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検索スキル

2011-07-14 06:05:00 | 日本語言語文化
2008/05/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(1)検索くん

 夢にむかって、虹の架け橋を渡っていくにも、毎日毎日、一歩一歩足を運ばなければなりません。
 ことば修行の架け橋は、日々の地道な探求によっています。

 商売柄、国語、漢和、古語、類語、外来語、英和・和英、独和、仏和、日中などの事典をパソコンの上に並べてあります。
 ほかに、歴史事典、色名事典、植物図鑑、鳥図鑑、コンパクト六法など。

 何を書くにも、「ウラをとる」のは、日本語教師も、事件記事のウラをとる新聞記者と同じ。
 自分の思いこみが間違っていることもあるからです。
 ことばのチェックには、辞書が欠かせません。

 辞書をひいたり、ときにはまるごと一冊辞書をを読んだりするのが好きですが、百科事典の利用は、昔に比べて減りました。
 それから、『知恵蔵』『イミダス』のたぐいも。この2冊は紙での出版中止。ウェブのみになりました。

 さもあろう。最近は、たいていのことは、パソコンの検索で調べがつくようになっています。
 グーグルでもウィキペディアでも、「ひとつの記述を丸ごと信じたりしない。必ず、複数の記述をみる」ということを肝に銘じておくことは必要ですが、手っ取り早く調べるには、あちこち何冊もの辞典類をひっくり返すよりもずっと便利。
 検索が好きでよく利用するし、「検索名人」と人に言われて得意になっています。

 「私のブログのURLは秘密」と、教えてくれなかった日本語教育の若い同僚がいました。でも、彼女が書きそうなキーワードを三つ推察し、3語をアンド検索したら、ぴったりHPに行き着きました。
 早速ブログにコメントを書き込みました。「かくれんぼしても、見~っけっ」と。

 ふっふっふ、私に秘密にしようなんて、百年早いっツーの。だいたい、人に読まれるのがいやなら、ブログに書くなって。お仲間だけでやり取りしたいなら、mixiとかのSNWをやって、「友達にだけ公開する設定」にするのがよい。

 と、言っても、私も日本語関係の知りあいには自分のサイトを秘密にしているのだけれど。
 誤変換やら駄文ばかりのサイトみられたら、「よくもこんなことで日本語学おしえてるね」と言われるのがオチ。

 ウェブ友とオフ会をして顔を知ったのではなく、もともと私を知っていた人のなかで、サイトを読んだひとは今のところふたりだけ。

 中国での同僚のうち、大阪から派遣されてきた人は、日本に帰ればいっしょの職場になることはないと思ってHPのURLを告げました。
 URLを知らせても、たいていの人は他人の書く文章などに興味はないので、読みはしません。

 万が一読まれたとき、「あの人の書いてることなんて、こんな程度だ、たいしたことない」と思われる程度のことしか書いていませんから、そんなこんなで、めったにヒトサマにURLを教えません。
 それでいて、ワカゾーのサイトには押し掛けていって、コメント残してくる、いやみなバーさんです、私。

 仕事の本同僚や友人からのメールで、「博学」と言われたので恐縮しています。
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(元同僚から)
先生のブログを拝見しました。毎日更新してらっしゃるようですが、あのアイディアと題材はどこからやって来るのですか?
それにしても先生の博学多識ぶりには驚嘆します!(Sun, 23 Mar 2008 17:43:55 )

(友人K子さんから)
いつも昼休みにHP等を拝見させていただいております。
本当に博学且つエネルギッシュで、同じ人類(?)でありながらこうも違うものかとわが身を反省しています(2008 03/28 22:34)
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 博学とか博覧強記というのは、南方熊楠みたいな人にこそ使うべきで、私は少しも博学なんかじゃありません。
 ウンチク好き、蘊蓄語りが好きなヤツに対しては、とりあえずハクガクと煽てておけばいいだろうってことで、友人は「博学」ということばを使っているのですが、私は博学ではなく、たぶん、検索上手なんだろうと思います。

<つづく>
08:57 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2008年05月19日


ぽかぽか春庭「つちふる」
2008/05/19
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(2)つちふる

 最近のお楽しみのひとつ。わからないことがあったら、徹底的に検索ケンサク。
 たいていのことは調べがつきます。

 3月31日の新聞、読めない漢字がありました。「霾」
 ドット数節約で、ネットでは省略文字しか出ませんが、雨冠の下左は、「豹ひょう」や「貂てん」の左側と同じムジナヘンの「豸」で、下右側は「里」です。

 朝日新聞朝刊「俳壇」のコーナーにあった漢字です。
 音読みはすぐわかりました。「霾天(ばいてん)のアルプス晩景なせりけり(平出和衛)」
 こちらの句には、ひらがながふってある。私も、歳時記で見たことがある。

 しかし、中国在住の人の句「霾や店主イスラム教と云ふ(中村昭義)」にはふりがながありません。
 文字数からいったら、上5句ですから、「○○○○や」で、ひらがな四文字のはず。さて、なんと読むのだろう。
 俳人なら、ふりがななしでも読める字なのでしょうが、たまに季語を引く程度の私には読めませんでした。

 漢和辞典の「バイ」から「霾」をさがし、訓読みがわかりました。訓読みは「つちふる」でした。
 「つちふる」も音読みの「霾天ばいてん」も、私の持っている旧版広辞苑にはない言葉。
 大修館現代漢和には「つちふる。砂埃。突風が土砂を巻き上げて降らせる。また、そのために空が曇る」と説明があります。

 雨冠の下は埋と書く異体字もありました。
 「霾」とは、中国大陸で、地上のものが埋まるほど、土が雨のように降る気象現象を指しました。
 中国大陸に降る土砂が、上昇気流にのって日本まで来たものを、「黄砂」と呼びます。
 黄砂でくもった空が「霾天」で、春の季語。

「霾天や小さく古き一城市(遠藤梧逸)」
「霾天に面を包みうつくしき(田村了咲)」
「霾の中礫のごとき雨交り(林周平)」

 私が持っている角川歳時記に、ちゃんと「霾つちふる」と、読み方が書いてありました。
 これまで「春塵」という季語ばかり使ってきて、漢語っぽい「霾天」を使ったことがなかったので、「霾つちふる」がまったく目に入っていませんでした。

 辞書では、ここまでわかりました。これ以後は、ネット検索です。

 「霾天」「霾つちふる」は、江戸俳諧の季語にはありませんでした。
 明治以後、森鴎外や夏目漱石など、漢詩に造詣の深い人々が、俳句の作者でもあったことから、春塵、春埃と同じ意味で、「霾風」「霾天」が用いられるようになりました。
 大正末年の歳時記から春の季語として採用されています。

 「霾天」という語、どんな用例があるのか、ネットで検索したら、中国最古の詩歌集「詩経」(詩經 国風 邶風)に出ている、とわかりました。

 「終風」と題した詩の二句めに「終風且霾」と書かれている。

終風且暴 顧我則笑 謔浪笑敖 中心是悼
終風且霾 惠然肯來 莫往莫來 悠悠我思
終風且曀 不日有曀 寤言不寐 願言則嚏
曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷

 この詩の解説は以下のとおり。
===========
「終風且霾<與理同>、惠然肯來。莫往莫來、悠悠我思。比也。霾、雨土蒙霧也。惠、順也。悠悠、思之長也。
○終風且霾、以比莊公之狂惑也。雖云狂惑、然亦或惠然而肯來。但又有莫往莫來之時、則使我悠悠而思之。望其君子之深、厚之至也。
【読み】
○終風且つ霾[つちふ]<理と同じ>る、惠然として來り肯ず。往くも莫く來るも莫く、悠悠として我れ思う。比なり。霾は、土を雨[ふ]らして蒙霧なり。惠は、順うなり。悠悠は、思うことの長きなり。
○終風且つ霾るとは、以て莊公の狂惑に比すなり。狂惑と云うと雖も、然れども亦或は惠然として肯えて來る。但又往くも莫く來るも莫きの時有れば、則ち我をして悠悠として之を思わしむ。其の君子を望むことの深き、厚きの至りなり。
============

 ハァ、解説を読んでもますますわからないのだけれど、一日中、強い土ぼこりが降る日の情景なのだろうなあと思って読めない字面を眺めました。
 「曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷」の、「曀曀」って何?どう読むの?「虺虺」ってなんのこっちゃ。
 
 検索をしたために、ますますわからないことが増えてしまいました。

<つづく>
06:12 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月20日


ぽかぽか春庭「桜木の家」
2008/05/20
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(3)桜木の家

 ネットのアンド検索とは、うろ覚え事典と言ってもいい。
 たとえば、「樋口一葉が幼少期に住んでいた家」の、となりにあったお寺の名前を思い出せないとする。

 一葉はその家を「桜木の家」と呼んでいた、ということは覚えているし、東大赤門の前にあった、ということも覚えている。
 一葉、桜木の家、東大赤門、これを並べて検索を掛ければ、お寺の名前は「法真寺」と見つかります。

 アインシュタインは、学校の勉強が暗記中心主義だったことに反発して「本を調べれば書いてあることを、いちいち丸暗記しなくてもよい」と言いました。

 ほんとに、この検索機能をつかえば、何もかも丸暗記しなくたって、ウロ覚えの数語があれば、たいていのことは調べがつくのです。
 便利な時代になりました。

 昨年のこと。
 yokochannさんの日記を読んでいたら、「死」と題したコラムに映画の話が出てきました。(2007/10/02)

 『 昔、こんな映画があった。青年と言うにはまだ早いティーンエイジャーの男の子。趣味は墓場の散歩で、人生は厭世観でイッパイ。所詮 人は死ぬ そんな気分で毎日を送っているのだが ある日その墓場で 一人の初老の女性と出会う。で 彼は すっかり変わるのだが・・・』

 yokochannさんの日記にあるのはこれだけで、映画のタイトルも主人公の名前も書いてありません。

 うん、私も昔、こんな内容の映画を見たことあるなあ、なんて言うタイトルだったっけなあ、主人公の名前も思い出せない。

 主人公もタイトルもわからず、今回は検索に失敗してしまったのです。
 私が気になったのは、yokochann「戯言」コラムにあった「青年が一人の初老の女性と出会う」というところ。
 私の記憶では、ティーンエイジャーの男の子と出会う女性は80代なのです。ユダヤ人収容所に入っていたつらい記憶を持つ女性だったと思います。

 初老というと昔なら40,代50代。「後期高齢者制度」がはじまった現代でも、60代をいう感じ。80歳では初老とは言えないだろうと思うので、私が見たのとyokochannが見たのが同じ映画だったのかどうか、検索してみようと思いました。

 初老だったのか、それとも80歳だったのか、気になって、映画のタイトルを思い出そうとしましたが、寄る年波、さっぱり思い出せません。私もすでに初老の域ををすぎ、本格的に「物忘れ」世代になったらしい。

苦心惨憺でやっとタイトルが見つかりました。

<つづく>
05:35 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月21日


ぽかぽか春庭「ハロルドとモード」
2008/05/21
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(4)ハロルドとモード

 こんなとき役にたつのが、ネット検索機能。当該の語句を思い出せなくても、その周辺の覚えていることを並べてアンド検索すると、たいていのことはひっかかって出てくる。

 ところが、この青年と老女が出会う映画、うろ覚えの言葉さえ出てこない。主人公の名前はたしかモーゼと言ったように記憶する。しかし、青年の名が思い出せない。
 モーゼをキーワードにして、いくつかのアンド検索をかけてもわからない。

 「青年と老女の恋 モーゼ」「80代 老女 青年 恋愛」「モーゼ 墓場 青年」映画のいくつかのシーンを思い出しながら、いろんなパターンを組み合わせて入れてみました。
 出てきません。

 今回ばかりはあきらめて、「昔、自分が見た映画のはず」という記憶から、調べました。
 ありました!2003年、「老いをむかえる心の冬支度」について書いていた「おい老い笈の小文」のシリーズ。

 2003/11/05のコラムに『ハロルドとモード・少年は虹を渡る』の文字が書かれていました。
 そうか、主人公の女性はモーゼじゃなくて、モードだったのね。相手の青年の名はハロルド。

 主人公のモードは、yokochannさんが覚えていた「初老の女性」でもなく、私が覚えていた「80代の女性」でもなく、「もうすぐ80歳の誕生日を迎えようとしている、すなわち79歳の女性」、でした。

 そっか、「現代では70代を初老、80代90代を中老、100以上を大老という」というふうに考えれば、79歳のモードは初老でいいのかも知れない。

 「40、50はハナ垂れ小僧、60壮年、70初老」。
 「後期高齢者」という75歳以上をさす用語が気に入らない、という方もいらっしゃり、「老」という文字そのものが嫌いという方もいる現代です。

 漢字のもともとの「老」は、「腰を曲げて杖をついて歩く人」という象形文字からできています。
 「老」は、経験を積み、物事を深く理解している人への敬称でもありました。
 黄門様の呼び名、「水戸の御老公」の「老公」は、敬意を込めた呼び名です。

 また、江戸幕府の大臣にあたる「老中」とは、年功序列で年取ってからなるものではなく、経験と知識が豊かな人材であれば、若くしてなることもありました。「老」は、単に年取っているという意味ではなく、「経験と知識が豊富でみなのリーダーになれる人」という意味だからです。

 大奥の役職「老女」も同じ。本丸老女は、老中と対等の地位を持っていました。
 (大奥について、いろいろな本が出ていますが、新しいところでは、山本博文『大奥学事始め・女のネットワークと力』NHK出版2008年2月発行、が、とても面白かった)

 現代のように「老」を嫌う風潮は、高度成長期以後の日本だけのこと。「老」に尊敬の念を呼び戻してほしいです。

 私は、野上弥生子(1885~ 1985 99歳)、宇野千代(1897~1996 98歳)石井桃子(1907~2008 101歳)にあやかりたい。「大老」をめざします。

 次回は『ハロルドとモード少年は虹を渡る』のあらすじから。

<つづく>
02:11 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年05月22日


ぽかぽか春庭「少年は虹をわたる」
2008/05/22
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(5)少年は虹を渡る

 世間で、老女と青年の結婚が話題になることはありますが、ほとんどの場合、金持ちの老女と貧しい美青年の組合わせ。多くは、遺産目当てと推測されるケース。
 青年は、世間からの「遺産目当て」との非難に耐えつつ、遺産相続の日まで待ちます。まあ、10年くらい待つうちには、なんとかなるでしょう。

 「ハロルドとモード」で、世間は、「老女が青年の財産目当てに惑わしたのだ」と、非難します。

 ハロルドはモードのために、80歳の誕生日を祝います。ふたりきりで、心ふれあう時間をすごし、その翌朝に、、、、

 貧しく苦しい人生なのに心豊かに生きてきたモードと、金持ち坊ちゃんなのに生きる気力を失い人生を投げてきたハロルドの恋物語。

 私も、同じ年を取るのなら、ハロルドに結婚を申し込まれるような、魅力的な80歳になりたい。

 さて、モードのように、60歳年下の子から結婚申し込まれるということになると、私の未来の恋人はまだ生まれていないんですね。

 ま、年齢は60歳年下とかじゃなくても、結構です。
 資産100億円以上の方でしたら、体重、歯のあるなし髪の毛の有無、いっさい関係なく申し込むことができます。お気兼ねご遠慮なさらずに。
年齢制限はありませんので、どなたでも結婚お申し込みください。求婚ありしだい、今の「ショーモナシ夫」とは離婚しますから。

 と、100億円長者からの求婚を待っているけれど、聞こえてくるのは「母よ、いいかげんに換気扇のアナをふさいで!」という娘息子の苦情。

 壊れた換気扇をとりはずしたあとの四角い穴を、ビニール袋でふさいでから早3年。すきま風は、容赦なく入ってまいります。
 80歳までに、換気扇を買って壁の穴をふさぐことができるのかどうか、、、、。
 もうちょっと生きて見ます。

  まだ、再婚相手(予定)に巡り会っていないのは残念なことですが、社会のなかで、さまざまな出会いをつなげて今日まで生きてきた春庭です。
 雨上がりの青空にかかる虹を、何時の日か60歳年下のハロルドと眺める日がくるのを夢見つつ、今日はパソコン相手に、検索、検索、、、、。

<おわり>

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