落語でおいしい日本語食堂
【10】まんじゅうこわい
(10-1)十人十色
十人よれば、気は十色と、申します。
顔がひとりひとり違うように、ご気性もそれぞれ。お好みもそれぞれでございます。
家の中で人形と遊ぶのが好きな人、森へ行ってクマさんと遊ぶのが好きな人、遊びようもそれぞれ。違うところもあれば、似ているところもございます。
まんじゅうが好きという方もいれば、甘いものを見ただけで胸焼けがして来るという方もいらっしゃいます。
人が苦手というものも、それぞれ。
私は、数字と計算、片づけ掃除が大の苦手。家の中は散らかり放題、足の踏み場もなく、どこに何があるのか、さっぱり分からないので、ある本が必要なときも、あるはずの家の中で見つけだすことができず、図書館で借りてきたりします。
計算苦手で、数字に弱い。もう、お札に書いてある数字なんて、大っきらい。私を困らせようと思うなら、私の上にお札なんかをばらまかれたひには、もう、ふるえがきて、心身大弱り。
私をいじめたいと思っている人がいたら、私の目の前に札束なんか積み上げてみたらいいんじゃないかと存じます。ああ、お金がこわい。
「まんじゅうこわい」は、前座噺といわれていますが、この噺が前座がやれるのは、噺の台本がそれだけうまくできていて、だれがやっても、お年寄りから子どもまで、大笑いできるからでしょう。
説明ぬきに、人にはそれぞれ、他の人がどんなに「なんであんなものが好きなのか」といぶかっても、どうしてもこれが好きでたまらないというものもあれば、大嫌い、大の苦手で、みるのもいや、というものがあることを、ひとりひとり実感しているからにちがいありません。
それぞれ、何がこわいかということを披露しあった席で、いつも威張りくさっている熊公が「まんじゅうがこわい」と、うちあけました。へぇ~、意外なことを。
日頃いばりくさって、えらそうな熊公をひとつ懲らしめてやろうじゃないかという相談がまとまります。
皆でお金を出し合ってまんじゅうを山盛りに買い込み、熊公の前に置いておくと、熊さんは、「こわいこわい、目の前にあるとこわいから、全部腹のなかにいれて、見えなくしよう」と言いながら全部たいらげてしまいます。
だまされたと気づいた面々が「ほんとうにこわいもんはなんだ」と、たずねると、熊さん、饅頭でいっぱいになった腹をなでながら、「ここらで、渋~い、お茶がこわい」
おなじみ「まんじゅうこわい」の一席です。
(10-2)モニのくまさん
人それぞれ、苦手なものがあるのは、ことばの発音も同じこと。「どうして、RとLが同じに聞こえるんだ」と、英語話者に言われても、聞き分けられないもんは、仕方ない。
英語ではLとRは別々の発音で、lightとrightはちがうけれども、日本語では別のLとRの音は「ラ」の異音にすぎませんから、どちらもライトということを、「目黒のさんま」で一席うかがいました。
また、私たちには違う音に聞こえる、DとRが、言語によっては、同じ音に聞こえるのだ、と言われると、なんでDとRが同じ音色に聞こえるのかと、不思議に思ってします。
人間が作り出せる音はさまざまな音色があるけれど、言語は、それぞれに利用する音が異なります。
苦手な発音も、母語のちがいによってさまざま。
私の教え子には、NとRの音が苦手、という人たちがいました。中国南方の出身者たちです。
それぞれの母語によって「苦手な発音があるよ」ということを日本語教師養成コースの大学生にわかってもらうために、私もいろいろな発音のはなしをいたします。
♪ある日、モニの中、クマさんにであった。花咲くモニの道、くまさんに出会った~♪
日本語学のクラスで、突然教師が歌い出す。何事が起こったかと、学生注目。
「はい、日本語聴き取りテストです。私はどこでクマさんに出会ったのでしょう」
学生、ぽかん。
「日本語の歌でしょうが。ちゃんと聞いてね。もう一回歌うよ。♪ある日、モニの中、クマさんに出ああったぁ♪ はい、君、どこでクマさんに会いましたか」
学生「も、森の中?」
「ええ?ほんと?日本語の歌だよ。何聞いてんの?もう一回ゆっくり歌うね。ちゃんと聞いて。♪あるぅひ、モニのなか、クマさんにでああったぁ♪」
文字で読んでいる人には、私が学生に何を聞き取らせようとしているのか、もうおわかりでしょう。文字で書いているんですから。
ためしに、この「モニのくまさん」の歌を、あなたの側にいる人に歌って聞かせ、どこで出会ったのか、質問してみてください。あるぅひ、モニの中、って、歌ってね。
10人9人は、「森の中」と、答えると思います。
でも、文字で見ていればわかるように、私がクマさんと出会ったのは、「モニの中」です。
この「♪モニのくまさん」は、「N」と「R」が、似ている音であることを、日本語教師志望者に分かってもらうための、春庭考案の「日本語音声学特製歌授業」のひとつです。
日本語ではRとNは別々の音で、単語の区別に利用しますから、ラマ(羊駝)とナマ(生)は別の意味のことばになりますが、ラマとナマとに違いはない、という言語もあるのです。
(10-2)専門は人形です
日本語母語話者である学生たちの中には、「N」と「R」が似ているってことが感じ取れない人もいます。ナマとラマは、全然違うじゃないか、どうして聞き分けができないってことがあろうか、と思いこんでいます。
そこで、最初に「モニのくまさん」を歌っておくのです。ほとんどの学生は「モニの中」と歌っても、「森の中」と、聞き取っています。似ている音なので、頭の中の思いこみで「森」と、聞いたのです。
自分でも、「モニ」が「モリ」に聞こえることがあるとわかれば、「N」と「R」が調音点が同じ鼻音と口音の違いにすぎないということがわかります。
口の中の同じ場所を、Nは閉鎖してから鼻へと息を出し、Rは、軽くはじいて口へと息を出します。
日本語では「ナイター」は夜間の野球試合で、「ライター」は、タバコに火をつけるものですけれど、/n/ と/r/ の発音に、ことばの意味を区別する機能を負わせていない言語の人たちにとっては、同じ音に聞こえます。
日本語母語話者にとって、light もrightも同じライトに聞こえる、というのと一緒です。
「ナ行」と「ラ行」の発音。日本人にとっても、聞き間違いやすい音です。
隣の人に突然、♪あるうひ、モニのなか♪と、歌って聞かせるのが恥ずかしいという方は、タバコを手の指にはさんだのを突き出し「ナイター持ってない?」と、聞いてみてもいいですね。
「え、クライマックスシリーズのチケットならあるけど」などと、答える人は、そうはいないと思います。
「え、ライターなんか持ってないよ、ぼく、タバコ吸わないもん」とか「夕べのバーでもらったマッチならあるけど」と、答えると思います。
日本語は鼻から息を出す(鼻音)「N」と、口から息を出す(口音)「R」との違いによって、ことばの意味を区別している言語です。
中国での私のクラスで日本語を学ぶ学生たちは、中国各地から選抜された大学の若手教師たちでした。
それぞれの研究のために日本へ留学するプロジェクトのクラスですから、各人それぞれの専門があります。
最初の自己紹介のとき、あなたの専門は何ですか?と、尋ねました。
一人の南方の出身者が「わたしの専門は、人形です」と答えたました。
「にんぎょう?」
中国の大学の先生たちの専門、「ナノテクノロジー」とか「大学経営学」とか、それぞれですが、「人形」が専門って、民俗芸能の人形を研究しているのか、それとも「リカちゃん」や「バービー」が現代文化に与えた影響を研究しているのか。
「その研究はどんなことを調べるのですか」と聞いてみると「モニの木や木材について調べます」
ああ、わかりました。「林業(りんぎょう)」だったのね。
(10-3)イオン(異音)の話
中国南方地方出身の人、「n」と「r」の音が聞き分けられない人が多い。南方地方ではNとRは異音であり、ことばの意味の区別に利用していないからです。
その学生にとっては、田舎(いなか)と甍(いらか)、同じ音に聞こえます。「ニス(塗料の)」と「リス栗鼠」も区別が難しい。
彼にとっては、「人形(にんぎょう)」と、林業の区別はとてもむずかしく、おなじ音に聞こえるのです。
彼の発音では、「森」は「モニ」になってしまいます。
私は方言やナマリを生かした日本語でいい、という考え方です。
それぞれのナマリがあっても、誤解されない限り、無理矢理の矯正は必要ない。
栃木茨城福島の一部地方の無アクセントの日本語、『フラガール』で、蒼井優のセリフ、とてもいい響きでした。
韓国の出身者が、「おはようございます」のかわりに、「おはようごじゃいます」と言っても、誤解を受けないから、無理に「ございます」を練習しなくても大丈夫、と思う。
周囲の人が、この人は「ざ」のかわりに「じゃ」と発音すると言うことを理解していれば、「そこのジャルとって」といったら、ザルを取ってあげればいい、と思います。
しかし、「専門は人形」の彼の場合、自分の専門を誤解されないために、「 r 」「 n 」の聞き分け使い分けに特訓が必要です。
「専門の人形を調べるためにモニへいきます」と自己紹介したのでは、わかってもらえませんから。
彼は、砂漠地方の緑化や森林育成が必要とされる中国の林業発展をめざして、日本の林業を学ぼうとしている意欲にあふれた学生です。
日本への留学を目前に、いっしょうけんめい練習しました。
使い分けについては、自分で意識して発音するので、できるようになるのですが、無意識に聞いているとき、聞き分けはむずかしい。
NとRの聞き分けができない学習者がいたとき、どうして「n」と「r」が聞き分けられないんだ!と思ってはいけません。私たちだって、RとLの区別がむずかしいじゃないか、電気のライトと右のライトが同じ音に聞こえるじゃないか、ということを自覚していることが大切と、日本語教師養成コースの学生たちに言います。
そのために、日本語教師志望者に、自分たちも「R」「L」の聞き分けができないことを最初に思い知らせておくのです。
ダとナとラは、3つとも、舌先を上の歯と歯茎につけて発音します。
音声学では、「調音点が同じ」といいます。
(10ー4)ライスは食べるがダイスは食べず、パンは食べるがバンは食べない
ダは舌先を上歯茎にくっつけてから、舌と歯茎の間を破るように息を口からだします。閉鎖音または破裂音と呼びます。
ラは舌先を上歯茎で軽くはじいて息を口から出します。はじき音と呼びます。
ナは、息を鼻に出します。鼻音と呼びます。
ラとダは、息を口へだします。口音と呼びます。
このように、ダとナとラは、調音点は同じですが、息の出し方が少しちがいます。
この少しの違いを「ことばの意味のちがいを作るために利用する」言語と、利用しない言語があります。
母語で異音であるばあい、このふたつの音の聞き分けはむずかしい。
ダとナとラは、どれも舌を歯の上につけて発音します。音声学では、「調音点が同じ」といいます。
ナは、息を鼻に出します。ラは口へだします。それだけの違いなので、似ています。
ラは舌先を歯の上の歯茎で軽くはじいて息を口から出します。
ダは舌を強く歯の上で弾き、舌と歯茎の間を破るように息を口からだします。
ダとナとラは、調音点は同じですが、息の出し方が少しちがいます。
この少しの違いを「ことばの意味のちがいを作るために利用する」言語と、利用しない言語があります。
日本語は、[d][t][n][r]を、「ことばの意味を区別するのに利用する」言語です。
そして、[r][l]のちがいについては、ことばの意味を区別するのに利用していません。lightもrightも、どちらもライトと発音するので、日本語外来語としては、同音異義語になってしまいます。
日本語では「ライス」と「ダイス」は別の単語。
でも、ライスとダイスがまったく区別がつかないという言語を母語としている日本語学習者もいることを、日本語教師は知っておくことべきです。
谷とダニが同じに聞こえる母語の人もいるし、「じゃる」と「ざる」が区別できない母語の人もいます。私たちがLとRの区別ができず、ライスliceとライスrice、注文するとき気にするのと同じです。
「ダ」と「タ」は、有声音か無声音か(清音か濁音か)という違いです。
日本語は清音が濁音に変われば、ことばの意味がかわります。パンとバンは別の意味になります。
パンは食べます。バンは、車の型の「バン」、(同音異義語で「番」ほか)を意味します。
しかし、有声音と無声音の違いを「異音」としている言語、たとえば中国語母語話者には、息を出さないで「パン」と言う日本語の音は、「バン」と同じ音にきこえます。「バカ」と「パカ」を間違えて発音します。
中国語では有気音と無気音のちがいをことばに利用しているので、無声音と有声音は異音なのです。強く息を出すパンと、息を出さないパンを、ことばの意味の区別に利用します。
(10ー5)ひつもん(質問)に答えます
自分たちがRとLができないことによって、英語母語話者の前ではコンプレックスを抱き、そのかわり有声音と無声音を区別できない中国人に対して、「おまえ、ぱか、ぱかあるよ」なんて言ってからかう、これはどちらも音声学を理解していない、まったくバカな態度です。
音声のしくみが、言語によって少しずつことなるのですから、母語でない他の言語の中に発音しにくい音、聞き分けづらい音があるのは当然のこと。
音声学を学べば、自分の言語を過剰に「日本語はすぐれている言語だ」と誇ることもなくなるし、英語が一番エライと思うこともなくなります。
世界中のどの言語も、美しい調べと豊かな文化を内蔵したことばです。
異音についてのお話をしてきました。
どの音とどの音を「同じ音」としてとらえるかは、言語によってさまざまです。
日本人にとっては、「la」「ra」が異音ということを話しました。わかりやすい例だったから。
「yearと言いたいのに相手にはearに聞こえてしまう。どう違うのでしょうか?」
投稿者:wxm68971 (2007 10/13 9:16)
という質問に答えます。
英語では言葉を区別する音である[yi]と[i]は、日本語では異音ですから、どちらも「い」に聞こえます。日本語母語話者には、区別がむずかしいから、year(年) ear(耳)が、どちらもイァーに聞こえるのです。
[yi]と[i]の発音をいい分ける方法については、10月17日に掲載します。
まずは、異音について復習。
「質問に答えます」というとき、ある地域の人のことばでは、「すぃつもん」と発音したり、別のところでは「ひつもん」になったりすることがあります。
ある地域では「し」と「す」が異音です。
東北地方などで「すんぶんす新聞紙」とか「すす寿司」になる。
また、別の地域では「し」と「ひ」が異音。この地域では「ひつもん質問」になったり、逆に「火箸」が「しばし」になったりします。「し」と「ひ」の区別をしないので。
東京の下町方言がこれです。
ご質問があったので、「yi」と「i」の音は、現在の日本語では異音であるが、大昔の日本語では区別をしていた、という話をします。
この話は、春庭のことばエッセイ「いろは歌の成立」に書いたことがあるのですが、異音の話としてもう一度解説いたします。
(10-6)「ゑ」と「え」のちがい
五十音図の最後の「ん」を読んで「ん」に三つの異音があることがわかった日本語教師養成コースの大学生たちに、つぎは、五十音図のザ行とダ行を読ませます。
「ざじずぜぞ、だぢづでど」学生たちは何の疑問もなくスラスラと読みます。
そこで教師から質問。「ほかの仮名文字は、ひとつの発音にひとつの文字なのに、なぜ、ジとヂ、ズとヅは、同じ発音なのに、ふたつの文字があるの?」
学生たち、なぜ「じ」と「ぢ」が同じ発音であるのにかな文字ふたつあるのか、考えたこともなかったといいます。
なぜふたつあるのかわからない方、四つ仮名「じぢずづ」の区別については、春庭のHPhttp://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongoiroha0603b.htm
を、ごらんください。詳しい答えが書いてあります。
室町時代に「じ」「ぢ」の区別、「ず」「づ」の区別がなくなっていき、江戸時代には、区別がまったくなくなってしまったのです。
日本語の発音は、大昔から今まで、常に生まれ変わっているのです。「じ」と「ぢ」の区別は、江戸時代になくなったのですが、もっと古くも、いろんな発音の変化がありました。
四つ仮名のちがいがわかったら、ワ行とヤ行に注目させます。ほかの行は、「あいうえお」「らりるれろ」まで、5つの段があるのに、なぜヤ行は3つしかないのか、ワ行は2つしかなくて、しかも「を」は「お」と同じ発音なのか。
「じ」と「ぢ」が、昔は別の発音だったのに、今は同じになった、ということから類推させます。
はい、その通り。「を」と「お」は、今は同じ発音ですが、昔は別でした。「お」は[o]で、「を」は[wo]でした。「ウォ」です。
ワ行の発音、もともとは「wa wi wu we wo」でした。
ア行のウは、唇を丸くしない(非円唇)で発音しますが、ワ行の「wu」は、唇を狭めて丸くしてから「wu」と発音したでしょう。
日本語以外の言語で「う」の音は、ほとんどこちらの唇を丸めるほうのウです。
旧仮名遣いの文字。
昔の発音通りに文字を書くと、「わゐうゑを」です。
これをみると、ひらがなが成立した平安初期には、すでに「wu」と「u」の発音の区別がなくなっていることがわかります。ワ行の「う」に相当するひらがながありませんから。
時代が下ると、「ゐ」と「い」の区別もなくなり、「ゑ」と「え」の区別もなくなってしまいました。
現代仮名遣いでは、ゐとゑの文字は使いません。「ちゑ知恵」は「ちえ」と書くことになっています。
(10-7)[yi]と [i]のちがい
では、いよいよ「year」と「ear」のちがいについて。
日本語の発音、ヤ行の「yi」とア行の「i」もともとは別の発音でした。今はヤ行のyiは「い」と同じになってしまいました。
大昔の発音が残っていれば、日本語母語話者にもyearとearの発音の区別ができたのに。
wxm68971さんがおたずねの、[yi][i]の違いについて。
英語では[yi][i]は、ことばの意味を区別する音です。
yearの「い」は英語発音ではヤ行(半母音)の「yi」です。
earの「い」は、普通のア行の「i」です。
日本語では、大昔はヤ行の「yi」とア行の[i]の間に区別が存在したと考えられますが、現代では失われており、同じ発音です。「アイウエオ」「ヤイユエヨ」
ひらがなが成立した当時、すでにyi とiの区別はありませんでした。だから、ひらがなでは、ヤ行の「yi」の文字はありません。
では、なぜ大昔には「yi」の発音もあっただろうとわかるのか。
証拠があります。
昔の手習い歌。日本語の音節、ひとつの文字を一回だけ使用してできる歌。
初めて仮名文字を練習する手習いのとき、使います。
「いろは歌」が一番有名です。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
いろは歌については、http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongo0603a.htm
に書いたので、お読みいただきたく存じます。
手習い歌のうち、いろは歌は、平安中期から後期の成立ですから、ヤ行の「yi」とア行の「i」の区別はありません。
ワ行の「wi ゐ」とア行の「iい 」の発音の区別はありましたから、文字の区別があります。
いろは歌以前、ひらがなができた平安初期ころに成立したと考えられる手習い歌があります。「あめつちの歌」です。
天 地 星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末 硫黄 猿 生ふ 為よ 榎の 枝を 馴れ 居て あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふ せよ えのえ*を なれ ゐて
この古い発音を残している「あめつちの歌」では、ワ行のゑが残っているのはもちろんですが、「え」が、最後に「えのえ」と、2回でてくるのです。ひとつの文字を1回だけ使うのがきまりであるのになぜ「え」だけが2回でてくるのでしょう。
これは、平安時代以前には、「え」の発音、「ゑ(ワ行wa)」と「え(ア行e)」のほかに、もうひとつ「え(ヤ行ye)」の区別があったことを意味しています。
ふたつの「え」は、ア行の「eえ」と、ヤ行の「yeえ」だったと推測されるのです。
こうして、ヤ行は「ya yi yu ye yo」「や yi ゆ ye よ」だったことがわかります。
(10-8)英語と日本語、にっぽんジャパン
漢字の草書を利用した「ひらがな」が成立したころには、yeの音がかろうじて残り、[yi]
の発音はア行の[i]との区別はなくなっていました。
平安時代以後の人たちは、ヤ行のyiもア行のiも、発音の区別をしていません。
英語には「yi」と「i」の区別があります。year(年)とear(耳)は、日本人にとっては、[yi]と[i]は異音ですから、同じ「イァー」としか、きこえないし、発音の区別ができません。
日本語母語話者が[ yi]を発音するなら、「jiじ」を発音するつもりで「iい」と言うといいです。
舌の奥を上あごに近づけて発音すると「yi」の発音ができます。練習してください。
ついでに言っておくと、[ji]と[yi]、[ri]「ni」は、言語によっては異音です。
中国南方では「森もり」を「モニ」と言ったり、逆になったりすることをお話しました。「n」と「r」が異音だからです。
現代中国語で日本を「リーベン」と言うのは、「日本」の「日」を現代北京地方発音でいえば「ri」または「ji」だからです。「リーベン」「ジーベン」と聞こえます。
「ニッポン日本」は、古代の中国音では「ジツポン」「ジッポン」でした。ジツポンが欧米に伝われば、jippon となり、japanになりました。英語ではジャパンです。フランス語ではジャポネです。
「jaジャ」 と「yaヤ」が異音の地域がありますから、ジャパンは、ヤパン、ヤーバンなどに変化します。
なんで、ニッポンがジャパンとなったのか、ちゃんと発音変化の規則があるのです。
こんなことも、異音について詳しくなったら、理解できます。
異音に注意を向け、次は、「音節」という日本語の音の重要な単位について話が進んでいきます。
音節をさらに分解して音素の別を知り、ひとつひとつの音素の調音の仕組みの勉強から始めます。
日本語音声学を、もちっと続けて、異音の話から、音素音節調音法へと進むつもりでしたが、日本語音声学の続きを知りたい方には、2006年5月~7月の春庭カフェ日記「いろいろあらーな」をお読み願うことといたします。
さて、十人十色で食べ物のお好みもそれぞれなあ、発音もそれぞれ、聞き分けのできる音の種類も、言語によってそれぞれであることがおわかりいただけたかと。
さんざん食い放題、春庭亭の噺を聞いていただいたので、ここらで「こわいもの」と言ったら、はい、「しぶ~いお茶がこわい」ですよね。
はい、パル子ネーサン、みなさまにお茶、お出しして!
では、わたくしのお話はここらでお開きに。ごゆるりとお茶、めしあがってくださいまし。
では次回も、よろしくお運びのほどを。
春庭亭は、90分食い放題、飲みもの別料金。お茶はサービス。
出囃子・春庭テーマ曲「食い放題インターナショナル・ダイエットは明日から」
♪ 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 腹は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの ♪
♪ 聞け我等が雄たけび 天地轟きて 脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな) 今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの ♪
<おわり>
【10】まんじゅうこわい
(10-1)十人十色
十人よれば、気は十色と、申します。
顔がひとりひとり違うように、ご気性もそれぞれ。お好みもそれぞれでございます。
家の中で人形と遊ぶのが好きな人、森へ行ってクマさんと遊ぶのが好きな人、遊びようもそれぞれ。違うところもあれば、似ているところもございます。
まんじゅうが好きという方もいれば、甘いものを見ただけで胸焼けがして来るという方もいらっしゃいます。
人が苦手というものも、それぞれ。
私は、数字と計算、片づけ掃除が大の苦手。家の中は散らかり放題、足の踏み場もなく、どこに何があるのか、さっぱり分からないので、ある本が必要なときも、あるはずの家の中で見つけだすことができず、図書館で借りてきたりします。
計算苦手で、数字に弱い。もう、お札に書いてある数字なんて、大っきらい。私を困らせようと思うなら、私の上にお札なんかをばらまかれたひには、もう、ふるえがきて、心身大弱り。
私をいじめたいと思っている人がいたら、私の目の前に札束なんか積み上げてみたらいいんじゃないかと存じます。ああ、お金がこわい。
「まんじゅうこわい」は、前座噺といわれていますが、この噺が前座がやれるのは、噺の台本がそれだけうまくできていて、だれがやっても、お年寄りから子どもまで、大笑いできるからでしょう。
説明ぬきに、人にはそれぞれ、他の人がどんなに「なんであんなものが好きなのか」といぶかっても、どうしてもこれが好きでたまらないというものもあれば、大嫌い、大の苦手で、みるのもいや、というものがあることを、ひとりひとり実感しているからにちがいありません。
それぞれ、何がこわいかということを披露しあった席で、いつも威張りくさっている熊公が「まんじゅうがこわい」と、うちあけました。へぇ~、意外なことを。
日頃いばりくさって、えらそうな熊公をひとつ懲らしめてやろうじゃないかという相談がまとまります。
皆でお金を出し合ってまんじゅうを山盛りに買い込み、熊公の前に置いておくと、熊さんは、「こわいこわい、目の前にあるとこわいから、全部腹のなかにいれて、見えなくしよう」と言いながら全部たいらげてしまいます。
だまされたと気づいた面々が「ほんとうにこわいもんはなんだ」と、たずねると、熊さん、饅頭でいっぱいになった腹をなでながら、「ここらで、渋~い、お茶がこわい」
おなじみ「まんじゅうこわい」の一席です。
(10-2)モニのくまさん
人それぞれ、苦手なものがあるのは、ことばの発音も同じこと。「どうして、RとLが同じに聞こえるんだ」と、英語話者に言われても、聞き分けられないもんは、仕方ない。
英語ではLとRは別々の発音で、lightとrightはちがうけれども、日本語では別のLとRの音は「ラ」の異音にすぎませんから、どちらもライトということを、「目黒のさんま」で一席うかがいました。
また、私たちには違う音に聞こえる、DとRが、言語によっては、同じ音に聞こえるのだ、と言われると、なんでDとRが同じ音色に聞こえるのかと、不思議に思ってします。
人間が作り出せる音はさまざまな音色があるけれど、言語は、それぞれに利用する音が異なります。
苦手な発音も、母語のちがいによってさまざま。
私の教え子には、NとRの音が苦手、という人たちがいました。中国南方の出身者たちです。
それぞれの母語によって「苦手な発音があるよ」ということを日本語教師養成コースの大学生にわかってもらうために、私もいろいろな発音のはなしをいたします。
♪ある日、モニの中、クマさんにであった。花咲くモニの道、くまさんに出会った~♪
日本語学のクラスで、突然教師が歌い出す。何事が起こったかと、学生注目。
「はい、日本語聴き取りテストです。私はどこでクマさんに出会ったのでしょう」
学生、ぽかん。
「日本語の歌でしょうが。ちゃんと聞いてね。もう一回歌うよ。♪ある日、モニの中、クマさんに出ああったぁ♪ はい、君、どこでクマさんに会いましたか」
学生「も、森の中?」
「ええ?ほんと?日本語の歌だよ。何聞いてんの?もう一回ゆっくり歌うね。ちゃんと聞いて。♪あるぅひ、モニのなか、クマさんにでああったぁ♪」
文字で読んでいる人には、私が学生に何を聞き取らせようとしているのか、もうおわかりでしょう。文字で書いているんですから。
ためしに、この「モニのくまさん」の歌を、あなたの側にいる人に歌って聞かせ、どこで出会ったのか、質問してみてください。あるぅひ、モニの中、って、歌ってね。
10人9人は、「森の中」と、答えると思います。
でも、文字で見ていればわかるように、私がクマさんと出会ったのは、「モニの中」です。
この「♪モニのくまさん」は、「N」と「R」が、似ている音であることを、日本語教師志望者に分かってもらうための、春庭考案の「日本語音声学特製歌授業」のひとつです。
日本語ではRとNは別々の音で、単語の区別に利用しますから、ラマ(羊駝)とナマ(生)は別の意味のことばになりますが、ラマとナマとに違いはない、という言語もあるのです。
(10-2)専門は人形です
日本語母語話者である学生たちの中には、「N」と「R」が似ているってことが感じ取れない人もいます。ナマとラマは、全然違うじゃないか、どうして聞き分けができないってことがあろうか、と思いこんでいます。
そこで、最初に「モニのくまさん」を歌っておくのです。ほとんどの学生は「モニの中」と歌っても、「森の中」と、聞き取っています。似ている音なので、頭の中の思いこみで「森」と、聞いたのです。
自分でも、「モニ」が「モリ」に聞こえることがあるとわかれば、「N」と「R」が調音点が同じ鼻音と口音の違いにすぎないということがわかります。
口の中の同じ場所を、Nは閉鎖してから鼻へと息を出し、Rは、軽くはじいて口へと息を出します。
日本語では「ナイター」は夜間の野球試合で、「ライター」は、タバコに火をつけるものですけれど、/n/ と/r/ の発音に、ことばの意味を区別する機能を負わせていない言語の人たちにとっては、同じ音に聞こえます。
日本語母語話者にとって、light もrightも同じライトに聞こえる、というのと一緒です。
「ナ行」と「ラ行」の発音。日本人にとっても、聞き間違いやすい音です。
隣の人に突然、♪あるうひ、モニのなか♪と、歌って聞かせるのが恥ずかしいという方は、タバコを手の指にはさんだのを突き出し「ナイター持ってない?」と、聞いてみてもいいですね。
「え、クライマックスシリーズのチケットならあるけど」などと、答える人は、そうはいないと思います。
「え、ライターなんか持ってないよ、ぼく、タバコ吸わないもん」とか「夕べのバーでもらったマッチならあるけど」と、答えると思います。
日本語は鼻から息を出す(鼻音)「N」と、口から息を出す(口音)「R」との違いによって、ことばの意味を区別している言語です。
中国での私のクラスで日本語を学ぶ学生たちは、中国各地から選抜された大学の若手教師たちでした。
それぞれの研究のために日本へ留学するプロジェクトのクラスですから、各人それぞれの専門があります。
最初の自己紹介のとき、あなたの専門は何ですか?と、尋ねました。
一人の南方の出身者が「わたしの専門は、人形です」と答えたました。
「にんぎょう?」
中国の大学の先生たちの専門、「ナノテクノロジー」とか「大学経営学」とか、それぞれですが、「人形」が専門って、民俗芸能の人形を研究しているのか、それとも「リカちゃん」や「バービー」が現代文化に与えた影響を研究しているのか。
「その研究はどんなことを調べるのですか」と聞いてみると「モニの木や木材について調べます」
ああ、わかりました。「林業(りんぎょう)」だったのね。
(10-3)イオン(異音)の話
中国南方地方出身の人、「n」と「r」の音が聞き分けられない人が多い。南方地方ではNとRは異音であり、ことばの意味の区別に利用していないからです。
その学生にとっては、田舎(いなか)と甍(いらか)、同じ音に聞こえます。「ニス(塗料の)」と「リス栗鼠」も区別が難しい。
彼にとっては、「人形(にんぎょう)」と、林業の区別はとてもむずかしく、おなじ音に聞こえるのです。
彼の発音では、「森」は「モニ」になってしまいます。
私は方言やナマリを生かした日本語でいい、という考え方です。
それぞれのナマリがあっても、誤解されない限り、無理矢理の矯正は必要ない。
栃木茨城福島の一部地方の無アクセントの日本語、『フラガール』で、蒼井優のセリフ、とてもいい響きでした。
韓国の出身者が、「おはようございます」のかわりに、「おはようごじゃいます」と言っても、誤解を受けないから、無理に「ございます」を練習しなくても大丈夫、と思う。
周囲の人が、この人は「ざ」のかわりに「じゃ」と発音すると言うことを理解していれば、「そこのジャルとって」といったら、ザルを取ってあげればいい、と思います。
しかし、「専門は人形」の彼の場合、自分の専門を誤解されないために、「 r 」「 n 」の聞き分け使い分けに特訓が必要です。
「専門の人形を調べるためにモニへいきます」と自己紹介したのでは、わかってもらえませんから。
彼は、砂漠地方の緑化や森林育成が必要とされる中国の林業発展をめざして、日本の林業を学ぼうとしている意欲にあふれた学生です。
日本への留学を目前に、いっしょうけんめい練習しました。
使い分けについては、自分で意識して発音するので、できるようになるのですが、無意識に聞いているとき、聞き分けはむずかしい。
NとRの聞き分けができない学習者がいたとき、どうして「n」と「r」が聞き分けられないんだ!と思ってはいけません。私たちだって、RとLの区別がむずかしいじゃないか、電気のライトと右のライトが同じ音に聞こえるじゃないか、ということを自覚していることが大切と、日本語教師養成コースの学生たちに言います。
そのために、日本語教師志望者に、自分たちも「R」「L」の聞き分けができないことを最初に思い知らせておくのです。
ダとナとラは、3つとも、舌先を上の歯と歯茎につけて発音します。
音声学では、「調音点が同じ」といいます。
(10ー4)ライスは食べるがダイスは食べず、パンは食べるがバンは食べない
ダは舌先を上歯茎にくっつけてから、舌と歯茎の間を破るように息を口からだします。閉鎖音または破裂音と呼びます。
ラは舌先を上歯茎で軽くはじいて息を口から出します。はじき音と呼びます。
ナは、息を鼻に出します。鼻音と呼びます。
ラとダは、息を口へだします。口音と呼びます。
このように、ダとナとラは、調音点は同じですが、息の出し方が少しちがいます。
この少しの違いを「ことばの意味のちがいを作るために利用する」言語と、利用しない言語があります。
母語で異音であるばあい、このふたつの音の聞き分けはむずかしい。
ダとナとラは、どれも舌を歯の上につけて発音します。音声学では、「調音点が同じ」といいます。
ナは、息を鼻に出します。ラは口へだします。それだけの違いなので、似ています。
ラは舌先を歯の上の歯茎で軽くはじいて息を口から出します。
ダは舌を強く歯の上で弾き、舌と歯茎の間を破るように息を口からだします。
ダとナとラは、調音点は同じですが、息の出し方が少しちがいます。
この少しの違いを「ことばの意味のちがいを作るために利用する」言語と、利用しない言語があります。
日本語は、[d][t][n][r]を、「ことばの意味を区別するのに利用する」言語です。
そして、[r][l]のちがいについては、ことばの意味を区別するのに利用していません。lightもrightも、どちらもライトと発音するので、日本語外来語としては、同音異義語になってしまいます。
日本語では「ライス」と「ダイス」は別の単語。
でも、ライスとダイスがまったく区別がつかないという言語を母語としている日本語学習者もいることを、日本語教師は知っておくことべきです。
谷とダニが同じに聞こえる母語の人もいるし、「じゃる」と「ざる」が区別できない母語の人もいます。私たちがLとRの区別ができず、ライスliceとライスrice、注文するとき気にするのと同じです。
「ダ」と「タ」は、有声音か無声音か(清音か濁音か)という違いです。
日本語は清音が濁音に変われば、ことばの意味がかわります。パンとバンは別の意味になります。
パンは食べます。バンは、車の型の「バン」、(同音異義語で「番」ほか)を意味します。
しかし、有声音と無声音の違いを「異音」としている言語、たとえば中国語母語話者には、息を出さないで「パン」と言う日本語の音は、「バン」と同じ音にきこえます。「バカ」と「パカ」を間違えて発音します。
中国語では有気音と無気音のちがいをことばに利用しているので、無声音と有声音は異音なのです。強く息を出すパンと、息を出さないパンを、ことばの意味の区別に利用します。
(10ー5)ひつもん(質問)に答えます
自分たちがRとLができないことによって、英語母語話者の前ではコンプレックスを抱き、そのかわり有声音と無声音を区別できない中国人に対して、「おまえ、ぱか、ぱかあるよ」なんて言ってからかう、これはどちらも音声学を理解していない、まったくバカな態度です。
音声のしくみが、言語によって少しずつことなるのですから、母語でない他の言語の中に発音しにくい音、聞き分けづらい音があるのは当然のこと。
音声学を学べば、自分の言語を過剰に「日本語はすぐれている言語だ」と誇ることもなくなるし、英語が一番エライと思うこともなくなります。
世界中のどの言語も、美しい調べと豊かな文化を内蔵したことばです。
異音についてのお話をしてきました。
どの音とどの音を「同じ音」としてとらえるかは、言語によってさまざまです。
日本人にとっては、「la」「ra」が異音ということを話しました。わかりやすい例だったから。
「yearと言いたいのに相手にはearに聞こえてしまう。どう違うのでしょうか?」
投稿者:wxm68971 (2007 10/13 9:16)
という質問に答えます。
英語では言葉を区別する音である[yi]と[i]は、日本語では異音ですから、どちらも「い」に聞こえます。日本語母語話者には、区別がむずかしいから、year(年) ear(耳)が、どちらもイァーに聞こえるのです。
[yi]と[i]の発音をいい分ける方法については、10月17日に掲載します。
まずは、異音について復習。
「質問に答えます」というとき、ある地域の人のことばでは、「すぃつもん」と発音したり、別のところでは「ひつもん」になったりすることがあります。
ある地域では「し」と「す」が異音です。
東北地方などで「すんぶんす新聞紙」とか「すす寿司」になる。
また、別の地域では「し」と「ひ」が異音。この地域では「ひつもん質問」になったり、逆に「火箸」が「しばし」になったりします。「し」と「ひ」の区別をしないので。
東京の下町方言がこれです。
ご質問があったので、「yi」と「i」の音は、現在の日本語では異音であるが、大昔の日本語では区別をしていた、という話をします。
この話は、春庭のことばエッセイ「いろは歌の成立」に書いたことがあるのですが、異音の話としてもう一度解説いたします。
(10-6)「ゑ」と「え」のちがい
五十音図の最後の「ん」を読んで「ん」に三つの異音があることがわかった日本語教師養成コースの大学生たちに、つぎは、五十音図のザ行とダ行を読ませます。
「ざじずぜぞ、だぢづでど」学生たちは何の疑問もなくスラスラと読みます。
そこで教師から質問。「ほかの仮名文字は、ひとつの発音にひとつの文字なのに、なぜ、ジとヂ、ズとヅは、同じ発音なのに、ふたつの文字があるの?」
学生たち、なぜ「じ」と「ぢ」が同じ発音であるのにかな文字ふたつあるのか、考えたこともなかったといいます。
なぜふたつあるのかわからない方、四つ仮名「じぢずづ」の区別については、春庭のHPhttp://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongoiroha0603b.htm
を、ごらんください。詳しい答えが書いてあります。
室町時代に「じ」「ぢ」の区別、「ず」「づ」の区別がなくなっていき、江戸時代には、区別がまったくなくなってしまったのです。
日本語の発音は、大昔から今まで、常に生まれ変わっているのです。「じ」と「ぢ」の区別は、江戸時代になくなったのですが、もっと古くも、いろんな発音の変化がありました。
四つ仮名のちがいがわかったら、ワ行とヤ行に注目させます。ほかの行は、「あいうえお」「らりるれろ」まで、5つの段があるのに、なぜヤ行は3つしかないのか、ワ行は2つしかなくて、しかも「を」は「お」と同じ発音なのか。
「じ」と「ぢ」が、昔は別の発音だったのに、今は同じになった、ということから類推させます。
はい、その通り。「を」と「お」は、今は同じ発音ですが、昔は別でした。「お」は[o]で、「を」は[wo]でした。「ウォ」です。
ワ行の発音、もともとは「wa wi wu we wo」でした。
ア行のウは、唇を丸くしない(非円唇)で発音しますが、ワ行の「wu」は、唇を狭めて丸くしてから「wu」と発音したでしょう。
日本語以外の言語で「う」の音は、ほとんどこちらの唇を丸めるほうのウです。
旧仮名遣いの文字。
昔の発音通りに文字を書くと、「わゐうゑを」です。
これをみると、ひらがなが成立した平安初期には、すでに「wu」と「u」の発音の区別がなくなっていることがわかります。ワ行の「う」に相当するひらがながありませんから。
時代が下ると、「ゐ」と「い」の区別もなくなり、「ゑ」と「え」の区別もなくなってしまいました。
現代仮名遣いでは、ゐとゑの文字は使いません。「ちゑ知恵」は「ちえ」と書くことになっています。
(10-7)[yi]と [i]のちがい
では、いよいよ「year」と「ear」のちがいについて。
日本語の発音、ヤ行の「yi」とア行の「i」もともとは別の発音でした。今はヤ行のyiは「い」と同じになってしまいました。
大昔の発音が残っていれば、日本語母語話者にもyearとearの発音の区別ができたのに。
wxm68971さんがおたずねの、[yi][i]の違いについて。
英語では[yi][i]は、ことばの意味を区別する音です。
yearの「い」は英語発音ではヤ行(半母音)の「yi」です。
earの「い」は、普通のア行の「i」です。
日本語では、大昔はヤ行の「yi」とア行の[i]の間に区別が存在したと考えられますが、現代では失われており、同じ発音です。「アイウエオ」「ヤイユエヨ」
ひらがなが成立した当時、すでにyi とiの区別はありませんでした。だから、ひらがなでは、ヤ行の「yi」の文字はありません。
では、なぜ大昔には「yi」の発音もあっただろうとわかるのか。
証拠があります。
昔の手習い歌。日本語の音節、ひとつの文字を一回だけ使用してできる歌。
初めて仮名文字を練習する手習いのとき、使います。
「いろは歌」が一番有名です。「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」
いろは歌については、http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongo0603a.htm
に書いたので、お読みいただきたく存じます。
手習い歌のうち、いろは歌は、平安中期から後期の成立ですから、ヤ行の「yi」とア行の「i」の区別はありません。
ワ行の「wi ゐ」とア行の「iい 」の発音の区別はありましたから、文字の区別があります。
いろは歌以前、ひらがなができた平安初期ころに成立したと考えられる手習い歌があります。「あめつちの歌」です。
天 地 星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末 硫黄 猿 生ふ 為よ 榎の 枝を 馴れ 居て あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふ せよ えのえ*を なれ ゐて
この古い発音を残している「あめつちの歌」では、ワ行のゑが残っているのはもちろんですが、「え」が、最後に「えのえ」と、2回でてくるのです。ひとつの文字を1回だけ使うのがきまりであるのになぜ「え」だけが2回でてくるのでしょう。
これは、平安時代以前には、「え」の発音、「ゑ(ワ行wa)」と「え(ア行e)」のほかに、もうひとつ「え(ヤ行ye)」の区別があったことを意味しています。
ふたつの「え」は、ア行の「eえ」と、ヤ行の「yeえ」だったと推測されるのです。
こうして、ヤ行は「ya yi yu ye yo」「や yi ゆ ye よ」だったことがわかります。
(10-8)英語と日本語、にっぽんジャパン
漢字の草書を利用した「ひらがな」が成立したころには、yeの音がかろうじて残り、[yi]
の発音はア行の[i]との区別はなくなっていました。
平安時代以後の人たちは、ヤ行のyiもア行のiも、発音の区別をしていません。
英語には「yi」と「i」の区別があります。year(年)とear(耳)は、日本人にとっては、[yi]と[i]は異音ですから、同じ「イァー」としか、きこえないし、発音の区別ができません。
日本語母語話者が[ yi]を発音するなら、「jiじ」を発音するつもりで「iい」と言うといいです。
舌の奥を上あごに近づけて発音すると「yi」の発音ができます。練習してください。
ついでに言っておくと、[ji]と[yi]、[ri]「ni」は、言語によっては異音です。
中国南方では「森もり」を「モニ」と言ったり、逆になったりすることをお話しました。「n」と「r」が異音だからです。
現代中国語で日本を「リーベン」と言うのは、「日本」の「日」を現代北京地方発音でいえば「ri」または「ji」だからです。「リーベン」「ジーベン」と聞こえます。
「ニッポン日本」は、古代の中国音では「ジツポン」「ジッポン」でした。ジツポンが欧米に伝われば、jippon となり、japanになりました。英語ではジャパンです。フランス語ではジャポネです。
「jaジャ」 と「yaヤ」が異音の地域がありますから、ジャパンは、ヤパン、ヤーバンなどに変化します。
なんで、ニッポンがジャパンとなったのか、ちゃんと発音変化の規則があるのです。
こんなことも、異音について詳しくなったら、理解できます。
異音に注意を向け、次は、「音節」という日本語の音の重要な単位について話が進んでいきます。
音節をさらに分解して音素の別を知り、ひとつひとつの音素の調音の仕組みの勉強から始めます。
日本語音声学を、もちっと続けて、異音の話から、音素音節調音法へと進むつもりでしたが、日本語音声学の続きを知りたい方には、2006年5月~7月の春庭カフェ日記「いろいろあらーな」をお読み願うことといたします。
さて、十人十色で食べ物のお好みもそれぞれなあ、発音もそれぞれ、聞き分けのできる音の種類も、言語によってそれぞれであることがおわかりいただけたかと。
さんざん食い放題、春庭亭の噺を聞いていただいたので、ここらで「こわいもの」と言ったら、はい、「しぶ~いお茶がこわい」ですよね。
はい、パル子ネーサン、みなさまにお茶、お出しして!
では、わたくしのお話はここらでお開きに。ごゆるりとお茶、めしあがってくださいまし。
では次回も、よろしくお運びのほどを。
春庭亭は、90分食い放題、飲みもの別料金。お茶はサービス。
出囃子・春庭テーマ曲「食い放題インターナショナル・ダイエットは明日から」
♪ 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 腹は血に燃えて 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの ♪
♪ 聞け我等が雄たけび 天地轟きて 脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな) 今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ あぁ インターナショナル 我等がもの ♪
<おわり>