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日本語・日本語言語文化・日本語教育

第1章 日本語における<主体.>と<主体性>

2010-04-24 23:16:00 | 日本語言語文化


第1章  日本語における<主体.>と<主体性>


はじめに
 近代以後、日本語の文法研究は主として英語などの標準ヨーロッパ語1(以下西洋語と略す)との対照によって進められてきた。西洋語文法の枠組みの中で研究されてきた近代以後の日本語について、西洋語文法の見方そのままで日本語を解釈した上で、「主語のない文は行為主体を明確にしていない」とみなす論者が、現在でも存在している。日本語学研究で進められてきた「主語論」の内容は、一般に浸透しないまま、「<主語無し文>は主語の存在を曖昧にすることによって行為の無責任性を表す」というような日本語観が流布しつづけることは、グローバル化が進む世界的次元でのコミュニケーションにおいて誤解を引き起こしかねない。日本語は西洋語とは異なる論理と統語のもとに構成されてきた言語である。西洋語文法でいう<主体・客体>、<主語・述語>という枠組みとは別の視点で日本語を読み解いていく必要がある。
 「日本語は、状況を把握し、表現主体(話し手・語り手)と表現受容者(聞き手・読み手)の関わりを考慮しないと理解できない」とは、日本語学習者が、ある程度日本語学習が進んだ段階で言う言葉である。非日本語母語話者が、「主語とみなされる語を補って英語翻訳などに置き換えてから理解する」という方法に頼らず、日本語を日本語の論理のなかで理解していくためには、何を教授し何を理解させればよいのかということは、まだ十分に日本語教育に提出されているとはいえない。日本語の<主体>の問題について、述語表現、題述関係などを俯瞰し、考察していきたい。
近代以後の西洋文化、欧米的思考においては、<主体>と<客体>(=他者)とを分けて認識する思考方法のみが有効とされてきた。<主体>は<客体>に対し行為作用を行い、<主体性>をもって<客体>を変化させていく絶対的存在とみなされていた。しかし、近年、<主体>は他者との関係性において認識されるようになってきている。「主体は独自に優先的にあるのではなく、多様な要因によって形成される何か」であるというジョナサン・カラーの説明は、欧米的思考が変化してきたことを明らかにしている。だが、一般の日本語学習者は、まだ西洋語の論理によって日本語を見るため、日本語が理解できなくなることも多い。日本語教育にあたっては、日本語の論理を明確にし、西洋語とは異なる論理が存在するということを学習者に伝えなければならない。
 本章では、日本語の<主体>と<客体>の関係がいかに言説化されているかを考察していく。日本語の述語に対して<主語>の関わり方は、「主語優先」ではない。述語内容が実現する場として、<主体>と<客体>が合一的に述語に向かう日本語の再帰的他動詞文の理解は、日本語学習者に<主・客>の関係を日本語の論理の中で考えて行く場合に有効である。「主体が客体に対して行為を加える」ことを述べるだけが<主・客>の表現ではないことを教えることができるからである。
 本章第1節では、日本語の<主体>と<客体>の関係を確認する。日本語は述語の内容の実現の場とする<主語>を持つが、<主語>は背景化されることが多い。表現主体が表現の場において話し手・聞き手を「発話の場に存在する者」と認識して表現するとき、話し手・聞き手の自明性によって、それらを明示する必要はないからである。西洋語では、聞き手に対する命令文のみ<主語>が背景化するのだが、日本語では命令文以外の肯定文、否定文、いずれも<主語>を背景化することが可能である。第1節では、世界の言語との対照から、<主語>を明示しなければならない西洋語のほうが言語としては特殊な表現方法をとっているのだ、という観点から日本語の<主語>を考える。
 第2節では、再帰的他動詞文の<主・客>を中心に扱う。<主体>と<客体>が「全体・部分」の関係を持つとき、他動詞述語の内容は<主体>から<客体>へ行為作用を及ぼすという典型的他動詞文から外れていき、段階的に自動詞文に近づいていくことを考察する。また、授動詞文や受身文の<主体>と<客体>について考察する。<客体>の格マーカーを精査することにより、<主・客>の関係が明らかになることを述べる。
 第3節では、現代日本語を母語とする者の文法意識を探り、日本語を母語とする者の多くが西洋語論理を日本語に適用し、「主語のない日本語」を「行為の責任を明らかにしていない」と考えていることを検証する。



第1節 日本語における<主体>

1.1 認識の<主体> 
本節では、まず、日本語における<主体>および<客体>と、これらの関係性を確認する。<主体>は、ヘーゲル以後、言語学哲学上の「発話の<主体>=表現主体」として扱われてきた。本論においても、<主体>は発話がなされ、ひとつの表現が出現していれば、その発話を行ったものを表現主体として認める。「ああ、暑い!」「水!」という発話が為されたら、「暑い」と感じ認識した<主体>、「水」という一語文によって、「水が欲しい」または「水が飲みたい」と要求している者を<主体>と認める。表現主体が発話していることは自明のことであり、日本語は、発話者が「今、ここ」の現場で臨場的に感覚や体験内容を述べることを表現の中心にしている。本論において、日本語は「<主体>と<客体>が、述語に表された事態の推移の中にあって、<主体>が事態の推移を経験(受容)している」という表現であること、<客体(対象語/目的語/客語)>は<主体>と対立するものでなく、<主体>と融合して事態の推移の中にあることを述べる。日本語では、<主体>が文の<主語>として表されている場合もあり表されていない場合もある。また、<主体>の感覚や意識が向けられている<客体>が表されてる場合もいない場合もあり、<客体>が<主体>の一部分として融合して発話される場合も含めて、<主体><客体>を認めるところから論を始める。「あ!あそこ、犬が走っている」という文は、「表現主体(発話者)は、犬が走っているという現実を認識したということを、聞き手に伝える」という内容を含んでいる。表現主体と聞き手の存在が明らかであるとき、認識した者や伝達した者を表現に付け加える必要はない。「あ、犬が走っている」という文の表現主体は発話者であり、発話者は、発話内容を受容する聞き手を想定して伝達行為を行う。発話主体や伝達主体は文に明示されることはないが、存在している。認識され伝達された発話内容の<主語>は「犬」であるが、述語の「断定・非過去・動作継続アスペクト」や感動詞「あ!」場所指示の「あそこ」の選択に、表現主体の認知し伝達しようとした<主体性>が表れている、というのが本論の立場である。
 日本語文には、発話の背後に認識の<主体>が置かれている。「あ、雨」という発話があれば、雨を認識した<主体>がそこに存在していると認める。「雨が降っている」という認識があれば、そこにはその認識を持つ<主体>が存在し、その<主体>は、雨によって何らかの影響変化を受けているのであるから、それを言語的に表現できる。「昨夜、雨が降った」という発話に対して、雨が降ったことを認識した<主体>が、雨を日常的に<主体>に直接関わる存在と認めたとき、雨によって影響を受けたことを「昨夜、雨に降られた」と、受身文で表現できる。これは、日本語の発話にとって、「事態を認識している者」の存在を常に意識し、「発話している者」「認識している者」の存在を重視するのが日本語文であるということの表れである。
 英語などの西洋語ではどうか。<主体(主語)>から<客体(目的語)>への行為動作を表す他動詞文に対して、行為を受ける<客体>を主語にした受動文が成立する。しかし、自動詞文には目的語<客体>が存在せず、行為動作を受ける者が存在しない。したがって、自動詞文では、受動文が成立しない。このことからも、日本語が意味する<主語><主体>と西洋語の<主語><主体>は性質が異なっていることがわかる。
 subjectを<主語>としたのは、辞書『言海』編纂に当たって『廣日本文典』(1897)を著した大槻文彦の翻訳をその魁とする。しかし、当時は西洋文法も研究発展期であり、未成熟な西洋文法を、統語法が異なり言語類型の異なる日本語に当てはめようとした大槻文法は、黎明期の基礎を担うものとなったとはいえ、不十分な面を残す論であった。西洋語の主語と日本語の主語を同一平面で扱おうとしたために、subjectの理解においても、日本語にはあてはまらない事柄に対して十分な文法記述ができなかった。
 西洋語文法では、subjectにもともとは存在していた情報伝達の<話題>という機能が失われて「文の<主語>」という意味を担うのみになった。subujectが日本語文法に取り入れられたのは、<主語>の意味だけになったあとである。日本語には、「主語+述語」という文の形式のほか「話題(トピック)+説明(コメント)」という文法形式がある。言語情報の面からは、西洋語とは異なる表現をしているのが日本語である。係助詞「ハ」が提題機能を担っており、西洋語と文の組み立て方の意識が異なっているのである。トピックとして文にある語は<主語>を兼ねて表現できる、とした上で、本章では、<主体・客体>の確認ののち、他動詞文の<主体>と<客体>の関係について、<主体>と<客体>が所有所属主宰関係にある再帰的他動詞文を取り上げ、他動性と完結性(限界性)を中心に考察する。


1.2 日本語文法から見た<主語>

1.2.1 類型論から見た日本語の<主語>
 松本克己(2006,2007)によれば、「命令文を除き、その表層構造に主語を含まない文は文法的に許容されない」という言語のタイプは、世界に三千から六千あるという言語の中で、少数派である。少数派であるにもかかわらず、近代以後、産業革命をいち早く成し遂げたイギリスの19世紀世界覇権、自動化産業と情報を制したアメリカの20世紀世界覇権によって、英語は世界共通言語としての地位を獲得した。西洋語にSVOという語順が確立されたのは13世紀以後であり、<主語>という概念が文法理論において確立したのも、同時期とみなせる(松本2006:264)。日本語と英語のみを対照して「日本語の主語は明示が義務的でない」と表現するのは、英語中心主義による日本語の姿であって、世界的な言語類型によれば、「主語明示が義務的でない」ほうが多数派であり、文法記述において、<主語>という概念を提出せずに述べることも可能である。以下、松本(2006)の論述である。

 古英語や初期中期英語の非人称動詞などは、もともと<主語>を明示しなくても許容され、文として存在していたが、1500年代までに現代英語の形に取って代わられ、次いでフランス語ドイツ語も同様の変化をたどった。現代英語はSVOの語順をとり統語上厳格な文法項目となっている。この「語順により統語関係を表す」という文法規則は、現代ヨーロッパ諸語に表れているのみで、世界の他の言語圏ではほとんど例を見ないものである。
(中略)。
  西欧の伝統文法で最も重要視される<主語>という概念も、結局のところ、ヨーロッパという特異な言語的土壌が生んだ地域的所産にすぎないと言ってよいだろう。
(大西洋地域)の諸特徴は、全体としてこれらの言語に「行為者優位性actor predominancy」と主語顕著性subject promminency」という類型論的にきわめて特異な性格を付与する結果となった(118-21)。
  世界言語の精査によって、日本語は「類型論的にみるかぎり、特異な言語であるどころか、世界に最も仲間の多いきわめて平均的かつ標準的な言語である。言語の世界で特異な位置を占めるのは、むしろ西洋の近代諸語であって、ここでは日本とうらはらにおのれの言語を全世界の標準と見るかたくなな迷信が、最先端の言語理論家のあいだにさえもはびこっているのである(167)。

 松本(2006)の指摘のように、日本語は日本語の論理の中で考察すべきであり、日本語の<主語>も日本語の統語の中で認めていかなければならない。
ここで、現代において成立しつつあるクレオール言語2、シングリッシュの事例を確認しておこう。シンガポールにおいて、地元のマレー語や客家語が英語と融合して成立しつつあるクレオール言語をシンガポールイングリッシュと呼ぶ。いわゆるシングリッシュである。シンガポール政府は、このようなシングリッシュについて「文法を正しく使えない、劣った英語」と見なされることを嫌い、学校教育ではクイーンズイングリッシュを徹底していくとしている。しかし、現実社会では、自然発生的共通語としてシングリッシュが話されている。シンガポールは、タミル語、マレー語、客家語、英語を公用語とする多言語社会で、さまざまな母語話者が混在している。「民間共通語」シングリッシュが使われ、独自のクレオール言語が発達している途上であるといえる。
 前夜のパーティに出席したある人が、欠席した人に「ゆうべ、何で来なかったの(姿を見せなかったの)?」と、欠席理由を聞くシーンで、話者は聞き手に、「How come never show up?」と質問する。3 このシングリッシュには、英語ならあるはずの主語がない。主語がなくても、互いにコミュニケーションがとれるからである。「文に主語を明示しない」のは、日本語だけの性質でもないし、「狭い共同体のなかで、互いにわかりあえる人とだけコミュニケーションをとればいい」からでもなく、言語のひとつの型として、英語などの西洋語とは異なる型の言語も存在する、というそれだけのことである。語順が日本語と同じ韓国語(朝鮮語)でも、主語の省略は会話のなかに自然に成立している。
 近代以後の西洋文法において、主語の定義は単純明快なものである。
 デカルト派言語学・ポールロワイヤル文法4 の定義によれば以下の通りである。

  あらゆる文(proposition)には、それについて何かが述べられるところの主語と、何かについて述べられたものである述語とが存在する。

 また、ポールロワイヤル文法を高く評価しているノーム・チョムスキー(1965)は、以下のように定義する。

  主語はS(文)に直接支配されたNP(名詞句)、同じく目的語はVP(動詞句)に支配されたNPである。

 しかし、松本(2006)は主語という概念を出さなくても成立する文法論について以下のように述べている。

古代ギリシアの文法学や古代インド文法学においては、主語という概念は欠如していた。古代インド語文法家のパニーニは、主語という概念なしに、名詞の格関係(karaka名詞の格語尾)によって記述している。動作主・使役者・直接的な目標(対象)・達成手段・直接目標の関与者・分離出発点・場所」が、動詞を補足し限定するものとして、動詞=被修飾語に対する修飾語の関係として記述されている。また、アラビア語文法においても、主語という概念は統語的なカテゴリーとしては表れず、動詞文における動作主と、名詞文における主題mubtada'が文法化されている(229-75)。
 
<主語>を提示しなければ文が成立しないというのは、西洋語の特殊な文法形式なのであって、決して世界の言語の普遍的な姿ではないということである。日本語は、談話機能的に文構造を表す、<トピック=主題>と<コメント=解説・題述>が、係り助詞「は」によって文法化されている。主語述語という「依存関係による統語構造」を優先する言語と、談話機能の「主題・題述構造」を優先する言語があるうち、日本語は「談話・情報」機能の明示を優先するほうの言語である。西洋語には「情報の主題」を述べる文法的機能を持つ語は存在せず、語順によって主語と主題を兼ねたものとして表現するしかない。「As for ~」などの二次的な手続きでしか「話題の中心」を表示できない西洋語は、日本語やシンハラ語などの話題の中心を<主題>としてそのまま表示できる言語に比べると情報提示の上では不自由な言語である。
 西洋語の<主語>は、三つの機能が融合したものである。
(1)談話機能上の<主題>
(2)名詞の格表示における主格と対格を失ったSAEが、格表示の代償機能として文の位置関係で語の関係を表す<主語>によって、<述語>への関係を表示する。
(3)動詞の人称語尾によって動作主表示を行う代用として、語頭の語を主語とすることによって動作主を表示する。
 「主語・述語の依存関係」という統語概念とは異なる表現をする言語から見ると、西洋語文法において、<主語>概念を、文法主語、心理主語、論理主語に分ける考え方も、主題表示や格表示を失った西洋語が、主語の中になにもかも投げ込んでしまったがための区分なのである。
 日本語は、<主題>を表す文法的表示「は」と、<主格>を表す「が」を別のものとして明示できるのに対し、西洋語は、この談話機能上の重要な項目を「語頭に出ている主語は主題を兼ねて表示する」という曖昧な表示に変えてしまった言語である。談話機能と名詞の格関係(文の中の意味)を無視して<主語><述語>の統語関係だけを明示する西洋語は、世界言語の中では特殊な言語と言わなければならない。
 日本語で「財布」に話題の焦点があるとき「この財布は、座席の下で見つけました」と、財布に話題を表す「は」をつけて述べればよい。しかし、フランス語では「Ce portefeuille, je l'ai trouve sous mon siege. となり、「この財布はどうしたかというと、それは私が座席の下で見つけたのだ」と、あくまでも「je」の行為を述べる文として表出される。
 松本(2006)は<主語>に関して以下のように述べている。

  「主語は、結論として、普遍的なカテゴリーとしての構文の理論の一部とはならない。主語は、その起源のとても複雑で異質な概念で、非常に限られた数の言語だけの表面の統語的な現象として現れる。したがって、そのような言語の観察だけに基づくどんな統語的な理論でも、完全に再検討される必要がある。どのような意識においても主語が普遍的であると主張するならば、再検討を擁する(277)。

 人類言語にとって西洋語文法でいう主語が、文法的な概念として決して普遍的なものではない、という認識に立って、日本語の<主語>を見ていくべきであろう。
 松本(2007)は、世界言語の類型の中で日本語の<主語><主題>の位置を解明した点で重要であるけれど、それでは日本語はなぜ「行為者が行為を行う」表現より状態主を中心にして「行為の結果の状態」を述べる表現が多用されるのか、については述べていない。本論では「状態の完了を伝えるには、自動詞の完結性(テリック)が必要なためである」と考え、この点については、後述する。
 日本語の<主語>が英語など西洋語の<文に不可欠な主語>とは、異なるものであることを、日本語教育において学習者に混乱なく理解させるには、<主語>や<主題>をどのように扱えばいいのだろうか。
まず、日本語の<主語>を確認し、次に、日本語の自動詞文と他動詞文において、<主体と客体>の関係について、いくつかの特徴を見ておきたい。

1.2.2 日本語の<主語>
 日本語の<主語>についての論争は長く続いてきた。三上章が「西洋語で用いられている意味での主語は、日本語文にはない。あるのは主格補語だ」と論じたことから「主語廃止論」が拡散し、「日本語には主語がない」とする論も現れてきたが、日本語は西洋語のように「<主語・述語>が文法的な依存関係にある言語」とは異なるのであって、日本語に<主語>がある、ないということではない。主語否定論は、「日本語は述語を中心とする言語であり、主語とは述語の従属成文のひとつであって、他の連用修飾成文と同じであるから、<主語>という特別な文法カテゴリーは必要ない」という論である。主語に関して、三上章のほか、橋本(1946)、時枝(1950)、渡辺(1964)、北原(1981a)らが主語肯定、主語否定を主張してきた。5
 「述語を補う補語」のひとつが<主語>であると見なすことは、認知の過程で言えば、目の前を何かが横切ったとき、最初に「飛んでいる」という移動現象をとらえ、「何かが飛んでいる」と認知したのち、「ああ、あの移動している物体はハエだ」と認識して「ハエが飛んでる」と表現するということである。だが、我々の認知の過程において、目の前を何かわからないものが通り過ぎたとき、最初に認知が向けられるのは「何?」である。「飛ぶ」という移動現象だけを認知したのではなく、「何かが飛ぶ」という「何か」という認識を含んだ「飛んでいる」現象の認知なのである。「雪がふってきた」と表現するのは「雪」という物体を認知した表現である。英語のように文の構成要素として必須である主語と日本語の<主語>は、文法的性質が異なる、ということは重要であるが、日本語の<主語>の性質が英語の<主語>と同じである必要はない。日本語においても日本語母語話者が<主体>を認知している。他の文法的要素、対象や場所や時間などの認識よりも、動詞で認識される事態の中心にあるものが他に優先して認識され、それを言語的に表現したものが<主語>であることは認めておかなければならない。
 本論において、筆者は日本語文に<主語>は存在するという立場で論考している。ただし、それは西洋語のいう「述語に依存した主語」「主語がなければ文が成立しない」という類の主語ではない。

1.3 日本語の自動詞文と他動詞文の<主語>

2010-04-17 14:11:00 | 日本語言語文化

1.3 日本語の自動詞文と他動詞文の<主語>
 日本語は行為者の行為を述べるより、自己をとりまく事態の推移を語る言語である。このことは池上(1981)ほかで言及され「日本語はスル言語ではなくナル言語である」と紹介されてきた。行為者を主語とする他動詞文より、事態の推移を語る自動詞文、話題主についての説明をする題述文が多用され、一人の行為主体が客体へ行為を加えるという表現は好まれない。お茶が用意されたことを伝えるのに、「私がお茶をいれましたから飲みましょう」ではなく、「お茶がはいりましたよ」と伝える方が自然な表現として受け入れられる。「お茶が入りました」には、行為主体は明示されない。しかし、それをもって「行為主体のないナル言語は、責任の所在をはっきりさせない言語である」というような見方をする論述は、不適切である。「行為者を主語としない表現を多用するのは行為者の責任を明らかにしていないからだ」というのは、日本語表現の論理を西洋語の文法によって解釈しようとする安易な日本語論なのではないだろうか。「日本語と日本文化」論においてしばしば言及される「主語無し文=無責任文」という見方がまだまだ日本語言語文化においても根強く残されていることを、第3節において見ていく予定であるが、まず、日本語の<主・客>の表現のされ方を考察したい。日本語他動詞には、さまざまなタイプが含まれる。「他動詞」内容を実現する場として<動作主体>を置き、「客体・ヲ格補語」に行為を加えることをプロトタイプとするとしても、他動詞文が常に「行為の実現」を意味しないことも考察しなければならない。他動詞文も、日本語の論理のなかで表出された表現であり、自動詞文と同じように「事態の推移」を描く場合もあるし、行為を客体に加えて変化を実現する、ということを表現する場合もある。お茶の出来上がりを伝えるのに、「お茶がはいりました」と自動詞文として表現しても、それが「自主的主体的な行動を文にあらわさない」と見なされることは、日本語にとって不本意なことである。「お茶」を文の中心にしているのは、表現主体にとってもその発話を受容する聞き手にとっても、「お茶」が表現主体と聞き手の関心の中心として受け止められるからである。伝達の主体と受容者双方にとって、「行為者」を前景に持ち出す必要がなければ、もっとも中心となる存在を文の中心として選ぶのは、自然な表現である。日本語の<主語>に関し、表現主体(話し手・語り手)による表現が、聞き手に受け取られるとき、聞き手はどのような受容を行っているのか、非日本語母語話者の日本語学習者に伝えるべきは、「明示されない主語を補って文を理解すること」よりも、日本語を日本語の論理で理解していく、という点である。「お茶がはいった」という事態は、お茶をいれた行為者を背景化し、お茶を出来事の中心として述べていること、さらに語用論としては「お茶を飲むことの勧誘」を含意していることを理解する必要がある。
 本論で<主体>というのは、「述部(属性、様態、状態、変化移動など)が実現する場として形成されている一定の範囲」という意味での、<predicate が実現する場>をさす。また、現実に発話(表現)している主体を<表現主体>と呼ぶ。
 筆者が教育現場で<主語>という語を用いる場合には、日本語の主語と英語などの主語は異なっていることに留意させている。「花が咲いた」という表現において、述語「咲いた」という事態は「花」という<主語>において実現している。これは<文の主体>=<主語>である。また、「花が咲いた」と認識し、表現している主体が<表現主体>である。こうした<文の主体>=「文の述語事態の実現している場は何か」と、<表現主体>=「誰が文の表出視点の中心なのか」、「誰が発話しているのか」というふたつの<主体>は、同一の場合もあり、異なる場合もある。表現主体や文の主体は表出の場のなかに融合的に存在する。この融合された表出の場に、母語話者は、無意識に入り込んでおり、発話はそのまま理解できる。日本言語文化の基層として存在する日本語構文の問題について、基本となる表現形式を検討するところから考察を始めたい。

1.3.1 日本語の<主体>表現「ワ」と「ワレ」
 日本語の人称を表す言葉が、英語などの人称名詞とは異なっている点は、よく知られた文法事項である。「ぼく、どこから来たの?」と幼い子供に尋ねるとき、「ぼく」は自称ではなく、聞き手の幼子を指している。また、「あなた」も、英語のyouとは意味合いがことなるから、現代日本語では目上の聞き手に対して「あなた」を用いることはできない、という点は、日本語教科書にも記述されるようになっている。しかし、「私」を「I」と同一視する観点は、日本語教科書にもまだ残されている。
 「ワ」「我」「私」などの、<主体>を表現している語を確認しておきたい。まず、日本語言語表現のうち、上代日本語、中古日本語の作品である、『万葉集』、『源氏物語』などから、<ワレ>、<ワタシ>という語の現れ方を見ていく。
 『古今集』、『新古今集』において<ワレ>が歌中に詠まれているのは、全体の1割程度にすぎない。<ワレ>を読み込んだ歌であっても、作者と作中の主人公<ワレ>は別人格化しており、作者は演劇の役者のように<ワレ>を表現している。

陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆゑに 乱れ染めにし我ならなくに

の「ワレ」も、作者源融本人であると捉えてもよいし源融がだれかの姿を借りて表現したと受け取ることもできる。歌会に出た人々にとって「我」は文学上、言語表現上の主体であるとみなされていたのであり、<ワレ>という語を作者本人とは受け取らなくては、表現が成立しない、という歌ばかりではない。しかるに『古今集』より時代がさかのぼった『万葉集』の時代においては、総歌数4500のうち39.5%に<ワレ>をよんだ歌がある。佐佐木幸綱(2007)は、約4割の1780首に<ワレ>が表現されていると、数え上げている。(42)万葉の時代のほうが、自我意識が強かったからでない。佐佐木(2007)は、「万葉時代までの<ワレ>とは、集合的主体であり、集団的アイデンティティを持つ存在だった。歌を文字に書くこと、文字にされた歌を通信文としてやりとりするというのは後代の形であって、文字が入ってくる以前において、歌とは、共同体の中で朗唱し、共同体全体が味わうものだった。歌が朗唱されるその場にいる者たち全体、あるいは朗唱するものが属するコミュニティ全体の表現として表す言葉として受容されていたのである。」と論じている。
 この「共同体全体」の表現のひとつが歌垣であり、中国雲南省などでは現代までこの形式の歌が少数民族文化として残されている。6 山路平四郎(1973)は、『万葉集』巻二の藤原鎌足の「我はもや 安見児得たり 皆人(みなひと)の 得かてにすといふ 安見児得たり」(国歌大鑑番号95)」の歌について、「初体験の喜びを歌った民謡風の謡い物が原歌」と、見ている。早くから、記紀歌謡や万葉集の長歌短歌の中には、「共同体=ワレ」の表現が残っていたことが指摘されてきたのである。
 現代語では<ワレ>が複数であることを特に強調したいとき<ワレワレ>と畳語にしたり<ワレラ>と表現する。この畳語の<我々>が出現するのは、後代に至って『御伽草子』などからである。現代語でもしばしば<ワレ>は単数としても複数としても用いられるし、関西弁などでは<ワレ>や<自分>が、一人称としても二人称としても用いられている。大阪では、相手に向かって「ワレ、どっからきたんや」「ジブン、名まえなんや」などと言える。古語の一番古い層の<ワ>また<ワレ>も、発話者本人を指し示す自称でありかつ相手をも指し示すことができ、単数でも複数でも表現することができた。『岩波古語辞典』には『宇治拾遺物語』での用例として、「オレ(汝)は何事を言うぞ。我が主の大納言を高家と思うか」という例を挙げている。この場合の「オレ」は、発話者を指すのではなく、聞き手である。
佐佐木(2007)は、歌は状況を詠むものではなく、意思を言葉にして朗唱することで、その力によって状況を変えることを願うものだった、と述べている。この<状況の変化を望むワレ>は、歌を詠む個人ひとりを<ワレ>と言っているのではなく、自分自身を含むこの場にいる状況全体に関わる者たちを<ワレ>と言っているのだと考えてよいだろう。
 万葉集の<ワ>、<ワレ>は、集団的アイデンティティを持つ<集合的主体collective subject>を表しているということは、以下の歌の<ワ>が、近代以後の一人称とは異なるものであることを感じさせることにもあらわれている。
 万葉集冒頭、雄略天皇を作者に擬する第一首。

籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持
此岳尓 菜採須兒 家吉閑名告<紗>根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居
師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母
「籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串もち 
この岳(おか)に 菜摘ます児 家聞かな 告(の)らさね 
そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ 居れ
しきなべて われこそ座せ われにこそは 告(の)らめ家も名も」

 この歌の<ワレ>も、作者に擬されている雄略天皇の一人称というより、「この国を統べようとしている大王家の人間である」という集団的アイデンティティを<ワレ>によって表現している。
記紀歌謡の中に見える

  埴生坂(はにふざか) 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら) 妻が家のあたり

という履中天皇の作歌とされる歌は、難波の宮を住吉仲皇子によって焼かれた履中天皇が、波邇賦坂に至って、なお燃えさかる宮を望見して詠じたという説話の中にはめ込まれている。しかし、歌そのものを見れば、春、陽炎のたつ妻の郷里を眺めての、大和の為政者大王(オホキミ)による、国ほめの歌、国見歌と受け取ることもできる。この場合も<ワ>は、大王個人を表すというより、朗唱されクニを言祝ぐ大王と、大王の統べる国土全体を含んでの<ワ>の方が自然である。
 <ワタシ>は、どのように文脈にでているであろうか。現代日本語の<ワタシ><ワタクシ>は、語源的には<公(大宅オホヤケ)>に対する<私>から発している。「私雨」が、広く全体に降る雨でなく、有馬や鈴鹿など山地に局地的に降る雨をさし、「私歩き」が、公用でなく私用で歩くことを表すなど、<個人>を意味するより、公に対する私的なことがらを意味している。『源氏物語』桐壺巻において、桐壺帝が靫負命婦を桐壺女御の里に使いにだす場面に出てくる「私」の用例を示しておく。幼い若宮の祖母(桐壺女御の母)が命婦に向かって「私にも心のどかにまかでたまへ」とあるのは、「公の勅使としてでなく、気楽な私用の使いとしてこの里においでください」と言っているのであって、やはり公との対比で用いられている。<ワタシ>が個人を示すようになるのは、『御伽草子』など中世以後の用例となる。<ワタシ>という語が「一人称・個人」を示すようになる平安後期から中世以後となるまで、日本語にとっての「行為主体としての個人」は、表現しにくいものであったろうと考える。
 「ワタシ」が西洋語的な一人称を表すようになったというのは、西欧的な視点で見ようとする見方の中でのことであって、日本語話者の「ワタシ」は「近代社会の個人」とは異なる内容によって使われてきたことを無視することはできない。日本語の古層での<ワレ>すなわち、「共同体=ワレ」が現代まで日本語話者に続く感覚であることを、阿部謹也は一連の「世間」に関する著作で指摘し、山本七平は「日本教」また「空気」という言葉で言い表している。「世間」論、また「空気」論には賛否両論が出されているが、現代まで日本語話者が「共同体と一体のワレ」「集合的主体」によって生きる部分を持ち続け、明治以来論じられている「西欧的、近代的個人とは異なる主体」として存在してきたことは、否定できない。<ワ>、<ワレ>、<ナ>、<ナレ>などは、「相互関係性の中での存在」「主客未分の存在」を表している。現代語にも、この「相互関係の中の存在」は残されている。「会社に所属している」という意識のある会社員が「うちは大手だから不況でも倒産することはないだろう」というときの「うち」は、自己を含めた「私が所属する集団」という意味である。方言では、「うち」を自称に使う地域として「千葉県東総地方・北陸・近畿・中国・四国・大分・長崎・熊本」が挙げられているが、関西方言話者の内省によれば、自称として「うち」と言った場合、「自分、家族、仲間というような、いわゆる「自分側の立場の総称」として使う例が多い」ということである。(ただし、関西の「うち」は、頭高のアクセントであるのに対して、関東地域で若い女性の自称として広まっている「うち」は平板アクセントである。)
 日本語言語文化の中の<主体>を考察する場合、西洋語とは別種の<主体>であることの次に、ではそのような<主体>はどのように<客体>そして述語に関わるのか、という点が問われなければならない。

1.3.2 日本語の自動詞文と他動詞文における<主体>と<客体>
 本節では日本語の文の<主体>と他動性、他動詞文、自動詞文について述べる。日本語は「発話状況・発話の場」を重視し「表現主体の視点を通した表現」による言語であることを前提とし、特に「自動詞・他動詞」の表現、受動能動の表現、授受動詞など、個々の文法現象に関わる日本語の構造と表現に含まれる意識について考察し、日本語の他動詞文とは、「動作主体(agent)が意志主体性をもって他者に行為を及ぼす」という西欧語における他動詞文とは異なり、自動詞文から連続して「事象の推移」を描写する表現であることを述べていく。
 日本語の「自・他」の認識の表出は平安時代に始まり、江戸国学者の冨士谷成章や本居宣長、本居春庭らの研究によって進展を見た。特に本居春庭は「未然・連用・終止・連体・已然・命令」の六つの活用形について研究を深め、「命令形」を他の活用と別扱いしていることで、「ディクテム(事実)」と「ムード(陳述)」を区別し、日本語動詞に深い考察を展開している。日本語の「自・他」の表現の考察は、日本語言語文化における「主体性」「他者性」の問題と深く関わっている。日本語の特徴を知るために、非日本語母語話者による誤用研究は、ひとつの視点を与える。日本語教育に関して行われたこれまでの研究の中で一例をあげると、小林典子(1996)は、自動詞と他動詞の使い分けのテストを行い、西洋語系統の母語話者は他動詞文を主として使い、日本語母語話者が自動詞文で表現する文でも、他動詞を用いることが多いと報告している。この報告は、筆者が20 年間収集した作文誤用例の分析とも一致している。竹林一志(2008)は、白川博之(2002)の中にある中国語母語話者の誤用例を紹介している。きつく締められていた瓶の蓋に力をいれ、ようやく蓋が開いたとき、学習者が「あ、開けた!」と表現した、という例である。日本語では瓶の蓋に話題の焦点があるとき、「あ、開いた!」と表現する。しかし、自動詞他動詞両用の動詞を用いる中国語母語話者にとって、「私が力をいれて、私の力で開けたのに、なぜ<開けた>という他動詞を使って悪いのか、蓋が自然に開いたのなら<開いた>でわかるけれど」と、感じられるのだ。この誤用の背景には、日本語の自動詞表現が日本語教科書に反映されているとはいいがたい現状がある。「開けるvs 開く」の説明が教科書の文法解説でどのようになされているか、という例を『SITUATIONAL FUNCTIONAL JAPANESE』(以下、SFJと略す)によって見ておく。

  (1)「私はドアを開ける」(2)「ドアが開く」
  In(1), the subject 私 controls the opening of the door, whereas in (2) the opening of the door is the result of someone else’s action which cannot be controlled by the subject ドア. Many verbs have two related forms, of which one is a するtype, the other a なるtype verb. (Vol. 2. Notes:71)

この SFJ 文法説明によれば、自動詞は動作主体(subject)のコントロールが及ばない場合に選ばれると学習者は感じるだろう。自分自身が瓶の蓋を開けたのであるならば、動作主体がコントロールして開けたと感じて、蓋が開いたときに「あ、開けた!」と、表現したくなる気持ちはわかる。では、どのような記述を加えておけばよいのか。早津恵美子(1987)は「有対自動詞(他動詞と対応のセットになっている自動詞)は、働きかけによってひきおこしうる非情物の変化を、有情物の存在とは無関係に、その非情物を主語にして叙述する動詞である」と述べている(102)。「自動詞vs 他動詞」の対の動詞において、他動詞は動作主体の制御が可能であり、自動詞は制御のできない動作を表すという説明の次に、この早津の説明を加え、学習者に周知させなければならない。
さらに、中級上級の日本語学習者には、動作主体と客体(対象補語・目的語)との関係について説明する必要が出てくる。「どうしてこのような表現をするのかわからない」と日本語学習者が言った文の例がある。「引き出しを開けた。けれど、開かなかった」という表現がそのひとつである。「私は、引き出しを開けようとした。しかし、引き出しは開かなかった」という記述なら理解できる。しかし、「引き出しを開けた」という既実現の他動詞文に「開かない」という未実現の自動詞文が直接続くことについて、日本語学習者は理解にとまどうのである。この文の受容には、二つのことがらを理解していることが必要になる。ひとつは日本語の動詞は、動詞の意味内容が完結していなくても述語として使用できる、ということ。もうひとつは、動作主と動作対象が「所属関係にある」とみなされたとき、動作主から動作対象へ加えられた動詞内容は、「行為の遂行」よりも「その場の事象の変化」を述べている、という日本語の再帰的他動詞文の特性である。7 「開ける」、「焼く」、「切る」、「打つ」などの変化動詞の場合も同じである。「餅を焼いた」「釘を打った」という表現において、日本語の変化動詞は変化の完了を意味しない。「引き出しを開けた。けれど、開かなかった」という文の構造は「(私が)引き出しを開けるという行為を行ったが、(引き出しは)開かなかった」という「他動詞文+逆接の接続詞+自動詞文」というものである。表現者が最終的に意図するところは、「引き出しに対して何らかの行為が加えられたが、引き出しが開くことはなかったという事態の推移」を述べており、日本語の他動詞文は「文の主体が他者に及ぼす行為」の描写を目的とするのではなく、自動詞と同じように、「事態の推移」を述べることを主な表現範囲としていると考えられる。「芋を焼いたが焼けなかった」も「力を込めて打ったが、釘は打てなかった。指を打ってしまった」も同じ。日本語の他動詞文は、変化動詞の変化が最終段階まで進むことを意図しない。「完了」を意味せずに「餅を焼いた」と表現でき、中味が生焼けだろうと半焼けだろうとかまわない。「意図したとおりには焼き上げることができなかった」という場合、「餅を焼いた。しかしうまく焼けなかった」と表現しうる。逆に「餅を焼こうとした。しかし焼けなかった」という文では、餅に対して行為者の意図はあったものの、何らかの事情があって、「餅を焼く」という動作が行われなかったことを意味する。「焼く」という動詞内容がまったく開始されなかったことを意味するのである。
 次の例でも、「焼く」動作が意図通りに終了しなかったことを表現している。

  はじめておもちを焼きました。でもうまく焼けなかったのでどのようにしたらおいし そうなお餅が焼けるのか教えてください。(Yahoo「知恵袋」2008/11/29 10:01:58)

 「釘を打っていて、思わず指を打った」というとき、行為者の動作者性、主体性は、まだ残されているが、「餅を食べていて歯を欠いた」という発話では、行為主体から歯への積極的な働きかけはない。それでも日本語は「ヲ格+他動詞」で表現する。「引き出しを開けたけど開かなかった」という表現では、「誰が引き出しに対して行為を加えたのか」というような行為者に話題の焦点があるのではなく、「結局のところ、引き出しは開かなかった」という最終的な状態に話題の焦点がある。「私がお茶をいれた」という動作他動詞表現では、最終的に「お茶が出来上がること」まで含まずとも表現できる。お茶の完成を確実に表現するには、「お茶がはいりました」という表現のほうがよい。むろん「お茶、いれましたよ」と、発言することも可能であるが、行為主体の明示は、「行為をした者」を目立たせる結果となり、「行為にまつわる恩恵の授受」の表現が発達している日本語では、聞き手に「お茶をいれてもらった」と、感じさせる発言は注意深く排除される。聞き手に「その行為を行ったのは私である」という行為主体の特定化は、「恩恵の明示」となるからである。その点「お茶がはいった」という表現は、お茶の完成を意味しつつ、動作主への言及は避けられる。「主体から客体への行為の完成」は、日本語においては責任の有無ではなく、恩恵の授受に関わってくるのである。
以下「行為主体がどのように行為作用を対象へ加えるのか」として<主体>の行動を叙述するよりも、「話し手聞き手のいる言語空間で、どのように事象が推移したのか」ということが、日本語表現の中心であるという観点から日本語叙述を見ていく。
 森田(1998)は、以下のように述べている。

  外の世界を内なる己がいかに把握するか、外は客体的な外在世界と考えるのは論理の世界であり、日本語の発想ではない。日本語はあくまで己の内なる視点に投影した世界として主観的に把握する。自分を取り巻く周囲の「世界」対「己」の関係で、自らが受け止めた印象や感覚として対象を理解する。(131)。

 本論も、森田が言うように、「日本語の内なる視点を投影した世界として主観的に把握する」という観点にたって他動詞文の分析を試みる。
 言語タイポロジーでいうSOV 型の範疇に入ると見なされる日本語他動詞文について、「主語が対象に作用を加えて変化させる」という「動作主体中心の表現」としてみるより、「事態推移表現中心の述語」とみなす。日本語の述語が表現の「場」を担い、述語(述部)を中心として表現が成立すると考えるのである。

1.3.3 再帰的他動詞文
 英語では、動詞をめぐって<主語>と<客語・目的語(対象となる存在)>は対立している。<主語>は動詞内容を対象(目的語)に加え、変化を引き起こす。

 <主語>→<他動詞>→<対象>

 日本語では、対象格は<主体>と共にあるものとして存在し、<主体>とは、対象が動詞内容の変化を表していく事象の中心にいる存在である。

 <主体(対象)>←<他動詞>

 英語の他動詞文は、行為主体が客体に変化を与えることを表現しているが、日本語の他動詞文は、自動詞文の対極にあるのではなく、グラデーションをもって自動詞文から他動詞文まで連続的に存在する。

 自動詞文>再帰的他動詞文>弱い他動性の他動詞文>強い他動性の他動詞文>他動詞文

 学習者は、文法解説書を参照するとき、どうしても母語の文法にひきずられた解釈をする。「他動詞」という文法用語を知れば、自分の母語の他動詞にひきつけて理解しようとするのは当然のことだ。しかし、日本語に表現された他動詞文は、幅が広く、形式上は他動詞であっても、自動詞文として扱うべき文も存在する。「綱子は、餅で歯を欠いた」(向田邦子『阿修羅のごとく』)という他動詞の形をとる文を分析してみよう。「ヲ格+他動詞」の形をとり、形式上は他動詞である。しかし、「~を欠く」の主体「綱子」は、対象格の「歯」に対して、意志的に動作作用を加えた行為者ではなく、動作主体とは言えない。この文は、他動詞の形式を見せていても、「~ヲ格名詞+他動詞」のセットで自動詞相当になっており、事態の推移を表している。綱子は、「歯が欠ける」という事象の推移を負うているにすぎない。なぜなら、この文の「歯」は綱子に所属するものだからである。綱子と歯は「全体・部分」の関係になっている。
 日本語の他動詞文は基本的に「ヲ格補語・対象語(目的語)」をとる。ヲ格補語の名詞は「モノ名詞」がほとんどで、「ヒト名詞」は少ない。日本語の他動詞文では、事象の推移の中心にいるものとしての<主体>が存在する。西洋語の他動詞文は、主語が目的語に作用行為を加え、目的語は変化移動を成し遂げている、ということを叙述する。日本語の他動詞文は、西洋語の他動詞文と基本的機能が異なり、<主体>と<客体>が事象の推移の中に存在し、事象の変化を共に担っていることを表現している。「太郎は、床屋で髪を切った」という他動詞文で、太郎は「行為主体=agent」ではなく、「事態の変化推移を所有する者・主宰する者」となっている。太郎は「太郎の髪が切られて、短くなったこと」という事象の推移を<主体>として負うている。では、「次郎は洋裁室で布を切った」は、どうか。これとても、次郎がハサミを持った行為者でなくても、文は成立する。トップデザイナーの次郎が、仕事を指揮して、洋裁チームの一員に布を裁断させており、自分ではハサミを持っていないとしても、仕事の推移について全体の責任者として「洋裁室で布を切った」と、表現できる。次郎は、「洋裁室で布が切られた」という事象の推移を、負うている主体である。従来、自動詞文は事態の推移を表現し、他動詞文は<主語>による行為動作を叙述すると文法書などに解説されてきた。筆者は、日本語においては、他動詞文もまた、自動詞文と同じく、「事態の推移」を表すことを主とするものと考える。他動詞の客体(対象補語・目的語)は、主体と共にある存在として動詞の内容を実現する場になっている。片山きよみ(2003)は、稲村(1995)を引用して以下のように述べている。

 稲村(1995)は、主語と目的語が所属関係にある多数の再帰構文の意味分析から、「主語+主語と所属関係を持つ目的語+述語」という構造の再帰構文は「主語をめぐる出来事」を表し、その表現内容には「主宰者主語による使役的出来事」や「他の行為や外部の原因を受けた受け身的出来事」などがあることを指摘、「家を建てる」「注射をする」なども広く再帰構文に含めて提示している。(3)

 「私は力をこめて瓶の蓋を開けた」という文が成立するとき、「瓶の蓋」は、すでに「私」の関係物/所属物として存在し、「私に所属するもの」と、表現主体に受け止められている。瓶の蓋が開いたとき、「あ、開けた」ではなく「あ、開いた」と表現するのは、「対象・目的物(ヲ格補語)=瓶の蓋」に対して与えられた動作主体の力は、動作主体の支配下、影響下にある物への言及だからである。これは三人称動作主体であっても同じである。彼が力を込めて瓶の蓋を開けたのを見ていた人も「開けた!」とは言わない。「開いた!」と、事態の推移について感慨を述べる。発話者の視点の中心に瓶の蓋があり、「瓶の蓋」を話題の中心として述べるからである。「あ、彼が開けた!」というのは、「他の人が開けても開かなかったのに、彼だけが開けることができた」というような場合に限られ、有標的な表現となる。部屋の中、グラスがテーブルの上に置いてある。家の主人または客人がグラスを手にしてウィスキーを飲んでいたときグラスが下に落ちたのであれば、通常は「あ、お客(主人)がグラスを割った」とは言わない。故意にグラスを投げつけたというような場合でなければ、下に落ちたグラスを見た人は、「あ、グラスが割れた」と言う。グラスに視点の焦点をあてて表現するほうが無標的表現であり、動作主体を文の主体として表現するほうが有標的である。客が手に持っていたグラスは客に所属していると考えられるゆえ、「お客さんが手に持って飲んでいたグラスを手から落として割った」と再帰的表現によって表現した場合、「お客さんが固い餅を食べていて歯を欠いた」と表現した場合と同じく、「グラスが割れるという事態」の状態主体として存在しているのであって、「グラスが割れた」という事態への行為主体として表現しているのではない。この「お客さんが手をすべらせてグラスを割った」という他動詞文も、事態推移を表現しているという点で自動詞表現につながるものである。竹林一志(2008)も、以下のように述べている。

  訪問先の家の花瓶を落とした場合に、「あ、割れてしまった」と言えないのは、発話者が心の中では「割れてしまった」と思っていても、「割れてしまった」と無標的に表現したのでは、事態の重大さ(いわば特殊的・非日常性)を表現することにならないからである。家の主人がその持ち物である花瓶を落とした際に、訪問者が何も言わない場合や「あっ」のような感嘆詞のみの場合もあろうが、自動詞・他動詞のいずれかを使うかと言えば、「あ、割ってしまった」ではなく、「あ、割れてしまった」というのは、責任の所在が家の主人にあると表現するのを避けるという理由もあろうが、事態を無標的に表現するだけのことであるとも言える。(140 -41)

 再帰的他動詞表現を通して考えるなら、花瓶が家の主人に所属していることがわかっていると、「ご主人の肘がぶつかって、花瓶を割ってしまった」と、他動詞文で表現したとしても、それは「ご主人」を「行為主体」としての責任を追及し有標的に表現しているのではない。「花瓶が割れたこと」という「事態の推移」の中心に「ご主人」がいる、という表現にすぎない。竹林(2008)は、以下のように述べている。

日本語の文表現の本質は、<主部項目における、或る事象の現出>を表す。<主部項目における、或る事象の現出>は、もっとも無標的なあり方で事態を把握・表現する傾向が強い「現出」型言語である。(144)

「花瓶」をお客さんや主人の所属物として認めた表現として、「ご主人の肘がぶつかって、花瓶を割ってしまった」と、再帰的他動詞文によって表現されたとき、それは自動詞文「花瓶が割れてしまった」と、同様、事態の推移を表しているのである。
「彼はころんで骨を折った」は、彼が骨に対して「折る」という行為を加えたことを表現しているのではない。「彼」は「骨が折れた」という事態の推移の話題の中心者であって、他動詞文で表現したとしても、自動詞文の表現に相当する。「信長は安土城を建てた」というとき、「信長さんは大工ですか」という冗談が通用するのは、「家を建てる」という「ヲ格補語+他動詞」の表現が、実際に動作主体(行為主体)の動作が行われたとして表現することも、「家が建つ」という自動詞的事態の変化を視点の中心的な人物を主体として表現することも、どちらもできるからである。「安土城が建った」という事態推移全体の中心に存在しているのが信長であって、城に対して具体的な動作をしている必要はないと、日本語話者は知っているからである。文の<主体>から<客体(対象格・目的語)>への具体的な他動性をもつかもたないかに関わりなく、「ヲ格補語+他動詞」の形式の文で表現することが可能であることを示している。
 日本語学習者に対し、次の点を日本語自動詞表現・他動詞表現の特徴として示したい。
(1)「日本語は、有対自動詞(他動詞と対応のセットになっている自動詞)は、働きかけによってひきおこしうる非情物の変化を、有情物の存在とは無関係に、その非情物を主語にして叙述する動詞である」(早津 1987)
(2)「客体・ヲ格対象語(目的語)が、文の<主体>と関わりを持つ」と発話者(表現者)が意識しているとき、他動詞文は全体として「事態の推移」を表現し、文の<主体>が実際に行為者性(agentivity)を有しているいないに関わらない。「事象の視点中心者」「事象の主宰者」を主体として表現する他動詞文もある。
(3)「主部項目において或る事象が現出する」ということを表現する場合、もっとも無標的な表現は、発話者にとって「おのづから然る」表現となる。

1.3.4 <主体>の背景化と動詞の完結性
 前項で述べた動作主体を<主語>として「お客さんがウイスキーを飲んでいたとき、手がすべってグラスを落とした」は、非意図的な動作を他動詞文によって表現している。一方、「グラスが落ちた」は、動作主体に言及せずに、事象の推移のみを述べた文であり、地震によってグラスが落ちる結果になったのか、人がぶつかったのか、結果を招いた原因には言及されていない。動作主体や原因が明らかな場合、「手がすべって、グラスが落ちた」であっても「手がすべってグラスを落とした」でも、発話主体にとって、動作主体の「行為実行責任」を追求しているわけではない。動作主体を主語として文の上に明示するかしないかは、「責任の有無」とは関わらない。
 自動詞文は動作主体を前景から背景に移す表現となる。あるものを話題の中心として、そのものをめぐる事象の推移を完結したこととして述べているのが自動詞文である。他動詞は多くの場合、事象の完結を描ききる表現とはならない。動詞の完結性限界性が関わるのである。「餅を焼いたが焼けなかった」の「焼く」は、変化動詞が変化の完結を表現せず、変化の着手だけを表現するゆえに成立する。しかし、自動詞の場合、変化の完結を表現する。「餅が焼けた」は「焼く」という変化が限界に達し完結した場合でないと使えず、「*餅が焼けたが焼けなかった」は、不自然である。日本語が「(○○が)餅を焼いた」という「主語プラス他動詞」よりも「餅が焼けた」という自動詞文を好むとすれば、この「変化を表す他動詞文では完結性が表現しにくい」、ということが理由のひとつに上げられるだろう。日本語動詞のうち変化(状態変化・空間移動変化など)を表す動詞においては完結性(telic)は表現されず、行為の着手のみが表現されるのである。動詞内容の変化が終了しているのであるなら、動作主体の動作行為に注目して「餅を焼いた」というより、事象の変化完結に注目して「餅が焼けた」と、自動詞によって変化事象完結を表現したほうが、的確な描写となる。日本語が「主語プラス他動詞」という表現より、自動詞による事態の推移としての描写を選んで表現することが多いというのも、動詞の完結性によって説明できることである。あるひとつの事象が完結して目の前にあることを認識した認識主体が、それを他者に伝える表現主体として発話するとき、動作意図の有無や動作主の関与度の割合まで勘案して「主語+他動詞」で発言するより、事象全体の推移を、事態の中心物にスポットを当てて表現する方が多いのは、表現主体の一方的な認識としてでなく、事象変化の推移を的確に表現できるからである。ある変化が事象の中に起きたとき、その事象の中心となる人は必ずしも動作主体でなくてもよい。「床屋で髪を切った」というときの出来事の中心人物は、床屋の椅子に座っているだけで、切るという動作を行っているのではない。出来事全体のの主であれば、文の中心としてフォーカスを当てて良い。動作行為を直接に行う場合でなくても、文の中心的存在としてスポットをあてて表現できるのも、日本語述語が「事象の推移を表現する」ことに力点が置かれ、「動作者の行為を主語述語依存関係で表す」という構造になっていないからである。
 「集団主義」「個人が責任を追わないようにする社会構造」などを日本語の特性からくるものと考えたい人には、「自動詞文が多用されるのは、主語の背景化によって、責任の所在を曖昧にするため」という、「責任逃れ説」が支持されているのであるが、日本の社会構造と日本語の構造は別の問題として考えてみる必要があるだろう。
 池上嘉彦(1981)『「する」と「なる」の言語学』以後、一般的な認識として広がった「行為者による行為の描写を中心とする英語」に対する「状態の変化の描写を中心とする日本語」、という言説によれば、「日本語では<主語>の表示が義務的でない」という言い方になる。しかし、全世界の言語を類型別に俯瞰すれば、「<主語>の表示が義務的」である英語のほうが特殊な言語であり、英語を古英語と比較すれば、現代英語において<主語>の表示が義務となったのは、近代以後のことにすぎない。(松本2006:227-56)
池上(1981)が日本語を「行為者によって行われた行動の描写」ではなく、「状態変化の推移を描写する」ことを主たる言語表現とすることを、認知言語学の立場から明らかにしたことは日本語への新たな見方を定着させたものとして評価できるが、では、なぜ日本語は「状態変化の推移」を描写する言語なのか、なぜ上司への報告が「このたび結婚いたします」でなく「結婚することになりました」という「ナル」表現になるのか、ふたを力をこめてひねって瓶を開けたとき「あ、瓶を開けた」と他動詞文で表現せずに「あ、瓶が開いた」と、自動詞文で表現するのか、解明されていない。
 『「する」と「なる」の言語学』の核心部分をまとめた池上(1982)は、「日本語は<出来事全体>=<コト>中心的な事態把握に基づく言語類型に属する。 日本語では個体を出来事全体に埋没させた「なる」的な表現になっている。」と述べている。また、池上(1993)は、自動詞と他動詞の区別には統語論的なものと意味論的なものがある」とし、統語論的には「動詞が目的語objectを伴い、受動態化passivizationが可能になることが他動詞の条件となる。意味論的には、自動詞他動詞の区別に他動性transitiviyの程度が関わる、としている(35)。本論は、「日本語の自動詞も他動詞も、事象の推移を述べることが表現の中心である」と考える。他動性の強弱や受動態化の難易が段階的に存在するが、典型的な他動性を持つ他動詞であっても、客体が主体とどのような関係を持つかによって、他動性の発揮の仕方も変わってくる。
 日本語の自動詞他動詞に関して、筆者は日本語学習者に、
(1)自動詞は述語が結びつく名詞格成分が1項以上、他動詞は2項以上を必要とする。
(2)日本語自動詞文は動詞内容の完結性を表現できる。
を教科書等に示しておくべきであると考える。
 森田良行(1998)は、日本語に「無主語文」が多いことを取り上げ、次のように述べている。

  <主語><目的語>が省略されており、<日本語では、表現に際して、現在の事象である事柄や周囲の状況を、自分自身の目でとらえ心で感じた外界のこととして、聞き手にそのまま投げ掛ける。己を客体化し、対象化した表現をしない。日本語がいちいち<私>を文の中に立てていかない言語であるということは、話し手が表現を進める<話者の目>として言葉の背後に隠れてしまい、話者は視点を通して対象と対峙している、そのような立場に立つ言語だということである。(13)

 森田が、日本語の<主体>について「発話者は、<己>であって、<内>の存在として陰在化し、己の目でとらえられる事物、現象が<外>の世界として顕在化し、文面に表れる。」とみなしている点を肯定する。
 日本語は、出来事を対象化客体化せず、表現主体の視点が捉えたことを直接表現しようとする。日本語文は表現主体の視点が捉えた外界をそのまま言語化する。

第2節 日本語の自動詞文と他動詞文の<主体>10

2010-04-10 08:45:00 | 日本語言語文化
第2節 日本語の自動詞文と他動詞文の<主体>

2.1 状態変化主体の他動詞文・再帰的他動詞文の<主体>
 本項で<主体>は、「文の主体」をさす。文の表現主体(話し手・語り手)が文の主体と重なる場合もある。「昨年、会社の集団検診で私は左肺の上葉に豆粒大の空洞を発見されたのだ。幸い肋骨が癒着していなかったので、肋骨を切らずにすんだが、ここに来る前に住んでいた経堂の医者から半年間気胸療法を受けていた。」(『海と毒薬』4)において、「私は肋骨を切らずにすんだ」は、自分自身で「切る」という動作を行うのではない。医者が「肋骨を切る」という行為を行い、「私」はその行為を受ける側である。しかし、日本語では「私は肋骨を切る」と、「私」を<主体>にした他動詞文で表現する。この他動詞文は、<主体>の「私」と<客体>の「肋骨」が所有関係にあることで成立する。この他動詞文を稲村(1995)は「再帰的他動詞文」として分析した。

2.1.1 状態変化の再帰的他動詞文
「主語+補語(直接対象語)+動詞述語」という構文の他動詞文は、<主語>であらわされている<主体>の引き起こす動作が、他者である<客体>にその結果・影響を及ぼす。しかし、<客体>が<主体>の所属物(主体の一部分・所属物・関連物)であるとき、<主体>の引き起こした動作は、他に向かうのではなく、<主体>自身に向かう。このタイプの他動詞文は「再帰動詞文」「再帰構文」と呼ばれ、典型的な他動詞文とは文法的に異なる性質をもつことが指摘されている。

(1) 卓夫は、廊下で運動靴をはいた。(『Wの悲劇』37)
(2) その泉にすいこまれたようにメロスは身をかがめた。(『走れメロス』144)
(3) 宏男は巻子の前に手を突き出す。(『向田邦子TV作品集Ⅰ』10)
(4) そうよ、こないだ綱子姉ちゃん、あげもちでさし歯ガツーンて欠いたものね。(『向田邦子TV作品集Ⅰ』39)

 <主体>に対し他者である客体をもつ典型的な他動詞文は、「ビーバーが木のみきをかじっています。(『新しい国語二14』」という能動文が「木がビーバーにかじられています」という受動文と対立するのに対し、(1)~(4)の文は、受動文との対立が消極的であったり、対立を持たなかったりする。自動詞文は、<主体>のみにとどまる働きであり、他者への働きかけを文の出来事に表現しない。それに対して他動詞文は<客体>(他者)への働きかけを表現する。再帰的他動詞文は、文の形式として「主語・補語・述語」という他動詞能動文と共通の構造を備えているが、主語で示されるものの引き起こす動作が他に対するものではなく、<主語>で示されるもの自身に及ぶ動作である。再帰的他動詞文は、自動詞文と他動詞文の中間的なもの、と考えることができよう。
 「主語+主語の所属物である補語+述語」という構造をもつ再帰的他動詞文をまったくの自動詞相当とみなしてよいかというと、そうではない。他動詞の構造を持つということは、他動詞で表現されなければならなかった理由があり、<主体>から<客体>への関わりが何らかの形で存在するからこそ他動詞文として表現されているのだ。再帰的他動詞文の<主語>から<客語>(対象補語)への働きかけは、典型的な他動詞文の場合と同じではない。<主語>が補語を運動の中に引きずり込んでいるとして、その強さは一葉ではない。すなわち<主体>から<客体>への働きかけの度合いが段階的に存在する。再帰的他動詞文の中にも、動作主体から動作対象(客体)への働きかけが実行されているとみられるものも存在するし、対象への働きかけをまったく表現していない文もある。述語動詞の自動詞化の程度が段階的に存在し、他動詞文から自動詞文まで連続的に「働きかけ」の度合いが異なっていくのである。(3)の文は、宏男が自分の身体部分である手を動かし、述語動詞は手の動き「突き出す」を表現している。手の働きとは、すなわち手の持ち主である<主体>自身の動作である。(4)の文では、綱子から「綱子のさし歯」への働きかけ性はゼロである。「歯を欠く」という出来事に対して、綱子は自分からは意図的に行動していない。綱子は「歯が欠ける」という出来事を経験しているにすぎない。このように、<主体>と<客体>が所属関係にある再帰的他動詞文は、典型的な他動詞文とは、意図性、他動性が異なった表現である。本節は、現代日本語の他動詞文のうち、再帰的他動詞文を観察し、これらの文の特徴や成立条件を考察する。日本語の<主体>が<客体>との関係を自動詞文から典型的他動詞文まで見渡すことは、日本語の<主体>のありかたを考察することとなるであろう。
 再帰的他動詞文について、高橋(1975)、高橋(1989)、仁田(1982)、天野(1987b)、児玉(1989),工藤(1991)などの考察がある。これらの論文において「再帰構造の文」や「状態変化主体の文」とされているものは、典型的な他動詞文とは文法的に異なる面が存在することが考察されている。主語と補語の対立がこれらの文の中ではやわらげられており、補語が典型的なものとはいえないものであることなど、再帰的他動詞文を考える上で重要な指摘が為されてきている。しかし、状態変化他動詞文の文法的な性質、成立条件等について、「働き動詞は状態変化他動詞文にはならない」(天野1987b)、「主体以外に実質的な引き起こし手が明示されていること」(児玉1989)などの指摘が確実なものであるかなど、再検討を要することがらも多く残されている。細江逸記が「日本語の所相の成立過程について、原始中相(反照性・再帰性)から発達した」と述べているように、古くから日本語の再帰的な面について言及している研究も存在するが、再帰的動詞文についての研究において、十分に論議し尽くされたとは言えない面も残されている。
 本論では、直接対象語としてのヲ格補語をとる動詞を他動詞と考え、その他のものを自動詞とみなす。三上章は自動詞を所動詞と能動詞に分けたが、ここでは一括して自動詞として扱う。「道を歩く」「橋を渡る」などの、ヲ格補語をとる移動動詞は、自動詞として扱う。他動詞文のうち、ヲ格補語が主体の身体部分、側面、所有物、生産物、関係者などを主語と所属関係にあるものを補語としてとる他動詞文を再帰的他動詞文と呼ぶ。側面を表す名詞補語は、人の性質、身なり、心情など具体名詞ではない語も含め、再帰的他動詞文として扱う。

2.1.2 再帰的他動詞文の引き起こし手と<主体>の変化
 再帰的他動詞文は、①~⑦に記述する文が存在する。<主語>として文に表現されているものが動作の引き起こし手となっているのではなく、何らかの原因が作用している場合がある。

(1)主体が意志的に引き起こし主体自身が変化する出来事を述べる文
主語が意志的に自分自身の身体部分に働きかけて、主語自身の状態の変化を引き起こす。「テイル」の形では、姿勢の持続や身体部分の動きの持続などを表す。主体は人。客体は身体部分。述語は主体からの働きかけと客体の変化を表す他動詞(物理的な変化を表す他動詞、移動・位置の変化を表す他動詞、設置・取り付け・取り外しを表す他動詞など)、主体の働きかけのみ捉え、客体の変化は捉えない動詞(打撃、接触を表す動き動詞など)
①姿勢の変化
  (5)近く寄れという晴信の言葉で、彼は立ち上がると、躯を折って晴信の間近まで進んだ。(『風林火山』26)
②視線の変化
  (6)利休は道具畳をぬけ、待合からつくばいまで目をくばってからりきが朝げの用意をととのえている座敷に戻ってきた。(『秀吉と利休』8)
③身体部分の動き
  (7)みねは掌に視線を落とし、ゆっくりと指を折りながら、値踏みをしているように見えた。(『Wの悲劇』121)
  (8)そう思いながら実るは掌で目を擦った。(『青葉茂れる』12)
④身体状態の変化
  (9)じいさまは、いろりのうえにかぶさるようにして、ひえたからだをあたためました。(『新しい国語二』41)
⑤社会的な状態の変化
  (10)彼は勝負師から物語作者に身をかえた。(『秀吉と利休』70)
⑥姿勢の持続(テイル形)
  (11)秀吉はびろうどの長枕に後頭部をのせ、布団を胸にずらし、左右の手を組み合わせて額にのせている。(『秀吉と利休』43)
 これらの文では、<主体>が自分自身で出来事を引き起こし、動作を行っている。動作は他へ及ばず、主体自身が変化する。

(2)主語の内部的な原因で発生した出来事、事前発生的な出来事を述べる文
 主体は無意図的に、内的な変化や身体からの喪失などを経験する。<主体>は自分から意図的に出来事を引き起こしたのではない。無意図的な行為である。<主体>は人。客体は身体部分、所有物。動詞は主体の働きかけと客体の変化を表す他動詞。
①心理的・主体的な変化
  (12)宗二は尋常に通った鼻柱を赤く染め、口をくいしめていた。(『秀吉と利休』217)
   (13)白血球を減らさないようにするために、太陽に照らされるのをなるべく避けてトマトをしきりに食べているのもある。(『黒い雨』232)
(14)次にガス・マスクが鼻に当てられ、私は意識を失った。(『乳がんなんかに負けられない』103)
  (15)朝、縁側のところから僕を呼ぶ声で目をさました。(『黒い雨』144)
②無意識の身体の動き
  (16)針を腕にいれるたびにおばはんはぴくっと躯を動かす。(『海と毒薬』39)
  (17)(漁夫や雑夫たちは)仕事をしながら,時々、ガクリと頭を前に落とした。(『蟹工船』45)
③生理的な出現
  (18)血を流していなかったものは一人もいない。(人々は)頭から、顔から、手から、裸体のものは胸から、背中から、腿からどこからか血を流していた。(『黒い雨』41)
④身体からの喪失
  (19)婦人は腰や肩をなで回し、「かばんを落としました、わたくし」とひそひそ声で云った。(『黒い雨』45)
 これらの文の<主体>は、客体と「全体・部分」の関係にある。「宗二は鼻柱を赤く染
め口をくいしめていた」という文で、宗二は「鼻柱が赤く染まっている状態」の状態主
であり、経験主である。(19)の婦人は、「かばんを落としました」と他動詞文で表現していても、婦人が意図的に落としたのではなく、無意図的にかばんが落ち、婦人はその状態の経験種となっている。内部的な身体の動きや姿勢の変化は、無意図的ではあっても、述語の内容は主語の動作として目に見える。

(3)外的作用をうけての出来事を述べる文
 外的な作用が引き起こした出来事を、主語の部分にうけて、部分が変化することをあらわす文が存在する。部分の変化の結果を所有者である主語の状態つぃて述べている。主語はひと・もの、補語は身体部分・ものの部分、動詞は「主体の働きかけと補語の変化を表す他動詞」「主体の働きかけのみを表し、補語の変化は捉えない他動詞(動きを表す他動詞)」いずれの場合も再帰的他動詞文となる。
①人の状態の変化
  (20)僕は宮路さんが火事の焔で背中を焼いたのだろうと思ったが話を聞くとそうではない。(『黒い雨』82)
  (21)石原は太腿を半分泥に汚しただけで、岸に着いた。(『雁』111)
  (22)たとえば、ある男が倒木を伝わって川を渡っているとき、その気がオレ、男は転落して下肢の骨を折ったとしよう。(「朝日新聞夕刊」92/11/28)
  (23)初老の男があぜみちに横倒れになって、服の胸をびっしょり濡らしていた。(『黒い雨』115)
  (24)彼は何を思ったのか、手を振ったり、わめいたりして、むちゃくちゃに坑道を走りだした。何度ものめったり、枕木に額を打ち付けた。(『蟹工船』11)
  (25)二人は身を伏せ損ね、庄吉さんはもんどり打って足首を舷に打ち付けた。(『黒い雨』27)
  (26)稔が何気ないふりを装いながら隣家の庭先を覗くと、隣家の主の元陸軍少佐は長い山羊髭を潮風になびかしつつ徒手体操をしているところだった。(『青葉茂れる』44)
(27)土曜日だったから、私は午後二時頃、会社から家に戻ってきた路でトラックに追いこされ、白い埃を頭からかぶったのである。(『海と毒薬』7)
②ものの状態の変化
  (28)昼前からしばらく降り続いた雪のために、玄関前の石段と前庭、鉄柵の扉が開け放された門の脇に泊まっている車まで、すべてが再び純白の装いを整えていた。(『Wの悲劇』199)
  (29)一週間前の大嵐で、発動汽船がスクリューを毀してしまった。(『蟹工船』85)
 これらの文では、原因となる現象があり、<主体>の状態変化を引き起こしている。原因となる語に言及されていなければ、「宮路さんは背中を焼いた」の「宮路さん」は、動作主体なのか、状態主体なのか、判断できない。宮路さんが意図的にお灸で背中を焼いたという場合もあるからである。「宮路さんが火事の焔で背中を焼いた」と、状態を作り出す原因となる事象が明示されているとき、宮路さんは、状態の経験主体である。
 では、<主体>の意図的な行為でなく、状態を追っているだけの「状態主体変化」の文では、原因が文中に明示されたり文脈から推察できたりしなければ、成立しないといえるだろうか。児玉(1989)は、状態変化主体の他動詞成立の条件として、「主体の動きの実際的な…直接的な引き起こし手が明示されている、あるいは文脈的・語彙的に暗示されている」という点と、「引き起こしての作用力の発現が、主語によってなんら影響されないものであるという設定(認識)が必要」の2点をあげている。<主体>以外の「主語の状態をあらわす文」にとって、動きの直接的な引き起こし手の明示が必要であるかどうか、(7)の項で検討する。

(4)行為者の働きかけを受けての、結果的な状態をあらわす文
 人の行為の結果を者の状態の変化として表現する文がある。<主語>は擬人的な物、補語はものの部分。動詞は「<主体>の働きかけと補語の変化を表す他動詞」で文が成立する。
①<主語>の状態の変化
  (30)道の両側の店舗もかたく表戸を閉ざしている。(『風林火山』15)
  (31)兵隊は二名ずつ二台のトラックに分乗し、先頭を来た一台はボンネットの先に浅葱色の小旗をたてていたと云う。(『黒い雨』158)
  (32)街灯がほとんどなく、家並みも灯を消している。(『空洞星雲』39)
  (33)この蟹工船博光丸のすぐ点前に、ペンキのはげた帆船が、へさきの牛の鼻穴のようなところから怒りの鎖を降ろしていた。(『蟹工船』5) 
 これらの「非情物の結果の状態」を表している文の<主語>は、擬人的な存在で、<主語>の部分が客語となり「全体・部分」の関係をなしている。実際の働きかけを行っているのは、人であるが、動作が完了した後の状態持続を非情物主語の状態として表現している。出来事の引き起こし手は、<主語>ではなく、<主語>に関わる人間である。

(5)<主語>が他者に行わせた行為を、<主語>の引き起こした出来事として述べる文
①<主語>が使役主的な存在である文
(34)信長は村重の一族三十余人を京都六条河原で切り、婦女子百二十余人を尼崎ではりつけにし、婢妾従僕五百余人を焼き殺した。(『信長と秀吉』117)
  (35)秀吉は二万の大群で、まず出城をつぶし、生育している稲を焼き払った。(『信長と秀吉』125)
  (36)希代子急いで入浴し、マンションの近くにある美容室で顔や髪をととのえてから、タウナスを運転して、海堂産業の本社に行った。(『空洞星雲』143)
  (37)姪の矢須子は町の美容院へパーマをかけに行き、いやにのっぺりした顔になって5時ごろ帰ってきた。(『黒い雨』64)
 信長や秀吉は、行為述語の直接の動作者ではなく、出来事の全体を主宰統括している。ヲ格補語は、信長や秀吉にとって、その命運を握っている「自己の所属物」にあたり「主語の支配下にあるもの」で、<主体>と<客体>は「全体・部分」の関係にある。実行者agentに対する、依頼者principalの関係に近く、<主語>は、事象全体の統括者に相当する。「秀吉は二万の大群で、まず出城をつぶし、、、」という文では、「デ格」の「二万の大軍」がagentにあたる。再帰的他動詞文においては「デ格」補語が動作主体agentになる。「太郎は床屋で髪を切った」の「で格」「床屋」が髪を切る作業をしている。
<人数デ>
  (38)お経を前の晩の漁夫に読んでもらってから、四人の他に病気のもの三、四人で麻袋に死体をつめた。(『蟹工船』79)
<組織デ>
  (39)私のうちでは冬季防寒のため、平たい石または瓦を煮物などするときかまどで焼いて、古新聞紙に包みまして、それを布でまいて 背中に入れました。(『黒い雨』72)
  (40)写真の集まりが悪いので、編集部で美人の写真を捜さなければならない。(『雑誌記者』94)
 agentは雑誌記者個人であるとしても、principalは「デ格」の「編集部」である。「私は病院で胃を調べた」「太郎は、電気屋でテレビを修理した」なども、デ格名詞の病院、電気屋がagentで、私、太郎はprincipalである。このprincipalは、出来事の引き起こし手を<主語>とする使役文に近い。

(6)主語を生産全体の主体として表現する文
 物を生産する動作そのものを行っていない場合でも、生産された物を自分の所有物・作品として、その物の存在に関わる統括主宰者が<主語>として表現できる。主語は人、補語は生産仏、述語は生産を表す動詞の再帰的他動詞文が成立する。
  (41)黄金の茶室を例にとれば、思いついたのはもとより秀吉である。でも宗二の想像のごとく、迎合や妥協やあるいは媚び利休はそれを建てたのではない。(『秀吉と利休』16)
  (42)信長は義昭のために二条に新邸を建て始めた。(『信長と秀吉』54)
  (43)命を助けられた城兵は、やつれはてて見る影もなかった。秀吉は城のふもとに大釜をすえ、かゆをつくってあたえたが、急に食事をあたえられたので、大半のものが急死してしまった。(『信長と秀吉』126)
  (44)京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。(『高瀬川』124)
 これらの文の主語もprincipalであり、依頼者としてagentに生産活動を行わせている。生産活動の主宰統括者である。「運河を掘る」には、資金を出す、設計、土を掘るなどの関与者のものに、複雑な工程を経て完成する。その統括者を主語として生産の全体を表現できるのである。これらの再帰的他動詞文の成立条件は、生産物が統括主宰者主語の所有物であることだ。「僕はナオミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日毎日、取り替え引きかえ着せてみるようにしたいんだよ(『痴人の愛』)などの「拵える」も、「僕」はprincipalとして「拵える」のである。

(7)原因や働きかけを行っているものについてふれていない出来事を表す文
 <主語>が働きかけを行わず、<状態主体>として存在する文のなかに、他の原因などは明示されていないものもある。主語は人。補語は主語の部分・所有物である。述語は主体の働きかけと補語の変化をあらわす他動詞。
  (46)次の朝、雑夫が工場に降りて行くと、旋盤の鉄柱に前の日の学生が縛り付けられているのを見た。首を絞められた鶏のように、首をガクリ胸に落とし込んで、背筋の先端に大きな関節をひとつポコンとあらわに見せていた。そして子供の前掛けのように、胸に、それが明らかに監督の筆致で「此者ハ不忠ナル臆病者ニツキ、麻縄ヲ解クコトヲ禁ズ」と書いたボール紙をつるしていた。(『蟹工船』59)
  (47)この境内の脇の往来の人は、みんな灰か埃のようなものを頭から被っていた。(『黒い雨』41)
<主語>と<客語>が「全体・部分」の関係を持つ再帰的他動詞文が「テイル」の形を取ったとき、変化の結果の状態を表す。変化の過程は表さず、結果が完結したあとの「結果的な状態」のみを示す。変化を引き起こした者は誰かということには無関心であって、<主語>の状態を表す。「男女が黒焦の死体となって、二人とも脱糞を尻の下に敷いていた」という文は、「変化が限界に達した後の結果的な状態」を表している。変化を引き起こしたのは誰かということは文の中にも、前後の文脈にも表されていない。これらの文では、出来事の引き起こし手はだれかということは文の成立にとって必要な条件ではない。他者が引き起こしたものであっても、<主語>自身が引き起こしたものだっても、主語の状態を述べるという文の機能には変わりないのである。児玉(1989)が状態変化他動詞文の成立条件を「他者によって発現した客体変化をみずからの状態として持つ」としたことからは、この⑦の文の成立が説明できなくなる。「初老の男はあぜみちに横倒れになって、服の胸をびっしょり濡らしていた。(黒い雨)」は、「濡らす」という変化を発現した他者を明示していない。しかし、<主語>は「変化の結果の状態」の<主体>である。再帰的他動詞文の成立状態は、<主体>と<客体>が「全体・部分」の関係「全体の統括者・統括者と所属関係にあるもの」という関わりを持つことによって成立し、主客は一体となって述語の内容を実現する場となって存在している。

2.1.3 再帰的他動詞文まとめ
 再帰的他動詞文の引き起こし手agentをまとめておく。
(1)<主語>が引き起こし手となっている。「メロスはひょいとからだを折り曲げた」(『走れメロス』」
(2)<主語>の内部的な変化。「宗二は鼻を赤く染めた」(『秀吉と利休』)
(3)外的な作用を受けて<主語>の部分が変化し、そのことによって変化部分の所有者の状態をあらわす。「正体も知れぬ光で、僕の頬も左側を焦がした」(『黒い雨』)
(4)他者が引き起こした変化を<主語>の状態として表現する。「道の両側の店舗は表戸を閉ざしていた」(『風林火山』)
(5)他者に行わせた行為を、<主語>が主宰統括した者として表し、出来事全体を<主語>の意図した文として表している「希代子は美容院で髪をととのえた」(空洞星雲)
(6)<主語>の主宰統括した生産活動によって作り出された生産仏が、<主語>の作品・所有物として存在するとき、生産の出来事全体を<主語>の作り出した行為として表す。「角倉了以は高瀬川を掘った」(高瀬船)
(7)出来事をもたらした行為者や原因にふれずに、<主語>の状態を述べる。「死体は城に下に脱糞を敷いていた」(『黒い雨』)
 身体状態の変化、社会状態の変化、心理的生理的な変化を表す再帰的他動詞文は、他動詞文の形式を使いながら、主体と客体が「全体・部分」を構成することによって、段階的に自動詞表現と同じく状態の表現となっている。「ひとつひとつのものが、ある時間的なありかの中で、一時的に採用するそのものの存在のしかたを指し示している」ことが再帰的他動詞文のありかたである。
 次に、再帰的他動詞文が表現できる範囲を上げておく。
(1)再帰的他動詞文は、文構造は他動詞文と同じであるが、<主体>から<主体>の部分への働きかけを表す場合と、「<主体>をめぐる出来事」、「<主体>を中心とした事象の推移」を表す場合が表現できる。
(2)「主語+客語(対象補語)+他動詞」という文構造をもつ再帰的他動詞文は、客語に<主語>と「全体・部分」の関係をなすものをとり、①空間的位置変化、②姿勢の変化・身体の動き、③姿勢の持続、④、心理的生理的な変化、⑤、生理的出現、⑥身体への取り付け、取り外し、⑦身体、身の上からの喪失、⑧身体の外見上の変化・変化の結果的な状態、⑨社会的な状態変化、⑩社会的な出来事の引き起こし、出来事の主宰者の命令依頼による変化、⑪生産を主体統括する主語による作品・所有物の作りだし、⑫非情物の結果的な状態、を表す。
(3)再帰的他動詞文の<主語>は、「主語自身への働きかけを行う動作主体」「変化の結果小状態の主体」「状態生産の主体」として文中に存在する。
(4)変化動詞と動き動詞のどちらの他動詞でも、<主語>が「状態の主体」として存在する文が成立する。状態の引き起こし手、直接の行為者・原因は明示されなくてもよい。
以上、<主・客>が「全体・部分」の関係所有・所属関係になっている日本語文を精査し、<主体>から<客体>への働きかけが、西洋語とは異なる文の表現を確認した。

第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>

2010-03-28 13:39:00 | 日本語言語文化
第3節 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体>


3.1 『夢の痂』概要
 本節では、「日本語言語文化における主体性」に関する考察の中で、「一般の日本語母語話者にとって、<主語>とはどのように受け止められているか」を考える。そのひとつの例として、井上ひさし作の戯曲「東京裁判三部作」の中の『夢の痂』をとりあげ、井上がその文法観をどのように演劇作品で展開したかを概観し、日本語の<主語>が<主体>との関連において一般にどのように受け取られているかをみていく。井上の文法観が一般的な日本語母語話者の日本語観を代表するということではないが、日本語観を直接に作品の中に描き出している例はそう多くないこともあり、ヒロイン絹子の国文法論を井上の日本語文法観に重なるものとみなした上で考察する。
井上ひさしは、2010 年4 月9 日に没するまで、小説や随筆のほか数多くの戯曲を発表してきた。晩年の作品として発表された「東京裁判三部作」9は井上の代表作と評されており、『夢の裂け目』(2001 年初演)、『夢の泪』(2003 年初演)、『夢の痂』(2006年初演)が上演されている。10 この三部作において、井上は1946 年に始まった東京裁判に切り込み、日本の戦争指導者の責任、さらに戦中戦後を生きた庶民の責任を問う。
『夢の痂』は、直接東京裁判への言及のない点が、『夢の裂け目』、『夢の泪』とは異なり、東北地方を舞台に天皇巡幸をめぐる騒動を描いている。「主語を隠してしまう日本語ゆえ天皇の戦争責任が隠され、国民に対して東京裁判の本質が隠されたものとなったため、国民自身も戦争責任について考え抜こうとしなかった」と劇中で国文法の女教師が述べる。井上は、この戯曲で「主権は天皇にあった。すなわち、日本で自分自身を主語として立てることのできる立場にいた。国民にとっては、天皇は『時代の状況』であった」、「これからの日本は、個人個人が自分を主権者・主体として自立させ、自分自身でものごとを考え、行動していかなければならない。すなわち、自分を主語として確立していくべきである」と主張している。

3.1.1 『夢の痂』梗概
『夢の痂』は、終戦から2 年たった頃、天皇の全国巡幸宿泊地候補になるかもしれないという東北の旧家を舞台に、戦争責任を見つめる人々を描いている。主な登場人物と梗概は以下の通りである。

三宅徳次:元陸軍大佐、大本営の参謀。敗戦後「戦争責任は、作戦立案した我等にあり」と遺書を残して熱海で投身自殺をはかったが、一命をとりとめ、今は骨董屋を営む兄の命で佐藤家の古美術整理を担当している。
佐藤絹子:佐藤家の長女。国文法教師。8 月15 日に中学生と「敗戦の日の意味を文法から考える」という授業を行っている。
佐藤作兵衛:養蚕織物業で財をなした佐藤家当主。財産を整理し、美術館設立をはかっている。
佐藤繭子:佐藤家の次女。東京へ美術の勉強に出ているが、実は愛人のためにヌードモデルをしている。
三宅友子:大連から引き上げ、父徳次の元へやってきた。

 敗戦後の日本では、市ヶ谷法廷で東京裁判が行われている一方で、農地改革、組合運動の先鋭化など戦後の混乱が続く中、1946(昭和21)年2 月から天皇の行幸が続けられてきた。8 月には東北地方巡幸が決定し、この町に滞在する可能性もある。養蚕織物業で財をなした佐藤家の「お蚕御殿」への宿泊もありうる。1947 年(昭和22 年)5 月3 日に施行された新憲法の中で「日本国の象徴」と記された天皇をどのように接待したらよいのか。天皇を落ち度なく迎えるために、大本営勤務時代に天皇を見たことのある徳次を天皇役にして接待の予行演習が行われる。天皇を演じるうち、徳次は次第に天皇になりきっていく。絹子は、予行演習の中で徳次扮する天皇に「なにとぞ御責任をお取りあそばしませ」と迫る。徳次は「天皇は退位すべきだった」という敗戦時の感慨を天皇として述べ、「すまなかった」と国民に詫び、「退位する」と発言する。劇のエピローグ、ラストシーンで国文法教師絹子は「自分が主語か 主語が自分か それがすべて」と繰り返す。

3.1.2 『夢の痂』のテーマ
 上演にあたって国立劇場が作成した作品紹介には、以下のように書かれている。『夢の痂』は、東京裁判をどのように把握し、これからどう生かしていけばいいのかということを命題に、井上ひさし独特の視点から、日本の社会を考えている。東京裁判は、「戦争の責任はA級戦犯にあって、天皇も国民もみんな被害者であった」というひとつの線引きであった。戦争責任を曖昧にしたことが、現在の国民の無責任さにつながり、そしてその無責任さを考え直さないと国際社会では生きていけない、といった問題意識から発想されている」
 『夢の痂』のキーワードとして「責任」という語をとりあげることができよう。井上ひさしは、2006 年の『夢の痂』上演パンフレット(2007集英社版『夢の痂』所収)において、次のように東京裁判及び戦争責任について述べている。11

  この裁判を<瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石>と考えています。なによりも、この裁判はのちの国際法や国際条約を生む基礎になりました。また、力をもたない市民が、この裁判をもとに戦争暴力に抵抗することができるようになりました。そして裁判に提出された極秘の機密資料によって、戦前戦中の隠された暦を知ったのです。では、瑕とはなにか。作戦計画を受け持った陸海軍の高級官僚的軍人たちの責任が問われず、さらにその頂点にあった大元帥が免罪された。(中略)もう一つの大きな瑕は、国民がこの裁判を無視していたことです。なぜ自分たちはあんなにも大量の血と涙を流さなければならなかったかを、国民はきびしく問うべきでした。この第三部には、東京裁判の “と” の字も出てきませんが、主題はこの瑕です。あの途方もない夢の痂を剥がして、その痂を見ようと試みました。

 井上の東京裁判への立場は、「戦争責任追及の上で完全な裁判ではなかったことを認めた上で、裁判そのものは成立していたことを認める」すなわち「天皇免罪を認めた上で、歴史的な事実への追求は国民が負うべきことだ」というものであると見なすことができよう。

3.2 井上ひさしの日本語文法観
 『夢の痂』の中の国文法教師絹子の「天皇は国民に謝罪すべきであった。天皇は戦争責任をとるべきであった」という主張から、絹子は井上の思想の代弁者と見なすことができる。
絹子の国文法観は次のようなものである。
 絹子は東京の女子大で、源氏物語の中に「けり」がいくつ出てくるか数える研究をしてきた国文法研究家であり、現在は国語教師として働いている。絹子は「無自覚に日本語を話している日本語母語話者よりも自覚的に日本語の構造を捉えている教師」と設定されている。絹子の文法観は、天皇巡幸予行練習に集まっている人々に対して「教師として日本語についての考えを披瀝する」という形で述べられる。絹子が文法について考えるのは、生徒たちといっしょに「敗戦の日の意味」を考えるためである。

  「八月十五日を境に、わたしたちの考え方がすっかり変わってしまいました」、「百年戦争だ、最後の一人になるまで戦うぞ、みんなでそう絶叫していました。でも占領軍がやってくると、とたんにウエルカムでギブミーチョコレートでしょう。わたしたち、いったいどうしてしまったのだろう。これが生徒たちの疑問です。文法を教えるのがわたしの仕事ですから、文法を通して八月十五日の意味を解きたいのです」

と、絹子は言う。さらに、歌の歌詞の中では、「文法、正しいことばの目安、文法、わたしの友よ 文法、うつくしいことばの作法文法 うるわしの友よ あなたがいないと なにもいえない 世界を読むこともできない」と文法に寄せる信念を述べている。絹子の台詞から、日本語の文法に関わる部分を抜粋し、解説する。(表示頁数は集英社版による。)

(1)実体のある語は、自分でしっかり立っている。これを自立語といいます。(27)
 (2)その自立語に、てにをはの「は」が付くと、「友子さんは」と主格になる。おにぎりに「を」が付くと目的格になる。「は」を付けたり「を」を付けたりすると、その自立語がどうはたらくか、はっきりします。どういう順序で並んでいても、このてにをはのおかげで、言いたいことがきちんと伝わる。わかりますね。(28)
 (3)日本語の語順はけっこう自由である。二つ、これが大事中の大事ですけれど、、、、日本語の自立語、とりわけ名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に主格になることができる。(29)

 孤立語である中国語や孤立語的屈折語である英語は、語順が文法上の役割(主語・目的語など)を決める。それに対して、膠着語である日本語は、自立語(実態のある語、名詞や動詞など)に、付属語(助詞や助動詞)が膠着することによって文法上の役割が決まる。 絹子が「てにをはを付けると自立語がどうはたらくか、はっきりします」と述べているのは正しい。しかし、絹子が「名詞は、そのままの形に「は」をつけただけで、簡単に<主格>になることができる。」と言っているのは、まちがっている。「は」は、係助詞のひとつであって、名詞について格関係を表す格助詞ではない。現代日本語の<主格>は、格助詞「が」が付属して表される。(古典日本語ではゼロ表示の<主格>もある。例「むかし男ありけり」)「友子がおにぎりを食べた」という文の<主格>は「友子が」であり、「友子が」を話題(トピック)として取り立てるために付属するのが、係助詞の「は」である。「は」が付けば<主格>になるのなら、「おにぎりは友子が食べた」という文において「おにぎりは」も<主格>ということになってしまう。「おにぎりは友子が食べた」は、<目的格>「おにぎりを」をトピックとして取り立てているのであって、<主格>ではない。係助詞「は」が格助詞「が」と「を」を取り立てると「が」「を」の上に重なって「が」「を」を隠してしまう。格助詞「で」「に」は隠されないので「京都ではお土産を買った」「東京には行かなかった」などの文では、「京都で」「東京に」を「は」で取り立てたとき、「で」「に」は隠されない。
 日本語は「主語述語」関係で文を構築するより、「主題解説」関係で出来事を述べる言語である。発話された文は、言語情報理論から<トピック(話題)―コメント((話題に対する解説・説明)>の組み合わせとみることができる。または<テーマ(主題)―レーマ12(伝達内容)>の組み合わせとみることができる。英語などの主語優勢言語では、<主語>が文を構成する必須の単位であり、話題(トピック)マーカーとして"As for"、"Speaking of" などでトピックを明示することもあるが、話題(トピック)は明示しない限りは<主語>と一致する。日本語などの話題優勢言語では、<主語>の明示は義務ではない。話題の提示の方が重要であり、話題解説構文(topic-comment frame、あるいは主題題述構文theme-rheme frame)が基本的な構文である。日本語では係り助詞「は」がトピックマーカーとなる。また、統語論から見て、文の成分に分けるとき、<主語subject><述語predicate><目的語(対象語)object>などの要素に分けられる。そして、述語(述部)に対する名詞句の関わり方を、格助詞を伴って<主格><目的格>などで表す。いわゆる学校文法(橋本進吉文法を中心として学校教育で採用されている文法)では、文節と文節の結びつきによって文を分析している。トピック―コメント関係を担う係助詞「は」と、格関係を表す格助詞「が」を、同一平面上で扱うため、学校文法を教えられた多くの人は<主題topic>と<主語subject>を区別して受け止めない。日本語においては、主題の多くは「は」で表示される。主題は統語関係から述べると主語と重なることが多い。「私はパンを食べた」において、<主語>の「私」は、そのまま主題として「私は」と、取り立てられているので、主語と主題が一致している。しかし、「パンは私が食べた」という文において、「パンと私のどちらが主語か、わからない」と質問する日本人学生が今でも教室に存在する。「パンは私が食べた」という文では、「パンは」は述語動詞の対象である「パンを」を主題として取り立ててtopic として示したものであり、「食べる」という述語の動作行為者は「私」である。主題・解説関係で言うと、「パン」がテーマで「私が食べた」がレーマである。学校文法では、「日本語では、「が」「は」などの助詞を伴った文節が主語である。主語が省略されることも多い。」と<主語>を定義している。「友子はおにぎりを食べた」の「友子は」を、学校文法では<主語>として認める。しかし、どのような文法説によろうとも、「は」は格助詞ではない。絹子が「「は」が<主格>を示す」と述べたことにより、絹子(=井上ひさし)は、<主語>と<主題>と<主格>を混同していると考えられる。絹子は、「日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。」と述べる。述語が行為動作を表す動詞文であるとき、論理的に文をとらえる場合、述語動詞の動作行為を行う<主体>を<動作(行為)主体agent>として扱う。<動作(行為)主体>は、述語動詞に対して述べられているのであるから、「次郎は太郎に殴られた。」において、殴るという動作を行っている動作主体は太郎である。次郎はこの発話の「話題の中心人物=<主題>」であるとともに、「殴られる」という受け身述語の主語である。「太郎は次郎を殴った。」という文を三つのレベルで分析すれば、
(1)あるひとつの情報を伝えるという話者の意識からいうと「太郎」を話題の中心に据え、太郎についての情報を述べている。トピックである太郎についての情報(コメント)が「次郎を殴った」である。
(2)「殴った」という述語に対して文の成分からみた主語は「太郎」であり、目的語(動作の対象となる語=対象語)は「次郎」である。
(3)「殴った」という動作行為を担っている動作主体は「太郎」である。
 学校文法は、この三つのレベルを区別しないまま教えられてきた。『夢の痂』での文法論も、この範囲を出ていないことは、絹子の台詞に見た通りである。
 以上、文法用語としての<動作主体agent>と<主語subject>はレベルの異なる語であるのに、従来混同されてきたこと、<主語>とトピックも範疇が異なるものであるのに、同じ平面上で扱われてきたことを確認した。
 日本語の主語をどう定義づけ、どう文法論の中に位置づけるかという主語論争が続いてきたが、現在までの日本語文法界において論争が終結してはいない。 しかし、<主語>の定義がどのようなものになっても、<主語>と話題(トピック)は区別しておかないと、文の構造を理解できない。
 次に絹子の国文法解説中の、コピュラ文(名詞措定文)に関する台詞を検討する。

(4)よく意味のわからないカタカナ語であっても、「は」を付けさえすれば、簡単に日本語文の主格になってしまうんです。たとえば、よくいわれたことばに、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」というのがあった。この「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です。「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。(30)
 (5)意味もよくわからないのに、日本語文としてはとてもりっぱです。そしてなにかりっぱなことを云っているつもりになってしまう。(31)
 (6)てにをはの「は」を使って、そのときそのときのいちばん強い力に合うように名詞を入れ替えた。(31)

 「A=B」という文型は、どの言語にも普遍的に存在する。いわゆるコピュラ文(繋辞文・連辞文・つなぎ文)である。日本語では、「A=B」を「A はBである/だ/です」という文型で表現し、A を措定しているので「措定文」と呼ばれる。 措定文「AはB である」のB の部分に対してA を入れ替えることができるのは、当然のことである。「猫は動物である」に対して「蛙は動物である」、「恐竜は動物である」、「ピカイアは動物である」など、B に含まれるA は入れ替え可能である。であるから、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」の「本土決戦」を「デモクラシー」というカタカナ語に、そして「民主平和」という四文字漢字に入れ替えるのは簡単です、と絹子が言っているのは、係助詞「は」に関わることでも主語また主格に関わることでもない。絹子はこの理由を「「は」を付ければ、そのまんま主格として使えるんですからね。」と、述べているのは「述語に対して<主語>を入れ替えて用いることができる」ということの説明としては不適切である。
 次に、絹子の文法観のうち、主語の非明示(主語なし文)に関する台詞を検討する。

(7)「日本語には主語がない」こういう仮説を立てたんです。「主語がいらない」(130)
(8)「わかんない」にも主語がない。「苦手だなあ」にも「死ぬほどきらいよ」にも主語がない。(131)「主語と述語が文の基本と学校で習いましたよ」にも主語がない。(132)「閉口するよ」にも、主語がない。(133)
(9)ほかのみなさんも「わたしは」という主語を立てていませんでしたね。
 (10)海の向こうからやってきた教師たちが、わたしたちの先輩に、どんなことばにも主語と述語があるんですよと教えた。そこで、わが先輩たちも、日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ。(中略)教師たちも先輩たちも、日本語には、主語を隠す仕掛けがしてあることに気づかなかったわけですから、まちがっていました。とりわけ、日本語の「わたしは」「わたしが」という主語は、かくれんぼの名人だということに気づかなかったんです。(134)

絹子が例示している「わかんない」、「苦手だなあ」、「嫌いよ」、「閉口するよ」などは、発話主体の「今、ここ、私」の感覚感情を述べている。発話時における発話主体及び動作主体の非明示は<主語無し文>として主語論争から日本人論まで広く論じられてきた。しかし、絹子があげている例文は、英語を中心とした「主語を明示することが必要な言語」から見ると「主語がない」とされているものであるが、日本語は日本語の論理によって発話されているという見方からすれば、どの発話も「主語を隠している」のではなく、「もともと発話主体を明示する必要がないから、言わない」、「あえて発話主体・認識主体・動作主体を明示すると、日本語として不自然になる」種類の文である。「わからない」と誰かが述べたとき、発話主体にとって事態が「わからない」のである。もしこの「認知認識の動詞」の主体を付け加えるなら主格を付け加えて「私がわからない」ではなく与格を加えて「私にわからない」となるのであり、主題化して「は」でトピックを示すなら、「私にはわからない」となる。「A にはわかるだろうが、私にはわからない」という対比表現なら「私はわからない」という発話は可能であるが、「私がわからない」と主格をつけることはできない。「死ぬほどきらいよ」という文の「きらい」という感情を持つ感情主体を「私は」と主題化して示すことはできるが、「あの人、私が死ぬほどきらいなのよ」という文が表出されたとき、「嫌い」という感情を持つ主体は「あの人」であって、「私」の感情を表しているのではない。「あの人」の感情の対象者が「私」と解釈される。「きらい」という述語の<感情の主体>は、主格の「が」では示せない。高子の台詞で示される「わたしは、文法が死ぬほどきらいよ」であるなら、このとき「が」格で示される「文法が」は、感情が向かう対象を示す。(時枝文法の用語では対象語)。「私は」は、「文法が嫌い」という述語全体の感情主体であって、単に「文法が嫌いよ」と言っても、感情の主体が誰であるか、日本語の構造上明白である。感情感覚の述語が、発話者が発話時の「今、ここ、私」の感覚を述べているとき、その感情の所有主体は発話者自身である、ということは、話し手聞き手に明白に了解されている。発話者と聞き手双方が了解していることは、明示されなくてもよい。これは、日本語だけでなくどの言語にも備わっている言語の基本的なことがらである。「嫌い」「好き」には、感情の主体と感情の対象が必ず存在することは、双方が了解している。相手に向かい合って「好きです」とだけ言うことは自然な発話であるが、「私はあなたが好きです」という文は、よほど感情主体と対象を意識して表現する以外には翻訳調であると受け取られるだろう。「苦手だなあ」も同様である。絹子が「日本語には主語と述語がなければならないと思い込んだ」と述べているのは、西洋語(特に英語)の文法をそのまま日本語に当てはめた文法研究の誤りを示している点で正しい。「日本語には主語がない」のではなく、「日本語は述語を表現の中心とする言語であって、話し手聞き手双方が了解している主語を、発話時に明示する必要はない」のである。また、「感情感覚を「今、ここ」の発話として述べるとき、その感情感覚の主体は発話者である」という日本語統語の基本からいえば、「ううっ、寒い!」という発話においてその感覚の持ち主は発話者である。他者を主体にしたなら、「彼は寒がっている」と、別の表現形式を用いなければならない。
 次に、絹子の文法観のうち、自動詞文と状況変化主体文に関する台詞を検討する。

(11)(日本語の主語は)そのときの状況の中に隠れるんです。日本語では状況が主語なんです。(135)

 日本語は、自動詞文あるいは受け身文の表現を多用し「状態状況の変化を経験主体が経験する、身に感じる」という「なる型」の言語であり、英語が、動作行為動詞を述語とし、動作行為主体を主語として「する」を述べる文が表現の中心となるのとは異なる。日本語が<主体>による動作行為を表現するよりも、状態の変化、状況の移り変わりを述べる表現を多用する言語であることは、日本人論とも結びついて幅広く論究されてきたのである。
 絹子が「日本語では状況が主語なんです」と言うのは、動作主体を<主語>にするのではなく、自動詞文や状態変化、状況を表現する日本語表現の特徴について述べているのだと考えられる。しかし、どのような文が「状況のなかに主語が隠れている文」であるのか、実例は出されず、絹子は、恋仲であった小作人の清作が戦死した話題に移る。絹子は清作を「別の主語をたててものを考えられる人」と評している。

(12)いまはマッカーサーの御代、これが新しい主語なのでしょうね。(140) 天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。(141)

 「動作主体・行為主体」として述語の動作行為を実現させる「主語」について、天皇が大元帥であった時代には、天皇が「主語」であり、GHQ 占領下では最高司令官のマッカーサーが「主語」である、と絹子は言う。ここでの「主語」とは、述語に対して「実行者=行為の責任を負う者」という意味であろう。「(戦前戦中の国民にとって)天皇は状況そのものであった」というのは、自分自身の外界の動きや変化を「状態変化」、「状況の移り変わり」として我が身に経験するという「なる型」言語の日本語母語話者にとって、「天皇を頂点とする社会状況の中にいて、状況の変化を経験しつつ存在してきた」という意味に受け取ることができる。日本語においては、「自分自身を動作主体として他者に対して動作を実施する」、「<主語>として述語行為を実現する」のは、<主体>が意図的に行動を行った場合に用いられる表現である。茶碗を洗っているとき、割ることを意図せずに手が滑るなどの不測の事態で茶碗が下に落ちたという場面なら「茶碗が割れた」と表現される。手がすべって茶碗が下に落ちたとき、茶碗が割れた瞬間「あ、しまった、今、私が茶碗を割ってしまいました、ごめんなさい」と言うより「あ、しまった、茶碗が割れてしまった、ごめんなさい」と言う方が自然な発話となる。非意図的な事態に対して、動作主体を主語とする他動詞文を用いるのは不自然なのである。池上(1981)は、「英語は変化を引き起こす動作主体を中心に据えて表現する言語である。一方、日本語では、動作主体の意志的な行為を明確にして「こんど結婚します」と発話するより、事態の推移を表す「このたび結婚の運びとなりました」という表現のほうが好まれる」と指摘している。「する」と「なる」の対比は非常にわかりやすく、個体を表現の中心に置くことなく、「出来事全体」に表現の焦点があるという論は、英語日本語の比較研究においてもさまざまに論じられてきた。池上は、「英語では、出来事(イベント)におけるある一定のものに焦点が当てられて言語表現が行われているのに対し、日本語では、イベント全体の状況を捉えて言語で表現する傾向にある。英語では“do-language”(する的表現) を行っているのに対し、日本語では“become-language”(なる的表現)を行っている」と述べている。英語のように「信長は桶狭間での戦さを開始した」と表現するのは、特別に「信長」に話題の焦点が置かれ、行為者としての「信長」を強調するときの表現である。しかし、絹子や高子らにとっては、「天皇が戦争を開始した」や「軍人が戦争を始めた」と、動作主体を明示する表現は日常的な会話では特異な表現であり、「戦争が始まった」と表現するほうが自然であった。1941 年12 月8 日に、日本国民は宣戦布告のニュースを聞いた。国民は、天皇から国民への命令を受け取った。

  「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス。朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」という宣戦布告の天皇のことばを聞き、天皇から「朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」

新聞が「いま宣戦の大詔を拝し、恐懼(きょうく)感激に耐へざるとともに、粛然として満身の血のふるへるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もつて宸襟(しんきん=天子の御心)を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥ぢることなきを期せねばならないのである。」(『朝日新聞』社説)と述べているのを読んだ者のうち、「天皇が戦争を布告した」、「日本軍部が戦争を開始した」と受け取った者は「一億同胞」のうち、どれほどいただろうか。「朕カ衆庶(天皇の国民)」一同は、「戦争が始まった」と受け取った者のほうが多かったと思われる。「戦争を開始する」という意図的な事態に対して、それを自分自身が意図的な行為として選んだという自覚がなければ、自動詞表現「戦争が始まった」と受け止めるほうが日本語母語話者にとって自然な言語表現であるからだ。「天子さまは主語そのものであらせられた。状況そのものであらせられた。」という絹子の台詞は、天皇を主語として「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と述べられたことを、国民は「状況の推移」として「戦争が始まった」という自動詞表現として受け止めた、ということである。
井上ひさしの文法認識をまとめておく。
 『夢の痂』は、1947 年の東北地方を背景にストーリーが組み立てられており、ここで述べられている日本語文法観は、「1947 年当時にはこのような国文法観であったろう」として井上が絹子の口を通して語らせたものである。絹子は言う。

(13)文法がなぜ、おもしろくなくて役に立たないか。それはどんな学者の文法も和歌を解釈するためのものだからよ。何百年も前の、和歌のための文法を、いまの、わたしたちの時代のことばに当てはめようとしているの。(159)
(14)今のことばの中からことばの規則をくみ出さなくてはね。(159)

 絹子たちが教育を受けた戦前の国文法は古文の時間に教えられ、主に「古典文学解釈のために役立つ」とみなされてきた。明治時代以後の標準語を中心とする近代日本語口語文法もまた、江戸中期以後の「国学」の流れを汲む日本語研究と西洋語文法直輸入によって研究されていたのであるから、絹子の「和歌を解釈するための国文法」という文法観は、やむを得ないものであろう。江戸時代末期から明治にかけて、日本語文法研究は西洋語文法をどのように日本語に適用するか、という方向で進められた。もちろん、戦前においても松下大三郎のように古典解釈中心の国文法とは異なる「日本語文法」の確立をめざした文法研究もあり、「どんな学者の文法も~」ということはできない。しかし、学校教育で採用された国文法が、松下大三郎らの文法論ではなく、橋本進吉らの文法論が中心であったことにより、日本語文法が「おもしろくなくて役に立たない」と受け止められてきたことは、おおかたの文法教育に対する感想であろう。学校文法では「格助詞ガによって示される主語」と「係助詞ハによって示される主題」の区別すらしてこなかったのであるから、「象は鼻が長い」という文の「象」と「鼻」のどちらが主語なのか、教師にも説明できないという時代が長く続いたのも当然であった。
 井上の文法観は、1981 年刊行の『私家版日本語文法』、2002『日本語観察日記』、2004『日本語日記』2006『日本語日記2』などに述べられている。これらの書に書かれた井上の日本語文法観と2007 年の『夢の痂』(『すばる』2006 年6 月号初出)の間に大きな変化はない。『私家版日本語文法』の「格助詞ガの出世」および「ガとハの戦い」の中で、井上は、大野晋、三浦つとむ、川本茂雄、三上章らの「ガ」と「ハ」の違い、使い分けの論述に基づいて自論をまとめている。主語論、格助詞「ガ」と係助詞「ハ」についての研究について、1981 年前後に発行されていた文法書を読み込んだ上での『私家版日本語文法』
であることがわかる。井上は1976 年にオーストラリア国立大学日本語科で客員教授として講義を行っている。もとより言葉に関して長年の探求を続けてきた井上であるが、オーストラリア滞在中は特に「日本語を母語としない人に対する日本語文法」についても意識が向けられたはずであり、一般的日本語母語話者よりはるかに日本語文法への関心は強いと思われる。井上は『日本語日記2』で「人間がコンピューターに指示を与え、データを知らせるのは、全てキーボードからの入力によります。」(富士ゼロックスマニュアル)という文に対して、「文の冒頭の「人間が」が余計である」と述べ、「説明書のその箇所
を読んでいるのは、購入者か使用者にきまっている」(22) と、書き手読み手双方にとって明らかである「コンピュータに指示を与える」の動作主体について、「人間が」とわざわざ記すことで不自然な文になっていることを指摘している。日本語文にとって動作主体の明示は不必要であることを認識していた井上が、『夢の痂』において、絹子に「主語をかくす」ことに異議を申し立てさせているのは、どういう意図があるのだろうか。井上は「主語を隠す日本語」という表現で何を言い表したかったのだろうか。


3.3 比喩としての<主語>
 『夢の痂』によって表現したかった作品のテーマは明らかであるが、「日本語では<主語>が隠されている」、「<主語>が担うべき責任が曖昧にされたまま、天皇免責は既成事実になった」という絹子の主張は、日本語文法論から見て妥当なものと言えるかというと、これまでに述べたとおり、「主語の非明示」と「行動の責任所在の言明」とは別問題だ、と言わざるを得ない。日本語の主語は、発話者と聞き手双方が了解している限り、明示する必要はないと井上自身も表明しているのである。
井上が『夢の痂』において「天皇は主語であった」と絹子に語らせ、国民にとって「天皇は状況そのものであった」と言うときの<主語>とは何を意味しているのか。第一義には、天皇は「日本国体の主体」であった、ということである。ここで、<主体>について、広辞苑から辞書的な語義を示しておく。

 (1)帝王の身体
 (2)元来は根底にあるもの、基体の意(subject イギリス hypokeimenon ギリシア)
 (3)性質・状態・働きの主
 (4)主観と同意味。認識し、行為し、評価する我を指す。主観が主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性・実践性・身体性を強調するためにこの訳語が用いられるに至った。
 (5)団体や機械などの主要部分

 井上が『夢の裂け目』『夢の涙』で、「天皇免責の異議申し立てを国内外から出さないために東京裁判が行われた」ということをテーマにしているのは、「ほとんどの日本人が東京裁判に関心をもたず、自分たちの行った戦争を考える機会を妨げられてきた」と感じたからである。絹子と徳次は、「天皇は責任を明らかにして国民に謝罪し、退位すべきであった」と考えている。絹子はそれを「天皇が戦争の主体であった。主語であった」と表現している。『夢の痂』の「日本語の主語は隠されている」という絹子の主張が「戦争犯罪人としての大元帥はかくされている」ということの比喩表現であるなら、公演パンフレットに記されている井上の主張が文法論として展開されていることの理由がわかる。「日本という国家の主体=主語」として1945 年以前の大日本帝国の「主体」であった天皇が、東京裁判においては「主語を明示しなくても表現できる日本語」のように、「主体であったはずの天皇」が隠され、「天皇の責任」を明示しないままの裁判になったのである。絹子の言う<主語>とは「日本国体の主体=天皇」であると解釈すれば、「<主語>のない日本語」とは「戦争責任を負うべき<主体>=天皇のいない東京裁判」の比喩であると解釈できる。「国家の責任主体が裁判の場に現れたのか」が意識されないまま戦後65 年が過ぎ去った。井上が絹子に「<主語>が隠されている」と言わせているのは、「東京裁判においては、<主語>として動作行為の責任を負うべき<主体>が隠されてきた」ということを言いたかったのだと考えられる。東京裁判の中に明示されなかったとしても、「朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と詔勅を発した<主語>は「朕」である。「<主語>が曖昧にされている」どころか、「朕」が戦争を宣言していることは明記されている。この「朕」は英語に翻訳するなら「I」とする以外に方法がない。しかし、この「朕」とは天皇個人を表しているのではなく、「国家主体」であると解釈し、明治憲法第三条「天皇は神聖にして侵すべからず」や「国務大臣は議会を通じて国民に対して責任を負う」によるなら「朕」すなわち天皇個人は「責任を負う主体」ではなかったということになる。一方、法的な解釈が何通り在ろうとも、「朕」が「戦を宣した」ことは明らかであり、道義的には個人として責任をおうべきであったとする考え方もある。絹子は「なにとぞ、御責任をお取りあそばしませ」と詰め寄る。「天子さまが御責任をお取りあそばされれば、その下の者も、そのまた下の者もそのまたまた下の者も、そしてわたしたちも、それぞれの責任について考えるようになります」と語る。一般の国民は、天皇免責とともに「国民全員が戦争の被害者」になってしまい、加害者としての責任をとることを放棄してしまったということを、絹子は追求しているのである。絹子の台詞によって、井上は、天皇の責任を明らかにした上で戦争についての国民自身の責任をも考えるべきだと主張している。「天皇が主語そのものであった」という絹子の台詞は「天皇は行為主体であったが、それを明示しなくても話し手聞き手が了解しているのなら、主語として明記しなくてもよい。ただし、明示されなくても主語であることはわかっていることであり、行為の責任は負うべき存在であった」と主張しているのである。
 井上の文学的表現として「天皇は、日本国家の主体として宣戦布告を行った」を「主語として、行為をおこなった」という比喩で表現したと解釈できる。


3.4 行為主体と責任
 多くの日本語母語話者が「主語は、表現すべきであるけれど省略してもかまわない」という文法観から抜け出さないでいるのは、学校文法がいまだに西洋文法を基本とした内容のまま教えられてきたからである。「日本語は、動作行為主体が発話者と聞き手双方に了解できるなら明示されない」のが基本であり、「主語が明示されていないから主体性に欠ける民族性となっている」のではない。明示されなくても、主語は発話の中に理解されている。「主語を明示していない日本語は、行為の責任を明示しない」という日本語観に対しては、「そのような日本語観は間違っている」と言わなければならない。一方、他者に対して意図的な動作行為を加える場合に他動詞文が用いられるが、非意図的な動作行為には他動詞文を用いずに自動詞表現、受け身表現が用いられるという日本語の表現の仕方があることは確かである。大多数の日本人は、意図した行為として自らが主体的に決断して「日本国民が戦争を始めた」とは考えなかった。自分が決めたのではないけれど、社会は戦争の中に突入してしまっていた、という事態の中におかれ、「戦争が始まった」そして「戦争が終わった」という、絹子のいう「主語は状況の中に隠される」表現で戦争を受け止めてきた。したがって「戦争責任」という「意図された行為」をあらためて考えるには、井上のように改めて「行為と責任」を取り上げ、互いに考え合うことから始めなければならないのだろう。
 『夢の痂』エピローグで、絹子は「ある女流文法学者の半生」という歌を歌う。絹子は、自分を主語として確立すべきであること、すなわち、自己を主体として意識し、行動する必要を確認する。

  (15)しあわせかどうか。それは主語を探して隠れるか 自分が主語か それ次第。自分が主語か 主語が自分か それがすべて(160)

 日本国民が自分自身を民主社会の<主体>として、すなわち自分を<主語>として行動していくことへの希望を歌ったものである。日本国民は、天皇免責と同時に「国民は被害者だった」という「国民全体の気分」によって「戦争を開始した主語」としての自分たちを免責した。戦争は「始めた」のではなく「始まった」のであり、すべての出来事は「状況」として自分の周囲を流れていき、自分たちは流されるままに主体性を失って生きてきた。日本人は自分たちも被害者なのだ、という戦争観を持つことによって敗戦から立ち上がった。絹子が「戦後社会において、国民は自ら主体となり、主体性を持って生きていくべきだ」と解釈できる歌を歌って一幕を終了したのは、井上からの「あるべき日本社会」の姿を描いたメッセージであると受け止めることができる。


3.5 日本語母語話者の文法意識と日本語言語文化 
 我々は言語によって思考し、言語によって行動を表明する。しかしながら、主語を非明示とするという言語上の特徴が、主体性が失われ「集団志向」、すなわち「集団内での調和を望み大勢に従って行動する」という民族性を作り出したということはない。共同体全体がひとつの文化を生みだし、共通の民族性を発揮してきたとして、それは列島1万年の歴史や現代社会の中に探るべきものである。朝鮮語・韓国語は日本語と同様に「主語」を明示しなくても会話ができるが、日本よりはるかに自己主張を強く表明する民族だと言われているし、日本語と統語を同じくしないタイ語も、日常会話では主語を明示しないでも対話が成立する。英語も日記文体では一人称は非明示となるし、シンガポールで発達中のクレオール言語 シングリッシュも主語非明示で会話できる。戦後社会において、「主語として生きる」とは「主体的に生きる、<主体性>をもって歴史の中に存在する」という意味だと井上が書いている。しかし、<主語>が明示されないから、述語の動作行為の責任を負うべき<主体>が曖昧になる」という文法解釈は、日本語への誤解を生む。言語として明示しなくても、我々は自己を他者に対して<主体>として存在させることができ、主体的に生存することができるのである。「自分を<主体>として確立する」ことは日本語において「自分を<主語>として明示する」ことと同義ではない。しかし、「動作行為主体」を明らかにしなければならない場面に身をおかねばならないとき(たとえば、国際会議での発言であったり、国際貿易の契約の場であったり)、発話の際、自分を<主体・主格・主語>として意識化して明示し、「この行為において、どのような責任が求められているのか」を理解して表明しなければ、これからの国際社会で発言の意図、真偽、そして責任を問われる場面も出てくるということは了解できる。「過去の行為の責任の所在を考え、自分自身を自分の行動の主体として意識しつつこれからの時代を生きていくべきだ」という『夢の痂』に込められた井上のメッセージを受け止めた上で、「<主体>であることを自覚する」ということはどのようなことなのか、「常に<主体>を明示せずに生きていくことがグローバリゼーションの時代のグローバル・コミュニティにおいても可能なのか」ということをさらに考察していく必要がある。



第1章まとめ
 日本語は、自己の認識した外界の事象を、表現主体の主観による直接的な表現として表すものである。外界への認識を全体的に捉えて事象の推移を表現する自動詞文は、状態主体を文の中心者として表現する。
 他動詞文は、動作行為者を<主語>として<客体>へ動作行為を向ける他動詞文もあり、<主体>は<客体>と所属関係を持ち、動詞文全体で事象の推移を表す再帰的他動詞文もある。自動詞と他動詞は截然と区切って用いられるのではなく、他動性の強さによって、段階的に移行する。また、動詞内容の完結性(限界性)によって、自動詞表現のほうがより、強い完結性を有するために、他動詞表現が用いられない場合もある。
 日本語は、情報の伝達を行う場合、「主題・解説」の構造による文が表現の大きな部分を占める。日本語の主語、主体などの用語は、西洋語の文法的範疇と一致する面も備えているが、統語が異なる西洋語の主語、主体とは異なる面も持っている。subjectの訳語としての主語から出発していても、日本語は日本語統語の範囲で主語を捉えていかなければならない。
 日本語母語話者は、西洋語文法が適用された国文法教育を受け、「日本語文法」として日本語の論理に適した文法教育を受けないで来た。その結果、日本語について深い理解を持っていると思われる表現者であっても、「日本語は主語を明確に表現しないので、行動の責任者が曖昧になってしまう」というような文法観を持ち続けている。井上ひさし『夢の痂』に表れている文法観も、上述のような意識から書かれているがその文法観は間違っていると指摘した。


第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>

2010-03-26 06:20:00 | 日本語言語文化
第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>

はじめに
日本語の<主体>と<主体性>の意味を再確認し、日本言語文化にあって、<主体><主体性>の多義的な内容を考察する。subjectとsubjectivityが翻訳され、日本語として使われるようになった際に、各分野において意味を限定して受容された。subjectは「主語」「主体」「臣民」などと翻訳され、subjectivityは、「主語性」「主体性」「主観性」などと訳された。主観性は哲学心理学での用法のほか、言語学ではモダリティの内容を「命題に対する話し手・書き手の主観的な判断・態度を表わす」として、「主観性を表現する陳述」などの用法がある。また一般的な語意として主体性は「自立性、独立性」の同意語として用いられている。本章は、これらの語意を俯瞰したのち、「日本語表現の主体性」は、表現主体の主観的な言辞がひとつひとつの文にあらわされており、その集合が<主体>の<主体性>として立ち現れるものであると述べる。
 「全体の推移」「事象の移り変わり」を描写するのが日本語の表現のあり方であって、行為主体が非明示化されているとしても、それが西洋語のいう「行為主体」の欠落とは別の論理で表現されているということが理解されないかぎり、「日本語表現の主体性」も見えにくいものとなるだろう。
 第1節で、辞書に記載されている<主体><主体性>の語義を確認し、第2節では、近代社会において<主体><主体性>がどのように見なされてきたかを確認する。第3節では、具体的な日本語文章の分析として太宰治の「富嶽百景」を取り上げる。



第1節 <主体>と<主体性>の概念と議論

1.1  辞書に記載されている<主体><主体性>の語義
 まず、<主体><主体性>とは何か、語彙的意味の確認をしておきたい。<主体>の辞書記載語義の主なものは以下の通りである。
 
(1)「行為・作用を他に及ぼすもの ②物事や組織でその中心部分をなすもの、主要な部分」(岩波国語)
(2)「①団体や機械の主要な部分 ②意識するものとしての自我 ③意志・行為を他に及ぼすもの」(新小辞林)
(3)「ア、帝王のからだ(漢書から)。元来は根底に在るもの、基体の意。イ.性質・状態・働きの主。例えば赤を具有するところの赤いもの。また、歩く働きをなすところの歩くものの類。ロ.主観と同意味で、認識し、行為し、評価する我を指すが、主観が主として認識主観の意味に用いられる傾向があるため、個人性・実践性・身体性を強調するために、この訳語が用いられるに至った。団体や機械などの主要な部分」(広辞苑)
(4)意志を持って、自分からほかにはたらきかけるもの(三省堂国語辞典)

 <主体>という漢語のもともとの意味は、広辞苑の語義にあるとおり、「根底に在るもの、基体」である。この漢語が、幕末明治に英語語彙の翻訳にあたって、「subject」などの翻訳語としてあてられた。subject(英)、sujet、(仏)、Subjekt (独)などの訳語は、「主語」、「主観」、「主題」、「臣民」など、さまざまな文脈で使用されてきたのである。
 フランス語文法のsujetとは、もともと論理哲学で「文の主辞」を表し、「話題」を示すものであった。フランス文法においては、長らく「nominatif du verbe 動詞の主語」という言い方があったが、1780年代にはsujetが文法用語として優勢になった。主語が文頭に立って話題を表すフランス語、英語などでは、sujet、subjectが「主語」の意味を担うようになっており、日本に西洋文法が導入されたときには、<主語>の地位を確立していた。
 日本の学校文法が<主題>を表す係助詞「ハ」のついた名詞句と主格助詞「ガ」のついた名詞句をともに<主語>として扱うのは、もともとsubjectが「話題」を示すものであったという論理哲学的な意味からいうと妥当なものであるのかもしれないが、日本語教育の上では、<主題>と<主語>を同列に扱い、教授者が単純に「「名詞+ガ」と「名詞+ハ」は、主語を表します」などと教えると、学習者に混乱が生じる場合もある。英語圏の学習者が単純に直訳して、「卵はきのう食べた」の「卵」を「食べた」の動作主と考える誤解も生じるからである。
 続いて<主体性>の語義を確認する。

(1)「主体的であること。そういう性質」、<主体的>とは「活動の中心となるさま。自主的。また主体に関するさま」(岩波国語辞典)
 (2)「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」(新小辞林)
 (3)「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」(広辞苑)

1.2 Subjektivitätの受容
柄谷行人(1994)は、において、Subjektivitätの訳語としての<主観性>と<主体性>について、次のように述べている。

Subjectivitätという語は、日本では主観性や主体性と訳しわけられている。(中略)主観性は、最初新カント派の認識論のタームとして訳されたものであり、現在でもそれは認識論に関連している。一方、主体性は、西田哲学の系統で用いられるようになった訳語で、現在でもそれは存在論的ないしは倫理的・実践的な意味で用いられている。日常的に使われるとき、これらの語が同一の起源に発することを知っている人さえ少ないほどに、はっきり区別されている。実際、“主観的”は否定的な意味で、“主体的”は肯定的な意味で使われるからだ。(131-32)

確かに、日本語の日常的な使用では、「客観的な見方、描写」と言えば、公平で冷静、私情を交えずに事実を伝える、という意味合いを持つのに対し、「主観的な描写」は、自分だけの思い込みによる一方的な伝え方という否定的なニュアンスを帯びる。一方、「主体性のある行動する」と言えば、他人に左右されず自分自身の意志決定に基づく積極的な行動として、肯定的なニュアンスを含む。ひとつの語が訳し方によって両義性を持つのである。
 紅林伸幸(1989)は、subjectivityを「表題の主体性を日本語<shutai-sei>で表記したのは、本稿で検討されている主体性が 主観性と独立性という2つの意味内容を含み持つ広義の主体性概念であることによる(271)。」と注釈し、「広義の主体性の両義である主観性と独立性は無関係にあるのではなく、対規範的な主体性(独立性)が主観性を前提としてこそ主張できるものである、と述べている。
 藤野寛(2006)もsubjectivityが両義的意味を持つことを認めている。

動かす/動かされるという次元で考える時には、主体/客体という日本語が用いられるが、見る/見られるの次元で考える場合、主観/客観という言葉使いになる。同じ西洋語(Subjekt, subject, sujet)の翻訳でありながら、「主観」と訳すと、主観性には「公平さを欠いた」という否定的な語感が付着するのに対して、「主体」と訳すと、主体性には「他に左右されることなく内発的な」という肯定的な語感を伴う、という「ねじれ」が生じる。このねじれは、本稿が論じる「理念とその限界」というテーマそのものに関わる事態である。そもそも「主体(観)性」とは両価的なものであって、「主観」「主体」への翻訳は、その両価性をすっきり切り離しうるかのような誤魔化しに心ならずも加担する結果になっている。「主観」とは、それなくしては、自分の目で見、頭で考えるという行為がそもそも発動しない何ものかであり、認識行為の起点にして地盤をなすもの、その意味でそれを消去することが目標にされることなどあり得ないものである。他方、「主体」とは、他者によって動かされることを潔しとしないものなのだが、それはつまりは孤立の表現以外の何ものでもあるまい(210)。

 <主体性>の意味がふたつに分離して用いられていることや、<主観性>という訳語に否定的な意味合いを持たせていることに言及する論者はいるが、言語における<主体性>とは何か、について明瞭な定義はなされていない。社会学、哲学、文学、言語学でのそれぞれの<主体><主体性>に関する言説を俯瞰しておきたい。

1.3 近代と<主体>概念
 言語活動は、人間にのみ可能となった認知と表出の営みである。人は自己と他者を認識し、自分の周囲の対象を象徴化してとらえることができる。この認知の営みを、認知する<主体>と認知対象の<客体>に分けることが、表出活動の第一歩となる。ウエーバーらの主体論を経て、ことにM・フーコー以後、哲学の分野での<主体>論の方向が大きく変化してきたという点を確認しておくことが重要であると思う。近代社会の成立以後、人が<近代主体=自由で自律的な主体>として生きていくことは自明のこととして扱われ、「主体的・自律的に生きること」は、生きることの意味のひとつとして所与のものと考えられてきた。しかし、1980年代以後の社会いわゆるポストモダンの言説の中で、<近代主体>という「理想的に社会を支える個人」のありかたそのものへの疑義も提出されている。21世紀もすでに10年を経て、「<主体性>の価値を素朴に信じる社会を失って久しい」という論もある中、その自明とされてきた<主体性>を問い直すという作業は、広い論議とはなり得て来なかった。社会学、哲学、教育学など、それぞれの分野で、論者は各自の意味によって<主体性>という用語を使用し、日本語において用いられる<主体性>がどのような意味を持ち、英語の'subjectivity'やフランス語の'subjectivité'またドイツ語の'Subjektivität'の訳語として使用される日本語の<主体性>が、元の語とどのようなズレを生じているのか、という日本語の側からの問いかけもなかった。本章1節で述べたように、そもそも 'subject' や 'subjectivity' という用語自体が多義語であり、複数の用いられ方をしてきたという経緯もあるが、日本語の<主体性>とは何か、という論は、多くはなかったのである。
 近代社会では、<主体>は、自らの価値体系を構築し設立することにおいて十全な自律を成し遂げることができるとされる。さらに実践的なレベルにおいては、「近代主体」は理想上の「変革主体」となる。これまで<主体>の理想は、自分で自分のことを決めるという場合に、決定すべきは自らの「究極的価値」であると想定されてきた。しかし、現代では「究極的価値」を選び取ること自体が、既成の価値観によって刷り込みが行われる中で選んだものにすぎず、さらに自ら選んだ価値によって束縛され独断的になる恐れを含むとみなされている。<主体性>というものが、「活動の中心となるさま。自主的。また主体に関するさま」「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」というような語義として与えられているとき、まず「行為する・行動する」ということの概念を規定する必要がある。
 「行為する・行動する」とはどのようなことか、古典的概念から見ておく。「行為の諸類型」に関し、もっとも古典的な分類として、マックス・ウエーバー(1864‐1920)の四類型がある。ウエーバー(1972)は社会の基本単位である社会的行為を四類型にわけている。

 (1)目的合理的行為―目的・手段・副次的結果を予想し考慮した行為。目的と手段の関係が合理的。
(2)価値合理的行為―倫理・芸術・宗教など固有の絶対的価値を意識的に信じることによって生じる行為。予想される結果にとらわれない。
(3)感情的行為―感情や情緒による行為。
 (4)伝統的行為―身についた習慣による行為。(35)

 ウエーバー行為論的に人間を見るなら、「既存の社会を受容し、それに対して<主体的>にリアクションを返してゆく能力をもった人間」ということになる。それを社会の側から見ると、社会は、人間を一人前の行為者にする一方、その行為者によって修正され続ける存在である。そのような社会の中に人間が存在するための最大最良の方法のひとつが、言語によるコミュニケーションである。コミュニケーションが成立するためには、言語のルールを当のコミュニケーションに関わる話し手聞き手双方によって理解されている必要がある。しかし、このルールは当事者同士には意識されない。母語によるコミュニケーションにおいて文法は意識されていないが、母語による対話のプロセス自体は文法の適用無しに行うことはできない。
 ギデンス(1986)は、この問題を次のようにまとめている。

発話者は、文を発話するとき、その発話行為を産出するにあたって構文規則構造に依拠している。規則はこの意味において発話者がいうことをうみだしている。しかし文法的に話すという行為はまた、発話を産出する規則を再生産するのであり、規則はただこのようにしてしか『存在』できないのである。(120)
 
日本語を母語として使用している社会においては、禅思想や西田幾多郎の『善の研究』に見られるように、「主客合一」論をはじめ、西欧社会におけるのとは異なる<主・客>の認識が言語の上にも思想・社会の上にも表されてきた。近代という時代に対して、現代とはどのような時代であるのか、すなわち、日本語母語話者が日本語を話して生活している現代という時代について確認しておきたい。「近代化するmodernize」時代、近代化の大きな柱として産業化、国民国家形成などが行われた。産業化以後の社会は、「前近代化社会」「自然と伝統」という目的・対象(object)を近代化してきた。前近代が含んでいた「身分的な特権」や「宗教的な世界像」などを変革し、産業化、国民国家成立の中で新たな認識を世界像に結ばせることが近代化の大きな成果であった。
しかし現在、この近代化はその目的・対象(object)を、吸収し変革尽くして喪失し、近代化された社会自身を近代化していく段階、すなわち「再帰的近代化」の時代となっている。世界近代化の帰結として、多くの社会に問題が生じてきた。個々人にとって自己の存在意味を喪失し、生きる動機の不安定性、無力・孤立感、集合的個人の連帯感共生感の希薄化、自然破壊、人工的環境への従属などが引き起こされ、その結果、家族、市民社会、国民国家が再考され、個人化によってばらばらになった個人を統合し、意味喪失した個人に自明のアイデンティティを取り戻そうという試みがなされて近代以前の共同体を再探求する過程へと進んだ。近代家族の結合力や地域コミュニティの結束の試み、個人の孤立・無力感、意味喪失からの回復が図られ、分断された社会と個人の再統合が試みられたのである。しかし、1970年代以降、これらの試み自体も近代社会のなかに組み込まれてしまった。アイデンティティと自己の存在論的意味の創出がより大きな自己課題となり、<主体>を脱中心化すること、すなわち近代のような自己同一性についての確信が成立しない<主体>を<客体>とともにあるものとして統合する過程の中にある。近代以後の社会において、<主体><客体>の対立や<主観性><主体性>という概念がそれぞれの関心の中に論じられてきたのも、この<主体>、<主体性>のゆらぎが根底にある。西洋社会の<主体>がゆらぎつつある現在、日本語の<主体・客体>のありかたが、これまでとは異なった思考方法のひとつのあらわれとして西洋社会の前に提示できるのではないか、と考える。
 一方では「近代的個人」であることが「現代社会」に生きていく<主体>であるとされながら、一方では「共同体=ワレ」の存続の中に生きて、いわば引き裂かれた疎外の中に放り投げ込まれたあげく、ハンナ・アレントがいう「疎外による公的領域の疲弊を通じて、人々はアイデンティティの不確実性を埋め合わせる集合的イデオロギー、すなわち内側で大衆に共通の危機意識を植え付け外側に敵を作り出し、集団の意識を敵に集中させる全体主義」に埋没したのが、日本の「近代的個人」であった。近代的個人の表現の方法をめぐって、さまざまな試みが為されてきた。リュス・イリガライ(1977)の試みは、日本語統語の方法を意識化するためにも有効と思われる。イリガライは、文法・統辞法を支配してきた男性的語りへの従属から離れようと、「主語の省略、名詞句・不定詞句・現在分詞の多用、アナグラム・類音・同音異義語の活用、脚韻効果によるリズム感の創出」によって「男性的統辞と異なる女性的な語り方」を実践してきたと述べている。イリガライの試みた「男性原理=西洋語の統辞法を逃れる語り」に現れている言語技法は、従来日本語が「西洋語に比べて曖昧で、論理的ではない表現である」と、否定されてきた諸特徴と同様のものである。エレーヌ・シクスーの主張する「女性的主体=間主観的主体」やキャロル・ギリガンのいう「他者との相互依存関係において、他者とのネットワークの中において捉える自己」「他者との関係の中で発揮され涵養される<他者共感的主体>」は、日本語が本来表現してきた「主体と客体とが一体となって事態の推移を担う」という表現の中に表出してきたものに共通している。西洋的な知の見方から抜け出ようとするとき、フェミニズム論の主導者をその一例として被抑圧的存在であった人々の見方が、東洋的、主客一体的な見方を採用していることは、主客二元論的、男性的論理による<主体性>のとらえ方を打破するために、必要であると、西洋側も気づいてきたことの現れである。ジョナサン・カラー(2003)は、カルチュラル・スタディを解説して以下のように言う。

  カルチュラル・スタディはどこまで我々が具体的な文化によって操作され、どこまで、どんなやり方で、いわゆる「行為の主体性」を発揮することによって、それを別の目的のために使うことができるようになるかを問いかける(最新の理論が簡潔に「行為の主体性(エイジェンシー)」と呼ぶ問題は、われわれがどこまで自分 の行動に責任を持つ主体になり得るかわれわれ自身の明らかな選択と思えるものが、どこまで制御できない力によって規制されたものであるかをめぐる問いである(68)。

 カラーが指摘するように、西洋社会において「行為の主体性」への確信がゆらいできたことは社会学や心理学からも検証されてきた。 日本語は、「行為主体を表現していないからあいまいな表現しかできない」のではなく、日本語が日本語の統語法を自覚しながら表現していくことで、行き詰まりを露呈している西洋的思惟に対して、イリガライが試みたのと同じように、「もうひとつの語り方」を示すことができ、シクスーやギリガンらのいう「他者共感的主体」を提示できる。西洋的思惟の論理が追求してきた<主体・客体>論とは異なる<主体性>の表現「共感的主体」、「自他混在型意識」、「間主観的自我・主体」、「人間関係のネットワーク中で自己を考える主体」等を、日本語言語文化の中に再確認する必要性がある。
 現代という時代の中にあって、<自己>は、変革する<主体>でもあり、変革の対象である<対象>、<客体>ともなる。このとき、<主体>と<客体(対象)>を截然と区別してきた西洋語の社会、西欧社会は、文学上でも社会上でも、<主体>と<客体>の認識に新たな視点を呼び込むことが必要とされているのではないかと思われる。<客体>も自分自身であるという再帰的時代のなかで、アイデンティティの表現、自己存在の意味探求が為されている現代を表現する文学において、主客の対応を表現の主な形式としてきた西洋語が、その表現に行き詰まり、別の表現を模索しているとき、日本語の再帰構文や自動詞表現は、<主体性>また<行為>中心の表現に対して、別の表現へのひとつの示唆となるはずである。西洋語とは異なる<主・客>の現れ方を理解し、<主・客>に<全体-部分>を含む日本語表現のあり方を明確にすることが、西洋語圏における<主・客>概念にも新たな可能性を広げるのではないかと思う。

1.4 表現主体の背景化
 日本語は自己志向性を強く持ち、言語主体(話し手・語り手)が<主体性>を持ち、言語表現表出を行っている。内的な自己意識を<主体性>として表現し自己中心的(ego-centric)に表現する言語である。日本語は、世界を認識する自己を背景化し、自己の周囲を主観的に描写する言語だからである。廣瀬・長谷川(2010)が「日本語は、主体性の強い言語である」と結論づけているのは、この「主観を前面に出して表現する言語」であるという点を強調している。一歩戸外へ出て「寒い!」と述べるとき、表現主体は、認識主体たる自己の感覚を客観的操作を経ずに感覚そのものを表現できる。自己の外界を描写するとき、「私は富士山を見た」という自己を客観化し、自己の行為を描写する方法をとらない。「富士山が見えた」と自己を背景化して述べる。認識する自己を背景化し、認識の対象である富士山を<主体>にして描くことがもっとも自然な表現となる。
「聞こえる」「聞く」、「見える」と「見る」の違いを日本語学習者に理解させるとき有効だった考え方のひとつに、アフォーダンス理論がある。日本語の「明示されない主語」について理解させるときにも、日本語を考える有効な考え方であると思う。アフォーダンス理論の確認の前に、ベイトソンの環境と人(自己)との関わりについての考え方を見る。ベイトソン(2000)は、木を切る木こりの話を例示している。木こりが木を切るために斧を振り上げ、幹に打ち込む。斧の一打ちはその前に木につけた切り目によって制御されている。ベイトソンは、このプロセスの自己修正性こそが「精神の生態学」と呼ぶべきものだと述べた。ベイトソンは人と環境について、「<主体>としての<自己>が対象としての木を伐ったという従来の考え方を捨てるべきであり、木こりは、木が立っているという変化のない状態から木が切られ倒されるという一連のシステムのうねりを「木を伐る行為」として実現したのであり、そこでは自己と対象はいっしょになっているのだ」と、論じている。(431)。これを言語表現から見ると、環境が変化し、その変化の結果を人が知覚したとき、二つの表現方法がある。「行為者が対象に対して変化させるという行動をとった」と表現するか、「主体と対象がひとつになって変化と言う結果に帰結した」と表現するかの二つである。
日本語に置き換えて考えてみると、「与作は木を切る、トントントン、トントントン」という歌の一節は、与作が木に「切る」という行為を加えている行為現象の表現であるとともに、与作と木が共にこの現実の中にあり、「木が切られた」という事態の推移の中に存在していることの表現である、というのが、日本語文の受容にとって必要である。与作が木を切っていることを認識している認識主体にとって、トントントンという木を切る音は、「意志を持って聞こうとして聞く」音ではなく、「聞こえる」音である。環境の中に存在する音が行動推移の認識をもたらすのである。この<主体>と<客体>の在り方を西洋語の側から説明するのがアフォーダンス理論である。
日本語の再帰的他動詞文「太郎は床屋で髪を切った」が、太郎を動作行為主体でなく、床屋という環境の中で「髪を切る」という事象の推移の中心にいることを表すことと、木が<主体>と共に環境の中にあり、その木と木こり一体で「木こりが木を切る」という事象を実現しているということは、同じとらえ方で受容することができる。日本語他動詞は、<主体>と<客体>が対立的に存在するのではなく、述語他動詞の内容を環境の中に実現した事象の中に、<主体と客体>がひとまとまりの存在としてあることを表すのである。
ひとつの行為を行う者を行為主体と規定した場合、ある行為を他の動作主体(agent=代理者)に委任したとき、行為主体Aをプリンシパル(principal、依頼人、本人)、行為主体Bをエージェント(agent、代理人)の二者の関係ができる。山林の持ち主Aが木こりBに木の伐採を依頼したとき、実際に木を切っている動作者がBであっても、事態の推移からみて、「Aは持ち山の木を切った」と言える。<主体>が<客体>に向ける行為というのも、さまざまな段階があり、文の表現にも反映する。<主体>という概念が、西洋哲学の<主体・客体>という意味を表すだけでなく、さまざまな<主体>があり、<客体>があると考えることができる。agentもprincipalも事象の推移実現の中で、同じように述語内容の<主体>であると考えることが、アフォーダンス理論によって西洋語を母語とする人々にも理解できるようになったといえる。すなわち、この<主・客>体の在り方を西洋語の側から理論化したのがアフォーダンス理論なのである。ギブソン(James Jerome Gibson、1904-1979)は、1950年代にアフォーダンス(affordance)理論を導入した。従来の知覚心理学の概念では、外界の刺激が動物(有機体)に与えられると見なされていた。その知覚と外界の関係を逆転し、環境という外界の持つ意味(アフォーダンス)を「環境に実在する動物(有機体)が、その生活する環境の中で探索することによって獲得することができると見なした。環境が動物に与える(afford)「価値」「外界の意味」をアフォーダンスと定義したのである。ギブソンはベイトソンのいう「精神」を「環境と知覚の連動性」にまで拡張して、そこに「変化するもの」と「不変なもの」とがあること、そこにアフォーダンスが測定できるいくつもの傾向があることを突きとめた。環境には「情報」が満ちており、我々が生まれてより行っているのはその「情報」を探索することである。環境が持続しているか(不変)、あるいは変化しているか(対象の運動、変位、転回、衝突、変形、出現、消失などの環境変化)のいずれかが我々を包摂している。アフォーダンスは事物の物理的な性質ではなく、あくまでも動物にとっての環境の性質である。環境中のあらゆるものはアフォーダンスをもつ。動物は環境中からアフォーダンスを検索することができる。アフォーダンスとは主観的な存在ではなく、所与の存在として環境に備わっているものである。人は自己を取り巻く環境の中に生まれ、生きていく。自己の身体以外の他者が形成している人の社会も環境であるし、人が生活している地球環境全体も環境である。この環境の中で、人は環境が与える(アフォードする)ものを知覚し制御しつつ行動や言語を理解する。人の環境は、変化するものと変化しないものを含む。変化と不変(持続)は人を取り巻く世界環境のふたつの現れ方であり、環境は変化するか持続するかの相をもって人の前にある。人が環境の中で聞き手に向かって自己と環境との関わりを表現しようとするとき、ふたつ表現方法があり得る。ひとつは「行為者(agent)が働きかけて環境(対象object)を変えた」と捉える表現である。もうひとつは、「人を含む環境が変化し推移した」と捉える表現である。西洋語は前者を取ることを優先する言語である。日本語は後者による表現を中心とする言語である。
 本多啓(2005)は、日本語文の形式には表れてこないが、文の背景に存在する「明示されない主語」を、ギブソンの生態心理学における「エコロジカル・セルフ(環境内自己)」とみなす。ギブソンの主張をまとめれば、環境知覚と自己知覚は不可分で相補的であり、環境は知覚者の探索により、行為の可能性をアフォードする。また。英語にも人を主語としない表現があるとき、アフォードの考え方を有効に適用できる。自己とは、環境に埋め込まれた「環境内自己」であるとみなす認知的な考え方である。本多啓は、人を動作者としない英語文を以下のように解釈している。

  This car handles smoothly.(中間構文)車のハンドルを操作している運転手は背景化している。
  The cake tasted good.(連結的知覚動詞構文) ケーキを味わっている人は背景化している。
  This road goes from Modesa to Frenso.(主体移動表現)道を移動している人は背景化している。道を通って移動している人が、「この道はモデッサからフレンソへ向かう」と意識しているのであり、認知している人は文の表面に登場しなくとも存在している。

本多(2005)によれば、これらの表現において、動詞は環境的自己の探索活動を、動詞句は主語がもつアフォーダンスを、文全体は探索の結果生じる環境的自己にとっての見えている世界を表現している。
This book sells well.(この本はよく売れる)
 These cookies eat crisp.(このクッキーはパリパリ食べられる)
のような、中間構文Middle construction 1は、日本語の表現では、ごく普通に言える表現である。日本語は、中間構文の主語と同じように、事象の中心者を主語にするのであって、This book sells well.の本に対して「売れるか売れないかの責任を追及する」などのことがあり得ないように、日本語の<主語>が明示されていても、それは「行為を行い、責任を追及されるべき存在」なのではない。「太郎は髪を切った」と表現されている文の「太郎」は、「切る」という行為を「髪」に対して加える行為者であるとの解釈も可能であるが、「太郎と髪」が環境の中で「髪が切られる」という事象の推移を担う存在だという解釈が日本語ではもっとも自然な受け止め方である。
 <主体>は、動作・行為の主体も、状態の主体も、動作を受ける主体もある。具体的に動作を行っている<主体>もあるし、相対的な<主体>もある。相対的な<主体>とは、次のような場合である。宮島達夫(1972)は、移動動詞の<主体>に関して、「近づく」という動詞の「移動の主体」について述べている。

  伸子は家が近づくにつれ深まる懸念を感じた。(『伸子・上』)(宮島1972:21)

 主文の述語動詞「感じた」の主語は伸子である。複文中の動詞句「家が近づく」の動詞「近づく」の句の主語は「家」であるが、家自体が近づくという動きをしているのではない。伸子が家に向かって移動しているのであり、伸子の意識から見て「家」が近づいているのである。文中に主語がない場合も同様である。

  するといつの間にか、今登った山は過ぎて、又一ツ山が近づいてきた。(『高野聖』)(宮島1972:21)

 「山」が自分に近づくという移動行為を行っているのではなく、山中を移動している主体から見て、山が自分のほうに近くなってきたと感じられるのである。人から人への働きかけとなる「花子が太郎に近づいた」は「太郎が花子を近づけた」という局面もあり得るが、「家が伸子に近づいた」に対して、「*伸子が東京を近づけた」は成立しない。
以上、<主体>は<客体>に対して述語内容の行為を加える、というだけでなく、<主体>と<客体>がともに述語内容の推移の中にある、という表現は、「山が近づく」「山が見える」「声が聞こえる」という<主体>を背景化した表現の受容が日本語理解に必要なことを確認した。
現代という時代の中にあって、<自己>は、変革する<主体>でもあり、変革の対象である<対象>、<客体>ともなる。このとき、<主体>と<客体(対象)>を截然と区別してきた西洋語の社会、西欧社会は、文学上でも社会上でも、<主体>と<客体>の認識に新たな視点を呼び込むことが必要とされているのではないかと思われる。<客体>も自分自身であるという再帰的時代のなかで、アイデンティティの表現、自己存在の意味探求が為されている現代を表現する文学において、<主・客>の対応を表現の主な形式としてきた西洋語が別の表現を模索しているとき、日本語の再帰構文や自動詞表現は、<主体性>また<行為>中心の表現に対して、別の表現へのひとつの示唆となるはずである。西洋語とは異なる<主・客>の現れ方を理解し、<主・客>に<全体・部分>を含む日本語表現のあり方を明確にすることが、西洋語圏における<主・客>概念にも新たな可能性を広げるのではないかと思う。

第3節 太宰治「富嶽百景」の叙述分析

2010-03-18 09:20:00 | 日本語言語文化

第3節 太宰治「富嶽百景」の叙述分析

3.1 「富嶽百景」の表出する<主体性>
 日本語文において<主体性>はどのように表現されているだろうか。
 本論では、<主体性><主観性>両義を、どちらもsubjectivityの意味として扱うが、本節においては、太宰が表現主体として生みだした文にどのように主観が表れているのかを中心に、叙述のテンスやヴォイスを見ていくことにする。
 本節では日本語学・言語学の<主体性>定義をふまえ、「<主体性>とは、表現主体が、自分自身の表現意志を持ち、述語内容を<主体>の上に実現させること」と規定し、「表現主体の主観によって選択された叙述形式に<主体性>が表れる」として、「富嶽百景」の文を分析する。
出来事の叙述に重点が置かれる日本語において、<主体>が背景化されていたとしても、述語中に<主体>は在り、<主体性>も存在している。表現された発話や語りの受容者(聞き手・読み手)は、語り手の語り方、表現主体の主観を通して物語世界を見る。語りの叙述に表れた表現主体の<主体性・主観性>は、語り手の視点となって、テンスや待遇表現にも表れる。作者の視点の分析として、作品中の述語から「タ形・ル形」、ダイクシスの表現、また授受動詞文、待遇表現などについて考察する。表現主体がその主観によってどのような視点をとり、それをどのような文法形式で表現しているか、という点を観察することは、日本語文における<主体性>の在り方を示すひとつの方法となる。テンス、授受表現、待遇表現などにおける表現主体の主観の表現が、現実世界を見る主体の存在を示しているのである。
 本節では、太宰治の「富嶽百景」を一文ずつ分析してみることによって、語り手=主人公「私」の<主体性・主観性>が、どのように表現されているのか、その現れ方を確認する。文を句点ごとに区切り、述語の書き表し方を文法的な分析により、文末のテンス、ヴォイス(授受表現を含む)、待遇表現などの叙述から、表現主体が「自己物語世界」を構築するためにどのように述語表現を重ねているかを観察し、語り手の自己表出がどのように表現されているかを見ていこうとするものである。
 一文の述語が<意志性><支配制御性>を含む述語であるかどうか、作品中の動詞述語を確認した結果は、「意志動詞文の数/文の数」に数字で表したが、<意志性><支配制御性>を有する動詞述語文の割合は少ないことが判明している。<主体性>という語を辞書的語意的に「自分独自の意志・主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対象に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的である」と受け取ると、小説中に主人公が能動的自主的に行動したことの描写は少ない、という結果になる。しかし、読者の素朴な読後感は、「精神的なダメージをもって富士山麓に滞在していた主人公が、富士山を眺め周囲の人々と交流する半年の間に、仕事や人生に対する主体的な精神力を回復して下山していく」というものである。作者はどのようにしてそのような読者の読後感を生みだしているのだろうか。
表現主体の<主体性>が、叙述の選び方に表現されているという立場からの文体観察である。


3.2 「富嶽百景」概要
太宰治「富嶽百景」は、1939(昭和14)年2月に発表された。1中期=安定期の佳作として評価されている。この作品が発表される前月に、師、井伏鱒二の家で、石原美知子と結婚式をあげ、生活の上でも文学の上でも、転機をはかった時期であった。パビナール中毒の治療のために精神病院に入院させられ、妻の不貞に打ちのめされて4度目の自殺に至った「自己を見失っている人間」としての太宰が、「自分とは何か?」という問いを重ねて、「自分はどのような物語を生きているのか?」という認識を、他者との関わりの中に見いだしていく過程を描いた「自己物語」が「富嶽百景」である。
ストーリーは、富士山をめぐる短いエピソードを連ねて構成されており、作中では語り手である主人公の「私」は、登場人物から「太宰さん」と呼ばれている。「一人称小説」「自己物語世界的」小説である。
本節は、この小説を「語られ方」の面から検討する。「富嶽百景」は、「私」を主人公とし、「私」自身が語る小説である。すべての文が主人公の視点によって認識され、主人公を主体とする文が中心になる。主人公「私」の<主体性・主観性>は、どのように表現されているのか、言語的な諸手段を観察し、表現された文体の中に「富嶽百景」の「私」の<主体性>を確認する。

3.3 「富嶽百景」文体分析
 「富嶽百景」は全文数で450文ほどの短編である。場面も限られており、全て、富士山麓の天下茶屋周辺での出来事である。出来事の推移に従って、場面を分けると、「富嶽百景」というタイトルではあるが、亀井勝一郎は二十景とし、竹内清己は最終の一文を独立させて二十一景としている。2 以下に示す「景」は、本論のために便宜的に場面を分けたものであって、亀井や竹内の分割を踏襲したものではない。
意志動詞文の数/文の数。
数字は意志動詞文と文の数を示す。例えば、1景には文の数が26ある。そのうち、主人公「私」が意志動詞述語によって自分の行動を描写している文は2文である。以下同じ。
1景:2/26 富士の形 
2景:4/6 便所の富士(峠に来る前の鬱屈した状態)
3景:5/20 御坂峠の富士(井伏氏の誘いにより峠へ) 
4景:6/16 三つ峠の富士(井伏氏との登山) 
5景:8/17(石原家の)富士噴火口の写真(見合い)
6景:2/29 富士見西行(宿を訪ねてきた友人と、僧形の男が犬の前で狼狽するのを見て、俗性に幻滅する) 
7景:8/34 新田青年の訪問(読者から先生と呼ばれることを受け入れる)
8景:2/52 吉田の富士(読者青年たちとの語らい、清姫の行動力賞賛) 
9景:8/38 眠れぬ夜の富士(吉田の夜、無意識的な散歩で見た富士。「富士に化かされた」) 
10景:6/22 冠雪の富士(通俗の富士から冠雪した富士へ) 
11景:2/26 月見草と富士(通俗の富士を否定し月見草を見入る母に似た人への共感) 
12景:2/16 夕焼けの富士(夕焼けの中の富士を見ずに紅葉に見入り、宿のおかみさんに人恋しい気持ちを見透かされる) 
13景:2/10 月光の富士(文学の方向が定まらぬことへの煩悶) 
14景:7/16 遊女たちの富士(みすぼらしい遊女たちを見て、富士に祈る) 
15景:4/40 甲府から見える富士(実家からの援助のないことの告白。結婚の承諾を得る)
16景:4/15 声援(15歳になる宿の娘が執筆を応援してくれることに感謝する) 
17景:3/10 晩秋(宿の娘に気をつかいながら秋の深まる峠に滞在する)
18景:1/19 花嫁と富士(富士に向かって大あくびをする花嫁を見て、宿の娘と非難する。「私」の結婚は順調に進展する。
19景:2/7 炬燵と富士(寒くなり、宿は炬燵を新調してくれたが、下山を決意する)
20景:2/16 真白い富士(都会から来た娘にシャッターを頼まれた「私」はわざと富士だけを写す)
21景:1/3 酸漿のような富士(下山するときに見た朝焼けの富士は、ふっくら丸く温かい形に見えた)

単純な数の比較でいうと、全文の数に対して、主人公「私」を主語とする動詞文、ことに意志動詞の数は、最初に予想した以上に少なかった。「富嶽百景」の動詞文からは、「主人公の主体性ある行動は、意志動詞によって叙述される」ということはできない。<主体性>を、一般的な辞書の語義である「自分独自の意志。主義を堅持して行動する態度」「主体となって働くこと。対照に対して働きを及ぼすこと。自発的能動性。実践的であること」という意味にのみ捉えれば、意志動詞述語文が少ないことは、意志的な行動をとる<主体性>が感じられないということになってしまう。表現主体の<主体性>は、行為の中にではなく、<主体が認識した主観性を発揮すること>と捉えるべきであろう。表現された認識の中に作家の<主体性>が表れているのである。「富嶽百景」の最後の文は、「富士を見ると、甲府の富士は、山々のうしろから、三分の一ほど顔を出してゐる。酸漿(ほおづき)に似てゐた。」と書かれている。「酸漿に似ていた」と主観的に認識し、その記述がなされたということが、作家の主観の表現であり、主体性の発現である。
近代文学の中で、太宰治は最も数多くの評論や研究がなされてきた作家のひとりである。その中で、北原保雄 (2005) は「主観的な文章―「富嶽百景」の場合」で、富士の描写において、表現主体の主観的叙述が中心になっていることを述べている。富士が客体として主体と対峙しているのでなく、主体の心情の反映として登場していることをあげ、「計算の上に計算を重ねて、文章を展開している」と評している。(177) 日本語表現において、主体は客体と対峙するものとして表れると同時に、主体と客体が重なり合うものとして表現されていることのひとつの例が、「富嶽百景」にもある。たとえば、14景、遊女の一団体が御坂峠にやってきたとき、見た富士は「そのときの富士はまるでどてら姿にふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのである」という描写がある。御坂峠の茶屋で振り仰いで見た富士の姿である。北原は、御坂峠に滞在中の太宰が宿の提供しているどてらを着てすごしたことと合わせて、富士に対する親近感・好感のあらわれと見ている。小説冒頭の自己否定的な気分から、自己肯定への転換へと向かう心理的な主体的変化が、客体である富士の描写に表れた、と捉えてよいだろう。
北原は富士の描写を中心に分析している。本稿では、富士のほかの描写はどのように表現されているのか、文法的な表現の選択がどのように主人公「私」の心理や主体的な意識(=主観)の反映であるのか、という点について、文末表現を中心に見ていくものである。
まず、動詞述語の「タ形」と「ル」形が文末に表れる様相を中心に述語の分析を行う。
 日本語のテンスは、コト=言表事態(事実)と、キモチ=言表態度(陳述)のどちらにも関連する叙述形式である。本論では、テンスの選択も表現主体による主体的な判断のあらわれと考える。
 日本語の動詞述語のうち動作行為の動詞は、未完了未完成のことがらを「ル形(非過去形)」、完了・過去のことがらを「タ形」で表現するのが基本である。日常会話では発話者の発話している時点が基準時となるので、聞き手も発話者の基準時に基づいて判断する。存在を表す動詞(存在詞)は、「いる」「ある」「である」が現在のことがらを表す点で他の動詞とは異なる性質を有する。
 小説においては、過去の出来事として語り手が述べることが多く、語り手の視点に合わせて、基準時は動く。小説では、大部分の出来事は過去の出来事として述べられるので、文末のテンスは「タ形」になるのがもっとも無色な表現の仕方になる。小説中に「ル形」が使われている場合、以下のような理由が考えられる。
(1)現在の出来事として想定されている、いわゆる歴史的現在。
(2)時間的に生起するできごとではなく、状態・属性の表現。
(3)ストーリー形成に関わる背景的な状況・事態の説明。
(4)文体上、修辞上のル形。
 小説中の現在を基準時として選ぶのか、語り手が語っているときを基準時として選ぶのか、テンスの選択は表現主体が主体性を持って選択している表現のひとつであると言える。
 では、『富嶽百景』の中の「タ形」「ル形」を抜き出してみよう。
1景:「私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた」
 「私」の行動を「タ形」によって、通常の出来事の描写として述べている。
2景:「途方に暮れた」「ひとりで、がぶがぶ酒のんだ」「富士が見えた」
 「タ形」で継起した出来事が述べられている。しかし、当時の気持ちについては「あの富士を忘れない」「私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない」と、「ル形」「ナイ形」により、述べられている。
3景:「昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た」
 「タ形」で「私」の行動を説明した後、当時の時間の中に意識が置かれ、「私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく」と、「ル形」が使われている。過去を回想するというより、過去の時間の流れの中に意識を戻しているため、非過去形にしている。自分のこと以外でも「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる」と、発話時(執筆した時)を小説内現在時に重ねている。
4景:「私たちは三ツ峠へのぼつた」は、「タ形」であるが、次は「急坂を這ふやうにしてよぢ登り、一時間ほどにして三ツ峠頂上に達する」
 「ル形」で頂上に到着したことを述べている。登山行為のその中にいるような臨場感が出ている。
7、8景: 文学ファンの青年たちとの会話は、発話時現在。
9景:「下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く」「そつと、振りむくと、富士がある」「青く燃えて空に浮んでゐる」
 「私」の意識が、小説内の描写時現在の時点から描写されている。
13景:「私は溜息をつく」「ああ、富士が見える」「眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる」
「ル形」によって、当時の時間の中にいる感覚を出している。
14景:「トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた」
「私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる」
同じ遊女の行為を、最初はタ形で、次はル形で描写している。眼前の遊女は「私」を見ることもしないのに、「私」のほうは遊女に心を寄せ心理的に近づいた印象を与えるのが「熱心に草花をつんでいる」というル形による文末である。
 小説後半で、主人公の行為動詞が非過去になっているのは、遊女たちを見て、遊女の身の上を富士に祈願する場面での「富士にたのまう」と、「私」の信条が直接描写された分ひとつだけである。前半は、読者の意識を「私」が御坂峠にいた小説時間の同じ時間に運ぶことを意図していたのが、後半になると「タ形」による「客観的な過去」としての叙述が中心になっていることがわかる。
次に、指示語に表れた視点から、主体の表れ方をみる。
 「私」が主人公である一人称小説の場合、語りの視点は「私」にあり、ダイクシスの「空間指示こそあど」「人称」なども、「私」の側からの視点で統一されている。発話主体=私=主人公によってとらえられたダイクシスがそのまま表現されている。
 表現主体が語りの視点を選択することは、もっとも基本的な主体の存在の表明となる。ある一夜を自分自身がその場に身をおく立場から「この夜」と表現するのと、現時点からは離れた時間の表現として「その夜」と表現するのでは、発話時点での主体の時間意識空間意識が異なるのである。表現主体がどのようにダイクシスをとらえるかという面から、主体のあらわれを見ることができる。
2景:「三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ」
「その夜」は、「この夜」としても指し示すものの内容は変わらない。意外の事実とは、小説には直接書かれていないが、前妻小山初代との心中未遂とその原因となった「或る人」と初代の関係のことである。心中未遂は、太宰の読者なら事実を知っていることであった。もし「がぶがぶ酒のんだ」の夜が「私」側から言及されているのであれば、「この夜」と表現してもよいところである。しかし「その夜」と、なっている。「途方に暮れた」夜は、小説執筆時点で、「身のうち側」でなく、客観的に描写できる過去のことがらになっていたことがうかがえる。
3景:「ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚しい、なだらかさに在る」
「この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階にこもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た」
太宰が『富嶽百景』を執筆したのは、すでに御坂峠から下り、甲府に新妻との新居を構えてから以後の執筆であるにもかかわらず、御坂峠を「この峠」「ここ」で表している。語り手「私」にとって、御坂峠に滞在していたときのことを書くにあたって、自分の意識をそっくり御坂峠の中において書いていることがわかる。井伏鱒二が滞在していた天下茶屋を示すのに、「天下茶屋といふ、小さい茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころからそこの二階にこもって仕事をして居られる」と表現しても、ストーリーの進展に破綻は出ないと思われるのに、「ここの二階に」と書くのは、「私」自身が天下茶屋に滞在していたその時間から見て「ここ」と表現されているのである。
井伏氏側からの視点を交えると、「井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。私は、井伏氏のゆるしを得て、当分その茶屋に落ちつくことになつて、それから、毎日、いやでも富士と真正面から、向き合つてゐなければならなくなつた」と、同じ場所を「そこ」で表している。
5景:「あの富士はありがたかった」
5景に登場する富士は、実際の富士ではない。地質学者を当主とする石原家の写真の富士である。長押に掲げられている富士の火口俯瞰写真を「まつしろい睡蓮の花に似てゐた」と感じ、写真を見るために身体をひねったときに見合い相手を見て、好印象をもつ。富士火口写真は石原家の象徴であり、「あの」と、他者に対峙した気分から指示詞が選ばれている。 
待遇表現にも、主体の意識が表れる。敬語は、古代天皇の自尊敬語などを除いて、話し手から聞き手へのまた発話内に言及されている第3者への敬意のあらわれなので、話し手の意識が見える表現である。「富嶽百景」の待遇表現使用は、主人公「私」から師匠の井伏氏への敬語、他の登場人物から「私」への敬語がある。敬語の使用から「私」の意識を探ってみる。
2景:「井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる」 「井伏氏は、仕事をして居られた」
井伏鱒二は「私」の師匠であり、天下茶屋へ来る前、作家が内妻と心中未遂を起こしたり精神的なダメージを受けたりしたときに世話をし、精神病院への入院手続きなどをおこなった人である。井伏氏は、「私」にとって恩人でありかつ自分を精神病院に押し込めるようなことをした複雑な感情を向けている相手である。井伏氏にはきちんと敬語を用いる。しかし、井伏氏と眺める富士は「俗な富士」と感じられ、有名な眺めであっても「あまりに、おあつらひむきの富士である」「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた」と感じら
れる富士なのである。ほとんどを語り手のまわりに起きた事実のままに書いているようであっても、私小説は小説であり、作家の目のフィルターを通して描かれる。井伏鱒二は太宰のこの小説の中に実名で登場する自分の姿について「ひとつだけ訂正しておきたい。私は太宰といっしょに三つ峠に登ったとき放屁などしておらぬ」と、太宰に申し入れをした。それを伝え聞いた太宰はすまして「いえ、先生は放屁なさいました」と答えた。
三つ峠での描写。「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた」は、師匠太宰に敬語を用い、師のありさまを悠然、大人然としつつユーモラスな姿に描いている。語り手から見て、「こうあって欲しい」と念ずる「おおらかでこだわらず、愉快な先達」というイメージが託されている。
5景:「井伏氏に連れられて甲府のまちはづれの、その娘さんのお家へお伺ひした」
「私」が見合い相手の石原家へ敬意を持って対していたことが、謙譲語で表されている。
15景:「娘さんは、うつむいて、くすくす笑つて、「だつて、御坂峠にいらつしやるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、わるいと思つて」
見合い相手のことばとして「私」に対しては尊敬語「いらっしゃる」謙譲語「お聞きする」が用いられ、「私」に対して敬意が払われていることを、太宰がそのまま書いているということから、見合い相手の娘さんの態度を快く受け入れていることがわかる。
16景:「たくさんお書きになつて居れば、うれしい」天下茶屋の宿の15歳の娘が、「私」に対して敬語を使っているのは、宿の客だから当然といえば当然なのだが、作家の目を通して描かれていることを考えると、娘から自分への敬語を受け入れているということである。
 待遇表現から見えてくるのは、太宰の師や見合い相手の一家への敬意だけでなく、宿の人々や文学青年から自分に向けられた敬意をそのまま描写することによる自尊の意識である。妻の不貞や精神病院入院によって傷ついた自尊心が、富士周辺の人々との関わりのなかで、自尊心もしだいに癒されていることが自分へ向けられた待遇表現の受容からうかがえる。
 授受動詞には、発話主体からみての行為の方向が「あげる」「もらう」「くれる」などの補助動詞によって明示される。語り手の意識の方向がやりもらいによって明らかになる表現である。久野(1978)をはじめ、授受表現における表現主体の<主観性>についての研究が提出されてきた。表現主体が自己側から客体を含む世界を捉えようとする意識が、表現主体の主観性のあらわれとして「やる」「もらう」「くれる」などの表現を選択する。表現主体が受益対象と一体的に主観的評価として表現するのが「もらう」であり、受益対象への主体的な行為の贈与が「やる」によって表現される。「受益対象への主体的な行為の贈与が「やる」「もらう」「くれる」によって表現されている部分に、表現主体の客体への<主観性>の表れが確認できる。表現主体の客体への主観性の表れを、授受表現によって観察してみよう。
4景:「井伏氏は、人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、このときだけは流石に少し、気の毒さうな顔をして、男は、しかし、身なりなんか気にしないはうがいい、と小声で呟いて私をいたはつてくれたのを、私は忘れない」
 さえない服装をしている「私」に「気にするな」と言う井伏氏に対して、「私」を受益者として表示している部分である。が、「私をいたわってくれた」と、わざわざ行為の恩恵受益者を「私」で明示し「私は忘れない」と強調しているのは、強調しておかなければならない意識があったということだ。通常「くれる」は、わたし又はわたし側の身内に用いる授受表現である。「私を」「私に」という受益者の明示は必要ない。それをわざわざ書いたのは、井伏氏から自分のみすぼらしい状態へ与えられたいたわりのことばを、少々の強調をもって書き残すことが、前妻との自殺未遂から精神病院入院までの一連の負の感情からの立ち直りのためには必要だったのだろうと感じる。太宰にとって、自分のさえないどてら姿は、「男は身なりなんか気にしないほうがいい」と取り立てて言及されずに放っておかれたほうがむしろ気が楽であったろう。井伏氏が気にしているからこそ「気にするな」と述べたのだということを「私」自身が気づいているから「私をいたわってくれた」を特記するのである。
8景:「いちど吉田に連れていつてもらつた」
井伏氏の読者や「私」の読者たちとの交流について述べている部分で、青年たちの主導によって吉田へ出かけたことが「もらう」という動作をうける表現によって示されている。
15景:「かへりに、娘さんは、バスの発着所まで送つて来て呉れた」
見合い相手の石原美智子が「私」を見送りに来てくれたことに対しては、通常の授受文表現で感謝の意識を素直に書いていることからも、井伏氏との恩恵の授受には、通常以上の感情の起伏があったと推測される。
1  9景:「私の結婚の話も、だんだん好転していつて、或る先輩に、すべてお世話になつてしまつた。結婚式も、ほんの身内の二、三のひとにだけ立ち会つてもらつて、まづしくとも厳粛に、その先輩の宅で、していただけるやうになつて、私は人の情に、少年の如く感奮してゐた」
 「私」の実家は再婚にあたって何の援助もしないことを告げてきて、結婚話はしばらくの間停頓していたのだが、「或る先輩」が世話をして結婚式の手はずも整った。「私は人の情けに、少年のごとく感奮していた」と、「私」は感激のおももちなのであるが、ここには見逃せない語り手の「小説的仮面」がある。語り手=太宰治の結婚式は、井伏鱒二の家で行われた。見合いの話を持ってきたのも、甲府での見合いの席に立ち会ったのも井伏鱒二であり、語り手は実名でそれを記している。なぜ、この結婚話がまとまったという所だけ「或る先輩」などという持って回った匿名で書いたのか。
 「身内の二、三のひとにだけ立ち会ってもらって」という部分に結婚式が挙行できることの受益者としての自分の姿が反映しているのはいいとして、「その先輩の宅でしていただける」と、受益+敬語によって事態を説明していながら、意識的に井伏鱒二の名を伏せているのは、前半の見合いの場面では実名を上げているのに、不自然である。本来なら親代わりの兄がその位置に立つべきである「結婚式をまとめる人」の場所、自分の人生の公的な出来事である結婚式という晴れの場に立ち会う人が、師とはいえ他人である井伏であったことに対して、幾分のわだかまりを残していたのではないかとも推測できる匿名化である。
11景:「私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた」
バスの客が見入っている富士ではなく、月見草に目をとめた老婆への共感を「やる」という授動詞で表している。「私」の行為が老婆へ向かっていることを強調し、老婆への共感を強調している。
16景:「夕食後、おかみさんと、娘さんと、交る交る、私の肩をたたいてくれる」
 この場合も受益者は「私」なので、改めて「私の肩」と書く必要はないのだが、「私の肩」と断るところに、おかみさんと娘さんへの他人行儀がうかがえる。
 太宰が周囲の人々と主体的に関わっていく意識が授受表現の中に表現されている。特に井伏への感情の軋轢が結婚式周辺の出来事の授受表現に表されていることが注目される。授受動詞の使用によって受益関係を表現するのは、太宰の自我の表現が「もらう」「いただく」という恩恵の授受に世間との軋轢や師井伏鱒二への二律背反的な愛憎が見え隠れする。表現主体としての太宰の<主体性>は、これらの意識的な授受表現にも表されている。
受身文(受動文)もどの視点からの叙述とするか、という点で、表現主体の意識がよく表れる部分である。
 受身文は、自動詞表現と並んで、日本語が行為主体を背景化し、行為の受け手を主語として表現する叙述方法のひとつである。「私」を主語とする直接受身文は、「私」に意志決定権がなく、受動の立場で存在するしかない場合に用いられている。受動文を選択したという表現意識が表現主体の主観の表れ
である。
5景:「娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植ゑられてゐた」「写真が、額縁にいれられて、かけられてゐた」
情景描写に受身形が使われている。「写真がかけてあった」と「写真がかけられていた」との違いは、行為者の存在を背景化するか、動詞述語の実行者として行為者を暗示するか、という違いである。「私」にとって、薔薇を植えたこと、富士の写真をかけてあったことが「見合い相手の娘さんの家」の行為の結果として強く印象に残ったことがわかる。「写真がかかっていた」ではなく、「写真がかけられていた」という行為者を意識した受身文叙述を選んだということが、表現主体太宰の「主観」の表現なのである。
「私」が動作をうける被作用者となっている直接受身文もある。
2景:「私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた」
妻の不貞を知る場面。被作用者としての被害感情が受身形によって暗示されている。
15景:「このうへは、縁談ことわられても仕方が無い、と覚悟をきめ、」
 縁談に関しては意志決定は先方にあると覚悟をしている主人公の心理が、受身形で示されている。
9景:「月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。「富士に、化かされたのである」「私は、あの夜、阿呆(あはう)であつた。完全に、無意志であつた」
作者が書いている夜のできごとが「化かされた」という受身形によって不可思議な夜の散歩の無意識を描かれている。
動作主体からの感情表出・評価をとりあげる。動作主体の認識を表す心理的な語は動作の実現に対する動作主体の認識を表し、動作主体の視点から見た外界への描写に読者を引き入れる語となる。また、動作主体の知覚や目撃した外的な出来事の描写や評価の言葉は、主人公からとらえられた外界として、読者を物語世界に引き入れるものとなる。感情表現、評価表現は、表現主体の心理を直接表現された部分として、主観性の強い表れである。
1景:名詞述語文「~は ~である」の文型で富士山の説明が続く。富士の見かけについて「低い」「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」など、形容詞述語非過去形で述べ、富士の形状に対して主人公が感じた「気持ち」が直接出ている。形容詞述語文でも、「私」が実際に見て経験したことについては「十国峠から見た富士だけは、高かつた」「あれは、よかつた」と、「タ形」が使われている。この「タ形」によって、主人公の実感した内容が内省を経て経験として述べられているように読者は読める。
2景:「じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない」
3景:「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた」「どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた」
 主人公「私」は、最初のうち師匠の井伏氏の勧めで滞在した富士の「通俗的美」の風景を嫌っていた。芝居の書き割りのような富士の姿を「軽蔑してさえした」と述べる。
4景:「私の姿は、決して見よいものではなかつた」
という高揚しがたい気分から、「私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた」と、しだいに見えない富士の前に師匠とふたりでいることの心地よさへと気分が変わる描写も、具体的な心理描写ではなく、富士山を眺め富士の姿の評価から読者に伝わる。
6景:「その有様は、いやになるほど、みつともなかつた」「私は、がつかりした」
身なりだけは西行のように決まっている法師が、案外だらしなく俗臭を発揮することへの評価なのだが、身なりや人からの見栄えを気にして生きてきた「私」を外から見て評価する気分が出されている。
7景:「私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまづしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言はれて、だまつてそれを受けていいくらゐの、苦悩は、経て来た。たつたそれだけ。私のひとすぢの自負である」
「けれども、私は、この自負だけは、はつきり持つてゐたいと思つてゐる」
文学青年たちに「先生」と呼ばれて会談するうち、「私」はそれまでの低い自己評価から反転する。
8景:「安珍を追ひかけて、日高川を泳いだ。泳ぎまくつた。あいつは、すごい」
14歳の清姫が、恋人に会うためには川を泳いで渡ることさえいとわないことを評価する言説を述べ、行動する事への評価が表現されている。
「そこで飲んで、その夜の富士がよかつた」と、これまで通俗的な姿だとけなしてきた富士が好評価に変わる。
11景:「けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた」
富士を眺めるという皆が同じ行動をとる中で、老婆と「私」だけが富士ではなく月見草を眺める。通俗に対する抵抗を他者と共有する気持ちが「あの月見草は、よかつた」という評価になるのである。
14景:「私は、ただ、見てゐなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。 さう無理につめたく装ひ、かれらを見下ろしてゐるのだが、私は、かなり苦しかつた」
富士見物に来た遊女たちの暗い姿を見ていたたまれない気持ちの表出。貧しい者に心を寄せ、地主の身分に罪悪感を感じて共産主義に惹かれたものの、それをも裏切る結果となった「私」にとって、このあとの「富士にたのまう。突然それを思ひついた」という気持ちの転換が、いきなりの信仰体験のように唐突に提出される。「頼もう」という意志形での表出は、全文の中でこの一文だけである。他者への共感と、他者の不幸をただ見ているしかない自分の立場を、富士への祈りとして転換していく主人公の意識が意志形になって表れている。弱く何事もなしえない自分自身を認識するという主体性の表現が、『富嶽百景』の文章中、もっとも強く押し出されているのが、この遊女とのエピソードに出されている。


3.4 「富嶽百景」の叙述と<主体性>
以上「富嶽百景」の文章を、文末述語表現を中心に分析した。「富嶽百景は、表現主体(語り手)太宰治がすべての文を「私」の視点から統一して描写している。発話者は現象や行動を描写する際、発話者自身の断定や推量、疑問などの発話者の主観を付け加えて表現するのであるから、<主体性・主観性>の表れていない文は文として成立しない。<主体性>の表現されていない文はない、ということになる。しかし、言語文化全体を見渡しての<主体性>の表れということになると、subjectivityの両義のもう一方の「主体性=個人独立性・自立性」という意味がクローズアップされる。ここで、この両義については2節での引用「広義の<主体性>の両義である主観性と独立性は無関係にあるのではなく、対規範的な主体性(独立性)が主観性を前提としてこそ主張できるものである」(紅林 1989)を再確認したい。「富嶽百景」における表現主体の<主体性・主観性>の叙述における明示が、小説全体の「個人の意志「独立性・自立性」を支えるものとして存在し、主人公「私」が、自殺未遂からの回復と小説を書くという意志の確認、再婚後の希望へと至る心情の描出に関わっている。
短い文を重ねていき、作者の認識を直接提出し、判断を表す語、主観を表す語を組み合わせて、小説冒頭の「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」から、終盤の「どてら姿に、ふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見える富士」に至るまでの心理の変化が、景観の描写であっても、それが表現主体の心理を示すように効果を上げている。小説の終盤、主体的に生きようという気持ちになるまでが描き出され、読者に主人公の心境を伝えている。
文末述語を分析した観点からいうと、太宰は主観的な観察による富士の描写や周囲の人々との交流の描写を通じて、自身の心理的な立ち直り、主体的な生き方の変化を浮き上がらせており、作家の「生き方における主体性の回復」を描写することに成功していると言える。
 「待遇表現の使用」を見ても、太宰の意識の表れが見て取れる。井伏が精神病院入院の手続きを進めたことをあとで知った太宰は「裏切られた、自分は師から狂人と見られていたのか」と落胆し、師への不信の念すら抱いた。師への甘えと信頼、その反面の反発が、井伏鱒二の姿の描写に表されている。師から「精神病院行き」を仕掛けられた屈辱と、それでもなお最も慕わしい人であることの思いは、太宰の師からの自立心と師への甘えの二重の心理が文章中唯一敬語によって行動を描写する、という選択によって表現されているのである。特に、見合いに関わる井伏を実名で登場させておきながら、結婚式に関わる井伏を匿名扱いにしたという太宰の意識は、太宰の主観が積極的に出ているものである。
 太宰治の「富嶽百景」においては、表現主体の主観が叙述の一文一文に明確に表現されている。表現主体の主体性が、叙述形式(テンス、ヴォイス、授受、待遇表現、感情表現など)の選択に表れたとき、読者は表現主体の自立性、独立性も感じ取るのである。


第2章まとめ
 <主体性>という語の持つ意味に「主観性」と「自立性・独立性」の両義があることを第1節第2節で述べた。分野によって一方の意味に偏って用いられることもある。しかし、<主体>という本来の語に立ち戻って文の成立、文章の成り立ちを考えれば、表現主体の<主体>としての存在が表れるのは、主観によるのであり、主観が主体の<主体性>を支えていることが言える。
日本語の文章における<主体性>という問題において、表現主体が自分自身の視点を確立して表現した文は、情景描写においても心理描写においても、強く表現主体者(発話者)の<主体性>を保持するということが言える。日本語の述語とは、第一に表現主体の<主体性>を映し出す性質を持っているからである。
 「主語が意志的行為を行う」という西洋語的な<主体性>表現から見ると、無意志動詞による<主体>を背景化した自動詞文や、授受動詞文や待遇表現によって<主体>と客体の「関係」を文に積極的に反映させようとする他動詞を中心とした日本語文は、「意志を表明することが少ない」「自立性に乏しい」という「非意志的な行為」の文が多いように思われるかも知れない。「富嶽百景」においても、意志動詞文の数は全体の中で少ないことを確認している。しかし、読者が「富嶽百景」に感じるのは、「私」の自立意志、個人の確立である。日本語文が「主語・意志他動詞」という文の形によらず、さまざまな<主観性・主体性>の表現方法によって成立し、それが文章の<主体性>を支えていることを、一文ごとの観察によって確認できたと思う。

第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育

2010-03-12 08:34:00 | 日本語言語文化

第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育

はじめに
 第1章と第2章において、<主体>と<主体性>が日本語言語文化の中でどのように定義され、使用されてきたか、日本語の<主体性>が日本語表現の中に、どのように存在しているかを見てきた。第3章では、非日本語母語話者と日本語の関わりの中で、日本語の<主体>をどのように扱っていくべきかを中心に考察する。
伝達の規則であり構造である文法は、外からある言語を学ぶ者には意識されるが、母語話者にとって無意識の中にあり、特別に成文化されないかぎり、表現主体(話し手・語り手)には意識されない。文法は目に見えない規則であり構造であるが、それは行為のただなかにあって行為を規制する。この文法を意識しつつコミュニケーションを成立させようとする行為をしている者のひとりが語学教師である。常に文法を意識しつつ基礎的な文型によるコミュニケーションを図るのが語学教師の日常であり、日本語を常に外部からの意識で認識しようとしているのが日本語教師である。現代の多文化的状況において、価値合理的行為とは、「自分と価値感を同じくしない側」を生み出す恐れを内包する。<主体>もまた英語などの西洋語の考える<主体>のみではないことを考慮する必要がある。自己中心的思考から抜け出して、世界を視野にいれたコミュニケーションを実現させるために、対照する言語を見る目も自己中心ではなく、他者理解の視点から行うべきであろう。
 非日本語母語話者にとって「日本語の文の意味がつかみにくい」という状況が起こるとき、何が非母語話者の理解を阻んでいるのか、何を補ってやれば、日本語を日本語の論理によって理解していけるのか。現在の日本語教育の現場に対して、読解の「わからなさ」への指導法が理論として十分に提出されているとはいえない。本章では、日本語教育の現場からの報告を交えて、日本語理解の方向をさぐる。
 日本語教育において日本語に<主語>という文法用語を持ち込まない方がよいという論がある。英語subjectを<主語>と翻訳したとき、日本語の<主語>は西洋語の主語とは文法的な性質が異なるゆえ、<主語>+<述語>が統語の基本である西洋語文法の概念での<主語>は日本語に適用しないほうがいいという考えからである。しかし、「西洋語と同じ主語」を日本語文において考えることに無理があるのであって、日本語の<主語>・<主体>は、西洋語の<主語>・<主体>とは異なるものだ、と考えればよいことだ。日本語教育において、「助詞」を英語文法用語に翻訳するとき、particleという文法用語を使うこともあるが、教育者は「日本語の助詞」は、英語のparticleと同じものではないと注釈をつけて説明する。同じように、英語のsubjectと日本語の<主語>は同じものではない。その前提を教育者が気をつけさえすれば、日本語教育において<主語>という文法用語をやみくもに排斥する必要はない。日本語の文の述語が語る事柄が実現している中心点となっているところのものを<主語>として文に表すか、<主題>として表すかは、別の文法的手続きである。情報機能を優先させる<主題>となっている部分であるか、<主題>としては述べていない(非主題)の部分か、という違いである。
本章前半では、表現主体(話し手・語り手)による表現が、聞き手に受け取られるとき、表出の受容者(聞き手・読み手)はどのような受容を行っているのか、話し手は聞き手のどのような受容を前提として発話しているのか。すなわち、日本語表現が機能する「場=言説空間」を考察し、日本語表現の中の<主体>の確認と自動詞他動詞表現について論じる。日本語は「発話状況・発話の場」を重視し、<発話主体中心の視点を通した表現>による言語であることを、日本語教育現場でどのように指導教育していくかを探る。
 本章後半では、特に、中国人日本語学習者の誤用を考察し、日本語言語文化における日本的思考法、表現法を確認し、学習者の理解に役立つ具体的な文法記述と解説を試みる。
日本語の統語問題の主な事項のうち、「主語・述語」、「自動詞文・他動詞文」、「助詞ハ」について、近年、大きな研究成果があがっているが、以下の点も省みていかなければならない。
(1)日本語教育テキストなどへの文法記述がまだ十分とはいえない。
(2)日本語教師による授業で、最新の文法記述を生かした指導が成功していない場合も多い。
(3)学習者の母語干渉の強弱が、母語ごとにどのように学習困難点をもたらすのかについて、研究はまだ不十分である。



第1節 非日本語母語話者・日本語学習者にとっての日本語の主語

1.1 主語の非明示
「ああ、悲しい」という表現において、「悲しい」と感じている「認識の主体」とそれを発話する「表現主体」が存在することは明白なことである。西洋語の<主語>とは異なる、ということを意識させた上で、日本語文に日本語文としての<主体>が表現されていることを、日本語学習者に示すことは、必要なことである。その<主体>を<主語>と呼ぶかどうかについては、注意を要するが、英語などの<主語>を常に必要とする言語を母語とする日本語学習者には、初級段階から周知していかなければならない。
 語彙コントロールされ文型を体系的に学んできた中級の日本語学習を終え、上級に進むと「生教材」と呼ばれる日本社会で実際に流通している新聞雑誌、単行本を取り入れた読解が増えていく。いわゆる「<主語>なし文」を読む機会も増える。日本語教師が学習者に「誰が言った言葉ですか」「誰が誰に何をしていますか」などの問いかけを繰り返して、いわゆる<主語>を明らかにしながら読ませるのは、中級から上級への移行期には、<主語>を一文ごとに明示してやらないと、誤解したまま読み進めて者も少なからずいるからである。
 英語など西洋語母語話者に、「日本語文は西洋語とは異なる統語法によって成り立っており、<主語>が明示されていなくても日本語の文構造談話構造を理解していれば、文の意味は明らかになる」ことを教え、<主語>が明示されていなくても文の意味が納得できるよう指導するのはもちろんであるが、最初のうちは「明示されていない<主語>」を見つける方法を知らせてやる必要もある。
 日本語は「行為者」を明示することがない言語であると、日本語に関する多くの論の中で指摘されてきた。英語との対照では多くの例文が提示されている。
(1)I have time. → 時間があります。
(2)I have a daughter. → 娘がいます。
(3)I want this car. → この車が欲しい。
 英語では主格「I」が示される文も、自然な日本語ではすべて「私」は明示されず、あえて明示するなら、(1)、(2)とも、「私には時間があります」「私には娘がいます」と、「私」を場所として扱い、存在場所を示す助詞「ニ格」をつけてから主題化(トピック提示)の副助詞(係り助詞)の「ハ」をつけることになる。(3)も、「欲しい」の主体を明示する
なら、トピック明示副助詞の「ハ」をつける。主格の「ガ」をつけた場合、「私が、この車が欲しいのです」などのように、「他の人ではなくて、この私が」という対比強調の意味を持つ文になる。英語では主語を有する他動詞文が、日本語では自動詞文(ある、ない、という存在文、また、欲しいという心的状態を表現する形容詞文)になっている。
次に中国語との対照を確認しよう。(例文は日本放送協会編初級中国語学習書『ニーハオ明明』等から。表示できない簡体字は、繁体字表記した)
(4)今天、你有几節課?→ 今日は何時間授業があるの?
  直訳:あなたは何時間授業を有しているのか?
(5)又是面条、我不愛吃。→ またおうどんか。たべたくないよ。
  直訳:またうどんです。私は食べたくない。
(6)晩上、給你包餃子。→ 夜はギョーザをつくってあげるよ。
  直訳:夜、あなたに餃子を与えよう。
(7)我有時間。 → 時間があります。
  直訳:私は時間を有している。
(8)我有女儿。 → 娘がいます。
  直訳:私は娘を有している。
(9)我想要这輌汽車 → この車が欲しい。
  直訳:私はこの車を欲している。

 中国語口語の主語省略について、補説を述べておきたい。文章語ではなく、日常会話などの口語において、中国語の主語は必要がなければ省略することができる。しかし、日本語口語が「私・あなた・彼・彼女などを言わない方が無標であり、私が、あなたが、など人を指し示す語を言う表現のほうが有標である」のに比べれば、中国語は口語でも「人称を言わないのが無標」とまでは言えない。
 映画の中の話し言葉なので、通常の口語とは異なるものの、日本映画の字幕から中国語への翻訳を森川(2009)によって紹介する。

たぶん煉炭自殺だ。
她可能是烧炭自杀的吧。Ta kenéng shì shaotàn zìsha de ba.

寒い車内で、発見がはやいとこうなるんだ。
死在寒冷的车内,只要发现得早,尸体就会是这个样子。
Sizài hánleng de chenèi,zhiyào faxiànde zao,shiti jiù huì shì zhèige yàngzi.

美人なのに……
她真是个美人,可惜了。Ta zhen shì ge meirén,kexi le.(『おくりびと』中国語版DVDより)

 口語であっても、日本語では人称明示がされていない部分を中国語では明示されることが多いとわかる。

 森田1998は、次のように述べており、なぜ日本語が<主語>の明示をしないのか、ということを非日本語母語話者に伝えるとき、有益な論点である。

  「時間です」も、文法的にそれら(筆者注:主語、目的語など)を補うことの不可能な場合である。(略)それだから、このような表現は不適格文というのではない。これで、立派に日本語として通用するし、日本人なら誰一人正しい日本語として疑わない。話者はあくまで外の世界を眺めとらえる主体そのものであるから、意識の外にある。もし文の中で「私は・・・」と主語に立てたら、「私は行きませんよ」のような、「他の人はともかく、この私は・・・」といった対比を取り立てていう意識が表にだされる。つまり、その「私」はもはや言葉を発する<己>自身ではなく、「他の人」と同列に並ぶ<素材化した対象>と化している。(略)日本語が比較的「私」の現れる率が低いといわれるのも、単に文法的に主語省略の可能な言葉だからというよりは、むしろ、自身の視点から対象把握がなされているために、己はあくまで表現者の立場で、わざわざ自身を客体化して文中の主語に立てるといった姿勢が取りにくい、そのような理由によるというほうが正しいであろう。(12-5)

 「日本語は発話主体を表面に出さないタイプの言語であり、発話主体が「私」という存在を文のうえに表示するのは、自己を他者として客体化して述べる場合であり、他者との対比が必要な場合などのほかは、発話主体を背景化するほうが自然な発話となる」ということを、非日本語母語話者に第一に伝えなければならない。日本語言語表現は、話し手・聞き手の間に、互いを「コミュニケーションの場にいる者同士」と認識するところから始まる。どうしたら「共通理解の場」が、話し手聞き手の間にできあがるのか。非日本語母語話者が、「共通理解の言語空間」をどのように構築していくのか。この「コミュニケーション成立のための情報」が不足している「非日本語母語話者」は、「単語はすべて知っている語であり、文法もわかっているのに、文の意味がわからない」あるいは、「日本語の文法規則にのっとって正しい文を表出したと思うのにもかかわらず、この文は日本語では言わないと、指摘されてしまう」ということを経験する。日本語教育者は、この問題に対処していかなければならないと思うのである。


1.2 日本語の主題「ハ」
 日本語の語られ方においては、<主題(話題)>+<題述(解説)>(発話者が情報の<主題(話題)>を聞き手に示し、その話題についての情報を提供すること)が表現の基本である。話し手聞き手がすでに知っていることを話題に出し、その話題についての新しい情報を伝えることが「話者が述べること」の中心となる。<主題>が<主語>を兼ねて表すことはできるが、<主語>とイコールではない。
 次に、<主題>の上に<主体>がどのように表されるかを見ていくことにする。
 行為主体が<主語>になる言語の母語話者に対して、「雨は降る降る、城ヶ島の磯に」「雨が降ります。雨が降る。遊びにゆきたし傘はなし」「だけども問題は今日の雨 傘がない」を比べて、「雨は降る」と「雨が降る」の差、「傘はなし」「傘がない」との差を解説したとき、日本語上級者になってもすんなり納得できる学習者は多くはない。
 文を三尾砂(1958)に従って、「現象文」と「判断文」に分けると、現象文は主語を「ガ格」で表す。「雨が降ります雨が降る」は、目の前で現象が起きている「できごと」に気づいたのであり、「雨は降る降る」は、「雨が降る」というできごとがすでに起きたあと、できごとが続いており、「雨」について判断している文である。城ヶ島全体を見渡し、すでに以前から雨が降り続いていることを「雨は降る」で述べているという違いになる。「傘はなし」は、傘というものに思いをいたしたとき、その不在を解説している判断文であるのに対して、「傘がない」は、今現在傘の不在に気づいた、気づき文=現象文である。しかし「降る」の<主語>は何か、というのなら、どちらも「雨」が<主語>であり、「降る」の<主体>ということになる。係り助詞「は」は主題を表す。話者にとって関心の中心に置かれるものの多くは<主体>になるので、「ハ」の前に主体が置かれるが、関心の中心が対象に置かれていれば、<対象>を主題として表現する場合もあることを、日本語学習者にわからせておく必要がある。
 日本語初級教科書SFJの文法解説では、「ガ」と「ハ」の違いについての最初の説明として以下のように解説している。(SFJ:103)

がmarks something that is introduced into the descourse for the first time.
 はindicates something with which both speaker and lisner are already familiar.
(例文)
 (コーヒー代を払おうとして)あ、お金がありません。(Oope, I haven't got any money)
  (ビールを勧められて)ビールは飲みません。(I don't drink beer.)

 このように初級の早い段階で、「ハ」で表される主題は、主体も対象も含むことを提示する教科書もあるのだが、先に「語頭にある語=主語」という理解をしてしまった学習者の場合、なかなか「主題=主語」という解釈から離れられない。
 学習者には「ハ」の機能として、次のことを徹底しておくべきである。
(1)主題は、話者の関心がもっとも強く向けられているものを示す。すでに話し手聞き手の間に出てきた存在が話し手の関心を向けているものである。ある話題について、話し手から聞き手へ新しい情報を伝えるとき、話題は「ハ」で示し、新情報は述語に示される。話者の関心は、行為・動作の中心になるものや、状態推移の中心になっているものに、向けられるので、主題の多くは主語と重なる。
(2)話者の関心が対象やその他のものに向けられたときは、それを話題に取り立てるので、主題がいつも主語ではない。
 中国語母語話者の作文例を紹介する。主題の「ハ」は誤用の多い助詞である。中国人母語話者の誤用例を見てみよう。

「そのため、父は亡くなってから、生活がくるしくなった。そのため、私は大学を退学してしまった。」「国の中で、老人は多くて、若者はすくないことは高齢国という」  「この問題が人によって、答えが違う」(以上、中華人民共和国学生の作文例) 
「小学校のとき、友達から一匹の子猫をもらいました。生まれたばかりの子猫がまるで玉のようです。でも母が反対するとおもったから、この子猫が廊下にかくすことにしました。あの日がものすごく寒かったです」(中華民国学生の作文例)

 助辞(助詞)「ハ」についてさまざまな機能が言及されているなか、竹林(2004)は、「ハ」に通底する基本の機能として「特立提示」をあげている。
 私の関心は、この「特立提示機能」の「ハ」と「ガ」を誤用する日本語学習者に、どのように説明すれば、「日本語の文」としてわかってもらえるのか、ということになる。私が続けてきた、日本語学習者の作文指導においても「ハ」と「ガ」のちがいについて「対比のハ」であるとか「主題提示のハ」であるとか、どれほど説明しても、まちがいは少なくならない。
 レシピにある「大根は千切りにします」や、交番の警察官が「泥棒は必ず捕まえます」と発言した場合、「ハ格」の名詞は、主題であって動作主体ではない。千切りにするのは料理者の行為によってであり、「捕まえる」の動作主体は警察官である。このことは、「料理者が大根を千切りにする」の「ヲ格名詞」「大根」が主題として取り立てられていること、「警察官が泥棒を必ず捕まえる」の「ヲ格名詞」「泥棒」が主題となった発言であることなどは、初級日本語学習者にも伝える文法項目である。しかし、それでも「ハ格名詞」を述語他動詞動作行為の主語であると思ってしまう学習者は多い。警察官が発話している「泥棒は必ず捕まえます」の文を「泥棒が何かを捕まえる」と解釈してしまうのである。


1.3 非日本語母語話者の読解における問題点
 非日本語母語話者が「主語がわからない」ととまどう日本語文の典型例としてよく引用される幸田文の『流れる』を例にとる。『流れる』の語り手/主人公は芸者置屋の40代の女中梨花である。引用の冒頭シーンは梨花が初めて置屋を訪れ、女中奉公にきたことを玄関先で自己紹介する場面である。

 『流れる』冒頭。
 (第1文)このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。(第2文)往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。(第3文)すぐそこが部屋らしい。(第4文)云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。(第5文)待ってもとめどがなかった。(第6文)いきなり中を見ない用心のために身を斜によけておいて、一尺ばかり格子を引いた。(第7文)と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮まった。(第8文)どぶのみじんこ、と聯想が来た。(第9文)もっとも自分もいっしょにみじんこにされてすくんでいると、「どちら?」と、案外奥のほうからあどけなく舌ったるく云いかけられた。

 イタリア系アルゼンチン人であるD.ラガナ(Domenico Lagana)が、日本文学を学び始めた頃のエピソードとして、日本語学関連の論述に何度も引用されるエピソードがある。ラガナ(1975)『日本語とわたし』に出てくる幸田文『流れる』を読んだ際に、冒頭部分を誤読した、という逸話である。たとえば、池上(2007)は、多田道太郎『日本語の作法』からの引用であるとして、ラガナの誤読をドイツの大学で紹介したことを述べている。ラガナの誤読を森田良行も紹介している。
 
ラガナは、第1文を次のように解釈した。
ある場所に家が一軒(あるいは数軒)在る。その家は現在では何か別のもの、おそらく別の家と相違していない(あるいは、昔と変わっていない)。だれかがだれかに向かってこう質問する。だれかが(あるいは、だれが)、あるいは何かが(あるいは、何が)、どこから入ったらよいか、と。(飛躍)。この家には勝手口がなかった。

 このラガナの解釈について池上(2007)は、能とベケットという研究のために留学中のドイツ人女性研究者も「わたしにも(幸田文の『流れる』が)わかりません」と言ったことにショックを受けたと述べ、次のように評している。

  ラガナ氏のつまずきの原因の一つに、文の<主語>への強い拘りがあったように思える。書き出しの部分は「このうちに相違ない」という所までで、確かに一つの<文>である。<文>であれば、西欧的な言語の常識で言えば<主語>があるはずである。(中略)西欧的な言語の常識からすると、文の<主語>はどこかに明示されているはずなのである。多分、こういう経緯があったのであろう。ラガナ氏が迷った挙句、到達した結論は「相違」が<主語>であるということであったらしい。(これはまた、私たちには不可解に思えよう。しかし、<相違が存在しない>という意味にとるならば、確かに「相違」が主語という判断は可能なわけである(261-63)。

 冒頭の第1文は「勝手口がなかった」と判断している者が「認識の主体」である。当然、「相違ない」という判断も同じ主体による認識を示している。表現主体(語り手)の認識を示していると考えて良い。第2文「往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急いた気がするし、しようがない、切餅のみかげ石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。」まで読めば、「立った」の動作主体は誰か、ということを読者は意識せざるを得ない。動作主体が書かれていないということは、表現主体が動作主体であることが推察される。第3文は、「すぐそこが部屋らしい。」と、認識主体の推量認識がそのまま表示されている。このことから、日本語母語話者の読者は、認識主体=表現主体、すなわち、語り手は「私」であることがわかる。日本語で「らしい」という推量のモダリティを直接提出できるのは、表現主体その人以外にいないからである。第3者の判断を示すなら「彼女は、すぐそこが部屋らしい、と思った/と、考えた」という客観的判断文にしなければならないからである。第4文「云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。」では、「筒抜けてくる」という方向を示す表現が出てくる。声が自分の方向へ向かっているという移動を示す「~てくる」によって、この文の「視点人物」は表現主体=語り手であり、「私」が主人公であることは明らかである。
 <主語>の意志的な動作行為を表す「見る・聞く」に対して、意志的動作ではない、「見える・聞こえる」は、西洋語母語話者になかなか理解してもらえない表現のひとつであるが、「声が筒抜けてくる」も、「意識的に聞こうとしていないが、声のほうから自分のほうへやってくる」という感覚の表現を理解していれば、「声が筒抜けてくる」という表現一つで、この文の認識主体が語り手となっていることがわかる。これらの日本語の認識と表現を学習者にわからせないと、「このうちに相違ない」を「このうちに(他の家との)相違がない」と解釈することになるし、池上(2007)のように「<相違が存在しない>という意味にとるならば、「確かに「相違」が主語という判断は可能なわけである。」と、妙な納得をすることになる。筆者に言わせれば、「相違」を<主語>と判断をしてしまうような日本語教育を許してはならないのである。
赤川次郎(1998)は、ラガナが誤読した『流れる』第一文を、次のような日本語文に置き換える提案をしている。

  私が探してきたのはこの家に違いないけれども、勝手口がないので、どこから入っていいのか、わからなかった。

 これをさらに短く分け、また、語り手の心情を書き出した中間言語にしてみる。その際、文章の視点人物が誰かを、まず確認しなければならない。

  私はこの家が、自分が探していた家にちがいないと思った。しかし、私はどこから入ったらいいのか、わからず困ってしまった。何故なら、この家には勝手口(裏口)がなかったからだ。(自分のような身分(立場)の者は正面玄関から入るべきではないのだから。)

 説明を補った中間言語化によって、情景・状況を読者・学習者によりわかりやすく伝えることで、「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。」という文が幸田文のミニマルな文体、同時に日本語の特徴を示していることを理解させる。
この繰り返しによって、日本語学習者は「日本語文章は日本語のまま理解できる」というところまで到達することになろう。そこに至るまでの過程として、中間言語化は有効である。生教材、特に「主語なし文」の読解の最初は、「語りの視点」の理解と「認識の主体」の理解を中心に教授していくべきであろう。
 「勝手口がなかった」と認識している<認識主体>と読者の意識は一体となって冒頭の一文は読まれる。しかし、日本語を学び始めたばかりのラガナは、この一文の解釈に悩んだ末、「どこから入っていいか」の主語は「誰か」他の人物、あるいは「何か」であると考えた。誰が入ろうとしているのか、文の中から読み取ることができなかったのである。主語が明示されていないとき、文は発話主体が自己の認識を直接表現しているのだ、という日本語の基本を教わっていれば、「どこからはいっていいか」と疑問を感じている主体は、発話主体と同一であることを読みとれたはずである。
 川端康成の『雪国』冒頭の、「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」も同様の例であって、この文の主語は「雪国だった」ということを認識している<認識主体>である。主人公は「島村」と三人称で示されているが、冒頭の文は島村からの視点で語られており、「語り手=主人公の視点」と解釈して良い。読者は彼と一体となって状況を理解する。
 「視点人物の目を通して認識されたことが表現される」という基本を知っていれば、「この家に相違ない」という認識している者が視点人物であり、「勝手口がなかった」と認識している人物と同じであることが理解できる。
『流れる』視点人物の自称「自分」が出てくる第9文に至れば、「自分」と自称している人物の視点で述べられている文であることがはっきりするが、これを待たずとも、日本語母語話者は、視点の中心は小説の語り手/主人公であり、主人公が三人称で描かれているとしても、「視点人物」の意識に沿って読んでいるのである。第2文の「気がする」「玄関へ立った」第6文「格子を引いた」などの動詞は誰の行為であるかというと、視点人物(=語り手/主人公)の動作・行為である。
日本語文読解にあたっては、「表現主体(語り手)となっているのは、だれか。語り手の比定」「文の視点はだれからの視点か」「文の<主語>は何か、だれか」を学生に意識させることになる。


1.4 <主語>の見つけ方
 述語の<主体>が明示されていないとき、<主語>を探し出す方法がある。野田2004は、「日本語文の中に明示されていない主語」は、手掛かりによって推察できるために、明示される必要がなくなる、と述べている。野田2004は、文の<主語>は、(1)文末のモダリティ、(2)句の中の動作参与者の関係、(3)複文・連分の中での主語との関係、によって、明示しなくてもわかる、と述べている。
 また、久野(1978)は、『談話の文法』で、主題の「は」の非明示について述べている。以下、野田(2004)、久野(1978)などをもとに学習者に示す「主語」の見つけ方である。

(1)モダリティによって<主語>がわかる文
①命令文などの働きかけ文 命令「座りなさい」、「座る」の主語は聞き手。勧誘「いっしょに遊ぼう」。「遊ぶ」の主語は話し手と聞き手。質問「行くのか」の主語は聞き手。
②内面表現文。意志・感情・感覚・思考・希望という人の内面を表現した文の主語は話し手。「痛い」「行きたい」の主語は話し手。質問文では「痛いの?」「行きたいか」では①の原則によって聞き手。
③外面表現文。推量・推定・推論・様態・伝聞の主語は基本的に話し手以外。「*私はもう手配しているはずだ」「*私はこのあたりに住んでいるようだ」などは非文。
(2)句の中の動作参与者によって主語がわかる文
④尊敬表現の主語は原則として話し手以外「もう、召し上がりました」の「主語は話し手または話し手側の人」ではない。
⑤謙譲表現の主語は原則として話し手か話し手に近い側の人。「明日伺います」の主語は、話し手または話し手側の人。
⑥受益表現のうち「くれる」の主語は「話し手か話し手側の人」以外。
⑦実際の移動を伴わない動作の方向表現「~てくる」の主語は、話し手以外。「答えようのない質問をしてきた」は、動作が話し手に向かっていることをしめし、主語は話し手以外。
(3)複文・連文の主文からわかる主語
⑧主文と節で成り立つ複文の節の主語は主文と同じ。「小学生のとき、私は札幌に住んでいた」同時動作をあらわす「~ながら」、継起動作を表す「~て」の節の主語は主文と同じ「歩きながらたばこを吸った」「新鮮な空気を吸って気分がよくなった」
⑨連続する連文の場合、前文のあと、「それから、そして、そのあと、しかも」、などの接続詞が続くとき、後文の主語は同じ。「田中がドアから入ってきた。それから窓を開けた。」前後の文の<主語>は同一となる。「すると、ところが」などの接続詞では、前文後文の主語が異なると解釈される。「田中が後方のドアから入ってきた。すると窓を開けた」の後文の主語は田中ではないので、第二文の主語は明示する必要がある。「田中が後方のドアから入ってきた。すると山田が窓を開けた。」

 主題の「は」は、文章全体を統一する働きを持つが、一文ごとに明示する必要はない。久野(1978) は、主題「ハ」の省略について記述している。
(1)反復主題は明示する必要はない(三上章はこれを「ハ」のピリオド越えと名付けた)
 第一文と第二文が同一主題であるとき、第二文の主題は省略できる。
(2)第一文の主語と同一の主語が第二文の主題となるとき、明示する必要はない。 
(3)同一視点で続けて述べる文の前文と同じ主題は明示する必要はない。(104-124)

 以上、一見複雑に見えるルールであるが、文章読解指導を行う教師側が承知していれば、文の構造がわからなくなっている日本語学習者に「このように考えれば、述語の主体が誰
/何であるかわかる」と教えることができる。以下、読解例である。

  保元から平治へかけての世の移り変わりについてお話しするようにというお言葉を戴きましたのは、昨年の夏の初めのことであったかと存じます。(井上靖『後白河院』冒頭)

「私」という自称がまったく出てこなくても、「戴きました」という授受動詞、「存じます」という思考を表す語の表示によって、この小説の語り手は、一人称「私」に当たる人物だとわかる。

  シンポジウムが開催されるヴェネツィアの空港についたのは、正午ちょっとまえだった。ターミナルまで迎えに出てくれた、古くからの友人で、ヴェネツィア大学教授のアドリアーナが、そのまま、まっすぐに案内してくれたハリス・バーでの昼食は、大運河を一望する夢のような席を招待者側が用意してくれていて、それだけで、ああ、またこの町の人たちのすてきな芝居にくみこまれると、期待に胸がときめくのだった。(須賀敦子『ヴェネツィアの宿』冒頭)

 この冒頭の文も「私」は次の段落まで明示されていない。しかし、「空港についた人」は「正午ちょっとまえだった」と認識している人物と同一であるので、「語り手」視点であることは最初の文でわかる。「迎えに出てくれた」「案内してくれた」「用意してくれていて」などの授受動詞から、自称または自称側の人物の視点であり、受益者を明示していないということから、受益者は「語り手=私」である。「期待に胸がときめく」思いをしているのは、「語り手=私」である。
このように、日本語の文章は、読み手は語り手の視点の中に入り込み、語り手視点を受容して読解していくことを学習者に教授しなければならない。

日本語言語文化における<主体>と<主体性> 結論

2010-02-28 12:53:00 | 日本語言語文化
結論

 本論では、下記の構成において日本語言語文化における<主体>と<主体性>について考察した。
第1章 日本語における<主体>と<主語>
第2章 日本語言語文化における<主体>と<主体性>
第3章 日本語の<主体>と<主体性>を反映させた日本語教育
考察のまとめは各章の最後にあるが、全体をまとめておきたい。
 近代の日本社会においては、<主体性>を発揮することが社会全体で求められてきた。これは日本社会が<主体性>を発揮しにくい社会であるという暗黙の前提によって追求されてきたことで、この点は文部科学省の指導要領などに繰り返し言及されてきたことにも表れている。<主体性>を自立性、独立性、個人性などの語と同義であるとみなすと、国をあげて「我々には主体性がない」と言っているかのごとくである。日本語を母語とする日本語母語話者の社会は、「1億3千万人がほぼひとつの母語によって生活している」という世界の中でも数少ない「同一言語社会」を形成している。多民族多宗教多言語社会が多くの国民国家の常態であるのに比べると、同質性の高い社会であることはまちがいない。人は言語によって社会的動物となり、言語によって互いの存在を確認しつつ交流することのできる動物であるから、社会生活において言語は人が人らしく生きるための最大の武器であり財産となっていることは疑うことはできない。言語と文化には深い結びつきがあり、言語によって人の思考方法が決定されたり、語彙の差によって思考方法に違いが出たりする部分があることは、色彩表現にみる言語の比較などからもうかがうことができる。しかし、ある文化において特徴的な社会的性質が、すべて言語から生じることもないし、言語がまったく社会や文化に影響を与えないこともない。ある言語の構造が社会的特徴の原因であるのかあるいは結果であるのかについては、慎重な考察が必要であろう。
 日本語は、一般的な発話においては、発話主体(話し手・語り手)は背景化され、発話主体が述語の主語であるなら、主語は明示されない。また、ある事象の言語化にあたって、西洋語が「主語+他動詞述語+目的語」の文型により、動作主が目的語(対象語)に変化を加えることによって描写することを主な表現形式とするのに対して、日本語は事象推移を主な表現形式とし、「主語+自動詞述語」によって表現されることが多いとされている。他動詞述語が用いられるときも主語は背景化され、明示されないのが通常の日本語表現である。動作行為主体を明示しないことに対して、「日本語は動作主を明示せず、行為の責任者を明らかにしたがらない言語である」という日本語観が提出され、日本語を母語とする者の中にも、これを肯定し「日本人が集団主義をとり、個人の意志を主体的に示すことが少ないのは、日本語が主語を明確にしない言語だからである」と、論じられることも多かったのである。最近の日本語論の中では、金谷武洋や内田樹が「主語なし文と日本人の集団主義の関連」をあげている。また、井上ひさしは戯曲『夢の痂』において、主人公に「日本語は主語を隠してきた。状況を主語とするために、主体的な行動をとらず、命じられるままに従う国民になっていた」と語らせている。第1章第3節は、日本人の文法感覚の検証として、井上ひさしの『夢の痂』を取り上げて、日本人の日本語と<主体>に関する意識を考察した。「日本語が主語を明示しないことによって、行為主体としての存在であることを免れようとしている」という日本語観が、日本語母語話者によっても信じられていることを確認した。
 日本社会に生きている者が、個人主義よりも集団での思考行動を採用すること、全体の中でひとり際立つことを避けようとすることなどは、社会心理学などの研究によっても明らかにされ、『タテ社会の人間関係』『世間とは何か』『空気の研究』などをはじめ日本社会の集団主義については言及が続けられてきた。しかし、では、日本社会の集団主義は言われているように、日本語が主語を明示しない言語であるゆえ、個人の存在が薄れ集団の中に埋没することによるという論理は事実なのだろうか。日本社会の非個人性、非主体性は、日本語の特質から生じるといえるのだろうか。本稿の出発点のひとつは、この「日本語は主語を明示しないことによって、動作主、行為主体を曖昧にしている言語である」ということが事実であるのか、検証することにあった。日本語の統語構造を検討した限りでは、日本語の主語非明示は、他の多くの言語が持つ特徴と共通していることであり、むしろ主語を明示しなければ表現が成立しにくい西洋語のほうが特殊な言語であることがわかった。世界における三千~五千の言語の類型から言えば、日本語は多数派を占めるほうの、主語をいちいち言わなくても表現できるタイプの言語に属しているのである。
 日本語教育に携わる者は、ことに西洋語を母語とし、西洋語の構造が「唯一正しい」と思い込んでいる日本語学習者に、日本語表現の在り方を理解させ、日本語を日本語の構造の中で理解させる必要がある。言語活動において、人がつまずきを感じる大きな機会となっているのが、「母語以外の言語を習得する」機会においてであるが、日本語を母語としない学習者が日本語を習得する際に「単語も文型もわかっているのに、理解できない日本語文がある」という感想を持つことは、日本語教師として日本語と日本文化を教える仕事を1988年より20余年続けてきた筆者にはしばしば遭遇することであった。日本語を母語としない学習者の誤用文などを通じて、日本語の特質について考えさせられることから、筆者は、日本語の特質、とくに「主語無し文」「他動詞なのに他動性を発揮していない文」について考察を続けた。日本語は発話主体を背景化し、話し手と聞き手双方にとって自明のことであり、旧情報に属すると思われることがらは、いちいち明示することなく表現する言語であると学習者に伝える必要があることを、日本語教育において「日本語の表現」として学習者に系統的に教える必要があると考える。
 本稿は、まず日本語の統語構造において、また言語文化においての<主体>を確認した。次に日本語と日本語言語文化に対して<主体性>欠如の日本言語文化、日本人という論を検討し、日本語が<主語>を表さない言語ゆえに、日本人は<主体性>を発揮できないのだ、という言説がその通りなのかどうか、検証した。その結果得られた日本語の<主体>また<主体性>についての考察を日本語教育の指導法に積極的に活用する方策を考察した。
本稿は、日本語言語表現を、文単位の表現から小説として表現された作品までを見渡す意図をもって<主体>を考察した。日本語の<主体>は、他動詞能動文であっても、「自己をとりまく環境の中で、述語によって表現された事象推移の中心者として事象の認識者となる」のであって、「動作行為者」としてのみ表現されているのではないことを確認した。本稿は、再帰的他動詞文や授動詞文の分析を通して、以下のことを考察した。
(1)日本語は、表現主体の認識や知覚感覚を客観化を経ずに直接表現できる言語である。「痛い!」や「ああ、もうダメだ」など、表現主体の意識、感覚を表現主体を背景化したまま表現する。
(2)日本語の他動詞文は、自動詞文と異なる表現をするのではない。他動詞文も自動詞文も、「事態の推移」を表現している。「Aが木を切った」という表現は、木こりAが木に対して「切る」という動作を加える、という現実を表現していると見なすこともできるし、山林の持ち主Aが木こりに依頼して持ち山の木を切らせたときにも「Aが木を切った」と表現できる。日本語の他動詞文は、他動詞の内容を実現する場となる主語が、principalでもagentでも表現できる。そのとき、主語と客語は合一的に事象の中に存在し、述語の内容である事象の推移の中に存在する。再帰的他動詞においては、<主体>と<客体>が合一的に事象の推移の主体として述語の実現する場として存在しており、日本語表現にあっては、他動詞文も自動詞文と同じように「事象の推移」を表現しているのである。日本語は、自己の認識した外界の事象を、表現主体の主観による直接的な表現として表すものである。外界への認識を全体的に捉えて事象の推移を表現する自動詞文は、状態主体を文の中心者として表現する。他動詞文は、動作行為者を<主語>として<客体>へ動作行為を向ける他動詞文もあり、<主体>は<客体>と所属関係を持ち、動詞文全体で事象の推移を表す再帰的他動詞文もある。自動詞と他動詞は截然と区切って用いられるのではなく、他動性の強さによって、段階的に移行する。また、動詞内容の完結性(限界性)によって、自動詞表現のほうがより、強い完結性を有するために、他動詞表現が用いられない場合もある。
 日本語は、情報の伝達を行う場合、「主題・解説」の構造による文が表現の大きな部分を占める。日本語の主語、主体などの用語は、西洋語の文法的範疇と一致する面も備えているが、統語が異なる西洋語の主語、主体とは異なる面も持っている。subjectの訳語としての主語から出発していても、日本語は日本語統語の範囲で主語を捉えていかなければならない。
 第2章は、第1節で現代日本語言語文化の中に表現されている<主体>、<主体性>とその意味を考察した。<主体性>という語の持つ意味に「主観性」と「自立性・独立性」の両義があり、分野によって一方の意味に偏って用いられることもある。しかし、<主体>という本来の語に立ち戻って文の成立、文章の成り立ちを考えれば、表現主体の<主体>としての存在が表れるのは、主観によるのであり、主観が主体の<主体性>を支えている。日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているかを考察し、subjectivityの訳の<主体性>と<主観性>の語義を確認した。第2章第2節では哲学、言語学などの<主体性>の意味を確認した。言語学においても、「自己をとりまく環境の中で、<主体>がそこに実現するという意味での<主体性>」と、「陳述的な主体性」を表現する<主観性>に分裂して訳され使用されてきた。日本語においては表現主体の主観性は述語の叙述形式に示され、テンス・アスペクト・ヴォイス、授受関係、待遇表現など、動詞述語の表現形式の多くに表現主体が<主体性>を持って選んだ叙述が表れることを確認した。日本語は<主体性>によって表現される言語である。第3節では、具体的な作品分析として、太宰治の「富嶽百景」を取り上げ、表現主体とその主観、そして両者の統合としての<主体性>の表現を考察した。表現主体太宰治は、小説中「私」という自称で登場し、小説は一貫して「私」の視点によって描写されている。述語文体を検討し、太宰の<主体性>により叙述形式が選ばれ、小説全体の<主体性>を支えていることを考察した。小説『富嶽百景』を主人公の心理的な自立性回復の物語と解釈するとき、主人公の心理的自立性確立は、叙述の形式の<主体性>によって支えられていることが観察できたのである。
 第3章は、第1節で日本語教育の立場から<主体>の理解と教育について考察した。中国人学生の誤用分析を行い、自動詞文他動詞文の<主体>を誤解せずに受け止められるための読解力養成を考察した。日本語教育実践例を紹介し、日本語教育において<主体>、<主体性>について、日本語学習者にとって躓きとなる、自動詞他動詞の<主語>の誤用、授受動詞文の<主語>と<受益者>の誤用を見た。また、表現主体の視点がどのように表示されているかを理解することにより、明示されていない<主体>をわからせるための指導法について述べた。第2節で、日本語文を英語訳と対照しつつ、翻訳に頼らない読解を可能にするための日本語読解を探り、絵による表現などで、日本語が表現主体を背景化しつつ事象を描写するとき、どのような表現形式がとられるか、日本語学習者に指導すべき点について考察した。第3節では、日本語文読解授業の実践を通して日本語文のよりよい理解を探求した。
 日本語学習者は、日本語の表現方法を学ばせることにより、誤解しがちな自動詞文他動詞文の主語、授受表現も理解できるようになる。読解において翻訳を補助的に用いることを否定するものではないが、「場面を絵に描いてみる」などの方法を用いることによって、日本語表現をそのまま受容することも容易になる。日本語を日本語として理解し味わうことは、日本語を母語としない者にとっても可能なことであると、日本語教育を通して主張することができる。
 「はじめに」で示した日本語教育における問題点について、(1)日本語教育テキストなどへの文法記述がまだ十分とはいえない。(3)学習者の母語干渉の強弱が、母語ごとにどのように学習困難点をもたらすのかについて、研究はまだ不十分である。この2点については、今後の日本語教育の進展に待たねばならない。しかし、(2)日本語教師による授業で、最新の文法記述を生かす、という面においては、教師それぞれの指導力によって学習者の読解力を十分に伸ばしていくことのできる文法指導が可能であるとの確信を得ることができた。
 筆者は、2011年に中国で発行される日本語教科書『南京大学 日本語会話』、『東北師範大学 新概念日本語中級読解』の執筆者として会話スクリプトと読解本文を担当したが、今後は、(1)(2)の面でも日本語教育に貢献できる道をさぐることが課題となる。これからの日本語教育に、文法研究と言語文化研究の成果を反映していきたい。

2010-02-10 06:01:00 | 日本語言語文化

第1章
はじめに
1 B.L.Whorfの用語「標準平均的ヨーロッパ語(SAEL Standard Average European languages)」 
第1節
2 クレオール言語とは、意思疎通ができない異なる言語の商人らが出会う場において、自然に作り上げられた混淆言語(ピジン言語)が、その話者達の子供によって母語として話されるようになった言語を指す
3 伊藤真紀子(2008)「シンガポールの英語」『東京外語会会報2008//02/01発行』
4 ポール・ロワイヤル文法は、ポール・ロワイヤル修道院に所属していたアントワーヌ・アルノーとクロード・ランスロによって成立した。
5 主語肯定論のうち、橋本進吉、鈴木重幸、竹林一志を上げておきたい。
橋本進吉の主語
 橋本進吉の文法論を基本とする、いわゆる学校文法は、主題の「ハ」も含めて主語としている。
 3年生教科書(光村図書出版『国語下』)では
  主語・・・文の中で、「何が(は)」「だれが(は)」に当たる言葉。
  述語・・・文の中で、「どんなだ。」「何だ。」「どうする。」に当たる言葉。
  修飾語・・文の中で、「何を」「いつ」「どこで」や「どんな」「どのように」などに当たる言葉。
 広く「国語教科書」に採用されている主語に関する記述は、口語文法教科書にみられる以下のようなものである。
日本語では、「が」「は」などの助詞を伴った文節が主語である。主語が省略されることも多い。
 しかし、実は橋本自身、主語観として、以下のように述べている。橋本(1948)は
「鐘が鳴る」の「鐘が」も、「鳴る」では何が鳴るか漠然としてゐるのを委(くわ)しく定めるもので、やはり、修飾語ではないかといふ論が出るかも知れません。これは誠に道理であります。実をいへば、私も、主語と客語、補語との間に、下の語に係る関係に於(おい)て根本的の相違があるとは考へないのであります。
 三上章が<主語>という用語を廃し、動詞にかかる<主格補語>の考え方を提出しているのと同様の「主語と補語は下の語に係る関係において根本的の相違があるとは考えない」と橋本も述べているのである。

鈴木重幸の主語
主語肯定論のうち鈴木重幸(1992)は以下のように<主語>を規定する。
主語とは、おおまかにいって、文の表す出来事(ひろい意味での)の中心的な実態(特徴のもち主)をあらわす部分で、述語によってそれの特徴(動作、状態、特製、質、関係など)が述べられる対象となるものである。(鈴木1992 p106)
竹林一志の主部
 竹林(2004)『現代日本語における主部の本質と諸相』は、<主語>という用語ではなく、<主部>をとりあげている。すべての文の機能を「或る対象について或る事柄の実現性の在り方を語る」とした上で、文の機能を構成する基本的根本的2項(前項、後項)を立てる。前項を「主部」と呼び、「主部とは文(sentence)或いは節(clause)において、それについて或る事柄の在り方が語られる対象」と規定している。(48)
 竹林(2004)は、「このケーキおいしいね」では主部が言語形式化されており、「おいしいね」という文では、「主部が何であるかが当該コンテクストからあきらかである、(と発話者によって判断されている)ために言語形式化されない」と述べている。そして、主部を主題主部と非主題主部に分別する(49)。
竹林(2004)に定義されている<主部>という呼び方についてだが、現在の日本語教育の場で<主部>という言い方を用いた場合、橋本文法などにいう「修飾語+主語」を主部と呼んでいることとの区別がむずかしいことを考慮して、現段階では使用しない。また、日本語教育の現場においてpredicate という用語を使うのにsubjectという語を避けているのは、英文法などでSVO、SVC などと言う場合の「S」との同一視を学習者から遠ざけるためである。また、竹林(2004)は<主格>という用語を扱わない、としている。文機能構成上では、竹林(2004)の述べるとおり、「日本語は<主部>、<述部>の2項構成」の説明で必要十分であろう。では、<主格>という概念はどうか。竹林2004は、動詞文の主部には存在する<主格>が、形容詞文では「わぁー、天気がいい」の「天気が」を主格と言われることが少ない、という理由で、動詞文にのみ<主格>をたてる必要はない、としている(51)。しかし、日本語教育においては、助詞の説明に格成分の解説は重要であり、「ガ格」「ヲ格」「ニ格」など、日本語の助詞と名詞の結びつきを取り出してそれぞれの格の意味成文を例示することによって、学習者に文の意味を理解させる必要がある。
 統語上の<主格>を連用修飾成分のひとつとして扱うか、待遇表現などで<主格>が他の格成分とは異なる動詞との特権的な結びつきをする場合があるゆえ他の斜格とは別扱いにするか、という問題は議論が続く問題であり、<主格>の扱いはさまざまな議論を含む。しかし、日本語教育の面では、日本語学習者に用言述語文を教える際に、格成分の提示は必要不可欠である。日本語教育では<主格>ではなく<ガ格>として学習者に提示している。「水が飲みたい」の「ガ格」は、発話者の要求が向かう対象を示し、「花が咲いた」の「ガ格」は、「咲いた」が実現するところを示す、という説明で混乱はない。日本語教科書Sinctional Fanctional Japanese(SFJ)は、対象の「ガ」も動作主の「ガ」もSubject particleとして提出している。
 「東京で働く」の「デ」は場所を示し、「ナイフで切る」の「デ」は道具を示す、という説明と同じように、名詞+助詞の機能が複数あることが理解できれば、「ガ格」に複数の意味があることもわかる。<主格>という名称を用いるかどうかは教育者によって異なるだろうが、談話機能上の<主題><解説>という構造、統語上の<主部><述部>という構造とならんで、動詞述語文を扱うときには必要である。「水!」という一語文は「水を欲している」という希求文、「キャッ。ゴキブリ!」は「ゴキブリがいる」という認識を表す存在文であるとすると、名詞によるコピュラ文、主題解説文・措定文の以外の現象文は、述語に対して名詞の役柄を示す必要が生じ、日本語教育では助詞提示に際し名詞役柄(意味役割semantic role)日本語の<主格>(名詞の意味役割)を教えている。
6 岡部隆志1973「繞(めぐ)る歌掛け--中国雲南省白族の2時間47分に渡る歌掛け事例報告(共立女子短期大学文科紀要17号」田主誠1977「中国雲南省少数民族の歌と踊り 国立民族学博物館.・民博通信1号」など。
7 小柳昇(2009)は、稲村1995を引用し、稲村の分析が妥当であることを認めつつ、稲村が「再帰的他動詞文」とした文を「所有者主語の他動詞文」と言い換えている。主語と客語が所有者所属関係にある構文を稲村(1995)は再帰構文との関連から「再帰的他動詞」と呼んだのだが、小柳は稲村の分析のうち主語客語が所有関係所属関係にあることを重視し、「所有者主語他動詞文」と呼ぶ。小柳の説と先行する稲村の論の間に矛盾はないが、「再帰」という一般にはなじみのない用語より、「所有者主語他動詞文」のほうが、通りはよいように思う。


第2節
8 <名詞+格>の意味と階層
 以下の助詞表示はすべてを網羅するものではなく、主要なものの提示である。また、順序は、表れる名詞階層の高い順を基準にしている。)
 ・動作主(Agent)「が」「φゼロ」
 ・経験者(Experiencer)「が」「に」
・使役者(Causer)「が」
 ・被作用者(Affected)、受益者(Benefactive)、受害者(Malefactive)「が」「に」「を」
 ・相手(Partner)「に」「と」
 ・対象(Patient/Theme)「を」「が」
 ・位置(Location)「で」「に」、
 ・着点(Goal)「に」
 ・起点(Source)「から」
 ・道具(Instrument)「で」「によって」

 これらの動詞にかかる名詞の階層性は
 1)人称代名詞、親族名詞、個人名詞
 2)普通人間名詞
 3)動物名詞
 4)無生名詞 
 日本語のような対格型言語(自動詞主語と他動詞主語が同じ格で表示される言語)は、本来(4)の無生名詞が主格の位置に表れる文は、擬人法以外の表現には表れにくい。英語でThe key open the door. は「鍵が戸を開けた」は翻訳調直訳調と感じられ、「鍵で戸を開けた。鍵で戸が開いた」、という表現となり、英語の主語the keyは、日本語では具格「で」で表示される。The wind open the door. は、「風が戸を開けた」より「風で戸が開いた」のほうが自然な表現である。

第3節
9 『夢の裂け目』は、東京裁判検察側の証人として出廷した紙芝居屋の親方が主人公である。軍部や軍人に責任があるだけでなく、それを支持した庶民にも責任があるのではないかという問題点をあげ、また東京裁判は、東条英機らA 級戦犯を断罪することにより「天皇免責」を当然のこととして周知させるための裁判だったのではないか、ということが、テーマとなっている。『夢の泪』はA 級戦犯松岡洋右の補佐弁護人に選定される予定だった弁護士夫婦や検察側将校の秘書などが登場して裁判についての物語が展開する。東京裁判は、極東委員会が「日本をうまく管理するには天皇の存在が不可欠である。ゆえに天皇に戦争責任なし」と決め、日本国民の中から天皇の戦争責任を問う声が上がらないようにするための裁判であった、ということがテーマになっている。
10 「東京裁判三部作」は2010 年4~6 月に3 ヶ月にわたって再演された。
11 新国立劇場『夢の痂』作品解説
12 レーマとは、文の中の伝達の内容を表し、新情報や未知の情報をもつ部分のことをさす。(ドイツ語を中心とした文法用語ではThema/Rhema、英語ではtheme/rheme)
13 「主語がないゆえ主体性がない」という言説は、現在も変わりなく生産されている。内田樹(2009年08月20日)は、「自民党マニフェスト」についての感想をブログに述べている。この論の中で、内田は日本語文の「主語の欠落」を「行動責任の存在を見えなくするため」という従来の日本語論日本人論を採用している。内田は、「主語の欠落」は、「すべての失態を他責的な言葉で説明するため」に使われているということのあらわれと解釈しており、従来の「日本語主語なし文」の通説に沿った言説を行っている。内田は自民党マニフェストの主語無し文のほか、東京裁判における小磯国昭元首相の答弁をあげ、行動の主体が明示されない、ということの例証としてあげている。「日本語は主語を表現しないから行為主体の責任を明らかにしない」という内田の論は、西欧的な「行為主体=主語」という解釈で物事を判断する見方が広く浸透していることのひとつの例といえよう。



第2章
第1節
1 主語の一般的性質を表現するのに用いる。能動受動態、中間態、中動態などの用語も用いられる。

第2節
2 岩佐茂1990「主体性論争の批判的検討」一橋大学研究年報. 人文科学研究, 28: 177-227)
3 法政大学大原社研1955/2002日本労働年間第28集:268

第3節
4 本節では、1975「筑摩現代文学大系59太宰治集」筑摩書房に所収の「富岳百景」を用いた。
5 亀井勝一郎1959「『富嶽百景』作品鑑賞」、竹内清己1978「『富嶽百景』論作品の様態と生の位相」


日本語言語文化における<主体>と<主体性> 要旨

2010-01-27 13:30:00 | 日本語言語文化
 言語は、人間が人間らしく生きるための最も重要な手段である。人は所属する集団の中で母語を身につけ、言語を社会生活の基盤とする。言語はその集団ごとの価値体系や文化・世界観が反映し、日本語を母語とする集団には日本語の構造や語彙が思考にも投影されると考えられる。人が他集団の言語を身につけようとするとき、母語の思考方法と異なる新たな思考を獲得するために、さまざまな試行錯誤が繰り返される。母語の思考方法そのままに他言語を眺めれば、誤解が生じる。語学教師は日々、この誤解と闘いつつ学習者の語学習得を進めていく。筆者は、日本語と日本文化を教える仕事を通じて、日本語母語話者の<主体>意識と日本文化の中に生きている者の<主体性>の表現について、理解されていない部分もあることを知り、日本語を学ぶ者にも日本語文の<主体>と<主体性>を確実に理解させたいと考え、論考を行った。
 これまで多くの日本人論日本語論の中で、「日本人は主体性の欠如した民族」「集団主義を好み、個人が確立していない」「主語を明確にして発言しない日本語は、責任の所在を曖昧にしている言語である」などの言説が流布してきた。「一人だけ周囲と異なる行動をとるのを好まず、周囲と異なる意見を持っても、異議申し立てをしない」「流行に乗りやすく、他の人にたやすく同調する」などと言われてきたが、ほんとうに日本語は<主体性>のない言語であり、そのような言語故に日本人は<主体性>を発揮することができないのだろうか。確かに、日本語母語話者は、西洋語母語話者に比べ、自動詞表現を多用する。また、他動詞文の使用においても、<主・客>が合一的に事象の推移を表現する他動性の少ない表現もある。これは、他動詞では動詞内容の完結性(限界性)が表現できない場合、完結性を表現できる自動詞文を用いるためである。日本語の他動詞文は、「自己が他者に行為を加える」ことを表すのみではない。日本語の他動詞文は、動作者の行為が客体に与えられる他動性の発揮を表現する文もあり、自動詞文と同じく、「事象推移」を表す文もある。
 本稿は、日本語の<主語>、<主体>、他動詞文(再帰的他動詞文、授動詞文、受身文を含む)を考察し、日本語言語文化に表現された<主体性>を明らかにした。日本語文の<主語>と<述語>表現を明らかにし、日本語を母語としない者にも、日本語の<主体>が誤解なく伝わることを目標のひとつとした。
 日本語文の<主体性>とは、「事象推移を表す述語」と、「述語の内容が実現する場としての主語」、そしてその組み合わせによって発話している表現主体(話し手・語り手)が発揮するものである。表現主体の主観は、述語の叙述形式に表される。本稿は、哲学心理学言語学などに用いられている<主体性>を確認したのち、日本語の<主体性>を把握すべく考察を加え、新たな知見を展開したものである。西洋語を中心とする母語話者にとっての自動詞文、他動詞文とは異なる観点を持つ日本語構造とは、「事象の推移」を叙述の中心として、「おのづから然る」ことを描写の中心とするものである。日本語母語話者は、自己を取りまく外界を「他」と捉えて言語表現を行うが、その自己と他者は、西洋語の「<主体>が<客体>に行為を加えて変化をもたらす」という表現とは異なり、「<主・客>が合一的に事象の中に存在する」ことを表現する。
 第1章は、<主体>を日本語統語の面から考察する。第1節で<主体>、<主語>、<主題>などの語を確認した。第2節では、日本語の中の<主体>がどのように表現されているか分析した。再帰的他動詞文においては、述語の実現する場として<主体>と<客体>が合一的に存在し、事象の推移を表現しており、日本語表現にあっては、他動詞文も自動詞文と同じように「事象の推移」を表現しているのであることを述べた。これまでの<主語>と<主体>に関する論述の問題点を見た上で、日本語の文構造上の<主語>と、「表現の主体」として「話し手・語り手」がどのように表され、それを日本語母語話者や非日本語母語話者がそれぞれどのように受容しているのか考察した。日本語においては、表現主体が認識し知覚した事柄が直接に表現され、表現主体は背景化される。自動詞述語と他動詞述語は述語動詞の要求する項の数が異なるが、「事象の推移を表現する」という表現意識は他動詞にも存在し、自動詞文に近い表現をする「再帰的他動詞文」に顕著に見られるように、他動詞述語文が「主体から客体へ行為を加える」のではなく、「主体と客体がともに事象の推移の中に存在する」という表現であることを述べた。事象の完結性を表現する場合には、変化の完結を表現する機能を持たない他動詞ではなく、完結を表現できる自動詞による表現が用いられる。また、日本語は表現主体が文の表層構造に明示されないとしても、表現主体の<主体性>は述語に反映していることを述べた。第3節では、日本人の文法感覚の検証として、井上ひさしの『夢の痂』を取り上げて、日本人の日本語と<主体>に関する意識を考察した。
 第2章は、第1節で現代日本語言語文化の中に表現されている<主体>、<主体性>とその意味を、第1節では、日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているか、<主体性>と<主観性>が、「自己をとりまく環境の中で、<主体>がそこに実現する」という意味での<主体性>と、「陳述的な主体性」を表現する<主観性>が日本語においては統合されていることを述べ、日本語が<主体性>を含む言語であることを結論とした。第2節では哲学、言語学などの<主体性>の意味を確認し、第3節では、具体的な作品分析として、太宰治の「富嶽百景」を取り上げ、表現主体とその主観、そして両者の統合としての<主体性>の表現を考察した。
 第3章は、第1節で日本語教育の立場から<主体>の理解と教育について考察した。第2節で、日本語文を英語訳と対照しつつ、翻訳にたよらない読解を可能にするための指導を探り、適切な助言による、非日本語母語話者の読解課程を考察した。第3節で日本語文読解授業の実践を通して日本語文へのよりよい理解へ至るための指導を考察した。
日本語における<主体>とは、「事象の推移、環境の変化」の中に埋め込まれた存在であり、「自己の周囲の客体に対峙する」のではなく、「客体と合一的に事象の推移の中にあって環境を受容する」ことを総括するものである。
 日本語母語話者の中にも存在する「日本語は主語を明示しない言語であるゆえ、行為者の責任を明示しない。日本語構造が日本人の集団主義的な行動に反映している」という論に対して、日本語言語文化における<主体>と<主体性>は、日本語の論理によって理解していくべきであり、「<主体>と<客体>が合一的に事態の推移の中にある」と結論した。日本語の「主体」は、「間主観的主体」、「他者共感的主体」を示しうるものである。「他者に対峙し、他者を変化させる<主体>」を表現の中心としてきた西洋語を用いる社会に対して、日本語表現が、「他者との相互依存関係において他者とのネットワークの中において捉える自己」の探求にひとつの視点を与えると考える。積極的に他者に働きかけ影響を与え、他者を変化させる行為・動作者agentを<主体>とし変化を与える<客体>との対峙を言語に表現してきた西洋語母語話者にとって、本論は、「外界環境を感受する者」として環境事態の推移を経験し、述語の実現する場として「主体が客体とともに存在し、事象の推移を経験している」ことを表現する日本語への理解を進めていくための知見を示し得たと考える。行為・動作者agentが中心となる考え方だけでなく、統括・主宰者principalも、客体objectも、事象のなかに合一的に存在しうることを言語的に理解させていくことが、これからの日本語教育にも求められる。
 今後の研究の方向としては、上記の検討に加え、本稿では追求ができなかった、日本語学習者の母語によって、どのように日本語が受容され、母語の干渉によってどのような誤解が生じるのか、さらに検討していくべきだと考える。日本語が語られる認知空間において、日本語表現が日本語の論理によって受容されていける日本語教育をめざして研究を続けたい。筆者が執筆参加した日本語教科書(『南京大学 日本語会話』『東北師範大学 新概念日本語中級』)をはじめ、日本語教育においてさらなる実践、研究を重ねて、今後の日本語研究の課題を追求したい。


融合文化論-オラショを中心に

2008-12-31 12:14:00 | 日本語言語文化
融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-1

<1>融合文化の端緒

 縄文から室町までの日本列島において、最初の「文明の遭遇」と「融合」は、紀元前600年ごろから紀元後100年ごろにかけての長期間の出来事である。

 栗の実や栃の実、稗や粟などの雑穀の栽培、里芋類の焼き畑農業を行っていた縄文の土地に、稲作を中心とする農耕民がしだいに入り込み、長い年月をかけて縄文村は稲作を受け入れていき融合した。これが日本の「縄文弥生時代」である。縄文の焼き畑村と稲作の村は利用する土地が異なっていたので、競合することなく争うこともなかった。

 しかし、稲作村の人口増加率が、年3~5%で増えるのに対して、縄文の焼き畑村では年1%の人口増加にとどまる。この結果、千年の間に、稲作村の人口は焼き畑村の人口を凌駕し、列島全体が縄文弥生ハイブリッド稲作村になる。稲作村が列島ほぼ全土に渡ってひろがった、という時代が3~5世紀である。(注1)

 アジア大陸、またその突端の朝鮮半島から日本列島への人口移動は、長期間にわたって随時行われたと推測できるが、その中でも突出した出来事として中国の史書に記録されたのが、秦の始皇帝時代の「徐福」である。徐福は、始皇帝に不老不死の妙薬を手に入れよと命ぜられ、3000人の部下を引き連れて大陸から出航しそのまま戻らなかった、と司馬遷が史記に記録している。

 この伝説が歴史上の具体的事実であるかどうかはまだ不明だし、徐福一行のたどり着いた土地が日本であるというのも実証されたわけではないのだが、司馬遷が徐福の出航を記録として残したことは事実である。(注2)

 この稲作に伴う移入は、長期間にわたって進んだので、「他者との遭遇」という強い衝撃すなわち「文明の衝突」としてではなく、ゆっくりと「融合」がすすんだ。

 次の「他者の移入と融合」は、日本列島に「大和の大王」支配が確立した5~6世紀に起きた。朝鮮半島での百済国滅亡に伴う、百済国難民の日本列島流入である。このときの朝鮮半島と日本の戦いについては、高句麗王が残した石碑(AD414年に建立)に刻まれている。筆者はこの石碑を見るため、中国吉林省集安市の高句麗王遺跡を訪れ、石碑の文字を読んできた(注3)。

 この7世紀の大量移民受け入れで日本列島に起きた大変化は「文字文化の移入」であった。それまでも「護符」としての文字は入ってきていたが、言語の記録装置としての文字文化が、日本語言語文化に影響を与えるまでに大量に入ってきたのは、6~7世紀のことであった。

 このとき、文字文化を受け入れた人々にとって、文字は「異質な文化」との遭遇となった。(注4)
 文字を伝えた朝鮮半島の人々(百済人を中心とする)の言語と日本語は統語を同じくする。単語を同じ語順で並べる言語であり、当時の百済語と大和語は、かなり近いことばであったろうと推測される。マレーシアのマレー語とインドネシアのインドネシア語は、方言差がある程度の同一の言語である。デンマーク語とノルエー語スエーデン語も、方言差程度の同一言語である。日本語と百済語は、それほど近くはないものの、現在のスペイン語とポルトガル語程度に近い、すなわち通訳なしでもある程度通じあえる言語であったのではないか、とみなす言語学者もいる。

 ただし百済語は死語であり、記録も残されていないので、あくまでも推測である。高句麗語&新羅語の系統をひくとされる現代の朝鮮語は日本語とは統語は同一であるが、同系統の語彙は少ない。古代文献の研究から、百済語と倭語は開音節であったことが共通するという説もある。(注5)

 6~7世紀ごろ、日本に漢字を伝えたのは、朝鮮半島から大量に渡来して大和朝廷で一定の地位を占めていた古代朝鮮人である。初期には、文字の読み書きができるのは、ほぼ渡来人に限られていた。古代朝鮮の知識人は漢字を早くから移入し、漢字によって朝鮮語を表記する方法を開発していた。漢字を表音文字として用いて、中国語にない朝鮮語の助詞を書き表すなどしていたのである。

 日本語は、母音の数が少なく、「子音+母音」という単純な音節音韻体系を持っている。言語の構造(統語法)が朝鮮語と同じであり、漢字による朝鮮語表記法の知識のある渡来人にとって、日本語を漢字で表記することはそれほど難しいことではなかったであろう。漢字を用いた朝鮮語表記法を「吏読」という。(注6)

 名詞など自立語を漢字で、中国語にはない朝鮮語独自の助詞などを漢字の音読をあてて記録している。これと同じ方法で日本語も表記できる。古代日本人が、短期間に漢字による日本語表記ができるようになったのは、朝鮮半島渡来人の力によるものであると推測できる。この漢字による日本語表記が「万葉仮名」表記である。8世紀に成立した『万葉集』『古事記』は、万葉仮名で表記されている。

 この時の「他者との出会い」すなわち文字文化との遭遇は、統語法を同じくする言語の話者である朝鮮語話者を媒介としていたため、「衝突」はおこらず、融合のみが進み、万葉仮名はわずか100年の間に「ひらがな」を生みだし『土佐日記』『竹取物語』などのひらがな文学を創出した。
 平安時代鎌倉室町と続く時代にも、日宋貿易日明貿易など、大陸からの文化移入がつづけられた。

<2> 信仰の習合と隠れキリシタンの誕生 

 日本文化が「融合」ではなく、「衝突」を他者との間に巻き起こしたのは、室町末期の戦国期に至って、キリスト教が流入したときである。唯一神を絶対者とする一神教は、日本の社会とは異質な宗教であった。

 日本の宗教は、第一次に縄文以来の土着の神々(国つ神)であるスサノオやオオクニヌシと、大和農耕民の自然神、アマテラス(太陽神)や豊受大御神(とようけのおおみかみ=オオゲツヒメ食物神)が「八百万の神」としてまとめられた。第二波として、文字文化流入期に儒教道教仏教が習合し、日本独自の神道仏教習合が行われた。

 唯一神は、これらの習合的多神教を認めようとはしなかった。そのため豊臣秀吉や徳川将軍家は、キリスト教を排斥した。キリスト教信者は国外追放や死刑とされ、九州を中心に隠れキリシタンとして残った人々のキリスト教は、「マリア観音」信仰など、「習合的キリスト教」に変化していったのである。

 こうした隠れキリシタンの多くは、明治時代に来日したパリ外国宣教会によってカトリックに復帰したが、長崎県などには、今でもカトリックに復帰せず土俗化した信仰を保有しているキリシタンも存在する。マリア観音信仰における「オラショ(祈祷書)」を精査することによって、キリスト教が仏教の隠れ蓑を着て伝わるうちにどのように習合されていったのかを追跡できるのではないかと思う。

 オラショの原語はラテン語のOratio(祈祷書)である。(注7)
 長崎生月島のキリスト教布教史を概観する。室町末期、長崎の平戸藩主の松浦隆信は貿易を目的としてザビエルとその部下のトレリスらに布教を許可した。藩主自身は入信しなかったが、筆頭家老で生月の豪族籠手田安経が国守の名代として入信した。1557(弘治3)年のことである。天正15年(1587年)6月20日、豊臣秀吉は突如としてバテレン追放令を出した。「日本は神国であり南蛮国の邪法を拒否する。仏法の破壊者である宣教師達は20以内に日本から退去せよ」という天皇署名の勅状を発行したのである。

 秀吉死去ののち幕府を開いて全国支配を完了した徳川家康は、慶長17年(1612年)にキリスト教の布教禁止を命じた。弾圧が強まり、殉教者が続く中、キリシタンは潜伏し、明治の世まで300年間、密かにキリスト教信仰を続けた。83 隠れキリシタンにおける習合生月に伝わるオラショ『生月島サンジュワン様の歌』は以下のような歌詞である。

    前は泉水、後ろは高き岩なるやナ 
    前もうしろも汐であかするやナ
    この春は桜花かや、散るぢるやナ 
    又来るときは蕾開くる花であるぞやナ
    参ろうやナ
    参ろうやナ
    パライゾの国に参ろうやナ
    パライゾの寺と申するやナ
    広い寺と申するやナ
    広い狭いはわが胸にあるぞやナ

 サンジュアン様とは、中江島という岩礁の呼び名である。生月島と平戸島の間に浮かぶ小さな岩礁において、数々のキリシタンが命を落とした殉教の地であった。生月島キリシタンにとっては最大の聖地であり、洗礼をほどこすときはこの岩礁サンジュアン様から水を汲む。この「殉教者の聖地を神格化して祭り、そこから洗礼の水をくみ上げる」という行為は、正月行事の「正月神に供える若水を、新年最初に井戸からくみ上げる」を思わせる。

 カトリックの洗礼式において、「どこそこの聖地で汲んだ水を用いなければならない」という規定があるとは聞いたことがない。たとえば、ヨーロッパカトリックの教会で洗礼式を行うとき、「ヨルダン川またはそれに準ずる水を洗礼に用いること」というようなきまりはあるだろうか。寡聞にして知らない。

 サンジュアン(殉教地中江島の岩礁)の水を使う、という隠れキリシタンの意識は、新年行事の「若水汲み」の行事が影響が習合しているのではないかと、筆者は推測する。
 以下、300年にわたって密かに伝えられた「キリスト教信仰」は、表向き仏教徒と見えるように、マリアは「マリア観音」として画像が描かれ、今となってはヨーロッパキリスト教とはかなりかけ離れた独自の宗教となっている。たとえば、カトリックでは行わない「祖先崇拝」がある。明治期にカトリックに復帰しなかった隠れキリシタンは、その理由として「ハライソに行き、祖先に会いたい」という彼らの信仰が現代のカトリック教義によって否定されたことをあげる。

 1年のうち40の行事を行うが、カトリックと同一の行事はイエス生誕と復活行事など数種のみであり、他はほとんどが祖先崇拝行事にあたる。おおかたの行事は、「祈願、直会、宴会」がセットとなっており、これは神道における祭式と同様の進行である。ほとんどの行事は祈願、直会、宴会の順に進行され神道の行事とほぼ同じ。

<4> どちりなきりしたん(教義問答にみる隠れキリシタンの思想)

 「どちりなきりしたん」は、隠れキリシタンに伝えられたキリスト教の教義問答である。その一部を写す。「どちりなきりしたん」より、弟子と師の教義問答(天地創造について)   

弟子 ばんじかなひ玉ひてんちをつくり玉ふとはなに事ぞや。    
師  そのこと葉の心はデウスばんじかなひ玉ふによててんちまんぞうをいちもつなくしてつくりいだし玉ひ、御身の御いくはう、われらがとくのためにかかへ、おさめはからひ玉ふと申ぎなり。   
弟子 御あるじデウス一もつなくしててんちまんぞうを作り出し玉ふとある事ふんべつせず。そのゆへは御さくのものはみなデウスの御智慧、御ふんべつよりいだし玉ふと見ゆるなり。しかるときんば一もつなくしてつくり玉ふとはなに事ぞや。   
師  此ふしんをひらくために、一のこころみあり。それというはデウスの御ふんべつのうちには御さくのもののたいは一もなしといへども、それそれのしよそうこもり玉ふなり、これをイデアといふなり。此イデアといふしよそうはさくのものにあらず、ただデウスの御たいなり。然るにまんぞうをつくり玉ふとき、デウスの御ふんべつにもち玉ふイデアにおうじて御さくのものは御たいをわけてつくりいだし玉ふにはあらず、ただ一もつなくしてつくり玉ふなり。たとへばだいくはいへをたてんとするときまづそのさしづをわがふんべつのうちにもち、それにおうじていへをつくるといへども、いへはふんべつのうちのさしづのたいにはあらず、ただかくべつのものなり。そのごとくデウス御ふんべつのうちにもち玉ふ御さくのもののイデアにおうじてつくり玉ふといへども、御さくのものはそのイデアのたいにはあらず、ただばんじかなひ玉ふ御ちからをもて一もつなくしてつくり玉ふなり。「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(神と被造物との差異についての質疑)   
弟子 みぎデウスと御さくのもののしやべつはうけたまはりぬ。今又御さくのものはいづれもたがひに一たいか、べつのたいかといふ事をあらはし玉へ。   
師  御さくのものはいづれもべつたいなり。そのゆへはデウスよりつくり玉ふときそれぞれにおうじたるかくべつのせいをあたへ玉へばなり。そのせうこにはさくのものにあらはるるかつかくのせいとくあり。このぎをよくふんべつすべきためにこころうべき事あり。それといふはしきさうあるよろづのさくのものは二のこんぽんをもてわがうしたる者也。一にはマテリヤとてそのしたぢの事。二にはホルマとてそのせいこれなり。みぎのしたぢといふは四大をもてわがうし、あらはるるしきそうなり。又ホルマといふはよろづのものにしやうたいと、せいとくをほどこす者也。めに見ゆる御さくのものは四大をもてわがうしたる一のしたぢなれども、しやうたいとそのせいとくをほどこすホルマはかつかくなるによて、みなべつたいなる者也。かるがゆへにちくるいと四大わがうのそのしたぢは一なりといへども、人のしやうたいとちくるいのしやうたいかくべつなるによてべつたいなる者也。これらの事をくはしくふんべつしたくおもはば、べつのしよにのするがゆへによくどくじゆせよ。

「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(アベマリアについて)
弟子 でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや    
師   其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座ます諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也    
弟子 びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや    
師  あべまりあと云おらしよ也たゝいま教ゆ」(十九ウ)べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん    弟子 此おらしよは誰の作り玉ふぞや    
師  さんがびりゑるあんじよ貴きびるぜんまりあに御つげをなし玉ふ時の御ことばとさんたいざべるびるぜんまりあにごんじやうせられたることばに又さんたゑけれじやよのことばをそへ玉ふを」(二十オ)以てあみたて玉ふおらしよ也    
弟子 御母びるぜんは誰人にて御座ますぞや    
師  でうすの御母の爲にえらび出され給ひ天にをひて諸のあんじよの上にそなへられ給ひ諸善みち/\玉ふこうきうにて御座ます也是によて御子ぜずきりしとの御まへにをひて諸のへあとよりもずくれて御ないせうに叶玉ふ也それによて我等が申上ることはりをおほせ叶へらるゝが故にをの/\きりしたん深くしんかうし奉る也    
弟子 何によてか御母さんたまりあへ對し奉り百五十友か又は六十三友かのおらしよを申上奉るぞ」(二十ウ)    
師  六十三友のおらしよは御母びるぜんの御年の數に對し奉りて申上る也又百五十友のおらしよは十五のみすてりよとて五ヶ條は御よろこび五ヶ條は御かなしひ今五ヶ條はくらうりやの御ことはりに對して申上奉る也此十五ヶ條のだいもくははんぎにひらきたる一しにあり    
弟子 あるたるにそなわり玉ふによにんの御すがたは誰にて御座ますぞ
師   天に御座ます御母びるぜんまりあをおもひ出し奉る爲の御ゑいなればうやまひ奉るべき者也    
弟子 此びるぜんさんたまりあの御ゑい其しなおほきごとく其御體もあまた御座」(二十一オ)ますや    
師  其儀にあらずたゝ天に御座ます御ひとりのみ也    
弟子 然らば人々なんぎに及時或は御あはれみの御母或は御かうりよくのなされて或はかなしむ者の御よろこばせてなとゝ樣々によび奉る事は何事ぞや    
師  別のしさいなしたゝ御母の御とりなしでうすの御まへにてよく叶ひ給へば御おはれみの御母にて御座ます上よりしゆゝの御忍を與へ玉ふによてかくのごとくに唱へ奉る也    
弟子 あべまりあのおらしよをば誰にむかひて申上奉るぞ」(二十一才)    
師  貴きたうみなびるぜんまりあにゑかう仕る也    
弟子 何事をこひ奉るぞもし我等が科の御赦しをこひ奉るか    
師  其儀にあらず    
弟子 がらさかくらうりあをか    
師  其儀にもあらず    
弟子 然らば此等の儀をば誰にこひ奉るぞ    
師  御主でうすにこひ奉る也    
弟子 御母には何事をこひ奉るぞ    
師  此等の事を求めんかために御子にて御座ます御主ぜずきりしとの御まへにて御とりあはせを頼み奉る也」(二十二オ)  

以上のアベマリアに関するオラショのなか、
    
でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや     
其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座(おはし)ます    
諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ    御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也     
びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや また、べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん

などのオラショにみられる「諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ」「御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへ」という文言は、浄土真宗の親鸞の唱える「悪人正機説」「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」を思い出させる。隠れキリシタンが「祖先崇拝」と習合すると、父や子イエス(でうす)よりもマリア信仰が強くなるのは、母系社会の祖先崇拝を残している日本型神道仏教習合のひとつのあらわれが、キリスト教にも見られる、と感じる。

 「さるべ-れじいな」より深き御柔軟、深き御哀憐、すぐれて甘く御座(おはし)ます びるぜん-まりあかな。貴(たっと)きでうすの御母(おんはわ)きりしととの御(おん)約束を受け奉る身となる為に、頼み給へ。あめん。

 以上、日本文化が諸処から流入した文化を融合しながら形成されてきた歴史を、宗教文化を中心に概観し、ことに隠れキリシタンにみられるキリスト教と土着宗教との習合を推察した。厳密な比較対照はこれからの作業となるが、筆者の直感にすぎない「若水汲み」「悪人正機説」との習合も、検証ののち再説する意義があると思う。

<おわり>

<参考文献>
1 特別展「縄文vs弥生」カタログ(国立科学博物館2005)解説
2 司馬遷『史記』秦始皇28年の条
3 李進熙1985『好太王碑の謎―日本古代史を書きかえる』講談社文庫(原著・講談社1973)
4 沖森卓也2003『日本語の誕生 古代の文字と表記』吉川弘文館
5 犬飼隆2005「古代の言葉から探る文字の道」『古代日本 文字の来た道』大修館書店PP.74-77
6 柳尚煕2008「韓国の吏読と日本文字のカタカナ」『二松学舎大学東アジア学術総合研究所集刊』 38 pp.239-247
7 皆川達夫1994「隠れキリシタンの祈り(オラショ)とヨーロッパの聖歌」聖徳大学川並総合研究所論叢2 pp.242-2558 宮崎賢太郎2003『カクレキリシタン ― オラショ-魂の通奏低音』長崎新聞社


目次 融合文化・オセロ考・フランダースの犬

2008-10-02 23:39:00 | 日本語言語文化
融合文化(1)ポンペ神社(2)陰陽五行思想(3)辛酉革命と建国の日(4)独裁者の王国(5)はやしさんのこと(6)心の鎖国(7)力道山(8)ジーパン刑事松田優作(9)マラーノ松田優作(10)マラーノ文化(11)融合する文化==========オセロ-日本語言語文化における主体の研究その21 日本演劇史2-1 正劇オセロ2-2 貞奴と音次郎2-3 明治社会とオセロ2-4 川上一座の室鷲郎2-5 デズデモーナから鞆音へ2-6 貞奴の身体性2-7 黒田事件3 オセロの変容4 現代のオセロ5 結論=========1-1 レミの受容1-2 ネロのアニメ化2-1 パトラッシュ・フランダースの犬2-2 検証「フランダースの犬」2-3 ネロとアロア2-4 負け犬2-5 滅びの美学3-1 パトラッシュ昇天3-2 おわりに=========色彩名称と文化-日本語言語文化における「しろ」

日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-

2008-09-08 17:57:00 | 日本語言語文化
融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-

1 縄文から室町まで
 日本列島において、最初の「文明の遭遇」と「融合」は、紀元前600年ごろから紀元後100年ごろにかけての長期間の出来事である。栗の実や栃の実、稗や粟などの雑穀の栽培、里芋類の焼き畑農業を行っていた縄文の土地に、稲作を中心とする農耕民がしだいに入り込み、長い年月をかけて縄文村は稲作を受け入れていき融合した。これが日本の「縄文弥生時代」である。縄文の焼き畑村と稲作の村は利用する土地が異なっていたので、競合することなく争うこともなかった。しかし、稲作村の人口増加率が、年3~5%で増えるのに対して、縄文の焼き畑村では年1%の人口増加にとどまる。この結果、千年の間に、稲作村の人口は焼き畑村の人口を凌駕し、列島全体が縄文弥生ハイブリッド稲作村になる。稲作村が列島ほぼ全土に渡ってひろがった、という時代が3~5世紀である。
 アジア大陸、またその突端の朝鮮半島から日本列島への人口移動は、長期間にわたって随時行われたと推測できるが、その中でも突出した出来事として中国の史書に記録されたのが、秦の始皇帝時代の「徐福」である。徐福は、始皇帝に不老不死の妙薬を手に入れよと命ぜられ、3000人の部下を引き連れて大陸から出航しそのまま戻らなかった、と司馬遷が史記に記録している。この伝説が歴史上の具体的事実であるかどうかはまだ不明だし、徐福一行のたどり着いた土地が日本であるというのも実証されたわけではないのだが、司馬遷が徐福の出航を記録として残したことは事実である。この稲作に伴う移入は、長期間にわたって進んだので、「他者との遭遇」という強い衝撃すなわち「文明の衝突」としてではなく、ゆっくりと「融合」がすすんだ。
 次の「他者の移入と融合」は、日本列島に「大和の大王」支配が確立した5~6世紀に起きた。朝鮮半島での百済国滅亡に伴う、百済国難民の日本列島流入である。このときの朝鮮半島と日本の戦いについては、高句麗王が残した石碑(AD414年に建立)に刻まれている。
この7世紀の大量移民受け入れで日本列島に起きた大変化は「文字文化の移入」であった。それまでも「護符」としての文字は入ってきていたが、言語の記録装置としての文字文化が、日本語言語文化に影響を与えるまでに大量に入ってきたのは、6~7世紀のことであった。このとき、文字文化を受け入れた人々にとって、文字は「異質な文化」との遭遇となった。文字を伝えた朝鮮半島の人々(百済人を中心とする)の言語と日本語は統語を同じくする。単語を同じ語順で並べる言語であり、当時の百済語と大和語は、かなり近いことばであったろうと推測される。マレーシアのマレー語とインドネシア語は、方言差がある程度の同一の言語である。デンマーク語とノルエー語スエーデン語も、方言差程度の同一言語である。日本語と百済語は、それほど近くはないものの、現在のスペイン語とポルトガル語程度に近い、すなわち通訳なしでもアル程度通じあえる言語であったのではないか、とみなす言語学者もいる。(ただし百済語は死語であり、記録も残されていないので、あくまでも推測である。高句麗語&新羅語の系統をひくとされる現代の朝鮮語は日本語とは統語は同一であるが、同系統の語彙は少ない)。
 6~7世紀ごろ、日本に漢字を伝えたのは、朝鮮半島から大量に渡来して大和朝廷で一定の地位を占めていた古代朝鮮人である。初期には、文字の読み書きができるのは、ほぼ渡来人に限られていた。古代朝鮮の知識人は漢字を早くから移入し、漢字によって朝鮮語を表記する方法を開発していた。漢字を表音文字として用いて、中国語にない朝鮮語の助詞を書き表すなどしていたのである。
 日本語は、母音の数が少なく、「子音+母音」という単純な音節音韻体系を持っている。言語の構造(統語法)が朝鮮語と同じであり、漢字による朝鮮語表記法の知識のある渡来人にとって、日本語を漢字で表記することはそれほど難しいことではなかったであろう。漢字を用いた朝鮮語表記法を「吏読」という。名詞など自立語を漢字で、中国語にはない朝鮮語独自の助詞などを漢字の音読をあてて記録している。これと同じ方法で日本語も表記できる。古代日本人が、短期間に漢字による日本語表記ができるようになったのは、朝鮮半島渡来人の力によるものであると推測できる。この漢字による日本語表記が「万葉仮名」表記である。8世紀に成立した『万葉集』『古事記』は、万葉仮名で表記されている。
 この時の「他者との出会い」すなわち文字文化との遭遇は、統語法を同じくする言語の話者である朝鮮語話者を媒介としていたため、「衝突」はおこらず、融合のみが進み、万葉仮名はわずか100年の間に「ひらがな」を生みだし『土佐日記』『竹取物語』などのひらがな文学を創出した。
 平安時代鎌倉室町と続く時代にも、日宋貿易日明貿易など、大陸からの文化移入がつづけられた。

2 信仰の習合と隠れキリシタンの誕生
 日本文化が「融合」ではなく、「衝突」を他者との間に巻き起こしたのは、室町末期の戦国期に至って、キリスト教が流入したときである。唯一神を絶対者とする一神教は、日本の社会とは異質な宗教であった。日本の宗教は、第一次に縄文以来の土着の神々(国つ神)であるスサノオやオオクニヌシと、大和農耕民の自然神、アマテラス(太陽神)や豊受大御神(とようけのおおみかみ=オオゲツヒメ食物神)が「八百万の神」としてまとめられた。第二波として、文字文化流入期に儒教道教仏教が習合し、日本独自の神道仏教習合が行われた。唯一神は、これらの習合的多神教を認めようとはしなかった。そのため豊臣秀吉や徳川将軍家は、キリスト教を排斥した。キリスト教信者は国外追放や死刑とされ、九州を中心に隠れキリシタンとして残った人々のキリスト教は、「マリア観音」信仰など、「習合的キリスト教」に変化していったのである。こうした隠れキリシタンの多くは、明治時代に来日したパリ外国宣教会によってカトリックに復帰したが、長崎県などには、今でもカトリックに復帰せず土俗化した信仰を保有しているキリシタンも存在する。マリア観音信仰における「オラショ(祈祷書)」を精査することによって、キリスト教が仏教の隠れ蓑を着て伝わるうちにどのように習合されていったのかを追跡できるのではないかと思う。オラショの原語はラテン語のOratio(祈祷書)である。
 長崎生月島のキリスト教布教史を概観する。室町末期、長崎の平戸藩主の松浦隆信は貿易を目的としてザビエルとその部下のトレリスらに布教を許可した。藩主自身は入信しなかったが、筆頭家老で生月の豪族籠手田安経が国守の名代として入信した。1557(弘治3)年のことである。天正15年(1587年)6月20日、豊臣秀吉は突如としてバテレン追放令を出した。「日本は神国であり南蛮国の邪法を拒否する。仏法の破壊者である宣教師達は20以内に日本から退去せよ」という天皇署名の勅状を発行したのである。秀吉死去ののち幕府を開いて全国支配を完了した徳川家康は、慶長17年(1612年)にキリスト教の布教禁止を命じた。弾圧が強まり、殉教者が続く中、キリシタンは潜伏し、明治の世まで300年間、密かにキリスト教信仰を続けた。

3 隠れキリシタンにおける習合
生月に伝わるオラショ『生月島サンジュワン様の歌』は以下のような歌詞である。
    前は泉水、後ろは高き岩なるやナ 前もうしろも汐であかするやナ
    この春は桜鼻かや、散るぢるやナ 又来るときは蕾開くる花であるぞやナ
参ろうやナ参ろうやナパライゾの国に参ろうやナ パライゾの寺と申するやナ
    広い寺と申するやナ 広い狭いはわが胸にあるぞやナ

 サンジュアン様とは、中江島という岩礁の呼び名である。生月島と平戸島の間に浮かぶ小さな岩礁において、数々のキリシタンが命を落とした殉教の地であった。生月島キリシタンにとっては最大の聖地であり、洗礼をほどこすときはこの岩礁サンジュアン様から水を汲む。この「殉教者の聖地を神格化して祭り、そこから洗礼の水をくみ上げる」という行為は、正月行事の「正月神に供える若水を、新年最初に井戸からくみ上げる」を思わせる。カトリックの洗礼式において、「どこそこの聖地で汲んだ水を用いなければならない」という規定があるとは聞いたことがない。たとえば、ヨーロッパカトリックの教会で洗礼式を行うとき、「ヨルダン川またはそれに準ずる水を洗礼に用いること」というようなきまりはあるだろうか。寡聞にして知らない。サンジュアン(殉教地中江島の岩礁)の水を使う、という隠れキリシタンの意識は、新年行事の「若水汲み」の行事が影響が習合しているのではないかと、筆者は推測する。
 以下、300年にわたって密かに伝えられた「キリスト教信仰」は、表向き仏教徒と見えるように、マリアは「マリア観音」として画像が描かれ、今となってはヨーロッパキリスト教とはかなりかけ離れた独自の宗教となっている。たとえば、カトリックでは行わない「祖先崇拝」がある。明治期にカトリックに復帰しなかった隠れキリシタンは、その理由として「ハライソに行き、祖先に会いたい」という彼らの信仰が現代のカトリック教義によって否定されたことをあげる。1年のうち40の行事を行うが、カトリックと同一の行事はイエス生誕と復活行事など数種のみであり、他はほとんどが祖先崇拝行事にあたる。おおかたの行事は、「祈願、直会、宴会」がセットとなっており、これは神道における祭式と同様の進行である。
ほとんどの行事は祈願、直会、宴会の順に進行され神道の行事とほぼ同じ
4 どちりなきりしたん(教義問答にみる隠れキリシタンの思想)
 「どちりなきりしたん」は、隠れキリシタンに伝えられたキリスト教の教義問答である。その一部を写す。

「どちりなきりしたん」より、弟子と師の教義問答(天地創造について)
   弟子 ばんじかなひ玉ひてんちをつくり玉ふとはなに事ぞや。
   師  そのこと葉の心はデウスばんじかなひ玉ふによててんちまんぞうをいちもつなくしてつくりいだし玉ひ、御身の御いくはう、われらがとくのためにかかへ、おさめはからひ玉ふと申ぎなり。
   弟子 御あるじデウス一もつなくしててんちまんぞうを作り出し玉ふとある事ふんべつせず。そのゆへは御さくのものはみなデウスの御智慧、御ふんべつよりいだし玉ふと見ゆるなり。しかるときんば一もつなくしてつくり玉ふとはなに事ぞや。
   師  此ふしんをひらくために、一のこころみあり。それというはデウスの御ふんべつのうちには御さくのもののたいは一もなしといへども、それそれのしよそうこもり玉ふなり、これをイデアといふなり。此イデアといふしよそうはさくのものにあらず、ただデウスの御たいなり。然るにまんぞうをつくり玉ふとき、デウスの御ふんべつにもち玉ふイデアにおうじて御さくのものは御たいをわけてつくりいだし玉ふにはあらず、ただ一もつなくしてつくり玉ふなり。たとへばだいくはいへをたてんとするときまづそのさしづをわがふんべつのうちにもち、それにおうじていへをつくるといへども、いへはふんべつのうちのさしづのたいにはあらず、ただかくべつのものなり。そのごとくデウス御ふんべつのうちにもち玉ふ御さくのもののイデアにおうじてつくり玉ふといへども、御さくのものはそのイデアのたいにはあらず、ただばんじかなひ玉ふ御ちからをもて一もつなくしてつくり玉ふなり。

「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(神と被造物との差異についての質疑)
   弟子 みぎデウスと御さくのもののしやべつはうけたまはりぬ。今又御さくのものはいづれもたがひに一たいか、べつのたいかといふ事をあらはし玉へ。
   師  御さくのものはいづれもべつたいなり。そのゆへはデウスよりつくり玉ふときそれぞれにおうじたるかくべつのせいをあたへ玉へばなり。そのせうこにはさくのものにあらはるるかつかくのせいとくあり。このぎをよくふんべつすべきためにこころうべき事あり。それといふはしきさうあるよろづのさくのものは二のこんぽんをもてわがうしたる者也。一にはマテリヤとてそのしたぢの事。二にはホルマとてそのせいこれなり。みぎのしたぢといふは四大をもてわがうし、あらはるるしきそうなり。又ホルマといふはよろづのものにしやうたいと、せいとくをほどこす者也。めに見ゆる御さくのものは四大をもてわがうしたる一のしたぢなれども、しやうたいとそのせいとくをほどこすホルマはかつかくなるによて、みなべつたいなる者也。かるがゆへにちくるいと四大わがうのそのしたぢは一なりといへども、人のしやうたいとちくるいのしやうたいかくべつなるによてべつたいなる者也。これらの事をくはしくふんべつしたくおもはば、べつのしよにのするがゆへによくどくじゆせよ。

「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(アベマリアについて)
   弟子 でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
   師   其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座ます諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
   弟子 びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
   師  あべまりあと云おらしよ也たゝいま教ゆ」(十九ウ)べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん
   弟子 此おらしよは誰の作り玉ふぞや
   師  さんがびりゑるあんじよ貴きびるぜんまりあに御つげをなし玉ふ時の御ことばとさんたいざべるびるぜんまりあにごんじやうせられたることばに又さんたゑけれじやよのことばをそへ玉ふを」(二十オ)以てあみたて玉ふおらしよ也
   弟子 御母びるぜんは誰人にて御座ますぞや
   師  でうすの御母の爲にえらび出され給ひ天にをひて諸のあんじよの上にそなへられ給ひ諸善みち/\玉ふこうきうにて御座ます也是によて御子ぜずきりしとの御まへにをひて諸のへあとよりもずくれて御ないせうに叶玉ふ也それによて我等が申上ることはりをおほせ叶へらるゝが故にをの/\きりしたん深くしんかうし奉る也
   弟子 何によてか御母さんたまりあへ對し奉り百五十友か又は六十三友かのおらしよを申上奉るぞ」(二十ウ)
   師  六十三友のおらしよは御母びるぜんの御年の數に對し奉りて申上る也又百五十友のおらしよは十五のみすてりよとて五ヶ條は御よろこび五ヶ條は御かなしひ今五ヶ條はくらうりやの御ことはりに對して申上奉る也此十五ヶ條のだいもくははんぎにひらきたる一しにあり
   弟子 あるたるにそなわり玉ふによにんの御すがたは誰にて御座ますぞ
   師   天に御座ます御母びるぜんまりあをおもひ出し奉る爲の御ゑいなればうやまひ奉るべき者也
   弟子 此びるぜんさんたまりあの御ゑい其しなおほきごとく其御體もあまた御座」(二十一オ)ますや
   師  其儀にあらずたゝ天に御座ます御ひとりのみ也
   弟子 然らば人々なんぎに及時或は御あはれみの御母或は御かうりよくのなされて或はかなしむ者の御よろこばせてなとゝ樣々によび奉る事は何事ぞや
   師  別のしさいなしたゝ御母の御とりなしでうすの御まへにてよく叶ひ給へば御おはれみの御母にて御座ます上よりしゆゝの御忍を與へ玉ふによてかくのごとくに唱へ奉る也
   弟子 あべまりあのおらしよをば誰にむかひて申上奉るぞ」(二十一ウ)
   師  貴きたうみなびるぜんまりあにゑかう仕る也
   弟子 何事をこひ奉るぞもし我等が科の御赦しをこひ奉るか
   師  其儀にあらず
   弟子 がらさかくらうりあをか
   師  其儀にもあらず
   弟子 然らば此等の儀をば誰にこひ奉るぞ
   師  御主でうすにこひ奉る也
   弟子 御母には何事をこひ奉るぞ
   師  此等の事を求めんかために御子にて御座ます御主ぜずきりしとの御まへにて御とりあはせを頼み奉る也」(二十二オ)

 以上のアベマリアに関するオラショのなか、
    でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
    其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座(おはし)ます
    諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ
    御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
    びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
また、
べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん

などのオラショにみられる「諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ」「御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへ」という文言は、浄土真宗の親鸞の唱える「悪人正機説」「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」を思い出させる。
 隠れキリシタンが「祖先崇拝」と習合すると、父や子イエス(でうす)よりもマリア信仰が強くなるのは、母系社会の祖先崇拝を残している日本型神道仏教習合のひとつのあらわれが、キリスト教にも見られる、と感じる。

「さるべ-れじいな」より
深き御柔軟、深き御哀憐、すぐれて甘く御座(おはし)ます びるぜん-まりあかな。
貴(たっと)きでうすの御母(おんはわ)きりしととの御(おん)約束を受け奉る身となる為に、頼み給へ。あめん。

<おわり>



融合文化論その2-マラーノ文化を中心に-

2008-09-07 09:56:00 | 日本語言語文化
「融合文化論その2」-マラーノ文化を中心に-

1 マラーノとは何か
 四方田犬彦『日本のマラーノ文学 ―ドゥルシネーア赤』が2007年12月に発行され、私はさっそく「2007年冬休み読書」の一冊にして読了した。(姉妹編の『翻訳と雑神 ―ドゥルシネーア白』は、まだ読んでいない)。
 「マラーノ」とは、 スペイン語(カスティーリャ地方の古語)で「豚」の意味だという。「豚」とは、「豚肉を食べることを禁じられているユダヤ教徒が、ユダヤ教徒であることを隠すために、ことさら人前で豚肉を食べてみる」という意味を持ち、「かくれユダヤ教徒」のことを指す隠語であった。マラーノ=Marranos スペイン語、ポルトガル語。「マラノ」とも。
 もともとの意味が「豚」であるマラーノとは、イベリア半島において強制改宗させられたユダヤ人。また、ユダヤ教を偽装棄教し、表面上キリスト教徒となったユダヤ人を表す言葉。スペイン半島のユダヤ人の多くが、14世紀から15世紀に異端審問や魔女裁判などの影響でスペインからポルトガル、オランダ、イギリスなどへ集団で亡命した。なぜユダヤ教徒であることを隠さなければならなかったか。15世紀まで、イベリア半島はイスラム教徒であるオスマントルコに支配されていた。イスラム教徒はユダヤ教徒と共生をはかっていた。しかし、キリスト教徒がイスラム教徒を追い払って、カソリック王国をうち立ててから、ユダヤ人への迫害がはじまった。キリスト教は、ユダヤ教に不寛容であり、その結果、多くのユダヤ教徒がスペインを捨てた。スペイン国内に残ったユダヤ教徒は、信仰を押し隠し、豚肉を食べているふりを装って生きることになってしまった。
 マラーノ=故郷を追われたユダヤ人、出自を偽り、他者の身を窶すユダヤ人。出自を偽って生きている人のこと。四方田の著作は、在日朝鮮・韓国人、被差別出身者、さらにはホモセクシュアリティといったマイノリティ等々をあえてマラーノと呼ぶ。きっすいの日本人なのに、中国人女優として満州映画に出演していた李香蘭。死ぬまで本名は金胤奎(キムユンキュ)であることを隠し続けた小説家、立原正秋。そして、松田優作らが論評されている。立原正秋が「日本の小説家」として生きることを望み、死ぬまで本名を隠したように、松田優作も国籍を変えたことを死ぬまで自分自身では公表しなかった。妻の松田美由紀が、死後7年目に国籍問題を公表した。また、前妻の松田美智子は、著書『越境者 松田優作』(新潮社2008年)において、「優作が日本国籍にどのような想いを持っていたか」を書いている。優作の父親は日本人。しかし、父には、法律上の妻がいたために、韓国人の母親の私生児として、韓国籍で出生届が出された。複雑な出生事情により、実際は1949年に生まれたのに、届けは1年遅れで1950年。韓国名は金優作(キム・ウジャッ)。
 松田美智子は、帰化申請するにあたって、優作がどのような逡巡をへて、どのような心境にあったかを記している。
==========
 優作は、文学座研究生のころ美智子と出会ったが、国籍については、けっして明かさなかった。美智子が優作の国籍について何も聞かされていないうちに、美智子の両親は興信所を使って優作の国籍を調べ、結婚に反対した。
 結婚問題で国籍と直面した優作は、「日本人として生きる」ことを決意し、帰化申請をする。
 『太陽にほえろ!』の出演が決まった時に、松田優作は法務大臣宛の帰化動機書を提出した。
 「番組出演が決まりました。番組は全国で放映される人気番組です。もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」と、優作は大臣に向けて書いた。
===============
 「太陽にほえろ」は、当時の人気番組。テレビの前の人々は、「刑事」たちについて「日本の正義を守る日本人ヒーロー」と思っていた。「警察のヒーロー役が韓国人であることを知ったら、日本人、とくに子供たちは失望するだろう」と、優作が本気で信じていたのかどうかはわかない。
 ことさらに幼い文体を模して書かれた松田の「日本国籍を得たい」という心情が伝わったのか、優作は1974年に日本国籍を取得した。
 人気刑事ドラマのヒーロー松田優作を、「マラーノ文学の作家」としてとらえなおしたのが、四方田犬彦である。四方田は、松田優作に「劇作家」としての作品やシナリオが残されていることをとりあげ、論じている。筆者は、松田優作に戯曲やシナリオ作品があることさえ知らなかった。四方田は、松田の戯曲を読み解き、松田を劇作家としても大変優れた資質をもっていた、と論評している。
 癌による40歳での早世がなければ、後半生は、優れたシナリオ作家戯曲作家となっていたかもしれない。俳優としては、早世したために伝説神話化した松田だが、作家としては、まだまだこれからだったのに。

2 日本の融合文化
 日本文化の中にある多様性は、各地から日本列島へと流れ込んだ文化を排除することなく、それまでの文化歴史と融合させることによって成り立ってきた。キリスト教が、イスラム教やユダヤ教を排除する文化であったことに行きづまりを覚えている西欧文化にとって、日本の融合文化は、今、もっとも注目すべき「先駆的文化」と思える。日本文化を学ぶ人々の熱い関心を、私は日本語教育を通じて感じてきた。日本の古神道仏教の融合をはじめ、この列島が大陸や大海から運ばれるものをどんどんとおなかにため込む「羊水文化」のように思える。体内の揺籃を経て、これから先、どのような文化を生み出していけるのか、私にとっては、これから先の列島文化は、新たな可能性を秘めているように思える。何者をも排除することなく、すべてを取り込み認めていく揺籃文化を、育てていきたい。マラーノもその一部であるし、2008年に、ようやく先住民族、文化であることを認められたアイヌ文化もその一部である。知里幸惠が収集編集した『アイヌ神謡集』、筆者はCDでときどき聴いている。また、社会言語学、日本語学などの受講生には、必ずアイヌ語の響きを聴かせることにしている。
 ペルシャ伝来の雅楽。雅楽で使う仮面は、胡人(ペルシャ人)の姿を写したものとして中国で作られ、飛鳥奈良時代に伝来しました。雅楽伎楽が盛んになっても、古神道の神楽(かぐら)は滅びることはなかった。農耕民の間で演じられていた「おかぐら」と伎楽雅楽は習合し、融合して現代まで伝えられている。大陸では滅びてしまったこの伎楽が、日本の土地に融合し、その後田楽猿楽能狂言歌舞伎と、さまざまな芸能が生まれても、神楽も伎楽も能も歌舞伎も、日本社会のどこかで演じられ、滅びることなく伝えられてきた。バレエやモダンダンスが伝来しても同じ事。それらの洋舞の技法に、日本の土着の動きが加わり、舞踏(Buto)が生まれた。ブトーは、海外でも高い評価を受け、海外公演が続いています。ヒップホップやストリートダンスもきっと何かを刺激し、何かを生み出しているにちがいない。おかぐらがヒップホップをとりいれたとしても、それはそれでいいのだと思う。
 私たちが個として確立し自立するためには他者との「差異」を見いだしていくことが必要である。他者との差異が「自己」である、という以外に自己の見つけようがないからである。しかし、「差異」が「差別」である必要はない。差異あるものをそのものとして認めていけばよい。私がわたしであるために、あなたと違うことをみとめつつ、私は私であり、あなたはあなたであればそれでいい。何者をも排除することなく、自分たちと同等のものとして取り入れ、在来のものはそのまま残しつつ、新たな融合した文化を生み出す力。この融合文化の力こそが、日本文化の底力なのだろうと、筆者は思う。
 加藤周一は、この日本文化を「雑種文化」と名付けた。mix=雑種または混合、というとらえ方も出来ると思う。もとの形を残したまま取り入れることも多いから。しかし、漢字のように「外来のもの」であることを意識しつつも、完全に自家薬籠中のものとして使いこなすようになっているものは、すでに混合ですらなく、「日本の漢字文化」として独自のものであると言ってよいと思う。表記として漢字が日本語に融合した存在となっているように、他のさまざまな文化が、日本文化として融合しつつこれからも新たに生命力を得ていくのだろうと、私は思っている。
 21世紀のコンピュータ解析が進んだ今でも、日本語の起源や系統ははっきりわかっていない。わかっているのは、日本語と日本民族は、周囲の多くのことばや民族が入り交じり、混交しながら形成されたものであろう、という推測だけ。日本語は、発音はアジア南方系や太平洋諸島の5母音開音節(子音+母音)と共通しています。アイヌ語は開音節の語も閉音節の語もあり、発音面では日本語との関わりが遠い。文法面では、朝鮮語韓国語、モンゴル語などと近く、主語、対象語(目的語)、述語(SOV)の順に言葉を並べていく。文脈上で話し手にわかる語を省略しても文が成立する。助詞によって語と語の関係を明らかにする、などの特徴を持っています。日本語はクレオール語(2種以上の言語が融合することによって成立する語)であったろうと、私は思っている。
 私は、日本文化を「さまざまなものを取り入れてきた融合文化」として留学生にも紹介してきた。漢字を取り入れ漢詩の強い影響を受けて文芸が発展してきた日本語言語文化。これから先、何を取り入れどんな文化が融合していくのか。あらたな地平を切り開く「他者性」こそ、融合のエネルギーであり、マラーノは「他者性」の原点となるべき存在となる。自分たちの文化にマラーノ性をとりこめるかどうかこそ、これからのローカル文化がグローバル化の大波を渡って独自性を保つ要素であろうと筆者は考える。
 リービ英雄、楊逸など、日本語を母語としなかった作家による日本語文学が、書店の一角を占めるようになり、日本語の表現力が広がりを見せている。さまざまなものを取り込み、融合しつつ、日本語と日本文化は、押し寄せるグローバル化の波の上を泳ぎ、ことばの海を渡っていくことができると信じている。
<おわり>


日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-

2008-09-05 09:21:00 | 日本語言語文化
融合文化の歴史-日本文化における融合・隠れキリシタンのオラショを中心として-

1 縄文から室町まで
 日本列島において、最初の「文明の遭遇」と「融合」は、紀元前600年ごろから紀元後100年ごろにかけての長期間の出来事である。栗の実や栃の実、稗や粟などの雑穀の栽培、里芋類の焼き畑農業を行っていた縄文の土地に、稲作を中心とする農耕民がしだいに入り込み、長い年月をかけて縄文村は稲作を受け入れていき融合した。これが日本の「縄文弥生時代」である。縄文の焼き畑村と稲作の村は利用する土地が異なっていたので、競合することなく争うこともなかった。しかし、稲作村の人口増加率が、年3~5%で増えるのに対して、縄文の焼き畑村では年1%の人口増加にとどまる。この結果、千年の間に、稲作村の人口は焼き畑村の人口を凌駕し、列島全体が縄文弥生ハイブリッド稲作村になる。稲作村が列島ほぼ全土に渡ってひろがった、という時代が3~5世紀である。1
 アジア大陸、またその突端の朝鮮半島から日本列島への人口移動は、長期間にわたって随時行われたと推測できるが、その中でも突出した出来事として中国の史書に記録されたのが、秦の始皇帝時代の「徐福」である。徐福は、始皇帝に不老不死の妙薬を手に入れよと命ぜられ、3000人の部下を引き連れて大陸から出航しそのまま戻らなかった、と司馬遷が史記に記録している。この伝説が歴史上の具体的事実であるかどうかはまだ不明だし、徐福一行のたどり着いた土地が日本であるというのも実証されたわけではないのだが、司馬遷が徐福の出航を記録として残したことは事実である。2
この稲作に伴う移入は、長期間にわたって進んだので、「他者との遭遇」という強い衝撃すなわち「文明の衝突」としてではなく、ゆっくりと「融合」がすすんだ。
 次の「他者の移入と融合」は、日本列島に「大和の大王」支配が確立した5~6世紀に起きた。朝鮮半島での百済国滅亡に伴う、百済国難民の日本列島流入である。このときの朝鮮半島と日本の戦いについては、高句麗王が残した石碑(AD414年に建立)に刻まれている。(2009年夏、筆者はこの石碑を見るため、中国吉林省集安市の高句麗王遺跡を訪れ、石碑の文字を読んできた)。3


この7世紀の大量移民受け入れで日本列島に起きた大変化は「文字文化の移入」であった。それまでも「護符」としての文字は入ってきていたが、言語の記録装置としての文字文化が、日本語言語文化に影響を与えるまでに大量に入ってきたのは、6~7世紀のことであった。このとき、文字文化を受け入れた人々にとって、文字は「異質な文化」との遭遇となった。4
文字を伝えた朝鮮半島の人々(百済人を中心とする)の言語と日本語は統語を同じくする。単語を同じ語順で並べる言語であり、当時の百済語と大和語は、かなり近いことばであったろうと推測される。マレーシアのマレー語とインドネシア語は、方言差がある程度の同一の言語である。デンマーク語とノルエー語スエーデン語も、方言差程度の同一言語である。日本語と百済語は、それほど近くはないものの、現在のスペイン語とポルトガル語程度に近い、すなわち通訳なしでもある程度通じあえる言語であったのではないか、とみなす言語学者もいる。ただし百済語は死語であり、記録も残されていないので、あくまでも推測である。高句麗語&新羅語の系統をひくとされる現代の朝鮮語は日本語とは統語は同一であるが、同系統の語彙は少ない。古代文献の研究から、百済語と倭語は開音節であったことが共通するという説もある。5
 6~7世紀ごろ、日本に漢字を伝えたのは、朝鮮半島から大量に渡来して大和朝廷で一定の地位を占めていた古代朝鮮人である。初期には、文字の読み書きができるのは、ほぼ渡来人に限られていた。古代朝鮮の知識人は漢字を早くから移入し、漢字によって朝鮮語を表記する方法を開発していた。漢字を表音文字として用いて、中国語にない朝鮮語の助詞を書き表すなどしていたのである。
 日本語は、母音の数が少なく、「子音+母音」という単純な音節音韻体系を持っている。言語の構造(統語法)が朝鮮語と同じであり、漢字による朝鮮語表記法の知識のある渡来人にとって、日本語を漢字で表記することはそれほど難しいことではなかったであろう。漢字を用いた朝鮮語表記法を「吏読」という。6 名詞など自立語を漢字で、中国語にはない朝鮮語独自の助詞などを漢字の音読をあてて記録している。これと同じ方法で日本語も表記できる。古代日本人が、短期間に漢字による日本語表記ができるようになったのは、朝鮮半島渡来人の力によるものであると推測できる。この漢字による日本語表記が「万葉仮名」表記である。8世紀に成立した『万葉集』『古事記』は、万葉仮名で表記されている。
 この時の「他者との出会い」すなわち文字文化との遭遇は、統語法を同じくする言語の話者である朝鮮語話者を媒介としていたため、「衝突」はおこらず、融合のみが進み、万葉仮名はわずか100年の間に「ひらがな」を生みだし『土佐日記』『竹取物語』などのひらがな文学を創出した。
 平安時代鎌倉室町と続く時代にも、日宋貿易日明貿易など、大陸からの文化移入がつづけられた。

2 信仰の習合と隠れキリシタンの誕生
 日本文化が「融合」ではなく、「衝突」を他者との間に巻き起こしたのは、室町末期の戦国期に至って、キリスト教が流入したときである。唯一神を絶対者とする一神教は、日本の社会とは異質な宗教であった。日本の宗教は、第一次に縄文以来の土着の神々(国つ神)であるスサノオやオオクニヌシと、大和農耕民の自然神、アマテラス(太陽神)や豊受大御神(とようけのおおみかみ=オオゲツヒメ食物神)が「八百万の神」としてまとめられた。第二波として、文字文化流入期に儒教道教仏教が習合し、日本独自の神道仏教習合が行われた。唯一神は、これらの習合的多神教を認めようとはしなかった。そのため豊臣秀吉や徳川将軍家は、キリスト教を排斥した。キリスト教信者は国外追放や死刑とされ、九州を中心に隠れキリシタンとして残った人々のキリスト教は、「マリア観音」信仰など、「習合的キリスト教」に変化していったのである。こうした隠れキリシタンの多くは、明治時代に来日したパリ外国宣教会によってカトリックに復帰したが、長崎県などには、今でもカトリックに復帰せず土俗化した信仰を保有しているキリシタンも存在する。
マリア観音信仰における「オラショ(祈祷書)」を精査することによって、キリスト教が仏教の隠れ蓑を着て伝わるうちにどのように習合されていったのかを追跡できるのではないかと思う。オラショの原語はラテン語のOratio(祈祷書)である。7
 長崎生月島のキリスト教布教史を概観する。室町末期、長崎の平戸藩主の松浦隆信は貿易を目的としてザビエルとその部下のトレリスらに布教を許可した。藩主自身は入信しなかったが、筆頭家老で生月の豪族籠手田安経が国守の名代として入信した。1557(弘治3)年のことである。天正15年(1587年)6月20日、豊臣秀吉は突如としてバテレン追放令を出した。「日本は神国であり南蛮国の邪法を拒否する。仏法の破壊者である宣教師達は20以内に日本から退去せよ」という天皇署名の勅状を発行したのである。秀吉死去ののち幕府を開いて全国支配を完了した徳川家康は、慶長17年(1612年)にキリスト教の布教禁止を命じた。弾圧が強まり、殉教者が続く中、キリシタンは潜伏し、明治の世まで300年間、密かにキリスト教信仰を続けた。8

3 隠れキリシタンにおける習合
生月に伝わるオラショ『生月島サンジュワン様の歌』は以下のような歌詞である。
    前は泉水、後ろは高き岩なるやナ 前もうしろも汐であかするやナ
    この春は桜花かや、散るぢるやナ 又来るときは蕾開くる花であるぞやナ
参ろうやナ参ろうやナパライゾの国に参ろうやナ パライゾの寺と申するやナ
    広い寺と申するやナ 広い狭いはわが胸にあるぞやナ

 サンジュアン様とは、中江島という岩礁の呼び名である。生月島と平戸島の間に浮かぶ小さな岩礁において、数々のキリシタンが命を落とした殉教の地であった。生月島キリシタンにとっては最大の聖地であり、洗礼をほどこすときはこの岩礁サンジュアン様から水を汲む。この「殉教者の聖地を神格化して祭り、そこから洗礼の水をくみ上げる」という行為は、正月行事の「正月神に供える若水を、新年最初に井戸からくみ上げる」を思わせる。カトリックの洗礼式において、「どこそこの聖地で汲んだ水を用いなければならない」という規定があるとは聞いたことがない。たとえば、ヨーロッパカトリックの教会で洗礼式を行うとき、「ヨルダン川またはそれに準ずる水を洗礼に用いること」というようなきまりはあるだろうか。寡聞にして知らない。サンジュアン(殉教地中江島の岩礁)の水を使う、という隠れキリシタンの意識は、新年行事の「若水汲み」の行事が影響が習合しているのではないかと、筆者は推測する。
 以下、300年にわたって密かに伝えられた「キリスト教信仰」は、表向き仏教徒と見えるように、マリアは「マリア観音」として画像が描かれ、今となってはヨーロッパキリスト教とはかなりかけ離れた独自の宗教となっている。たとえば、カトリックでは行わない「祖先崇拝」がある。明治期にカトリックに復帰しなかった隠れキリシタンは、その理由として「ハライソに行き、祖先に会いたい」という彼らの信仰が現代のカトリック教義によって否定されたことをあげる。1年のうち40の行事を行うが、カトリックと同一の行事はイエス生誕と復活行事など数種のみであり、他はほとんどが祖先崇拝行事にあたる。おおかたの行事は、「祈願、直会、宴会」がセットとなっており、これは神道における祭式と同様の進行である。
ほとんどの行事は祈願、直会、宴会の順に進行され神道の行事とほぼ同じ
4 どちりなきりしたん(教義問答にみる隠れキリシタンの思想)
 「どちりなきりしたん」は、隠れキリシタンに伝えられたキリスト教の教義問答である。その一部を写す。

「どちりなきりしたん」より、弟子と師の教義問答(天地創造について)
   弟子 ばんじかなひ玉ひてんちをつくり玉ふとはなに事ぞや。
   師  そのこと葉の心はデウスばんじかなひ玉ふによててんちまんぞうをいちもつなくしてつくりいだし玉ひ、御身の御いくはう、われらがとくのためにかかへ、おさめはからひ玉ふと申ぎなり。
   弟子 御あるじデウス一もつなくしててんちまんぞうを作り出し玉ふとある事ふんべつせず。そのゆへは御さくのものはみなデウスの御智慧、御ふんべつよりいだし玉ふと見ゆるなり。しかるときんば一もつなくしてつくり玉ふとはなに事ぞや。
   師  此ふしんをひらくために、一のこころみあり。それというはデウスの御ふんべつのうちには御さくのもののたいは一もなしといへども、それそれのしよそうこもり玉ふなり、これをイデアといふなり。此イデアといふしよそうはさくのものにあらず、ただデウスの御たいなり。然るにまんぞうをつくり玉ふとき、デウスの御ふんべつにもち玉ふイデアにおうじて御さくのものは御たいをわけてつくりいだし玉ふにはあらず、ただ一もつなくしてつくり玉ふなり。たとへばだいくはいへをたてんとするときまづそのさしづをわがふんべつのうちにもち、それにおうじていへをつくるといへども、いへはふんべつのうちのさしづのたいにはあらず、ただかくべつのものなり。そのごとくデウス御ふんべつのうちにもち玉ふ御さくのもののイデアにおうじてつくり玉ふといへども、御さくのものはそのイデアのたいにはあらず、ただばんじかなひ玉ふ御ちからをもて一もつなくしてつくり玉ふなり。

「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(神と被造物との差異についての質疑)
   弟子 みぎデウスと御さくのもののしやべつはうけたまはりぬ。今又御さくのものはいづれもたがひに一たいか、べつのたいかといふ事をあらはし玉へ。
   師  御さくのものはいづれもべつたいなり。そのゆへはデウスよりつくり玉ふときそれぞれにおうじたるかくべつのせいをあたへ玉へばなり。そのせうこにはさくのものにあらはるるかつかくのせいとくあり。このぎをよくふんべつすべきためにこころうべき事あり。それといふはしきさうあるよろづのさくのものは二のこんぽんをもてわがうしたる者也。一にはマテリヤとてそのしたぢの事。二にはホルマとてそのせいこれなり。みぎのしたぢといふは四大をもてわがうし、あらはるるしきそうなり。又ホルマといふはよろづのものにしやうたいと、せいとくをほどこす者也。めに見ゆる御さくのものは四大をもてわがうしたる一のしたぢなれども、しやうたいとそのせいとくをほどこすホルマはかつかくなるによて、みなべつたいなる者也。かるがゆへにちくるいと四大わがうのそのしたぢは一なりといへども、人のしやうたいとちくるいのしやうたいかくべつなるによてべつたいなる者也。これらの事をくはしくふんべつしたくおもはば、べつのしよにのするがゆへによくどくじゆせよ。

「どちりなきりしたん」より弟子と師の教義問答(アベマリアについて)
   弟子 でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
   師   其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座ます諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
   弟子 びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
   師  あべまりあと云おらしよ也たゝいま教ゆ」(十九ウ)べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん
   弟子 此おらしよは誰の作り玉ふぞや
   師  さんがびりゑるあんじよ貴きびるぜんまりあに御つげをなし玉ふ時の御ことばとさんたいざべるびるぜんまりあにごんじやうせられたることばに又さんたゑけれじやよのことばをそへ玉ふを」(二十オ)以てあみたて玉ふおらしよ也
   弟子 御母びるぜんは誰人にて御座ますぞや
   師  でうすの御母の爲にえらび出され給ひ天にをひて諸のあんじよの上にそなへられ給ひ諸善みち/\玉ふこうきうにて御座ます也是によて御子ぜずきりしとの御まへにをひて諸のへあとよりもずくれて御ないせうに叶玉ふ也それによて我等が申上ることはりをおほせ叶へらるゝが故にをの/\きりしたん深くしんかうし奉る也
   弟子 何によてか御母さんたまりあへ對し奉り百五十友か又は六十三友かのおらしよを申上奉るぞ」(二十ウ)
   師  六十三友のおらしよは御母びるぜんの御年の數に對し奉りて申上る也又百五十友のおらしよは十五のみすてりよとて五ヶ條は御よろこび五ヶ條は御かなしひ今五ヶ條はくらうりやの御ことはりに對して申上奉る也此十五ヶ條のだいもくははんぎにひらきたる一しにあり
   弟子 あるたるにそなわり玉ふによにんの御すがたは誰にて御座ますぞ
   師   天に御座ます御母びるぜんまりあをおもひ出し奉る爲の御ゑいなればうやまひ奉るべき者也
   弟子 此びるぜんさんたまりあの御ゑい其しなおほきごとく其御體もあまた御座」(二十一オ)ますや
   師  其儀にあらずたゝ天に御座ます御ひとりのみ也
   弟子 然らば人々なんぎに及時或は御あはれみの御母或は御かうりよくのなされて或はかなしむ者の御よろこばせてなとゝ樣々によび奉る事は何事ぞや
   師  別のしさいなしたゝ御母の御とりなしでうすの御まへにてよく叶ひ給へば御おはれみの御母にて御座ます上よりしゆゝの御忍を與へ玉ふによてかくのごとくに唱へ奉る也
   弟子 あべまりあのおらしよをば誰にむかひて申上奉るぞ」(二十一才)
   師  貴きたうみなびるぜんまりあにゑかう仕る也
   弟子 何事をこひ奉るぞもし我等が科の御赦しをこひ奉るか
   師  其儀にあらず
   弟子 がらさかくらうりあをか
   師  其儀にもあらず
   弟子 然らば此等の儀をば誰にこひ奉るぞ
   師  御主でうすにこひ奉る也
   弟子 御母には何事をこひ奉るぞ
   師  此等の事を求めんかために御子にて御座ます御主ぜずきりしとの御まへにて御とりあはせを頼み奉る也」(二十二オ)

 以上のアベマリアに関するオラショのなか、
    でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
    其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座(おはし)ます
    諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ
    御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
    びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや
また、
べしがらさみち/\玉ふまりあに御れいをなし奉る御主は御身と共に御座ますによにんの中にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ又御たひなひの御實にて御座ますぜすゝはべねぢいとにて御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへあめん

などのオラショにみられる「諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ」「御座ますでうすの御母さんたまりあ今も我等がさいごにも我等惡人の爲に頼みたまへ」という文言は、浄土真宗の親鸞の唱える「悪人正機説」「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」を思い出させる。隠れキリシタンが「祖先崇拝」と習合すると、父や子イエス(でうす)よりもマリア信仰が強くなるのは、母系社会の祖先崇拝を残している日本型神道仏教習合のひとつのあらわれが、キリスト教にも見られる、と感じる。

「さるべ-れじいな」より
深き御柔軟、深き御哀憐、すぐれて甘く御座(おはし)ます びるぜん-まりあかな。
貴(たっと)きでうすの御母(おんはわ)きりしととの御(おん)約束を受け奉る身となる為に、頼み給へ。あめん。

 以上、日本文化が諸処から流入した文化を融合しながら形成されてきた歴史を、宗教文化を中心に概観し、ことに隠れキリシタンにみられるキリスト教と土着宗教との習合を推察した。厳密な比較対照はこれからの作業となるが、筆者の直感にすぎない「若水汲み」「悪人正機説」との習合も、検証ののち再説する意義があると思う。

<おわり>

<参考文献>
1 特別展「縄文vs弥生」カタログ(国立科学博物館2005)解説
2 司馬遷『史記』秦始皇28年の条
3 李進熙1985『好太王碑の謎―日本古代史を書きかえる』講談社文庫(原著・講談社1973)
4 沖森卓也2003『日本語の誕生 古代の文字と表記』吉川弘文館
5 犬飼隆2005「古代の言葉から探る文字の道」『古代日本 文字の来た道』大修館書店PP.74-77
6 柳尚煕2008「韓国の吏読と日本文字のカタカナ」『二松学舎大学東アジア学術総合研究所集刊』 38 pp.239-247
7 皆川達夫1994「隠れキリシタンの祈り(オラショ)とヨーロッパの聖歌」聖徳大学川並総合研究所論叢2 pp.242-255
8 宮崎賢太郎2003『カクレキリシタン ― オラショ-魂の通奏低音』長崎新聞社