にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

児童文学の受容と変容の一考察-レミとネロ

2009-06-26 05:55:00 | 日記
ぽかぽか春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>日本児童文学における外国文学移入の受容と変容「児童文学の変形譚・レミとネロの物語を中心に」(1)レミの受容

 2010年7月3日付け朝日新聞2面の「ひと」欄に、「本国での不人気はなぜ「フランダースの犬」の謎に挑むアン・ファンディーンダレンさん(39)」という人物紹介コラムがありました。
 日本人観光客がルーベンスの絵が掲げてある教会を訪れるのは、例外なくこの絵の存在を「フランダースの犬」のラストシーンで知ったことによるのだということ、本国では知られていない「フランダースの犬」が、なぜ日本では大人気なのか、という問題について取り組んだ人がいます。そう、私春庭もそのひとり。
 ファンディーンダレンさんの紹介を読んで、私もフランダースの犬について書いたことがあったのだ、と思い出しました。発表レポートを掲載しておきます。

 以下の文章は、大学院博士課程単位取得のためのレポートとして2008年に執筆したものです。単位はもらえましたが、ゼミで口頭発表のあと、批判点を整理し追加執筆しようと思っていたのですが、その余裕のないまま放置してしまいました。
 以下の掲載は、口頭発表原稿であるため、文体は「デス・マス体」です。「フランダースの犬」のネロと「家なき子」のレミを、日本社会はどのように受容してきたかという「外国文学の受容と変容」についての論考です。
============

1 家なき子
1-1 レミの受容
 明治時代には、子どものための物語も、欧米からの翻訳物語や翻案ものが流行しました。
 『家なき子』のお話。少年レミが、苦労の末に実の母ミリンダ夫人に巡り会う「母さがし物」です。
 原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。
 1903(明治36)年、読売新聞記者の五来素川が翻案し、「未だ見ぬ親」と題して発売されました。

 主人公レミの名は「太一」に、太一が8才まで育った「シャヴァノン村」は「関谷新田」となり、育ての母は「関谷新田のお文どん」。太一が売られた旅回り一座の「ヴィタリス親方」は「嵐一斎老人」、犬の「カピ」は「白妙丸」と、すべて日本を舞台にしたものとして翻案されています。

 この「太一の物語」につよく心を動かされた小学生が東北にいました。
 1905年、小学校3年生だった宮澤賢治は、担任教師だった八木英三教諭が教室で読み聞かせてくれたこの物語に深い感銘を受けました。
 後年になって、賢治は八木教諭に会った時、自分の童話創作の動機を次のように語っています。(堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』による)

 『 私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。その時分、先生は「太一」のお話や、「海に塩のあるわけ」などいろいろのお話をしてくだすったじゃありませんか。その時私はただ蕩然として夢の世界に遊んでいました。いま書くのもみんなその夢の世界を再現しているだけです。 』
 翻案された欧米の児童小説が、東北花巻の小学生の心に残る。彼はその後『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、独自の作品をつぎつぎに生みだしていく。
 翻案小説が、他国に根を張り、それが新たな物語の種として育っていく、ひとつの典型がここに現れています。

 1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で、菊池幽芳が同じ物語を「家なき児」という題名で発表し、1912年に春陽堂から発売されました。以後、この「家なき子」という題が定着しました。
 現代日本の『家なき子』ファンにとっては、アニメの「家なき子、レミ」です。全51話の放映。日本テレビ系列で1977年10月2日から1978年10月1日まで。


1-2 ネロのアニメ化
 このような「翻案」ものの中で、近年の傑作といえるのは、『フランダースの犬』です。
 原作は、イギリスの女性児童文学者ウィーダOuida(1839~1908)の短編『フランダースの犬A dog of Flanders 』
 日本の翻案テレビアニメ作品は、52話。

2 フランダースの犬
2-1 パトラッシュ
 1975年1月5日から同年12月28日まで、フジテレビ系列の「世界名作劇場」枠で放映されたテレビアニメシリーズ『フランダースの犬』は、短編だった原作を、日本文化にうまく適合させて、長編アニメにしてあり、翻案として成功をおさめた作品のトップクラスだと思います。

 このアニメの大きな特徴はふたつ。
 主人公ネロの年齢が、原作では15歳、アニメでは10歳であること。 
 アニメの第1話~40話は原作にはなく、アニメのオリジナルストーリーだ、という2点です。
 ウィ-ダの『フランダースの犬』とアニメ『フランダースの犬』の差は、シェークスピアの『オセロ』と、川上音次郎貞奴一座翻案劇『オセロ』の差より、はるかに大きいく、主人公の名前や地名を翻案した『未だ見ぬ親』と『家なき子』より、ずっと大きい。
 この差を無視して、ウィーダ原作の読者受容とアニメ作品「フランダースの犬」人気を比較することはできません。

2-2 検証フランダースの犬
 ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成しました。
 以下、読売新聞の特派員による記事(ブリュッセル=尾関航也)(2007年12月25日11時39分 読売新聞)より引用。
=============
  ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。
 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36歳)。
  制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。

  物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。
  原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。

  米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。
  ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

  プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36歳)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
  上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月(2007年12月12日)からインターネットなどで販売されている。
=============

2-3 ネロとアロア
 日本人が涙を流すほとんどは、ウィーダの原作を読んでのことではなく、アニメ「フランダースの犬」を見てのことです。
 アントワープの大聖堂でルーベンスの『キリストの降下』の絵を見て涙を流す日本人観光客の何人がウィーダの原作を読んでいるかは、不明です。
 私自身、原作を読んだのは小学校のころであり、それから一度も読み直さなかった。今回のレポート執筆のために、50年ぶりに読み返しました。

 岩波少年文庫『フランダースの犬』、すぐに読み終わります。文庫95ページ分の、あっという間に読み終わる作品です。
 アニメ作品は1年間52話が放送されましたが、そのうちの原作相当部分は42~52話だけなのです。

 もし、原作通りにネロとパトラッシュの物語がアニメになったとしたら、これほど多くの人々が「もっとも心に残るクリスマスの物語は、大聖堂でルーベンスの絵を見上げてほほえんで死んでいくネロとパトラッシュ」という気持ちを持ち続けたかどうか、疑問です。

 原作ではネロは15歳になっています。一方、アロアは原作では12歳。原作でアロアの父親コゼツのだんなが、二人の年齢についての心配を妻に語る部分があります。
 『 コゼツのだんなは、とても心を悩ませながら家に入りました。その晩、粉屋は妻にこう言いました。「あの若者をアロアに近づけさせてはいけないよ。将来問題が起きるかも知れん。ネロは十五で、アロアは十二だ。ネロは、格好もよくて、なかなか美男子だからな。」 』

 原作が書かれた当時のヨーロッパで、15歳というのは、庶民階層の男子が自立してしかるべき年齢です。自分の人生を自分で開拓していくべき少年期から青年期への移行期間にあたっています。
 翻訳されて日本に移入された明治の日本でも、15歳はけっして「子ども扱い」される年齢ではありません。中学校への進学率はまだ低く、12歳で小学校を卒業したあとは、一人前の労働力として期待されました。

 また、ネロが15歳だとすると、12歳のアロアとふたりだけで親しくすることを心配する親の気持ちもわかり、アロアの父親が、ネロに苦言を呈するのも頷けます。年頃の娘をもった父親なら、15歳の男の子が自分の娘と二人でいっしょにすごすことを快く思わず、「うちの娘とつきあうな」と言うでしょう。

 アニメでは、ネロは10歳、アロアは8歳に設定されています。「15歳と12歳」に対して、「10歳と8歳」、この年齢設定の意味は大きい。10歳は、まだまだ自立するにはむずかしい年齢であるし、アロアとふたりっきりですごしていても、引き裂かれなければならない年齢には思われません。


2-3 ネロの時代
 『フランダースの犬』の作者、英国女流作家ウィーダ(1839~1908本名はド・ラ・ラメー マリー・ルイーズ)は、19世紀、ヴィクトリア女王の時代の人です。日本ではほぼ明治時代に匹敵します。この時代のイギリスにおいて、学校教育を受けて字が読める層と、読めない層の階層差は、現代では考えられないくらい大きなものでした。

 ウィーダの時代の考え方によれば、中産階級の子弟なら、学問を身につけて己の社会的地位を獲得すべきだし、土地財産をもたない下層階級の子どもなら、手に職をつけ一人前の職人になるなど、自立するための過程が必須でした。絵が好きなら、マイセン陶器などの絵付師に弟子入りするとか、タペストリーの下絵職人の親方の下で働くとか、なんとかツテを求めて、手に職をつけるよう家族が図るところだったでしょう。

 しかし、原作では、15歳のネロの唯一の家族ジェハンじいさんは、物語の最初からすでに80歳をすぎた老人であり、ネロの将来のために何かしてやれる状態ではありませんでした。牛乳配達ができないほどジェハンの身体が弱り、ネロが6歳で牛乳配達の仕事をおじいさんから引き継いだあとは、ほとんど寝たきりになっています。
 動けるうちにネロのために、コゼツ旦那に下げがたい頭でも下げるとか、教会が嫌いでも牧師に頼み込むなりして、ネロを徒弟奉公に出すよう、しておくべきだったのでしょうが、そうする前に病にたおれたてしまいました。ネロは自分の身の振り方について誰にも頼れず、親戚もいない村の中で自立の方法を探る機会はまったくありませんでした。

 ジェハンじいさんは、「ネロや、おまえが大きくなって、この小屋と小さな畑を自分で持って、自分で働いて、近所の人からだんな、と呼ばれるようになったら、私も安心してお墓にいけるというもんだよ」と、ネロに語りかけました。兵士として働いた後、ついに自分の土地も持たずに一生を終えようとしているジェハンにとって、ネロが自作農になるというのが、最高の夢だったのです。

 ネロは、「絵を描きたい」などとジェハンに語ることは、ジェハンを困らせるだけだと思っていました。また、徒弟奉公に出てしまえば、寝たきりのジェハンの世話をすることができなくなってしまいます。ネロにとって、ジェハンとパトラッシュとともに小さな小屋で生きていくこと以外の望みは、ひと目アントワープの教会の中にしまわれているルーベンスの絵を見たい、ということだけでした。「絵を描いて身を立てる」という方法をさがすなど、ネロ自身に思いも寄らぬことだったのです。

 原作で、ウィーダはネロについて以下のように書いています。
 『ネロは、貧しく育ち、運命にもてあそばれ、読み書きも教えられず、誰にも顧みられませんでしたが、その見返りに、いや、災いだったかも知れませんが、「天才」と呼ばれる才能を授かっていました。誰も、そのことを知りませんでした。ネロ自身も全く。誰も、そのことを知りませんでした。』

 ネロの画才に気づいたのはアロアの父、コゼツ旦那だけでした。しかし、コゼツにとって「絵を描くなどということはよくないことだ。絵を描いている間は労働せず怠けていることになる」ことであり、絵描きなどは乞食よりもっとタチの悪い存在と思えるものでした。
 ネロが暮らす小屋は、わずか20軒ほどの農家がある小さな村です。村一番の金持ちは、風車小屋を持ち粉屋を営むコゼツ旦那。しかし、コゼツは、ネロの画才に気づきながら、だから、けっして娘のアロアに近づけてはいけないと、妻に命じました。

 ネロの村の人々は、ネロたちが牛乳運びの仕事でほそぼそと暮らしを営むことを助け、パンやスープやたきぎなどを恵んでくれる人もいました。しかし、ネロの将来を考えてやれる余裕のある人はいませんでした。一番余裕があったコゼツ旦那は、ネロの将来より、「娘のアロアに有利な結婚をさせてやりたい。見た目がよくきれいなだけで金のないネロのような貧乏人とつきあわせてはいけない」という現実的な問題を優先させました。


2-4 女流作家ウィーダの時代
 「フランダースの犬」の作者ウィーダが作品を発表したころは、女性がようやく社会に進出できるようになった時代でした。女性の社会進出には、女性も識字教育を受けるようになったことの影響が大きい。読み書き能力(リテラシー)は、社会進出の第一の手段です。

 19世紀ヴィクトリア女王の時代以前の英国女性の識字率は、とても低いものでした。農民男性の識字率も低かったですが、さらに農民女性は低い識字率でした。そして驚くことに貴族階級の女性の識字率も日本のように高いものではなかったのです。イギリスの貴族階級女性にとって「字を読み書きする」などという男性のようなリテラシーを持つことは、女らしくないことでした。「右筆(ゆうひつ)=貴人のために読み書きをして仕える使用人」を雇うことが貴族女性の証だから、自分自身が文字の読み書きをする必要はなかったからです。手紙も領地の相続に関わる公文書も、信頼できる有能な右筆に口述筆記をさせれば間に合いました。

 例をあげるなら、17世紀初頭、イギリスの名家ライル卿夫人の娘アン・バセット。彼女は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(世継ぎのエドワード6世を生んで1ヶ月後に死去)に使えた女官であったけれど、「自分の名前しか書けない」と述べています。手紙は従者に口述筆記させていました。

 日本の上層階級の女性、特に宮中に仕えるような身分の女性たちは「女房奉書」という天皇の勅書に匹敵するような重要文書を書きこなすことが必須の教養とされていました。また農民や商人階級の女性でも寺子屋などで文字教育を受ける機会を得た場合、伊勢参りの旅行記を自ら執筆するくらいの文章力を持っていました。たとえば、江戸後期の福岡の商家のおかみさん小田宅子は、歌仲間の友人3人にお供3人を伴い、1841(天保12)年に旅行を敢行し、旅行記『東路日記』を表しました。伊勢参り、長野善光寺参り、日光、江戸見物と、3200kmにわたる旅を同行の桑原久子は『二荒詣日記』に書き、江戸女性の文章能力の高さを後世に残しています。
 江戸時代の識字率は、男女とも世界的に見て、日本は最高レベルであり、明治の近代化が成功したのはこの識字率の高さ、国民が近代化を受け入れることのできる教養をもっていたことによる点が大きいのです)。

 イギリス女性の識字率の低さについて、私はスーザン・W. ハル『女は男に従うもの?―近世イギリス女性の日常生活』 (刀水歴史全書)を読んで知りました。イギリス貴族階級の女性は高い教育を受け、読み書きできるとばかり思いこんでいたので驚きました。

 ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、数カ国語に堪能で読み書き能力にもすぐれていたと言われていますが、それは特殊な例だったのです。一般の女性は、読み書きに励むより、幸福な結婚生活のほうを選ぶこともできました。しかし、エリザベスの場合、女王として戴冠するまでは幽閉の身の上を強いられていました。「王に反逆したアンの娘であるゆえ、王女の身分を剥奪された囚人」でしかなかったから、結婚以外の身の振り方を考えるため、教養を武器にするしかなかったという特殊事情がありました。すぐれたリテラシィを持ったエリザベスは、「幸福で平凡な結婚生活」ではなく、「国家との結婚」を選択することになりました。

 19世紀に至るまで、イギリスの識字女性は、上級階級でも下層階級でも少数派でした。
 読み書き(リテラシー)能力が必要だったのは、中産階級の女性の一部、貴族の家に住み込んで家庭教師として働かなければならないような階級の娘に限られていました。たとえば、ジェーン・エアのような。
 産業革命後、19世紀のヴィクトリア朝に至って、ようやく女性たちは文字を読み書きすることで社会進出をはたすようになりました。

 『フランダースの犬』の作者ウィーダも読み書き能力を身につけ社会進出を果たしたひとりです。ウィーダは、この時代の「自立した女性」がそうであったように、生涯結婚しませんでした。小説家として華々しい活躍をしたあと、晩年は孤独と貧困のうちにひとりぼっちで死にました。

 イギリスの女流作家を描いた作品、エリザベス・テイラー原作フランソワーズ・オゾン監督の『エンジェル』(主演ロモーラ・ガライ)は、ウィーダより少しあとの時代1900年代初頭を背景にしていますが、女流作家の生活が幸福な結婚とは相容れないものであるという結末は同じです。(エリザベス・テイラーは女優ではなく、別人。他の作品に『天使』がある)


2-5 立身出世の時代
 ビクトリア女王の時代、女性の幸福は、「より有利な結婚相手に出会って、つつがなく結婚生活をおくることだ」と考えられていたころでしたから、コゼツ旦那が一人娘アロアの結婚相手としてネロを拒絶したのもやむをえないことでした。ウィーダは、パトラッシュを酷使して半死のめにあわせた飲んだくれの前の飼い主を筆をきわめて悪く描いていますが、コゼツの態度を批判してはいません。(ウィーダは大の犬好きで、晩年落ちぶれてからも犬のために財産を使い果たしました)

 年老いたジェハン・ダースじいさんは、ネロに「貧民の処世術」として「わたしたちは、貧しいのだから、神様がくださるものを、よいものでも悪いものでも、受け取らなければならないよ。貧しい者は、選択をすることができないんだよ」とネロに言ってきかせ、ネロはそれにさからうことをしません。ネロはアロアと引き裂かれてしまったことに心の痛みを感じながらも、理不尽な離別として不満を述べることなく、受け入れる努力をしました。

 ウィーダの思想のなかには、抜きがたい階級意識が存在していたと思われます。当時の中産階級の女性として、自分が「下層階級ではない」と意識することは「自分は男性ではない」と思うのと同じ、当然のアイデンティティであったことでしょう。
 下層階級の人々の生活を小説にするという場合、そこには当然「上から目線」での見方が存在します。下層階級のネロを主人公にした小説が書かれた時代には、「上層階級」「中産識字階級」と、「下層非識字階級」との間に、現在では想像しがたい階級差があったことを忘れることはできません。

 ウィーダの視点が「だれからの援助もうけられない運命をたどったネロ」「はい上がることを拒絶された下層民のお話」という目線のもとに執筆されたことを、現代の視線でとやかくいうことはできないでしょう。
 そして、このお話が「はい上がろうとする下層階級」からみても、「能力に応じて自力で将来を切り開けと育てられた中産階級」からも、「下のものたちを指導し援助すべきノブレスオブライジを負う上層階級」からも、共感の得られないお話だったことも理解できます。ネロの生き方は「負け犬」としか思われなかったからです。19世紀の西洋社会において、階級間移動の機会はごく少なかった。貴族階級と平民では言葉さえまったく違っていたことは、『マイフェアレディ』で下町娘イライザが上流階級の発音や言い回しを習うのに厳しい教育を受けなければならなかったことでもわかります。

 日本に「フランダースの犬」が翻案移入された時代、20世紀初頭の日本は「立身出世欲」が最高に盛り上がっていた時代でした。
 華族士族平民の差はあったものの、士族であれ平民であれ、学校教育において能力を発揮すれば、立身出世が望める時代でした。明治の高官たちは、足軽や下士など低い身分から成り上がった人たちで構成されていましたから、「生まれつきの身分」を変えることにこだわらず、階層移動が成立しやすい社会であったことが、イギリスとは異なっていました。

 貧しい者が勉学の機会を得るには、①軍の学校に入る、②授業料無料の師範学校に入る、③故郷出身の成功者の家に「書生」として住み込む、など、いくつかの方法がありました。
 歌人斎藤茂吉は、③を選択し、斎藤家の書生になりました。私の夫の伯父や伯母は、②を選択し、教師になりました。

 20世紀になって識字率が上がってきたとはいえ、ヨーロッパの読書階級は上流中流層が中心でした。貧しいネロが、立身出世の機会を得られなかったことに、この時代の欧州の読者たちは、「上から目線」で読み、ネロに感情移入することはありませんでした。
 しかし、日本の読者はネロに同情し、涙を流し続けたのです。

 日本では江戸時代から読本赤本、御伽草子浮世草子の読者層は広がっていました。明治初頭に日本へ来たヨーロッパ人の「日本旅行記」には、馬車の馬丁や料理屋の女中まで、ちょっとしたヒマを見てはふところから本を出して読みふけっている、という光景を目撃してびっくりしたことが記録されています。明治に義務教育が普及すると、読み物の読者層もさらに底辺が広くなりました。ウィーダがこの作品を書いた時代、ネロと同じ階級の読者層はヨーロッパより日本のほうがはるかに多かったのです。


2-6 『フランダースの犬』の映像化
 『フランダースの犬』は、イギリス・アメリカでは4度映画化されました。しかし4回ともお話しは「ハッピーエンド」の物語に書き換えられています。ネロもパトラッシュも最後は幸福になるのです。(1914年版:ハウエル・ハンセル監督、1935年版:シャルル・スローマン監督、1960年版 :ジェームズ・B・クラーク監督、1999年版:ケビン・ブロディ監督)
 原作では、15歳になっても自分の身を立てることのできなかったネロ。
 アメリカでも、ヨーロッパでも、原作の「フランダースの犬」は「負け犬のものがたり」としか受け取られてこなかった。自立を自分の手でつかみ取ることのできない者を映画の主人公としても受けない。映画化されたストーリーでは、いずれもネロは最後に救われることになっています。

 ネロがラストシーンで救われ、幸福な将来を望みうるストーリーに書き換えられたのは、「自立できなかったネロ」を容認できない西洋社会として仕方のない選択だったと思います。では、日本のアニメ版フランダースの犬はどうでしょうか。

2-6 滅びの美学
 第1話から40話までの「日本のフランダースの犬、オリジナルストーリー」は、とても良くできています。ラストの悲劇に向かって、10歳のネロのけなげさ、パトラッシュとの絆に涙しない人は「人」であるぞよ、これでもかっ!っていうくらいに、盛り上がっていく。

 なぜ日本で「フランダースの犬」が同情を集め、日本だけでこれほど多くの人々に愛される物語となったのかを、検証したのがベルギーのドキュメンタリー映画『パトラッシュ・フランダースの犬』です。

 ドキュメンタリー映画『パトラッシュ』では、100人以上の人へのインタビューや、明治から今までの日本での「フランダースの犬」の翻訳本を検証し、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけました。

 古くは、権力争いに負け九州太宰府に流された菅原道真、諸行無常の『平家物語』に描かれた木曾義仲、判官義経などの滅び行くもののふの姿。
 天下統一に王手をかけながら、本能寺の炎の中に49歳をもって滅亡した織田信長、明治の新天地を目前にしながら暗殺された坂本龍馬など、成功しなかった者にこそ自分たちの心情を託して救済のひとつとする伝統が、「アニメ・フランダースの犬」の翻案を受容する心情に重なったのだと、私も思います。

 日本人アニメ視聴者がネロの最期に涙するのは、ひとつにはこの「志を果たさずに非業の死を遂げた者」への深い思いを共有する民族的心情があった、という点。また、そのような者は、残った者によって哀悼され祀られる伝統。平安初期から「御霊信仰」が千年以上続いてきたことを考える必要があります。
 

2-7 御霊信仰
 御霊信仰は、山部親王(のちの桓武天皇)に皇位継承させるために非業の死に追いやられた井上皇后(いのえこうごう、またはいがみこうごう=聖武天皇の第一皇女、光仁天皇の皇后)と皇太子他戸親王(おさべしんのう 井上皇后と光仁天皇の子)の霊のたたりを恐れて、御霊神社が創設されたことに始まります。皇室内の血で血を洗う権力抗争は飛鳥奈良の時代にもあったのですが、殺された者が殺した側を恨んで祟る、という考え方が広まったのは、陰陽師が国家体制に組み込まれて、「国家に不穏な出来事がおこるのは、○○の祟りによる」という占いをするようになったことが背景としてあります。

 祀られた怨霊は、守護霊に生まれ変わり、人々を守るようになる、というのが御霊信仰です。古くは菅原道真を祀った天満天神、木曽義仲の愛妾巴が建てた庵をもとにするという義仲寺、明治以降も土佐藩士・武市半平太を祀った瑞山神社、殉職や戦死した軍人を祀った乃木神社東郷神社などの設立があり、「天寿まっとうしなかった者」への哀悼の思いは現代にも続いています。 

 「ネロの死」の受け止められかたが、西洋社会とは異なったものとなった背景には、このような「敗者の美学」「滅びの美学」とも言える意識があったということは、うなずける解釈です。

 ここで、もう一度ネロの年齢を確認しておきましょう。
 日本の「パトラッシュ人気」は、あくまでも1~41話のお話がつづいたのちの、10歳のネロが死ぬラストの悲劇にあります。
 ウィーダの原作によって物語が進行し、15歳のネロが力つきたのだったら、日本人も、ここまでネロとパトラッシュの悲しいラストシーンに共感をよせなかったのではないか、と思われます。

 ネロの悲劇は、「10歳という設定」と「1~40話」のオリジナルストーリーの上に成り立っていることを確認してきました。ヨーロッパで「負け犬」の物語とされてきた『フランダースの犬』が、ここまで日本人の琴線を揺るがしたのは、この翻案の年齢設定の絶妙さによると思います。

 原作ではラストシーンで、コゼツ旦那はネロが純真無垢な心をもった真っ正直な子だったと気づき、後悔の涙を流します。ネロが落選してしまった絵画コンテストの審査員のひとりは、ほんとうはネロが一等賞をとるべきなのに、有力者の息子に賞がわたってしまったことを残念がり、ネロの天才を認めて芸術教育をしてやろうと決心します。あとちょっとのところで何もかも変わるはずだったのに、ネロはパトラッシュとともに空腹と絶望を抱えて死んでしまいました。
 神様がいて人の行いを見ていて下さるなら、こんな残酷な結末が許されるはずがない、と、西洋社会の人たちが感じるところです。アメリカ映画がどれもハッピーエンドに作りかえられている気持ちもわからないではありません。西洋流のとらえ方なら、悲劇のラストではネロとパトラッシュには救いがありません。

 日本のアニメでは、ネロとパトラッシュはいっしょに天国へと昇っていき、一種の救い、カタルシスが視聴者に与えられています。この部分は、日本のアニメの翻案です。この翻案は、欧米キリスト教圏の人の考え方ともっとも大きく違うところです。キリスト教では、パトラッシュが天使に迎えられ天国へ人と共に行くのは考えられないのです。



3 パトラッシュの昇天
 アニメのラストシーン、天使たちに守られながら天へ登っていくネロとパトラッシュの姿は、「負け犬」などではなく、「ちからいっぱい戦い、生き抜いた末に、力つきていくもの」の美しさを持っていました。
 その犬と少年の姿の荘厳さがあるからこそ、「アニメ名場面集」という特集が組まれれば必ず上位に「ルーベンスの絵を見て死んでいくネロとパトラッシュ」が選ばれるのです。
 パトラッシュをいっしょに連れていかないでは、ネロのラストのほほえみは考えられません。

 しかし、キリスト教国では、人間と犬がいっしょに昇天することはできません。犬と人が同時に天に昇っていく図柄は、不自然と受け止められます。キリスト教では、犬には霊があるとは考えません。犬に「意識=心」はあるとしても、神のみもとへ召される「霊」はないのです。

 日本語では「霊魂」といいますが、キリスト教では霊と魂は別概念です。人間は、体に現された魂と、不滅の霊の息吹が吹き込まれた体とが、一つになった「神の神殿」とみなされ、その意味で、神の霊が宿るのは人間のみ、と考えられているのです。
 日本アニメの翻案のうち、もっとも「日本的な絵」は、この最後の「パトラッシュ昇天」であり、犬の霊が人とともに天使にむかえられるというところだ、と私は思います。
 このラストシーンは、「一寸の虫にも五分の魂」の仏教思想が反映されています。一寸の虫に五分の魂ならパトラッシュには50cmの霊魂です!

 ルーベンスの『キリストの降下』の絵を見たあと、ネロは微笑みながら、パトラッシュとともにキリスト教の神のいる天国へと昇っていったとして、キリスト教の考え方によれば、入り口で拒否されてしまいます。「ここは犬は入れないところだ」と、天国の入り口で門番に言われてしまうでしょう。
 でも、心配ありません。ネロとパトラッシュはともに阿弥陀様のいる極楽へ迎え入れられるから。日本版アニメのラストシーンは、日本的思想が表されているものだ、と解釈できます。

 原作では、ネロはパトラッシュを抱いたまま死に、死後硬直のあとでは犬と人を離すことができなくなっていたために、いっしょの墓に葬ったことが書かれています。
 『 生涯ずっと、彼らは一緒でした。そして、死んでも、別れませんでした。というのは、少年の腕が犬をしっかりと抱きしめていて、手荒に扱わなければ引き離すことができないことが分かった時、小さな村の人々は後悔し、恥じ入って、神様の格別のお慈悲を願い、彼らのために一つのお墓を作ったのです。一緒に安らかに眠ることができるように。いつまでも! 』

 犬と人を同じ墓に葬るのは特別なことでしたが、「神様の格別のお慈悲を願って」村の人々はネロとパトラッシュをいっしょに土に埋めました。いっしょに埋めはしたけれど、村の人もパトラッシュとネロが同じ天国の神の世界に行くとは思っていなかったはずです。
 日本的解釈ではネロと犬は、一緒に昇天できたことで、「悲しいけれど納得のできる結末」になりました。キリスト教社会では、この納得が得られないのです。ネロとパトラッシュが一緒に天国に迎えられるという日本的解釈によってこそ、日本でネロの悲劇が浄化され、「日本でのみ受けた物語」として存在出来たといえます。

4 おわりに
 本論をまとめると、以下の4点によって日本版アニメ『フランダースの犬』は、『国民的ものがたり』として視聴者に受け入れられてきた、ということが確認できました。1の理由はドキュメンタリー『パトラッシュ』でも言及されていたことですが、2,3,4は、筆者のオリジナル意見です。
 
 1,敗者が志を得られずに非業の死を遂げることに対する民族的心情の伝統があり、ネロの死は、同情をもって受容されていること。
 2,原作主人公の年齢が5歳引き下げられ、アニメのネロは10歳に設定されている。そのため、「自立すべき年齢だ」という原作の設定にしばられなかったこと。
 3,パトラッシュとネロがともに昇天することを違和感なく受容し、悲劇の死に対してカタルシスが用意されていること。
 4,西洋社会より日本社会のほうが、ネロの社会階層にあたる読者層が多く、ネロに同情を寄せる人々が圧倒的だったこと。

 以上、翻案という作業が、受け入れる側の社会思潮が関わりつつ受容がなされていることをアニメ「フランダースの犬」を中心にして概観し、翻案の成功には、それを受け入れる社会に、受け入れるための社会思想が形成されていること、受容された物語は人々の心に残り、共同幻想の形成に利用されていくことを考察しました。

テキスト
1,岩波少年文庫(114) 翻訳:野坂悦子
2,青空文庫 翻訳:菊池寛
   http://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/4880_13769.html
3,プロジェクト杉田玄白参加 翻訳:荒木光二郎
   http://homepage3.nifty.com/yodaka/dogoffra.htm

<おわり>

2009/06/03

2009-06-03 20:52:00 | 日記
1) 発表者は、日本語の文脈の中で<主体性>という用語を再確認し、日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているかを考察していきます。現代社会構築の上でキーワードともなる<主体性>という語を確認しつつ、このキーワードが文化コミュニケーションの一つのあり方を提起する上で有効な概念であることを提起したいと思います。
 日本語は、印欧語とは異なる論理と統語のもとに構成されてきました。西欧文法でいう<主体・客体>および<主語・述語>という枠組みとは別の視点で日本語を読み解いていく必要があります。<主体・客体>および<主語・述語>という印欧語文法の枠組みの中で研究されてきた近代以後の日本語文法が、印欧語文法の見方そのままで日本語を解釈した上で、「主語のない文は行為主体を明確にしていない」とみなす論者が現在でも存在しています。。「<主語無し文>は主語の存在を曖昧にすることによって行為の無責任性を表す」というような日本語観は、グローバル化が進む世界的次元でのコミュニケーションにおいて誤解を引き起こしかねません。「主語を明示しないことにより、行為者がだれであるかという点を明示せず、だれが行為の責任を負うのかを曖昧にしている」というたぐいの日本語論、日本人論が今もなお根強く残っているとしたら、日本語統語構造の研究進展を知る日本語学研究者は、日本語の「主語」、「主体」、「自己」の表現を明らかにしていく必要があると考えます。

2) 日本語文は発話主体の明示は義務ではありません。発話主体が発話していることは自明のことであり、発話者が「今、ここ」の現場で臨場的に感覚や体験内容を述べることを表現の中心にしています。英語は、「主語が客語に対して述語内容を実行する」という行為の叙述を表現の中心とし、「事象・事態の中にいる私」と「事象・事態を観察し、客観的事実として述べる」私を分けて表現します。発表者は本論において、日本語は「主体と客体が、述語に表された事態の推移の中にあって事態の推移を経験(受容)している」という表現であること、客体(対象語/目的語/客語)は主体と対立するものでなく、主体と融合して事態の推移の中にあること、すなわち主客合一の表現であることを述べます。また、一人称の<私><ワレ>の用法から、日本語の<私>は英語の<I>などとは異なる意味を有することを論考の中で確認し、日本語の統語構造の分析のもとに日本語言語文化の<主体>また<主体性>を見ていきます。日本語が「話者と聞き手が<コミュニケーション成立の場>を形成していることを前提とし、事態事象の推移を表現することを中心とする言語である」ことを確認し、日本語の<主体性>、<主観性>を述べていきます。日本語における<主体・客体>および<主語・述語>の構造を俯瞰した後、日本語言語文化の中に現れる<主体性>を探っていきます。日本語は自己志向性を強く持ち、言語主体(話し手)が<主体性>を持ち、言語表現表出を行っていること、内的な自己意識を<主体性>として表現し<自己中心的>(ego-centric)な言語であることを確認します。
稲村博士論文の全体構成は、昨年9月に発表した構想と大きな変化はありません。

3)博士論文構成
序章 
0-1    はじめに
0-1-1 主体性とは何か
 0-1-1-1 辞書での定義
 0-1-1-2 一般的言説の中の<主体性>(主体性と自主性)
0-1-2   従来の研究における主体性
 0-1-2-1 言語学用語としての<主体性>
 0-1-2-1-1 ラネカーの<主体性>
 0-1-2-1-2 ライアンズの<主体性>
 0-1-2-1-3 時枝誠記の<主体性>
0-1-2-1-4 森山卓郎の<主体性>
0-1-2-2  文学理論における<主体性>
0-1-2-2-1 ガニエの<主体性>
0-1-2-2-2 カラーの<主体性>
第1章
1    主体・客体、主体性の定義
1-1   日本語の<主体性>
 1-1-1 本稿の立場
 1-1-2 アフォーダンスと主体
 1-1-3 「なる」述語文
 1-1-4 主語無し文・自動詞文への従来の見方 先行研究
1-2   本稿の論点
 1-2-1 上代日本語の人称
1-2-2 日本語の中の「ワ/ア」「ワレ」「私」
1-2-3 主体、集合的主体
 1-2-3 他動詞文における他動性と行為主体
 1-2-4 自動詞文に準ずる再帰的他動詞文
 1-2-5 事象の推移を表す自動詞文
第2章 
 2-1  日本語言語作品における主体
2-1-1 日本語言語文化に表現された「主体」
2-1-2 『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体性>
第3章
3-1 日本語学習者の誤用文と日本語の自他 
3-2 非日本語母語話者の日本語言語文化受容
3-3 翻訳と日本語の主体
終章
4-1 まとめ
4-1 結語

4)先行研究の総括
 「主体」という語は、subject(英)、sujet、(仏)、Subjekt (独)などの訳語として日本の知的語彙の中に導入された経緯があります。そのため「主語」、「主観」、「主題」、「臣民」など、さまざまに翻訳されてきました。も、哲学、言語学、社会学、教育学などで多様な意味で使用されており、「主体」、「主体性」、「独自性」、「個人性」、「自立性」などの翻訳があり、それぞれの分野で使用されています。一方、<主体性>を英語に再翻訳してみると、identity、independentなどの語にも変換されます。<主体性>という日本語は、英語圏では<自立性><独立性>という意味に翻訳されることが多いことがわかります。
 これまでに関して、<主体>論、<主語客語>論など、多様な論が提出されてきました。デカルトのコギト以降、<主体・客体>については、主客二元論、主客一体論などが考察されてきましたが、本論では、ジョン・ライアンズ、D・E・ホールらの<主体性>についての論考をふまえつつ、日本語言語文化に表現された<主体性>を論じていきたいと思います。印欧語の側からも主体・客体について、従来とは異なる枠組みのなかで捉えていこうとする考え方が提出されてきていることを重視します。
 日本での<主体性>論議は、たとえば、教育学でいう<主体性>は、<自主性>、<自立性>また「自分から学び取ろうとする姿勢」などを扱ってきました。法律分野では、たとえば、「法人の有する主体性」とは、「法人の権利能力、行為能力、不法行為能力などにおいて、法人を主体として認め、法人が主体としての性質を持つこと」を主体性と呼んでいます。また、第二次大戦直後、文学・哲学の分野を中心に主体性の意義をめぐって起こった、いわゆる「主体性論争」など、近代的自我の確立を主張する人々と客観的・歴史的法則性を重視する人々とに分かれるなど、マルクス主義の解釈論争の中で<主体性>という語が特別な意味合いで用いられてきました。それぞれの分野での<主体性/subjectivity>が考察されてきましたが、<主体性>の表現のされ方を日本語言語文化全体の中で考察している論考は多くはありません。

5) 最近の論述として、廣瀬・長谷川(2010年)『日本語から見た日本人・主体性の言語学』があります。廣瀬は、「言語学でいう<主体性>とは、ことばで自己を表現することをいう」と述べています。廣瀬は、日本語文に示される「自己」を公的自己(伝達の行われる場での情報発信を担う自己)と私的自己(伝達を意図しない、心内発話や独り言などにおける自己)に分け、これまで<伝達の場での自己>と区別されてこなかった<内的な自己>の意識描出をとりあげています。小説の心理描写における自己への言及など、主体が<私的自己>として表われる場面における主体の表現方法を分析し、英語などの他者伝達を目的とし、<公的自己>を中心にする言語とはどのような違いがあるか、について言及しています。廣瀬・長谷川(2010年)は、英語などの述語に対する主語明示型の言語であっても、日記文体などでは一人称「I」が省略されるなどの現象との対比を行うことを述べ、印欧語の文章表現においても、近代以後の表現における<主・客>意識の変化を考察しています。廣瀬・長谷川の論考は、筆者の関心分野に重なる面を有しています。
<個人性><自立性>などとともに<主観性><主体性>と訳されるを考察します。
 日本語の文脈の中で<主体性>を論考するために、の範囲を明らかにする必要がある。筆者は、先行研究の<主体性>についての論究に多くを負いながら、本論は<日本語が表現する主体性>についての考察を進めていくつもりである。本論は、現代日本語の文脈の中で<主体性>を再定義し、日本言語文化にあって、<主体性>がいかに言説化されているかを考察する。

6) 日本語を母語として使用している社会においては、禅思想や西田幾多郎の『善の研究』に見られるように、「主客合一」論をはじめ、西欧社会におけるのとは異なる<主客>の認識が言語の上にも思想・社会の上にも表されてきました。近代以後の社会において、<主体><客体>の対立や<主観性><主体性>という概念がそれぞれの関心の中に論じられてきたわけですが、近代という時代に対して、現代とはどのような時代であるのか、すなわち、日本語母語話者が日本語を話して生活している現代という時代について確認しておきたいと思います。「近代化するmodernize」の時代、近代化の大きな柱として産業か、国民国家形成などが行われました。産業化以後の社会は、「前近代化社会」「自然と伝統」という目的・対象(object)を近代化してきました。前近代が含んでいた「身分的な特権」や「宗教的な世界像」などを変革し、産業化、国民国家成立の中で新たな認識を世界像に結ばせることが近代化の大きな成果でした。しかし現在、この近代化はその目的・対象(object)を、吸収し変革尽くして喪失し、近代化された社会自身をを近代化していく段階、すなわち「再帰的近代化」の時代となっています。世界近代化の帰結として、多くの社会に問題が生じています。個々人にとって自己の存在意味を喪失したり、生きる動機の不安定性、無力・孤立感、集合的個人の連帯感共生感の希薄化、自然破壊、人工的環境への従属などが引き起こされ、その結果、家族、市民社会、国民国家が再考され、個人化によってばらばらになった個人を統合し、意味喪失した個人に自明のアイデンティティを取り戻そうという試みがなされて近代以前の共同体を再探求する過程へと進みました。近代家族の結合力や地域コミュニティの結束の試み、個人の孤立・無力感、意味喪失からの回復が図られ、分断された社会と個人の再統合が試みられたのです。しかし、1970年代以降、これらの試み自体も近代社会のなかに組み込まれてしまい、アイデンティティと自己の存在論的意味の創出が、より大きな自己課題となっています。この、新たな共同体が模索される段階をギデンズらは、「再帰的近代化」の時代と呼んでいます。近代化の目的対象が、自分自身すなわち「近代化された社会」となっている時代が現代です。

7) 近代がobject目的語(=目的、対象、目的物)を喪失して、自分自身(oneself)を近代化していくことを「再帰的近代化」と呼ぶのは、言語学の「再帰動詞」からの転用で、英語やドイツ語の再帰動詞構文からの名付けです。英語も、ドイツ語も、「目的語」(object/Objekt)は、同時に「目的、対象、目的物」も意味します。これは、<主語+動詞+目的語>といういわゆるS+V+O文型で、主語と目的語(object/Objekt)が同じものになる動詞を再帰動詞といいます。再帰構文の目的語は、ドイツ語ではsich、英語ではoneselfとなり、再帰代名詞と呼ばれます。ドイツ語ではよく使われる表現です。setzenは、目的語をとる他動詞で使われる場合には「~を座らせる」という意味で、“Ich setze das Kind auf die Bank.”は「私は子供をベンチに座らせる」を意味します。この動詞が再帰動詞で使われると、「自分自身を座らせる」という意味になり、“Das Kind setzt sich auf die Bank”は「子供は自分を座らせる→子供はベンチに座る」となります。再帰表現とは自分自身の動作行為が他に及ばず、自分自身の中にとどまることを述べます。
 日本語の他動詞は目的格「を格」をとり、典型的な構文では「子供は(ハサミで)布を切る」となるが、「を格」に主体の一部分をとると、「子供は髪を切る」となり、主語自身がハサミで髪を切る動作をしていない、すなわち動作主でなくとも「子供は理髪店で髪を切った」は、主語が「髪が切られた状態」に変化したことをあらわします。このような構文を稲村(1995 a, b) は「再帰構文」として扱いました。日本語文法研究の場では、これらを介在性構文、状態変化構文などとして扱われ、考察されています。日本語の他動詞文のひとつである再帰構文が<全体-部分>の構造をとることによって自動詞と同じようにふるまうことは、英語やドイツ語の再帰文と比べると、日本語文が自動詞表現を中心にしていることを明瞭に示しています。日本語では他動詞文であっても、再帰構文として表現されたとき、自動詞と同じように、主語の行為ではなく、「事象の推移」を表現することになるというのが、稲村(1995 a, b) の主張でした。英語やドイツ語では、再帰動詞文は、「自分を~させる」という意味を持ちますが、日本語では使役的他動詞の意味ではなく、自動詞相当の表現として意識されることが異なっています。日本語では他動詞を用いてもなお「行為」の表現ではなく、「事象の推移」の表現なのだ、ということは、西欧の「再帰的近代」という現代社会の中の<自己>のあり方、アイデンティティの探求などにひとつの視点を示すことができるのではないかと考えます。現代という時代の中にあって、<自己>は、変革する<主体>でもあり、変革の対象である<対象>、<客体>ともなります。このとき、<主体>と<客体(対象)>を截然と区別してきた印欧語の社会、すなわち西欧社会は、文学上でも社会上でも、<主体>と<客体>の認識に新たな視点を呼び込むことが必要とされているのではないかと思われます。<客体>も自分自身であるという再帰的時代のなかで、アイデンティティの表現、自己存在の意味探求が為されている現代を表現する文学において、主客の対応を表現の主な形式としてきた印欧語が、その表現に行き詰まり、別の表現を模索しているとき、日本語の再帰構文や自動詞表現は、<主体性>また<行為>中心の表現に対して、別の表現へのひとつの示唆となるはずです。印欧語とは異なる<主・客>の現れ方を理解し、<主・客>に<全体-部分>を含む日本語表現のあり方を明確にすることが、印欧語圏における<主・客>概念にも新たな可能性を広げるのではないかと思うのです。
 発表者が20年従事してきた日本語教育において、日本語言語文化の受容に関し、しばしば「日本人でなければ、この文章の味わいはわからないだろう」という日本語話者からの否定的言説を受けてきた。日本語話者でない者が日本語を読んで翻訳でなく、そのまま日本語として理解し、いわゆる日本的情緒や人情の機微を理解することは不可能といわれてきましたが、発表者は、日本語教育の立場から、日本語読解において、教授者の適切な助言があれば、非日本語話者であっても、日本語を日本語として受容する場合の困難は取り除くことができると考えます。非日本語母語話者の日本語文理解を深めること、日本的思考とその表現をわからせることは、多様化する世界の中で、日本語表現がひとつの視点を提供するための方策となる可能性を持つと考えます。日本語統語構造における<主体・客体>および<主語・述語>の問題と<主体性>の関わりについて、論述をまとめていきたいと思います。

8) これから博士論文完成まで、より一層の努力をしていこうと思うとき、日本語は自分自身への<主観的><主体的>な行為表現として「頑張ります!」と言います。「頑張る」は、自分自身にできる限りの努力と忍耐を続けることを意味し、この語を自分の中にとどめ、確認しています。同じような状況で中国語は「注油!」と、他からのエネルギーの補給増強を呼びかけ、英語は「You musut work much harder!」と、自分自身を他者化したのち自分に呼びかけます。ここにも、日本語の論理から表現する<主体性>が表れていると確認し、今回の研究概要についての発表を終了いたします。ご指導をよろしくお願いいたします。

<過去の研究成果回顧>
2008年07月「日本語言語文化における主体性の研究―他動詞再帰構文を中心に―」
 日本大学総合社会情報科電子紀要9号
2009年07月「日本語言語文化における主体性の研究―中国人学生の誤用分析を中心に―」 日本大学総合社会情報科電子紀要10号
2009年12月「赴日本国留学生予備学校における『実力日本語』『中級日本語』授業実践」
中国赴日本国留学生予備学校創立30周年記念日本語教育論集第7号(国際シンポジウム篇)東北師範大学出版社 
2010年03月「実力日本語・中級日本語の文型教育読解教育と日本事情教育」
東京外国語  大学留学生センター論集
2010年07月「『夢の痂』にみる日本人の文法意識と<主体性>」
日本大学総合社会情報科  電子紀要11号に投稿済み


<今後の作業遂行の展望>
博士論文執筆継続
2011年(予定)『新概念日語中級』(李若柏主編 中国教育部認可国家級日本語教科書)
       (読解本文担当) 東北大学出版社 
2011年(予定)『赴日留学会話』(盧麗他主編)(会話文スクリプト担当)
南京大学出版社