2008/03/07
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(1)タニとダン地名学
投稿者:acha1
越中には、沢と言う地名が有りません。本来 信州側には タニ谷と言う名称はありませんでした。
黒部川上流域の地図を見ると未だ名残が、入り込み域の違いがはっきりと判ります。
越中では、タニ=ダン→タンと呼んでいました。
そう言われて「祖母谷(ババダン)」を思い浮かべました(笑)(2008 2/28 13:34)
==========
地名研究もさまざまなアプローチから研究が進み、地名学(ちめいがく、toponymy)は、言語学にとっても、重要な一部分をしめています。
acha1さん、中部地方の地名の情報をありがとうございました。タニと言う地方もあれば、ダンと呼ぶ地域もタンというところもある。多様な地名は日本の言語文化の宝です。
昔々の地形や歴史的な事実を伝える日本の地名は、日本の文化にとって、とても大きな財産ですが、各地それぞれに歴史を有してきた地名がどんどん消失しています。
現在、各地で山間部の過疎化によって「字(あざ)」などが使われなくなったり、市町村合併によって、古い地名がなくなっており、また、長野の軽井沢が避暑地として有名になると、観光振興策によって沓掛宿は中軽井沢になるし、群馬県側も「北軽井沢」になるなど、多様化の逆の「画一化」が進んでいます。
歴史的な地名がどんどんと消失している現在、古地図にも載せられないまま、古老のいいつたえなどで、地元だけで呼ばれていた地名などの収集がいそがれます。
都市部では「地名改編」がすすめられ、多様な地名が「○○一丁目」「○○二丁目」というように、聞こえのよい名、通りやすい地名に変えられてきました。
江戸時代、木挽町(こびきちょう)といえば、1606(慶長11)年に、江戸城造営関係の鋸匠を住まわせたところが起源。文字通り、木を挽く匠たちが住んていた町でした。
そんな歴史を知らなくても、地名を見れば、最初は材木と関係したのだろうと想像ができます。
木挽町はその後、芝居の町になりましたが、今では東銀座という地名になっています。地下鉄の東銀座駅を降りると、目の前は歌舞伎座。
木挽町の歌舞伎座より、東銀座の歌舞伎座と、銀座を冠したほうが土地の値段も高くなるし、客も集まる。
銀座は1丁目から8丁目まで、東銀座も1丁目から8丁目まであります。銀座だらけ。
私は、「多様性」の信奉者なので、人の個性も、地名もことばも服装も、生き方も性的嗜好も、それぞれの人がそれぞれの好み、やり方を自由に選べる社会を望んでいます。「全員同じ」にそろえることを強制されるなんて、まっぴらごめんと思っています。
思想信条の自由が認められず、全員斉唱でひとつの歌を歌わなかったからといって、職を追われたりするのは、私の納得できるところではありません。
<つづく>
03:20 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年03月08日
ぽかぽか春庭「マイマイとナメクジ・方言学」
2008/03/08
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(2)マイマイとナメクジ・方言学
地名がひとつの名に統一されてしまうのも寂しいし、ことばをひとつに統一してしまおうというのも悲しい。
カタツムリ、カサツブリ、カサツムリ、マイマイ、ツブラ、ツブリ、ツボ、デデムシ、デンデンムシ、ナメクジ、、、、各地にたくさんあった呼び名を「カタツムリ以外は認めない」ということになったら、それはおかしいですよね。
現代日本語・標準語では「ナメクジ」は背中に家を背負っていないものを呼びますが、古代には、現代標準語でカタツムリと呼ぶものをさしていた、というのがわかっています。
古書に「ナメクジ」という表現が出てきたとき、塩をまいて退治する家無き子のほうだけでなく、背中に家があるほう(現代語のカタツムリ」も含めて指していたとわかるのも、方言に「ナメクジ」が標準語のカタツムリを呼ぶ地方があって、「ナメクジ」が「背中に家がないほう」を呼ぶようになったのは、後代になってからのことだということがわかるからです。
「カタツムリ」の多様な呼び方が、それぞれの地方に残されていたればこそ。
(古語のナメクジリは、現代語のゲジゲジなども含みます)
「たったひとつの正しいこと」ではなく、「方言の多様性」「地名の多様性」、「思想信条の多様性」から「性的指向」に至るまで、どれも、それぞれの存在を主張して欲しいです。
以下、サン語、また、「シングリッシュ(シンガポールイングリッシュ)」を紹介し、言語の多様性について、お話したく思います。
また、外国語の発音について、いただいたコメントへの春庭返信を再緑します。
標準的クィーンズイングリッシュでなければ英語ではない、と思うのも、お好みでどうぞご自由に。
USAエリートの話す官僚的米語を「世界でもっとも通用する英語だ」と感じて、その発音を学ぼうとするのも、そのひとそれぞれの考えです。
私は、アイリッシュなまりも、コックニーなまりも、南部アメリカなまりもオーストラリアなまりも、どれも「あたりまえの英語」と思っています。もちろん日本なまりの「カタカナ発音なまりの英語」も。
どれかたったひとつの「正しいこと」を選ぶ必要のある場合もあるし、「多様であるのがいい」こともあります。
「敵性言語である英語を話してはならない」という全体主義、軍国主義の日本の時代がありました。
そのような考え方は、現代の私には受け入れがたいことですが、「世界標準語である英語に、たったひとつの正しい発音だけを認めましょう」という全体主義も、私はなじめないのです。
「ナマリのある英語も、日本風発音のドイツ語も、それぞれにいい」と、私は感じています。
<つづく>
00:16 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年03月09日
ぽかぽか春庭「サン語①ニカウさん」
2008/03/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(3)サン語①ニカウさん
インド人の英語が巻き舌R音でなまっていること、オーストラリア人の英語が「today」をトゥダイと発音するなどのなまりがあるのと同じく、日本語母語話者は、日本語のなまりで英語を話してかまわないと、私は思っています。
むろん、「正しい発音の英語」という「規範」を求め続けるのも、ひとつのありかたです。
ただ、私は、「全員いっしょにひとつの歌をうたえ、歌わない者を排除せよ」というのと同じくらい「たったひとつの正しい発音をせよ」というのも嫌いだ、という、私自身の「言葉についての指向」を大切にしようと思っています。
アフリカのカラハリ砂漠近辺に住むサン族は、砂漠のまばらな灌木(ブッシュ)地帯に住み、かってはブッシュマンと呼ばれていました。
1980年制作の映画『ブッシュマン』
28年も昔の映画ですが、アフリカに残る狩猟採集の生活をおくる人々のことを、この映画で知った、という方もいらっしゃることでしょう。
この映画が公開されたころの79~80年を、私はアフリカ・ケニアですごしたけれど、赤道以南の人々についてはほとんど知らなかった。
『ブッシュマン』で主役を演じた本名ザウ・ゴマさん、映画の中の名は「ニカウ」さんは、日本でも大人気になりました。
ニカウさんが来日して日本のテレビに出たとき、彼の本名を「ザウ・ゴマ」を、サン語の正しい発音で紹介してみようとした人がいたでしょうか。
そもそも彼が「サン語」という言語を話すアフリカの民族であることすら、1980年の日本の人々は知らなかった。
サン語は、コイサン語族のひとつですが、コイ語とサン語はずいぶん異なっているそうです。
ドイツ語英語の発音の正しさを気にかける人はいても、アフリカにも多様な文化があり多様な言語があることに注意をむける人はいなかった。
自分が習った言語には「正しい発音」を求めるけれど、自分が知らない言語は無視されても、まちがった発音で紹介されても、気に掛けることはしない。
サン語は、アフリカの少数民族の言語だから気にしなくていい、ということは、「メジャー優位」「大手優先」の社会常識なのでしょうけれど、社会の少数派、弱い方の立場によりそっていたい私には、寂しいことに思えます。
いや、たとえ、ニカウさんが「サン語」を話すことを知っている人がいたとして、たぶん、サン語のクリック音(吸着音)は、日本人にはむずかしすぎるので、発音できなかったのかもしれないと思う。
<つづく>
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2008年03月10日
ぽかぽか春庭「サン語②クリック音」
2008/03/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(4)サン語②クリック音
世界の言語のほとんどは、息を吐き出すときに歯や唇を使って音を加工し、言語音にしています。
ところが、ごくわずかですが、世界には、息を吸い込むときに音を出して、この音を言語音として使っている民族もいます。
この息を吸い込む言語音をクリックまたは吸着音と呼びます。
コイサン語族は、クリック音を言語音として採用しているので、少数言語なのに、世界中の言語学者の注目を集めました。
吸着音の練習をやってみましょう。
まず、唇をとがらせてキスのマネをします。投げキッスするつもりで、チュッという音を出してみてください。
このとき、息は外へ出ていきません。
唇を丸めて息を出せば「ブッ」か「プッ」という音になります。息を吸い込んでチュッという音を出しています。
では、次に前歯の透き間にチャーシューの破片が引っかかったと想像して、歯の裏に舌先をあてて、ツェッツェッと、音を出してみて。これも、まあできましたね。このツェツェのときも息を吸い込んでいるはずです。
それから、舌先を口蓋(口の上側)にあてて、舌先のはじき音を作ってみて。舌打ち音です。これはできない人もいます。
はい、ここまでは私もなんとかできました。
次、舌打ちしながら同時にカキクケコと言ってみて。息を吸いながら舌を口蓋にあてる。
カキクケコに似た音を作ろうとすると、どうしても私は息を吐いてしまうので、舌打ちと同時にカキクケコは言えません。
私の言語学の師匠西江雅之先生は、授業中、簡単そうにこのクリック音を発音していましたが、私にはむずかしかった。
サン語の吸着音は、私にとって、むずかしいけれど、英語もサン語も、わたしにとって習得しにくい発音があるという点では同じ。
どの民族のことばも、他の言語にとってはむずかしい発音があるのです。
LとRの区別ができないこと、英語の単語ひとつひとつに母音をつけて開音節で発音することは、日本語母語話者の特徴です。日本語では「dog」は「ドッグ doggu」になるのです。
「英語のRとLの区別はどうしてもマネできない」
「ドイツ語のRは、うがいするときののどびこをふるわせる音を水なしでやれと教わったけれど、できるようにならない」
と、劣等感を持ったことのある人に申し上げます。
できるだけ原音に近い発音をしようと努力することも有意義なことでしょうが、母語でないことばの発音がうまくできないのもしかたがないと考え、ナマリは気にせず、コミュニケーションをしてください。
「ドイツ語や英語の正しい発音」を気にかけるのに、サン語の正しい発音などだれも気にかけない、ということと、「英語やフランス語を話す外国人が、日本語を話すとき、少々なまっていても、上手ですねと大喜びする一方、身近な場所で働いているアジア系の人が、なまった発音で日本語をしゃべるとバカにする」ということは、裏表の関係にあります。
「たったひとつの正しい言語」ではなく、なまりや発音のちがいを含みつつ、さまざまな言語が存在することを認め合い、そのなかで、通じ合える部分で互いを理解しあえばいいのではないでしょうか。
<つづく>
06:26 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年03月11日
ぽかぽか春庭「シングリッシュ①キャンキャンキャン
2008/03/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(5)シングリッシュ①キャンキャンキャン
英語から発生した新しい言語であるイングリッシュ・クレオールの例として、パプアニューギニアの「ピジンイングリッシュ」を紹介しました。(2008/02/06の春庭コラム参照してください)
シンガポールで発達しつつあるシンガポールイングリッシュ(シングリッシュ)を紹介しましょう。
シンガポールはマレー半島の先端に位置する都市国家で、1965年に独立しました。
マレー語、英語、タミル語、中国語(北京標準語ペキンマンダリン)、を公用語としています。
430万人のうち、多数を占める330万人が中華系であるため、中国文化の影響がもっとも強い。
公用語のひとつは北京語であるけれど、中華系の家庭の中で話されているのは、福建語または客家語と呼ばれる方言なので、だいぶ北京語とは発音がちがいます。
イギリス植民地となっていたため、公用語のなかでは英語が中心であり、商業用語、学校教育用語は英語が最大勢力です。
シンガポールの人々は、家庭内ではそれぞれマレー語やタミル語を母語として成長しますが、社会では英語を話すことが多くなります。
ただし、日常生活においては、シンガポール独自の「シングリッシュ」とも言う英語なまりが通用しており、公的な場以外では、「シングリッシュ」が話されています。
シンガポール政府は、このようなシングリッシュを嫌い、「正調クイーンズイングリッシュ」を話させようとしており、公教育の英語はイギリス英語が教えられています。
しかし、実際に市民たちが買い物などの日常生活で使うのは、シングリッシュ、というのがシンガポール生活です。
自然発生的にひろまる新言語は、禁止されても自然に広まる。
話すのに便利だからです。
シングリッシュの発音も福建語なまり、マレー語なまりなどがあります。
シンガポールに赴任した日本人女性、まずは部屋を借りようとしました。日本との連絡はインターネットが命。
日本人女性は、「インターネットを室内で利用できるか」と不動産業者にたずねました。
「Can I use the internet in this unit?」
業者の返事は、「できるに決まってまさぁ」
これをシングリッシュで言うと、こうなる。
「Can can can キャン、キャン、キャン!」
小犬がにぎやかに遊び回っているような、、、、
英語「Yes,, you can」が、「Can can 」になるのは、マレー語の「強調畳語」と言われる「単語をふたつ重ねて言う」方法が、英語にも応用されたからです。
畳語は、シングリッシュの特徴のひとつとなっています。
以下、シングリッシュ例文は、シンガポール在住経験を持つ伊藤真紀子さんのエッセイ「東京外語会会報」(2008//02/01)より引用させていただきます。
<つづく>
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2008年03月12日
ぽかぽか春庭「シングリッシュ②ジャランジャラン」
2008/03/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(6)シングリッシュ②ジャランジャラン
マレー語の「歩く」は「Jalangジャラン」です。
ふたつ重ねた畳語の「Jalang-Jalangジャランジャラン」は、「散歩する・旅する」の意味になります。
インドネシア語も、ジャランジャランは「散歩する、旅する」。マレー語とインドネシア語のちがいは、大阪弁と京都弁のちがいほどです。
ジャランジャランは、そのまま、シングリッシュ単語として通用しています。「Let's go JalanJalan」
このほか、マレー語起源単語・福建語起源の単語が、多数シングリッシュにとりいれられています。
中華料理を食べるときに「お箸いる?」と尋ねるときは「You need chopsticks ?」と、尋ねる。
疑問文にするときに、助動詞Doを用いたり、Be動詞を文頭に出すという英文法は必要ない。語尾をあげて発音すれば、そのまま疑問文になる。
返事は「No need.(要らない)」これでOK。
簡明な文法表現です。
シングリッシュには、福建語やマレー語の影響があります。
公用語の北京標準語ではなく、現地の中国語である福建語からの借用語の例を紹介すると。
北京語では、「太太タイタイ」は「奥様」の意味ですが、上海語、福建語、香港の広東語、と南にくだっていくと、北京のタイタイもより気安く呼ぶようになり、シンガポール福建語では、「太太タイタイ」は、「おばさん」と年配の女性に呼びかけるようなときにも、気軽に使われています。
そして、タイタイはシングリッシュとしても、そのまま使われています。
「My taitai came here yesterday.」
「何で来なかったの(姿を見せなかったの)?」と、欠席理由を聞きたいときは
「How come never show up? 」
お気づきでしょうか。この文には「主語」がありません。
日本語と同じように、「聞き手に尋ねていることや、話し手が行為していることが明瞭なときは、主語をはぶいてよい」という新ルールが適用されています。
(日本語は、主語を「省いて」いるのではなくて、もともと「場の形成が出来ている=会話場面設定が出来ているとき、文脈のなかに話し手聞き手の情報が含まれているから、主語をいちいち言わなくてよい、というルールがあります)
主語を省くシングリッシュに対して、「英語では、主語をはぶくことは許されない」なんていう受験英語の権化みたいなルールを持ち出しても意味がない。
これで十分にコミュニケートできており、言いたいことが伝わっているのだから。
政府側の「正調クイーンズイングリッシュを話そう」というキャンペーンと、一般庶民の「シングリッシュで自然にコミュニケート」のどちらが優勢になるのかは、まだわかりません。シンガポールが独立を果たしてからまだ43年しかたっていないのだから。
シンガポール政府は「中国語は、シンガポール方言の客家語・福建語でなく北京語を話そう、英語はクィーンズイングリッシュ」という統制を行っていて、公教育や公共放送では、北京語、クィーンズイングリッシュになっています。
「言語の統制」は、近代国家が国民に対してふるう権力のひとつの表現です。
言語学を学んだ者の立場からいえば、「自然に通用するようになっている言語がもっとも強い」と、考えたいです。
国家による言語統制、言語強制は、最小限に押さえたほうがいいと思います。
統制は本当は「まったくなし」のほうがいいですけれど、日本でも「日常生活で常用する漢字」の字数を制限したりしています。
名前の漢字の制限などはしだいに縮小されています。アニメ「耳をすませば」の主人公が「雫」でした。公開当時は「人名漢字」として認められていませんでしたが、その後、人名漢字として「雫」が認められ、現在放映中のテレビドラマ「薔薇のない花屋」の子役の役名が「雫」ちゃん。
国家統制によって「雫」という漢字を人名に使えなかった、ということは、「国の力によって国民が使う文字を統制する」という国家権力をふるいたかっただけで、国民の生活に寄与するところは、ひとつもなかった。
他の言語統制も、出来る限り少なくしてほしいと、私は思っています。
<つづく>
07:36 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年03月13日
ぽかぽか春庭「翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか」
2008/03/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(7)翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか
すでに、ケータイ電話を使った翻訳システムが夢ではなくなってきているそうです。どらえもんの翻訳こんにゃく実現です。
現在、「この発音が正しい」「この文法が正しい」と、ひとつにこだわっているよりも「なまりを含んで発音しても、文法まちがっていても、ちゃんと相手に翻訳してもらえるシステム」を研究していけばいいんじゃないでしょうか。
大阪弁をシングリッシュに翻訳させたり、九州弁をカリブ海のフレンチクレオールに翻訳させたり、ことばの可能性は無限です。
日本の人は「英語絶対主義」「正しい発音にこだわり、自分の英語が通じなかったことがあるとすぐ挫折する」「自分は英語ができないと思っている人は英語ができる人に劣等感を持つ」っていう人が多いみたい。
私は、英語話者にもさまざまなナマリがあり、発音も多様なのだから、日本には日本語なまりの英語があってよい、という考え方です。
日本語には各地に方言があり、多様な方言で多様な日本語表現ができる、と思うことと、「世界には多様な英語表現があってよい」と考えるのといっしょです。
日本語の方言はいろいろあってよいが、英語は「正しい」発音をしてほしい、という人もいるでしょうし、日本語の標準語が「正しい日本語」だから、「方言はつかわないようにしましょう」という考え方の人もいるでしょう。それぞれです。
私とは違う考え方もあるね、って、私は思います。
「日本語にはRとLの区別はないので、日本人には、light とrightの区別はむずかしい」ということを、話相手にあらかじめわかってもらっていれば、それでコミュニケーションに不自由はない、と私は思っています。
「日本人のred赤いとlead鉛は、同じレッドという発音になる」ということを、聞き手が承知していれば、すむこと。
「my red car マイ・レッド・カー」と、日本人が言ったとき「あなたの車は鉛でできているのか」とか、いちいち聞き返さずともよい。だれが鉛製の車に乗るねん。
食堂で、誰が「ライスlice虱」を注文するちゅうねん。このレストランはゲテモノ食堂か。
多様な言語、多様ななまりを認めていく、という私のことばについての考え方に対して「いや、標準的な日本語、標準的な英語というのが必要だ」というのもひとつの考え方です。
「世界標準」「スタンダード」というものは、何についても必要なことはわかります。
かっては権力者の腕の長さなどを基準にしていたため、それぞれの国に長さの基準があったけれど、現在では、1メートルの長さというものは、国際標準規格があり、時間の1秒の単位もきっちりと決められています。
私は、その「世界標準」がなくてもいいと言っているのではなくて、それぞれのコミュニケーションの場においては、それぞれのやりかたも認め合おうよ、と言っているのです。
国内の日本語に関するなら、「標準語だけが正しい」のではなく、地域ごとの多様な方言を認めてほしいし、英語は英語で、地域ごとのなまり、方言があっていい、と思います。
<つづく>
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2008年03月14日
ぽかぽか春庭「ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな」
2008/03/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(8)ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな
さて、日本語なまり英語ジャングリッシュJanglishでよい、という春庭の主張が、世界に理解され、ジャングリッシュで堂々世界に押し出していけることを願いつつ。
janglishが英語方言として世界に通用するようになるまでに、ひとつの試みとして。
英語発音がうまくいかずに英会話挫折した人のために、とりあえず、ジョン万次郎式の「聞こえたとおりに発音する」方法をお知らせしましょう。
必要なのは、「これまで文字で習ってきた英語発音知識を一度リセットする」という柔軟な心です。
「日本の学校英語の読み方」で教わってきたことをリセットする。
中学などで英語教科書を音読させられた、あの膨大な努力がムダになるみたいにみえますが、過去に受けた英語教育は、伏流水となって必ず役立つので、「昔、音読させられたあの時間はなんだったのか、と、お腹立ちになりませぬよう。
ジョン万次郎は、幕末から明治に生きた通訳です。
漁師として海に出て難破。漂流していたところをアメリカ船に拾い上げられました。
機転のきく万次郎は船長に気に入られ、アメリカ本土へ。耳から英語を覚えました。
万次郎は、発音を聞こえたとおりに「Sunday→サンレィ」「New York→ニューヨゥ 」と、カタカナ書きにして覚えていきました。文字を覚えるより先に耳で聞き取ったので、文字sun+dayを知って、「day=ディ」というすり込みをする前に、Sunday はサンレィと聞こえたとおりにカタカナで覚えたのです。
実際に、現在の英米人に万次郎がカタカナで書いた発音通りに話しかけると、十分意味が通じます。
What time is it now?を、文字から覚える派は「ファット・タイム・イズ・イット・ナウ」と発音するのに対して、耳から覚える派は「ホッタイモイジルナ(掘った芋いじるな)」と発音します。
実際に、英語話者に話しかけてみた実験結果がありますが、「掘った芋いじるな」のほうが、通じたのです。(テレビ番組のバラエティ企画として行っていた実験なので、検証が必要とは思いますが)
文字から覚えようとする日本のおおかたの英語学習者に対し、万次郎の「耳からインプット、カタカナでアウトプット」のやり方を、現代に生かした人がいます。
脳科学者の池谷裕二です。
詳しくは『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則・ネイティブも驚いた画期的英会話術』(講談社ブルーバックス\1,050)をご参照ください。
・We had a lot of snow → ウィアダラーラスノウ
・Have you been to Seattle? → ハヴュベナセアロウ
・That is not what I meant. → ダーツナーッワライメンッ
・Give me some medicine. → ギンミスメデスン
・Say it again. → セイーラゲイン
英会話が早すぎて聞き取れないとき、「もう一度言って」というつもりで「セイ イット アゲイン」と言っても、分かってもらえなかったら、よりいっそうあせりますね。
そんなとき、再挑戦「セイーラゲイン、プリーズ」と言ってみて。
パードゥンでも、ワンスモァプリーズでも、もう一度言ってください、と伝わればそれでいいのですが、「セイーラゲイン」お試しを。
英語上達願望者やアメリカ留学しようかと考える日本人留学希望者にとって、ジョン万次郎式「カタカナで覚えるネイティブ風発音の極意」、役にたつと思います。
もちろん、ジョン万次郎式カタカナ英語で万事解決というわけでもないし、このやりかたが一番というわけでもありません。
よい部分もあれば、手直しが必要なこともでてくるでしょう。
<つづく>
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2008年03月15日
ぽかぽか春庭「ドイツ語の発音」
2008/03/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(9)ドイツ語の発音
日本における外国語の発音について、コメントをいただきました。
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投稿者:my********
特に最近NTTのCFで流れるドイツ語の発音のいい加減さには辟易しています。 (2008 2/16 4:45)
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my******** さん掲示板に掲載した春庭回答(2008-02-16 15:59:17)を再録します。
きっとmy********さんは、きちんとしっかりドイツ語を学習なさった方でいらっしゃるのでしょう。
my******** さんは、ドイツ語を標準語基本の発音にのっとって歌ってほしいのですね。
でも、これも、受け取り方しだいです。
ドイツ語の方言を話す話者たちは、それぞれのなまりのある発音でドイツ語を語っています。
NTTの歌がどこかドイツの方言のひとつなのか、日本風ドイツ語なのか、わかりませんが、my******** さんのお好みの「標準的正調ドイツ語」とは異なる発音のしかたで歌っていても、私はよいと思います。
日本のCMソングであるなら、日本なまりがあってもかまいません。
私は、言語多様性の信奉者なので、「地方なまりのある日本語の話し方」「外国語なまりの日本語」「日本語なまりの外国語」を、それぞれ「よし」としています。
標準語や正調発音以外の言語を認めないというのは、言語ファシズムです。
思想信条や信仰を「ただひとつのもの以外には認めない」という全体主義を好まないのと同じように、私は、言語を「ただひとつだけを正しいとする」のも、好んでいません。
インドなまりの英語やオーストラリアなまりの英語など、私にはとても聞き取りにくくて、意味が分からないときもありますが、聞き返せばよいし、インド人が巻き舌発音Rでまくし立てているときなど、「発音を気にせずまくしたてられるのも、ヒンディ語と英語はともにインドヨーロッパ語で文法似ているから、簡単に覚えられていいよね」と、感心してしまいます。
日本人が英語を話そうとすると、発音面でも文法面でも覚えにくい言語なので、苦労してしまいますよね。
せめて発音面では、「日本なまり英語」を気にせず話せるように、「日本なまり英語を広める会」でも発足させたいです。
thの発音ができなくても、RとLの区別ができなくても、英語米語話者が、「これは日本語母語話者の発音なまりなのだ」と、承知して聞き取ってくれれば、それで解決。
そのかわり、韓国の人が「おはようごじゃいます」と、挨拶したとき、「ごじゃいます」は、韓国なまりなのね、と寛容に受け取れるようになってほしい。
==========
以上、 my******** さん掲示板に記した春庭返信でした。
「日本語CMのなかであっても、正しい発音でドイツ語をききたい」というmy******** さんの考え方もあってよいし、「多様なナマリを認めたい」という私の考え方も、あってよい。
外国語の発音については、さまざまな問題があり、一概に「これがいい」とはいいきれないものがあります。
私は「異質なもの、自分とちがうものを排除することなく、お互いに分かり合える部分をさぐりながらコミュニケートの可能性を広げていこうとする努力」を、続けていきたいと願っています。
<おわり>
00:27 コメント(3) 編集 ページのトップへ
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(1)タニとダン地名学
投稿者:acha1
越中には、沢と言う地名が有りません。本来 信州側には タニ谷と言う名称はありませんでした。
黒部川上流域の地図を見ると未だ名残が、入り込み域の違いがはっきりと判ります。
越中では、タニ=ダン→タンと呼んでいました。
そう言われて「祖母谷(ババダン)」を思い浮かべました(笑)(2008 2/28 13:34)
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地名研究もさまざまなアプローチから研究が進み、地名学(ちめいがく、toponymy)は、言語学にとっても、重要な一部分をしめています。
acha1さん、中部地方の地名の情報をありがとうございました。タニと言う地方もあれば、ダンと呼ぶ地域もタンというところもある。多様な地名は日本の言語文化の宝です。
昔々の地形や歴史的な事実を伝える日本の地名は、日本の文化にとって、とても大きな財産ですが、各地それぞれに歴史を有してきた地名がどんどん消失しています。
現在、各地で山間部の過疎化によって「字(あざ)」などが使われなくなったり、市町村合併によって、古い地名がなくなっており、また、長野の軽井沢が避暑地として有名になると、観光振興策によって沓掛宿は中軽井沢になるし、群馬県側も「北軽井沢」になるなど、多様化の逆の「画一化」が進んでいます。
歴史的な地名がどんどんと消失している現在、古地図にも載せられないまま、古老のいいつたえなどで、地元だけで呼ばれていた地名などの収集がいそがれます。
都市部では「地名改編」がすすめられ、多様な地名が「○○一丁目」「○○二丁目」というように、聞こえのよい名、通りやすい地名に変えられてきました。
江戸時代、木挽町(こびきちょう)といえば、1606(慶長11)年に、江戸城造営関係の鋸匠を住まわせたところが起源。文字通り、木を挽く匠たちが住んていた町でした。
そんな歴史を知らなくても、地名を見れば、最初は材木と関係したのだろうと想像ができます。
木挽町はその後、芝居の町になりましたが、今では東銀座という地名になっています。地下鉄の東銀座駅を降りると、目の前は歌舞伎座。
木挽町の歌舞伎座より、東銀座の歌舞伎座と、銀座を冠したほうが土地の値段も高くなるし、客も集まる。
銀座は1丁目から8丁目まで、東銀座も1丁目から8丁目まであります。銀座だらけ。
私は、「多様性」の信奉者なので、人の個性も、地名もことばも服装も、生き方も性的嗜好も、それぞれの人がそれぞれの好み、やり方を自由に選べる社会を望んでいます。「全員同じ」にそろえることを強制されるなんて、まっぴらごめんと思っています。
思想信条の自由が認められず、全員斉唱でひとつの歌を歌わなかったからといって、職を追われたりするのは、私の納得できるところではありません。
<つづく>
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2008年03月08日
ぽかぽか春庭「マイマイとナメクジ・方言学」
2008/03/08
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(2)マイマイとナメクジ・方言学
地名がひとつの名に統一されてしまうのも寂しいし、ことばをひとつに統一してしまおうというのも悲しい。
カタツムリ、カサツブリ、カサツムリ、マイマイ、ツブラ、ツブリ、ツボ、デデムシ、デンデンムシ、ナメクジ、、、、各地にたくさんあった呼び名を「カタツムリ以外は認めない」ということになったら、それはおかしいですよね。
現代日本語・標準語では「ナメクジ」は背中に家を背負っていないものを呼びますが、古代には、現代標準語でカタツムリと呼ぶものをさしていた、というのがわかっています。
古書に「ナメクジ」という表現が出てきたとき、塩をまいて退治する家無き子のほうだけでなく、背中に家があるほう(現代語のカタツムリ」も含めて指していたとわかるのも、方言に「ナメクジ」が標準語のカタツムリを呼ぶ地方があって、「ナメクジ」が「背中に家がないほう」を呼ぶようになったのは、後代になってからのことだということがわかるからです。
「カタツムリ」の多様な呼び方が、それぞれの地方に残されていたればこそ。
(古語のナメクジリは、現代語のゲジゲジなども含みます)
「たったひとつの正しいこと」ではなく、「方言の多様性」「地名の多様性」、「思想信条の多様性」から「性的指向」に至るまで、どれも、それぞれの存在を主張して欲しいです。
以下、サン語、また、「シングリッシュ(シンガポールイングリッシュ)」を紹介し、言語の多様性について、お話したく思います。
また、外国語の発音について、いただいたコメントへの春庭返信を再緑します。
標準的クィーンズイングリッシュでなければ英語ではない、と思うのも、お好みでどうぞご自由に。
USAエリートの話す官僚的米語を「世界でもっとも通用する英語だ」と感じて、その発音を学ぼうとするのも、そのひとそれぞれの考えです。
私は、アイリッシュなまりも、コックニーなまりも、南部アメリカなまりもオーストラリアなまりも、どれも「あたりまえの英語」と思っています。もちろん日本なまりの「カタカナ発音なまりの英語」も。
どれかたったひとつの「正しいこと」を選ぶ必要のある場合もあるし、「多様であるのがいい」こともあります。
「敵性言語である英語を話してはならない」という全体主義、軍国主義の日本の時代がありました。
そのような考え方は、現代の私には受け入れがたいことですが、「世界標準語である英語に、たったひとつの正しい発音だけを認めましょう」という全体主義も、私はなじめないのです。
「ナマリのある英語も、日本風発音のドイツ語も、それぞれにいい」と、私は感じています。
<つづく>
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2008年03月09日
ぽかぽか春庭「サン語①ニカウさん」
2008/03/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(3)サン語①ニカウさん
インド人の英語が巻き舌R音でなまっていること、オーストラリア人の英語が「today」をトゥダイと発音するなどのなまりがあるのと同じく、日本語母語話者は、日本語のなまりで英語を話してかまわないと、私は思っています。
むろん、「正しい発音の英語」という「規範」を求め続けるのも、ひとつのありかたです。
ただ、私は、「全員いっしょにひとつの歌をうたえ、歌わない者を排除せよ」というのと同じくらい「たったひとつの正しい発音をせよ」というのも嫌いだ、という、私自身の「言葉についての指向」を大切にしようと思っています。
アフリカのカラハリ砂漠近辺に住むサン族は、砂漠のまばらな灌木(ブッシュ)地帯に住み、かってはブッシュマンと呼ばれていました。
1980年制作の映画『ブッシュマン』
28年も昔の映画ですが、アフリカに残る狩猟採集の生活をおくる人々のことを、この映画で知った、という方もいらっしゃることでしょう。
この映画が公開されたころの79~80年を、私はアフリカ・ケニアですごしたけれど、赤道以南の人々についてはほとんど知らなかった。
『ブッシュマン』で主役を演じた本名ザウ・ゴマさん、映画の中の名は「ニカウ」さんは、日本でも大人気になりました。
ニカウさんが来日して日本のテレビに出たとき、彼の本名を「ザウ・ゴマ」を、サン語の正しい発音で紹介してみようとした人がいたでしょうか。
そもそも彼が「サン語」という言語を話すアフリカの民族であることすら、1980年の日本の人々は知らなかった。
サン語は、コイサン語族のひとつですが、コイ語とサン語はずいぶん異なっているそうです。
ドイツ語英語の発音の正しさを気にかける人はいても、アフリカにも多様な文化があり多様な言語があることに注意をむける人はいなかった。
自分が習った言語には「正しい発音」を求めるけれど、自分が知らない言語は無視されても、まちがった発音で紹介されても、気に掛けることはしない。
サン語は、アフリカの少数民族の言語だから気にしなくていい、ということは、「メジャー優位」「大手優先」の社会常識なのでしょうけれど、社会の少数派、弱い方の立場によりそっていたい私には、寂しいことに思えます。
いや、たとえ、ニカウさんが「サン語」を話すことを知っている人がいたとして、たぶん、サン語のクリック音(吸着音)は、日本人にはむずかしすぎるので、発音できなかったのかもしれないと思う。
<つづく>
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2008年03月10日
ぽかぽか春庭「サン語②クリック音」
2008/03/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(4)サン語②クリック音
世界の言語のほとんどは、息を吐き出すときに歯や唇を使って音を加工し、言語音にしています。
ところが、ごくわずかですが、世界には、息を吸い込むときに音を出して、この音を言語音として使っている民族もいます。
この息を吸い込む言語音をクリックまたは吸着音と呼びます。
コイサン語族は、クリック音を言語音として採用しているので、少数言語なのに、世界中の言語学者の注目を集めました。
吸着音の練習をやってみましょう。
まず、唇をとがらせてキスのマネをします。投げキッスするつもりで、チュッという音を出してみてください。
このとき、息は外へ出ていきません。
唇を丸めて息を出せば「ブッ」か「プッ」という音になります。息を吸い込んでチュッという音を出しています。
では、次に前歯の透き間にチャーシューの破片が引っかかったと想像して、歯の裏に舌先をあてて、ツェッツェッと、音を出してみて。これも、まあできましたね。このツェツェのときも息を吸い込んでいるはずです。
それから、舌先を口蓋(口の上側)にあてて、舌先のはじき音を作ってみて。舌打ち音です。これはできない人もいます。
はい、ここまでは私もなんとかできました。
次、舌打ちしながら同時にカキクケコと言ってみて。息を吸いながら舌を口蓋にあてる。
カキクケコに似た音を作ろうとすると、どうしても私は息を吐いてしまうので、舌打ちと同時にカキクケコは言えません。
私の言語学の師匠西江雅之先生は、授業中、簡単そうにこのクリック音を発音していましたが、私にはむずかしかった。
サン語の吸着音は、私にとって、むずかしいけれど、英語もサン語も、わたしにとって習得しにくい発音があるという点では同じ。
どの民族のことばも、他の言語にとってはむずかしい発音があるのです。
LとRの区別ができないこと、英語の単語ひとつひとつに母音をつけて開音節で発音することは、日本語母語話者の特徴です。日本語では「dog」は「ドッグ doggu」になるのです。
「英語のRとLの区別はどうしてもマネできない」
「ドイツ語のRは、うがいするときののどびこをふるわせる音を水なしでやれと教わったけれど、できるようにならない」
と、劣等感を持ったことのある人に申し上げます。
できるだけ原音に近い発音をしようと努力することも有意義なことでしょうが、母語でないことばの発音がうまくできないのもしかたがないと考え、ナマリは気にせず、コミュニケーションをしてください。
「ドイツ語や英語の正しい発音」を気にかけるのに、サン語の正しい発音などだれも気にかけない、ということと、「英語やフランス語を話す外国人が、日本語を話すとき、少々なまっていても、上手ですねと大喜びする一方、身近な場所で働いているアジア系の人が、なまった発音で日本語をしゃべるとバカにする」ということは、裏表の関係にあります。
「たったひとつの正しい言語」ではなく、なまりや発音のちがいを含みつつ、さまざまな言語が存在することを認め合い、そのなかで、通じ合える部分で互いを理解しあえばいいのではないでしょうか。
<つづく>
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2008年03月11日
ぽかぽか春庭「シングリッシュ①キャンキャンキャン
2008/03/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(5)シングリッシュ①キャンキャンキャン
英語から発生した新しい言語であるイングリッシュ・クレオールの例として、パプアニューギニアの「ピジンイングリッシュ」を紹介しました。(2008/02/06の春庭コラム参照してください)
シンガポールで発達しつつあるシンガポールイングリッシュ(シングリッシュ)を紹介しましょう。
シンガポールはマレー半島の先端に位置する都市国家で、1965年に独立しました。
マレー語、英語、タミル語、中国語(北京標準語ペキンマンダリン)、を公用語としています。
430万人のうち、多数を占める330万人が中華系であるため、中国文化の影響がもっとも強い。
公用語のひとつは北京語であるけれど、中華系の家庭の中で話されているのは、福建語または客家語と呼ばれる方言なので、だいぶ北京語とは発音がちがいます。
イギリス植民地となっていたため、公用語のなかでは英語が中心であり、商業用語、学校教育用語は英語が最大勢力です。
シンガポールの人々は、家庭内ではそれぞれマレー語やタミル語を母語として成長しますが、社会では英語を話すことが多くなります。
ただし、日常生活においては、シンガポール独自の「シングリッシュ」とも言う英語なまりが通用しており、公的な場以外では、「シングリッシュ」が話されています。
シンガポール政府は、このようなシングリッシュを嫌い、「正調クイーンズイングリッシュ」を話させようとしており、公教育の英語はイギリス英語が教えられています。
しかし、実際に市民たちが買い物などの日常生活で使うのは、シングリッシュ、というのがシンガポール生活です。
自然発生的にひろまる新言語は、禁止されても自然に広まる。
話すのに便利だからです。
シングリッシュの発音も福建語なまり、マレー語なまりなどがあります。
シンガポールに赴任した日本人女性、まずは部屋を借りようとしました。日本との連絡はインターネットが命。
日本人女性は、「インターネットを室内で利用できるか」と不動産業者にたずねました。
「Can I use the internet in this unit?」
業者の返事は、「できるに決まってまさぁ」
これをシングリッシュで言うと、こうなる。
「Can can can キャン、キャン、キャン!」
小犬がにぎやかに遊び回っているような、、、、
英語「Yes,, you can」が、「Can can 」になるのは、マレー語の「強調畳語」と言われる「単語をふたつ重ねて言う」方法が、英語にも応用されたからです。
畳語は、シングリッシュの特徴のひとつとなっています。
以下、シングリッシュ例文は、シンガポール在住経験を持つ伊藤真紀子さんのエッセイ「東京外語会会報」(2008//02/01)より引用させていただきます。
<つづく>
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2008年03月12日
ぽかぽか春庭「シングリッシュ②ジャランジャラン」
2008/03/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語多様性について(6)シングリッシュ②ジャランジャラン
マレー語の「歩く」は「Jalangジャラン」です。
ふたつ重ねた畳語の「Jalang-Jalangジャランジャラン」は、「散歩する・旅する」の意味になります。
インドネシア語も、ジャランジャランは「散歩する、旅する」。マレー語とインドネシア語のちがいは、大阪弁と京都弁のちがいほどです。
ジャランジャランは、そのまま、シングリッシュ単語として通用しています。「Let's go JalanJalan」
このほか、マレー語起源単語・福建語起源の単語が、多数シングリッシュにとりいれられています。
中華料理を食べるときに「お箸いる?」と尋ねるときは「You need chopsticks ?」と、尋ねる。
疑問文にするときに、助動詞Doを用いたり、Be動詞を文頭に出すという英文法は必要ない。語尾をあげて発音すれば、そのまま疑問文になる。
返事は「No need.(要らない)」これでOK。
簡明な文法表現です。
シングリッシュには、福建語やマレー語の影響があります。
公用語の北京標準語ではなく、現地の中国語である福建語からの借用語の例を紹介すると。
北京語では、「太太タイタイ」は「奥様」の意味ですが、上海語、福建語、香港の広東語、と南にくだっていくと、北京のタイタイもより気安く呼ぶようになり、シンガポール福建語では、「太太タイタイ」は、「おばさん」と年配の女性に呼びかけるようなときにも、気軽に使われています。
そして、タイタイはシングリッシュとしても、そのまま使われています。
「My taitai came here yesterday.」
「何で来なかったの(姿を見せなかったの)?」と、欠席理由を聞きたいときは
「How come never show up? 」
お気づきでしょうか。この文には「主語」がありません。
日本語と同じように、「聞き手に尋ねていることや、話し手が行為していることが明瞭なときは、主語をはぶいてよい」という新ルールが適用されています。
(日本語は、主語を「省いて」いるのではなくて、もともと「場の形成が出来ている=会話場面設定が出来ているとき、文脈のなかに話し手聞き手の情報が含まれているから、主語をいちいち言わなくてよい、というルールがあります)
主語を省くシングリッシュに対して、「英語では、主語をはぶくことは許されない」なんていう受験英語の権化みたいなルールを持ち出しても意味がない。
これで十分にコミュニケートできており、言いたいことが伝わっているのだから。
政府側の「正調クイーンズイングリッシュを話そう」というキャンペーンと、一般庶民の「シングリッシュで自然にコミュニケート」のどちらが優勢になるのかは、まだわかりません。シンガポールが独立を果たしてからまだ43年しかたっていないのだから。
シンガポール政府は「中国語は、シンガポール方言の客家語・福建語でなく北京語を話そう、英語はクィーンズイングリッシュ」という統制を行っていて、公教育や公共放送では、北京語、クィーンズイングリッシュになっています。
「言語の統制」は、近代国家が国民に対してふるう権力のひとつの表現です。
言語学を学んだ者の立場からいえば、「自然に通用するようになっている言語がもっとも強い」と、考えたいです。
国家による言語統制、言語強制は、最小限に押さえたほうがいいと思います。
統制は本当は「まったくなし」のほうがいいですけれど、日本でも「日常生活で常用する漢字」の字数を制限したりしています。
名前の漢字の制限などはしだいに縮小されています。アニメ「耳をすませば」の主人公が「雫」でした。公開当時は「人名漢字」として認められていませんでしたが、その後、人名漢字として「雫」が認められ、現在放映中のテレビドラマ「薔薇のない花屋」の子役の役名が「雫」ちゃん。
国家統制によって「雫」という漢字を人名に使えなかった、ということは、「国の力によって国民が使う文字を統制する」という国家権力をふるいたかっただけで、国民の生活に寄与するところは、ひとつもなかった。
他の言語統制も、出来る限り少なくしてほしいと、私は思っています。
<つづく>
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2008年03月13日
ぽかぽか春庭「翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか」
2008/03/13
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(7)翻訳コンニャクは鉛の虱を食べるか
すでに、ケータイ電話を使った翻訳システムが夢ではなくなってきているそうです。どらえもんの翻訳こんにゃく実現です。
現在、「この発音が正しい」「この文法が正しい」と、ひとつにこだわっているよりも「なまりを含んで発音しても、文法まちがっていても、ちゃんと相手に翻訳してもらえるシステム」を研究していけばいいんじゃないでしょうか。
大阪弁をシングリッシュに翻訳させたり、九州弁をカリブ海のフレンチクレオールに翻訳させたり、ことばの可能性は無限です。
日本の人は「英語絶対主義」「正しい発音にこだわり、自分の英語が通じなかったことがあるとすぐ挫折する」「自分は英語ができないと思っている人は英語ができる人に劣等感を持つ」っていう人が多いみたい。
私は、英語話者にもさまざまなナマリがあり、発音も多様なのだから、日本には日本語なまりの英語があってよい、という考え方です。
日本語には各地に方言があり、多様な方言で多様な日本語表現ができる、と思うことと、「世界には多様な英語表現があってよい」と考えるのといっしょです。
日本語の方言はいろいろあってよいが、英語は「正しい」発音をしてほしい、という人もいるでしょうし、日本語の標準語が「正しい日本語」だから、「方言はつかわないようにしましょう」という考え方の人もいるでしょう。それぞれです。
私とは違う考え方もあるね、って、私は思います。
「日本語にはRとLの区別はないので、日本人には、light とrightの区別はむずかしい」ということを、話相手にあらかじめわかってもらっていれば、それでコミュニケーションに不自由はない、と私は思っています。
「日本人のred赤いとlead鉛は、同じレッドという発音になる」ということを、聞き手が承知していれば、すむこと。
「my red car マイ・レッド・カー」と、日本人が言ったとき「あなたの車は鉛でできているのか」とか、いちいち聞き返さずともよい。だれが鉛製の車に乗るねん。
食堂で、誰が「ライスlice虱」を注文するちゅうねん。このレストランはゲテモノ食堂か。
多様な言語、多様ななまりを認めていく、という私のことばについての考え方に対して「いや、標準的な日本語、標準的な英語というのが必要だ」というのもひとつの考え方です。
「世界標準」「スタンダード」というものは、何についても必要なことはわかります。
かっては権力者の腕の長さなどを基準にしていたため、それぞれの国に長さの基準があったけれど、現在では、1メートルの長さというものは、国際標準規格があり、時間の1秒の単位もきっちりと決められています。
私は、その「世界標準」がなくてもいいと言っているのではなくて、それぞれのコミュニケーションの場においては、それぞれのやりかたも認め合おうよ、と言っているのです。
国内の日本語に関するなら、「標準語だけが正しい」のではなく、地域ごとの多様な方言を認めてほしいし、英語は英語で、地域ごとのなまり、方言があっていい、と思います。
<つづく>
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2008年03月14日
ぽかぽか春庭「ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな」
2008/03/14
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(8)ジョン万次郎式カタカナ英語・掘った芋いじるな
さて、日本語なまり英語ジャングリッシュJanglishでよい、という春庭の主張が、世界に理解され、ジャングリッシュで堂々世界に押し出していけることを願いつつ。
janglishが英語方言として世界に通用するようになるまでに、ひとつの試みとして。
英語発音がうまくいかずに英会話挫折した人のために、とりあえず、ジョン万次郎式の「聞こえたとおりに発音する」方法をお知らせしましょう。
必要なのは、「これまで文字で習ってきた英語発音知識を一度リセットする」という柔軟な心です。
「日本の学校英語の読み方」で教わってきたことをリセットする。
中学などで英語教科書を音読させられた、あの膨大な努力がムダになるみたいにみえますが、過去に受けた英語教育は、伏流水となって必ず役立つので、「昔、音読させられたあの時間はなんだったのか、と、お腹立ちになりませぬよう。
ジョン万次郎は、幕末から明治に生きた通訳です。
漁師として海に出て難破。漂流していたところをアメリカ船に拾い上げられました。
機転のきく万次郎は船長に気に入られ、アメリカ本土へ。耳から英語を覚えました。
万次郎は、発音を聞こえたとおりに「Sunday→サンレィ」「New York→ニューヨゥ 」と、カタカナ書きにして覚えていきました。文字を覚えるより先に耳で聞き取ったので、文字sun+dayを知って、「day=ディ」というすり込みをする前に、Sunday はサンレィと聞こえたとおりにカタカナで覚えたのです。
実際に、現在の英米人に万次郎がカタカナで書いた発音通りに話しかけると、十分意味が通じます。
What time is it now?を、文字から覚える派は「ファット・タイム・イズ・イット・ナウ」と発音するのに対して、耳から覚える派は「ホッタイモイジルナ(掘った芋いじるな)」と発音します。
実際に、英語話者に話しかけてみた実験結果がありますが、「掘った芋いじるな」のほうが、通じたのです。(テレビ番組のバラエティ企画として行っていた実験なので、検証が必要とは思いますが)
文字から覚えようとする日本のおおかたの英語学習者に対し、万次郎の「耳からインプット、カタカナでアウトプット」のやり方を、現代に生かした人がいます。
脳科学者の池谷裕二です。
詳しくは『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則・ネイティブも驚いた画期的英会話術』(講談社ブルーバックス\1,050)をご参照ください。
・We had a lot of snow → ウィアダラーラスノウ
・Have you been to Seattle? → ハヴュベナセアロウ
・That is not what I meant. → ダーツナーッワライメンッ
・Give me some medicine. → ギンミスメデスン
・Say it again. → セイーラゲイン
英会話が早すぎて聞き取れないとき、「もう一度言って」というつもりで「セイ イット アゲイン」と言っても、分かってもらえなかったら、よりいっそうあせりますね。
そんなとき、再挑戦「セイーラゲイン、プリーズ」と言ってみて。
パードゥンでも、ワンスモァプリーズでも、もう一度言ってください、と伝わればそれでいいのですが、「セイーラゲイン」お試しを。
英語上達願望者やアメリカ留学しようかと考える日本人留学希望者にとって、ジョン万次郎式「カタカナで覚えるネイティブ風発音の極意」、役にたつと思います。
もちろん、ジョン万次郎式カタカナ英語で万事解決というわけでもないし、このやりかたが一番というわけでもありません。
よい部分もあれば、手直しが必要なこともでてくるでしょう。
<つづく>
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2008年03月15日
ぽかぽか春庭「ドイツ語の発音」
2008/03/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>言語の多様性について(9)ドイツ語の発音
日本における外国語の発音について、コメントをいただきました。
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投稿者:my********
特に最近NTTのCFで流れるドイツ語の発音のいい加減さには辟易しています。 (2008 2/16 4:45)
==========
my******** さん掲示板に掲載した春庭回答(2008-02-16 15:59:17)を再録します。
きっとmy********さんは、きちんとしっかりドイツ語を学習なさった方でいらっしゃるのでしょう。
my******** さんは、ドイツ語を標準語基本の発音にのっとって歌ってほしいのですね。
でも、これも、受け取り方しだいです。
ドイツ語の方言を話す話者たちは、それぞれのなまりのある発音でドイツ語を語っています。
NTTの歌がどこかドイツの方言のひとつなのか、日本風ドイツ語なのか、わかりませんが、my******** さんのお好みの「標準的正調ドイツ語」とは異なる発音のしかたで歌っていても、私はよいと思います。
日本のCMソングであるなら、日本なまりがあってもかまいません。
私は、言語多様性の信奉者なので、「地方なまりのある日本語の話し方」「外国語なまりの日本語」「日本語なまりの外国語」を、それぞれ「よし」としています。
標準語や正調発音以外の言語を認めないというのは、言語ファシズムです。
思想信条や信仰を「ただひとつのもの以外には認めない」という全体主義を好まないのと同じように、私は、言語を「ただひとつだけを正しいとする」のも、好んでいません。
インドなまりの英語やオーストラリアなまりの英語など、私にはとても聞き取りにくくて、意味が分からないときもありますが、聞き返せばよいし、インド人が巻き舌発音Rでまくし立てているときなど、「発音を気にせずまくしたてられるのも、ヒンディ語と英語はともにインドヨーロッパ語で文法似ているから、簡単に覚えられていいよね」と、感心してしまいます。
日本人が英語を話そうとすると、発音面でも文法面でも覚えにくい言語なので、苦労してしまいますよね。
せめて発音面では、「日本なまり英語」を気にせず話せるように、「日本なまり英語を広める会」でも発足させたいです。
thの発音ができなくても、RとLの区別ができなくても、英語米語話者が、「これは日本語母語話者の発音なまりなのだ」と、承知して聞き取ってくれれば、それで解決。
そのかわり、韓国の人が「おはようごじゃいます」と、挨拶したとき、「ごじゃいます」は、韓国なまりなのね、と寛容に受け取れるようになってほしい。
==========
以上、 my******** さん掲示板に記した春庭返信でした。
「日本語CMのなかであっても、正しい発音でドイツ語をききたい」というmy******** さんの考え方もあってよいし、「多様なナマリを認めたい」という私の考え方も、あってよい。
外国語の発音については、さまざまな問題があり、一概に「これがいい」とはいいきれないものがあります。
私は「異質なもの、自分とちがうものを排除することなく、お互いに分かり合える部分をさぐりながらコミュニケートの可能性を広げていこうとする努力」を、続けていきたいと願っています。
<おわり>
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