にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>

2010-03-28 13:39:00 | 日本語言語文化
第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>


3.1 『夢の痂』概要
 本節では、「日本語言語文化における主体性」に関する考察の中で、「一般の日本語母語話者にとって、<主語>とはどのように受け止められているか」を考える。そのひとつの例として、井上ひさし作の戯曲「東京裁判三部作」の中の『夢の痂』をとりあげ、井上がその文法観をどのように演劇作品で展開したかを概観し、日本語の<主語>が<主体>との関連において一般にどのように受け取られているかをみていく。井上の文法観が一般的な日本語母語話者の日本語観を代表するということではないが、日本語観を直接に作品の中に描き出している例はそう多くないこともあり、ヒロイン絹子の国文法論を井上の日本語文法観に重なるものとみなした上で考察する。
井上ひさしは、2010 年4 月9 日に没するまで、小説や随筆のほか数多くの戯曲を発表してきた。晩年の作品として発表された「東京裁判三部作」9は井上の代表作と評されており、『夢の裂け目』(2001 年初演)、『夢の泪』(2003 年初演)、『夢の痂』(2006年初演)が上演されている。10 この三部作において、井上は1946 年に始まった東京裁判に切り込み、日本の戦争指導者の責任、さらに戦中戦後を生きた庶民の責任を問う。
『夢の痂』は、直接東京裁判への言及のない点が、『夢の裂け目』、『夢の泪』とは異なり、東北地方を舞台に天皇巡幸をめぐる騒動を描いている。「主語を隠してしまう日本語ゆえ天皇の戦争責任が隠され、国民に対して東京裁判の本質が隠されたものとなったため、国民自身も戦争責任について考え抜こうとしなかった」と劇中で国文法の女教師が述べる。井上は、この戯曲で「主権は天皇にあった。すなわち、日本で自分自身を主語として立てることのできる立場にいた。国民にとっては、天皇は『時代の状況』であった」、「これからの日本は、個人個人が自分を主権者・主体として自立させ、自分自身でものごとを考え、行動していかなければならない。すなわち、自分を主語として確立していくべきである」と主張している。

3.1.1 『夢の痂』梗概
『夢の痂』は、終戦から2 年たった頃、天皇の全国巡幸宿泊地候補になるかもしれないという東北の旧家を舞台に、戦争責任を見つめる人々を描いている。主な登場人物と梗概は以下の通りである。

三宅徳次:元陸軍大佐、大本営の参謀。敗戦後「戦争責任は、作戦立案した我等にあり」と遺書を残して熱海で投身自殺をはかったが、一命をとりとめ、今は骨董屋を営む兄の命で佐藤家の古美術整理を担当している。
佐藤絹子:佐藤家の長女。国文法教師。8 月15 日に中学生と「敗戦の日の意味を文法から考える」という授業を行っている。
佐藤作兵衛:養蚕織物業で財をなした佐藤家当主。財産を整理し、美術館設立をはかっている。
佐藤繭子:佐藤家の次女。東京へ美術の勉強に出ているが、実は愛人のためにヌードモデルをしている。
三宅友子:大連から引き上げ、父徳次の元へやってきた。

 敗戦後の日本では、市ヶ谷法廷で東京裁判が行われている一方で、農地改革、組合運動の先鋭化など戦後の混乱が続く中、1946(昭和21)年2 月から天皇の行幸が続けられてきた。8 月には東北地方巡幸が決定し、この町に滞在する可能性もある。養蚕織物業で財をなした佐藤家の「お蚕御殿」への宿泊もありうる。1947 年(昭和22 年)5 月3 日に施行された新憲法の中で「日本国の象徴」と記された天皇をどのように接待したらよいのか。天皇を落ち度なく迎えるために、大本営勤務時代に天皇を見たことのある徳次を天皇役にして接待の予行演習が行われる。天皇を演じるうち、徳次は次第に天皇になりきっていく。絹子は、予行演習の中で徳次扮する天皇に「なにとぞ御責任をお取りあそばしませ」と迫る。徳次は「天皇は退位すべきだった」という敗戦時の感慨を天皇として述べ、「すまなかった」と国民に詫び、「退位する」と発言する。劇のエピローグ、ラストシーンで国文法教師絹子は「自分が主語か 主語が自分か それがすべて」と繰り返す。

3.1.2 『夢の痂』のテーマ
 上演にあたって国立劇場が作成した作品紹介には、以下のように書かれている。『夢の痂』は、東京裁判をどのように把握し、これからどう生かしていけばいいのかということを命題に、井上ひさし独特の視点から、日本の社会を考えている。東京裁判は、「戦争の責任はA級戦犯にあって、天皇も国民もみんな被害者であった」というひとつの線引きであった。戦争責任を曖昧にしたことが、現在の国民の無責任さにつながり、そしてその無責任さを考え直さないと国際社会では生きていけない、といった問題意識から発想されている」
 『夢の痂』のキーワードとして「責任」という語をとりあげることができよう。井上ひさしは、2006 年の『夢の痂』上演パンフレット(2007集英社版『夢の痂』所収)において、次のように東京裁判及び戦争責任について述べている。11

  この裁判を<瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石>と考えています。なによりも、この裁判はのちの国際法や国際条約を生む基礎になりました。また、力をもたない市民が、この裁判をもとに戦争暴力に抵抗することができるようになりました。そして裁判に提出された極秘の機密資料によって、戦前戦中の隠された暦を知ったのです。では、瑕とはなにか。作戦計画を受け持った陸海軍の高級官僚的軍人たちの責任が問われず、さらにその頂点にあった大元帥が免罪された。(中略)もう一つの大きな瑕は、国民がこの裁判を無視していたことです。なぜ自分たちはあんなにも大量の血と涙を流さなければならなかったかを、国民はきびしく問うべきでした。この第三部には、東京裁判の “と” の字も出てきませんが、主題はこの瑕です。あの途方もない夢の痂を剥がして、その痂を見ようと試みました。

 井上の東京裁判への立場は、「戦争責任追及の上で完全な裁判ではなかったことを認めた上で、裁判そのものは成立していたことを認める」すなわち「天皇免罪を認めた上で、歴史的な事実への追求は国民が負うべきことだ」というものであると見なすことができよう。

3.2 井上ひさしの日本語文法観
 『夢の痂』の中の国文法教師絹子の「天皇は国民に謝罪すべきであった。天皇は戦争責任をとるべきであった」という主張から、絹子は井上の思想の代弁者と見なすことができる。
絹子の国文法観は次のようなものである。
 絹子は東京の女子大で、源氏物語の中に「けり」がいくつ出てくるか数える研究をしてきた国文法研究家であり、現在は国語教師として働いている。絹子は「無自覚に日本語を話している日本語母語話者よりも自覚的に日本語の構造を捉えている教師」と設定されている。絹子の文法観は、天皇巡幸予行練習に集まっている人々に対して「教師として日本語についての考えを披瀝する」という形で述べられる。絹子が文法について考えるのは、生徒たちといっしょに「敗戦の日の意味」を考えるためである。

  「八月十五日を境に、わたしたちの考え方がすっかり変わってしまいました」、「百年戦争だ、最後の一人になるまで戦うぞ、みんなでそう絶叫していました。でも占領軍がやってくると、とたんにウエルカムでギブミーチョコレートでしょう。わたしたち、いったいどうしてしまったのだろう。これが生徒たちの疑問です。文法を教えるのがわたしの仕事ですから、文法を通して八月十五日の意味を解きたいのです」

と、絹子は言う。さらに、歌の歌詞の中では、「文法、正しいことばの目安、文法、わたしの友よ 文法、うつくしいことばの作法文法 うるわしの友よ あなたがいないと なにもいえない 世界を読むこともできない」と文法に寄せる信念を述べている。絹子の台詞から、日本語の文法に関わる部分を抜粋し、解説する。(表示頁数は集英社版による。)

(1)実体のある語は、自分でしっかり立っている。これを自立語といいます。(27)
 (2)その自立語に、てにをはの「は」が付くと、「友子さんは」と主格になる。おにぎりに「を」が付くと目的格になる。「は」を付けたり「を」を付けたりすると、その自立語がどうはたらくか、はっきりします。どういう順序で並んでいても、このてにをはのおかげで、言いたいことがきちんと伝わる。わかりますね。(28)
 (3)日本語の語順はけっこう自由である。二つ、これが大事中の大事ですけれど、、、、日本語の自立語、とりわけ名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に主格になることができる。(29)

 孤立語である中国語や孤立語的屈折語である英語は、語順が文法上の役割(主語・目的語など)を決める。それに対して、膠着語である日本語は、自立語(実態のある語、名詞や動詞など)に、付属語(助詞や助動詞)が膠着することによって文法上の役割が決まる。 絹子が「てにをはを付けると自立語がどうはたらくか、はっきりします」と述べているのは正しい。しかし、絹子が「名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に<主格>になることができる。」と言っているのは、まちがっている。「は」は、係助詞のひとつであって、名詞について格関係を表す格助詞ではない。現代日本語の<主格>は、格助詞「が」が付属して表される。(古典日本語ではゼロ表示の<主格>もある。例「むかし男ありけり」)「友子がおにぎりを食べた」という文の<主格>は「友子が」であり、「友子が」を話題(トピック)として取り立てるために付属するのが、係助詞の「は」である。「は」が付けば<主格>になるのなら、「おにぎりは友子が食べた」という文において「おにぎりは」も<主格>ということになってしまう。「おにぎりは友子が食べた」は、<目的格>「おにぎりを」をトピックとして取り立てているのであって、<主格>ではない。係助詞「は」が格助詞「が」と「を」を取り立てると「が」「を」の上に重なって「が」「を」を隠してしまう。格助詞「で」「に」は隠されないので「京都ではお土産を買った」「東京には行かなかった」などの文では、「京都で」「東京に」を「は」で取り立てたとき、「で」「に」は隠されない。
 日本語は「主語述語」関係で文を構築するより、「主題解説」関係で出来事を述べる言語である。発話された文は、言語情報理論から<トピック(話題)―コメント((話題に対する解説・説明)>の組み合わせとみることができる。または<テーマ(主題)―レーマ12(伝達内容)>の組み合わせとみることができる。英語などの主語優勢言語では、<主語>が文を構成する必須の単位であり、話題(トピック)マーカーとして"As for"、"Speaking of" などでトピックを明示することもあるが、話題(トピック)は明示しない限りは<主語>と一致する。日本語などの話題優勢言語では、<主語>の明示は義務ではない。話題の提示の方が重要であり、話題解説構文(topic-comment frame、あるいは主題題述構文theme-rheme frame)が基本的な構文である。日本語では係り助詞「は」がトピックマーカーとなる。また、統語論から見て、文の成分に分けるとき、<主語subject><述語predicate><目的語(対象語)object>などの要素に分けられる。そして、述語(述部)に対する名詞句の関わり方を、格助詞を伴って<主格><目的格>などで表す。いわゆる学校文法(橋本進吉文法を中心として学校教育で採用されている文法)では、文節と文節の結びつきによって文を分析している。トピック―コメント関係を担う係助詞「は」と、格関係を表す格助詞「が」を、同一平面上で扱うため、学校文法を教えられた多くの人は<主題topic>と<主語subject>を区別して受け止めない。日本語においては、主題の多くは「は」で表示される。主題は統語関係から述べると主語と重なることが多い。「私はパンを食べた」において、<主語>の「私」は、そのまま主題として「私は」と、取り立てられているので、主語と主題が一致している。しかし、「パンは私が食べた」という文において、「パンと私のどちらが主語か、わからない」と質問する日本人学生が今でも教室に存在する。「パンは私が食べた」という文では、「パンは」は述語動詞の対象である「パンを」を主題として取り立ててtopic として示したものであり、「食べる」という述語の動作行為者は「私」である。主題・解説関係で言うと、「パン」がテーマで「私が食べた」がレーマである。学校文法では、「日本語では、「が」「は」などの助詞を伴った文節が主語である。主語が省略されることも多い。」と<主語>を定義している。「友子はおにぎりを食べた」の「友子は」を、学校文法では<主語>として認める。しかし、どのような文法説によろうとも、「は」は格助詞ではない。絹子が「「は」が<主格>を示す」と述べたことにより、絹子(=井上ひさし)は、<主語>と<主題>と<主格>を混同していると考えられる。絹子は、「日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。」と述べる。述語が行為動作を表す動詞文であるとき、論理的に文をとらえる場合、述語動詞の動作行為を行う<主体>を<動作(行為)主体agent>として扱う。<動作(行為)主体>は、述語動詞に対して述べられているのであるから、「次郎は太郎に殴られた。」において、殴るという動作を行っている動作主体は太郎である。次郎はこの発話の「話題の中心人物=<主題>」であるとともに、「殴られる」という受け身述語の主語である。「太郎は次郎を殴った。」という文を三つのレベルで分析すれば、
(1)あるひとつの情報を伝えるという話者の意識からいうと「太郎」を話題の中心に据え、太郎についての情報を述べている。トピックである太郎についての情報(コメント)が「次郎を殴った」である。
(2)「殴った」という述語に対して文の成分からみた主語は「太郎」であり、目的語(動作の対象となる語=対象語)は「次郎」である。
(3)「殴った」という動作行為を担っている動作主体は「太郎」である。
 学校文法は、この三つのレベルを区別しないまま教えられてきた。『夢の痂』での文法論も、この範囲を出ていないことは、絹子の台詞に見た通りである。
 以上、文法用語としての<動作主体agent>と<主語subject>はレベルの異なる語であるのに、従来混同されてきたこと、<主語>とトピックも範疇が異なるものであるのに、同じ平面上で扱われてきたことを確認した。
 日本語の主語をどう定義づけ、どう文法論の中に位置づけるかという主語論争が続いてきたが、現在までの日本語文法界において論争が終結してはいない。 しかし、<主語>の定義がどのようなものになっても、<主語>と話題(トピック)は区別しておかないと、文の構造を理解できない。
 次に絹子の国文法解説中の、コピュラ文(名詞措定文)に関する台詞を検討する。

(4)よく意味のわからないカタカナ語であっても、「は」を付けさえすれば、簡単に日本語文の主格になってしまうんです。たとえば、よくいわれたことばに、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」というのがあった。この「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です。「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。(30)
 (5)意味もよくわからないのに、日本語文としてはとてもりっぱです。そしてなにかりっぱなことを云っているつもりになってしまう。(31)
 (6)てにをはの「は」を使って、そのときそのときのいちばん強い力に合うように名詞を入れ替えた。(31)

 「A=B」という文型は、どの言語にも普遍的に存在する。いわゆるコピュラ文(繋辞文・連辞文・つなぎ文)である。日本語では、「A=B」を「A はBである/だ/です」という文型で表現し、A を措定しているので「措定文」と呼ばれる。 措定文「AはB である」のB の部分に対してA を入れ替えることができるのは、当然のことである。「猫は動物である」に対して「蛙は動物である」、「恐竜は動物である」、「ピカイアは動物である」など、B に含まれるA は入れ替え可能である。であるから、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」の「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です、と絹子が言っているのは、係助詞「は」に関わることでも主語また主格に関わることでもない。絹子はこの理由を「「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。」と、述べているのは「述語に対して<主語>を入れ替えて用いることができる」ということの説明としては不適切である。
 次に、絹子の文法観のうち、主語の非明示(主語なし文)に関する台詞を検討する。

(7)「日本語には主語がない」こういう仮説を立てたんです。「主語がいらない」(130)
(8)「わかんない」にも主語がない。「苦手だなあ」にも「死ぬほどきらいよ」にも主語がない。(131)「主語と述語が文の基本と学校で習いましたよ」にも主語がない。(132)「閉口するよ」にも、主語がない。(133)
(9)ほかのみなさんも「わたしは」という主語を立てていませんでしたね。
 (10)海の向こうからやってきた教師たちが、わたしたちの先輩に、どんなことばにも主語と述語があるんですよと教えた。そこで、わが先輩たちも、日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ。(中略)教師たちも先輩たちも、日本語には、主語を隠す仕掛けがしてあることに気づかなかったわけですから、まちがっていました。とりわけ、日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。(134)

絹子が例示している「わかんない」、「苦手だなあ」、「嫌いよ」、「閉口するよ」などは、発話主体の「今、ここ、私」の感覚感情を述べている。発話時における発話主体及び動作主体の非明示は<主語無し文>として主語論争から日本人論まで広く論じられてきた。しかし、絹子があげている例文は、英語を中心とした「主語を明示することが必要な言語」から見ると「主語がない」とされているものであるが、日本語は日本語の論理によって発話されているという見方からすれば、どの発話も「主語を隠している」のではなく、「もともと発話主体を明示する必要がないから、言わない」、「あえて発話主体・認識主体・動作主体を明示すると、日本語として不自然になる」種類の文である。「わからない」と誰かが述べたとき、発話主体にとって事態が「わからない」のである。もしこの「認知認識の動詞」の主体を付け加えるなら主格を付け加えて「私がわからない」ではなく与格を加えて「私にわからない」となるのであり、主題化して「は」でトピックを示すなら、「私にはわからない」となる。「A にはわかるだろうが、私にはわからない」という対比表現なら「私はわからない」という発話は可能であるが、「私がわからない」と主格をつけることはできない。「死ぬほどきらいよ」という文の「きらい」という感情を持つ感情主体を「私は」と主題化して示すことはできるが、「あの人、私が死ぬほどきらいなのよ」という文が表出されたとき、「嫌い」という感情を持つ主体は「あの人」であって、「私」の感情を表しているのではない。「あの人」の感情の対象者が「私」と解釈される。「きらい」という述語の<感情の主体>は、主格の「が」では示せない。高子の台詞で示される「わたしは、文法が死ぬほどきらいよ」であるなら、このとき「が」格で示される「文法が」は、感情が向かう対象を示す。(時枝文法の用語では対象語)。「私は」は、「文法が嫌い」という述語全体の感情主体であって、単に「文法が嫌いよ」と言っても、感情の主体が誰であるか、日本語の構造上明白である。感情感覚の述語が、発話者が発話時の「今、ここ、私」の感覚を述べているとき、その感情の所有主体は発話者自身である、ということは、話し手聞き手に明白に了解されている。発話者と聞き手双方が了解していることは、明示されなくてもよい。これは、日本語だけでなくどの言語にも備わっている言語の基本的なことがらである。「嫌い」「好き」には、感情の主体と感情の対象が必ず存在することは、双方が了解している。相手に向かい合って「好きです」とだけ言うことは自然な発話であるが、「私はあなたが好きです」という文は、よほど感情主体と対象を意識して表現する以外には翻訳調であると受け取られるだろう。「苦手だなあ」も同様である。絹子が「日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ」と述べているのは、西洋語(特に英語)の文法をそのまま日本語に当てはめた文法研究の誤りを示している点で正しい。「日本語には主語がない」のではなく、「日本語は述語を表現の中心とする言語であって、話し手聞き手双方が了解している主語を、発話時に明示する必要はない」のである。また、「感情感覚を「今、ここ」の発話として述べるとき、その感情感覚の主体は発話者である」という日本語統語の基本からいえば、「ううっ、寒い!」という発話においてその感覚の持ち主は発話者である。他者を主体にしたなら、「彼は寒がっている」と、別の表現形式を用いなければならない。
 次に、絹子の文法観のうち、自動詞文と状況変化主体文に関する台詞を検討する。

(11)(日本語の主語は)そのときの状況の中に隠れるんです。日本語では状況が主語なんです。(135)

 日本語は、自動詞文あるいは受け身文の表現を多用し「状態状況の変化を経験主体が経験する、身に感じる」という「なる型」の言語であり、英語が、動作行為動詞を述語とし、動作行為主体を主語として「する」を述べる文が表現の中心となるのとは異なる。日本語が<主体>による動作行為を表現するよりも、状態の変化、状況の移り変わりを述べる表現を多用する言語であることは、日本人論とも結びついて幅広く論究されてきたのである。
 絹子が「日本語では状況が主語なんです」と言うのは、動作主体を<主語>にするのではなく、自動詞文や状態変化、状況を表現する日本語表現の特徴について述べているのだと考えられる。しかし、どのような文が「状況のなかに主語が隠れている文」であるのか、実例は出されず、絹子は、恋仲であった小作人の清作が戦死した話題に移る。絹子は清作を「別の主語をたててものを考えられる人」と評している。

(12)いまはマッカーサーの御代、これが新しい主語なのでしょうね。(140) 天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。(141)

 「動作主体・行為主体」として述語の動作行為を実現させる「主語」について、天皇が大元帥であった時代には、天皇が「主語」であり、GHQ 占領下では最高司令官のマッカーサーが「主語」である、と絹子は言う。ここでの「主語」とは、述語に対して「実行者=行為の責任を負う者」という意味であろう。「(戦前戦中の国民にとって)天皇は状況そのものであった」というのは、自分自身の外界の動きや変化を「状態変化」、「状況の移り変わり」として我が身に経験するという「なる型」言語の日本語母語話者にとって、「天皇を頂点とする社会状況の中にいて、状況の変化を経験しつつ存在してきた」という意味に受け取ることができる。日本語においては、「自分自身を動作主体として他者に対して動作を実施する」、「<主語>として述語行為を実現する」のは、<主体>が意図的に行動を行った場合に用いられる表現である。茶碗を洗っているとき、割ることを意図せずに手が滑るなどの不測の事態で茶碗が下に落ちたという場面なら「茶碗が割れた」と表現される。手がすべって茶碗が下に落ちたとき、茶碗が割れた瞬間「あ、しまった、今、私が茶碗を割ってしまいました、ごめんなさい」と言うより「あ、しまった、茶碗が割れてしまった、ごめんなさい」と言う方が自然な発話となる。非意図的な事態に対して、動作主体を主語とする他動詞文を用いるのは不自然なのである。池上(1981)は、「英語は変化を引き起こす動作主体を中心に据えて表現する言語である。一方、日本語では、動作主体の意志的な行為を明確にして「こんど結婚します」と発話するより、事態の推移を表す「このたび結婚の運びとなりました」という表現のほうが好まれる」と指摘している。「する」と「なる」の対比は非常にわかりやすく、個体を表現の中心に置くことなく、「出来事全体」に表現の焦点があるという論は、英語日本語の比較研究においてもさまざまに論じられてきた。池上は、「英語では、出来事(イベント)におけるある一定のものに焦点が当てられて言語表現が行われているのに対し、日本語では、イベント全体の状況を捉えて言語で表現する傾向にある。英語では“do-language”(する的表現) を行っているのに対し、日本語では“become-language”(なる的表現)を行っている」と述べている。英語のように「信長は桶狭間での戦さを開始した」と表現するのは、特別に「信長」に話題の焦点が置かれ、行為者としての「信長」を強調するときの表現である。しかし、絹子や高子らにとっては、「天皇が戦争を開始した」や「軍人が戦争を始めた」と、動作主体を明示する表現は日常的な会話では特異な表現であり、「戦争が始まった」と表現するほうが自然であった。1941 年12 月8 日に、日本国民は宣戦布告のニュースを聞いた。国民は、天皇から国民への命令を受け取った。

  「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス。朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」という宣戦布告の天皇のことばを聞き、天皇から「朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」

新聞が「いま宣戦の大詔を拝し、恐懼(きょうく)感激に耐へざるとともに、粛然として満身の血のふるへるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もつて宸襟(しんきん=天子の御心)を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥ぢることなきを期せねばならないのである。」(『朝日新聞』社説)と述べているのを読んだ者のうち、「天皇が戦争を布告した」、「日本軍部が戦争を開始した」と受け取った者は「一億同胞」のうち、どれほどいただろうか。「朕カ衆庶(天皇の国民)」一同は、「戦争が始まった」と受け取った者のほうが多かったと思われる。「戦争を開始する」という意図的な事態に対して、それを自分自身が意図的な行為として選んだという自覚がなければ、自動詞表現「戦争が始まった」と受け止めるほうが日本語母語話者にとって自然な言語表現であるからだ。「天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。」という絹子の台詞は、天皇を主語として「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と述べられたことを、国民は「状況の推移」として「戦争が始まった」という自動詞表現として受け止めた、ということである。
井上ひさしの文法認識をまとめておく。
 『夢の痂』は、1947 年の東北地方を背景にストーリーが組み立てられており、ここで述べられている日本語文法観は、「1947 年当時にはこのような国文法観であったろう」として井上が絹子の口を通して語らせたものである。絹子は言う。

(13)文法がなぜ、おもしろくなくて役に立たないか。それはどんな学者の文法も和歌を解釈するためのものだからよ。何百年も前の、和歌のための文法を、いまの、わたしたちの時代のことばに当てはめようとしているの。(159)
(14)今のことばの中からことばの規則をくみ出さなくてはね。(159)

 絹子たちが教育を受けた戦前の国文法は古文の時間に教えられ、主に「古典文学解釈のために役立つ」とみなされてきた。明治時代以後の標準語を中心とする近代日本語口語文法もまた、江戸中期以後の「国学」の流れを汲む日本語研究と西洋語文法直輸入によって研究されていたのであるから、絹子の「和歌を解釈するための国文法」という文法観は、やむを得ないものであろう。江戸時代末期から明治にかけて、日本語文法研究は西洋語文法をどのように日本語に適用するか、という方向で進められた。もちろん、戦前においても松下大三郎のように古典解釈中心の国文法とは異なる「日本語文法」の確立をめざした文法研究もあり、「どんな学者の文法も~」ということはできない。しかし、学校教育で採用された国文法が、松下大三郎らの文法論ではなく、橋本進吉らの文法論が中心であったことにより、日本語文法が「おもしろくなくて役に立たない」と受け止められてきたことは、おおかたの文法教育に対する感想であろう。学校文法では「格助詞ガによって示される主語」と「係助詞ハによって示される主題」の区別すらしてこなかったのであるから、「象は鼻が長い」という文の「象」と「鼻」のどちらが主語なのか、教師にも説明できないという時代が長く続いたのも当然であった。
 井上の文法観は、1981 年刊行の『私家版日本語文法』、2002『日本語観察日記』、2004『日本語日記』2006『日本語日記2』などに述べられている。これらの書に書かれた井上の日本語文法観と2007 年の『夢の痂』(『すばる』2006 年6 月号初出)の間に大きな変化はない。『私家版日本語文法』の「格助詞ガの出世」および「ガとハの戦い」の中で、井上は、大野晋、三浦つとむ、川本茂雄、三上章らの「ガ」と「ハ」の違い、使い分けの論述に基づいて自論をまとめている。主語論、格助詞「ガ」と係助詞「ハ」についての研究について、1981 年前後に発行されていた文法書を読み込んだ上での『私家版日本語文法』
であることがわかる。井上は1976 年にオーストラリア国立大学日本語科で客員教授として講義を行っている。もとより言葉に関して長年の探求を続けてきた井上であるが、オーストラリア滞在中は特に「日本語を母語としない人に対する日本語文法」についても意識が向けられたはずであり、一般的日本語母語話者よりはるかに日本語文法への関心は強いと思われる。井上は『日本語日記2』で「人間がコンピューターに指示を与え、データを知らせるのは、全てキーボードからの入力によります。」(富士ゼロックスマニュアル)という文に対して、「文の冒頭の「人間が」が余計である」と述べ、「説明書のその箇所
を読んでいるのは、購入者か使用者にきまっている」(22) と、書き手読み手双方にとって明らかである「コンピュータに指示を与える」の動作主体について、「人間が」とわざわざ記すことで不自然な文になっていることを指摘している。日本語文にとって動作主体の明示は不必要であることを認識していた井上が、『夢の痂』において、絹子に「主語をかくす」ことに異議を申し立てさせているのは、どういう意図があるのだろうか。井上は「主語を隠す日本語」という表現で何を言い表したかったのだろうか。


3.3 比喩としての<主語>
 『夢の痂』によって表現したかった作品のテーマは明らかであるが、「日本語では<主語>が隠されている」、「<主語>が担うべき責任が曖昧にされたまま、天皇免責は既成事実になった」という絹子の主張は、日本語文法論から見て妥当なものと言えるかというと、これまでに述べたとおり、「主語の非明示」と「行動の責任所在の言明」とは別問題だ、と言わざるを得ない。日本語の主語は、発話者と聞き手双方が了解している限り、明示する必要はないと井上自身も表明しているのである。
井上が『夢の痂』において「天皇は主語であった」と絹子に語らせ、国民にとって「天皇は状況そのものであった」と言うときの<主語>とは何を意味しているのか。第一義には、天皇は「日本国体の主体」であった、ということである。ここで、<主体>について、広辞苑から辞書的な語義を示しておく。

 (1)帝王の身体
 (2)元来は根底にあるもの、基体の意(subject イギリス hypokeimenon ギリシア)
 (3)性質・状態・働きの主
 (4)主観と同意味。認識し、行為し、評価する我を指す。主観が主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性・実践性・身体性を強調するためにこの訳語が用いられるに至った。
 (5)団体や機械などの主要部分

 井上が『夢の裂け目』『夢の涙』で、「天皇免責の異議申し立てを国内外から出さないために東京裁判が行われた」ということをテーマにしているのは、「ほとんどの日本人が東京裁判に関心をもたず、自分たちの行った戦争を考える機会を妨げられてきた」と感じたからである。絹子と徳次は、「天皇は責任を明らかにして国民に謝罪し、退位すべきであった」と考えている。絹子はそれを「天皇が戦争の主体であった。主語であった」と表現している。『夢の痂』の「日本語の主語は隠されている」という絹子の主張が「戦争犯罪人としての大元帥はかくされている」ということの比喩表現であるなら、公演パンフレットに記されている井上の主張が文法論として展開されていることの理由がわかる。「日本という国家の主体=主語」として1945 年以前の大日本帝国の「主体」であった天皇が、東京裁判においては「主語を明示しなくても表現できる日本語」のように、「主体であったはずの天皇」が隠され、「天皇の責任」を明示しないままの裁判になったのである。絹子の言う<主語>とは「日本国体の主体=天皇」であると解釈すれば、「<主語>のない日本語」とは「戦争責任を負うべき<主体>=天皇のいない東京裁判」の比喩であると解釈できる。「国家の責任主体が裁判の場に現れたのか」が意識されないまま戦後65 年が過ぎ去った。井上が絹子に「<主語>が隠されている」と言わせているのは、「東京裁判においては、<主語>として動作行為の責任を負うべき<主体>が隠されてきた」ということを言いたかったのだと考えられる。東京裁判の中に明示されなかったとしても、「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と詔勅を発した<主語>は「朕」である。「<主語>が曖昧にされている」どころか、「朕」が戦争を宣言していることは明記されている。この「朕」は英語に翻訳するなら「I」とする以外に方法がない。しかし、この「朕」とは天皇個人を表しているのではなく、「国家主体」であると解釈し、明治憲法第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」や「国務大臣は議会を通じて国民に対して責任を負う」によるなら「朕」すなわち天皇個人は「責任を負う主体」ではなかったということになる。一方、法的な解釈が何通り在ろうとも、「朕」が「戦を宣した」ことは明らかであり、道義的には個人として責任をおうべきであったとする考え方もある。絹子は「なにとぞ、御責任をお取りあそばしませ」と詰め寄る。「天子さまが御責任をお取りあそばされれば、その下の者も、そのまた下の者もそのまたまた下の者も、そしてわたしたちも、それぞれの責任について考えるようになります」と語る。一般の国民は、天皇免責とともに「国民全員が戦争の被害者」になってしまい、加害者としての責任をとることを放棄してしまったということを、絹子は追求しているのである。絹子の台詞によって、井上は、天皇の責任を明らかにした上で戦争についての国民自身の責任をも考えるべきだと主張している。「天皇が主語そのものであった」という絹子の台詞は「天皇は行為主体であったが、それを明示しなくても話し手聞き手が了解しているのなら、主語として明記しなくてもよい。ただし、明示されなくても主語であることはわかっていることであり、行為の責任は負うべき存在であった」と主張しているのである。
 井上の文学的表現として「天皇は、日本国家の主体として宣戦布告を行った」を「主語として、行為をおこなった」という比喩で表現したと解釈できる。


3.4 行為主体と責任
 多くの日本語母語話者が「主語は、表現すべきであるけれど省略してもかまわない」という文法観から抜け出さないでいるのは、学校文法がいまだに西洋文法を基本とした内容のまま教えられてきたからである。「日本語は、動作行為主体が発話者と聞き手双方に了解できるなら明示されない」のが基本であり、「主語が明示されていないから主体性に欠ける民族性となっている」のではない。明示されなくても、主語は発話の中に理解されている。「主語を明示していない日本語は、行為の責任を明示しない」という日本語観に対しては、「そのような日本語観は間違っている」と言わなければならない。一方、他者に対して意図的な動作行為を加える場合に他動詞文が用いられるが、非意図的な動作行為には他動詞文を用いずに自動詞表現、受け身表現が用いられるという日本語の表現の仕方があることは確かである。大多数の日本人は、意図した行為として自らが主体的に決断して「日本国民が戦争を始めた」とは考えなかった。自分が決めたのではないけれど、社会は戦争の中に突入してしまっていた、という事態の中におかれ、「戦争が始まった」そして「戦争が終わった」という、絹子のいう「主語は状況の中に隠される」表現で戦争を受け止めてきた。したがって「戦争責任」という「意図された行為」をあらためて考えるには、井上のように改めて「行為と責任」を取り上げ、互いに考え合うことから始めなければならないのだろう。
 『夢の痂』エピローグで、絹子は「ある女流文法学者の半生」という歌を歌う。絹子は、自分を主語として確立すべきであること、すなわち、自己を主体として意識し、行動する必要を確認する。

  (15)しあわせかどうか。それは主語を探して隠れるか 自分が主語か それ次第。自分が主語か 主語が自分か それがすべて(160)

 日本国民が自分自身を民主社会の<主体>として、すなわち自分を<主語>として行動していくことへの希望を歌ったものである。日本国民は、天皇免責と同時に「国民は被害者だった」という「国民全体の気分」によって「戦争を開始した主語」としての自分たちを免責した。戦争は「始めた」のではなく「始まった」のであり、すべての出来事は「状況」として自分の周囲を流れていき、自分たちは流されるままに主体性を失って生きてきた。日本人は自分たちも被害者なのだ、という戦争観を持つことによって敗戦から立ち上がった。絹子が「戦後社会において、国民は自ら主体となり、主体性を持って生きていくべきだ」と解釈できる歌を歌って一幕を終了したのは、井上からの「あるべき日本社会」の姿を描いたメッセージであると受け止めることができる。


3.5 日本語母語話者の文法意識と日本語言語文化 
 我々は言語によって思考し、言語によって行動を表明する。しかしながら、主語を非明示とするという言語上の特徴が、主体性が失われ「集団志向」、すなわち「集団内での調和を望み大勢に従って行動する」という民族性を作り出したということはない。共同体全体がひとつの文化を生みだし、共通の民族性を発揮してきたとして、それは列島1万年の歴史や現代社会の中に探るべきものである。朝鮮語・韓国語は日本語と同様に「主語」を明示しなくても会話ができるが、日本よりはるかに自己主張を強く表明する民族だと言われているし、日本語と統語を同じくしないタイ語も、日常会話では主語を明示しないでも対話が成立する。英語も日記文体では一人称は非明示となるし、シンガポールで発達中のクレオール言語 シングリッシュも主語非明示で会話できる。戦後社会において、「主語として生きる」とは「主体的に生きる、<主体性>をもって歴史の中に存在する」という意味だと井上が書いている。しかし、<主語>が明示されないから、述語の動作行為の責任を負うべき<主体>が曖昧になる」という文法解釈は、日本語への誤解を生む。言語として明示しなくても、我々は自己を他者に対して<主体>として存在させることができ、主体的に生存することができるのである。「自分を<主体>として確立する」ことは日本語において「自分を<主語>として明示する」ことと同義ではない。しかし、「動作行為主体」を明らかにしなければならない場面に身をおかねばならないとき(たとえば、国際会議での発言であったり、国際貿易の契約の場であったり)、発話の際、自分を<主体・主格・主語>として意識化して明示し、「この行為において、どのような責任が求められているのか」を理解して表明しなければ、これからの国際社会で発言の意図、真偽、そして責任を問われる場面も出てくるということは了解できる。「過去の行為の責任の所在を考え、自分自身を自分の行動の主体として意識しつつこれからの時代を生きていくべきだ」という『夢の痂』に込められた井上のメッセージを受け止めた上で、「<主体>であることを自覚する」ということはどのようなことなのか、「常に<主体>を明示せずに生きていくことがグローバリゼーションの時代のグローバル・コミュニティにおいても可能なのか」ということをさらに考察していく必要がある。



第1章まとめ
 日本語は、自己の認識した外界の事象を、表現主体の主観による直接的な表現として表すものである。外界への認識を全体的に捉えて事象の推移を表現する自動詞文は、状態主体を文の中心者として表現する。
 他動詞文は、動作行為者を<主語>として<客体>へ動作行為を向ける他動詞文もあり、<主体>は<客体>と所属関係を持ち、動詞文全体で事象の推移を表す再帰的他動詞文もある。自動詞と他動詞は截然と区切って用いられるのではなく、他動性の強さによって、段階的に移行する。また、動詞内容の完結性(限界性)によって、自動詞表現のほうがより、強い完結性を有するために、他動詞表現が用いられない場合もある。
 日本語は、情報の伝達を行う場合、「主題・解説」の構造による文が表現の大きな部分を占める。日本語の主語、主体などの用語は、西洋語の文法的範疇と一致する面も備えているが、統語が異なる西洋語の主語、主体とは異なる面も持っている。subjectの訳語としての主語から出発していても、日本語は日本語統語の範囲で主語を捉えていかなければならない。
 日本語母語話者は、西洋語文法が適用された国文法教育を受け、「日本語文法」として日本語の論理に適した文法教育を受けないで来た。その結果、日本語について深い理解を持っていると思われる表現者であっても、「日本語は主語を明確に表現しないので、行動の責任者が曖昧になってしまう」というような文法観を持ち続けている。井上ひさし『夢の痂』に表れている文法観も、上述のような意識から書かれているがその文法観は間違っていると指摘した。


第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>

2010-03-26 06:20:00 | 日本語言語文化
第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>

はじめに
日本語の<主体>と<主体性>の意味を再確認し、日本言語文化にあって、<主体><主体性>の多義的な内容を考察する。subjectとsubjectivityが翻訳され、日本語として使われるようになった際に、各分野において意味を限定して受容された。subjectは「主語」「主体」「臣民」などと翻訳され、subjectivityは、「主語性」「主体性」「主観性」などと訳された。主観性は哲学心理学での用法のほか、言語学ではモダリティの内容を「命題に対する話し手・書き手の主観的な判断・態度を表わす」として、「主観性を表現する陳述」などの用法がある。また一般的な語意として主体性は「自立性、独立性」の同意語として用いられている。本章は、これらの語意を俯瞰したのち、「日本語表現の主体性」は、表現主体の主観的な言辞がひとつひとつの文にあらわされており、その集合が<主体>の<主体性>として立ち現れるものであると述べる。
 「全体の推移」「事象の移り変わり」を描写するのが日本語の表現のあり方であって、行為主体が非明示化されているとしても、それが西洋語のいう「行為主体」の欠落とは別の論理で表現されているということが理解されないかぎり、「日本語表現の主体性」も見えにくいものとなるだろう。
 第1節で、辞書に記載されている<主体><主体性>の語義を確認し、第2節では、近代社会において<主体><主体性>がどのように見なされてきたかを確認する。第3節では、具体的な日本語文章の分析として太宰治の「富嶽百景」を取り上げる。



第1節 <主体>と<主体性>の概念と議論

1.1  辞書に記載されている<主体><主体性>の語義
 まず、<主体><主体性>とは何か、語彙的意味の確認をしておきたい。<主体>の辞書記載語義の主なものは以下の通りである。
 
(1)「行為・作用を他に及ぼすもの ②物事や組織でその中心部分をなすもの、主要な部分」(岩波国語)
(2)「①団体や機械の主要な部分 ②意識するものとしての自我 ③意志・行為を他に及ぼすもの」(新小辞林)
(3)「ア、帝王のからだ(漢書から)。元来は根底に在るもの、基体の意。イ.性質・状態・働きの主。例えば赤を具有するところの赤いもの。また、歩く働きをなすところの歩くものの類。ロ.主観と同意味で、認識し、行為し、評価する我を指すが、主観が主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性・実践性・身体性を強調するために、この訳語が用いられるに至った。団体や機械などの主要な部分」(広辞苑)
(4)意志を持って、自分からほかにはたらきかけるもの(三省堂国語辞典)

 <主体>という漢語のもともとの意味は、広辞苑の語義にあるとおり、「根底に在るもの、基体」である。この漢語が、幕末明治に英語語彙の翻訳にあたって、「subject」などの翻訳語としてあてられた。subject(英)、sujet、(仏)、Subjekt (独)などの訳語は、「主語」、「主観」、「主題」、「臣民」など、さまざまな文脈で使用されてきたのである。
 フランス語文法のsujetとは、もともと論理哲学で「文の主辞」を表し、「話題」を示すものであった。フランス文法においては、長らく「nominatif du verbe 動詞の主語」という言い方があったが、1780年代にはsujetが文法用語として優勢になった。主語が文頭に立って話題を表すフランス語、英語などでは、sujet、subjectが「主語」の意味を担うようになっており、日本に西洋文法が導入されたときには、<主語>の地位を確立していた。
 日本の学校文法が<主題>を表す係助詞「ハ」のついた名詞句と主格助詞「ガ」のついた名詞句をともに<主語>として扱うのは、もともとsubjectが「話題」を示すものであったという論理哲学的な意味からいうと妥当なものであるのかもしれないが、日本語教育の上では、<主題>と<主語>を同列に扱い、教授者が単純に「「名詞+ガ」と「名詞+ハ」は、主語を表します」などと教えると、学習者に混乱が生じる場合もある。英語圏の学習者が単純に直訳して、「卵はきのう食べた」の「卵」を「食べた」の動作主と考える誤解も生じるからである。
 続いて<主体性>の語義を確認する。

(1)「主体的であること。そういう性質」、<主体的>とは「活動の中心となるさま。自主的。また主体に関するさま」(岩波国語辞典)
 (2)「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」(新小辞林)
 (3)「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」(広辞苑)

1.2 Subjektivitätの受容
柄谷行人(1994)は、において、Subjektivitätの訳語としての<主観性>と<主体性>について、次のように述べている。

Subjectivitätという語は、日本では主観性や主体性と訳しわけられている。(中略)主観性は、最初新カント派の認識論のタームとして訳されたものであり、現在でもそれは認識論に関連している。一方、主体性は、西田哲学の系統で用いられるようになった訳語で、現在でもそれは存在論的ないしは倫理的・実践的な意味で用いられている。日常的に使われるとき、これらの語が同一の起源に発することを知っている人さえ少ないほどに、はっきり区別されている。実際、“主観的”は否定的な意味で、“主体的”は肯定的な意味で使われるからだ。(131-32)

確かに、日本語の日常的な使用では、「客観的な見方、描写」と言えば、公平で冷静、私情を交えずに事実を伝える、という意味合いを持つのに対し、「主観的な描写」は、自分だけの思い込みによる一方的な伝え方という否定的なニュアンスを帯びる。一方、「主体性のある行動する」と言えば、他人に左右されず自分自身の意志決定に基づく積極的な行動として、肯定的なニュアンスを含む。ひとつの語が訳し方によって両義性を持つのである。
 紅林伸幸(1989)は、subjectivityを「表題の主体性を日本語<shutai-sei>で表記したのは、本稿で検討されている主体性が 主観性と独立性という2つの意味内容を含み持つ広義の主体性概念であることによる(271)。」と注釈し、「広義の主体性の両義である主観性と独立性は無関係にあるのではなく、対規範的な主体性(独立性)が主観性を前提としてこそ主張できるものである、と述べている。
 藤野寛(2006)もsubjectivityが両義的意味を持つことを認めている。

動かす/動かされるという次元で考える時には、主体/客体という日本語が用いられるが、見る/見られるの次元で考える場合、主観/客観という言葉使いになる。同じ西洋語(Subjekt, subject, sujet)の翻訳でありながら、「主観」と訳すと、主観性には「公平さを欠いた」という否定的な語感が付着するのに対して、「主体」と訳すと、主体性には「他に左右されることなく内発的な」という肯定的な語感を伴う、という「ねじれ」が生じる。このねじれは、本稿が論じる「理念とその限界」というテーマそのものに関わる事態である。そもそも「主体(観)性」とは両価的なものであって、「主観」「主体」への翻訳は、その両価性をすっきり切り離しうるかのような誤魔化しに心ならずも加担する結果になっている。「主観」とは、それなくしては、自分の目で見、頭で考えるという行為がそもそも発動しない何ものかであり、認識行為の起点にして地盤をなすもの、その意味でそれを消去することが目標にされることなどあり得ないものである。他方、「主体」とは、他者によって動かされることを潔しとしないものなのだが、それはつまりは孤立の表現以外の何ものでもあるまい(210)。

 <主体性>の意味がふたつに分離して用いられていることや、<主観性>という訳語に否定的な意味合いを持たせていることに言及する論者はいるが、言語における<主体性>とは何か、について明瞭な定義はなされていない。社会学、哲学、文学、言語学でのそれぞれの<主体><主体性>に関する言説を俯瞰しておきたい。

1.3 近代と<主体>概念
 言語活動は、人間にのみ可能となった認知と表出の営みである。人は自己と他者を認識し、自分の周囲の対象を象徴化してとらえることができる。この認知の営みを、認知する<主体>と認知対象の<客体>に分けることが、表出活動の第一歩となる。ウエーバーらの主体論を経て、ことにM・フーコー以後、哲学の分野での<主体>論の方向が大きく変化してきたという点を確認しておくことが重要であると思う。近代社会の成立以後、人が<近代主体=自由で自律的な主体>として生きていくことは自明のこととして扱われ、「主体的・自律的に生きること」は、生きることの意味のひとつとして所与のものと考えられてきた。しかし、1980年代以後の社会いわゆるポストモダンの言説の中で、<近代主体>という「理想的に社会を支える個人」のありかたそのものへの疑義も提出されている。21世紀もすでに10年を経て、「<主体性>の価値を素朴に信じる社会を失って久しい」という論もある中、その自明とされてきた<主体性>を問い直すという作業は、広い論議とはなり得て来なかった。社会学、哲学、教育学など、それぞれの分野で、論者は各自の意味によって<主体性>という用語を使用し、日本語において用いられる<主体性>がどのような意味を持ち、英語の'subjectivity'やフランス語の'subjectivité'またドイツ語の'Subjektivität'の訳語として使用される日本語の<主体性>が、元の語とどのようなズレを生じているのか、という日本語の側からの問いかけもなかった。本章1節で述べたように、そもそも 'subject' や 'subjectivity' という用語自体が多義語であり、複数の用いられ方をしてきたという経緯もあるが、日本語の<主体性>とは何か、という論は、多くはなかったのである。
 近代社会では、<主体>は、自らの価値体系を構築し設立することにおいて十全な自律を成し遂げることができるとされる。さらに実践的なレベルにおいては、「近代主体」は理想上の「変革主体」となる。これまで<主体>の理想は、自分で自分のことを決めるという場合に、決定すべきは自らの「究極的価値」であると想定されてきた。しかし、現代では「究極的価値」を選び取ること自体が、既成の価値観によって刷り込みが行われる中で選んだものにすぎず、さらに自ら選んだ価値によって束縛され独断的になる恐れを含むとみなされている。<主体性>というものが、「活動の中心となるさま。自主的。また主体に関するさま」「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」というような語義として与えられているとき、まず「行為する・行動する」ということの概念を規定する必要がある。
 「行為する・行動する」とはどのようなことか、古典的概念から見ておく。「行為の諸類型」に関し、もっとも古典的な分類として、マックス・ウエーバー(1864‐1920)の四類型がある。ウエーバー(1972)は社会の基本単位である社会的行為を四類型にわけている。

 (1)目的合理的行為―目的・手段・副次的結果を予想し考慮した行為。目的と手段の関係が合理的。
(2)価値合理的行為―倫理・芸術・宗教など固有の絶対的価値を意識的に信じることによって生じる行為。予想される結果にとらわれない。
(3)感情的行為―感情や情緒による行為。
 (4)伝統的行為―身についた習慣による行為。(35)

 ウエーバー行為論的に人間を見るなら、「既存の社会を受容し、それに対して<主体的>にリアクションを返してゆく能力をもった人間」ということになる。それを社会の側から見ると、社会は、人間を一人前の行為者にする一方、その行為者によって修正され続ける存在である。そのような社会の中に人間が存在するための最大最良の方法のひとつが、言語によるコミュニケーションである。コミュニケーションが成立するためには、言語のルールを当のコミュニケーションに関わる話し手聞き手双方によって理解されている必要がある。しかし、このルールは当事者同士には意識されない。母語によるコミュニケーションにおいて文法は意識されていないが、母語による対話のプロセス自体は文法の適用無しに行うことはできない。
 ギデンス(1986)は、この問題を次のようにまとめている。

発話者は、文を発話するとき、その発話行為を産出するにあたって構文規則構造に依拠している。規則はこの意味において発話者がいうことをうみだしている。しかし文法的に話すという行為はまた、発話を産出する規則を再生産するのであり、規則はただこのようにしてしか『存在』できないのである。(120)
 
日本語を母語として使用している社会においては、禅思想や西田幾多郎の『善の研究』に見られるように、「主客合一」論をはじめ、西欧社会におけるのとは異なる<主・客>の認識が言語の上にも思想・社会の上にも表されてきた。近代という時代に対して、現代とはどのような時代であるのか、すなわち、日本語母語話者が日本語を話して生活している現代という時代について確認しておきたい。「近代化するmodernize」時代、近代化の大きな柱として産業化、国民国家形成などが行われた。産業化以後の社会は、「前近代化社会」「自然と伝統」という目的・対象(object)を近代化してきた。前近代が含んでいた「身分的な特権」や「宗教的な世界像」などを変革し、産業化、国民国家成立の中で新たな認識を世界像に結ばせることが近代化の大きな成果であった。
しかし現在、この近代化はその目的・対象(object)を、吸収し変革尽くして喪失し、近代化された社会自身を近代化していく段階、すなわち「再帰的近代化」の時代となっている。世界近代化の帰結として、多くの社会に問題が生じてきた。個々人にとって自己の存在意味を喪失し、生きる動機の不安定性、無力・孤立感、集合的個人の連帯感共生感の希薄化、自然破壊、人工的環境への従属などが引き起こされ、その結果、家族、市民社会、国民国家が再考され、個人化によってばらばらになった個人を統合し、意味喪失した個人に自明のアイデンティティを取り戻そうという試みがなされて近代以前の共同体を再探求する過程へと進んだ。近代家族の結合力や地域コミュニティの結束の試み、個人の孤立・無力感、意味喪失からの回復が図られ、分断された社会と個人の再統合が試みられたのである。しかし、1970年代以降、これらの試み自体も近代社会のなかに組み込まれてしまった。アイデンティティと自己の存在論的意味の創出がより大きな自己課題となり、<主体>を脱中心化すること、すなわち近代のような自己同一性についての確信が成立しない<主体>を<客体>とともにあるものとして統合する過程の中にある。近代以後の社会において、<主体><客体>の対立や<主観性><主体性>という概念がそれぞれの関心の中に論じられてきたのも、この<主体>、<主体性>のゆらぎが根底にある。西洋社会の<主体>がゆらぎつつある現在、日本語の<主体・客体>のありかたが、これまでとは異なった思考方法のひとつのあらわれとして西洋社会の前に提示できるのではないか、と考える。
 一方では「近代的個人」であることが「現代社会」に生きていく<主体>であるとされながら、一方では「共同体=ワレ」の存続の中に生きて、いわば引き裂かれた疎外の中に放り投げ込まれたあげく、ハンナ・アレントがいう「疎外による公的領域の疲弊を通じて、人々はアイデンティティの不確実性を埋め合わせる集合的イデオロギー、すなわち内側で大衆に共通の危機意識を植え付け外側に敵を作り出し、集団の意識を敵に集中させる全体主義」に埋没したのが、日本の「近代的個人」であった。近代的個人の表現の方法をめぐって、さまざまな試みが為されてきた。リュス・イリガライ(1977)の試みは、日本語統語の方法を意識化するためにも有効と思われる。イリガライは、文法・統辞法を支配してきた男性的語りへの従属から離れようと、「主語の省略、名詞句・不定詞句・現在分詞の多用、アナグラム・類音・同音異義語の活用、脚韻効果によるリズム感の創出」によって「男性的統辞と異なる女性的な語り方」を実践してきたと述べている。イリガライの試みた「男性原理=西洋語の統辞法を逃れる語り」に現れている言語技法は、従来日本語が「西洋語に比べて曖昧で、論理的ではない表現である」と、否定されてきた諸特徴と同様のものである。エレーヌ・シクスーの主張する「女性的主体=間主観的主体」やキャロル・ギリガンのいう「他者との相互依存関係において、他者とのネットワークの中において捉える自己」「他者との関係の中で発揮され涵養される<他者共感的主体>」は、日本語が本来表現してきた「主体と客体とが一体となって事態の推移を担う」という表現の中に表出してきたものに共通している。西洋的な知の見方から抜け出ようとするとき、フェミニズム論の主導者をその一例として被抑圧的存在であった人々の見方が、東洋的、主客一体的な見方を採用していることは、主客二元論的、男性的論理による<主体性>のとらえ方を打破するために、必要であると、西洋側も気づいてきたことの現れである。ジョナサン・カラー(2003)は、カルチュラル・スタディを解説して以下のように言う。

  カルチュラル・スタディはどこまで我々が具体的な文化によって操作され、どこまで、どんなやり方で、いわゆる「行為の主体性」を発揮することによって、それを別の目的のために使うことができるようになるかを問いかける(最新の理論が簡潔に「行為の主体性(エイジェンシー)」と呼ぶ問題は、われわれがどこまで自分 の行動に責任を持つ主体になり得るかわれわれ自身の明らかな選択と思えるものが、どこまで制御できない力によって規制されたものであるかをめぐる問いである(68)。

 カラーが指摘するように、西洋社会において「行為の主体性」への確信がゆらいできたことは社会学や心理学からも検証されてきた。 日本語は、「行為主体を表現していないからあいまいな表現しかできない」のではなく、日本語が日本語の統語法を自覚しながら表現していくことで、行き詰まりを露呈している西洋的思惟に対して、イリガライが試みたのと同じように、「もうひとつの語り方」を示すことができ、シクスーやギリガンらのいう「他者共感的主体」を提示できる。西洋的思惟の論理が追求してきた<主体・客体>論とは異なる<主体性>の表現「共感的主体」、「自他混在型意識」、「間主観的自我・主体」、「人間関係のネットワーク中で自己を考える主体」等を、日本語言語文化の中に再確認する必要性がある。
 現代という時代の中にあって、<自己>は、変革する<主体>でもあり、変革の対象である<対象>、<客体>ともなる。このとき、<主体>と<客体(対象)>を截然と区別してきた西洋語の社会、西欧社会は、文学上でも社会上でも、<主体>と<客体>の認識に新たな視点を呼び込むことが必要とされているのではないかと思われる。<客体>も自分自身であるという再帰的時代のなかで、アイデンティティの表現、自己存在の意味探求が為されている現代を表現する文学において、主客の対応を表現の主な形式としてきた西洋語が、その表現に行き詰まり、別の表現を模索しているとき、日本語の再帰構文や自動詞表現は、<主体性>また<行為>中心の表現に対して、別の表現へのひとつの示唆となるはずである。西洋語とは異なる<主・客>の現れ方を理解し、<主・客>に<全体-部分>を含む日本語表現のあり方を明確にすることが、西洋語圏における<主・客>概念にも新たな可能性を広げるのではないかと思う。

1.4 表現主体の背景化
 日本語は自己志向性を強く持ち、言語主体(話し手・語り手)が<主体性>を持ち、言語表現表出を行っている。内的な自己意識を<主体性>として表現し自己中心的(ego-centric)に表現する言語である。日本語は、世界を認識する自己を背景化し、自己の周囲を主観的に描写する言語だからである。廣瀬・長谷川(2010)が「日本語は、主体性の強い言語である」と結論づけているのは、この「主観を前面に出して表現する言語」であるという点を強調している。一歩戸外へ出て「寒い!」と述べるとき、表現主体は、認識主体たる自己の感覚を客観的操作を経ずに感覚そのものを表現できる。自己の外界を描写するとき、「私は富士山を見た」という自己を客観化し、自己の行為を描写する方法をとらない。「富士山が見えた」と自己を背景化して述べる。認識する自己を背景化し、認識の対象である富士山を<主体>にして描くことがもっとも自然な表現となる。
「聞こえる」「聞く」、「見える」と「見る」の違いを日本語学習者に理解させるとき有効だった考え方のひとつに、アフォーダンス理論がある。日本語の「明示されない主語」について理解させるときにも、日本語を考える有効な考え方であると思う。アフォーダンス理論の確認の前に、ベイトソンの環境と人(自己)との関わりについての考え方を見る。ベイトソン(2000)は、木を切る木こりの話を例示している。木こりが木を切るために斧を振り上げ、幹に打ち込む。斧の一打ちはその前に木につけた切り目によって制御されている。ベイトソンは、このプロセスの自己修正性こそが「精神の生態学」と呼ぶべきものだと述べた。ベイトソンは人と環境について、「<主体>としての<自己>が対象としての木を伐ったという従来の考え方を捨てるべきであり、木こりは、木が立っているという変化のない状態から木が切られ倒されるという一連のシステムのうねりを「木を伐る行為」として実現したのであり、そこでは自己と対象はいっしょになっているのだ」と、論じている。(431)。これを言語表現から見ると、環境が変化し、その変化の結果を人が知覚したとき、二つの表現方法がある。「行為者が対象に対して変化させるという行動をとった」と表現するか、「主体と対象がひとつになって変化と言う結果に帰結した」と表現するかの二つである。
日本語に置き換えて考えてみると、「与作は木を切る、トントントン、トントントン」という歌の一節は、与作が木に「切る」という行為を加えている行為現象の表現であるとともに、与作と木が共にこの現実の中にあり、「木が切られた」という事態の推移の中に存在していることの表現である、というのが、日本語文の受容にとって必要である。与作が木を切っていることを認識している認識主体にとって、トントントンという木を切る音は、「意志を持って聞こうとして聞く」音ではなく、「聞こえる」音である。環境の中に存在する音が行動推移の認識をもたらすのである。この<主体>と<客体>の在り方を西洋語の側から説明するのがアフォーダンス理論である。
日本語の再帰的他動詞文「太郎は床屋で髪を切った」が、太郎を動作行為主体でなく、床屋という環境の中で「髪を切る」という事象の推移の中心にいることを表すことと、木が<主体>と共に環境の中にあり、その木と木こり一体で「木こりが木を切る」という事象を実現しているということは、同じとらえ方で受容することができる。日本語他動詞は、<主体>と<客体>が対立的に存在するのではなく、述語他動詞の内容を環境の中に実現した事象の中に、<主体と客体>がひとまとまりの存在としてあることを表すのである。
ひとつの行為を行う者を行為主体と規定した場合、ある行為を他の動作主体(agent=代理者)に委任したとき、行為主体Aをプリンシパル(principal、依頼人、本人)、行為主体Bをエージェント(agent、代理人)の二者の関係ができる。山林の持ち主Aが木こりBに木の伐採を依頼したとき、実際に木を切っている動作者がBであっても、事態の推移からみて、「Aは持ち山の木を切った」と言える。<主体>が<客体>に向ける行為というのも、さまざまな段階があり、文の表現にも反映する。<主体>という概念が、西洋哲学の<主体・客体>という意味を表すだけでなく、さまざまな<主体>があり、<客体>があると考えることができる。agentもprincipalも事象の推移実現の中で、同じように述語内容の<主体>であると考えることが、アフォーダンス理論によって西洋語を母語とする人々にも理解できるようになったといえる。すなわち、この<主・客>体の在り方を西洋語の側から理論化したのがアフォーダンス理論なのである。ギブソン(James Jerome Gibson、1904-1979)は、1950年代にアフォーダンス(affordance)理論を導入した。従来の知覚心理学の概念では、外界の刺激が動物(有機体)に与えられると見なされていた。その知覚と外界の関係を逆転し、環境という外界の持つ意味(アフォーダンス)を「環境に実在する動物(有機体)が、その生活する環境の中で探索することによって獲得することができると見なした。環境が動物に与える(afford)「価値」「外界の意味」をアフォーダンスと定義したのである。ギブソンはベイトソンのいう「精神」を「環境と知覚の連動性」にまで拡張して、そこに「変化するもの」と「不変なもの」とがあること、そこにアフォーダンスが測定できるいくつもの傾向があることを突きとめた。環境には「情報」が満ちており、我々が生まれてより行っているのはその「情報」を探索することである。環境が持続しているか(不変)、あるいは変化しているか(対象の運動、変位、転回、衝突、変形、出現、消失などの環境変化)のいずれかが我々を包摂している。アフォーダンスは事物の物理的な性質ではなく、あくまでも動物にとっての環境の性質である。環境中のあらゆるものはアフォーダンスをもつ。動物は環境中からアフォーダンスを検索することができる。アフォーダンスとは主観的な存在ではなく、所与の存在として環境に備わっているものである。人は自己を取り巻く環境の中に生まれ、生きていく。自己の身体以外の他者が形成している人の社会も環境であるし、人が生活している地球環境全体も環境である。この環境の中で、人は環境が与える(アフォードする)ものを知覚し制御しつつ行動や言語を理解する。人の環境は、変化するものと変化しないものを含む。変化と不変(持続)は人を取り巻く世界環境のふたつの現れ方であり、環境は変化するか持続するかの相をもって人の前にある。人が環境の中で聞き手に向かって自己と環境との関わりを表現しようとするとき、ふたつ表現方法があり得る。ひとつは「行為者(agent)が働きかけて環境(対象object)を変えた」と捉える表現である。もうひとつは、「人を含む環境が変化し推移した」と捉える表現である。西洋語は前者を取ることを優先する言語である。日本語は後者による表現を中心とする言語である。
 本多啓(2005)は、日本語文の形式には表れてこないが、文の背景に存在する「明示されない主語」を、ギブソンの生態心理学における「エコロジカル・セルフ(環境内自己)」とみなす。ギブソンの主張をまとめれば、環境知覚と自己知覚は不可分で相補的であり、環境は知覚者の探索により、行為の可能性をアフォードする。また。英語にも人を主語としない表現があるとき、アフォードの考え方を有効に適用できる。自己とは、環境に埋め込まれた「環境内自己」であるとみなす認知的な考え方である。本多啓は、人を動作者としない英語文を以下のように解釈している。

  This car handles smoothly.(中間構文)車のハンドルを操作している運転手は背景化している。
  The cake tasted good.(連結的知覚動詞構文) ケーキを味わっている人は背景化している。
  This road goes from Modesa to Frenso.(主体移動表現)道を移動している人は背景化している。道を通って移動している人が、「この道はモデッサからフレンソへ向かう」と意識しているのであり、認知している人は文の表面に登場しなくとも存在している。

本多(2005)によれば、これらの表現において、動詞は環境的自己の探索活動を、動詞句は主語がもつアフォーダンスを、文全体は探索の結果生じる環境的自己にとっての見えている世界を表現している。
This book sells well.(この本はよく売れる)
 These cookies eat crisp.(このクッキーはパリパリ食べられる)
のような、中間構文Middle construction 1は、日本語の表現では、ごく普通に言える表現である。日本語は、中間構文の主語と同じように、事象の中心者を主語にするのであって、This book sells well.の本に対して「売れるか売れないかの責任を追及する」などのことがあり得ないように、日本語の<主語>が明示されていても、それは「行為を行い、責任を追及されるべき存在」なのではない。「太郎は髪を切った」と表現されている文の「太郎」は、「切る」という行為を「髪」に対して加える行為者であるとの解釈も可能であるが、「太郎と髪」が環境の中で「髪が切られる」という事象の推移を担う存在だという解釈が日本語ではもっとも自然な受け止め方である。
 <主体>は、動作・行為の主体も、状態の主体も、動作を受ける主体もある。具体的に動作を行っている<主体>もあるし、相対的な<主体>もある。相対的な<主体>とは、次のような場合である。宮島達夫(1972)は、移動動詞の<主体>に関して、「近づく」という動詞の「移動の主体」について述べている。

  伸子は家が近づくにつれ深まる懸念を感じた。(『伸子・上』)(宮島1972:21)

 主文の述語動詞「感じた」の主語は伸子である。複文中の動詞句「家が近づく」の動詞「近づく」の句の主語は「家」であるが、家自体が近づくという動きをしているのではない。伸子が家に向かって移動しているのであり、伸子の意識から見て「家」が近づいているのである。文中に主語がない場合も同様である。

  するといつの間にか、今登った山は過ぎて、又一ツ山が近づいてきた。(『高野聖』)(宮島1972:21)

 「山」が自分に近づくという移動行為を行っているのではなく、山中を移動している主体から見て、山が自分のほうに近くなってきたと感じられるのである。人から人への働きかけとなる「花子が太郎に近づいた」は「太郎が花子を近づけた」という局面もあり得るが、「家が伸子に近づいた」に対して、「*伸子が東京を近づけた」は成立しない。
以上、<主体>は<客体>に対して述語内容の行為を加える、というだけでなく、<主体>と<客体>がともに述語内容の推移の中にある、という表現は、「山が近づく」「山が見える」「声が聞こえる」という<主体>を背景化した表現の受容が日本語理解に必要なことを確認した。
現代という時代の中にあって、<自己>は、変革する<主体>でもあり、変革の対象である<対象>、<客体>ともなる。このとき、<主体>と<客体(対象)>を截然と区別してきた西洋語の社会、西欧社会は、文学上でも社会上でも、<主体>と<客体>の認識に新たな視点を呼び込むことが必要とされているのではないかと思われる。<客体>も自分自身であるという再帰的時代のなかで、アイデンティティの表現、自己存在の意味探求が為されている現代を表現する文学において、<主・客>の対応を表現の主な形式としてきた西洋語が別の表現を模索しているとき、日本語の再帰構文や自動詞表現は、<主体性>また<行為>中心の表現に対して、別の表現へのひとつの示唆となるはずである。西洋語とは異なる<主・客>の現れ方を理解し、<主・客>に<全体・部分>を含む日本語表現のあり方を明確にすることが、西洋語圏における<主・客>概念にも新たな可能性を広げるのではないかと思う。

第2節 日本語と<主体性>

2010-03-20 07:11:00 | 日記
第2節 日本語と<主体性>

2.1 日本語言語文化における<主体性>
 戦後日本社会の中に、<主体性>と言う言葉は沸き立つように使用されてきた。特に「日本人は主体性がない」という文脈において頻出し、「主体性を持って行動する」という言辞は、あらゆる分野で提唱されてきた。
 例えば、第二次大戦直後の日本で、関連論文が200本にも及んで出されたという「主体性論争」がある。敗戦直後、文学・哲学の分野を中心に<主体性>の意義をめぐって起こった論争で、近代的自我の確立を主張する人々と客観的・歴史的法則性を重視する人々とに分かれ、論争が行われた。侵略戦争をひきおこした天皇制国家に従順であった自己、国家体制に批判抵抗できなかった自己への自責から生じ、近代的自我=主体の確立を望むマルクス主義知識人の間で「主体性」が論議されたのである。2
 そのほかの例でも、戦後まもない1949年、日本農民組合が左派と右派に分裂した際、左派が「統一派」を名乗ったのに対して、右派は「主体性派」と名乗り、1957年に両派が合同するまで主流派として15万人の組合員を擁していた。この事実も<主体性>という語が要求されたひとつの例である。3
 また、最近では、文部科学省が指導要領の中に<主体性>を謳っている。「新学習指導要領・生きる力」の総則や小学校学習指導要領第1章総則の道徳の項では、繰り返して「主体性のある日本人」の育成をすると述べている。

主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓(ひら)く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。

国をあげて「主体性の涵養」が目指されているのである。
 以上見てきた一般的な日本語言説の中では、<主体性>は、辞書的な語義である「活動の中心となるさま。自主的。また主体に関するさま。自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度。主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」という意味で用いられている。人から命令されて行動するのではなく、かつ集団的な全体行動に引きずられて行動するのではなく、自ら進んで積極的自主的な行動が「主体的行動」「主体性のある行動」とみなされ、文科省の道徳徳目の目標となっている。つまり、道徳教育によって小学生中学生を涵養しなければならないほど、日本人は消極的で自主的な行動がとれない人々であると、国家も思っているということになる。
 次に、一般的言説の中の<主体性>の用いられ方を確認しよう。一般的な日本語文章の中では、<主体性>は、自立性、独立性と同様の意味で用いられている。

諏訪敦彦の談話(映画『ユキとニナ』監督のインタビュー)
 2人の子供が主人公の今回も、俳優の主体性を重んじる手法を通した。(朝日新聞 2010/01/15夕刊東京3版3面)

佐伯順子(「女装・男装と現代文化」)
  高度成長期の日本男子たちは、一家の大黒柱として家計を支え、妻子を養うことで一人前の「男らしさ」が獲得できると信じていたが、昨今の社会、経済状況では、その種の「男らしさ」は簡単に手に入らなくなっている。「草食系男子」という言葉が象徴するような、積極性や強い主体性をアピールしない男子の対等とあいまって、スカートという‘女性並’のファッションで方の力をぬいて生きる権利を求める男子が登場しているようだ。(『本』11月講談社2009所収)

四方田犬彦「大島渚と日本」
  大島渚における初期は、『日本の夜と霧』においてこうして終焉を迎える。抑圧する者、抑圧されて挫折し転向する者、彼らを拒絶して主体的に行為する者。(『ちくま10月号』2008No.451所収)

 これらの一般的な用例においては、<主体性>は、哲学用語などでいう<主体性><主観性>(subjectivity)というよりも、「自主性」と同義の語として使用されている。先に辞書での意味として確認した「自主性」という意味が用法の中心であることが確認できた。
 心理学、教育学などでも、それぞれに<主体性>について述べているが、上に挙げた一般的な用法と同じく、「自主性」という意味合いでの使用が多い。
 「子ども政策にみる「主体性」:教育原理の位相」(桜井智恵子・堀 智晴 大阪市立大学生活科学部紀要 44:203-10)「主体性を育む情報教育の研究」(杉本修一2002大阪経済大学提出学部卒業論文のタイトル)など、主体性=自主性の用法である。
 法律用語としての<主体性>とは、「主体が持つ性質」を言い、法的な<主体性>とは「主体となれるどうか」という点にある。

  人権を享有できる主体となりうる資格のことを「人権享有主体性」という。人権とは、対国家との関係で人たるがゆえに有する権利のことを指す。たとえば、表現の自由、信教の自由、財産権、職業選択の自由、教育を受ける権利、生存権など。日本国憲法上は、憲法の第3章に「国民の」とあるので,日本国民であれば,人権享有主体性があるとみなす。法人、外国人、未成年、天皇、公務員、在監者については、性質上可能な限り、人権享有主体性があると解される。たとえば、法人の法的主体性とは、法人が人権、権利能力、行為能力、不法行為能力などにおいて、主体となれるかどうかを考え、法人の人権享有主体性、法人の権利能力などを考慮した場合、認められる部分と、自然人とは異なる扱いが必要になる部分が生じる。

 この「法的主体性」は、言語におけるsubjectivityの<主体性>に近い用法である。すなわち「<主体>となっているかどうか、<主体>としてその状況に存在しているかどうか」が問題になる。<主体性>を英語に再翻訳してみると、identity、independentlyなどの語にも変換される。英語の‘subjectivity’の一般的な用法では「客観性を欠く主観的なものの見方」という意味合いで用いられることがあり、実証主義的に解釈された‘objectivity’<客観性>と対比して使用される場合、‘subjectivity’に対し一段と低い価値を負わせる場合もあったことに留意しなければならない。日本語においても、「客観的思考」が「公平で広いものの見方」を意味するのに対し、「それは主観的な見方にすぎない」などという文脈では、「客観的な思考」よりもレベルの低い一方的な考え方を非難する意味合いが含まれる。


2.2 哲学における<主体性>
 デカルト以後の、近代の<主体>について、「アイデンティティは、自己の技術によって獲得されるものではなく、他者との関係性により、外部から授けられたものである」ということが認識されるようになった。個人=自己が、自由に決断し自己決定を行い得る<主体>であると考える「近代的主体」とは違った<主体>を考えることが「近代以後」の課題になっている
 フーコーは監獄や性意識の歴史を考察することによって、近代的知と<主体>と権力の意味について、自分たちが<主体的>に考えていると思うその<主体性>自体が、実は自由な志向によって生まれるものなどではなく、既成の言説=ディスクールによって作られるものなのだという観点を打ち出した。人が<主体>として言説を生み出すということと同じく、言説が人の<主体>を作り出すとフーコーは考えた。近代社会は「狂気」を精神病院に隔離することによって「主体=健全なる精神」を成立させ、犯罪者を監獄へ閉じ込めることによって「主体=社会を支える自立した精神」を認めた。subjectが<主体>でもあり、臣民とも訳せることは、世界を表徴する人間が世界を支えるということであり、王の権力を支えるのが臣民であるということで、近代的主体を形成するとは、制度や規則に合わせて自分をコントロールできる、すなわち従属する臣民としての自己を形成することでもあったと、フーコーは精神病院や監獄を「近代社会の装置」の例として示した。『性の歴史』では、キリスト教の教会での告白(懺悔)を原型として、「近代国家」において権力は、上から個人を抑圧するのではなく、むしろ下から、すなわち個人に内面を語らせて、それを教え導くことで、個人を<主体(subject/臣民)>として確立=服従させて、支配の関係のなかへ自発的に巻き込ませると論じた。デカルト以降の<主体>が権力に抵抗する意志を持つ者と見なされたのに対し、フーコーはそうして形成された<主体>とは近代の権力関係を下支えする存在なのだと分析してみせたのである。フーコーは、<主体>というものが、何かにsubject=臣下・臣従しようとする、すなわち何かに隷属的になりたがる<主体性>を持つものであることを明らかにし、知=エピステーメーを、「類似」(適合の類似、模倣の類似、対比の類似、共感の類似)、「タブロー」(表の空間性)、「標識」(外徴・概念・関係であらわさるもの)といった特質に分類した。フーコー(2004)はこの「<主体>を確立する自己の技術」について、

「すべての文明に存在する技術だが、自己による自己の統御、自己による自己の知識に基づいて、主体が特定の目的に従って、自己のアイデンティティを確定し、維持し、変形するために提案し、あるいは定められた手続き」(4:213)である。

と述べている。
 フーコーはキリスト教以前の古代ギリシャの言説を分析することにより、<近代主体>を「外」から眺めようとした。「自己の技術」のひとつとして、セクシュアリティの決定があるが、近代的主体にとっては、抑圧されたセクシュアリティに従属することが<主体>の確立となっていたことをフーコーは論じている。フーコーは、人間というものはおおむね次のような<主体化>を経ると論じた。
(1)医学や人文科学のなかでの人間の主体化、「真理との関係」で主体化を強化
(2)狂気や病気や犯罪を排除しようとしておこなわれる主体化、「権力との関係」における<主体化>
(3)性的な欲望を通して試みられる<主体化>、人の内面すなわち「道徳との関係」における<主体化>
 フーコーは、近代以降の社会を呪縛しているのは<主体>の過剰な根拠化にほかならないと考え、<主体>を捉え直すことを論じてきた。フーコーの課題は、隷属的になりたがる主体性を「生の様式」に戻すことにあった。フーコーは、キリスト教的な道徳の発生する以前ギリシア・ラテン文化、特に古代ギリシアの道徳に焦点を当てることによって、「自己」からの離脱や「自己」の放棄の様態を探った。フーコーは、「自己」を客体化させることによって<主体性=主観性>を確保する近代の思考とは全く異なる<主体性>を探求したのである。
 フーコー以後、哲学で語られる<主体性>が近代社会を形作ってきた<主体性>とは異なる意味合いで用いられるようになった。しかし、以下の藤野の論に見られるように、主体客体の関係から<主体性>を「他者によって動かされるということはないような仕方で主導権を確保したいという欲求に発する理念」と、従来の<主体性>と重なる見方も当然残っている。
 藤野(2006)は、「哲学とは、主体でありたいという人間の根源的な欲求を表現するもの」と規定し、<主体性>について述べている。

  主体性とは、主導権を握ってコントロールする立場、動かす立場に立っている、とい うあり方を意味する。だから、動かされるもの―― 客体、と呼ばれる ―― との関係の内にあることになる。客体に対して主体であるという関係。つまり、主体性の理念とは、人生において、自らはもっぱらものや人を動かす側に立ち、何かによって動かされるということはないような仕方で主導権を確保したいという欲求に発する理念だ、と言うことができるだろう。自分以外のものは客体の位置に追いやってしまおうとする欲求だ、と言い換えてもよい。(203-11)


2.3 文学理論における<主体性>
 文学理論家D. E. ホール、ジョナサン・カラーらの<主体性>についての論を確認する。
 D.E.ホール(2004)は、ガニエによる<主体性>の概念を次のように紹介している。

(1) ある主体とはそれ自体の主体であり、「私」である。他者がその視点から、また、自身の経験において、これを理解するのは困難であり、不可能でさえある。
(2) 第1と同時に、ある主体は他者に対しての、そして他者の主体でもある。事実、それはしばしば他者にとっての「他者」であり、このことは他者自身の主体性の感覚にも影響を及ぼすものである。  
(3) 主体は認識の主体でもある。おそらく最も解かりやすく言えば、主体の存在を取り囲む社会制度の言説の主体ということだ。
(4)ある主体とは、―妊婦と胎児の場合をのぞいて―、他の人体と区別される肉体である。そして、その肉体とは―それゆえに主体であるが―物理的環境に密接に依存する。

 ジョナサン・カラー(2003)は、<主体>が「与えられたものか」、「作られたものか」、また、「個人的なものか」、「社会的なものか」という要素を組み合わせで、次のような4種類の<主体>が論議されてきたという。

(1) 所与の個人、内的な核。
(2) 所与の社会的属性によって決定されたもの。
(3)「個人的な作られたもの」すなわち「具体的な行為を通して自己になる」もの。
(4)「私が占める主体的な」社会的な属性によるもの。(161)

 カラーは、社会の中に存在する個人をとらえ、アイデンティティから見た<主体>の成立を中心に考察している。


2.4 言語学における<主体性>
 言語学においても、<主体性>の概念がさまざまに論じられてきた。バンヴェニスト、ライオンズ、ラネカーの<主体性>に関する言説を確認する。
 バンヴェニスト(2007)は、「言語が<我>の概念を基礎づけ、言語によって思考し伝達することによって他者と向き合う」と、述べている。

  まさしく言語において,そして言語によって,ひとりの人間は主体として立ち上げられる;なぜなら,ただ言語のみが,現実の中に──実在するその現実の中に──「我」の概念を基礎づけるがゆえにである。
  現象学的に考えるか心理学的に考えるかはお好きなようにしていただくとして,この《主体性》は言語の根本的な特質のひとつが実在化したものにほかならない。《我》とは《我》と言う者のことだ.ここに私たちは《主体性》の基盤をみる.《主体性》は《人称》という言語的な地位によって定まるのだ。(259-60)
 
 バンヴェニストにとって、主体とは言語において「人称」で表されているものを指している。
 ライアンズのいう<主体性>は、「自然言語がその構造と通常の作用の仕方において発語の行為者による彼自身と彼の態度と信念の表明=表出のために提供する、その仕組み」をさしている。「非命題的・非確言的な要素」をライアンズは<主観的>ととらえ、「言語の構造・使用で表明される内容のうち,話し手の自己を表現する非命題的・非確言的な要素」=<主観性=主体性>であるとしている。
 ラネカーは (a) 客体的な事象に対する話し手の捉え方が (b) 非明示的なものとなっていることを「主体的」と呼ぶ。また、ラネカーは、多くの文法表現および言語変化における文法化のプロセスには主体化が関わっている、と主張している。
 ラネカー(1987)のいう主体性/客体性の概念を例文で表すと以下のようである。
[母親が子供に]
(57a) Don't lie to me!(私に嘘をつかないで!) 
(57b) Don't lie to your mother!(お母さんに嘘をつかないで!) (132)

例57aの方は直示的人称代名詞を使って話し手を主体的に捉えているふつうの表現で,彼女のアイデンティティを言語行為状況に相対的に定義している。一方の例 57bには客体化が関わっている。話し手は言語行為状況から独立的な観点でみずからを記述している。
 ラネカーは、「ある実体の指示を主体化することも可能だ」と述べ、例文をあげている。

(58) [写真を解説しながら]That's me in the top row.(上段にいるのがぼくだよ)(132)

(58) では、写真に写された物理的イメージ(写真映像)が、meという直示表現で記述されている。話し手を示すのではなく、映像実体すなわち写真に写った物理的なイメージを直示表現 (me) で記述している。ラネカー(1991b)は空間表現での主体化の例として次の文を上げている。

(59a)Vanessa is sitting across the table from Veronica.(ヴァネッサはテーブルをはさんでヴェロニカの向かい側に座っている)
(59b) Vanessa is sitting across the table from me.(ヴァネッサはテーブルをはさんで私の向かい側に座っている)
(59c) Vanessa is sitting across the table.(ヴァネッサはテーブルをはさんで向かい側に座っている)(326-28)

(59c)は、 acrossの前置詞句を主体化している例である。(59c) はヴァネッサがテーブルをはさんで話し手の向かい側に座っている状況を指している場合のみ使える。(59a)は、話し手がヴァネッサとヴェロニカがいる部屋のどの位置にいても、あるいは部屋の外にいても言うことができる。(59b)は、言語行為状況の参与者(話し手)を明示的に言及しており、(59c)は、話し手を明示していない。話し手(I)は、59cにおいて背景化している。このような、「主体の背景化」は、表現主体、認識主体が英語でも表現されていることを示しており、日本語の自動詞文、再帰的他動詞文において表現主体が背景化されて文の表面には明示されない文でも、主体として存在していることを説明する場合に有効である。 
 以上、近代以降の<主体性>について、各分野での用法を俯瞰してきたが、日本語の<主体性>とは何か、について、さらに確認を続けたい。一般的辞書的な意味合いの自立性、独立性と<主体性><主観性>がどのように異なっているのか、という点も、それぞれの論者が独自の論の中で解釈している。


2.5 日本語学における<主体性>
 subjectivityは、<主体性>と<主観性>という両義に翻訳され、さらに主観性は哲学用語心理学用語としての<主観性>と、言語学での「モダリティ表現としての主観性」にそれぞれ翻訳されている。
時枝(1941)は、「すべての言語は主体的立場の所産である」と述べ、発話主体は、対象を自己の感覚によって認知し把握する、と見なし、行為的主体としての人が言語を発し、発話主体は対象を自己の感覚によって認知し把握すると捉えている。

  「<我>の主体的活動をよそにして、言語の存在を考えることはできないのである」「言語はいついかなる場合においても、これを産出する主体を考えずしては、これを考えることはできない」(2007:28)
  「我々は言語に対して行為的主体として望んでいるのであって、この様な立場を言語に対する主体的立場ということができると思う。」(2007:39)

時枝は、言語には、(1)主体(話し手)、(2)場面(聞き手及びその他を含む)、(3)素材、の三者が必要であり、<主体>は、場面(他者)に、何らかの事態(素材)について述べることによって言語表現が成立し、三者の相互関係によって言語自体を種々に変形させる力を持っている、と言う。ここで時枝が言う<主体>とは、「言語的表現行為の主体」すなわち話し手・語り手のことである。「表現された素材」の主人公は<主格>として表現されるが、これは<文>の主格であって、表現の主体ではない。「猫が鼠を喰う」という文において「猫」が主格を備えて表現されているのは、「言語的表現行為の主体」である話し手にとって、素材(表現された現実)の主人公が「猫」であると認識されたことを表しており、表現主体は表現の素材と同格ではない。表現主体が表現しようとする素材(客観的現象)に対して、場面(他者)とは事物情景に志向する<主体>の態度や気分感情を受容して、話し手の存在する場に共にある。<現実の描写/現象>と<話者の判断や心的内容の表現>が重層して発せられたものが「言語表現」である。あらゆる言語的表現は、この「<詞>=<客観的表現>の表出」と「辞=<主体的表現>の表出」が融合して表出される。時枝のいう「文の<主体性>」とは、表現された文の中の<表現主体の判断や心的内容>が示された部分を含んだ「言語表現全体」にある。
 森山卓郎(1988)は、動詞述語文における<主体性>を次のように規定している(「第Ⅲ部第5章主体性の類型」)

「主体性:動詞がその表す動きを発生・成立させるための、主語名詞あるいは動作主。 名詞の動きに対する自立的な関与の度合い。「主体性」の下位概念として意志性、「主体的」の下位概念として「意志的」がある。 主体性の段階性: 人間動作主>有情物動作主>経敦者>自然的発生(201)。

 動詞述語文の動詞行為に意志性があるかないか、動作主名詞に対する自立的な関与がどの程度関与しているのかどうか、統語の面から判断することはできる。しかし、形容詞述語文、名詞述語文については言及されていないので、日本語文全体を統一して、<主体性>を考察するとき、動詞の意志性だけでは判断できない。家の中から外に出て「寒い!」と表出したとき、この表出における<主体性>とは何か、という日本語学習者の問いに答えることができない。
 中右実は、現代言語学における主観性(subjectivity)を二つに分けている。ひとつは認知言語学の主観論であり、Langacker(1985他)らが論じてきた。認知的主観論は、実体や事象の把握の仕方を問題にし、概念主体や概念化過程の主観性を力説する。もうひとつはLyons(1977他)らに代表される通時的観点からモダリティ主観論、言語的主観論である。言語的主観論は言語表現の意味を問題にし、その意味や機能の主観的側面を強調する。中右は主観的モダリティ二層構造論(中右1984他)を唱えている。階層的モダリティ論は、モダリティ(主観的な要素)が命題内容(客観的な要素)を重層的に包むと主張する。中右(1979)、寺村(1982)仁田(1991)益岡(1991)なども同様の二層構造を述べている。しかし、実際の発話では、常に命題とモダリティが二層に明確に分離されるわけではない。本論でも、文のモダリティ(主観性)を命題と截然と分離できないものとし、ヴォイスやアスペクト表現にも拡大されて<主観性>が表現されていると考える。
 廣瀬・長谷川(2010)は、<主体性>を「ことばで自己を表現すること」「言語主体が個の主体性を発揮して、他者に関わる社会的な伝達の主体となったり、他者への関わりを意識しない、思考・意識の主体となること」(v-vi)と規定している。廣瀬・長谷川(2010)は、「日本語における自己」を「公的自己」と「私的自己」に分け、公的自己は他者に向かう伝達を目的とした自己であり、聞き手との関係をもとに発話される。私的自己とは伝達を目的としない思考・意識の表出に用いられ、聞き手の存在を想定しない、と述べる。「ぼく・わたし」は伝達を目的とする公的自己であり、「自分」は、私的自己を表現できる、と廣瀬はいう。(18-19)
 廣瀬の説をまとめると、次のように解釈できる。太郎が次郎に向かって発話する。「花子は、私は泳げない、と思っている」では、「私」は発話主体の太郎を表すか、述語「思っている」の主語である「花子」を表すか、判断できない。「花子は、自分は泳げない、と思っている」では、「自分」は発話主体の太郎ではなく、「述語の主体である花子」を示す。「自分」は、私的自己を意味するので、発話主体(太郎)を表現できない。
 廣瀬の言う「自分」は私的自己を表す、という規定が理解できない。「自分」を一人称に用いる地域なら、「花子は、自分は泳げない、と思っている」の「自分」が発話者太郎を表すと解釈できるからだ。思考・意識のための言語に用いる「わたし=自分(私的自己)」と、他者へ向かって伝達する「私(公的自己)」は、それぞれ別の文法的意識から発信されている、という廣瀬・長谷川(2010)の主張を全面的に受け入れることができない。


2.6 本研究における<主体>と<主体性>の概念規定
以上の議論を踏まえて、本論では<主体>とは、第一に<発話主体>、<表現主体>であると規定し、<主体性>とは、<主体>としての性質特徴が表れていること、として以下論を進める。「行為主体がどのように行為作用を対象へ加えるのか」として主体の行動を叙述するよりも、「表現主体(話し手・語り手)と受容者(聞き手・読み手)のいる言語空間で、どのように事象が推移したのか」ということが、日本語表現の中心であるという観点で、日本語叙述を見ていく。日本語文は、「述語表現のなかに、述語の主体となるものは包摂されている」と考えられる。また、言語タイポロジーでいうSOV型の範疇に入ると見なされる日本語他動詞文について、「事態推移表現中心の述語」と考え、学習者にも「述語に注目すること」を伝えていかなければならない。
 本論では日本語学・言語学の<主体性>確認を経て、「<主体性>とは、表現主体が、自分自身の表現意志を持ち、述語内容を文の<主体>の上に実現させること」と規定し、「表現主体の主観によって選択された叙述形式に<主体性>が表れる」とする。
日本語は、「コト」の叙述を中心とする言語である。出来事の叙述に重点が置かれる日本語において、<主体>が背景化されていたとしても、表現の中に<主体>は在り、<主体性>も存在している。表現主体(語り手・書き手)また、文の行為主体がどのように表現されているのかという語り方の中に見えているのである。読み手は語り手の語り方、表現主体の主観を通して物語世界を見る。
日本語の文脈の中で<主体性><主観性>という用語を再確認した。以上の確認をふまえて日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているかを考察していく。
文は、表現主体(話し手・書き手)が個としての主観によって受け止めた事象知覚し認知したことがらを言語化して発せられる。主観を持つ個としての人が、発話、文章表現などの表現主体となるとき、行為主体・動作主体の行動の描写であれ、その行為に関わる人の意識の描写であれ、表現主体の<主観性>は、<主体性>に支えられており、<主体性>は主観の反映である。<主体性>と<主観性>が別個の意味合いで用いられる場合があるとしても、主体のない主観はありえず、主観を持たない主体もない。「客観的な風景描写」と言われる叙述であっても、表現主体が個人感覚として捉えたものであるなら、なんらかの主体的な意識・主観が反映される。主観による描出は、表現主体の意識の発現であり、自己表出である。
本論での<主観性>は、モダリティ(陳述)の範囲を最も広くとり、日本語のテンス(タ形とル形)、待遇表現に表れる<主体>から<客体>への意識まで含んで考察する。
作品分析にあたっては、作者の視点の分析として、作品中の述語から「タ形・ル形」の表現を確認し、次に視点の現れ方をダイクシスの表現から確認する。また、授受動詞文、待遇表現などについて考察する。表現主体の主観は、これらの叙述に表される。表現主体がその主観によってどのような視点をとり、それをどのような文法形式で表現しているか、という点を観察することは、日本語文における<主体性>の在り方を示すひとつの方法となる。テンス、授受表現、待遇表現などに表れ、表現主体の主観の表現が、主体が現実世界を見る視点として表れるのである。

第3節 太宰治「富嶽百景」の叙述分析

2010-03-18 09:20:00 | 日本語言語文化

第3節 太宰治「富嶽百景」の叙述分析

3.1 「富嶽百景」の表出する<主体性>
 日本語文において<主体性>はどのように表現されているだろうか。
 本論では、<主体性><主観性>両義を、どちらもsubjectivityの意味として扱うが、本節においては、太宰が表現主体として生みだした文にどのように主観が表れているのかを中心に、叙述のテンスやヴォイスを見ていくことにする。
 本節では日本語学・言語学の<主体性>定義をふまえ、「<主体性>とは、表現主体が、自分自身の表現意志を持ち、述語内容を<主体>の上に実現させること」と規定し、「表現主体の主観によって選択された叙述形式に<主体性>が表れる」として、「富嶽百景」の文を分析する。
出来事の叙述に重点が置かれる日本語において、<主体>が背景化されていたとしても、述語中に<主体>は在り、<主体性>も存在している。表現された発話や語りの受容者(聞き手・読み手)は、語り手の語り方、表現主体の主観を通して物語世界を見る。語りの叙述に表れた表現主体の<主体性・主観性>は、語り手の視点となって、テンスや待遇表現にも表れる。作者の視点の分析として、作品中の述語から「タ形・ル形」、ダイクシスの表現、また授受動詞文、待遇表現などについて考察する。表現主体がその主観によってどのような視点をとり、それをどのような文法形式で表現しているか、という点を観察することは、日本語文における<主体性>の在り方を示すひとつの方法となる。テンス、授受表現、待遇表現などにおける表現主体の主観の表現が、現実世界を見る主体の存在を示しているのである。
 本節では、太宰治の「富嶽百景」を一文ずつ分析してみることによって、語り手=主人公「私」の<主体性・主観性>が、どのように表現されているのか、その現れ方を確認する。文を句点ごとに区切り、述語の書き表し方を文法的な分析により、文末のテンス、ヴォイス(授受表現を含む)、待遇表現などの叙述から、表現主体が「自己物語世界」を構築するためにどのように述語表現を重ねているかを観察し、語り手の自己表出がどのように表現されているかを見ていこうとするものである。
 一文の述語が<意志性><支配制御性>を含む述語であるかどうか、作品中の動詞述語を確認した結果は、「意志動詞文の数/文の数」に数字で表したが、<意志性><支配制御性>を有する動詞述語文の割合は少ないことが判明している。<主体性>という語を辞書的語意的に「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的である」と受け取ると、小説中に主人公が能動的自主的に行動したことの描写は少ない、という結果になる。しかし、読者の素朴な読後感は、「精神的なダメージをもって富士山麓に滞在していた主人公が、富士山を眺め周囲の人々と交流する半年の間に、仕事や人生に対する主体的な精神力を回復して下山していく」というものである。作者はどのようにしてそのような読者の読後感を生みだしているのだろうか。
表現主体の<主体性>が、叙述の選び方に表現されているという立場からの文体観察である。


3.2 「富嶽百景」概要
太宰治「富嶽百景」は、1939(昭和14)年2月に発表された。1中期=安定期の佳作として評価されている。この作品が発表される前月に、師、井伏鱒二の家で、石原美知子と結婚式をあげ、生活の上でも文学の上でも、転機をはかった時期であった。パビナール中毒の治療のために精神病院に入院させられ、妻の不貞に打ちのめされて4度目の自殺に至った「自己を見失っている人間」としての太宰が、「自分とは何か?」という問いを重ねて、「自分はどのような物語を生きているのか?」という認識を、他者との関わりの中に見いだしていく過程を描いた「自己物語」が「富嶽百景」である。
ストーリーは、富士山をめぐる短いエピソードを連ねて構成されており、作中では語り手である主人公の「私」は、登場人物から「太宰さん」と呼ばれている。「一人称小説」「自己物語世界的」小説である。
本節は、この小説を「語られ方」の面から検討する。「富嶽百景」は、「私」を主人公とし、「私」自身が語る小説である。すべての文が主人公の視点によって認識され、主人公を主体とする文が中心になる。主人公「私」の<主体性・主観性>は、どのように表現されているのか、言語的な諸手段を観察し、表現された文体の中に「富嶽百景」の「私」の<主体性>を確認する。

3.3 「富嶽百景」文体分析
 「富嶽百景」は全文数で450文ほどの短編である。場面も限られており、全て、富士山麓の天下茶屋周辺での出来事である。出来事の推移に従って、場面を分けると、「富嶽百景」というタイトルではあるが、亀井勝一郎は二十景とし、竹内清己は最終の一文を独立させて二十一景としている。2 以下に示す「景」は、本論のために便宜的に場面を分けたものであって、亀井や竹内の分割を踏襲したものではない。
意志動詞文の数/文の数。
数字は意志動詞文と文の数を示す。例えば、1景には文の数が26ある。そのうち、主人公「私」が意志動詞述語によって自分の行動を描写している文は2文である。以下同じ。
1景:2/26 富士の形 
2景:4/6 便所の富士(峠に来る前の鬱屈した状態)
3景:5/20 御坂峠の富士(井伏氏の誘いにより峠へ) 
4景:6/16 三つ峠の富士(井伏氏との登山) 
5景:8/17(石原家の)富士噴火口の写真(見合い)
6景:2/29 富士見西行(宿を訪ねてきた友人と、僧形の男が犬の前で狼狽するのを見て、俗性に幻滅する) 
7景:8/34 新田青年の訪問(読者から先生と呼ばれることを受け入れる)
8景:2/52 吉田の富士(読者青年たちとの語らい、清姫の行動力賞賛) 
9景:8/38 眠れぬ夜の富士(吉田の夜、無意識的な散歩で見た富士。「富士に化かされた」) 
10景:6/22 冠雪の富士(通俗の富士から冠雪した富士へ) 
11景:2/26 月見草と富士(通俗の富士を否定し月見草を見入る母に似た人への共感) 
12景:2/16 夕焼けの富士(夕焼けの中の富士を見ずに紅葉に見入り、宿のおかみさんに人恋しい気持ちを見透かされる) 
13景:2/10 月光の富士(文学の方向が定まらぬことへの煩悶) 
14景:7/16 遊女たちの富士(みすぼらしい遊女たちを見て、富士に祈る) 
15景:4/40 甲府から見える富士(実家からの援助のないことの告白。結婚の承諾を得る)
16景:4/15 声援(15歳になる宿の娘が執筆を応援してくれることに感謝する) 
17景:3/10 晩秋(宿の娘に気をつかいながら秋の深まる峠に滞在する)
18景:1/19 花嫁と富士(富士に向かって大あくびをする花嫁を見て、宿の娘と非難する。「私」の結婚は順調に進展する。
19景:2/7 炬燵と富士(寒くなり、宿は炬燵を新調してくれたが、下山を決意する)
20景:2/16 真白い富士(都会から来た娘にシャッターを頼まれた「私」はわざと富士だけを写す)
21景:1/3 酸漿のような富士(下山するときに見た朝焼けの富士は、ふっくら丸く温かい形に見えた)

単純な数の比較でいうと、全文の数に対して、主人公「私」を主語とする動詞文、ことに意志動詞の数は、最初に予想した以上に少なかった。「富嶽百景」の動詞文からは、「主人公の主体性ある行動は、意志動詞によって叙述される」ということはできない。<主体性>を、一般的な辞書の語義である「自分独自の意志。主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対照に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」という意味にのみ捉えれば、意志動詞述語文が少ないことは、意志的な行動をとる<主体性>が感じられないということになってしまう。表現主体の<主体性>は、行為の中にではなく、<主体が認識した主観性を発揮すること>と捉えるべきであろう。表現された認識の中に作家の<主体性>が表れているのである。「富嶽百景」の最後の文は、「富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿(ほおづき)に似てゐた。」と書かれている。「酸漿に似ていた」と主観的に認識し、その記述がなされたということが、作家の主観の表現であり、主体性の発現である。
近代文学の中で、太宰治は最も数多くの評論や研究がなされてきた作家のひとりである。その中で、北原保雄 (2005) は「主観的な文章―「富嶽百景」の場合」で、富士の描写において、表現主体の主観的叙述が中心になっていることを述べている。富士が客体として主体と対峙しているのでなく、主体の心情の反映として登場していることをあげ、「計算の上に計算を重ねて、文章を展開している」と評している。(177) 日本語表現において、主体は客体と対峙するものとして表れると同時に、主体と客体が重なり合うものとして表現されていることのひとつの例が、「富嶽百景」にもある。たとえば、14景、遊女の一団体が御坂峠にやってきたとき、見た富士は「そのときの富士はまるでどてら姿にふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのである」という描写がある。御坂峠の茶屋で振り仰いで見た富士の姿である。北原は、御坂峠に滞在中の太宰が宿の提供しているどてらを着てすごしたことと合わせて、富士に対する親近感・好感のあらわれと見ている。小説冒頭の自己否定的な気分から、自己肯定への転換へと向かう心理的な主体的変化が、客体である富士の描写に表れた、と捉えてよいだろう。
北原は富士の描写を中心に分析している。本稿では、富士のほかの描写はどのように表現されているのか、文法的な表現の選択がどのように主人公「私」の心理や主体的な意識(=主観)の反映であるのか、という点について、文末表現を中心に見ていくものである。
まず、動詞述語の「タ形」と「ル」形が文末に表れる様相を中心に述語の分析を行う。
 日本語のテンスは、コト=言表事態(事実)と、キモチ=言表態度(陳述)のどちらにも関連する叙述形式である。本論では、テンスの選択も表現主体による主体的な判断のあらわれと考える。
 日本語の動詞述語のうち動作行為の動詞は、未完了未完成のことがらを「ル形(非過去形)」、完了・過去のことがらを「タ形」で表現するのが基本である。日常会話では発話者の発話している時点が基準時となるので、聞き手も発話者の基準時に基づいて判断する。存在を表す動詞(存在詞)は、「いる」「ある」「である」が現在のことがらを表す点で他の動詞とは異なる性質を有する。
 小説においては、過去の出来事として語り手が述べることが多く、語り手の視点に合わせて、基準時は動く。小説では、大部分の出来事は過去の出来事として述べられるので、文末のテンスは「タ形」になるのがもっとも無色な表現の仕方になる。小説中に「ル形」が使われている場合、以下のような理由が考えられる。
(1)現在の出来事として想定されている、いわゆる歴史的現在。
(2)時間的に生起するできごとではなく、状態・属性の表現。
(3)ストーリー形成に関わる背景的な状況・事態の説明。
(4)文体上、修辞上のル形。
 小説中の現在を基準時として選ぶのか、語り手が語っているときを基準時として選ぶのか、テンスの選択は表現主体が主体性を持って選択している表現のひとつであると言える。
 では、『富嶽百景』の中の「タ形」「ル形」を抜き出してみよう。
1景:「私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた」
 「私」の行動を「タ形」によって、通常の出来事の描写として述べている。
2景:「途方に暮れた」「ひとりで、がぶがぶ酒のんだ」「富士が見えた」
 「タ形」で継起した出来事が述べられている。しかし、当時の気持ちについては「あの富士を忘れない」「私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない」と、「ル形」「ナイ形」により、述べられている。
3景:「昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た」
 「タ形」で「私」の行動を説明した後、当時の時間の中に意識が置かれ、「私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく」と、「ル形」が使われている。過去を回想するというより、過去の時間の流れの中に意識を戻しているため、非過去形にしている。自分のこと以外でも「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる」と、発話時(執筆した時)を小説内現在時に重ねている。
4景:「私たちは三ツ峠へのぼつた」は、「タ形」であるが、次は「急坂を這ふやうにしてよぢ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する」
 「ル形」で頂上に到着したことを述べている。登山行為のその中にいるような臨場感が出ている。
7、8景: 文学ファンの青年たちとの会話は、発話時現在。
9景:「下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く」「そつと、振りむくと、富士がある」「青く燃えて空に浮んでゐる」
 「私」の意識が、小説内の描写時現在の時点から描写されている。
13景:「私は溜息をつく」「ああ、富士が見える」「眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる」
「ル形」によって、当時の時間の中にいる感覚を出している。
14景:「トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた」
「私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる」
同じ遊女の行為を、最初はタ形で、次はル形で描写している。眼前の遊女は「私」を見ることもしないのに、「私」のほうは遊女に心を寄せ心理的に近づいた印象を与えるのが「熱心に草花をつんでいる」というル形による文末である。
 小説後半で、主人公の行為動詞が非過去になっているのは、遊女たちを見て、遊女の身の上を富士に祈願する場面での「富士にたのまう」と、「私」の信条が直接描写された分ひとつだけである。前半は、読者の意識を「私」が御坂峠にいた小説時間の同じ時間に運ぶことを意図していたのが、後半になると「タ形」による「客観的な過去」としての叙述が中心になっていることがわかる。
次に、指示語に表れた視点から、主体の表れ方をみる。
 「私」が主人公である一人称小説の場合、語りの視点は「私」にあり、ダイクシスの「空間指示こそあど」「人称」なども、「私」の側からの視点で統一されている。発話主体=私=主人公によってとらえられたダイクシスがそのまま表現されている。
 表現主体が語りの視点を選択することは、もっとも基本的な主体の存在の表明となる。ある一夜を自分自身がその場に身をおく立場から「この夜」と表現するのと、現時点からは離れた時間の表現として「その夜」と表現するのでは、発話時点での主体の時間意識空間意識が異なるのである。表現主体がどのようにダイクシスをとらえるかという面から、主体のあらわれを見ることができる。
2景:「三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ」
「その夜」は、「この夜」としても指し示すものの内容は変わらない。意外の事実とは、小説には直接書かれていないが、前妻小山初代との心中未遂とその原因となった「或る人」と初代の関係のことである。心中未遂は、太宰の読者なら事実を知っていることであった。もし「がぶがぶ酒のんだ」の夜が「私」側から言及されているのであれば、「この夜」と表現してもよいところである。しかし「その夜」と、なっている。「途方に暮れた」夜は、小説執筆時点で、「身のうち側」でなく、客観的に描写できる過去のことがらになっていたことがうかがえる。
3景:「ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚しい、なだらかさに在る」
「この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階にこもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た」
太宰が『富嶽百景』を執筆したのは、すでに御坂峠から下り、甲府に新妻との新居を構えてから以後の執筆であるにもかかわらず、御坂峠を「この峠」「ここ」で表している。語り手「私」にとって、御坂峠に滞在していたときのことを書くにあたって、自分の意識をそっくり御坂峠の中において書いていることがわかる。井伏鱒二が滞在していた天下茶屋を示すのに、「天下茶屋といふ、小さい茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころからそこの二階にこもって仕事をして居られる」と表現しても、ストーリーの進展に破綻は出ないと思われるのに、「ここの二階に」と書くのは、「私」自身が天下茶屋に滞在していたその時間から見て「ここ」と表現されているのである。
井伏氏側からの視点を交えると、「井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになつて、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合つてゐなければならなくなつた」と、同じ場所を「そこ」で表している。
5景:「あの富士はありがたかった」
5景に登場する富士は、実際の富士ではない。地質学者を当主とする石原家の写真の富士である。長押に掲げられている富士の火口俯瞰写真を「まつしろい睡蓮の花に似てゐた」と感じ、写真を見るために身体をひねったときに見合い相手を見て、好印象をもつ。富士火口写真は石原家の象徴であり、「あの」と、他者に対峙した気分から指示詞が選ばれている。 
待遇表現にも、主体の意識が表れる。敬語は、古代天皇の自尊敬語などを除いて、話し手から聞き手へのまた発話内に言及されている第3者への敬意のあらわれなので、話し手の意識が見える表現である。「富嶽百景」の待遇表現使用は、主人公「私」から師匠の井伏氏への敬語、他の登場人物から「私」への敬語がある。敬語の使用から「私」の意識を探ってみる。
2景:「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる」 「井伏氏は、仕事をして居られた」
井伏鱒二は「私」の師匠であり、天下茶屋へ来る前、作家が内妻と心中未遂を起こしたり精神的なダメージを受けたりしたときに世話をし、精神病院への入院手続きなどをおこなった人である。井伏氏は、「私」にとって恩人でありかつ自分を精神病院に押し込めるようなことをした複雑な感情を向けている相手である。井伏氏にはきちんと敬語を用いる。しかし、井伏氏と眺める富士は「俗な富士」と感じられ、有名な眺めであっても「あまりに、おあつらひむきの富士である」「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた」と感じら
れる富士なのである。ほとんどを語り手のまわりに起きた事実のままに書いているようであっても、私小説は小説であり、作家の目のフィルターを通して描かれる。井伏鱒二は太宰のこの小説の中に実名で登場する自分の姿について「ひとつだけ訂正しておきたい。私は太宰といっしょに三つ峠に登ったとき放屁などしておらぬ」と、太宰に申し入れをした。それを伝え聞いた太宰はすまして「いえ、先生は放屁なさいました」と答えた。
三つ峠での描写。「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた」は、師匠太宰に敬語を用い、師のありさまを悠然、大人然としつつユーモラスな姿に描いている。語り手から見て、「こうあって欲しい」と念ずる「おおらかでこだわらず、愉快な先達」というイメージが託されている。
5景:「井伏氏に連れられて甲府のまちはづれの、その娘さんのお家へお伺ひした」
「私」が見合い相手の石原家へ敬意を持って対していたことが、謙譲語で表されている。
15景:「娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、「だつて、御坂峠にいらつしやるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思つて」
見合い相手のことばとして「私」に対しては尊敬語「いらっしゃる」謙譲語「お聞きする」が用いられ、「私」に対して敬意が払われていることを、太宰がそのまま書いているということから、見合い相手の娘さんの態度を快く受け入れていることがわかる。
16景:「たくさんお書きになつて居れば、うれしい」天下茶屋の宿の15歳の娘が、「私」に対して敬語を使っているのは、宿の客だから当然といえば当然なのだが、作家の目を通して描かれていることを考えると、娘から自分への敬語を受け入れているということである。
 待遇表現から見えてくるのは、太宰の師や見合い相手の一家への敬意だけでなく、宿の人々や文学青年から自分に向けられた敬意をそのまま描写することによる自尊の意識である。妻の不貞や精神病院入院によって傷ついた自尊心が、富士周辺の人々との関わりのなかで、自尊心もしだいに癒されていることが自分へ向けられた待遇表現の受容からうかがえる。
 授受動詞には、発話主体からみての行為の方向が「あげる」「もらう」「くれる」などの補助動詞によって明示される。語り手の意識の方向がやりもらいによって明らかになる表現である。久野(1978)をはじめ、授受表現における表現主体の<主観性>についての研究が提出されてきた。表現主体が自己側から客体を含む世界を捉えようとする意識が、表現主体の主観性のあらわれとして「やる」「もらう」「くれる」などの表現を選択する。表現主体が受益対象と一体的に主観的評価として表現するのが「もらう」であり、受益対象への主体的な行為の贈与が「やる」によって表現される。「受益対象への主体的な行為の贈与が「やる」「もらう」「くれる」によって表現されている部分に、表現主体の客体への<主観性>の表れが確認できる。表現主体の客体への主観性の表れを、授受表現によって観察してみよう。
4景:「井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたはつてくれたのを、私は忘れない」
 さえない服装をしている「私」に「気にするな」と言う井伏氏に対して、「私」を受益者として表示している部分である。が、「私をいたわってくれた」と、わざわざ行為の恩恵受益者を「私」で明示し「私は忘れない」と強調しているのは、強調しておかなければならない意識があったということだ。通常「くれる」は、わたし又はわたし側の身内に用いる授受表現である。「私を」「私に」という受益者の明示は必要ない。それをわざわざ書いたのは、井伏氏から自分のみすぼらしい状態へ与えられたいたわりのことばを、少々の強調をもって書き残すことが、前妻との自殺未遂から精神病院入院までの一連の負の感情からの立ち直りのためには必要だったのだろうと感じる。太宰にとって、自分のさえないどてら姿は、「男は身なりなんか気にしないほうがいい」と取り立てて言及されずに放っておかれたほうがむしろ気が楽であったろう。井伏氏が気にしているからこそ「気にするな」と述べたのだということを「私」自身が気づいているから「私をいたわってくれた」を特記するのである。
8景:「いちど吉田に連れていつてもらつた」
井伏氏の読者や「私」の読者たちとの交流について述べている部分で、青年たちの主導によって吉田へ出かけたことが「もらう」という動作をうける表現によって示されている。
15景:「かへりに、娘さんは、バスの発着所まで送つて来て呉れた」
見合い相手の石原美智子が「私」を見送りに来てくれたことに対しては、通常の授受文表現で感謝の意識を素直に書いていることからも、井伏氏との恩恵の授受には、通常以上の感情の起伏があったと推測される。
1  9景:「私の結婚の話も、だんだん好転していつて、或る先輩に、すべてお世話になつてしまつた。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会つてもらつて、まづしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるやうになつて、私は人の情に、少年の如く感奮してゐた」
 「私」の実家は再婚にあたって何の援助もしないことを告げてきて、結婚話はしばらくの間停頓していたのだが、「或る先輩」が世話をして結婚式の手はずも整った。「私は人の情けに、少年のごとく感奮していた」と、「私」は感激のおももちなのであるが、ここには見逃せない語り手の「小説的仮面」がある。語り手=太宰治の結婚式は、井伏鱒二の家で行われた。見合いの話を持ってきたのも、甲府での見合いの席に立ち会ったのも井伏鱒二であり、語り手は実名でそれを記している。なぜ、この結婚話がまとまったという所だけ「或る先輩」などという持って回った匿名で書いたのか。
 「身内の二、三のひとにだけ立ち会ってもらって」という部分に結婚式が挙行できることの受益者としての自分の姿が反映しているのはいいとして、「その先輩の宅でしていただける」と、受益+敬語によって事態を説明していながら、意識的に井伏鱒二の名を伏せているのは、前半の見合いの場面では実名を上げているのに、不自然である。本来なら親代わりの兄がその位置に立つべきである「結婚式をまとめる人」の場所、自分の人生の公的な出来事である結婚式という晴れの場に立ち会う人が、師とはいえ他人である井伏であったことに対して、幾分のわだかまりを残していたのではないかとも推測できる匿名化である。
11景:「私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた」
バスの客が見入っている富士ではなく、月見草に目をとめた老婆への共感を「やる」という授動詞で表している。「私」の行為が老婆へ向かっていることを強調し、老婆への共感を強調している。
16景:「夕食後、おかみさんと、娘さんと、交る交る、私の肩をたたいてくれる」
 この場合も受益者は「私」なので、改めて「私の肩」と書く必要はないのだが、「私の肩」と断るところに、おかみさんと娘さんへの他人行儀がうかがえる。
 太宰が周囲の人々と主体的に関わっていく意識が授受表現の中に表現されている。特に井伏への感情の軋轢が結婚式周辺の出来事の授受表現に表されていることが注目される。授受動詞の使用によって受益関係を表現するのは、太宰の自我の表現が「もらう」「いただく」という恩恵の授受に世間との軋轢や師井伏鱒二への二律背反的な愛憎が見え隠れする。表現主体としての太宰の<主体性>は、これらの意識的な授受表現にも表されている。
受身文(受動文)もどの視点からの叙述とするか、という点で、表現主体の意識がよく表れる部分である。
 受身文は、自動詞表現と並んで、日本語が行為主体を背景化し、行為の受け手を主語として表現する叙述方法のひとつである。「私」を主語とする直接受身文は、「私」に意志決定権がなく、受動の立場で存在するしかない場合に用いられている。受動文を選択したという表現意識が表現主体の主観の表れ
である。
5景:「娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植ゑられてゐた」「写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた」
情景描写に受身形が使われている。「写真がかけてあった」と「写真がかけられていた」との違いは、行為者の存在を背景化するか、動詞述語の実行者として行為者を暗示するか、という違いである。「私」にとって、薔薇を植えたこと、富士の写真をかけてあったことが「見合い相手の娘さんの家」の行為の結果として強く印象に残ったことがわかる。「写真がかかっていた」ではなく、「写真がかけられていた」という行為者を意識した受身文叙述を選んだということが、表現主体太宰の「主観」の表現なのである。
「私」が動作をうける被作用者となっている直接受身文もある。
2景:「私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた」
妻の不貞を知る場面。被作用者としての被害感情が受身形によって暗示されている。
15景:「このうへは、縁談ことわられても仕方が無い、と覚悟をきめ、」
 縁談に関しては意志決定は先方にあると覚悟をしている主人公の心理が、受身形で示されている。
9景:「月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。「富士に、化かされたのである」「私は、あの夜、阿呆(あはう)であつた。完全に、無意志であつた」
作者が書いている夜のできごとが「化かされた」という受身形によって不可思議な夜の散歩の無意識を描かれている。
動作主体からの感情表出・評価をとりあげる。動作主体の認識を表す心理的な語は動作の実現に対する動作主体の認識を表し、動作主体の視点から見た外界への描写に読者を引き入れる語となる。また、動作主体の知覚や目撃した外的な出来事の描写や評価の言葉は、主人公からとらえられた外界として、読者を物語世界に引き入れるものとなる。感情表現、評価表現は、表現主体の心理を直接表現された部分として、主観性の強い表れである。
1景:名詞述語文「~は ~である」の文型で富士山の説明が続く。富士の見かけについて「低い」「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」など、形容詞述語非過去形で述べ、富士の形状に対して主人公が感じた「気持ち」が直接出ている。形容詞述語文でも、「私」が実際に見て経験したことについては「十国峠から見た富士だけは、高かつた」「あれは、よかつた」と、「タ形」が使われている。この「タ形」によって、主人公の実感した内容が内省を経て経験として述べられているように読者は読める。
2景:「じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない」
3景:「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた」「どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた」
 主人公「私」は、最初のうち師匠の井伏氏の勧めで滞在した富士の「通俗的美」の風景を嫌っていた。芝居の書き割りのような富士の姿を「軽蔑してさえした」と述べる。
4景:「私の姿は、決して見よいものではなかつた」
という高揚しがたい気分から、「私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた」と、しだいに見えない富士の前に師匠とふたりでいることの心地よさへと気分が変わる描写も、具体的な心理描写ではなく、富士山を眺め富士の姿の評価から読者に伝わる。
6景:「その有様は、いやになるほど、みつともなかつた」「私は、がつかりした」
身なりだけは西行のように決まっている法師が、案外だらしなく俗臭を発揮することへの評価なのだが、身なりや人からの見栄えを気にして生きてきた「私」を外から見て評価する気分が出されている。
7景:「私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまづしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言はれて、だまつてそれを受けていいくらゐの、苦悩は、経て来た。たつたそれだけ。私のひとすぢの自負である」
「けれども、私は、この自負だけは、はつきり持つてゐたいと思つてゐる」
文学青年たちに「先生」と呼ばれて会談するうち、「私」はそれまでの低い自己評価から反転する。
8景:「安珍を追ひかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくつた。あいつは、すごい」
14歳の清姫が、恋人に会うためには川を泳いで渡ることさえいとわないことを評価する言説を述べ、行動する事への評価が表現されている。
「そこで飲んで、その夜の富士がよかつた」と、これまで通俗的な姿だとけなしてきた富士が好評価に変わる。
11景:「けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた」
富士を眺めるという皆が同じ行動をとる中で、老婆と「私」だけが富士ではなく月見草を眺める。通俗に対する抵抗を他者と共有する気持ちが「あの月見草は、よかつた」という評価になるのである。
14景:「私は、ただ、見てゐなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。 さう無理につめたく装ひ、かれらを見下ろしてゐるのだが、私は、かなり苦しかつた」
富士見物に来た遊女たちの暗い姿を見ていたたまれない気持ちの表出。貧しい者に心を寄せ、地主の身分に罪悪感を感じて共産主義に惹かれたものの、それをも裏切る結果となった「私」にとって、このあとの「富士にたのまう。突然それを思ひついた」という気持ちの転換が、いきなりの信仰体験のように唐突に提出される。「頼もう」という意志形での表出は、全文の中でこの一文だけである。他者への共感と、他者の不幸をただ見ているしかない自分の立場を、富士への祈りとして転換していく主人公の意識が意志形になって表れている。弱く何事もなしえない自分自身を認識するという主体性の表現が、『富嶽百景』の文章中、もっとも強く押し出されているのが、この遊女とのエピソードに出されている。


3.4 「富嶽百景」の叙述と<主体性>
以上「富嶽百景」の文章を、文末述語表現を中心に分析した。「富嶽百景は、表現主体(語り手)太宰治がすべての文を「私」の視点から統一して描写している。発話者は現象や行動を描写する際、発話者自身の断定や推量、疑問などの発話者の主観を付け加えて表現するのであるから、<主体性・主観性>の表れていない文は文として成立しない。<主体性>の表現されていない文はない、ということになる。しかし、言語文化全体を見渡しての<主体性>の表れということになると、subjectivityの両義のもう一方の「主体性=個人独立性・自立性」という意味がクローズアップされる。ここで、この両義については2節での引用「広義の<主体性>の両義である主観性と独立性は無関係にあるのではなく、対規範的な主体性(独立性)が主観性を前提としてこそ主張できるものである」(紅林 1989)を再確認したい。「富嶽百景」における表現主体の<主体性・主観性>の叙述における明示が、小説全体の「個人の意志「独立性・自立性」を支えるものとして存在し、主人公「私」が、自殺未遂からの回復と小説を書くという意志の確認、再婚後の希望へと至る心情の描出に関わっている。
短い文を重ねていき、作者の認識を直接提出し、判断を表す語、主観を表す語を組み合わせて、小説冒頭の「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」から、終盤の「どてら姿に、ふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見える富士」に至るまでの心理の変化が、景観の描写であっても、それが表現主体の心理を示すように効果を上げている。小説の終盤、主体的に生きようという気持ちになるまでが描き出され、読者に主人公の心境を伝えている。
文末述語を分析した観点からいうと、太宰は主観的な観察による富士の描写や周囲の人々との交流の描写を通じて、自身の心理的な立ち直り、主体的な生き方の変化を浮き上がらせており、作家の「生き方における主体性の回復」を描写することに成功していると言える。
 「待遇表現の使用」を見ても、太宰の意識の表れが見て取れる。井伏が精神病院入院の手続きを進めたことをあとで知った太宰は「裏切られた、自分は師から狂人と見られていたのか」と落胆し、師への不信の念すら抱いた。師への甘えと信頼、その反面の反発が、井伏鱒二の姿の描写に表されている。師から「精神病院行き」を仕掛けられた屈辱と、それでもなお最も慕わしい人であることの思いは、太宰の師からの自立心と師への甘えの二重の心理が文章中唯一敬語によって行動を描写する、という選択によって表現されているのである。特に、見合いに関わる井伏を実名で登場させておきながら、結婚式に関わる井伏を匿名扱いにしたという太宰の意識は、太宰の主観が積極的に出ているものである。
 太宰治の「富嶽百景」においては、表現主体の主観が叙述の一文一文に明確に表現されている。表現主体の主体性が、叙述形式(テンス、ヴォイス、授受、待遇表現、感情表現など)の選択に表れたとき、読者は表現主体の自立性、独立性も感じ取るのである。


第2章まとめ
 <主体性>という語の持つ意味に「主観性」と「自立性・独立性」の両義があることを第1節第2節で述べた。分野によって一方の意味に偏って用いられることもある。しかし、<主体>という本来の語に立ち戻って文の成立、文章の成り立ちを考えれば、表現主体の<主体>としての存在が表れるのは、主観によるのであり、主観が主体の<主体性>を支えていることが言える。
日本語の文章における<主体性>という問題において、表現主体が自分自身の視点を確立して表現した文は、情景描写においても心理描写においても、強く表現主体者(発話者)の<主体性>を保持するということが言える。日本語の述語とは、第一に表現主体の<主体性>を映し出す性質を持っているからである。
 「主語が意志的行為を行う」という西洋語的な<主体性>表現から見ると、無意志動詞による<主体>を背景化した自動詞文や、授受動詞文や待遇表現によって<主体>と客体の「関係」を文に積極的に反映させようとする他動詞を中心とした日本語文は、「意志を表明することが少ない」「自立性に乏しい」という「非意志的な行為」の文が多いように思われるかも知れない。「富嶽百景」においても、意志動詞文の数は全体の中で少ないことを確認している。しかし、読者が「富嶽百景」に感じるのは、「私」の自立意志、個人の確立である。日本語文が「主語・意志他動詞」という文の形によらず、さまざまな<主観性・主体性>の表現方法によって成立し、それが文章の<主体性>を支えていることを、一文ごとの観察によって確認できたと思う。

第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育

2010-03-12 08:34:00 | 日本語言語文化

第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育

はじめに
 第1章と第2章において、<主体>と<主体性>が日本語言語文化の中でどのように定義され、使用されてきたか、日本語の<主体性>が日本語表現の中に、どのように存在しているかを見てきた。第3章では、非日本語母語話者と日本語の関わりの中で、日本語の<主体>をどのように扱っていくべきかを中心に考察する。
伝達の規則であり構造である文法は、外からある言語を学ぶ者には意識されるが、母語話者にとって無意識の中にあり、特別に成文化されないかぎり、表現主体(話し手・語り手)には意識されない。文法は目に見えない規則であり構造であるが、それは行為のただなかにあって行為を規制する。この文法を意識しつつコミュニケーションを成立させようとする行為をしている者のひとりが語学教師である。常に文法を意識しつつ基礎的な文型によるコミュニケーションを図るのが語学教師の日常であり、日本語を常に外部からの意識で認識しようとしているのが日本語教師である。現代の多文化的状況において、価値合理的行為とは、「自分と価値感を同じくしない側」を生み出す恐れを内包する。<主体>もまた英語などの西洋語の考える<主体>のみではないことを考慮する必要がある。自己中心的思考から抜け出して、世界を視野にいれたコミュニケーションを実現させるために、対照する言語を見る目も自己中心ではなく、他者理解の視点から行うべきであろう。
 非日本語母語話者にとって「日本語の文の意味がつかみにくい」という状況が起こるとき、何が非母語話者の理解を阻んでいるのか、何を補ってやれば、日本語を日本語の論理によって理解していけるのか。現在の日本語教育の現場に対して、読解の「わからなさ」への指導法が理論として十分に提出されているとはいえない。本章では、日本語教育の現場からの報告を交えて、日本語理解の方向をさぐる。
 日本語教育において日本語に<主語>という文法用語を持ち込まない方がよいという論がある。英語subjectを<主語>と翻訳したとき、日本語の<主語>は西洋語の主語とは文法的な性質が異なるゆえ、<主語>+<述語>が統語の基本である西洋語文法の概念での<主語>は日本語に適用しないほうがいいという考えからである。しかし、「西洋語と同じ主語」を日本語文において考えることに無理があるのであって、日本語の<主語>・<主体>は、西洋語の<主語>・<主体>とは異なるものだ、と考えればよいことだ。日本語教育において、「助詞」を英語文法用語に翻訳するとき、particleという文法用語を使うこともあるが、教育者は「日本語の助詞」は、英語のparticleと同じものではないと注釈をつけて説明する。同じように、英語のsubjectと日本語の<主語>は同じものではない。その前提を教育者が気をつけさえすれば、日本語教育において<主語>という文法用語をやみくもに排斥する必要はない。日本語の文の述語が語る事柄が実現している中心点となっているところのものを<主語>として文に表すか、<主題>として表すかは、別の文法的手続きである。情報機能を優先させる<主題>となっている部分であるか、<主題>としては述べていない(非主題)の部分か、という違いである。
本章前半では、表現主体(話し手・語り手)による表現が、聞き手に受け取られるとき、表出の受容者(聞き手・読み手)はどのような受容を行っているのか、話し手は聞き手のどのような受容を前提として発話しているのか。すなわち、日本語表現が機能する「場=言説空間」を考察し、日本語表現の中の<主体>の確認と自動詞他動詞表現について論じる。日本語は「発話状況・発話の場」を重視し、<発話主体中心の視点を通した表現>による言語であることを、日本語教育現場でどのように指導教育していくかを探る。
 本章後半では、特に、中国人日本語学習者の誤用を考察し、日本語言語文化における日本的思考法、表現法を確認し、学習者の理解に役立つ具体的な文法記述と解説を試みる。
日本語の統語問題の主な事項のうち、「主語・述語」、「自動詞文・他動詞文」、「助詞ハ」について、近年、大きな研究成果があがっているが、以下の点も省みていかなければならない。
(1)日本語教育テキストなどへの文法記述がまだ十分とはいえない。
(2)日本語教師による授業で、最新の文法記述を生かした指導が成功していない場合も多い。
(3)学習者の母語干渉の強弱が、母語ごとにどのように学習困難点をもたらすのかについて、研究はまだ不十分である。



第1節 非日本語母語話者・日本語学習者にとっての日本語の主語

1.1 主語の非明示
「ああ、悲しい」という表現において、「悲しい」と感じている「認識の主体」とそれを発話する「表現主体」が存在することは明白なことである。西洋語の<主語>とは異なる、ということを意識させた上で、日本語文に日本語文としての<主体>が表現されていることを、日本語学習者に示すことは、必要なことである。その<主体>を<主語>と呼ぶかどうかについては、注意を要するが、英語などの<主語>を常に必要とする言語を母語とする日本語学習者には、初級段階から周知していかなければならない。
 語彙コントロールされ文型を体系的に学んできた中級の日本語学習を終え、上級に進むと「生教材」と呼ばれる日本社会で実際に流通している新聞雑誌、単行本を取り入れた読解が増えていく。いわゆる「<主語>なし文」を読む機会も増える。日本語教師が学習者に「誰が言った言葉ですか」「誰が誰に何をしていますか」などの問いかけを繰り返して、いわゆる<主語>を明らかにしながら読ませるのは、中級から上級への移行期には、<主語>を一文ごとに明示してやらないと、誤解したまま読み進めて者も少なからずいるからである。
 英語など西洋語母語話者に、「日本語文は西洋語とは異なる統語法によって成り立っており、<主語>が明示されていなくても日本語の文構造談話構造を理解していれば、文の意味は明らかになる」ことを教え、<主語>が明示されていなくても文の意味が納得できるよう指導するのはもちろんであるが、最初のうちは「明示されていない<主語>」を見つける方法を知らせてやる必要もある。
 日本語は「行為者」を明示することがない言語であると、日本語に関する多くの論の中で指摘されてきた。英語との対照では多くの例文が提示されている。
(1)I have time. → 時間があります。
(2)I have a daughter. → 娘がいます。
(3)I want this car. → この車が欲しい。
 英語では主格「I」が示される文も、自然な日本語ではすべて「私」は明示されず、あえて明示するなら、(1)、(2)とも、「私には時間があります」「私には娘がいます」と、「私」を場所として扱い、存在場所を示す助詞「ニ格」をつけてから主題化(トピック提示)の副助詞(係り助詞)の「ハ」をつけることになる。(3)も、「欲しい」の主体を明示する
なら、トピック明示副助詞の「ハ」をつける。主格の「ガ」をつけた場合、「私が、この車が欲しいのです」などのように、「他の人ではなくて、この私が」という対比強調の意味を持つ文になる。英語では主語を有する他動詞文が、日本語では自動詞文(ある、ない、という存在文、また、欲しいという心的状態を表現する形容詞文)になっている。
次に中国語との対照を確認しよう。(例文は日本放送協会編初級中国語学習書『ニーハオ明明』等から。表示できない簡体字は、繁体字表記した)
(4)今天、你有几節課?→ 今日は何時間授業があるの?
  直訳:あなたは何時間授業を有しているのか?
(5)又是面条、我不愛吃。→ またおうどんか。たべたくないよ。
  直訳:またうどんです。私は食べたくない。
(6)晩上、給你包餃子。→ 夜はギョーザをつくってあげるよ。
  直訳:夜、あなたに餃子を与えよう。
(7)我有時間。 → 時間があります。
  直訳:私は時間を有している。
(8)我有女儿。 → 娘がいます。
  直訳:私は娘を有している。
(9)我想要这輌汽車 → この車が欲しい。
  直訳:私はこの車を欲している。

 中国語口語の主語省略について、補説を述べておきたい。文章語ではなく、日常会話などの口語において、中国語の主語は必要がなければ省略することができる。しかし、日本語口語が「私・あなた・彼・彼女などを言わない方が無標であり、私が、あなたが、など人を指し示す語を言う表現のほうが有標である」のに比べれば、中国語は口語でも「人称を言わないのが無標」とまでは言えない。
 映画の中の話し言葉なので、通常の口語とは異なるものの、日本映画の字幕から中国語への翻訳を森川(2009)によって紹介する。

たぶん煉炭自殺だ。
她可能是烧炭自杀的吧。Ta kenéng shì shaotàn zìsha de ba.

寒い車内で、発見がはやいとこうなるんだ。
死在寒冷的车内,只要发现得早,尸体就会是这个样子。
Sizài hánleng de chenèi,zhiyào faxiànde zao,shiti jiù huì shì zhèige yàngzi.

美人なのに……
她真是个美人,可惜了。Ta zhen shì ge meirén,kexi le.(『おくりびと』中国語版DVDより)

 口語であっても、日本語では人称明示がされていない部分を中国語では明示されることが多いとわかる。

 森田1998は、次のように述べており、なぜ日本語が<主語>の明示をしないのか、ということを非日本語母語話者に伝えるとき、有益な論点である。

  「時間です」も、文法的にそれら(筆者注:主語、目的語など)を補うことの不可能な場合である。(略)それだから、このような表現は不適格文というのではない。これで、立派に日本語として通用するし、日本人なら誰一人正しい日本語として疑わない。話者はあくまで外の世界を眺めとらえる主体そのものであるから、意識の外にある。もし文の中で「私は・・・」と主語に立てたら、「私は行きませんよ」のような、「他の人はともかく、この私は・・・」といった対比を取り立てていう意識が表にだされる。つまり、その「私」はもはや言葉を発する<己>自身ではなく、「他の人」と同列に並ぶ<素材化した対象>と化している。(略)日本語が比較的「私」の現れる率が低いといわれるのも、単に文法的に主語省略の可能な言葉だからというよりは、むしろ、自身の視点から対象把握がなされているために、己はあくまで表現者の立場で、わざわざ自身を客体化して文中の主語に立てるといった姿勢が取りにくい、そのような理由によるというほうが正しいであろう。(12-5)

 「日本語は発話主体を表面に出さないタイプの言語であり、発話主体が「私」という存在を文のうえに表示するのは、自己を他者として客体化して述べる場合であり、他者との対比が必要な場合などのほかは、発話主体を背景化するほうが自然な発話となる」ということを、非日本語母語話者に第一に伝えなければならない。日本語言語表現は、話し手・聞き手の間に、互いを「コミュニケーションの場にいる者同士」と認識するところから始まる。どうしたら「共通理解の場」が、話し手聞き手の間にできあがるのか。非日本語母語話者が、「共通理解の言語空間」をどのように構築していくのか。この「コミュニケーション成立のための情報」が不足している「非日本語母語話者」は、「単語はすべて知っている語であり、文法もわかっているのに、文の意味がわからない」あるいは、「日本語の文法規則にのっとって正しい文を表出したと思うのにもかかわらず、この文は日本語では言わないと、指摘されてしまう」ということを経験する。日本語教育者は、この問題に対処していかなければならないと思うのである。


1.2 日本語の主題「ハ」
 日本語の語られ方においては、<主題(話題)>+<題述(解説)>(発話者が情報の<主題(話題)>を聞き手に示し、その話題についての情報を提供すること)が表現の基本である。話し手聞き手がすでに知っていることを話題に出し、その話題についての新しい情報を伝えることが「話者が述べること」の中心となる。<主題>が<主語>を兼ねて表すことはできるが、<主語>とイコールではない。
 次に、<主題>の上に<主体>がどのように表されるかを見ていくことにする。
 行為主体が<主語>になる言語の母語話者に対して、「雨は降る降る、城ヶ島の磯に」「雨が降ります。雨が降る。遊びにゆきたし傘はなし」「だけども問題は今日の雨 傘がない」を比べて、「雨は降る」と「雨が降る」の差、「傘はなし」「傘がない」との差を解説したとき、日本語上級者になってもすんなり納得できる学習者は多くはない。
 文を三尾砂(1958)に従って、「現象文」と「判断文」に分けると、現象文は主語を「ガ格」で表す。「雨が降ります雨が降る」は、目の前で現象が起きている「できごと」に気づいたのであり、「雨は降る降る」は、「雨が降る」というできごとがすでに起きたあと、できごとが続いており、「雨」について判断している文である。城ヶ島全体を見渡し、すでに以前から雨が降り続いていることを「雨は降る」で述べているという違いになる。「傘はなし」は、傘というものに思いをいたしたとき、その不在を解説している判断文であるのに対して、「傘がない」は、今現在傘の不在に気づいた、気づき文=現象文である。しかし「降る」の<主語>は何か、というのなら、どちらも「雨」が<主語>であり、「降る」の<主体>ということになる。係り助詞「は」は主題を表す。話者にとって関心の中心に置かれるものの多くは<主体>になるので、「ハ」の前に主体が置かれるが、関心の中心が対象に置かれていれば、<対象>を主題として表現する場合もあることを、日本語学習者にわからせておく必要がある。
 日本語初級教科書SFJの文法解説では、「ガ」と「ハ」の違いについての最初の説明として以下のように解説している。(SFJ:103)

がmarks something that is introduced into the descourse for the first time.
 はindicates something with which both speaker and lisner are already familiar.
(例文)
 (コーヒー代を払おうとして)あ、お金がありません。(Oope, I haven't got any money)
  (ビールを勧められて)ビールは飲みません。(I don't drink beer.)

 このように初級の早い段階で、「ハ」で表される主題は、主体も対象も含むことを提示する教科書もあるのだが、先に「語頭にある語=主語」という理解をしてしまった学習者の場合、なかなか「主題=主語」という解釈から離れられない。
 学習者には「ハ」の機能として、次のことを徹底しておくべきである。
(1)主題は、話者の関心がもっとも強く向けられているものを示す。すでに話し手聞き手の間に出てきた存在が話し手の関心を向けているものである。ある話題について、話し手から聞き手へ新しい情報を伝えるとき、話題は「ハ」で示し、新情報は述語に示される。話者の関心は、行為・動作の中心になるものや、状態推移の中心になっているものに、向けられるので、主題の多くは主語と重なる。
(2)話者の関心が対象やその他のものに向けられたときは、それを話題に取り立てるので、主題がいつも主語ではない。
 中国語母語話者の作文例を紹介する。主題の「ハ」は誤用の多い助詞である。中国人母語話者の誤用例を見てみよう。

「そのため、父は亡くなってから、生活がくるしくなった。そのため、私は大学を退学してしまった。」「国の中で、老人は多くて、若者はすくないことは高齢国という」  「この問題が人によって、答えが違う」(以上、中華人民共和国学生の作文例) 
「小学校のとき、友達から一匹の子猫をもらいました。生まれたばかりの子猫がまるで玉のようです。でも母が反対するとおもったから、この子猫が廊下にかくすことにしました。あの日がものすごく寒かったです」(中華民国学生の作文例)

 助辞(助詞)「ハ」についてさまざまな機能が言及されているなか、竹林(2004)は、「ハ」に通底する基本の機能として「特立提示」をあげている。
 私の関心は、この「特立提示機能」の「ハ」と「ガ」を誤用する日本語学習者に、どのように説明すれば、「日本語の文」としてわかってもらえるのか、ということになる。私が続けてきた、日本語学習者の作文指導においても「ハ」と「ガ」のちがいについて「対比のハ」であるとか「主題提示のハ」であるとか、どれほど説明しても、まちがいは少なくならない。
 レシピにある「大根は千切りにします」や、交番の警察官が「泥棒は必ず捕まえます」と発言した場合、「ハ格」の名詞は、主題であって動作主体ではない。千切りにするのは料理者の行為によってであり、「捕まえる」の動作主体は警察官である。このことは、「料理者が大根を千切りにする」の「ヲ格名詞」「大根」が主題として取り立てられていること、「警察官が泥棒を必ず捕まえる」の「ヲ格名詞」「泥棒」が主題となった発言であることなどは、初級日本語学習者にも伝える文法項目である。しかし、それでも「ハ格名詞」を述語他動詞動作行為の主語であると思ってしまう学習者は多い。警察官が発話している「泥棒は必ず捕まえます」の文を「泥棒が何かを捕まえる」と解釈してしまうのである。


1.3 非日本語母語話者の読解における問題点
 非日本語母語話者が「主語がわからない」ととまどう日本語文の典型例としてよく引用される幸田文の『流れる』を例にとる。『流れる』の語り手/主人公は芸者置屋の40代の女中梨花である。引用の冒頭シーンは梨花が初めて置屋を訪れ、女中奉公にきたことを玄関先で自己紹介する場面である。

 『流れる』冒頭。
 (第1文)このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。(第2文)往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。(第3文)すぐそこが部屋らしい。(第4文)云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。(第5文)待ってもとめどがなかった。(第6文)いきなり中を見ない用心のために身を斜によけておいて、一尺ばかり格子を引いた。(第7文)と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮まった。(第8文)どぶのみじんこ、と聯想が来た。(第9文)もっとも自分もいっしょにみじんこにされてすくんでいると、「どちら?」と、案外奥のほうからあどけなく舌ったるく云いかけられた。

 イタリア系アルゼンチン人であるD.ラガナ(Domenico Lagana)が、日本文学を学び始めた頃のエピソードとして、日本語学関連の論述に何度も引用されるエピソードがある。ラガナ(1975)『日本語とわたし』に出てくる幸田文『流れる』を読んだ際に、冒頭部分を誤読した、という逸話である。たとえば、池上(2007)は、多田道太郎『日本語の作法』からの引用であるとして、ラガナの誤読をドイツの大学で紹介したことを述べている。ラガナの誤読を森田良行も紹介している。
 
ラガナは、第1文を次のように解釈した。
ある場所に家が一軒(あるいは数軒)在る。その家は現在では何か別のもの、おそらく別の家と相違していない(あるいは、昔と変わっていない)。だれかがだれかに向かってこう質問する。だれかが(あるいは、だれが)、あるいは何かが(あるいは、何が)、どこから入ったらよいか、と。(飛躍)。この家には勝手口がなかった。

 このラガナの解釈について池上(2007)は、能とベケットという研究のために留学中のドイツ人女性研究者も「わたしにも(幸田文の『流れる』が)わかりません」と言ったことにショックを受けたと述べ、次のように評している。

  ラガナ氏のつまずきの原因の一つに、文の<主語>への強い拘りがあったように思える。書き出しの部分は「このうちに相違ない」という所までで、確かに一つの<文>である。<文>であれば、西欧的な言語の常識で言えば<主語>があるはずである。(中略)西欧的な言語の常識からすると、文の<主語>はどこかに明示されているはずなのである。多分、こういう経緯があったのであろう。ラガナ氏が迷った挙句、到達した結論は「相違」が<主語>であるということであったらしい。(これはまた、私たちには不可解に思えよう。しかし、<相違が存在しない>という意味にとるならば、確かに「相違」が主語という判断は可能なわけである(261-63)。

 冒頭の第1文は「勝手口がなかった」と判断している者が「認識の主体」である。当然、「相違ない」という判断も同じ主体による認識を示している。表現主体(語り手)の認識を示していると考えて良い。第2文「往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。」まで読めば、「立った」の動作主体は誰か、ということを読者は意識せざるを得ない。動作主体が書かれていないということは、表現主体が動作主体であることが推察される。第3文は、「すぐそこが部屋らしい。」と、認識主体の推量認識がそのまま表示されている。このことから、日本語母語話者の読者は、認識主体=表現主体、すなわち、語り手は「私」であることがわかる。日本語で「らしい」という推量のモダリティを直接提出できるのは、表現主体その人以外にいないからである。第3者の判断を示すなら「彼女は、すぐそこが部屋らしい、と思った/と、考えた」という客観的判断文にしなければならないからである。第4文「云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。」では、「筒抜けてくる」という方向を示す表現が出てくる。声が自分の方向へ向かっているという移動を示す「~てくる」によって、この文の「視点人物」は表現主体=語り手であり、「私」が主人公であることは明らかである。
 <主語>の意志的な動作行為を表す「見る・聞く」に対して、意志的動作ではない、「見える・聞こえる」は、西洋語母語話者になかなか理解してもらえない表現のひとつであるが、「声が筒抜けてくる」も、「意識的に聞こうとしていないが、声のほうから自分のほうへやってくる」という感覚の表現を理解していれば、「声が筒抜けてくる」という表現一つで、この文の認識主体が語り手となっていることがわかる。これらの日本語の認識と表現を学習者にわからせないと、「このうちに相違ない」を「このうちに(他の家との)相違がない」と解釈することになるし、池上(2007)のように「<相違が存在しない>という意味にとるならば、「確かに「相違」が主語という判断は可能なわけである。」と、妙な納得をすることになる。筆者に言わせれば、「相違」を<主語>と判断をしてしまうような日本語教育を許してはならないのである。
赤川次郎(1998)は、ラガナが誤読した『流れる』第一文を、次のような日本語文に置き換える提案をしている。

  私が探してきたのはこの家に違いないけれども、勝手口がないので、どこから入っていいのか、わからなかった。

 これをさらに短く分け、また、語り手の心情を書き出した中間言語にしてみる。その際、文章の視点人物が誰かを、まず確認しなければならない。

  私はこの家が、自分が探していた家にちがいないと思った。しかし、私はどこから入ったらいいのか、わからず困ってしまった。何故なら、この家には勝手口(裏口)がなかったからだ。(自分のような身分(立場)の者は正面玄関から入るべきではないのだから。)

 説明を補った中間言語化によって、情景・状況を読者・学習者によりわかりやすく伝えることで、「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。」という文が幸田文のミニマルな文体、同時に日本語の特徴を示していることを理解させる。
この繰り返しによって、日本語学習者は「日本語文章は日本語のまま理解できる」というところまで到達することになろう。そこに至るまでの過程として、中間言語化は有効である。生教材、特に「主語なし文」の読解の最初は、「語りの視点」の理解と「認識の主体」の理解を中心に教授していくべきであろう。
 「勝手口がなかった」と認識している<認識主体>と読者の意識は一体となって冒頭の一文は読まれる。しかし、日本語を学び始めたばかりのラガナは、この一文の解釈に悩んだ末、「どこから入っていいか」の主語は「誰か」他の人物、あるいは「何か」であると考えた。誰が入ろうとしているのか、文の中から読み取ることができなかったのである。主語が明示されていないとき、文は発話主体が自己の認識を直接表現しているのだ、という日本語の基本を教わっていれば、「どこからはいっていいか」と疑問を感じている主体は、発話主体と同一であることを読みとれたはずである。
 川端康成の『雪国』冒頭の、「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」も同様の例であって、この文の主語は「雪国だった」ということを認識している<認識主体>である。主人公は「島村」と三人称で示されているが、冒頭の文は島村からの視点で語られており、「語り手=主人公の視点」と解釈して良い。読者は彼と一体となって状況を理解する。
 「視点人物の目を通して認識されたことが表現される」という基本を知っていれば、「この家に相違ない」という認識している者が視点人物であり、「勝手口がなかった」と認識している人物と同じであることが理解できる。
『流れる』視点人物の自称「自分」が出てくる第9文に至れば、「自分」と自称している人物の視点で述べられている文であることがはっきりするが、これを待たずとも、日本語母語話者は、視点の中心は小説の語り手/主人公であり、主人公が三人称で描かれているとしても、「視点人物」の意識に沿って読んでいるのである。第2文の「気がする」「玄関へ立った」第6文「格子を引いた」などの動詞は誰の行為であるかというと、視点人物(=語り手/主人公)の動作・行為である。
日本語文読解にあたっては、「表現主体(語り手)となっているのは、だれか。語り手の比定」「文の視点はだれからの視点か」「文の<主語>は何か、だれか」を学生に意識させることになる。


1.4 <主語>の見つけ方
 述語の<主体>が明示されていないとき、<主語>を探し出す方法がある。野田2004は、「日本語文の中に明示されていない主語」は、手掛かりによって推察できるために、明示される必要がなくなる、と述べている。野田2004は、文の<主語>は、(1)文末のモダリティ、(2)句の中の動作参与者の関係、(3)複文・連分の中での主語との関係、によって、明示しなくてもわかる、と述べている。
 また、久野(1978)は、『談話の文法』で、主題の「は」の非明示について述べている。以下、野田(2004)、久野(1978)などをもとに学習者に示す「主語」の見つけ方である。

(1)モダリティによって<主語>がわかる文
①命令文などの働きかけ文 命令「座りなさい」、「座る」の主語は聞き手。勧誘「いっしょに遊ぼう」。「遊ぶ」の主語は話し手と聞き手。質問「行くのか」の主語は聞き手。
②内面表現文。意志・感情・感覚・思考・希望という人の内面を表現した文の主語は話し手。「痛い」「行きたい」の主語は話し手。質問文では「痛いの?」「行きたいか」では①の原則によって聞き手。
③外面表現文。推量・推定・推論・様態・伝聞の主語は基本的に話し手以外。「*私はもう手配しているはずだ」「*私はこのあたりに住んでいるようだ」などは非文。
(2)句の中の動作参与者によって主語がわかる文
④尊敬表現の主語は原則として話し手以外「もう、召し上がりました」の「主語は話し手または話し手側の人」ではない。
⑤謙譲表現の主語は原則として話し手か話し手に近い側の人。「明日伺います」の主語は、話し手または話し手側の人。
⑥受益表現のうち「くれる」の主語は「話し手か話し手側の人」以外。
⑦実際の移動を伴わない動作の方向表現「~てくる」の主語は、話し手以外。「答えようのない質問をしてきた」は、動作が話し手に向かっていることをしめし、主語は話し手以外。
(3)複文・連文の主文からわかる主語
⑧主文と節で成り立つ複文の節の主語は主文と同じ。「小学生のとき、私は札幌に住んでいた」同時動作をあらわす「~ながら」、継起動作を表す「~て」の節の主語は主文と同じ「歩きながらたばこを吸った」「新鮮な空気を吸って気分がよくなった」
⑨連続する連文の場合、前文のあと、「それから、そして、そのあと、しかも」、などの接続詞が続くとき、後文の主語は同じ。「田中がドアから入ってきた。それから窓を開けた。」前後の文の<主語>は同一となる。「すると、ところが」などの接続詞では、前文後文の主語が異なると解釈される。「田中が後方のドアから入ってきた。すると窓を開けた」の後文の主語は田中ではないので、第二文の主語は明示する必要がある。「田中が後方のドアから入ってきた。すると山田が窓を開けた。」

 主題の「は」は、文章全体を統一する働きを持つが、一文ごとに明示する必要はない。久野(1978) は、主題「ハ」の省略について記述している。
(1)反復主題は明示する必要はない(三上章はこれを「ハ」のピリオド越えと名付けた)
 第一文と第二文が同一主題であるとき、第二文の主題は省略できる。
(2)第一文の主語と同一の主語が第二文の主題となるとき、明示する必要はない。 
(3)同一視点で続けて述べる文の前文と同じ主題は明示する必要はない。(104-124)

 以上、一見複雑に見えるルールであるが、文章読解指導を行う教師側が承知していれば、文の構造がわからなくなっている日本語学習者に「このように考えれば、述語の主体が誰
/何であるかわかる」と教えることができる。以下、読解例である。

  保元から平治へかけての世の移り変わりについてお話しするようにというお言葉を戴きましたのは、昨年の夏の初めのことであったかと存じます。(井上靖『後白河院』冒頭)

「私」という自称がまったく出てこなくても、「戴きました」という授受動詞、「存じます」という思考を表す語の表示によって、この小説の語り手は、一人称「私」に当たる人物だとわかる。

  シンポジウムが開催されるヴェネツィアの空港についたのは、正午ちょっとまえだった。ターミナルまで迎えに出てくれた、古くからの友人で、ヴェネツィア大学教授のアドリアーナが、そのまま、まっすぐに案内してくれたハリス・バーでの昼食は、大運河を一望する夢のような席を招待者側が用意してくれていて、それだけで、ああ、またこの町の人たちのすてきな芝居にくみこまれると、期待に胸がときめくのだった。(須賀敦子『ヴェネツィアの宿』冒頭)

 この冒頭の文も「私」は次の段落まで明示されていない。しかし、「空港についた人」は「正午ちょっとまえだった」と認識している人物と同一であるので、「語り手」視点であることは最初の文でわかる。「迎えに出てくれた」「案内してくれた」「用意してくれていて」などの授受動詞から、自称または自称側の人物の視点であり、受益者を明示していないということから、受益者は「語り手=私」である。「期待に胸がときめく」思いをしているのは、「語り手=私」である。
このように、日本語の文章は、読み手は語り手の視点の中に入り込み、語り手視点を受容して読解していくことを学習者に教授しなければならない。

第2節 自動詞文・他動詞文の誤用と対策

2010-03-01 11:18:00 | 日記
第2節 自動詞文・他動詞文の誤用と対策

2.1 これまでの研究の流れ
 明治以来、日本語文法研究は、西洋語文法との対比対照を主流として進められてきた。そのため、自動詞他動詞という概念においても、西洋語の「自他」の区別を日本語にそのまま適用したところから、混乱を招く結果も引き起こされてきた。英語などで、他動詞は直接目的語(対象格)を取る動詞をさす。英語の場合、多くの動詞が自動詞と他動詞との間に形態的な違いがない。“open”を例にとるなら、“I open the window.”と“The window opens."の動詞の形は、自動詞他動詞でかわりがない。日本語の自他の場合、「ヲ格(対象格)」を取る動詞が他動詞、ということになるが、日本語では他動詞「私は窓を開ける」と自動詞「窓が開く」は、動詞の形が異なり、「あける」は一段活用動詞、「あく」は五段活用動詞と、活用形も違っている。多くの他動詞は、ペアになる自動詞を持っていて、この自動詞他動詞のペアを早津(1987, 1989a, 1989b)は、有対自他動詞と呼んでいる。日本語の自動詞他動詞は、構文上の「対象格を有するか否か」ということよりも、「人的意図的な行為が発現しているのか」、「人為によらない、自然的状態や事態の表れ」なのか、という意味的な違いの研究がなされてきた。
明治時代に西洋文法が日本語研究の主流になる以前、江戸時代の国学者本居春庭(1763-1828)はこの自動詞の意味を「自ずから然る」と言い表した。本居春庭の自他の学説『詞八衢(ことばのやちまた)』(1829(文化5)年刊行)は、現代における認知科学に立脚した文法研究から見ても、日本語の自動詞文他動詞文についてのすぐれた知見を示している。近年では、池上嘉彦、森田良行らの日本語論が、自動詞文他動詞文、文の主体、文の視点などにおいて、有意義な論を示している。また、三上章も、『日本語語法序説』などに「日本語の主語は、西洋文法でいうところの主語とは異なる」という説を展開している。行為者を明示しない日本語の特質は、特に英語との比較においてさまざまな論が提出されてきた。いわゆる「日本語の主語無し文」論争である。三上章の一連の論述と、近年、三上の論を取り上げている金谷武洋(2002, 2003)の論など、論争は途絶えることなく続いてきた。
 金谷武洋(2002)は、三上説を援用して次のように述べている。

  日本語に自動詞文があふれている最大の理由は、存在文として表現することで行為者を消すことが出来るからなのです。こうした言語を母語とする我々は、積極的行為をとろうとしません。何か問題が起きたとき、英語話者ならなんとか手を打って対処してしまう状況下で、日本語話者は多くの場合諦めてしまいます。(161)

これは、日本語が持つ特質に日本人の性質を見る「日本語母語話者は、積極的人為的行動より、自然の流れにのることをよしとする→集団主義・ことなかれ主義」といった従来の「日本人論」と軌を一にしている。しかし、『「する」と「なる」の言語学』以来、池上嘉彦は、言語的特質と言語外の文化特質との関わりを安易に結びつけようとする「日本人論」には慎重な論を提出している。筆者も「する」型の西洋語に対して日本語が「なる」型を多用するのは文法的な事実であったとしても、「主語を明示しない日本語」から直接に「消極的行動」、「集団主義」、「非分析的思考」、「自然中心の哲学」などを結びつけることはできないと、考える。
 日本語学習者が読み取りに困難を覚える「日本語文の主体」について、誤用分析の報告などからの言及はさまざまにあるが、言語学・日本語学研究と、日本語教育実践の中で得られた知見とを重ね合わせるなかで、統一的に日本語の主体を考察していくという研究は多くはなかった。本節では、中国の赴日本国留学生予備学校での学生の日本語誤用を分析しながら、日本語主体の何がわかりにくく、何が読みとりを困難にしているのか、どのように指導していけば<背景化されている日本語の主体>を読み取っていけるのか、という点を中心に明らかにしたい。


2.2 中国人学生の誤用分析
中国人学生の他動詞文誤解を観察し、他動詞文の主語をどのように理解させたらよいのか、対策を探る。
 筆者は 2009 年3 月から7 月の間、中国に滞在し、日本文科省国費留学生に選ばれた中国人大学院修士課程修了者への日本語教育を担当した。赴任校は、中国吉林省長春市にある東北師範大学留学生教育部内に設置されている「赴日本国留学生予備学校」(以下、「予備学校」と呼ぶ)である。日本文科省と中国教育部の合同プロジェクトによって運営されている学校で、学生は中国全土の修士号取得者のなかから選ばれており、日本の大学院の医学、工学分野などでの博士号取得を目指している。
中国語との対照から日本語の<主体>を見る日本語学習者にとって、何がむずかしいのか、どのような項目の習得が困難なのか、考察する。特に、自動詞と他動詞の形態的な区別がない中国語母語話者にとって、また、語の文法上の意味・立場(主格属格与格などの格関係)が、英語と同じく語順によって示される中国語では、「我ウォー(私)」「他ター(彼)」を文中に明示するため、「私」「彼」などの文の主体を明示することがない日本語の読みとりが困難になっている、という点に焦点をあてて、考察を進めたい。
 本節で言及する中国人学生は、文法的には、動詞の自他の区別は習っているが、自動詞文は人・主語文がほとんどで、物・主語の自動詞文を使いこなすには至っていない。自動詞他動詞に形態的な区別がない中国語話者にとって、自他の区別は、発音の有声音(濁音)無声音(清音)の区別以上に難関である。また、授受動詞も、誰が誰に何をしてやっているのかという主体の省略がある場合に、誤用が多く見られる文法項目である。これまでの宿題として課した文法問題のなかから、誤用例を提出する。( )内の語は教授者の添削である。

(1)地震が(で)大勢で(の)人を(が)下敷きになってしまいました。
 自動詞「なる」他動詞「する」の区別がついていないために、「下敷きになる」を他動詞と混同したため、「地震」を主語ととらえ、助詞を間違えた例。

(2)あと5分ぐらいすると、お湯を(が)沸きます。
 どうしても、動詞の主体を「人」として考えるために、「湯が沸く」という自動詞表現でなく、「人が湯を沸かす」という他動詞表現を使おうとする傾向があり、しかも「沸く・沸かす」の自他区別がついていないため、助詞を誤用している。

(3)この薬を皮膚に塗っておくと、虫を(が)来ません。
 これは、条件文の前件の主語が「人」であるため、後件の主語も人であると考えたための間違い。助詞を「を」にするなら、「虫を来させません」という表現が成立するが、使役文はこの時点では未習である。

(4)家族のためにも、早く家をたてる(たてよう)と努力していますが、なかなか建て(たてられ)ません。
 「建つ・建てる」の意志形可能形の混同による誤用である。

(5)早く適当の(な)仕事を(が)みつかるといいですね。
 物主語「仕事」を受ける動詞述語は「みつかる」であり、人主語になると「人が仕事をみつける」となるのだが、自他動詞が区別できていないために誤用している。「人」を主語として立てたい中国語話者は「仕事がみつかる」という表現でなく「私(あなた)が仕事をみつける」という文のほうを好む。

(6)母は、洗濯物が干したままにしておいた(なっていた)ので、取り込みなさいと、私に言いました。
  後件の述語動詞「言いました」の主語は「母」である。洗濯をしたのは母である。条件文が入れ込まれており、洗濯物を主語とする「洗濯物が干したままになっていた」と日本語母語話者は解釈するが、非日本語母語話者は、文のすべての行為者が「母」であると考え、条件文入れこみの部分が「洗濯物が」と、物主語になっていることに気づかない。そのため、「洗濯物が干したままにしておいた」という誤文になっている。

(7)ごみや油をそのまま流れれば(流せば)管が詰まってしまいます。
 条件文の後件が「管が詰まる」という自動詞文であるため、前件が「ごみや油を」と、「を格」助詞が使われていることに気づかず、「人がごみや油を流す」という主体を見落としてしまう。そのため、「ゴミや油をそのまま流れる」と、自動詞を用いてしまう。「だれが」という主語を省略してある場合、省略されている主語を見つけだして的確に判断することは難しいと思われる。

(8)A:古い家具はどうしますか。
B:古い家具はリサイクルの店が(に)全部売ってしまった(しまおう)と思っています。
 Aのことばから、古い家具の処分をしようとしているのはBであることがわかる。学習者はそれに気づかず、家具を売るのは「リサイクル店」であると考えたための誤用。

(9)魚の新鮮な味が(を)とどめました。
 「(私たちが海鮮レストランで食べた魚は)新鮮な味をとどめていました」と、書きたかったのでしょうが、「とどめる」「とどまる」の混同によって、非文になっている。

(10)別便でCDを送りましたが、もうそちらにとどけた(とどいた)でしょうか。
 この複文前件の行為主体は<私>なので、後件の主体も<人>である、と学習者は考える。「前件 CDを送った 後件 CDを届けた」複文の前件後件の主体は同一の場合もあるが、異なる場合もあるということに留意せず、どちらの主体も「私」と見なしてしまう。前件でスポットライトがあたっているのは、「CD」であり、行為者の「私」は背景化している。後件ではCDが主題化された上に、背景化され、文の表面には現れない、という学習者にとっては、たいへんわかりにくい文である。
 上述の誤用例に加え、自動詞他動詞の選択において、筆者が担当日本語クラスで行った調査を報告しておきたい。筆者が教室内で利用しているステンレス製お茶ボトルを開けようと、フタを回す動作をする。「う~ん、開きませんねえ、困りました。もっと力を入れてみましょう。」力をこめてフタを回す動作。フタが開いたとき、「先生は、次にどう言うと思いますか。あっ、やっとボトルのフタ~、、、、、次に言うのは、どちらでしょうか。」
(A)あっ、やっとボトルのふたが開いた。
(B)あっ、やっとボトルのフタを開けた。
 18 人のクラスのうち、Aを選んだ学生はひとりだけであった。あとの17 人は、(B)「あ、ボトルのフタを開けた。」を選んだ。「開いた」を選んだ学生に、なぜ「開いた」を選んだのかたずねると、「先生が、自分で力を入れたから」つまり、他動詞「開けた」と自動詞「開いた」を逆に覚えていたのであって、結局全員が他動詞の「あ、開けた」を選んだことになる。かほどに、中国語母語話者にとって、「行為者の動作であることがはっきりわかっている事柄について、自動詞で表現する」ということが考えにくいことなのだということがよくわかる調査事例となった。

 日本語学習者にとって理解しにくい「行為主体の人称と述語」の例をもう一件提出する。

(11)1時間も待たせてしまったので、先輩は(を)怒らせてしまった。

 誰が怒っているのか。誰が怒り、誰が怒らせたのか。誤用した学生がどう解釈したのか、聞き取り調査をしたところ、以下の解釈がわかった。
 後件に「先輩」という人を表す語が有るので、主語はこれだと判断し、前件も「先輩」が主語であると考える。先輩が私を待たせた。私は待った。そして、私は怒った。学生の解釈では「(先輩が私を)1時間も待たせてしまったので、先輩は(私を)怒らせてしまった。」となったのである。
 授受動詞の間違いは非常に多く、「やりもらい」は日本語教育の最難関であるということを実感している。授受動詞文も日本語の主体と客体の捉え方と表し方に関わる。特に誤用が多い「くれる」、「くださる」は、他者を文の主格に据えて、自分への方向、自分の身内の方向へ行為が向けられた場合の表現である。「王さんは、私の妹に花を買ってくれました」において、中国語は英語のgive に当たる「給」を用いて「王給我的妹妹買了花」となるので、どうしても「王さんは私の妹に花を買ってあげました」となってしまう。「私は王さんに花を買ってもらいました(我王贈買花了)。」は間違いが少ないが。日本語では<話し手=発話主体>と<恩恵の受け手>の間の関係が重視され、身内であるなら、「自分と同一化している自己の延長」のなかにいる者として扱う。日本語の<発話主体>、<文の主体>、<延長された自己>などがどのように重層的に日本語らしさを成立させており、どのような表現が日本語学習者にとって理解の躓きとなるのかを、これから探っていかなければならない。続けて、授受表現の誤用例をあげる。

(12)姉が病気になったとき、近所の親切な方が姉を車で病院へ運んでいただき(ください)ました。その方にはほんとうに親切にしてくれ(いただき)ました。今、姉は元気になって退院しました。一度その方に元気な姉を見に来てください(いただきたい)と思っております。
(13)陳さんが申し出てやった(くれた)ので、この仕事は陳さんに手伝ってあげる(もらう)ことになりました。この仕事は大変なので、だれかもう一人手伝ってやり (くれ)ませんか。
(14)先生、このレポートを見てさしあげ(いただき)たいのですが。
(15)友達はナイフとフォークの使い方を教えてあげ(くれ)ました
第3者の感情表現に用いる「~がる」の場合はどうであろうか。
初級後半の日本語文型として、「~がる」を導入した。感情・感覚・心的状態を表す形容詞、たとえば、「うらやましい」は、「私は日本のゴールデンウィークがうらやましい」と言えるが、「彼は日本のゴールデンウィークがうらやましい」と言うことができない。(これは、オーソドックス日本語の場合であって、日本人でも若者世代においては「した
い」、「したがる」の区別が厳密ではない)。教科書の文法解説には、「私」以外の第三者を主語とする場合「彼はうらやましがる」と言わなければならない、と書いてある。「Aさんは、日本のゴールデンウィークをうらやましがっている」と表現するのが、オーソドックス日本語である。日本語は、発話主体自身の感情・感覚・心的状態を示す「私はうれしい」、「私は悲しい」に対して、感情の主体が発話主体ではない場合を峻別している
ことになる。
 森田(1998)は、この「~がる」について、以下のように述べている。

  場面依存的で自己視点中心に事物を捕らえていくという発想は、言い換えれば、話者が話題とする場面へ目を向けて、自身の目に映った姿として対象をとらえ、自己の主観として事柄を表す表現態度でもある。客観世界における第三者同士の事象を傍観的に記述すると言った態度とはほど遠い。動詞と形容詞とを比較したとき、形容詞、特に感情や感覚を表す形容詞は、主観的で自己の立場で事態を捕らえようとする傾向があります。それゆえ話者自身のことなら「(私は)うれしい」「(私は)寂しい」「(私は)痛い」と形容詞の文で表すが、これが三人称を主体とした表現だったらどうなるか。恐らく「彼はうれしがっている」とか「喜んでいる」「彼は寂しがっている」とか「寂しそうだ」そして「痛い」なら「あの患者はとても痛がっている」のように動詞で言い換えたり、「そうだ」をつけて事態を客体化しなければならない。形容詞に「がる」をつけると動詞に変わり、それが結果として心理状態や感覚を表に現す第三者の行為を傍観者として叙する発想となるのである。(19-21)

 担当した中国人学生は、「うれしい」感情形容詞を自己の感情の発露として述べるときでも、「私はうれしいです」「私はおもしろいです」など、「私」をつける表現が多かった。プレゼントをもらったとき、形容詞のみで「わぁ、うれしい。」というより「私はうれしいです」。ビデオ番組を見たあと、「私はヤンさんのビデオを見ました。私はおもしろいです」など。日本語の感情形容詞が、表現主体の感情をそのまま表現するモダリティを含むことを理解させる工夫が必要であった。一方、「~がる」は第3者の感情表現に用いることを指導した場合、次のような誤用も見られた。
 短文作りの練習文「母の話では、幼稚園の時、私は犬を―――そうです」について。後半に「こわい」の形を変えて記入し、文を完成させるという問題である。ほとんどの学生が「母の話では、幼稚園の時、私は犬をこわかったそうです」とまちがえて書いていた。「彼」、「彼女」など三人称のときは「~がる」を使い、「私」のときは形容詞をそのまま使う、と文法解説に書いてあり、そう教わったからというのが理由。この文で「怖い」という感情の持ち主は「私」。そして、「幼稚園のとき」は過去形になるから「こわかった」と、学生は考えた。教師から学生への解説。「こわい」など、心的状態の形容詞は、自分自身の現在の感情感覚について言う。その場合の助詞は「が」になる。「犬がこわい」。過去のときは「犬がこわかった」。「私は犬がこわかった」が、正しい文。しかし問題文は「犬を~」だから、「犬をこわかった」は、非文となる。問題文で「犬」を怖いと思っている<主体>は「母の話の中に登場した幼稚園のときの私」だから、この「思い出の中の過去の私」は、三人称として扱う。「現在の私が感じている感情」ではない。「こわがる」の助詞は「を」になるから、「幼稚園の頃の私は、犬を怖がった」になる。濁点の有無で、「こわかった」「こわがった」の主格が決まり、助詞が変わる。学生達は、主格対格を明示しない日本語文がわかりにくく、「幼稚園のときの私」のように、「私」が書いてあっても、「発話主体としての私」とは異なる「私」にとまどう。
次に、授受動詞文の読解事例を示しておく。次に、授受動詞文の読解事例を示しておく。『実力日本語』のロールプレイに、以下のような会話例が提示されている (85)。

 (女性客の訪問)
 客: ごめんください。
 佐藤:あ、よくいらっしゃいました。どうぞお上がり下さい。
 客: お邪魔します。あのう、これ、この間、国から送って来たものなんですけど、子供さんにお一つどうぞ。
 佐藤:まあ、どうもすみません。今度からこんな心配しないでくださいね。
 客: いえいえ、つまらないもので失礼なんですけど、、、、
 佐藤:どうぞ、こちらにお入りください。畳ですから、足をくずして、どうぞお楽に。さあ、何もありませんが、召し上がってください。
 客: まあ、すばらしいごちそう!
 佐藤:ご遠慮なくどうぞ。
 客: じゃ、遠慮なくいただきます。 
 (数日後)
 佐藤:先日はけっこうなものをわざわざ持ってきてくださって、ありがとうございました。
 客: いいえ、ほんの少しで。
 佐藤:いえいえ、本当においしかったです。家族みんなで喜んで、いただきました。東京じゃちょっと見たことがありませんけど、、、、
 客: ええ、季節になると、郷里からいつも送ってもらうんですよ。
 佐藤:やっぱり産地直送だから、新鮮でおいしいんですね。

 教科書執筆者の年代からみると、ごく平均的な贈答のあいさつを提示しているのだが、中国語母語話者にわかりにくい表現が連なっている。スライドで日本の家庭の玄関、居間などを見せたのち、ロールプレイを行ったのだが、「だれが、だれに,何を」しようとしているのか、理解するには、動作主体の理解も含めて注意が必要であった。「これ、この間、国から送って来たものなんですけど」という文は、「これ」がトピックとして提示され、贈り物についての説明がなされているのであるが、授受構文の「国から送って来た」の動作主体は明示されていない。客の故郷の家族親戚友人などが、客へ故郷の特産物を送り、客が受け取った品を訪問先の佐藤に提供している、という意味である。「送って来た」の動作の方向性がわかっていれば、贈答品の送り主は故郷に在住する客の知り合いであり、客はそれを受け取って佐藤の家に持ってきたことがわかるのであるが、初級後半の学生にとって、「国」というのは故郷のことを指すという語彙的な説明は理解できても、やりもらいの方向によって動作主がだれであり、だれが品物を受け取ったのか、という理解は高度な内容であった。「畳ですから、足をくずして、どうぞお楽に」というあいさつは、日本間のスライドや座布団に座っているようすのスライドを見せて解説したが、「何もありませんが、召し上がってください」と、日本的な謙遜のあいさつについては、「没什么招待的,别客气请慢用吧」という直訳ではやはりわかりにくいようであった。「けっこうなものをわざわざ持ってきてくださって、ありがとうございました」についても、「わざわざ」という語のニュアンスは微妙であるが、「特意」という中国語で理解できる。しかし、「もってきてくださる」という方向表現と授受表現が重なると、「もってくる」という行為が佐藤に向けられ、それに対して恩恵を感じたから「くださる」が続くのだということがすんなりとは理解できない。
(1) プレゼントに見立てた箱を持って学生Aが学生Bのところへ行く。「AはわざわざBのところへ行った」
(2) 学生Bは「Aが来てくれた」といって感謝する。という行動提示をクラスの前で実演して動作主の動作方向と恩恵授受の<主体>を確認した。
 初級日本語学習を終了し、中級日本語へと学習を進めると、「日本語らしい表現」が多くなっている。 一文一文を母語に置き換えるのではなく、日本語らしさを理解し日本語をそのまま日本語として理解するためには、「日本語母語話者がいかに<事象>を認知把握し、言語表出に際しては、どのように表現していくのか」という点を明らかにしなければならない。中国語と日本語の自動詞文・他動詞文の対照を行う必要もあるし、中国語で出てくる主語を日本語では言わないのだ、ということを初級よりもっとはっきり伝える必要もある。たとえば、「遅れてしまってすみません」という簡単な挨拶文。遅れて教室に入ってきた学生が教師に遅刻をわびるにも、「すみません、私は遅く来ました」と、学生は「私」を言いたがる。話者が、聞き手との間に了解ずみだと感じていることがらは、出来る限り背景化して表面には出さないのが日本語であり、その際もっとも省略されやすい語が話者自身である「私」であるから、「我」をひとつひとつの文につけているのを直訳したのでは、日本語表現としては「私」という語がわずらわしく感じられる。誤用例と対照させることで、日本語文を具体的に検証し、日本語が主語を背景化し、状態の変化、事態の推移として自己の周囲の事象を表現しようとする言語であることを伝える日本語教育を実践していきたい。森田(1995)は、前書きで次のように述べている。

受身文なら受身文、使役表現なら使役表現という具合に、それぞれ別個の言語事項として課が立てられ、教育が行われる。それでは言語現象が細切れになり有機的な結びつきはおろか、同心円上に日本語能力を拡大していく視点も、日本語の底を支える共通の思考様式もつかめないまま、ただ個別に言葉の形式的なルールを記憶していくだけの無味乾燥な言語学習となってしまうであろう。(x)

 筆者が日本語教育を実践するにあたって、まず心がけていきたいと思っていることのひとつが、ここで森田が言っている、別個の言語事項としての文型教育においても、授業者は常に日本語の底を支える共通の思考様式を意識しつつ、学習項目の定着をはかるということである。


第3節 翻訳と日本語文読解指導

3.1 翻訳の問題点
翻訳しにくいと言われている日本語文が、どのように翻訳しにくいのか、ということを考察していくことは、すなわち、非日本語母語話者が、日本語学習の過程で「生教材」と呼ばれる日本語文章を読解していくときの、内容読み取りの困難な部分の考察と重なる。
 統語が問題になっている翻訳の例として、繰り返し言及されている川端康成の『雪国』と大江健三郎の『万延元年のフットボール』をあげておく。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」は『雪国』の冒頭であるが、サイデンステッカー(Edward G. Seidensticker)は以下のように訳出している。

The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.

 英語訳では、「汽車」が主語・表現主体になっている。主述によって文が成立する英語では、主体の「汽車」が「came out」という「行為」を行うと表現せざるをえない。
 サイデンステッカーの英語訳を日本語に再翻訳してみると、「その汽車は長いトンネルから出て雪国に入った。大地は、夜空の下に白く横たわっていた。その汽車は信号所で止まった。」となる。サイデンステッカー訳は、英語母語話者に、情景を感知せしめるためには、わかりやすい訳だと言える。しかし、原文の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という日本語文が表出する、汽車と、汽車の座席に座っている主人公島村のイメージと、島村を描写する作者の視線が渾然一体となる描写は、訳出困難である。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という描写において、母語話者の読者は、描かれざる主人公をイメージしている。それでは、なぜ、このような描写が可能になりこのような表現が好まれるのか、ということが問題になる。動作主を「ガ格」で示してある現象文「太郎が卵を食べた」も、「雪が降っている」も、「誰が食べたのか」「何が降っているのか」という質問に日本語学習者は答えられる。日本語能動文上に<動作主>が<ガ格>で示されていれば、日本語学習者にとって動作主を見つけることはそれほど難しいことではない。しかし、主題文になると、「大根は千切りにします」「餅はこんがりと焼きます」「傘は小さく折りたたむ」の類を誤解する場合もある。中間言語として「調理者が餅を焼く/大根を切る」「使用者が傘を折りたたむ」と、行為者明示と対象の取り立てを解説しないと誤解してしまう学習者もいる。<経験主><状態主>はどうか。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「抜ける」の<主体>について、サイデンステッカーが「蒸気機関車」を<主語>として翻訳したことは、日本語母語話者の感覚によると、この文を読むと読者は視点人物と共に「汽車に乗ってトンネルを抜ける」という、トンネルの一方から一方へ移動する経験をしている。文の主人公は<経験主>として存在しているのだ。「抜ける」という動詞は、行為動作を表現しているのではなく、視点人物の「経験」を表し、トンネルの一方から一方へ移動するという経験のありかたを述べているのである。しかし、英語母語話者にとって、このような<経験主>を<主語>とするよりも、<動作主><行為者>を主語とした能動文が一般的な表現となるため、「I」を<主語>としてしまうと、「I」が実際の動作行為をしているように感じられてしまう。主人公の行動は、汽車に乗って外の景色を見るともなく見ながら座ってだけなので、<動作主>としての行動は「トンネルを抜けると雪国だった」中にはあらわれていない。そのためサイデンステッカーは蒸気機関車を主語とした能動文に訳したのである。
 大江健三郎の文体は、デビュー当時「翻訳文のような文体」と評されていた。フランス文学専攻の大江が、カミュ、サルトルらの文体から直接得たものを日本語文体にしていると。大江の代表作である『万延元年のフットボール』冒頭文では、「おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。」に見られるように「手さぐりは」という「ヒト以外のモノ」を題述文のトピックとしているが、こうした「モノ」を主語とする文は、本来の日本語的表現からはずれた表現だからである。「自覚が鋭い痛みに変わっていくのを(中略)意識が認める」なども同様である。また、関係代名詞節のような長い修飾語の多用などによっても、「翻訳調」とされてきた。しかし、翻訳と対照してみると、「翻訳調」と言われる文体もまた、日本語の特徴を如実に示していると思われる。

『万延元年のフットボール』[The Silent Cry]
<死者にみちびかれて>
夜明けまえの暗闇に目ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内蔵を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。力をうしなった指を閉じる。そして、躰のあらゆる場所で、肉と骨のそれぞれの重みが区別して自覚され、しかもその自覚が鋭い痛みにかわってゆくのを、明るみにむかっていやいやながらあとずさりに進んでゆく意識が認める。そのような躰の部分において鋭く痛み、連続性を感じられない重い肉体を、僕自身があきらめの感情において再び引きうける。
“In Wake of the Dead”
  A wakening in the predawn darkness, I grope among the anguished remnants of dreams that linger in my consciousness, in search of some ardent sense of expectation. Seeking in the tremulous hope of finding eager expectancy reviving in the innermost recesses of my being unequivocally, with the impact of whisky setting one’s guts afire as it goes down - still I find  an endless nothing. I close fingers that have lost their power. And very where, in each part of my body, the several weights of flesh and bone are experienced independently, as sensations that resolve into a dull pain in my consciousness as it backs reluctantly into the light. With a   sense of resignation, I take upon me once move the heavy flesh, fully aching in every part and disintegrated though it is. I’ve been sleeping with arms and legs askew, in the posture of a  man reluctant to be reminded either of his nature or of the situation in which he finds himself. (1)

 日本語文では、冒頭7行目に至るまで「僕」という語り手の一人称は出てこない。英文訳では、1行目からI grope~と、一人称が明示される。日本語文では、「目ざめる」のはだれか、感覚をもとめるのはだれか、意識を手さぐりするのはだれか、ということを不問にしたまま文章は進む。7行目に至ってようやく「そのような、躰の各部分において鋭く痛み、連続性の感じられない重い肉体を、僕自身があきらめの感情において再び引きうける」と、「僕」が明示される。しかし、日本語母語者である読み手は、最初の文から、動詞動作行為は、語り手(僕)の視線が文章を運ばせ、小説内事態を推移させているのだと、わかって読んでいく。「翻訳調の文体」と感じさせながら、実は、まったく「日本語文」の特徴を生かした周到な文章なのである。
 この感覚、目ざめる間際の意識と無意識を行ったり来たりしながら、自分の肉体の存在を確認し、自分が自分であることに意識を向けていく感覚は、最初から明確に「わたし」を出してしまったのでは、伝えきれないものがある。7行目まで延々と、だれがこの文の主体なのかわからないまま、明示されていない主体とともに、読者の意識が、表出された混沌とした意識を、文脈をなぞっていく。
 英文翻訳したとき、日本語表現の何がこぼれ落ち、何が見えなくなるのか、その構造上のずれを比較考察することが、日本語言語文化の分析につながっていくのではないかと思う。非日本語母語話者が、何を理解すれば、作者の意図した表出を受容できるのか、探っていく作業は膨大なものとなるが、日本語教授者は常に学習者の誤解を予測しつつ読解作業を続けなければならない。松岡直美(1989)は、以下のように提案している。

 日本文学の作品を英訳する際の困難は日本語の文章において主語の省略や語りの視点が絶えず揺れ動くことなどからきている。しかし、こうした日本語の特徴は「意識の流れ」小説の文体に非常に近いものである。この点に注目して、日本文学の英訳に「意識の流れ」小説の技法を利用する(538-45)。

 このような、英語翻訳への考察視点を、日本語教育の「日本語文章読解」の現場で生かしていくことをめざしていきたい。
日本文学読解を日本語学習者と共に進めていくとき、英語翻訳などで文章の内容を知っている学習者にとって、英訳がかえって「日本語としての文体」を理解するために障壁となる場合もある。英訳にたよらず、日本語文章を日本語として理解していく上で、何をどう指導していけばよいのか。翻訳を考えることが、ひとつのポイントになるであろう。
 表現として表れた内容を「表出の場」として、表現主体と読み手が互いに了解したとき、対話が成立し、読解が可能になる。話し手と聞き手が直接顔を合わせる会話の場では、発話者と聞き手を互いに認知し合う。しかし、表現主体の書き手と離れた場で受容作業を行う読み手にとって表現内容はワンクッションを置いた離れた場での受容となる。受容者が表出主体の表現意図を理解しなくては、表出は読み手に届かない。言語活動が成立するには、どのような共通理解が必要であるか、発話者の「場」を受容するために、聞き手として何を受容すればよいのか、読み手は何を了解して呼んでいくのか、基本的なことから探っていく。日本語は「主体と客体が、述語に表された事態の推移の中にあって事態の推移を経験(受容)している」という表現であること、客体(対象語/目的語/客語)は主体と対立するものでなく、主体と融合して事態の推移の中にある場の表現であることを日本語学習者が理解するのは、上級者になっても難しい場合もある。翻訳文との対照をしながら、川端、大江などの文の理解について日本語文読解の事例を考察する。


3.2 日本語文読解と翻訳文との比較
個々の作家の文体を分析し、日本語の特性がどのように表現されているのか見ていく。一例として、川端康成の『骨拾い』の冒頭の統語がどのように構成されているか、直訳文と対照しながら、分析する。
 日本語中級上級学習者が理解できる範囲のものを想定し、まだ日本語理解が十分でない中級学習者が英訳文だけで理解した気になってしまうことを戒めつつ、日本語理解を補いながら読解していく作業の一例である。イスラエル国籍の学生(父は、イスラエル建国後イスラエル国籍になって移住したイギリス生まれのユダヤ人、母はイギリス人。成人するまで母親とともにイギリスで育った)に対して読解授業を実施した時の教材例をあげる。 この学生は、千葉大学大学院で「写真」について学ぶために国費留学生として来日した。文章を写真のフレーム内に表現してみるつもりで、絵に描きながら読解をしていった。テキスト「上級日本語読解」のあと、生教材1として、川端康成『骨拾い』、星新一『ボッコちゃん』『おーい、出てこい』、村上春樹『図書館奇譚』などの読解を続けた。まず、日本語文をそのまま読み、情景を写真のように目に浮かべA3の紙に描きながら読み進めていったのである。どうしても絵が描けないというときは、補助として翻訳文を与えた。

・谷には池が二つあった。
 存在文の理解。谷を話題の中心にしていることを、学習者に理解させるには、映像表現を援用し、最初にカメラレンズは谷を映し出し、そののちに池へズームインする映像であることを伝える。The valley has two ponds.と、There were two ponds in the valley. どちらの訳が自分の印象に近いか、言わせる。

・下の池は銀を溶かして湛えたように光っているのに、上の池はひっそり山陰を沈めて死のような緑が深い。
The pond below shines, as if it is filled with dissolved silver, but the pond above sinks in the shadow of the mountain quietly and reflects deep green like death.
 初級で習った「対比のハ―ハ構文」を思い出させる。上空からの俯瞰カメラ映像を想定させ、ふたつの池を対比させて、日の当たっている部分と山の陰になっている部分を同時に映像化させる。

・私は顔がねばねばする。
As for me, a face is sticky. My face feesl sticky.
 表現主体の意識の中心は「私」の表出にある。話題の焦点は「私」である。私が私の一部分である「顔」を意識して自分自身の感覚を表出したのが、「私は顔がねばねばする」であって、「私の顔がねばねばする」というのは、「私」が「私の顔」を客観視し、客体を観察した結果を「私の顔」を主体として表現することになる。「私の顔は泥だらけだった」などは、自分の顔を鏡に映すとか、人から指摘されたときに客観的に顔に泥が付いていることがわかったのちの、客観的表現である。自分の感覚を述べるなら「顔に泥が付いてしまった」など、「顔」を自分の一部として主体と一体となっている存在として表現する。

・振り返ると、踏み分けてきた草むらや笹には血が落ちている。その血のしずくが動き出しそうである。
As I look back, I see blood on grass and bamboo leaves. The blood drops seem ready to move.
 ここも、「私」の意識のなかに映し出されている光景であることを考えさせる。草むらや笹にある血を意識し、「動き出しそう」と、とらえている「私」の感覚をとらえる。

・また、なまあたたかく波打って鼻血が押し出てくる。私はあわてて三尺帯を鼻につめた。仰向けに寝た。
The warm blood gushed out again from the nose. I hurriedly stuffed the nose with a waistband. I lied on my back.
 ここで、「私」の行為・動作が出てくる。「鼻に三尺帯をつめる」は、自分の動作が自分自身の身体に向けられており、他者に行為が向かう他動詞文とは異なる。「仰向けに寝る」は自動詞文。

・日光は直射しないが、日光を受けた緑の裏がまぶしい。
The sunlight does not come through directly, but even the back of green leaves are dazzlingly bright because of the sunlight.
 「まぶしい」と感じている主体は「私」であるが、この「私」は、「まぶしい」という感覚が発露する「場」である。


3.3 読解指導の要点
 文章を視覚化しつつ読解するという方法が、どの日本語学習者にもうまくいくとは限らないが、「私」という認識主体が文の表面に表れないこのような文において、絵に描いてみると、山道に「私」が存在していること、「まぶしい」と感じる認識主体が、存在していることがよくわかる。そこにいても、日本語文では「私」を言語化しないほうが自然な表現であることをわかると、この後の読解は順調にすすみ、日本語文を日本語文としてそのまま理解させることができた。
 読解の最初は翻訳や中間言語化による内容理解を行うのも、ひとつの方法である。しかし、日本語学習の上級者ともなっていれば、日本語を日本語のまま理解していくために、ひとつひとつの「わからない」点を読みとっていく作業が必要になる。日本語表現の基本をしっかり押さえておくことが、内容の読みとりにもつながるのである。



第3章まとめ
 以上、実践例に基づいて日本語教育において<主体>、<主体性>について、日本語学習者にとって躓きとなる、自動詞他動詞の<主語>の誤用、授受動詞文の<主語>と<受益者>の誤用を見た。また、表現主体の視点がどのように表示されているかを理解することにより、明示されていない<主体>をわからせるための指導法について述べた。
 日本語学習者は、日本語の表現方法を学ばせることにより、誤解しがちな自動詞文他動詞文の主語、授受表現も理解できるようになる。読解において翻訳を補助的に用いることを否定するものではないが、「場面を絵に描いてみる」などの方法を用いることによって、日本語表現をそのまま受容することも容易になる。日本語を日本語として理解し味わうことは、日本語を母語としない者にとっても可能なことであると、日本語教育を通して主張することができる。
 「はじめに」で示した日本語教育における問題点を3点指摘した。
(1) 日本語教育テキストなどへの文法記述がまだ十分とはいえない。
(2) 日本語教師による授業で、最新の文法記述を生かした指導が成功していない場合も多い。
(3)学習者の母語干渉の強弱が、母語ごとにどのように学習困難点をもたらすのか
(1)と(3)の2点について、研究はまだ不十分だと言わざるを得ない。今後の日本語教育の進展に待たねばならない。しかし、(2)の問題点においては、教師それぞれの指導力によって学習者の読解力を十分に伸ばしていくことのできる文法指導が可能であるとの確信を得た。
筆者は、2011年に中国で発行される日本語教科書『南京大学 日本語会話』、『東北師範大学 新概念日本語中級読解』の執筆者として会話スクリプトと読解本文を担当したが、今後は、1)2)の面でも日本語教育に貢献できる道をさぐることがの課題となる。これからの日本語教育に、文法研究言語文化研究の成果を反映していきたい。