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タモリの弔辞

2012-02-27 12:23:56 | 社会文化
 以下は、2009年1月に書いたまま放置していた一文です。

2009/01/26
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>挨拶はむずかしい(1)これでいいのだ

 日本語言語文化の上で、人があらたまった席で思いのたけを述べなければならない場というのが、いくつかある。卒業式総代の式辞とか、結婚式の終わり頃に「父親として出席者に挨拶する」とか。
 弔辞というのは、もっともむずかしいと言われている「公のことば」のひとつ。亡き人と読む人の関係もさることながら、読む人のお人柄があらわれます。

 「文の芸」の達人は、弔辞をまとめた本なども出版しています。たとえば丸谷才一『挨拶はたいへんだ』
 丸谷によると、弔辞は「伝記」だそうです。この世を離れて旅立つ人の生涯をまとめて聴衆に語り聞かせることが、旅立ちへの餞になるわけです。

 2008年になくなった方のひとり、漫画家の赤塚不二夫。
 赤塚さんは、たくさんのギャグマンガを残しました。おそ松くんもヒミツのアッコちゃんも、人々が長く楽しんだマンガでした。でもその死は長い闘病を経ての死でしたから、私にとってはそれほどの衝撃はありませんでした。
 赤塚の葬儀でのタモリの弔辞が評判だったことを、講師室のよもやま話で知りました。 タモリによる赤塚不二夫への弔辞。タモリにとっては、人生で初めての弔辞だそうです。弔辞といっても書かれた文章を読んだのではありません。白紙を広げて、亡き人へ語りかけたのだそうです。
 以下、引用します。
==============
弔辞 
8月の2日にあなたの訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。

 私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。
 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。

 自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
 あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。

 私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。
 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。 私もあなたの数多くの作品のひとつです。合掌。
 平成20年8月7日  森田一義
==================== 

 「ギャグによって物事を無化する」とは、これから「タモリの名言」として伝えられるだろうと思います。赤塚マンガの本質をひとことでズバッと言いきった鋭い批評性を持つ言葉。「ことば」をつかって商売をしているすべての人間にとって、核心をつかれた思いのすることばです。

 実に見事な赤塚の伝記でもあり、タモリとの長い交友の歴史回顧でもあり、両者の人柄も彷彿とさせる弔辞だと思います。
 ひとつだけ、「現代」を感じさせる部分をあげるなら、旧世代の人間なら「お礼を言わせていただきます」と言うべきところを、日本語変化の最前線に身を置くタモリなので「お礼を言わさせていただきます」と、「サ入れ敬語」をつかったこと。

 講師室で「タモリの弔辞」が話題になったのも、「言わさせていただきます」が、このような「人前での正式な言辞」に登場した例として、これから例文に取り上げられるだろう、という話の流れでのことでした。テレビのバラエティ番組などでは、もうだいぶ前から「サ入れ敬語」は頻出していましたけれど。

 学生達が「明日の授業やすまさせていただきます」と言うたびに、「それ、サ入れ敬語っていって間違いだから、休ませていただきます、と訂正しておかないと、就職試験で落ちるよ」と、現在のところは注意していますけれど、もうすぐ「まちがいです」と言わなくてもよくなるかも。

 日本語は時の流れのなかで変化してやまず。 去りゆくものへの「餞(はなむけ)」が弔辞であるなら、私の中に去っていった暦ひとまわりの歳月に対して、私もこう言いたい気がする。「これでいいのだ」
 たいした半生でもなかった春庭も、臆面もなく自己肯定を「言わさせていただきました」

八月の鯨ノベライズ(後)

2012-02-24 16:32:59 | 日本語言語文化

 ポーチでは、リビーがひとり風に顔を向けていた。ティシャとセーラの明るい笑い声がポーチにも響いてきた。
 「ふたりですっかりはしゃいでるのね」おいてきぼりのリビーはちょっとおもしろくない。
 「楽しく笑うのが一番よ」ティシャはリビーのことばにもおかまいなしだ。

 居間に戻ったリビーに、ティシャはブルーベリーをすすめた。「リビー、あなたはひごとに若返っていくわ。ブルーベリーいかが」
 「ありがとう」リビーはすなおにベリーをつまんだ。
 「歩き回ったけど、その割りに摘めなかった。昔はもっととれたのに」と、ティシャは昔に比べて収穫が減ってきたブルーベリーの木々についてぼやいた。
 リビーは「尼僧たちのせいよ」と断定した。
 「尼僧ですって」ティシャは聞きとがめる。
 「まるでペンギンみたいに荒らし回るのよ、彼女たち」リビーは尼僧にも厳しい。

 「ねえ、悲しいお知らせがあるの」ティシャはあらたまって、言い出した。
 「なによ、ティシャ」リビーがたずねる。
 「ゆうべ、ヒルダが亡くなったの。だから、マラノフさん、住む場所がなくなっちゃったってわけ」ティシャは島の動静を知らせる。
 「次ぎに幸運の女性になるのは、誰かしらね?」リビーは、マラノフが次ぎにまた、どこかの家に入り込むだろうと考えている。
 「さあね、ご本人にもまだ次のあてはないらしいけど」
 「ヒルダはまだ若かったのに」セーラはヒルダを悼んだ。
 「ヒルダは83歳だった。もう寿命よ」リビーは冷静だ。
 「ブリッジの好敵手を失って残念だわ」ティシャには遊び仲間をうしなったことが痛手だ。
 ティシャの島民情報はつづく。「そうそう、あの人ついに補聴器をつけたの」
 「あの人って?」
 「アリスよ。急にブリッジが強くなったと思ったら、耳が聞こえるおかげだったってわけ」

 ティシャのうわさ話の種になっているとも知らないマラノフは、つり上げた魚をビクに入れ、まあまあな釣果に満足した。マラノフは、セーラの家へ向かって歩き始めた。釣った魚をおすそわけすると約束したことを果たさなければならない。

 ティシャのうわさ話は続いていた。「チャーリー、知ってるでしょ。若いウェートレスと結婚したのよ、あの人」
 「まさか」
 「ほんとよ」
 「恥知らずなことね。でも無理ないかも。亡くなった奥さん、品評会に出したら、ビリ確実な人だったもの」リビーの毒舌も相変わらず続いている。
 「リビー、あんたの冗談はきついわね。でも、チャーリー、奥さんの墓参りはちゃんとやってるみたいね」

 台所へお茶のおかわりを取りにいくティシャにセーラが気遣う。「ティシャ、あなたこそ関節炎の調子はどうなの」
 「相変わらずよ。出たりひっこんだり。私の若い主治医先生が言うのよ。長生きしたタタリだって」ティシャはお茶を入れ直しながら答える。
 リビーの辛辣発言がつづいた。「あんたのその先生は口の利き方が最低ね」
 「でも、すごくかわいい若い先生だから、何言われても許しちゃう」

 ティシャは窓の外にマラノフを見つけた。「あらま、マラノフ氏だわ」
 「ティシャ、中へお招きして」
 セーラのことばに、ティシャはドアをあけた。
 「まあ、マラノフさん、どうぞお入りになって」ヒルダが死んだうわさ話をしていたことなどおくびにも出さないで、ティシャは愛想良く挨拶する。
 「タウティさん、驚きましたな、朝、浜でお会いしたときよりも美しい」マラノフのお世辞もますます調子がいい。
 「まあ、私の遺言がますます楽しみになるわね。さ、こちらへ」
 「こんな魚さしあげても、生臭くてご迷惑かと思いますが」マラノフは約束の魚を差し出した。
 「喜んでいただきます。ティシャ、冷蔵庫へいれておいて」
 「ええ、セーラ」ティシャはマラノフから魚を受け取って、台所へ行った。

 「お茶をいかがですか」
 「どうもありがとう、いただきます」
 「リビー、マラノフさんよ」居間にいるリビーにセーラが紹介すると、マラノフは丁寧に挨拶をした。「また、お目にかかれて、光栄です。ストロング夫人」
 「礼儀を知る最後の紳士だわ」セーラはマラノフのものごしが気に入っている。
 「みなさんと楽しいひとときをすごせること、うれしく存じます」マラノフは、椅子をすすめられて、腰をおろした。
 ティシャが新しいお茶を持ってきた。「さ、お茶よ。お砂糖とクリームは?」
 「いいや、けっこうです」
 「よくいらっしゃいました」セーラのことばにマラノフは「ありがとう、実に楽しい日です。魚もよく釣れたし、このような楽しい集まりに加えていただいて、、、」

 そこへ、一仕事おえたジョシュアがけたたましく入ってきた。
 さっそく丁寧な挨拶を、と立ち上がったマラノフに、ジョシュアは「挨拶は抜きで願います、マラノフさん。みなさんとごいっしょしたいところですが、キニー夫人の所へ行くのでね。ルーズベルト夫人と同じ修理好きな方でさ。ところで、見晴らし窓のことは考えてもらえましたか」
 セーラが答える前にリビーは先回りして答えた。「いろいろかんがえたけれど、窓はいらないわ」
 ジョシュアは残念そうに「今なら材木も安いのに」と、出ていった。

 「窓を作らないなんて、残念だわ。ここから月が眺められるのに」ティシャの言葉にマラノフも同調する。
 「月をながめて夕食なんて、すばらしいですな」
 「そうね、残念ね。今夜はたしか、満月よ」と、ティシャ。
 「わたしの所からじゃ、月も見えません」
 マラノフのことばに、セーラが申し出た。「マラノフさん、お魚を下ろしてくださるなら、夕食と月の光をさしあげますわ」
 「身に余るおことばです。喜んで魚を下ろしますよ」マラノフは大喜びだ。
 「私は魚、食べませんよ」リビーは不機嫌だ。「骨があるからね。昔から骨のある魚は苦手だから」
 「そうですね、そのとおり、骨はやっかいなものです」マラノフはリビーの気むずかしさにまだ馴れていない。

 「お茶、もう一杯いかが、マラノフさん」
 「ありがとう、いただきます」
 セーラはお茶をつぎながら「このたびはご愁傷様でした」と、マラノフにお悔やみを言う。
 「悲しい話はやめましょう」マラノフは、ヒルダの死にふれてほしくないようで、話題を変えようとした。
 「タウティさん、今も車の運転をしてるんですか?モデルAに乗っているんでしたね」
 「そうね、あの車どうしたの?」セーラがたずねると、ティシャはつらそうに「ガレージにおいてあるわ」と答えた。ティシャも話題を変えたそうだ。
 それをゆるさず、リビーが「何があったの?」と、追求する。
 「よその人には絶対に話さないでね。実はね」ティシャが話し出した。「長年運転してきて、ずっと無事故だったの。なのに、買物してるとき、バックでぶつけちゃったの。軽くぶつけただけだったのに」
 「免許取り上げられたのね」リビーが察する。
 「一時停止ってだけよ」
 「それじゃ、まだ望みはありますね」マラノフが言った。
 「ええ、そうね。半年たったら、もう一度試験を受けなおせって言われたわ。六ヶ月先よ。ずいぶん先じゃないの」ティシャは悔しさがこみあげてきて、涙ぐんだ。家からここまで歩いてきたのも、ブルーベリーを摘むということを口実にはしたけれど、実のところ免許を取り上げられるような年齢になったことを突きつけられてのことだったのだ。
 「まあ、そのくらいの期間は、気分転換と思えば、、、」マラノフのことばもなぐさめにはならない。
 マラノフは、口先のうまさを発揮してティシャを元気づけようとする。「あなたの姿をみれば、車はみな止まりますよ。あなたが親指をあげて立っていれば、魅力的で神秘的で、運転者はみな挑発されます」
 「ま、マラノフさん、冗談がおじょうずね」ようやくティシャの機嫌もなおった。

 「正午の汽笛がきこえるわ、もう帰らないと」ティシャが腰をあげた。
 「お宅へは通り道ですから、ごいっしょしましょう」マラノフも立ち上がる。
 「ええ、私の最後のナイトだわ。すてきね」ティシャはまんざらでもなさそうだ。
 「失礼しますストロング夫人」マラノフは最後まで紳士的に挨拶をする。
 「ええ、良い一日をね」リビーはそっけない。
 「5時においでくださいね、マラノフさん」セーラが招待を確認すると「ええ、伺います。ありがとう」マラノフはティシャと居間から出ていった。

 ポーチの風を冷たく感じたティシャが寒がると、マラノフは「昔なら、マントを着せかけるところですが」と、いいながら、自分のジャケットをティシャに着せた。
 「ウォルター卿みたいだわね」ティシャは遠慮しながらもジャケットを羽織り、マラノフにエスコートされて帰っていった。エリザベス一世にマントを差し出したウォルター卿になぞらえられたマラノフは、せいいっぱいの紳士ぶりを発揮して、アジサイの小径を下っていった。

 午後の庭を歩きながら、「もうしばらく公園へ行ってないわ」リビーが言い出した。
 「ここだって、公園みたいよ」セーラのことばに「でも、白鳥がいないわ。マシューと私、よく公園のベンチにすわったわ」と、リビーは昔をなつかしむ。
 「フィリップはだめだったわ。長く椅子にすわってられない人だった」セーラも夫との短かった結婚生活を思い出す。
 「せっかちなひとだったわ」

 昼下がりの光の中を、ふたりは海辺へ出ていく。
 「白鳥はつがいが生涯添い遂げるの」リビーがセーラに教えた。
 「ほんと?」
 「あんたも、フィリップと生涯いっしょだと思ってるんでしょ」
 「もちろんよ」セーラは思い出のなかのフィリップと添い遂げているのだ。
 「でも、一人で残っちゃって、人生ままならないものね」
 「明日はフィリップと私の結婚記念日よ」
 「マシューと私の結婚記念日はバレンタインデーよ」
 浜辺に腰掛けたふたりの思いは再び、昔へと戻っていく。
 「あなたとマシューの式で、私、介添え役つとめたわ」
 「あんた、私のドレスのすそを踏んづけたわね」

 「セーラ、あんたと私たち夫婦とで、西部を旅行したことあったわね。前の大戦が終わったとき」
 「ええ、フィリップが戦死して1年後よ」
 「そうね、私とマシュー、あんたを元気づけたかった。でも、あんたは自分のカラに閉じこもって、ひとりで寂しそうにしていた」
 「あなたが、マシューと仲たがいするから、心配してたのよ」
 「それはおもいすごしだったわね、セーラ。夫婦で年中ベタベタする必要なんかないのよ」

 家に戻ったリビーを気遣ってセーラが昼寝をすすめた。「マラノフさんが夕方みえるまで、休んでいた方がいいわ」
 「あの人、私のお客じゃないわ」リビーは、セーラがマラノフを招待したことが気に入らないのだ。
 「ふたりのお客よ」
 「私は招待していないし、魚も食べないわ」
 「あなたのはボークチョップにするから」
 リビーは部屋に入ってしまった。

 セーラはディナーに着るドレスを選びはじめた。夕食のためにドレスアップするなんて、久しぶりのことだ。
 セーラは小箱から手紙の束を取り出して、物思いにふける。
 リビーもベッドに横たわったまま、昼寝をする気分にはならなかった。リビーもまた小箱を出して、夫との思い出をたどる。目が見えないリビーには、もう夫の手紙を読むこともできない。リビーは夫が記念に同封してくれた鳥の羽をほおにあて、情熱を共有した、夫婦の若い頃の思い出にひたるのだった。

 夕方、セーラはディナーの準備に忙しかった。一番上等の食器セットを用意し、新しいテーブルクロスの上に並べる。
 「リビー、あと1時間でお客様がみえるのに、まだ着替えてないの。花模様のシフォンはどうかしら」セーラはテーブルセットに余念がない。
 「着替える必要なんかないわ。甘い顔見せると、あの人、一生ここに居着くわよ。せかせかして、いつも忙しそうね、セーラ。ティシャを見習ったらどう」
 「どういう意味?」
 「ティシャは、運転免許をあきらめたのよ」
 「まさか、そんなこと」
 「もう運転しなくてすむようにね」
 「そんな馬鹿な」
 「あんたも、目が悪くなってみれば、こういう気持ちがわかるわ。全部あきらめるって気分が」
 「いい加減なこと言って、リビーったら」
 「私は今、耳が敏感ですからね」
 「もう、いいわ、それより、着替えをしてちょうだい」
 「あんな人のために、着替えなんかするもんですか」
 「どうしてよ」
 「他人だわ」
 「でも、お客よ」
 「この家にあんな男必要ないわ」リビーは不満を隠さない。
 さすがのセーラもついに口にした。「ここは私が相続した家よ。だれを招待しようと、私の好きでしょ」
 セーラの思いがけない反撃に、リビーも言ってしまう。「あんたが未亡人になったあと、15年間も世話した恩を忘れないでよ」
 セーラも負けずにことばをかえした。「そう言うなら、おあいこよ。私があなたを世話してから15年。15年と15年だもの」セーラは台所へ向かう。

 「もどりなさいよ、セーラ、戻って」リビーの命令に、はじめてセーラは従わなかった。
 台所のオーブンでは、マフィンが黒こげになっていた。「まあ、たいへん、あなたとしゃべっていたせいで、マフィンを焦がしたわ」セーラはいつになく腹をたてた。
 リビーも言い過ぎたことを後悔した。「やめましょう、ケンカなんて。マフィンのことはもういいわ」
 「着替えてよ、リビー。私たちは姉妹だけれど、同じじゃない。まるで違っているのよ」
 「セーラ、私たちは同じ頑固者の血筋なのよ。でも、もう残り時間はわずかだわ」

 海辺を夕焼けが染め出した。マラノフは正装して、庭の花を摘んでいる。レディへのおみやげだ。

 セーラに花を差し出すマラノフ。「まあ、すてきな色の組み合わせね」
 「では、さっそく魚をさばきましょう。料理の腕が落ちていないといいけど」マラノフはエプロンをかけて、料理をはじめた。
 「大丈夫よ」セーラがうけあう。
 「いや、わからないですよ」

 セーラは、マラノフに魚料理をまかせて着替えを始めた。髪をととのえ、顔にパフをはたく。心ときめく思いで鏡に向かうなんて、久しぶりのことだ。
 おめかしして居間に出てきたセーラに、マラノフは得意の弁舌をふるう。「美しいです。とてもすばらしい」

 セーラとマラノフは、ポーチから海に沈む夕陽をながめた。
 「なんてすばらしいんだろう。こんな楽しい気分は久しぶりです」
 「よかったわ、退屈なさるんじゃないかと心配していたんですけれど」
 「退屈なんて、とんでもない。どうしてそんなことを」
 「わたしたちは、平凡なつまらない姉妹ですから」
 「そんなことありませんよ」
 「うれしいわ。そうそう、明日の朝、鯨を見に行きませんか」
 「ええ、ぜひ。これまで鯨を見たことはないんです」
 「毎年来るんですよ」
 「ほんとですか」
 夕陽は静かに海のなかへ落ちていった。

 居間のろうそくに火がつけられた。マラノフの作った魚料理、リビーのためのポークチョップがテーブルに並ぶ。
 「夕食よ」セーラの声に、リビーが居間に出てきた。花柄のシフォンドレスを着て、胸を張って歩く。
 マラノフが挨拶し、座ろうとするリビーの椅子をひいてエスコートした。自分で座ろうとするセーラにも、マラノフはすかさず駆け寄って椅子をひいてやる。
 ぎこちない雰囲気のまま、夕食がはじまった。

 マラノフは、ロシアの亡命貴族という身の上話を続けている。これまで、この話を元手にさまざまな家庭を渡り歩き、食事をともにしてきた。
 「冬にセントピーターズバーグに帰ると、大公だった私の伯父が優雅なもてなしをしてくれました。ワイン、ご夫人がたとのワルツ。ドレスのすそが軽やかに床の上をすべる、、、」
 「ほんとに、おいでいただいて、うれしいわ。ロシア王朝の一員をお招きできるなんて、貴重なことだわ」感激するセーラに、マラノフは「大昔に消えた夢です」と言う。
 リビーはいつもの皮肉な調子で「そんなに謙遜することありませんよ」というが、セーラはその調子を気にせず「そうよ、貴族であったことにはかわりないわ」と、マラノフを持ち上げる。
 「なにしろすべて過去のことですから」マラノフは在りし日の栄華を謙遜する調子をくずさない。
 「ティシャが写真のことを言ってましたけど」セーラのことばで、マラノフはポケットから母親の写真を取り出す。
 「すみません、リビーさん」見ることができないリビーに遠慮しつつ、セーラに写真を見せた。
 「母です。冬宮殿にいるところ。確か1910年でした」
 見ることができないリビーは「写真は消えるけれど、思い出は残ります」と、強い調子で言う。
 「いや思い出も消えていきますよ」マラノフは寂しそうにつぶやく。
 「私の思い出は消えないわ」むきになるリビー。
 セーラは雰囲気を変えようと「コーヒーをお持ちするわ」と、台所へ立った。

 リビーとマラノフは、きまずい雰囲気で居間のソファにすわった。
 「もうじき労働者祭がきますね。悲しい祭日です。冬への入り口ですから」マラノフが口にする。
 「それで、マラノフさん、どこで冬ごもりをなさるの」
 「そうですね。島から本土へ戻って、アパートでも借りますよ」
 「故郷から遠く離れて住むのね」
 「ええ、冬の寒さはどこも同じです」
 「あなたほどの方なら、冬には南のほうでおすごしになるかと思いましたが」リビーは皮肉をこめていった。
 「生活を切りつめておりますので」マラノフは率直に応じた。
 「実際的な方だったのね」
 「なにはともあれ、生き残ることが先決です」
 「その通りね」

 満月が夜の海を照らしだした。
 「ロシアから亡命してパリへいらっしたの?」コーヒーをすすめて、セーラがマラノフにたずねる。
 「ええ、パリへ」
 「セーラもパリへ行ったことあるじゃないの。刺激的な町だわ」
 「人によって感じ方は違うでしょうね」マラノフにとって、パリはいい思い出ではないらしい。
 「ここは刺激のない町よ」リビーのことばに、マラノフは「でも、本物の喜びがあります。夕陽や月や、明日は鯨も見られる」とことばを返した。
 「でも、パリといえばシャンパンだったわ」セーラも昔をなつかしんだ。
 「シャンパンなんて頭痛のもとよ」リビーはなんにでも文句をつけたがる。
 「パリでは、私たちも少し派手にやって、夢を満たそうとしました。でも、しょせん、一時の輝きにすぎなかった。我々亡命貴族は、滅びてゆくのみです」
 「あなた、まだ滅びてなんか、ないじゃない」リビーの皮肉の調子が上がってきた。
 「ええ、そうです。確かにまだ、ここに生き残っています」
 「お一人で生きてらっしたのは、勇気のいることだったと思うわ」セーラは感服している。
 「そんな、たいしたことじゃありませんでした。多少の意志の力があったから」
 「そう、それが財産なのね」リビーはまた辛辣なことばを準備はじめた。

 「ええ、意志の力が財産です。今でもはっきり覚えています。皇太后陛下が亡くなったとき、我々は喪に服し、母は一週間口もきかずにいました。でも、ある朝私を呼んでこういいました。ニコライ皇太后は逝去されました。私たちはもうおしまいよ。お前はひとりで世の中にでていかなくちゃならないわ。そう言って私にハンカチを手渡しました。母の持つすべての宝石がつつんでありました。母は言いました。必要なとき、この宝石を使いなさい。でも、最後を迎えたときに、その使い方を後悔しないやりかたでお使いなさいってね」
 マラノフはポケットからハンカチを取り出し、中に包まれていた指輪を取り出した。「そして、これが最後に残ったひとつです」
 「まあ、エメラルドね、リビー、さわってごらんなさい」
 マラノフは宝石をリビーの指にさわらせた。
 「エメラルドなの。莫大な価値があるんでしょうね」
 「ええ、死ぬまで使っても使い切れないお金になるでしょう」
 「あなたは幸運な方ね」リビーはマラノフを評していう。
 「ええ、そう思いますよ」マラノフが答えた。

 「えっと、それでこの夏はどこに行くんでしたっけ」リビーが話を戻した。「そうそう、ヒルダのところでした」
 セーラはあわてて「ヒルダさんは、ご不幸で」とリビーに注意する。
 「そうでした、お気の毒でしたわね。お悔やみしますわ、マラノフさん。それで、このあとはどこで」
 「いや、まだ」リビーの皮肉な調子に気づいたマラノフが言う。
 リビーはたたみかけた。「それじゃ、ご忠告申し上げますわ。今すぐつぎの隠れ家を探し始めた方がいいですわ。でも、言っとくけど、ここはあてにしないでくださいね」
 「人生で得た教訓は、期待するなということです、ストロングさん」マラノフがリビーの言いたいことに気づいて答えた。

 「もう遅いわ、私、やすみますからね」リビーは言いたいことを言ってしまうと、自室に戻っていった。「おやすみなさい、マラノフさん」
 礼儀正しいことをモットーにしているマラノフも、さすがに返事を返す気持ちにならなかった。マラノフはだまってドアから出ていった。
 セーラがポーチにいるマラノフを追う。

 「実に非凡な方ですな。お姉さんは。ムダ口はきかない」
 「偏屈だから」セーラは申し訳ない気持ちでいっぱいになって言う。
 「今朝、おじゃましなければよかったんです」
 「そんなこと」
 「いや、ほんとに。カンのいいお姉さんに、私の意図を見抜かれた。これで、明日からまた流浪の身の上です」マラノフは自嘲気味に言った。
 「お気の毒です」セーラには、それ以上のことばがみつからない。
 「いやいや、これまでもよるべない人生をうまく渡ってきました」と、マラノフは答えた。
 「この長い年月、どうやって暮らしていらっしたの」
 「友人をたよりに過ごしてきました」
 「自由な暮らしっていうことかしら、うらやましいわ」
 「はは、あなたはロマンチストですね」
 「人生が長すぎたって思うことは?」
 「なかったですよ」
 「寿命以上に生きたとしても?」
 「終わりがきたときが寿命です」

 夜の海は月光に輝いている。
 マラノフは海を指していった。「月が波間に銀貨をばらまいています。あれは、だれにも使えない宝物です。じゃ、もう行かないと」
 「じゃ、明日の朝、、、」セーラの申し出をマラノフが遮った。「いや、今夜お別れしましょう。またとないすばらしい夜をすごさせていただいた。いつまでも忘れません」
 「また、いつでも喜んでお迎えしますわ」セーラはせいいっぱい申し出た。
 マラノフはセーラの手にキスの挨拶をして戻っていった。「おやすみなさい。鯨とのランデブーを楽しんでください。鯨を待たせちゃだめですよ」

 セーラとリビー、いつにないふたりの間のぎくしゃくとした思いを沈めるように、夜の海は月の光を帯びて時を流していく。

 リビーは苦しい夢にうなされていた。「セーラ、セーラ」夢の中で助けを呼ぶが、セーラには届かない。

 セーラはテーブルに赤と白のバラ二輪を置き、夫の写真を飾った。ワインをあけ、一人静かに記念日を祝うつもりなのだ。
 「46年目ね、フィリップ。46本の赤いバラ、46本の白いバラ、そしてワイン。白は真実、赤は情熱って、いつもあなた、そう言っていたわね。情熱と真実こそ、人生のすべてだわ」
 セーラは宝物の小箱から、夫の写真が入ったロケットを取り出してそっと口づけた。
 「あなたが生きていてくれたなら、、、、リビーをどうしたらいいのかしら。とても気むずかしくなって、マラノフさんにつらく当たったわ。見晴らし窓もいらないって言うし、もう人生は終わったんだって言うのよ。これ以上つきあいきれないわ。あなたが生きていればいいのに」

 セーラは古い蓄音機のハンドルを回し、レコードに針を落とした。思い出の曲が流れる。セーラの思いは46年前、フィリップとの出会いのころに飛んでいく。若いセーラは、古風なヒモ結びのコルセットをつけて、フィリップと会っていた。
 「わたしのコルセットは結び目が多くて複雑よ、、、、あなたは、こう答えた。これじゃ、全部ほどく前に月が沈んでしまう。わたしは言ったわね、ダメよあなた、絶対に全部ほどかせないわ、たとえ、あなたでも。だって、私の神秘がなくなってしまうわ。全部ほどかれたら」情熱の赤いバラをほおにあて、セーラは夫との短く終わった結婚生活の思い出にひたった。

 「セーラ!」リビーの声が、居間に届いた。「セーラ!セーラ!」リビーが自室から飛び出してきた。
 セーラは驚いてレコードの針をもどした。「どうしたのリビー」
 「あなたが、見つからなかったのよ」リビーはセーラの腕にしがみつき「あんたを呼び続けたのに、行っちゃったわ。それで私、夢中で走って、やっと戻ってきたの。するとあんたは座っていた。岩場の一番はしっこに。ぞっとしたわ」
 「わたしはだいじょうぶよ。この通り無事だわ」サラはリビーを落ち着かせようと言った。
 「あんた、『死』につかまりそうだった。もう少しだった」リビーはおびえていた。
 「ベッドに戻って、リビー」
 「死は、ここへきたのよ。私たちを捕まえに」
 「違うわよ。あなたが死ぬのは勝手だけど、私の命はまだ終わりじゃないわ」セーラはろうそくを吹き消し、宝物の小箱を持って自室へむかった。「もう、休むわ、おやすみリビー」

 居間に残されたリビーは、テーブルの上のフィリップの写真立てやバラの花に気づき、セーラに直接言えなかったことを口にした。「結婚記念日おめでとう、セーラ」
 リビーは居間の揺り椅子に座り、胸のペンダントをまさぐりながら、日の出前の薄明に顔をむけた。

 夏の終わりの海を、日の出が照らし始めた。静かな夜明け。
 朝の居間で、セーラはフィリップの写真とろうそく立てを暖炉の上にもどした。ひとりで祝った記念日が終われば、セーラにはまた、いつもと変わらない日常がつづく。

 「セーラ・ルイーズ!」めずらしくリビーがミドルネームをつけて呼んでいる。「セーラ・ルイーズ!」居間に出てきたリビーは、すでに着替えを終えていた。
 「何よ、リビー」リビーがミドルネームつきで自分をよぶときは、何かあらたまったことを言いたいにちがいない。
 「セーラ、あんたに迷惑をかけたくないの」
 「わかってるわ」
 「あれは、悪い夢だった」
 「そうね」
 「ひどく、うなされて」
 「そう思うわ、リビー」夕べのマラノフへの仕打ちを、まだセーラは許す気になれなかった。いつも勝手なリビー。頑固で偏屈なリビー。
 「マラノフさんが鯨を見にくるんでしょ」リビーがたずねた。
 「いいえ、リビー、マラノフさん、いらっしゃらないわ」
 リビーは、マラノフへつらい言葉を投げかけたことを思い起こす。セーラが怒っているのも無理ない、とリビーにも思えた。
 「あんた、私と別れたいって考えているんじゃないの」リビーは、不安を口にした。
 「それが、一番いいやりかたかもね」セーラもゆうべからのわだかまりをそのまま言ってみた。 
 「でも、私たち、ずっと一緒にやってきたじゃない。それを今さら」
 「もう、私は必要ないでしょう、リビー」セーラは、テーブルクロスをたたみながら答えた。
 「それで、どうするつもり?」
 「この冬は、島に残ろうと思うわ」セーラは、本土に戻るつもりがないことを口にした。
 「ティシャといっしょに?」
 「たぶんね」
 「そして、竜ゼン香でも探すの?」
 「まあ、そんなとこね」
 「セーラ、髪をとかして」リビーはブラシを差し出した。
 いつもと同じように、セーラはリビーの髪をととのえてやる。「それで、リビー、あなたはどうするつもり」
 「そうね、娘のアンナの家へでもいくわ。そして話し相手をみつけてもらうわ。娘なら、それくらいしてくれるでしょうよ」
 「もちろん、そうしてくれるわよ」セーラが言う。これまでの母娘の不仲が、解消されることはないかもしれないけれど。
 リビーは「人生は私にはイジワルだわ。しみじみそう思う」と言い、髪をまとめ上げないうちに立ち上がった。自室へ戻りながらセーラにたずねる。「私の髪、白鳥みたいに真っ白かしら」
 「ええ、そうね」セーラが答えた。
 「お母さんと同じくらい、白い?」
 「ええ、その通りよ」
 「私は美しい髪してたわ。見事な髪が自慢だったのよ」
 リビーは自室にこもり、セーラは部屋の片づけをつづける。

 窓の外に車が止まり、ティシャが見知らぬ男の人をともなってやってきた。「こんちわ、こんちわ」
 「ティシャ」ドアを開けてサラは、二日続きでやってきたティシャを招き入れた。
 「おはよう、セーラ、こちら、不動産屋のベックウィズさん」ティシャは男性を紹介する。「ヒルダの家を見にきたのよ」
 亡くなったヒルダの家は、さっそく売り出されることになったようだ。
 「はじめまして」不動産屋は、はやくも品定めの目つきで家の中を見回す。
 「私とセーラは50年来の友達で、姉妹同様よ」ティシャは、不動産屋をつれてきたことがセーラのためになると、確信していた。

 「どういうご要件でしょうか、ベックウィズさん」セーラは問いただした。
 「ええ、タウティ夫人からこの家の売却をご希望とうかがいまして」
 「ティシャ」セーラは納得できない。
 「昨日、話したでしょ。いい機会だと思ってね。鉄は熱いうちにうてと言うじゃないの」
 「それこそ、商売のコツですな」不動産屋はティシャをもちあげる。
 「ええ、ありがと」
 ベックウィズは遠慮無く値踏みを始めた。「防寒は不備ですね」
 「私の伯父が半世紀以上まえに建てたんです」
 「そうですか」ベックウィズは部屋から外を見て「ながめは抜群ですな」と言う。「この眺めなら、高値がつく」
 「お値段、いくらくらいになりますの」ティシャがすかさずたずねた。
 「寝室はいくつありますか」不動産屋は部屋数を確認する。
 「三つですが」セーラが答えた。
 「二階を拝見」不動産屋は階段をのぼりかけた。
 「だめよ」セーラは言った。「下りてください」
 セーラは不動産屋にきっぱり告げた。「タウティ夫人の思い違いよ。この家は売りません」
 不動産屋は見込み違いを理解して「どうもおじゃましました」と、帰っていった。「どうも失礼しました。もしまた、ご用の節は、、、、」
 「私も失礼するわ」親切のつもりであてがはずれたティシャも腰をあげた。
 セーラもひきとめない。「私も仕事があるから。冬になったらフィラデルフィアにたずねてきてね、ティシャ」
 「セーラ、私、ただ、、、、私たち一番の親友でしょ」ティシャは先回りして気をきかせたつもりが、ただのおせっかい終わったことを取り繕おうとした。
 「差し出がましいことだわ」セーラはきっぱり言った。ティシャの気のよさはわかっているけれど、たとえ彼女でも、セーラとリビーの姉妹の仲に割って入り込むことはできないのだ。

 「何も、問題ないわよね」ティシャは、リビーとセーラの仲を気にしていた。
 「もちろん、だいじょうぶ」セーラは答えた。
 「さよなら、セーラ」
 車を運転できない今は、ティシャがこの家へ来るのもめっきり少なくなることだろう。

 思いがけない客が去ったあと、セーラは思いを込めて部屋を見渡した。母の写真、家具、暖炉、みな、なじみの自分の一部だ。
 暖炉の上の夫の写真にセーラは語りかける。「私たち、この家を出ないわ」

 「また、ひとりごと言って」と、リビーがとがめながら部屋から出てきた。「今の、ティシャだったの?」
 「そうよ」
 「男の人の声も聞こえたわね」
 「ティシャの連れだったけど、追い返したわ」
 「そう、それはよかったわ」リビーはいつもの窓際のいすに腰掛けた。
 セーラはリビーに仲直りのことばをかけた。「私、少しも迷惑してないわ」
 「あんた、よくしてくれてるわ、いい妹よ」

 がちゃがちゃと、いつものけたたましさで、ジョシュアが入ってきた。「どうも、おじゃましますよ。おはようございます」
 「ま、ジョシュア、何のご用?」リビーが声をかける。 
 「レンチをなくしちまってね」
 「あら、きのう修理していた場所にあるんじゃないの?」セーラがいうと、ジョシュアはさっそく探しに出ていった。

 「少し、朝ご飯を食べなきゃ」セーラはリビーに言ってみる。
 「ええ、いただくわ」
 「じゃ、運んでくるわね」

 「見つかりましたよ」ジョシュアの声が響いた。
 「あんなにやかましい人はどこにもいないわね」やれやれという調子でリビーが言う。
  「おじゃましましたね、どうもすいません」ジョシュアはレンチを持って帰りかけた。

 「ブラケットさん」リビーが呼び止めた。リビーが正式な名を呼ぶのは、あらたまって話をするときだ。
 「なんでしょうか、ストロング夫人」
 「見晴らし窓を作るには、何日くらいかかるの」リビーがたずねた。
 思いがけない質問に、セーラとジョシュアは顔を見合わせる。
 「そうさね、2週間もあれば」
 「今なら、材木も高くない時期なんでしょ」リビーの質問は、セーラにはうれしいものだった。
「労働者祭までには仕上がるの?」リビーは質問をつづける。
 「あ、でも、昨日は、、、」ジョシュアは昨日きっぱりと断られたので、リビーの気が変わった理由がわからない。
 「私たち姉妹で決めたことなのよ。あんたに作ってもらいたいってね。できるだけ早く見晴らし窓、仕上げてね」
 ひとことも見晴らし窓の話などしていないけれど、セーラにはうれしいリビーの心変わりだ。
 「それじゃ、さっそく材木を注文しますよ。みなさん、ほんと気をもませる方達だ」ジョシュアは請け合って去っていった。

 「気持ちのいい朝みたいね」リビーが窓の外に顔を向ける。
 「そりゃあ、美しい朝よ」とセーラ。
 「岬まで行きましょうよ」リビーが朝の散歩を提案する。いつものように、セーラにむかって、手を差し出す。セーラの手がリビーの手をしっかりと握りしめる。

 いつもの麦わら帽子をかぶり、いつもより少し冷え込んだ朝の空気の中を、姉妹はゆっくりと歩いていく。

 ふたりの古びた家。古い時計も、年代物のお皿やカップも、白と赤のバラをさしてあるガラスの花瓶も、みないつもとおなじように、朝の光をあびている。
 暖炉の上の写真たちにも、おなじように朝の光があたり、同じように時がながれていく。若い頃のリビーとセーラの写真。あのころと同じように、ふたりは海辺への道を歩いていく。

 岬のうえで、リビーは海に顔をむける。海は朝の光を反射している。
 「どう、鯨、見える?」
 「もう、いっちゃったみたいね」セーラはリビーの手をにぎったまま答える。
 「いっちゃったかどうか、わかるもんですか。そんなこと、わからないわよ」
 
 そう、鯨は明日来るかも知れないのだ。ふたりが見つめる大海原を、鯨は確かに泳いでいるのだから。
 夏の終わりに、鯨はきっと来る。

 冬が来る前に、新しい見晴らし窓から海をながめる暮らしが、姉妹の時間のなかにやてくるだろう。 
 そして、来年の夏は、またきっとめぐってくる。

<八月の鯨 おわり>

八月の鯨ノベライズ(前)

2012-02-23 18:12:34 | 日記
2012/02/24
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>『八月の鯨』ノベライズ(1)八月の朝
 この『八月の鯨』ノベライズは、視覚障害者のために企画しました。
 この映画の鑑賞を希望している友人A子さんは、全盲のため、字幕の洋画を楽しむことができません。映画『八月の鯨』ビデオには、吹き替え版がなく、字幕版のみです。
 A子さんから私に、この映画を鑑賞したいので、セリフ字幕部分を朗読してくれないか、とリクエストがありました。
 私は図書館の朗読ボランティアとして、A子さんと長年のおつきあいをしています。図書館で一冊の本を間にし、私は朗読し、A子さんは耳を傾ける、という読書をふたりで行ってきました。
 今回は、直接朗読をするのではなく、ノベライズとして、『八月の鯨』を文章化しました。パソコンの音声対応機種を使えば、他の視覚障害者も利用できると考えたからです。

 映画の著作権関係者の方へお願い
 一般書籍のなかに、「視覚障害者のための朗読テープ作成の場合、著作権を放棄する」と、明記されたものもあります。著作権を守ることは重要だと考えますが、視覚障害者のための、声テープ作成、パソコン音声対応文章化作品に対して、ご高配たまわれば幸いです。
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ノベライズ「八月の鯨」The Whales of August

<出演>
リビー  :ベティ・デイヴィスBette Davis (Libby_Strong)
セーラ  :リリアン・ギッシュLillian Gish (Sarah_Webbr)
マラノフ :ヴィンセント・プライスVincent Price (Mr._Maranov)
ティシャ :アン・サザーン(Tisha)
ジョシュア:ハリー・ケイリー・ジュニアHarry Carey Jr. (Joshua)
<スタッフ>
監督 : Lindsay Anderson リンゼイ・アンダーソン
脚本 : David Barry デイヴィッド・バリー
撮影 : Mike Fash マイク・ファッシュ
音楽 : Alan Price アラン・プライス
編集 : Nicolas Gaster
字幕 : 進藤光太 シンドウコウタ


 凪の海にさざ波をたてて、小さなボートが入江の中をすべっていく。モノクロの光の中に60年前のなつかしい光景が浮かび上がる。
 アメリカ東海岸。ニューイングランド、メーン州の海は今日も穏やかな光に満ちている。小さな島の入江。静かな避暑地に、別荘が建っている。

 若いティシャが入江の道を、別荘へ向かって走っている。白いワンピースのフリルと髪のリボンを揺らしてティシャは叫ぶ。「来たわよ、リビー」
 別荘のポーチに座っていたリビーが立ち上がった。テイシャは二階の窓へも声を届かせる。「見えたわ、セーラ」
 声を聞きつけて、セーラも二階の窓を開けた。
 「ティシャ、見たのね」「ええ、見えたわ、むこうよ、早く、早く、行ってしまうわ。走ってよ」
 セーラが別荘から飛び出してくる。
 「さあ、早く来て」と叫ぶテイシャと手をつないで、セーラは海辺へ向かって駆け下りていく。海岸に下りる道には、ふたりの母が丹精したアジサイが咲き誇っていた。
 「リビー、早く早く!」ふたりが騒ぎ立てる中、リビーはおっとりと帽子をかぶって出てきた。

 テイシャとセーラは、ボートの青年にむかって叫ぶ。「ランドールさん、鯨が見えた?」青年は「お早う、みなさん」とボートから挨拶をおくった。「鯨は来たの?」娘達の質問に、「今見えたよ、向こうで」と青年は答えた。

 リビーは落ち着いて岬から双眼鏡をのぞいている。波の向こうに、鯨の背が見える。「ねえ、リビー、見せてよ、早くして」三人の少女達は双眼鏡を奪い合うように、かわるがわる鯨を見つめた。
 毎年八月にやってくる鯨を、今年も三人の少女たちは、見ることができた。たぶん、来年も、その次の年も、、、
 セピア色に沈む思い出の海。波は穏やかに揺れ、ときは静かに流れる。

 60年後。
 島の海辺に、夏の終わりの波がうちよせている。別荘はすっかり古びているが、60年間変わらない夏の光が、庭やポーチにふり注いでいた。
 年老いたセーラが洗濯物を干している。セーラの髪はすっかり白くなり、背は丸くなった。しかし、家事をこなす手つき、海をみつめる瞳は昔のままだ。海風に洗濯物がゆれている。

 ロープに洗濯ばさみを挟むと、セーラは浜辺に目をやった。波打ち際にボートが近づいて来る。ボートから一人の老人が降り立った。老人は、ボートの持ち主ランドール老人に礼を言っている。「ありがとう、ランドールさん」
 「お気をつけて」と声をかけ、ランドールはボートをこいで去っていった。かってリビーやセーラに鯨の訪れを告げてくれたランドールも、60年分年老いている。

 古い家具が並べられている別荘の中。少女のころから、毎年夏になるとこの島にやってきて、この別荘で過ごしてきた。サマーハウスはリビーとセーラが年老いたのといっしょに、すっかり古くなってきたけれど、夏の暮らしは同じように続いている。物干しから戻ったセーラは、居間から「朝ご飯、できてるわ」とリビーに呼びかけた。返事はない。
 海風が白いカーテンをゆらしている。
 セーラは庭に出て、バラの花を摘み始めた。赤いバラ、白いバラ。リビーとセーラ姉妹の母が丹精をこめたバラの庭。バラの花のひとつひとつ、亡き母や、若い頃の自分や、若くして亡くなった夫の思い出が香りをたてているように思え、セーラは蕾のひとつひとつにもやさしいまなざしを投げかけた。
 
 リビーは自室から出て、「セーラ」と、呼んでみる。庭にいるセーラには聞こえない。ナイトウェアのリビーは手探りでお茶のポットをさがしあて、カップにそそぐ。年老いたリビーは目が見えなくなっている。視力を失って15年間、リビーは妹セーラの献身によって支えられてきたのだ。リビーは窓際のお気に入りの揺り椅子に座り、お茶を飲んだ。

 ボートから下りてきた老人が庭でバラを切っているセーラに、「おはよう」と挨拶した。「美しい朝ですなあ」
「あら、マラノフさん、ボートでいらっしたの?」
「ええ、ランドールさんのボートでね。美しいバラですね」老人はバラを誉めた。
「ええ、きれいでしょう。いい匂いよ」セーラはマラノフ老人に、つみ取ったバラを見せた。
「ところで、お願いがあるんです」ポーチでマラノフは礼儀正しく頼み事をはじめた。
「ええ、うちの浜で釣りをしたいのね、いいですよ、いつでもどうぞ」セーラは快くマラノフの釣りを許した。
 窓辺のリビーにもマラノフの声が聞こえている。マラノフの頼み事は、リビーには不満だ。なんで他人がうちの浜に。マラノフがなれなれしくセーラと話すのも気に入らない。

「お宅の浜の魚が島じゅうで一番です」
「あら、べつにうちの魚じゃ、ありませんのに」
「釣れた魚はお分けしたいと思うのですが」
「まあ、ご親切に。喜んでいただきますとも」
「時期がいいですからね」と、マラノフ。
「そう、よく釣れるころですね。潮の変わり目だし」
「にしんが来ますよ」マラノフは釣りに自信がありそうだ。「じゃ、釣りに行ってきます」
「幸運を」セーラはポーチでマラノフを見送った。

 セーラは居間に戻り、用意した朝食がそのままになっているのを見つけた。
 「いやだわ」セーラはつぶやく。リビーは何も食べていない。このところ、リビーの気むずかしさが一段と強くなっている。
 セーラは台所で、バラを花瓶に生けた。
 「ノドがかわいたでしょ。おいしい水をあげるわ。気持ちがよくなるわよ」セーラは、いつでも、花や家具に語りかける。両親とすごした家具たちであり、母が丹精した花たち。セーラにとっては、すべてが身内と同じ存在だ。

 居間の家具をふきながら「どうしてホコリがたかるんだろう」と、セーラは語りかける。
 母親の写真にむかって「おはよう、おかあさん」と、朝の挨拶を忘れない。天国のお母さんたら、自分が死んだ時よりももっと年取っている姿の娘を想像できるかしら。ふふ、無理でしょうね。こんなおばあさんになってる娘だなんて。
 暖炉の上におかれている、夫の写真へもしみじみと語りかける。「フィリップ、あなたと結婚してから46年目よ。早いものだわ」

 ワンピースに着替えて部屋から出てきたリビーは、「ひとりごと言ってるの?」とセーラたずねた。
 「ええ、そうよ」セーラは受けながす。
 「だれか返事したの?」と、いじわるを言うリビー。
 「返事はまだよ。お茶が冷めるわ、オートミールもね」セーラは気にせず答えた。
 リビーは揺り椅子に腰をかけると「もう冷めちゃってるわ」と、冷めた声でいう。
 「でも、朝ご飯はちゃんと食べないと」セーラにはリビーの体調が気がかりだ。
 食事を気にかけるセーラを無視して、リビーはたずねた。「これ、ブルーのドレスなの?」リビーには、自分の服の色がわからない。
 「そうね、早く直さないと」セーラは、リビーのお気に入りのドレスのほつれを気にする。食事も、繕い物も、リビーの世話すべてがセーラの役目なのだ。

 「あら、靴をはいていないのね」リビーの足にセーラが目をむけた。
 「見つからなくて」リビーは、必要以上の努力はしない人だ。
 「ベッドの下じゃないの?取ってくるわ。でも、リビー、何か食べないと」
 セーラの心配をよそにリビーは言う。「ブルーはいつも私の好きな色だったわ」
 「すぐに戻るわ」と、セーラはリビーの部屋に靴を探しにいこうとする。
 「答えてくれないの?」リビーは呼び止める。
 「なあに?」
 「ブルーのドレスかどうかよ」
 「ええ、ブルーよ」
 「ちゃんと返事するの忘れないで」リビーは高調子に決めつける。
 「ええ、わかったわ」セーラはリビーの気性を心得ている。

 「何してるのよ」セーラの行動をいつも気にするリビー。
 「ホコリをはらっているの」
 「あなたはいつでもセカセカと忙しくしてる。フィラデルフィアの私の家なら、、、」そんなにセカセカしないでも暮らせるのに、とリビーの言い出しそうなことを言わせずに、穏やかにセーラは言った。「あそこは夏、暑いわ」
 リビーの減らず口は止まらない。「暑いのが好きなのよ。暑くて忙しく働く気になれないところがいいんだもの」
 「でもね、ここはメーン州のサマーハウスよ。誰かお掃除しなくちゃならないでしょ」セーラは冷めた朝食を片づけだした。

 浜ではマラノフが釣りを続けている。

 午前中の居間は静かだ。
 リビーは点字の本を読み、セーラはバザーに出すぬいぐるみ作りにせいをだした。「今度は何をしているの?」リビーはセーラがどこで何をしているか、いつも気にする。ぬいぐるみの腹に詰め物をする手を休めずに、セーラは答えた。「バザーに出す動物を作っているの」
 「遅いわね、いつも8月までに終わっているのに」リビーの言い方は、いつもセーラの仕事が遅いという皮肉を込めている。
 「今年は数が多いから」
 「毎年、町のバザーは、あんたにおんぶしているのよ。面倒なことばかり押しつけてきて」リビーの口調が辛辣なのは、若い頃からだが、目がみえなくなってから一段とことばがきつくなった。
 「慈善のためですもの」
 「この世は慈善でいっぱいだわ」
 「その通りね」セーラはリビーの皮肉を気にしない。
 「これはコアラよ。木の上で暮らしていて人が大勢いると下りてこないの」セーラはコアラのぬいぐるみの仕上げに余念がない。
 「まあ、利口な動物ね」相変わらずリビーの言い方には皮肉っぽい棘がある。リビーの皮肉をかわすように、セーラはとっておきのバザー供出品の話をはじめた。
 「わたし、いいもの見つけたの」セーラは引き出しに手を伸ばした。
 「なんなの、セーラ」
 「立体スコープよ。覚えている?スコープにいれて覗いて見る写真も出てきたの。全部、昔の家族写真。あなたに見せたいわ。あなたと私とティシャが入江にいる写真、フィラデルフィア時代のもある。テニス仲間のひとりや、すっかりおめかししたお父さんとお母さん」
 セーラはスコープに写真を入れて、眺めた。ピクニックの写真、水着を着て遊んでいる浜辺の写真。みな若く、幸福そうだ。
 リビーには、もう写真は見たくても見えない。リビーにできるのは、遠い昔を、目の中でさぐることだけなのだ。
 「これはオークションに寄付するわ。昔はとても高価なものだったけど」
 セーラの決意にリビーがまた皮肉を返した。「私たちもセリに出したら、高値がつくかもね」自分の皮肉に自分ひとりで笑いながら、リビーはセーラに頼む。「写真はオークションに出さないでね」目が見えなくとも、思い出の写真は手元におきたいのだ。
 「ええ、もちろんよ」

 「ラジオ聞かない?」セーラはリビーの楽しみを忘れない。「アーサー・ゴドフリーの時間だわ」
 セーラが入れたラジオのスイッチをリビーは、すぐに消してしまった。
 「お気に入りの番組なのに」
 「今は聴きたくないの」
 「具合でも悪いの」セーラは心配になった。
 「大丈夫よ、この時期になると骨が痛むだけ」リビーが揺り椅子から眺める海は、静かに波を寄せている。
 「今朝、誰かが来ると言わなかった?」
 リビーの質問にセーラが答えた。「ええ、ティシャが来るわ」
 「じゃ、靴をはかないと」
 「あらまあ、忘れてた、寝室からすぐ持ってくるわ」
 「サングラスもね」
 セーラはリビーのベッドの下から靴をみつけ出した。リビーのどんな要求も、セーラは黙って静かにこなしてきた。

 ティシャの訪問を前に、セーラはポーチでリビーの身だしなみをととのえてやる。
 「見苦しくないようにね」リビーはセーラに注文した。
 「いつもきちんとしてるわ」
 「あんたには迷惑をかけているわね」髪にブラシをかけてもらいながら、めずらしくリビーがしんみりと言いだした。
 「迷惑だなんておもってないわ」
 「いつか迷惑だと思うようになるわ。だれでもそう、気がかわるから」
 「わたしは大丈夫よ、あなたがいやにならなければ」セーラはリビーの銀髪をやさしくくしけずる。
 リビーの白い髪がポーチに吹き渡る海風にゆれている。
 髪をセーラにまかせながら、リビーは娘のアンナのことを話し出した。「アンナがいるのに、、、」
 セーラは「アンナは、私たちを敬遠しているのよ」と、言う。音沙汰のない姪のことで、リビーにつらい思いをさせたくないから、「母親を敬遠している」ではなく、「私たちを」と言うしかない。
 「アンナは私の娘なのにね」リビーにとっては、アンナとの疎遠は痛い。
 「アンナは娘らしくないし、あなたも母親らしくなかったわ、リビー」セーラには、リビーのつらさがわかっている。
 「仕方ないわね、あ、痛い」髪にブラシがひっかかった。
 「じっとしてないからよ」セーラはリビーの白い髪をまとめ上げた。

 「子どものころ公園で見た白鳥を覚えている?お母さんの髪は白鳥のようだった。私の髪もお母さんくらい白い?」
 「ええ、そうよ」
 「あなたの髪は今どんな色なの、セーラ」
 「色があせたわ。茶色がすっかり消えてしまった」
 「そう、すべてが消えていくわ。遅かれ早かれ」
 「いつもそんなふうに言うわね」

 「なぜ、年取った女の人は公園のベンチに座りたがると思う?」リビーのいつもの口調が戻った。
 「なぜなの」
 「若い恋人達に席をとっておくためよ。たとえ11月の木枯らしが吹いて、ベンチが消えたがったとしてもね」
 「今はまだ8月よ」
 セーラのあたりまえな答えにリビーは続ける。「時間なんて気にしないわ」
 「そうはいかないわよ」
 「そうね、人間には時間が重くのしかかってくる。マシューが亡くなったのは11月よ。言っとくけど、マシューが死んだ11月に、私も行くことになるでしょうよ」自分の老い先が不安になっているリビーにとって、11月はいやな月なのだ。

 「セーラ、雑用を片づけなさいよ、私、ベンチを確保しておくわ」リビーは8月のおわりの気配に耳をすました。
 夏の光は秋に向かって少しずつ変わっていく。

 浜辺の灌木のなかにブルーベリーが実っている。今年はあまり出来がよくない。セーラとリビーの幼なじみ、ティシャが、久しぶりにふたりの家を訪れようと、おみやげにするブルーベリーをつみ取っている。ティシャも年には勝てず、杖の助けを借りて、一歩一歩慎重に歩いて、浜にでた。

 磯浜ではマラノフが釣りを続けていた。小さな魚をつり上げた。
 「お見事!」と、ティシャが声をかける。
 「タウティさん、これはどうも」マラノフはつり上げた魚を掲げてみせた。
 「今日は一段と美しいですな」如才なく挨拶するマラノフに、ティシャは「私の遺言状をお楽しみに」と辛辣な挨拶をする。遺言状の中に、どの友人にどんな形見を残すかを指定するのは、老人達の楽しみのひとつ。マラノフのお世辞は、形見のグレードを上げた、というティシャの皮肉なのだ。
 「獲物は?」ティシャの質問に「あれやこれや、いっぱいです。ハタもつれましたよ」マラノフは得意そう。「ハタ、ここではなんと呼ぶんでしたか」
 「カナーズですわ、マラノフさん。ブルーベリーいかが」
 「いや、これはありがとう」マラノフはブルーベリーを一口つまむ。「おいしいです」
 「よかった、でもヒルダはお気の毒なことでした、あんなに突然亡くなるなんて」
 「ええ、かわいそうでした。あんな重い病気だったとは気づかなくて」マラノフは顔を曇らせて答えた。
 「これからもヒルダの家に?家は彼女の娘さんが受け継ぐけれど」
 未亡人ヒルダの家に居候しているマラノフが、これからどういう身の振り方をするのか、ティシャは野次馬気分なのだ。
 「そうですね」マラノフは口ごもる。
 「もう夏も終わりね。寂しいわ」夏が終わったあとのマラノフの身の振り方がどうなるのか、ティシャは興味津々だ。
 「私はこの島に来るとくつろげるんです」マラノフはこの島の居心地に満足している。
 「じきに落ち着き先も見つかるわ」ティシャは、行く当てのないマラノフに、適当ななぐさめを言った。「じゃ、大漁をいのるわ」

 ティシャはマラノフに別れを告げて、セーラとリビーの住む家に向かった。幼なじみのふたりであるけれど、ティシャは気むずかしいリビーのほうはちょっと苦手。同じ両親から生まれた姉妹なのに、どうしてああも性格がちがうのだろう。
 ティシャはまたブルーベリーを摘みつみ歩く。急ぐことはない、老人に時間はたっぷりある。

 セーラは庭で水彩スケッチを楽しんでいた。夏の終わりの海、何度描いても楽しいモチーフだ。ゆっくりていねいに色をつけていく、セーラの絵は、セーラの性格そのままだ。
 「セーラ!」リビーがセーラを呼びつける。「セーラ、どこにいるの?」
 「庭よ」
 「何してるの?」
 「絵を仕上げているの」セーラは絵筆をうごかしながら答える。
 「散歩にいきたいわ」リビーの要求は、待ったなしだ。
 「ええ、わかった」セーラは絵筆をしまって、リビーのいるポーチへあがっていった。

 「マラノフ男爵はうちの浜で釣りをしているわ」セーラが今朝のマラノフとの話をリビーに伝えた。
 「あんな魚、持って来なきゃいいけど」リビーは迷惑そうに言った。
 「リビーは魚がきらいね」
 「ドブにいる魚よ」
 「まさか、あそこは潮流も速いし、水はきれいだわ」セーラは入江の魚を悪く言いたくない。
 「私は、あんな魚ぜったいに食べないからね。そりゃ、あんたはあの詐欺師を喜ばすために、何でも食べるでしょうよ」
 未亡人の家に取り入り、住み込んでいるマラノフに、リビーは気を許していない。
 「まあ、詐欺師だなんて」

 日課の散歩。セーラはリビーの腕をとって、海辺の道を歩いていった。古いデザインの麦わら帽子が、二つ並んで夏のおわりの光のなかをあゆんでいく。
 「この週末には鯨が見られると思うわ」セーラは希望をもっている。
 「そんなことあるもんですか」
 「でも、鯨の季節ですもの」
 「鯨はもう来ないわよ」リビーは悲観的だ。
 「ニシンが来たのが、鯨のまえぶれよ」
 「前触れだけで終わるわね」

 海岸へ下る小径にはアジサイの花がゆれている。
 「アジサイの茂み、とてもよく育っているわ」見えないリビーに、セーラは花房を近づけてやった。
 「そうね、きれいみたい」リビーのまぶたには、若い頃の母の姿がうかぶ。
 「私たちが若いころお母さんが植えたんだったわ」リビーは遠く去った日々に心を向けた。
 「そうね、私が看護学校を出た頃だったわ」セーラも若い日を思い出した。
 リビーにとっては、アジサイの花も過ぎ去る年月に結びつく。「あなた、気がついている?私たち、ふたりとも、もうお母さんの死んだ年齢よりも上になったのよ」
 「庭が好きだったわね、お母さん」

 「あんた、子どものころ、鯨が季節を変えるって信じてたわね」リビーの思い出話はつづく。
 「ほんと?」
 「そうよ、お父さんが言ってたわ。鯨はしっぽで風をつかまえて、北極の寒気を連れてくるって」
 「そんなこと信じてた?」
 「そうよ、信じてたわ」

 家のポーチに戻ったセーラは、散歩のあとの上気した気分が続いているうちにと、リビーに話をしてみる。
 セーラがポーチから古びた窓をみながら言った。「ねぇ、いいと思わない?」
 「何がいいって?」リビーは手探りでポーチの鉢植えにじょうろの水を注ぎはじめた。
 「ここに大きな見晴らし窓をつけたいよの」セーラはポーチに面した窓の改装をしたいと思っていた。「前から欲しかったの」
 「お金がかかりすぎるわ、セーラ」リビーはいつも悲観的、何事にも否定的だ。
 「ジョシュアは作ってみたいって言ってるわよ」いつも家の修理を気軽に引き受けてくれる島の大工に、セーラは見晴らし窓のことを話しておいたのだ。
 セーラのことばに、リビーはそっけなく返す。「そりゃ、あの人は、作れば代金をもらえるもの。それにセーラ、私たち、新しいものを作るには年を取りすぎたわ」
 リビーのことばに逆らわないできたセーラだが、見晴らし窓のことでは、リビーの言うままにあきらめたくない。セーラは揺り椅子に座っているリビーの横顔を黙って見つめ、居間に入っていった。

 ティシャが裏庭で元気な声を響かせている。「こんちは、こんちは!」
 「あら、ティシャ」
 「ここまで歩いてくると、暑い、暑い」
 「まあ、車じゃなかったの?」
 「ブルーベリー摘みながら来たのよ」
 「あら、いいこと」
 ティシャは、裏口からなじみの家に入ってきた。
 「ちょっと待ってね」セーラは、ブルーベリーのバケツを台所へ運んだ。
 「浜を歩きながらブルーベリー摘んでたの、そしたら、途中でマラノフさんに会ったわ」
 「ええ、釣った魚をここに分けてくれるんですって」セーラはブルーベリーを鉢に入れてきた。

 「頑固な年寄りはどこよ」ティシャはリビーの偏屈ぶりを心得ている。
 「リビーはポーチに出てるわ」
 「それじゃ、ここで気兼ねなく話せるわ。セーラ、あなたやつれたんじゃない、心配事あるの?分るわよ。リビーはイジワルだもの」
 「別に」
 「別にですって、それじゃ、下痢でもしてるっていうの?やっぱりリビーのせいだわよ」
 ブルーベリーの鉢がおかれたテーブルを前に、ティシャのリビー批判は容赦ない。「わかってるわよ、50年来のつきあいだもの。話してみて、セーラ」
 「リビーは、最近、死ぬことを口にするのよ」セーラは、心配事をティシャに打ち明けた。
 「死ぬ、ですって。馬みたいに丈夫な人なのに」ティシャはポーチにいるリビーのほうへ顔を向けた。
 「心の問題だと思うの」
 心配顔のセーラに、ティシャは椅子を寄せて「気が弱ったってこと?」とたずねる。
 「私の思い過ごしかも知れないけど」
 「そんなことないわ、セーラ、あなた、看護婦してたじゃないの。リビーが年取ったってことよ」
 「そんな、年だなんて」
 「リビーはいつだって気むずかし屋だった。女盛りのころもそうだったわ。アンナには話したの?娘のアンナがリビーを引き取るべきなのよ」
 「アンナは引き取ったりしないわ」
 「なぜ?彼女、お金あるのに。母親の世話するの当然でしょ」ティシャは、おとなしいセーラが目の見えないリビーの世話にあけくれる日々をすごすことを気の毒に思っていた。
 でも、セーラには、ティシャの意見は見当違いに思える。リビーの世話をするのがいやなんてことはないもの。
 「セーラ、トルーマンのことば、知ってる?」
 「知らないけど」
 「お金は結局お金持ちのところに集まるものだって」
 「そんなこと言わなかったでしょ」
 「もちろん冗談よ。笑ってよ、セーラ」ティシャは自分の冗談で笑っているけれど、セーラの気分は晴れなかった。

 「セーラ、あなたこのままでやっていけるの」
 「やっていけるってどういう意味?」
 「この家を維持していくお金、あるの」
 「考えてみたことなかった」
 「考えてもいいころだわ」
 「リビーがこの家からいなくなれば、セーラ一人じゃ寂しくなるわ。ねぇ、私といっしょに住んだらどう?」
 「そんな、あなたに面倒をかけられない」
 「人生の半分は面倒なことで、あとの半分はそれを乗り切ること」ティシャは、仲良しのセーラといっしょに晩年を過ごしたいと願っているのだ。

 ガンガンと大きな物音が家中に響いた。「ジョシュア!」リビーがかんしゃくを起こす。「ジョシュア、何してんの!」
 「水道管の修理でさあ」ジョシュアが床下からどなった。

 ポーチに出てきたセーラに、リビーは「静かにするようにジョシュアに言ってよ」と命じる。
 「50年も言い続けたわ」セーラはあきらめ顔。
 「おはようリビー」ティシャが声をかける。
 「おはようティシャ」ふたりの挨拶はそっけない。

 「ジョシュア、静かにしてちょうだい」セーラは床下のジョシュアに頼む。「水漏れは浴室のパイプなのに」
 「徹底的に直しておかないと、あとがよけい大変になるんでさあ」ジョシュアは50年も出入りしているこの家のことを知り抜いている。
 「お茶にこない?」セーラがジョシュアを誘った。
 「そりゃ、どうも。いやはや大変な場所でね」ジョシュアは床下から言う。「床下に入るのに半日かかり、出るのに半日かかる」
 「6月から修理を待っていたんだもの、10分くらい待つのは平気」
 「床下はこの前来たときと、同じ。狭くてね」ジョシュアが床下から出てきた。

 「お早うジョシュア」ティシャが挨拶をする。
 「お早うございます。タウティさん」ジョシュアがポーチにあがってきた。
 「調子はどうです、ストロングさん」ジョシュアはリビーへも挨拶する。
 「もっと静かにできないの?」というのがリビーの返事。
 「ええ、気をつけますよ。わたしにできるかぎりはね」
 「リビー、いっしょにお茶をどう?」ティシャの誘いにも、リビーは「いいえ、ジョシュアの仕事が済むまで待つわ」と、揺り椅子から動かない。

 「救いがたい人ねジョシュアって」と、ティシャはあきれ顔をしてみせた。ジョシュアは騒々しく動き回ることにかけては、島一番の男だ。
 「いやあ、お元気でしたかな」と、ジョシュアは気にしない。
 「もう少し静かにしてよ」ティシャの頼みも、リビーのようすを気遣ってのこととわかっているジョシュアは「リビーさんは神経質だからね」と、長年のつきあいで心得ているから、という調子をみせる。
 「そうよ、リビーは偏屈だわ。セーラ、お手伝いしましょうか」ティシャは台所へ向かった。ティシャがジョシュアに言う。「仕事忙しかった?」
 「ええ、大忙しで、休むヒマもありゃしない」
 「近頃、この島にも新しい人達が増えたわ」
 「ちょっと増えすぎですなあ」

 台所ではセーラがお茶の準備をしていた。イレブンシス(11時のお茶)にはちょっと早いけれど、
 「このクッキー、しけてるじゃない」ティシャは遠慮なしにお茶菓子の品評をする。
 「車も増えちゃって、困ったもんだ」ジョシュアがお茶の手伝いをしながら言う。ジョシュアは、お茶道具をトレイに乗せて運び、新しい避暑客を批判する。「車を2台も持ち込む避暑客もいるありさまで。1キロ歩けば海に出るってのに」
「ほんとにね」ティシャも近頃の避暑客は気に入らない。

 居間でモーニングティータイムが始まった。最高級の茶道具はとっておきのときにしか出さないと知ってるけれど、この家で2番目のティーセットが使われていることで、ティシャは満足している。ティシャは、自分がセーラにとってもリビーにとっても、50年来の友達としてこの家になくてはならない人物だということを、お茶の味にかみしめていた。
 「あなた、またマートルと会ってるんですってね」ティシャはジョシュアに問いただす。狭い島の中での行動は、すべてお互いお見通しだ。
 「たまにはね」
 「あら、すてきじゃない」
 「マートルはレディだから、はしたない格好じゃ歩かない、ピチピチのバミューダパンツなんかんか履いてるやつらとはちがうよ。」
 「ふふっ」ティシャは、島の人のうわさ話は聞き逃さない。

 「先週、仕事先の家に道具を忘れてね」ジョシュアは島中の家に出入りしている。
 「取りに戻ったの?」と、ティシャはたずねた。
 「いや、道具はたくさんあるんで、もう戻る気にならなくて。ああいう家の奥方は願い下げですよ。お茶、もう一杯よろしいかな。ああいう家がこの島をだめにしていくんだ」
 「何があったの?」セーラがジョシュアにたずねる。
 「その奥方、わしのこと、のろまだと言ったんだ」
 「まあ、ひどい言い方」ティシャが相づちをうった。昔に比べて動作の機敏さが減ってきたジョシュアだけれど、新参者がジョシュアを批判するなんておこがましい、とティシャもセーラも憤慨した。
 ジョシュアも、昔なじみの気軽さで「だから、そんならほかの人を雇えって、言ってやった。二度と行かないよ」とぼやいてみせる。
 「当然よ」セーラもうなずいた。
 「思い知るわよ」ティシャも同意。
 「だけどさ、何のあてもなくて。もう引退どきかな」がらにもなくジョシュアは弱気なことを言ってみる。
 「あら、引退なんてしないで。あんたがいないと困るわ」ティシャのことばに「ええ、お宅じゃ、気持ちよくやらせて貰ってますがね」
 「あんたは、親切な人よ、ジョシュア」
 「ええ、でも理解してくれない人も多いんです。これからこの島も住みにくくなる。さて、こころのこもったおいしいお茶をごちそうさました」
 「ジョシュア、お世辞がうまいわね」お茶をほめられて、セーラもうれしい。
 「さてと、あの、大きな見晴らし窓作る話、どうなりました」
 「気が進まないのよ、こんな年寄りに新しいものはいらないわ」セーラは、リビーが反対してるから、とは言えなかった。
 「新しいものを作るのは、悪いことじゃない」ジョシュアの意見に、ティシャも「その通り」とうなずく。
 「それじゃ、奥様がた、失礼」ジョシュアは仕事に戻っていった。
 「かれの言うとおりよセーラ」ティシャはセーラに言った。

 「鯨は、またやってくるわよね。もう一度見たいわ」セーラが窓から海を見つめる。カーテンが海からの風に静かに揺れていた。鯨は今年来ないかも知れない。でも、50年前のように、来るかも知れないのだ。
 「それじゃ、見にいきましょうよ」ティシャが誘った。

 「岬まで行ってくるわ」セーラがポーチの揺り椅子にいるリビーに声をかけた。
 「鯨を見にいくんでしょ」と、リビーはふたりへことばを返す。ティシャが、セーラとふたりだけですごしたがることは知っている。ティシャがリビーを煙たがるのは子どもの頃からだから、今さらどうということもない。

 ティシャとセーラは岬からじっと海をみつめた。
 「向こうを見て、セーラ、イルカじゃない?」ティシャは双眼鏡を覗いている。
 「ええ、この夏、初めて見たわ。戦争前は何頭いたか、覚えている?」セーラはティシャに問いかけた。
 「どの戦争ですって」
 「この間のドイツとの戦争よ」
 「ああ、あれね、潜水艦がイルカを追い払っちゃったわ」
 「また、あなたの潜水艦の話、、、」
 「でも、確かに見たんだもの、特に42年にはね」戦争中、潜水艦が入江に入り込んだのを見た話は、ティシャのお得意の思い出話だ。ただし、ティシャ以外には誰もみていないのだ。
 「たぶん、幻を見たのよ」
 「あれは、ぜったいにロシアの潜水艦だったわ、なんでここに来たのかはわかんないけど」

 「わたしたちが、最初に鯨を見つけたときのこと、覚えてる?」
 「リビーったら、双眼鏡を放さないで独り占めしていたわね」
 「あなたこそ放さなかったわ」
 ティシャとセーラの散歩は、若い頃の浜のなつかしさに満ちている。
 「まだ、この浜で竜ゼン香が見つかるかしら」
 「竜ゼン香ね、覚えてるわよ」
 「竜ゼン香探すのを何十年も忘れてたわ」
 「見つけてたら、ひと財産作れたのに」
 「そうね、1オンスが10ドルだった」
 「新しい香水の女王ね」
 「私たち、名コンビね」
 あんなに性格のちがうリビーじゃなくて、セーラにとっては、私のほうこそ姉妹以上の仲なのに、と、ティシャは思う。ほんとは、セーラは、リビーとじゃなくて私といっしょに暮らした方が幸せになれるのよ。

<つづく>

日本語の中のギリシャ文字

2012-02-21 00:30:57 | 日本語学
2006/02/06 月 
I・Ro・Ha Jirui Show Time(色葉字類抄待夢)>ギリシャ文字(1)ぐざいとシグマ

 ワープロソフトを利用していて、思いも寄らない文字に変換されるときがあります。

 春庭bbsに正月に食べたものの話を書いていたときのこと。
===========================
Re:美味しかったよ~ by haruniwa
うちでは、おせち料理、一日目二日目は和風ですが、3日目は「おせち、そろそろ飽きたね」ってことで、洋風&エスニックデーになりました。

 今年は、主菜がチーズフォンデュ、具材は、フランスパン、ブロッコリー、ジャガイモ、アスパラガスなどでした。
 副菜はメキシコ風トルティーヤ。薄いお好み焼き(クレープみたいな)の中に、トマト、レタス、ローストビーフ、スモークサーモンを包んで食べる。
どちらも、おいしかったです。
2006-01-22 10:23:35
==============================

 という、他愛ない話だったのですが、びっくりしたのは、チーズフォンデュの「ぐざい」と入力したら、いきなり「ξ」が出てきたこと。

 見慣れない文字。キリル文字(ロシア文字)とはちがうな、たぶんギリシャ文字と推理して、確かめると、はたして、ギリシャ文字のひとつでした。

 何種類かのアルファベットの中でも、ラテン文字(ローマ字)は日本語にも利用されています。
 アルファベットの語源は、ギリシャ文字の「アルファ」+「ベータ」→アルファベータ→アルファベット。

 アルファベットには、さまざまな種類があります。源流はシナイ半島で書かれはじめた文字。
 原始シナイ文字→フェニキア文字→ギリシャ文字→ラテン文字(ローマ字)、キリル文字など。

 日本人は、ラテン文字(ローマ字)だけをアルファベットと思っていますが、ロシア語のキリル文字も、ギリシア文字も、全部アルファベットです。

 仮名文字に平仮名とカタカナがあるのと同じように、アルファベットにも、ラテン文字やキリル文字がある。
 仮名文字がどちらも漢字をもとにして作られたように、アルファベットの各種は、どれも原始シナイ文字、フェニキア文字を元にして作られました。

 ラテン文字のアルファベットは、日本語のローマ字表記で使うし、中学校で英語を習うと、英語の文字として、義務教育で読み書きします。
 しかし、ギリシャ文字は、いくつかは日常生活でお目にかかるものの、グザイ「ξ」は、ぜんぜん知りませんでした。

 ギリシャ文字のアルファαは、「プラスアルファ」という外来語として日本語語彙のひとつになっている。ベータβは「ベータカロチン」などでなじみがあります。
 そのほか、私がなじんだギリシャ文字は、以下の程度です。

 「ガンマ=γ」、電磁波のひとつ。癌コバルト照射治療ガンマ線でなじみ。医療関係者だけでなく、一般の人も「ガンマ線」と聞くと、なんだかすごい治療をしているんだな、と思う。

 地図で見る河口三角州を、デルタ地帯と呼ぶのは、ギリシャ文字デルタの大文字が「デルタ=Δ」だから。小文字は「δ」。

 電気でなじみのオーム「Ω」。オームの法則ってならったなあ。カンペキ忘れました。

 ギリシャ文字のP・ρの読み方は「ロー」であって、「ピー」はΠ・πなので、ややこしい。
 円周率のパイ「π」は、ギリシャ文字「ピー」の別名「パイ」だ。

 円周率の3・14をいちいち計算しなくてよい「π」と書いておけばよいと言われたときは、面倒な計算が減ってうれしかったが、高校数学で「シグマ=Σ」が出てきてから、私の頭にとって数学は宇宙語になった。理解できる方々、尊敬しています。
<つづく>
08:48 コメント(14) 編集 ページのトップへ
2006年02月07日


ぽかぽか春庭「ギリシャ文字(2)パイとファイ」
2006/02/07 火 
I・Ro・Ha Jrui Show Time(色葉字類抄待夢)>ギリシャ文字(2)パイとファイ

 日本製のロケットの名前。「カッパ=κ・Κ」「ミュー=μ・Μ」「ラムダ=λ・Λ」
 パナソニック製のデジタルハイビジョンテレビの製品名は「タウ=T」これも、ギリシャ文字の読み方から。日常生活で見かけたギリシャ文字、もうこれくらいかな。

ギリシャ文字の読み方、4種類あります。古代ギリシャ語読み、現代ギリシャ語読み、英語読み、日本語慣用読み。
 日本語慣用読みは、ギリシャ語読みを取り入れる文字と英語読みを取り入れる文字が混じりあっています。

 「α・Α」は、古代ギリシャ語読みではアルパ。現代ギリシャ語読みだとアルファ。「δ・Δ」は、現代ギリシャ語読みだと、ゼルタだが、日本語慣用読みは、古代ギリシャ語読みと英語読みのデルタ。

 「ι・Ι」は、英語読みアイオタ、現代ギリシャ語読みはヨタだが、日本慣用読みは、古代ギリシャ式のイオータ。「π・Π」は、ギリシャ式はピーだが、日本語慣用読みは、英語式のパイを採用。
 「ξ・Ξ」は、ギリシャ語読みと日本語慣用読みはクシー、英語読みだとグザイ。
 
 ギリシャ文字Ωは、日本語慣用読みは英語式で「オメガ」。現代ギリシャ語読みだとオーメガ。
 昨日紹介した電気抵抗の「オーム」とは、Ωの文字の読み方ではなくて、人名です。
 オームの法則を発見したドイツの物理学者ゲオルク・ジーモン・オーム(Ohm)にちなみます。

 電気抵抗単位としてオームの名を採用するにあたって、頭文字「O」は、数字の「ゼロ」と紛らわしく、単位記号なのか数字なのか、区別するために、ギリシャ文字Ω(オメガ)をオームと呼ぶことにしたのです。

 a******さんからのコメント、ありがとうございます。
 「 時計のオメガ Ω とオーム Ωと一緒ですね。・ω・
シグマは、○菱自動車のΣ がありましたね。
仕事で使う円の直径はパイというのにファイφを使うのが解せません。
投稿者:a***** (2006 2/6 17:31) 」

 ファイΦ・φは、見たことあったけれど、なんだったっけかな、そうだ、音声学でいう両唇摩擦音の国際音声記号だっ。思い出せてうれしい日本語教師。
 日本語だと「ふ / f / 」の発音だと思い出したが、確認のためにチェックすると。日本語慣用読みは、英語式ファイ。ギリシャ語読みフィーの「φ」、さまざまな記号として利用されている。

・音声記号として、「φ」は「無声両唇摩擦音」をあらわす。
 「そう、そう、やっぱりねっ。りょうしんまさつおん!」

・建築では、管の直径をあらわす。200φ=直径200mm「にひゃくぱい」と発音される。
 「へぇ!そうなんだあ。建築関係のお仕事をなさっているa*****さんも、直径200mmを200パイと呼んでいるんですね。」

 数学でπ(パイ)とは3. 1415926535 8979323846 2643383279 ..........のことだから、もし「200パイ」が「200π」のことなら、200×3.14のことになってしまい、直径200mmのことじゃ、なくなってしまいます。
 「φ」は、「直径」を意味する記号です。

 昔の人は「ファイ」という発音が難しかった。「フィルム」と発音できないから、「フイルム」と発音したように、直径をあらわす記号「ファイ」を「パイ」と発音し、それが現代まで慣用読みとして引きつがれているのだと思います。
 建築用語の「200パイ」は、「直径200」という意味です。
<つづく>
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2006年02月08日


ぽかぽか春庭「ギリシャ文字(3)ファイとグザイ
2006/02/08 水 
I・Ro・Ha Jrui Show Time(色葉字類抄待夢)>ギリシャ文字(3)ファイとぐざい

・φは、アスキーアート顔文字で、筆記具を持った手を表現するのに用いられる(例:φ(..))
 「ふ~ん、使ってみよっかな。私、毎日φ(..)しています」

・数学で空集合を表わす「 Oに斜め線」の文字の活字がない場合に、φを代用記号として使用することがある。又、しばしば黄金比の記号としても用いられる。
 「空集合って何?黄金比って、聞いたことあったなあ、3:2?4:3?8:5?16:10?あれ、いくつだったっけ」

・電磁気学で、φは磁束密度を表す。
 「磁束密度?なんじゃそりゃ」

小文字のφは、
・素粒子物理学で、ストレンジクォークとその反クォークからなる中間子 (ss 二つ目のsの上に-がある)を表す。
 「? ??」

・量子力学では ψ とともに波動関数を表す。
 「うわぁ、すごいことになってきた。ストレンジクォーク?波動関数?、、、、ううっ、わからん。」

 φだけでも、なかなか頭に入りません。
 さて、「ξ=グザイ」ですが、ギリシャ読みは、クシー。
 数学や物理学をやっている人には、なじみの文字らしいのですが、私には見たことも聞いたこともない文字でした。

 数学と物理は、私にとってもっとも縁遠い存在です。
 チーズフォンデュの具材について書いたおかげで、「ξ」とめぐり会いました。

 チーズフォンデュの具材、パンも野菜もいけますよ。食わずぎらいはいけませんね。って、これからも物理学を食う気はなし。

 世界の文字、現在日常生活に使われている文字は28種類。
 漢字ひらがなカタカナ、ラテン文字(ローマ字)のほか私が習ったことがある文字は、韓国朝鮮語のハングル文字、タイ文字、アラビア文字の3種類のみ。

 書くところを目にした文字は、たくさんあります。私の知らない文字や忘れた文字を使う言語の留学生が自己紹介するとき、黒板に名前を自分の文字で書いてもらうことにしているからです。皆、誇らしげに自分の文字を書きます。

 パキスタン留学生のウルドゥ文字、カンボジア留学生のクメール文字、ラオス留学生のラオ文字、ミャンマー留学生のビルマ文字、モンゴル留学生のモンゴル文字。モンゴルでは普段はロシア文字をつかっていて、モンゴル文字で書けるのは自分のなまえだけだったが、、、、、

 ギリシャ文字を書くギリシャ留学生に出会ったのは、これまでにひとりだけでした。たしか、名前の文字に「ξ・クシー(グザイ)」は含まれていなかった。

 ヘブライ文字を書くイスラエル留学生、ふたり。
 ギリシャ文字、ヘブライ文字、そして、イスラエル国籍のパスポートを持って入国したパレスチナ人留学生が書いたアラビア文字、それぞれの文字に自分たちの母語と言語文化への誇りがあふれていました。
 
 t*********さんからのコメント、ありがとうございます。
 『 ギリシャ文字の読み、「アルファ、ベーター、ガンマ、デルタ・・・」の起源はヘブライ語で、「アレフ、ベツ、ギメル、ダレツ・・・」から借りた物です。
投稿者:t********* (2006 2/6 20:34) 』

 ことばと文字は、文化にとって大切な宝物。どの言語も、どの文字も大切にしていきたいです。
 世界の文字については、 http://www.nacos.com/moji/  のサイト、充実しています。

 じゃ、明日もせっせとφ(..) しますね。
<おわり>

言語学復習15-24

2012-02-12 21:59:42 | 日本語学
2006/02/23 木
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(15)恋のマイアヒ

 「恋のマイアヒ(原題「菩提樹の下で)」」は、モルドバのボーカルグループ「オゾン」が歌ってヒットしました。
 モルドバという国があること、この「♪マイアヒ~」で、人々にやっと知られました。

 モルドバ共和国、旧ソビエト連邦のひとつの共和国でしたが、連邦解体により独立。
 ヨーロッパの東端のルーマニアとウクライナ(旧ソ連)の間にあります。
 モルドバ語はルーマニア語とほとんど同じ。(大阪弁と京都弁の差くらいだそうです)

 「恋のマイアヒ」は、歌詞のモルドバ語(ルーマニア語)が、「飲ま飲まイェイ」や「キープだ牛」などと聞こえるフレーズで人気になりました。
 まったく系統もちがうことばだけど、歌をきいていると、「ちょっとなまった日本語で歌っているかのように」聞こえてくるところがとてもおもしろいですね。

 何語でも、あてはめようと思えば、自分の知っていることばとしてこじつけて解釈できることがよくわかった、という点で言語学の教材にはぴったりかも。

 ルーマニア語は、インド・ヨーロッパ語族のひとつで、古代ラテン語から派生した言語ファミリーのひとつです。イタリア語、フランス語、スペイン語などといっしょの家族、イタリック語派(ロマンス語)です。
 
 祖語から、何千年何万年の時を経て、さまざまな言語が枝分かれしていった。もとはひとつの言語だったことすら忘れられて、互いに通じない言語と思って暮らしている。
 でも、言語ファミリーを調べてみたら、モルドバ語ルーマニア語はフランス語やイタリア語と近い家族で、古代インドのサンスクリット語とは遠い親戚。
 ことばのあれこれを考えているのは、ほんとにおもしろいです。
 
 最古の人類が話していた言語はどんなことばだったのだろうか、どの言語が一番古いといえるのだろうか、ということに興味を持つ人もいます。

 原生人類であるクロマニヨン人は、最初から言語でコミュニケーションをとっていたことは確かでしょうが、古人類であるネアンデルタール人になると、意見がわかれます。

 クロマニヨン人と同等に話せた、という説もあります。
 一方、発掘された人骨を詳しく研究した結果、ノドの骨などのようすから、ネアンデルタール人は、あまり高度な調音ができなかったろうという説もあります。

 原生人類は、のどの声帯、舌、歯、唇などを利用して、どの言語も最低で100以上の音韻(言語の構成に必要な音声)を調音することができます。
 日本語は、母音5つ(aiueo)と半母音2つ(w y)、子音12(k s t n h m r g z d b p)の調音によって、100前後の音節をつくって話しています。

 しかし、ネアンデルタール人はのどの構造上、調音できる数が少なくて、言語音としては不十分だったろうとみなされています。

 m***********さんからのコメントです。ありがとうございます。ことばへの興味はつきないですね。

 「 聖書によると、神がアダムにエバをお与えになった時アダムは”私の骨の骨、私の肉の肉、これを女と呼ぼう”って言ったそうな!最初の言語はヘブライ語となってるそうな!  」投稿者:m*********** (2006 2/21 23:34)

 残念ながら、ヘブライ語が人類最古の言語ということはできません。
 ヘブライ語は、アフロアジア語族(かってはセムハム語族と呼ばれた)のなかの、セム語族のひとつです。

 今から3000年くらいまえに、現在のイラク地域からパレスチナ地域へと移住した人々が、セム語の祖語から枝分かれしたヘブル語、ヘブライ語をはなすようになったのが、古代ヘブライ語のもととなっています。

 もとになったセム語祖語はヘブライ語が成立するよりずっと前にメソポタミア地方ではなされていました。

 古代ヘブライ語を母語とする民族が離散し、ヘブライ語を母語とする人はいなくなりました。それぞれが各地の言語を利用し、イデッシュ語などを話すようになったからです。
 社会の中で「生きた言語・生活語」として用いられることはなくなったけれど、「ユダヤ聖典」など文献の中の記述は残されました。

 1948年のイスラエル建国以後、世界各地から集まってきたユダヤ人たちは、共通語としてヘブライ語を復活させました。
 今では、現代ヘブライ語を母語とする子どもたちが成人しています。一度死語となった言語が復活した、めずらしい例です。
 復活おめでとう!かんぱ~い!飲ま飲まイェイ!!

 明日は言語学と日本語学について
<つづく>
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2006年02月24日


ぽかぽか春庭「言語学と日本語学」
2006/02/24 金
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(16)言語学と日本語学

 ヘブライ語のように、「聖典」として古代語の文献が残されている言語は、資料があるので、祖語研究も比較的容易に研究することができます。
 しかし、8世紀の「古事記」以前の文献がない日本語や、15世紀以前の文献がごくわずかである朝鮮語の源流探求は、なかなかうまくいきません。

 ある言語学的な計算で、日本語と朝鮮語に共通する祖語があったとして、ふたつが別々の言語に別れたのは、1万年前から8000年前のことになる、という論を見たことがあります。しかし、1万年前に根っこが同じだったかどうかの証明は今のところ見つかっていません。

 ことばの親戚関係を調べるのは、とてもたいへんな作業で、「似たような単語がいくつも見つかった」程度では家族でも親戚でもありません。
 隣近所や知り合いの家から味噌や醤油を借りてくることがあったとしても、その家が親戚だと限ったわけではない、というのと同じだし、たまたま洋服ダンスに同じワンピースと同じスーツと同じジャケットをしまっている二軒の家があったとしても、その二軒が親戚であるという証明にはなりません。

 ふたつの言語がファミリーや親戚関係であったかどうかを研究することを「比較言語学」と呼びます。
 親戚関係でもなんでもないふたつの言語の似ているところ、違うところを並べてみる研究を「対照言語学」と言います。
 日本語と英語を比べてみるのは、「対照言語学」です。

 私の専門である日本語学は、言語学の中の一分野である個別言語学のひとつ。
 言語学は基礎中の基礎ですが、しごとに追われる毎日の中では、ゆっくり言語学の教科書を読み返す余裕はありません。
 日頃、「応用言語学」「第二言語習得法」を中心とした「日本語を教える」という仕事を自転車操業でやっていて、日々すぎていきます。
 
 日本語学と国語学とどうちがうのか、と聞かれることがあります。
 国語学は、日本語を母語とする人が中心になって、日本の古典文学の文法解釈を中心として発展してきた学問です。内側から日本語を研究します。
 江戸時代は「国学」とも呼ばれていました。本居宣長やその息子の本居春庭などが研究してきた分野。

 日本語学は、言語学を基礎として、世界の言語の中での日本語を中心に研究します。外側から客観的に日本語をみつめます。

明日は、言語学のたのしみ、について
<つづく>
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2006年02月25日


ぽかぽか春庭「言語学のたのしみ」
2006/02/25 土
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(17)言語学のたのしみ

 「第二言語としての日本語=日本語を母語としていなかった人への日本語教育」が、現在の私の仕事です。
 私は、現在の自分の専門を「日本語言語文化研究」と思って留学生の教育にあたっています。
 日本語学の中心である言語学的な研究からは離れてしまいましたが、日本語の産みだしてきた言語文化全体を広く見渡すことも、大切な分野であると思っています。

 言語学などの「学問の王道」的な研究をしている人から見たら、私のしていることは、「広く浅く」でしかなく、結局のところ、学問とはみなされない分野になるのだろうとは思いますが、深く深くひとつのことを追求し、研究する人がいてもいいし、私のように「中途半端に広く浅くことばの世界を楽しむ」人がいてもいいと思っています。

 言語学の研究とは遠く離れてしまいましたが、私はとても幸運なことに、言語学に関しては、斯界の碩学といえる先生方に教えていただいてきました。浅学菲才の身には贅沢なことでした。

 言語学概論は、1971年に徳永康元先生に教わりました。学園闘争真っ盛りのころで、何回か授業を受けると、すぐに学生ストライキ学園ロックアウト封鎖となって、授業が中止になった時代だったから、徳永先生の授業を何度くらい聴講することができたのか、覚えていません。

 しかし、「言語学って、なんておもしろい学問なんだろう」と思ったことだけは忘れません。
 「サピア・ウォーフの仮説」という言語学史上とても有名な説についてレポートを書いて提出し、優をもらいました。

 言語学概論の授業を受けていたころ、私は東京にでてきたばかりのお上りさんだったから、徳永先生が言語学でとてもえらい先生だということなど、まったく知りませんでした。私に優をくれるくらいだから、とても優しい、イイヒトなんだろうと思っただけ。

 言語学は楽しかったけど、「語学」は相変わらず苦手で、英語などはようよう「可」で通過、言語学をやるには、英語をはじめ、他の語学もできなければやっていけないだろうと、言語学を専攻することはあきらめました。
 言語学は好きでも、語学に関してずっと劣等生のままでした。

 日本語だけでやれる範囲で、できるだけ言語学や文化人類学に近づけることをやろうと思って、「神話学」をターゲットに『古事記』を卒論にしました。指導教官はの山路平四郎先生でした。山路愛山の息子である山路平四郎先生、古代文学に造詣深い方でした。代表作は『記紀歌謡の世界』など。

<つづく>
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2006年02月26日


ぽかぽか春庭「手はださない」
2006/02/26 日
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(18)手は出さない

 中途半端に神話学的なアプローチをした私の卒論『古事記』は、日本文学としての『古事記』を研究すべきだと考えていた山路先生にはお気に召さず、卒論面接も手厳しいものでした。
 卒業後は中学校国語科教諭になりました。
 中学校で国語を教えていることを手紙に書いて山路先生に報告すると、とても喜んでくださり、丁寧な励ましのお手紙をいただきました。厳しかったけれど心温かい先生でした。

 1985年に2歳の長女を保育園に預けて、もう一度大学に入ることにしました。
 言語学を西江雅之先生と千野栄一先生に教わりました。英語音声学は竹林滋先生、英語学や論理学は、松田徳一郎先生に教えを受けました。

 言語学はとってもおもしろい分野なので、千野先生の『言語学の散歩』『言語学のたのしみ』、また、西江先生の『ことばの課外授業』などをぜひご一読ください。

 西江先生には学部と大学院で4年間教わりました。言語学については先生の直弟子ですが、スワヒリ語に関して、私は西江先生の孫弟子にあたります。
 西江先生が、アジアアフリカ語学院でスワヒリ語講師をしていたときに教えを受けた弟子たちが、私にスワヒリ語を教えてくれたのです。

 西江先生と私のケニア滞在について、また、千野先生の思い出については、
 http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/oi0310b.htm
にも書きましたので、ご笑読くださいませ。 

 千野先生が学生に常日頃教えていた「言語学を研究する者の心得」を、「おい老い笈の小文」で紹介したことがありました。
 「言語学をやる者は、三つのものに絶対に手を出してはならない。すなわち、日本語起源論と語源探索と教え子に手をだしてはならぬ」という御法度です。

 千野先生は、学生には禁じたが、ご自身はすでにこのような御法度を超越していた方だから、堂々25歳年下の教え子と再婚なさった。
 むろん私は、しっかとこの教えを守って、日本語起源論や語源学などには手を出さないでいます。もちろん教え子にも。
 って、出したところで誰も私の手にはひっかからないが。

 明日は、世界一周ことばの旅
<つづく>
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2006年02月27日


ぽかぽか春庭「世界一周ことばの旅」
2006/02/27 月
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(19)世界一周ことばの旅

 言語学も日進月歩。ちょっとさぼっていると、最新の学説についていけなくなる。
 私の言語学は30年以上も前に教わったことがおおもとになっていて、最初に教わったことの影響が大きい。

 だが、近刊の言語学入門書を見て、あれれ~、でした。
 「いまだに日本語はウラル・アルタイ語族に属しているなどと言う人が残っている。そんな古い学説を信奉したままの人がいたら、その人の言語学は信用するな」と、書かれていたので、「ウッ」とつまってしまいました。

 私、去年まで、学生から質問された場合「日本語の系統はわかっていないけれど、ウラル・アルタイ語族の系統に近いという説があります」って答えていた。ごめんねー、古い学説を頭の中に残存させたままで教えていて。

 「ウラル・アルタイ語族に近いところに位置することはわかっているが、この語族と系統的につながりがあるかどうかは、まだ分っていない部分が多い」と答えるのが、正確なようです。

 すなわち「日本語の系統はわからない」というのが、最新の言語学説による一番確実な情報でした。

 言語学を教えていただいた千野栄一先生は多方面の活躍をなさった方です。チェコ語を中心にスラブ語研究の第一人者であったほか、言語学の楽しいエッセイをたくさん書き、ユーモアたっぷりに言語学のエッセンスを伝えてくれました。

 千野先生の仕事のひとつにCD『世界一周ことばの旅』の監修があります。世界中の言語のコレクション。

 世界に言語がいくつあるか、知ってます?
 母語としてその言語を話す人がいて、生活と社会を支える言語として存在する言語が地球上にいくつくらいあると思いますか。
 答え、「わかりません」
 または、「おおよそ1500から15000の間」あれま、なんておおざっぱなんでしょう。

 言語学者によって、数え方がちがうので、「いくつある」と言えない。たとえば、『恋のマイラヒ』の紹介で記したモルドバ語。モルドバとルーマニアは別々の国家なので、ルーマニア語と別の言語と考えれば、モルドバ語とルーマニア語で二カ国語、言語はふたつになります。

 しかし、このふたつの言語の差が大阪弁と京都弁のちがいくらいしかない、と知ると、それじゃ一方は一方の方言と言ってもいいんじゃないか、ということになる。
 でもね。モルドバ人は「ルーマニア語はモルドバ語の方言」というし、ルーマニア人は「モルドバ語はルーマニア語の方言」というので、ひとつの語として、まとめて数えることも難しい。

 明日は、80の言語コレクション
<つづく>
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2006年02月28日


ぽかぽか春庭「80言語コレクション」
2006/02/28 火
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(19)80言語コレクション

 同じファミリーのより近いふたつの言語を方言とみなすか、ふたつの国の別々の言語とみなすか、むずかしいところです。

 ポルトガル語で話している人とスペイン語で話している人は、互いに相手の話している内容が分かるといいます。
 しかし、スペイン語とポルトガル語、国が違い、歴史的な経緯もあり、やはり別々の言語と数えることになるでしょう。

 中国語は、文字に書くとひとつのまとまった言語であるとわかりますが、耳で聞いただけでは、南方の広東語・福建語などと北京語のあいだには、スペイン語ポルトガル語のあいだ以上の差が存在しています。それでも、上海語や福建語を中国語のなかに含めない、ということはできない。広東語も上海語も中国語に含めて数えます。

 ポルトガル語とスペイン語をふたつの言語として分けて数える基準でいけば、中国のなかにはたくさんの言語が存在することになりますが、中国政府は「断固、わが国の言語は中国語である」と言うでしょう。

 日本語でもそう。
 琉球語を一つの独立した言語とみる学者もいるし、日本語の一方言である沖縄方言とみなす言語学者もいる。
 
 地球上に、かって存在した言語(死語)と、現在生きて使われている言語をあわせて、学者によって1500くらいと数え、学者によっては15000くらい、と数える。
 一般的に言って、おおよそ3000種前後ある、という程度のおおざっぱな数え方しかできません。

 3000くらいある世界の言語の中の、80言語を集めた『世界一周ことばの旅』は、堅苦しい言語学の学術的な言語コレクションではありません。
 数の数え方、挨拶の仕方を基本として、詩の朗読、自国の概要の解説、ふたりの話し手による対話、など、さまざまな言語文化を2枚のCDにまとめてあります。

 録音に参加したのは、各国からの留学生、大使館員、大学語学教師などさまざまな人々。それぞれの人の部屋で個人的に録音したテープなどもまじっていて、ことばの録音の後方に犬の鳴き声が入っていたり、車の発進音が入っていたり、それがとてもおもしろかったりします。

 『世界一周ことばの旅』のCDには、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアなどのさまざまな言語が集められています。
 残念なのは、南北アメリカ大陸のネイティブの人の言語がないこと。ネイティブアメリカン(インディアン)のことば、南アメリカの少数民族のことばなどは録音されていません。
 東京近辺に在住している留学生を中心に録音されたので、偏りがあります。

 それでも、録音された80の言語を聞いていると、世界のさまざまなことばの表現に、心豊かな思いがこみあげてきます。

 千野先生の解説もついています。ぜひ一度聞いてみて。CDを貸出している図書館であれば、このCDを置いてあるところもありますので。

 明日は「これまでに出会った100余の言語」
<つづく>

2006/03/01 水
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(20)これまでに出会った100余のことば

 『世界一周ことばの旅』に出てくるアフリカのコイサン族(日本では映画のタイトルからブッシュマン、コイサンマンなどと呼ばれてきた)のコサ語、この言葉を聞くことができる音源は、今のところこのCD以外には見つけにくいだろうと思います。

  コサ語、独得の発音があります。
 吸い込む息を使った言語音があるのです。吸い込む音を使う言語、他に知りません。
 それから、舌を上あごにくっつけてから、はじいて鳴らす音。
 コサ語のクリック音(吸着音)を含むおしゃべり、楽しい響きです。
 
 他の言語は、吐き出す息を利用し、のどや歯舌唇口腔などで音を加工して、さまざまな音声を作り出します。
 日本語では、吸い込む息のとき作られる音は「言語音」として使われていません。

 吸着音を私たちが使うのは、失敗したときや困ったときに舌を前歯の裏にあてて「チッ」「チェッ」「ツェ」と表現するときの舌打ち音のみ。
 「不同意の感情表現」「失意の感歎表現」だけに用いられます。

 私が「失敗しちゃったなあ、チェッ、残念」と思っていることがあります。クリック音で、チェッ!チェッ!
 1988年以来この仕事を続けてきて、やれなかったこと。

 日本語教師をしてきて、これまでに80ヵ国以上の国の留学生と出会ってきました。
 でも、日本語を教えることに精一杯で、留学生の母語について、録音をとってこなかったことです。

 教室内で、自国のことばや文化についてクラスメートに発表する機会をつくるようにしていますが、日本語での発表を重視してきたので、それぞれの母語で話しているところを録音してきませんでした。

 ひとりひとりの母語を録音しておいたら、個人的な80言語のコレクションができあがったのに。
 いや、80以上になったことでしょう。私が出会ってきた留学生は、たいてい、家庭のなかで話している母語と、社会生活で話す公用語と、大学や大学院での教育と研究に必要な英語、最低3つの言語は読み書きできる人が多かった。
 
 今期、私が受け持ってきた学生。
 パキスタンのフミ、母語のバンジャビ語と公用語のウルドゥ語と英語を話す。フィリピンのジョセは、母語はセブ島のことば。公用語であるフィリピノ語(タガログ語)と、学校教育での英語を話す。
 
 スエーデンのヤン、スエーデン語ノルエー語英語を話す。
 ネパールのギア、ネパール語ヒンディ語英語。マレーシアのアリ、タミル語マレー語英語。

 私がかって滞在した国でも、そうでした。ケニアでホームステイしたキクユ族の家庭では、家の中ではキクユ語、町の市場にいけばスワヒリ語、かって先生をしていたご主人は英語も話す。それも私のブロークンイングリッシュとは大違いのクイーンズイングリッシュ。

 中国長春市に滞在したときも、朝鮮族の人は、家庭では朝鮮語、社会生活では中国語、内蒙古の人は、モンゴル語と中国語。ほとんどの人がバイリンガルなのでした。バイリンガルを「特別な人」としてありがたがるのは、日本くらいです。

 世界の多くの地域の人々は、生活上ふたつみっつの言語をあやつらなければ、暮らしていけない。
 英語しか話せないアメリカ人と、日本語しか話せない日本人、このふたつの国の人は、語学音痴。

 日本語だけで生活でき、大学院までの教育を受けられる私たちは、便利といえば便利だけれど、あまりにも「他の文化や言語に理解がない」とも言える。他の言語を知ることは、そのことばの背景に広がる文化を知ることです。

 せめて『世界一周ことばの旅』を聞いて、さまざまな言語の音を音楽のように聞いて楽しんでみませんか。

 明日は、各国語版「ことばの世界へようこそ」
<つづく>
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2006年03月02日


ぽかぽか春庭「ことばの世界へようこそ」
2006/03/02 木
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(21)各国語版、ことばの世界へ「ようこそ!」

 このシリーズもあと2回で終了。
 「ことばの世界へようこそ」という気持ちをこめて、「ようこそ」のあいさつを各国語でお知らせします。
 ラテン文字(ローマ字)で表記できるものは、ラテンアルファベットで、ロシア語とモンゴル語はロシアンアルファベット(キリル文字)で、あとは、残念ながら、カタカナ表記。カナカナ表記だけの言語は、独自の文字を持っている言語です。

アラビア語:  アルハバン/
イタリア語:  ベンベヌートBenvenuto/
インドネシア語:スラマッ(ト)ダタンSelamat Datang/
ウルドゥー語:  クシュ アーマーディード/
英語:      ウェルカムWelcome/
韓国・朝鮮語:  オソオセヨ/
カンボジア語:  ソームスヴァーコム/
スペイン語:   ビエンベニードスvienvenidos/
スワヒリ語:   カリブKaribu/
タイ語:     インディートンラップ/
チェコ語:    ビーターメ バースvitame Vas/
中国語:   ホゥアン イン ホゥアン イン 歓迎(又欠 迎)/
ドイツ語:  ヘルツリッシェンヴィルコーメンHerzlichen Willkommen/
トルコ語:  ホシェ ゲルディニズHos geldiniz /
にほん語:  ようこそ/
ビルマ語:  ライライレーレーチョーソーバーデー/
ヒンディ語:  アーイエー/
フランス語:  ビアンヴニュVienvenue/
フィリピン語: マブーハイMabuhay/
ベトナム語:  ノンニエット ドン チャオNog nhiet don chao/
ポーランド語: ヴィタイWitaj/
ポルトガル語:  セージャ ベン ヴィンドSeja bem-vindo/
モンゴル語:  タフタエトリルノーTabtaй topилho yy/
ラオス語:   ニンディートーンハップ/
ロシア語:   ス プリィエズダムC приеэдом

 私が世界中のことばに通じているわけじゃありません。ひさしぶりに訪問した母校の文化祭で買った冊子の中のコピーです。上記の言語のうち24のことばを教える専攻があるのです。
 スワヒリ語は、母校の専攻学科にもありません。25年前にわたしが習って覚えたケニアの公用語です。

 ケニアにいたころ、知り合いの家を訪問して「カリブカリブ(ようこそ、どうぞお近くに)」と、招き入れられると、とてもうれしかった。わたしにとっては思い出ふかい挨拶のことばです。
 「ことばの世界へようこそ、カリブー!トゥタオナーナ(また会いましょう)」

 明日は、絶滅危惧言語
<つづく>
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2006年03月03日


ぽかぽか春庭「絶滅危惧言語」
2006/03/03 金
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(23)絶滅危惧言語

 言語の数を知ることは難しいのだ、と紹介しました。1500以上という人、3000以上という人、6000以上あると言う人。15000と数える人。言語をどのようにとらえ分析するかで、意見はまちまちです。
 言語の数を知ることは難しいことですが、今、確実にわかっていることがあります。世界情勢の大きな流れの中で、少数言語が消滅の危機にあるということです。

 k******さんからのコメントありがとうございます。
  「 アマゾンでは多数の言語が滅び去っているのだそうですね。
二人の青年だけが持っている言語のドキュメンタリー番組を見たことがありましたけど。」
投稿者:k****** (2006 2/27 23:47)

 アマゾンだけではありません。世界中から少数言語が消え去り、絶滅の危機に瀕しているのです。
 ひとつの国のなかで、ほとんどの少数言語は不利な立場においやられ、その言語を母語とする人々が社会の中で不利益をこうむってきました。
 親は子どもが将来不利益を受けないように、経済的に有利なことばを使わせようとするので、2世代か3世代、つまり100年たらずのうちにひとつの言語が消滅してしまうのです。

 少数言語の話者が不利益を受けない措置をとらない限り、多くの貴重な言語が21世紀のうちに消滅してしまうでしょう。
 現在の社会で経済的に有利な生活を求めようとするとき、圧倒的に有利な言語となっているのは、英語です。

 アメリカ合衆国やオーストラリアで、英語が圧倒的に有利なため、先住民(ネイティブ)のことばの多くが死語となってきました。アメリカで、少数言語が母語としてつかわれているのは、20ほど。すでに70のネイティブアメリカンのことばが生活の中で使われなくなってしまいました。

 日本でもそうです。アイヌ語という豊かな言語文化を保持してきた人々に対して、明治以後、急激な同化政策が施かれました。
 10年以上前の調査で、アイヌ語を流暢につかいこなせる、という人は樺太千島を含めても、10人~15人で、すでに高齢の方々でした。この人たちが亡くなると、子どものころ習い覚えた言語、母語としてのアイヌ語は消滅します。

 現在、アイヌ語を母語として生活に使用している家庭は、日本国内では皆無だと聞きます。
 趣味や生涯学習のため、また祖先のアイヌ文化を守るために、学習によってアイヌ語を学んでいる人は、少しずつではあるけれど増えてきました。

 しかし、まだ母語として復活するところまでは至っていません。アイヌ文化保全に勤めている人々も、家庭や社会生活では日本語によって暮らしています。

 私の「春休み読書」のひとつは、白水社から出ている『CDエクスプレス・アイヌ語』という本。ことばを覚えるまではできないけれど、CDを聞いてアイヌ語の響きを楽しんでいます。

 アイヌ語には濁音(有声音のうち、ガザダバなど)がありません。全体とてもやさしいあたたかい響きです。
 原日本語ももともとは濁音がなかったのだけれど、さまざまな言語の影響を受けつつ、濁音が必要になってきたのだといいます。

 最後のアイヌ語母語話者という浅井タケさん(1902~1994)の語る昔話54篇がCD11枚(草風館 )になっているそうなので、いつか聞いてみたいです。

 1997年7月に『アイヌ新法』が制定されました。それまでは「旧土人法」だったんですよ。「土人」って今の感覚ではすごい言い方にきこえますね。もともと住んでいた人々を征服者の側から見て低くみなす感じがします。

 1997年まではそれが正式な法律名称で、やっと改正されました。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間「ひと」の意味。

 アイヌ語をなんとか記録に残すことができ、復活させられるかも知れないだけの資料を残すことができたのは、この言語を愛し記録に努力を重ねた何人かの人がいたおかげです。

 明治のお雇い外国人であったチェンバレンの研究をはじめ、アイヌの血をひく知里真志保らが研究を続けてきました。
 金田一京助らのアイヌ語に関する仕事も、批判点もあるでしょうが、評価すべきことが多いと思います。

 明日は、豊かなことばの世界をめざして

<つづく>
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2006年03月04日


ぽかぽか春庭「豊かなことばの世界めざして」
2006/03/04 土
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(24)豊かなことばの世界をめざして

 ことばのひとつやふたつ、世界から消えていっても、自分らの生活に何も影響しないし、その人たちだって、英語や中国語、スペイン語など世界的に有利なことばを使えるようになっていれば、何も問題ないじゃないか、と考える人たちもいます。

 少数言語消滅が、直接私たちに生活に関わらないというのは、そうかもしれません。
 しかし、言語の研究は、まだまだ全部のことばを解明できていないのです。語彙全体の記録もできないうちに消滅してしまうことばが、言語研究の大事な要素をふくんでいるのかもしれないのに。
 
 また、たとえ、他の分野の役にたたなくても、言語とその言語がもつ文化はそれだけで人類にとって貴重なものなのです。文化の多様性は、存在を保証されるべきものです。

 日本語は世界のなかでも1億人以上の母語話者がいる大きな言語のひとつです。
 しかし、もし日本で、「英語を使えるほうが、よい暮らしができそうだ。子どもが英語をおぼえるためには、学校で学ぶだけでは不足だろうから、家のなかで両親も英語を使うよう努力しよう」と、考える家庭が出てきて、子どもが母語として日本語を使わないで育つようになったとしたら、21世紀中に日本語は消滅します。
 ことばが消滅すると言うことは、その言語がはぐくんできた文化が消滅するということです。

 英語ができて、コンピュータ使えて、今より収入が多くなるなら、『万葉集』を誰も知らなくなっても、ひとりも『源氏物語』を読めなくても、575の俳句つくれなくても、生活には困らない、と考えるでしょうか。

 ことばは、人の生き方暮らし方、ものの考え方、アイデンティティの根元です。
 私は、私の母語を大切にしたい。自分の母語を大切にするのと同じ気持ちで、他の言語を母語としている人に対しては、その人の母語を大切にしたい。

 多様な言語、多様な文化、多様な生き方を認め合い、尊重しあえる社会を築いていくにはどうしていったらよいのだろう。
 狭い「仲間意識」の輪の中に入れてもらえず、孤立してしまう人がいるような場所で、日本語が上手ではない人、日本的な集団になじめない人、さまざまな人が暮らすこの国で、どうやったら互いを尊重しつつ共に生きていけるのだろう、と、日本語を教えながら、日々考え続けています。

 とても優秀な女性だったと報道されている中国生まれの女性、日本語朝鮮語中国語英語を使いこなす才女として、評判のお嫁さんだったそうです。日本人の妻となり子どもの母となったのに、しだいに心を閉ざし、孤立して悲しい事件を引き起こしてしまった。
 そんなニュースを聞くと、胸いたみます。

 日本語と日本語言語文化を大切にしていくことと、世界中の多様な言語さまざまな文化を互いに知り、尊重していくことを、どちらも意識的にすすめていかなければならないと、肝に銘じています。

<言語学復習おわり>

言語学復習1-14

2012-02-11 11:56:10 | 日記
2006/02/09 木
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(1)語学劣等生春庭のための言語学

 日本に暮らす/在日本生活/イルボネ ソ サンダ/Living in Japan / Nakatira sa Bansang Hapones / Vivir en Japon / Morau no Japao / Vivre au Japon / Hidup di Jepang / Song o Nhat / Das Leben Japan / Vivere in Giappone / Traiesc in Japonia / Me te Japan / Japonya'da Yasamak / ЖИЗНЬ В Ялонии / Ялонд амЬдрах 

 残念ながら私のパソコンでハングル文字やヒンディ文字タイ文字の出し方がわからないし、アルファベットのアクセント符号もどうやって表記するのか知らないので、ラテン文字アルファベット(アクセント符号省略)で出せるだけと、ロシア文字(キリル文字)で、各国語の「日本に暮らす」を書き写してみました。

 アルクが出している「JーLife 日本に暮らす外国人向けのフリーペーパー」の表紙に出ている各国語での「日本に暮らす」の訳語をコピーしただけです。

 私にも、どの国での「日本」なのか、わからないものもあります。日本語、中国語、韓国語、英語の次から、どれが何語にあたるか、興味のある方、調べてみてくださいね。

 「φ」の文字から、国際音声記号( International Phonetic Alphabet =IPA)を思いだし、久しぶりに言語学の教科書など開きました。

 私、中学校から語学劣等生。英語、ずっと苦手でした。
 しかし、言語学はとても面白く学び、言語学を知ってから、語学アレルギーが薄らぎました。かじるだけなら、ドイツ語、アラビア語、タイ語、韓国語、中国語を習いました。今でも会話能力がちょびっとだけでも残っているのは、スワヒリ語だけです。

 言語学、おもしろいですよ。
 言語学には、理論言語学(音声学、音韻論、統語論、形態論、意味論、語用論など)と、社会言語学、認知言語学、比較言語学(言語のファミリー、語族などの研究)、対照言語学(同じ語族ではない、系統の異なる言語ふたつの異同を研究する)、など、さまざまな分野があります。日本語学は、言語学の一分野である個別言語学のなかのひとつ。

 語源の研究も言語学に含まれます。英語やフランス語などのある語の語源をたどって元になったラテン語をさぐる、などの研究が行われてきました。

 日本語でも、「語源さがし」は、厳密な学術書から「面白語源学」「とんでも本」まで、さまざまな種類の本があります。日本語の語源本、問題点がたくさんあるので、要注意。

 一般に流布している「語源」は、「猫はネずみをとる子だからネコという」という類の「民間語源説」や、「師匠が走り回るほど忙しい年末だから師走」のような「語源俗解」が多く、古い文献をあたっても、なかなか本当の語源を調べ尽くせません。

 語源と「言語の系統」についてのお話、しばらくおつきあいください。
<つづく>
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2006年02月10日


ぽかぽか春庭「言語学復習(2)孤児、日本語」
2006/02/10 金
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(2)孤児、日本語

 a*****さんからコメントをいただきました。ありがとうございます。
 「 平安時代の発音には興味が湧きます。沖縄に日本の古語が多く残っているというのも面白いです。元のひとつの言葉が民族・地域・時間を経て変わっていくのも面白いですね。「日本」の語源は、なんでしょう?北京語:リーペン、広東語:ヤップン、・・・ヤーパン、ハポン、ジャポン、ジャパンJapan・・・
ポリネシア語の意味や発音が原日本語に近いという説が興味深いです。
投稿者:a****** (2006 1/28 1:15) 」

 「沖縄方言には、日本語の古語が残っている」というa*****さんのご指摘はその通りです。が、他の方言にも、古語の語彙や発音文法が残っています。

 ことばのファミリー論(言語系統)の中で、日本語に関して確実にわかっていることは、「アイヌ語は日本語とは異なる言語である」「琉球語(沖縄方言)は、日本語と同系統の言語である」ということくらい。沖縄方言を「完全な日本語の一方言」と言ってしまってよいかどうかは、また別問題。

 琉球語首里方言「u音」は、ほぼ規則的に東京方言の「o音」と対応し変化しています。このように、ほとんどの語が規則的な音韻変化をする関係にある言語を「同じ系統の語」とみなすのです。

 「身体部位の語など基礎語に、南方系のオーストロネシア語族(ポリネシア語など)との共通点がある。」
 「アジア北方系言語(アルタイ語系)と、共通する文法がある」
などこれまでの研究によってわかったことは、ごくわずかなてがかりであり、言語学的に定説となるような決定的な「日本語の系統」論はまだありません。

 「日本語の源流は○○である」「○○語と日本語は祖先が同じ」という説を見かけたら、とりあえず言語学的には「マユツバ」説だとおもってください。
 日本語は、言語学的にはファミリーに所属していない孤児なのです。

 去年、国立科学博物館で開催された「縄文vs弥生」展を見にいきました。
 このことについては、カフェ日記「いろいろあらーな」2005/08/26、27、28に書きましたので、ご参照ください。
 縄文人、弥生人、周辺民族との関係について、出土人骨のDNA研究などで、知見が増えました。

 しかし、言語については、文献資料が残された時代についてはわかることも多いのですが、縄文語復元などは、言語学的な所見に基づいているとはいえ、あくまでも推測復元なのです。
 古代のことば、周辺民族の言語のうち、文献資料が豊富に残っているのは、中国語だけです。中国語は日本語とはまったく系統の異なる言語です。

 a*****さんからの「日本の語源はなんでしょう」というおたずねについて。
 「日本」の語源も諸説あります。

 対外的には、聖徳太子が「日のいずる国、日の本である国」と、随に対して自国を称揚したのが最初といわれていますが、国内で「ひの国」「日のいずる国」「日のもと」などと言われ出したのがいつなのかは、わかりません。
 「自分たちの住む国が、大国中国に対して、東側に存在する」という意識をヤマトの人々が持ち出してからの呼び名であることは確かでしょう。

 それまで中国は、この大陸の東はしに位置する島国を「倭国(わこく)=ちっぽけな国」そこに住む人々を「倭人=チビ」と呼んでいたのですから、「日の本に位置する国」とは、気宇壮大な呼び名だったことがわかります。

 「日本」という国号が、文献に初出するのは701年の大宝律令において。また、国外での初出は736年の長安で亡くなった留学生「井真成」の墓誌の中。

 明日は「ジツボン、ジッポン、ジャパン、リーベン」について
<つづく>

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2006年02月11日


ぽかぽか春庭「言語学復習(3)ジツボン、ジッポン、ジャパン、リーベン」
2006/02/11 土
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(3)ジツボン、ジッポン、ジャパン、リーベン

 「日」の発音、呉音では「ニチ」、日曜(にちよう)の日は「にち」です。漢音では「ジツ」で、平日(へいじつ)の日は「じつ」。

 井真成の墓誌が書かれた当時の唐の発音では、「ヂツボン」だった、のではないかと私は推測しています。言語学の古代中国語音声研究をきちんとやってのことではないので、古代中国語音声学を研究している人に確かめたいと思っています。
 (漢字の読み方発音のうち唐音というのは、唐の時代の発音ではなく、鎌倉室町期に中国と交易していたころの「宋」を中心とした発音です。唐の時代の音声は、漢音)

 現代中国語の発音では「日」はリーです。ヂ[di]と、リ[ri]の発音は似ている(調音点が同じ)ゆえ、日本語でも「di」と[ri]は、ときどき交替します。(英語のプディン(グ)→プリンなど)

 ヂツボン→ヂッボン→ヂャッボン→ジャポン→ジャパン(英語Japan)
 ヂツボン→ヂーボン→ヂーベン→リーベン(中国語のリーベン)

 留学生から「ニッポンですか、ニホンですか」という質問があったときには、単独で使うときは「ニッポン」が主流、「日本語」「日本文学」など、他のことばと複合語をつくったときは、「ニホン」が主流、と答えていますが、実は一国の国号でありながら、厳密な規定はないらしいです。
 「どっちでもいい」という曖昧テキトーなところが、私は好きです。ニッポンちゃちゃちゃ!

 古い古い日本の姿、曖昧な部分もあります。歴史上の出来事のはっきりした日付がわかるようになったのは、6世紀くらいからでしかありません。
 日本の建国の日が2月11日だなんて!
 日本の建国はUSAのような新出来の国の独立記念日みたいに、はっきりわかっていないのです。

 長い歴史が続く中で、日本が「何月何日」とはっきりわかるような建国の日を持ってこなかったのは当然でしょう。「日本」という国号でさえ、いつ出来上がったかははっきりしておらず、ニッポンなのかニホンなのかも「テキトー」でいいのに。

 それなのに、2月11日を「建国の日」と区切ってしまうのは、旧石器時代縄文時代以来の私たちの先祖がはぐぐんだ長い長い歴史に対して、申し訳ない思いです。

 伝説上の初代天皇(神武天皇)は、現在の歴史研究では実在したことが確認されていません。言語学の命名法研究からみて、神武の和名は、後世に作り上げられた名であることがはっきりしています。神武から9代の天皇は実在しておらず、その名は後世の創作です。

 架空の神武天皇が即位した日を、切りがいいからと1月1日(太陰暦)とし、それを太陽暦になおすと2月11日になるという計算です。こういう「伝説上」の日付で建国の日を決めてもらっては、人文科学としての歴史が泣きます。
 2月11日を祝日にしたいのなら、「神話の日」としてほしいです。

 明日は、「神話の日」について
<つづく>
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2006年02月12日


ぽかぽか春庭「言語学復習(4)神話の日」 
2006/02/12 日
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(4)神話の日 

 旧「紀元節」が決められたのは、「近代国家」として、建国の日を内外に示すべきだという国家観によります。
 戦後いちどは廃止された「紀元節」が「建国記念の日」として復活したのも、この国家思想のためです。

 「国民のために国家がある」のか、「国家のために国民がある」のか、という2つの考え方が拮抗するなかで、「国家のために国民がある」と考える人々にとって、「建国記念の日」は、よりどころのひとつになっています。

 「建国記念の日奉祝」派の人々にとって、初代天皇が即位した日を祝うことが、この国にの建国を祝うことになる、と考えられているようなのです。
 しかし、『日本書紀』の記述を見ていけば、この国を最初に統治した天皇(スメラミコト)という名乗りを与えられている人はふたりいます。

 始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)=神武、と、御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)=崇神です。

 スメラミコト(天皇)という称号を考え出した人は、天武天皇です。天武以前は「おおきみ(大王)」という称号を名乗っていました。

 a*****さんからのコメント。ありがとうございます。
 「 昨日のNHK,「その時 時代は動いた」壬申の乱 で、天武天皇(大海人皇子)が大友皇子を破った後、それまでの大王をやめて、初めて自らを天皇と名乗り、それ以前の大王を天皇と呼び直した、という話でした。神話の日というのもいいですね。。
投稿者:a***** (2006 2/11 0:20)

 NHK『その時歴史が動いた』、天武天皇の事績を広く伝えてタイムリーな企画でした。NHK番組では伝えていない天武朝9代と明治以後3代の天皇の関係について、のちほど今シリーズの中でお話ししていきたいと思っています。

 『古事記』での神武天皇の和名は「かむやまといわれひこ(神倭伊波禮毘古命)」。
 初代神武だけがさまざまエピソードを持ち、2代から9代まで、第2代綏靖、第3代安寧第4代懿徳第5代孝昭第6代孝安第7代孝霊、第8代孝元、第9代開化、までは、后の名子供の名を羅列するのみですっとばしています。

 次に詳しいエピソードが出てくるのは、10代目の崇神天皇から。
 初代と同じく10代目も、「ハツクニシラス(はじめてこの国を統治した)」という和名を持っています。歴史的には、崇神からが実在の「ヤマトの大君(おおきみ)」であろうとみられています。

 2月11日を祝うなら、自国の長い長い歴史を振り返り、日本語が豊かな言語文化を築いてきたことを、一同そろって寿ぐ日としてほしい。

 「神話と伝承の日」とし、アイヌのユーカラや沖縄のおもろそうしなどといっしょにことばの豊かさを味わうと共に、日本語の長い歴史と言語文化の変遷をふりかえる一日として、祝いたいなあ。

 明日は大王の名について。
<つづく>
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2006年02月13日


ぽかぽか春庭「大王の名前」
2006/02/13 月
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(5)大王の名前と言語学

 日本の言語文化にとっても言語学にとっても、アイヌ語と琉球語(沖縄方言)を日本が保持していることは、とても喜ばしいこと。
 私は、縄文文化あるいはそれ以前の旧石器時代も含めて自分たちの長い歴史を誇りたいと思います。日本語の豊かな響きを寿ぎたいと思います。

 「日本」という国号にこだわるのなら、大宝律令に「日本」の文字が記載された701年に注目したらいいのかもしれないし、「帝国日本」ではない、新生の現在の日本を寿ぎたいなら、大日本帝国から「日本国」へと生まれ変わったときを「建国の日」としたらよかろうと思います。

 世界的には、占領下や、植民地状態にあった国が独立した日を「建国の日」と呼ぶのが大半ですから、日本が「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」でなくなった日(1952/04/28)を「建国の日」とするのが、世界的、歴史的には納得の記念日かもしれない。4月29日と連休になるのでいいかも。

 日本語を母語として読み書きしてきた者として、ことばの使い方には気をつけたい。
 歴史を無視して、今から2666年前(紀元前660年)という伝説上のある一日を記念して「建国記念の日」と呼ぶのは、無理がある。その日に即位したという伝説上の人は実在しないのですから。
 歴史学考古学から考えても、言語学命名法からいっても、「2月11日は建国記念の日」とするのは、誇るべき日本文化日本歴史に対して、不誠実なことです。

 天皇の和名や陵墓の研究によって、初代~9代の天皇名は、後世に作り上げられたものであると判明しています。
 天皇の中国風の名、神武とか、応神とかの名は、天武以後につけられた、新しい名前です。

 中国式天皇名より古い時代につけられたはずの天皇和名を、命名法(ネーミング、命名法は言語学の一分野です)によって、言語学的に調べると、いつごろその名がつけられたのか推定できます。

 10代以後の天皇和名よりも、新しい方式の名がつけられているのが、初代から9代までの名前です。
 初代から9代までの和名は、天武天皇持統天皇の時代以後につけられたことが判明しています。すなわち、初代~9代の天皇は、天武朝になってさまざまな伝承をもとに作られたのです。

 『古事記』や大王(おおきみ)の名に関しては、
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0402a.htm
に書きましたので、ご参照くださいませ。

 明日は、古事記口承
<つづく>

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2006年02月14日


ぽかぽか春庭「古事記口承」
2005/02/14 月
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(6)古事記口承

 実在の神武天皇は存在しなかったけれど、神話伝説上の神武天皇は、後世作り上げられました。
 「きっと最初の天皇はこんな人だったのだろう」と、さまざまな伝承、地方に存在していた伝説を混ぜ合わせ、中国の思想などを取り入れながら、ハツクニシラス伝説が確立して出来上がっていきました。

 12日に書いたように、天武天皇(大海人皇子)は、「大王(おおきみ)」の称号を「天皇」という称号に変え、天武以前の大王にも中国風の名と天皇の称号を与えました。

 各地の伝承を取捨選択し、統一王朝の記録として「古事記」や「日本書紀」の編纂を意図したのも天武天皇です。
 中国に対して、また地方の豪族に対して、統一王朝の正当性と権威を知らしめるため、天武天皇は稗田阿礼に命じて、各地に伝わる伝承を暗唱させました。

 「稗田阿礼」とは、一個人ではなく、阿礼を長とする朗唱職能集団の一族であったと私は思っています。
 「伝説」や「神話」を集めたものを稗田阿礼が朗唱し、太安万侶が編纂したものとして私は「古事記」を受け止め、20代から30年以上にわたって読んできました。

 1974年に『古事記』を卒論として提出して以後も、おりにふれて読み直すたびに、万葉仮名の発明と工夫に感嘆し、世界各地の伝承神話との異同が次々に見つかるなど、新しい発見が増えてきました。
 古事記編纂の過程でどのような取捨選択、あるいはもっと踏み込んだ改竄が行われたかについては、ここでは論議を置いておきます。

 漢字漢文は伝来していたけれど、まだ日本語表記法が出来上がっていなかったので、暗唱する以外に伝える方法はありませんでした。

 口承は、文字がある地域にとっても、そうでない地域にとっても、言語文化の重要な伝承方法です。
 『ユーカラ』はアイヌ神謡集、『おもろそうし』沖縄の古代歌謡集。日本の言語文化にとって、たいせつな宝物です。

 口承の伝統は、アイヌユーカラや琉球おもろそうし、日本語文芸でも将門記、平家物語、仏教説話などで続いてきました。
 文字ではなく、口移しで物語を覚えていく方法を残していたのが越後瞽女(えちご ごぜ)。最後のごぜさんだった小林ハルさんは2005年に105歳で亡くなり、耳からの情報だけで伝えていく口承の保持者はいなくなりました。

 口承文芸の伝承者、現在もいますが、皆、文字記録も利用しつつ口承を伝えていて、耳からだけで受け継いだ人はいなくなったのです。

 稗田阿礼の口承を文章表記にうつすに当たって、漢文で書くか漢字によって日本語を記述するか、ふたつの方法が考えられました。
 漢文方式が『日本書紀』となり、漢字を日本語の音節にあてはめる「万葉仮名」方式で『古事記』が書かれました。

 日本の神話についてはさまざまな論がありますが、『古事記』や『日本書紀』に書かれた、古い神話を持つことは、日本語言語文化にとって、とても心豊かなことです。

 明日は、歴史ファンタジーについて
<つづく>
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2006年02月15日


ぽかぽか春庭「歴史ファンタジー」
2006/02/15 水
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(7)歴史ファンタジー

 「古事記」「日本書紀」などにに書かれていることを吟味せず、天皇についての歴史的事実を知りもしないで、明治以降の国家神道だけを奉じて「日本は神の国だ」とか発言する政治家が出てきてしまうのは、わが国の歴史に対して不遜なこと。

 千年の伝統を破壊する形で急ごしらえでつくりあげられ、まとめられた明治以後の国家神道は、南方熊楠が案じたように、自然のなかに息づいていた素朴な神々を破壊し、おろそかにしてしまいました。

 各種の「歴史」というのは、ファンタジーの一種であり、ある社会が一致して信じたいと思うことが記述されていきます。
 歴史がファンタジーであることを認識せず、書かれていることがそのままそっくり事実と思いこんだり、歴史事実への検証なしに「これが『国民の歴史』である」という態度で主張するのは、「科学としての歴史」ではありません。
 人文科学としての歴史記述は、冷厳な目で検証を行っていくべきです。

 一般に流布している「日本の原像」、天照大神アマテラスオオミカミが皇室の祖先神であり、神武天皇以来万世一系の皇室が存在している、というのも、そう信じたいひとが信じているファンタジーです。

 伊勢神宮天照大神と天皇家を結びつけたのは、天武天皇です。アマテラスを「祖先神」として祀るのは、天武朝から始まったこと。
 聖徳太子の時代まで、「やおろずの神々の中の有力なひとつ」ではあったけれど、「皇室祖先神」という扱いではありませんでした。

 「天皇は神の子孫であり、自らも神である」という思想を積極的に政治利用し、自分たちの権威を高めるために周囲への宣伝材料として行動した天皇は、天武天皇からはじまる9代と、明治以後の3代のみ。
 125代の天皇の中の実在した116人のうち、天武朝の9代(8人)と、明治以後の3人の合計12人だけが、日本史の中で、特殊な天皇だったのです。

 他の歴代天皇は、周囲に対して「天皇は神と同じように権威あるもの」として押し出さなくても存在理由があったし、アマテラス神の子孫を強調する必要もありませんでした。
 明治以後の天皇とことなり、他の歴代天皇は仏教を信仰し、聖徳太子以来の仏教に基づく教えを守って行動してきました。

 天武朝の天皇も、天武自ら仏教者として出家したし、聖武天皇は深く仏教を信仰し、東大寺大仏を建立しました。
 聖徳太子時代以後で、仏教と切り離された天皇は、明治以後の4代だけ。

 周囲内外の競争勢力に対して、積極的に「自らの権威」を作り上げなければならない存在だった天皇が、歴史上ふたりいます。
 天智天皇系統の大友皇子(弘文天皇)と対抗しなければならなかった大海人皇子(天武天皇)と、旧幕府徳川将軍を圧倒する権威を、大急ぎで持たなければならなかった明治天皇です。

 内での権威確立と同様に、外国勢力へも自身のよって立つ威信を誇示しなければならなかったのが、天武帝と明治帝。

 天武天皇は、圧倒的な大国中国に対抗していかなければならず、明治天皇は弱冠16歳での即位後、これまた圧倒的な力で開国を迫り、すきあらば植民地化の機会をうかがう欧米諸国と対抗しなければなりませんでした。

 天武天皇と明治天皇は、「自分たちは祖先神アマテラス神の子孫である」ことを強調して自らの統治者としての権威をうち立てた、という共通点を持っています。他の天皇には見られない特異なことでした。他の天皇は、「神の子孫」なんてことは強調せずに、仏教思想のなかで一生をすごしたのです。
<つづく>

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2006年02月16日


ぽかぽか春庭「蝦夷共和国」
2006/02/16 木
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(8)蝦夷共和国総裁選挙

 明治以降、皇室は「国家神道」のみに関わって、仏教信仰から離れました。
 国家神道の思想とは、明治期、急ごしらえで作り上げられた「中央集権型国家のための新思想」でした。
 源流は水戸史学などに求められるものの、国家的な思想として、天皇が「神道」一辺倒になったのは、明治からです。

 「皇室は、アマテラス神の子孫であり万世一系」と考えることは、歴史ファンタジーとして信じたい人が信じていけばいいのであって、「天皇家は125代続いたというが、それなら、「我が命も、岩宿遺跡の先祖以来200代だか300代だか続いた末の命である」と、考える人がいてもよい。
 125代連続だろうと、私みたいな「どこの馬の骨やら」の者だろうと、命の価値は等しい。

 天武帝が自家の正当性を主張し、各地の豪族を圧倒する威信を確立しようと懸命だったのは、壬申の乱後もすぐには支配権が確立せず、天智系の子孫をかつぐ勢力の豪族を圧倒しなければならなかったから。

 明治維新期に天皇の権威を認めたのは、一部の人間であり、他を圧倒する確たる力を持っていなかったからこそ、威信の表示が必要でした。
 明治初年の民衆にとって、「テンノー?ミカド?いったい何それ?」という程度の存在でしかなかったのです。

 明治維新を押しすすめた人たちも、倒幕後の構想はまちまちでした。公家の三条や岩倉は天皇中心にしようと考えていたでしょうが、他の人々はそれぞれの考えでまとまってはいませんでした。

 坂本竜馬が「入れ札(選挙)」によって「国の代表」を決める共和国を構想していたこともあったようだし、短期間ではあったけれど、榎本武揚が「函館政庁(蝦夷共和国)」を樹立し、入れ札によって総裁を決めていたことなどを考え合わせると、歴史の「もしも」が少しずれていれば、日本が138年前に共和国へ移行していた可能性もありました。

 明治10年の政変(西南戦争)終結まで、明治新政府は存続できるかどうか、薄氷ふむようなあやうい政権でした。
 近代社会の確立にあたって、天皇が政治権力に直接関わることになったことは、強力な中央集権を作り上げた半面、近代の破綻にも繋がる要因ともなりました。

 近代以後の共同体のありかたと近代制度の枠組みが、今、大きくきしんでいます。国民統合のシンボルとは一体どのようなものであるべきなのか、そこまで立ち返って考えたいのです。
 
 「私にとっての共同体とは何か」を、もう一度考えてみたいと思っています。
 共同体と自分自身を結びつける手がかりのひとつが、私にとっては「日本語」です。
 日本語を母語としない人との共同体形成はどう行っていったらいいのか、についても含めて、日本語について考えてみること、母語、共通語としての日本語についてあれこれ考えること。私のアイデンティティのひとつの源泉です。
<つづく>
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2006年02月17日


ぽかぽか春庭「語源散歩・ひいな」
2006/02/17 金
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(9)語源散歩・ひいな

 「日本語を考える」つづけます。
 言語学の研究成果を無視して牽強付会し、「○○語と日本語は同系統」と断定してしまうのは、こじつけです。日本語の系統、まだわかっていません。
 「日本語の系統」はどこに属するのか、研究を深めていっても、わからないことはたくさんあります。」
 また、基礎的な和語の語源、わからないことだらけです。

 月初めの「一日」をなぜ「ついたち」と言うかについては、春庭いろいろあらーな2005/12/01に紹介しました。「月立ち」が「ついたち」に音便変化したものでしたね。
 でも、「月」をなぜ「つき」と言うか、「日」をなぜ「ひ」というか、語源は、はっきりとはわかりません。

 平安末期に成立した辞書「色葉字類抄」に書かれている「師走」の語源からして、すでに民間語源を記していることを、2005年12月1日に紹介しました。
 言語科学の知識によって語源を調べるのは、限界があります。

 「語源探索」は、とても楽しい「言語学の散歩」のひとつなのですが、学問として「日本語の語源学には手を出すな」というのは、語源を厳密に調べるのは難しいからです。
 日本語の語源に関して、さまざまなアプローチの本が出版されています。
 どれが一番よいなどということはできないのですが、一番新しい出版で一番大部の本をひとつだけ紹介するなら、小学館『日本語源大辞典』2005年発行、6000語について、出典を出して語源説を併記しています。

 どのような形式で語源が記されているか、「日本語源大辞典」より、一語のみ例を示してみます。
 有力な説だけでなく、諸説併記してあるところが誠実な編集方針だと思います。

 天皇の住まいを「内裏(だいり)」と呼びます。お内裏さま、とは、「内裏にすむ天皇」のこと。「おひなさま」の「ひな」は何でしょうか。まもなく雛祭りなので。「ひいな(雛)」の語源を、「日本語源大辞典」から引用してみます。
 もう、部屋の中に「お内裏さまおひなさま」を飾り付けたご家庭もあるでしょうね。

「雛(ひいな)」語源(小学館『日本語源大辞典』より)
・雛ひいな(ひひな)
(語意)紙や木などでこしらえ、着物をきせたりする小型の人形で、女児の玩具、またひな祭りに飾る人形。
<語源>(三つの説を併記)
1)ヒメヒナ(姫雛)の略。雛は、小さい意(大言海)
2)とりの雛の鳴き声から出た語で、ヒヒナキの略。鳥の子をいう雛の転義(擁書漫筆・雅言考)
3)ヒヒナアソビに用いる道具であるところから。ヒヒナアソビはヒメノアソビの転(安斉随筆)

<つづく>
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2006年02月18日


ぽかぽか春庭「あげくのはてにわからない」
2006/02/18 土
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(10)あげくのはてにわからない

 ここで言っている「語源をさがすのは難しい」とは、平安以後に新しく出来上がった比較的新しい単語について言っているのではありません。
 「武家用語」「職人用語」「御所女房ことば」などから出来上がった「新出来の語」の語源は、比較的たやすく知ることができます。
 たとば、「あげく」。

 例文「旅行パンフレットを比べていろいろ迷ったあげく、結局どこへも行かないことになった」

 連歌や俳諧連句(57の句と577の句を36句つなげると歌仙巻、100句つなげると百韻)の用語。
 一番終わり、最終の句を「挙げ句」といいます。この「挙げ句」で座が終わりになるので、「あげく」「あげくのはて」は、「ものごとのいちばんのおわり」の意味になりました。
 出所がわかっている「挙げ句」の語源はわかります。

 しかし、「あげ」や他動詞「あげる」自動詞「あがる」の語源、何故「上方への移動」が「あがる」や「あげ」であり、下方への移動が「さがる」「さげ」であるのかは、わからない。
 「あ」が上方へ「さ」が下方へ、この違いは、どこから生まれたのか、わかりません。

 「離る(さかる)」「裂く(さく)」「去る」の「さ」とはどうなのか。「下がる」の「さ」と共通しているのだろうか。
 曲線を描く「まげる」は、「まるい」の「ま」と共通の語源があるのだろうか。
 興味はわくけれど、わかりません。

 動詞「あげる」名詞「あげ」の語源を調べようとしたら、たぶん、一生かかってもわからないでしょう。
 ソシュールが一般言語学で述べたように、ことばの音は「恣意的」に出来ているのですから。「恣意的」ってきくと難しそうですが、私の好きな「きまぐれにテキトー」ってことです。

 「月つき」、も「日ひ」も、語源はわかりません。
 どこかの言語に「ヒ」という発音で「日」を表現していることばがあるかもしれませんが、その「ヒ」が日本語の語源だと断定することもできません。日本語の系統は、わかっていないのですから。

 明日は「ひ」の語源
<つづく>
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2006年02月19日


ぽかぽか春庭)「ひ」の語源
2006/02/19 日
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(11)「ひ」の語源

 「日本」という漢字、和語では「ひのもと」と読んだと思われますが、和語の「ヒ」の語源は何か、わかりません。

 「日」の語源説、諸説ありますが、決定的なものは出ていません。
 昨日(キノフ)今日(ケフ)の「フ」と同根の語だという説、霊(ヒ)と共通しているという説、ヒカリのヒと共通するという説など。

 「火」と同義という説もありました。燃える太陽を「火」と見て、「日のもと」は「火=太陽=日」であり、「日のもと」は「太陽(燃える火)のもと」だったという説です。しかし、この説は現在は否定されています。火と日は違う語です。

 上代特殊仮名遣い(母音が8つあった)時代の発音では、「日」は甲類の[fi]、「火」は乙類の[fi]で、別の発音だったのです。
 「火」の古い形のひとつは「ホ」です。炎(火の穂=ホノホ)。焔(火群=ホムラ)
 ですが、「日」のほうに「ホ」という形はありません。

 この先、源日本語、アイヌ語、古代朝鮮語などの研究も進んでいくと思いますが、すべての語にあてはまる確実な音韻交替を含む系統はなかなかわからないと思います。
 古代語を復元する資料が少ないからです。
 韓国朝鮮語をハングルで表記できるようになり、会話内容を表記できるようになったのは、15世紀以後です。それより古い朝鮮語の文献はありません。

 15世紀のハングル発明以前は、朝鮮の文献は漢文によって表記されていました。漢文で書かれた歴史書や日本の古事記日本書紀などから古代朝鮮語を推測復元しても、単語のいくつかが復元できるだけで、文章・会話文の復元はできない。つまり、古代日本語と比較すべき古代朝鮮語は残されていません。

 考古学や古代史から推測して、源日本語に大きな影響を与えたと思われる言語のひとつに古代朝鮮の百済語(くだらご)が想定されています。
 しかし、百済の国は滅ぼされ、百済語は死語になってしまいました。百済語を話せる人は、朝鮮半島にも残っていません。

 「とんでも日本語系統本」のいくつかは、現代韓国語現代朝鮮語、古く遡ったとしても、せいぜい中期朝鮮語と、古代日本語を並べて論じています。
 古代日本語は古代朝鮮語と比較すべきですが、その古代朝鮮語の復元はできていないのですから、比べようがないのです。

 明日は、言語の系統図について
<つづく>

2006/02/20 月
言海漂流葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(12)言語系統図

 m***さんからのコメント、ありがとうございます。ことばへの関心をもっていただき、うれしいです。
 「 日本語は様々な言語の影響を受けてきたのでしょうね。チョッと前に「人麻呂の暗号」と言う本でカゴメカゴメが朝鮮の言葉だと意味が通るとか。大和王朝の成立の頃から朝鮮からの渡来人がいたことを思えば、頷けるかな。また色々教えてください。
投稿者:m*** (2006 1/28 23:51) 」

 いくつかの語を拾い上げて、「似た発音の語が両方の言語にある」という程度では、「日本語は○○語が起源だ」などと言い切れません。
 恣意的に似た語を集めるなら、英語の「I think so ! 」の「so」と日本語の「私そう思う」は、「そう」が同じ意味を表わしているから、日本語と英語のもとは同じ、と言うことも可能です。
 
 「万葉集は韓国朝鮮語で読み解ける」というトンデモ本がでたとき、日本語学者金田一春彦は、皮肉をこめて、万葉集はすべて英語で読み解けると述べました。
 タイトルの万葉集は、「マンヨーシュー=many +ood+shew(showの英語古語)」であり、many=たくさんの、ood=頌歌、shew=見せる、陳列、と解釈でき、万葉集は、英語で「たくさんの頌歌の陳列」と解釈できると言うのです。こじつければ、日本語を何語とも結びつけることができると喝破しました。

 しかし、言語学でいう「語族=ことばのファミリー」は、もっと厳密です。
 親子関係鑑定でいうなら、DNA鑑定にあたる調査をしてからでないと、ふたつの言語がファミリーかどうか、判断できないのです。
「AさんとBさん、ちょっと似たとこがあるね、ほら眉毛の形そっくりだ」などという理由でAさんとBさんが親子だ、と断定することはできません。

 言語学の一分野に「比較言語学」があります。
 インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる言語のファミリーについては、比較研究が広く行われて、言語系統図ができあがっています。
 サンスクリット語の研究から始まった、インドからヨーロッパに広がる同系統の言語ファミリーの研究です。

 インド・ヨーロッパ語族のほか、オーストロネシア語族、アフロ・アジア(ハムセム)語族などの「ことばのファミリー」についての研究があります。

 一方、日本語は。アルタイ語族のトルコ語やモンゴル語と、ことばの並べ順が同じであることはわかっていますが、では日本語が確として「ウラル語族」「アルタイ語族」であるかと言えるかというと、確実なことはわからない。

 お隣の韓国朝鮮語とは、文法面に似ている部分が多く、古代日本語には、朝鮮語のような「母音調和」があったということなどはわかっていますが、ファミリーと言えるような近縁関係、親戚関係が証明されたかというと、わかっていないことのほうが多いのです。

 明日は、比較言語学について
<つづく>
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2006年02月21日


ぽかぽか春庭「比較言語学」
2006/02/21  火
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(13)比較言語学・言語のタイプ

 日本語は、中国語の漢字と漢語語彙借入の恩恵をうけました。
 また、古代朝鮮で行われていた「漢字を自国語におきかえて読む訓読みの方法」を取り入れました。

 山という文字は、サンという発音。(現代中国語普通話ではシャン)。山という文字は、日本語にあてはめると「やま」のことだから、この文字を「やま」と読むようする、という「訓読み」の方法を取り入れたことで、日本語の文章表現や表記は発達しました。中国語(漢文)を書き下し文(翻訳読解)で読みこなすことにより、文章表現の方法を学ぶことができたのです。

 飛鳥奈良時代、漢字の発音を日本語の音節表記に利用した「万葉仮名」によって、日本語表記ができるようになりました。
 平安時代には、漢字をくずした平仮名と、漢字の一部分だけ取り出したカタカナで、日本語の音節を表記できるようになりました。

 (この音節文字の習得に関しては、2006/01/27~31「いろは歌」をご参照下さい。)

 中国語、古代朝鮮語など、近隣諸語と「おつきあいは深かったのですが、語族としての親戚関係があるかどうかについては、「孤立語である中国語とは別系統」ということは確実ですが、「ウラル・アルタイ語族との関係はまだわかっていない」というのが、言語学の考え方。

 日本語は「膠着語(こうちゃくご)=名詞に格助詞がくっつくことで、文中の機能を示す」のひとつですが、言語ファミリーがどこに属すかはわかっていません。

 言語の主なタイプ分類について
1、ことばの並べ方(S=主語・主題 O=対象語・目的語 V=述語)
 SOV(日本語はこのタイプ。私は(S)ペンを(O)買う(V))
SVO(英語はこのタイプ I buy a pen.) そのほか、VSO  VOS  OSV  OVS

2、修飾のしかた(形容語と被形容語の語順)
 形容語--被形容語(日本語 青い空)
 被形容語--形容語(フランス語 空あおいle ciel blue)  

3 単語の形態
 A,B,C,Dの代表的タイプに分類してあるが、単一のタイプにきれいに分けられるわけではない。
 日本語は、屈折語の要素も含む膠着語であり、英語は屈折語の要素を残しつつ孤立語へ移行した言語である。

A)膠着語=日本語、韓国朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語など。
 膠着語の「膠」は、「にかわ」のこと。にかわでくっつけたように、基本の語(自立語)に附属の語(非自立語・付属語)がついて、文法上の機能を表わす。

 フィンランド語、ハンガリー語は、アジアからヨーロッパへ大移動していったフィン族の言語がもとになっているが、インド・ヨーロッパ語の影響を大きく受けているため、アジアの膠着語とは異なっている面もある。
 エスペラント語なども、膠着語の特徴を含む部分がある。

 日本語は、名詞に格助詞や副助詞がくっついて、文中の機能をしめす。
 「私」「ねずみ」という基本の自立語に格助詞「が」がつけば、「私が」「ねずみが」と、主格を表わし、「の」がくっつけば、「私の」「ねずみの」と所有をあらわす。対象格(目的格)は、「私を」「ねずみを」

B)屈折語=ラテン語、ギリシア語、アラビア語など。
 名詞が格変化する。英語の例。わたしが=I わたしの=my わたしを=me
 動詞の屈折変化(活用)の例。(わたしが)言う=( I ) say (彼が)言う=(he) says
 彼が言った(he)said
 ただし、英語は、名詞の屈折変化が減少し、孤立語の特徴を併せ持つようになっている。

 日本語は名詞は膠着するが、動詞は屈折(活用)によって文法的機能を示す。すなわち、文法機能によって、語形が変る。
読む= よま--ナイ  よみ--マス  よん--ダ  よめ--バ  

C)孤立語=中国チベット語族(中国語、チベット語、ビルマ語、ベトナム語、ラオス語、クメール語)、サモア語、タイ語。

 英語は、屈折語の特徴が減少し、孤立語の要素が多くなっている。単語自体の形の変化ではなく、語順によって文法的機能を示す。語頭に置かれると主語を表示し、動詞の後ろに置かれると、対象語(目的語)となるのが基本。

 The cat eats a rat.(ネコがネズミを食べる) The rat eats cheeses.(ネズミがチーズを食べる)
 最初の「ratねずみ」は目的語で「ねずみを」、次の「ratねずみ」は主語であり「ねずみが」を表わす。単語の形はかわらずに、語順で文法機能が変わる。

D)抱合語(包合語、複合統語)=シベリアからアメリカ一帯のネィティブ住民のことば(エスキモー語、グリーンランド語、コーカサス語など)
 アイヌ語もこの特徴を持つ。

 抱合語では、意味の最小要素である形態素がくっついて、一文をつくりあげ、ひとつひとつの要素をわけることができない。

 日本語の複合統語的表現を例にとろう。
 自分の書いた作文を順に読み上げていくという学校の宿題発表のシーンで。先生から宿題を読まなくてもいいと言われた子が、自分の動作立場を次のように表現したとする。
 「(今日は、)読み上げさせられませんでした」

 この表現の中で、「読む」「あげる」のふたつの動詞が複合して「読み上げる」という新たな動詞を作っているほか、「させ=使役」「られ=受け身」「ません=丁寧・否定」「でし=丁寧・断定」「た=過去」という複雑な接辞がすべてくっついて、ひとつの述語表現になっている。
 この中の「させ」とか「ません」だけを取り出しても、独立した意味を表現できず、全体でひとつの述語表現になっている。

 抱合語とは、このように、ひとつひとつの意味要素が分かちがたく総合的にくっついて全体の意味を表現する。

 バントゥ諸語のひとつ、スワヒリ語の例。
「ナクペンダ=わたしはあなたを愛している」
 n(一人称接辞)a(現在)ku(あなたを)pend(愛する(語幹))a(動詞現在)

 明日は、言語ファミリーについて。
<つづく>
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2006年02月22日


ぽかぽか春庭「言語ファミリーとクレオール言語」
2006/02/22 水
言海漂流・葦の小舟ことばの海をただようて>言語学復習(14)言語ファミリーとクレオール言語

 古代朝鮮語と古代日本語、アイヌ語との関係、日本語と韓国朝鮮語の起源について、まだまだ、研究の途上です。
 自分の家のご近所さんと、親しくおつきあいしていても、その家が必ず親戚であるというわけではないのと同様です。日本語についてのファミリーさがしは、むずかしい。 

 おおもとになった言語がだんだん枝分かれして言語ファミリーを増やしていく、という系統や語族のほか、言語の成り立ちに特徴のあるもうひとつのものが「クレオール言語」です。

 ふたつの言語が接触して、両言語が混じり合ったり融合したりした新しい言語が話されるようになることがあります。この新しい言語をピジン言語pidgin language)と呼びます。

 このピジン言語を母語として話す集団が現れたとき、この言語を「クレオール言語」と呼びます。生まれたときからこの言語を聞いて育ち、家のなかでこの言語を使って育つ子供がでてくると、「ふたつのことばが混じり合った言語」から「一人前の言語」として定着するのです。

 今期わたしが受け持った留学生のひとりは、英語クレオール語のひとつ「ピジンイングリッシュ」を話しました。
 ピジンイングリッシュは、太平洋の島の言語と英語が接触することによって新たに出現した言語です。パプアニューギニア、ソロモン諸島などで共通語として用いられ、バヌアツでは公用語「ビスラマ語」と呼ばれています。

 カリブ海の島では、フランス語と島のことばが接触して新たな言語「フランスクレオール語」が出来上がりました。ハイチクレオール語、マルティニククレオール語などが有名です。
 そのほか、ロシア語クレオール(ロシア語とノルエー語の融合によるルソノースク語)ポルトガル語、オランダ語、などのクレオールもあり、アフリカの言語のなかでふたつのことばが融合したクレオールが生まれた例もあります(南アフリカのファロカナ語)。

 このシリーズでは、「建国記念の日」にまつわる日本の原像と日本語について考えてきました。その中で、アイヌ語、縄文語などについても少しふれました。
 昨年、国立科学博物館で開催された「縄文vs弥生」展で、人口統計や人骨の研究から、「縄文人から弥生人への移行がどのように浸透していったのか」についての、最新科学の知見を報告しました。

 縄文語の復元について「復元は試みられているけれど、文献が残っていないので、あくまで推測復元であり、全貌はわからない」と述べました。わからないのではあるけれど、自分たちの言語のルーツを知りたいという「ロマン」を追い求めたい人は多いようです。
 日本語の源流説、諸説あります。

 オーストロネシア諸語を基礎として、他の言語が加わったという説。
 アルタイ系の言語を基礎として他の言語が加わった、という説などなど。

 そのうちのひとつに「日本語は縄文人の言語であった原アイヌ語と、弥生人のもとになった大陸系言語のクレオール」という説があります。

 言語タイプからみた現在のアイヌ語は、現代日本語と異なる面が多いですが、古代アイヌ語の復元など、文献資料が少ない言語についても研究が進んでいき、これから多様な研究が深まれば、日本語の起源についても、今の「わからない」状態から少しは進歩していくかもしれません。

明日は、恋のマイアヒについて
<つづく>

言語学復習 目次

2012-02-02 06:26:34 | 日本語学
2/09 言語学復習(1)語学劣等生春庭のための言語学
2/10 言語学復習(2)孤児日本語
2/11 言語学復習(3)ニッポンジャパンリーベンハポン
2/12 言語学復習(4)神話の日
2/13 言語学復習(5)大王の名前と言語学
2/14 言語学復習(6)古事記口承
2/15 言語学復習(7)歴史ファンタジー
2/16 言語学復習(8)蝦夷共和国総裁選挙
2/17 言語学復習(9)語源散歩「ひいな」
2/18 言語学復習(10)あげくのはてにわからない
2/19 言語学復習(11)「ひ」の語源
2/20 言語学復習(12)言語系統図
2/21 言語学復習(13)比較言語学
2/22 言語学復習(14)言語ファミリーとクレオール言語
2/23 言語学復習(15)恋のマイラヒ
2/24 言語学復習(16)言語学と日本語学
2/25 言語学復習(17)言語学のたのしみ
2/26 言語学復習(18)手はださない
2/27 言語学復習(19)世界一周ことばの旅
2/28 言語学復習(20)80言語の挨拶と数

3/01 言語学復習(21)出会った百余のことば
3/02 言語学復習(22)ことばの世界へようこそ