にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

ブランコをめぐって

2011-02-26 19:03:00 | 日本語言語文化
2010/04/01
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(1)ブランコ

 sumitomoさんコラムで「なぜ鞦韆(しゅうせん)は春の季語なのか」という疑問があったのを見て、ここはひとつ知ったかぶりを発揮したいと思います。これが私の持ち味なので。「ことばにかけては専門家」という気概なしには日本人学生のワカランチン達に日本語学教えるのも留学生に日本語を教えるのもやってられない。日本語について、何かしら疑問質問を見つけたら答えるのが春庭の日常生活復活です。

 参考資料のひとつは青空文庫より原勝郎『鞦韆考』です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/24387_15654.html
 ウィキペディアの「ブランコ」についての記述など、多くの「ブランコ」の解説は、この原の著作からの引用孫引きコピーペーストでできあがっていますが、春庭の解説は、本日の記述の一部には原の考察を参考にしていますが、そのほか、民俗学民族学文化人類学などで学んできた雑学一般を動員して5回ほど連載します。春の復活祭蘊蓄自慢を、春庭といっしょにブランコに乗って、上がったり下がったりお楽しみください。

 民俗学や文化人類学では、「ブランコ乗り」は、広く世界に分布する「行事・遊び」であるとされています。古代ギリシアの行事という説明をしている辞書類もありますが、ぶらんこ乗り行事は、ギリシアからオリエント地方、アジア地域を含む広い地域に分布していたのではないかと思います。

 インドでは紀元前1000年ころのヒンドゥ教ヴェーダの記録としてブランコが登場しているそうです。(日本国語大辞典による「日国フォーラム季節のことば」には「紀元前2000年」ごろのヴェーダにブランコの記載がある、と書いてありますが、ヴェーダの成立は最も古い『リグ・ヴェーダ』が紀元前1,200年から1,000年頃、インド北西部で書かれていますから、「今から2000年くらい前に」の意味で紀元前2000年と書いたのではないかと思います。辞書辞典の記述でも疑ってかかれ、という見本です。)

 古代ギリシャやローマで、春に「ぶらんこ祭」が行われました。木の枝に縄を吊るし、女性達が命の誕生(子孫繁栄や作物の豊穣)を祈ってブランコを漕いだ祭です。古代ギリシャではバッカス神の祭りすなわちブドウの収穫祭「アイオラ祭」でもブランコを漕いだといいます。

 アジアでも、たとえばタイの山岳少数民族アカ族の伝統行事「ブランコ祭り」。収穫の恵みを乞う儀式であり、農作業を行う女性をねぎらう労働感謝祭でもあります。タイ山岳地帯の雨期乾期の2季の中では、毎年雨期が終わる9月初旬から中旬にかけて、ブランコ祭りが行われるそうです。

 韓国では、旧暦4月8日(釈迦誕辰日)から5月5日(端午の節句)まで、春の行事としてクネトゥィギ(長ブランコ乗り)が行われてきました。春の祭りとして男性はシルム(韓国相撲)で強さを競い、女性は特設の長いブランコ(クネ)でどれだけ高く上がれるかを競います。村の入り口や広場の木にぶら下げたり、足場を組んで作った長いブランコをどこまで高く漕げるか。女性が外に出て運動をする機会が少なかった韓国社会では、春の空気を思い切り吸って、身体を解放できる行事だったことでしょう。

 次回は中国と日本での 鞦韆について。

<つづく>
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2010年04月02日


ぽかぽか春庭「ゆさはり」
2010/04/02
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(2)由佐波利ゆさはり

 「鞦韆」は音読みでは「しゅうせん」ですが、俳句や短歌では「鞦韆」と書いて「ふらここ」または「ぶらんこ」などの振り仮名がついている場合もあります。現代中国語ではブランコを「秋千」と表記します。台湾の繁体字では「鞦韆」です。

 中国では冬至後105日目を「寒食節」と呼び、この日に女性が「ぶらんこ」をする行事が成立しました。元はギリシアやインドと同じように農耕儀礼の予祝行事(農耕開始前に秋の豊作を祈ってまえもって祝うのが予祝)だったのでしょう。
 寒食節の翌日が、二十四節季のひとつ清明節です。2009年に赴任したときの中国では、清明節は国家の休日とされ、3日連休となりました。

 ぶらんこは北狄(ほくてき北方の異民族。南蛮、東夷、西戎と共に、漢民族から見て文化が低いと見なされた異民族の呼び名)から中国にわたったという説があります。
 古代中国では、北狄が古くから行ってきた民族行事「シューセン(元の北狄のことばでどのように発音したかわかりませんが)」が伝わり、唐時代には公的な行事になりました。
 唐の玄宗皇帝は、ブランコに乗るとまるで羽化登仙(人間に羽が生えて仙人となり天に登ること)の感じを味わうことができるというので、これに「半仙戯」の名を与えました。

 春の行事「寒食節」のひとつとして、春の農耕を始める予祝行事として取り入れられたブランコ、シューセンという発音に漢字を当てはめて、秋千、秋遷、鞦韆などと表記されました。鞦韆という表記をしたのは、ブランコの紐が革製だったのかも知れません。

 日本でも、古くからアジア地域と同じようなブランコ乗りの行事はあったと思われます。倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には「由佐波利ゆさはり」という語が記されており、これがブランコの古語です。現代語の「ゆさぶる」や、オノマトペ(擬態語)「ゆさゆさ」などと同根の語と思われます。

 また、漢字で鞦韆と書かれた最初の記録は、平安初期に編纂された『経国集第11巻』の嵯峨太上天皇の漢詩とそれに和した滋野貞主の詩が本邦初です。

 『鞦韆考』を著した原勝郎は、もともと我が国にあった「ゆさはり」に鞦韆の漢字をあてはめたものなのか、鞦韆が唐から我が国に伝えられたのちに「ゆさはり」という和名ができたのか、あきらかではない、と慎重な記載をしているけれど、私は我が国にもともと由佐波利があった、と考える方が自然だろうと思います。農耕儀礼が稲作とともに日本列島に伝わったのは、漢字が定着するより前のことであり、唐から我が国に伝えられるまで、ブランコが存在しなかったとは思えません。広くアジア一帯でブランコ乗りがあったのですから、農耕とともに農耕儀礼も伝わったと見た方がいいように思います。

 唐でブランコ乗りが春の行事とされたのを受けて、日本でもブランコは宮中の春の行事となり、時代が下って俳句の季語が整えられたときに「ふらここ」「ふらんど」「鞦韆」は春の季語とされました。

 以上の解説が、sumitomoさんの「どうして、鞦韆が春の季語なのかしら~~と、気になっています」へのお答えですが、この後、ブランコ話は、延々続きます。

 「ゆさはり」のほかに、ふらここ、ぶらんこ、ふらんど、などの異称があります。現代の児童遊具としては、ブランコの名が浸透しています。
 児童の遊具として学校教育に取り入れられ、ほとんどの幼稚園や小学校に体育器具として設置されたのは、明治時代「富国強兵」の「強兵」を育てるべく体育教育が重視された頃からです。ドイツに留学していた「帰朝者」が「ドイツでは子供達がブランコを漕ぐことによって足腰鍛えている」と進言したと伝えられており、最初は西洋式のブランコが輸入されたそうです。体育教育史などにこのあたりの経緯は詳しく書かれているのかもしれません。

 全国各地どこの小学校にもあったブランコ。児童公園にも第一に設置されたのがブランコでした。私が幼かった頃も、園庭校庭にブランコはありました。幼稚園の庭や小学校校庭で、どれほどブランコを漕いだことでしょう。空へ吸い込まれるかと思うほど、高く漕ぐのが大好きでした。

 子供達が小さかった頃、団地の「仲良し広場」にあるブランコは順番待ちをしなければならないほど大人気。小さかった娘や息子をブランコに座らせてそっと背中を押してやる。さいしょは大きく揺れるのを怖がっていた子がキャッキャと喜ぶようになり、「もっともっと」と高く揺すってほしいとせがむ。やがて自分の足で漕ぐことを覚えて、もう背中を押さなくてもいいと言われるとき、親は子の成長を喜ぶとともに、ちょっと寂しい気もしたことでした。
 今は、、、、、娘息子をお花見に誘ったら「一人で行ってきなよ」と、背中を押されました。

<つづく>
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2010年04月03日


ぽかぽか春庭「春宵一刻値千金」
2010/04/03
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(3)春宵一刻値千金

 ブランコ文芸その1 蘇軾(1036~1101)「春夜」
 北宋時代の詩人、蘇軾(そしょく 別名:蘇東坡そとうば)にブランコを詠んだ有名な漢詩「春夜」があります。その第一句「春宵一刻値千金」はよく知られていますが、第4句に「鞦韆」が出てきます。蘇東坡は、食い気第一の私にとっては、大好物のトンポーロー(東坡肉:豚三枚肉の煮込み)の名前の由来になった人です。

春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈
シュンショウ イッコク アタイ センキン
ハナニ セイコウ アリ ツキニ カゲアリ
カカンロウダイ コエサイサイ
シュウセンインラク ヨル シンシン
(春庭拙訳)
 春の夜はほんのひとときでも千金のねうちがある
 花には清らかなかおりがあり、月には光がある
 楼台(高殿)から歌声と笛の音が微かに聞こえてくる
 ぶらんこのある中庭に、夜は静かに更けていく

 昼の間、少女達が笑いさざめきながら遊んでいたブランコが、誰もいなくなった中庭にひっそりとある。中庭に満ちていた春昼の光が目に残り、笑い声が残響として耳にある中、春の夜の密かに甘い花の香りと月の光が満ちている。かすかに聞こえる笛の音。春の夜は静かに時を刻む。

 ブランコ文芸その2 李商隠(812~858)「無題」(読み下しは、加藤徹明治大学教授による)
八歳偸照鏡、長眉已能畫。八歳 偸みて鏡に照らし、長眉 已に能く画く。
十歳去踏、芙蓉作裙衩。十歳 去りて青を踏み、芙蓉 裙衩と作す。
十二學彈箏、銀甲不曾卸。十二 箏を弾くを学び、銀甲 曽て卸さず。
十四藏六親、懸知猶未嫁。十四 六親に蔵る、懸めて知る 猶ほ未だ嫁せざるを。
十五泣春風、背面鞦韆下。十五 春風に泣き、面を背く 鞦韆の下。
(春庭拙訳)
八歳のころ、こっそり鏡をのぞいて大人のような長い眉を描いてみた
十歳のころ、芙蓉の花のスカートをはいて春の野原に出かけ、青草を踏んだ
十二のころ、お箏のおけいこをして、銀の爪をいつもはめてた
十四のころ、まだ嫁入りできない身を羞じ、家族の目を避けて暮らした
十五のころ、ブランコの下で顔を隠し、春風の中でひとりで泣いた
=======
 玄宗皇帝もブランコを愛好した唐の時代の詩人李商隠の作品。「春宵一刻値千金」のようには有名ではありませんが、少女の成長を描いた詩です。
 15歳で「オールドミス」となってしまったことを泣くなんで、唐時代の少女の乙女心が偲ばれます。私なんて、24歳過ぎたら「いきおくれ」と言われた時代に30すぎまで独身でした。

 姉の家の二階に住んでいて、中学校の国語教師をやめたあとは、姪の子守にあけくれました。姪をブランコにのせ、背中を押してやる。勢いがなくなって高く上がらなくなると「おばちゃん、押して」と催促する。「おばちゃんじゃなく、おねえちゃんと呼んだら押すから」というと、「おねえちゃん、押して!」「美人のおねえちゃんって呼んだら押す」「美人のおねえちゃん、押して」
 春の一日、ブランコは高く上がり後ろにとんでいき、ひねもす行ったり来たりかな。

 美人のオネーサン、32歳でようよう結婚。
 ブランコ大好きだった姪も、いつしか結婚離婚。今はシングルマザーで4人の子を育てています。姪の長女はこの4月に公立高校入学、長男中三。次女は中学入学、三女は小学六年生。ひとりでよくがんばっているなあと思います。

<つづく>
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2010年04月04日


ぽかぽか春庭「嵯峨天皇のブランコ」
2010/04/04
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(4)嵯峨天皇のブランコ

ブランコ文芸その3 嵯峨天皇雜言102,鞦韆篇一首『経国集巻11』より
 春庭、試訳。嵯峨天皇のブランコの漢詩「鞦韆篇」の現代語訳というのを、探したけれど見つけられなかったので、勝手に訳してみました。漢文授業をさぼったので、たぶん、間違いがたくさんあると思うので、乞う御指南。

 嵯峨天皇(786~842年)御製
幽閉人、粧梳早、正是寒食節,共憐鞦韆好、長縄高懸芳枝。
窈窕翻翻仙客姿。玉手争来互相推。繊腰結束如鳥飛。初疑巫嶺行雲度、漸似洛川廻雪帰。
春風吹休体自軽。飄飄空裡無厭情。佳麗以鞦韆為造作、古来唯惜春光過清明。
踏雲双履透樹差、曳地長裾掃花却。数挙不知香気尽、頻低寧顧金釵落。嬋妍嬌態今欲休。
攀縄未下好風流。数人把著忽飛去、空使伴儔暫淹留。
西日斜,未還家。此節猶伝禁火,遂無灯月為灯。鞦韆樹下心難歇、欲去踟躇竟不能。
(春庭試訳)
幽閉人:(冬の間)閉じ込められていた人々よ、
粧梳早:朝早くから化粧をし髪を梳いて、
正是寒食節:今ちょうど寒食節の日に、
共憐鞦韆好:共に鞦韆を楽しもう、
長縄高懸芳枝:良い枝に長い縄を高く懸けて。
窈窕翻翻仙客姿:仙女のような姿で美しくしとやかに翻って、
玉手争来互相推:玉のような手は互に鞦韆を押すことを競いあう。
繊腰結束如鳥飛:腰に結わえた布の紐は鳥のように飛びたち、
初疑巫嶺行雲度:初めは峰の雲を渡る巫女かと疑うほどだったが、
漸似洛川廻雪帰:ようよう洛川に似て雪が帰るところへ戻る。
春風吹休体自軽:春風はおのれの身体が軽くなるように吹き、
飄飄空裡無厭情:飽きもせず心を無にして空を漂う。
佳麗以鞦韆為造作:美しい女たちは鞦韆を作りあげ、
古来唯惜春光過清明:古来、ただ春光が清くあきらかに通り過ぎる。
踏雲双履透樹差:木々の間を突き通って、両足の履きものが行き来する、
曳地長裾掃花却:長い裳裾は、花を掃くようにひきずり、
数挙不知香気尽:香気は尽きることなく薫ってくる、
頻低寧顧金釵落:(鞦韆の上下につれて)金のかんざしがしばしば落ちてくる
嬋妍嬌態今欲休:女達がキャーキャーいう嬌声も少しは休んだらよいのに。
攀縄未下好風流:縄はまだ風流に上へ登り、
数人把著忽飛去:何人かはたちまち飛び去っていったが、
空使伴儔暫淹留:ともに長逗留することもある。
西日斜:陽が西に傾く頃になっても、
未還家:まだ家へ還らない者もいる。
此節猶伝禁火:禁じられた火が伝わっていくように、
遂無灯月為灯:月明かりになるまでこぎ続ける。
鞦韆樹下心難歇:まことに鞦韆の樹下の心は休む間もなく、
欲去踟躇竟不能:去っていくことをためらうばかり。
==========
 嵯峨天皇御製の「鞦韆篇」は、春の一日をブランコに乗って高々と漕ぐ女達の嬌声と、それを愛でる平安貴公子たちの雅な姿が彷彿としてくる漢詩です。春の光のきらきらしさや春風が見え、裳裾を翻してブランコを漕ぐ女官たちの楽しそうな声が聞こえてきます。

 漢詩のカの字も知らない私が下手な訳を試みましたが、どこかに名だたる漢学者たちの翻訳が出ていたら、教えてください。私の下手な現代語訳でも、この嵯峨天皇の一首がすばらしい出来の漢詩であることがよくわかりましたけれど、きちんと漢詩漢文を習った訳ではありませんので、テキトー訳です。

 私の訳はいいかげんですが、日本の漢詩について辛口の批評をすることの多い中国人も、嵯峨天皇ら『経国集』などの作品、空海の漢文などは高く評価しているそうです。中国語として読んでもよく意味がわかり、詩の形式をきちんと備えているということです。時代が下った日本の漢詩は、「和臭」があると言われ、中国語としては「中国人、そなこと言わないあるよ」みたいな語感になるそうです。私としては、日本の漢詩は日本の文芸なのだから、中国語として完璧でなくてもいいという考え方ですけれど。

<つづく>
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2010年04月05日


ぽかぽか春庭「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」
2010/04/05
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(5)ゆあーんゆよーんゆやゆよん

 日本の口語詩の中にうたわれたブランコ。学校のブランコ、サーカスの空中ブランコ、いろんなブランコがさまざまな詩情をゆらします。

ブランコ文芸その4 中原中也「サーカス」詩集『山羊の歌』より
幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして 今夜此処でのひと盛り 今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて 汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が 安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら) 夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

友川かずきによるギターと歌語り
http://www.youtube.com/watch?v=cAr4lC7hTv8&feature=related

ブランコ文芸その5 高見順「揺れるブランコ」『詩集 死の淵より』
  夕暮れの空地で
  ブランコが揺れている
  今し方まで子供が乗っていたのだろうが
  駈け去った子供の姿はもう見えない
  それはほんとは子供ではなくて
  すべてを心得ている
  しかし人の眼には見えない何物かなのだ
  そうだ ブランコだってその何物かと一緒に
  ほんとはここから消えたいのだ
  揺れているのはそのせいだ
  夜がその姿を隠してくれる前に
  自分からここを立ち去りたいのだ
  ここ 人がきっと立ちどまって
  暗い眼つきでブランコを見るここ

 ブランコ文芸その6 工藤直子「ブランコ」詩集『こどものころにみた空は』より
  さいしょに ゆりちゃんが ぶらんこしました
  ゆりちゃんは ようふくを おしりのしたに しいて
  そよそよ のりました
  わたしは ようふくを ひろげてのると
  かぜが すかすか きもちがいいのにと おもいました
  ゆりちゃんは おにんぎょうのように わらって
  ぶらんこから おりました
  つぎに そうちゃんが のりました
  そうちゃんがのると
  ぶらんこは ぎこんぎこんと うるさいのです
  つぎは わたしなので かおが わらえてきました
  ゆれている ぶらんこを おいかけて つかみました
  いち にの さんで ぶらんこを こいで
  あしを まげたり のばしたりしますと
  ぶらんこが どんどん たかくなります
  かぜが まえと うしろから ふきます
  すかーとが うみの なみみたいです
  ゆりちゃんも そうちゃんも ちいさくなりました
==========
 ブランコには、だれでも甘くなつかしい郷愁を感じます。詩のほか、テレビドラマや映画でも、ブランコというのは印象深いシーンを作るのに欠かせないアイテムとなっています。
 日本の映画で一番有名なシーンは黒澤明『生きる』でしょうか。死期をさとった市役所課長が、最後の作品として公園とブランコを作るというストーリー。公開時のポスターも、主人公の志村喬がブランコに座っている図柄です。
 デミル『史上最大のショウ』や、キャロル・リード『空中ブランコ』など、サーカスのブランコを前面に出した映画もありますが、ワンシーン、主人公がひとり寂しくブランコに座っていたり、恋人同士が恋を得た喜びを身体いっぱいに表してふたりで漕ぐシーンなど、ブランコは使い勝手がよい。
 新しいところでは、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の冒頭に、夕方の公園でハリーがひとりブランコに乗って、仲良さそうに帰って行く親子を見送るシーンとか。
 まっき~さん、「ブランコシーン・ベストテン」を「テーブル」に載せてください。

 ひところネットで話題にされていたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』のオープニング(CMでもよく登場します)。ハイジが乗っているチョー長い紐のブランコは、計算によると最高速度は時速60 km/hを超えるそう。ジェットコースターの落下速度でも50km/hなので、握力がそう強くもなさそうなハイジは、ぶっちぎれて落ちるんじゃないか、というのですが、、、、私たちはメルヘンの中に生き、信じたいことを信じ見たいものを見ているので、ハイジアルプスの空の中、時速60km/hのスピードで楽しそうに漕いでいます。

 そう、少々の危険はあるかもしれないけれど、ブランコを漕ぐ楽しみを子供から奪うのは悪しき安全政策だと思います。各地の公園からブランコ撤去が続くのは、事故があった場合の訴訟リスクを避けるための行政措置だそうですが、、、、
  いち にの さんで ぶらんこを こいで
  あしを まげたり のばしたりしますと
  ぶらんこが どんどん たかくなります
  かぜが まえと うしろから ふきます
  すかーとが うみの なみみたいです

こんな爽快感を知らずに成長するのは、安全ではあっても寂しいんじゃないかしら。


<つづく>
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2010年04月06日


ぽかぽか春庭「をとめすさび音読のすすめ」
2010/04/06
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(6)をとめすさび

 4月3日掲載の李商陰「無題」のブランコ漢詩に、春庭の下手な直訳をつけましたが、佐藤春夫(1892(明治25)~1964)が「をとめすさび」というタイトルの訳詩を作っていたことがわかりました。漢詩「無題」が「をとめすさび」というタイトルになっていて、「ブランコ」というタイトルではなかったので、サーチ網からこぼれました。

ブランコ文芸その7 佐藤春夫「をとめすさび」
  八つの歳人目をしのび
  まそ鏡とりてぞかける
  三日月の眉引ながく

  十の歳よき衣(きぬ)このみ
  若草の野べにあそぶと
  花芙蓉裳に縫ひとりぬ

  十二には琴をまなびて
  おもしろのしらべゆかしく
  琴爪もはづす間なしに

  十四には人目はぢらひ
  まゆごもり母の飼ふ子は
  嫁ぎゆく日をぞしのべる

  十五には春風に泣き
  うなだれてひとり立ちにき
  鞦韆(ふらここ)を背面(そがい)にしつつ
=========
 佐藤春夫による李商陰の訳詞は、五七調で整えられ、朗読すると心地よくことばが進んでいきます。十五過ぎても嫁に行けない寂しさをブランコの下で泣くという乙女心をうたった詩ですが、五七調で読んでいるうち、ブランコが往復するリズムにも似て、春風のなかで泣く乙女の姿はなんとも言えぬ高揚感に満ちてきます。
 そして、ブランコには高く上がる高揚感とともに、落ちて死ぬかも知れない落下へと向かう負の高揚もあるのです。(カイヨワの「遊びの四原則」のなかの「めまい」の感覚)
 ブランコは生命の高揚を生み出すとともに落下への負の高揚を繰り返す、そのリズムが死と再生の祭りとなるのです。

 ことばのリズムは大きな効果を生んでいます。
 留学生のための日本語授業を担当するようになってから22年。日本人学生のための日本語教育学や日本語学の授業を担当して10年になります。最近とみに、「意味がわからなくても、ことばのリズムや音響として音声を身体的に脳裏に刻みつけることの効果」を知らせる必要もあるのではないかと感じるようになりました。しかしながら、授業で扱うべき項目も多く、なかなか朗読の時間をゆっくりとることができないでいます。

 「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」も、「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいくわりんもふきとばせ どっどど どどうど どどうど どどう」も、身体で感じてほしい日本語の響きです。ことばの音の楽しさを子供達に身体で感じ取ってほしい。

 昔は毎週1回やっていたのですが、最近は視覚障害者のための朗読ボランティアをする時間がなくなり、人に聞かせる音読の機会がないのですが、時々ひとりで本や新聞を音読しています。
 声を出すことは健康法のひとつなので、読経、詩吟、コーラス、カラオケ、音読、何でもよいから、一日のうち意識して集中的に声を出す時間をとるとよい。

 声を出そう今日の課題その1「をとめすさび」を音読してください。
 声を出そう今日の課題その2「サーカス」「揺れるブランコ」「ブランコ」を音読してください。

<つづく>
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2010年04月07日


ぽかぽか春庭「白いブランコ」
2010/04/07
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(7)白いブランコ

 声を出そう今日の課題その3「白いブランコ」を歌ってください。

ブランコ文芸その8 「白いブランコ」詞:小平なほみ 曲:菅原進 歌:ビリー・バンバン 1969年)

 ♪君はおぼえて いるかしら あの白いブランコ
 風に吹かれて 二人でゆれた あの白いブランコ
 日暮はいつも 淋しいと 小さな肩をふるわせた
 君にくちづけ した時に 優しくゆれた 白い白いブランコ

歌詞つきユーチューブ。
http://www.youtube.com/watch?v=pNn1kb1HUEM&feature=related

 「白いブランコ」は、歌っていても心地よい人畜無害な歌だと思います。
 そんな大甘のブランコに対して、以下の柳美里は、きりきりと切り刻まれるような、ひりつく思いに満ちています。
 柳美里 が最初に作詞した作品として、コアなゆうみりファンには知られているのでしょうけれど、私などブランコ文芸渉猟までぜんぜん知らなかった歌です。
 柳美里の本領発揮というか、椎名林檎やコッコと共通する尖鋭的な生と死のセンスが光っています。ブランコの落下が内包する死へと向かう感覚、生と死のあわいを行ったり来たりする感覚をブランコに乗せて揺れている感覚

 ブランコ文芸その9 「ブランコに揺れて」 作詞 柳美里 作曲 コイケタカヒロ  唄 奥田美和子

♪だれもいない11月の公園で ブランコに揺れて
剥き出しの夜のなか 月明かりでわたしの影が揺れた
わたしは目を閉じて揺れた
ポケットには剃刀 手首を切った
ブランコに揺られながら 行ったり来たり
ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの? 
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり、、、、、
♪だれもいない3月の海で 波に足を浸して 剥き出しの夜のなか
波にわたしの影が呑み込まれた わたしは目を閉じて揺れた
ポケットには薬 噛み砕いた 波に足を浸しながら 寄せては返す
ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの?
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり
生きているの? 死んでいるの? 生きてたいの? 死にたいの?
ゆらぁり ゆら ゆらぁり ゆら ゆら ゆらぁり ゆらぁり ゆら ゆらぁり、、、、
============

 奥田美和子の歌唱を聴いてみたい人はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=KwU9Ynqx_CU

 ついでに「夜のブランコ」若い女性が夜のブランコで不倫相手を待っているって歌。
歌:谷山浩子歌詞付き(作詞・作曲:谷山浩子)
http://www.youtube.com/watch?v=wezTSNnHLGE&feature=related
歌:斉藤由貴
http://www.youtube.com/watch?v=20EVSXVScjk&feature=related

 「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」という三橋鷹女の高らかな「奪うべし」宣言に比べて、「夜のブランコ」ははかなげで、不倫相手を揺れながら待っている若い女性。「(結婚)指輪ははずして来て」なんて、弱気なことを言いながらひたすら相手を待つ姿勢に、「もっとしっかりしいや!と背中をドツキたくなる気分。ま、不倫にも強気も弱気も「いろいろあらーな」がいいってことでしょう。

<つづく>
06:42 コメント(3) ページのトップへ
2010年04月08日


ぽかぽか春庭「春の祭典」
2010/04/08
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(8)春の祭典

 4月7日は姑のお供で墓参り。ランチはシビックセンター25階の椿山荘で、上から後楽園のお庭の桜を見下ろしながら。昼ご飯は「さくら天ぷら御膳」ってのを頼みました。さくら天ぷら御膳とは、何のことはない、桜エビのかき揚げでした。
 昼食後は、後楽園の中を散歩しようかと思っていたのですが、雨も止まないし、お庭の中は雨ですべるだろうから、85歳の姑の足下を心配して桜散歩は中止。午後の時間があいたので、飯田橋で映画2本立てを見ました。

 1本は『ココ&イゴール』。恋多き女であったココ・シャネルが一時期イゴール・ストラビンスキーのパトロンになり、イゴールの妻と4人の子供ぐるみ自分の別荘に住まわせていた、というストーリー。

 バレエ・リュスの「春の祭典」初演シーンからお話しが始まります。初演当時、20世紀初頭に「新しい芸術」を打ち出したバレエ・リュス(ロシアバレエ団)の団長ディアギレフ、天才ダンサーで振り付け師のニジンスキー、作曲のストラビンスキー。
 ストラビンスキーの「春の祭典」大好きです。私も35年前に「春の祭典」を発表会で踊ったことがありました。あの強烈なリズムと不協和音、私の青春の音楽です。

 子供達がココの別荘のブランコに興じるシーンが何度が出てきました。イゴールはブランコに乗る子供の背を押し、形はよき父を演じていますが、心はココへの情念に沸き立っています。ワンカットだけであるけれど、ストラビンスキー夫人のカーチャが、ブランコに座っているというシーンがありました。

 幼なじみの従妹カーチャと結婚したイゴール。ロシア革命によって財産を失ったストラビンスキー夫妻は、ココの経済援助に感謝しながらも、カーチャは夫の心が自分から離れてしまうことに気づき、別荘を出て行く決意をします。経済的な苦労をかけ通しだった病弱な妻への呵責に苦しみつつ、ココの魅力から離れられないイゴールは、イメージの中で、カーチャがブランコに座っている幻影を見ます。夫とココの不倫関係に悩みながらブランコに揺れているカーチャ。

 強くて自立していて夫を奪おうとしているココの別荘に住まわせてもらっている境遇に我慢できない妻カーチャがじっとブランコに座っている姿は、「弱い妻のほうが強い」という感じを受けました。自立した女であったココは、シャネルNo.5の開発と発売に情熱を注ぐ生活の中、ブランコには乗るシーンはありませんでしたけれど、ブランコを一瞥したなら、「ブランコは漕ぐべし愛は奪うべし」と言ったに違いありません。

 イゴールは結局のところ、病弱な糟糠の妻を捨ててしまうことはできなかったし、イゴールと別れたあと、ココには新しい恋人も存在したのだけれど、偶然なのか神のはからいなのか、1971年1月にに87歳でココが亡くなると、その3ヶ月後、1971年4月に89歳でイゴールが死去しています。

 映画は、エンドロールが延々続いて、エンドロールに興味のない客が席を立って出て行ったあと、まだシーンが続きました。ワンカット、ココが登場しています。だから、エンドロールで席を立っちゃいけないのよね。

 ブランコは春の初め「寒食節」に「春の祭典」として高く漕ぎ競うものでした。どちらのブランコがより高く空の中へと吸い込まれていくのか、春の祭りは愛を揺らし続けます。

 映画館へ行く前、夫の事務所に寄ったのですが、夫の「話がある」は、私が身を削ってようやく貯めた「息子の学費」を、会社の運転資金に回したいから、来月まで貸してくれ、という「ご相談」でした。

 娘と息子は、「昔のテレビドラマでは、子供の給食費をとりあげてギャンブルに使ってしまうってのが典型的なダメ親父だったけれど、うちの父、息子の学費取り上げて趣味の会社経営に使っているのと、給食費をギャンブルにつぎ込むのと同じだってこと、自分じゃわかってないところがより一層ダメだよね。利益を生まない会社経営なんて、ギャンブルと同じ、消費するだけじゃん」と、評しています。辛辣な評価ができるところは父親似ですが、だからと言って母を助けてアルバイトのひとつもしようかとならないところ、いったい誰に似たのやら。

 服も買わず、靴も買わず、百円ショップの化粧品ですごしてきた妻は、「貸すべきか貸さざるべきか」揺れています。妻のブランコはただ揺れ続けるだけ、、、、「ブランコは漕ぐべし愛は奪われるばかり、、、、」

<つづく>
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2010年04月09日


ぽかぽか春庭「ふらここ」
2010/04/09
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(9)ふらここ

 歳時記に載っている春の季語、「ふらここ」「ブランコ」「ふらんど」。私は「ふらここ」という響きが好き。「鞦韆」は「ふらここ」または「ぶらんこ」などのルビがついていない場合、「しゅうせん」という音読でよい。

 BSの「俳句王国」の中で ブランコの兼題で句会をしてましたと、ろくじょうさんからのコメントありがとうございました。番組の中で紹介された句は「ふらここや ぐんぐん漕げば 無敵なり」「ふらここや 影も日向も 風の中」などだったそうです。
 私はこの番組を見逃してしまいましたが、数種類の歳時記を繰ってネット検索もすると、江戸の小林一茶、炭太祗から、現代の句まで「ブランコ俳句」「ブランコ短歌」が集まりました。

ブランコ文芸その10 俳句
・ふらここの会釈こぼるるや高みより 炭太祗
・ふらここや隣みこさぬ御身代 炭太祗
・ふらんどや桜の花を持ちながら 小林一茶
・ふらここのきりこきりこときんぽうげ 鈴木詮子
・ふらここや花を洩れ来るわらひ声 三宅嘯山
・日の暮れのぶらんこ一つ泣き軋る 渡邊白泉
・ぶらんこや坪万金の土の上 鷹羽狩行
・夜のぶらんこ都がひとつ足の下 肥あき子
・ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし 谷口智行
・鞦韆に腰掛けて読む手紙かな 星野立子
・鞦韆の十勝の子等に呼ばれ過ぐ 加藤楸邨
・鞦韆の綱垂る雨の糸に沿い 堀葦男
・鞦韆を父へ漕ぎ寄り母へしりぞき 橋本多佳子
・鞦韆に夜も青き空ありにけり 安住敦
・鞦韆にしばし遊ぶや小商人 前田普羅
・鞦韆の月に散じぬ同窓会 芝不器男
・鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
・鞦韆は垂れ罠はいま狭められ 藤田湘子
・鞦韆は垂るオリオンの星座より 山口青邨
・鞦韆や舞子の駅の汽車発ちぬ 山口誓子

ブランコ文芸その11 短歌
・月光の中より垂れて鞦韆がわが前にあり 死後もあらむ 塚本邦雄『驟雨修辞学』より
・カシミールカレーにしびる舌をだし鞦韆のごと垂らしあぬ午(ひる) 加藤孝男『十九世紀亭』より
・生きてこし生命かすかに揺らしつつ鞦韆に細き月をみてをり 志垣澄幸
・さっきまでムーミンがいたように揺れ鞦韆のあわき影もゆれたり 江戸雪『駒鳥ロビン』より
==========
 俳句も短歌も音読したとてたいして時間がかかるわけでもなし。大きな声だして読みましょう。「ふらんどや桜の花を持ちながら」「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」

<つづく>

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2010年04月10日


ぽかぽか春庭「秋千」
2010/04/10
ぽかぽか春庭言海漂流ことばの海をただようて>鞦韆考(10)秋千

 現代、短歌を趣味とする人々は多いので、万葉集も古今集もよく読まれていますけれど、漢詩つくりを趣味とする人は、明治以後極端に少なくなってしまいました。漢詩漢文を味わう能力を培うことをしなくなって、日本語言語文化の一端を私たちは失ってしまったのではないかと思います。

 李白杜甫の詩は高校教科書に載っていますが、嵯峨天皇はじめ平安の漢詩人たち。また江戸の漢詩人、たとえば女流詩人の江馬細香(大垣藩侍医江馬蘭齋の娘、多保)の詩など、教科書でなじんだ、ということはありませんでした。江馬細香の漢詩を読みたいと30年来思っているし、現代語訳がついた漢詩集も出版されているのに、なかなか手にとることもしないでいるのは、漢詩文に幼い頃から親しむ機会のなかった者の悲しさ。
 江馬細香と日本の漢詩文については2003/11/12の春庭コラム「おい老い笈の小文」に書きましたので、興味があったらどうぞ。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d44#comment

 漢詩文は日本語言語文化のひとつとして復権すべき時期だと思います。漢文を旧制高校などで学んだ世代がいなくなってしまい、戦後教育を受けて漢文を敬遠してしまった私たち以後の世代になると、和歌連歌、俳句にも影響を深く残している漢詩漢文を「自分たちの文芸」として味わうことのできる人々がいなくなってしまうでしょう。
 論語の素読とか、意味もわからず漢詩文を暗唱する、という教育を、私の世代は「封建的な形だけの教育」と考えて敬遠してしまいました。しかしながら、千年の日本語文芸史を考えるとき、漢詩文は日本語文芸の大きな部分を占めているのです。

 「春宵一刻値千金」も「春は曙やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」も、も声に出して柔らかい脳にしみこませておけば、日本語の響きや意味をおろそかにしない子供が育つという齋藤孝らの主張。
 この主張に批判も多いですが、まずは音として日本語を身につけるというのは、日本語の豊かさを知るひとつの方法と思います。

 「読む」という言葉を聞いたとき、多くは目で活字を追うことをイメージします。明治期までは「読む」といえば、声を出して音読することを意味しました。私は3.歳ころ文字が読めるようになって音読していましたが、あるとき、声を出さないと早くストーリーが追えることに気づき4歳では黙読になってしまいました。確かに黙読は早く読めるので速読には向くので、必要はあります。同時に音読、朗読、子供のための読み聞かせ、ということの必要も考えるべきです。

 英語優勢のグローバル化社会の中で、自分のアイデンティティを保ちつつ国際的に存在感を持って生きるには、母語の豊かな感性を受け継ぐことを成長の基本に置きたい。そのためには、母語による表現の多様性を味わって育つことが必要です。
 下手でもいいから、俳句でも短歌でも詩でもカラオケで歌うのでも、ことばに親しんですごすこと。その見本として下手な短歌を作ってみます。春庭ブランコ文芸。

ブランコ文芸その12 
・アカ族の秋千(しゅうせん)祭りの子供らは蒸かし餅米食いながら漕ぐ 春庭
・平安の春昼の風を裳にはらみ宮女鞦韆雲間へと跳ぶ(嵯峨天皇御製によせて)春庭
・公園にブランコひとつ建ててきて市役所課長の一生を漕ぐ(「生きる」によせて)春庭
・行ったり来たり宙ぶらりんの一生だったブランブランとブランコを漕ぐ 春庭
・「もっと高く!」我子の叫びし公園に、今一人来て思秋期を漕ぐ 春庭
・ふらここの頂より見るビルの間にスカイツリーは天めざし建つ 春庭
・ふらここや「今ここ私」の現在形未来へ向かって飛んでいけ今 春庭

 以上、日本語言語文化のブランコに揺られつつ、春庭は、1漢詩文の復権 2朗読の復権、声を出して読む時間を作ろう 3下手でもいいから言葉で表現しよう、この3つを主張いたしました。
 ハイジの時速60キロのブランコにはかなわないものの、あがったり下がったりお楽しみいただけたでしょうか。最後の春庭駄歌で、だいぶ気分が下がってしまったことと思いますが、これから高く漕ぎ上げるのは、それぞれの足で、空へ向かって蹴り上がってくださいまし。

<おわり>



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