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女偏をめぐって

2011-02-15 13:22:00 | 日本語言語文化
2010/04/25
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(1)女とホウキ

 掃除と片づけに追われた3月。大嫌いな掃除をこれほど集中して連続してした毎日は、結婚以来初めてかも。好きなことをやり続けるのに何の努力もいらないけれど、嫌いなことをやり続けるのはたいへんでしたが、なんとか洪水水浸しの部屋も足の踏み場が見えてきました。
 今の生活で、私自身は掃除が大の苦手ですが、掃除を「つまらない家事」と思って嫌いな訳じゃないのです。洗濯とお茶碗洗いはちゃんとやってます。掃除好きな人がうらやましいですし、松居棒などを考案したりする掃除名人を尊敬しています。
 それにしても掃除が苦手です。

 私と同世代と思われる月曜日の講師室でごいっしょするK先生が、留学生の漢字クラスの話をしていて「私、婦人の婦って漢字、大嫌いなのよ。左側が女偏で、右側はホウキって意味なわけでしょ。なんで女とホウキをくっつけると婦なのかしらって、腹が立つじゃないの。留学生に教えるとき、私はこの字は大嫌い、って言ってから教えるの。女だからってホウキ持って掃除していなさいとか、家事は女がするものって、決めつけるの古いじゃないの。女を掃除婦と思わないでほしいわ」と憤慨口調でおっしゃった。
 あ、それって違うんじゃないの、と思ったけれど、講師室ではいつも黙っている私が急に口を挟んでもよろしくなかろうと思って黙っていました。

 家事は女がするもの、なんて確かに古すぎます。宇宙飛行士山崎直子さんのご主人は、高収入の勤務先を退職して、妻を支えて子育てと家事を引き受ける主夫になりました。(専業主夫じゃなくて、ベンチャー企業を立ち上げた兼業主夫なんですけれど)
 イマドキ、「家事は女がするもの」なんて発言したら、セクハラ・パワハラ発言としてで総攻撃を受けます。

 私が「違うんじゃないの」と思ったのは、「家事=女がする」の部分ではなくて、「女と掃除を結びつけた語が婦人の婦」という部分です。「帚」は、掃除のホウキの意味だけではないのです。
 帚は、箒(ほうき)の異体字であるのはその通りですが、ほうき=掃除ではありません。
 K先生の口調には、掃除は「つまらない女の仕事=家事」で、大学で教えることは「つまらなくない女の高級な仕事」というように聞こえてしまうニュアンスが感じられました。「大学で言葉を教えることは、大学の教室を掃除する仕事より上等」というように言われたと感じて、私の考え方とは相容れない、と感じてしまいました。ちょいと過剰反応だったのかもしれませんが、これは、母が私に厳しく躾たことのひとつに関係しています。

 子供の頃、「屑拾い」という不要物を集めて回る人が我が家に「くず~い、おはらい」と言ってときどき回ってきました。あるとき幼い私は「屑拾いになりたくない、ぼろや屑はきたないもん」と言ってしまった。母は「屑拾いもごフジョウの汲み取り屋も、世の中をきれいにしてくれる尊い仕事なのに、おまえのように人を見下す者の心が一番汚い」と怒った。「百姓家のもんが会社員の妻になって、よかったじゃないの」と農家出身の母を見下す人もいた町の暮らしの中で、「仕事に貴賤はない、百姓生まれで何が悪かろう」と心に繰り返して、なにくそと思っていたころのことだったのでしょう。

 私が掃除嫌いなのは、「女のつまらない仕事」と思っているからではなく、向き不向きの問題。私に「一日中茶碗洗いをしていれば生活していけるようにしてあげる」と言って雇ってくれる人がいれば、私は喜んで一日中お茶碗を洗っている。私は洗濯や茶碗洗いなどの水をジャブジャブする仕事を、移動せずに一か所でしているのが好きなのです。掃除は、部屋の中をあちこち動き回らなければならず、私の好きな「頭をぼうっとしたまま手を動かす」という作業になりません。

 さて、ホウキとは、「掃除の道具」の意味だけではないだろうと私が感じていたのは、子供のころのおマジナイに関係しています。
 帚はなぜ女偏と結びついて「婦」になったのか、次回解説。

<つづく>
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2010年04月27日


ぽかぽか春庭「女と母木」
2010/04/27
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(2)女と母木

 母は世話好き人好きな性格で、いつもよそ様の相談に乗ったり、愚痴を聞いてやったり、午後のひとときは、近所の人と「お茶のみ」をして話し込むか、知り合いの相談に乗って就職を世話したりもめ事を解決したり、子供のころ私が育った家には来客が絶えませんでした。(今、妹がそっくりその性格を受け継いでいて、「ファミリーサポート」いうNPO活動に参加し、コーディネーターとして、人様の世話をしています)

 いつまでも帰ろうとしない「長っ尻」の客がいると、私と姉は客座敷の裏手に座敷ホウキを逆さまに立てかけておきました。姉が「こうしておけば、お客さんはすぐ帰る」というのです。姉は、母方の実家の祖母やアヤ伯母に教わったにちがいありません。
 今ではすっかり廃れてしまったこのマジナイ、うちの田舎の風習というだけでなく、全国的なものだったようです。東京山の手暮らしのサザエさん一家もやってました。

 なぜホウキなのかさっぱりわかりませんでしたが、バケツでもなく、ぞうきんでもなく、ホウキってことがミソのようでした。姉は「客を掃き出すため」と言っていましたが、だったら、掃き出す形にして置いたほうが効果がありそうなのに、なぜ逆さまに置くのかがわかりませんでした。

 箒は古くから神聖なものとして考えられ、箒神(ははきがみ)という神様が宿ると思われていました。ホウキの古語ハハキが「母木」と見なされたり、「掃き出し清める」ことが「母から子を出す」こととつながるとして、箒神は、産神(うぶがみ=出産に関する神)の一つと考えられていました。出産と結びつき、妊婦のおなかを新しい箒でなでると安産になると言われたり、ホウキをまたぐと罰が当たるという言い伝えもありました。

 茶道では、蕨の茎葉や棕櫚の葉を束ねて作る葉箒を露地にかけておくそうです。実際の掃除には用いられないこの葉箒は、「箒神」に通じるものがあるのかどうか。茶道の奥義を極めた人なら、葉箒の故事来歴をご存じなのかもしれません。教えてください。

 日本最古の箒は、2004年2月に出土した奈良県橿原市の西新堂遺跡の出土品。河川跡から5世紀後半の小枝を束ねたほうきが見つかりました。発掘を行った橿原市教育委員会の発表によると、霊魂を運ぶ鳥形木製品や雨ごいのため殺した馬の歯など祭祀具と一緒に出土していることから、掃除用ではなく、祭祀用と見られています。
 奈良市の平城宮跡からも3本の箒が出土しています。これは8世紀中ごろのもの。
 奈良時代の御物が保存されている正倉院には、孝謙天皇が神事で蚕室を掃くため使ったという箒が2本収蔵されています。

 文献で「ハハキ」の語が出てくる最初の語には、古事記の「帚持ハハキモチ」「玉箒タマハハキ」があります。「玉」とは人間の魂(霊魂タマ)のことを指し、「帚持」とは、葬列を組む際に祭具の箒を持って加わった人を呼び、その役目を指しました。
 万葉集にも帚の神事について詠んだ歌があります。万葉仮名では「多麻婆波伎たまばはき」と表記されています。

・玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため(長忌寸意吉麻呂 巻十六 国歌大鑑番号3830)
(鎌麻呂よ、玉箒につかう箒草を刈り取っておいで。むろの木とナツメの木の下を掃かなければならないから)
・初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒(大伴家持 巻二十4493)
(初春のそのはじめのめでたい今日、美しいほうきを手にとって年魂を掃き集めようとしている。その箒の飾りの玉の緒がきらめいて揺れている)。 

 758(天平宝宇2)年の正月の宴会で、時の権力者藤原仲麻呂が勅命によって宮廷の人々に歌を詠ませたとき、万葉集編者でもあった大伴家持は、揺れる玉の緒を読み上げました。時の天皇は孝謙女帝ですが、実際には女帝の母、光明皇太后の命令であったと想像しています。表面は年初を言祝ぎ、年魂を集める箒を詠んでいるのですが、言葉の奥には、権力者仲麻呂によって九州へ左遷させられるという運命を予感して年魂のゆらぎを詠んだのかも知れず、、、と、これは深読み。

 奈良時代における箒は、祭祀用の道具として用いられるなど宗教的な意味があったものが、平安時代には掃除の道具としての記録も出てきて、室町の文献では「箒売り」が職業として成り立っていることがわかります。ホウキが日常的な生活用品になったあとも、ホウキに宿る神への民俗意識は残り、長居の客にホウキを立てかけるような習俗も、私が子供のころまで実際に行っていました。今では電気掃除機やモップはあっても、ホウキで座敷を掃く家が少なくなってきたから、ホウキの民俗も忘れられていく運命にあるでしょう。

 漢字が作られた古代中国では、棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けて箒状にしたものを「帚(そう)」といい、酒をふりかけるなどして、廟(びょう)の中を祓い清めるのに使用していました。この帚の形を竹で作れば「箒」、「草」で作れば「菷」。「帚」を「手」にとって廟の中を祓い清めることを「掃」という。掃き清めて汚れを除くことが「掃除」。この「帚」の仕事を行うのが巫女などであることから、「帚」を付帯した「婦」の字ができ、女性全般を表すことになりました。

<つづく>
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2010年04月29日


ぽかぽか春庭「かかあ天下」
2010/04/29
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(3)かかあ天下

 故郷群馬県は、「上州名物、嬶天下(かかあでんか)と空っ風」と言われています。「群馬で強いもん、3雷(ライ)、2風、1かかあ」とか。夏の雷冬の空っ風は、ともにたいへん強い自然現象で、夏は赤城山と榛名山の間に毎夕雷が走るし、冬は谷川武尊から強い北風が吹いてきます。でも、それ以上に強かったのは、上州のカカアたち。
 女偏に鼻をつけて嬶(かかあ)。嫁とか姑とか姉妹とか、女偏をつけた家族関係語は多々あるものの、「嬶」は国字(日本で作られた漢字)だったということを、今頃知りました。
 これまたなぜ故に「かかあ」または「かか」は、女の横に「鼻」がくるのやら、かかあともなるといびきでもかくのかと、由来がわかりません。顔の真ん中にあるのが鼻で、一家の中心にいるのが嬶なのかも。

 一家のなか、嬶座(かかざ)と言えば、家内を取り仕切る「主婦権」を持つ者の座るところを意味し、いろりに面した横座(主人の座席)のわきで、台所に近い席が主婦の座席として定められていました。「北の方」とか「北の政所」に倣って北座と呼ぶ地域もあったし、食べ物を分配する鍋の前に位置することから鍋座(なべざ)鍋代(なべしろ)と呼ぶ地方もありました。

 主婦権の象徴として、「しゃもじ」を受け渡す地方もあり、姑が嫁に家政をまかせることにしたときを、しゃもじ渡し、へら渡し、飯匙渡(いがいわたし)などと呼び慣わしてきました。一家の家長である主(あるじ)の法的な権限は、明治民法で法文化されましたが、一家の家政を取り仕切り、食べ物の分配を司る主婦権は、民俗研究の対象になり柳田国男などが調査したのですが、法的な権限とはなっていませんでした。家庭内のことを取り決める裁量権が主婦にあり、家庭内の事は妻が決定権を持ち、夫は妻に従わなければならない、ということを「嬶天下」の語で表してきたのです。

 群馬県が伝統的にこの権利を強く保持してきたのは、江戸時代から養蚕業、織物業が盛んとなり、家庭内手工業を女性が取り仕切り、現金収入を女性の手で得てきたことが大きいと言われています。上州の女性は、家庭社会において家長に従属的な位置に甘んじることなく、養蚕織物業による自立をはたしていた、ということ。

 私の母の実家も、私が子供のころは桑畑を持ち、屋敷内に蚕棚を作っていました。私は上州で蚕がシャワシャワと桑をはむ音を聞いて育った最後の世代にあたるでしょう。また、家の中で、出荷した繭の残りを使って、祖母たちが屑繭を煮て家族の衣装のための絹糸を紡ぐのを見ていた最後の世代。蚕が育つ時期、「おこさま」というのは「お子様」ではなく、「お蚕さま」を指すことばでした。

 現代は女性も現金収入を持ち、家政を取り仕切るのは当然になっています。父は会社のから給料をもらうと月給袋を未開封で母に渡すのを「男の甲斐性」と思っていたようです。母は、その中から父の小遣いを渡していました。母の世代は「主婦は自分の思い通りの人生を過ごせなくてつまらない」という一方、「嬶座」「主婦権」がきちんと残っていた世代だったとも言えます。

 私?家に寄りつかない瘋癲夫(フーテンヅマ)を持ったために、最初から天下もへったくれもなく、自分で稼いで食べ物の采配をするほかなかったのだけれど、自分の人生、自分で決定してきました。愚痴は言うけれど、それは誰のせいでもなく、自分で決めた人生だからしょうがない、という「嬶天下」の覚悟は受け継いでいました。

 ひたすらナヨナヨと「あなただけが頼りなの」と、しなだれかかる風情を見せながら、結局はしっかりと夫を支配している女性のほうが「生き方上手」だ、と諭されたこともあったけれど、まあ私にはできない芸当だったので、私は私で、空っ風に立ち向かっていくしかありません。

 世間様は空っ風が吹き終わった後、春だかなんだかわからない寒い四月になりました。40年ぶりだかの四月の遅い雪もありましたが、ようやく、五月の薫風を迎えようとしています。しかるに、私の懐具合はいまだ寒風のなか。寒いです。私はカカア天下の地元出身だけど、嬶しているだけで、ちっとも「天下様」にはなれないんです。

<つづく>
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2010年04月30日


ぽかぽか春庭「女性と婦人」
2010/04/30
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(4)女性と婦人

 自分の妻を「うちのカカァ」と呼ぶ人、なんとなく昔風の職人気質の人を連想します。「ボクのワイフがねぇ」なんて言う人のイメージもわかります。同じ内容を表していても、時代によって語のイメージはかわります。K先生が「婦」という文字を嫌ったように、現代の一般社会では、「婦人」という表現は、古くさい女性のイメージを持ってしまい、「婦人○○」と呼ばれていた言葉のほとんどは「女性○○」に代わりました。

 「婦」という文字に違和感を感じる層が多くなったことを理由としたのか、「婦人」という語は次々に「女性」に変えられていきました。
 1994(平成6)年に国連「世界婦人会議」の名称が「世界女性会議」に変わり、近年では雑誌などで「婦人」よりも「女性」という表現が目立つようになりました。労働省は1996年度に「婦人局」の名称を「女性局」に変えました。「婦人」が残っているのは、中央公論新社の雑誌「婦人公論」や、雑誌社「婦人之友社」、病院の婦人科くらいのものかもしれません。

1949年から1997まで婦人週間というイベントがありました。女性が参政権を得た記念の行事です。1949年から続けられてきた4月10日からの一週間も「婦人週間」から1994(平成10)年に「女性週間」と変えました。しかし、婦人週間を女性週間と名称変更したものの、「女性週間があるなら、男性週間があってしかるべき」という意見が出されたのかどうか、女性週間は2000年には廃止されました。男女均等法も成立し、21世紀の今、女性のためだけのイベント週刊は不必要という判断だったのかも知れず、事業仕分けにひっかかる前に消滅。

 というわけで、漢字の成り立ちからいうと「女だからって、掃除婦と思われてこの漢字ができた」とK先生が憤慨するのは、少々事情が異なっていたことがわかりましたが、K先生の怒りを聞いていて、昔のウーマンリブの主張を思い出しました。
 ウーマンリブの人たちが、「社内掃除を女だけが当番として早出してまでするのは差別だ」とか「ミスコンテストは女性を顔やスタイルだけで見ようとするから反対」と主張したこともありました。

 確かに「女性だけが○○しなければならない」ということはないと思います。でも、ミスコンテストがあるなら、ミスターコンテストもしたらいいだけのことであって、ミスコンテストを批判してもミスコンがなくなりはしなかった。需要があれば供給がある。ミスターコンテスト、たとえば人気俳優を輩出してきた「ジュノンスーパーボーイコンテスト」。きれいな男の子を見るのは、HALオバハンも大好きです。

 今や家事ができない男など結婚相手として見向きもされない、、、といわれていますが、 現実の女性の地位は、果たしてどれほど男性に追いついたのでしょうか。
 現実はともかく、理念たてまえとしては男女差別をしている企業があったら批判されてしまうし、同一の仕事をしていて女性だけが給料が低いレベルや昇進に不利だったら、法律違反です。でも、現実にはシングルマザーの家庭の収入や生活水準はGNP上位国のなかで最貧ですし、女性の国会議員数や会社役員数でもまだまだ「後進国」です。

 春庭は「ウーマンリブ世代」です。いまやウーマンリブってのも死語の世界に行ってしまいましたが、昨今の論壇界ではフェミニズムバッシングも一段落したらしい。

 ウーマンリブというのは、女性解放運動Women's Liberationの省略外来語。1970年11月14日に第一回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、アメリカなど世界各地での女性解放運動は、1979年に国連総会で女子差別撤廃条約が採択されるなどの成果をあげました。

 日本での運動は男女雇用機会均等法の制定など一定の役割を果たしましたが、ウーマンリブという言葉そのものは、1980年代に入ると急速に廃れて揶揄の対象になってしまいました。ミスコンテストに反対して各地のミスコンを中止させようとしたり、ウーマンリブの活動家としてマスコミで名前を売っていた榎美沙子(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合、略称「中ピ連」代表)が日本女性党という政党党首として選挙活動を始めるなどして、心あるフェミニストたちが「ウーマンリブ」という言葉に拒否反応を示したためと思います。
 
 一時期、フェミニズムバッシングということが巷に氾濫し、「女は家に戻って子育てしていればいいんだ」とわめくオッサン方やら「子を産めなくなったババァは用なしだから、早いとこひっこめ」という知事とか出ました。

 女性が子育てと両立しながら仕事を続けようにも、夫は会社のサービス残業で帰ってこないし保育園は満杯で待機状態、という具合で、まだまだ女性が生きて行きやすい世の中にはなっていません。

<つづく>


2010/05/01
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(5)ウーマン

 最近の男女問題に関して、2010年1月に放送されたNHK「ためしてガッテン」の中で放送された「男女の脳構造の違い」ということが、講師室で話題になったことがあります。男性と女性では脳の構造に違いがあり(個人差はあるものの)女性の多くが脳梁が男性より大きい。女性の脳は「コミュニケーション言語野」「模倣あそび」「他者への共感能力」などの脳部位が発達していて「井戸端会議おしゃべり」「ままごと」などが女性に好まれることがわかった、という内容でした。男性の脳は「空間認識」「理論構築」などが女性より発達することがわかっているそうです。

 この「ためしてガッテン」は、2009年1月に放送されたNHKスペシャル「女と男シリーズ」の内容を焼き直しながら「女性に不得意なダイエット方法」と「女性にもできるダイエット」として放送していました。私も「ダイエット」というキャッチコピーに惹かれて見たのです。
 
 女性ホルモンや男性ホルモン、そして脳の発達部位の違いから、平均的な男女の間の平均的な差というのがあることはわかる。しかし、個人差というのはどうしても残るから、男性的女性がいても女性的男性がいても、男性になりたい女性がいても女性になりたい男性がいてもいっこうにかまわない。
 姉の夫の従妹は、前は従妹であったけれど、性同一障害の診断と手術を受けて戸籍も作り直し、男性として人生を生きていくことにしました。

 留学生に日本語ディベートの話題として「次に生まれるなら女性がいいか男性がいいか」というのを出すことがあります。最近の傾向として「女性がいい」という留学生が男女を問わず増えているので、日本以外でも昔とは男女問題の質が違っているのだろうと思います。
 私?もう一度女性がいいのだけれど、次は「生活力のある男性と結婚して、男にたよって生きることのできる女性」に生まれたい。あれ、これって、「女性は男性に依存して生きる」ってこと?いえいえ、子供の食い扶持を女の細腕で稼いできた経年疲労で疲れているだけの弱気発言ですから、お目こぼしを。

 女も男も、女になりたい男も男になりたい女も、女のような男も男のような女も、男が好きな男も女が好きな女も、そして私も、自分らしく自分の人生を歩いて行けるなら、それが一番。

 自分自身の選択で生きてきて、今は「女偏」の漢字、嫁も姑も、妹や姉と同じ感覚で受け入れることができるようになりました。女が古びたのが「姑」ですって?と眉つり上げずに、「古」には、女性が長い間身につけた経験への尊敬が込められている、と解釈すればいいのです。年老いた女性の子育てや家事の経験が生かせたから、人類は類人猿よりちょっと脳が発達した、という話は2009年2月5日~11日に連載しました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200902A

 「婦」という文字も、別段「女に掃除を押しつけるな」というように肩肘はらずとも、ホウキの持つ呪力を支配して家庭内を納めることのできる人が「婦人」というふうに解釈しておけばいいんじゃないかと思います。

<つづく>
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2010年05月02日


ぽかぽか春庭「女と密約」
2010/05/02 
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>おんな偏(6)女と密約

 妙齢とか妖姚とか争妍とか娟々とか、嬌姿とか、艶っぽいほうの女偏の文字にはこれまでとんと縁がなかったのですが、女偏の文字、婦も嬶も妃も姫も姉も妹も姪も娘も嫁も姑も姥、人を表す文字だけでもたくさんあります。今回は、婦と嬶を中心に字面をながめ、あれこれよしなし事を並べてみました。

 私は母にとっては娘で、姉には妹で妹には姉で伯母には姪で、姑には嫁で、いろんな女偏をやってきましたが、「男女問題」になるような艶めいた人生模様には縁遠くて、、、健康オタクで元気な姑に比べると少々くたびれている嫁の私、おつむの方もだいぶくたびれていて、昨今の難しい社会情勢にもついていけずに遅れがちです。

 「女こどもにはわからない話だ」なんて大上段に言われると、キッとなってしまうのですが、実際難しい話はわからない私。世の中のこと、真剣に考えようとしても「男女問題」ということに話をすり替えると、なんだか下世話な下半身問題にしてしまえて、ワイドショウネタというか、私のような難しいことはワカランチンの類にとっては手っ取り早い話になるのです。これって実は危険なのだということ、40年前に身にしみたはずがまだまだ要注意の手法なんですね。

 1971年におきた沖縄返還協定締結時に起こった外務省機密漏洩事件もその典型的な例でした。
 沖縄基地をめぐる密約を佐藤元首相がアメリカ側と取り交わしていた、という事実を「国民の知る権利」として報道した西山記者に対して、検察側は「西山記者は国家公務員である女性事務官と「ひそかに情を通じこれに外務機密文書を持ち出させ」情報を得た、と追求し、報道や世論はいっせいに「国民の知る権利」「政府が国民を欺き、秘密裏に行っている行為」を追求することから「男女問題」にすり替える検察側政府側の思惑通りに動きました。当時学生だった私にとって、報道や世論というのは、このようにコロリと態度を変えるものなのだ、と目を見張る事件でした。

 この問題を追及したのが澤地久枝のルポ『密約 外務省機密漏洩事件』です。千野皓司監督によってテレビドラマ化され、1978年に朝日テレビ開局40周年記念として放映されました。
 原作者澤地久枝は、私が何度か「ものかきとして尊敬する女性」のひとりとして、石牟礼道子とともにその名をあげてきた人です。澤地の著作はどれも、綿密な取材、資料の掘り起こしにより、国民が知るべきでありながら知らされてこなかった歴史の断面を描き出してきました。
 最近澤地の著作を読む機会がなく、動静も見聞きしてこなかったので、持病の心臓病が悪くなっていはしないかと案じていました。
 しかし、80歳になる澤地さんはお元気で活躍しておられました。

 2010年4月9日、東京地裁(杉原則彦裁判長)は密約問題に関して、「国民の知る権利を蔑ろにする外務省の対応は不誠実と言わざるを得ない」として「外務省の非開示処分を取り消す」という判決を言い渡しました。外務省は未だに「ないものは開示できない」と言っているのですが、それならあったはずの文書をいつ誰が処分してしまったのか、外務省自身が追求する義務があります。外務省がないと言い張っても、アメリカ側では25年たった外交文書を公開するという法に基づいて、種々の沖縄関連文書が公開されています。

 私たちはひとりひとり働いた所得から税金を払い、また消費をするときに税金を払っています。この税金の使い道に関して、国民はそれを知る権利があり、政府はウソをついてはならない。当然のことです。国民の税金を、国民にないしょのままアメリカ軍基地のために一億千二百万ドル (当時のレートでは4兆円を超す金額。大卒者初任給が4~5万円くらいの時代です)の米国預託を行い、核持ち込みも容認していた。この隠蔽された政府の事実を報道した西山記者は職を失い、情報を流した女性事務官は離婚に至りました。その陰で、嘘をつき国民を欺いた側はのうのうと沖縄返還の功労によりノーベル平和賞までうけています。

 これら一連の報道を受けて、「密約 外務省機密漏洩事件」が、22年振りに劇場でリバイバル上映されることになりました。4月10日の劇場公開に先立ち、3月30日、東京・新宿の新宿武蔵野館で原作著者である澤地久枝がトークショーを行いました。久しぶりに澤地さんが公の席で語ったことを知って、いつまでもお元気で私の心の灯台になっていてほしいと思っています。

 「9条の会」呼びかけ人のうち、すでに小田実と加藤周一が故人となり、4月9日には井上ひさしも亡くなりました。澤地は持病をもつ人ですが、この問題に関しては、並々ならぬ意欲で語り続けています。以下は、映画公開に先立って澤地がトークショウで語ったことばのコピペです。

 「『密約』は私の2冊目の本なのですが、戦争で負けたことのツケがどう回るのか、本当に罪に問われるべきは誰なのか、主権者に考えてほしいという思いで書き上げました。国家機密がまんまと男女の関係にすり替えられたのです。今後の歴史のためにも政治責任を裁く法律が必要だと思います。主権者に知る権利ではなく、政府に知らせる義務があるのです。(略)昨年、我々は政権交代を達成しました。民主党がヨロヨロしているとしても、岡田(克也)外務大臣が表明した本事件に対する真相解明の姿勢を、きちんと見守らないといけない。弱体な政府は、弱体した主権者のもとにあるんです。私たちが強くなる以外に道は開かれていかないと思います。(略)私はいまだ何10年も怒り続けています。沖縄返還、つまりは第2次世界大戦の財務整理がどういう形で終始したかを私たちが追求できる唯一の争点が、日本政府が肩代わりした400万ドルの『密約』なんです。自分でも執念深いなと思いますが、私はこの『密約』にこだわり続けます」

 澤地は病身をかかえながら、さまざまな活動をしてきました。「こだわり続けます」と執念を語る澤地久枝には国民を欺く者への強い怒りと追求する姿勢を持ち続ける迫力があります。

 ひとりひとりの人間は弱く、権力に刃向かおうとするとたちまち「男女問題」なぞにすり替えられ、追い込まれてしまう存在です。でも、澤地さんらの真実を追究する姿勢を私たちも見習っている限りは、望まない流れに巻き込まれてしまわない覚悟を持ち続けていけるのではないかと思います。

 女偏に弱いと書いて「嫋」。なよなよと美しい様を表すのですが、国字で女偏に鼻をつけて「嬶」を作ったのなら、女偏に強いで[女強]という国字があってもいいでしょう。
 さて、この世知辛い世をもうちょっと生きていくだけの強さを持てるといいのですが、、、、がんばりましょう。

<おわり>

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