2011/08/02
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(1)多彩な留学生
今期は、4月の授業が開始日延期となりました。その結果、国立のうち一校は土曜日に授業をすることになり、もう一校は一日に90分授業4コマ連続で働くことになり、私立は8月上旬まで授業継続。教師も学生もへとへとでしたが、なんとか前期終わりにこぎつきました。2日は留学生、3日は日本人学生の、「出席日数不足者、課題未提出者」への救済補講の日にあてて、そのあと成績提出。来週からようやく夏休みです。
震災後の大混乱の中、春休みに帰国したまま日本の戻ってこなかった留学生も大勢いた中、親を説得して日本に戻った留学生、4月の来日が5月になってしまったけれど、「日本は安全だと信じて」来日してきた留学生。どの学生も超スピートでの詰め込み教育に耐え、よく勉強しました。
ふたつの国立大学の日本語初級コース、月、木、金の出講で、今期担当した学生は両校合わせて18人。大学院学生と大学院進学予定学生です。国籍は、モンゴル、ベトナム、タイ、中国、インド、スーダン、エチオピア、南アフリカ、モザンビーク、コロンビア、ドミニカ共和国、ブラジル、ドイツ、カナダ。
中国から来たお医者さんのシンさんは、医学部での研究が忙しくなって日本語授業にはあまり出席できず、「出席日数不足」の成績判定になったのですが、あとの学生はみな、「初級コース修了生」となって、中級クラスへ進級できることになりました。
南アフリカの留学生、以前担当したのは白人系の学生だったので、今回はじめて黒人の南アフリカ人でした。1993年にアパルトヘイトが廃止されてから18年。ようやく黒人の大学院留学生に日本で出会うことができたと思うと感慨深いものがあります。
また、以前担当したスーダン留学生は男性でしたから、今回はじめてスーダンの女性留学生に出会いました。イスラム教徒としてスカーフで髪を包んでいる美人の彼女、なんと父親同道で留学してきて、父親は3ヶ月間悠々の日本遊覧をして帰国。彼女は父親と一緒に土日ごとにあちこちへ観光していました。
お父さんはビジネスをやっている人だということでしたが、この3ヶ月は、完全に観光滞在だったのか、なんらかのビジネス・ルートによるものなのかわかりませんが、家の奥深く箱の中に囲い込まれていたイスラム女性も、父親の監視付きながら留学できる時代になったのだと思いました。
明治時代にはじめてアメリカへ留学した津田梅子が明治の女性教育を牽引したように、留学を終えたら彼女がスーダンの女性教育を切り開いていってくれるのじゃないかと期待しています。とても優秀な女性で、日本語の上達もすばらしかった。文法試験も漢字試験もほぼ満点で、10月からは薬学の研究をしていくそうです。
ふたつの国立大学、両方にドミニカ共和国の女性がいたので、「あなたに,ドミニカの女性を紹介します。友だちになれると思うよ」と、言ったら二人はすでに友だちでした。留学前の大使館の手続きなどで、すでに知り合っていたのです。ルルさんは建築学専攻、ララさんは、10月から私立大学で社会福祉政策とくに健康保険制度を研究したいといいます。ララさんは、専門の研究は日本語で授業を受けるというので、ものすごい熱意で日本語を学んでいました。こちらも文法、漢字とも満点に近かった。一方、建築専攻のルルさんは、大学院の授業は英語ということで、日本語は生活に不自由なければよいという気楽な勉強ぶりでした。勉強の進みぐあいは、みなそれぞれです。
<つづく>
06:34 コメント(2) ページのトップへ
2011年08月03日
ぽかぽか春庭「Dear Sense」
2011/08/03
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(2)Dear Sense
初級クラスは、ゼロスタート組(ひらがなカタカナも知らずに来日し、完全にゼロの状態で日本語を学びはじめること)と、国で入門クラスを終えてきた学生の「既習初級クラス」があります。
ゼロスタート組の中でも、かっての内戦がようやく落ち着いたアフリカの国から留学してきたダニーさんは、半年間は大学院で英語だけで授業を受けてきました。半年とは言え、日本での生活経験があると、同じゼロスタートでもいろんなことの吸収がスムースです。彼は、東京にある自国の大使館員になりたいそうで、平和構築学の研究だけでなく、日本語習得にも熱心です。
「平和構築学」は、世界のさまざまな問題を抱えた地域で、紛争を解決し平和な国を築くために何をすればいいのか、ということを学ぶ大学院プログラムです。平和構築学の授業のほとんどは英語で行われており、大学院での研究だけするなら、日本語は日常生活レベルができればOKです。
しかし、アフガニスタンやアフリカのブルキナファソなどで活動を続けてきたカナダ人パトさんは「日本人と結婚している」という理由で、日本語上達はめざましかった。グラミン銀行のような、発達途上地域での小規模銀行の活動を続けてきて、これからも奥さんと共に、途上国の人々が「援助物資」を与えられるのではなく、自力で自分たちの平和な生活を構築するためにどうしたらよいのか考えて行きたいそうです。
初級既習組の国際比較政治学専攻のヤミさんは、1980年にポーランドからドイツに家族で移住した、という経歴を持ち、ポーランド語、ドイツ語、英語ができます。日本人のガールフレンドが今アメリカの大学の博士課程で研究しており、自分も政治学の博士号をめざす、という人です。「彼女の家が芦屋にあるので、訪問してきた」というので「芦屋に家があるガールフレンド、って聞くと、日本人がどのようなイメージを持つか、知っていますか」と質問すると「もちろん知っています。彼女はお金持ちのお嬢様だろうと、日本の人は思います。その通りです」というのです。
ヤミさんは、4年前にも一度日本に留学して初級日本語をならったのだけれど、すっかり忘れていた、でも、4月からの日本語学習で、日本語が前よりできるようになった、とスピーチで話していましたが、ほんとうにすばらしい上達ぶりでした。スピーチも、だじゃれも交えながらの楽しいものでした。
もうひとりの既習組のカタさんは、以前に大阪に留学した経験があります。大阪でブラジル人のご主人と出会いました。コロンビアとブラジルというラテンアメリカの出身ですが、母語はスペイン語とポルトガル語。国際結婚であることは変わりなく、双方とも国の両親の許しを得るのはたいへんだったとか。ご主人が日本の大学院の奨学金を得たのを機会に、カテさんも、いっしょに再来日することにしました。カテさんは奨学金を得る機会がなかったので、スペイン語と英語を東京の語学学校で教えながら、私費研究生として日本語の授業に出席していました。自分自身が語学の先生なのですから、学ぶ姿勢もすばらしく、優等生の鑑でした。
ゼロスタート組、エチオピアからの留学生が、コース修了記念に撮影した写真をメール添付で送ってくれたのですが、残念ながら、メールは英文でした。大学パソコン室で3回ほど日本語ワープロの使い方教室を実施したのですが、彼の手持ちのパソコンに日本語ワープロがまだインストールされていなかったのでしょう。う~ん、夏休み中に日本語ワープロソフトを入れて、使えるようになってほしいなあ。
~~~~~~~~
Dear Sense,
How are you, my great and respected Sense. I would like to thank you and express my deepest appreciation for teaching us in a special way. I miss Nihongo classes especially your classes (Friday class).
Today I wake up early in the morning and thinking of going to school.
But when I recall (remember), I have no class, already finished last Friday.
I here attach one photo in the above attached folder.
With kind regards,
~~~~~~~
コースが終わったあとの金曜日も、私の授業に出てこようかと早起きした気持ち、うれしいです。彼がいう「特別なやり方の教え方に感謝したい」というのは、日本語復習アクティビティとして実施した、折り紙や短冊書きの授業のことでしょう。
私は、初級日本語授業では、毎回「日本文化にふれる」&「日本語での手順の説明」の両方を目的として、「折り紙のかぶと」作りをしています。今期もみなでワイワイとカブトを折りました。最初小さい折り紙で、次に大きな広告チラシ(今年はマンションの広告)を使って作ります。出来上がると大喜びでカブトをかぶった写真を撮りあっていました。
また、今回だけの試みとして「今期のハードなスケジュールによくついてきた」ごほうびとしての意味合いを込めて、初級ゼロスタートクラスのみなに江戸ガラスの風鈴をプレゼントしました。風鈴の下の短冊に願い事を書いて下げることにして、みな、自分たちの希望をいっしょうけんめい書き込んでいました。毎日の授業をこなして、単語を覚え文法項目を暗記するほうが大切ではあるのですが、学生にとっては、折り紙や風鈴の授業が特に印象に残るのでしょう。
<つづく>
06:44 コメント(2) ページのトップへ
2011年08月05日
ぽかぽか春庭「ミス・サイゴン同窓会」
2011/08/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(3)ミス・サイゴン同窓会
期末試験終了後、「前期授業うちあげ留学生食事会」は、有志の講師と留学生が集まり、ベトナム料理店で行われました。ベトナムからの留学生チャンさんのがんばりに敬意を表して、という意味もあります。店の名前は「ミス・サイゴン」
チャンさんは、幹事ではないのですが、料理を選ぶ係をお願いしました。米粉の麺であるフォーや、海老のサラダ、スパイシーなチキン、ベトナムの缶ビールや、米から作ったというお酒を選んでくれました。
ベトナムのチャンさん、ドミニカのララさんは、7月21日に行われたスピーチ発表会では、「たった3ヶ月でよくぞここまで」と感心するすばらしいスピーチをしました。文法や漢字の試験も満点に近く、成績はむろん「A」評定です。チャンさんは、橋梁工学の専門家として働いてきました。奥さんはハノイのゲーテ学院でドイツ語を学んだ才媛ですが、夫の将来に期待をかけて、秋からは幼い息子さんと日本で暮らす決意をしているそうです。奥さんお子さんの励ましと奨学金を得て、必ず博士号を取得できることでしょう。
集まった6人のうちふたりは、昨年度のゼロスタートクラスのメンバーです。現在は私立大学大学院で農業研究をしているヘンリーさん。「実験が忙しい。夏休みは長野で実習がある」と言っていました。後輩の初級クラスのメンバーの顔を見て、同じ祖師谷寮(国費留学生用の国際学生寮)に入居しているので、顔は互いに見知っていたと言っていました。しかし、同じ大学の同じ初級日本語コースで学んだ関係であることは知らなかったそうです。
ヘンリーさんは、「私は寮の大統領だよ。私に挨拶しない留学生は、いないよ。寮の学生は、みんな挨拶して、大統領に1万円プレゼントするよ」と、冗談を言っていました。
ヘンリーさんは、博士号をとったら国に帰り、農業指導者として国の経済をよくし、最終的には国の大統領になりたいそうです。彼が故国の大統領になったら、私は1万円持って、挨拶に行こうと思います。
文法をきっちり学んでいたヘンリーさんでしたが、「今の研究室は、私のほかはみな日本人学生。最初、学生の日本語がぜんぜんわからなかった。日本語の先生の会話と日本人学生の会話は、ぜんぜんちがいます」と、言います。うん、うん、とうなずくインドネシアのディーさん。
日本語教師は、学生が現在までに学んだ語彙と文法項目だけを使って会話するよう訓練されています。たとえば、受身形を習っていないうちに受身形を使った会話はしないし、習っていない語彙を使うときは解説します。これを、「ビギナーズ・カンバセーションコントロール」といいます。
学生は、教師となら日本語で会話できるので、自信をもって日本人社会にデビューするのですが、さいしょは「日本人の話すことが理解できない」と、ショックを受けます。しかし、基本文型の文法をきちんと学んだ学生は、学生用語や省略のしかたを身につければ、聞き取れるようになります。
逆に、基本文型を身につけずに耳から覚えた日本語で、器用にしゃべれるようになった人の中には、いつまでたっても公的な場で通用するきちんとした話し方が身につかない人も多いので、遠回りのようであっても、最初は「あんなに覚えたけど、漢字、わすれちゃった」ではなく、「あれほどたくさん覚えたけれど、漢字を忘れてしまいました」から覚えてほしいと思っています。正用を崩していくことはむずかしくないけれど、崩されたことばを正すのはかえって難しいからです。ヘンリーさんは、日本人大学院生とのつきあいの中で、すっかりこなれた日本語が身についていました。
ヘンリーさんと同期のディさんはインドネシア出身。スカーフを被った姿を見たことがなかったので、イスラム教徒とではないと思っていたのですが、出てきた料理のうち、「豚肉は食べられない」というので、「えっ、あなたもモスレムだったの?」と、はじめて気づきました。外国では、「女性はスカーフ着用」のイスラムの掟も規制はゆるくなるとのことですが、「豚肉、お酒はダメ」というほうは、きっちり守るディさんでした。
モンゴルのボーさんは、奥さんとお嬢さんふたりと暮らしています。お嬢さんは日本の小学校に通っているので、しゃべることにかけてはボーさんの上達を上回り、「娘は、私の日本語の先生です」というボーさん。
私は単語の説明などを、ついてっとり早く英語で言ってしまっていたのですが、ボーさんは英語が苦手。ロシアに留学経験を持ち、ロシア語が堪能なのです。でも、私はモンゴル語でもロシア語でも説明できないので、ボーさんがわからないとき直接法での説明に四苦八苦したこともありました。私の説明が下手でも、きっと「お嬢さんチューター」のフォローがあってのことでしょう、ボーさんの上達もめざましかったです。
モンゴル語は日本語と文法は似ているので、単語をきちんと覚えれば、どんどん上達します。白鵬や日馬富士の活躍にも元気づけられて、ボーさんはがんばりました。車関係のエンジニアだったボーさん、日本でも車のアルバイトをしているそうです。
みんな、楽しく話し、食べ、クラスお別れ会もおひらきになりました。来期は他大学へ進学するチャンさんもララさんも、いつかまた会えるといいね。
<おわり>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(1)多彩な留学生
今期は、4月の授業が開始日延期となりました。その結果、国立のうち一校は土曜日に授業をすることになり、もう一校は一日に90分授業4コマ連続で働くことになり、私立は8月上旬まで授業継続。教師も学生もへとへとでしたが、なんとか前期終わりにこぎつきました。2日は留学生、3日は日本人学生の、「出席日数不足者、課題未提出者」への救済補講の日にあてて、そのあと成績提出。来週からようやく夏休みです。
震災後の大混乱の中、春休みに帰国したまま日本の戻ってこなかった留学生も大勢いた中、親を説得して日本に戻った留学生、4月の来日が5月になってしまったけれど、「日本は安全だと信じて」来日してきた留学生。どの学生も超スピートでの詰め込み教育に耐え、よく勉強しました。
ふたつの国立大学の日本語初級コース、月、木、金の出講で、今期担当した学生は両校合わせて18人。大学院学生と大学院進学予定学生です。国籍は、モンゴル、ベトナム、タイ、中国、インド、スーダン、エチオピア、南アフリカ、モザンビーク、コロンビア、ドミニカ共和国、ブラジル、ドイツ、カナダ。
中国から来たお医者さんのシンさんは、医学部での研究が忙しくなって日本語授業にはあまり出席できず、「出席日数不足」の成績判定になったのですが、あとの学生はみな、「初級コース修了生」となって、中級クラスへ進級できることになりました。
南アフリカの留学生、以前担当したのは白人系の学生だったので、今回はじめて黒人の南アフリカ人でした。1993年にアパルトヘイトが廃止されてから18年。ようやく黒人の大学院留学生に日本で出会うことができたと思うと感慨深いものがあります。
また、以前担当したスーダン留学生は男性でしたから、今回はじめてスーダンの女性留学生に出会いました。イスラム教徒としてスカーフで髪を包んでいる美人の彼女、なんと父親同道で留学してきて、父親は3ヶ月間悠々の日本遊覧をして帰国。彼女は父親と一緒に土日ごとにあちこちへ観光していました。
お父さんはビジネスをやっている人だということでしたが、この3ヶ月は、完全に観光滞在だったのか、なんらかのビジネス・ルートによるものなのかわかりませんが、家の奥深く箱の中に囲い込まれていたイスラム女性も、父親の監視付きながら留学できる時代になったのだと思いました。
明治時代にはじめてアメリカへ留学した津田梅子が明治の女性教育を牽引したように、留学を終えたら彼女がスーダンの女性教育を切り開いていってくれるのじゃないかと期待しています。とても優秀な女性で、日本語の上達もすばらしかった。文法試験も漢字試験もほぼ満点で、10月からは薬学の研究をしていくそうです。
ふたつの国立大学、両方にドミニカ共和国の女性がいたので、「あなたに,ドミニカの女性を紹介します。友だちになれると思うよ」と、言ったら二人はすでに友だちでした。留学前の大使館の手続きなどで、すでに知り合っていたのです。ルルさんは建築学専攻、ララさんは、10月から私立大学で社会福祉政策とくに健康保険制度を研究したいといいます。ララさんは、専門の研究は日本語で授業を受けるというので、ものすごい熱意で日本語を学んでいました。こちらも文法、漢字とも満点に近かった。一方、建築専攻のルルさんは、大学院の授業は英語ということで、日本語は生活に不自由なければよいという気楽な勉強ぶりでした。勉強の進みぐあいは、みなそれぞれです。
<つづく>
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2011年08月03日
ぽかぽか春庭「Dear Sense」
2011/08/03
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(2)Dear Sense
初級クラスは、ゼロスタート組(ひらがなカタカナも知らずに来日し、完全にゼロの状態で日本語を学びはじめること)と、国で入門クラスを終えてきた学生の「既習初級クラス」があります。
ゼロスタート組の中でも、かっての内戦がようやく落ち着いたアフリカの国から留学してきたダニーさんは、半年間は大学院で英語だけで授業を受けてきました。半年とは言え、日本での生活経験があると、同じゼロスタートでもいろんなことの吸収がスムースです。彼は、東京にある自国の大使館員になりたいそうで、平和構築学の研究だけでなく、日本語習得にも熱心です。
「平和構築学」は、世界のさまざまな問題を抱えた地域で、紛争を解決し平和な国を築くために何をすればいいのか、ということを学ぶ大学院プログラムです。平和構築学の授業のほとんどは英語で行われており、大学院での研究だけするなら、日本語は日常生活レベルができればOKです。
しかし、アフガニスタンやアフリカのブルキナファソなどで活動を続けてきたカナダ人パトさんは「日本人と結婚している」という理由で、日本語上達はめざましかった。グラミン銀行のような、発達途上地域での小規模銀行の活動を続けてきて、これからも奥さんと共に、途上国の人々が「援助物資」を与えられるのではなく、自力で自分たちの平和な生活を構築するためにどうしたらよいのか考えて行きたいそうです。
初級既習組の国際比較政治学専攻のヤミさんは、1980年にポーランドからドイツに家族で移住した、という経歴を持ち、ポーランド語、ドイツ語、英語ができます。日本人のガールフレンドが今アメリカの大学の博士課程で研究しており、自分も政治学の博士号をめざす、という人です。「彼女の家が芦屋にあるので、訪問してきた」というので「芦屋に家があるガールフレンド、って聞くと、日本人がどのようなイメージを持つか、知っていますか」と質問すると「もちろん知っています。彼女はお金持ちのお嬢様だろうと、日本の人は思います。その通りです」というのです。
ヤミさんは、4年前にも一度日本に留学して初級日本語をならったのだけれど、すっかり忘れていた、でも、4月からの日本語学習で、日本語が前よりできるようになった、とスピーチで話していましたが、ほんとうにすばらしい上達ぶりでした。スピーチも、だじゃれも交えながらの楽しいものでした。
もうひとりの既習組のカタさんは、以前に大阪に留学した経験があります。大阪でブラジル人のご主人と出会いました。コロンビアとブラジルというラテンアメリカの出身ですが、母語はスペイン語とポルトガル語。国際結婚であることは変わりなく、双方とも国の両親の許しを得るのはたいへんだったとか。ご主人が日本の大学院の奨学金を得たのを機会に、カテさんも、いっしょに再来日することにしました。カテさんは奨学金を得る機会がなかったので、スペイン語と英語を東京の語学学校で教えながら、私費研究生として日本語の授業に出席していました。自分自身が語学の先生なのですから、学ぶ姿勢もすばらしく、優等生の鑑でした。
ゼロスタート組、エチオピアからの留学生が、コース修了記念に撮影した写真をメール添付で送ってくれたのですが、残念ながら、メールは英文でした。大学パソコン室で3回ほど日本語ワープロの使い方教室を実施したのですが、彼の手持ちのパソコンに日本語ワープロがまだインストールされていなかったのでしょう。う~ん、夏休み中に日本語ワープロソフトを入れて、使えるようになってほしいなあ。
~~~~~~~~
Dear Sense,
How are you, my great and respected Sense. I would like to thank you and express my deepest appreciation for teaching us in a special way. I miss Nihongo classes especially your classes (Friday class).
Today I wake up early in the morning and thinking of going to school.
But when I recall (remember), I have no class, already finished last Friday.
I here attach one photo in the above attached folder.
With kind regards,
~~~~~~~
コースが終わったあとの金曜日も、私の授業に出てこようかと早起きした気持ち、うれしいです。彼がいう「特別なやり方の教え方に感謝したい」というのは、日本語復習アクティビティとして実施した、折り紙や短冊書きの授業のことでしょう。
私は、初級日本語授業では、毎回「日本文化にふれる」&「日本語での手順の説明」の両方を目的として、「折り紙のかぶと」作りをしています。今期もみなでワイワイとカブトを折りました。最初小さい折り紙で、次に大きな広告チラシ(今年はマンションの広告)を使って作ります。出来上がると大喜びでカブトをかぶった写真を撮りあっていました。
また、今回だけの試みとして「今期のハードなスケジュールによくついてきた」ごほうびとしての意味合いを込めて、初級ゼロスタートクラスのみなに江戸ガラスの風鈴をプレゼントしました。風鈴の下の短冊に願い事を書いて下げることにして、みな、自分たちの希望をいっしょうけんめい書き込んでいました。毎日の授業をこなして、単語を覚え文法項目を暗記するほうが大切ではあるのですが、学生にとっては、折り紙や風鈴の授業が特に印象に残るのでしょう。
<つづく>
06:44 コメント(2) ページのトップへ
2011年08月05日
ぽかぽか春庭「ミス・サイゴン同窓会」
2011/08/05
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>2011年前期の学生たち(3)ミス・サイゴン同窓会
期末試験終了後、「前期授業うちあげ留学生食事会」は、有志の講師と留学生が集まり、ベトナム料理店で行われました。ベトナムからの留学生チャンさんのがんばりに敬意を表して、という意味もあります。店の名前は「ミス・サイゴン」
チャンさんは、幹事ではないのですが、料理を選ぶ係をお願いしました。米粉の麺であるフォーや、海老のサラダ、スパイシーなチキン、ベトナムの缶ビールや、米から作ったというお酒を選んでくれました。
ベトナムのチャンさん、ドミニカのララさんは、7月21日に行われたスピーチ発表会では、「たった3ヶ月でよくぞここまで」と感心するすばらしいスピーチをしました。文法や漢字の試験も満点に近く、成績はむろん「A」評定です。チャンさんは、橋梁工学の専門家として働いてきました。奥さんはハノイのゲーテ学院でドイツ語を学んだ才媛ですが、夫の将来に期待をかけて、秋からは幼い息子さんと日本で暮らす決意をしているそうです。奥さんお子さんの励ましと奨学金を得て、必ず博士号を取得できることでしょう。
集まった6人のうちふたりは、昨年度のゼロスタートクラスのメンバーです。現在は私立大学大学院で農業研究をしているヘンリーさん。「実験が忙しい。夏休みは長野で実習がある」と言っていました。後輩の初級クラスのメンバーの顔を見て、同じ祖師谷寮(国費留学生用の国際学生寮)に入居しているので、顔は互いに見知っていたと言っていました。しかし、同じ大学の同じ初級日本語コースで学んだ関係であることは知らなかったそうです。
ヘンリーさんは、「私は寮の大統領だよ。私に挨拶しない留学生は、いないよ。寮の学生は、みんな挨拶して、大統領に1万円プレゼントするよ」と、冗談を言っていました。
ヘンリーさんは、博士号をとったら国に帰り、農業指導者として国の経済をよくし、最終的には国の大統領になりたいそうです。彼が故国の大統領になったら、私は1万円持って、挨拶に行こうと思います。
文法をきっちり学んでいたヘンリーさんでしたが、「今の研究室は、私のほかはみな日本人学生。最初、学生の日本語がぜんぜんわからなかった。日本語の先生の会話と日本人学生の会話は、ぜんぜんちがいます」と、言います。うん、うん、とうなずくインドネシアのディーさん。
日本語教師は、学生が現在までに学んだ語彙と文法項目だけを使って会話するよう訓練されています。たとえば、受身形を習っていないうちに受身形を使った会話はしないし、習っていない語彙を使うときは解説します。これを、「ビギナーズ・カンバセーションコントロール」といいます。
学生は、教師となら日本語で会話できるので、自信をもって日本人社会にデビューするのですが、さいしょは「日本人の話すことが理解できない」と、ショックを受けます。しかし、基本文型の文法をきちんと学んだ学生は、学生用語や省略のしかたを身につければ、聞き取れるようになります。
逆に、基本文型を身につけずに耳から覚えた日本語で、器用にしゃべれるようになった人の中には、いつまでたっても公的な場で通用するきちんとした話し方が身につかない人も多いので、遠回りのようであっても、最初は「あんなに覚えたけど、漢字、わすれちゃった」ではなく、「あれほどたくさん覚えたけれど、漢字を忘れてしまいました」から覚えてほしいと思っています。正用を崩していくことはむずかしくないけれど、崩されたことばを正すのはかえって難しいからです。ヘンリーさんは、日本人大学院生とのつきあいの中で、すっかりこなれた日本語が身についていました。
ヘンリーさんと同期のディさんはインドネシア出身。スカーフを被った姿を見たことがなかったので、イスラム教徒とではないと思っていたのですが、出てきた料理のうち、「豚肉は食べられない」というので、「えっ、あなたもモスレムだったの?」と、はじめて気づきました。外国では、「女性はスカーフ着用」のイスラムの掟も規制はゆるくなるとのことですが、「豚肉、お酒はダメ」というほうは、きっちり守るディさんでした。
モンゴルのボーさんは、奥さんとお嬢さんふたりと暮らしています。お嬢さんは日本の小学校に通っているので、しゃべることにかけてはボーさんの上達を上回り、「娘は、私の日本語の先生です」というボーさん。
私は単語の説明などを、ついてっとり早く英語で言ってしまっていたのですが、ボーさんは英語が苦手。ロシアに留学経験を持ち、ロシア語が堪能なのです。でも、私はモンゴル語でもロシア語でも説明できないので、ボーさんがわからないとき直接法での説明に四苦八苦したこともありました。私の説明が下手でも、きっと「お嬢さんチューター」のフォローがあってのことでしょう、ボーさんの上達もめざましかったです。
モンゴル語は日本語と文法は似ているので、単語をきちんと覚えれば、どんどん上達します。白鵬や日馬富士の活躍にも元気づけられて、ボーさんはがんばりました。車関係のエンジニアだったボーさん、日本でも車のアルバイトをしているそうです。
みんな、楽しく話し、食べ、クラスお別れ会もおひらきになりました。来期は他大学へ進学するチャンさんもララさんも、いつかまた会えるといいね。
<おわり>