天災と人災
haruniwa
投稿者:acha1 2011-03-29 21:12
生意気な事をいいます。
「天災」と「人災」は、違います。
何故、東京が必要ですか?
考えて、見ませんか。
投稿者:acha1 2011-04-12 05:34
先生、お早う御座います。
天災と人災とは、分けて考えなければ。
余震も度重なって、少しずつ南の地域に、
何だか、東海・東南海、地震を誘発しそうな感じに、
今此処で、これらの地震が起きてしまえば、日本経済は、完全に息の根がとまってしまう・・・
=================
私、春庭は、クライストチャーチの地震でなくなった語学学校の生徒は、すべて人災による被害者と思っております。
周辺の建物は崩壊していないのに、語学学校の入居していたビルは、以前の地震で耐震に問題があると指摘されていたのを無視したまま使用されていたからです。
福島原発も、津波対策に問題があることはかねてより問題視されていたのを、東電が無視して安全神話をばらまくのみで対策をおこたってきました。原発の検査体制の不備や、故障修理の不全が、あとになって指摘されてきました。最初期に廃炉を決断できず、なんとか廃炉を避けようとして、中途半端な処置しかとらず、水素爆発を招いたのも明らかな人災です。
津波警報を受け取ったあと、避難が間に合わず逃げ遅れて被災してしまった方々、ある意味、人災です。
地震が起きた14:26から、津波の最高波まで30分あり、適切な判断と避難が行われていれば、30分間で高台に逃げることは可能だったからです。
この30分の間に避難が完了できなかった人にはさまざまな事情がありました。
最後まで津波警報をアナウンスしていた女性、避難したお年寄りが寒がったので、介護施設まで毛布を取りにもどったところを津波に襲われてしまった介護職員。
逃げ遅れた人がいないか、地域の見回りを続けた消防団員や警察官。これらの方々は尊い殉職者といえましょう。
しかし、「安全とされていた防潮堤を信じて家に残った人」「防災センターの3階に逃げたから大丈夫だと思った人」、この人々にとって、津波は天災とばかりは言えないのではないかと春庭は考えます。
津波の避難所を作ったとき、「これまでに想定されている範囲の津波」を何メートルと考えていたのか。
少なくとも、1896年の明治三陸沖地震津波の際の38.2メートルを想定すべきだったと春庭は考えます。
1960年5月24日未明に、最大で6mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し死者は142名。多くの三陸沿岸住民は、明治の大津波を経験しておらず、津波への意識はこの1960年の6mの津波であったと思われます。10m以上の場所にいれば、チリ津波と同じくらいの波が来ても、助かる、そういう「安全神話」を皆が思い込んでいた。この思い込みが人災だと春庭は考えます。
福島原発に至っては、たった5メートルの津波しか想定していなかった。人災です。
春庭の部屋で本棚が倒壊したこと。本棚で打った頭はたんこぶ程度で済みました。いきなり倒れたのではなく、揺れているうちにL字型倒壊防止のねじ釘が徐々に弛んで倒れたからです。昨年3月の上階からの漏水事故のさい、水に浸された畳の入れ替えをしました。家具の移動に際して、担当した業者に「本棚やタンスはすべて倒壊防止の金具がついているから、入れ替え後にきちんと現状復帰してください」と頼みました。
天井までの高さにある十段の本棚の天井のほうはよく見えないから、「現状復帰した」との報告を鵜呑みにしたまま、きちんとした点検補強をしないまま、1年がたちました。博論執筆が終わったら、部屋の片付けをしよう、そのときに本棚の点検をしよう、と、一日延ばしに安全確認を怠っていた春庭自身が招いた人災が、「春庭の部屋の本棚倒壊」でした。
春庭にとって、ニュージーランドクライストチャーチのビル倒壊も、原発も、春庭の部屋の本棚倒壊もすべて人災です。
そういう意味でこのたびの震災のほとんどを「人災」と考えているのです。
achaさんが「天災と人災はちがう」と、おっしゃるので、春庭にとっては、今回の震災は人災に思えるということを述べました。
>何故、東京が必要ですか?
というacha1さんへ。
春庭は、東京の首都機能移転に賛成しています。東京の首都機能独占、移転大反対という石原現都知事には、第一期目の選挙のときから反対意見を持ち、一貫してアンチ石原の意見を12年間表明してきました。
移転できる施設は、日本の各地に分散すべきと思います。
なぜ、春庭が東京に住み続けているか、は別問題です。収入さえ確保できれば、生まれ故郷の群馬に帰って余生を送りたい。またはIターンで山形か新潟へ行きたいと思って居ました。新潟は父方の祖先の地で中越大地震を被災した地域ですが、米所です。山形は舅と姑の故郷なので。
今のところ、しがない非常勤講師を続けるしか収入確保の方法がなく、日替わりで5つの大学に通勤するためには、5つの大学の中間点に住むことが必要です。それぞれの大学に60分から90分かかりますが、群馬に転居したら、勤務を続けることができません。
生活できるだけのささやかな収入を確保したい。現在のわが家の年収は、生活保護家庭以下のワーキングプア状態ですが、それでもなんとか生きていけるのは、通勤できる仕事場があるからです。
週末になると山へ行く金銭的余裕、時間的余裕があるacha1さんには想像しにくいtokyo working poor peopleではありますが、なんとか生きて行こうと思っています。
2011-04-12 13:40:22 ページのトップへ
Re:天災と人災
haruniwa
acha様
春庭質問への回答をありがとうございます。
短いコメントの表現ではわからなかったあちゃんのお考えもよくわかりました。
亘理町荒浜のお知り合い、ご冥福をお祈りします。
老親といっしょで逃げる時間が不足であったとしたら、残念なことです。
避難所にいけたとしても、津波に襲われたかもしれないとのこと。
その避難所が、明治三陸津波の38mではなく、1960年のチリ津波6mを想定して建てられていたことを、春庭は残念に思うのです。
>人は、今の持ちえる力で財力で、そんな災害を防ごうと務めてはいます。しかし、其れを越えていたと思います。
10mの防潮堤を建てたとき、10mを超える波が押し寄せることは考えられなかったのかも知れません。そのときの財力でできる限りの防災をした、ということはわかります。38mの高さに対応できる防潮堤を何キロも築くのは不可能です。しかし、明治三陸の津波を経験した後、高台に移転した人々もいました。
海辺に住む人全員が高台に家を建てることは不可能だったのかもしれませんが、知り合いの漁師さんは、おじいさんが津波にあったあと家を高台に移し、漁に出るには不便になったけれど、今回の津波で家も家族も助かったので、おじいさんに感謝している、ということをメールに書いていました。
多くの家は、いったんは高台に建てた人も、生活に不便であったりしてまた浜に戻ったところが多いと新聞記事で見ました。これも「費用対効果」の原則で仕方がなかったことなのでしょう。今後は、仕事の場は海辺に設けても、高台の家から通勤するような形で復興するというプランになるのではないかと何かで読んだのですが、海辺の人はやはり海辺へ戻りたいのでしょうか。
> 「下流の都会の為に、上流の地方が”犠牲になっている”」 事実なのです。
> 福島の原発も、同じだと思っています。
東京の電気の四分の一から三分の一は、福島の原発で作られていたという事実も、今回はじめて知った東京都民が多かった。これまで、脱原発運動をしようとすると、たちまち「それならおまえ達は電気を使うな」と言われました。現在の試算では、自然エネルギーに変換すれば、現在の電力消費量をまかなえることがわかっています。そうしないのは、原発を作ってしまったからには使い続けるしかない電力会社の利益を守るためです。
福島の電力は都会で使われた。では、福島の人は、都会の「犠牲」になっていたのでしょうか。
福島原発によって福島県に与えられた電源三法交付金は、1年間で120億円。雇用も生み出す原発を、地元の人は納得して選挙によって原発誘致派の議員と知事を選びました。絶対安全といわれたから賛成した、と地元の人はいいます。「絶対安全」というのはありえず、いったん事故になればここに住むことはできないと言い続けてきた人のことばがようやく届くようになりました。避難はたいへんでしょうが、そのリスクも含めての交付金であったと思います。今後は誰に投票するか考えたらよい。私たちの生活は、直接のデモを行うか、選挙で守るしかない。
都会に水を送るために計画された私の故郷の八ッ場ダムは、今も故郷が水没することに反対運動が続き、現在はまだ工期延長のまま、政争の中にあります。地元は交付金をもらって移住したい派と、あくまでも地元に残りたい派にまっぷたつです。
肝心なことは、八ッ場ダムが計画された当時と現在では、水の需要や取水方式において大きく変化があり、八ッ場ダムを造らなくても、水は足りているということです。作るかどうかは、水の問題ではなく、利権の問題だけになっています。
私が子どもの頃住んでいた家は、平地の川の流れを利用する水路自流式発電所の真ん前にありました。1925年に建てられた「歴史的建造物」ですが、現在も現役で6800kwの発電を行っています。しかし、「費用対効果」の経済原則からいうと、このような自然エネルギー利用の小規模発電所より、大規模原子力発電所のほうが、電力会社に入る利益ははるかに大きい。太陽エネルギー開発やバイオエネルギー開発には税金は回されず、電源三法による交付金は、原発の地元に落とされました。廃炉にはこの20年30年かかり、その間の費用も莫大になりますが、それは電気価格の値上げで処理せず、東電の資産売却などでまかなってもらいたい。たとえば、東電が所有している広大な尾瀬ヶ原は、売却してもよいのでは。いくらになるのか知りませんが。
電力会社は、政治家への献金を続け、「自然エネルギー転換」を訴えるグループをつぶそうとしました。
実家を田舎に移して立て替えるとき、屋根に太陽光発電をとりつけるかどうか検討されました。発電所前にあった古屋は、屋根に太陽熱温水器をとりつけてあり、お風呂は「太陽が涌かしたお湯」で入っていました。冬場の雨と曇りの日は涌かさなければなりませんでしたが。
しかし、太陽熱発電は、設置費用と余剰電力販売価格、発電できないときの東京電力からの電力買い入れを勘案すると、現在ではデメリットが大きいと計算され、設置をあきらめた経緯がありました。原発への交付金を太陽熱発電機設置補助金にまわせば、原発と同じ発電所呂能力を有する小規模発電を普及することができます。
今までは、それをせずに、税金を原発に回していたのですから、同じ財源を自然エネルギー転換のためにつかってほしいです。
ドイツで小規模太陽熱発電が普及したのは、政府が脱原発をはかり、積極的に自然エネルギー転換政策をとって、自然エネルギー利用の費用を下げる努力をしたからです。日本でも、電力会社と政治家の癒着を断ち切れば、必ずこの転換はできる。今がチャンス。
また、東京一極集中を地方分散するチャンスでもあります。
>では、収入の六割の税金に、日本国民は堪えることが出来ますか。
自然エネルギー転換をすすめているドイツを例にとりましょう。
ドイツ法人税は2008年から15%。営業税も含めた実効税率は2008年から約29%。 地方税(営業税)課税基準率は2008年から3.5%。
所得税:
2010年より、年収8,004(未婚者)、16,009(既婚者)ユーロ未満は免税。尚、8,004(既婚者:16,009)ユーロ以上の年収でも、その金額を越える部分だけが課税される。ユーロ円は、120円で換算(2011.4.13現在為替)
税率の例(未婚者の場合): 8,004ユーロ(年収約96万円)以上は14%
52,882ユーロ (年収約634万円)(既婚者:105,764ユーロ(年収約1270万円)以上は42%
250,731(既婚者: 501,461)ユーロ以上は45%の所得税。
出典:連邦中央税務庁(BZSt)、税金情報局(Steuerliches Info-Center)
所得税率が14%から42%に上がるのは、既婚者で年収1200万円以上を得ている場合です。日本では、年収1200万円以上を得ている階層は国税庁の統計で4.95%。約5%の階層が所得に対して4割の税金を払う。他は現行の日本の税率と大差ない14%でまかなっていくことができます。ドイツでこの税率で国が維持していけるのなら、日本でも1000万円以下の収入階層に6割もの所得税をかけないでも、エネルギー転換はできると考えます。
私はもちろん、1000万円以下の年収しかありませんから、14%の税金は払うつもりです。
一方,日本の法人税は世界各国に比べてきわめて低い税率です。実質の税率は一例をあげれば、ソニーは12.9%の法人税を払っているのみ。ドイツ法人税は、営業税も含めた実効税率は2008年から約29%であることから見ても、法人税優遇策であることはあきらかです。法人税を高くすると企業が海外流出することを恐れてのことでしょうけれど。
さて、このように、税額やらその使い道に対して、全国民が自分のこととして考えれば、国の共同体としての機能について、もっとひとりひとりの関わり方がちがってくるのではないかと思います。
これまで「お上まかせ」にしてきたことを、ひとりひとりが自分で考え、我が身の問題としていくら税を納め、それがどのように使われているのかを吟味する。
私など、5年前に3月に中国へ行ってしまったために確定申告ができず、それからなんやかやで5年間分の確定申告をためてしまいました。今週やっと申告し、毎年の還付金がもどってくることがわかりました。ただし、区民税都民税国民健康保険は、余分に支払ってきた所得税をもとにして計算されてしまっており、余分に払った分はとりもどせないんですって。ま、寄付と思うか。もともとたいした税額じゃありません。元の年収が超低額ですから。
achaさんのお考えをいろいろメールで知ることができた、これもウェブでの交流のひとつのありかたと思います。会ったこともない人と、このように税金問題まで話し合うことなど、20年前に考えたこともありませんでした。
皆が自分の考えを表明し、よりよい共同体を作り上げること、今回の震災は悲劇でもありましたが、これまでの古い体質リセットと、あらたなスタートになれば、亡くなった方々にも安んじてもらえるのではないかと思います。
あらためて、achaさんの亘理町お知り合いのご冥福をお祈りします。
2011-04-13 19:18:03 ページのトップへ
haruniwa
投稿者:acha1 2011-03-29 21:12
生意気な事をいいます。
「天災」と「人災」は、違います。
何故、東京が必要ですか?
考えて、見ませんか。
投稿者:acha1 2011-04-12 05:34
先生、お早う御座います。
天災と人災とは、分けて考えなければ。
余震も度重なって、少しずつ南の地域に、
何だか、東海・東南海、地震を誘発しそうな感じに、
今此処で、これらの地震が起きてしまえば、日本経済は、完全に息の根がとまってしまう・・・
=================
私、春庭は、クライストチャーチの地震でなくなった語学学校の生徒は、すべて人災による被害者と思っております。
周辺の建物は崩壊していないのに、語学学校の入居していたビルは、以前の地震で耐震に問題があると指摘されていたのを無視したまま使用されていたからです。
福島原発も、津波対策に問題があることはかねてより問題視されていたのを、東電が無視して安全神話をばらまくのみで対策をおこたってきました。原発の検査体制の不備や、故障修理の不全が、あとになって指摘されてきました。最初期に廃炉を決断できず、なんとか廃炉を避けようとして、中途半端な処置しかとらず、水素爆発を招いたのも明らかな人災です。
津波警報を受け取ったあと、避難が間に合わず逃げ遅れて被災してしまった方々、ある意味、人災です。
地震が起きた14:26から、津波の最高波まで30分あり、適切な判断と避難が行われていれば、30分間で高台に逃げることは可能だったからです。
この30分の間に避難が完了できなかった人にはさまざまな事情がありました。
最後まで津波警報をアナウンスしていた女性、避難したお年寄りが寒がったので、介護施設まで毛布を取りにもどったところを津波に襲われてしまった介護職員。
逃げ遅れた人がいないか、地域の見回りを続けた消防団員や警察官。これらの方々は尊い殉職者といえましょう。
しかし、「安全とされていた防潮堤を信じて家に残った人」「防災センターの3階に逃げたから大丈夫だと思った人」、この人々にとって、津波は天災とばかりは言えないのではないかと春庭は考えます。
津波の避難所を作ったとき、「これまでに想定されている範囲の津波」を何メートルと考えていたのか。
少なくとも、1896年の明治三陸沖地震津波の際の38.2メートルを想定すべきだったと春庭は考えます。
1960年5月24日未明に、最大で6mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し死者は142名。多くの三陸沿岸住民は、明治の大津波を経験しておらず、津波への意識はこの1960年の6mの津波であったと思われます。10m以上の場所にいれば、チリ津波と同じくらいの波が来ても、助かる、そういう「安全神話」を皆が思い込んでいた。この思い込みが人災だと春庭は考えます。
福島原発に至っては、たった5メートルの津波しか想定していなかった。人災です。
春庭の部屋で本棚が倒壊したこと。本棚で打った頭はたんこぶ程度で済みました。いきなり倒れたのではなく、揺れているうちにL字型倒壊防止のねじ釘が徐々に弛んで倒れたからです。昨年3月の上階からの漏水事故のさい、水に浸された畳の入れ替えをしました。家具の移動に際して、担当した業者に「本棚やタンスはすべて倒壊防止の金具がついているから、入れ替え後にきちんと現状復帰してください」と頼みました。
天井までの高さにある十段の本棚の天井のほうはよく見えないから、「現状復帰した」との報告を鵜呑みにしたまま、きちんとした点検補強をしないまま、1年がたちました。博論執筆が終わったら、部屋の片付けをしよう、そのときに本棚の点検をしよう、と、一日延ばしに安全確認を怠っていた春庭自身が招いた人災が、「春庭の部屋の本棚倒壊」でした。
春庭にとって、ニュージーランドクライストチャーチのビル倒壊も、原発も、春庭の部屋の本棚倒壊もすべて人災です。
そういう意味でこのたびの震災のほとんどを「人災」と考えているのです。
achaさんが「天災と人災はちがう」と、おっしゃるので、春庭にとっては、今回の震災は人災に思えるということを述べました。
>何故、東京が必要ですか?
というacha1さんへ。
春庭は、東京の首都機能移転に賛成しています。東京の首都機能独占、移転大反対という石原現都知事には、第一期目の選挙のときから反対意見を持ち、一貫してアンチ石原の意見を12年間表明してきました。
移転できる施設は、日本の各地に分散すべきと思います。
なぜ、春庭が東京に住み続けているか、は別問題です。収入さえ確保できれば、生まれ故郷の群馬に帰って余生を送りたい。またはIターンで山形か新潟へ行きたいと思って居ました。新潟は父方の祖先の地で中越大地震を被災した地域ですが、米所です。山形は舅と姑の故郷なので。
今のところ、しがない非常勤講師を続けるしか収入確保の方法がなく、日替わりで5つの大学に通勤するためには、5つの大学の中間点に住むことが必要です。それぞれの大学に60分から90分かかりますが、群馬に転居したら、勤務を続けることができません。
生活できるだけのささやかな収入を確保したい。現在のわが家の年収は、生活保護家庭以下のワーキングプア状態ですが、それでもなんとか生きていけるのは、通勤できる仕事場があるからです。
週末になると山へ行く金銭的余裕、時間的余裕があるacha1さんには想像しにくいtokyo working poor peopleではありますが、なんとか生きて行こうと思っています。
2011-04-12 13:40:22 ページのトップへ
Re:天災と人災
haruniwa
acha様
春庭質問への回答をありがとうございます。
短いコメントの表現ではわからなかったあちゃんのお考えもよくわかりました。
亘理町荒浜のお知り合い、ご冥福をお祈りします。
老親といっしょで逃げる時間が不足であったとしたら、残念なことです。
避難所にいけたとしても、津波に襲われたかもしれないとのこと。
その避難所が、明治三陸津波の38mではなく、1960年のチリ津波6mを想定して建てられていたことを、春庭は残念に思うのです。
>人は、今の持ちえる力で財力で、そんな災害を防ごうと務めてはいます。しかし、其れを越えていたと思います。
10mの防潮堤を建てたとき、10mを超える波が押し寄せることは考えられなかったのかも知れません。そのときの財力でできる限りの防災をした、ということはわかります。38mの高さに対応できる防潮堤を何キロも築くのは不可能です。しかし、明治三陸の津波を経験した後、高台に移転した人々もいました。
海辺に住む人全員が高台に家を建てることは不可能だったのかもしれませんが、知り合いの漁師さんは、おじいさんが津波にあったあと家を高台に移し、漁に出るには不便になったけれど、今回の津波で家も家族も助かったので、おじいさんに感謝している、ということをメールに書いていました。
多くの家は、いったんは高台に建てた人も、生活に不便であったりしてまた浜に戻ったところが多いと新聞記事で見ました。これも「費用対効果」の原則で仕方がなかったことなのでしょう。今後は、仕事の場は海辺に設けても、高台の家から通勤するような形で復興するというプランになるのではないかと何かで読んだのですが、海辺の人はやはり海辺へ戻りたいのでしょうか。
> 「下流の都会の為に、上流の地方が”犠牲になっている”」 事実なのです。
> 福島の原発も、同じだと思っています。
東京の電気の四分の一から三分の一は、福島の原発で作られていたという事実も、今回はじめて知った東京都民が多かった。これまで、脱原発運動をしようとすると、たちまち「それならおまえ達は電気を使うな」と言われました。現在の試算では、自然エネルギーに変換すれば、現在の電力消費量をまかなえることがわかっています。そうしないのは、原発を作ってしまったからには使い続けるしかない電力会社の利益を守るためです。
福島の電力は都会で使われた。では、福島の人は、都会の「犠牲」になっていたのでしょうか。
福島原発によって福島県に与えられた電源三法交付金は、1年間で120億円。雇用も生み出す原発を、地元の人は納得して選挙によって原発誘致派の議員と知事を選びました。絶対安全といわれたから賛成した、と地元の人はいいます。「絶対安全」というのはありえず、いったん事故になればここに住むことはできないと言い続けてきた人のことばがようやく届くようになりました。避難はたいへんでしょうが、そのリスクも含めての交付金であったと思います。今後は誰に投票するか考えたらよい。私たちの生活は、直接のデモを行うか、選挙で守るしかない。
都会に水を送るために計画された私の故郷の八ッ場ダムは、今も故郷が水没することに反対運動が続き、現在はまだ工期延長のまま、政争の中にあります。地元は交付金をもらって移住したい派と、あくまでも地元に残りたい派にまっぷたつです。
肝心なことは、八ッ場ダムが計画された当時と現在では、水の需要や取水方式において大きく変化があり、八ッ場ダムを造らなくても、水は足りているということです。作るかどうかは、水の問題ではなく、利権の問題だけになっています。
私が子どもの頃住んでいた家は、平地の川の流れを利用する水路自流式発電所の真ん前にありました。1925年に建てられた「歴史的建造物」ですが、現在も現役で6800kwの発電を行っています。しかし、「費用対効果」の経済原則からいうと、このような自然エネルギー利用の小規模発電所より、大規模原子力発電所のほうが、電力会社に入る利益ははるかに大きい。太陽エネルギー開発やバイオエネルギー開発には税金は回されず、電源三法による交付金は、原発の地元に落とされました。廃炉にはこの20年30年かかり、その間の費用も莫大になりますが、それは電気価格の値上げで処理せず、東電の資産売却などでまかなってもらいたい。たとえば、東電が所有している広大な尾瀬ヶ原は、売却してもよいのでは。いくらになるのか知りませんが。
電力会社は、政治家への献金を続け、「自然エネルギー転換」を訴えるグループをつぶそうとしました。
実家を田舎に移して立て替えるとき、屋根に太陽光発電をとりつけるかどうか検討されました。発電所前にあった古屋は、屋根に太陽熱温水器をとりつけてあり、お風呂は「太陽が涌かしたお湯」で入っていました。冬場の雨と曇りの日は涌かさなければなりませんでしたが。
しかし、太陽熱発電は、設置費用と余剰電力販売価格、発電できないときの東京電力からの電力買い入れを勘案すると、現在ではデメリットが大きいと計算され、設置をあきらめた経緯がありました。原発への交付金を太陽熱発電機設置補助金にまわせば、原発と同じ発電所呂能力を有する小規模発電を普及することができます。
今までは、それをせずに、税金を原発に回していたのですから、同じ財源を自然エネルギー転換のためにつかってほしいです。
ドイツで小規模太陽熱発電が普及したのは、政府が脱原発をはかり、積極的に自然エネルギー転換政策をとって、自然エネルギー利用の費用を下げる努力をしたからです。日本でも、電力会社と政治家の癒着を断ち切れば、必ずこの転換はできる。今がチャンス。
また、東京一極集中を地方分散するチャンスでもあります。
>では、収入の六割の税金に、日本国民は堪えることが出来ますか。
自然エネルギー転換をすすめているドイツを例にとりましょう。
ドイツ法人税は2008年から15%。営業税も含めた実効税率は2008年から約29%。 地方税(営業税)課税基準率は2008年から3.5%。
所得税:
2010年より、年収8,004(未婚者)、16,009(既婚者)ユーロ未満は免税。尚、8,004(既婚者:16,009)ユーロ以上の年収でも、その金額を越える部分だけが課税される。ユーロ円は、120円で換算(2011.4.13現在為替)
税率の例(未婚者の場合): 8,004ユーロ(年収約96万円)以上は14%
52,882ユーロ (年収約634万円)(既婚者:105,764ユーロ(年収約1270万円)以上は42%
250,731(既婚者: 501,461)ユーロ以上は45%の所得税。
出典:連邦中央税務庁(BZSt)、税金情報局(Steuerliches Info-Center)
所得税率が14%から42%に上がるのは、既婚者で年収1200万円以上を得ている場合です。日本では、年収1200万円以上を得ている階層は国税庁の統計で4.95%。約5%の階層が所得に対して4割の税金を払う。他は現行の日本の税率と大差ない14%でまかなっていくことができます。ドイツでこの税率で国が維持していけるのなら、日本でも1000万円以下の収入階層に6割もの所得税をかけないでも、エネルギー転換はできると考えます。
私はもちろん、1000万円以下の年収しかありませんから、14%の税金は払うつもりです。
一方,日本の法人税は世界各国に比べてきわめて低い税率です。実質の税率は一例をあげれば、ソニーは12.9%の法人税を払っているのみ。ドイツ法人税は、営業税も含めた実効税率は2008年から約29%であることから見ても、法人税優遇策であることはあきらかです。法人税を高くすると企業が海外流出することを恐れてのことでしょうけれど。
さて、このように、税額やらその使い道に対して、全国民が自分のこととして考えれば、国の共同体としての機能について、もっとひとりひとりの関わり方がちがってくるのではないかと思います。
これまで「お上まかせ」にしてきたことを、ひとりひとりが自分で考え、我が身の問題としていくら税を納め、それがどのように使われているのかを吟味する。
私など、5年前に3月に中国へ行ってしまったために確定申告ができず、それからなんやかやで5年間分の確定申告をためてしまいました。今週やっと申告し、毎年の還付金がもどってくることがわかりました。ただし、区民税都民税国民健康保険は、余分に支払ってきた所得税をもとにして計算されてしまっており、余分に払った分はとりもどせないんですって。ま、寄付と思うか。もともとたいした税額じゃありません。元の年収が超低額ですから。
achaさんのお考えをいろいろメールで知ることができた、これもウェブでの交流のひとつのありかたと思います。会ったこともない人と、このように税金問題まで話し合うことなど、20年前に考えたこともありませんでした。
皆が自分の考えを表明し、よりよい共同体を作り上げること、今回の震災は悲劇でもありましたが、これまでの古い体質リセットと、あらたなスタートになれば、亡くなった方々にも安んじてもらえるのではないかと思います。
あらためて、achaさんの亘理町お知り合いのご冥福をお祈りします。
2011-04-13 19:18:03 ページのトップへ