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語彙論>つちふる、春霖、施無畏

2011-03-02 19:07:00 | 日本語言語文化
2010/03/23
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(1)つちふる

 桜満開のころ復活予定ですが、東京の桜が開花したという昨夜22日のニュースを見て、プレ復活シリーズを。
 3月22日の朝刊に、21日春分の日の季節ネタが載っていました。新宿上空の航空写真、ぼうっと霞んでいて、「都心も黄砂に包まれて」という見出しが付けられています。春の強風が列島を吹き抜けたというニュース、都心では強風によるJR電車遅延もありました。

 季語「霾つちふる」は、「春の塵」「春塵」「春埃」と同意味の語とは思えないくらい、強烈なものとなって、2010年春分の日に全国各地に吹き荒れたのです。
 「つちふる」は、春先に吹き荒れる風で、「霾天ばいてん」「霾風ばいふう」とともに歳時記に載っています。「春塵」「春埃」というと、雪が溶け霜も降りなくなった暖かさの増す季節の中の、春らしい気候のイメージがあるのに比べて「霾天」「霾風」は、荒々しい印象があります。中国大陸の黄土から舞い上がる黄砂を含む強い風のイメージ。

 「霾つちふる」について、かって春庭コラムに書いたことがありました。「霾」という漢字が俳句短歌欄に出ていたのに、読めなかったと書いたのです。辞書をひいて、歳時記の「春塵」と同じものを指し、「つちふる」と読むのだとわかったと書いたのですが、このコラム、いつ書いたのか覚えていないので、たぶん春の季語で3月のコラムだろうと思って、目次ページ毎年の3月をチェックしたのですが、見つかりませんでした。

 そこで検索。「霾つちふる」「春庭」の2語アンド検索をすると、2008/05/19のコラムで書いたことがわかりました。検索機能、便利です。「霾つちふる」だけの検索だと有力歳時記サイト、季語サイトがでてきますが、すべてのタイトルに「春庭」をくっつけているので、「春庭」をつけて検索すれば、ぴたりとあたる。「つちふる 春庭」で検索試してみて。私んちのグーグルだと一番上に出ました。私がカフェコラムを始めた頃は、「春庭」で検索すると本家「本居春庭」と、当サイト春庭カフェが一番上にでたのです。雅楽の「春庭楽」が、その次くらいでした。現在では「春庭」もいろいろな分野で使われるようになりました。人気レストランや花屋の屋号などが一番上に来るのです。

 「つちふる」について、書いたことがあるってのは覚えているのですが、いつ書いたかとか、書いた内容を忘れているから、読み直して「おお、春庭、いろいろ調べていますなあ」と、楽しめた。みなさまにおかれましても、人の書いたことなんぞとっくに忘れているでしょうから、もう一度楽しんでもらえると思います。
 プレ復活、過去ログのコピーペーストです。
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2008/05/19ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>検索は虹を渡る(2)「つちふる」
 最近のお楽しみのひとつ。わからないことがあったら、徹底的に検索ケンサク。
 たいていのことは調べがつきます。
 3月31日の新聞、読めない漢字がありました。「霾」
 ドット数節約で、ネットでは省略文字しか出ませんが、雨冠の下左は、「豹ひょう」や「貂てん」の左側と同じムジナヘンの「豸」で、下右側は「里」です。

 朝日新聞朝刊「俳壇」のコーナーにあった漢字です。
 音読みはすぐわかりました。「霾天(ばいてん)のアルプス晩景なせりけり(平出和衛)」
 こちらの句には、ひらがながふってある。私も、歳時記で見たことがある。
 しかし、中国在住の人の句「霾や店主イスラム教と云ふ(中村昭義)」にはふりがながありません。
 文字数からいったら、上5句ですから、「○○○○や」で、ひらがな四文字のはず。さて、なんと読むのだろう。
 俳人なら、ふりがななしでも読める字なのでしょうが、たまに季語を引く程度の私には読めませんでした。

 漢和辞典の「バイ」から「霾」をさがし、訓読みがわかりました。訓読みは「つちふる」でした。「つちふる」も音読みの「霾天ばいてん」も、私の持っている旧版広辞苑にはない言葉。大修館現代漢和には「つちふる。砂埃。突風が土砂を巻き上げて降らせる。また、そのために空が曇る」と説明があります。

 雨冠の下は埋と書く異体字もありました。
 「霾」とは、中国大陸で、地上のものが埋まるほど、土が雨のように降る気象現象を指しました。中国大陸に降る土砂が、上昇気流にのって日本まで来たものを、「黄砂」と呼びます。黄砂でくもった空が「霾天」で、春の季語。

「霾天や小さく古き一城市(遠藤梧逸)」
「霾天に面を包みうつくしき(田村了咲)」
「霾の中礫のごとき雨交り(林周平)」

 私が持っている角川歳時記に、ちゃんと「霾つちふる」と、読み方が書いてありました。
 これまで「春塵」という季語ばかり使ってきて、漢語っぽい「霾天」を使ったことがなかったので、「霾つちふる」がまったく目に入っていませんでした。
 辞書では、ここまでわかりました。これ以後は、ネット検索です。

 「霾天」「霾つちふる」は、江戸俳諧の季語にはありませんでした。
 明治以後、森鴎外や夏目漱石など、漢詩に造詣の深い人々が、俳句の作者でもあったことから、春塵、春埃と同じ意味で、「霾風」「霾天」が用いられるようになりました。
 大正末年の歳時記から春の季語として採用されています。

 「霾天」という語、どんな用例があるのか、ネットで検索したら、中国最古の詩歌集「詩経」(詩經 国風 邶風)に出ている、とわかりました。

 「終風」と題した詩の二句めに「終風且霾」と書かれている。

終風且暴 顧我則笑 謔浪笑敖 中心是悼
終風且霾 惠然肯來 莫往莫來 悠悠我思
終風且曀 不日有曀 寤言不寐 願言則嚏
曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷

 この詩の解説は以下のとおり。
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「終風且霾<與理同>、惠然肯來。莫往莫來、悠悠我思。比也。霾、雨土蒙霧也。惠、順也。悠悠、思之長也。
○終風且霾、以比莊公之狂惑也。雖云狂惑、然亦或惠然而肯來。但又有莫往莫來之時、則使我悠悠而思之。望其君子之深、厚之至也。
【読み】
○終風且つ霾[つちふ]<理と同じ>る、惠然として來り肯ず。往くも莫く來るも莫く、悠悠として我れ思う。比なり。霾は、土を雨[ふ]らして蒙霧なり。惠は、順うなり。悠悠は、思うことの長きなり。
○終風且つ霾るとは、以て莊公の狂惑に比すなり。狂惑と云うと雖も、然れども亦或は惠然として肯えて來る。但又往くも莫く來るも莫きの時有れば、則ち我をして悠悠として之を思わしむ。其の君子を望むことの深き、厚きの至りなり。
------------
 ハァ、解説を読んでもますますわからないのだけれど、一日中、強い土ぼこりが降る日の情景なのだろうなあと思って読めない字面を眺めました。
 「曀曀其陰 虺虺其雷 寤言不寐 願言則懷」の、「曀曀」って何?どう読むの?「虺虺」ってなんのこっちゃ。
 検索をしたために、ますますわからないことが増えてしまいました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1460
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 以上、2008/05/19春庭コラムからのコピーでした。

<つづく>
11:55 コメント(4) ページのトップへ
2010年03月25日


ぽかぽか春庭「春霖」
2010/03/24
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(2)春霖

 3月22日に東京の桜が開花し、満開までの平均日数は約7~9日ということでした。開花したあとの曇り空を「花曇り」「春陰」という。23日は花曇り、24日25日は2日間とも雨。24日は、雨の中講師会議のためにでかけました。傘を斜めにしても足下が濡れる強い風と雨。会議の間もとても寒かったです。

 春雨はるさめ、春時雨はるしぐれ、春霖しゅんりん。鬱勃(うつぼつ)とした気分の春の雨、物憂い感じです。
 25日も一日中雨の予報なので、今日は片づけや洗濯もお休みです。ぼうっとしながら歳時記のページをめくる季語あそびも、暗い句ばかり目につきます。

・母の忌やその日のごとく春時雨 富安風生
(春庭の母の忌もその通り。身体の芯まで凍りそうな空っ風の日であったり、春時雨の底冷えのするお寺の中であったり、2月末日の法事は何年たっても寒さに泣ける)

・春驟雨木馬小暗く回りだす 石田波郷
(春の雨ふる中、この木馬は誰を乗せているのだろう。遊園地なのか、昔デパートの屋上にあったような客寄せの回転木馬なのか。波郷といえば、敗戦後の病身しか記憶にないのだけれど。
 病気がちで丙種合格だった波郷のもとに召集令状が届いたのは、息子がやっと1歳を過ぎたとき。30歳の老新兵として召集された波郷は、敗戦半年前に陸軍病院から帰郷を命ぜられ一命を取り留めた。しかし、戦地で得た湿性胸膜炎は悪化し、戦後の時間すべてを病の療養のために過ごさなければならなかった。
 ある一日、夫婦は息子を「回転木馬」にのせてやろうと思い立つ。息子のたっての願いであった回転木馬だけれど、明日の命も知れぬ病身の父ゆえ、その願いをかなえてやったことがなかった。あと数日でまた入院という日、春の驟雨の中、父は誰もいない木馬に息子をそっとまたがらす。木馬は暗く静かに回り出す。最後の、家族いっしょの時間かも知れない、、、、。)

・妻去って春雨の音やや荒し 香西照雄
(妻が去ったのは何ゆえだったのか。帰らぬであろう妻の後ろ姿にかぶる雨音は荒くつらい)

・花曇る日々憂鬱に山椒魚 西島麦南
(井伏鱒二の山椒魚も憂鬱な日々をおくっていたことを思い出します。山椒魚にいじわるをされて閉じこめられた蛙が、山椒魚に向かって「別におまえを怒ってはいないんだ」という許しを与える部分を、作者は自らの改稿で削除してしまい、山椒魚をめぐる憂鬱はますます深くなった)

・若く死す手相の上の花ぐもり 野見山朱鳥
(母も姉も50代での死でした。母の没年も姉の没年もすぎて私はまだ生かされている。二人の分まで長生きをしようと思っています。私が生きて二人を思い出す間は二人とも私の中に生きているのですから)

・春霰(はるあられ)鬱勃(うつぼつ)ウッツンボッツンと屋根たたく音にたたかれている 春庭
(集合団地で屋根もない部屋に住んでいるのに、憂鬱な霰が心を打ち続けています)

<つづく>
09:47 コメント(6) ページのトップへ
2010年03月27日


ぽかぽか春庭「施無畏」
2010/03/27
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>プレ復活祭春のことば(3)施無畏

 3月13日の新聞記事のなか、2009年度芸術選奨を受けた文学の部の『施無畏 柳宣宏歌集』を見て、施無畏(せむい)という語に目がとまりました。仏教語としては珍しくもないよく使われる語らしいのに、また、私もどこかで目にしたことがある語のはずなのに、意識して注目したのは初めてでした。
 「どこかで目にした」のひとつは、浅草の浅草寺。私も浅草寺の観音さまにお参りしたことがあり、本堂正面に「施無畏」と書いた額が掲げてあるのを無意識に見ていたはず。でも、大きな額の有り難い文字も、気にとめていなければ、心に残らない。施無畏とは観音様の別称でもあります。サンスクリット語(梵語)のabhayamdadaを漢語訳したのが「施無畏」です。
 大仏様の手の印、右の指の結びも「施無畏」を表しているのだそうです。

 両親と姉が眠っているお寺は曹洞宗で、お参りにいくと曹洞宗が発行している小冊子を渡されます。故郷から東京へ帰る電車のなかでさっと目を通し、家につくと捨ててしまっていたのですが、きっとその中にも施無畏について解説してある文章があったにちがいありません。衆生(生きとし生けるものすべて)の一人として、施無畏について復習しました。
 4月から国立2校、私立大学3校に出講する予定ですが、私立のうち2校は仏教系の大学です。講師室には仏教用語の辞典類も備えてあるのですが、私自身は1年に1度か2度墓参りをする程度の仏教徒ですから、日頃仏教用語を目にする機会もなく、まだまだ知らないでいる語が数多くあります。

<広辞苑>梵語abhayamdada ①三施の一。衆生を保護して畏怖の心を無くさせること。②観世音菩薩の異称
<大辞泉> 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)の恐れの心を取り去って救うこと。観世音菩薩の異称。
<仏教語大辞典(中村元編集)>無畏を人に施すこと。人の厄難を救うこと。おそれなき状態を与えること。一切衆生に恐怖の念をなからしめること。獅子・虎狼・怨賊・水火などから人を救って恐れることのなからしめること

 仏教でいう三施とは、三種類のお布施。
 法(真理)を施す「法施」は、寺の僧侶が檀家の衆生に施す法(真理)の教え。読経など。
 それに対して檀家が僧へお礼を渡すのが、財(金品)を施す「財施」。今ではお布施といえば、もっぱらこの「葬式や法事で読経してもらったお礼のお金」を指します。
 残りのひとつが「無畏施」です。人々が不安なく生きていくための施しを与えてくださるのが観音様。観音様を施無畏者と呼びます。

 『観音経』。お経の最後の方に「慈眼視衆生、福聚海無量、是故応頂礼」(じげんじしゅじょう、ふくじゅかいむりょう、ぜこおうちょうらい 慈眼をもって衆生を視、福聚の海無量なり、是の故に応に頂礼すべし。一切の人々を救おうという大慈悲心の功徳は海の水のように無量である。この故に、まさに一心に礼拝して汝らの模範とせよ。)と書かれています。
 観音さまは時と場合と相手に応じ、姿を変じて現われます。その姿は33にも変ずるので、三十三観音と言います。観音は「無畏」の布施をおこない、衆生の不安や恐怖を取りのぞきます。不安のない状態「無畏」を施す者、施無畏者が観音様です。

 このような仏教語は、仏教に詳しい人には常識であり、そうでない私には「この年になってようやくわかった」という語です。新しい言葉を知ることは、心の窓がひとつ開くこと。

 現実には、この世は不安だらけ。健康も明日の米も仕事も、当てにならないことばかりで、毎日を不安とともに生きているような人生。「施無畏」の慈悲には遠いような暮らしの日々ですが、なんとか生き抜きましょう。そして、自分もいつかは「ほっと一息」つけるような安心した気分を味わえる温かいお茶の一服のような文章を書くことができるように、文章修行を続けることといたしましょう。

 以上、プレ復活。東京の開花宣言、各地の花便りとともに少し憂鬱気分も薄らいできて、4月第一金曜日には、40年来の友K子さんをジャズダンスサークルにお誘いしていっしょにストレッチやダンスをしてみるつもりです。
 カフェコラム更新、4月から復活のつもりですが、「週に4~5回更新、ときどきさぼって1週やすみ」というくらいのペースでのんびりいきたいと思います。

<おわり>

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