ぽかぽか春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>日本児童文学における外国文学移入の受容と変容「児童文学の変形譚・レミとネロの物語を中心に」(1)レミの受容
2010年7月3日付け朝日新聞2面の「ひと」欄に、「本国での不人気はなぜ「フランダースの犬」の謎に挑むアン・ファンディーンダレンさん(39)」という人物紹介コラムがありました。
日本人観光客がルーベンスの絵が掲げてある教会を訪れるのは、例外なくこの絵の存在を「フランダースの犬」のラストシーンで知ったことによるのだということ、本国では知られていない「フランダースの犬」が、なぜ日本では大人気なのか、という問題について取り組んだ人がいます。そう、私春庭もそのひとり。
ファンディーンダレンさんの紹介を読んで、私もフランダースの犬について書いたことがあったのだ、と思い出しました。発表レポートを掲載しておきます。
以下の文章は、大学院博士課程単位取得のためのレポートとして2008年に執筆したものです。単位はもらえましたが、ゼミで口頭発表のあと、批判点を整理し追加執筆しようと思っていたのですが、その余裕のないまま放置してしまいました。
以下の掲載は、口頭発表原稿であるため、文体は「デス・マス体」です。「フランダースの犬」のネロと「家なき子」のレミを、日本社会はどのように受容してきたかという「外国文学の受容と変容」についての論考です。
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1 家なき子
1-1 レミの受容
明治時代には、子どものための物語も、欧米からの翻訳物語や翻案ものが流行しました。
『家なき子』のお話。少年レミが、苦労の末に実の母ミリンダ夫人に巡り会う「母さがし物」です。
原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。
1903(明治36)年、読売新聞記者の五来素川が翻案し、「未だ見ぬ親」と題して発売されました。
主人公レミの名は「太一」に、太一が8才まで育った「シャヴァノン村」は「関谷新田」となり、育ての母は「関谷新田のお文どん」。太一が売られた旅回り一座の「ヴィタリス親方」は「嵐一斎老人」、犬の「カピ」は「白妙丸」と、すべて日本を舞台にしたものとして翻案されています。
この「太一の物語」につよく心を動かされた小学生が東北にいました。
1905年、小学校3年生だった宮澤賢治は、担任教師だった八木英三教諭が教室で読み聞かせてくれたこの物語に深い感銘を受けました。
後年になって、賢治は八木教諭に会った時、自分の童話創作の動機を次のように語っています。(堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』による)
『 私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。その時分、先生は「太一」のお話や、「海に塩のあるわけ」などいろいろのお話をしてくだすったじゃありませんか。その時私はただ蕩然として夢の世界に遊んでいました。いま書くのもみんなその夢の世界を再現しているだけです。 』
翻案された欧米の児童小説が、東北花巻の小学生の心に残る。彼はその後『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、独自の作品をつぎつぎに生みだしていく。
翻案小説が、他国に根を張り、それが新たな物語の種として育っていく、ひとつの典型がここに現れています。
1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で、菊池幽芳が同じ物語を「家なき児」という題名で発表し、1912年に春陽堂から発売されました。以後、この「家なき子」という題が定着しました。
現代日本の『家なき子』ファンにとっては、アニメの「家なき子、レミ」です。全51話の放映。日本テレビ系列で1977年10月2日から1978年10月1日まで。
1-2 ネロのアニメ化
このような「翻案」ものの中で、近年の傑作といえるのは、『フランダースの犬』です。
原作は、イギリスの女性児童文学者ウィーダOuida(1839~1908)の短編『フランダースの犬A dog of Flanders 』
日本の翻案テレビアニメ作品は、52話。
2 フランダースの犬
2-1 パトラッシュ
1975年1月5日から同年12月28日まで、フジテレビ系列の「世界名作劇場」枠で放映されたテレビアニメシリーズ『フランダースの犬』は、短編だった原作を、日本文化にうまく適合させて、長編アニメにしてあり、翻案として成功をおさめた作品のトップクラスだと思います。
このアニメの大きな特徴はふたつ。
主人公ネロの年齢が、原作では15歳、アニメでは10歳であること。
アニメの第1話~40話は原作にはなく、アニメのオリジナルストーリーだ、という2点です。
ウィ-ダの『フランダースの犬』とアニメ『フランダースの犬』の差は、シェークスピアの『オセロ』と、川上音次郎貞奴一座翻案劇『オセロ』の差より、はるかに大きいく、主人公の名前や地名を翻案した『未だ見ぬ親』と『家なき子』より、ずっと大きい。
この差を無視して、ウィーダ原作の読者受容とアニメ作品「フランダースの犬」人気を比較することはできません。
2-2 検証フランダースの犬
ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成しました。
以下、読売新聞の特派員による記事(ブリュッセル=尾関航也)(2007年12月25日11時39分 読売新聞)より引用。
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ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。
物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36歳)。
制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。
物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。
原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。
米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。
ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36歳)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月(2007年12月12日)からインターネットなどで販売されている。
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2-3 ネロとアロア
日本人が涙を流すほとんどは、ウィーダの原作を読んでのことではなく、アニメ「フランダースの犬」を見てのことです。
アントワープの大聖堂でルーベンスの『キリストの降下』の絵を見て涙を流す日本人観光客の何人がウィーダの原作を読んでいるかは、不明です。
私自身、原作を読んだのは小学校のころであり、それから一度も読み直さなかった。今回のレポート執筆のために、50年ぶりに読み返しました。
岩波少年文庫『フランダースの犬』、すぐに読み終わります。文庫95ページ分の、あっという間に読み終わる作品です。
アニメ作品は1年間52話が放送されましたが、そのうちの原作相当部分は42~52話だけなのです。
もし、原作通りにネロとパトラッシュの物語がアニメになったとしたら、これほど多くの人々が「もっとも心に残るクリスマスの物語は、大聖堂でルーベンスの絵を見上げてほほえんで死んでいくネロとパトラッシュ」という気持ちを持ち続けたかどうか、疑問です。
原作ではネロは15歳になっています。一方、アロアは原作では12歳。原作でアロアの父親コゼツのだんなが、二人の年齢についての心配を妻に語る部分があります。
『 コゼツのだんなは、とても心を悩ませながら家に入りました。その晩、粉屋は妻にこう言いました。「あの若者をアロアに近づけさせてはいけないよ。将来問題が起きるかも知れん。ネロは十五で、アロアは十二だ。ネロは、格好もよくて、なかなか美男子だからな。」 』
原作が書かれた当時のヨーロッパで、15歳というのは、庶民階層の男子が自立してしかるべき年齢です。自分の人生を自分で開拓していくべき少年期から青年期への移行期間にあたっています。
翻訳されて日本に移入された明治の日本でも、15歳はけっして「子ども扱い」される年齢ではありません。中学校への進学率はまだ低く、12歳で小学校を卒業したあとは、一人前の労働力として期待されました。
また、ネロが15歳だとすると、12歳のアロアとふたりだけで親しくすることを心配する親の気持ちもわかり、アロアの父親が、ネロに苦言を呈するのも頷けます。年頃の娘をもった父親なら、15歳の男の子が自分の娘と二人でいっしょにすごすことを快く思わず、「うちの娘とつきあうな」と言うでしょう。
アニメでは、ネロは10歳、アロアは8歳に設定されています。「15歳と12歳」に対して、「10歳と8歳」、この年齢設定の意味は大きい。10歳は、まだまだ自立するにはむずかしい年齢であるし、アロアとふたりっきりですごしていても、引き裂かれなければならない年齢には思われません。
2-3 ネロの時代
『フランダースの犬』の作者、英国女流作家ウィーダ(1839~1908本名はド・ラ・ラメー マリー・ルイーズ)は、19世紀、ヴィクトリア女王の時代の人です。日本ではほぼ明治時代に匹敵します。この時代のイギリスにおいて、学校教育を受けて字が読める層と、読めない層の階層差は、現代では考えられないくらい大きなものでした。
ウィーダの時代の考え方によれば、中産階級の子弟なら、学問を身につけて己の社会的地位を獲得すべきだし、土地財産をもたない下層階級の子どもなら、手に職をつけ一人前の職人になるなど、自立するための過程が必須でした。絵が好きなら、マイセン陶器などの絵付師に弟子入りするとか、タペストリーの下絵職人の親方の下で働くとか、なんとかツテを求めて、手に職をつけるよう家族が図るところだったでしょう。
しかし、原作では、15歳のネロの唯一の家族ジェハンじいさんは、物語の最初からすでに80歳をすぎた老人であり、ネロの将来のために何かしてやれる状態ではありませんでした。牛乳配達ができないほどジェハンの身体が弱り、ネロが6歳で牛乳配達の仕事をおじいさんから引き継いだあとは、ほとんど寝たきりになっています。
動けるうちにネロのために、コゼツ旦那に下げがたい頭でも下げるとか、教会が嫌いでも牧師に頼み込むなりして、ネロを徒弟奉公に出すよう、しておくべきだったのでしょうが、そうする前に病にたおれたてしまいました。ネロは自分の身の振り方について誰にも頼れず、親戚もいない村の中で自立の方法を探る機会はまったくありませんでした。
ジェハンじいさんは、「ネロや、おまえが大きくなって、この小屋と小さな畑を自分で持って、自分で働いて、近所の人からだんな、と呼ばれるようになったら、私も安心してお墓にいけるというもんだよ」と、ネロに語りかけました。兵士として働いた後、ついに自分の土地も持たずに一生を終えようとしているジェハンにとって、ネロが自作農になるというのが、最高の夢だったのです。
ネロは、「絵を描きたい」などとジェハンに語ることは、ジェハンを困らせるだけだと思っていました。また、徒弟奉公に出てしまえば、寝たきりのジェハンの世話をすることができなくなってしまいます。ネロにとって、ジェハンとパトラッシュとともに小さな小屋で生きていくこと以外の望みは、ひと目アントワープの教会の中にしまわれているルーベンスの絵を見たい、ということだけでした。「絵を描いて身を立てる」という方法をさがすなど、ネロ自身に思いも寄らぬことだったのです。
原作で、ウィーダはネロについて以下のように書いています。
『ネロは、貧しく育ち、運命にもてあそばれ、読み書きも教えられず、誰にも顧みられませんでしたが、その見返りに、いや、災いだったかも知れませんが、「天才」と呼ばれる才能を授かっていました。誰も、そのことを知りませんでした。ネロ自身も全く。誰も、そのことを知りませんでした。』
ネロの画才に気づいたのはアロアの父、コゼツ旦那だけでした。しかし、コゼツにとって「絵を描くなどということはよくないことだ。絵を描いている間は労働せず怠けていることになる」ことであり、絵描きなどは乞食よりもっとタチの悪い存在と思えるものでした。
ネロが暮らす小屋は、わずか20軒ほどの農家がある小さな村です。村一番の金持ちは、風車小屋を持ち粉屋を営むコゼツ旦那。しかし、コゼツは、ネロの画才に気づきながら、だから、けっして娘のアロアに近づけてはいけないと、妻に命じました。
ネロの村の人々は、ネロたちが牛乳運びの仕事でほそぼそと暮らしを営むことを助け、パンやスープやたきぎなどを恵んでくれる人もいました。しかし、ネロの将来を考えてやれる余裕のある人はいませんでした。一番余裕があったコゼツ旦那は、ネロの将来より、「娘のアロアに有利な結婚をさせてやりたい。見た目がよくきれいなだけで金のないネロのような貧乏人とつきあわせてはいけない」という現実的な問題を優先させました。
2-4 女流作家ウィーダの時代
「フランダースの犬」の作者ウィーダが作品を発表したころは、女性がようやく社会に進出できるようになった時代でした。女性の社会進出には、女性も識字教育を受けるようになったことの影響が大きい。読み書き能力(リテラシー)は、社会進出の第一の手段です。
19世紀ヴィクトリア女王の時代以前の英国女性の識字率は、とても低いものでした。農民男性の識字率も低かったですが、さらに農民女性は低い識字率でした。そして驚くことに貴族階級の女性の識字率も日本のように高いものではなかったのです。イギリスの貴族階級女性にとって「字を読み書きする」などという男性のようなリテラシーを持つことは、女らしくないことでした。「右筆(ゆうひつ)=貴人のために読み書きをして仕える使用人」を雇うことが貴族女性の証だから、自分自身が文字の読み書きをする必要はなかったからです。手紙も領地の相続に関わる公文書も、信頼できる有能な右筆に口述筆記をさせれば間に合いました。
例をあげるなら、17世紀初頭、イギリスの名家ライル卿夫人の娘アン・バセット。彼女は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(世継ぎのエドワード6世を生んで1ヶ月後に死去)に使えた女官であったけれど、「自分の名前しか書けない」と述べています。手紙は従者に口述筆記させていました。
日本の上層階級の女性、特に宮中に仕えるような身分の女性たちは「女房奉書」という天皇の勅書に匹敵するような重要文書を書きこなすことが必須の教養とされていました。また農民や商人階級の女性でも寺子屋などで文字教育を受ける機会を得た場合、伊勢参りの旅行記を自ら執筆するくらいの文章力を持っていました。たとえば、江戸後期の福岡の商家のおかみさん小田宅子は、歌仲間の友人3人にお供3人を伴い、1841(天保12)年に旅行を敢行し、旅行記『東路日記』を表しました。伊勢参り、長野善光寺参り、日光、江戸見物と、3200kmにわたる旅を同行の桑原久子は『二荒詣日記』に書き、江戸女性の文章能力の高さを後世に残しています。
江戸時代の識字率は、男女とも世界的に見て、日本は最高レベルであり、明治の近代化が成功したのはこの識字率の高さ、国民が近代化を受け入れることのできる教養をもっていたことによる点が大きいのです)。
イギリス女性の識字率の低さについて、私はスーザン・W. ハル『女は男に従うもの?―近世イギリス女性の日常生活』 (刀水歴史全書)を読んで知りました。イギリス貴族階級の女性は高い教育を受け、読み書きできるとばかり思いこんでいたので驚きました。
ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、数カ国語に堪能で読み書き能力にもすぐれていたと言われていますが、それは特殊な例だったのです。一般の女性は、読み書きに励むより、幸福な結婚生活のほうを選ぶこともできました。しかし、エリザベスの場合、女王として戴冠するまでは幽閉の身の上を強いられていました。「王に反逆したアンの娘であるゆえ、王女の身分を剥奪された囚人」でしかなかったから、結婚以外の身の振り方を考えるため、教養を武器にするしかなかったという特殊事情がありました。すぐれたリテラシィを持ったエリザベスは、「幸福で平凡な結婚生活」ではなく、「国家との結婚」を選択することになりました。
19世紀に至るまで、イギリスの識字女性は、上級階級でも下層階級でも少数派でした。
読み書き(リテラシー)能力が必要だったのは、中産階級の女性の一部、貴族の家に住み込んで家庭教師として働かなければならないような階級の娘に限られていました。たとえば、ジェーン・エアのような。
産業革命後、19世紀のヴィクトリア朝に至って、ようやく女性たちは文字を読み書きすることで社会進出をはたすようになりました。
『フランダースの犬』の作者ウィーダも読み書き能力を身につけ社会進出を果たしたひとりです。ウィーダは、この時代の「自立した女性」がそうであったように、生涯結婚しませんでした。小説家として華々しい活躍をしたあと、晩年は孤独と貧困のうちにひとりぼっちで死にました。
イギリスの女流作家を描いた作品、エリザベス・テイラー原作フランソワーズ・オゾン監督の『エンジェル』(主演ロモーラ・ガライ)は、ウィーダより少しあとの時代1900年代初頭を背景にしていますが、女流作家の生活が幸福な結婚とは相容れないものであるという結末は同じです。(エリザベス・テイラーは女優ではなく、別人。他の作品に『天使』がある)
2-5 立身出世の時代
ビクトリア女王の時代、女性の幸福は、「より有利な結婚相手に出会って、つつがなく結婚生活をおくることだ」と考えられていたころでしたから、コゼツ旦那が一人娘アロアの結婚相手としてネロを拒絶したのもやむをえないことでした。ウィーダは、パトラッシュを酷使して半死のめにあわせた飲んだくれの前の飼い主を筆をきわめて悪く描いていますが、コゼツの態度を批判してはいません。(ウィーダは大の犬好きで、晩年落ちぶれてからも犬のために財産を使い果たしました)
年老いたジェハン・ダースじいさんは、ネロに「貧民の処世術」として「わたしたちは、貧しいのだから、神様がくださるものを、よいものでも悪いものでも、受け取らなければならないよ。貧しい者は、選択をすることができないんだよ」とネロに言ってきかせ、ネロはそれにさからうことをしません。ネロはアロアと引き裂かれてしまったことに心の痛みを感じながらも、理不尽な離別として不満を述べることなく、受け入れる努力をしました。
ウィーダの思想のなかには、抜きがたい階級意識が存在していたと思われます。当時の中産階級の女性として、自分が「下層階級ではない」と意識することは「自分は男性ではない」と思うのと同じ、当然のアイデンティティであったことでしょう。
下層階級の人々の生活を小説にするという場合、そこには当然「上から目線」での見方が存在します。下層階級のネロを主人公にした小説が書かれた時代には、「上層階級」「中産識字階級」と、「下層非識字階級」との間に、現在では想像しがたい階級差があったことを忘れることはできません。
ウィーダの視点が「だれからの援助もうけられない運命をたどったネロ」「はい上がることを拒絶された下層民のお話」という目線のもとに執筆されたことを、現代の視線でとやかくいうことはできないでしょう。
そして、このお話が「はい上がろうとする下層階級」からみても、「能力に応じて自力で将来を切り開けと育てられた中産階級」からも、「下のものたちを指導し援助すべきノブレスオブライジを負う上層階級」からも、共感の得られないお話だったことも理解できます。ネロの生き方は「負け犬」としか思われなかったからです。19世紀の西洋社会において、階級間移動の機会はごく少なかった。貴族階級と平民では言葉さえまったく違っていたことは、『マイフェアレディ』で下町娘イライザが上流階級の発音や言い回しを習うのに厳しい教育を受けなければならなかったことでもわかります。
日本に「フランダースの犬」が翻案移入された時代、20世紀初頭の日本は「立身出世欲」が最高に盛り上がっていた時代でした。
華族士族平民の差はあったものの、士族であれ平民であれ、学校教育において能力を発揮すれば、立身出世が望める時代でした。明治の高官たちは、足軽や下士など低い身分から成り上がった人たちで構成されていましたから、「生まれつきの身分」を変えることにこだわらず、階層移動が成立しやすい社会であったことが、イギリスとは異なっていました。
貧しい者が勉学の機会を得るには、①軍の学校に入る、②授業料無料の師範学校に入る、③故郷出身の成功者の家に「書生」として住み込む、など、いくつかの方法がありました。
歌人斎藤茂吉は、③を選択し、斎藤家の書生になりました。私の夫の伯父や伯母は、②を選択し、教師になりました。
20世紀になって識字率が上がってきたとはいえ、ヨーロッパの読書階級は上流中流層が中心でした。貧しいネロが、立身出世の機会を得られなかったことに、この時代の欧州の読者たちは、「上から目線」で読み、ネロに感情移入することはありませんでした。
しかし、日本の読者はネロに同情し、涙を流し続けたのです。
日本では江戸時代から読本赤本、御伽草子浮世草子の読者層は広がっていました。明治初頭に日本へ来たヨーロッパ人の「日本旅行記」には、馬車の馬丁や料理屋の女中まで、ちょっとしたヒマを見てはふところから本を出して読みふけっている、という光景を目撃してびっくりしたことが記録されています。明治に義務教育が普及すると、読み物の読者層もさらに底辺が広くなりました。ウィーダがこの作品を書いた時代、ネロと同じ階級の読者層はヨーロッパより日本のほうがはるかに多かったのです。
2-6 『フランダースの犬』の映像化
『フランダースの犬』は、イギリス・アメリカでは4度映画化されました。しかし4回ともお話しは「ハッピーエンド」の物語に書き換えられています。ネロもパトラッシュも最後は幸福になるのです。(1914年版:ハウエル・ハンセル監督、1935年版:シャルル・スローマン監督、1960年版 :ジェームズ・B・クラーク監督、1999年版:ケビン・ブロディ監督)
原作では、15歳になっても自分の身を立てることのできなかったネロ。
アメリカでも、ヨーロッパでも、原作の「フランダースの犬」は「負け犬のものがたり」としか受け取られてこなかった。自立を自分の手でつかみ取ることのできない者を映画の主人公としても受けない。映画化されたストーリーでは、いずれもネロは最後に救われることになっています。
ネロがラストシーンで救われ、幸福な将来を望みうるストーリーに書き換えられたのは、「自立できなかったネロ」を容認できない西洋社会として仕方のない選択だったと思います。では、日本のアニメ版フランダースの犬はどうでしょうか。
2-6 滅びの美学
第1話から40話までの「日本のフランダースの犬、オリジナルストーリー」は、とても良くできています。ラストの悲劇に向かって、10歳のネロのけなげさ、パトラッシュとの絆に涙しない人は「人」であるぞよ、これでもかっ!っていうくらいに、盛り上がっていく。
なぜ日本で「フランダースの犬」が同情を集め、日本だけでこれほど多くの人々に愛される物語となったのかを、検証したのがベルギーのドキュメンタリー映画『パトラッシュ・フランダースの犬』です。
ドキュメンタリー映画『パトラッシュ』では、100人以上の人へのインタビューや、明治から今までの日本での「フランダースの犬」の翻訳本を検証し、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけました。
古くは、権力争いに負け九州太宰府に流された菅原道真、諸行無常の『平家物語』に描かれた木曾義仲、判官義経などの滅び行くもののふの姿。
天下統一に王手をかけながら、本能寺の炎の中に49歳をもって滅亡した織田信長、明治の新天地を目前にしながら暗殺された坂本龍馬など、成功しなかった者にこそ自分たちの心情を託して救済のひとつとする伝統が、「アニメ・フランダースの犬」の翻案を受容する心情に重なったのだと、私も思います。
日本人アニメ視聴者がネロの最期に涙するのは、ひとつにはこの「志を果たさずに非業の死を遂げた者」への深い思いを共有する民族的心情があった、という点。また、そのような者は、残った者によって哀悼され祀られる伝統。平安初期から「御霊信仰」が千年以上続いてきたことを考える必要があります。
2-7 御霊信仰
御霊信仰は、山部親王(のちの桓武天皇)に皇位継承させるために非業の死に追いやられた井上皇后(いのえこうごう、またはいがみこうごう=聖武天皇の第一皇女、光仁天皇の皇后)と皇太子他戸親王(おさべしんのう 井上皇后と光仁天皇の子)の霊のたたりを恐れて、御霊神社が創設されたことに始まります。皇室内の血で血を洗う権力抗争は飛鳥奈良の時代にもあったのですが、殺された者が殺した側を恨んで祟る、という考え方が広まったのは、陰陽師が国家体制に組み込まれて、「国家に不穏な出来事がおこるのは、○○の祟りによる」という占いをするようになったことが背景としてあります。
祀られた怨霊は、守護霊に生まれ変わり、人々を守るようになる、というのが御霊信仰です。古くは菅原道真を祀った天満天神、木曽義仲の愛妾巴が建てた庵をもとにするという義仲寺、明治以降も土佐藩士・武市半平太を祀った瑞山神社、殉職や戦死した軍人を祀った乃木神社東郷神社などの設立があり、「天寿まっとうしなかった者」への哀悼の思いは現代にも続いています。
「ネロの死」の受け止められかたが、西洋社会とは異なったものとなった背景には、このような「敗者の美学」「滅びの美学」とも言える意識があったということは、うなずける解釈です。
ここで、もう一度ネロの年齢を確認しておきましょう。
日本の「パトラッシュ人気」は、あくまでも1~41話のお話がつづいたのちの、10歳のネロが死ぬラストの悲劇にあります。
ウィーダの原作によって物語が進行し、15歳のネロが力つきたのだったら、日本人も、ここまでネロとパトラッシュの悲しいラストシーンに共感をよせなかったのではないか、と思われます。
ネロの悲劇は、「10歳という設定」と「1~40話」のオリジナルストーリーの上に成り立っていることを確認してきました。ヨーロッパで「負け犬」の物語とされてきた『フランダースの犬』が、ここまで日本人の琴線を揺るがしたのは、この翻案の年齢設定の絶妙さによると思います。
原作ではラストシーンで、コゼツ旦那はネロが純真無垢な心をもった真っ正直な子だったと気づき、後悔の涙を流します。ネロが落選してしまった絵画コンテストの審査員のひとりは、ほんとうはネロが一等賞をとるべきなのに、有力者の息子に賞がわたってしまったことを残念がり、ネロの天才を認めて芸術教育をしてやろうと決心します。あとちょっとのところで何もかも変わるはずだったのに、ネロはパトラッシュとともに空腹と絶望を抱えて死んでしまいました。
神様がいて人の行いを見ていて下さるなら、こんな残酷な結末が許されるはずがない、と、西洋社会の人たちが感じるところです。アメリカ映画がどれもハッピーエンドに作りかえられている気持ちもわからないではありません。西洋流のとらえ方なら、悲劇のラストではネロとパトラッシュには救いがありません。
日本のアニメでは、ネロとパトラッシュはいっしょに天国へと昇っていき、一種の救い、カタルシスが視聴者に与えられています。この部分は、日本のアニメの翻案です。この翻案は、欧米キリスト教圏の人の考え方ともっとも大きく違うところです。キリスト教では、パトラッシュが天使に迎えられ天国へ人と共に行くのは考えられないのです。
3 パトラッシュの昇天
アニメのラストシーン、天使たちに守られながら天へ登っていくネロとパトラッシュの姿は、「負け犬」などではなく、「ちからいっぱい戦い、生き抜いた末に、力つきていくもの」の美しさを持っていました。
その犬と少年の姿の荘厳さがあるからこそ、「アニメ名場面集」という特集が組まれれば必ず上位に「ルーベンスの絵を見て死んでいくネロとパトラッシュ」が選ばれるのです。
パトラッシュをいっしょに連れていかないでは、ネロのラストのほほえみは考えられません。
しかし、キリスト教国では、人間と犬がいっしょに昇天することはできません。犬と人が同時に天に昇っていく図柄は、不自然と受け止められます。キリスト教では、犬には霊があるとは考えません。犬に「意識=心」はあるとしても、神のみもとへ召される「霊」はないのです。
日本語では「霊魂」といいますが、キリスト教では霊と魂は別概念です。人間は、体に現された魂と、不滅の霊の息吹が吹き込まれた体とが、一つになった「神の神殿」とみなされ、その意味で、神の霊が宿るのは人間のみ、と考えられているのです。
日本アニメの翻案のうち、もっとも「日本的な絵」は、この最後の「パトラッシュ昇天」であり、犬の霊が人とともに天使にむかえられるというところだ、と私は思います。
このラストシーンは、「一寸の虫にも五分の魂」の仏教思想が反映されています。一寸の虫に五分の魂ならパトラッシュには50cmの霊魂です!
ルーベンスの『キリストの降下』の絵を見たあと、ネロは微笑みながら、パトラッシュとともにキリスト教の神のいる天国へと昇っていったとして、キリスト教の考え方によれば、入り口で拒否されてしまいます。「ここは犬は入れないところだ」と、天国の入り口で門番に言われてしまうでしょう。
でも、心配ありません。ネロとパトラッシュはともに阿弥陀様のいる極楽へ迎え入れられるから。日本版アニメのラストシーンは、日本的思想が表されているものだ、と解釈できます。
原作では、ネロはパトラッシュを抱いたまま死に、死後硬直のあとでは犬と人を離すことができなくなっていたために、いっしょの墓に葬ったことが書かれています。
『 生涯ずっと、彼らは一緒でした。そして、死んでも、別れませんでした。というのは、少年の腕が犬をしっかりと抱きしめていて、手荒に扱わなければ引き離すことができないことが分かった時、小さな村の人々は後悔し、恥じ入って、神様の格別のお慈悲を願い、彼らのために一つのお墓を作ったのです。一緒に安らかに眠ることができるように。いつまでも! 』
犬と人を同じ墓に葬るのは特別なことでしたが、「神様の格別のお慈悲を願って」村の人々はネロとパトラッシュをいっしょに土に埋めました。いっしょに埋めはしたけれど、村の人もパトラッシュとネロが同じ天国の神の世界に行くとは思っていなかったはずです。
日本的解釈ではネロと犬は、一緒に昇天できたことで、「悲しいけれど納得のできる結末」になりました。キリスト教社会では、この納得が得られないのです。ネロとパトラッシュが一緒に天国に迎えられるという日本的解釈によってこそ、日本でネロの悲劇が浄化され、「日本でのみ受けた物語」として存在出来たといえます。
4 おわりに
本論をまとめると、以下の4点によって日本版アニメ『フランダースの犬』は、『国民的ものがたり』として視聴者に受け入れられてきた、ということが確認できました。1の理由はドキュメンタリー『パトラッシュ』でも言及されていたことですが、2,3,4は、筆者のオリジナル意見です。
1,敗者が志を得られずに非業の死を遂げることに対する民族的心情の伝統があり、ネロの死は、同情をもって受容されていること。
2,原作主人公の年齢が5歳引き下げられ、アニメのネロは10歳に設定されている。そのため、「自立すべき年齢だ」という原作の設定にしばられなかったこと。
3,パトラッシュとネロがともに昇天することを違和感なく受容し、悲劇の死に対してカタルシスが用意されていること。
4,西洋社会より日本社会のほうが、ネロの社会階層にあたる読者層が多く、ネロに同情を寄せる人々が圧倒的だったこと。
以上、翻案という作業が、受け入れる側の社会思潮が関わりつつ受容がなされていることをアニメ「フランダースの犬」を中心にして概観し、翻案の成功には、それを受け入れる社会に、受け入れるための社会思想が形成されていること、受容された物語は人々の心に残り、共同幻想の形成に利用されていくことを考察しました。
テキスト
1,岩波少年文庫(114) 翻訳:野坂悦子
2,青空文庫 翻訳:菊池寛
http://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/4880_13769.html
3,プロジェクト杉田玄白参加 翻訳:荒木光二郎
http://homepage3.nifty.com/yodaka/dogoffra.htm
<おわり>
2010年7月3日付け朝日新聞2面の「ひと」欄に、「本国での不人気はなぜ「フランダースの犬」の謎に挑むアン・ファンディーンダレンさん(39)」という人物紹介コラムがありました。
日本人観光客がルーベンスの絵が掲げてある教会を訪れるのは、例外なくこの絵の存在を「フランダースの犬」のラストシーンで知ったことによるのだということ、本国では知られていない「フランダースの犬」が、なぜ日本では大人気なのか、という問題について取り組んだ人がいます。そう、私春庭もそのひとり。
ファンディーンダレンさんの紹介を読んで、私もフランダースの犬について書いたことがあったのだ、と思い出しました。発表レポートを掲載しておきます。
以下の文章は、大学院博士課程単位取得のためのレポートとして2008年に執筆したものです。単位はもらえましたが、ゼミで口頭発表のあと、批判点を整理し追加執筆しようと思っていたのですが、その余裕のないまま放置してしまいました。
以下の掲載は、口頭発表原稿であるため、文体は「デス・マス体」です。「フランダースの犬」のネロと「家なき子」のレミを、日本社会はどのように受容してきたかという「外国文学の受容と変容」についての論考です。
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1 家なき子
1-1 レミの受容
明治時代には、子どものための物語も、欧米からの翻訳物語や翻案ものが流行しました。
『家なき子』のお話。少年レミが、苦労の末に実の母ミリンダ夫人に巡り会う「母さがし物」です。
原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。
1903(明治36)年、読売新聞記者の五来素川が翻案し、「未だ見ぬ親」と題して発売されました。
主人公レミの名は「太一」に、太一が8才まで育った「シャヴァノン村」は「関谷新田」となり、育ての母は「関谷新田のお文どん」。太一が売られた旅回り一座の「ヴィタリス親方」は「嵐一斎老人」、犬の「カピ」は「白妙丸」と、すべて日本を舞台にしたものとして翻案されています。
この「太一の物語」につよく心を動かされた小学生が東北にいました。
1905年、小学校3年生だった宮澤賢治は、担任教師だった八木英三教諭が教室で読み聞かせてくれたこの物語に深い感銘を受けました。
後年になって、賢治は八木教諭に会った時、自分の童話創作の動機を次のように語っています。(堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』による)
『 私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。その時分、先生は「太一」のお話や、「海に塩のあるわけ」などいろいろのお話をしてくだすったじゃありませんか。その時私はただ蕩然として夢の世界に遊んでいました。いま書くのもみんなその夢の世界を再現しているだけです。 』
翻案された欧米の児童小説が、東北花巻の小学生の心に残る。彼はその後『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、独自の作品をつぎつぎに生みだしていく。
翻案小説が、他国に根を張り、それが新たな物語の種として育っていく、ひとつの典型がここに現れています。
1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で、菊池幽芳が同じ物語を「家なき児」という題名で発表し、1912年に春陽堂から発売されました。以後、この「家なき子」という題が定着しました。
現代日本の『家なき子』ファンにとっては、アニメの「家なき子、レミ」です。全51話の放映。日本テレビ系列で1977年10月2日から1978年10月1日まで。
1-2 ネロのアニメ化
このような「翻案」ものの中で、近年の傑作といえるのは、『フランダースの犬』です。
原作は、イギリスの女性児童文学者ウィーダOuida(1839~1908)の短編『フランダースの犬A dog of Flanders 』
日本の翻案テレビアニメ作品は、52話。
2 フランダースの犬
2-1 パトラッシュ
1975年1月5日から同年12月28日まで、フジテレビ系列の「世界名作劇場」枠で放映されたテレビアニメシリーズ『フランダースの犬』は、短編だった原作を、日本文化にうまく適合させて、長編アニメにしてあり、翻案として成功をおさめた作品のトップクラスだと思います。
このアニメの大きな特徴はふたつ。
主人公ネロの年齢が、原作では15歳、アニメでは10歳であること。
アニメの第1話~40話は原作にはなく、アニメのオリジナルストーリーだ、という2点です。
ウィ-ダの『フランダースの犬』とアニメ『フランダースの犬』の差は、シェークスピアの『オセロ』と、川上音次郎貞奴一座翻案劇『オセロ』の差より、はるかに大きいく、主人公の名前や地名を翻案した『未だ見ぬ親』と『家なき子』より、ずっと大きい。
この差を無視して、ウィーダ原作の読者受容とアニメ作品「フランダースの犬」人気を比較することはできません。
2-2 検証フランダースの犬
ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成しました。
以下、読売新聞の特派員による記事(ブリュッセル=尾関航也)(2007年12月25日11時39分 読売新聞)より引用。
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ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。
物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36歳)。
制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。
物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。
原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。
米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。
ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36歳)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。
上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月(2007年12月12日)からインターネットなどで販売されている。
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2-3 ネロとアロア
日本人が涙を流すほとんどは、ウィーダの原作を読んでのことではなく、アニメ「フランダースの犬」を見てのことです。
アントワープの大聖堂でルーベンスの『キリストの降下』の絵を見て涙を流す日本人観光客の何人がウィーダの原作を読んでいるかは、不明です。
私自身、原作を読んだのは小学校のころであり、それから一度も読み直さなかった。今回のレポート執筆のために、50年ぶりに読み返しました。
岩波少年文庫『フランダースの犬』、すぐに読み終わります。文庫95ページ分の、あっという間に読み終わる作品です。
アニメ作品は1年間52話が放送されましたが、そのうちの原作相当部分は42~52話だけなのです。
もし、原作通りにネロとパトラッシュの物語がアニメになったとしたら、これほど多くの人々が「もっとも心に残るクリスマスの物語は、大聖堂でルーベンスの絵を見上げてほほえんで死んでいくネロとパトラッシュ」という気持ちを持ち続けたかどうか、疑問です。
原作ではネロは15歳になっています。一方、アロアは原作では12歳。原作でアロアの父親コゼツのだんなが、二人の年齢についての心配を妻に語る部分があります。
『 コゼツのだんなは、とても心を悩ませながら家に入りました。その晩、粉屋は妻にこう言いました。「あの若者をアロアに近づけさせてはいけないよ。将来問題が起きるかも知れん。ネロは十五で、アロアは十二だ。ネロは、格好もよくて、なかなか美男子だからな。」 』
原作が書かれた当時のヨーロッパで、15歳というのは、庶民階層の男子が自立してしかるべき年齢です。自分の人生を自分で開拓していくべき少年期から青年期への移行期間にあたっています。
翻訳されて日本に移入された明治の日本でも、15歳はけっして「子ども扱い」される年齢ではありません。中学校への進学率はまだ低く、12歳で小学校を卒業したあとは、一人前の労働力として期待されました。
また、ネロが15歳だとすると、12歳のアロアとふたりだけで親しくすることを心配する親の気持ちもわかり、アロアの父親が、ネロに苦言を呈するのも頷けます。年頃の娘をもった父親なら、15歳の男の子が自分の娘と二人でいっしょにすごすことを快く思わず、「うちの娘とつきあうな」と言うでしょう。
アニメでは、ネロは10歳、アロアは8歳に設定されています。「15歳と12歳」に対して、「10歳と8歳」、この年齢設定の意味は大きい。10歳は、まだまだ自立するにはむずかしい年齢であるし、アロアとふたりっきりですごしていても、引き裂かれなければならない年齢には思われません。
2-3 ネロの時代
『フランダースの犬』の作者、英国女流作家ウィーダ(1839~1908本名はド・ラ・ラメー マリー・ルイーズ)は、19世紀、ヴィクトリア女王の時代の人です。日本ではほぼ明治時代に匹敵します。この時代のイギリスにおいて、学校教育を受けて字が読める層と、読めない層の階層差は、現代では考えられないくらい大きなものでした。
ウィーダの時代の考え方によれば、中産階級の子弟なら、学問を身につけて己の社会的地位を獲得すべきだし、土地財産をもたない下層階級の子どもなら、手に職をつけ一人前の職人になるなど、自立するための過程が必須でした。絵が好きなら、マイセン陶器などの絵付師に弟子入りするとか、タペストリーの下絵職人の親方の下で働くとか、なんとかツテを求めて、手に職をつけるよう家族が図るところだったでしょう。
しかし、原作では、15歳のネロの唯一の家族ジェハンじいさんは、物語の最初からすでに80歳をすぎた老人であり、ネロの将来のために何かしてやれる状態ではありませんでした。牛乳配達ができないほどジェハンの身体が弱り、ネロが6歳で牛乳配達の仕事をおじいさんから引き継いだあとは、ほとんど寝たきりになっています。
動けるうちにネロのために、コゼツ旦那に下げがたい頭でも下げるとか、教会が嫌いでも牧師に頼み込むなりして、ネロを徒弟奉公に出すよう、しておくべきだったのでしょうが、そうする前に病にたおれたてしまいました。ネロは自分の身の振り方について誰にも頼れず、親戚もいない村の中で自立の方法を探る機会はまったくありませんでした。
ジェハンじいさんは、「ネロや、おまえが大きくなって、この小屋と小さな畑を自分で持って、自分で働いて、近所の人からだんな、と呼ばれるようになったら、私も安心してお墓にいけるというもんだよ」と、ネロに語りかけました。兵士として働いた後、ついに自分の土地も持たずに一生を終えようとしているジェハンにとって、ネロが自作農になるというのが、最高の夢だったのです。
ネロは、「絵を描きたい」などとジェハンに語ることは、ジェハンを困らせるだけだと思っていました。また、徒弟奉公に出てしまえば、寝たきりのジェハンの世話をすることができなくなってしまいます。ネロにとって、ジェハンとパトラッシュとともに小さな小屋で生きていくこと以外の望みは、ひと目アントワープの教会の中にしまわれているルーベンスの絵を見たい、ということだけでした。「絵を描いて身を立てる」という方法をさがすなど、ネロ自身に思いも寄らぬことだったのです。
原作で、ウィーダはネロについて以下のように書いています。
『ネロは、貧しく育ち、運命にもてあそばれ、読み書きも教えられず、誰にも顧みられませんでしたが、その見返りに、いや、災いだったかも知れませんが、「天才」と呼ばれる才能を授かっていました。誰も、そのことを知りませんでした。ネロ自身も全く。誰も、そのことを知りませんでした。』
ネロの画才に気づいたのはアロアの父、コゼツ旦那だけでした。しかし、コゼツにとって「絵を描くなどということはよくないことだ。絵を描いている間は労働せず怠けていることになる」ことであり、絵描きなどは乞食よりもっとタチの悪い存在と思えるものでした。
ネロが暮らす小屋は、わずか20軒ほどの農家がある小さな村です。村一番の金持ちは、風車小屋を持ち粉屋を営むコゼツ旦那。しかし、コゼツは、ネロの画才に気づきながら、だから、けっして娘のアロアに近づけてはいけないと、妻に命じました。
ネロの村の人々は、ネロたちが牛乳運びの仕事でほそぼそと暮らしを営むことを助け、パンやスープやたきぎなどを恵んでくれる人もいました。しかし、ネロの将来を考えてやれる余裕のある人はいませんでした。一番余裕があったコゼツ旦那は、ネロの将来より、「娘のアロアに有利な結婚をさせてやりたい。見た目がよくきれいなだけで金のないネロのような貧乏人とつきあわせてはいけない」という現実的な問題を優先させました。
2-4 女流作家ウィーダの時代
「フランダースの犬」の作者ウィーダが作品を発表したころは、女性がようやく社会に進出できるようになった時代でした。女性の社会進出には、女性も識字教育を受けるようになったことの影響が大きい。読み書き能力(リテラシー)は、社会進出の第一の手段です。
19世紀ヴィクトリア女王の時代以前の英国女性の識字率は、とても低いものでした。農民男性の識字率も低かったですが、さらに農民女性は低い識字率でした。そして驚くことに貴族階級の女性の識字率も日本のように高いものではなかったのです。イギリスの貴族階級女性にとって「字を読み書きする」などという男性のようなリテラシーを持つことは、女らしくないことでした。「右筆(ゆうひつ)=貴人のために読み書きをして仕える使用人」を雇うことが貴族女性の証だから、自分自身が文字の読み書きをする必要はなかったからです。手紙も領地の相続に関わる公文書も、信頼できる有能な右筆に口述筆記をさせれば間に合いました。
例をあげるなら、17世紀初頭、イギリスの名家ライル卿夫人の娘アン・バセット。彼女は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(世継ぎのエドワード6世を生んで1ヶ月後に死去)に使えた女官であったけれど、「自分の名前しか書けない」と述べています。手紙は従者に口述筆記させていました。
日本の上層階級の女性、特に宮中に仕えるような身分の女性たちは「女房奉書」という天皇の勅書に匹敵するような重要文書を書きこなすことが必須の教養とされていました。また農民や商人階級の女性でも寺子屋などで文字教育を受ける機会を得た場合、伊勢参りの旅行記を自ら執筆するくらいの文章力を持っていました。たとえば、江戸後期の福岡の商家のおかみさん小田宅子は、歌仲間の友人3人にお供3人を伴い、1841(天保12)年に旅行を敢行し、旅行記『東路日記』を表しました。伊勢参り、長野善光寺参り、日光、江戸見物と、3200kmにわたる旅を同行の桑原久子は『二荒詣日記』に書き、江戸女性の文章能力の高さを後世に残しています。
江戸時代の識字率は、男女とも世界的に見て、日本は最高レベルであり、明治の近代化が成功したのはこの識字率の高さ、国民が近代化を受け入れることのできる教養をもっていたことによる点が大きいのです)。
イギリス女性の識字率の低さについて、私はスーザン・W. ハル『女は男に従うもの?―近世イギリス女性の日常生活』 (刀水歴史全書)を読んで知りました。イギリス貴族階級の女性は高い教育を受け、読み書きできるとばかり思いこんでいたので驚きました。
ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、数カ国語に堪能で読み書き能力にもすぐれていたと言われていますが、それは特殊な例だったのです。一般の女性は、読み書きに励むより、幸福な結婚生活のほうを選ぶこともできました。しかし、エリザベスの場合、女王として戴冠するまでは幽閉の身の上を強いられていました。「王に反逆したアンの娘であるゆえ、王女の身分を剥奪された囚人」でしかなかったから、結婚以外の身の振り方を考えるため、教養を武器にするしかなかったという特殊事情がありました。すぐれたリテラシィを持ったエリザベスは、「幸福で平凡な結婚生活」ではなく、「国家との結婚」を選択することになりました。
19世紀に至るまで、イギリスの識字女性は、上級階級でも下層階級でも少数派でした。
読み書き(リテラシー)能力が必要だったのは、中産階級の女性の一部、貴族の家に住み込んで家庭教師として働かなければならないような階級の娘に限られていました。たとえば、ジェーン・エアのような。
産業革命後、19世紀のヴィクトリア朝に至って、ようやく女性たちは文字を読み書きすることで社会進出をはたすようになりました。
『フランダースの犬』の作者ウィーダも読み書き能力を身につけ社会進出を果たしたひとりです。ウィーダは、この時代の「自立した女性」がそうであったように、生涯結婚しませんでした。小説家として華々しい活躍をしたあと、晩年は孤独と貧困のうちにひとりぼっちで死にました。
イギリスの女流作家を描いた作品、エリザベス・テイラー原作フランソワーズ・オゾン監督の『エンジェル』(主演ロモーラ・ガライ)は、ウィーダより少しあとの時代1900年代初頭を背景にしていますが、女流作家の生活が幸福な結婚とは相容れないものであるという結末は同じです。(エリザベス・テイラーは女優ではなく、別人。他の作品に『天使』がある)
2-5 立身出世の時代
ビクトリア女王の時代、女性の幸福は、「より有利な結婚相手に出会って、つつがなく結婚生活をおくることだ」と考えられていたころでしたから、コゼツ旦那が一人娘アロアの結婚相手としてネロを拒絶したのもやむをえないことでした。ウィーダは、パトラッシュを酷使して半死のめにあわせた飲んだくれの前の飼い主を筆をきわめて悪く描いていますが、コゼツの態度を批判してはいません。(ウィーダは大の犬好きで、晩年落ちぶれてからも犬のために財産を使い果たしました)
年老いたジェハン・ダースじいさんは、ネロに「貧民の処世術」として「わたしたちは、貧しいのだから、神様がくださるものを、よいものでも悪いものでも、受け取らなければならないよ。貧しい者は、選択をすることができないんだよ」とネロに言ってきかせ、ネロはそれにさからうことをしません。ネロはアロアと引き裂かれてしまったことに心の痛みを感じながらも、理不尽な離別として不満を述べることなく、受け入れる努力をしました。
ウィーダの思想のなかには、抜きがたい階級意識が存在していたと思われます。当時の中産階級の女性として、自分が「下層階級ではない」と意識することは「自分は男性ではない」と思うのと同じ、当然のアイデンティティであったことでしょう。
下層階級の人々の生活を小説にするという場合、そこには当然「上から目線」での見方が存在します。下層階級のネロを主人公にした小説が書かれた時代には、「上層階級」「中産識字階級」と、「下層非識字階級」との間に、現在では想像しがたい階級差があったことを忘れることはできません。
ウィーダの視点が「だれからの援助もうけられない運命をたどったネロ」「はい上がることを拒絶された下層民のお話」という目線のもとに執筆されたことを、現代の視線でとやかくいうことはできないでしょう。
そして、このお話が「はい上がろうとする下層階級」からみても、「能力に応じて自力で将来を切り開けと育てられた中産階級」からも、「下のものたちを指導し援助すべきノブレスオブライジを負う上層階級」からも、共感の得られないお話だったことも理解できます。ネロの生き方は「負け犬」としか思われなかったからです。19世紀の西洋社会において、階級間移動の機会はごく少なかった。貴族階級と平民では言葉さえまったく違っていたことは、『マイフェアレディ』で下町娘イライザが上流階級の発音や言い回しを習うのに厳しい教育を受けなければならなかったことでもわかります。
日本に「フランダースの犬」が翻案移入された時代、20世紀初頭の日本は「立身出世欲」が最高に盛り上がっていた時代でした。
華族士族平民の差はあったものの、士族であれ平民であれ、学校教育において能力を発揮すれば、立身出世が望める時代でした。明治の高官たちは、足軽や下士など低い身分から成り上がった人たちで構成されていましたから、「生まれつきの身分」を変えることにこだわらず、階層移動が成立しやすい社会であったことが、イギリスとは異なっていました。
貧しい者が勉学の機会を得るには、①軍の学校に入る、②授業料無料の師範学校に入る、③故郷出身の成功者の家に「書生」として住み込む、など、いくつかの方法がありました。
歌人斎藤茂吉は、③を選択し、斎藤家の書生になりました。私の夫の伯父や伯母は、②を選択し、教師になりました。
20世紀になって識字率が上がってきたとはいえ、ヨーロッパの読書階級は上流中流層が中心でした。貧しいネロが、立身出世の機会を得られなかったことに、この時代の欧州の読者たちは、「上から目線」で読み、ネロに感情移入することはありませんでした。
しかし、日本の読者はネロに同情し、涙を流し続けたのです。
日本では江戸時代から読本赤本、御伽草子浮世草子の読者層は広がっていました。明治初頭に日本へ来たヨーロッパ人の「日本旅行記」には、馬車の馬丁や料理屋の女中まで、ちょっとしたヒマを見てはふところから本を出して読みふけっている、という光景を目撃してびっくりしたことが記録されています。明治に義務教育が普及すると、読み物の読者層もさらに底辺が広くなりました。ウィーダがこの作品を書いた時代、ネロと同じ階級の読者層はヨーロッパより日本のほうがはるかに多かったのです。
2-6 『フランダースの犬』の映像化
『フランダースの犬』は、イギリス・アメリカでは4度映画化されました。しかし4回ともお話しは「ハッピーエンド」の物語に書き換えられています。ネロもパトラッシュも最後は幸福になるのです。(1914年版:ハウエル・ハンセル監督、1935年版:シャルル・スローマン監督、1960年版 :ジェームズ・B・クラーク監督、1999年版:ケビン・ブロディ監督)
原作では、15歳になっても自分の身を立てることのできなかったネロ。
アメリカでも、ヨーロッパでも、原作の「フランダースの犬」は「負け犬のものがたり」としか受け取られてこなかった。自立を自分の手でつかみ取ることのできない者を映画の主人公としても受けない。映画化されたストーリーでは、いずれもネロは最後に救われることになっています。
ネロがラストシーンで救われ、幸福な将来を望みうるストーリーに書き換えられたのは、「自立できなかったネロ」を容認できない西洋社会として仕方のない選択だったと思います。では、日本のアニメ版フランダースの犬はどうでしょうか。
2-6 滅びの美学
第1話から40話までの「日本のフランダースの犬、オリジナルストーリー」は、とても良くできています。ラストの悲劇に向かって、10歳のネロのけなげさ、パトラッシュとの絆に涙しない人は「人」であるぞよ、これでもかっ!っていうくらいに、盛り上がっていく。
なぜ日本で「フランダースの犬」が同情を集め、日本だけでこれほど多くの人々に愛される物語となったのかを、検証したのがベルギーのドキュメンタリー映画『パトラッシュ・フランダースの犬』です。
ドキュメンタリー映画『パトラッシュ』では、100人以上の人へのインタビューや、明治から今までの日本での「フランダースの犬」の翻訳本を検証し、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけました。
古くは、権力争いに負け九州太宰府に流された菅原道真、諸行無常の『平家物語』に描かれた木曾義仲、判官義経などの滅び行くもののふの姿。
天下統一に王手をかけながら、本能寺の炎の中に49歳をもって滅亡した織田信長、明治の新天地を目前にしながら暗殺された坂本龍馬など、成功しなかった者にこそ自分たちの心情を託して救済のひとつとする伝統が、「アニメ・フランダースの犬」の翻案を受容する心情に重なったのだと、私も思います。
日本人アニメ視聴者がネロの最期に涙するのは、ひとつにはこの「志を果たさずに非業の死を遂げた者」への深い思いを共有する民族的心情があった、という点。また、そのような者は、残った者によって哀悼され祀られる伝統。平安初期から「御霊信仰」が千年以上続いてきたことを考える必要があります。
2-7 御霊信仰
御霊信仰は、山部親王(のちの桓武天皇)に皇位継承させるために非業の死に追いやられた井上皇后(いのえこうごう、またはいがみこうごう=聖武天皇の第一皇女、光仁天皇の皇后)と皇太子他戸親王(おさべしんのう 井上皇后と光仁天皇の子)の霊のたたりを恐れて、御霊神社が創設されたことに始まります。皇室内の血で血を洗う権力抗争は飛鳥奈良の時代にもあったのですが、殺された者が殺した側を恨んで祟る、という考え方が広まったのは、陰陽師が国家体制に組み込まれて、「国家に不穏な出来事がおこるのは、○○の祟りによる」という占いをするようになったことが背景としてあります。
祀られた怨霊は、守護霊に生まれ変わり、人々を守るようになる、というのが御霊信仰です。古くは菅原道真を祀った天満天神、木曽義仲の愛妾巴が建てた庵をもとにするという義仲寺、明治以降も土佐藩士・武市半平太を祀った瑞山神社、殉職や戦死した軍人を祀った乃木神社東郷神社などの設立があり、「天寿まっとうしなかった者」への哀悼の思いは現代にも続いています。
「ネロの死」の受け止められかたが、西洋社会とは異なったものとなった背景には、このような「敗者の美学」「滅びの美学」とも言える意識があったということは、うなずける解釈です。
ここで、もう一度ネロの年齢を確認しておきましょう。
日本の「パトラッシュ人気」は、あくまでも1~41話のお話がつづいたのちの、10歳のネロが死ぬラストの悲劇にあります。
ウィーダの原作によって物語が進行し、15歳のネロが力つきたのだったら、日本人も、ここまでネロとパトラッシュの悲しいラストシーンに共感をよせなかったのではないか、と思われます。
ネロの悲劇は、「10歳という設定」と「1~40話」のオリジナルストーリーの上に成り立っていることを確認してきました。ヨーロッパで「負け犬」の物語とされてきた『フランダースの犬』が、ここまで日本人の琴線を揺るがしたのは、この翻案の年齢設定の絶妙さによると思います。
原作ではラストシーンで、コゼツ旦那はネロが純真無垢な心をもった真っ正直な子だったと気づき、後悔の涙を流します。ネロが落選してしまった絵画コンテストの審査員のひとりは、ほんとうはネロが一等賞をとるべきなのに、有力者の息子に賞がわたってしまったことを残念がり、ネロの天才を認めて芸術教育をしてやろうと決心します。あとちょっとのところで何もかも変わるはずだったのに、ネロはパトラッシュとともに空腹と絶望を抱えて死んでしまいました。
神様がいて人の行いを見ていて下さるなら、こんな残酷な結末が許されるはずがない、と、西洋社会の人たちが感じるところです。アメリカ映画がどれもハッピーエンドに作りかえられている気持ちもわからないではありません。西洋流のとらえ方なら、悲劇のラストではネロとパトラッシュには救いがありません。
日本のアニメでは、ネロとパトラッシュはいっしょに天国へと昇っていき、一種の救い、カタルシスが視聴者に与えられています。この部分は、日本のアニメの翻案です。この翻案は、欧米キリスト教圏の人の考え方ともっとも大きく違うところです。キリスト教では、パトラッシュが天使に迎えられ天国へ人と共に行くのは考えられないのです。
3 パトラッシュの昇天
アニメのラストシーン、天使たちに守られながら天へ登っていくネロとパトラッシュの姿は、「負け犬」などではなく、「ちからいっぱい戦い、生き抜いた末に、力つきていくもの」の美しさを持っていました。
その犬と少年の姿の荘厳さがあるからこそ、「アニメ名場面集」という特集が組まれれば必ず上位に「ルーベンスの絵を見て死んでいくネロとパトラッシュ」が選ばれるのです。
パトラッシュをいっしょに連れていかないでは、ネロのラストのほほえみは考えられません。
しかし、キリスト教国では、人間と犬がいっしょに昇天することはできません。犬と人が同時に天に昇っていく図柄は、不自然と受け止められます。キリスト教では、犬には霊があるとは考えません。犬に「意識=心」はあるとしても、神のみもとへ召される「霊」はないのです。
日本語では「霊魂」といいますが、キリスト教では霊と魂は別概念です。人間は、体に現された魂と、不滅の霊の息吹が吹き込まれた体とが、一つになった「神の神殿」とみなされ、その意味で、神の霊が宿るのは人間のみ、と考えられているのです。
日本アニメの翻案のうち、もっとも「日本的な絵」は、この最後の「パトラッシュ昇天」であり、犬の霊が人とともに天使にむかえられるというところだ、と私は思います。
このラストシーンは、「一寸の虫にも五分の魂」の仏教思想が反映されています。一寸の虫に五分の魂ならパトラッシュには50cmの霊魂です!
ルーベンスの『キリストの降下』の絵を見たあと、ネロは微笑みながら、パトラッシュとともにキリスト教の神のいる天国へと昇っていったとして、キリスト教の考え方によれば、入り口で拒否されてしまいます。「ここは犬は入れないところだ」と、天国の入り口で門番に言われてしまうでしょう。
でも、心配ありません。ネロとパトラッシュはともに阿弥陀様のいる極楽へ迎え入れられるから。日本版アニメのラストシーンは、日本的思想が表されているものだ、と解釈できます。
原作では、ネロはパトラッシュを抱いたまま死に、死後硬直のあとでは犬と人を離すことができなくなっていたために、いっしょの墓に葬ったことが書かれています。
『 生涯ずっと、彼らは一緒でした。そして、死んでも、別れませんでした。というのは、少年の腕が犬をしっかりと抱きしめていて、手荒に扱わなければ引き離すことができないことが分かった時、小さな村の人々は後悔し、恥じ入って、神様の格別のお慈悲を願い、彼らのために一つのお墓を作ったのです。一緒に安らかに眠ることができるように。いつまでも! 』
犬と人を同じ墓に葬るのは特別なことでしたが、「神様の格別のお慈悲を願って」村の人々はネロとパトラッシュをいっしょに土に埋めました。いっしょに埋めはしたけれど、村の人もパトラッシュとネロが同じ天国の神の世界に行くとは思っていなかったはずです。
日本的解釈ではネロと犬は、一緒に昇天できたことで、「悲しいけれど納得のできる結末」になりました。キリスト教社会では、この納得が得られないのです。ネロとパトラッシュが一緒に天国に迎えられるという日本的解釈によってこそ、日本でネロの悲劇が浄化され、「日本でのみ受けた物語」として存在出来たといえます。
4 おわりに
本論をまとめると、以下の4点によって日本版アニメ『フランダースの犬』は、『国民的ものがたり』として視聴者に受け入れられてきた、ということが確認できました。1の理由はドキュメンタリー『パトラッシュ』でも言及されていたことですが、2,3,4は、筆者のオリジナル意見です。
1,敗者が志を得られずに非業の死を遂げることに対する民族的心情の伝統があり、ネロの死は、同情をもって受容されていること。
2,原作主人公の年齢が5歳引き下げられ、アニメのネロは10歳に設定されている。そのため、「自立すべき年齢だ」という原作の設定にしばられなかったこと。
3,パトラッシュとネロがともに昇天することを違和感なく受容し、悲劇の死に対してカタルシスが用意されていること。
4,西洋社会より日本社会のほうが、ネロの社会階層にあたる読者層が多く、ネロに同情を寄せる人々が圧倒的だったこと。
以上、翻案という作業が、受け入れる側の社会思潮が関わりつつ受容がなされていることをアニメ「フランダースの犬」を中心にして概観し、翻案の成功には、それを受け入れる社会に、受け入れるための社会思想が形成されていること、受容された物語は人々の心に残り、共同幻想の形成に利用されていくことを考察しました。
テキスト
1,岩波少年文庫(114) 翻訳:野坂悦子
2,青空文庫 翻訳:菊池寛
http://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/4880_13769.html
3,プロジェクト杉田玄白参加 翻訳:荒木光二郎
http://homepage3.nifty.com/yodaka/dogoffra.htm
<おわり>