ギャンブルと同じ、消費するだけじゃん」と、評しています。辛辣な評価ができるところは父親似ですが、だからと言って母を助けてアルバイトのひとつもしようかとならないところ、いったい誰に似たのやら。

 服も買わず、靴も買わず、百円ショップの化粧品ですごしてきた妻は、「貸すべきか貸さざるべきか」揺れています。妻のブランコはただ揺れ続けるだけ、、、、「ブランコは漕ぐべし愛は奪われるばかり、、、、」

<つづく>
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2010年04月09日


ぽかぽか春庭「ふらここ」
2010/04/09
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(9)ふらここ

 歳時記に載っている春の季語、「ふらここ」「ブランコ」「ふらんど」。私は「ふらここ」という響きが好き。「鞦韆」は「ふらここ」または「ぶらんこ」などのルビがついていない場合、「しゅうせん」という音読でよい。

 BSの「俳句王国」の中で ブランコの兼題で句会をしてましたと、ろくじょうさんからのコメントありがとうございました。番組の中で紹介された句は「ふらここや ぐんぐん漕げば 無敵なり」「ふらここや 影も日向も 風の中」などだったそうです。
 私はこの番組を見逃してしまいましたが、数種類の歳時記を繰ってネット検索もすると、江戸の小林一茶、炭太祗から、現代の句まで「ブランコ俳句」「ブランコ短歌」が集まりました。

ブランコ文芸その10 俳句
・ふらここの会釈こぼるるや高みより 炭太祗
・ふらここや隣みこさぬ御身代 炭太祗
・ふらんどや桜の花を持ちながら 小林一茶
・ふらここのきりこきりこときんぽうげ 鈴木詮子
・ふらここや花を洩れ来るわらひ声 三宅嘯山
・日の暮れのぶらんこ一つ泣き軋る 渡邊白泉
・ぶらんこや坪万金の土の上 鷹羽狩行
・夜のぶらんこ都がひとつ足の下 肥あき子
・ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし 谷口智行
・鞦韆に腰掛けて読む手紙かな 星野立子
・鞦韆の十勝の子等に呼ばれ過ぐ 加藤楸邨
・鞦韆の綱垂る雨の糸に沿い 堀葦男
・鞦韆を父へ漕ぎ寄り母へしりぞき 橋本多佳子
・鞦韆に夜も青き空ありにけり 安住敦
・鞦韆にしばし遊ぶや小商人 前田普羅
・鞦韆の月に散じぬ同窓会 芝不器男
・鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
・鞦韆は垂れ罠はいま狭められ 藤田湘子
・鞦韆は垂るオリオンの星座より 山口青邨
・鞦韆や舞子の駅の汽車発ちぬ 山口誓子

ブランコ文芸その11 短歌
・月光の中より垂れて鞦韆がわが前にあり 死後もあらむ 塚本邦雄『驟雨修辞学』より
・カシミールカレーにしびる舌をだし鞦韆のごと垂らしあぬ午(ひる) 加藤孝男『十九世紀亭』より
・生きてこし生命かすかに揺らしつつ鞦韆に細き月をみてをり 志垣澄幸
・さっきまでムーミンがいたように揺れ鞦韆のあわき影もゆれたり 江戸雪『駒鳥ロビン』より
==========
 俳句も短歌も音読したとてたいして時間がかかるわけでもなし。大きな声だして読みましょう。「ふらんどや桜の花を持ちながら」「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」

<つづく>

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2010年04月10日


ぽかぽか春庭「秋千」
2010/04/10
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(10)秋千

 現代、短歌を趣味とする人々は多いので、万葉集も古今集もよく読まれていますけれど、漢詩つくりを趣味とする人は、明治以後極端に少なくなってしまいました。漢詩漢文を味わう能力を培うことをしなくなって、日本語言語文化の一端を私たちは失ってしまったのではないかと思います。

 李白杜甫の詩は高校教科書に載っていますが、嵯峨天皇はじめ平安の漢詩人たち。また江戸の漢詩人、たとえば女流詩人の江馬細香(大垣藩侍医江馬蘭齋の娘、多保)の詩など、教科書でなじんだ、ということはありませんでした。江馬細香の漢詩を読みたいと30年来思っているし、現代語訳がついた漢詩集も出版されているのに、なかなか手にとることもしないでいるのは、漢詩文に幼い頃から親しむ機会のなかった者の悲しさ。
 江馬細香と日本の漢詩文については2003/11/12の春庭コラム「おい老い笈の小文」に書きましたので、興味があったらどうぞ。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d44#comment

 漢詩文は日本語言語文化のひとつとして復権すべき時期だと思います。漢文を旧制高校などで学んだ世代がいなくなってしまい、戦後教育を受けて漢文を敬遠してしまった私たち以後の世代になると、和歌連歌、俳句にも影響を深く残している漢詩漢文を「自分たちの文芸」として味わうことのできる人々がいなくなってしまうでしょう。
 論語の素読とか、意味もわからず漢詩文を暗唱する、という教育を、私の世代は「封建的な形だけの教育」と考えて敬遠してしまいました。しかしながら、千年の日本語文芸史を考えるとき、漢詩文は日本語文芸の大きな部分を占めているのです。

 「春宵一刻値千金」も「春は曙やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」も、も声に出して柔らかい脳にしみこませておけば、日本語の響きや意味をおろそかにしない子供が育つという齋藤孝らの主張。
 この主張に批判も多いですが、まずは音として日本語を身につけるというのは、日本語の豊かさを知るひとつの方法と思います。

 「読む」という言葉を聞いたとき、多くは目で活字を追うことをイメージします。明治期までは「読む」といえば、声を出して音読することを意味しました。私は3.歳ころ文字が読めるようになって音読していましたが、あるとき、声を出さないと早くストーリーが追えることに気づき4歳では黙読になってしまいました。確かに黙読は早く読めるので速読には向くので、必要はあります。同時に音読、朗読、子供のための読み聞かせ、ということの必要も考えるべきです。

 英語優勢のグローバル化社会の中で、自分のアイデンティティを保ちつつ国際的に存在感を持って生きるには、母語の豊かな感性を受け継ぐことを成長の基本に置きたい。そのためには、母語による表現の多様性を味わって育つことが必要です。
 下手でもいいから、俳句でも短歌でも詩でもカラオケで歌うのでも、ことばに親しんですごすこと。その見本として下手な短歌を作ってみます。春庭ブランコ文芸。

ブランコ文芸その12 
・アカ族の秋千(しゅうせん)祭りの子供らは蒸かし餅米食いながら漕ぐ 春庭
・平安の春昼の風を裳にはらみ宮女鞦韆雲間へと跳ぶ(嵯峨天皇御製によせて)春庭
・公園にブランコひとつ建ててきて市役所課長の一生を漕ぐ(「生きる」によせて)春庭
・行ったり来たり宙ぶらりんの一生だったブランブランとブランコを漕ぐ 春庭
・「もっと高く!」我子の叫びし公園に、今一人来て思秋期を漕ぐ 春庭
・ふらここの頂より見るビルの間にスカイツリーは天めざし建つ 春庭
・ふらここや「今ここ私」の現在形未来へ向かって飛んでいけ今 春庭

 以上、日本語言語文化のブランコに揺られつつ、春庭は、1漢詩文の復権 2朗読の復権、声を出して読む時間を作ろう 3下手でもいいから言葉で表現しよう、この3つを主張いたしました。
 ハイジの時速60キロのブランコにはかなわないものの、あがったり下がったりお楽しみいただけたでしょうか。最後の春庭駄歌で、だいぶ気分が下がってしまったことと思いますが、これから高く漕ぎ上げるのは、それぞれの足で、空へ向かって蹴り上がってくださいまし。

<おわり>


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女偏をめぐって

2011-02-15 13:22:00 | 日本語言語文化
2010/04/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(1)女とホウキ

 掃除と片づけに追われた3月。大嫌いな掃除をこれほど集中して連続してした毎日は、結婚以来初めてかも。好きなことをやり続けるのに何の努力もいらないけれど、嫌いなことをやり続けるのはたいへんでしたが、なんとか洪水水浸しの部屋も足の踏み場が見えてきました。
 今の生活で、私自身は掃除が大の苦手ですが、掃除を「つまらない家事」と思って嫌いな訳じゃないのです。洗濯とお茶碗洗いはちゃんとやってます。掃除好きな人がうらやましいですし、松居棒などを考案したりする掃除名人を尊敬しています。
 それにしても掃除が苦手です。

 私と同世代と思われる月曜日の講師室でごいっしょするK先生が、留学生の漢字クラスの話をしていて「私、婦人の婦って漢字、大嫌いなのよ。左側が女偏で、右側はホウキって意味なわけでしょ。なんで女とホウキをくっつけると婦なのかしらって、腹が立つじゃないの。留学生に教えるとき、私はこの字は大嫌い、って言ってから教えるの。女だからってホウキ持って掃除していなさいとか、家事は女がするものって、決めつけるの古いじゃないの。女を掃除婦と思わないでほしいわ」と憤慨口調でおっしゃった。
 あ、それって違うんじゃないの、と思ったけれど、講師室ではいつも黙っている私が急に口を挟んでもよろしくなかろうと思って黙っていました。

 家事は女がするもの、なんて確かに古すぎます。宇宙飛行士山崎直子さんのご主人は、高収入の勤務先を退職して、妻を支えて子育てと家事を引き受ける主夫になりました。(専業主夫じゃなくて、ベンチャー企業を立ち上げた兼業主夫なんですけれど)
 イマドキ、「家事は女がするもの」なんて発言したら、セクハラ・パワハラ発言としてで総攻撃を受けます。

 私が「違うんじゃないの」と思ったのは、「家事=女がする」の部分ではなくて、「女と掃除を結びつけた語が婦人の婦」という部分です。「帚」は、掃除のホウキの意味だけではないのです。
 帚は、箒(ほうき)の異体字であるのはその通りですが、ほうき=掃除ではありません。
 K先生の口調には、掃除は「つまらない女の仕事=家事」で、大学で教えることは「つまらなくない女の高級な仕事」というように聞こえてしまうニュアンスが感じられました。「大学で言葉を教えることは、大学の教室を掃除する仕事より上等」というように言われたと感じて、私の考え方とは相容れない、と感じてしまいました。ちょいと過剰反応だったのかもしれませんが、これは、母が私に厳しく躾たことのひとつに関係しています。

 子供の頃、「屑拾い」という不要物を集めて回る人が我が家に「くず~い、おはらい」と言ってときどき回ってきました。あるとき幼い私は「屑拾いになりたくない、ぼろや屑はきたないもん」と言ってしまった。母は「屑拾いもごフジョウの汲み取り屋も、世の中をきれいにしてくれる尊い仕事なのに、おまえのように人を見下す者の心が一番汚い」と怒った。「百姓家のもんが会社員の妻になって、よかったじゃないの」と農家出身の母を見下す人もいた町の暮らしの中で、「仕事に貴賤はない、百姓生まれで何が悪かろう」と心に繰り返して、なにくそと思っていたころのことだったのでしょう。

 私が掃除嫌いなのは、「女のつまらない仕事」と思っているからではなく、向き不向きの問題。私に「一日中茶碗洗いをしていれば生活していけるようにしてあげる」と言って雇ってくれる人がいれば、私は喜んで一日中お茶碗を洗っている。私は洗濯や茶碗洗いなどの水をジャブジャブする仕事を、移動せずに一か所でしているのが好きなのです。掃除は、部屋の中をあちこち動き回らなければならず、私の好きな「頭をぼうっとしたまま手を動かす」という作業になりません。

 さて、ホウキとは、「掃除の道具」の意味だけではないだろうと私が感じていたのは、子供のころのおマジナイに関係しています。
 帚はなぜ女偏と結びついて「婦」になったのか、次回解説。

<つづく>
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2010年04月27日


ぽかぽか春庭「女と母木」
2010/04/27
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(2)女と母木

 母は世話好き人好きな性格で、いつもよそ様の相談に乗ったり、愚痴を聞いてやったり、午後のひとときは、近所の人と「お茶のみ」をして話し込むか、知り合いの相談に乗って就職を世話したりもめ事を解決したり、子供のころ私が育った家には来客が絶えませんでした。(今、妹がそっくりその性格を受け継いでいて、「ファミリーサポート」いうNPO活動に参加し、コーディネーターとして、人様の世話をしています)

 いつまでも帰ろうとしない「長っ尻」の客がいると、私と姉は客座敷の裏手に座敷ホウキを逆さまに立てかけておきました。姉が「こうしておけば、お客さんはすぐ帰る」というのです。姉は、母方の実家の祖母やアヤ伯母に教わったにちがいありません。
 今ではすっかり廃れてしまったこのマジナイ、うちの田舎の風習というだけでなく、全国的なものだったようです。東京山の手暮らしのサザエさん一家もやってました。

 なぜホウキなのかさっぱりわかりませんでしたが、バケツでもなく、ぞうきんでもなく、ホウキってことがミソのようでした。姉は「客を掃き出すため」と言っていましたが、だったら、掃き出す形にして置いたほうが効果がありそうなのに、なぜ逆さまに置くのかがわかりませんでした。

 箒は古くから神聖なものとして考えられ、箒神(ははきがみ)という神様が宿ると思われていました。ホウキの古語ハハキが「母木」と見なされたり、「掃き出し清める」ことが「母から子を出す」こととつながるとして、箒神は、産神(うぶがみ=出産に関する神)の一つと考えられていました。出産と結びつき、妊婦のおなかを新しい箒でなでると安産になると言われたり、ホウキをまたぐと罰が当たるという言い伝えもありました。

 茶道では、蕨の茎葉や棕櫚の葉を束ねて作る葉箒を露地にかけておくそうです。実際の掃除には用いられないこの葉箒は、「箒神」に通じるものがあるのかどうか。茶道の奥義を極めた人なら、葉箒の故事来歴をご存じなのかもしれません。教えてください。

 日本最古の箒は、2004年2月に出土した奈良県橿原市の西新堂遺跡の出土品。河川跡から5世紀後半の小枝を束ねたほうきが見つかりました。発掘を行った橿原市教育委員会の発表によると、霊魂を運ぶ鳥形木製品や雨ごいのため殺した馬の歯など祭祀具と一緒に出土していることから、掃除用ではなく、祭祀用と見られています。
 奈良市の平城宮跡からも3本の箒が出土しています。これは8世紀中ごろのもの。
 奈良時代の御物が保存されている正倉院には、孝謙天皇が神事で蚕室を掃くため使ったという箒が2本収蔵されています。

 文献で「ハハキ」の語が出てくる最初の語には、古事記の「帚持ハハキモチ」「玉箒タマハハキ」があります。「玉」とは人間の魂(霊魂タマ)のことを指し、「帚持」とは、葬列を組む際に祭具の箒を持って加わった人を呼び、その役目を指しました。
 万葉集にも帚の神事について詠んだ歌があります。万葉仮名では「多麻婆波伎たまばはき」と表記されています。

・玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため(長忌寸意吉麻呂 巻十六 国歌大鑑番号3830)
(鎌麻呂よ、玉箒につかう箒草を刈り取っておいで。むろの木とナツメの木の下を掃かなければならないから)
・初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒(大伴家持 巻二十4493)
(初春のそのはじめのめでたい今日、美しいほうきを手にとって年魂を掃き集めようとしている。その箒の飾りの玉の緒がきらめいて揺れている)。 

 758(天平宝宇2)年の正月の宴会で、時の権力者藤原仲麻呂が勅命によって宮廷の人々に歌を詠ませたとき、万葉集編者でもあった大伴家持は、揺れる玉の緒を読み上げました。時の天皇は孝謙女帝ですが、実際には女帝の母、光明皇太后の命令であったと想像しています。表面は年初を言祝ぎ、年魂を集める箒を詠んでいるのですが、言葉の奥には、権力者仲麻呂によって九州へ左遷させられるという運命を予感して年魂のゆらぎを詠んだのかも知れず、、、と、これは深読み。

 奈良時代における箒は、祭祀用の道具として用いられるなど宗教的な意味があったものが、平安時代には掃除の道具としての記録も出てきて、室町の文献では「箒売り」が職業として成り立っていることがわかります。ホウキが日常的な生活用品になったあとも、ホウキに宿る神への民俗意識は残り、長居の客にホウキを立てかけるような習俗も、私が子供のころまで実際に行っていました。今では電気掃除機やモップはあっても、ホウキで座敷を掃く家が少なくなってきたから、ホウキの民俗も忘れられていく運命にあるでしょう。

 漢字が作られた古代中国では、棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けて箒状にしたものを「帚(そう)」といい、酒をふりかけるなどして、廟(びょう)の中を祓い清めるのに使用していました。この帚の形を竹で作れば「箒」、「草」で作れば「菷」。「帚」を「手」にとって廟の中を祓い清めることを「掃」という。掃き清めて汚れを除くことが「掃除」。この「帚」の仕事を行うのが巫女などであることから、「帚」を付帯した「婦」の字ができ、女性全般を表すことになりました。

<つづく>
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2010年04月29日


ぽかぽか春庭「かかあ天下」
2010/04/29
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(3)かかあ天下

 故郷群馬県は、「上州名物、嬶天下(かかあでんか)と空っ風」と言われています。「群馬で強いもん、3雷(ライ)、2風、1かかあ」とか。夏の雷冬の空っ風は、ともにたいへん強い自然現象で、夏は赤城山と榛名山の間に毎夕雷が走るし、冬は谷川武尊から強い北風が吹いてきます。でも、それ以上に強かったのは、上州のカカアたち。
 女偏に鼻をつけて嬶(かかあ)。嫁とか姑とか姉妹とか、女偏をつけた家族関係語は多々あるものの、「嬶」は国字(日本で作られた漢字)だったということを、今頃知りました。
 これまたなぜ故に「かかあ」または「かか」は、女の横に「鼻」がくるのやら、かかあともなるといびきでもかくのかと、由来がわかりません。顔の真ん中にあるのが鼻で、一家の中心にいるのが嬶なのかも。

 一家のなか、嬶座(かかざ)と言えば、家内を取り仕切る「主婦権」を持つ者の座るところを意味し、いろりに面した横座(主人の座席)のわきで、台所に近い席が主婦の座席として定められていました。「北の方」とか「北の政所」に倣って北座と呼ぶ地域もあったし、食べ物を分配する鍋の前に位置することから鍋座(なべざ)鍋代(なべしろ)と呼ぶ地方もありました。

 主婦権の象徴として、「しゃもじ」を受け渡す地方もあり、姑が嫁に家政をまかせることにしたときを、しゃもじ渡し、へら渡し、飯匙渡(いがいわたし)などと呼び慣わしてきました。一家の家長である主(あるじ)の法的な権限は、明治民法で法文化されましたが、一家の家政を取り仕切り、食べ物の分配を司る主婦権は、民俗研究の対象になり柳田国男などが調査したのですが、法的な権限とはなっていませんでした。家庭内のことを取り決める裁量権が主婦にあり、家庭内の事は妻が決定権を持ち、夫は妻に従わなければならない、ということを「嬶天下」の語で表してきたのです。

 群馬県が伝統的にこの権利を強く保持してきたのは、江戸時代から養蚕業、織物業が盛んとなり、家庭内手工業を女性が取り仕切り、現金収入を女性の手で得てきたことが大きいと言われています。上州の女性は、家庭社会において家長に従属的な位置に甘んじることなく、養蚕織物業による自立をはたしていた、ということ。

 私の母の実家も、私が子供のころは桑畑を持ち、屋敷内に蚕棚を作っていました。私は上州で蚕がシャワシャワと桑をはむ音を聞いて育った最後の世代にあたるでしょう。また、家の中で、出荷した繭の残りを使って、祖母たちが屑繭を煮て家族の衣装のための絹糸を紡ぐのを見ていた最後の世代。蚕が育つ時期、「おこさま」というのは「お子様」ではなく、「お蚕さま」を指すことばでした。

 現代は女性も現金収入を持ち、家政を取り仕切るのは当然になっています。父は会社のから給料をもらうと月給袋を未開封で母に渡すのを「男の甲斐性」と思っていたようです。母は、その中から父の小遣いを渡していました。母の世代は「主婦は自分の思い通りの人生を過ごせなくてつまらない」という一方、「嬶座」「主婦権」がきちんと残っていた世代だったとも言えます。

 私?家に寄りつかない瘋癲夫(フーテンヅマ)を持ったために、最初から天下もへったくれもなく、自分で稼いで食べ物の采配をするほかなかったのだけれど、自分の人生、自分で決定してきました。愚痴は言うけれど、それは誰のせいでもなく、自分で決めた人生だからしょうがない、という「嬶天下」の覚悟は受け継いでいました。

 ひたすらナヨナヨと「あなただけが頼りなの」と、しなだれかかる風情を見せながら、結局はしっかりと夫を支配している女性のほうが「生き方上手」だ、と諭されたこともあったけれど、まあ私にはできない芸当だったので、私は私で、空っ風に立ち向かっていくしかありません。

 世間様は空っ風が吹き終わった後、春だかなんだかわからない寒い四月になりました。40年ぶりだかの四月の遅い雪もありましたが、ようやく、五月の薫風を迎えようとしています。しかるに、私の懐具合はいまだ寒風のなか。寒いです。私はカカア天下の地元出身だけど、嬶しているだけで、ちっとも「天下様」にはなれないんです。

<つづく>
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2010年04月30日


ぽかぽか春庭「女性と婦人」
2010/04/30
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(4)女性と婦人

 自分の妻を「うちのカカァ」と呼ぶ人、なんとなく昔風の職人気質の人を連想します。「ボクのワイフがねぇ」なんて言う人のイメージもわかります。同じ内容を表していても、時代によって語のイメージはかわります。K先生が「婦」という文字を嫌ったように、現代の一般社会では、「婦人」という表現は、古くさい女性のイメージを持ってしまい、「婦人○○」と呼ばれていた言葉のほとんどは「女性○○」に代わりました。

 「婦」という文字に違和感を感じる層が多くなったことを理由としたのか、「婦人」という語は次々に「女性」に変えられていきました。
 1994(平成6)年に国連「世界婦人会議」の名称が「世界女性会議」に変わり、近年では雑誌などで「婦人」よりも「女性」という表現が目立つようになりました。労働省は1996年度に「婦人局」の名称を「女性局」に変えました。「婦人」が残っているのは、中央公論新社の雑誌「婦人公論」や、雑誌社「婦人之友社」、病院の婦人科くらいのものかもしれません。

1949年から1997まで婦人週間というイベントがありました。女性が参政権を得た記念の行事です。1949年から続けられてきた4月10日からの一週間も「婦人週間」から1994(平成10)年に「女性週間」と変えました。しかし、婦人週間を女性週間と名称変更したものの、「女性週間があるなら、男性週間があってしかるべき」という意見が出されたのかどうか、女性週間は2000年には廃止されました。男女均等法も成立し、21世紀の今、女性のためだけのイベント週刊は不必要という判断だったのかも知れず、事業仕分けにひっかかる前に消滅。

 というわけで、漢字の成り立ちからいうと「女だからって、掃除婦と思われてこの漢字ができた」とK先生が憤慨するのは、少々事情が異なっていたことがわかりましたが、K先生の怒りを聞いていて、昔のウーマンリブの主張を思い出しました。
 ウーマンリブの人たちが、「社内掃除を女だけが当番として早出してまでするのは差別だ」とか「ミスコンテストは女性を顔やスタイルだけで見ようとするから反対」と主張したこともありました。

 確かに「女性だけが○○しなければならない」ということはないと思います。でも、ミスコンテストがあるなら、ミスターコンテストもしたらいいだけのことであって、ミスコンテストを批判してもミスコンがなくなりはしなかった。需要があれば供給がある。ミスターコンテスト、たとえば人気俳優を輩出してきた「ジュノンスーパーボーイコンテスト」。きれいな男の子を見るのは、HALオバハンも大好きです。

 今や家事ができない男など結婚相手として見向きもされない、、、といわれていますが、 現実の女性の地位は、果たしてどれほど男性に追いついたのでしょうか。
 現実はともかく、理念たてまえとしては男女差別をしている企業があったら批判されてしまうし、同一の仕事をしていて女性だけが給料が低いレベルや昇進に不利だったら、法律違反です。でも、現実にはシングルマザーの家庭の収入や生活水準はGNP上位国のなかで最貧ですし、女性の国会議員数や会社役員数でもまだまだ「後進国」です。

 春庭は「ウーマンリブ世代」です。いまやウーマンリブってのも死語の世界に行ってしまいましたが、昨今の論壇界ではフェミニズムバッシングも一段落したらしい。

 ウーマンリブというのは、女性解放運動Women's Liberationの省略外来語。1970年11月14日に第一回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、アメリカなど世界各地での女性解放運動は、1979年に国連総会で女子差別撤廃条約が採択されるなどの成果をあげました。

 日本での運動は男女雇用機会均等法の制定など一定の役割を果たしましたが、ウーマンリブという言葉そのものは、1980年代に入ると急速に廃れて揶揄の対象になってしまいました。ミスコンテストに反対して各地のミスコンを中止させようとしたり、ウーマンリブの活動家としてマスコミで名前を売っていた榎美沙子(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合、略称「中ピ連」代表)が日本女性党という政党党首として選挙活動を始めるなどして、心あるフェミニストたちが「ウーマンリブ」という言葉に拒否反応を示したためと思います。
 
 一時期、フェミニズムバッシングということが巷に氾濫し、「女は家に戻って子育てしていればいいんだ」とわめくオッサン方やら「子を産めなくなったババァは用なしだから、早いとこひっこめ」という知事とか出ました。

 女性が子育てと両立しながら仕事を続けようにも、夫は会社のサービス残業で帰ってこないし保育園は満杯で待機状態、という具合で、まだまだ女性が生きて行きやすい世の中にはなっていません。

<つづく>


2010/05/01
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(5)ウーマン

 最近の男女問題に関して、2010年1月に放送されたNHK「ためしてガッテン」の中で放送された「男女の脳構造の違い」ということが、講師室で話題になったことがあります。男性と女性では脳の構造に違いがあり(個人差はあるものの)女性の多くが脳梁が男性より大きい。女性の脳は「コミュニケーション言語野」「模倣あそび」「他者への共感能力」などの脳部位が発達していて「井戸端会議おしゃべり」「ままごと」などが女性に好まれることがわかった、という内容でした。男性の脳は「空間認識」「理論構築」などが女性より発達することがわかっているそうです。

 この「ためしてガッテン」は、2009年1月に放送されたNHKスペシャル「女と男シリーズ」の内容を焼き直しながら「女性に不得意なダイエット方法」と「女性にもできるダイエット」として放送していました。私も「ダイエット」というキャッチコピーに惹かれて見たのです。
 
 女性ホルモンや男性ホルモン、そして脳の発達部位の違いから、平均的な男女の間の平均的な差というのがあることはわかる。しかし、個人差というのはどうしても残るから、男性的女性がいても女性的男性がいても、男性になりたい女性がいても女性になりたい男性がいてもいっこうにかまわない。
 姉の夫の従妹は、前は従妹であったけれど、性同一障害の診断と手術を受けて戸籍も作り直し、男性として人生を生きていくことにしました。

 留学生に日本語ディベートの話題として「次に生まれるなら女性がいいか男性がいいか」というのを出すことがあります。最近の傾向として「女性がいい」という留学生が男女を問わず増えているので、日本以外でも昔とは男女問題の質が違っているのだろうと思います。
 私?もう一度女性がいいのだけれど、次は「生活力のある男性と結婚して、男にたよって生きることのできる女性」に生まれたい。あれ、これって、「女性は男性に依存して生きる」ってこと?いえいえ、子供の食い扶持を女の細腕で稼いできた経年疲労で疲れているだけの弱気発言ですから、お目こぼしを。

 女も男も、女になりたい男も男になりたい女も、女のような男も男のような女も、男が好きな男も女が好きな女も、そして私も、自分らしく自分の人生を歩いて行けるなら、それが一番。

 自分自身の選択で生きてきて、今は「女偏」の漢字、嫁も姑も、妹や姉と同じ感覚で受け入れることができるようになりました。女が古びたのが「姑」ですって?と眉つり上げずに、「古」には、女性が長い間身につけた経験への尊敬が込められている、と解釈すればいいのです。年老いた女性の子育てや家事の経験が生かせたから、人類は類人猿よりちょっと脳が発達した、という話は2009年2月5日~11日に連載しました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200902A

 「婦」という文字も、別段「女に掃除を押しつけるな」というように肩肘はらずとも、ホウキの持つ呪力を支配して家庭内を納めることのできる人が「婦人」というふうに解釈しておけばいいんじゃないかと思います。

<つづく>
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2010年05月02日


ぽかぽか春庭「女と密約」
2010/05/02 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(6)女と密約

 妙齢とか妖姚とか争妍とか娟々とか、嬌姿とか、艶っぽいほうの女偏の文字にはこれまでとんと縁がなかったのですが、女偏の文字、婦も嬶も妃も姫も姉も妹も姪も娘も嫁も姑も姥、人を表す文字だけでもたくさんあります。今回は、婦と嬶を中心に字面をながめ、あれこれよしなし事を並べてみました。

 私は母にとっては娘で、姉には妹で妹には姉で伯母には姪で、姑には嫁で、いろんな女偏をやってきましたが、「男女問題」になるような艶めいた人生模様には縁遠くて、、、健康オタクで元気な姑に比べると少々くたびれている嫁の私、おつむの方もだいぶくたびれていて、昨今の難しい社会情勢にもついていけずに遅れがちです。

 「女こどもにはわからない話だ」なんて大上段に言われると、キッとなってしまうのですが、実際難しい話はわからない私。世の中のこと、真剣に考えようとしても「男女問題」ということに話をすり替えると、なんだか下世話な下半身問題にしてしまえて、ワイドショウネタというか、私のような難しいことはワカランチンの類にとっては手っ取り早い話になるのです。これって実は危険なのだということ、40年前に身にしみたはずがまだまだ要注意の手法なんですね。

 1971年におきた沖縄返還協定締結時に起こった外務省機密漏洩事件もその典型的な例でした。
 沖縄基地をめぐる密約を佐藤元首相がアメリカ側と取り交わしていた、という事実を「国民の知る権利」として報道した西山記者に対して、検察側は「西山記者は国家公務員である女性事務官と「ひそかに情を通じこれに外務機密文書を持ち出させ」情報を得た、と追求し、報道や世論はいっせいに「国民の知る権利」「政府が国民を欺き、秘密裏に行っている行為」を追求することから「男女問題」にすり替える検察側政府側の思惑通りに動きました。当時学生だった私にとって、報道や世論というのは、このようにコロリと態度を変えるものなのだ、と目を見張る事件でした。

 この問題を追及したのが澤地久枝のルポ『密約 外務省機密漏洩事件』です。千野皓司監督によってテレビドラマ化され、1978年に朝日テレビ開局40周年記念として放映されました。
 原作者澤地久枝は、私が何度か「ものかきとして尊敬する女性」のひとりとして、石牟礼道子とともにその名をあげてきた人です。澤地の著作はどれも、綿密な取材、資料の掘り起こしにより、国民が知るべきでありながら知らされてこなかった歴史の断面を描き出してきました。
 最近澤地の著作を読む機会がなく、動静も見聞きしてこなかったので、持病の心臓病が悪くなっていはしないかと案じていました。
 しかし、80歳になる澤地さんはお元気で活躍しておられました。

 2010年4月9日、東京地裁(杉原則彦裁判長)は密約問題に関して、「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は不誠実と言わざるを得ない」として「外務省の非開示処分を取り消す」という判決を言い渡しました。外務省は未だに「ないものは開示できない」と言っているのですが、それならあったはずの文書をいつ誰が処分してしまったのか、外務省自身が追求する義務があります。外務省がないと言い張っても、アメリカ側では25年たった外交文書を公開するという法に基づいて、種々の沖縄関連文書が公開されています。

 私たちはひとりひとり働いた所得から税金を払い、また消費をするときに税金を払っています。この税金の使い道に関して、国民はそれを知る権利があり、政府はウソをついてはならない。当然のことです。国民の税金を、国民にないしょのままアメリカ軍基地のために一億千二百万ドル (当時のレートでは4兆円を超す金額。大卒者初任給が4~5万円くらいの時代です)の米国預託を行い、核持ち込みも容認していた。この隠蔽された政府の事実を報道した西山記者は職を失い、情報を流した女性事務官は離婚に至りました。その陰で、嘘をつき国民を欺いた側はのうのうと沖縄返還の功労によりノーベル平和賞までうけています。

 これら一連の報道を受けて、「密約 外務省機密漏洩事件」が、22年振りに劇場でリバイバル上映されることになりました。4月10日の劇場公開に先立ち、3月30日、東京・新宿の新宿武蔵野館で原作著者である澤地久枝がトークショーを行いました。久しぶりに澤地さんが公の席で語ったことを知って、いつまでもお元気で私の心の灯台になっていてほしいと思っています。

 「9条の会」呼びかけ人のうち、すでに小田実と加藤周一が故人となり、4月9日には井上ひさしも亡くなりました。澤地は持病をもつ人ですが、この問題に関しては、並々ならぬ意欲で語り続けています。以下は、映画公開に先立って澤地がトークショウで語ったことばのコピペです。

 「『密約』は私の2冊目の本なのですが、戦争で負けたことのツケがどう回るのか、本当に罪に問われるべきは誰なのか、主権者に考えてほしいという思いで書き上げました。国家機密がまんまと男女の関係にすり替えられたのです。今後の歴史のためにも政治責任を裁く法律が必要だと思います。主権者に知る権利ではなく、政府に知らせる義務があるのです。(略)昨年、我々は政権交代を達成しました。民主党がヨロヨロしているとしても、岡田(克也)外務大臣が表明した本事件に対する真相解明の姿勢を、きちんと見守らないといけない。弱体な政府は、弱体した主権者のもとにあるんです。私たちが強くなる以外に道は開かれていかないと思います。(略)私はいまだ何10年も怒り続けています。沖縄返還、つまりは第2次世界大戦の財務整理がどういう形で終始したかを私たちが追求できる唯一の争点が、日本政府が肩代わりした400万ドルの『密約』なんです。自分でも執念深いなと思いますが、私はこの『密約』にこだわり続けます」

 澤地は病身をかかえながら、さまざまな活動をしてきました。「こだわり続けます」と執念を語る澤地久枝には国民を欺く者への強い怒りと追求する姿勢を持ち続ける迫力があります。

 ひとりひとりの人間は弱く、権力に刃向かおうとするとたちまち「男女問題」なぞにすり替えられ、追い込まれてしまう存在です。でも、澤地さんらの真実を追究する姿勢を私たちも見習っている限りは、望まない流れに巻き込まれてしまわない覚悟を持ち続けていけるのではないかと思います。

 女偏に弱いと書いて「嫋」。なよなよと美しい様を表すのですが、国字で女偏に鼻をつけて「嬶」を作ったのなら、女偏に強いで[女強]という国字があってもいいでしょう。
 さて、この世知辛い世をもうちょっと生きていくだけの強さを持てるといいのですが、、、、がんばりましょう。

<おわり>
コメント

言語の多様性について2008年3月

2010-11-06 11:53:00 | 日本語言語文化
2008/03/07
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(1)タニとダン地名学

投稿者:acha1
越中には、沢と言う地名が有りません。本来 信州側には タニ谷と言う名称はありませんでした。
黒部川上流域の地図を見ると未だ名残が、入り込み域の違いがはっきりと判ります。
越中では、タニ=ダン→タンと呼んでいました。
そう言われて「祖母谷(ババダン)」を思い浮かべました(笑)(2008 2/28 13:34)
==========

 地名研究もさまざまなアプローチから研究が進み、地名学(ちめいがく、toponymy)は、言語学にとっても、重要な一部分をしめています。

 acha1さん、中部地方の地名の情報をありがとうございました。タニと言う地方もあれば、ダンと呼ぶ地域もタンというところもある。多様な地名は日本の言語文化の宝です。

 昔々の地形や歴史的な事実を伝える日本の地名は、日本の文化にとって、とても大きな財産ですが、各地それぞれに歴史を有してきた地名がどんどん消失しています。

 現在、各地で山間部の過疎化によって「字(あざ)」などが使われなくなったり、市町村合併によって、古い地名がなくなっており、また、長野の軽井沢が避暑地として有名になると、観光振興策によって沓掛宿は中軽井沢になるし、群馬県側も「北軽井沢」になるなど、多様化の逆の「画一化」が進んでいます。

 歴史的な地名がどんどんと消失している現在、古地図にも載せられないまま、古老のいいつたえなどで、地元だけで呼ばれていた地名などの収集がいそがれます。

 都市部では「地名改編」がすすめられ、多様な地名が「○○一丁目」「○○二丁目」というように、聞こえのよい名、通りやすい地名に変えられてきました。

 江戸時代、木挽町(こびきちょう)といえば、1606(慶長11)年に、江戸城造営関係の鋸匠を住まわせたところが起源。文字通り、木を挽く匠たちが住んていた町でした。
 そんな歴史を知らなくても、地名を見れば、最初は材木と関係したのだろうと想像ができます。

 木挽町はその後、芝居の町になりましたが、今では東銀座という地名になっています。地下鉄の東銀座駅を降りると、目の前は歌舞伎座。
 木挽町の歌舞伎座より、東銀座の歌舞伎座と、銀座を冠したほうが土地の値段も高くなるし、客も集まる。
 銀座は1丁目から8丁目まで、東銀座も1丁目から8丁目まであります。銀座だらけ。

 私は、「多様性」の信奉者なので、人の個性も、地名もことばも服装も、生き方も性的嗜好も、それぞれの人がそれぞれの好み、やり方を自由に選べる社会を望んでいます。「全員同じ」にそろえることを強制されるなんて、まっぴらごめんと思っています。

 思想信条の自由が認められず、全員斉唱でひとつの歌を歌わなかったからといって、職を追われたりするのは、私の納得できるところではありません。

<つづく>
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2008年03月08日


ぽかぽか春庭「マイマイとナメクジ・方言学」
2008/03/08
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(2)マイマイとナメクジ・方言学

 地名がひとつの名に統一されてしまうのも寂しいし、ことばをひとつに統一してしまおうというのも悲しい。

 カタツムリ、カサツブリ、カサツムリ、マイマイ、ツブラ、ツブリ、ツボ、デデムシ、デンデンムシ、ナメクジ、、、、各地にたくさんあった呼び名を「カタツムリ以外は認めない」ということになったら、それはおかしいですよね。

 現代日本語・標準語では「ナメクジ」は背中に家を背負っていないものを呼びますが、古代には、現代標準語でカタツムリと呼ぶものをさしていた、というのがわかっています。

 古書に「ナメクジ」という表現が出てきたとき、塩をまいて退治する家無き子のほうだけでなく、背中に家があるほう(現代語のカタツムリ」も含めて指していたとわかるのも、方言に「ナメクジ」が標準語のカタツムリを呼ぶ地方があって、「ナメクジ」が「背中に家がないほう」を呼ぶようになったのは、後代になってからのことだということがわかるからです。
 「カタツムリ」の多様な呼び方が、それぞれの地方に残されていたればこそ。
(古語のナメクジリは、現代語のゲジゲジなども含みます)


 「たったひとつの正しいこと」ではなく、「方言の多様性」「地名の多様性」、「思想信条の多様性」から「性的指向」に至るまで、どれも、それぞれの存在を主張して欲しいです。

 以下、サン語、また、「シングリッシュ(シンガポールイングリッシュ)」を紹介し、言語の多様性について、お話したく思います。
 また、外国語の発音について、いただいたコメントへの春庭返信を再緑します。

 標準的クィーンズイングリッシュでなければ英語ではない、と思うのも、お好みでどうぞご自由に。
 USAエリートの話す官僚的米語を「世界でもっとも通用する英語だ」と感じて、その発音を学ぼうとするのも、そのひとそれぞれの考えです。

 私は、アイリッシュなまりも、コックニーなまりも、南部アメリカなまりもオーストラリアなまりも、どれも「あたりまえの英語」と思っています。もちろん日本なまりの「カタカナ発音なまりの英語」も。
 どれかたったひとつの「正しいこと」を選ぶ必要のある場合もあるし、「多様であるのがいい」こともあります。

 「敵性言語である英語を話してはならない」という全体主義、軍国主義の日本の時代がありました。
 そのような考え方は、現代の私には受け入れがたいことですが、「世界標準語である英語に、たったひとつの正しい発音だけを認めましょう」という全体主義も、私はなじめないのです。

 「ナマリのある英語も、日本風発音のドイツ語も、それぞれにいい」と、私は感じています。

<つづく>


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2008年03月09日


ぽかぽか春庭「サン語①ニカウさん」
2008/03/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(3)サン語①ニカウさん

 インド人の英語が巻き舌R音でなまっていること、オーストラリア人の英語が「today」をトゥダイと発音するなどのなまりがあるのと同じく、日本語母語話者は、日本語のなまりで英語を話してかまわないと、私は思っています。

 むろん、「正しい発音の英語」という「規範」を求め続けるのも、ひとつのありかたです。
 ただ、私は、「全員いっしょにひとつの歌をうたえ、歌わない者を排除せよ」というのと同じくらい「たったひとつの正しい発音をせよ」というのも嫌いだ、という、私自身の「言葉についての指向」を大切にしようと思っています。

 アフリカのカラハリ砂漠近辺に住むサン族は、砂漠のまばらな灌木(ブッシュ)地帯に住み、かってはブッシュマンと呼ばれていました。

 1980年制作の映画『ブッシュマン』
 28年も昔の映画ですが、アフリカに残る狩猟採集の生活をおくる人々のことを、この映画で知った、という方もいらっしゃることでしょう。

 この映画が公開されたころの79~80年を、私はアフリカ・ケニアですごしたけれど、赤道以南の人々についてはほとんど知らなかった。

 『ブッシュマン』で主役を演じた本名ザウ・ゴマさん、映画の中の名は「ニカウ」さんは、日本でも大人気になりました。

 ニカウさんが来日して日本のテレビに出たとき、彼の本名を「ザウ・ゴマ」を、サン語の正しい発音で紹介してみようとした人がいたでしょうか。

 そもそも彼が「サン語」という言語を話すアフリカの民族であることすら、1980年の日本の人々は知らなかった。
サン語は、コイサン語族のひとつですが、コイ語とサン語はずいぶん異なっているそうです。

 ドイツ語英語の発音の正しさを気にかける人はいても、アフリカにも多様な文化があり多様な言語があることに注意をむける人はいなかった。
 自分が習った言語には「正しい発音」を求めるけれど、自分が知らない言語は無視されても、まちがった発音で紹介されても、気に掛けることはしない。

 サン語は、アフリカの少数民族の言語だから気にしなくていい、ということは、「メジャー優位」「大手優先」の社会常識なのでしょうけれど、社会の少数派、弱い方の立場によりそっていたい私には、寂しいことに思えます。

 いや、たとえ、ニカウさんが「サン語」を話すことを知っている人がいたとして、たぶん、サン語のクリック音(吸着音)は、日本人にはむずかしすぎるので、発音できなかったのかもしれないと思う。

<つづく>

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2008年03月10日


ぽかぽか春庭「サン語②クリック音」
2008/03/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(4)サン語②クリック音

 世界の言語のほとんどは、息を吐き出すときに歯や唇を使って音を加工し、言語音にしています。
 ところが、ごくわずかですが、世界には、息を吸い込むときに音を出して、この音を言語音として使っている民族もいます。

 この息を吸い込む言語音をクリックまたは吸着音と呼びます。
 コイサン語族は、クリック音を言語音として採用しているので、少数言語なのに、世界中の言語学者の注目を集めました。

 吸着音の練習をやってみましょう。

 まず、唇をとがらせてキスのマネをします。投げキッスするつもりで、チュッという音を出してみてください。
 このとき、息は外へ出ていきません。
 唇を丸めて息を出せば「ブッ」か「プッ」という音になります。息を吸い込んでチュッという音を出しています。

 では、次に前歯の透き間にチャーシューの破片が引っかかったと想像して、歯の裏に舌先をあてて、ツェッツェッと、音を出してみて。これも、まあできましたね。このツェツェのときも息を吸い込んでいるはずです。

 それから、舌先を口蓋(口の上側)にあてて、舌先のはじき音を作ってみて。舌打ち音です。これはできない人もいます。

 はい、ここまでは私もなんとかできました。
  次、舌打ちしながら同時にカキクケコと言ってみて。息を吸いながら舌を口蓋にあてる。
 カキクケコに似た音を作ろうとすると、どうしても私は息を吐いてしまうので、舌打ちと同時にカキクケコは言えません。

 私の言語学の師匠西江雅之先生は、授業中、簡単そうにこのクリック音を発音していましたが、私にはむずかしかった。

 サン語の吸着音は、私にとって、むずかしいけれど、英語もサン語も、わたしにとって習得しにくい発音があるという点では同じ。
 どの民族のことばも、他の言語にとってはむずかしい発音があるのです。

 LとRの区別ができないこと、英語の単語ひとつひとつに母音をつけて開音節で発音することは、日本語母語話者の特徴です。日本語では「dog」は「ドッグ doggu」になるのです。

 「英語のRとLの区別はどうしてもマネできない」
 「ドイツ語のRは、うがいするときののどびこをふるわせる音を水なしでやれと教わったけれど、できるようにならない」
と、劣等感を持ったことのある人に申し上げます。

 できるだけ原音に近い発音をしようと努力することも有意義なことでしょうが、母語でないことばの発音がうまくできないのもしかたがないと考え、ナマリは気にせず、コミュニケーションをしてください。

 「ドイツ語や英語の正しい発音」を気にかけるのに、サン語の正しい発音などだれも気にかけない、ということと、「英語やフランス語を話す外国人が、日本語を話すとき、少々なまっていても、上手ですねと大喜びする一方、身近な場所で働いているアジア系の人が、なまった発音で日本語をしゃべるとバカにする」ということは、裏表の関係にあります。
 
 「たったひとつの正しい言語」ではなく、なまりや発音のちがいを含みつつ、さまざまな言語が存在することを認め合い、そのなかで、通じ合える部分で互いを理解しあえばいいのではないでしょうか。

<つづく>
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2008年03月11日


ぽかぽか春庭「シングリッシュ①キャンキャンキャン
2008/03/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(5)シングリッシュ①キャンキャンキャン

 英語から発生した新しい言語であるイングリッシュ・クレオールの例として、パプアニューギニアの「ピジンイングリッシュ」を紹介しました。(2008/02/06の春庭コラム参照してください)

 シンガポールで発達しつつあるシンガポールイングリッシュ(シングリッシュ)を紹介しましょう。

 シンガポールはマレー半島の先端に位置する都市国家で、1965年に独立しました。
 マレー語、英語、タミル語、中国語(北京標準語ペキンマンダリン)、を公用語としています。

 430万人のうち、多数を占める330万人が中華系であるため、中国文化の影響がもっとも強い。
 公用語のひとつは北京語であるけれど、中華系の家庭の中で話されているのは、福建語または客家語と呼ばれる方言なので、だいぶ北京語とは発音がちがいます。

 イギリス植民地となっていたため、公用語のなかでは英語が中心であり、商業用語、学校教育用語は英語が最大勢力です。

 シンガポールの人々は、家庭内ではそれぞれマレー語やタミル語を母語として成長しますが、社会では英語を話すことが多くなります。

 ただし、日常生活においては、シンガポール独自の「シングリッシュ」とも言う英語なまりが通用しており、公的な場以外では、「シングリッシュ」が話されています。

 シンガポール政府は、このようなシングリッシュを嫌い、「正調クイーンズイングリッシュ」を話させようとしており、公教育の英語はイギリス英語が教えられています。
 しかし、実際に市民たちが買い物などの日常生活で使うのは、シングリッシュ、というのがシンガポール生活です。

 自然発生的にひろまる新言語は、禁止されても自然に広まる。
 話すのに便利だからです。
 シングリッシュの発音も福建語なまり、マレー語なまりなどがあります。

 シンガポールに赴任した日本人女性、まずは部屋を借りようとしました。日本との連絡はインターネットが命。
 日本人女性は、「インターネットを室内で利用できるか」と不動産業者にたずねました。
 「Can I use the internet in this unit?」

 業者の返事は、「できるに決まってまさぁ」
 これをシングリッシュで言うと、こうなる。
 「Can can can キャン、キャン、キャン!」
 小犬がにぎやかに遊び回っているような、、、、

 英語「Yes,, you can」が、「Can can 」になるのは、マレー語の「強調畳語」と言われる「単語をふたつ重ねて言う」方法が、英語にも応用されたからです。
 畳語は、シングリッシュの特徴のひとつとなっています。

 以下、シングリッシュ例文は、シンガポール在住経験を持つ伊藤真紀子さんのエッセイ「東京外語会会報」(2008//02/01)より引用させていただきます。

<つづく>

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2008年03月12日


ぽかぽか春庭「シングリッシュ②ジャランジャラン」
2008/03/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(6)シングリッシュ②ジャランジャラン

 マレー語の「歩く」は「Jalangジャラン」です。
 ふたつ重ねた畳語の「Jalang-Jalangジャランジャラン」は、「散歩する・旅する」の意味になります。
 インドネシア語も、ジャランジャランは「散歩する、旅する」。マレー語とインドネシア語のちがいは、大阪弁と京都弁のちがいほどです。

 ジャランジャランは、そのまま、シングリッシュ単語として通用しています。「Let's go JalanJalan」
 このほか、マレー語起源単語・福建語起源の単語が、多数シングリッシュにとりいれられています。

 中華料理を食べるときに「お箸いる?」と尋ねるときは「You need chopsticks ?」と、尋ねる。
 疑問文にするときに、助動詞Doを用いたり、Be動詞を文頭に出すという英文法は必要ない。語尾をあげて発音すれば、そのまま疑問文になる。
 返事は「No need.(要らない)」これでOK。
 簡明な文法表現です。

 シングリッシュには、福建語やマレー語の影響があります。
 公用語の北京標準語ではなく、現地の中国語である福建語からの借用語の例を紹介すると。

 北京語では、「太太タイタイ」は「奥様」の意味ですが、上海語、福建語、香港の広東語、と南にくだっていくと、北京のタイタイもより気安く呼ぶようになり、シンガポール福建語では、「太太タイタイ」は、「おばさん」と年配の女性に呼びかけるようなときにも、気軽に使われています。

 そして、タイタイはシングリッシュとしても、そのまま使われています。
「My taitai came here yesterday.」

 「何で来なかったの(姿を見せなかったの)?」と、欠席理由を聞きたいときは
「How come never show up? 」
 お気づきでしょうか。この文には「主語」がありません。

 日本語と同じように、「聞き手に尋ねていることや、話し手が行為していることが明瞭なときは、主語をはぶいてよい」という新ルールが適用されています。

 (日本語は、主語を「省いて」いるのではなくて、もともと「場の形成が出来ている=会話場面設定が出来ているとき、文脈のなかに話し手聞き手の情報が含まれているから、主語をいちいち言わなくてよい、というルールがあります)

 主語を省くシングリッシュに対して、「英語では、主語をはぶくことは許されない」なんていう受験英語の権化みたいなルールを持ち出しても意味がない。
 これで十分にコミュニケートできており、言いたいことが伝わっているのだから。

 政府側の「正調クイーンズイングリッシュを話そう」というキャンペーンと、一般庶民の「シングリッシュで自然にコミュニケート」のどちらが優勢になるのかは、まだわかりません。シンガポールが独立を果たしてからまだ43年しかたっていないのだから。

 シンガポール政府は「中国語は、シンガポール方言の客家語・福建語でなく北京語を話そう、英語はクィーンズイングリッシュ」という統制を行っていて、公教育や公共放送では、北京語、クィーンズイングリッシュになっています。

 「言語の統制」は、近代国家が国民に対してふるう権力のひとつの表現です。
 言語学を学んだ者の立場からいえば、「自然に通用するようになっている言語がもっとも強い」と、考えたいです。

 国家による言語統制、言語強制は、最小限に押さえたほうがいいと思います。
 統制は本当は「まったくなし」のほうがいいですけれど、日本でも「日常生活で常用する漢字」の字数を制限したりしています。

 名前の漢字の制限などはしだいに縮小されています。アニメ「耳をすませば」の主人公が「雫」でした。公開当時は「人名漢字」として認められていませんでしたが、その後、人名漢字として「雫」が認められ、現在放映中のテレビドラマ「薔薇のない花屋」の子役の役名が「雫」ちゃん。

 国家統制によって「雫」という漢字を人名に使えなかった、ということは、「国の力によって国民が使う文字を統制する」という国家権力をふるいたかっただけで、国民の生活に寄与するところは、ひとつもなかった。
 他の言語統制も、出来る限り少なくしてほしいと、私は思っています。

<つづく>

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2008年03月13日


ぽかぽか春庭「翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか」
2008/03/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(7)翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか

 すでに、ケータイ電話を使った翻訳システムが夢ではなくなってきているそうです。どらえもんの翻訳こんにゃく実現です。
 現在、「この発音が正しい」「この文法が正しい」と、ひとつにこだわっているよりも「なまりを含んで発音しても、文法まちがっていても、ちゃんと相手に翻訳してもらえるシステム」を研究していけばいいんじゃないでしょうか。

 大阪弁をシングリッシュに翻訳させたり、九州弁をカリブ海のフレンチクレオールに翻訳させたり、ことばの可能性は無限です。

 日本の人は「英語絶対主義」「正しい発音にこだわり、自分の英語が通じなかったことがあるとすぐ挫折する」「自分は英語ができないと思っている人は英語ができる人に劣等感を持つ」っていう人が多いみたい。

 私は、英語話者にもさまざまなナマリがあり、発音も多様なのだから、日本には日本語なまりの英語があってよい、という考え方です。
 日本語には各地に方言があり、多様な方言で多様な日本語表現ができる、と思うことと、「世界には多様な英語表現があってよい」と考えるのといっしょです。

 日本語の方言はいろいろあってよいが、英語は「正しい」発音をしてほしい、という人もいるでしょうし、日本語の標準語が「正しい日本語」だから、「方言はつかわないようにしましょう」という考え方の人もいるでしょう。それぞれです。
 私とは違う考え方もあるね、って、私は思います。

 「日本語にはRとLの区別はないので、日本人には、light とrightの区別はむずかしい」ということを、話相手にあらかじめわかってもらっていれば、それでコミュニケーションに不自由はない、と私は思っています。

 「日本人のred赤いとlead鉛は、同じレッドという発音になる」ということを、聞き手が承知していれば、すむこと。
 「my red car マイ・レッド・カー」と、日本人が言ったとき「あなたの車は鉛でできているのか」とか、いちいち聞き返さずともよい。だれが鉛製の車に乗るねん。
 食堂で、誰が「ライスlice虱」を注文するちゅうねん。このレストランはゲテモノ食堂か。

 多様な言語、多様ななまりを認めていく、という私のことばについての考え方に対して「いや、標準的な日本語、標準的な英語というのが必要だ」というのもひとつの考え方です。

 「世界標準」「スタンダード」というものは、何についても必要なことはわかります。
 かっては権力者の腕の長さなどを基準にしていたため、それぞれの国に長さの基準があったけれど、現在では、1メートルの長さというものは、国際標準規格があり、時間の1秒の単位もきっちりと決められています。

 私は、その「世界標準」がなくてもいいと言っているのではなくて、それぞれのコミュニケーションの場においては、それぞれのやりかたも認め合おうよ、と言っているのです。

 国内の日本語に関するなら、「標準語だけが正しい」のではなく、地域ごとの多様な方言を認めてほしいし、英語は英語で、地域ごとのなまり、方言があっていい、と思います。

<つづく>
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2008年03月14日


ぽかぽか春庭「ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな」
2008/03/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(8)ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな

 さて、日本語なまり英語ジャングリッシュJanglishでよい、という春庭の主張が、世界に理解され、ジャングリッシュで堂々世界に押し出していけることを願いつつ。

 janglishが英語方言として世界に通用するようになるまでに、ひとつの試みとして。
 英語発音がうまくいかずに英会話挫折した人のために、とりあえず、ジョン万次郎式の「聞こえたとおりに発音する」方法をお知らせしましょう。
 必要なのは、「これまで文字で習ってきた英語発音知識を一度リセットする」という柔軟な心です。

 「日本の学校英語の読み方」で教わってきたことをリセットする。
 中学などで英語教科書を音読させられた、あの膨大な努力がムダになるみたいにみえますが、過去に受けた英語教育は、伏流水となって必ず役立つので、「昔、音読させられたあの時間はなんだったのか、と、お腹立ちになりませぬよう。

 ジョン万次郎は、幕末から明治に生きた通訳です。
 漁師として海に出て難破。漂流していたところをアメリカ船に拾い上げられました。
 機転のきく万次郎は船長に気に入られ、アメリカ本土へ。耳から英語を覚えました。

 万次郎は、発音を聞こえたとおりに「Sunday→サンレィ」「New York→ニューヨゥ 」と、カタカナ書きにして覚えていきました。文字を覚えるより先に耳で聞き取ったので、文字sun+dayを知って、「day=ディ」というすり込みをする前に、Sunday はサンレィと聞こえたとおりにカタカナで覚えたのです。

 実際に、現在の英米人に万次郎がカタカナで書いた発音通りに話しかけると、十分意味が通じます。

 What time is it now?を、文字から覚える派は「ファット・タイム・イズ・イット・ナウ」と発音するのに対して、耳から覚える派は「ホッタイモイジルナ(掘った芋いじるな)」と発音します。

 実際に、英語話者に話しかけてみた実験結果がありますが、「掘った芋いじるな」のほうが、通じたのです。(テレビ番組のバラエティ企画として行っていた実験なので、検証が必要とは思いますが)

 文字から覚えようとする日本のおおかたの英語学習者に対し、万次郎の「耳からインプット、カタカナでアウトプット」のやり方を、現代に生かした人がいます。
 脳科学者の池谷裕二です。

 詳しくは『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則・ネイティブも驚いた画期的英会話術』(講談社ブルーバックス\1,050)をご参照ください。

・We had a lot of snow → ウィアダラーラスノウ
・Have you been to Seattle? → ハヴュベナセアロウ
・That is not what I meant. → ダーツナーッワライメンッ
・Give me some medicine. → ギンミスメデスン
・Say it again. → セイーラゲイン

 英会話が早すぎて聞き取れないとき、「もう一度言って」というつもりで「セイ イット アゲイン」と言っても、分かってもらえなかったら、よりいっそうあせりますね。

 そんなとき、再挑戦「セイーラゲイン、プリーズ」と言ってみて。
 パードゥンでも、ワンスモァプリーズでも、もう一度言ってください、と伝わればそれでいいのですが、「セイーラゲイン」お試しを。

 英語上達願望者やアメリカ留学しようかと考える日本人留学希望者にとって、ジョン万次郎式「カタカナで覚えるネイティブ風発音の極意」、役にたつと思います。

 もちろん、ジョン万次郎式カタカナ英語で万事解決というわけでもないし、このやりかたが一番というわけでもありません。
 よい部分もあれば、手直しが必要なこともでてくるでしょう。 

<つづく>


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2008年03月15日


ぽかぽか春庭「ドイツ語の発音」
2008/03/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(9)ドイツ語の発音

 日本における外国語の発音について、コメントをいただきました。
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投稿者:my********
 特に最近NTTのCFで流れるドイツ語の発音のいい加減さには辟易しています。 (2008 2/16 4:45)
==========
my******** さん掲示板に掲載した春庭回答(2008-02-16 15:59:17)を再録します。

 きっとmy********さんは、きちんとしっかりドイツ語を学習なさった方でいらっしゃるのでしょう。
 my******** さんは、ドイツ語を標準語基本の発音にのっとって歌ってほしいのですね。

 でも、これも、受け取り方しだいです。
 ドイツ語の方言を話す話者たちは、それぞれのなまりのある発音でドイツ語を語っています。

 NTTの歌がどこかドイツの方言のひとつなのか、日本風ドイツ語なのか、わかりませんが、my******** さんのお好みの「標準的正調ドイツ語」とは異なる発音のしかたで歌っていても、私はよいと思います。
 日本のCMソングであるなら、日本なまりがあってもかまいません。

 私は、言語多様性の信奉者なので、「地方なまりのある日本語の話し方」「外国語なまりの日本語」「日本語なまりの外国語」を、それぞれ「よし」としています。

 標準語や正調発音以外の言語を認めないというのは、言語ファシズムです。
 思想信条や信仰を「ただひとつのもの以外には認めない」という全体主義を好まないのと同じように、私は、言語を「ただひとつだけを正しいとする」のも、好んでいません。

 インドなまりの英語やオーストラリアなまりの英語など、私にはとても聞き取りにくくて、意味が分からないときもありますが、聞き返せばよいし、インド人が巻き舌発音Rでまくし立てているときなど、「発音を気にせずまくしたてられるのも、ヒンディ語と英語はともにインドヨーロッパ語で文法似ているから、簡単に覚えられていいよね」と、感心してしまいます。

 日本人が英語を話そうとすると、発音面でも文法面でも覚えにくい言語なので、苦労してしまいますよね。
 せめて発音面では、「日本なまり英語」を気にせず話せるように、「日本なまり英語を広める会」でも発足させたいです。

 thの発音ができなくても、RとLの区別ができなくても、英語米語話者が、「これは日本語母語話者の発音なまりなのだ」と、承知して聞き取ってくれれば、それで解決。

 そのかわり、韓国の人が「おはようごじゃいます」と、挨拶したとき、「ごじゃいます」は、韓国なまりなのね、と寛容に受け取れるようになってほしい。
==========
 以上、 my******** さん掲示板に記した春庭返信でした。

 「日本語CMのなかであっても、正しい発音でドイツ語をききたい」というmy******** さんの考え方もあってよいし、「多様なナマリを認めたい」という私の考え方も、あってよい。

 外国語の発音については、さまざまな問題があり、一概に「これがいい」とはいいきれないものがあります。

 私は「異質なもの、自分とちがうものを排除することなく、お互いに分かり合える部分をさぐりながらコミュニケートの可能性を広げていこうとする努力」を、続けていきたいと願っています。

<おわり>
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起承転結文2008年3月

2010-10-31 08:18:00 | 日本語言語文化
2008/03/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>作文のお稽古・起承転結文の練習(1)糸屋の娘は目で殺す

 私が暗記していて、空で朗唱できる漢詩は数少ない。
 漢字が難しいのは苦手だから、簡単な漢字だけでそらで書けそうな漢詩となると、さらに少なくなります。

 作文の授業で構成練習をするときなど、中国の留学生がクラスにいると、以下の詩を黒板に書いて、私が読み下し、中国人留学生に中国語発音をしてもらう。
 五言絶句(一行五文字で四行の詩)の代表的な漢詩。孟浩然の作。

 今時分の朝を描写している、人口に膾炙した詩です。
 中国語で読むと、音のリズムが心地よく、脚韻の響きがよくわかります。

[起]春眠不覚暁(春眠暁を覚えず)春の眠りは心地よく夜明けも知らぬほど 
[承]処処聞啼鳥(処処啼鳥を聞く)目覚めればあちこちで鳥のさえずりが聞こえる
[転]夜来風雨声(夜来風雨の声)昨夜の雨風は激しい音だったなあ
[結]花落知多少(花落ちること知る多少)花もどれほど散ったことか(春庭拙訳)

 五言絶句の構成は、起承転結。
起:書き出し、始まりの一句
承:書き出しを受けて話を続ける
転:視点を移して異なる場面や事象を描く
結:起承転をまとめて結びつけ、結語となす

 日本語が中国の文字と作文法を移入して文章の書き方を覚えて以来、起承転結は、詩でも散文でも、文章構成のお手本とされてきました。

 この起承転結は、だれにとっても間違いなくまとまった文章を書くための定型で、この型をふまえれば、安定した読後感を与えることができます。
 転の部分の転調に、意外性を含み、結の部分で起承転までが、がっちり結びつくと、面白みがでます。

 俗謡でこの構成を示してみましょう。
 この「俗謡によって起承転結を教えた」とされている漢詩人については、頼山陽(らいさんよう1780~1832)説と、梁川星巌(やながわ せいがん1789~1858)説があります。
 江戸後期同時代のふたりは交流していたので、どちらか一人が、ということでなく、頼や梁川たちの一派では広く使われた起承転結の例文なのでしょう。

起:京は本町 糸屋の娘
承:姉は二十歳で 妹は十九
転:諸国大名は 弓矢で殺す
結:糸屋の娘は 目で殺す.

 いろいろなバージョンがあります。
 姉妹の年齢、「姉は十六妹は十四」という場合もありますし、地名の「京は本町」の部分、「京は五条」のこともあり、大阪に変わることもあります。

 諸国遊覧の梁川星厳や頼山陽が、行く先々でこの俗謡を使って起承転結の構成を教え、地名はその土地その土地で入れ替えたのでしょう。
 「お江戸京橋糸屋の娘」でもよいし「上州前橋糸屋の娘」でも、よし。

 「転」の部分、姉と妹にまったく関係のない「諸国大名は弓矢で殺す」とショッキングな句がはさまれます。糸屋と弓矢が地口になっていますが、起承からは内容が飛んでいます。

 弓矢で殺す大名に対して、最後の句が、「糸屋の娘は目で殺す」
 同じ「殺す」でも、結句は「それじゃおいらも殺されたい」と思うほどの、鮮やかな結びになっています。

 糸屋の美人姉妹がたいへん魅力的で、その目をみた男たちがみな魅了されてしまうということが、転の部分のひねりでよく伝わるのです。

 累々と言葉を重ねて「糸屋の姉妹がどれほどすばらしい美人か」と述べるよりも、「大名が弓矢で殺す」のと同じように、ひと目見た者の心を射抜いてしまう魅力を持っていると伝えることによって、姉妹の美しさがはっきりわかります。

 これが言葉の力です。

<つづく>
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2008年03月23日


ぽかぽか春庭「自作解題「光の春」
2008/03/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>作文のお稽・起承転結文の練習(2)自作解題「光の春」

 私の文章作法は、思いついたネタがあると、頭からずらずらと書いていって、1000~2000字程度の文章ならば、一気に書き上げてしまいます。

 私がワープロを打つ早さは、話す早さと同じなので、1分間に人が話す内容(NHKアナウンサーがニュースを読むときの早さは、1分間に400字程度)は、1~2分で書きます。1000字の作文なら、書く時間は、漢字変換の誤変換訂正、校正などを入れて10分~15分くらいです。
 そのあとのそのままネットUPするものと、校閲推敲に時間をかけるものに分かれます。

 あとで、読み返してみると、ほとんどの場合、この起承転結または序破急の型になっているので、よほど、この形式が身についてしまっているのだなあ、と書き上げてから思います。
 それだけ起承転結の形式が受け入れやすく、自分で自然に書き上げてみたら、この形式になっていた、ということもあるのでしょう。
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投稿者:mackychan
起承転結を意識する前に小説とかシナリオ執筆の真似事をしてみて、読み返したらちゃんとそういう構成になっていたことに驚いた高校生のころ・・・教科書となる映画や小説から、知らぬ間にキチンと学んでいたということだったんですね。えらいぞ、ハナタレ小僧!(2008 3/22 6:24)
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 構成の意外性はないけれど、短時間でちゃっちゃと書き上げるためには、起承転結の形式はたいへん便利です。

 時事ネタなど、鮮度が命の内容の場合、書いてすぐUPすることもありますが、ほとんどは、書きためたものをアレンジしながら掲載しています。
 アレンジは、カレンダーに合わせた「季節風味」や、日常の出来事を加えながらUP前に書きます。

 2月末に掲載した「光の春」は、2月のはじめに書いたのですが、どうしても2月中にUPしたかったので、「カタカナ話」の途中に割り込ませました。
 
 「光の春」も、ささっと書いてあとで読み返すと、「起承転結」の定石通り。
起:「光の春」ということばの紹介、「光の春」という言葉を含むコメントをもらったこと。
承:気象キャスター倉嶋厚さんがロシア語のベスナースベータを「光の春」と翻訳したこと。
転:スベータという名のウラジオストックからの留学生を受け持ったこと
結:ことばはインターナショナルなものであること。カタカナ食べ物の出身地紹介

 02/27の「光の春」は、「てれすこ・カタカナ語のはなし」の最終回でもあったので、最後の「結」は、カタカナ語に関する全体の結びとなっています。
 もともとは立春のあたりに掲載しようと思っていた文章なのに、2月いっぱいカタカナ語の話が延長したために、ちょっと季節に遅れてしまいました。

 でも、まあ、一章のおわりとして、まとまりのよい「結」にするため、やや強引ですが「決着をつけ」ました。

<つづく>
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2008年03月24日


ぽかぽか春庭「自作解題「トースターのための瀕死の白鳥」
2008/03/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>作文のお稽古・起承転結文の練習(3)自作解題「トースターのための瀕死の白鳥」

 3月の「季節ネタ」は、「ひなまつり」でした。
 春庭コラム「ひなまつりのダンス」について、コメントをいただきました。ありがとうございます。

投稿者:wxm68971
トースターのことでこれだけ書けるのって、すごいことですね!(2008 3/6 10:10)
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 以下、自作解題「ひなまつりのダンス」

 年初1月に「車のエスティマが壊れた」という姪のmixy日記を読み、姪への返信として年末に壊れたトースターの話を、1000字程度書きました。
 「トースターのための瀕死の白鳥」の部分です。
最初にmixy日記に書いたときは、1000字足らずの短いコラムでした。
 このコラムはmixy1月に掲載しました。

 mixyに掲載している私のコラムを読むのは、姉の娘ふたり、妹の娘ふたり、の4人のみ。一般公開しているので、たまに姪の友達がくることもあるけれど。
 姪たちと日常を知らせ合う交換日記として、私は書いています。

 姪たちは、私がモダンバレエやジャズダンスの練習を30年以上続けていても、いっこう上手にならず、ますます太ってきていることを知っているので、太った身体で、「死にゆく白鳥」を踊る滑稽さを想像することができます。笑ってもらえます。

 カタカナ語の話が延びたので、カフェ日記への再録は、ひなまつりの話とからめて、3月掲載として再編集しました。
 もともとの文「1」に、再編集版は「2,3、4」を付け加えて、ひなまつりの話題にあうようにしてあります。

1 母がグリーンスタンプを集めていたこと。母の死後、スタンプ帖をもらい、トースターととりかえて、35年もの間こわれずに使いつづけたこと。
 川上弘美のエッセイ「ほかに踊りを知らない」を読んで、私は壊れたトースターのために「瀕死の白鳥」を踊ってやろうと思いついたこと

2 漫画「わさび」のスタンプ帖の話
3 ひな祭りの起源、紙雛流しのこと。
4 99年使われ続けた道具が「つくも神」になること。

 付け加えて読み返してみると、これもぴったり起承転結の定型になっていました。
 6段構成で、「起・承1・承2・転1・転2・結 (A BB’CC’D) 」という構成です。

起:(A)出だし。
 映画「青い山脈」の「古い上着よさようなら」の歌詞を出して、古いものを捨てる気分をもちだす。一抹の寂しさと、新鮮な気分。
 映画の公開年について書いたのは、筆者の年齢を読者に知らせるため。

承1:(B)Aを受けて
 トースターが壊れた話。トースターをスタンプ交換品として手に入れた話。

承2:(B’)
 母が集めたグリーンスタンプの話。漫画「わさび」のスタンプ帖の話によって、スタンプを集める意味を語る。母の日常生活への思いを書く。しみじみと。

転1:(C)
 ひな祭りの起源。流し雛は、紙雛を川に流すことによって、日常の汚れを祓う意味があったこと。母にとって、スタンプをあつめることや雛を飾ることは、ささやかな日常生活の集積であったこと。
 亡き母の思い出を語ることはいつだってウルウルもんである。

転2:(C’)
 川上弘美のエッセイ「捨てようとしている電話機のために、東京音頭を踊ってやった話」の紹介。
 トースターのために、「瀕死の白鳥」「ビヤ樽ポルカ」などのうち、どれかを踊ってやろうと考えて、「子豚のチャールストン」を選ぶ。自己戯画化は笑いをとるテクの基本。

結:(D)
 寿命99年の道具はツクモ神になるという伝説の紹介。
 寿命35年のトースターは、つくも神にはなれないけれど、風になってトースト風味の風をおくってくるだろう、という感慨。

 「ひなまつりのダンス」は、以上の「起承転結」構成になっています。

<つづく>

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2008年03月25日


ぽかぽか春庭「自作解題「トースターのためのチャールストン」
2008/03/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>作文のお稽古・起承転結文の練習(4)自作解題「トースターのためのチャールストン」

 もともとは、「瀕死の白鳥」だけだったダンスに「チャールストン」を付け加えました。アンコール受けてないのに、アンコール曲を重ねたその理由は。

 私の「現実の太いボディ」を知っている姪たちは、私が「白鳥」を踊る姿を想像しただけで笑えるけれど、カフェ日記を読む人のなかで、私の太さを目にしたことがあるのは、3人だけです。

 いくら私が、常日頃、カフェコラムの中で我が身の太さを嘆いていても、どうしても私の「品のよさ」が目立つあまり、「春庭が踊る瀕死の白鳥」を想像しても大笑いできない人もいる。
 私の「女性の品格」が高すぎるってのも、困ったもんです。(言わなくてもいいんだけど、ここは笑うとこですねん)

 「マイヤ・プリセツカヤの瀕死の白鳥」の気高さと、「瀕死の豚チャーシュー春庭」を対比するために、「5匹の子豚のチャールストン」替え歌を付け加えました。

 「ものを捨て去るときの一抹の寂しさの中に、再生への願いをこめる」というテーマを文章のなかに盛り込むために、この起承転結の定型構成がうまく働いたと思います。

 長年書き続けていますが、修行の道はまだまだ遠い。
 「文を書くことで身をたてよう」と、決意したのは6,7歳のころのこと。
 それからひとすじに、50年間書き続けてきました。

 50余年のうち、文を書くことが主な収入源だったのは、娘が生まれた年1983年から1歳になるまでの1年間だけ。
 雑誌連載ページの原稿料だけでは、娘のミルク代にも足りなかった。

 文を書くだけで生活はできず、ライター生活はあきらめました。
 娘とそのあと生まれた息子を養う費用が私の細腕にかかっていたため、私は教師として出稼ぎに励んできました。

 教える仕事、嫌いじゃありません。
 いやいや続けるにはあまりにも労働条件が厳しい仕事だった。労力に比べて収入の少ない仕事。
 もらったお給料以上の仕事をしてきた自負はある。 

 だけど、私の人生を考えたら、収入になるならないはともかく、やはり書いているときが一番楽しい。
 楽しいけれど、書きっぱなしでいるのじゃない。きちんと修行を続けているつもりなのです。

 「光の春」も、「ひなまつりのダンス」も、結果的に作文構成練習として、うまくいった。起承転結構成の散文例として留学生に読ませて、感想を聞いてみたいくらい。(教科書の文章読解で手一杯、自作の文章読ませてるヒマもないけど)

「新しい言葉を仕入れる」という仕入れインプットも、「仕入れたものを料理して出す」という作文アウトプットも、日本語教師の修行として日夜続けております。

 次回は、インプットのほう、新しい言葉の仕入れについて。

<おわり>


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翻訳練習ホテルカルフォルニア&コパカバーナ

2010-08-22 09:08:00 | 日本語言語文化
2010/09/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>春庭英語レッスン(1)ホテルカリフォルニア

 9月12日に無事終了したジャズダンスサークルの発表会。まだ撮影したビデオを見ておらず、自分の踊りの失敗点などは確認していないので、「うん、今日もよく踊った」と、踊るドクターに扮した東山紀之のセリフをマネして、自己満足していられます。実際は、2回転すべきターンは1回転ですませているし、あちこち細かい振り付けの間違いはあったし、、、、でも、お金をとって見せるプロダンサーではなし、おばさんたちが美容体操がわりに楽しむダンスなのですから、足が高く上がらなくても、ターンが左右逆回りになってしまっても、楽しく踊れればそれでよし。

 グループの発表曲は、私が踊ったインザムードとララドゥムのほか、もう一曲、イーグルスの大ヒット曲、ホテル・カルフォルニアがありました。私は振り付けを覚えられないので、踊らなかった。
 こちらも、たいていの人が一度は耳にしたことのある。不朽の名曲のひとつになっていて、私もこの曲をなじみのうたと思って聞いてきました。英語の歌詞、全部はわからないけれど、♪Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, Such a lovely placeという部分だけは、英語で歌える。

http://www.youtube.com/watch?v=7_Wcbts8jzY

 「ようこそホテルカリフォルニアへ。ここはすてきな場所よ」という部分だけは意味がわかっていたけれど、そのほかの歌詞の意味、これまで考えたこともなかった。
 英語の歌詞は二重の意味を持っています。日本語の短歌でいうところの「掛詞」になっていて、表の意味と裏の意味があるってことも、はじめて知りました。

 たとえば、♪So I called up the Captain“Please bring me my wine”
He said, “We haven't had that spirit here. Since nineteen sixty-nine”
 文字通りの意味は、
♪俺はキャプテン(給仕長)に「ワインを持ってきてくれ」と頼んだ
♪彼が言うには「1969年以来、ここには酒(スピリット)がないんです」

 ワインは醸造酒なので、spiritスピリット=蒸留酒ではない。どうして給仕長はワインを頼まれたのに、「蒸留酒はない」と答えるのか。
 「1969年のウッドストック以来、ロックミュージックは変質し、金儲け主義のロックばかりがヒットする。ウッドストックで盛り上がった反抗する精神=スピリット。ベトナム戦争に反対し権力者にもの申してきたロックは、安楽安易な快楽の中に落ち込んでしまってきた。もうロック魂にスピリットはない」これが裏の意味。
 spiritには、「酒(蒸留酒)」という意味と「精神」という意味が掛けてある。

 Captainも多義語で、部隊長、(陸軍の)大尉、(海軍の)大佐、(飛行機の)機長、(チームの)主将、(組織の)リーダー・長、などの意味を含む。表向きは給仕長にワインを頼んでいるのだけれど、裏の意味は「アメリカ合衆国のリーダーに向かって物言っていると考えることもできる。1976年、ベトナム戦争で精神を病んだ男たちがあふれていたアメリカで、キャプテン・USAはスピリットを切らしてWatergate 水の門に沈んだ。

 では、第一連から「裏表の意味」を見ていこう。

<つづく>
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2010年09月23日


ぽかぽか春庭「Hotel  California 訳詞」
2010/09/23
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語レッスン(2)Hotel  California

ホテルカリフォルニア イーグルス
http://www.youtube.com/watch?v=7_Wcbts8jzY

ホテルカリフォルニア(Hotel California 歌詞:春庭拙訳)
1)On a dark desert highway,  暗い荒れ野のハイウェイ
2)Cool wind in my hair, クールな風が髪にふれる 
3)Warm smell of “colitas” 生あたたかいコリタス草の(*colitasは、glass=草と呼ばれるマリファナなどと同類のもの)
4)Rising up through the air,  匂いがあたりに立ちのぼる 
5)Up ahead in the distance 遙か向こうに顔を向けると
6)I saw a shimmering light, ゆらめく光が見えてきた
7)My head grew heavy and my sight grew dim, 頭が重くて視界はぼんやり
8)I had to stop for the night. 今夜はここでストップ。泊まらなくちゃ
9)There she stood in the doorway, ドアのところに彼女が立ってる(彼女=ヘロイン過剰摂取で1970年に27歳で亡くなった伝説のロック歌手ジャニス・ジョプリンを指す)
10)I heard the mission bell ミッションベルが聞こえている(mission bell=教会の鐘→ミッション(任務)開始終了を告げるベル)
11)And I was thinkin’ to myself : 自分のために考えている
12)“This could be heaven and this could be hell”ここは天国?それとも地獄か
13)Then she lit up a candle, すると彼女は灯りをともして
14)And she showed me the way, 私に行く手を示してくれた
15)There were voices down the corridor, 廊下をいくといろんな声がする
16)I thought I heard them say  やつらの声が聞こえた気がする

17)Welcome to the Hotel California, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ
18)Such a lovely place, ここはすてきなところだよ
19)(Such a lovely place) ここはすてきなところだよ
20)Such a lovely face イカシた面々、
21)Plenty of room at the Hotel California, ホテルカリフォルニアには、部屋がいっぱい
22)Any time of year, 年中いつでも
23)(Any time of year) どんなときでも
24)You can find it here あんたの部屋はここで見つかる

25)Her mind is Tiffany-twisted, 彼女の心はティファニー捻れ
26)She got the Mercedes Bends, 曲がったメルセデスを手に入れた(*曲がったメルセデスMercedes BendsとMercedes-Benzを掛けている )

28)She got a lot of pretty, pretty boys 彼女がトモダチって呼んでいる
29)she calls friends 大勢のかわいい男娼(ボーイ)たちをひきつれて
30)How they dance in the courtyard, 中庭でダンスを踊ってる
31)Sweet summer sweat スィート・サマーが汗(スェット)になるまで
32)Some dance to remember, 覚えているためにダンスを踊る奴もいるし
33)Some dance to forget 忘れるために踊るやつもいる

34)So I called up the Captain それでキャプテン(給仕長)を呼んだのさ
35)“Please bring me my wine”「俺のワインを持ってきてくれないか、この俺に」
36)He said, “We haven’t had that spirit here 返事はこうだ「あいにくと、切らしております。そのスピリット(酒/精神)は
37)Since nineteen sixty-nine”1969年から
38)And still those voices are calling from far away, そしてまた、奴らの声が遠くから呼びかけてくる
39)Wake you up in the middle of the night 真夜中でもおまえは起こされる
40)Just to hear them say: ほら、その声が聞こえてくる

41)Welcome to the Hotel California, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ
42)Such a lovely place, すてきなところさ
43)(Such a lovely place) すてきなところ
44)Such a lovely face イカシた面々が
45)They’re livin’ it up at the Hotel California, ここに住み替え
46)What a nice surprise, ナイスにびっくり
47)(What a nice surprise) なんてイカシたサプライズ
48)Bring your alibis あんたのアリバイ持っといで(alibisアリバイ=不在証明書)

49)Mirrors on the ceiling, 天井のミラー
50)The pink champagne on ice,  氷の中のピンクのシャンペン。
51)and she said:“We are all just prisoners here, 彼女は言った「ここじゃ皆が囚人だわ」
52)Of our own device”自分から縛られた囚人
53)And in the master’s chambers さ、牢名主の部屋に
54)They gathered for the feast, 皆で集まり祝宴だ
55)They stabbed it with their steely knives, とがったナイフで皆が突き刺す
56)But they just can’t kill the beast だけど獣は殺せない 

57)Last thing I remember, 覚えている最後のことは
58)I was running for the door, ドアに向かって走っていたこと
59)I had to find the passage back to the place I was before, もとの場所に戻る通路を見つけなきゃならないんだ
60)“Relax,” said the night man, 「リラックスして」と夜警が言った
61)“We are programmed to receive, 「受け入れるってことはもうプログラミングされてるのさ
62)You can check out anytime you like… 好きなときにいつでも(この世を)チェックアウトできるさ
63)but you can never leave” でも決してここからは逃れられない、、、、、」

 グラスの匂いが満ちた荒れ野の向こうに立つホテルカルフォルニア。ヘロイン中毒で死んだジャニスが、自由の女神のように、灯りを掲げてドアに立つ。天国なのか地獄なのか、1969年からスピリットを失ったままのアメリカで、人は自分自身を囚人にする。さあ、不在証明を持って、ホテルの部屋で宴会だ。
 朦朧とした意識ですごすこのホテルを出て最初の場所にもどろうとしても、決して逃げ出すことはできない。チェックアウトはできるけれど、ここから逃れることはできないのだ。

<つづく>
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2010年09月24日


ぽかぽか春庭「ホテルカリフォルニアの文体」
2010/09/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語レッスン(3)ホテルカリフォルニアの文体

 二重になっている裏の意味を日本語で理解してみると、「ホテル・カリフォルニア」から荒涼としたアメリカの精神風土が見えてくる。
 ダンスと祝宴でにぎやかだけれど、どんなにリラックスしても悪夢のようなホテルからは、逃げ出すことはできない。彼女はボーイたちを「トモダチ」って呼んでるけれど、ボーイたちは彼女を取り巻いているだけ。人は自ら囚人になり心の牢獄に閉じ込められる。そこは安楽安逸の場所だけれど、決して外には出て行けない。ラストチェックアウトとは、この世を出てチェックアウトすること、、、、

 この一種異様な雰囲気が漂うホテルカリフォルニアの不気味な不安な雰囲気がどのようにして生み出されているのか。この詞に表裏の二重の意味があり、比喩表現が多用されていることは、多くの評者が指摘していることです。私はそれを読んで、「へぇ、そういう意味が掛けてあったのか!」と、思いました。

 もうひとつ、この歌詞は、英語の文としては奇妙な文体に感じられる、という批評があり、春庭にとって、「私の専門領域」に関わることなので、詳しく述べておきたい部分なのですが、てっとり早く言ってしまいます。
 ホテルカリフォルニアの英語の詩には、英語のもっとも典型的な統語(文の組み立て)である「動作者プラス意志動詞」という形がでてこないのです。

 英語は「主語+スル動詞(動作動詞)」で文を組み立て、常に動作者・行為者が中心になって対象(他者)に向かって意志的な動作を行っていくことを述べる言語です。一方日本語は、「話題のヌシ」を先に出し、話題のヌシについて、情報を語り「状態がどのように推移したかという状態変化」を説明する。「話題(トピック)+解説(コメント)」を中心に語ることが日本語表現です。

 ワインボトルの栓がなかなか抜けないで手こずったあげくに栓がポンと抜けたとき、「わっ、私は瓶の栓を抜いた!」と、自分の行動を意志他動詞を用いて語るのが英語表現であり、「わっ、栓が抜けた」と、栓を「話題の中心」に設定し、栓がどうなったのか、ということを無意志の自動詞によって状態の変化として語るのが日本語表現です。

 ホテル・カリフォルニアの英語詩をもう一度じっくり眺めてみると、、、、英語文の基本である「私+意志他動詞」という型の文が少ないことに気づく。
 わずかに「俺にワインを持ってきてくれ」という部分が、他者に対して「私」の意志を鮮明にしている文になっています。「 I called up the Captain.」という文には他者に対する働きかけが表現されていて、英語の通常の「意志他動詞」が使われている。しかもこの「ワインが欲しい」という意志は、即座に「1969年以来、ここでは酒を切らしている」と、否定されてしまう。
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 コメントや足跡のご指摘により二ヶ所の訂正をしてあります。
 ひとつは、ホテルカリフォルニアの英語歌詞を見るためにリンクした先が削除になっていたこと。著作権の関係で原詩付きの歌唱をyoutubeに載せると削除対象になるのかと思います。別のリンクを再掲載しました。toukuroさん、ご指摘ありがとう。
 もうひとつは、ホテルカリフォルニアがヒットしたころの大統領「キャプテン・アメリカ」の名を勘違いしてしまったこと。カリフォルニア→カリフォルニア州知事→大統領という連想でレーガンと書いてしまいました。1969年1月に大統領宣誓をして、2期目を全うできずに辞任したのはニクソンでした。訂正しました。chiyoisozakiさんご指摘ありがとう。これからも何かとボケかますことが増えるだろうと思いますが、みなさん、ご教授よろしくお願いします。

<つづく>
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2010年09月25日


ぽかぽか春庭「意志動詞と受身形」
2010/09/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語レッスン(3)意志動詞と受身形

 日本語ではごく普通の感覚で受け止めることができる冒頭「On a dark desert highway, Cool wind in my hair, 暗い荒れ野のハイウェイ クールな風が髪にふれる」というの部分も、意志動詞中心の英語表現であるなら、「I let my hair stream in wind.私は風に髪をなびかせる」と、「I」の意志と動作を前面に押し出すほうが、自然な英語表現と感じられる。

 日本語は「私」を前面に押し出さず、「自然な状態の推移」を述べることが中心の言語ですから、このホテルカリフォルニアの英語詩を見ても、特に違和感を感じないで受け取るのですが、英語母語話者がこの詩を読んだとき、なんともいえぬ気味の悪さ、自分の存在がどこにもないように感じる不安感が、詩全体にただよっている気分がするという。

 一方、ジャニス・ジョプリンへのオマージュとして書かれたというこの詩の「she」は、常に意志動詞で行動している。
she lit up a candle. she showed me the way. She got the Mercedes Bends. She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends.
 作詞者にとて、彼女ジャニスは、意志を持って歌い意志を持って行動し、最後にはヘロイン過剰摂取という死に方まで彼女の生き方を示すものとして選びとった、意志的な女性として描かれている、ということだろう。

 私には英語ネイティブの言語感覚についてきちんと検証を出して語るという能力がないので、この歌を聞くリスナーの違和感というものがどの程度なのか不明だけれども、できる限り意志動詞で行動を述べる英語表現にとって、この詩のように視点人物の見たこと、聞いたことが無意志動詞で描写され、意志動詞の行動が「 I called up the Captain.」ただひとつというは、尋常ではないというのは、わかる。

 意志動詞というのは、動詞を意味によって分類するときのひとつの分け方です。「きのう私は外出先で財布を落とした」とき、私は自分の意志で自らが「財布を落とす」という行為をしたのではない。うっかり気づかないうちに財布は私の身から離れた。このときの「落とす」は、他動詞ですが無意志動詞です。このとき、対象物である財布を主語にして、受け身文を作ることができません。「財布は私によって落とされた」は、日本語として不適切です。
 一方、「ガリレオは、ピサの斜塔からふたつの玉を同時に落とした」というときの「落とす」は、ガリレオが自ら意志を持って落とすという行為をしているので、意志他動詞。この場合は、「重さの異なるふたつの玉がガリレオによってピサの斜塔から落とされた」と、「ふたつの玉」を主語にして受け身(受動態)の文にすることができます。

 日本語は、状態の変化や事態の推移を認識の中心におき、話題を選んでそれを解説するということが表現の中心になります。動作者・行為者の動作行為を述べるよりも、話者が存在している場面全体がどのように推移しているのかを述べます。

「踊る」「記憶する」「鍛える」は意志動詞です。ホテルカリフォルニアの中庭で、ある者は記憶のために踊り、ある者は忘れるために踊るSome dance to remember, Some dance to forget 
 
 以上、ホテルカリフォルニアの歌詞を見て、意志動詞無意志動詞の使用について、気になったことを述べました。
 では、意志動詞で表現しましょう。私は、、、、100歳になっても自分の足で踊るために、今から筋肉鍛えているのよ、、、、 Such a lovely place, Such a lovely place......
 これでホテルカリフォルニアについての話はおしまい。

<おわり>



ペーパームーン 春庭:訳詞
I never feel, a thing is real 本当のことだとは思えない
When I'm away from you あなたから離れていると
Out of your embrace あなたの抱擁がないと
The world's a temporary parking place この世はいっときのコインパーキングみたい
Mmm , mm , mm , mm
A bubble for a minute しゃぼん玉に一瞬だけ
Mm , mm , you smile あなたのほほえみが
The bubble has a rainbow in it 虹になって浮かぶ

Say, it's only a paper moon そうね、それってただの紙の月
Sailing over a cardboard sea 厚紙細工の海を渡ってく
But it wouldn't be make believe  でもこの月も信じられるんじゃない?
If you believed in me もしあなたが私を信じるならば

Yes, it's only a canvas sky ええ、これは書き割りの空
Hanging over a muslin tree モスリン布地の木が広がる
But it wouldn't be make believe だけど空も信じられる
If you believed in me もしあなたが私を信じるならば

Without your love, あなたの愛がないならば
it's a honkey-tonk parade こんなの空騒ぎのパレードよ
Without your love, あなたの愛がないならば
it's a melody played in a penny arcade こんなのゲームセンターのメロディにすぎない

It's a Barnum and Bailey world こんなのバーナムベイリーサーカス団の世界と同じ
Just as phony as it can be できる限りのまやかしだわ
But it wouldn't be make believe でもそれは信じられるに違いない
If you believed in me もしあなたが私を信じるならば

 コパカバーナはサンバの名曲。日本語に翻訳された歌詞も種々ありますが、以下はバリー・マニロウの歌詞を春庭が訳したものです。
http://www.youtube.com/watch?v=R4GxUKYQ258&feature=fvwrel

コパカバーナ(春庭:訳詞)
Her name was Lola, she was a showgirl
彼女の名はローラ、ショウガールだった
with yellow feathers in her hair and a dress cut down to there
黄色い羽を髪につけ大きく胸をあけたドレスをまとい
she would merengue and do the cha-cha
メレンゲやチャチャを踊ったもんさ
and while she tried to be a star
彼女がスターになろうと踊っている間
Tony always tended bar
トニーはいつもバーで酒を作った
across the crowded floor, they worked from 8 til 4
混んだフロアで8時から4時までふたりは働いた
they were young and they had each other
ふたりは若く、たがいに愛し合ってた
who could ask for more?
それ以上望みはなかった
CHORUS:

At the copa (CO!) Copacabana (Copacabana)
コパで コパカバーナで
the hottest spot north of Havana (here)
ハヴァナの北で一番のホットスポット
at the copa (CO!) Copacabana
コパで コパカバーナで
music and passion were always in fashion
音楽と情熱がいつもはやりの店で
At the copa.... they fell in love
コパで、ふたりは恋に落ちた

His name was Rico
彼の名はリコ 
he wore a diamond
ダイアモンドを身につけて
he was escorted to his chair, he saw Lola dancing there
席に通され、ローラのダンスを見た
and when she finished, he called her over
ダンスが終わると彼女を呼び寄せ
but Rico went a bit too far
ちょっとリコはやり過ぎた
Tony sailed across the bar
トニーが飛び出し
and then the punches flew and chairs were smashed in two
パンチが飛び交い椅子は真っ二つ
there was blood and a single gun shot
血が流れ銃声が一つ
but just who shot who?
でも、誰が誰を撃ったのか?
REPEAT CHORUS
At the copa (CO!) Copacabana (Copacabana)
コパの コパカバーナで
the hottest spot north of Havana (here)
ハバナの北で一番ホットなスポット
at the copa (CO!) Copacabana
コパの コパカバーナで
music and passion were always in fashion
音楽と情熱がいつもはやりの店で
At the copa... she lost her love
コパで ローラは恋を失った

Her name is Lola, she was a showgirl,
彼女の名はローラ 彼女はショウガールだった
but that was 30 years ago, when they used to have a show
でもそれは、ここでショーがあった頃30年も前のこと
now it's a disco, but not for Lola,
今ではそこはディスコ、彼女に似合いの場所じゃない
still in dress she used to wear,
例のドレスをまだ着てる
faded feathers in her hair 
色褪せた羽根飾りをつけたまま
she sits there so refined, and drinks herself half-blind
小粋にバーに腰掛けて我が身をなくすまで飲み続ける
she lost her youth and she lost her Tony
若さもトニーも無くしてしまい
now she's lost her mind
今やローラは心も無くした
REPEAT CHORUS

At the copa... don't fall in love
コパで 恋しちゃいけないよ
don't fall in love
恋してはダメ、、、、

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日本語言語文化における<主体>と<主体性>  目次

2010-04-29 13:00:00 | 日本語言語文化
日本語言語文化における<主体>と<主体性>  目次

目次



序・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・001


第1章 日本語における<主体>と<主体性>
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・003

第1節 日本語における<主体>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・004
1.1 認識の<主体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・004
1.2 日本語文法から見た<主語>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・005
 1.2.1 類型論から見た<主語>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・005
 1.2.2 日本語の<主語>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・008
1.3 日本語の自動詞文と他動詞文の<主語>・・・・・・・・・・・・・・・・・009
1.3.1 日本語の<主体>表現「ワ」と「ワレ」・・・・・・・・・・・・・・・010
1.3.2 日本語の自動詞文・他動詞文における<主体>と<客体>・・・・・・・013
1.3.3 再帰的他動詞文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・016
1.3.4 <主体>の背景化と動詞の完結性・・・・・・・・・・・・・・・・・・019

第2節 日本語の自動詞文と他動詞文の<主体>・・・・・・・・・・・・・・・021
2.1 状態変化主体の他動詞文・再帰的他動詞文の<主体>・・・・・・・・・・・021
2.1.1 状態変化の再帰的他動詞文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・021
2.1.2 再帰的他動詞文の引き起こし手と<主体>の変化・・・・・・・・・・・023
2.1.3 再帰的他動詞文のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・028
2.2 授動詞文の動作主体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・029
 2.2.1 授動詞文の<主体>と<受益者>・・・・・・・・・・・・・・・・・・030
 2.2.2 意志を表わす「~てやる」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・031
 2.2.3 受益者の格マーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・032
 2.2.4 受益者格を新たに付け加える場合・・・・・・・・・・・・・・・・・・033
2.2.5 授動詞文のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・038
2.3 直接受身文の動作主体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・039
2.3.1  受け身文の動作主体のマーカー「ニ」「カラ」「ニヨッテ」・・・・・・039
 2.3.2 「行為の受け手」「行為の目当て」<主語>になる場合・・・・・・・・039
 2.3.3 動作主体の行為動作の結果生産物が生じる文・・・・・・・・・・・・・041

第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>・・・・・・・・・・・・042
3.1 『夢の痂』概要・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・042
3.1.1 『夢の痂』梗概・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・043
3.1.2 『夢の痂』のテーマ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・044
3.2 井上ひさしの日本語文法観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・044
3.3 比喩としての<主語>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・052
3.4 行為主体と責任・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・053
3.5 日本語母語話者の文法意識と日本語言語文化・・・・・・・・・・・・・・・054

第1章まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・055



第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>・・・・・・・・・・・・056はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 056

第1節 <主体>と<主体性>の概念と議論・・・・・・・・・・・・・・・・・056
1.1 辞書に記載されている<主体>と<主体性>の語・・・・・・・・・・・・・056
1.2 Subjektivitätの受・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・057
1.3 近代と<主体>概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・058
1.4 表現主体の背景化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・062

第2節 日本語と<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・065
2.1 日本語言語文化における<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・065
2.2 哲学の<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・067
2.3 文学理論における<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・069
2.4 言語学における<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・070
2.5 日本語学における<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・071
2.6 本研究における<主体>と<主体性>の概念規定・・・・・・・・・・・・・073

第3節 太宰治「富嶽百景」の叙述分析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・074
3.1 「富嶽百景」の表出する<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・074
3.2 「富嶽百景」概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・075
3.3 「富嶽百景」文体分析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・076
3.4 「富嶽百景」の叙述と<主体性>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・084

第2章まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・085



第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育・・・・・・・・087
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・087

第1節 非日本語母語話者・日本語学習者にとっての日本語の主語・・・・・・・088
1.1 主語の非明示・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・088
1.2 日本語の主題「ハ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・090
1.3 非日本語母語話者の読解における問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・092
1.4 <主語>の見つけ方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・095

第2節 自動詞文・他動詞文の誤用と対策・・・・・・・・・・・・・・・・・・097
2.1 これまでの研究の流れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・097
2.2 中国人学生の誤用分析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・098

第3節 翻訳と日本語文読解指導・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105
3.1 翻訳の問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・105
3.2 日本語文読解と翻訳文との比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・108
3.3 読解指導の要点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・109

第3章まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110


結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111


注・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・115


参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・119
コメント

日本語言語文化における<主体>と<主体性>序

2010-04-27 08:20:00 | 日本語言語文化


 人間活動のうち、言語は、「人間が人間らしくある」ための最も重要な手段と考えられる。触覚を用いる点字、視覚を用いる手話も含め、認知し表現することが「人間らしさ」の表れとなっている。この言語活動において、人がつまずきを感じる大きな機会となっているのが、「母語以外の言語を習得する」ことと思われる。筆者は、日本語を母語としない学習者に日本語と日本文化を教える、という仕事を1988年より20余年続けてきた。日本語を母語としない学習者の誤用文などを通じて、日本語の特質について考えさせられることが多く、専門としてきた日本語統語論に関し、表出されたコミュニケーション上の日本語を通して、日本語と日本文化について考察したいと考えるようになった。
本研究は、まず日本語の統語構造において、また言語文化においての<主体>を確認する。次に日本語と日本語言語文化に対して<主体性>欠如の日本言語文化、日本人という論を検討し、日本語が<主語>を表さない言語ゆえに、日本人は<主体性>を発揮できないのだ、という言説がその通りなのかどうか、検証する。その結果得られた日本語の<主体>また<主体性>についての考察を日本語教育の指導法に積極的に活用する方策を提案する。
日本語学の研究史において、日本語の主語、主体についての多くの論が提出され、主語論の進展によって「日本語の主語と西洋語の主語は文法上の性質が同じではない」「日本語は主語を明示しなくても成立する言語である」ということが明らかにされてきたにもかかわらず、いまだに多くの日本人論日本語論の中で、「日本人は主体性の欠如した民族」「集団主義を好み、個人が確立していない」「主語を明確にして発言しない日本語は、責任の所在を曖昧にしている言語である」などの言説が流布してきた。「一人だけ周囲と異なる行動をとるのを好まず、周囲と異なる意見を持っても、異議申し立てをしない」「流行に乗りやすく、他の人にたやすく同調する」などと言われてきた。ほんとうに日本語は<主体性>のない言語であり、そのような言語故に日本人は<主体性>を発揮することができないのだろうか。あるいは日本語に責任転嫁をしているだけではないのだろうか。
 日本語学で明らかにされている主語論が一般的な言説に反映されていないだけでなく、筆者が従事している日本語教育においても、「日本語の<主語>」「日本語が表現している<主体>」の理解について、統一的標準的な教育方法は提出されておらず、出版されている教科書類、教師用文法指導書などにおいても、執筆者が拠って立つ文法論の違いにより、日本語学習者への説明も異なってくる、というのが現状である。日本語学習者への日本語理解のアプローチを探ることが、本研究の二つ目の目的である。
 本論に先立つ日本語言語文化における<主体><主体性>の研究は、日本語学の領域において、<主語>の研究、<主格>の研究というような統語論から多くの成果が上がっている。しかし、日本語学と、言語文化の両方の領域を見渡す形での<主体性>考察は、行われてこなかったというのが現状である。2010年3月に発行された廣瀬幸生・長谷川葉子『日本語から見た日本人 主体性の言語学』は、「日本語」と「主体性」を正面から取り上げ、英語との対照研究を中心として論述されているが、言語学レベルでの考察であり、言語文化の分析および論考はなされていない。
 これに対し、本研究は日本語言語表現を、文単位の表現から小説として表現された作品までを見渡す意図をもって<主体>を考察する。日本語の<主体>は、他動詞能動文であっても、「自己をとりまく環境の中で、述語によって表現された事象推移の中心者として事象の認識者となる」のであって、「動作行為者」としてのみ表現されているのではないことを確認する。
本研究の構成だが、第1章では、<主体>を日本語統語の面から考察する。第1節で<主体>、<主語>、<主題>などの語を確認する。第2節では、日本語の中の<主体>がどのように表現されているか分析する。再帰的他動詞においては、<主体>と<客体>が合一的に事象の推移の主体として述語の実現する場として存在しており、日本語表現にあっては、他動詞文も自動詞文と同じように「事象の推移」を表現しているのであることを述べ、動詞完結性が自動詞文と他動詞文の選択に関わることを考察する。第3節では、日本人の文法感覚の検証として、井上ひさしの『夢の痂』を取り上げて、日本人の日本語と<主体>に関する意識を考察する。
 第2章は、第1節で現代日本語言語文化の中に表現されている<主体>、<主体性>とその意味を考察する。第1節では、日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているかを考察し、subjectivityの訳である<主体性>と<主観性>が、「自己をとりまく環境の中で、<主体>がそこに実現するという意味での<主体性>と、「陳述的な主体性」を表現する<主観性>が日本語においては統合されていることを示す。これによって日本語が<主体性>のある言語であることを結論とする。第2節では哲学、言語学などの<主体性>の意味を確認する。第3節では、具体的な作品分析として、太宰治の「富嶽百景」を取り上げ、表現主体とその主観、そして両者の統合としての<主体性>の表現を考察する。
 第3章は、第1節で日本語教育の立場から<主体>の理解と教育について考察する。第2節で、日本語文を英語訳と対照しつつ、翻訳にたよらない読解を可能にするための日本語教育を探る。第4節で日本語文読解授業の実践を通して日本語文へのよりよい理解をさぐる。
 第1章の統語論から見た「主体」、第2章の言語文化論から見た「主体」は、日本語教育の知見を基礎にしつつ論を進めた。そして、1,2章を総合する形で第3章の日本語教育への応用を論じた。それぞれの章は、「主体」を考察する上で関連しつつ述べられている。
 結論は本研究の総括とする。
 日本語における<主体>とは、「事象の推移、環境の変化」の中に埋め込まれた存在であり、「自己の周囲の客体に対峙する」のではなく、「客体と合一的に事象の推移の中にあって環境を受容する」ことを総括する。
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