にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

にっぽにあにっぽんゴ教師日誌2008年1月

2011-01-16 11:38:00 | 日記
01/01 新年快楽(1)教え子の寄せ書き読んで寝正月
01/02 新年快楽(2)学生からのうれしいことば

01/03 クラス会(1)ハカセ2班クラス会
01/04 クラス会(2)楽観的先生のクラス
01/05 クラス会(3)餃子パーティ
01/06 クラス会(4)思い出のアルバム
01/07 クラス会(5)「いかがお過ごしますか」メール
01/08 クラス会(6)ハカセ2班担任リグン先生
01/09 クラス会(7)日本庶民の家
01/10 クラス会(8)持ち寄り新年会
01/11 クラス会(9)ハカセたちと日本のおばあさん


2008/01/01
ぽかぽか春庭やちまた日記>新年快楽!(1)教え子の寄せ書き読んで寝正月

 正月番組をBGMに、昨年中国で担任した教え子からもらった「クラスアルバム」をゆっくりとながめています。
 2007年12月15日に行われたクラス会で、留学生のみなからもらった記念の写真集です。

 最初のページには、クラス一同からの「寄せ書き」が書いてありました。

 寄せ書きに悪いことは書かないから話半分でしょうが、みな、心のこもった言葉を、日本語と中国語で書いてくれています。

 美術史研究者シンさんは「毎日先生の笑顔を見ると、忙しくて辛い日本語の勉強も楽しくなり、我々も生気を取り戻しました」と書いてくれました。

 ママさん学生フーさんのことば
「人生の特別な、重要な時期に先生と知りあいました。親切的楽観的先生のおかげて、日本語の能力が進歩するだけでなく、子どもを生産、教育にたいするの緊張情緒もだんだんすくなくなて、自信がふえました。もういちどうありがとうございます。」

 日本語学習期間、出産で授業を休んでいる間も、毎日宿題プリントを友達に届けてもらって自宅で勉強を続けていたフーさん、13年前、私が9歳の娘と4歳の息子を実家に預けて中国に赴任した時の話をしました。

 「お子さんのことは心配しないで。離れていても、子どもは母の愛情をちゃんと受け止めて成長しているからね。きっとだいじょうぶ、うまくいきます。再会したときの子どもの成長を楽しみにして、安心して日本に留学してね」と、励ましてきたことを、心に受け止めてくれていました。

 うん、子どもは、生産するより出産したほうがいいんだけど、出産後4ヶ月で子どもと離れたフーさんが、元気ですごしている姿を、年末の同窓会で見ることができて、うれしかったです。

<つづく>

2008/01/02
ぽかぽか春庭やちまた日記>新年快楽(2)学生からのうれしいことば

 シルクロードの町からやってきたカイハクさんのことば
 「私は教室へ行くとき、よく先生の親切な顔を思い出します。ありがとうございました」 私も、アルバムを見ながらみんなの顔を思い出していますよ。
 東大大学院で情報工学の研究をするカイハクさん、がんばってね。

 名古屋で情報処理技術研究をしているチョウさんのことば
 「先生から日本語を習うことだけでなく、親切でいろいろな生活にも助けている。私たちもお母さんのように関心をあげていた真心に感謝いたします」

 う~ん、チョウさ~ん、私が力をいれて教えたつもりの「やりもらい」が、、、、
 試験が終わったら、ソッコー忘れるのが学生の仕事、いいですいいです。チョウさんの気持ちは伝わりましたよ。「お母さんのように関心をあげていた」って、私のこと、お母さんのように感じてくれたのね。

 190cm、クラスで一番のノッポさんのマンさんのことば。マンさんは、コンピュータ苦手な私に代わって、教室コンピュータ管理をしてくれました。
 「だいずきなせんせい、私をわすれないでください」

 ハイ、忘れませんとも。だいすきよりももっと好きな「だいずき」な、マンさんの気持ち、伝わりました。

 日本語は、ふたつの語をくっつけると、後ろの語頭は、清音が濁音になります。私は中国が好きです。ふたつをくっつけると「ちゅうごくすきな先生」じゃなくて「ちゅうごくずきな先生」になります。女が好きな人は「女ずきな人」ですよ。って、教えたのをちゃんと覚えていたのね。だから、「大」と好きをくっつけると、「だいずき」になるって考えたのは、日本語の原則にあっているんだけど、、、、
 マンさんは、早大大学院で教育工学の研究をします。

 日本語会話と聴き取りが最後まで苦手で、最終試験に合格するかどうか、はらはらしていたふたり、ファンミンさんとリュウさんは、やっぱり中国語での寄せ書きでした。中国語となると、ふたりとも達筆です。

 最後まで受け入れ先大学が決まらずに、何度も日本の大学にアプローチしたチョウエンさんと、班長のリンさんも中国語でのメッセージ。リンさんは最後まで「英語のほうが日本語より達者」でした。

 リュウさんのことば
 「衷心感謝 悠対我心関心和幇助 悠(〓)耐(〓)細致(〓)我感動 悠(〓)話語也将激励我不断奮闘 祝老師永遠幸福!」
 ( )のところは、達筆な簡体字だったので、私には読めなかったのですが、気持ちは分かりました。

 名大のチョウさんの話によると、リュウさんの指導教官は中国語が得意な先生なので、授業では問題ないし、日常生活会話も慣れてきたから大丈夫ということでした。そう、聴解試験は合格ぎりぎり点だって、日本で生活する間に日常会話はこなしていけます。
 「大学経営論」を研究して、「将来は学長」希望のリュウさん、研究、きっとうまくいくでしょう。

 ひとりひとりの心からの寄せ書きを眺めて、「さあ、私も今年1年がんばるぞ!」と、元気が出てきました。

<クラス寄せ書きおわり>


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2008年01月03日


ぽかぽか春庭「クラス会」
2008/01/03
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(1)ハカセ2班クラス会

 年末年始、いろいろな集まりで飲んで食べて、みなさん、おいしい毎日をたのしんでいらっしゃるだことでしょう。まさか、酢豆腐食べておなかこわした人いないでしょうね。
 春庭、正月はいつもの寝正月ですが、今年は、年末の教え子クラス会に招かれたときにもらったクラスアルバムなどながめながら、のんびりすごしています。

 教え子たちのなつかしい顔をアルバムでたどりながら、昨年の中国滞在を思い出し、年末に行われた「赴日本国中国留学生」たちの同窓会を思い出しています。

 2007年、3月から8月まで中国で教えた教え子たちは、2007年10月に元気に日本へやってきました。

 昨年末12月15日に、日本での第一回目のクラス会が行われ、私もお招きにあずかりました。

 私が担当した「博士二班」の20名のうち、東京組は半数近くの9名。東大、東工大、一橋大、早大に在学中。
 北大、東北大、名大、岐阜大などの遠方の大学に在籍組で東京に集まれなかった人とは、またの機会にということで、今回は東京在住者中心の「クラス会」になりました。

 教え子たちは、2006年9月まで、中国の大学の教師として働いていました。
 中国全土の大学若手教師のなかから、優秀な百人が選ばれ、1年近く日本語を猛勉強しました。
 彼らは、2006年10月に日本語学習をスタートし、アイウエオから学びはじめました。

 彼らのコースは、日本の中学生高校生が6年間かけて学ぶ分量の英語(英検2級合格レベル)に相当する日本語を、わずか11ヶ月間で修得するという集中プログラムです。

 教え子たちは、11ヶ月の日本語学習を経て、2007年8月に修了証書をもらっています。
 この修了証書は、中国教育部(日本の文部科学省にあたる)が、公式に「日本への留学を認める」と、お墨付きを与えるものです。

 中国で国費留学するためには、「国費留学生試験」に合格する必要があります。この試験に合格するのは、昔の科挙試験に合格するよりむずかしい、と言われています。
 「現代の科挙」に合格せんとする彼らの猛勉強ぶりは、ものすごいものがありました。
 教えるほうもヘトヘトになるくらい。

 彼らが受けた修了証書は、この「国費留学試験に合格したと同等の資格を認める」というお墨付きなのです。
 彼らは、最終試験に合格して留学切符を手にしました。
 文部科学省の招聘国費留学生。学費は無料で、返済不要の奨学金も給与されます。

 この日本語教育機関は、日本の学校教育法に記載された中国で唯一の、「中日両国政府合弁」教育施設です。中国と文部科学省が合同で維持運営していく教育機関なのです。
 中国側の教師と日本の文部科学省から派遣された教師が、協力して日本語教育にあたっています。

<つづく>



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2008年01月04日


ぽかぽかはるにわ「楽観的先生のクラス」
2008/01/04
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(2)楽観的先生のクラス

 私は2007年3月から7月まで、初級後半から中級の基礎日本語授業を担当しました。
 日本から派遣された教師団は、「中国最高の頭脳の持ち主たちに、短期集中で最高の日本語教育を授ける」という使命を負って、「神経衰弱」になるくらい緊張しながら授業を続けました。

 学生たちはクラス記念アルバムの寄せ書きに「先生はいつも明るく笑顔で、楽観的だったので、自分たちもリラックスして授業を受けることができた」と、書いてくれていたので、ほっとしたのですが、実をいえば、楽観的どころか、毎日冷や汗三斗、薄氷踏む思いの連続でした。

 この「必死の日本語教師」ぶりは、いっしょに派遣されていたアグアフレスコ先生もまったく同じ思いだったと、母校の大学院研究雑誌の中で述懐しています。
 「中国で大学教師をしていた人々にとって、自分のつたない授業がどのように映っているのか、日々緊張し、反省しながらの授業だった」と。

 私がいつもニコニコ、「脳天気な楽観的先生」でいたのは、そうでもしなければ、自分のダメさかげんがイヤになるし、一度落ちこんでしまったら、どん底からはい上がれそうになかったから。
 
 毎朝、せいいっぱい元気な声で「おはようございます」とクラスに呼びかけ、学生がまちがっても、「うん、この間違え方はとてもいいよ、上達する前提だ!」と、景気づけ、とんちんかんな解答がでても笑い飛ばして、「だいじょうぶだいじょうぶ」と、安心させていたので、学生には「いつも楽観的な先生」にみえていたのでしょう。

 能力不足の私、いろんな面で同僚や学生たちに助けてもらっていました。
 教室コンピュータ管理は、教育工学専攻のマンさんにまかせてしまったし。

 この「教育工学」のマンさんは、実にいい人で、落ち込みそうになる私に「先生は、授業がとても上手です。先生のおかげで、私たちの日本語は上達しています」と、励ましてくれました。

 私の授業は、ぜんぜん上手じゃなかったのに、マンさんに「上手です」と言われると落ち込みから回復できました。
 「教育学」の専門家で、教員養成も手がけていた人なので、「よい教師を育てる方法」を知っていたのでしょう。わたくし、育ててもらいました。

 彼らは、「基礎日本語」授業のあと、国際金融用語とか情報工学用語とか、それぞれの研究に必要な専門用語を修得し、日本での研究生活に臨める学習を積んできました。
 私は8月に日本へ帰国してしまい、修了式にはでていませんので、「みなさんが来日したら、必ず会いましょう」と、約束していました。

 教え子たちは、2007年9月の一ヶ月間、それぞれの故郷で留学準備をして、2007年10月に来日。
 現在は、日本各地の大学で博士号を目指す大学院研究生です。

 ほとんどの学生が1月か2月に博士課程進学試験をひかえ、留学したばかりといっても、のんびり日本の生活に慣れるヒマもなく勉学に励んでいます。

 日本の生活を楽しむ間も惜しんで勉強してきた彼らですが、忘年会シーズン、クラス会をして鋭気を養おうということになりました。

<つづく>
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2008年01月05日


ぽかぽか春庭「餃子パーティ」
2008/01/05
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(3)餃子パーティ
 
 中国の人たちは、みんなで集まってごはんを食べるのが大好きです。

 12月15日、11時前に、国際交流会館のキッチンに集合。餃子パーティの開始。
 スーパーへ食材の買い出しに行く者、近くの「ダイソー」に行って、紙コップ、麺棒、「おろし金」など調理器具を買いに行く者、手分けして、料理スタート。

 教え子たちが住む国際交流会館は、国費留学生のための寮で、世田谷区にあります。
 世界各国から集まった留学生が、ここからそれぞれの大学に通学しています。

 最初の1、2年間は、この「国費留学生用の寮」に、そのあと民間アパートに、という住生活プランの学生が多い。
 地方の大学ではずっと大学留学生寮に住めるのですが、東京は留学生数も多く、留学生寮に入居できる期間が制限されているので、いろいろたいへんです。

 私が教えたクラスの学生、東大理系2人文系1人一橋大1人が、この寮に住んでいます。ほかの東京組、、早大2人と東大文系ひとりは、駒場東大前の留学生会館に入居しました。
 昨年7月に出産し、赤ちゃんをおばあちゃんに託して留学してきた「国際金融」研究のママさん学生も元気な顔を見せています。彼女は大学キャンパス内の留学生寮に入居できました。

 そのほか、横浜からふたり、京都からひとり、名古屋からひとり、遠路はるばる駆けつけてきました。
 名古屋から来たチョウさんが言いました。
 「先生は私に、日本では、ぜひ青春18切符をつかって旅行しなさいと教えてもらいました。だから、私は、昨日の夜、青春18切符で電車に乗りました。今朝、東京駅に着きました」

 うん、私が雑談で言ったことをしっかり覚えていて、青春18切符を使いこなしているんだね。私が教えたことが役にたってうれしいよ。

 でも、私が授業中あれほど口をすっぱくして教えたつもりの「やりもらい」の使い方、「先生は私に教えてもらいました」じゃなくて、「先生は私に教えてくださいました」って教えたのに、、、
 ん、まあいいよ、いいよ、間違えても、気持ちが伝わりました。みんなと会えてうれしい気持ち。 

 にぎやかに会話しながら、餃子や中国料理ができあがっていきます。それぞれの大学事情や寮のようす、この2ヶ月半の日本での体験、みな、話がいっぱいあります。

 中国では餃子の皮を手作りするのは、日本で自宅の炊飯器で米を炊くのと同じ感覚。餃子の皮を買うのは、「パック入りレトルトごはん」を買うのと同じで、手抜き料理の感じになる。
 男性も器用に餃子の粉をこね、皮を丸く仕上げることができます。

<つづく>
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2008年01月06日


ぽかぽか春庭「思い出のアルバム」
2008/01/06
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(4)思い出のアルバム
 
 中国の男性は、もともと料理が得意な人が多いですが「日本に来て、ひとり暮らしですから、料理がじょうずになりました」と、皆言っています。
 生活費をおさえるために、皆、朝晩料理を作り、大学へもお弁当を持っていって、研究室の電子レンジでチンして食べているのだって。

 ほとんどの学生が結婚していて、「博士課程に進学して落ち着いたら、妻子を日本に呼び寄せたい」と、希望しているので、そのために出費は極力おさえて、家族を呼びよせる準備に貯金しているのです。

 みな、おなか空いてきたので、ぜんぶが仕上がらないうち「味見」と言いながら、ひとくちずつ頬張っています。
 私も、「海老とニラと卵の餃子」「豚肉と白菜と葱の餃子」「牛肉と椎茸と葱の餃子」など、ゆであがるたびにつまみながら、肉餡を皮につつむお手伝いをしました。

 私が包むと、肉餡をいれすぎてはみ出てしまい、失敗多数。失敗したものはふたつあわせてUFO型に作りなおせばOK。いつでも「失敗は次のステップのためにある!」と、クラスで言っていたことの料理実践編です。

 料理がひととおりできあがり、みなが席につきました。
 リンさんの挨拶から「餃子食べ放題」パーティ本番です。

 クラス代表だったリンさんは、英語のほうが日本語より流暢なので、いつも会話は英語と日本語のチャンポンで「クラス代表」として働いてくれました。専門は「国際関係」です。
 ふるさとに奥さんと生まれたばかりのお子さんを残してきています。

 乾杯音頭をとろうとして、リンさんが口を開こうとすると、すかさず、悪友たちは「レディス、アンド、ジェントルメン」と、冗談を言ってからかいました。英語で話し始めようとして、口ごもってから日本語を話すリンさんのくせを、皆は笑いながらもクラス代表として信頼してきました。

 料理を作っている間は、中国語のおしゃべりが飛び交っていましたが、食べながらひとりずつの挨拶は、日本語で上手にできました。
 うん、みんな日本語じょうずですよ。いろいろ間違いはあっても、ヘーキヘーキだいじょうぶ。

 修了式で私に渡したかったという「クラス卒業記念アルバム」の贈呈式がありました。
 「日本の南画、中国との影響関係」というテーマで美術史研究するシンさんが代表になって、上手に編集されているアルバムを渡してくれました。
 アルバムをひらくと、なかには、なつかしい顔がいっぱい。
 
 餃子忘年会に出席できなかった人たちの顔を思い浮かべました。学生同士はメール連絡取り合っているので、みなが元気良く留学生活をおくっているようすを確認できました。

 食べながらのひとりひとりの日本語挨拶。
 東大でメディア研究をする予定の上海出身のカツさんは、
「理系の人は、特に問題はなく博士課程に進学でき、研究生からほぼ自動的に博士課程の院生になれます。でも、文系の学生は、厳しく論文や日本語力を審査されるのでたいへんです。去年、東大情報学環博士課程に入学希望した中国人受験生13人のうち、進学できたのは一人だけだったそうです」
と、心配そう。

 だいじょうぶ、カツさんは、高校時代にも日本に留学したことがあり、とてもこなれた日本語を話せますし、研究もしっかりしているので、きっと博士課程の院生になれるでしょう。

 日本留学経験のあるカツさんや大学で日本語を学んでいたフーさんは、初級前半の授業は免除されていて、半年だけの2班クラスメートだったのですが、クラスによくとけ込んでいました。

<つづく>
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2008年01月07日


ぽかぽか春庭「いかがお過ごしますか」メール
2008/01/07
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(5)「いかがお過ごしますか」メール

 名古屋から来た青春18切符のチョウさんは、中国でも女性にモテモテでしたが、名古屋でも
「女の留学生が、毎日かわるがわる私の部屋に来て料理を作ります。毎日違う女性なので、どの人が奥さんですか、と、友達が質問します。だれも私の妻ではありません。私の妻は、今、韓国に留学しています」
と、笑わせていました。

 留学直前に「駆け込み結婚」した、チョウさんとカツさん、短い新婚生活のあと、すぐ留学してしまって、さぞかし奥さんが恋しいことでしょう。

 チョウさんは、名古屋と岐阜の学生連名のサインがある「年末年始ごあいさつカード」を渡してくれました。

 学生たちにとって、2007年はほんとうに「忙しかったけれど充実した1年」だったと思います。
 2008年は、いよいよ博士課程進学。みな、充実した研究生活がおくれるよう、祈っています。

 クラス会に来ることができなかった遠方の学生からはメールが届きました。
 仙台に留学し、ナノテクノロジーを研究する予定のリエンさんからの年末ご挨拶メールをご紹介しましょう。

 原文のままですので、日本語表現間違えているところもありますが、今は日本語の復習より、押し迫った「博士課程入試」のことで頭がいっぱいなのでしょうから、私としては添削するより、ただただ「入試がんばって」と、応援するばかりです。

(リエンさんのメール)
 先生、お久しぶりですね。いかがお過ごしますか。
先生とクラスメート一緒に日本語を勉強しているうちに、美しい思い出になってきて、ほんとうにありがとうございます。遠いから、クラスのパーティーが参加できなくて、すごくおしいです。

 仙台に着いてからもう三ヶ月間ですね。生活もだんだん慣れました。来年(2008)の二月末入学試験がありますから、今は数学と力学を勉強しています。休みがあるのに、遊ぶことはまだダメだと思います。

 お正月までいくつの日か、前にお祝いを送りたいです。
Happy New Year and Best Wishes.
リエン

 リエンさん、メールありがとう。
 ものすごい努力家で、日本語の勉強も熱心だったリエンさん、「いかがお過ごしますか」は、私の「日本語ゆかいな誤用リスト」に登録です!

 大学院入試、理系の人たちは、ほとんどがストレートで博士課程進学にできるから心配ないそうですが、がんばりやのリエンさん、きっと睡眠時間を減らして勉強しているだろうと想像しています。体に気をつけてね。未来はあなたの前に輝いています。

<つづく>
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2008年01月08日


ぽかぽか春庭「リグン先生」
2008/01/08
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(6)ハカセ2班担任リグン先生

 年末の「クラス会その1忘年餃子パーティ」につづき、新年は、1月5日、博士2班の新年クラス会をしました。

 2007年12月15日に、国際交流会館での年末餃子パーティクラス会にお招きいただいた返礼、というほどのものじゃありませんが、クラスの新年会がわりに、「日本の庶民の家を見る会」に、博士2班の留学生をお招きしたのです。

 「庶民の家」というのは、私の住んでいる団地2DKじゃありません。こちらは「日本のワーキングプアの家」で、とても人様に見せられません。

 第一、ヒトサマが来ても、部屋の中に入って立っている場所がない。足の踏み場がないので、床に散らばった本だの靴下だのの間に、片足ずつ交代で立たなければならず、それではあまりにも疲れるでしょうから、我がすみかへのお招きは、ちと無理なこと。

 かわりに、姑の住まい、緑が丘の「庶民の家」へのお招きです。
 年末、姑に連絡して「ご年始にうかがうとき、中国でお世話になった方といっしょにうかがってもいいでしょうか。みな、中国の大学で先生をしていた方々です」と、たのんでおきました。
 姑は「大学のセンセにお世話になった」と聞いて、即OK。

 「お世話になった大学の先生たち」のうち、「同僚」は、リグン先生ただひとり。あとは「教え子」ですが、クラス班長のリンさんにも、コンピュータ係をしてもらったマンさんにも、いろいろお世話になりました。

 中国での同僚、リグン先生は、私とペアをくんで博士2班を担任していました。若いけれど大変有能なママさん先生です。

 勤務先の大学から派遣され、2007年10月から1年間、私の母校で「中日漢字教育比較」というテーマで研究します。
 中学1年生の息子さんの世話は、高校副校長のご主人と、隣の市に住むお姉さんに頼み、単身での日本研修。

 2007年の中国滞在中に市内高層マンションにあるリグン先生のお宅に招いていただき、息子さんにも会いました。

 リグン先生と、子育てや仕事との両立についてなどいろいろ話をしました。
 リグン先生と私の共通の悩みは、「うちのムスコ、ゲームに夢中でちっとも勉強しない」です。
 リグン先生の息子さんがゲームに夢中なのは、まあ中学生としてそういう年頃かな、と思うけれど、うちの与太郎、大学生になってもゲーム漬けの毎日です。

 中学生になって最初の1年間、母親がいない状態になることについて、心配もあったことでしょう。
 わたしが最初に中国単身赴任をしたとき、息子は4歳、娘は9歳だったこともたびたび話しました。

 「大丈夫、母がいなくも子は育つ。しばらく離れていることで、一人っ子の息子さん、きっとたくましく育ちますよ」と。

 2月の春節休暇には、中国へ一時帰国をするそうです。それまで半年間、息子さんに会えない不安も、私の「大丈夫大丈夫」で、気楽になれたかも。

<つづく>
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2008年01月09日


ぽかぽか春庭「庶民の家」
2008/01/09
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(7)日本庶民の家

 リグン先生にとっても、博士2班の留学生にとっても、「2班の先生と学生がいっしょに日本へやってきた」という状態。お互いに頼りになります。
 日本語でこまったとき、学生たちはすぐに中国語でリグン先生に相談できます。すると適切な日本語表現などを教えてもらえます。

 私も「日本で日本語がわからないとき、頼りにしてね」と、学生たちには言ってありましたが、実際にはリグン先生がいらっしゃる間は、私の出番はありません。中国語ができない私より、中国語日本語両方できるリグン先生のほうが、頼りになります。

 リグン先生が日本語教育について発表するときは、私がリグン先生のアドバイザーになります。

 日本語ではあまりお役にたたない私なので、そのかわりに「日本の庶民の家を見学しようクラス会」にお招きすることにしたのです。

 留学生たちには、年末に言っておきました。
 「これから指導教官の家を訪問する機会があると思いますが、そういう「上層ピープルの家」ではない、ごく普通の庶民の家というのが、どんな感じか、見ておくことも日本留学のひとつの経験になるでしょう。
 私の姑の家、とても狭い家ですけれど、まあ、日本人はこんなウサギ小屋に住んでいるのだと知るのも勉強のうちと思うので、ぜひ、おいでください」

 リグン先生も「教科書に、日本間の説明が書いてありましたが、実際の押入を見たことがなかったので、日本人が布団をどのように畳んでしまうものなのか、よくわからないまま学生に説明していました。そういう細かいところをぜひ見せていただきたいです。知りあいの家に招かれても、まさか押入を開けたりできませんから」と言います。

 今、姑は、家をヒトサマに見せたくてたまらない時期なので、ちょうどいい。
 築37年の古家を、姑ひとりの差配で改築したばかりなのです。

 1月5日は、「日本人の生活はどんなものか覗いてみるのが主目的で、食べるのはメインじゃないから、食べ物は各自持ち寄りです。みな、自分の食べたいものは自腹で買って、それをおみやげにしてね」と、言っておきました。
 姑には、「すぐ食べられるものをスーパーで買っていくので、お茶と漬け物でも用意しておいて」と、頼んでおきました。

<つづく>
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2008年01月10日


ぽかぽか春庭「持ち寄り新年会」
2008/01/10
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(8)持ち寄り新年会

 家にお招きしておきながら、「食べ物は各自でもってこい」とは、なんていう招待なんだというところですが、「今回は食文化ではなく、住文化の見学です。よその日本人のお宅に招かれても、押入の中まで全部見る機会は少ないです。今回は、押入のなかだろうと床下だろうと、全部みせます。

 今までビデオなどでみたことのある日本人の住まいの、見えなかった部分の実際を知ってください。わからないところを質問してください」と話しておきました。

 冬休みに関西へ旅行していたり、ゼミの旅行がある学生もいるので、集まれたのは、班長リンさん、マンさん、カツさん、チョウエンさん、ママさん留学生フーさんです。
 私とペアを組んで2班の担任をして日本語を教えてきたリグン先生をいれて6人が集まりました。

 駅前で待ち合わせをして、スーパーで、日本のスーパーで売っているものでこれまで食べて「これなら食べられる」と、思ったものを各自買い出し。海苔巻きとかいなり寿司とか、みかんとか、適当にカートに放り込みます。

 姑は、まだかまだかと待ちくたびれたのか、曲がり角のところまで、迎えに出ていました。

 玄関で靴を脱ぎ、部屋側にむけて靴をそろえるところから「日本の住文化の学習」をはじめました。
 部屋のなかの仏壇や舅の位牌なども紹介し、庶民レベルの仏教文化についても話しました。

 「日本の庶民の普段の食事を紹介する」ということで、姑が用意していてくれたのは、おでん、豆腐とわかめのみそ汁、つけものと、お節料理の残りの昆布巻き、黒豆など。
 各自が買ってきた焼き鳥、揚げ物などをテーブルにならべて、食べながら、おしゃべり。

 そのあとは、台所の床下収納から、階段下収納、和室洋室、トイレおふろから押入まで全部公開しました。
 「質問に答えますコーナー」では、「ウォシュレットトイレを単独で買うならいくらくらいするか」とか、「改築にはどれくら費用がかかったか」など、「日本の経済、物価の高さ」に関心が集中しました。

 日本では、食品物価が中国に比べて10倍くらい高い、ということは、3ヶ月間の日本生活で実感しているのですが、それ以外の住環境の値段は、買い物をしていないので、まだ実感していません。トイレを借りることはあっても、買うことはありませんから。
 何を見ても、「これと同じ物を買うとしたらいくらか」というのは、一番大きな関心事です。

<つづく>

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2008年01月11日


ぽかぽか春庭「日本のおばあさんとハカセの卵たち」
2008/01/11
春庭のニッポニアニッポン語教師日誌>クラス会(9)日本のおばあさんとハカセの卵たち

 姑は、今習っている詩吟の、李白の詩などを紹介しました。留学生たちは、中国語で唐詩を朗読し、中国読みでは、脚韻を踏んでいることなどを、姑に説明していました。
 「にほんのおばあちゃん」は、留学生たちに故郷のおばあちゃんのように思えたようで、仲良くなっていました。

 2階の窓際に出してあるミシン。
 姑は改築にあたって、古い家具のほとんどを処分しました。留学生のためのリサイクルバザーなどにも出品したのだそう。
 でも、新婚時代の思い出の品である足踏み式ミシンと、小中学校で音楽教師をしていた実姉が使っていた足踏み式オルガンのふたつだけはどうしても捨てらなかった。

 古いけれど、ミシンはまだ現役で、雑巾縫いなどに活躍しています。
 マンさんは、「ああ、私の故郷でも、母がこれと同じ形のミシンを踏んでいました」と、なつかしそうに言っていました。

 「また遊びに来てくださいね」「今日は、楽しかったです」というご挨拶をかわして、お開きになりました。
 「日本庶民の家見学会」は、まずは大成功でした。

 リグン先生から「ごちそうさまでした」メールをいただきました。

「 とても楽しい一日でした。
 日本人の家庭を見物させていただき、肌で日本文化を感じました。
 それに、おばあさんも優しくて、とても感じのいいお人でした。
 今日のために、いろいろ準備していただいて、誠にありがとうございました。

 おばあさんは本当に可愛いです。
 もう80歳ですが、話も頭もはきはきしていて、ぜんぜん80歳には見えません。
 それに、おばあさん一人にいろいろ日本料理をご馳走していただいて、お礼を伝えてくださいね。 」

 姑のおかげで、「日本の生活文化を知る会」は「日本のおばあさん触れあう会」にもなって、留学生たちにもよい一日を過ごしてもらえました。
 
<おわり>

日本語教師養成1-7

2011-01-07 08:15:00 | 日記
2006/09/20 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(1)模擬授業

 私の「日本語教育研究」の授業では、日本語学を復習しつつ、さまざまな第二言語教授法も学び、日本語教授法を考えていけるよう指導しています。

 学生たちが、一人前とはいかなくても、半人前くらいの日本語教師として通用するように、1年間ふたつの学期で授業を続けます。
 半人前めざして、四分の一人前くらいでおわるのが関の山なんですが。

 半年コースの最後の2回は、一人10分程度の模擬授業を実施します。
 50分授業の指導案を書き、指導案に基づいて10分間、教師として授業をやってみます。

 今日20日は、日本語教育研究のクラスの模擬授業発表後半をおこないます。先週の水曜日にクラスの半分が発表を終えています。

 クラスを4つの班に分けてあります。発表班のひとりが日本語教師の役を演じます。
 モデル授業案をもとに、自分が割り当てられた文型の教え方、ドリルの仕方を「50分授業の教案」としてまとめ提出します。

 そのなかの10分間分を「授業シナリオ」にします。映画のシナリオのように、場面、時を設定します。どれくらいの人数のクラスなのか、生徒の国籍、レベル、これまでにどのくらいの時間日本語授業を受けてきた学生なのかを自分たちで設定して、教室の準備をします。コースデザインをするのです。

 この設定によって、教師役のセリフ、生徒が答えるであろうことばを予想し、教室でやりとりされるすべてのセリフを書き込みます。
 現実の教室では「アドリブ続出」となり、シナリオどおりに授業が進むことなどないのですが、はじめて教師役を体験する学生には、まずは、シナリオ執筆と、シナリオにそった授業展開を体験してみることが必要です。

 授業を行う先生は、「シナリオライターであり、演出家であり、俳優であり、生徒という出演者の演技指導係であり、プロデューサーでもあり、いわば、教室という劇場のすべてをとりしきる、統括者なのだ」と、学生に話しています。

 教室の主人公は日本語学習者ですから、脇役の教師は、主役の日本語学習者のよい表情、よいセリフをひきださなければなりません。

 発表班の学生は、ひとりが先生役を演じ、他の学生は生徒役になります。同じ班なので、お助けの「よくできる生徒役」を演じます。
 他の班の学生は、何人かが「まったく日本語ができなくて、理解もおそいし、リピートのおうむがえし練習も口がまわらない役」を演じます。

 残りの学生は、コメンテーター役。です。模擬授業をじっと観察して、よい点と改善点をみつけ、コメント表にかきこみます。この書き込みも「第3レポート」として、成績評価の対象になりますから、学生たち、コメントもいっしょうけんめい書き込みます。

<つづく>
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2006年12月21日


ぽかぽか春庭「日本語教師の役を演じる」
2006/09/21 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(2)日本語教師の役を演じる

 日本語教師養成コースの「教育実習」では、ほんとうの日本語教室へ出向き、さまざまな外国人に教えるところもありますが、私の模擬授業では、教える相手は留学生ではなく、学習者の役を与えられた日本人学生なので、実際の日本語授業とは異なります。

 しかし、学生達はかなり緊張しながら、それぞれ苦心して授業案を書き上げ、皆の前で「日本語の先生役」を演じます。
 
 10人前後の「学習者役」になった学生へは、「あなたたちは、はじめて日本語を習う学習者の役なんですから、中学一年生のときはじめて英語をならったときのことを思い出してね」といってあります。

 しかし、みんな自分が不出来な中学生だったことを忘れて(いや、彼らはきっと優秀な生徒だったのかもしれないが)、スラスラと先生のあとについてリピート練習をしたり、初級なのに難しい漢字が読めたり、どうも優秀すぎます。

 学習者役の日本人学生たち、日本語を母語としているのだから、日本語ができるのは、当然なんだけれど、実際の日本語をはじめて習う学習者に教えるときは、そんなスラスラと授業は進まないのが現実です。

 私ひとりが「不出来な学習者」の役を引き受け、先生がいっしょうけんめい教えても、発音を間違えたり、先生のことばが理解できなかったりのふりをします。
 初級の学習者に新しい文型(新出文法事項)を教えるのに、日本語で説明してはいけないと、何度言っても、日本語で説明をしてしまうのです。

 「ここにいます。そこにあります」という「こそあど」表現と、「ある、いる」の文型を教える授業。
 「私の周りは、ここ、といいます」と、日本語先生役の学生が授業をはじめました。
 出来の悪い生徒役がたずねます。
 「先生、マワリ、なんですか?トイイます、なんですか?トイイます、わかりません」

 「ここにあります」という基本の文型を習う初級者には、日本語で「周り」という言葉を聞いても理解出来ない。「と、いいます」などの引用の言い方を習うのも、初級の後半になるので、「トイイマス」がわかりません。
 多くの先生役のミスは、日本語だけで日本語を教える際、学習者がまだ習っていない日本語をつかってしまうことです。

 「では、わたしが言ったとおりのまねしてください」なんて、学習者に呼びかけても、「わたし」はわかるけれど、「では」も「言ったとおりに」も「まね」も、まだ習っていないことばですから、わからないのです。
 「先生のいうのをくりかえす練習をする、リピート練習をする」ということを、学習者にわからせるところから授業がはじまります。
 
<つづく>
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2006年12月22日


ぽかぽか春庭「直接法」
2006/12/15 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(3)直接法

 クラスの全員が英語を知っていれば、「リピート アフター ミィ」と言ってしまえば簡単。クラス皆がわかる言葉を補助的につかって教えられます。クラス全員が韓国人なら、韓国語を使っておしえてよい。
 この教え方を「媒介語を用いる教授法」と言います。

 日本国内の日本語教室のように、様々な国から集まった学習者がいるクラスで、クラス全員が共通して理解している言語がないばあい、日本語だけで日本語を教える方法をとらなければなりません。この方法を「直接法」といいます。

 なかには、「そうそう、うちの中学校に英語のアシスタント・ティーチャーが英会話のクラスを受け持っていて、英語だけで教えてくれたなあ」と、思い出す学生もいるけれど、その学生も、英会話を英語だけで教わったのであって、文法を教わるときには日本人の先生が、「エー、三単現のSというのはだねえ」とか「不定詞のtoには、三つの用法があって」など、日本語で説明を受けてきています。

 日本の中学校で、日本人の先生が日本語をつかって説明し英語を教えている方法が、この「媒介語を使う語学授業」です。
 日本人が英語をはじめて習うとき、ほとんどの中学校では、日本人教師が日本語を使って英語を教えます。このやり方でのみ英語を教わってきた日本人学生には、「日本語だけで日本語を教える」というやり方が、なかなか理解できません。

 クラス全員が同じことばを理解していれば、媒介語をつかってもOK。
 しかし、クラスのなかに、英語も韓国語も中国語もわからないロシア人とモンゴル人がいたら、どうします?
 ロシア語とモンゴル語の本を探し出して「私のあとにつづけて言ってください」という教室指示用語だけでも丸暗記しようか。ま、それでもいいでしょう。
 じゃ、ボスニアヘルツェゴビナ人とコスタリカ人がいたらどうします?

 えっと、コスタリカはスペイン語だから、なんとかなるかもしれないとして、えっ、ボスニアヘルツェゴビナって、いったい何語を話している国なんだ?
 イランと、ベトナムとハンガリーとベルギーとクエートとモロッコだったら、、、、ってことになって、すべての言語をカバーするとなったら、、、、不可能ではないけれど、たいへんです。

 教室指示用語だけなら、教室にいる学生の国の数だけ準備することも、たいへんではあっても不可能ではありません。
 しかし、、日本語を初めて習う人に、新出項目を理解させるために、すべての文法説明を、すべての言語で行うことなど、少なくとも私には不可能です。

 「私は、英語得意だから、英語を媒介語として使うなら日本語教師できるだろう」っていう人、英語で日本語の「受け身形」を教えてみてください。
 「猫が鼠を食う」を「鼠が猫に食われる」という受身形にするのは、説明できるかも。
 では、次に、「雨にふられる」は?

 「雨がふる」という英語自動詞文は、受動態に翻訳できません。
 英語では、受身形にできるのは目的格が存在する他動詞文だけ。自動詞は受身形にできません。

 英語で文法解説(文型の構造)を理解させていく方法もありますが、英語にたよると、英語式の発想から抜け出さず、なんでも英語に翻訳して理解してしまう学生も出てきて、「雨にふられる」のような、英語にない表現が出てきたとき、理解できなくなることも起こります。

 「赤ん坊が泣いた」を「赤ん坊に泣かれた」という受身形にできる言語の人にはすぐ理解できることですが、「翻訳式」に他の言語を覚えようとすると、自分の母語にない概念を理解することがむずかしくなります。
 さあ、どうしましょうか?

 日本語のことばのルールを日本語だけでわからせていく方法がさまざまに工夫されています。

<つづく>
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2006年12月23日


ぽかぽか春庭「ダイレクトメソッド」
2006/12/23 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(4)ダイレクトメソッド

 この教授法「直接法」、日本語を日本語だけで教えるダイレクトメソッド、各段階の文法項目、「文型」を教えるテクニックが工夫されてきました。
 教師達は工夫を重ねて、日本語だけで日本語を教える教授法を開発してきました。

 日本語教授法には、いろいろなやり方があるけれど、学生達に身につけてほしいのは、まず、この「直接法」です。が、なかなか理解してもらえません。

 日本語教師として仕事につく場合、まずキャリアのスタートは、日本国内の日本語学校で教える、という場合が多い。
 多国籍の学生がクラスにいたら、ほとんどが直接法の授業となるので、この教授法の習得が大切になります。

 外国で教えるなら、媒介語が使えます。
 たとえばブラジル・サンパウロにある日系子弟のための日本語学校で教えるなら、ポルトガル語を習得した日本人が教えるか、日本語を習得したブラジル人が教えることが多い。
 韓国で教えるなら、韓国語を習得した日本人か、日本語を習得した韓国人その他の国の人が教えるほうが、効率がいいでしょう。

 日本国内の日本語学校には、在籍者が中国人のみ、という学校、韓国人のみと言う学校もありますが、いくつかの国の人が混じったクラスになったとき、ひとつの言葉を媒介語にすることはできません。

 中国人が多数のクラスにひとりでもタイ人がまざっていたら、中国語で説明したら、タイの人は置いてけぼりになってしまいます。韓国人が多いクラスにひとりインドネシア人がまじっていたら、韓国語で教えることはできません。
 全員に等しく理解させるために、直接法と言う教授法が重要になるのです。

 外国語教授法として、文法訳読法やら、オーディオリンガル法、VT法TPR法など、さまざまな教授法を教えます。
 「直接法」を、ことばでは理解できても、実際の模擬授業になると、直接法で教えますと言いながら、日本語を初めて習うはずの学習者に対して、日本語で説明をはじめてしまう学生も多いのです。

 模擬授業をするのも、適当な準備で適当な授業をやって終わろうとする者もいるし、本格的に教材を準備し、しっかりと教材研究をして模擬授業を行う学生もいます。
 最初は「緊張する。やりたくない」と、しぶっていた学生も、10分間の発表をおえ、他学生からのコメントをもらうと、「やってよかった」と、晴々した表情になります。

 真剣に取り組んだ発表なら、教え方が下手でも、うまく授業が進行しなくても、それなりの達成感が残るのです。

 教育実習の模擬授業や研究授業ではなく、あくまでも日本語教育研究の一環としての模擬授業ですから、明日からすぐにでも日本語教師ができるほど完成されている授業でなくてもかまいません。
 なかには、「できの悪い生徒役」の私がおかしな答えを繰り返すので、わらいころげてしまう教師役もいます。

 でも、とにかく、日本語の授業はこんな感じ、というイメージをつかみ、「日本語をおしえるのって、思ったより難しいことだったんだな、でも、教えてみるのはたのしいなあ」と、思ってもらうことが私の目的です。
 だから、私からは「ここがわるかった、この点もまずかった」という論評はあまりしないようにしています。

 「日本語を教えることは、むずかしいけれど、楽しい」ってことがわかってもらえれば、私の授業目的のひとつは達成できます。
 日本語教師養成コースには、日本語の音声、文法、語彙、日本の歴史や文化、学ぶべきことはたくさんあります。
でも、知識を得ることはむろんのこととして、まずは、「ことばを通じて人と関わることは楽しい」という気持ちを味わってほしいと思っています。
 
<つづく>
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2006年12月24日


ぽかぽか春庭「模擬授業コメント」
2006/12/24 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>日本語教師養成(5)模擬授業コメント

 模擬授業のコメンテーターは、授業を観察し、感想をコメント表に書き込みます。
 自分で先生役をする以上に、他の学生が先生を演じているのを観察することが、多くの「気づき」をもたらします。

 先生役をしているときは、夢中でシナリオの内容をこなそうとして気づかなかったことを、観察者の学生は冷静に見つめています。
 コメンテーターには、よかった点をひとつ以上、改善点をひとつ以上書くことを義務づけている。

 「ちょっと声が小さく、自信がなさそうでした。先生が不安に感じていると、生徒も不安になってしまうので、もっと大きな声を自信をもってだしたほうがいいと思います」

 「スムーズに予定の授業はおわったところは、良かったと思います。しかし、順調に予定をこなすことにいっしょうけんめいだったせいか、顔がこわかったです。生徒にはもっと笑顔をむけたほうが、教室の雰囲気がなごやかになりますよ」

 「自分で作った絵カード、文字カードを準備したことは、とてもよかったです。でも、カードをつかうことでせいいっぱいになってしまい、あまり生徒を見ていなかったように感じました」

 など、かなり手厳しくも的確なコメントを書いてくれます。
 先生役、生徒役、コメンテーター役の3つをこなすと、だいぶ日本語授業のイメージがわかってきます。

 教育実習の他クラスでのことですが、模擬授業を終えた女子学生が、指導教師からこてんぱんな批評を受けて泣き出してしまうこともあった、という話をを耳にしました。熱心なあまりの厳しさとは思いますが、私はそうしたくない。
 学生ははじめての先生役体験で、緊張しています。不出来ではあってもいっしょうけんめいやった学生には、できるだけよい点をみつけて、ほめてあげたい。

 私の方針では「楽しく続けていきたいという気持ちを醸し出すことが第一。よい点をほめれば、続けているうちに悪い点は必ず自分できづき、直せる」
 悪い点をあれもこれもと指摘すると、指摘された悪い点にはその場で気づき、対症療法でその部分は改良できるかもしれません。が、たぶん、楽しく日本語授業を続けていこうという気分は損なわれてしまうでしょう。

 これは、日本語学習者を相手にしたときも同じ。
 日本語の発音がまずい学生がいたとき、悪い発音を直そうとして、きつく訂正させてもあまり効果がありません。少しでもうまくできたときをとらえて、「うん、いまの言い方、よかった」とほめると、だんだんよくなっていくものです。

 日本語の授業も、日本語教師養成の授業も、たぶん、ほかのすべての教育も同じ。わたしの信念。「ほめて育てる」「悪い点をしかるだけでは育たない」

 「教」という字の旁(つくり)の「攵(のぶん)」は、鞭を象形化した文字です。老人が子をムチでたたきながら教えるのが「教」
 漢語の「教育」を和語でいうと、「教え、育てる」です。大人が持っている知識を子供に詰め込むイメージが「教える」にあります。それも、教育のもつ機能のひとつだといえるでしょう。

 もうひとつ、教育に関する語の語源を。
 英語の「education」
 語源はラテン語で 、e(out外へ)+doctus(引き出す) = 子供の資質を引き出す行為
なのだそうです。
 子供・生徒は、本来さまざまなよい資質を持っています。その鉱脈を探り出して、引き出してやることが教師の役目。

 学生たちが心の中にもっている鉱脈を今年、どれだけ探り出し掘り出すことができたかしら、と、自問自答しながら、1年を振り返る年末です。

<おわり>